2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その3 マス・プロダクションによるフォード・モデルTの登場から衰退へ
昨日の記事にあるようにヘンリー・フォードは最初、デトロイト・オートモービル社(後のキャディラック社)の主任設計者でした。1903年に独立し、フォード・モータース社を設立し、デトロイトにピケット工場を開設しました。
開設当初製作していたのは車体中央部に2気筒エンジンを搭載し、チェーンで後輪を駆動する「バギー」と呼ばれる小型車でした。日本でも本田宗一郎が開発したホンダS360スポーツの駆動方式がチェーンドライブだった点を思い出します。バギーはモデルA(1903年)、モデルC(1904年)、モデルF(1905年)と進化してゆきましたが、1905年、本格的な直列4気筒FRドライブ方式のモデルB、さらに1906年には6気筒エンジン40HPの高級車モデルKを開発しますが、ヘンリーの主目的は小型大衆車でした。
1906年、バギーのモデルFの後継として4気筒17HPのモデルNを500ドルで販売、さらに派生型のモデルR、モデルSも販売し、大ヒットとなります。それまで2気筒12HPのモデルFを1000ドルで販売していたのが500ドルにできたのは流れ作業方式の導入による量産効果のためでした。
フォード モデルTツーリング 1909年に発売されたタイプで全長3318㎜、全幅1687㎜、全高2188㎜ 鵜雨量660㎏ ホイールベース2540㎜ 水冷直列4気筒2896㏄ エンジン搭載 最高出力15kW /20HP/1600rpm 初期の典型的モデルでした。1912年以降のモデルは生産性を高めるため、ボディカラーは黒エナメル1色となりました。これは乾きが一番早かったからと言われています。
次に製造するモデルTでは量産効果を高めるために部品互換を徹底し、個別部品の加工精度の向上、規格化が図られ、バナジウム鋼を多用し、高速切削加工を進め、生産性の向上と軽量化を図ることにしました。さらに開発作業は限られた人数で極秘のうちに進められました。1907年10月に最初の2台のプロトタイプが完成、1908年3月に発表、市販は10月から開始されました。価格は850ドルに設定され当初の計画より高めでしたが、当時の同クラスの車が1000ドルを超える中、非常な好評で迎えられ、1909年4月には3か月分のバックオーダーを抱えることとなり、7月まで受注を停止、1909年1年間で1万台を超えるモデルTが生産されることとなりました。限られた工場スペースにおいて生産効率を上げるための「フォード・システム」と呼ばれる流れ作業体制もモデルTの製造過程で確立してゆきました。製造当初、1台あたり14時間要した組み立て時間が1914年4月には1時間33分にまで短縮されたといいます。また信頼性を上げるために補修部品のストックを全米各地のデポに置き、アフターサービスの充実も図りました。
1911年にはイギリスでも生産が始まり、年間生産台数は1923年に205万5300台以上とピークに達しました。その後、減少はしましたが生産終了前年の1926年ですら163万台生産され、アメリカで生産される車の半分以上がモデルTでした。総生産台数は1500万7033台で4輪自動車でこの記録を凌いだのは2100万台以上製造されたフォルクスワーゲン・タイプ1のみでした。
ヘンリーはモデルTの革新、改良には無関心で、代替モデルを開発する必要は全くないと信じ込んでいました。しかし、1920年代になると道路は舗装され、車の性能は向上し、高性能な車は6気筒、8気筒、12気筒と多気筒エンジンを積むようになり、最高速度もアップしてゆきました。さらに装備品も充実し、クローズドボディが主流になってゆくと、エンジンのパワーが車の重量に適応できなくなり、モデルTの鈍足性が問題になり始めました。ボディカラーも黒塗り一色、デザイン面でも魅力を欠くようになり、GMのシボレーなどはモデルTよりも低重心で高級車をイメージするスタイリングのシリーズ490などを発売し、ユーザーを引き付けるようになりました。
GMがフォード・モデルTに対抗して1915年に送り出した シボレーシリーズ490
モデルTは遊星ギアを用いた独特の変速システム(前進2段、後進1段)を採用していましたが、こちらは一般的な3段ギアボックスとし、エンジンはOHVとしました。全長3507㎜、全幅1796㎜、全高2020㎜、重量847㎏、ホイールベース2591mm、水冷直列4気筒OHV、最高出力19kW/26HP/1800rpm
490は販売価格490ドルによるものです。
GMは販売戦略として割賦販売を取り入れ、モデルチェンジを頻繁に行い、ユーザーの魅力を引き付ける手法を駆使に1920年代後半にはフォードを抜いてトップに躍り出ました。
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