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2025年4月21日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その16 1955年代後半からの国民車構想で登場した軽自動車

第二次世界大戦の終結から10年が経過した1955年、通商産業省が国内の自動車需要を喚起するため「国民車育成要綱案:国民車構想」を打ち出しました。それにこたえる形で国内自動車メーカー各社が国民車の試案を検討しました。通商産業省の国民車構想の要件は

・最高速度100 km/h以上であること。
・乗車定員4名、または2名と100 kg以上の貨物が積めること。
・60 km/hで平坦な道路を走行中の燃費が、30 km/L以上であること。
・大がかりな修理をしなくても、10万 km以上走れること。
・月産2,000台の場合、最終販売価格は1台25万円以下であること。
・性能と価格から勘案されるエンジンの排気量は350 - 500 cc、車重は400 kg以下。  でした。

大学教授と自動車好きの若手官僚が立案したこの企画、当時の主要自動車メーカー側も検討はしましたが、当初は技術面、コスト面から実現は困難との回答が日本自動車工業会(自工会)の統一見解として出されました。

1909年、静岡で自動織機の製造を始め、1930年代に自動車産業に進出、イギリスのオースチン・セブンを手本に研究に着手、太平洋戦争の戦火拡大で中断に追い込まれるものの、1954年からは本格的小型オートバイを発売、バイクメーカーとして地歩を固め、4輪車開発も始めた鈴木自動車工業1955年に発売したのがスズキ・スズライトSLでした。ヨーロッパの小型車ロイトを参考に2ストロークエンジンとFF駆動方式を採用した我が国の軽自動車のパイオニアでした。

航空機メーカーだった中島飛行機は戦後、富士重工業としてこの構想にこたえる意味で開発したのが「スバル360」でした。モノコック構造のボディ、コイルスプリングではなくトーションバー(捩り棒バネ)を使用したサスペンション、空冷リアエンジンなどのユニークな機構により、軽自動車とは思えない広い室内空間と快適な乗り心地を実現しました。1958年から1970年までに約39万2000台が製造されました。ナチス・ドイツの国民車構想で誕生したフォルクスワーゲンタイプ1(KdF-Wagen)の愛称(ビートル)との対比から「てんとう虫」として親しまれました。

Dsc02931 スバル360 K111型
全長 2990㎜ 全幅 1300㎜ 全高 1380㎜ 重量 385㎏ ホイールベース 1800㎜ エンジン 空冷直列2気筒2サイクル356㏄
最高主力 12kW/16HP/4500rpm 

新三菱重工(現、三菱自動車工業)の国民車構想への解答は1959年秋のモーターショーで発表された三菱・500でした。新三菱重工業にとっては3番目に製作した乗用車で1番目はA型リムジン(フィアット・ゼロのコピー)、2番目はヘンリー(カイザー・フレイザーのノックダウン生産)でした。戦時中は零銭の製造など軍用機を製造していた名古屋製作所が戦後、GHQの指令により民需に転換し、自動車の生産を始め、ジープのノックダウン生産に続き、手がけたのが三菱・500でした。スバル360と同様に空冷リアエンジンでサスペンションは前後ともトレーリングアームとコイルバネの組み合わせでした。販売は芳しくなく、1962年コルト600にビッグマイナーチェンジしました。生産台数は1万3289台でした。

Dsc02932 三菱500 A11型
全長 3160㎜ 全幅 1390㎜ 全高 1380㎜ 重量 530㎏ ホイールベース 2065㎜ 空冷直列2気筒OHV 594㏄
最高出力 18kW/25PS/4800rpm

東洋工業(現、マツダ)が1960年に世に出したのがR360クーペでした。東洋工業初の4輪車で後にロータリー・エンジンの実用化に成功した山本健一がリーダーとして開発したクルマで日本車で初めてクーペと名乗ったクルマでもありました。軽量化のためアルミニウム合金、マグネシウム合金、プラスティックなどの軽量素材が多用されました。価格はスバル360の42.5万に対して30万に設定され発売当初は人気を得ましたが、後部座席が狭く実質2人乗りであったため、1962年に発表された4座席軽乗用車「キャロル」に主役の座を譲りました。当時まだマイナーだった2速AT車があったのも特徴的でした。

Dsc02950_20250420093701 マツダ キャロル KPDA型
全長 2990㎜ 全幅 1295㎜ 全高 1320㎜ 重量 540㎏ ホイールベース 1930㎜ 水冷直列4気筒OHV 358㏄
最高出力 15kW/20PS/7000rpm

スズキ、スバル、三菱、マツダなどが世に出した軽自動車に対してトヨタが出した国民車構想への最初の答えはトヨタ・パブリカUP1でした。パブリカはこれまでの軽自動車に比べると1ランク上の小型車ですが1961年6月に発売、価格は38.9万円でした。これは装備を極めて簡素に省略した結果でラジオ、ヒーター、燃料計、サイドミラーすらありませんでした。そのため販売は低迷しました。1963年にはデラックス仕様が登場、1966年には大規模なマイナーチェンジが行われ、スターレットに受け継がれる形で1988年3月に27年の歴史に幕を下ろしました。

Dsc02935_20250420093801 パブリカ UP10型
全長 3520㎜ 全幅 1415㎜ 全高 1380㎜ 重量 580㎏ ホイールベース 2130㎜ 空冷水平対向2気筒OHV 697㏄
最高主力 21kW/28PS/4300rpm

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