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2025年9月30日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その17 新潟支社内で活躍するローカル列車 電車編 E129系 part1 2連A編成

新潟地区のローカル電車と言えば、111系が投入されるまえに横須賀線で活躍していた旧国や京阪神緩行線で活躍していた旧国が1978年夏まで活躍していました。その後、1976年秋に首都圏に115系300番台が投入されることで流れてきた115系0番台、さらに1977年以降、新潟地区に直接投入された115系1000番台に時代が続きました。1995年にはJR東日本がE127系0番台を12編成投入しましたが、それらも2015年3月の北陸新幹線金沢延伸で信越本線の妙高高原駅 - 直江津駅間が第三セクター鉄道化されえちごトキめき鉄道になる際に同鉄道に10編成、南武支線のE205系1000番台の置き換えに2編成が転用されました。車齢50年を超えた115系の置き換えとE127系の抜けた分を補完するために開発、投入されたのがE129系でした。

E129系は100番台A編成2連34本と0番台B編成4連27本の計176両が2014年から2022年にかけ、総合車両所新津事業所にて2014年から2022年にかけ製造されました。運用開始は2014年12月6日からでした。いわゆるSustinaブランドのsustinaS23シリーズに属する車両でE233系をベースに設計されています。

主要諸元

最高運転速度 110 km/h (JR発表の資料では100 km/h)
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s
減速度 3.6 km/h/s
編成定員 581名(4両編成) 273名(2両編成)
車両定員
140名(クモハE129)
133名(クモハE128)
154名(モハE129・モハE128)

全長 20,000 mm
車体長 19,500 mm 19,570 mm(先頭車両)
全幅 2,966 mm
車体幅 2,950 mm
車体高 3,620 mm
車体 軽量ステンレス(sustina)
台車 軸梁式ボルスタレス台車 動力台車:DT71C, DT71D 付随台車:TR255D, TR255E
主電動機 かご形三相誘導電動機 (MT75B)
主電動機出力 140 kW
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 97:16(6.06)
編成出力 2両編成:140kW×4 = 560kW 4両編成:140kW×8 = 1120kW
制御方式 IGBT素子VVVFインバータ制御
制御装置 東洋電機製造 SC102(1C2M)
制動装置 電気指令式(直通予備・発電・回生〔純電気式〕・抑速・耐雪ブレーキ付き)
保安装置 ATS-P・ATS-Ps 列車防護無線装置 EB・TE装置

E129a
E129系 2連 A編成 編成表

車体は20m3扉で軽量オールステンレス製、客室扉の下部にレールヒータや機器ヒータが装備され耐寒耐雪構造となっています。制御装置はIGBT素子による1電動台車2基の電動機を制御する1C2M構成のVVVFインバータが搭載されています。

E129100-a25-1721m-240818_202509290957012024/8/18 E129系 A25編成 運転台

E129100-a25-1721m-240818_20250929095801同編成 クロスシート部

E129100-a25-1721m-240818-5同編成 ロングシート部

E129100-a7-240818-32024/8/18 新潟 E129系 A7編成 霜切パンタグラフ非搭載

E129100-a15-2408182024/8/18 長岡 E129系 A15編成 霜切パンタグラフ非搭載

E129100-a24-240818-22024/8/18 新潟 E129系 A24編成 霜切パンタグラフ搭載

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2025年9月29日 (月)

2024年夏の新潟旅行 その16 新潟駅に発着する列車 特急編 4 「北越」を引き継いだ「しらゆき」E653系 上沼垂色

2024年は1904年5月3日の北越鉄道新潟駅開業から120年、1924年7月31日の村上駅 - 鼠ケ関駅間 (41.6km) の開業で羽越本線が全線開業して100年にあたる年であったため、H-200番台編成のうちの1本、H-202編成がかつて485系に採用された「上沼垂色」に塗色変更されることとなり、2024年4月21日より、「しらゆき」、「いなほ」での営業運転に投入されました。

「上沼垂」塗装に変更されたH-202編成には3度、遭遇する機会がありました。

E6531100-h202-6-240818-10 E6531100-h202-6-240818-152024/8/18 東三条
最初は東三条駅で「しらゆき6号」として運行されている場面でした。

E6531100-h202-240819 E6531100-h202-240819-22024/8/19 越後石山 「しらゆき1号」
二度目は東新潟から越後石山駅まで歩いた際に越後石山駅付近で遭遇しました。

E6531100-h202-240819-42024/8/19 新潟
「しらゆき1号」として到着した編成は一旦、越後線白山駅方の電留線に入線し、「しらゆき4号」の運用に入るようです。

E6531100-h202-240819-9 E6531100-h202-240819-112024/8/19 新潟
上越新幹線乗り換え改札口のある5番線ホームに入線、出発する「しらゆき4号」

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2025年9月26日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D グアム線に投入されることもなく国内線一筋で活躍した JA8959

cn25646/ln952として製造、1992年12月8日に初飛行、1993年1月11日にANAに引き渡されたのがJA8959でした。この機体はJA8956と同様に終生、国内線仕様として活躍し、グアム線などに就航することもありませんでした。

Ja8969-ana-b747481d-cn25646-lln952-961011996/10/19 HND

Ja8969-ana-b747481d-cn25646-lln952-960811996/8/16 HND

Ja8969-ana-b747481d-cn25646-lln952-000912000/9/10 HND

Ja8959-boeing-747481d-25646-952-020825-h2002/8/25 HND

Ja8959-boeing-747481d-25646-952-020825-c2002/8/25 CTS

2012年10月、退役となり、2013年には解体されました。

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2025年9月25日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その15 新潟駅に発着する列車 特急編 4 「北越」を引き継いだ「しらゆき」E653系 標準塗装

2015年3月の北陸新幹線の金沢延伸で特急「北越」は45年の歴史を閉じ、同区間を走る特急は「しらゆき」となりました。車両は常磐線特急「フレッシュひたち」から転用されたE653系1100番台となりました。

改造は付属編成だったK351~K353編成と基本編成のK308編成から中間車3両を抜いた4両が種車となり、1000番台と同様の耐寒耐雪構造の強化などが行われました。車体色はアイボリー基調に上部・下部へ紫紺とした上で朱赤のストライプを配置したものとなり、シートモケットは新幹線E7系・W7系電車に合わせたタイプへ変更され、クハE652形に車椅子スペースが設置され、クハE652-108からクハE652-1104への改造に際してはCPと蓄電池が撤去されました。

なお、1100番台4連は特急「しらゆき」の他、新潟~酒田間の「いなほ」、普通「おかえり上越」(新井~直江津)間にも使用されています。

E653-h201-240818-62024/8/18 新潟 H-201編成

E6531100-h203-240820E6531100-h203-240820-3 E6531100-h203-240820-42024/8/20 直江津 H-203編成

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2025年9月24日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その14 新潟駅に発着する列車 特急編 3 「北越」 485/489系の時代 

新井駅・上越妙高駅~新潟駅間を結ぶ特急「しらゆき」の前身となった特急が1969年10月に大阪駅~新潟駅間の臨時特急として運転を開始した「北越」でした。1970年3月には定期列車に格上げされ、1975年3月からは湖西線経由となりました。

489-4891489-489501-21975/3/6 大阪 9番線ホームで出発を待つ北越1号 先頭はクハ489-1、最後尾はクハ489-501

485-481100-751102-2
485-481100-7511021975/11/3 柏崎 両端はクハ481-100番台の北越2号 新潟行

485-481253-21976年 京都 この頃、大ムコには1両しかいなかったクハ481‐253を先頭にした「北越」

485-481300_202509230921011977年 芦原温泉 クハ481‐300番台を最後尾にした「北越」

1978年10月には大阪駅発着の特急を「雷鳥」にまとめたため、金沢駅~新潟駅間の1往復になりましたが、1982年11月の上越新幹線開業で3往復に増発、1985年3月には「福井白鳥」が福井駅~新潟駅間に短縮され「北越」に組み込まれ、さらに1往復増発され5往復になりました。1988年3月には金沢駅~長岡駅間に「かがやき」2往復が運転開始、その後、「かがやき」も増発され、5往復にまで増えますが、1997年3月、北越急行ほくほく線の開業で越後湯沢駅~金沢駅間の「はくたか」運転開始で「かがやき」は廃止、「北越」は金沢駅~新潟駅間の5往復となりました。

4853000-r21-110528-22011/5/28 高岡 485系3000番台 R21編成 「北越」

485-t12-130808-52013/8/8 新潟 485系T12編成 「北越」

2015年3月14日、北陸新幹線長野駅~金沢駅間延伸開業で特急「はくたか」「北越」は廃止となり、「北越」の代替として上越妙高駅~直江津駅~新潟駅間に特急「しらゆき」5往復が新設され、今日に至ります。

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2025年9月23日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その13 新潟駅に発着する列車 特急編 2 「いなほ」 E653系の時代 part2 瑠璃色塗装 とハマナス色塗装

2017年10月13日、JR東日本新潟支社はE653系1000番台「いなほ」一部編成のエクステリアデザインの変更をプレス発表しました(情報)。

これによると定期検査入場の際にU-106編成が「海」の色を表現した瑠璃色に、U-107編成は羽越本線の海岸線に自生する「ハマナス」の花の色にするというもので、U-106編成は10月中旬に出場、U-107編成は12月中旬に出場とのことでした。

E6531000-u106-240819-7 E6531000-u106-240818-3 E6531000-u106-240818-22024/8/18 新潟 「瑠璃色」のU-106編成

E6531000-u107-240819-9 E6531000-u107-240819-16 E6531000-u107-240819-14 E6531000-u107-240819-202024/8/19 新潟 「ハマナス」色のU-107編成

「瑠璃色」のU-106編成は2017年10月27日より、営業運転に投入、「ハマナス色」のU-107編成は2017年12月29日より営業運転に投入されました。早いものでこの秋から冬にかけて8年の年月が過ぎ、次の定期検査入場の時期になるかと思いますが、果たしてこれらの塗装はどうなるのでしょうか?

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2025年9月22日 (月)

2024年夏の新潟旅行 その12 新潟駅に発着する列車 特急編 2 「いなほ」 E653系の時代 part1 基本塗装

2013年9月28日のダイヤ改正で特急「いなほ」7・8号にE653系1000番台が投入され、翌2014年3月15日の改正では4往復が置き換えられ、7月12日には全列車がE653系1000番台となり、定期列車485系「いなほ」の時代は終わりました。

それまで常磐線特急「フレッシュひたち」に投入されていたE653系が新潟・秋田支社管内の特急に充当されるにあたり、耐寒耐雪構造の強化といった改造が施され、7連は1000番台、4連は1100番台となりました。

E6531000-u101-240819
E6531000-u101-240819-10


E6531000-u101-240819-122024/8/19 新潟 
新潟駅に到着し、折り返し出発するE653系1000番台 U-101編成
秋田より先頭車は1000番台改造で登場したクロE652-1001

E6531000-u101-170702-2 E6531000-u101-170702-62017/7/2 秋田
秋田に到着し、折り返すU-101編成

4連については後日、「しらゆき」の記事で触れますが、車体全般ではスカートを強化タイプに換装、スノープラウ・着雪防止装置を装着、ワイパーの停止位置を縦に変更しました。台車関係では上部ふさぎ板・空気ばねカバー・高さ調整棒保護材を装着し、軸箱を軸箱体と輪軸支えが一体のものに変更されました。電動車の制輪子は焼結型へ変更され、主要機器へ防雪カバーが設置されました。車端部には着雪防止ふさぎ板が設置され、客室暖房も強化されました。常磐線では併結運転がありましたが、今後はないと見込まれるため、電気連結器は撤去されました。
車体塗装は日本海に沈む夕日と稲穂をイメージしたカラーリングに変更され、普通車シートモケットを「小千谷ちぢみ」へ変更しました。
常磐線ではオール普通車でしたが、1号車クハE652はグリーン車となり、クロE652が新設されました。ただ、K301からK307までの7編成はそのままU-101からU-107となりましたが、U-108編成はK354編成にK308編成の中間車を組み込む改造となったため、クハE652にCPとBATTが搭載され、クロE652となりました。U-108編成改造においてK308編成とK354編成の中間車をスワップされた理由は以前にも触れましたが、K354編成の製造時期が他の編成より遅い2005年2月27日竣工(他は1998年以前)であり、交通バリアフリー法の下では単独運行ができないことになるため、K308とK354の一部を入れ替えることでこの規制の対象から外すためでした。

E6531000-u103-2408192024/8/19 東新潟~新潟間
白新線から信越本線に合流するU-103編成

E6531000-u104-240819-edit2024/8/19 越後石山~新潟間 U-104編成

E6531000-u108-160305-102016/3/5 勝田車両センター
勝田車両センター公開の際に新潟から勝田まで回送され展示されたU-108編成
当時は正面の発光装置は空白でした。この公開後から、「いなほ」のイラスト付きHMが入るようになりました。U-108編成は2018年11月7日に勝田に転属、K70編成になりました。

U-101編成は2013年6月29日に転用改造が終了し、2015年3月までには72両すべての改造が終了しました。2014年7月にはU-101からU-108編成が「いなほ」運用に入りましたが、2018年3月18日のダイヤ改正ではU-108編成が勝田車両センターに転出し、K70編成となり、2023年8月29日にはU-102編成も勝田車両センターに転出し、K71編成となり、関東圏の臨時列車、団体専用列車に充当されています。

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2025年9月19日 (金)

ANAの国際線仕様 B747-481 JA8958

cn25641/ln928として製造、1992年7月21日、N6009Fのテストレジにて初飛行、8月11日にANAに引き渡された6機目の-481がJA8958でした。cn/ln番号的には
JA8955 25639/914, JA8956  25640/920, JA8958 25641/928, JA8957 25642/927, JA8960 25643/972, JA8961 25644/975, JA8962 25645/979, JA8959 25646/952 と綺麗に並ぶのですが、製造のln番号と登録番号はcnとそろっていないのが面白いです。

Ja8958-ana-b747481-cn25641-ln928-nrt撮影年月日不詳 NRT

Ja8958-ana-b747481-cn25641-ln928-nrt-9701997/2/21 NRT

Ja8958-ana-b747481-cn25641-ln928-nrt-9711997/10/19 NRT

Ja8958-ana-b747481-cn25641-ln928-nrt-980
1998/2/14 NRT

Ja8958-boeing-747481-25641-928-050530-nr2005/5/30 NRT

この機体は受領後、アフコに売却され、ANAがリースという形で運航されました。JALは1996年7月からサテライト技術とデータリンク技術を利用した新しい航空交通管制、航法システム FANS Future Air Navigation SystemをB747-400型に装備し、運用を開始しましたが、ANAもこのJA8958をテスト用機材として、ワシントンDC線やニューヨーク線に投入しました。さらにファーストクラスにフルフラットシートが導入されたのもこのJA8958からでした。

2011年4月に退役し、N597MSにリレジされ、-481BDSFにコンバートされました。その後、2012年7月3日からMyCargo Airlines、2020年9月10日からACT Airlines、2024年7月19日からはEmirates(運航はACT Airlines)と機齢33.2年になりますが、現役で飛び続けています。

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2025年9月18日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その11 新潟駅に発着する列車 特急編 2 「いなほ」 キハ81形から485系の時代

今も羽越本線の特急として活躍する特急「いなほ」が登場したのは1969年10月1日のダイヤ改正でした。1968年10月1日のいわゆる「ヨンサントウ」のダイヤ改正で東北本線が全線電化され我が国初の気動車特急「はつかり」として活躍したキハ81形(キハ80系)(キハ811~6, キロ801~5, キハ801~12, キサシ801~3)尾久客車区から秋田機関区に転属、キロの一部やキサシは改造を経て、各所に転属しました。秋田機関区に転属したキハ81形(キハ80系)は1年間(1968年9月9日から「つばさ」に使用、583系「はつかり」も9月9日から使用開始)、上り下り特急「つばさ」2号として活躍した後、特急「いなほ」とその間合い運用として常磐線特急「ひたち」に転用されました。編成はハハハハシロハの7連でした。

2011D「いなほ」 上野13:50‐秋田22:00
2012D「いなほ」 秋田9:25‐上野17:40           新津から羽越本線に入るため新潟は経由しませんでした。
6001D「ひたち」 上野18:10-平21:12
6002D「ひたち」 平6:45‐上野9:45      
 
「いなほ」は冬季の遅延が予測されるため「ひたち」は季節列車としてのスタートとなりました。キハ81形特急にしてみれば常磐線は特急「はつかり」時代に通いなれた道でした。1972年3月15日のダイヤ改正では9連となりました。この9連は
←上野 1号車                         9号車
キハ81‐キハ80‐キハ82‐キロ80-キシ80‐キハ80‐キハ80‐キハ80‐キハ81 といった構成で上野向きに運転台がある3号車のキハ82にはキロ80から改造された狭窓の-901,-902が連結されることもありました。                        

この時期、上野~東京間の連絡線路を使い、東京駅に発着する東北、常磐、高崎線の列車が何本かあり、

19720315

1972年3月15日改正ダイヤにおける東京駅発着 東北・常磐・高崎線方面列車

上り「ひたち」も東京駅に顔を出していました。


485-481200-edit1973/10 大宮
盛アオに新製配置されたクハ481-200番台(自動解結装置装備)を先頭に大宮駅に到着する特急「いなほ」
同クハはその後、1975年3月のダイヤ改正で門ミフに転属、長崎・佐世保特急「かもめ」「みどり」で本領を発揮しました。

485-481300-7908141979/8/14 鶴形 絵入りHMとなったクハ481-300番台を最後尾にした特急「いなほ」

485-4811500-8203281982/3/28 前山~二ツ井 北海道から戻り、盛アオに再配置されたクハ481-1500を最後尾にした特急「いなほ」

1972年10月2日のダイヤ改正で羽越本線の電化が完了し、「いなほ」には青森の485系12両編成が投入されました。さらに上野~青森間の1往復が追加され2往復体制となりました。1979年7月1日のダイヤ改正では秋田発着列車が1往復増発され、3往復体制となりました。1982年7月以降、サシ481が抜かれ11連となりました。

485-4812001983/4 上野
東北・上越新幹線の開業で上野口の特急が殆ど廃止となった状況で唯一の青森行昼行特急となった「鳥海」

485-481300-8301021983/1/2 秋田

485-481-1500-8308071983/8/7 前山~二ツ井 米代川鉄橋を行く「鳥海」 クハ481-1500番台

1982年11月15日、上越新幹線(大宮~新潟間)の開業で「いなほ」は新潟~秋田(4往復)・青森(1往復)間の特急となり、上野~青森間の特急として新潟を通らない「鳥海」が新設されました。1985年3月14日、東北・上越新幹線の上野~大宮間が開業すると「鳥海」の定期運行は廃止、寝台急行「天の川」の廃止に伴い、「いなほ」の酒田発着列車が設定され、6往復体制となりました。この頃から「いなほ」は羽越本線内、酒田発着がメインの列車となり、秋田以北は田沢湖線経由が主体となりました。485系の編成も6両編成が中心となり、1987年10月9日からは半室G車の投入も始まりました。

485-4811000-911112-edit1991/11/12 青森 6連となった「いなほ」

1993年3月18日改正 計9往復体制(村上2往復、酒田3往復、秋田3往復、青森1往復)
1995年12月1日改正 計8往復体制(酒田4往復、秋田3往復、青森1往復)
1997年3月22日改正 秋田新幹線開業 計8往復体制(酒田6往復、秋田1往復、青森1往復)
2000年2月23日 「いなほ11号」にて485系3000番台使用開始
2001年3月3日 大阪駅 - 青森駅間の特急「白鳥」が廃止 計8往復体制(酒田5往復、秋田2往復、青森1往復)
2002年12月1日 計7往復体制(酒田4往復、秋田2往復、青森1往復)
2005年12月25日 秋田発新潟行の「いなほ」14号が羽越本線の第2最上川橋梁通過直後に突風に煽られて、脱線転覆事故が発生
2010年12月4日 東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間延伸開業に伴うダイヤ改正で秋田駅 - 青森駅間を「つがる」に分離
2013年9月28日 「いなほ」1往復(7・8号)で新型車両E653系1000番台での運転開始
2014年7月12日 「いなほ」の全定期列車がE653系に統一され、485系が「いなほ」定期運用から撤退

485-t11-050323-22005/3/23 新潟 T11編成 

485-t13-1308072013/8/7 桑川 T13編成

4853000-r23-1308072013/8/7 佐々木 485系3000 R23編成

2010年代に入ると1960年代に設計された485系も老朽化、陳腐化が進み、リニューアルを経た車両も引退の時期となりました。常磐線で活躍していたE653系が後継のE657系の登場で転用となり、7連が「いなほ」に4連が「しらゆき」として活躍することになりました。

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2025年9月17日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その10 新潟駅に発着する列車 特急編 1 「白鳥」

1961年10月1日、いわゆる「サンロクトウ」の全国白紙ダイヤ改正では四国を除く北海道・本州・九州に「特急ネットワーク」が形成されることとなりました。この改正で登場した特急は

「富士」(2往復) 東京 - 神戸、宇野 20系客車
「はと」 東京 - 大阪 151系電車
「おおとり」 東京 - 名古屋 151系電車
「第2ひびき」(不定期) 東京 - 大阪(「ひびき」の増発)151系電車
「みずほ」(毎日運転の不定期列車、翌1962年10月1日に定期列車昇格) 東京 - 熊本 登場当初は一般型客車
「うずしお」 大阪 - 宇野 151系電車
「みどり」(運転開始は12月15日) 大阪 - 博多 キハ82形(80系DC)
「へいわ」 大阪 - 広島 キハ82形(80系DC)
「まつかぜ」 京都 -松江(福知山線経由)キハ82形(80系DC)
「ひばり」(不定期、運転開始は翌1962年4月27日 1963年10月1日に定期列車昇格) 上野 - 仙台 キハ82形(80系DC)
「つばさ」 上野 - 秋田 キハ82形(80系DC)
「白鳥」 大阪 - 上野・青森 キハ82形(80系DC)
「おおぞら」 函館 - 旭川 キハ82形(80系DC)  でした。
(「かもめ」 京都~長崎・佐世保 キハ82形(80系DC)は客車特急の振り替えで登場しました)。

特急「白鳥」はこの改正において大阪~青森間の通称「日本海白鳥」と大阪~上野間(信越本線経由)の通称「信越白鳥」の多層建特急としてデビューしました。列車番号は青森行が2001D、大阪行きが2002D、直江津~上野間は上野行きが4002D、大阪行きが4003Dでした。

停車駅は
日本海白鳥 大阪~京都~米原~敦賀~福井~(大聖寺)~<動橋>~金沢~高岡~富山~直江津~長岡~新津~鶴岡~酒田~秋田~大館~弘前~青森 で新潟は通りませんでした。()は大阪行きのみ、<>は青森・上野行きのみ停車
信越白鳥 直江津~長野~軽井沢∼横川~高崎~上野  でした。

編成は1~6号車の信越白鳥が尾久客車区配置のキハ82形(キハ80系)、7~12号車の日本海白鳥が向日町運転所配置のキハ82形(キハ80系)でハハハシロハ(併結時、尾久編成は逆向き)でした。食堂車は尾久編成は日本食堂上野営業所、向日町編成は日本食堂青森支店の担当でした。1963年4月20日より、信越白鳥は向日町に移管され、キハ80形1両が増結され、ハハハハシロハとなり、1963年10月1日には日本海白鳥もハハハハシロハとなりました。日本海白鳥の大阪~青森間は15時間45分でした。
1965年10月1日のダイヤ改正で信越白鳥は「はくたか」として系統分離され、「白鳥」は新津~新発田間は信越本線~白新線経由となり、新潟駅での客扱いが開始されました。
新潟駅発着時刻は
2001D 16:41/16:45 2002D 11:40/11:45 1967年10月1日改正ダイヤ
4001M 17:25/17:32 4002M 11:11/11:16 1974年12月の時刻表によると
でした。

485-4811500-7410061974/10/6 大阪 出発を待つ「白鳥」
北海道に渡る前に青森運転所に配置され「白鳥」の先頭車として使用されたクハ481-1500番台

485-481200-7511031975/11/3 柏崎~鯨波 クハ481-200を最後尾に大阪に向かう特急「白鳥」

485-4813001979/8/3 鶴形~東能代 
1978年10月2日のダイヤ改正でHMが絵入りとなったクハ481-300を最後尾にした12連の白鳥 

1972年10月2日、白新線、羽越本線の電化完成で車両は青森運転所配置の485系となり、DC,AC50/60Hzの3電源対応の威力が発揮される特急となりました。大阪~青森間の所要時間は13時間40分でした。1975年3月10日のダイヤ改正では山科~近江今津間を湖西線経由に変更し、所要時間は12時間47分となりました。この頃、鉄道ジャーナル誌で特急「白鳥」の全区間乗車ルポを読んだ記憶があります。1982年11月15日のダイヤ改正では金沢~青森間の急行「しらゆき」を発展的に解消した福井~青森間の「福井白鳥」が登場し、部分的に2往復体制となりました。しかし、この「福井白鳥」は1985年3月14日のダイヤ改正で「北越」「いなほ」に系統分離され約2年半で1往復体制に戻りました。(結局、しらゆきを廃止するための部分的値上げだったのではと感じます)。

485-481100-8705041987/5/4 鶴形
それまで盛アオの485系が使用されており、ボンネットタイプの「白鳥」は見ることが出来ませんでしたが、向日町に移管されることで100番台のボンネットタイプが見られるようになった「白鳥」

485-481102-920314-21992/3/14 大阪
JR東日本の上沼垂運転区(現、新潟車両センター)が受け持つようになり、同区に配置されたグレードアップ車を使用した「白鳥」

485-4811500-8702241987/2/24 大阪
「いしかり」に投入されたものの北海道の冬に対しては耐えられないことがわかり、盛アオに再配置され「白鳥」に再投入されたクハ481-1500番台

その後、車両の向日町移管、減車、上沼垂移管、京都移管、車販営業廃止(秋田~青森)などを経て、2001年3月3日のダイヤ改正で大阪~金沢・富山間「雷鳥」「サンダーバード」、金沢~新潟間「北越」、新潟~青森間「いなほ」と系統分離され、39年強の歴史に幕が下ろされました。

新潟駅で撮影した写真は一枚もありませんが、485系時代の日本海縦貫線特急「白鳥」の写真をアップしてみました。

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2025年9月16日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その9 SLばんえつ物語号と新津駅

新潟駅でしばらく発着する各種列車を撮影後、ホテルにチェックインし、夕刻、新津駅に到着する「ばんえつ物語」を撮影するため再び出かけました。新潟~新津間は間に越後石山、亀田、荻川、さつき野の4駅があり、営業キロは15.2km、普通列車で19分です。

2408212024/8/21 新津 駅名標
会津若松に通じる磐越西線も秋田に通じる羽越本線も最初は新津駅からの信越支線として延伸されてゆきました。

新津駅は1897年11月20日、北越鉄道が沼垂駅~東三条駅間を開通させた際に開業しました。その後、1907年には北越鉄道が国有化され、1910年には信越線支線(現在の磐越西線)が馬下(まおろし)まで開通、1912年には信越支線(現在の羽越本線)が新発田まで開通、1913年10月1日、新津機関区が設置されました。それ以来、機関区、工場、4つの操車場と新潟県下越地方の鉄道の要衝として機能し、その名を轟かせています。

広大な駅構内の北西側には新潟支社管内の気動車・機関車の基地である新津運輸区があり、駅の南西側には総合車両所・新津事業所があります。

27poster-240821高崎地区のSL列車に続くJR東日本の蒸気機関車保存運転の第二弾として1999年4月29日から始まった「SLばんえつ物語」も2024年で25周年を迎えました。2002年から2017年までは新幹線との接続を考慮し、新潟駅~会津若松駅間の運行でしたが現在は新津駅発着に戻っており、停車駅は
新津~五泉~咲花~三川~津川~日出谷∼野沢~山都~喜多方~(塩川)~会津若松となっており、往復とも走行時間は3時間を超え、津川駅と山都駅ではSLの点検、給水のため長時間停車します。
 C57180号機が12系座席車4両+展望車2両+展望グリーン車1両の計7両をけん引する編成となっています。

Sl-2408182024/8/18 レトロ調駅名標

Sl-240818_20250915092401ベンチには公式キャラクターのオコジロウとオコミの像が

Slhm-240818待合室のガラスにはHM
また跨線橋上の通路には歴代のHMが展示されていました。

C57-180-240818-4

Sl-240818-2

2024/8/18 新津
18:45定刻にC57180号機に牽引された「SLばんえつ物語」が3番線に到着しました。機関車側のHMは25周年のものでした。
なお、2013年8月の新潟駅発着時の様子はこちらに、

12-0503232005/3/23 新津
リニューアルされる前の12系客車

今年8月末で乗車人数が100万人を超えたそうです(情報はこちら)。

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2025年9月15日 (月)

2024年夏の新潟旅行 その8 開業120周年の新潟駅

2024年5月3日、新潟駅は開業120周年を迎えました。

120-240818

1904年5月3日、北越鉄道が沼垂駅から新潟駅(旧駅)まで延伸した際に新潟駅が開設されました。当時の線路は越後石山からほぼ直線的に北西方向に伸び、沼垂駅に至り、沼垂駅を出ると進路を南西方向に改め、旧新潟駅に至るものでした。

Photo_20240827095701新旧新潟駅の位置

太平洋戦争が終わり、大陸からなどの引揚者や東京、大阪などからの買い出し者などで駅の利用者が増加し、駅は常に人であふれている状況となり、沼垂から市街地を大きく迂回して新潟駅に至る線形の悪さ、越後線の終点は信濃川対岸の白山駅となっているものの、関屋から上沼垂間には貨物線があり、旧新潟駅のすぐ南を通過していることから、新潟駅を貨物線上に移転し、信越本線と越後線、さらに白新線を新駅で統合することになりました。1956年1月10日に着工、1958年4月29日に駅舎(旧駅時代から数えて3代目)が完成しました。しかしこの駅舎は1961年には火災に見舞われ、1964年6月16日には新潟地震でによる倒壊、津波による冠水被害を受けています。

上越新幹線は高架駅として建設されましたが、在来線は地上駅として長らく残されたため、駅周辺は鉄道線路を境に南北に分断され、渋滞や狭さに起因する問題が発生していました。新潟県、新潟市は1992年からこの問題を解決するための調査を開始、1994年からは在来線の連続立体交差化の目指しての本格的調査に移行しました。2003年に新潟駅連続立体交差事業、駅周辺整備事業が発表され、2006年に都市計画決定、国土交通省の認可を得て、2007年に工事が始まりました。

130807

130807_20250914080001

2013/8/7 地上駅時代の新潟駅駅舎と駅前広場

12-130808

2013/8/8 地上駅時代の1.2番線

34-130808 2013/8/8 地上駅時代の3.4番線

89-130807 2013/8/7 地上駅時代の8.9番線 第2期工事における仮設ホーム

130807_202509140739012013/8/7 当時の工事の様子 奥が新幹線、手前が在来線

2007年から2009年の第1期工事では南口側の整備が行われ、ペデストリアンデッキが供用開始となり、駅ビル、駅舎の整備が行われました。

2009年から2021年の第2期工事では在来線の連続立体交差化が実施され、ホームは3階に移設されました。

240818_202509140716012024/8/18 対面乗り換え方式の改札口 手前が在来線5番線ホーム(特急いなほなどが発着)、改札の向こう側が新幹線10番線

2021年以降の第3期工事では駅舎の全面改修、南北バスターミナルを駅舎東側の高架下に設ける交通広場に一元化などが行われました。

2408192024/8/19 鉄道線路の高架下に南北を貫く形で設置されたバスターミナル

240819_202509140803012024/8/19 万代口

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2025年9月12日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D JA8957 国内線仕様から国際線仕様に、そして再び国内線へ

cn25642/ln927として製造、1992年7月1日に初飛行、7月15日にANAに引き渡されたのがJA8957でした。

Ja8957-ana-b747481d-cn25642-ln927-9608161996/8/16 HND

Ja8957-ana-b747481d-cn25642-ln927-9610191996/10/19 HND
最初の国内線仕様時代

Ja8957-ana-b747481-cn25642-ln927-nrt撮影年月日不詳 NRT

Ja8957-ana-b747481-cn25642-ln927-971019-1997/10/19 NRT
国際線仕様にコンバート

この機体はJA8955と同じように国際線仕様コンバート、さらに国内線にカムバックを経験した機体です。1997年1月にSATCOMの装備、コンフィグレーションの変更やウイングレット装着など主翼の改修を行い、国際線専用機材に変身、欧州線、東南アジア線に就航しました。2001年、アメリカ同時多発テロによる航空需要の落ち込みで、再び国内線専用機材となりました。

Ja8957-boeing-747481d-25642-927-030919-h2003/9/19 HND
国内線にカムバック

Ja8957-boeing-747481d-25642-927-060610-h Ja8957-boeing-747481d-25642-927_202509110902012006/6/10 HND 特別塗装「ピカチュウジャンボ」に

 2004年5月24日から2013年9月30日(退役日)までは特別塗装「ピカチュウジャンボ」として活躍しました。ラストフライトは那覇発羽田着のANA126便でした。
退役後、整備作業が行われ、10月24日にANA9432便として離日しました。アラスカ経由でテューペロ・リージョナル空港へ向かいました。同空港には-481Dシリーズとして先に退役したJA8965, JA8959,JA8956が駐機されていました。2014年8月には解体されました。

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2025年9月11日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その7 東三条駅 弥彦線の歴史

長岡からは12:40発の445Mで新潟を目指しました。13:06に東三条に到着、この駅からは弥彦線が分岐しています。

130808-edit2013/8/8 東三条駅 駅名標

弥彦線は私鉄の越後鉄道株式会社により建設された路線で、越後一の宮である弥彦神社の参詣鉄道として1916年、弥彦駅~西吉田駅(現在の吉田駅)間が開業、1922年から1925年にかけ、越後線(これも当時は越後鉄道)と信越本線を連絡する目的で西吉田駅~一ノ木戸駅(現在の東三条駅)間が延伸、さらに1927年には越後長沢駅までが開業しました。いずれは福島県の只見町まで延伸する計画の下、建設が進められましたが、1927年秋に国有化され計画は消滅しました。

通称「弥彦東線(やひことうせん)」と呼ばれていた東三条駅 - 越後長沢駅間は、沿線の人口密度が低かった上、終点の越後長沢駅も当時の長沢村の中心地から若干離れていたこともあり、太平洋戦争以前の段階から利用者数は低迷。長沢以東の区間は越後鉄道が森町村大字八木前まで免許を取得していたが、国有化された1927年に失効し、また太平洋戦争中の1944年10月には不要不急線として営業休止に追い込まれ、金属類回収令により軌道は撤去の上で供出されました。東三条駅 - 越後長沢駅間は戦後に営業を再開したが通学客以外は乗客も少なく、不採算が慢性化していました。1968年にはいわゆる赤字83線に指定され、弥彦~東三条間は1984年春に電化されましたが、東三条~越後長沢間は1985年に廃止となりました。

開通時はキハ41000系、キハ41600形といった気動車が投入され、1962年からはキハ35系が運用されました。1984年の電化時には115系が投入され、E127系も後に加わりました。現在はE129系が最大6連で運用されています。

115-y3-130808
115-y3130808-22013/8/8 東三条 1984年の電化時から活躍していた115系2連Y編成(Y3) 弥彦線ホームは0番線

E129100-b14-2408182024/8/18 東三条 E129系 B14編成

240818-edit_202509100902012024/8/18 車両送り込みの関係から、一日一本、信越線下り、待避線ホームから発車する列車があります。

2006年から2012年にかけてJR貨物が旅客駅の東側にオフレールステーション(ORS)を設置し、コンテナの集配を行い、新潟タとの間で6便が設定されていました。

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2025年9月10日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その6 長岡駅 その2 1975年、在来線特急・寝台特急全盛時代

現在、長岡駅を定期的に発着する在来線特急列車は新井駅・上越妙高駅と新潟駅を結ぶ特急「しらゆき」(4往復)だけとなっていますが、かつては長岡駅を通る昼行、夜行寝台特急は多数存在しました。

1961年10月1日のダイヤ改正で誕生した日本海縦貫線DC特急「白鳥」、1962年6月10日のダイヤ改正で登場した161系特急「とき」、1968年10月1日のダイヤ改正で登場した寝台特急「日本海」、1969年10月1日のダイヤ改正で登場したDC特急「いなほ」と「白鳥」の上野~金沢間を信越本線(碓氷峠経由)のキハ82形特急から481・485系に置き換え上越線経由とした特急「はくたか」、1970年2月28日のダイヤ改正で登場した特急「北越」、1972年10月2日のダイヤ改正で格上げされた寝台特急「つるぎ」、1975年3月10日のダイヤ改正で登場した寝台特急「北陸」、1986年11月1日のダイヤ改正では1987年4月の民営化でJR東日本所属となる上沼垂運転区の485系を使用した大阪~新潟間の特急「雷鳥」も運転されていました。1982年11月15日の上越新幹線開業時には東北本線・奥羽本線・陸羽西線経由の夜行気動車急行「出羽」(上野 - 酒田間)と東北本線・高崎線・上越線・信越本線・羽越本線経由の夜行客車急行「鳥海」(上野 - 秋田間)を統合、旧「鳥海」の経路を踏襲し所要時間を短縮した寝台特急「出羽」が新設され、上野発着の昼行特急「いなほ」の名称が「鳥海」に変更となりました。1989年7月21日からは臨時列車ではあるものの大阪~札幌間を結ぶ「トワイライトエクスプレス」も運行されていました。1990年9月1日の山形新幹線着工時には奥羽本線経由の寝台特急「あけぼの」が「鳥海」に変更され、上越・羽越本線経由となり、1997年3月22日の秋田新幹線開業では奥羽本線経由の寝台特急「あけぼの」が上越・羽越本線経由となりました。

1975年11月の長岡訪問時には「とき」「いなほ」などを撮影していました。

181-751100 181-751100-21975/11/3 長岡 181系 特急「とき4号」10:36発

1831000-7511031975/11/3 長岡 183系1000番台 特急「とき2号」10:44着
183系1000番台が「とき」に投入されたのは1974年12月28日からで、13往復のうち、朝・昼・夕の3往復の列車が183系となりました。

485-481300-751103-edit1975/11/3 長岡 485系クハ300番台先頭 特急「いなほ1号」11:13発 この列車は秋田発。

E653-h201-240818-5
2025/8/18 新潟 E653系1100番台 「しらゆき」

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2025年9月 9日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その5 長岡駅 1975年、新潟色の旧国全盛時代

越後湯沢駅で15分間停車した1731Mは1時間18分走り、11時48分に終点、長岡駅に到着します。上越線と信越本線の分岐駅は長岡駅のひとつ手前の宮内駅ですが、かつて上越線家経由で上野~金沢方面を結んでいた特急「はくたか」、寝台特急「北陸」、急行「能登」は宮内駅を通過後、長岡駅でスイッチバックし、再度、宮内駅を通過していました。

私が初めて長岡駅に降り立ったのは1975年11月で谷川寮に一泊した翌日、自由行動で水上から長岡、柏崎まで行った時でした。あの頃は新潟ローカルに関西緩行線、横須賀線、中央西線から転属してきた旧形国電が健在でした。

68021_751103クハ68021 クロハ59形を3扉化した車両

68050_751103_3クハ68050 運転席側の窓下に大鉄型ベンチレーターが見える半流スタイルのクハ68

68210_751103_2クハ68210 横須賀線時代にクハ47形を3扉化改造した車両
既に新幹線の駅を考慮した駅舎の改築工事が始まっていました。

76049_87751103クハ76049 前面窓ガラス枠が木製なのが特徴

70_751103_2こちらはHゴム化されたクハ76

1975/11/3 長岡 5枚とも

これらは「新潟色」と言われた塗色で1962年に横須賀線に111系が配置されると同年4月の新潟~長岡電化に合わせての移動、あるいは京阪神緩行線から長岡第二機関区に配置されたのが始まりでした。その後、中央西線、阪和線、静岡からの転属車も終結、1974年には106両の大所帯となり、信越本線は妙高高原から、羽越本線の村上まで、上越線は高崎まで、白新線も含め新潟県内の直流電化区間で運用されました。1976年秋には首都圏地区の冷房化促進のために投入された115系300番台により捻出された0番台車が長岡所に転入し、廃車が出始め、1977年以降、長岡所に115系1000番台が新製投入され、1978年8月23日の「さよなら運転」で旧国の運用は終わりました。

E129100-a1-2408182024/8/18 長岡

旧国の後、新潟ローカルは115系、E127系の時代となり、現在は新潟色を彷彿させるE129系が主力として活躍しています。

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2025年9月 8日 (月)

2024年夏の新潟旅行 その4 越後湯沢駅と北越急行ほくほく線

越後中里を出発した列車は7分程で越後湯沢駅に到着します。

240818_202509070936012024/8/18 越後湯沢駅 駅名標

E129100-a25-1721m-240818水上から乗車してきたE129系A25編成の1721M
当駅で15分の長時間停車となります。

上越新幹線はこの駅からガーラ湯沢駅への支線が分岐しています。元々は保線基地への引き込み線でしたが、JR東日本は保線基地の裏山をスキー場として開業、1990年12月20日にガーラ湯沢駅を開業し、営業列車を運行することにしました。冬季のスキーシーズンのみの臨時駅ですが、東京から75分で行けるスキー場を売りにしています。一方、在来線の駅には六日町で分岐する北越急行ほくほく線が乗り入れています。

Hk100-h102-2408182024/8/18 越後湯沢 HK100形 H-102編成

北越急行ほくほく線の開業に至るまで、ルートの選定では頚城鉄道(当時、新黒井~浦川原間が開業)を延伸され、六日町とを結ぶ「北越北線」案と浦川原から越後湯沢を結ぶ「北越南線」案が提出され、さらに戦時中は軍都であった高田を起点とする案も出されていました。戦争の終結で高田案は消え、1962年には南線の通過予定地で地滑り災害が発生したことから北越北線が国鉄予定線となりました。新線の事業計画は1964年に発足した日本鉄道建設公団に引き継がれ、北陸本線との接続も直江津駅ではなく黒井駅の犀潟駅寄りに新設予定だった新たな操車場を支障しないということから犀潟~六日町を結び、飯山線との接続は当初の直交案からクランク状になりました。

1968年に着工されたもののトンネル工事の難航などで工事は遅れ、やがて国鉄の経営悪化で1980年には日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)で鉄道新線の工事はすべて凍結されることになりました。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗していました。工事費はこの時点での総額見込み794億円に対して415億円が投じられていましたが、1982年3月に完成済み施設に対する保安工事が完了すると、建設工事は全面ストップとなりました。国鉄再建法では建設が中断された地方鉄道新線について地元が第三セクター会社を設立して引き受けることが可能であると定められており、田中角栄と十日町市長の政治力で1984年8月30日に北越急行株式会社が設立され、1985年2月1日に鉄道事業の免許を取得、3月16日に工事が再開されました。

工事再開後、最大の難工事は鍋立山トンネル工事で工事再開時点で中央部645mが未掘削でしたが、29もの工法を適用することで1995年3月7日に掘削完了、11月7日竣工に漕ぎつけました。一方、北陸新幹線はほくほく線とある意味重複する高速鉄道計画でしたが、整備新幹線問題などで計画凍結は解除されたものの着工には至っていませんでした。運輸省は北越北線を高速化、スーパー特急を走らせる案を打ち出し、これに伴い六日町駅、十日町(飯山線との接続)、犀潟駅の配線などに変更が加えられました。

681-63-050323-1

681-36-050323-22005/3/23 越後湯沢 681系「はくたか」
それまでの485/489系から681系に置き換えることでほくほく線内160km/h運転が可能になりました。

6812000-n02-110528-2_20250907094801
6812000-n02-110528-3_202509070948012011/5/28 高岡 北越急行681系2000番台 「はくたか」
160km/h運転を行うために長期間の試験が必要となり、JR西日本の681系を長期に渡って借用することも無理があったので北越急行としてJR西日本の681系と同一形式の車両を製造しました。

6838000-1007172010/7/17 直江津 北越急行683系8000番台「はくたか」

6838000-n03-080905_202509070955012008/9/5 金沢 北越急行683系8000番台「はくたか」
この683系はJR西日本が485系を681系に置き換えたため、485系を使用するのはJR東日本のみとなり、485系が残っていると全体の運用効率が下がり、サービス格差も目立つため、北越急行が683系を新造し、JR東日本の485系を置き換えたものでした。これらの車両は「はくたか」廃止後はJR西日本に譲渡され、「しらさぎ」「能登かがり火」「ダイナスター」用として使用され塗装も2015年6月初めまでに「しらさぎ」用デザインに変更されました。

1997年3月22日に、ほくほく線は開業、上越新幹線と越後湯沢駅で接続して首都圏と北陸地方を結ぶ特急「はくたか」が、ほくほく線経由で運転を開始し、当初は140km/hでしたが、段階的に速度を上げ、2002年3月23日からは160km/h運転となりました。

一方、北陸新幹線も1997年10月1日に高崎~長野間が開業、さらに金沢延伸に向けて1998年3月12日に長野 - 上越(仮称)間、2001年4月25日に上越(仮称) - 富山間、2005年4月27日に富山 - 金沢 - 白山総合車両基地(仮称)間の工事計画がフル規格で認可され、建設が進められて行きました。ほくほく線の経営は初年度を除いて毎年数億円の黒字となり、2001年度の営業係数は73.0パーセントと、第三セクター鉄道の中では経営状態は良好であったが、全体の9割が特急による収益で、普通列車の収益は全体の1割にも満たないものでした。2015年3月14日の北陸新幹線長野 - 金沢間開業で特急「はくたか」は廃止となることから、営業利益は北陸新幹線開業に備えて、利益を赤字補填用に蓄えることとし、最終的には2013年3月31日時点で約92億円の剰余金を持った状態で2015年3月14日の北陸新幹線長野 - 金沢間開業を迎えることとなりました。

北陸新幹線金沢開業以降、ほくほく線は地域輸送を主とする路線として再出発を切ることになり、同日より国土交通省運輸局への申請最高運転速度を130 km/hに引き下げ、設備についても順次スリム化・使用停止・撤去を行うことになりました。2012年時点で「はくたか」の利用者の22%から25%が直江津駅で乗降していることや十日町を中心に東京や金沢からのビジネス需要が見込まれることから、事業の継続は可能と判断し、2015年3月14日からは超快速列車「スノーラピッド」を運行、さらに路線と並行する国道253号が冬季、積雪で劣悪になることを考慮し、宅配貨物を列車で運ぶ貨客混載を佐川急便と連携して開始しました。2023年9月29日には新潟市 - 上越地域間の鉄道高速化に向けて、新潟県が信越本線・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン長岡駅 - 上越妙高駅間の改良2案に加えて、新たに信越本線・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン長岡駅 - 糸魚川駅間をミニ新幹線化する案、ほくほく線をミニ新幹線化する案の2案を示し、時間短縮効果など比較検討することとしました。

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2025年9月 5日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D グアム線に投入されることもなく国内線一筋で活躍した JA8956

cn25640/ln920として製造され、1992年5月21日に初飛行、6月9日にANAに引き渡されたのがJA8956でした。JA8955とJA8957に挟まれた機体ですが、国際線にコンバートされること、さらにはグアム線に投入されることもなく、生涯国内幹線やローカル線一筋で活躍、2012年12月に退役、その後、海外の航空会社に売却されることもなく解体された機体でした。

Ja8956-ana-b747481d-cn25640-ln920-9608161996/8/16 HND

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Ja8956-boeing-747481d-25640-920-030919-h2003/9/19 HND

この機体はポケモンジェットの第五弾「お花ジャンボ」として2004年12月5日から2012年11月30日まで活躍しました。ただ、残念なことに「お花ジャンボ」は撮影できませんでした。お花ジャンボの塗装の様子はこちらのサイトで見ることが出来ます。

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2025年9月 4日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その3 上越国境の特徴的な駅とスキー場の休憩所として利用されている越後中里のスハ43系旧型客車17両

水上駅で約50分の接続待ちをした後、9:43発の1731Mに乗車して長岡方面に向かいました。車両は新潟地区ローカルのエース、E129系ですが、この車両に関しては後日、触れます。

水上を出発した列車は5分程で湯檜曽に到着、この駅は新清水トンネル開通前の単線時代は上下列車が交換できるスペースが勾配の関係で限られており、上りループ線の入り口手前に設けられていたそうです。1949年12月20日、現在の駅付近に大穴仮乗降場が新設となり、冬季のスキー客向けに12月20日から3月10日のスキーシーズンの間、列車が臨時停車したそうです。1963年3月10日、上越線の複線化工事着工で大穴仮乗降場は廃止され、12月5日、現駅舎付近に新湯檜曽信号場が新設され、水上∼新湯檜曽信号場間が複線化されました。1967年9月28日、新清水トンネルが開通、新湯檜曽信号場~土樽間が複線化され、湯檜曽駅も現在の場所に移転しました。なお、旧湯檜曽駅跡には北湯檜曽信号場が新設されました。その後、1984年11月8日には同信号場は廃止となりました。
現在の湯檜曽駅は上り下り別々の構造で上りホームは駅舎より一段高い築堤上にある単式1面1線ホーム、下りホームは新清水トンネルに入ってすぐの場所にあります。

次の土合駅も特殊な構造で有名な駅で上りホームは地上駅、下りホームは地下駅(「日本一のモグラ駅」として有名)となっており、下りホームは地下70mにあるため両ホーム間の高低差は81mあり、改札口から下りホームまでは徒歩10分ほどかかります。

今回の旅では両駅で下車することなく通り過ぎましたが、今後機会があれば訪れてみたく思っています。

43-240818-3 43-240818-42024/8/18 越後中里

さて列車は水上から25分ほどで越後中里に到着します。この駅は駅前にスキー場が広がる駅ですが、なんといっても壮観なのがホームから少し離れた場所に上越線の線路と並行に留置されているスハ43系客車群です。湯沢中里スノーリゾートが運営する「ブルートレイン・中里」という休憩施設のようです。

これらの客車は元々、18両あったようで1号車から18号車まで側面に大きく番号が振られているようです。7号車は老朽化が著しかったのか撤去され、1両分スペースが開いて2群に分かれて並んでいます。

番号は
1号車 スハフ42 2067 車内:座席は撤去、板敷き、中央通路式 盛岡 840927
2号車 スハ43 2166 車内:ボックスシート 荷物棚は撤去 福島 840927
3号車 オハ47 2232 車内:ボックスシート 盛岡 840605
4号車 オハ47 2237 車内:ボックスシート 直江津 840331
5号車 スハ43 2326 車内:ボックスシート 高崎 830712
6号車 スハ43 2345 車内:ボックスシート 盛岡 840927
8号車 オハ47 2025 車内:全面板敷き 福島 840927
9号車 オハ47 2071 車内:ボックスシート 壁等はニス塗りではなく、デコラ張り 近代化改装車 福島 840927
10号車 オハ47 2300 車内:ボックスシート 壁等はニス塗りではなく、デコラ張り 近代化改装車 水戸 840928
11号車 スハ43 2481 車内:ボックスシート 壁等はニス塗りではなく、デコラ張り 近代化改装車 福島 840706
12号車 スハフ42 2069 車内:全面板敷き 盛岡 850927
13号車 スハフ42 2143 壁等はニス塗りではなく、デコラ張り 近代化改装車 水戸 840928
14号車 オハ47 2079 富山 851227
15号車 オハ47 2027 アルミサッシ窓 車内:全面板敷き 直江津 840928 盛岡 840720 
16号車 オハ47 2258 キッズトレイン 車内:全面板敷き 室内遊具設置 盛岡 840720
17号車 スハ43 2479 福島 840927
18号車 スハフ42 2032 車内:全面板敷き  福島 840927

といった車両たちです(車両の情報はこちらのサイトのものを参考にいたしました)。車歴は最終配置所と廃車年月日を入れてあります。東北、北陸、関東で活躍した車両が集められていることが分かります。

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2025年9月 3日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その2 水上以北の上越線ダイヤの変遷

昨日の記事で水上から越後湯沢、長岡方面に向かう旅客列車の少なさに驚いたと記しましたが、昔の時刻表を調べてみると、この区間は新幹線開業前から列車本数の少ない区間であることが分かりました。清水トンネルの開通で水上~越後湯沢間が開通し、それまでの上越北線(宮内~越後湯沢)と上越南線(高崎・新前橋~水上)が一つになったのが1931年9月1日のことでした。このとき、山越え区間である水上~石打間が電化されました。

1961年10月の時刻表 列車番号、水上駅発車時刻、優等列車名、運転区間
721レ 612 水上発長岡行
723レ 752 高崎発長岡行
729レ  1009  上野発長岡行
705レ   956   準急「ゆきぐに1号」上野発長岡行
907レ  1129  準急「苗場」上野発越後湯沢行 (休日運転)
711レ  1342  上野発新潟行
701レ  1210  急行「佐渡」上野発新潟行
733レ  1536  上野発長岡行
735レ  1703  上野発長岡行
703レ  1735  急行「越路」上野発新潟行
737レ  1908  上野発長岡行 高崎までは快速,1,2等車連結
707レ  1944  準急「ゆきぐに2号」上野発長岡行
801レ   004   急行「羽黒」上野発秋田行
2601レ 027   急行「北陸」上野発金沢行
713レ  228    上野発秋田・新潟行
709レ  141    準急「越後」上野発新潟行
715レ  445    上野発新潟行

1962年6月10日、信越本線長岡~新潟間の電化完成で上野~新潟間に高崎線・上越線・信越本線経由の特急「とき」の運転が始まりました。車両は151系を山岳線向けに歯車比を22:77(=1:3.50)から19:80(=1:4.21)とし、抑速ブレーキを装備、耐寒大雪構造として161系が投入されました。ダイヤ(1964/9)は
下り 1M 上野16:50-高崎18:06/18:08-長岡20:30/20:32-新津21:15/21:16-新潟22:57
上り   2M 新潟8:30-新津8:43/8:44-長岡9:26/9:28-高崎11:50/11:52-上野13:10      でした。 

Ef16_31_751102
Ef16_11ef65_1030_751102Ef16_11_751102_4Ef16_11ef65_1030_751102_2_41975/11/2 水上 貨物列車の峠越え補機として活躍するEF16

191_751101_2191_7511011975/11/2 水上 クモヤ191/190-1 直流電気検測用試験車

1975年11月、秋も深まった頃でしたが、大学2年の倶楽部の合宿が谷川寮であるとのことで初めて水上駅に降り立ちました。バス待ちをする間、水上駅周辺を歩き回り、清水トンネル越えをするためのEF16の補機、引き上げ線に停車中のクモヤ191/190-1を撮影したのもこのときの旅でした。

この頃の上越線の時刻表(1974/12)を見ると

465M 640 水上発新潟行
9751M 731   快速「石打スキー1号」大宮発石打行(1/12-2/23休日運転)
721M   814   高崎発新潟行 長岡から437M
9701M 846   急行「石打スキー2号」上野発石打行(1/12-2/23休日運転)
9753M 911   「両毛スキー」小山発塩沢行(1/12-2/23休日運転)
8031M pass 特急「新雪」上野発石打行(1/11-2/28運転)
9701M 904  急行「石打スキー4号」上野発石打行(1/12-2/23休日運転)
2001M 835  特急「とき1号」
701M  949  急行「佐渡1号」上野発新潟行
2003M pass 特急「とき2号」
3001M pass 特急「はくたか」上野発金沢行
9705M 1055 急行「石打銀嶺1号」上野発石打行(1/12-2/23休日運転)1/2-1/5は急行「石打スキー5号」として運転
2005M 1033 特急「とき3号」
3601M 1118 急行「よねやま」上野発直江津行
9707M 1144 急行「石打スキー6号」上野発石打行(1/12-2/23休日運転)
2007M 1133 特急「とき4号」
725M  1242  高崎発新潟行 長岡から443M
2009M 1233 特急「とき5号」
2041M pass 特急「いなほ1号」上野発青森行
2011M pass 特急「とき6号」
727M  1500  高崎発長岡行
2013M 1433 特急「とき7号」
909M  1538  急行「ゆけむり5号」12/15までの土曜・休日、12/21-2/28運転
703M  1552  急行「佐渡2号」上野発長岡行
2015M 1531 特急「とき8号」
729M   1717 上野発新潟行
9769M 1641 急行「小出スキー2号」上野発小出行
2017M pass  特急「とき9号」
2043M 1704 特急「いなほ2号」上野発秋田行
8703M 1752 急行「小出銀嶺1号」上野発小出行
857M   1848 上野発石打行
2019M 1733  特急「とき10号」
8703レ   1836  急行「石打銀嶺2号」上野発石打行
2021M pass  特急「とき11号」
9211M 2010 急行「小出スキー4号」上野発小出行 1/11-2/22の土曜運転
2023M 2003 特急「とき12号」
705M  2051  急行「佐渡3号」上野発新潟行
6601レ 2231 急行「北陸1号」上野発福井行
801レ 2347 急行「鳥海」上野発秋田行
3605レ  031  急行「北陸2号」上野発金沢行
9713M  045  急行「小千谷スキー号」上野発小千谷行 1/11・14,2/8運転
803レ   145  急行「天の川」上野発秋田行
707M   230  急行「佐渡4号」上野発新潟行
9021M pass 特急「はくたか51号」上野発富山行
9717M 249 急行「小出スキー5号」上野発小出行 1/14・2/8運転
9719M 340 急行「小出スキー6号」上野発小出行 1/10-2/28運転
9721M 352 急行「小出スキー7号」上野発小出行 1/11-2/23運転
9719M 430 急行「石打スキー8号」上野発石打行 12/22、29-1/5運転
9725M 440 急行「石打スキー9号」上野発石打行 1/11,12,15,18,19,25,26,2/1,8,15,22運転

といった具合に冬のスキーシーズンであるため、石打や小出、小千谷までのスキー臨時列車は増発されていますが、定期のローカル列車の本数はほとんど変化なく、特急「とき」が増発されたダイヤでした。

そして1982年11月、上越新幹線が開業すると特急「とき」は全廃となり、

1433M  640 水上発新潟行
721M 820 高崎発長岡行
723M 942 上野発長岡行
6701M 1004 急行「佐渡1号」
3601M 1203 急行「よねやま」
2041M 1235   特急「鳥海」
443M  1305  高崎発長岡行
727M   1536  高崎発長岡行
703M   1503  急行「佐渡3号」
729M  1718 上野発長岡行
731M  2015  高崎発長岡行
705M   2104  急行「佐渡5号」
2001レ 018 特急「出羽」
3001レ 029 特急「北陸」
733M   240  上野発長岡行
801レ  139   急行「天の川」

太字で示したスジが今日も残っている長岡方面の旅客列車

その後、昼行特急、急行列車の廃止、夜行列車の廃止で現在のような、日中4時間も列車が無い状態になったようです。

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2025年9月 2日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その1 水上駅での驚き、長岡方面への上越線の列車ってこんなに少なくなっていたのか?

もうかれこれ1年も前の話になりますが、2024年の夏は8月18日から21日まで新潟、9月2日から5日まで京都と旅行をしました。既に当時の記事で速報版はアップされていますが、今回からはその詳細版を記事にしようと思います。

新潟までの往復は旅費の節約、在来線の沿線風景を楽しむ、時間はたっぷりあるのスタンスから「青春18きっぷ」によるローカル列車利用としました。

自宅最寄りの新小平駅から武蔵野線で南浦和、京浜東北線で浦和へ

2408182024/8/18 浦和駅 列車案内表示 

浦和から上野発高崎行の823Mに乗車。高崎には7:29に到着。

140-240818-edit2024/8/18 高崎駅ホームに掲示されていたポスター

140イベントの案内パンフレット

高崎駅は1884年5月1日に日本鉄道の駅として新町~高崎間の開通とともに開業しました。それから2024年で140周年となり、5月3日から5日にかけ、記念イベントが開かれました。

240818_20250901071101高崎駅のホーム案内板
JR線は上越、北陸新幹線、高崎線、上越線、信越線、さらに渋川、新前橋や倉賀野から分岐する吾妻線、両毛線、八高線の列車も高崎駅から発着しており、それに上信電鉄も乗り入れている北関東最大のターミナル駅であることが分かります。

2113000-a51-2823m-240818-22024/8/18 高崎 211系3000番台 A51編成 

高崎から水上へは1986年2月18日から東北本線、高崎線に投入された211系3000番台に乗車です。
211系と言えばJR東海で長らく活躍した5000番台・5600番台が三岐鉄道5000系として、6000番台が流山鉄道に譲渡され、それまでの西武からの車両の流れに対して新たな車両の流れとなったことで最近、注目されている系列です。尤も、JR東日本の高崎周辺の車両は115系時代の配置を見ても結構、これからも頑張るのではないかと思いますが。

2113000-a51-725m-2408182024/8/18 水上

高崎を7:45に出発して1時間7分、8:52に水上に到着です。

240818_20250901073301D51-498-240818240818_202509010736012024/8/18 水上 駅名標、自販機、駅舎 JR東日本の営業戦略なのか何年か前に来た時とは違ってSL関連の風景が増えたように感じます。

E129100-a30-1721m-240818-22024/8/18 水上
発車待ちのE129系A30編成

上越線の水上駅は東北本線の黒磯駅と似て、この駅を超えて運転される定期旅客列車は存在しません。水上以南と以北の接続は一応考慮されていますが、

240818-edit2024/8/18 水上駅発列車時刻表

下り列車の場合、運行本数は1日に5本、初発が8:28、9:43の後は13:32まで4時間近く無く、さらに4時間後の17:48、20:52で終わりという有様です。乗る人がいないからこんな状態になったのか、列車は不便というイメージが浸透してダイヤがこんな状態になったのか、わかりませんが上りの頻度に較べて下りの本数の余りの少なさには驚かされました。
首都圏~長岡・新潟方面の客はどうせ新幹線を使うだろう、水上温泉や谷川岳などの登山客は考慮するが、長岡方面からの客は殆ど無いからダイヤはこれでよいというのがJR東日本の考え方なのかと思いますが、何か鉄道は単に客を運ぶ手段ではなく文化の大事な担い手であるという基本を忘れているのではと感じる光景でした。

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2025年9月 1日 (月)

E233系0番台 T40編成 T9編成のG車ユニットと組んで青梅・中央快速線運用に

8月25日の記事で触れましたが、7月1日に長野総合車両センターに入場し、2号車、10号車のVVVF制御装置の更新工事を行っていたT8編成が8月12日に工事を終え、長野から豊田車両センターに戻りました。これより少し前の8月4日、T8編成(普通車10両)が入場中、G車ユニット(-56)を引き受けていたT40編成が12連で長野に回送されました。そこでT40編成からT8編成にG車ユニットの返却組み換えが行われたようです。

E2330-t8-12r-2508262025/8/26 東小金井 長野総合車両センターで機器の更新を終え、本線運用93Tに復帰したT8編成

E2330-t8-12r-250826-42025/8/26 東小金井 G車ユニットは入場前と同じ-56ユニットを連結

E2330-t40-12r-ts17unit-250826-62025/8/26 国分寺 T9編成のG車ユニット(-17)を組み込み、本線運用75Tに就くT40編成

E2330-t40-12r-ts17unit-250826 2025/8/26 新宿

E2330-t40-12r-ts17unit-250826_20250831091601E2330-t40-12r-ts17unit-250826-4

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2025/8/26 東小金井

 8月19日にはT9編成が長野総合車両センターに12連のまま回送となり、G車ユニット(-17)を除く普通車10両が入場となりました。G車ユニット(-17)はT40編成に組み込まれ、8月21日に長野から豊田に返却されました。一連の動きの結果、T8編成、T40編成は8月26日から青梅・中央快速線運用に復帰しました。

これから約40日毎にE233系0番台の長野入場が続く限り、それに合わせてT40編成のG車ユニットは変化してゆくということになるのでしょうか。

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