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2025年2月28日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 9 JA8147

cn22293/ln477として製造、N5973Lのテストレジにて1980年8月15日に初飛行、1980年11月25日にANAに引き渡されたのがJA8147でした。

ANAのB747はスーパージャンボの愛称で1979年1月25日にデビュー、JA8147はその10機目にあたる機体でした。当初、2階席アッパーデッキの20席(ACHK:71~75)はYクラスでしたが、1985年からはスーパーシートとなり、一階席がYクラス516席となりました。ANAのジャンボはJALの初期のジャンボとは異なり、初号機から1階席と2階席を結ぶ階段はストレート式でした。

Ja8147-ana-b747sr81-cn22923-ln477-941225
1994/12/25 HND
Ja8147-ana-b747sr81-cn22923-ln477-960816
1996/8/16 京浜島

2004年5月、Boeing社に売却され、レジはN219BAとなりますが、そのまま2004年10月には解体されました。

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2025年2月27日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その2 車両編 100系(100形、200形、300形)

国鉄時代、岡多線には旅客用として70系電車(1976年4月の開業から1978年12月まで)、その後を継いだ113系電車(1978年12月から1985年3月まで)、さらに165系電車(1985年3月以降、1988年1月30日の転換前日まで)、神領電車区所属の車両が乗り入れ、貨物列車の牽引は浜松機関区配置のEF60形、EF61形、そしてDD51形が担当していました。

愛知環状鉄道が導入した車両は開業前年に日本車輛製造で製造された車体長19m、片開き3扉セミクロスシーとの100系でした。車体と台車は新製でしたが、電装品は当時、廃車が進んでいた国鉄101系の廃車発生品を流用しての製造でした。塗装はクリーム色の地にオレンジと青の帯をまいたスタイルでした。

←高蔵寺100形(Mc)+200形(Tc)岡崎→の2両編成が9本、と増結用、緊急時の救援用に301・302、1992年に追加で303~305の計5両が両運転台車として製造されました。

乗降扉が片開き3扉で混雑時に不都合な面があったこと、101系の廃車発生品の電装部品のため老朽化が進んだことなどで2002年2000系が投入されると置き換えられ、2005年11月13日のさよなら運転を以って運用を終了、全車廃車となりました。

23両全車がえちぜん鉄道に無償譲渡されましたが、2両編成の100形、200形は100形に200形の運転台部分を移植・接合することで両運転台化したため、14両がMC6001形(2003年8月25日)、MC6101形(2004年から2006年)となりました。

番号対照

MC6001形
6001 - 旧100形103
6002 - 旧100形108
MC6101形
6101 - 旧100形101
6102 - 旧100形102
6103 - 旧100形104
6104 - 旧300形302
6105 - 旧300形301
6106 - 旧300形303
6107 - 旧100形107
6108 - 旧100形109
6109 - 旧100形105
6110 - 旧100形106
6111 - 旧300形304
6112 - 旧300形305

改造工事は岡崎の名鉄住商工業舞木工場で施工され、同工場から福井口駅にトレーラーで陸送され、試運転の後、営業運転に投入されました。

ちなみに愛知環状鉄道は1500V電化ですがえちぜん鉄道は600Vであり、主回路は永久直列回路のため、モーターの端子電圧が低すぎる問題があり、力行時、モーター4個から3個使用に回路を変更したものの、MT46では出力が足りなかったので、JR東日本からMT54モーターを購入、2003年11月19日までに全車換装しました。出力は2割、上がりましたが、従来の京福時代の車両に比べると加速性能は劣勢は否めませんでした。

MC6101形の主要諸元

車長 - 19,000mm
車幅 - 2,850mm
車高 - 4,100mm
自重 - 40.6t(空車時)
定員 - 123名(うち、座席52名)
台車 - 日本車輌製造ND-708型軽量ボルスタレス式空気バネ台車
歯車比(ギア比) - 82:17 (4.82)
電動機 - MT54形直流直巻電動機、端子電圧200V時64kW(架線電圧1500V下では端子電圧375V時120kW)×4
制御方式 - 永久直列電動カム軸式抵抗制御、3・4ノッチ時弱め界磁制御付、空転検出器付
主制御器 - ES-791A(永久直列8段、弱め界磁4段、発電制動13段)
駆動方式 - 中空軸平行カルダン駆動方式
制動方式 - 発電制動併用電磁直通空気制動(応荷重制御器、保安ブレーキ、自動空気ブレーキ付)
冷房装置 - 交流式ユニットクーラー(屋根上に設置) 

Mc6106-171020

Mc6106-171020-4

2017/10/20 福井 MC6106 元300形303 元々、両運転台で製造されたタイプ

Mc6107-171020 2017/10/20 福井 MC6107 こちらは100形107の車体に200形の運転台部分を移植・接合したタイプ

Mc6112-171020-2 2017/10/20 福井 MC6112 こちらは元300形 305

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2025年2月26日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その1 路線の歴史

2024年春の名古屋周辺の旅、八草までリニモの乗車した後は、愛知環状鉄道に乗車しました。

240316-2_20250225145501 2024/3/16 リニモ八草駅から見た愛知環状鉄道線 奥が岡崎方面、八草駅、手前が高蔵寺方面

240316_20250225150501 路線図、駅名、運賃

今から思えば開業当初は苦しい赤字経営路線でしたが、あのまま国鉄廃止申請せずJR東海が保持していれば、十分にJR東海の路線として存在しえたのにと思わせる今日の活況です。

愛知環状鉄道は岡崎駅から新豊田駅、瀬戸市駅を経て高蔵寺駅に至る45.3km、23駅の路線です。元々、旧日本鉄道建設公団(鉄建公団)が主要幹線鉄道(C線)として建設、日本国有鉄道による運行・経営が予定されていた路線で、岡崎~新豊田間は1976年に国鉄岡多線として開業、1987年の国鉄分割民営化でJR東海に継承されたものの、国鉄再建法で第3次特定地方交通線に指定されていたため、高蔵寺延伸とともに第三セクター鉄道に経営転換されました。この区間は特定地方交通線の中では唯一、三セク転換前に電化されていた路線でもあります。岡多線(新豊田~瀬戸市)と瀬戸線(瀬戸~高蔵寺)も鉄建公団がC線として建設したものの開業直前の1984年、国鉄が引き受けを拒否した区間でした。

岡多線はその名が示すように岡崎と多治見を結ぶべく計画された路線でしたが、瀬戸から稲沢を結ぶ瀬戸線は岡崎~瀬戸間とともに岡多・瀬戸線と呼ばれ、東海道本線のバイパス線としての役割が期待され、高規格な甲線(複線・電化)として建設されたのに対し、未成線で終わった瀬戸~多治見間は規格の低い丙線規格で計画されていました。

1930年、前年の世界恐慌で景気は落ち込んでいる中、岡崎~多治見を結ぶバス路線が鉄道省営バスにより開設されました。1957年に岡多線岡崎~多治見間が調査線に、1959年に工事線に指定されました。瀬戸線は岡多線と連絡し、東海道本線のバイパス路線を構成することから、1962年に「敷設予定線」に、1964年に工事線に指定、1966年に着工されました。

240316_20250225150901 1970年に貨物駅から始まった北野桝塚駅の駅名標

1970年10月1日にトヨタ自動車上郷工場からの自動車輸送を目的に貨物線として岡崎~北野桝塚間が開業、1971年10月からは岡崎~北岡崎間のユニチカ岡崎工場向け原料輸送が開始され、1976年4月26日、岡崎~新豊田間の旅客営業が開始されましたが、列車本数が少なく、最終列車も早いことなどから路線バスに対抗できず、利用は伸び悩みました。鉄建公団に支払う借損料などで営業係数は672と大赤字を記録し、国鉄は特定地方交通線第3次廃止対象線区として廃止承認を申請することになりました。さらに瀬戸線の一部として高蔵寺までが開業しても、国鉄路線として新規開業どころではないと判断され、岡崎~高蔵寺間全線が第三セクター化されることになりました。

1987年4月にJR東海に承継されたものの、1988年1月31日、愛知環状鉄道線として開業することになりました。このタイミングで新豊田~高蔵寺間が延伸開業となりました。

240316_20250225151101

北野桝塚駅の時刻表

2005年の愛・地球博では会場へのアクセス鉄道としての役割を担い、沿線に高校・大学・工場が増えたことで通勤・通学の利用客も増え、年間の輸送密度は11,408人/日と黒字経営の三セク鉄道となっています。

240316_20250225151201 岡崎駅の愛知環状鉄道線ホーム、終点    右は東海道本線熱海方面

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2025年2月25日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 藤が丘からリニモで八草へ その2 リニモ100形

2005年3月の開通以来、愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)で活躍しているのが愛知高速交通100形電車です。

100形として実用化されるまでに磁気浮上リニアモーターカー(HSST: High Speed Surface Transport )には長い歴史があります。

1970年代初頭、成田空港が都心から約60km離れていたため、そのアクセス手段として日本航空が空港アクセスシステムとして調査・研究を始めたのが嚆矢とされています。最初に注目したのが当時、西ドイツでメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)社の主導で開発されていたトランスラピッドでした。トランスラピッドが地上一次式リニア同期モーターを使用しているのに対し、HSSTは浮上と案内を兼用した車上一次式リニア誘導モーターを採用している点が異なります。西ドイツにおいても車上一次式リニア誘導モーターはクラウス=マッファイ社により、トランスラピッド04において実用化一歩手前まで研究が進められていましたが、MBB社主導に一本化されたため、それ以降研究が進みませんでした。

Img_1472
Img_1911 Img_1464 2009/10/15 トランスラピッド方式を採用した上海浦東空港アクセス鉄道 磁浮

トランスラピッドでは永久磁石と電磁石による浮上方式を採っており、車両側と軌道側の浮上距離は1㎝程度です。万が一の接触を防ぐため軌道の敷設、保守には高精度が要求されるため、地震や地盤の変動が避けられない我が国においては、この方式は避け、浮上量約10cmを確保できる超電導電磁石方式での研究開発が進められました。


Dsc08781 2014/8/12 岡崎南公園 同公園に保存されているHSST-03 

HSSTの実験車両は1975年のHSST-01(無人), 1978年のHSST-02(客室スペースあり、8人分の座席)、1985年筑波博、1986年バンクーバー博、1987年の岡崎市制70周年記念博などでデモ走行を行ったHSST-03、1988年さいたま博で展示走行したHSST-04、後にHSST-200形として開発、1989年の横浜博で営業運転したHSST-05、こちらもHSST-200形として開発、都市型交通システムとして開発されたHSST-100などの実験車両が作製され、HSST-100Lとして中部HSST開発が1995年に開発した車体長14.4mの車両が愛知高速交通東部丘陵線100形のベースモデルとなりました。100形は日本車輛製造が製造を担当し、2002年から2005年までに3両編成9本が用意されました。09編成は愛・地球博の輸送力増強のために増備された編成で博覧会協会が所有し、塗装も万博用の特別塗装でした。万博閉幕後は運用から外れ、8本体制となっていましたが、2022年11月1日のジブリパーク開設に伴う輸送力強化から、買い戻されることとなり、2022年10月13日、17年ぶりに運用復帰しました。

主要諸元

編成 3両組固定
軌間 1,700 mm
電気方式 直流 1,500 V
最高運転速度 約 100 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 4.0 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
編成定員 244 人
車両定員 先頭車 80 人(34 席)中間車 84 人(36 席)
車両重量 17.3 t
編成長 43,300 mm
車体長 先頭車 14,000 mm
中間車 13,500 mm
車体幅 2,600 mm
車体高 3,450 mm
車体 アルミニウム合金
台車 モジュール方式(10 台/両)
主電動機 東洋電機製造製 リニア誘導電動機 TDK-6820-B(10 台/両・インターネットアーカイブ)
制御方式 VVVFインバータ制御 未更新車:IGBT素子 更新車:ハイブリッドSiC素子
制御装置 東洋電機製造製 未更新車:RG680-A-M
更新車:RG6051-A-M(インターネットアーカイブ)
制動装置 電油協調ブレーキ、逆相ブレーキ式純電気ブレーキ(抑速ブレーキ付)
保安装置 ATO、油圧式圧着ブレーキ

01-240316-3
2024/3/16 芸大通 リニモ100形 第01編成 

形式は101-102-103 Mc1-M-Mc2 で車体番号は111-112-113となっており、02編成以降は121-122-123・・・191-192-193と附番されています。

09-240316_20250224101801 2024/3/16 芸大通 リニモ100形 第09編成 万博閉幕後は運用から外れていましたが、2022年10月、17年ぶりに復帰しました。

240316_20250224101901 車内の様子

240316-3 先頭部 無人運転のため、運転席はあるものの運転士は通常、いません。

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2025年2月24日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 藤が丘からリニモで八草へ その1 路線と駅

2005年3月25日から9月25日まで2005年日本国際博覧会(通称:愛・地球博、愛知万博)が長久手会場、瀬戸会場で開催された際に万博の未来感と会場アクセスの目的を兼ねて建設されたのが愛知高速交通東部丘陵線、リニモです。

日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線で、万博終了後は地下鉄東山線藤が丘駅と愛知環状鉄道線八草駅を結び、鉄道空白地帯だった長久手市(開業時は愛知郡長久手町)に初めての鉄道をもたらしました。

240316_20250223075901 2024/3/16 藤が丘 リニモ路線図

開業は2005年3月6日、営業キロは8.9km、全線複線、DC1500V電化で起終点駅を含め9駅があり、藤が丘駅~はなみずき通駅のホーム半ばまでが地下線、はなみずき通駅で地表に出て、以東、八草駅までは高架線となっています。ATOによる無人自動運転が行われており、他の新交通システムとは異なり、営業最高速度100km/hの高速運転が行われています。

車輪を使わないため、レールと車輪の接触による騒音・振動がなく、推進力は車輪とレールの接触による粘着力にも依存しないリニアモーターによるため、加・減速や登坂性能に優れ、ゴムタイヤ式よりも静かで乗り心地が良く、最高速度も上回りますが、電力消費量はかなり大きい点がデメリットです。

240316_20250223080201 リニモ 藤が丘駅 入口

藤が丘駅は地下鉄東山線が高架ホームから発着、リニモは地下ホームから発着し、ミニ渋谷駅といった感じです。

240316_20250223080501 リニモ 藤が丘駅改札口

自動改札機も整備されています。

240316_20250223080801 長久手古戦場~芸大通 前面展望

はなみずき通より、東は高架区間となり、こういった風景が続きます。前方の芸大通駅の横に見える巨大な建物はTOYOTA AUTOMOBILE MUSIUMです。朝早くの八草行きに乗車しているため、常に正面に太陽を見る感じになります。

240316-2_20250223081301
240316_20250223081301 愛・地球博記念公園 

240316_20250223082001 陶磁資料館南~八草

藤が丘を出発して約17分で、終点八草に到着します。

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2025年2月21日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 8 JA8146

cn22292/ln456として製造、1980年5月23日に初飛行、6月16日にANAに引き渡されたのがJA8146でした。

同機は1994年9月4日、羽田発NH141便として開港したての関西国際空港に国内線1番機として着陸した機体でもありました。

また1995年6月21日、羽田発NH857便として函館空港に向けて飛行中、11時45分頃、山形県上空でオウム真理教の信者と名乗る一人の中年男性に乗っ取られ、函館空港に着陸、乗客・乗員365名を人質に、麻原彰晃被告の釈放、燃料補給と羽田へ引き返すことを要求、翌日の午前3時39分、道警機動隊及び警視庁第六機動隊特科中隊SAPが機内に突入し、午前3時45分に犯人は逮捕されました。

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-961013 1996/10/13 HND 旧国際線ターミナル

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-010506 2001//5/6 HND 第一ターミナル

2003年7月30日に退役となり、Boeing社に売却、N292BAのレジが付与されました。既に解体済みです。

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2025年2月20日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 名古屋市営地下鉄東山線で藤が丘へ

2024年3月の名古屋周辺旅行、二日目は名古屋駅から地下鉄東山線に乗車、東端の藤が丘に向かいました。

240316_20250219090501 2024/3/16 名古屋市営地下鉄 東山線 名古屋駅 駅名標

名古屋市営地下鉄1号線東山線は1957年11月15日に名古屋駅~栄駅間2.4kmが開業した名古屋にとっては最初の路線で1982年9月21日に最後の延伸区間である中村公園~高畑間が開業し、現在の高畑~藤が丘間20.6kmが全通しました。軌間は1435mm、DC600V、第三軌条方式の路線、駅数は22です。名古屋市営地下鉄では最も利用者数の多い路線で、純利益額でも公営地下鉄で全国1位の路線です。路線名の由来は沿線に東山動物園があることによるもので、東山線と決まったのは1969年4月25日で、それまでは2号線(現、名城線)の南北線に対して「東西線」と呼ばれていたこともありました。

100-1018-750102 1975/1/2 名古屋駅? 東山線に導入された最初の形式 100形

東山線の車両は東京地下鉄の銀座線などと同様に建築限界の関係で小さいのが特徴で車体長は15.5m級、車体幅は2.5m級となっています。最初に登場したのが100形でボディーマウント構造、モノコック車体が採用され菜種色の塗色を纏っていました。最初は2両編成でしたが、最後は6連になりました。1960年に国内初のATO運転試験が行われたのもこの形式でした。冷房装置が搭載できなかったことと、ボディーマウント構造が保守の妨げとなり、1982年6月から廃車が開始され。1988年7月に形式消滅となりました。1964年には200形、600形が登場、通常のボックスマウント構造・セミモノコック車体となりました。これらも製造両数が少なかったこともあり、1990年8月に形式消滅しました。名城線用にデビューした1000形をベースに1967年に登場したのが300形でした。この形式は2000年4月まで活躍しました。1980年から2015年までの間、アルミニウム合金製車体、冷房装置と回生ブレーキ搭載で活躍したのが5000形でした。

さらに1989年に名城線・名港線に登場した2000形をベースに1992年から2000年にかけて製造された5050形と5000形の置き換えを目的に2007年から2015年にかけ製造されN1000形が現在、東山線で活躍中の形式となっています。

N1618-240316 2024/3/16 藤が丘

N1000形の主要諸元

最高運転速度 65 km/h
設計最高速度 80 km/h
起動加速度 3.3 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
減速度(非常) 4.5 km/h/s
車両定員 先頭車96人(32席)中間車107人(40席)
自重 先頭車21.4 t 中間車25.2 t
長さ 15,580 mm
幅 2,546 mm
高さ 3,440 mm
車体 ステンレス鋼製
台車 ボルスタレス式空気ばね台車 日車製ND716A・ND716AT
主電動機 かご形三相誘導電動機 東芝製 SEA-319 三菱製 MB-5027-A 日立製 HS-34529-03RB
主電動機出力 75 kW × 4(台/両)
駆動方式 WNドライブ
歯車比 103:16
編成出力 300 kW × 4 = 1200 kW
制御方式 VVVFインバータ制御
更新前:GTO素子 更新後:IGBT素子
制御装置 更新前:滑り周波数制御→ベクトル制御、応荷重演算制御機能付き
東芝製 INV048-A0(1992年の5151編成、1995年、1998年製造の編成)
三菱製 MAP-088-60V19(1992年の5152・5153編成、1994年、1997年、2000年製造の編成)
日立製 VF-LR100(1993年、1996年、1999年製造の編成)
更新後:SiCパワー半導体モジュール適用インバータ制御[2]
三菱製 MAP-088-60V254 (1992年製造の5151編成〜1995年製造の5158編成まで)
制動装置 NSC遅れ込め制御付きATC連動電気指令式電空併用ブレーキ
応荷重式、回生ブレーキ付き
保安装置 打子式ATS(改造前)
車内信号式ATC(改造後)ATO

240316-edit 2024/3/16 名古屋市営地下鉄 東山線 藤が丘駅 駅名標

240316_20250219090701 藤が丘駅 終端部

東山線は一社~上社間で地下から高架区間となり、藤が丘駅は高架駅となっています。
上の写真の右の線路は下の地図のように

240316-2_20250219091101
藤が丘車庫、工場へと続く線路です。

藤が丘からはリニモで八草へ、さらに愛知環状鉄道で岡崎に向かいました。

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2025年2月19日 (水)

西武鉄道 2000N系 8連 2083F 横瀬基地に廃車回送

西武新宿線系統で長らく活躍してきた2000N系2083F2月17日月曜日、横瀬基地に向け廃車回送になったようです。

同編成は1991年11月7日、東急車輛にて竣工しました。2000系10次車グループとして2073F~2085Fのすべて8連のグループで2073F,2075Fが西武所沢工場にて、2077F以降は東急車輛製でした。2083Fは更新修繕は受けておらず、1997年5月14日に減パン工事のみが施工されていました。

2000n-8-2084-160506 2016/5/6 沼袋

2000n-8-2084-160521 2016/5/21 小平

2000n-8-2083-160704 2016/7/4 井荻

2000n-8-2083-230721-21 2023/7/21 小平


2000N系8連のこれまでの廃車(6連化による部分廃車も含む)。


2057F 2023/1
2059F 2022/5
2061F 2023/2
2063F 2021/11
2067F   2024/3
2077F 2023/8 (2277・2278の廃車)
2081F 2023/12 (2281・2282の廃車)
2083F 2025/2
2091F 2024/7 (2291・2292の廃車)
2095F 2025/1
2097F 2016/9


 

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2025年2月18日 (火)

2025年2月14日、中央快速線に「青662+P524]編成が99T運用に 青662編成は最近、代走専門か?

2月14日金曜日、またまた豊田車両センターの中央快速線車両運用がひっ迫したのか、普段は青梅以西の区間に投入されているP編成と青梅・五日市線用の青600番台編成が10連を組み、中央快速線運用に入りました。今回はP524編成と青662編成の組み合わせでした。

E2330-662-10r-250214-6

E2330-p524-10r-250214-72025/2/14 東小金井 P524編成と併結で99T運用に入ったP662編成

P

表1 2024年11月12日以降の中央快速線を代走した青+P編成
赤字は珍しく休日ダイヤで登場した「青+P」編成代走

表1に昨年11月からの「青+P」編成の代走運用を示しましたが、11月中は青662編成以外に667,668編成などが代走運用に入っていましたが、11月25日以降は青662編成のみが代走に投入されています。一方、青662編成の本来運用を見てみると、

662

表2 2024年11月29日以降の青662編成 運用目撃データ

11月29日から12月4日まで青464編成との併結運用
12月22日から26日までの単独運用
1月3日から8日までの青462編成との併結運用
1月9日の単独運用

以外に目撃情報が無いことがわかります。特に1月中旬以降はもっぱら代走専門編成になっているようです。あくまでも目撃情報ですから見逃しもあるかと思いますが、他の編成が目撃されているにも関わらず662だけ記録が出てこないのは、走っていないためと想像されます。

中央快速線運用に入ると一日の走行距離が増えるので他の編成との走行距離のバランスを考慮して、普段は待機状態となっているのでしょうか?

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2025年2月17日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 18週で51編成に 未組込編成は6本に

2月も中旬を過ぎ、3月のダイヤ改正まで1か月を切りました。豊田車両センター、E233系基本番台へのG車組込も順調に進んでいます。2月2日から2月15日までの2週間の動きを見てみると

T9編成 2月5日に豊田で-17ユニットを組込、12連化
T30編成 2月6日に豊田にて-21ユニット?を組込、12連化
T16編成 国府津に出張し、疎開していた-33ユニットを組込、12連化 2月6日
T10編成 2月10日に豊田で-18ユニットを組込、12連化
H46編成 幕張に出張し、疎開していた-40ユニットを組込、12連化 2月10日

まだ豊田には戻っていないようですが2月10日にはT39編成が国府津に出張しており、同所に疎開していた最後の-34ユニットを組込んで豊田に戻るはずです。

E2330-t39-10r-250210

2025/2/10 原宿 国府津車両センターに向かうT39編成

私も原宿にて国府津に向かうT39編成を撮影しました。T18編成も運用には復帰していませんが、豊田で-24ユニットが組込まれ12連化済みのようです。

幕張には-35、-36の2ユニットが残っており、これらはH46編成とH55編成に組込まれるでしょう。豊田には-21~-23(T30編成に組込まれた分を含め)残っており、10連で残るT14, T19, T40のうちの、いずれか2編成に組込まれることになります。

G連結対応工事の竣工時期を見返してみると2019年5月13日のT37編成(東京総合車両センター)を皮切りに、大宮、長野の3か所でほぼ2~3か月の周期で改造工事がH51編成の出場(2024年2月2日)まで行われてきたのに対し、T40編成の東京総合車両センターの出場はその前のT32編成の出場から9か月経った2024年8月20日となっています。このことから想像するにT40編成の改造は「改造すべきかどうかの逡巡の末のもの」だったのではと思われます。果たして貫通10連編成で改造工事済みなのにG車が組込まれない編成がどの編成になるのか、あと2週間程度で明らかになるとは思いますが、私はT40編成が10連のまま残されるように感じています。

E2330-t6-12r-250211-2 2025/2/11 西荻窪 12連化されたT6編成
前回2月3日記事にあるように同編成は1月31日に豊田にて12連化され、同日から運用に復帰しました。

E2330-h44-12r-250214 2025/2/14 東小金井 12連化されたH44編成

この編成も前回2月3日記事にあるように1月31日付で12連化された編成です。

E2330-t9-r12-250215-3 2025/2/15 立川 12連化されたT9編成

E2330-t30-r12-250215-25 2025/2/15 立川 12連化されたT30編成

E2330-t16-12r-250211 2025/2/11 武蔵境 12連化されたT16編成

E2330-t10-12r-250214 2025/2/14 東小金井 12連化されたT10編成

国府津、幕張に出張し、豊田に戻った編成がいつから運用に復帰するか、あるいは豊田で12連化された編成がいつから運用に復帰するかはケースバイケースのようで、他の編成の検査の都合とか配置されている編成全体の様子を見ながらのやりくりのようです。

今後は10連のまま残された編成がどのような配置になるのか、予備編成として残されるのか他所に転属となるのか、興味は尽きません。

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2025年2月14日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 7 JA8145

cn22291/ln453として製造、1980年5月3日に初飛行、5月16日にANAに引き渡されたのがJA8145でした。

Ja8145-ana-b747sr81-cn22291-ln453-960816

1996/8/16 HND 京浜島

Ja8145-ana-b747sr81-cn22291-ln453-961019 1996/10/19 HND 旧国際線ターミナル

8機目のSR機として国内幹線を中心に就航し、1997年3月24日に昭和リースに売却、ANAがリースする形で運航が続き、2002年9月2日Boeing Aircraft Holding Companyに売却となりました。レジはN215BAとなり、既に解体されています。

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2025年2月13日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 ダイヤ改正直前、大垣駅で特急「しらさぎ」を撮影

2024年3月の名古屋周辺旅行は3月15日金曜日からでしたが、この日は2024年3月16日の全国ダイヤ改正の直前日でした。このダイヤ改正の目玉は北陸新幹線の金沢~敦賀延伸開業でした。

新幹線開業区間には小松駅、加賀温泉駅、芦原温泉駅、福井駅、越前たけふ駅が設けられました。

東京駅~敦賀駅間の直通定期列車として「かがやき」9往復、「はくたか」5往復が設定され、「かがやき」の5往復は新規開業区間では福井駅のみ停車、残る4往復はこれに加え、加賀温泉駅・芦原温泉駅に停車する列車と小松駅・越前たけふ駅に停車する列車が2往復ずつとなりました。「かがやき」の敦賀駅での在来線特急接続は考慮されていません。「はくたか」は新規開業区間の各駅に停車します。

富山駅・金沢駅 - 敦賀駅間で「つるぎ」25往復(うち7往復は金沢駅発着)を運転し、敦賀駅で在来線特急と接続します。「つるぎ」のうち15往復が敦賀駅で大阪方面からの「サンダーバード」と米原・名古屋方面からの「しらさぎ」の両方に接続し、残る10往復は「サンダーバード」のみに接続します。「つるぎ」の新規開業区間の停車駅は9往復が福井駅のみ、16往復は各駅に停車となりました。通勤・通学や「かがやき」との接続のため在来線特急と接続しない「つるぎ」を富山駅 - 敦賀駅間と富山駅 - 金沢駅間で各2往復、金沢駅 - 敦賀駅間で上りのみ1本運転します。

新幹線の延伸開業で「サンダーバード」「しらさぎ」は敦賀駅までの運転となり、敦賀駅で新幹線と接続となりました。そしてそれまで両列車に設定されていた自由席がなくなり、全車指定席となりました。早朝・深夜運転の「しらさぎ」1往復が廃止され、米原駅~敦賀駅間途中務停車の理事快速列車が設定されました。

最近はあまり聞かなくなりましたが、敦賀駅での在来線特急と新幹線の乗り換え、ダイヤ改正当初は随分混乱したようです。北陸新幹線は将来的に大阪まで延伸されるようですが、そのルートに関してもさまざまな案が出され、混乱しているようです。
北陸新幹線の敦賀開業で関東方面から北陸へは飛躍的に便利になったと思いますが、関西や中京地区からのアクセスは現在の状態は、敦賀での乗り換えを強いられ、さらに特急料金の上昇とメリットは殆ど無いのではと感じます。

681-240315_20250212100101 2024/3/15 大垣 681系「しらさぎ11号」

同列車は名古屋を15:48に出発、尾張一宮、岐阜、大垣、米原、敦賀、武生、鯖江、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松と停車し、金沢に18:47に到着する列車でした。ダイヤ改正後は敦賀止まりとなり、敦賀で17:36発のつるぎ34号に接続、金沢には18:35に到着、富山に19:00となりました。

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2025年2月12日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 養老鉄道編 大垣から揖斐へ

遠州鉄道鉄道線(西鹿島線)の旅を楽しんだ後は浜松より東海道本線に乗車、大垣に向かいました。次のターゲットは大垣から養老鉄道養老線の乗車です。桑名駅から大垣駅間は2023年7月の旅(1,2,3,4,5)で乗車しているので、今回は大垣駅から揖斐駅までの14.5kmの区間に乗車しました。

240315_20250211090401 2024/3/15 大垣駅の駅名標 西大垣は桑名方面、室は揖斐方面

養老線は四日市港と敦賀港を結ぶ鉄道として計画され、1897年4月21日に仮免状が交付、1913年7月31日、養老~大垣~池野間が開通しました。桑名~養老、池野~揖斐間は第二期工事として1919年4月27日に開通しています。いわゆる軽便鉄道としての開業でした。東武野田線アーバンパークラインのように大垣でスイッチバックする線形になっているのは1927年から大垣市を中心とした12市町村が西濃鉄道組合を設立、岐阜~大垣の鉄道建設を計画、1928年に西濃電気鉄道から鉄道敷設権を譲り受けました。一方、養老電気鉄道も岐阜~大垣間の鉄道建設を計画、ふたつの計画が統合され、1929年に養老電気鉄道を吸収した伊勢電気鉄道が建設のための準備として揖斐川と長良川に架かる橋(揖斐大橋・長良大橋)を岐阜国道(旧国道21号線、現岐阜県主要県道31号線)との共用として1933年に建設しましたが、伊勢電気鉄道が経営破綻し、新線の建設着手が不可能となり、現在のような形で残りました。戦後、伊勢電気鉄道を買収した近鉄はこれら橋を利用し、大垣と岐阜羽島を結ぶ新線の計画しましたが、岐阜羽島への路線建設は名鉄に免許が下りたため、近鉄の計画も幻となりました。

600-602-240315-2 2024/3/15 大垣駅ホーム
桑名方面は1番線、揖斐方面は2番線と運転分離されており、両方面を直通するタイプの列車はありません。

7700-7906-240315_20250211091301 発車を待つ7700形 7906-7706編成 TQ06編成
元東急7700系で2019年4月27日から営業運転に投入

7700-7912-240315 桑名方面には「緑歌舞伎」の7912-7812-7912 TQ12編成もいました。

600-606-240315_20250211092001


大垣駅を出発して最初のそして揖斐までの区間で唯一の交換可能駅、東赤坂駅では600系D06編成復刻ラピッドカー塗装と交換しました。東赤坂という駅名は東海道本線の支線の終点、美濃赤坂のほぼ東に位置しています

240315-3
大垣を出発して24分で終点、揖斐駅に到着です。
目の前には丘陵が迫り、突然、線路が終わるという感じの終着駅です。養老鉄道は当初、敦賀港まで計画されたそうですが、揖斐から先は国道303号に沿ったルートをとっても大変な難工事になったと思われます。

240315_20250211094501 鮎を模った揖斐駅の駅名標

240315_20250211094701
揖斐駅 駅舎

揖斐駅は養老鉄道の第二期工事で池野~揖斐間が延伸開業した際に終着駅として開業しました。以後、会社の統廃合の歴史とともに歩んできましたが駅名は変化しませんでした。今でこそ単式1面1線のシンプルな駅となっていますが、かつては貨物輸送のため複数の線路がある駅でした。
揖斐川町の中心部は脛永橋で粕川を渡り、さらに揖斐川を渡ったところにあります。2005年3月31日までは名鉄揖斐線が忠節駅から伸びていました。

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2025年2月11日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その3 遠州鉄道の沿線風景

遠州鉄道鉄道線の路線総延長は17.8km、駅数は18で、駅間は数百mから2km弱と比較的短い路線です。全18駅中、16駅が交換可能となっているため全線単線ながら毎時上下各5本の高頻度運転が可能となっています。最小曲線半径は160m、勾配は25.0‰で運行速度はMax70km/hとなっています。
地形的には天竜川から流出した土砂によって浜松市天竜区二俣付近を扇頂とする扇状地性の遠州平野の中を走行しているため、全線に渡り平坦でトンネル等はありません。

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240315_20250210072901 2024/3/15 新浜松

起点の新浜松駅は1927年9月1日、旭町駅として国鉄浜松駅の北東に開業、この地名が旭町であったことから駅名もそれに倣いました。1929年10月13日、駅ビル(地上3階、地下1階)が落成、遠州電気鉄道の本社が2階に入り、遠電ビルと呼ばれました。太平洋戦争末期の1945年6月18日の浜松大空襲で本社ビルの内部が消失、建物は延焼を免れました。1953年8月1日、駅名を新浜松と改称、1985年12月1日、浜松付近の高架化で駅舎は浜松駅の北西に移転、旧駅舎の跡地は浜松名鉄ホテルなどに再開発されました。

240315_20250210073001 2024/3/15 上島~自動車学校前

新浜松駅からの高架線も上島駅で終わり、上島~自動車学校前間で地上レベルとなります。面白いことに高架区間にある駅はすべて相対式ホームの構造であるのに対し、地上区間の駅は終点の西鹿島駅を除いて島式ホーム構造の駅となっています。

1944年12月9日まではこの駅から浜松電気鉄道笠井線が分岐していました。普段、駅北東の側線には昨日の記事にあるように、ED28貨車が留置されバラストの積み込み等も行われていますが、この側線は廃車となった車両の解体線としての機能も持っており、解体作業時には機関車、貨車は西鹿島駅に疎開します。かつてはここに車両工場があったそうで1977年に工場は西鹿島駅に移転しました。

240315_20250210075101 2024/3/15 浜北駅

浜北駅は1909年12月6日、貴布禰駅(きぶね)として開業しました。1924年7月1日から1937年10月6日までは当駅から国鉄二俣線の宮口駅の南側にあった西遠鉄道の宮口駅まの4.8kmを西遠鉄道(前身は西遠軌道)が結んでいました。同鉄道は国鉄二俣線の建設が決まったことで経営困難が見越されたため廃止となりました。

240315_20250210080101 2024/3/15 遠州小林~遠州芝本間

国道152号線バイパスをオーバークロスするために同区間も2011年10月13日に高架化されました。

240315_20250210080701 2024/3/15 西鹿島

新浜松を出発して約33分で終点、西鹿島に到着します。

この駅は1909年12月6日、大日本軌道浜松支社鹿島線の鹿島駅として開業しました。駅名は磐田郡二俣町大字鹿島に設置されたことに由来し、1923年4月1日には遠州二俣駅と改称されました。国鉄二俣線の建設で約400m南に移転し、西鹿島駅と再改称されました。1958年11月1日から1966年10月1日までは遠鉄の気動車が国鉄二俣線に乗り入れていました。

240315_20250210082301 2024/3/15 西鹿島駅駅舎

この駅は遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の共同使用駅となっており、遠州鉄道の直営駅、天竜浜名湖鉄道は無人駅です。

240315_20250210082601
駅横には検車区が併設されており、多くの車両が留置されています。一番奥の線路が天竜浜名湖線で奥が新所原方面。

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2025年2月10日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 ED28形電機とホキ800形貨車

遠州鉄道鉄道線(西鹿島線)の保線等の工事用にED28形(ED28 2)ホキ800形貨車を保有しています。

もともとED28形電機は1925年11月に豊川鉄道電機50形、鳳来寺鉄道電機51形としてイングリッシュ・エレクトリック社より、輸入新造した小型電気機関車で鉄道省が東海道本線電化時に輸入したED50形などと同じデッカータイプです。他のデッカーが皆、箱型車体なのに対し、この2両のみ凸型車体でした。

豊川鉄道に導入された電機50形はデキ50形1930年10月に改番、鳳来寺鉄道に導入された電機51形はデキ100形に改番され、さらに1938年1月18日には鳳来寺鉄道のデキ100はデキ50形デキ50に改番され、翌日、豊川鉄道のデキ50はデキ50形デキ51に改番されました。1943年、戦時買収で鉄道省に編入された後もデキ50形として飯田線で使用されましたが、戦後の1952年に国鉄形式ED28形となり、鳳来寺鉄道由来のデキ50がED28 1に、豊川鉄道由来のデキ50形がED28 2となりました。

ED28 1は1956年2月1日、ED28 2は1959年に廃車となり、1は近江鉄道に、2は遠州鉄道に譲渡されました。1は1963年に西武所沢工場に売却、同工場で降圧改造され、山形交通に再譲渡され、ED1形式ED2と改番、高畠線で廃止まで使用されました。2は遠州鉄道入線にあたり、DC1500Vから600Vへ降圧改造されましたが、その後の昇圧でDC750Vに再昇圧されました。

主要諸元

軸配置 Bo - Bo
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V(架空電車線方式)
全長 8,928 mm
全幅 2,438 mm
全高 3,766 mm
機関車重量 25.4t
動力伝達方式 1段歯車減速吊り掛け式
主電動機 直流直巻電動機 DK-36 × 4基
主電動機出力 60 kW (電圧650V・1時間定格)
歯車比 5.40 (15:81)
制御方式 抵抗制御、直並列2段組合せ制御
制御装置 電動カム軸接触器式
制動装置 AMM自動空気ブレーキ・手ブレーキ
定格出力 240 kW
定格引張力 3,060 kgf

Ed28-2-240315 2024/3/15 遠州西ヶ崎 同駅構内にバラスト運搬用のホキ800形貨車とともに留置されているED28 2号機

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2025年2月 7日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 6 JA8139

cn21925/ln422として製造、1980年1月15日に初飛行、2月15日にANAに引き渡されたのがJA8139でした。導入後しばらくはANAが保有していましたが、1997年3月24日には昭和リースに売却され、同社からANAがリースという形で運航していました。

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-961013

1996/10/13 HND 旧国際線ターミナルから

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-990813 1999/8/13 HND 第一旅客ターミナルから

Ja8139-ana-b747sr81-cn21925-ln422-971207 1997/12/7 HND スヌーピー号 当時はこういったラッピングが珍しい時代でした。

1997年12月から1998年3月まで、当時としては珍しかった「スヌーピー号」スペシャルマーキングとなっていました。2002年2月28日BAHCに売却、レジはN73795となりました。ちなみにBAHCというオペレーターに関しては747Production List上でも詳細が不明のようです。同社は元シンガポール航空のB747-312:cn23029/ln5909V-SKDに関しても同航空を退役後、買い取り、N793BAのレジで運航しています。

JA8139だった機体は既に解体されています。

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2025年2月 6日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 2000形

1996年までに1000形は7編成出揃い、7編成の30形と合わせて遠州鉄道線の運用を担っていました。しかし30形の老朽化もかなり進行しており、来る21世紀に向けて省エネルギー、メンテナンスの軽減、旅客サービスの向上を図り、「人と地球に優しい21世紀の電車」として導入されることとなったのが2000形でした。

制御方式は1000形の抵抗制御方式からIGBT素子によるVVVFインバータ方式(2C4M方式)となりました。

主要諸元

最高運転速度 70 km/h
設計最高速度 80 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s (150%乗車時)
減速度(常用) 3.62 km/h/s (150%乗車時)
減速度(非常) 4.6 km/h/s
編成定員 260(100)名 ()内は座席定員
車両定員 130(52)名(モハ2000)130(48)名(クハ2000)()内は座席定員
自重 31.2 t(モハ2000)26.4 t(クハ2000)
全長 19,000 mm
車体長 18,500 mm
全幅 2,736 mm
全高 4,183 mm(モハ2000)
4,038 mm(クハ2000)
車体高 3,650 mm
床面高さ 1,150 mm
車体 普通鋼
台車 円錐ゴム式軸箱支持形ボルスタレス空気バネ台車・ND-728(モハ2000形・モハ2001 - モハ2004)
ND-728T(クハ2100形・クハ2101 - クハ2104)
軸梁式台車・ND-746(モハ2000形・モハ2005 - )
ND-746T(クハ2000形・クハ2105 - )
主電動機 三菱電機MB-5081-A形 三相かご形誘導電動機
主電動機出力 120kW × 4
駆動方式 一段減速平行カルダンWN継手方式
歯車比 99 / 14 = 7.07
制御方式 VVVFインバーター方式
制御装置 IGBT-VVVF 2C4M・発電ブレーキ付
制動装置 MBSA形応荷重装置付回生・発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ装置
保安装置 点制御車上時間比較速度照査方式

1000形同様、日本車輛製造が製造を担当し、1999年4月5日から営業運転に投入されました。1M1T(モハ2000-クハ2100)の2両編成、9本がこれまでに投入されており、現在も増備は続いています。ラッシュ時には2000形同士、あるいは1000形と2000形の併結での4連運行が行われています。

2000-2001-2403152024/3/15 積志(せきし) 2001編成 標準色はスパニッシュレッドですが、この編成は空色になっています。またこの駅の交換方式は右側通行方式です。

2000-2102-240315

2024/3/15 上島(かみじま) 2002編成 この編成も広告ラッピングです。

2000-2003-240315 2024/3/15 上島 2003編成 標準色

2000-2004-240315

2024/3/15 西鹿島 2004編成 標準色をベースにしたラッピング編成

2000-2005-240315

2024/3/15 西鹿島 2005編成

2000-2006-240315 2024/3/15 西鹿島 2006編成

2000-2007-240315 2024/3/15 浜北 2007編成

2000-2108-240315-2_20250205171701 2024/3/15 新浜松 2008編成

訪問時は2008号編成までが活躍していましたが、2024年度に2009号編成が増備されたとのことです。

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2025年2月 5日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その2 遠州鉄道の車両 1000形

遠州鉄道は当初、軽便軌道でスタートし、1923年に改軌、電化された際にモハ1形が導入されました。その後、モハの番号に対してクハ+50の番号が附番され、1958年、車両の近代化、旧型車の代替を目的に1980年までに30形(モハ30形16両、クハ80形12両)が製造されました。これらは2扉ロングシート車で湘南型スタイルでした(最終増備車のモハ51-クハ61はかなりスタイルが変化していましたが)。その30形も2018年に形式消滅しました。30形は最終編成のモハ51・クハ61こそ、カルダン駆動、冷房車で登場しましたが、それまでは吊り掛け駆動・自動空気空気ブレーキ方式であり、浜松駅周辺の再開発計画で助信駅-遠鉄浜松駅間が高架化され、遠鉄浜松駅-新浜松駅間を短絡ルートに切り替えるにあたり、新性能の電車が求められ、1983年の会社40周年を迎えて登場したのが1000形電車でした。

主要諸元

最高運転速度 65 km/h(1985年11月30日まで) → 70 km/h(1985年12月1日〜)
起動加速度 2.2 km/h/s(150%乗車時)
減速度(常用) 3.62 km/h/s(150%乗車時)
減速度(非常) 4.6 km/h/s
編成定員 290(112)名()内は座席定員
車両定員 145(56)名 ()内は座席定員
自重 36.0 t(モハ1000形)30.0 t (クハ1500形)
全長 19,000 mm
車体長 18,500 mm
全幅 2,730 mm
車体幅 2,730 mm
全高 4,183 mm(モハ1000形)4,038 mm(クハ1500形)
車体高 3,650 mm
床面高さ1,150 mm
車体 普通鋼
台車 車体直結式空気バネ台車・ND-309(モハ1000形・モハ1001・モハ1002)
ND-309T(クハ1500形・クハ1501・クハ1502)
ボルスタレス式台車(モハ1003 - モハ1007・クハ1503 - クハ1507)
主電動機 東洋電機製造製 TDK-8095-A
主電動機出力 120kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動KD325-B-M
歯車比 85 / 16 = 5.31
制御方式 電動カム軸直並列多段抵抗制御方式
制御装置 ACDF-M4120-777B・発電ブレーキ付き
制動装置 応荷重装置付発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキHRD-1-D・保安ブレーキ装置付
保安装置 点制御車上時間比較速度照査方式

製造は日本車輛製造が担当、1996年までに1M1Tの2両編成7本計14両が製造されました。最初の編成が営業運転に就いたのは1983年11月20日でした。

老朽化の進行で1001-1501編成は2021年1月27日を最後に廃車・解体、1002-1502も2024年9月27日を最後に運用を終了しました。

1000-1002-240315 2024/3/15 新浜松 1002-1502編成 同編成は上記のように約半年後には廃車に

1000-1506-1504-240315 2024/3/15 西鹿島 検車場で休む1004,1006編成 

1000-1005-240315 2024/3/15 西鹿島に接近する車内から 引き上げ線に停車中の1005編成

1000-1007-240315 2024/3/15 西鹿島 検車庫横の側線で休む1007編成

1002編成に続き、残る5編成も検査時期に合わせて淘汰が進められているようです。

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2025年2月 4日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その1 遠州鉄道の歴史

速報版でもレポートしてありますが、2024年3月15日から18日にかけて、浜松の遠州鉄道、大垣から養老鉄道の揖斐まで、名古屋東部、岐阜の樽見鉄道、さらには明知鉄道を巡る旅をしました。その様子を今回から報告しようと思います。

240315_20250203142201
2024/3/15 JR浜松駅北口通路にある遠州鉄道新浜松駅案内

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北口の遠鉄デパートの裏手に新浜松駅があります

240315_20250203142601
遠州軌道から遠州電気鉄道に継承された社章

JR浜松駅から歩いて数分の新浜松駅から天竜浜名湖鉄道の西鹿島駅までの17.8km、駅数18の鉄道路線が遠州鉄道鉄道線です。通称:遠鉄電車、西鹿島線とも呼ばれています。

遠州鉄道は現在、鉄道路線1路線と遠州地方を中心とするバス事業を運営し、さらに関連事業として不動産、保険、介護事業も行っています。同社の母体となった会社のひとつは1907年初代浜松鉄道株式会社として設立されました。翌年には大日本軌道株式会社に吸収され、その浜松支社となりました。大日本軌道株式会社とは鉄道伝説第102回でも紹介された鉄道王、軽便鉄道王と呼ばれた雨宮敬次郎が経営していた軽便鉄道会社で福島、小田原、静岡、浜松、伊勢、広島、山口、熊本に支社があり、静岡支社は現在の静岡鉄道清水線に、浜松支社は遠州鉄道鉄道線に、広島支社はJR可部線として現在も存続しています。


遠州鉄道関係路線図(遠州鉄道のWikipediaから)

1909年3月3日には遠州馬込~中ノ町間の中ノ町線が開業、同年12月6日には鹿島線(二俣線を経て、現在の鉄道線)が開業、1914年4月7日には遠州西ヶ崎~笠井間の笠井線が開業、1919年10月12日、大日本軌道浜松支社の路線を継承した遠州軌道株式会社が設立、1921年8月23日には社名を遠州電気鉄道株式会社に変更、1923年4月1日、二俣線を改軌、電化、1925年4月8日、中ノ町線、笠井線は浜松軌道株式会社として分離、、1927年1月17日浜松軌道株式会社浜松電気鉄道株式会社に社名を変更、同年9月1日、二俣線が全線開業、1937年2月18日、浜松電気鉄道の中ノ町線は全線廃止となりました。

Photo_20250203150201 浜松鉄道の社紋

現在の遠州鉄道のもう一つの母体となった濱松軽便鉄道株式会社1911年に設立、1914年11月30日、奥山線となる元城~金指間を開業、1915年、板屋町まで延伸、さらに金指から気賀までも延伸、1923年に奥山まで全通しました。同社は1915年4月24日2代目浜松鉄道株式会社となりました。

1943年11月1日、遠州電気鉄道株式会社など6社が合併して、遠州鉄道株式会社が設立しました。(いろいろな会社があって複雑ですが、最後は戦争中にまとまったようですね)。1944年12月10日には浜松電気鉄道の笠井線も廃止されました。

1947年5月1日、遠州鉄道は浜松鉄道も合併し、奥山線を自社の路線としますが、軌間762mmの軽便鉄道のままであった奥山線は貨物輸送も低調であり、モータリゼーションの波には勝てず、1963年5月1日には気賀口~奥山間が廃止、1964年11月1日には全線廃止となりました。結局、最後に残ったのが現在の鉄道線、新浜松~西鹿島間となりました。

遠州鉄道が経営する広義の鉄道としてかんざんじロープウエイもあり、運行は子会社の遠鉄観光開発に委託されています。乗り合いバス事業は1986年12月1日、それまで浜松市交通部が担当していた市営バス路線を事業撤退で引き継ぎました。

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2025年2月 3日 (月)

中央快速線E233系にG車連結開始 16週で46編成に

2025年も2月に入り、中央線・青梅線運用情報サイトの表示も「グリーン車組み込み」編成ではなく「グリーン車非組み込み」編成がマークされるようになり、いよいよ大詰めだなと感じさせる毎日です。

前回の記事ではH52編成の12連化まで報告しましたが、今回は

T31編成が国府津車両センターで-37ユニットを組込、12連化(1月20日)
T23編成が豊田車両センターで-3ユニットを組込、12連化(1月21日)
H50編成が幕張車両センターで-28ユニットを組込、12連化(1月23日)
T2編成が豊田車両センターで-4ユニットを組込、12連化(1月17日)
T11編成が国府津車両センターで-38ユニットを組込、12連化(1月29日)
T17編成が豊田車両センターで-19ユニットを組込、12連化(1月29日)
H44編成が幕張車両センターで-39ユニットを組込、12連化(1月31日) 
T6編成が豊田車両センターで-20ユニットを組込、12連化(1月31日)

といった動きがありました。

E2330-t31-12r-250124-2 2025/1/24 東京 12連化されたT31編成

E2330-t23-12r-250124 2025/1/24 東京 12連化されたT23編成

E233-t23-230606 2023/6/6 立川 

T23編成は中央・青梅線用E233系基本番台の中でもTASC(Train Automatic Stop Control:定位置停止支援装置)の設置が遅かったことが記憶に残っている編成でした。多くの先頭車の下隅が切り取られ検知器が設置される中、E233系登場当初の美しさを保持している編成でした。

E2330-h50-2r-250127 2025/1/27 西荻窪 12連化されたH50編成

E2330-t2-12r-250201-2 2025/2/1 東小金井 12連化されたT2編成

E2330-t11-12r-250202 2025/2/2 東小金井 12連化されたT11編成 T11編成は1月29日に国府津から豊田に返却回送されており、2月2日の79T運用が12連化後の復帰運用だったようです。

E2330-t17-12r-250202-2 2025/2/2 東小金井 12連化されたT17編成

幕張車両センターに疎開中だった-39ユニットを組み込んだH44編成、1月31日に豊田に返却回送されたようですが、2月2日昼の時点では、まだ目撃情報はありません。T6編成に関してもまた営業運転に復帰はしていないようです。

E2330-t16-10r-250125-edit 2025/1/25 八王子 10連時代のT16編成

1月31日にはT16編成が国府津に回送されたそうで、10連時代”10 Made To Be"のステッカーを付けていた編成はすべて12連化されるようです。残りは11編成、H編成はH49編成が12連化されないことは明白ですが、T編成で12連化されないのはT71編成とあと1編成、果たしてどの編成でしょうか?・・・

E233系のG車連結対応工事などの期間、不足する編成を補うため松戸センターから転属し、活躍していた209系1000番台、トタ82,81編成も一旦、東大宮に回送後、E493系に牽引されて長野総合車両センターに廃車回送され始めました。

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