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2025年1月31日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 5 JA8138

cn21924/ln420 として製造、1979年12月18日に初飛行、1980年1月16日にANAに引き渡されたのがJA8138でした。

就航時はモヒカン塗装、1988年ごろトリトンブルー塗装になっています。1997年3月24日、昭和リースに売却され、ANAがリースする形で運航となりました。晩年はB747-400DやB777-300の導入で幹線からローカル線での運航がメインになりました。

Ja8138-ana-b747sr81-cn21924-ln420-920823

1992/8/23 京浜島

Ja8138-ana-b747sr81-cn21924-ln420-961019 1996/10/19 羽田空港旧国際線ターミナル

2001年10月18日、Atlas Airに売却、レジもN1924Nとなりました。既に解体されています。

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2025年1月30日 (木)

立川にて白昼、定期的に見ることができるE233系基本番台、4連ワンマン運転対応 P編成

昨年10月から本格的に始まったG車組込も終盤に差し掛かり、12連が当たり前になりつつあるE233系基本番台貫通T編成、分割H編成に比べると、青梅線・五日市線専用であるだけに些か地味な青編成、そして青梅~奥多摩間ワンマン化対応のため、青400番台から改造されたP編成は普段の運用は青梅~奥多摩間となっているため滅多にお目にかからない編成となっています。それがため、たまに青編成と10連を組んで中央快速線運用に入るとたちまちニュースになる存在でもあります。


E2330p
E233系基本番台4連 P編成 改造等に関するデータ

そんなP編成ですが、2022年5月から9月にかけ、東京総合車両センターと大宮総合車両センターで青400番台編成にワンマン化対応改造が施工され、現時点で5編成誕生しました。

同編成の運用は、平日の場合
03仕業 5時台に豊田車両センターを出区、立川でスイッチバックした後、青梅へ、青梅604発から2243発まで、2321奥多摩着 滞泊
05仕業 奥多摩542発青梅まで、青梅から御嶽まで回送、御嶽714発青梅行き、青梅留置、1639青梅発奥多摩行きから、2338青梅発奥多摩行きまで、0013奥多摩着 滞泊
07仕業 奥多摩0505発から、青梅間往復、2300奥多摩発青梅行き、2337青梅着 滞泊
09仕業 青梅0518発奥多摩行き、3往復して1006青梅に戻り終了 青梅から立川経由で豊田に回送 となっており、休日も発車・到着時間は若干違うものの、似たパターンとなっています。  (データはこちらのサイトから)

ということからP編成は09仕業が終わった10時台から11時過ぎにかけてに立川経由で豊田に回送されています。

E2330-p525-4r-250122 2025/1/22 立川 10:39 西立川駅方面から立川駅に入線するP525編成

E2330-p525-4r-250122-24 2025/1/22 立川駅5番線を出発し、豊田方面に向かうP525編成

E2330-p5244-4r-250124 2025/1/24 立川 11:06 5番線にて待機するP524編成

以前からP編成に関する運用情報が午前11時過ぎに09運用の情報のみがupdateされる訳がわかりました。

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2025年1月29日 (水)

2025年1月27日月曜日、青662編成+P518編成が中央・青梅快速線運用に

1月17日に次いで、1月27日、月曜日にも表題の編成による代走がありました。

今回は97T運用で5:44に豊田を出区、東京~高尾間を1往復した後、豊田に10:22に到着後入区、約5時間強の休憩の後、15:39に再出区、東京~高尾、東京~豊田間をそれぞれ1往復して、22:40に豊田到着で終了という運用です。編成は青662+P518で青は前回と同じですが、P518は青460時代には撮影済みでしたが、P518としては未撮でしたのでぜひ記録しておかなければと思いました。

午前の運用に入っているのに気が付いたのは9時40分頃で既に新宿辺りを走行中であったので、夕方以降も同じ運用に就くことを祈りながら、撮影に向かいました。西国分寺から西荻窪まではG車に乗車しました。

JR東日本のアプリで15:39、豊田始発の1596Tが10連であることを確認、西荻窪は16:15に到着することもチェックし、緩行線、下り快速線に被られないことを祈りつつ到着を待ちます。

E2330-662-250127 2025/1/27 西荻窪 6連は青662編成

E2330-p518-250127 2025/1/27 西荻窪

所定の時刻に通過し、被られることもありませんでした。

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2025年1月28日 (火)

2024年度 新鶴見配置の2番機 EF210-364号機を八王子にて撮影

1月24日の新座でのEF210-365号機に続き、25日土曜日には、2024年度新鶴見配置のEF210-364号機が8097レを牽引し、八王子に到着するシーンを撮影しました。

364号機は2024年12月12日に川崎車両にて竣工、13日にかけ、兵庫~吹田貨物ターミナル間DD200-14,吹田~新鶴見間はEF65 2096号機の牽引で甲種回送されました。

1月23日、A263仕業に入り、稲沢発21:22の1098レで新鶴見、倉賀野、根岸を往復した後、宇都宮タ17:34着の8571レの後、A264仕業に宇都宮から5560レで根岸までタンク車を返送、根岸発6:46の8097レを牽引して八王子に8:42に到着しました。

Ef210364-8097-250125-3
2025/1/25 八王子 
定刻に八王子駅に到着した8097レ

運用に入ってから1か月程度経過していることで車体の汚れもかなりあり、「新車感」はあまりありませんが

Ef210364-8097-250125-9
Ef210364-8097-250125-10
Ef210364-8097-250125-11

Ef210364-8097-250125-13Ef210364-8097-250125-15 ホーム近くに停車してくれるので。車体を間近からじっくり観察することが出来ました。

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2025年1月27日 (月)

2024年度 吹田配置の1番機 EF210-365号機を撮影、新座でのEF210の競演

1月9日記事でも書きましたが、新鶴見、吹田機関区ともに東海道・山陽本線で貨物列車牽引に活躍中のEF210形機関車の臨時入場が続いているためか、2024年度新製配置の新造機がどんどん実戦の場に駆り出されています。


2024年度新造3機目となったEF210-365号機は1月8日に川崎車両を出場、吹田機関区に配置されました。さらに1月20日には-366号機も吹田機関区に配置されています。

同機は1月11日から本格的に運用に入り、最初はA251仕業、59レの後部補機仕業で安治川口へ、折り返し58レ牽引で新鶴見まで、1月17日からは2071レを牽引して幡生操へ、さらに稲沢、名古屋タに顔を出してから、1月23日、A110仕業で武蔵野線に乗り入れ、1056レ~4067レを牽引し、倉賀野、高崎操へと進出しました。

Ef210365-4067-ef210109-73-250124


Ef210365-4067-ef210109-73-250124-4


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2025/1/24 新座
7:44頃の新座貨物ターミナル、7:35に同ターミナルに到着し、コキの解結、荷扱いを行っているEF210-109号機牽引の73レ(東京タ~墨田川貨物間のシャトル列車)の横を倉賀野に向かう4067レ(福岡タ発、山陽・東海道では1056レ)が通り過ぎてゆきます。73レは61分の停車の後、8:36に出発、次の越谷タに向かいます。
なお、両列車の間に停まっているコンテナ貨車は仙台タから3072レで到着した貨車で、その後、8:45、2062レで大阪タから牽引してきた吹田機関区のEF210の前に3072レ牽引のEH500が連結され、異種重連として新鶴見まで5097レ、その後はEF210単独牽引で沼津まで行きます。新座~新鶴見間のEH500の回送を異色の重連で行っている名物列車です。

Ef210365-4067-250124-8 Ef210365-4067-250124-10 Ef210365-4067-250124-12 2025/1/24 新座
武蔵野線初走行で連結器、スカートなどに「新製機」らしさを漂わせている365号機

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2025年1月24日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 4 JA8137

cn21923/ln395として製造、1979年8月25日に初飛行、9月5日にANAに引き渡されたのがJA8137でした。

JALのSR-46の場合、アッパーデッキのポートサイドには非常口はありませんが、ANAのSR-81には全機、非常口が設けられ機内の階段も直線タイプでした。導入後しばらくはANAが保有していましたが、エヌアイエアクラフトリーシングに売却され、ANAがリースする形で運航されました。

Ja8137-ana-b747sr81-cn21923-ln395-961013 1996/10/13 HND かつてChina Airlines 専用となっていた羽田空港国際線ターミナルからの写真

Ja8137-ana-b747sr81-cn21923-ln395-971026 1997/10/26 HND 第一旅客ターミナルにJAL ANA JASが同居していた頃の写真

1999年2月10日Atlas Airに売却となり、レジもN8078Qに変更されました。その後部品取り状態となり、解体されました。

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2025年1月23日 (木)

西武鉄道 40000系 8連 48151F 営業運転開始

昨年11月1日、準急豊島園さんの「川崎車両で40000系Long seat固定タイプの8連か製造されている」というコメントがあり、その第一編成48151Fが竣工し、甲種回送されたのが12月6日から8日にかけてでした。それから1か月、1月7日に性能確認試運転が行われ、1月13日から営業運転に投入されました。続々と廃車が進む2000N系8連の置き換えということであれば、新宿線に投入かと思われましたが、まずは池袋線に投入、2073Fが新宿線に配置換えとなり、昨日の記事のように2095Fが横瀬基地送りとなりました。

1月21日、久しぶりに池袋線を訪れ、48151Fを撮影してきました。8連のため、池袋線の各停運用、特に豊島園運用がメインかと思われましたが、案の定

501に保谷を出区、池袋、清瀬往復、豊島園2往復、石神井公園往復、豊島園11往復(918~1744)
、保谷往復、豊島園往復、石神井公園往復、豊島園往復、保谷2216入庫  という運用に入っていました。

48150
40000系8連 編成構成 (参考までに40151Fの構成を載せています)

48151Fの編成構成は上の図のように10連の40151Fから4,5号車を抜き、サハ48450にパンタを搭載した形となっています。

40000-48151-250121-44 2025/1/21 練馬 48151 40151と形態的な変化はありません

40000-48251-250121 2025/1/21 練馬 48151と48251
側面の車番の表記が従来の灰色文字から黒文字になったため識別しやすくなりました
40000-48851-250121 2025/1/21 椎名町 池袋より先頭車 48051
これまで同様、パートナーゾーンが設置されています。

今年度中にあと2本、投入の予定だそうです。

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2025年1月22日 (水)

西武鉄道 2000N系 8連 2095F 横瀬基地に廃車回送

昨年3月の2067F以来かと思いますが、西武新宿線で長らく活躍していた2000N系8連の2095Fが1月14日火曜日に横瀬基地に廃車回送となったようです。これは後日レポートしますが1月13日から西武池袋線で40000系8連の48151Fが営業運転を開始したことにより、2000N系2073Fが新宿線に転属となったことによる玉突き移動の結果なのでしょうか。

2095Fは1992年7月31日、東急車輛で竣工しました。これまで更新修繕は受けておりません。

2000n-8-2095f-160508

2016/5/8 東村山

2000n-8-2095f-160530-2 2016/5/30 井荻

2000n-8-2095-190602 2019/6/2 小川~萩山間 減パン。シングルアーム化工事後

2000n-8-2095-240327

2024/3/27 中井

2000N系8連のこれまでの廃車(6連化による部分廃車も含む)。

2057F 2023/1
2059F 2022/5
2061F 2023/2
2063F 2021/11
2067F   2024/3
2077F 2023/8 (2277・2278の廃車)
2081F 2023/12 (2281・2282の廃車)
2091F 2024/7 (2291・2292の廃車)
2095F 2025/1
2097F 2016/9

 

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2025年1月21日 (火)

2025年1月17日金曜日、青662編成+P525編成が中央・青梅快速線運用に

昨日に引き続き中央・青梅快速線E233系の話題です。

平日の運用で本来、本線で活躍しているE233系基本番台がG車組込のため、国府津や幕張に出張し、さらに検査などで運用に入れない編成がある場合に、普段は青梅・五日市線で活躍中の青600番台編成と青400番台編成、もしくはワンマン対応化されたP520番台編成が10連を組み本線運用にまわることがあるようです。昨年11月27日記事でもレポートしましたが、年が明けて1月17日金曜日にもそういった編成を目撃しましたのでレポートします。

今回は青662編成とP525編成という組み合わせでした。

E2330-p525-250117 E2330-662-250117 2025/1/17 P525+青662の10連による21H運用

昨年12月18日水曜日には青662+P521編成が23H運用に入っているのも目撃しています。

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2025年1月20日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 14週で38編成に + 読書灯のないG車に関して

年末・年始の休暇がありましたが、年明け後も順調にE233系基本番台へのG車組込は進み、1月18日時点では、38編成が営業運用に入っています。57編成のうち、2/3が12連化されたことになります。

このシリーズ、前回の1月6日記事からの変化としては

T4編成  豊田車両センターにて1月7日、サロE233/232-54を組込、12連化 
T20編成  豊田車両センターにて1月9日、サロE233/232-53を組込、12連化
T1編成  国府津車両センターに回送の上、1月10日、同センターに疎開中だったサロE233/232-49を組込、12連化
H52編成  幕張車両センターに回送の上、1月15日、同センターに疎開中だったサロE233/232-27を組込、12連化

E2330-h58-12r-250107-2 2025/1/7 国立 12連化されたH58編成
前回の記事では写真のなかったH58編成 2024年12月28日に幕張車両センターでサロE233/232-32ユニットを組込、12連化されました。

E2330-t8-12r-250106 2025/1/6 武蔵境 12連化されたT8編成
前回の記事では写真のなかったT8編成 2024年12月31日に豊田車両センターでサロE233/232-56ユニットを組込、12連化されました。

E2330-t4-12r-250117 2025/1/17 西荻窪 T4編成

E2330-t20-12r-250118 2025/1/18 西荻窪 T20編成

E2330-t1-12r-250118-4 2025/1/18 西荻窪 T1編成

E2330-h52-12r-250118-4 2025/1/18 西荻窪 H52編成

まだ営業運転に入ってはいませんが、1月17日にT2編成も12連化されたようです。組込まれたユニットの番号は不明です。1月14日にはT31編成が国府津へ、1月17日にはH50編成が幕張に回送されています。

これらG車組込で12連になった編成のほか、1月5日からT40編成とT71編成に「学園アイドルマスター 花海咲季」のラッピングが施されています。

E2330-t71-10r-250107 2025/1/7 東小金井 T71編成

E2330-t71-10r-250117 2025/1/17 高円寺 T71編成

T71編成はグリーン車組込準備工事未施工の編成であることから、12連化完了後は他線区への転属かと思われている編成ですが、同じく未施工のH49編成以外にもう1編成。G車が組み込まれない編成を想像すると、H編成の未組込編成数と幕張残存ユニット数が一致することから、T編成1編成が未組込となると考えられ・・・もしかしたらT40編成かなと思わせる今回の抜擢であります。

あと、昨年9月以来、動きのなかったT49編成が1月17日に豊田車両センターから武蔵小金井派出へ回送されたようです。いずれにせよ57編成の12連化が完了した時点で10連のまま残された編成がどうなるのか気になるところです。

さらに前回のこのシリーズの記事で細井忠邦さんがコメントされていた「読書灯のないG車」ですが、私も乗りました。番号はH47編成に組み込まれているサロE233/232-51でした。

E23251-250118
E2330-g51-250118-2 2025/1/18 サロE232-51の2階席の天井 

これまで何回か乗車したE233系基本番台G車では天井のSuicaグリーン券読み取り部のそばに読書灯が設置されており、ボタンを押すと点灯することも確認していましたが、この車両には読書灯自身が設置されていないのに驚きました。
当初、この車両は試作車で-1なのかと思い国分寺で下車する際に車番を確認して,-51であることに再度、驚かされました。停車時間があったのでサロE233-51の1F,2Fもチェックしましたが、いずれも「読書灯無し」でした。

E233g-2501
帰宅後、駅で配布されているグリーン車導入開始のパンフレットの写真をよく見ると「読書灯のない車両」で写真が撮られていることに気づき、さらに驚いた次第です。

これまでのG車乗車回数からすると読書灯のある車両に乗った回数が圧倒的に多いので、いったいどの車番が「読書灯無し」なのか調べてみる必要がありそうです。ちなみに-51ユニットは2024年9月17日に豊田センターに甲種回送された4ユニット(-49~-52)のうちの1つですから、-49(T1). -50(T29), -52(H56)の3ユニットあたりから調べてみるべきかと考えています。

(追記:2025/1/23)細井氏と私でG車の読書灯の有無を調べた結果、サロE233/232-1,8,12,13,16,30,32,49,56に乗車する機会があり、いずれの車両でも「2階席と平屋席には読書灯はなし、地下階席のみにはあり」ということがわかりました。G車に関しては短期間に同一製作所で製造されていますので設計変更といったものはないだろうと思います。

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2025年1月17日 (金)

海保機・JAL機 羽田空港衝突事故とJeju航空機事故に関して (続報)

2024年に起こった2つの大きな航空機事故に関して、前者は昨年12月27日の記事で、後者に関しては今年1月8日の記事で触れましたが、前者に関しては160頁弱(本文は135頁)の事故調査の経過報告書(令和6年12月25日運輸安全委員会)を読み返し、気づいた点を整理しました。後者に関しては事故機の残骸から回収されたフライトレコーダー(FDR)・ボイスレコーダーCVR)に関してアメリカで解析を行ったところ、衝突4分前に両レコーダーの記録が止まっており、最後の4分間のデータが記録されていなかったというニュースがありました。。

羽田空港衝突事故ですが、報告書では海保機をA機、JAL機をB機とし、他、衝突時刻、離陸、着陸準備にあった機をC,D機としています。この記事では引用文(” ”で囲まれた文章)内の記載もA機を海保機、B機をJAL機としました。

”スポットN957へのトーイング中に、機上整備員Aが補助動力装置(以下「APU」という。)を始動させ、APUジェネレータ(以下「APU GEN」という。)を海保機の電源系統と接続したところ、APUが停止した。”

海保機はエンジンの始動の際に電源を供給するAPU-GEN(APUジェネレーター)のコントロール・ユニットが不調で羽田出発の際に上記のようなトラブルが発生していました。新潟空港を経由して小松空港へ、さらに羽田空港に戻る際にそれぞれの空港でエンジンを始動する際に電源を如何にして確保するするか、新潟空港、小松空港で電源車を借用できるか否か、海上保安庁本庁対策本部及び第三管区海上保安本部の担当者の調整待ちで出発することになりました。

Photo_20250116075501

海保機のタキシング経路 (経過報告書7頁の図1から)

海保機は17時32分頃、スポットN957を離れ、RWY34Rからの離陸に向けタキシングを開始しました。新潟空港までの飛行計画は
計器飛行方式、巡航速度:230kt、巡航高度:12,000ft、経路ROVER~AKGI~Y372(RNAV)~KALON~Y37(RNAV)~GOSEN 所要時間70分 燃料搭載量:6時間30分、搭乗者数6名 でした。

操縦室に機長(PF飛行を担当)左操縦席、副操縦員(PM通信、計器のモニターを担当)右操縦席、機上整備員が後方中央のオブザーバー席に、機上通信員、機上探索レーダー員、航空員が客室に

 タキシング中、まずタワー西とコンタクト、17時44分13秒、グランド東へ、誘導路HからCへ右折、ここからタワー東とコンタクト、この時点で誘導路C上には先行機が2~3機、後続機が1基おり、機長は先行機の離陸後に順番が回ってくると考えていました。17時45分14秒、タワー東から誘導C5の停止位置が指示され、離陸順番が1番目の趣旨で

”「No.1, taxi to holding point C5」” と伝達され、指示を復唱、誘導路C5に向けてタキシングを継続

機長の記憶では

”「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です。)」と言われたと ”

”機長Aは、離陸する他の航空機が誘導路C1に向かっている流れの中で、自機に誘導路C5の指示が来たことについて、運航情報官に飛行計画書を提出したときに自機の飛行目的が震災支援物資輸送であると伝えてあったため、それが航空管制官に伝わっており、離陸の順位を優先してくれたのだと思った。機長Aは、誘導路C5から滑走路34Rに進入した場合に離陸に使用できる滑走路の残距離が海保機の必要離陸距離に十分であることを、副操縦員Aと共に確認した。”   

一方、羽田基地を出発する前の懸案事項だった、新潟、小松空港での電源車の確保に関して、小松空港での電源車の借用は不可能であることがわかり、基地から機長にその旨が伝えられました。代替手段として着陸後、右エンジンを停止せずに回したままにしておくことで電源を確保する手段も連絡されました。機長は管制とのコンタクトと基地とのコンタクトを傍受しており、さらにこの通信中に

”、機長Aの口述によれば、この無線のやりとりに一部重なるタイミングで、海保機に対してタワー東から「Runway 34R, cleared for take-off (滑走路34R、離陸支障ありません)」の許可があったと記憶しているとのことである。 ”

離陸許可が出たと判断した機長は

副操縦員に離陸前点検(Before Takeoff Checklist)を指示、副操縦員はBefore Takeoff Checklistを実施し、タキシング中は赤の点滅だったストロボライトを衝突防止灯(白色点滅)にかえています。これは空港監視カメラの映像にも記録されていました。

”17時46分46秒、海保機は、滑走路34Rの中心線上で離陸方向(北西向き)に正対して停止し(C滑走路南東端から560m付近)、17時47分27秒、滑走路34Rに着陸してきたJAL機と衝突した。”

不幸な偶然として、海保機がタワー東とコンタクトする前にJAL機の着陸許可が出されていたために、機長、副操縦員は着陸進入中のJAL機を認識していなかったことも挙げられます。さらに滑走路進入の際に注意を喚起する停止線灯が事故当時、老朽化のための更新工事で運用を停止していたのも「不幸な偶然」でした。

後から思えば、Intersection Depatureで先行機を追い越して離陸が許可される、能登半島地震の支援物資輸送という任務が優先されているという思い込みと、通信の輻輳という事態が重なり、大きなミスがこの時点で生じたのかと思われます。

衝突後、機長はエンジンが爆発したのかと思い、数秒間伏せた後、オブザーバー席の機上整備員、さらに副操縦員を探したが、姿は見えず、機内が燃えていたので、操縦席上部の非常脱出口から脱出、改めて5名の乗組員を探したが発見できませんでした。滑走路脇の草地から羽田基地に携帯電話でコンタクト、羽田基地から羽田特殊救難基地に連絡が入り、熱傷対応旧機材をの装備したSRT隊員などが現場に向かい、さらに空港事務所からも消防車、救急車が出動、機長は病院に搬送されました。

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羽田空港管制塔の管制卓配置図 (経過報告書12頁の図3から)

海保機とコンタクトしていたタワー東は17時42分ごろ、A滑走路を横断する海保機を認識、

”タワー東は、海保機は海上保安庁所属の航空機であるものの、捜索救難機のように優先的な取扱いの必要がない、物資輸送のための飛行であることを、事前に飛行計画を確認し把握していた。”

ここに海保機の機長の思い込みと管制官の認識の違いを見て取ることができます。

”17時45分10秒、グラウンド東から誘導路C上で通信移管された海保機が、タワー東を呼び込んだ。タワー東は、海保機に対し、離陸順位が1番であることを通報するとともに、海保機の前方に4機の出発機が並んでいたことから、海保機を予定どおりJAL機の着陸後、D機の着陸前に離陸させるため、海保機の位置から最も近い誘導路C5からのインターセクション・デパーチャーをさせることとして、海保機に対し誘導路C5の滑走路停止位置までの地上走行を指示した。海保機は、タワー東に対し、誘導路C5の滑走路停止位置へ走行すること、1番であることを復唱した。タワー東は、海保機の復唱に間違いがないことを確認し、海保機が誘導路C5へ走行していることを目視した。”

タワーが離陸機の順番をこのように割り振ったのは、東京ターミナル管制所羽田出域調整席の管制官(DF)から海保機の離陸のタイミングを相談され、国際線出発機であるC機の離陸の後にD機を着陸させると後方乱気流の影響を受けるので、JAL機の後に海保機を離陸させ、D機を下ろし、次いでC機を離陸させればその影響が少なくなると判断したからでした。そのために海保機をC5からRWY34に入れ、インターセクション・デハーチュアとしたのでした。

このJAL機とD機の着陸の合間に海保機を離陸させるために、D機に対しては着陸進入速度を下げるように指示、JAL機が着陸し、C5前を通過したらすぐに海保機を滑走路に入れ、待機するように指示するため、JAL機の動きを注視していました。このとき、海保機がC5停止位置で待ての指示に反して滑走路に進入していたのを見逃していました。

まさに衝突の15秒前にDFが空港面画面上で滑走路占有重複状態となっているのを2008年3月から導入された滑走路占有監視支援機能が示しているのを東京ターミナル管制所のDFが気付き、タワー東担当の管制官に”JAL機はどうなっているか(滑走路上に海保機がいるがJAL機の復行指示は出したかという意味で)”と問い合わせたものの、タワー東管制官はその意味が分からず対応しないうちに衝突に至りました。ただ、このシステムはこれまで「狼少年的に」滑走路の占有に重複がない状態でも注意喚起が出されるケースがしばしばあり、管制官側ではあまり信用されていなかったようでもあります。

JAL機から炎が上がるのを見た、タワー東管制官は空港事務所空港し、、保安防災課、運航情報官及び東京ターミナル管制所へ通報、着陸体制に入っていたD機に対しては復行を指示、全ての地上の航空機に対しては現在位置で停止を指示、JAL機から脱出した乗客の安全を確保するとともに事故対応車両及び人員の支障にならないように、駐機場所までの移動を指示、さらに東京ターミナル管制所は復行した航空機、および管制下にあった航空機に対し、成田国際、中部国際、関西国際空港等への目的地変更を行いました。

JL516便は16時27分に新千歳空港を離陸、機長のほか運航乗務員2名、客室乗務員9名及び乗客367名の計370名が搭乗していました。右操縦席にA350型式移行訓練中の副操縦士が着座、PFとして操縦を担当していました。機長は左席でPM業務を担当、訓練乗務員の指導を行っていました。さらにA350型副操縦士資格者(セイフティ・パイロット)1名がオブザーバー席に着座していました。

JAL機は新千歳空港から順調にフライトし、タワー東とコンタクトする前からRWY34Rは視認出来ていました。17時44分56秒にRWY34Rへの着陸許可が下りました。PF担当の訓練乗員は高度1140ftで自動操縦から手動操縦に切り替え、高度1000ftを通過した後、風向きが地上でも変わらないことを確認、進入を継続、セイフティ・パイロットは外部監視、管制交信のモニター、飛行諸元のモニターを行っていました。17時47分26秒ごろ、主脚が滑走路に接地、逆噴射のための操作を行い、着陸灯を点灯したとたん、小型の機体が正面に現れ、大きな衝撃が発生しました。最終進入中、3名の運航乗務員はRWY34R上を監視していましたが、滑走路上に小型機が止まっていることにはまったく気づきませんでした。

なぜ、JAL機は滑走路上に停止していた海保機に気づかなかったか、この点に関しては海保機の機体尾部の衝突防止灯、下部尾灯位置灯、垂直尾翼上部の上部位置灯がいずれも白色であり、Intersection Deoartureのため海保機が停止していた場所の周囲には滑走路に埋設された中心線灯、接地帯灯があり、これらも白色等であったことが原因として考えられます。


衝突時の対地速度は120kt(222km/h)、ピッチ角3.5度(上向き)、機種方位337度で前脚は接地していませんでした。

衝突後、操縦を機長が担当、ブレーキ操作を行ったが、減速は感じることがなく、機の進路が徐々に右にずれていったためステアリング及び方向舵で修正を試みるも操縦に応じた機体の動きはありませんでした。滑走路南東端から2118m付近で滑走路を東側に逸脱、草地を走行し、RWY16L用の進入角指示灯に接触、、滑走路34R南東端から2,298m、滑走路中心から東側に56m(滑走路長辺端から26m)の付近、機首方位はおおむね345°(磁方位)で、17時48分14秒ごろ、機体が停止しました。

機内では主脚が接地した直後、異常音が発生、何かに乗り上げる動きが感じられ、大きな減速を感じることはありませんでした。左右の主翼下面付近で火災が発生(乗客が視認)、前方から3番目の出口付近の客室内で異臭が発生し始めました。衝突後、客室乗務員は乗客に対し、「頭を下げて」と衝突防止姿勢を取るための指示を連呼、操縦室とインターホンで連絡を試みるもインターホンでの通話ができませんでした

機長は非常脱出を決定、そのための手順を開始、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の知らせを受け、脱出指示装置を試みるも作動せず機内放送システムも使用できなかったため、大声で脱出を指示しました。左右のエンジンを停止する手順、消火剤の放出操作を行った結果、左エンジンは停止しましたが、右エンジンは停止せず、エンジンの作動状況について操縦室内の計器上に何の変化も起こりませんでした

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非常脱出で使用された出口 (経過報告書20頁の図7から)

各出口に配置された客室乗務員はそれぞれの担当出口の外部の状況を見て、L1,R1,L4以外の出口は火災の状況から脱出に適していないと判断し、17時51分60秒頃、L1,R1のドアを開放、脱出用スライドを展開し、乗客の脱出を開始しました。客室内に煙が充満してきたこと、周囲の状況の切迫を受け、L4出口も脱出可能と判断し、17時55分頃、L4ドアも開放され、周囲の乗客の脱出を指示しました。L1,R1からの脱出が340~350名程度、L4からが20~30名程度で、脱出の際に1名が肋骨骨折の重傷、軽傷が4名、12名が体調不良を訴え、医療機関を受診しました。海保機側は機長は火傷で重傷、他5名の死因は現時点では不明とのことです。

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海保機とJAL機が衝突した際の位置関係 (経過報告書70頁の図39から)

両機が衝突した際の位置関係は空港監視カメラの映像、JAL機のFDRデータや残骸の衝突痕から、上図のようであったと推定されています。海保機は胴体上部が激しく損傷、主翼、尾部が胴体から分離、上部後方からの圧力で押しつぶされた形で衝突地点から約90m先の滑走路上に擱座していました。JAL機は機種部分が海保機の尾部に衝突、操縦室床下の電気室の前方部分に大きな損傷を受けたようです。
幸いにも主脚が倒壊しなかったため、機体が横転や回転することなく、大きな進路変更を伴わずに停止することが出来ました。JAL機のFDR(フライトレコーダ)は衝突後約1.9秒後に記録を停止していました。これは、衝突の0.8秒後にFDRに電力を供給する115V AC EMER BUS1の出力が失われたことによると記録されていました。CVR(ボイスレコーダ)は機体が滑走路外で停止した5秒後に停止していました。、滑走路からの逸脱、停止時の衝撃によりCVRに電力を供給する28V DC EMER BUS2の電源が失われたか、EPDC又は周辺配線が損傷したことによる可能性が推定されています。
前脚は支柱の途中で折損、機体から分離し、衝突地点から480m先の滑走路上に脱落していました。支柱が残っていたため機首部胴体下面が滑走中、地面と接触することは避けられました。

これらの損傷が機体滑走、停止、脱出時の操縦性を失わせ、機内でのインターホンでの連絡を妨げた原因になったことは容易に想像できます。

海保機の5名の乗員の方々は誠に残念ですが、JAL機の乗客に犠牲者が出なかったことは正に不幸中の幸いであることがこの中間報告書からもよくわかりました。
亡くなった5名の海保機の乗員の方々の死因に関しては現在調査中とのことですが、5名の遺体は機内、機体周辺で発見されたとのことですが、衝突時になぜ機長だけ助かることが出来たのか、この点に関してはこの報告書では触れられていません。

報告書の末尾に海保機、JAL機の機内での会話の様子が記録されていますが、JAL機が衝突後、停止するまでの状態は、韓国でのJeju航空機の記録されなかった4分、バードストライク~電源喪失~胴体着陸~コンクリート壁に激突までの過程と似ており、あのコンクリートの壁さえなければあのような大事故にはならなかったのではと思う次第です。

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2025年1月16日 (木)

EF210-100番台 第2全検の進行状況

昨日のEF210形基本番台の全検に続き、今回は100番台の全般検査についてみてゆきます。

100番台は2000年3月以降、基本番台の改良型として製造されたタイプでVVVFの素子をGTO、1インバーターで2基のモーター制御する方式(1C2M)から、素子をIGBTとし、1基のインバーターで1基のモーターを制御する方式に改め、主電動機の制御方式を二次巻き線の始動抵抗器の抵抗値を加減し、トルクに一致するよう滑りを加減し、速度制御する「すべり方式」から、モーターの回転磁界の磁束の方向と大きさをベクトル量として制御する「ベクトル方式」にすることで、空転特性を改善し、省エネ性を増し、振動や音の発生を抑えました。また新製時からATS-PFを搭載し、補助電源のSIVが万が一故障した際には主回路制御用インバーターの一群をSIVのバックアップとして使用できる冗長化が図られました。
101~173号機の73両が製造され、108号機までは下枠交差式パンタグラフ(PS22D)搭載でしたが、109号機からはシングルアーム式パンタグラフ(FPS4A)となり(115号機は一時、 PS22Dを搭載)、156号機以降は屋上の列車位置検知用GPSアンテナが省略されました。これらの形態変化を以って、108号機までを1次車、109号機から155号機を二次車、156号機から173号機を3次車と分類しています。

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EF210-100番台 第2全検の進行状況

現時点で100番台の44両(101~142と149、154号機)が2回目の全検終了、もしくは入場中、予定が確定状態となっています。2018年に第2全検を受けた107号機からは白帯入りの新塗装で出場していますが、それ以前に受けている101~105の5両は旧塗装のままとなっています。ただ。これらの第3全検の時期も近いとおもわれるので、第3全検出場時に新塗装化されると思います。

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2016年に第2全検を受けているため、旧塗装で活躍中の104号機

2018年度以降、第2全検を受けた100番台は新塗装となりました。

Ef210120-2073-230728-2 2023/7/28 清州

Ef210120-87-241015 2024/10/15 立川

2022年に第2全検を受けた120号機の場合、ルーバーの形態は旧塗装時代と変わりありません。

2022年9月に出場した122号機以降は側面のルーバーが300番台のルーバーのように帯が切れないような形態となっています。

Ef210125-86-240620-2

2024/6/20 八王子

Ef210125-86-240620-8 2024/6/20 立川

2023年3月に第2全検を受けた125号機の場合、ルーバーは300番台タイプになっていますが、どちらの側面も白帯はルーバー上にはありません。

また2023年11月以降に出場した130号機以降はスカートが濃灰色に塗装されているもの変化として挙げられます。

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2024/12/18 西国分寺 
ルーバー上まで白帯がひかれ、スカートが濃灰色となっている135号機

Ef210154-5097-241109-9 2024/11/9 新川崎 新塗装化された154号機

Ef210154-5097-241109-10

側面のルーバーの形態 帯がルーバーの上でも切れないようになっている。

Ef210154-100709-2 2010/7/9 吹田 同機の以前のルーバー

以上、100番台の第2全検以降の新塗装には多様なパターンがあります。
落成した順番で全検が行われるわけではなく、さらに全検時期によって形態が変化しているので、見ていると頭が混乱してくるのが実態です。

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2025年1月15日 (水)

EF210 基本番台の旧塗装は間もなく見納めに

昨年6月13日記事でレポートしましたが、試作機を含めて19両製造され全機、岡山機関区に配置されているEF210基本番台ですが、最後の全般検査とされている第3全検を17両が終了しており、昨年11月26日(?)から18号機が広島車両所に入場中で間もなく出場する予定です。それと入れ替り、8号機が入場すると基本番台全機が第3全検を受けることになります。

昨年6月13日の記事では2024年4月に入場し、6月4日に出場し、新塗装化された17号機について触れましたが、その後、予定通りに15号機、5号機が全検を終えていますのでそれらについて今回は触れようと思います。

15号機は1998年10月20日に落成、2006年5月8日に第1全検出場、2014年5月23日に第2全検出場で、第3全検出場は2024年8月22日でした。

Ef21015-0303262003/3/26 新大阪 第1全検前で側面の空気取り入れルーバーがまだ細いタイぷっだた頃

Ef21015-061103 2006/11/3 新川崎 第1全検出場直後、側面の空気取り入れルーバーの形態は同じ

Ef21015-071217_20250114121901 2007/12/17 下関 側面の空気取り入れルーバーが大型のものに

Ef21015-5082-230620 2023/6/20 西国分寺 

Ef21015-5082-241123-5

2024/11/23 府中本町 第3全検で新塗装に

5号機は1998年8月4日に落成、2006年10月6日に第1全検出場、2014年4月3日に第2全検出場、第3全検出場は2024年10月25日でした。

Ef2105-030215-3 2003/2/15 黒磯 当時の直流機の北限の機関車交換のための入換

Ef2105-090404 2009/4/4 浜松 フィルターは大型化

Ef2105-5082-240406-5 2024/4/6 西国分寺

Ef2105-4091-250107-10edit 2025/1/7 新座 第3全検で新塗装に

落成~第1全検、第1~第2全検までの間隔が8年程度に対して第2~第3全検までの間隔が10年程度となっているのは新型コロナウイルス蔓延による影響だったのでしょうか?
100番台の最近の第2全検出場車はルーバーが300番台のように帯線が途切れないタイプに変更されていますが、基本番台の全検出場車にそう言ったタイプに交換されたものはありません。

8号機の入場で1996年の落成以来続いた、基本番台の旧塗装は見納めとなります。

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2025年1月14日 (火)

湘南モノレールの旅 part12

湘南モノレールの旅、大船から約15分で終点、湘南江の島に到着します。


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この駅の5階には「ルーフテラス」と名付けられた展望台があり、富士山の眺めが綺麗です。

Dsc09725 2023/12/29 湘南江の島駅の展望台「ルーフテラス」から見た富士山

駅から歩いて僅かの場所には江ノ電の江ノ島駅があり、


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2023/12/29 江ノ島 1200形1201F 我が国の1067mm軌間の鉄道線では最後となった新造吊り掛け車


Dsc09738 さらに商店街を南に下ると江ノ島の入口に到着します。

Dsc09735 地図をよく見ると 江の島の表記も「江の島」と書かれているものと「江ノ島」と書かれているものが混在していることがわかります。

Dsc09739 小田急の片瀬江ノ島駅駅舎

1999年の鉄道記念日に関東の駅百選にも選ばれたユニークな駅舎は1929年4月1日に大野信号所(現、相模大野駅)~片瀬江ノ島駅間が開業した際に造られました。ただ免許を申請した時点では江ノ島電気鉄道の藤沢~江ノ島~鎌倉(当時は小町)間や大船~江ノ島~茅ケ崎間の建設計画(免許は東海土地電機株域会社に)があり、当駅付近で交差するため予定線が開業した際には撤去するという条件付きの仮設線、仮設駅として建設されました。ただ、江ノ島電気鉄道の大船~茅ケ崎線の免許失効期限が迫っていたことや資金力がないことが明らかだったため、実際は本設物として建設されました。2017年には駅前の都市計画道路の拡張と2020年開催予定の東京オリンピックに合わせ駅舎の建て替えが決まり、2020年7月30日に竣工しました。


Dsc09745_20250113074101 龍口寺前のカーブを行く20形

江ノ島一帯を観光した後、再び湘南モノレールで大船に向かいましたが、帰りは湘南深沢駅で途中下車し鎌倉市梶原にある深沢車庫を見学しました。


Dsc09770 湘南深沢~西鎌倉間の深沢車庫出入庫線分岐部

Dsc09771 出入庫線の先に深沢車庫があります。


Dsc09779 車庫は1階が事務所、運転指令室、2階が車体点検場、3,4階が車両屋上機器と台車の点検修理場 懸垂式のため、機器や台車は「下」ではなく「上」にあります。


Dsc09774 入庫中の5000系 5603Fと5613F

3800坪の農地を買収し、1970年1月15日に完成した車庫は7編成の留置、洗浄、検査業務を行う施設となっています。湘南深沢駅の北西側から出入庫線が分岐しています。留置スペースは18両分なので1編成は本線上の終端駅での夜間滞泊となっているのでしょう。

Dsc09780 軌道や電機関連設備の検査を行う工作車 東京モノレールでは黄色ですが、こちらはオレンジの塗装


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敷地内には2016年に引退した500形551編成のカットモデルが展示されていました。

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2025年1月13日 (月)

湘南モノレールの旅 part1

2023~2024年にかけての冬シーズンの18切符の旅で訪れた湘南モノレールについて、2日間に渡って紹介しようと思います。

Dsc09689 Dsc09690 2023/12/29 湘南モノレール 大船駅(SMR1)

湘南モノレール江の島線は大船と藤沢市片瀬地区を結ぶ6.6km駅数8駅の路線で1970年3月7日に開業しました。

モノレールには東京モノレールや多摩都市モノレールのような跨座式懸垂式があり、前者が日立製作所が技術的な主導権を握っているのに対し、後者は三菱重工業が力を入れており、この路線はかつて京浜急行が大船と江の島海岸を結ぼうとした鉄道路線計画が頓挫し、自動車専用道路として残された空間(当初は京浜急行の私道、後に鎌倉市、藤沢市に売却・譲渡され一般市道に)に敷設されています。三菱重工は1964年に名古屋市の東山動物園に試験線として東山公園モノレールを設置、そこで得られたデータをこの路線に生かし、三浦半島付け根の丘陵地帯というモノレールにとっては敢えて過酷な条件に挑戦しました。そしてこの路線で得られたデータが千葉都市モノレール建設に生かされました。

軌道桁・支柱の製造は三菱重工業横浜造船所(当時)、車両は車両は同三原製作所(同)、変電所は三菱電機、総合監理は三菱地所、そして沿線の大船から深沢界隈には三菱電機の2事業所があり、多くの乗客が三菱関係者と”オール三菱”なのが特徴です。

Dsc09696 大船駅のホーム
懸垂式のため、ホーム面と車両が進入してくる溝の底の高さの違いは低いのが特徴です。

Dsc09691

現在、活躍中の形式は5000系で2004年から導入されており、7編成が活躍中です。
大船方先頭車が5601、湘南江の島方先頭車が5602、中間車が5201と附番されており、全車電動車となっています。編成別に色分けされており、5601赤。5603青、5605緑、5607黄、5609紫、5611黒、5613桃となっています。

1970年の開業時は300形2両編成が導入され、1975年からは3両編成に、1980年には400形が導入され、1988年500形が運転を開始しました。300形は1992年、400形は2004年、500形は2016年にそれぞれ退役しました。

Dsc09693 単線で富士見町駅(SMR2),湘南深沢駅(SMR4),西鎌倉駅(SMR5),目白山下駅(SMR7)で交換ができるようになっています。SMR6の片瀬山駅までが鎌倉市、目白山下駅と湘南江の島駅が藤沢市にあります。

Dsc09706 湘南深沢~西鎌倉間

現在は市道となったかつての京浜急行自動車専用道路の上を通過するため、バスを追い抜く、あるいはすれ違う際には普段見慣れない景色を見る気分です。

Dsc09719

湘南江の島駅から大船方向

京浜急行自動車専用道路には最小曲率半径25mのカーブ、最急勾配88‰の坂道があるため、モノレールの性能を考慮し、最急勾配74‰、最小曲率半径は本線100m、駅構内50mとなっており、途中道路から外れてトンネルを通過する区間があります。

Dsc09722 湘南江の島駅に到着する5607F

Dsc09729
湘南江の島駅に停車中の5609F

Dsc09730 湘南江の島駅外観  

1970年に開業した区間は大船~西鎌倉間で当駅までは1971年7月1日に延伸しました。
この駅ビルは2018年12月に竣工したもので、5Fに改札口、ホームなどがあります。当初の予定では海岸線の近くに駅を建設する予定でしたが、江ノ島電鉄や地権者の反対で現在の位置に駅が造られました。

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2025年1月10日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 3 JA8136

cn21922/ln393として製造、1979年8月21日に初飛行、10月9日にANAに引き渡された機体がJA8136でした。

近距離国際チャーター便用機材としてグアム、香港、中国へ飛びました。導入時はモヒカン塗装でしたが、1988年からトリトンブルーに変更されました。トリトンブルーになった機体の中でも欧文タイトルが入れられたのは、国際線用機材の証でした(私が撮影した時には欧文タイトルはなくなっていましたが)。

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いずれも第2旅客ターミナルが造られる前の写真で当時は第1旅客ターミナルの南をJAL、JAS,北側をANAが使用していました。

エヌアイエアクラフトリーシングに売却され、ANAがリースするというパターンでの運航が続きましたが、1999年1月18日に退役、Atlas Airに売却され、レジはN8078Hとなりましたが、殆ど飛ぶことはなく、スペア取りとなり、解体されました。

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2025年1月 9日 (木)

EF210-363号機を撮影

JR貨物は今年3月15日のダイヤ改正に向け、EF210-300番台を9両新製すると発表しており(情報)、今年度の1号機目の363号機が2024年11月28日に、12月12日には364号機が川崎車両から配置先の新鶴見機関区に向け甲種輸送され、2025年1月8日には3機目の365号機も吹田区に甲種輸送されています(情報)。

2023年度に製造された355号機から362号機に関しては2024年3月のダイヤ改正までは本格的稼働に入らなかった感がありますが、今年度の製造機は2024年7月の341号機の新山口での脱線事故以来、全般検査以外の広島臨時入場で341号機、361号機、310号機が運用を離脱しており、100番台の160号機も高崎機関区に訓練機として送り込まれている関係(従来はEF66-100番台でした)で稼働機が不足しているからなのか、新製配置された363号機、364号機が運用に投入されています。

363号機は12月10日にA204仕業に入っているのが確認されており、おそらく12月8日のA201仕業から運用入りしたのではないかと思われます。364号機に関しては12月20日のA212仕業に入っているのが確認されています。

私も暮れが押し迫る12月27日、A256運用4072レ(宇都宮タ~東京タ)を牽引する363号機を西国分寺と尻手にて撮影しました。

Ef210363-4072-241227-5edit 2024/12/27 西国分寺 EF210-363牽引4072レ 

Ef210363-4072-241227-6 2024/12/27 尻手 

同列車は武蔵野線を通過し、新鶴見信号場に7:55に到着後、長時間停車となり、出発するのが9:14のため2度撮影することが可能な列車です。

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2025年1月 8日 (水)

2024年年末、海外で起きた2件の航空機事故に関して 後編 Jeju航空2216便、務安空港胴体着陸・衝突事故

昨日の記事で触れたアゼルバイジャン航空機の事故から僅か数日後の2024年12月29日、タイ・バンコクのSuvarnabumi空港を現地時間午前2時11分(UTC+7hr)に出発し、2時28分に離陸、韓国全羅南道務安郡のMuan International Airportに向かっていたJeju Air 2216便(7C2216: Boeing737-8AS HL8088, 乗客175名、乗員4名搭乗)が韓国時間午前8時54分、同空港RWY01への着陸を許可され、8時57分には管制官からバードストライクの危険性を警告されました。その2分後、パイロットからメーデーが発せられ、着陸復航し、旋回して反対側のRWY19からの着陸を試みることになりました。なぜかこの後、同機はランディングギアを下ろさない状態で胴体着陸をし、滑走路をオーバーランしてILSアレイが設置された外壁に時速約200kmで衝突、機体は分解・炎上し、搭乗者のうち、後部にいた乗員2名だけが命をとりとめ、179名が死亡するという大惨事となりました。

Hl8087-boeing-7378as-35018-3078-170529-n 2017/5/29 NRT HL8087
Jeju AirのB737-8は成田空港でもよく撮影しており、事故機と1番違いのHL8087の写真がありました。

事故を起こしたHL8088はcn37541/ln3012として2009年8月19日に初飛行、EI-EFRとしてアイルランドのRyanair にリース契約で同年9月4日に引き渡され、7年強在籍した後、2016年11月24日に返却、2017年2月3日からJeju Airがリース導入していました。

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2216便のバンコクからムーアンまでの飛行高度と対地速度の変化を示したグラフ Flightradar24 から

同便はUTC時間の19:30離陸し、約20分で高度34000ftに到達、暫らく同高度でフライトした後、36000ftに上昇し、着陸態勢に入るまで同高度を維持しています。ムーアン付近は渡り鳥が寄港地となっており、バードストライクの危険性は指摘されており、現にこの事故でも管制官がパイロットに警告を発していました。さらにバードストライクを起こして、エンジンが二つとも停止し、電気系統のトラブルが起こったとしてもランディングギアは副操縦士の座席後ろのひもをを引くことで通常よりは時間がかかるものの、自重で降りる仕組みとなっており、胴体着陸をしなければならなかったのが謎とされています。
恐らく、バードストライクの結果、最初は片側のエンジンの故障だけだったようですが、2個のエンジンが停止する事態となり、高度もかなり低かったことからパイロットはランディングギアが降りるのは間に合わないと判断して胴体着陸に踏み切ったのではないかと思われます。
同機が胴体着陸をしてランウェイ上を滑走する様子は動画として記録、放映もされていますがその先にILSを設置したコンクリートの壁が設けられていたことはこの事故を大惨事とした最大の要因と考えられています。

昨年1月2日の羽田空港C滑走路上での海保機とJAL機の衝突事故もJAL機が海保機と衝突した際に前脚が破損したものの、RWYをはみ出し、無事停止することができたために乗客乗員に死者が出ずに緊急脱出することができましたが前脚の破損で機体が横転や回転していたらどうなっていたかわかりません。
事故機から回収されたフライトレコーダー、ボイスレコーダーの解析はアメリカで行われるようですが、なぜ胴体着陸に至ったのかその辺の機内での判断が明らかにされることを望みます。

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2025年1月 7日 (火)

2024年年末、海外で起きた2件の航空機事故に関して 前編 アゼルバイジャン航空8243便墜落事故

アゼルバイジャン時間の2024年12月25日午前7時55分(UTC+4hr:日本時間-5hr)、アゼルバイジャンの首都バクーのHeydar Aliyev International Airportを離陸し、ロシア連邦チェチェン共和国・グロズヌイKadyrov International Airportに向かっていたアゼルバイジャン航空8243便(J28243)(Embaraer 190AR: 4K-AZ65) はカスピ海上空を飛行中、突然、何らかの外的異常のため、緊急事態を宣言し、カザフスタンのAktau International Airportに緊急着陸を試みたものの空港手前で墜落し、乗客62名、乗員5名の搭乗者のうち、38名が死亡、29名が負傷する大事故となりました。

Photo_20250106160801

J28243便の速度(オレンジ)と高度(青)の変化を示したグラフ Flightradar24 のデータから

同機は離陸後約26分で高度30000ftの巡航高度に到達し、約15分間フライトした時に何らかの外的異常に遭遇、急遽高度を10000ftに下げています。その後、1時間半程度、高度を徐々に下げながら最後の15分は複雑な高度、速度変化を示しながら墜落に至ったことがわかります。急激に高度を下げたのは高高度での緊急事態の発生で酸素濃度の低い高度から低空へ急降下し、乗客を救うための措置であり、パイロットはその手順に従ったものと思われます。パイロットはロシア側の周辺の空港に緊急着陸を要請したにも関わらず、いずれの空港もそれを拒否したようです。さらにGPSが電波妨害を受け、機体の位置情報の把握もままならない状況に陥ていたようです。何かロシア側が自らの過ちを隠ぺいするために機体をわざと墜落させ。証拠を消してしまおうという意図さえ感じます。

ロシア当局は同機がバードストライクに遭遇し、機体が損傷したことで緊急着陸を試みたという声明を出しましたが、高度3万ftでバードストライクはあり得ないとEmbaraer機の操縦経験を持つ元日本航空機機長で航空評論家の杉江弘氏は指摘しています。
むしろこの事故はアゼルバイジャンの政府当局者が指摘するようにウクライナのドローン攻撃を迎撃するためにロシア軍が発射した地対空ミサイルシステム・パンツィリ-Sの被弾によるものではないかと思われます。残骸のエンジン後部パネルの様子、機体に多くの被弾痕があることなどからもバードストライクではなく、なんらかの外的被弾による損傷が強く推察されます。

回収されたフライトレコーダー、ボイスレコーダーの解析はEmbaraer機の製造国であるブラジルで行われているようです。この事件・事故は2014年7月17日、アムステルダムからクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空17便(Boeing777-200ER:9M-MRD)の撃墜事件を彷彿させます。あの事件はトレスの南東320平方キロの領域内で発射された9N314M弾頭を装備したロシア製ブーク9K38シリーズ地対空ミサイルがマレーシア機のコックピット外側左上で爆発したことによるコックピットの破壊、機体の構造的破損による空中分解でかなりの広範囲に機体が分散して墜落したことが明らかになりました。事故調査最終報告書では誰がミサイルを発射したかは特定していませんが、発射が推定された地域は当時、分離主義者によって支配されていました。戦争状態にある地域の空域は避けて飛ぶことが推奨されていましたが拘束力がないため、1983年大韓航空機撃墜事件以来、似たような事件が繰り返し起こっているように感じます。

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2025年1月 6日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 11週で34編成に

今年はカレンダーの関係で仕事始めは1月6日と比較的遅めですが、本年も宜しくお願いいたします。新年最初の話題は昨年秋から続いている中央・青梅快速線E233系基本番台G車連結の話題です。

前回、12月16日記事では12月14日時点でT41編成の12連化までを写真でレポートし、H56編成、T13編成の12連化についても触れました。

E2330-h56-12r-241225 2024/12/25 飯田橋 12連化されたH56編成
H56編成はH53編成とともに新製されたG車ユニットの試運転、疎開回送などで活躍した編成ですが、12月6日から12日かけ幕張車両センターに回送され、12月12日にサロE233/232-52ユニットを組込12連化され、12月16日の09H運用から復帰したようです。
ちなみに豊田車両センターに収容しきれなかったG車ユニットのうち、-25~-52の28ユニットが国府津と幕張両車両センターに疎開留置されましたが、これまでのところ、幕張留置のG車(27,28,31,32,35,36,39,40,43,44,47,48,51,52))は分割(6+4)編成へ組み込まれ、10連貫通編成への組込は行われていません。これは入換の際の線路有効長の関係からかと推察しています。

E2330-t13-12r-241226 2024/12/26 武蔵境 12連化されたT13編成
T13編成は12月10日に豊田車両センター内でサロE233/232-13ユニットを組込、12連化され、12月17日の61T2運用から復帰しています。

E2330-t7-12r-241225 2024/12/25 飯田橋 12連化されたT7編成
T7編成も12月20日に豊田車両センターに留置されていたサロE233/232-14ユニットを組込、12連化され、12月20日no63T運用から復帰したようです。

E2330-t25-12r-241227 2024/12/27 国分寺 12連化されたT25編成
T25編成は国府津車両センターに疎開留置されていたサロE233/232-26ユニットを12月20日に組込、12月20日の17T運用から復帰したようです。

E2330-h45-12r-241225-21 2024/12/25 飯田橋 12連化されたH45編成
H45編成は幕張に疎開留置されていたサロE233/232-31ユニットを12月21日に組込み、12月24日の03H運用から復帰したようです。

E2330-t29-12r-241231 2024/12/31 西国分寺 12連化されたT29編成
T29編成は国府津車両センターに疎開留置されていたサロE233/232-50ユニットを12月26日に組込み、12月29日の75T1運用から復帰したようです。

E2330-t15-12r-241231 2024/12/31 中野 12連化されたT15編成
T15編成は12月27日に豊田車両センター内で同所に留置されていたサロE233/232-55ユニットを組込みました。

その後、H58編成が幕張の-32ユニットを12月28日に、T8編成が豊田の-56ユニットを組み込んだようですが、H58編成は年内に豊田に回送されたようですがまだ運用目撃されてはおらず、T8編成は12月31日から運用に入っているようです(まだ撮影はしていません)。T20編成も12連化との情報があります。

これらの結果、幕張には27,28,35,36,39,40の6ユニットが残り,国府津には33,34,37,38,49の5ユニットが残っていることになります。H49を除く、未組込編成が6編成(H44,H46,H48,H50,H52,H55)ですから、これらは幕張に回送され残された6ユニットが組み込まれるものと思われます。

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