« 2025年3月 | トップページ | 2025年5月 »

2025年4月30日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 樽見鉄道の旅と旧谷汲駅の見学 その3 東大垣駅にてJR東海道線と樽見鉄道の車両を撮影

樽見鉄道の旅、本巣駅からさきの谷汲口駅方面樽見まで行く列車と谷汲口駅でのバスの接続を考慮すると9:11発の13レが最適なのですが、途中、東大垣駅での下車、撮影を考慮し、7:46発の7レに乗車することにしました。乗車券(1日フリー乗車券)は樽見鉄道大垣駅きっぷ売り場で購入しました。売り場の営業時間は8:00からでしたが、乗務員の方に切符の購入について尋ねたら、発車時間前に購入することができました。

240317-2_20250429083101 330701-240317-3 2024/3/17 JR大垣駅構内にある樽見鉄道乗り場と7レとして出発を待つ ハイモ330-701

240317_20250429085101 駅名標

240317_20250429085201 駅舎
開業は国鉄樽見線の大垣~谷汲口間が開業した1956年3月20日で、旅客のみならず貨物取り扱いも始まりました。1964年8月20日に貨物取り扱いは廃止されました。1971年3月31日を以て荷物取り扱いも廃止され、無人駅となりました。

大垣を出発して約4分(2.7km)で東大垣駅に到着します。この駅は昨日の記事にもあるように樽見鉄道樽見線の交換可能駅3駅のひとつです。交換設備は国鉄時代に一度廃止されましたが、樽見鉄道転換時に復活しました。

295516-240317-4 2024/3/17 東大垣駅 神海発の8レ 背後には揖斐川橋梁が見えます。

295516-330701-240317

2024/3/17 東大垣 ハイモ330-701とハイモ295-516の交換風景

2022年10月1日改正のダイヤでは7レ、9レ、11レ、27レ、29レ、31レが当駅で上り列車と交換をしていました。

3135000-6-y104-240317 3135000-6-y104-240317-2 大垣~東大垣間はJR東海道本線と並走しており、東大垣駅のホームからも東海道線の列車が撮影できます。

295516-240317-24 東大垣発 8:19の 9レ

295315-240317 9レと交換したのはハイモ295-315 10レ 樽見発の列車でした。

9レに乗車し、樽見鉄道の本社がある本巣駅に向かいました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月29日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 樽見鉄道の旅と旧谷汲駅の見学 その2 かつて大垣駅で撮影した樽見鉄道の車両

樽見鉄道に乗車するのは2024年3月が初めての機会でしたが、大垣駅ではこれまでに数回、樽見鉄道の車両を撮影しておりました。今回の記事ではそれらの写真を紹介しようと思います。

1984年の樽見鉄道発足時に用意されたのはハイモ180形気動車でした。これは富士重工業が地方交通線用としてバスの部品を多用し、開発したLE-CarIIと言われる軽快気動車の初の実用車でした。車体長12m、両運転台、トイレなし、セミクロスシートのハイモ180-100形1両とロングシートのハイモ180-200形2両が製造されました。「ハイモ」はハイスピードーターカーの略、180はエンジンが180馬力であることに依ります。1985年に突々友の会からローレル賞を授与されています。

1基搭載された日産ディーゼル製PE6Hディーゼルエンジン(定格出力132 kW / 2,200 rpm)からの動力はレールバス用に開発された神鋼造機製SCAR0.91A液体変速機を介してレールバス用に開発された1軸ボギー台車FU30D/Tに伝達されました。制動装置は応答性の良いSME三管式直通ブレーキが採用されました。暖房はエンジンの排熱を利用、冷房装置も設置されました。

当初は単行運転用として総括制御に対応していませんでしたが、旺盛な輸送需要に対応するため併結運転が可能なように1985年3月に総括制御対応となりました。輸送力の小ささから車体サイズの大きい、ハイモ230-300形,-310形が投入されることとなり、1993年にはハイモ180-101が有田鉄道に譲渡、ハイモ180-201は1999年、ハイモ180-202は2006年にハイモ295-310、ハイモ295-510に置き換えられる形で廃車となりました。

230314-090322 2009/3/22 大垣 ハイモ230-314 岐阜モレラ号

1985年に新製されたハイモ230-300形は車体長を15.5mにし、台車もボギー台車とした富士重工業の軽快気動車でした。機関はハイモ180の日産ディーゼルPE6Hに過給器を付加して出力増強を図った日産ディーゼルPE6HT03(230PS)(定格出力169 kW / 1,900 rpm)でした。1992年までに301, 312,313,314の4両が製造されました。正面貫通式、両運転台、トイレ無し、ロングシートで301は客用扉が折戸でしたが、以降の車両は引き戸になりました。そのため2両目は302で落成しましたが、途中から312に改番され、以降313,314となりました。

動力は神鋼造機製SCAR0.91B液体変速機を介して2軸駆動の上枕空気ばね、軸ばね式FU34D/T台車に伝達されました。制動装置はSME三管式直通ブレーキが採用されました。

-301は開業1周年の1985年10月6日から運転を開始、LE-Carシリーズとして初の15m級車体で以降の他社車両の標準的寸法、仕様となりました。池田満寿夫デザイン、沿線の子供たちの絵画、本巣市のPR塗装、旧根尾村の広告塗装、モレラ岐阜の広告塗装など各種の塗装が出現しましたが、2009年から廃車:-301)が始まり、2011年には-312がミャンマーに輸出、-314は2015年にJR貨物北陸ロジスティクスに譲渡、-313は2018年に廃車となり、形式消滅となりました。

295315315-090323 2009/3/22 大垣 ハイモ295-315

330701-111227-2 2011/12/27 大垣 ハイモ330-701

ハイモ295、ハイモ330に関しては現役で今回の旅でも撮影しているので後日の記事で紹介します。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月28日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 樽見鉄道の旅と旧谷汲駅の見学 その1 国鉄樽見線から樽見鉄道へ

2024年3月17日の旅のメインは樽見鉄道の乗車と1926年に谷汲鉄道として開業、1944年に名古屋鉄道と合併、2001年に廃止された名鉄谷汲線の旧谷汲口駅訪問でした。

我が国における国が建設すべき鉄道路線を定めた法律が鉄道敷設法(1892年6月21日公布、明治25年法律第4号)旧法と1922年4月11日に公布された改正鉄道敷設法(大正11年法律第37号)で、改正法別表第74号に「岐阜県大垣ヨリ福井県大野ヲ経テ石川県金沢ニ至ル鉄道」とあり、現在の開業区間に当てはめると樽見鉄道樽見線 大垣 - 樽見34.5 km、北陸鉄道石川線 西金沢 - 鶴来 - 加賀一の宮、北陸鉄道金名線 加賀一の宮 - 白山下となり、すでに廃止された区間として北陸鉄道石川線 鶴来 - 加賀一の宮、北陸鉄道金名線 加賀一の宮 - 白山下が当てはまります。

1935年に建設工事が始まり、戦時中工事は中断しましたが1952年に再開、1956年3月20日に国鉄樽見線として谷汲口まで開通、1958年4月29日に谷汲口~美濃神海(みのこうみ)間が延伸開業しました。1970年11月、日本鉄道建設公団により、樽見への延長工事が開始されますが、特別天然記念物・根尾谷断層に掛かり、地震学会により、工事が中止に。ルートを変更し、文化庁の承認を受け、工事は再開されますが、根尾谷断層による工事難航が続き、当初計画より大幅に遅れました。1980年12月、国鉄再建法が公布、1979年度の営業係数392により、樽見線は第1次特手地地方交通線に選定、廃止対象に。トンネル7か所貫通、第10根尾川橋梁が完成し、工事費からして76%出来上がっていましたが、1981年に工事は凍結、美濃神海~樽見間の工事は中止となりました。

本巣に住友セメントの岐阜工場が誘致され、同工場から積み出されるセメント輸送と通学輸送を確保する観点から沿線は路線存続を選択、西濃鉄道(本社大垣市)、住友セメントを株主に1984年2月1日、樽見鉄道が設立、同年10月6日に樽見鉄道樽見線として国鉄樽見線を転換、第3セクター方式で開業となりました。転換後は列車増発などの積極策が功を奏し、順調な滑り出しとなり、1986年には76%完成していた神海~樽見間の工事を再開、1989年に全線開通となりました。路線距離34.5km、駅数19駅、全線単線非電化で大垣~本巣間は自動閉塞式、本巣~樽見間はスタフ閉塞です。交換可能駅は東大垣、北方真桑、本巣の3駅です。

2004年、住友大阪セメントは鉄道にセメント輸送を2005年度末で打ち切ることを表明、2006年3月28日限りでセメント輸送列車の運行は終了となりました。そのため経営は大変苦しくなり、沿線自治体5市町村からの財政支援が年間1億円程度なされましたが、最終赤字は続き、支援の打ち切り、路線の廃止も検討されましたが、数々の経営努力もあり、最終損益の黒字化が達成され支援が継続している状態にあります。

240315_20250427094401 2024/3/15 JR大垣駅の北側の島式ホームの東端に樽見鉄道の7番線ホームと駅事務室などがあります。7番線は非電化で架線はありません。

41333-560321 大垣駅に停車するキハ41333 樽見鉄道の車内掲示写真から

C11-720116 C11が牽引する樽見線貨物列車 樽見鉄道の車内掲示写真から
48-840527 樽見鉄道の車内掲示写真から


20-720416 国鉄樽見線時代の終着駅 

240317-2 現在の終端 樽見駅の先

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月25日 (金)

国際線進出、アメリカ・メインランド路線用に導入されたANAのB747-281B 1 JA8174

cn23501/ln 648として製造、N6055Xのテストレジで1986年6月16日、初飛行、同月25日にANAに引き渡されたのがJA8174でした。ANAが飛行時間12時間以上の国際線用機として導入したB747LRタイプ6機(JA8174, JA8175, JA8181, JA8182、JA8190とJA8192)のうちの1号機でした。

ANAは1952年12月27日の会社設立以来、国内路線運用が主軸でしたが、いずれは国際線にも進出したいと考えてきました。しかし、日本航空が「第二の国際線会社が東南アジア路線に進出すると、航空協定のバランスが崩れて日本に対する批判が高まる」と反対意見を陳述するため国際線進出は長らく阻まれてきました。さらに1970年11月20日の閣議了解「航空企業の運営体制について」は

・航空輸送需要の多いローカル線については、原則として、同一路線二社で運営する。
・国際定期は、原則として日本航空が一元的に運営、近距離国際航空については、日本航空、全日空提携のもとに余裕機材を活用して行う。
・貨物専門航空については、有効な方法を今後早急に検討する。

といった内容であり、1971年5月15日に日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空が発足し、航空企業3社体制となった後、1972年7月1日に示達された運輸大臣通達では

・日本航空……国内幹線、国際線の運航。国際航空貨物輸送対策を行う。
・全日空……国内幹線およびローカル線の運航。近距離国際チャーターの充実を図る。
・東亜国内航空……国内ローカル線、国内幹線の運航。四十九年より当初実働三機。

とされ、ANAにとっては近距離国際チャーター便を足掛かりに国際線進出の芽ができました。この国のどの業界でも見られることですがお役所主導の棲み分けが行われていました(45/47体制)。

1971年の香港チャーター便、1984年にはハワイチャーター便が許可され、1978年、アメリカで航空規制緩和法が成立し、我が国の航空行政が規制緩和の方向に向かい始めると45/47体制も終焉に向かい、1986年3月には成田~グアム間の国際定期便の運航も始まりました。これまではロッキードL-1011を使用しての運航でしたが、アメリカ本土定期便として成田~ロサンゼルス、成田~ワシントンDC線用にはB747-200Bが必須とのことで、それまでに導入していたSR-81と同様にGE CF6-45Aと同系列のGE CF6-50E2装備の機体を導入することになりました。

Ja8174-ana-b747281b-cn23501-ln648-961118 1996/11/18 NRT

Ja8174-ana-b747281b-cn23501-ln648-981213 1998/12/13 NRT

Ja8174-ana-b747281b-cn23501-ln648-980516 1998/5/16 NRT

導入当初から塗装はトリトンブルー、2005年10月に退役、5B-AUCのレジでヨルダンのAir Universalのフリートとなり、レジは2006年1月5日AP-BICに改められ、2008年3月20日からはギリシャのHellenic Imperial Airwaysのフリートとなり、2016年に保管状態となるまで活躍しました。2018年に解体されています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月24日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 高山本線のローカル列車

高山本線は岐阜駅を起点に富山駅までの225.8km、駅数45の路線で、岐阜~猪谷(岐阜県から富山県に入っての最初の駅)間がJR東海、猪谷~富山間がJR西日本の管轄となっています。本州の本線と名乗る路線では唯一、地方交通線に分類されています。

1920年11月1日高山線として岐阜~各務原間が開業、1921年11月12日には美濃太田まで延伸、1930年11月2日、下呂まで延伸、1933年8月25日、飛騨小坂まで延伸
1927年9月1日、富山~越中八尾間が飛越線として開業、1930年11月27日、猪谷まで延伸、1933年11月12日、坂上まで延伸
1934年10月25日、飛騨小坂~坂上間が開業し、全通

岐阜~富山を結ぶ最短ルートですが、1960年代以降、北陸トンネルの開通、北陸本線の電化、複線化、高速化で北陸本線に電車特急が頻発されるようになってからは米原経由のルートの方が距離が長いにもかかわらず、到達時間は短くなり、一方で1990年代特急「ひだ」がキハ85系に置き換えられ、スピードアップされると米原経由の「しらさぎ」とほぼ同等となりましたが、2024年の北陸新幹線延伸開業では乗り継ぎの必要性はあるものの、所要時間では米原経由が優位になっています。また、東京から高山に行く場合の所要時間も北陸新幹線開業後は東京~名古屋~高山と東京~富山~高山の所要時間はほぼ同等となっています。

下呂温泉、飛騨高山といった観光地が多い高山本線は1960年代からの観光ブームで乗客が激増、貨物輸送も増加し、1960年代後半に蒸気機関車牽引列車の廃止、列車交換設備の増加、列車集中制御装置(CTC)の導入といった輸送近代化が行われ、列車交換可能駅のY字ポイントの110km/h通過可能なタイプへの交換が行われ、優等列車の高速運転に向けた改良がなされました。電化に関しても1964年に「高山本線強化促進同盟会」が結成され、富山、石川、岐阜、愛知の4県によって高山線の複線化・電化を要望され、1980年5月6日の国鉄理事会で全線225.8 kmの電化計画が決定、翌7日、運輸大臣に認可が申請され、同年5月27日、高山駅構内で起工式も行われました。計画では沿線18か所に変電所を設け、全線直流1500V電化とし、架線設備のみならずトンネルや各駅ホームの改修、線路の強化などの付帯工事も行われる計画でした。総工事費は約200億円と試算され、全額が利用債で賄われる計画で、1985年度の完成、電化開業を目指していました。交流電化の富山駅乗り入れはどう考えられていたのかわかりませんが、特急「ひだ」には中央西線の特急「しなの」に使用されていた381系を導入、急行型は457系の増備で対応まで計画されていましたが、需要減や国鉄財政の逼迫で電化計画はなくなり、高性能気動車の導入に転換となりました。沿線に420本の架線柱が設置されていましたが、それらは通信専用線電柱に転用されました。JR東海になってキハ85系が導入されスピードアップ効果は特急形電車に対して遜色がなく、振り子式車両の揺れもないため好評でした。しかし、2008年には東海北陸自動車道が全線開通、2019年には一宮JCTから飛騨清見ICまで完全4車線化されたことで高速バスとの競争が激化しています。

現在の高山本線のローカル列車は美濃太田駅、高山駅、猪谷駅で運転系統が分かれており、岐阜~美濃太田間は沿線人口、利用客数も多く、大多線多治見駅までの直通列車も存在します。また岐阜~鵜沼間は名鉄各務原線も並走しており、競合関係となっています。

48-6810-140811-2

2014/8/11 岐阜 キハ48 6810 他
JR東海美濃太田車両区のキハ40系は1979年頃から2015年6月30日に全廃されるまで活躍しました。

11120-090322

2009/3/22 美濃太田 キハ11-120
JR東海美濃太田車両区のキハ11形は1989年3月11日から2015年3月13日まで活躍しました。


25-p106-240317

2024/3/17 岐阜 キハ25形 P106編成 
岐阜~猪谷間の主力として活躍中

753307-240317-2 2024/3/17 岐阜 キハ75-3507他
キハ75形は岐阜~下呂間で運用

25_8111
1981/11/25 富山駅 キハ25 247 他
キハ25形といえばJR東海にも存在しますが、こちらは国鉄時代のキハ20形を片運転台とした形式で最初はキハ49500形として登場予定でした。東急車輛と富士重工業で1957年から142両が製造され、1987年までに全廃されました。

48_1517_811125

1981/11/25 富山駅 高山線ホームのキハ48 1517

120345-dc-100718 2010/7/18 富山 キハ120-345

120352-110529 2011/5/29 富山 キハ120-352

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月23日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 岐阜駅で再会した名鉄モ513号

2024年3月15日から3月18日まで名古屋周辺旅行、3月17日は名古屋から大垣へ向かいましたが、まずは岐阜で途中下車し、2014年8月に市内の金(こがね)公園に保存されているのを見て以来、10年ぶりに駅北口のペデストリアンデッキ下のスペースに保存されている名鉄モ513号に再会しました。

510-513-240317

510-513-240317-3

510-513-240317-11

2024/3/17 岐阜駅北口

この車両はかつて美濃電気軌道が岐阜市内の路面電車さらにそれに接続する笠松線に投入するため1926年夏に日本車輛製造が新製した半鋼製車体の四軸ボギー車で。セミスチール・ボギーを略してセミボ510形と名乗りました。アメリカにおいて1900年代から1920年代に盛んだったインターアーバンのスタイルを範とし、「郊外用トシテ市内乗入兼用ニ設計シタル車輛」「郊外用(市内乗入兼用)」(日本車輛のカタログ)にあるように市内・郊外直通を想定した車両として設計され、併用軌道区間を走る高床構造車でした。

主要諸元(1967年以降廃車まで)

車両定員 74人(座席38人→27人)
自重 18.2t
全長 13,308mm
全幅 2,203mm
全高 4,006mm
車体 半鋼製
台車 日本車輌製造製27MCB1型
主電動機 E.E.社製DK60型
主電動機出力 44.8kW×2
駆動方式 吊り掛け駆動
出力 63.4kW×4
制御装置 単位スイッチ式 HL480-F
制動装置 SME 直通ブレーキ

1923年に美濃電が新製した木造ボギー車のBD505形(505~510)に準拠し、当時流行った半円筒形正面5枚窓の半流線型スタイルを踏襲し、側窓は2段窓とし、車体両端に客用扉を設置し、戸袋窓は楕円形としました。

510-513-240317-8

1930年8月、美濃電は名古屋鉄道と合併、同年9月には名岐鉄道となりました。1941年の形式称号改訂でモ510形となりました。名鉄傘下になったのちは美濃町線で働いていましたが、1967年に岐阜市内線と揖斐線の直通運転が開始された際にモ510形は先輩のBD505形1941年からモ520形521~526)とともに直通運転用車両となり、以下の改造が施されました。

・塗装の変更 軌道線車両標準塗装(下半分緑/上半分クリーム)からスカーレットと白のツートンカラーに
・オールロングシートから転換クロスシートへ シート配置は車内中央を境に2人掛けシートと1人掛けシートが交換
・自動折り畳み式の客用扉ステップ新設
・集電装置は製造当初はトロリーポール、戦後はビューゲル、この改造でパンタグラフに
・制動装置をSM-3直通空気ブレーキからSME非常弁付直通空気ブレーキに改造
・正面に密着自動連結器を新設

510-513-240317-6

2両編成での運行が基本のためモ510形を総括制御化、モ520形をク代用として牽引、推進するためモ510形の主電動機は他形式から転用し、出力アップ、制御器も交換

1972年から1979年にかけ、近代化改造が行われ

・車体塗装のスカーレット一色化
・車内放送装置新設
・客用扉の自動化および鋼製扉化
・正面窓のアルミサッシ化
・ワイパーの自動化
・前照灯のシールドビーム化
さらに 側窓のアルミサッシ化、モ512の戸袋窓のHゴム化などが施工されました。

1980年代後半には冷房装置が無いことが問題となり、モ770形に置き換えられる形で511,515、520形全車が廃車となりましたが、レトロブームもあり、モ512~モ514は動態保存的に残され、1988年には鉄道友の会からエバーグリーン賞を受賞、1997年モ780形の新製で予備者扱いとなり、2000年にモ512が廃車されますが、モ513、モ514は部品の確保すら難しくなる中、名鉄は製造当時の設計図を元に予備部品を内製し、可動状態を確保しました。2005年3月31日の岐阜600V線区の全廃で2両は除籍となり、形式消滅しました。

512_150811_2 2014/8/11 旧美濃市駅

モ512は2000年に旧美濃駅へ搬入され、静態保存

513_140811_122014/8/11 岐阜金公園

モ513は2005年6月より、金(こがね)公園に静態保存

510-513-240317-19 510-513-240317-4

→ 2019年11月16日に岐阜駅北口駅前広場完成10周年で移設

モ514は旧谷汲駅に搬入され、静態保存   (写真は後日、別の記事で)

モ515は車体のみオールドスパゲティファクトリー名古屋店店内に展示保存(まだ訪問していません)

となっています。

1996-240317 2024/3/17 岐阜駅北口前

140811 2014/8/11 岐阜市内

2005年4月1日、廃止された名鉄揖斐線、岐阜市内線、美濃町線、田神線の代替バス運行を始めた岐阜乗合自動車(岐阜バス)の塗装はかつての電車の塗装を模しています。また2010年度から導入された連節バス「清流ライナー」は名鉄電車と同じスカーレット一色でした。

来年で製造100年を迎える古豪ですが、これからも80年間に渡る「岐阜のインターアーバン電車」としての活躍を後世に伝えてほしいものです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月22日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その17 大衆車の争い ダットサン・サニー vs トヨタ・カローラ

 1955年の通産省の国民車構想に答えて自動車メーカー各社がこれぞ国民車というクルマをデビューさせる中、日産は戦前からの流れを汲んだ「ダットサン110型」を、トヨタは「トヨペット・クラウン」を世に出し、それぞれ小型と中型の世界で販売を拡大させていました。それぞれが相手の得意分野に進出しようと日産は1960年に「セドリック」を発売、トヨタはクラウンのタクシー版だった「トヨペット・マスター」のパーツを流用し、「コロナ」を世に出しました。さらに日産はコロナに対抗し、ライセンス生産していた「オースチンA50」のエンジンをストローク・ダウンし、「ダットサン210型」をデビューさせました。その後、「ダットサン310型」はブルーバードの愛称が与えられ、国内販売、海外輸出両面でコロナを大きく引き離しました。日産は2代目ブルーバードとしてイタリアのピニンファリーナのデザインによる410型1963年にデビューさせますが、自信をもって出したこのクルマ、日本の市場では「尻下がり」と受け入れられず、一方、トヨタが1964年に3代目としてデビューさせたアローラインのコロナは大ヒットとなり、コロナが初めてブルーバードに勝利しました。

1966年、通産省の国民車構想から11年目のこの年は「大衆車元年」と後に言われる年となりました。トヨタはコロナの下のクラスとして1961年に空冷水平対向2気筒エンジン搭載の「パブリカ」を世に出しましたが、まだ経済成長が始まったばかりでヒットはしませんでした。日産はブルーバードの下のクラスとして「サニー」を開発、エンジンは水冷直列4気筒OHV、1000㏄でした。4月に「サニー」が発表されるとトヨタは「サニー」開発の情報を掴んだ時点でエンジンの排気量を1100㏄とし、「カローラ」として同年10月に発表しました。さらに「サニー」を意識して、「プラス100㏄の余裕」というキャッチコピーをつけての販売戦略を取りました。サニーが直線的で軽快な走りをするのに対し、カローラはパブリカの失敗から豊かさをイメージさせるボディを前面に押し出した感がありました。1969年にはカローラが同じトヨタの3代目コロナを販売実績でも上回り、年間最多販売車種の座に就きました。サニーも1971年の2代目では1200㏄エンジンを搭載、ボディサイズも拡大し、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチコピーで対抗しましたが、2代目カローラは1400,1600㏄エンジンで登場、セダン、クーペに続き、ハードトップも加わり、サニーを引き離してゆきました。

 

Dsc02946

ダットサンサニー 1000 B10型
全長 3820㎜ 全幅 1445㎜ 全高 1345㎜ 重量 645㎏ ホイールベース 2280㎜ 水冷直列4気筒OHV 988㏄
最高出力 41kW/56PS/6000rpm

Dsc02944 トヨタ カローラ KE10型
全長 3845㎜ 全幅 1485㎜ 全高 1380㎜ 重量 710㎏ ホイールベース 2285㎜ 水冷直列4気筒OHV 1077㏄
最高出力 44kW/60PS/6000rpm

1986年には1位がカローラ、2位がサニーでしたが、バブル期になるとマークIIやクラウンが間に入るようになり、バブル終了後の1993年には日産の稼ぎ頭は「マーチ」「キューブ」などになり、2004年とうとうブランド名も新型「ティーダ・ラティオ」に置き換わり、消滅となりました。
一方のカローラは1969年から2001年ホンダ・フィットに抜かれるまで車名別日本国内販売台数第1位を維持、現在もトヨタカローラ店が存在するように、11代51年とマツダ・ファミリアに続く長命ブランドになっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月21日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その16 1955年代後半からの国民車構想で登場した軽自動車

第二次世界大戦の終結から10年が経過した1955年、通商産業省が国内の自動車需要を喚起するため「国民車育成要綱案:国民車構想」を打ち出しました。それにこたえる形で国内自動車メーカー各社が国民車の試案を検討しました。通商産業省の国民車構想の要件は

・最高速度100 km/h以上であること。
・乗車定員4名、または2名と100 kg以上の貨物が積めること。
・60 km/hで平坦な道路を走行中の燃費が、30 km/L以上であること。
・大がかりな修理をしなくても、10万 km以上走れること。
・月産2,000台の場合、最終販売価格は1台25万円以下であること。
・性能と価格から勘案されるエンジンの排気量は350 - 500 cc、車重は400 kg以下。  でした。

大学教授と自動車好きの若手官僚が立案したこの企画、当時の主要自動車メーカー側も検討はしましたが、当初は技術面、コスト面から実現は困難との回答が日本自動車工業会(自工会)の統一見解として出されました。

1909年、静岡で自動織機の製造を始め、1930年代に自動車産業に進出、イギリスのオースチン・セブンを手本に研究に着手、太平洋戦争の戦火拡大で中断に追い込まれるものの、1954年からは本格的小型オートバイを発売、バイクメーカーとして地歩を固め、4輪車開発も始めた鈴木自動車工業1955年に発売したのがスズキ・スズライトSLでした。ヨーロッパの小型車ロイトを参考に2ストロークエンジンとFF駆動方式を採用した我が国の軽自動車のパイオニアでした。

航空機メーカーだった中島飛行機は戦後、富士重工業としてこの構想にこたえる意味で開発したのが「スバル360」でした。モノコック構造のボディ、コイルスプリングではなくトーションバー(捩り棒バネ)を使用したサスペンション、空冷リアエンジンなどのユニークな機構により、軽自動車とは思えない広い室内空間と快適な乗り心地を実現しました。1958年から1970年までに約39万2000台が製造されました。ナチス・ドイツの国民車構想で誕生したフォルクスワーゲンタイプ1(KdF-Wagen)の愛称(ビートル)との対比から「てんとう虫」として親しまれました。

Dsc02931 スバル360 K111型
全長 2990㎜ 全幅 1300㎜ 全高 1380㎜ 重量 385㎏ ホイールベース 1800㎜ エンジン 空冷直列2気筒2サイクル356㏄
最高主力 12kW/16HP/4500rpm 

新三菱重工(現、三菱自動車工業)の国民車構想への解答は1959年秋のモーターショーで発表された三菱・500でした。新三菱重工業にとっては3番目に製作した乗用車で1番目はA型リムジン(フィアット・ゼロのコピー)、2番目はヘンリー(カイザー・フレイザーのノックダウン生産)でした。戦時中は零銭の製造など軍用機を製造していた名古屋製作所が戦後、GHQの指令により民需に転換し、自動車の生産を始め、ジープのノックダウン生産に続き、手がけたのが三菱・500でした。スバル360と同様に空冷リアエンジンでサスペンションは前後ともトレーリングアームとコイルバネの組み合わせでした。販売は芳しくなく、1962年コルト600にビッグマイナーチェンジしました。生産台数は1万3289台でした。

Dsc02932 三菱500 A11型
全長 3160㎜ 全幅 1390㎜ 全高 1380㎜ 重量 530㎏ ホイールベース 2065㎜ 空冷直列2気筒OHV 594㏄
最高出力 18kW/25PS/4800rpm

東洋工業(現、マツダ)が1960年に世に出したのがR360クーペでした。東洋工業初の4輪車で後にロータリー・エンジンの実用化に成功した山本健一がリーダーとして開発したクルマで日本車で初めてクーペと名乗ったクルマでもありました。軽量化のためアルミニウム合金、マグネシウム合金、プラスティックなどの軽量素材が多用されました。価格はスバル360の42.5万に対して30万に設定され発売当初は人気を得ましたが、後部座席が狭く実質2人乗りであったため、1962年に発表された4座席軽乗用車「キャロル」に主役の座を譲りました。当時まだマイナーだった2速AT車があったのも特徴的でした。

Dsc02950_20250420093701 マツダ キャロル KPDA型
全長 2990㎜ 全幅 1295㎜ 全高 1320㎜ 重量 540㎏ ホイールベース 1930㎜ 水冷直列4気筒OHV 358㏄
最高出力 15kW/20PS/7000rpm

スズキ、スバル、三菱、マツダなどが世に出した軽自動車に対してトヨタが出した国民車構想への最初の答えはトヨタ・パブリカUP1でした。パブリカはこれまでの軽自動車に比べると1ランク上の小型車ですが1961年6月に発売、価格は38.9万円でした。これは装備を極めて簡素に省略した結果でラジオ、ヒーター、燃料計、サイドミラーすらありませんでした。そのため販売は低迷しました。1963年にはデラックス仕様が登場、1966年には大規模なマイナーチェンジが行われ、スターレットに受け継がれる形で1988年3月に27年の歴史に幕を下ろしました。

Dsc02935_20250420093801 パブリカ UP10型
全長 3520㎜ 全幅 1415㎜ 全高 1380㎜ 重量 580㎏ ホイールベース 2130㎜ 空冷水平対向2気筒OHV 697㏄
最高主力 21kW/28PS/4300rpm

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月18日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 16 JA8159

cn22712/ln572として製造、1982年10月23日初飛行、11月12日にANAに引き渡されたのがJA8159、ANA最後、17機目のSR-81、日本の国内線用という特殊な用途で製造された最後のShort Range typeのBoeing747でした。

就航当初は528席仕様、1985年11月1日からupper deckの20席はスーパーシート仕様となり、その後、536席仕様で飛んでいました。

Ja8159-ana-b747sr81-cn22712-ln-572-96101 1996/10/19 HND

Ja8159-ana-b747sr81-cn22712-ln-572-96081 1996/8/16 HND

Ja8159-ana-b747sr81-cn22712-ln-572-98010 1998/1/2 HND

2005年5月、退役保管状態となり、レジはN248BAに、Opa Lockaに駐機していましたが、再就職することなく2006年解体されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月17日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その15 1960年代 小型車BC戦争で初めて勝利した3代目コロナRT40型

1960年代、日本の乗用車市場はトヨタ自動車1962年9月に初代からフルモデルチェンジした2代目クラウン(RS4#型)を発売、日産自動車オースチンA50ケンブリッジの後継車種として1960年4月に30型セドリックを世に出しました。両社のフラッグシップカーにはいずれも1500~1900㏄エンジンが搭載されていました。初代セドリックは縦に並んだ4灯のヘッドランプが特徴的でした。後に日産に吸収合併されるプリンス自動車工業1958年当時は富士精密工業)は1958年10月スカイライン1900を第5回全日本自動車ショウにて発表、1959年1月にその派生型として初代グロリアBLSIP-1型が発売され、戦後一般発売された日本車第1号の3ナンバー車となりました。日産とプリンスの合併により、セドリックとグロリアは姉妹車関係になりますが、クラウンを含めた3ブランドが1980年代頃まではわが国のフラッグシップカーの位置にありました。
その弟、妹分として各社の販売の中核に位置付けられたのがトヨタではコロナ、日産ではブルーバード、プリンスではスカイラインでした。
 ブルーバードは3月17日記事で紹介したダットサン11型フェートン1938年発売のダットサン17型セダン、戦後の1955年発売のダットサン110型、エンジンをSVからOHVにした改良型210型の流れを引き継ぎ、1959年310型としてデビューしました。初めて前輪独立懸架方式が採用され、乗り心地が改善されました。初代は1963年まで製造され、1963年、フルモデルチェンジでピニンファリーナによるデザイン、フル・モノコックボディの410型となりました。しかし、このアヒルのような尻下がりのボディラインが不評を買い、販売台数でライバルコロナの先行を許しました。1967年のフルモデルチェンジで直線的なスタイルの510型に生まれ変わり、再び人気が回復しました。

Dsc02942 ダットサンブルーバード P411型
全長 3995㎜ 全幅 1490㎜ 全高 1440㎜ 重量 915kg ホイールベース 2380㎜ 水冷直列4気筒OHV1299㏄
最高出力 46kW/62PS/5000rpm

 スカイラインは初代はグロリアの派生元であり、1962年4月にはイタリア、カロッツリアデザインのスカイラインスポーツ(4つの前照灯が吊り上がった目のように配置されたモデル)などを出すなど路線がはっきりしていない感がありましたが、1963年のフルモデルチェンジで高級車路線はグロリアに譲り、1500㏄クラスの量販車となったS5型で路線が定まった感があります。このモデルからスカイラインGTが登場、さらに1966年日産との合併がありましたが、ブランド名は3代目以降も引き継がれてゆきました。

 話はだいぶ横道にそれましたが、トヨペットコロナは昨日の記事にあるように1957年初代ST/PT10型をデビューさせました。これはRS型クラウンのタクシー版として製造されたトヨペット・マスター(関東自動車工業が1955年1月から1956年11月まで生産)のタクシー業界への反版不振(クラウンの前輪独立懸架の耐久性がタクシー仕様に耐えられることがわかり、従来のリーフリジットアクスルを採用したマスターの乗り心地の悪さと操縦安定性の低さによる)でマスターへの設備投資が無駄にならないようにと関東自動車工業の生産技術を維持するため、マスターのボディパネルやウインドウガラスを流用して製造されたものでした。基本的には2代目T20型が登場するまでのつなぎ的存在でしたが、関東自動車が以前から研究していたモノコックボディが初採用された量産乗用車となりました。
 2代目コロナT20/T30型はダットサンセダン、310型ブルーバードに対抗する車としてトヨタが総力を挙げたモデルでした。設計上の最大の特徴は1枚リーフとコイルバネによるカンチレバー式(レコードの針の機構)リアサスペンションでしたが、当時の日本はまだ未舗装道路が多くタクシーとして酷使されると強度不足が露呈しました。またピラーが細かった点もボディのスマートさよりも耐久性の面でタクシー業界からは不評を買いました。この時点ではブルバードの優位は揺るがず、トヨタは業界2位に甘んじていました。
 1964年9月、これまでの教訓を生かして海外市場でも通用する高性能、高品質の車として開発したのが3代目T40/T50型でした。エンジンは2R型1490㏄、70HPを搭載、中型車並みの乗り心地とするためボディサイズは全長、全幅で60㎜、室内幅で40㎜拡大し、フロントノーズはアローラインとしました。開通間もない名神高速道路で10万キロ連続高速走行公開テストが実施され、58日間で10万キロを完全走破、高速性能と耐久性がアピールされました、その効果もあり、人気が急上昇、ダットサン・ブルーバードの販売台数を1965年1月初めて抜き、国内販売台数1位を獲得しました。同年末には1位の座を盤石なものとし、1968年カローラに抜かれるまでコロナの首位は続きました。

Dsc02940_20250416093501 トヨペットコロナ RT40型
全長 4110㎜ 全幅 1550㎜ 全高 1420㎜ 重量 945㎏ ホイールベース 2420㎜ 水冷直列4気筒OHV1490㏄
最高出力 52kW/70PS/5000rpm

ボディタイプは4ドアセダン、2ドア、4ドアバン、日本初の2ドアハードトップ、5ドアセダン、ピックアップトラックが揃えられました。輸出も好調で、日本車単一車種輸出台数新記録を樹立したのもT40型でした。1968年9月にはコロナマークIIも登場しました。三代目の生産台数は57万8534台でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月16日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その14 1950年代 純国産方式で誕生したトヨペットクラウンRS型

1950年代中期、太平洋戦争の終結から約10年が過ぎ、我が国においても本格的な乗用車の生産が開始されました。当時、日産はイギリスのオースチンA50ケンブリッジいすゞはイギリスのルーツ社ヒルマンミンクス日野はフランスのルノー4CVなど海外のメーカーとの技術提携を行い、海外モデルの国内生産を行っていましたが、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年に登場させたのがトヨペットクラウンRS型でした。

1953年、中村健也主査らによって開発が開始され、コンポーネント的には当時主流だったアメリカ車を手本にしながら純国産設計で開発、スタイリングは社内デザイン、車体は後部座席の乗りやすさを考慮し、観音開きドアとし、エンジンは1953年に登場したタクシー向けのトヨペット・スーパーに搭載された水冷直列4気筒OHVのR型、1453㏄、出力48PSを流用、シャシーは乗用車専用のものを開発(従来はトラックとの共通でしたが)、サスペンションは前輪はコイルスプリング、後輪は半楕円リーフスプリング方式、コラムシフト方式の3段変速(当時はリモート方式)は2,3速にシンクロナイザーが装備されました。車名は創業者の豊田喜一郎が「クラウン」に決めていましたが、喜一郎自身はこの車の製作に取り掛かった1952年3月27日に急逝しました。
尚、RS型と並行してタクシー向けに前輪をリジットリーフスプリング方式にしたトヨペット・マスター、ライトバン、ピックアップトラックのトヨペット・マスターラインも同時に生産されました。

Dsc02910_20250415091401 Dsc02909 Dsc02908_20250415091501トヨペットクラウンRS型
全長 4285㎜ 全幅 1680㎜ 全高 1525㎜ 重量 1210㎏ ホイールベース 2530㎜ 最高出力 36kW/48HP/4000rpm

1963年頃でしたか、父親が務めていた職場が当時、井荻にあった通商産業省工業技術院機械試験所で職員の慰労のために自動車クラブというのがあり、休日に所の車を借りることが出来ました。その時の車がこのクラウンRS型で車を借り出しては横浜にドライブ等に行った憶えがあります。

1958年にはマイナーチェンジをしてRS20型となり、1960年のマイナーチェンジでは小型車規格が変更となったこともあり、サイズの大型化、エンジン総排気量も1900㏄になりました。1957年にはクラウンの弟分として初代コロナST10型(1000㏄)がデビュー、1960年そのコロナがモデルチェンジして2代目PT20型となり、1500㏄モデルも追加されましたが、この1500㏄モデルはクラウンの1500㏄エンジンを引き継いだものでした。自家用車として初めて手にしたクルマがこのPT型のマイナーチェンジ版のRT20型でした。余談になりますが、このコロナの給油口は後部ナンバープレートの部分を開けると出てくる方式でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月15日 (火)

西武鉄道 40000系 8連 48153Fを撮影

西武40000系8連、2024年度3編成目となる48153Fは昨日の48152Fの1か月後の2025年3月7日に川崎車両で竣工、吹田貨物ターミナルまで
DD200-24に牽引され、さらにEF65 2092牽引で新秋津まで、そこで西武鉄道側に引き渡され、小手指基地には3月9日に到着しました。同編成は3月19日より、営業運転に投入されました。

40000-48153-250408 40000-48853-48153-250408 2025/4/8 練馬

40000-48853-250408 40000-48153-250408-3 2025/4/8 練馬高野台

40000系8連に関しては今年度に入ってからも早速、4月11日に48154Fが落成、甲種回送されています。今年度も3編成新製の予定のようで、その置き換えで池袋線で2000N系8連の活躍がみられるのも後僅かになってきたように思えます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月14日 (月)

西武鉄道 40000系 8連 48152Fを撮影

西武鉄道では2024年度2000N系8連の置き換え用として、40000系8連を3編成投入する予定でその2編成目の48152Fは2025年2月7日に川崎車両にて竣工、2月9日に小手指車両基地に甲種回送され、2月19,20日に試運転の後、2月20日、小手指発21:40発の各停池袋行きから営業運転に就きました。

40000-48152-250408 2025/4/8 中村橋

40000-48152-250408_20250413090201 2025/4/8 練馬

40000-48852-250408 2025/4/8 中村橋

40000-48852-250408_20250413090301   2025/4/8 練馬

同編成は先に登場した48151Fと同様に地下鉄線乗り入れ用の保安装置類の搭載はなく地上線専用となっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月11日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 15 JA8158

cn22711/ln559として製造、1982年4月1日に初飛行、同年6月17日にANAに引き渡されたのがJA8158でした。

16機目のSR-81として11年半、ANA国内線で活躍しましたが、1993年12月14日にANA、日本郵船、商船三井、川崎汽船、山下新日本汽船の5社による共同出資で1978年9月27日に発足した日本貨物航空(NCA)に転属となりました。アメリカのウイチタにて貨物機SR-81Fに改修され、エンジンもCF6-50E2に換装されました。NCAには既にJA8167、JA8168、JA8172、JA8174、JA8188、JA8191、JA8194などが導入されていましたが、JA8158はANAから転籍したNCA機として新たな職場での活躍を開始しました。ただ、出自がSRのため、航続距離が短く、東南アジア線中心の運航でした。

Ja8158-ananca-b747sr81f-cn22711-ln559-nr 撮影時期不詳 NRT 

Ja8158-ananca-b747sr81f-cn22711-ln559-99 1999/5/7 NRT

私がNRTに頻繁に通い旅客機の撮影をしていた頃にはJA8158は既にNCA機でした。


2006年1月にストア状態となり、2月に退役、2009年6月5日からギリシャのElite Airlines (アメリカのElite Airwaysとは別会社、フリートはこの機体のみ)のフリートメンバー(レジはSX-DCB)になりますが、同年9月にはストア状態に、2010年7月2日からはEK-74711のレジでアルメニアのVertir Airlinesのフリートメンバーとなり、Airbus A300, A310,A320数機と活躍しますが、2011年にストア状態となり、現在に至っているようです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月10日 (木)

西武鉄道 今も池袋線で運用に就く3代目 L-train 20104F

2025年3月31日記事で写真を紹介したように今年度から40000系Long seat固定編成40152Fが新たに4代目L-trainとしてデビューしました。

40000-40052-250408

2025/4/8 練馬高野台 4代目L-trainとなった40152F ラッピングによって40000系のイメージがすっかりなくなっています。

これまで3代目L-trainとして池袋線運用に20000系20104F、新宿線運用に20105Fが入っていましたが、3月21日に20105Fが武蔵丘車両検修場に入場、西武鉄道ニュースでは今年度もL-trainは2本体制でとのことなので、20104Fが2018年のラッピング開始時以来、久しぶりに新宿線運用に入るのかと思っていましたが、同編成は4月8日の時点では依然として池袋線運用に入っていました。

20000-20004-120814 2012/8/14 小川

初めて20104Fを撮影した時は何のキャンペインか忘れましたが、このようなHMを掲げていました。

20000-20004-160731-3 2016/7/31 上井草~上石神井間

2016年にはオリジナルスタイルに戻っていました。

20000-20104-170924

2017/9/24 井荻 20000系の場合、前面にこういった楕円形のHMを掲げることが多いように感じます。

20000-20104-180120 2018/1/20 小平 

3代目L-trainにラッピングされた直後は新宿線運用に入っていました。

20000-20004-180204_20250409082301 2018/2/4 秋津

20105Fが2本目のL-trainになると20104Fは池袋線運用になりました。

以来、5年以上の間、20104Fは池袋線、20105Fは新宿線でL-trainとして活躍してきました。

2000020004-250408 2025/4/8 中村橋

4代目が登場した後も池袋線で運用に入る20104Fですが、2本とも池袋線という状態がいつまで続くのか?

”2025年3月15日(土)より、池袋線・狭山線・新宿線・拝島線にて四代目「L-train(エルトレイン)」の運行を順次開始します。

或いは40152Fが新宿線系統にまわるのか?

(追記:2025/4/16)4月15日に武蔵丘検修場に入場していた20105Fが出場したとのニュースがありました。なんとL-trainのラッピングのままの出場とのことで、L-trainの任を解かれるのは20104Fの方かもしれないということになりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 9日 (水)

西武鉄道 川越鉄道130周年、2000N系 編成に掲げられた沿線各市のHM その3 8連版  part2

川越鉄道開業130周年記念で2000N系に掲げられたHM、今回は狭山市と川越市です。

2000n-8-2066-130-250329 2000n-8-2065-130-250329-3 2025/3/29 小平 2065Fに掲げられた狭山市デザインのHM

狭山市デザインのHMは青空と茶畑を背景に「入間航空祭」と「入間川七夕まつり」、さらに特急レッドアローが描かれています。

2000n-8-2056-130250328-3 2000n-8-2055-130250328-2 2000n-8-2055130250328-4 2025/3/28 小川 2055Fに掲げられた川越市デザインのHM

最後に川越市デザインのHMはSLの動輪をモチーフに「時の鐘」の川越の街並みが描かれています。

WEBサイトの情報によりますと、これら6種類のHMは2025年3月21日金曜日から2000N系各編成に掲出され、今年8月31日日曜日までの予定で運行されるようです。これに先立ち、3月11日火曜日には南入曽車両基地にて「ヘッドマーク完成お披露目式」が西武鉄道と関係自治体で開催されたようです。

車両的には2000N系の廃車が進んでいる現在、今回HM掲出に選ばれた編成は8月末までは現役で走ることが確定している編成なのでしょう。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 8日 (火)

西武鉄道 川越鉄道130周年、2000N系 編成に掲げられた沿線各市のHM その2 8連版  part1

川越鉄道130周年記念のHMは2000N系6連、2編成(2047F,2049F)と8連4本(2055F,2065F,2079F,2085F)に掲出されており、6連、8連の乗り入れの関係から国分寺市、小平市デザインのHMは6連に、東村山市、所沢市、狭山市、川越市デザインのHMは8連に掲出されています。

今回は8連、2編成の写真を紹介します。

2000n-8-2086-130-2503292000n-8-2086-130-250329-3 2000n-8-2085-130-250329 2025/3/29 西武柳沢 東村山市デザインのHMを掲出した2085F

このHMは東村山市のシンボル「ハクセキレイ、つつじ、市果樹園の果物、けやき」を描いたものです。

2000n-8-2079-130-250329

2000n-8-2079-130-250329-2

2000n-8-2080-130-2503292025/3/29 小平 所沢市デザインのHMを掲出した2079F

このHMは作者によると所沢航空記念公園の一面に広がる芝生と、澄んだ青空を水色と緑で表現し、川沿いの桜並木やところざわサクラタウンをイメージして桜の花びらを入れたとのことです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 7日 (月)

西武鉄道 川越鉄道130周年、2000N系 編成に掲げられた沿線各市のHM その1 6連版

西武国分寺線(国分寺~東村山間)と西武新宿線(東村山~本川越間)の前身にあたる川越鉄道が全線開業したのが1895年3月21日、今年はそれから130年に当たるため、西武鉄道ではそれを記念して、沿線自治体とタイアップして2000N系6編成に沿線自治体市民が作製したHMを掲出して走らせています。

国分寺線、拝島線で6両単独で、時には2連、4連との併結で新宿線を走る6連の2049Fには起点駅の国分寺市民がデザインしたHMが、鷹の台、小川駅が立地する小平市民がデザインしたHMは2047Fに掲げられています。

2000n-6-2049-130250328-2 2000n-6-2049-130250328-3 2000n-6-2050-130250328 2025/3/28 小川 国分寺市デザインのHMを掲げた2049F

国分寺市のHMデザインは2024年12月1日から22日までの間に募集され、30件の応募があり、同年12月27日から2025年1月15日までの間に市民投票が行われ、最も多く得票した作品が選ばれました。

2000n-6-2048-130-250331-5 2000n-6-2047-130-250331-2 2000n-6-2047-130-250331-3 2025/3/31 小川 小平市デザインのHMを掲げた2047F

小平市のHMデザインは147作品の応募の中から選考審査を経て、小平市第三小学校3年の生徒さんの作品が選ばれました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム


最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 4日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 14 JA8157

cn22710/ln544として製造、1981年10月15日に初飛行、1981年12月17日にANAに引き渡されたのがJA8157でした。導入当初は他のSR-81と同様にGE CF6-45A2エンジンが搭載されていましたが、1984年に改修を受け、エンジンは出力が約1割増しの-50E2エンジンに換装、燃料タンクも増設され、最大離陸重量がアップされました。言わずと知れた国際線チャーター便仕様のための改修で、コンフィグレーションもそれまでのS20,Y516から、464席仕様となり、成田~シドニー線開設後はF16,C/38,Y326になりました。国際線仕様のため、機体側面には「全日空」のほか「All Nippon Airways」の英文タイトルも入りました。キャビン内部でも座席のほか、ギャレーの大型化、ラバトリーの増設、オーバーヘッドストウェージの大型化、クラス分けパーティションの追加などが行われました。

Ja8157-ana-b747sr81-cn22710-ln544-010819 2001/8/19 HND
専ら、NRTで見かけたJA8157でしたが、今世紀に入ってからはHNDでも見かけるようになりました。

Ja8157-ana-b747sr81-cn22710-ln544-960429 1996/4/29 NRT RWY16エンド

Ja8157-ana-b747sr81-cn22710-ln544-961116 1996/11/16 NRT RWY34エンド

最大離陸重量の増加により、航続距離が伸び、日本からヨーロッパへのノンストップフライトも可能となりました。

SR-81として最後まで残った機体で2006年3月10日、羽田~鹿児島~羽田の便でラストフライトセレモニーが行われました。退役後はN288BAのレジに変更となりましたが、再就職することはなく解体されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 3日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その13 1950年代初頭、 トヨタの小型車部門への進出 トヨペット・SA型

トヨタ自動車工業が初めて製作した市販乗用車は1936年AA型で直列6気筒エンジンはシボレーのコピー、シャーシ、ボディはクライスラーの「デソート・エアフロー」の模倣でした。3000㏄級のエンジンは当時の日本では大きすぎ、一方、ダットサンとして製作されていた750㏄クラスの小型車は小さすぎてゆとりがほとんどありませんでした。そこでトヨタはAA型よりもひと回り小さなクラスとして1939年に2.2リッター水冷直列4気筒OHVの「C型」エンジン搭載の中型試作車「AE型」(後の新日本号)を完成させましたが、時代は戦争に向かう時期で開発は頓挫してしまいました。

第二次世界大戦の終了後、進駐軍は日本の乗用車メーカーに乗用車の生産を許可しませんでしたが、トヨタでは1945年8月末に将来、乗用車の生産が解禁されることを見越して、開発計画がスタート、その頃、日本の街路を走っていたアメリカ車に比べれば小さいながら、欧州車風のハイメカニズムを導入し、当時の物資不足の中で生産が可能な試作車が1947年1月に完成しました。一方、乗用車生産に関しては自動車メーカーの運動の結果、1947年6月にはGHQが年間300台の生産許可が下りました。それを受けて、1947年8月、新開発のSA型乗用車、さらに同一のエンジンを用いた「SB型トラック」が同年10月、トヨタにとって初の小型自動車として発表されました。

Dsc02849_20250402095201 トヨペットSA型
全長3800㎜、全幅1590㎜、全高1530㎜、ホイールベース2400㎜、水冷直列4気筒SV 995㏄エンジン 最高出力20kW/27HP/4000rpm

鋼板バックボーンフレームを採用しました。この方式は1900年代初頭にフランスのアメデ-・ボレー・ペールが考案したもので、チェコスロバキアのタトラ、ドイツのメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲンなどヨーロッパのメーカーが採用していました。4輪独立懸架方式も日本製乗用車では初めてでした。前輪はコイルスプリングによるダブルウイッシュボーン、後輪はリーフスプリングで吊られたスイングアクスルでした。

戦後の混乱期であり、性能の良い工作機械や資材が不足していた時代であったため、SA型の品質を一定に保つことが難しく、故障が多く、破損も頻発したこと、1000㏄S型エンジンが非力であったことから、最高速度が87km/hに留まったこと、まだ当時の日本は道路が整備されておらず、都市部でも未舗装の悪路が多く、複雑な4輪独立懸架機構は故障や破損が多発したこと、タクシー向けではなくオーナードライバー向けであったため、まだ販路が確立されていなかったこと等により。1947年から1952年までに215台が生産されるに留まり、ビジネスとしては失敗に終わりました。しかし、SA型を世に出したことは先進技術の試行、スタイリングの研鑽など、トヨタの自動車開発にはおおきな示唆を与え、後の発展の礎になったクルマでした。

ちなみに「トヨペット」という愛称はSA型乗用車、SB型トラックを売り出す際に公募で決まった「トヨタの愛車」を意味する言葉で、1949年には商標登録もされています。その後、「ダットサン」と並んで日本車の代表的車名として長く親しまれることになりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 2日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その12 1950年代初頭、スウェーデン・サーブ社初の市販乗用車 サーブ・92

SAAB、サーブ社といえば我が国の航空会社でも導入実績のある航空機メーカーでサーブ340サーブ2000シリーズが有名でしたが、同社が得意とした民間旅客機部門もエンブラエル社やボンバルディア社などとの競争に敗れ、1999年に廃止されました。

元々はスウェーデン軍向けの航空機製造を目的に1937年に設立された航空機・軍需品メーカーです。社名はSvenska Aeroplan AB(スウェーデンの航空機会社)でそれを略してSAABとしています。創業以来、軍用機を生産していましたが、大戦後、自社製品の多様化から1946年に自動車製造に進出、サーブ・スカニアと名乗ったこともありました。最初に世に送り出したのがサーブ・92でした。ドイツのDKWに範を取った水冷2サイクル2気筒764ccのエンジンを横向きにレイアウトし、25馬力ながら、空力特性に優れた車体により、最高速度は105km/hに達しました。初期のサーブ・92はすべて濃いグリーンに塗られていましたが、その理由は第二次世界大戦向けに生産した戦闘機用の塗料が大量に余っていたためと言われています。1956年末ごろまでに20,128台が製造されました。


Dsc02851_20250401074501 サーブ・92
全長3950㎜、全幅1620㎜、全高1450㎜、ホイールベース2470㎜ 

SAABの自動車製造部門は1989年からGMの出資を受け、単独会社サーブ・オートモービルとなり、2000年には完全子会社になりました。2009年2月20日、経営悪化で会社更生手続きに入り、2010年、オランダのスパイカー・カーズに売却、その後も経営危機が続き、2016年、サーブブランドは消滅しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム


最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2025年4月 1日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その11 1950年代初頭、世界屈指のベストセラーカー シトロエン2CV

フランスの自動車メーカーと言えば、世界最古のプジョー、シトロエン、ルノーなどが思い浮かびますが、シトロエンは第一次世界大戦が終結した1919年にダブルヘリカルギアと大砲用の砲弾製造で財を成したアンドレ・シトロエンAndré-Gustave Citroën :1878~1935)がヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、フランス版フォードとなるべく設立した企業です。
Photo_20250331140001
シトロエン社の社章

アンドレが経営者としてスタートするきっかけとなったシェブロン・ギア(やまば歯車)を社章にしています。
フォードと同じく、流れ作業方式による小型車、中型車の生産で成功を収めますが、アンドレのワンマン経営による過剰投資がたたり、1934年に経営危機に陥りタイヤメーカーのミシュランの系列会社になりました。第二次大戦後の1948年、前輪駆動方式の2CV(deux chevaux)を発表、簡潔軽量な構造で高い操縦安定性、居住性、経済性を両立させた名車でフランスの「国民車」として普及、西ヨーロッパ諸国で大人気の車となりました。ただ、発表した直後はその奇妙なスタイルから嘲笑を浴び「醜いアヒルの子」と揶揄されました。しかし、合理的な設計で乗り心地も優れていること、市場ニーズに合致していたことなどから1948年から1990年まで大きなモデルチェンジなしに生産され世界屈指のベストセラーカー、ロングセラーカーとなりました、

Dsc02917_20250331145101 シトロエン 2CV

全長3780㎜、全幅1480㎜、全高1600㎜、重量498㎏、ホイールベース2370㎜、空冷水平対向2気筒OHV375㏄エンジン、最高出力7kW/9HP/3500rpm

2CVの発表後、イタリアのフィアットマセラッティなどと連携しますが、1970年代再び経営危機に陥り、1976年からプジョーに主導される形で企業グループPSA・プジョー・シトロエンの傘下となり、プラットホーム、エンジンはプジョー車と共通化するようになりました。

創業以来、先進技術の導入、製品生かすことに関しては積極的で「10年進んだ車を20年間作り続ける」と形容されました。1919年に発売されたタイプAはフォードに倣ったヨーロッパ最初の大量生産方式によるモデルで2年間に24,000台以上が生産されました。1922年に発売された2人乗りタイプC(5CV)は543㎏・856ccエンジンと3速MTの組み合わせで60km/hの最高速度と3900FFという低価格を実現し、イギリスのオースチン7と並び、量産小型車の嚆矢となりました。1925年に発表のB12はオール鋼製ボディに4輪ブレーキ装備車でした。1933年には前輪駆動、モノコックボディ、トーションバースプリングなどを採用した7CVが発売されました。

Dsc02936_20250331145201 シトロエン DS19
全長4788㎜、全幅1798㎜、全高1445㎜、重量1184㎏、ホイールベース3126㎜
水冷直列4気筒OHV1911㏄エンジン 最高出力 56kW/75HP/4500rpm

1955年、こちらもシトロエンのユニークなスタイルで有名なDS「Désirée Spéciale(特別な憧れ)が発表となり、先進的な空力デザイン、油圧動力による「ハイドロニューマチック・システム」で1975年までの20年間に145万5000台生産されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2025年3月 | トップページ | 2025年5月 »

カテゴリー

2026年1月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村