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2025年10月31日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D グアム線には投入されない純国内線仕様だった  JA8964

cn27163/ln996として製造、N1785Bのテストレジにて1993年9月7日に初飛行、N5573SというレジでBoeing社が登録した後、1994年3月24日にANAに引き渡されたのがJA8964でした。
導入後、さくらリース他4社に売却され、ANAがリースする形で運航されました。1999年6月から一般公募されたデザインのポケモンジェット99として運航され、2006年2月5日までこのマーキングで飛び続けました。

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2011年10月に退役し、再就職することなく2013年に解体されました。

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2025年10月30日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その26 信越本線 柏崎駅

昨日の記事で新潟から越後線列車に乗車し、柏崎まで到着し、柏崎駅に降り立ったのは1975年11月、2010年7月に次いで3度目と書きましたが、今回の記事では過去の旅で柏崎駅に来た経緯について触れてみたく思います。

Dsc092782024/8/20 柏崎 駅名標

1975年11月の旅は水上で大学2年の時に所属していたクラブの合宿があり、その翌日、自由行動だったので水上発8:14の721Mで長岡まで、さらに長岡発10:51の1330Mで柏崎まで来たものでした。私にとっては初めての新潟県の旅でもありました。あのときは柏崎駅で特急「はくたか」「北越」を撮影、さらに線路沿いに鯨波方向へ歩き、線路にかかる跨線橋上から、特急「白鳥」、EF62、EF15牽引の貨物列車等を撮影しました。そのときの様子は2013/1/262013/1/232013/5/10、そして2013/5/13の記事となっています。

一方、2010年7月には直江津を拠点とした旅行で初日の17日に柏崎まで来ていました。このときはEF510基本番台のうち、なかなか撮影できなかった20号機を柏崎駅で撮影したこと、1975年の旅では撮影していない越後線の列車を撮影したこと、さらに保線用のマルタイなども撮影していました。

Ef51020-1007172010/7/17 柏崎 EF510-20号機牽引貨物列車 

115-s7-100717115系 2連 S7編成 越後線列車

115-l13-100717-1115系 4連 L13編成 

115-n21-100717115系 3+4連 N21編成他

082xs-100717-2マルチプルタイタンパー 08-2XS

100717-1駅前広場

そしてこのときの旅では駅前から海岸まで歩きました。

100717_20251029095101今でもあるかどうか、灯火が横並びの歩行者信号機を初めてみました。

100717-1_20251029095401突き当りは海岸

100717_20251029100101
4002から海上自衛隊のおおすみ型輸送艦(LST-4002)「しもきた」と思われます。

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2025年10月29日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その25 越後線の旅 part2 吉田~柏崎間

新潟から乗車してきた120Mは吉田駅5番線に到着します。向かい側の4番線には当駅始発の122M柏崎行が出発待機をしています。

Dsc092522024/8/20 吉田 新潟から120Mとして到着したE129系A30編成

Dsc09253_202510280724012024/8/20 吉田 吉田から柏崎まで122Mとして走るE129系 A14編成

吉田駅は1912年8月25日、白山駅~当駅間が越後鉄道により開通した際に開設されました。同年12月28日には越後線が地蔵堂(仮駅)まで延伸し、中間駅となりました。1913年4月20日、越後線地蔵堂∼出雲崎間が開通すると、吉田駅は西吉田駅に改称されました。1916年10月16日には西吉田~弥彦間が開通、1922年4月20日には西吉田~燕間が開通しました。1927年10月1日、越後鉄道は国有化され、国有鉄道越後線となりました。
 1959年10月1日に駅名が吉田駅に戻り、1961年12月27日、駅舎改築工事を起工、1962年7月26日に竣工し、翌27日から使用が開始されました。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線の地上駅でこの図のように越後線と弥彦線が使い分けられています。

Dsc092562024/8/20 粟生津(あおうづ) 
吉田を出て6分ほどで粟生津に到着しますが、前方にORIOと大書された塔が見えます。一体何だろうか、あの塔は?と帰って調べてみたら、オリロー(株)新潟工場でオリローは避難ハッチ、緩降機等を製造する会社でこの塔は50m以上あり、避難器具の試験のためにつくられたそうです(関連記事)。

粟生津の次の駅、分水と寺泊の間で信濃川のもう一つの分水路、大河津分水路を渡ります。こちらは江戸時代に計画され、1907年に着工、1922年に通水が始まり、1922年の補修で安定稼働となった全長9.1km川幅720m(分岐点付近)、180m(河口付近)の分水路です。

Dsc09257_20251028083501 Dsc092582024/8/20 大河津分水路

寺泊は「魚のアメ横」と言われるくらい賑わいと活気あふれる魚市場や寺泊漁港で有名ですが、越後線の駅はかなり内陸部にあり、あまりそういった雰囲気は感じませんでした。

Dsc09267_202510280838012024/8/20 刈羽 駅名標

1007172010/7/17 柏崎の海岸から見た柏崎刈羽原発

出雲崎を過ぎ、吉田を出発して1時間くらい過ぎると刈羽駅に到着します。刈羽と荒浜間の線路の西側の海岸沿いにあるのが、東電ホールディングスの柏崎刈羽原子力発電所です。1969年に柏崎市、刈羽村の発電所誘致決議がなされ、1974年に当時の田中角栄政権が電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法)を制定、角栄曰く「東京に造れないものを造る。造ってどんどん電気を送る。そして、どんどん東京から金を送らせる」で1978年に1号機原子炉着工、1997年に7号機原子炉が運転を開始し、総出力821.2万kwでカナダのブルース原子力発電所を抜いて世界最大の出力の原発となりました。しかし、作業員の被ばくトラブルの隠蔽、予備品倉庫の火災、燃料棒の接触、社員のIDカード紛失、他人のカードで中央制御監視室に出入、テロリズム対策侵入検知装置の機能喪失の見逃し等の相次ぐトラブル、安全対策工事の未完了などが見つかり、さらに2011年3月の東日本大震災による東電福島第一原発事故発生後の新規制基準適合性審査中を理由に全機が停止状態となっています。最近のニュースでは古くなった1,2号機を廃炉とし、3号機他の再稼働を東電は考えていると報道されています。

Dsc09270_202510280844012024/8/20 東柏崎~柏崎間
信越本線と合流する越後線

Dsc09273_20251028084601吉田を出発して約70分、新潟からは2時間5分で終点柏崎に到着します。

Dsc092742024/8/20 柏崎

この駅に降り立つのは1975年11月、2010年7月と3度目ですが、線路の廃線、ホームの配置などは1975年当時と変わりありません。ここからは信越本線で直江津に向かいました。

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2025年10月28日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その24 越後線の旅 part1 新潟~吉田間

信越本線の高崎~直江津間は官設鉄道によって開業しました。特に高崎~軽井沢間は東京~大阪を結ぶ中山道幹線の一部として建設され、軽井沢|直江津間はその資材運搬のために建設されました。一方、直江津~新潟(旧駅)間は私鉄の北越鉄道により開業しました。この区間の開業の仕方は結構複雑で
1897年 5月13日:春日新田~鉢崎(現、米山)8月1日:八崎~柏崎 11月20日:柏崎~北条、沼垂~一ノ木戸(現、東三条)
1898年 6月16日:一ノ木戸~長岡 12月27日:北条~長岡
1899年 9月5日 直江津~春日新田 が開業しました。
1907年8月1日、北越鉄道は国有化されました。同年10月12日には国有鉄道線路名称制定で高崎~新潟間を信越線と命名しました。

信越線は柏崎から内陸部に入り、長岡、三条を経由するため、柏崎から日本海沿岸を経由し、新潟に至る鉄道が計画され、1911年3月に設立された越後鉄道によって、新潟駅の手前、白山駅まで開業しました。その開業の歴史は
1912年 8月25日:白山~吉田 11月11日:柏崎~石地 12月28日:吉田~地蔵堂(仮駅、後に廃止) 石地∼出雲崎
1913年 4月20日:出雲崎~地蔵堂 

1927年1月、水戸鉄道(後の水郡線)、陸奥鉄道(後の五能線)、苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(後の日高本線)とともに越後鉄道の国有化案が浮上、同年10月に国有化され越後線となりました。1943年に旧新潟駅~関屋駅間の貨物線が敷設、漸く信濃川を渡って接続され、1951年6月に旅客営業が開始、1958年の新潟駅移転で現在の形になりました。柏崎~新潟間、営業キロ83.8kmの路線です。

新潟大学が1970年代以降に五十嵐地区に移転し、沿線の宅地化も進み1984年4月、弥彦線とともに全線が電化されました。
ちなみに越後線は柏崎から新潟方面が下り、新潟から柏崎方面が上りとなっています。

Dsc09238_202510270957012024/8/20 新潟 信越線、白新線、越後線の1番列車の出発案内

8月20日、新潟駅発5:04発の120Mで吉田まで、吉田から122Mで柏崎へ、さらに直江津方面に向かいました。

Dsc092462024/8/20 新潟 1番ホームに入線している120MはE129系2連 A30編成

Dsc09243

側扉の窓ガラスの角が丸い点などは異なりますが、E233形をベースにしている点は感じます。

Dsc09244ワンマン運転対応になっています。

Dsc09245

シートは115系時代とは異なり、ドア間でクロスとロングが分けられています。

越後線の運用を見ていると越後線から新潟駅で折り返す運用と信越線や白新線から越後線の内野まで走り折り返す運用がほぼ同数あるように見えます。

新潟駅を出ると上越新幹線と併走し、別れたところに上所駅があります。私が訪れた2024年8月にはまだ工事中でしたが、2025年3月15日のダイヤ改正で開業しました。新潟南高の通学、あるいは新潟県の社会福祉施設「新潟ユニゾンプラザ」の利用者からの要望で設置された駅です。右にカーブして信濃川を渡り、再び左にカーブすると白山駅で前述のように越後鉄道が開業した当初の駅は2ブロック位、北にありました。次の関屋と小針の間で信濃川の関屋分水路を渡ります。関屋分水路は1972年8月10日に通水が開始され、洪水から新潟市を守り、新潟西港への土砂の堆積を防止する役割を果たしています。信濃川の上流側には似た機能の分水路として大河津分水路もあります。寺尾の先に新潟大学前という駅がありますが、沿線の地図をみると内野にかけて多くの大学、短期大学が集まっています。また線路の北側が砂丘、南側が少し低くなっており、海岸段丘の斜面に線路が敷設されていることが分かります。

Dsc09247 Dsc09248_20251027111001Dsc09249海岸線沿いに聳える角田山から弥彦山

内野を過ぎると海岸線から少し離れた内陸部を線路は走り、越後曽根、巻あたりでは海縁に聳える角田山、松ケ岳、多宝山、弥彦山などが見え、手前には穀倉地帯が広がります。弥彦山の標高は634m、東京スカイツリーの高さと同じなんですね。

Dsc09251_20251027111301 Dsc09255_20251027111301新潟駅を出発して約50分で弥彦線と交差する吉田駅に5:53に到着します。

向かいのホームに停車中の吉田発5:54の122Mへ乗り換えです。

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2025年10月27日 (月)

西武鉄道 ワンマン運転対応改造(側面監視カメラ設置等)が進む9000系

西武多摩湖線国分寺駅ホームのホームドア対応とワンマン運転対応のため101系が9000系4連に置き換えられたのが2020年10月のことでした。

9000系は1993年から1999年にかけ10両編成8本が西武所沢車輛工場で旧101系の電装品などを再利用して製造され、2000年代には主回路機器がVVVFインバータ方式に更新されていましたが、4連化に際しては9102F, 9103F, 9104F, 9105F, 9108Fの5編成の両端2両ずつが残されました。

ワンマン運転対応としてはワンマン切換スイッチ、運転士マイク、デッドマン装置、誤開扉防止装置などが新設され、EB装置は撤去されました。車掌スイッチ・戸閉回路はリレー式に変更され、一部締切スイッチを押ボタン式に変更しました。方向切換器も変更されました。前面貫通扉窓においてワイパーを電動化し、形状および設置位置も変更されました。デフロスタも新設されました。

多摩湖線等に入線後、2021年度にはコイト電工製のLED前照灯が試用され、2022年5月から6月にかけ、全5編成が同様の前照灯に変更となりました。室内灯も2022年度にはLED化され、2024年夏頃には室内に防犯カメラが設置されました。2024年度、9104Fを除く4編成が武蔵丘車両検修場にて重要部検査と併せてVVVFの更新が行われました(9104Fは玉川上水車両基地で実施)。2025年3月には行先表示器のLED化が実施されました。

2025年3月12日、9104Fの武蔵丘車両検修場入場から始まった今回の改造は大きな外観の変化を伴う改造となりました。9104Fは6月4日に出場しましたが、側面監視カメラが各車両の4か所に設置され、運転席上にはディスプレイが設置されたのが大きな変化でした。6月30日には9105Fが入場、8月26日に出場し、9104F同様に側面監視カメラが設置されました。9104Fの場合は偶数車の塗屋根の再塗装が行われていましたが、9105Fではそういった変化はありませんでした。


9000-4-9104-2510132025/10/13 萩山 9104F
側面監視カメラの設置と偶数車の塗屋根の再塗装がなされた9104F



9000-4-9105-251013-212025/10/13 萩山 9105F
側面監視カメラが設置された9105F


9000-9005-201211-29105の運転台窓ガラス内側のDisplayは跳ね上げられています。

9月16日には9108Fが入場となりました。9104Fは最初のケースだったので80日程度の入場でしたが、9105Fは2か月弱となり、9108Fも11月初旬には出場するのではと思われます。

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2025年10月24日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D マリンジャンボとして一躍有名になった  JA8963

cn25647/ln991として製造、1993年7月29日にN6055Xのテストレジにて初飛行、1993年8月31日にANAに引き渡されたのがJA8963でした。ちなみに引き渡された時点で「マリンジャンボ」塗装でした。

この機体も導入直後に陽友他4社に売却され、さらにその後は三井リース事業他1社に転売となり、ANAがリースする形で運航され、グアム線などには就航しなかった純国内線仕様の機体でしたが、初就航時の1993年9月12日から1995年5月31日まで当時、スペマーが少なかった時代にB767-381のJA8579とともに「マリンジャンボ」として活躍し、航空ファン並びに子供たちの熱い視線を浴びた機体でした。JA8579がスペマー(マリンジャンボJr.)化されたのはJA8963の就航可能空港が限られており、小規模の地方空港でもマリンジャンボが見られるようにとの要望からだと言われています。

Ja8963-ana-b747481d-cn25647-ln991-941225Ja8963-ana-b747481d-cn25647-ln9_20251023083001

1994/12/25 HND

Ja8963-ana-b747481d-cn25647-ln991-9601021996/1/2 HND

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2011年6月に退役、2012年には解体されました。

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2025年10月23日 (木)

西武鉄道 2000N系 2069F 池袋線から新宿線に転籍

9月の2071Fの池袋線から新宿線への配置換えに続き、10月2日には「10月15日を以て2069F”西武鉄道創立110周年記念トレイン”の池袋線での運行終了」がアナウンスされていましたが、予定通り、同編成は同日の5325レ(池袋発所沢行)で池袋線での運行を終えました。

2069Fは運行終了後、小手指基地に帰還、その日のうちに南入曽基地に回送となり、16日の5828レ(22:43新所沢発西武新宿行)より新宿線の運用に入りました。これにて池袋線に関しては定期運行する編成はすべてVVVF車両に統一されました。

新宿線運用に就いてからの2069Fの運用を見てみると、ここ数日、日中は拝島線拝島~小平間、玉川上水~小平間のローカル運用に入る機会が多いようです。

私も10月21日に拝島~小平間の拝島線ローカル運用に入った2069Fの姿を撮影しました。

2000n-8-2070-251021-72025/10/21 小平~萩山間

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2000n-8-2069-251021-11 2000n-8-2070-251021-5_202510220816012025/10/21 東大和

2069Fの検査入場は2022年12月13日(出場:2023年1月23日)で、このときに現在の茶色塗装に変更されました。2000N系に残された時間を考慮すると2069Fはおそらく引退のときまでこの塗装で活躍するのでしょう。

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2025年10月22日 (水)

埼京線 40周年記念の復刻ラッピング編成 ハエ117編成を撮影 

東北・上越新幹線の赤羽~大宮間の建設工事は当初、埼玉県内に関しては地下化を計画していましたが、地盤の問題から困難と判断され高架線で進められることになりました。1973年当時、東海道新幹線や山陽新幹線沿線では騒音問題が生じており、東北・上越新幹線でも大宮以南の延伸で通過予定地となる戸田、浦和、与野3市と東京北区では強力な反対運動が起きていました。さらに国鉄は東京周辺の人口増加に対して輸送力が追いつかずラッシュ時の混雑緩和が急務となっていました。

新幹線高架化の見返り案として埼玉県側が提案したのが新幹線高架に併設される通勤新線でした。当初は赤羽~武蔵浦和~大宮~宮原まで通勤新線を建設、車両基地は武蔵浦和駅付近のロッテ浦和工場の敷地を利用する予定でしたが用地買収が難航し、南古谷駅付近に車両基地が設けられることになり、当時、未電化だった川越線も電化されることになりました。

1978年12月に工事が開始され、開業を控えた1985年7月11日に「埼京線」と命名、9月30日開業を迎えました。このとき、川越線大宮~高麗川間の電化も開業となりました。開業時の運転区間は池袋∼川越間で通勤快速で最短44分となりました。それまでは赤羽、大宮乗り換えで69分かかっていたのが大幅な時間短縮となり、京浜東北線の交雑も大幅に緩和されました。

1986年3月3日のダイヤ改正では山手貨物線を利用して新宿まで運転区間を延伸、1996年3月16日のダイヤ改正で恵比寿まで、2002年12月1日には大崎まで延伸、同時に天王洲アイルまで開業した東京臨海高速鉄道りんかい線(新木場~東京テレポート間は1996年3月30日、東京テレポート~天王洲アイル間は2001年3月31日に開業)と相互直通運転を開始しました。さらに2019年11月30日には相鉄・JR直通線の開業で羽沢横浜国大を経由して相鉄線海老名までの運転も始まりました。

車両は開業から1990年12月1日まで山手線と同じ103系(黄緑6号)が使用されていました。当初は独自色が検討されましたが塗装の試験結果が芳しくなく、山手線の205系での統一も決定しており、経費削減の観点から黄緑6号でゆくことにしたそうです。この時期、鉄道から興味が遠ざかっていたせいか、埼京線の103系を記録していませんでした。1989年7月1日から緑15号の帯の205系が導入、2016年10月27日まで使用され、その後は現行のE233系7000番台となっています。相互直通運転で東京臨海高速鉄道の70‐000形、71-000形(未撮影)、さらに相鉄の12000系が乗り入れています。

E2337000-117-103-251014-2 E2337000-117-103-251014-3edit2025/10/14 原宿 103系復刻ラッピング ハエ117編成

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2025年10月21日 (火)

山手線環状運転100周年記念の復刻ラッピング編成を撮影 part2 トウ44編成

山手線環状運転100周年記念で登場したもう一編成のラッピングトレインは205系を復刻したトウ44編成です。

103-205-850323_202510200822011985/3/23 新宿 営業運転開始前に偶然、新宿駅で見かけた試運転列車

国電初のステンレス通勤型205系が山手線で運転を開始したのは1985年3月25日でした。軽量ボルスタレス台車を履き、軽量ステンレス車体、電気指令式ブレーキは国鉄初でしたが、制御方式は界磁励磁添加方式と従来の抵抗制御方式に電力回生ブレーキ機能を付加した方式で201系や203系で採用された電機子チョッパ制御方式は財政難の当時の国鉄には厳しかったため、低コスト化で導入された制御方式でした。

205-01-020427-12002/4/27 田町 トウ1編成

山手線には量産先行車(クハ205-1~4先頭の10連で側窓が田の字タイプ)と0番台量産車30編成の計34編成が国鉄時代に投入(ヤテ1~34編成)、さらにJR東日本になってからも20編成(ヤテ41~60編成)が投入されました。

205-60-020427_202510200832012002/4/27 五反田 ヤテ60編成 2両目がサハ204

1991年12月からはサハ204形(T')6扉車が組み込まれ11連となりました。
2002年、ATCのデジタル化に合わせ、新形式E231系500番台が投入され、2005年4月17日を以て運用が終了しました。

E2350-44-205-2510142025/10/14 渋谷 トウ44編成

E2350-44-2510182025/10/18 神田

E2350-44-100-251018-42025/10/18 西日暮里

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2025年10月20日 (月)

山手線環状運転100周年記念の復刻ラッピング編成を撮影 part1 トウ39編成

現在、山手線は一周約35㎞、全30駅で1周するのに約1時間を要する路線となっていますが、始まりは日本初の民営鉄道会社だった日本鉄道が1885年3月1日に品川~赤羽間の品川線として開業した路線でした。開業の目的は下町を避け、関東地方内陸部と横浜港との間の貨物輸送でした。1903年4月1日、常磐炭田からの石炭を運ぶ土浦線(1901年に海岸線、現在の常磐線)と品川線を結ぶ池袋∼田端間の豊島線が開通しますが、品川線が開通したときに現在の池袋駅はなく、目白駅で豊島線と合流する予定でした。しかし、目白駅は谷間・掘割の駅で拡張が困難であり、周辺住民も駅の拡張には反対でした。目白と池袋の中間に雑司ヶ谷駅を設け、そこで合流する案がでましたが、実地測量すると1895年に巣鴨に移転し、1897年に巣鴨監獄となった旧石川島監獄署にあたることが分かり、もう少し北の池袋に新駅を作り、合流させることにしました。豊島線には王子道と交差する地点に大塚駅、中山道と交差する地点に巣鴨駅が設けられました。このために現在の山手線の線路は目白駅と巣鴨駅を結ぶ直線から池袋方面に北へ迂回するようになっています。1909年10月12日、各鉄道路線に路線名が付与されることとなり、品川線と豊島線が統合され山手線となりました。尤も、品川~赤羽間が山手本線、旧豊島線は山手支線と呼ばれました。同年12月16日、烏森駅(現、新橋駅)が開業し、烏森~新宿~上野駅間の「C」の字運転が始まりました。品川~烏森間は京浜東北線の線路に山手線が乗り入れる形でした。
1919年1月、中央線と山手線を結び吉祥寺~東京~品川~新宿~上野という「の」の字運転が開始されますが、1925年11月1日、東京~秋葉原間の高架線が開業、東京~上野間が複線化され、「の」の字運転は終了、山手線の環状運転が開始されました。

今年、11月1日で環状運転開始から100周年ということでJR東日本は「つながる山手線フェス 環状運転100周年」を開催、10月4日から11月3日まで山手線に103系と205系の復刻ラッピング編成が登場しました。

山手線の電車、幼稚園時代に高田馬場駅でブドウ色の72系を見た記憶はあります。その後、1961年9月から1969年4月にかけてカナリア色の101系が走っていたのはしっかり記憶しています。線名の表示は「山手」でした。1963年12月に103系が登場したときは鮮やかな鶯色に驚き、103系の走行音、スカーという空気が抜ける音にも驚いたものでした。

高校時代頃から鉄道写真を撮り始め、103系の写真撮りましたが、まともな写真はあまりありません。それでも1編成しかなかった試作冷房車、そしてわずか1年の活躍だった低運転台量産型冷房車はしっかり撮っていました。


103-15撮影年月日不詳 鶯谷 15編成

103-1-2撮影年月日不詳 新宿 臨1編成 試作冷房車編成

103-2-7303-11973/3 新宿 低運転台タイプの量産冷房車 イケ2編成

103-15-3b-2_20251019091301撮影年月日不詳 御徒町 高運転台ATC準備工事車 15編成

103系の活躍は1988年6月26日までで、この頃、私は西ベルリンに留学していました。

E2350-39-103-251014-edit
2025/10/14 原宿 トウ39編成

E2350-39-100-251018-52025/10/18 西日暮里 トウ39編成

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2025年10月17日 (金)

ANAの国際線仕様 B747-481 導入直後は国内線で暫定使用された JA8962

cn25645/ln979 として製造、1993年5月19日、初飛行、6月3日にANAに引き渡されたのがJA8962でした。

Ja8962-ana-b747481-cn25645-ln979-971019-1997/10/19 NRT

Ja8962-ana-b747481-cn25645-ln979-980211-1998/2/11 NRT

導入後、ベータエアクラフトに売却、ANAがリースという形で運航しました。導入当初はギャレー配置は国際線仕様ですが、AゾーンにCクラス仕様のシートを配置し、スーパーシートとし、残りはすべてYクラスとしたS27/Y437のコンフィグで国内線に暫定使用されました。

Ja8962-ana-b747481-cn25645-ln979-991120-1999/11/20 NRT

Ja8962-ana-b747481-cn25645-ln979-000429-2000/4/29 NRT

1998年、日本が初めて参加したFIFAワールドカップフランス大会では応援ステッカーが貼られ、1999年2月24日からはポケモンジェットUSAバージョンとしてワシントンDC線、ロンドン線、パリ線、香港線などで活躍し、2011年1月に退役となりました。

退役後はN596MCにリレジされましたが、-481は-481Dとは違い、再就職の口があり、Gecas(GEキャピタル・アビエーション・サービス)から2011年8月22日にはトルコのACT Airlinesにリースされ、レジはTC-ACFとなりました。その後、10月24日にはACT AirlinesはMyCargo Airlinesとなり、TC-ACFは同社の所有に、2013年10月5日にはSaudi Arabian Airlinesにリース、2020年8月31日にリースバックされ、9月10日からは社名が再び、ACT Airlinesに戻り、Freighter -481BDSFにコンバートされ、現在も現役で飛び続けているようです。

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2025年10月16日 (木)

西武鉄道 国分寺xタツノコプロ アニメのまち祭り 国分寺線 2091F ラッピング

現在は武蔵野市に本社が移りましたが、かつて西武国分寺線の鷹の台駅そばにアニメ制作会社タツノコプロがあったことから西武鉄道では2000N系6連、2091Fにラッピングを施し、8月22日より運行を始めました。

2000n-6-2091-2508262000n-6-2092-250826 2025/8/26 国分寺
両先頭車には川越鉄道開業130周年と武蔵野鉄道開業110周年のHM 側面の戸袋横にはタツノコプロが生み出したアニメのキャラクターが描かれたシールが貼られています。

そのキャラクター達ですが

2000n-6-2091f-251013 2000n-6-2091f-251013-2_20251015081901 2000n-6-2091f-251013-3 2000n-6-2091f-251013-4
2000n-6-2091f-251013-5 2000n-6-2091f-251013-6

2000n-6-2091f-251013_20251015082401

と、アニメには疎い私でも知っているキャラクターが描かれています。

251013-3そして鷹の台駅ホームには聖地の看板も用意されています。

2000n-6-2092-251013 2000n-6-2091-2510132025/10/13 鷹の台

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2025年10月15日 (水)

西武鉄道 2000N系 2071F  2016年7月以来、新宿線運用に

先日の40000系8連,48155Fの運用開始を前に長らく活躍した池袋線から新宿線に活躍の場を移した2000N系8連、2071編成を萩山駅で撮影しました。

同編成は2000系の第9次車として6連(2047F、2049F)、8連 (2065F,、2067F、2069F)、2連(2455F~2465F)などともに落成した編成で2065Fと2067Fが西武所沢車輛工場製、他は東急車輛製でした。所沢工場製の車両は8次車同様、側引戸窓が大きく、戸閉機構も従前通り、貫通扉も2位側なしでしたが、東急車輛製は側引戸が若干小さくなり、貫通扉も1,2位両側に設置され、戸閉機構も床置きタイプから鴨居収納タイプとなり、保守の軽減が図られました。補助電源装置は8次車からBL-MGからSIVとなり、2069F,2071FからはTc2の屋根にラジオ受信アンテナが設置されるようになりました。2071Fの竣工は1991年2月1日でした。

2000n-8-2072-1205062012/5/2 練馬高野台 更新修繕を受け、池袋線で活躍していた頃の2071F

2000n-8-2071f-1302242013/2/24 新大久保 池袋線から転属し、新宿線で活躍する2071F

2000n-8-2071f-160423-222016/4/23 小平

更新修繕は2010年7月29日に東急車輛(東急出場は7月24日)で受けており、この際にパンタのシングルアーム化も施工されています。ちなみに減パン工事は2003年5月15日に受けています。更新修繕後、2012年7月頃までは池袋線に配置、その後、2016年7月9日までは新宿線配置でしたが、30000系38118Fが新宿線に配置されたことで池袋線に転属となっています。

2000n-8-2072-1703252017/3/25 西所沢

2000n-8-2072-2304032023/4/3 石神井公園

2000n-8-2072-240523-8edit2024/5/23 所沢 旧西武鉄道「2色塗り黄色・茶色の復刻」ラッピング

2000n-8-100-2071-250328-22025/3/28 西所沢 「清瀬駅100周年記念トレイン」

2000n-8-2072-2504082025/4/8 練馬 1年弱のラッピングから通常塗装へ

2022年4月27日、武蔵丘車両検修場に検査で入場、5月27日に出場(おそらくこれが最後の全般検査)、2024年4月27日からはクハ2071とクハ2072が旧西武鉄道「2色塗り黄色・茶色の復刻」ラッピングとなりました。2024年6月11日には同復刻ラッピングに「清瀬駅100周年」の文字も加えられ、「清瀬駅100周年記念トレイン」となりました。2025年4月には復刻ラッピングから通常塗装に戻ったことが確認されています。

そして2025年9月14日、練馬駅に展示されているクハ2071前頭部模型に9月8日、「新宿線への転出」という文字が加えられました。

2000n-8-2071-251013-4 2000n-8-2072-2510132025/10/13 萩山 9年ぶりに新宿線へ

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2025年10月14日 (火)

E233系0番台 T40編成 T11編成のG車ユニットと組んで青梅・中央快速線運用に

長野総合車両センターに検査入場していたE233系0番台T9編成の出場で預かっていたG車ユニット(サロE233/E232-17)をT9編成に返却したT40編成、続いて長野に入場したT11編成のG車ユニット(サロE233/E232-38)を編成に加え、青梅・中央快速線運用に入っています。

E2330-t40-12r-2510112025/10/11 東小金井 E233系0番台 T40編成

T9編成の入場から約40日、そろそろ出場かなと思いnewsサイトをチェックするとT40編成が長野からT11編成のG車ユニットを連結して豊田車両センターに戻ったというニュースが。運用状況をチェックして10月11日、57T運用で東京発7:51快速青梅行で青梅に向かっていることを確認、いつものように東小金井で撮影することにしました。立川以東で下り列車を、上り列車の干渉なく撮影できる駅は国立と東小金井くらいでG車ユニットの撮影も考慮すると東小金井が良いかなと思っています。

251011東小金井 列車案内 8:33の青梅行にT40編成が充当されています。

E2330-t40-12r-tsts38-251011T40編成に組み込まれたG車ユニット、-56(T8)、-17(T9)に続き今回は-38(T11)となりました。

E2330-t40-12r-251011-22025/10/11 東小金井

次は11月から12月になる頃、また別のG車ユニットを連結して運用に入るのでしょう。

青梅・中央快速線のE233系0番台の話題として、G車連結準備工事のされていないT71編成が10月2日、東京総合車両センターに回送、入場したというニュースもありました。今年3月のダイヤ改正以降、たまに青梅線内限定運用に入るくらいであまり動きのなかった同編成ですが、今回の入場でどうなるのか興味があります。

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2025年10月13日 (月)

西武鉄道 40000系8連 48155Fを撮影

今年度、西武鉄道の新製車は40000系8連3編成が予定されており、その第一編成48154Fは4月11日に小手指基地に甲種回送、4月24日から池袋線での営業運転が始まりました(記事)。続く第二編成48155Fは9月5日に兵庫の川崎車両で落成し、同日からDD200-25牽引で吹田貨物ターミナル、さらにEF210-357の牽引で新秋津まで甲種輸送され、小手指基地に到着しました(記事)。さらに10月に入って第三編成48156Fの甲種回送も行われたようです。そして2015年9月14日には練馬駅に2000N系2071Fの新宿線への転出を示すアナウンスが掲示されました(記事)。
 元来、2000系は新宿線用に開発・投入された車両でしたが、池袋線における2000N系の歴史も茶色にラッピングされた2069Fを最後にその歴史に幕が下ろされようとしています。

40000-8r-48155-251010-3 40000-8r-48855-2510102025/10/10 所沢 48155F 5313レ

48155Fは目撃情報では9月18日、木曜日から運用に入っており、10月10日は5:09に小手指を出発、5202レで池袋に到着後は豊島園を2往復、石神井公園を1往復、豊島園を1往復した後、小手指に戻り、所沢に回送、所沢~池袋感を3往復し、16:24所沢着の5321レで終了となる運用でした。
 ちなみに西武池袋線の場合、池袋∼豊島園間は5400番台、池袋∼石神井公園間は5600番台、池袋∼小手指間は5200番台、池袋~所沢間は5300番台と列車番号が整理されているようです。

40000-8r-48855-251010-26

40000-8r-48155-251010-22edit
2025/10/10 所沢 電留線を出発し、3番線に入線した48155F 5316レ

40000-8r-48855-251010-2 40000-8r-48155-251010-22025/10/10 石神井公園 5316レ

所沢から次に発車する急行に乗車、ひばりが丘で追い抜き、石神井公園で5316レを再び撮影

40000系8連の増備、今年度は48156Fで終わりですが、今後、2069Fの新宿線転入?で池袋線の2000N系が完全に淘汰された後は新宿線の2000N系の置き換えとして続くのでしょうか?或いは40000系の増備は池袋線に対して行われ、新宿線2000N系8連は20000系や30000系の8連が回されるのでしょうか?その辺が気になるところです。

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2025年10月10日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D グアム線に投入されることもなく国内線一筋で活躍した JA8961

cn25644/ln975として製造、1993年4月27日に初飛行、5月13日にANAに引き渡されたのがJA8961でした。

Ja8961-ana-b747481d-cn25644-ln975-9605041996/5/4 HND

Ja8961-ana-b747481d-cn25644-ln975-9610131996/10/13 HND

受領後、三井リース事業他2社に売却され、ANAがリースする形で運航されました。グアム線には投入されない、純国内線仕様で1996年12月から1997年3月までのスキーシーズンにはスキーツアー25周年特別塗装として初代「スヌーピー号」として羽田~札幌新千歳線に投入されました。

Ja8961-ana-b747481d-cn25644-ln975-691231Ja8961-ana-b747481d-cn25644-ln9_202510090838011996/12/31 HND
ちなみに2代目スヌーピー号は1997年12月から1998年3月までJA8139とJA8965の2機が特別塗装になっています。

Ja8961-boeing-747481d-25644-975-030713-f2003/7/13 FUK

2014年4月退役し、2015年には解体されています。前回のこのシリーズの記事にあるようにANA最後の-481D(国内航空会社としても最後)として活躍し、3月31日のNH126便を最後に退役し、4月16日午後9時12分、羽田を離陸、アンカレッジ経由でミシシッピ州テューペロへフェリーされました。ANAにとって35年のBoeing747の歴史に幕が下ろされました。

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2025年10月 9日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その23 新潟駅周辺の散策 part3 新潟駅からか焼島駅

昨日の記事でかつての沼垂に至る信越本線、白新線の廃線跡を辿りましたが、今回は8月20日に同じ道をさらに進み焼島貨物駅付近を散策した際の記録です。

Dsc094042024/8/20 日産のディーラーの奥に見えるのが 北越コーポレーション 新潟工場

Dsc09405_20251008072401私は今回も新潟駅付近から歩きましたが、新潟駅前から新発田営業所方面に向かうバスが走っており、東新潟中学前が最寄りの停留所となります。

Dsc09407_20251008072801バス停からさらに線路を超える手前で焼島駅方面の分岐路があります。

焼島駅はかつての北越紀州製紙(2018年から北越コーポレーションに社名変更)新潟工場(東区榎木町)の原材料、製品を鉄道貨物で輸送するための貨物駅です。製品は印刷用塗工紙であるコート紙、白板紙、ガラス繊維をシート化したエアフィルタなどで製紙会社としては我が国に第5位に位置付けられている会社です。

新潟貨物ターミナルとの間に2往復の貨物列車が設定されており、2024年3月改正のダイヤでは
新潟タ 発843 7251レ 焼島 859
    1134 7253レ    1150 
焼島  1452 7082レ 新潟タ 1510
    1058 7252レ     1116       でした。

7082レは新潟貨物ターミナル発1603の6082レとなり、信越本線、上越線、高崎線、東北本線を経由して隅田川貨物駅まで運行されています。

Dsc0940814:39頃、到着すると既にDD200-22号機に牽引されたコンテナ列車が新潟貨物ターミナルに向けて出発の準備をしていました。2010年3月改正ダイヤまではこの貨物列車は紙列車としてワム80000形で運行されていました。

Dsc09412_20251008073301かつてはこのように同一平面から貨物列車を撮れる場所が多くあったように思いますが、今はそういった機会も減り、なかなか貴重な風景に感じました。

Dsc09414_20251008073501DD200はDE10やDE11の置き換えを目途に2017年に登場したディーゼル・エレクトリック方式の機関車でFDML30Z(V型12気筒30.48lコマツ製SAA12V140E-3型)エンジンでFDM303、出力1,112 kVAの発電機を回し、2レベルPWMコンバーターでDC化、さらにVVVFインバータでかご型三相誘導電動機を駆動する方式となっています。DF200やEF210と搭載機材を共通化しているのも特徴です。

Dsc09416

 列車は14:52定刻に出発してゆきました。

Dsc09428_20251008074901新幹線の高架の先が上沼垂信号所でここで一旦、白新線、信越本線と合流し、東新潟駅の北側の新潟貨物ターミナルに到着します。

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2025年10月 8日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その22 新潟駅周辺の散策 part2 新潟駅からか旧沼垂駅、そして上沼垂信号所付近へ

昨日の記事では東新潟駅からデルタ線の付近を越後石山駅まで歩きましたが、今回は下の地図にあるように現在の新潟駅から東へ旧沼垂駅に続く廃線跡へ、さらにそこから焼島貨物線に沿う形で南下し、上沼垂信号所付近まで歩いてみました。

Photo_20240827095701
新潟駅に北口、万代広場を出発し、萬代橋方面に向かう大通りを行くと国道7号線との交差点に出ます。この交差点を右折し、7号線を東に進むとやがて栗の木橋交差点に出ます。栗の木橋交差点から東が沼垂東エリアになります。

240819_202509140803012024/8/19 新潟駅万代広場

Dsc093962024/8/19 栗の木橋交差点

Dsc09397_20251006133901

さらに道なりに進むと道路は何かをオーバークロスするためか段々と勾配を上って行きます。

Dsc09398_20251006134001側道を進むと線路らしきものが見えてきます。この線路こそが、かつての沼垂駅に続く信越線、白新線の跡のようです。

Dsc09399_20251006134201北方向

Dsc09400南方向

まだ線路用地、枕木、線路がしっかりと残っています。このまま、西方向に進むとさらに焼島貨物線ともオーバークロスしますが、それは後日の記事として、今回はここから南方向に線路跡を辿ってみました。

Dsc09222_20251006134701しばらく進むと新栗木川を渡る鉄橋の跡が見えてきます。鉄橋自身は撤去されていますが、橋台はまだ残されています。

Dsc09223_20251006135501さらに南へ行くとやがて新潟新幹線車両センターに続く、新幹線の高架線と信越本線、白新線の複々線が見えてきます。
さらに左手に単線非電化の線路が見えていますが、それが焼島貨物線のようです。

Dsc09233この場所でしばらく、列車の動きを観察していると新潟車両センターに入庫する特急「いなほ」編成を見ることが出来ました。

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2025年10月 7日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その21 新潟駅周辺の散策 part1 東新潟駅から越後石山駅まで 

新潟の旅2日目は新潟、東新潟、越後石山の3駅を頂点とする三角地帯の散策に出ました。

Dsc09125_202510060731012024/8/19 東新潟 駅名標

新潟駅を白新線の列車で出発するとしばらくは東へ進み、やがて右にカーブし、新潟車両センター(上沼垂運転区)の手前で直進する信越本線と新発田方面に向かう白新線が左に分岐します。ここら辺までは上越新幹線の高架橋も在来線線路と併走しています。新潟貨物ターミナルから信越本線新津方面につながる線路もあり、デルタ線を形成しており、デルタ線の中に新潟車両センターがあります。

Dsc09129_202510060801012024/8/19 跨線橋上から見た現在の上下線ホーム 駅の北側には新潟貨物ターミナルがあります。

Dsc09126_20251006080301 Dsc091282024/8/19 DD200に牽引され焼島に向かうコンテナ貨物列車7251レ 
焼島貨物に関しては後日の記事で触れます。

Dsc091302024/8/19 東新潟駅 駅舎

東新潟駅は1958年2月1日に新潟操車場前仮乗降場として開業しました。この頃の白新線は沼垂駅が終点で、現在は複線となっている新潟駅~新崎駅間も単線でした。1978年に複線化された際、東新潟駅に昇格しましたが、ホームは在来のホームが上り線用、下り線用ホームは操車場を挟んで北側に新設されました。1989年に新潟貨物ターミナル駅が開設、上沼垂信号所~大形駅間の線路が整理され、10月30日に現在のように上下ホームが統合され、12月25日、駅舎もオープンとなりました。

Dsc091312024/8/19 新潟に向かうE129系 4+2連

東新潟駅から上沼垂のデルタ線方向に歩きました。平日朝の白新線は新潟に向かう列車が10分~15分毎程度の頻度で運転されています。これは1972年の白新線、羽越本線の電化で沿線のベッドタウン化が進んだせいだと言われています。

Dsc09132
Dsc09133_202510060830012024/8/19 石山第三踏切

東新潟駅から約10分ほど線路沿いに歩くと、デルタ線の東側の分岐点にある踏切に到着します。手前の単線の線路は東新潟駅から越後石山駅に繋がる旅客線の線路で線路の状態からあまり使われてはいないようです。

Dsc09135_20251006083201 Dsc091362024/8/19 石山踏切

Dsc09137

2024/8/19 白新線と新潟車両センター

続いて、新潟貨物ターミナルから越後石山、新津方面に向かう貨物線(上の写真のトラス橋)を潜り、石山踏切で白新線を渡ります。さらに北側に見える踏切(卸団地踏切)は焼島に向かう貨物線で新潟貨物ターミナルで出発準備をしていた7251レがちょうど通過してゆきました。

Dsc09144_202510060843012024/8/19 石山踏切から西方向

左の線路は白新線新潟方面、右側の線路は白新線新発田方面
新潟方面に向かう線路は信越本線をオーバークロスするため勾配がついています。

このデルタ線の西側の頂点でしばらく通過列車を撮影してから、越後石山方面にあるきました。新潟車両センターの車両をちらちらと見ることはできましたが、なかなか良い写真が撮れそうなポイントは見つからず、越後石山駅付近まで来てしまいました。

Dsc09148_202510060849012024/8/19 越後石山 
駅北側の踏切から新潟車両センター方面
E129系が停車している線路が車両センターへ、その手前の線路は新潟貨物ターミナルへ、さらにその手前は白新線上り線から信越本線上り線へ

既に9月29日の記事(E653系1100番台H-202編成)、10月2日の記事(GV-E400-2)などの写真はこの越後石山駅の北側の踏切から撮影したものです。

T-0503252005/3/25 越後石山駅から新潟方面
新潟貨物ターミナルに向かう貨物列車は信越本線から一旦、上り本線を経由して、右へ曲がる貨物線(奥の方の線路)に入ってゆきます。

Dsc091542024/8/19 越後石山 駅名標

2005年に新潟に来た際に越後石山駅で撮ったこの写真の光景が印象的で、東新潟から越後石山にかけての周辺散策をまず試みました。これらの線路の関係は信越本線(直江津~新潟)間の配線図(サイトはこちら)を参照されると関係がよくわかります。

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2025年10月 6日 (月)

2024年夏の新潟旅行 その20 新潟支社内で活躍するローカル列車 電気式気動車編 GV-E400系 part2 GV-E401+GV-E402形

JR東日本の電気式気動車GV-E400シリーズ、キハ110が両運転台であるのに対してキハ111とキハ112があるように、あるいはキハE130に対してキハE131とキハE132が製造されたように、片運転台方式で2両連結の編成としてGV-E401とGV-E402が製造されました。奇数形式はトイレが設置され、偶数形式にはトイレが設置されていない点、機器の配置は400を基準とすると401は同配置、402は点対称に配置されています。

Gve4023-2408192024/8/19 新潟 GV-E402-3

Gve4014-2408182024/8/18 新津 GV-E401-4
新津運輸区に1~16の16編成が配置されています。

Gve4027-2408192024/8/19 新潟 GV-E401-7
編成は400 2両と401+402の4両

Gve40114-2408182024/8/18 新潟
400と401+402の連結の仕方に決まりは無いようです。

Gve40112-2408212024/8/21 GV-E401-12の車内
座席モケットや天井など全体をトキピンク色を基調とした色彩で統一してあります。秋田地区配置の車両はブルー系となっているようです。客室中央右側に機器室が設置されています。

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2025年10月 3日 (金)

ANAの国内線仕様 B747-481D グアム線にも投入 JA8960

cn25643/ln972として製造、1993年4月8日初飛行、5月11日、ANAに引き渡されたのがJA8960でした。

導入後、たくぎんリース他4社に売却となり、その後、グローバルリース他4社に変更されるなどANAがリース契約で運航する形態が続きました。本来、国内線用の機材ですが、深夜にグアム便として飛ぶことがあり、2001年5月20日日本時間午前1時25分頃、関西空港22:58離陸グアム行NH173便として、グアム国際空港から北北西240km上空、FL390で巡航中、乱気流に遭遇、機体が激しく動揺、機長ほか乗務員13名、乗客286名の計300名が搭乗していましたが、乗客1名が重傷、乗客13名、客室乗務員7名計20名が軽傷を負う事態となりました。

Ja8960-ana-b747481d-cn25643-ln972-9801031998/1/3 HND

Ja8960-ana-b747481d-cn25643-ln972-0009151997/9/15 HND

Ja8960-boeing-747481d-25643-972-030713-f2003/7/13 FUK

2014年3月に退役、定期便としてのラストフライトは那覇発羽田行NH126便でした。3月28日、午後9時34分に羽空港からミシシッピ州テューペロにフェリー、2015年に解体されました。JA8960の離日後、ANAの-400として残された機体はJA8961のみとなりました。

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2025年10月 2日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その19 新潟支社内で活躍するローカル列車 電気式気動車編 GV-E400系 part1 GV-E400形

新潟地区では非電化の磐越西線、米坂線や羽越本線の村上駅を境とするDC-AC(50Hz)接続区間運転用に国鉄時代から承継したキハ40系、キハE120形、キハ110系気動車などが使用されてきましたが、老朽化したキハ40系の置き換え用として2019年から投入されたのがGV-E400系電気式気動車です。

GV-E400系はディーゼルエンジンで発電機を回し、発電された三相交流を一旦、PWM(パルス幅変調方式)コンバーターで直流化し、VVVFインバータ、三相誘導電動機を駆動する方式です。いうなればVVVF制御方式の直流電車にディーゼルエンジンと交流発電機とPWMコンバータを追加した方式です。バッテリーはエンジン起動用でバッテリーの電源で発電機を起動用モーターとして運転し、機関が自立回転するまでサポートします(機関始動モード)。機関が安定起動し、発電機が三相交流の発電を安定的に出力するようになったら、主回路と補助電源回路に分配します(定電圧制御モード)。抑速ブレーキ時には主電動機の回生ブレーキで発生した電力を補助回路機器の電力と発電機をエンジン・排気ブレーキモードで電動機として回転させることで消費させます(抑速制御モード)。
キハE200形やHB-E300系のような走行用バッテリーを搭載したシリーズハイブリッド方式とならなかったのはイニシャルコストが高くなること、バッテリー搭載による重量の増加、メンテナンスが必要となる点を考慮したためと推察されています。

主要諸元

最高速度 100 km/h
起動加速度 2.3 km/h/sまたは1.8 km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 3.5 km/h/s
車両定員 99(座席36)(GV-E400)111(座席40)(GV-E401)121(座席51)(GV-E402)
自重 42.2t(GV-E400)40.3t(GV-E401)39.7t(GV-E402)
車体長 20,000 mm
車体幅 2,800 mm
車体高 3,640 mm
車体 軽量ステンレス(efACE)
台車 軸梁式ボルスタレス台車 DT87(動台車)TR270(従台車)
機関 DMF15HZD-G形直噴式直列6気筒ディーゼルエンジン(小松製作所製)
燃料搭載量:800 L
機関出力 450PS/2000rpm
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT81
主電動機出力 105kw
歯車比 7.07
制御方式 コンバータ+VVVFインバータ制御(三菱電機製)
制御装置 CI 27形主変換装置
制動装置 電気指令空気ブレーキ 抑速ブレーキ 機関・排気ブレーキ 直通予備ブレーキ 耐雪ブレーキ 回生ブレーキ
保安装置 ATS-P・ATS-Ps EB装置 列車防護無線装置

エンジンは小松製作所燃料直接噴射式のDMF15HZD-G形(定格出力331kW≒450PS/2000rpm、総排気量15.24リットル、4サイクル直列6気筒横形、ターボチャージャー・アフタークーラー付き)で電気系は三菱電機製CI 27主変換装置として、補助電源はSIVにて出力63kVAの三相交流440Vと出力7kVAの単相交流100Vを得ています。2018年から2021年にかけ、川崎重工業が製造を担当し、2019年8月19日から運用に入りました。
両運転台タイプのGV-E400形、片運転台タイプ2両連結のGV-E401+E402形の3形式からなり、GV-E400形は19両、GV-E401+E402形は22編成が製造されており、GV-E400 1~8、GV-E401+E402 1~16が新潟車両センター、GV-E400 9~19、GV-E401+E402 17~22が秋田総合車両センターに配置されています。尚、キハE120形は2008年から新津運輸区に配置されていましたが、2020年3月に只見線用として郡山総合車両センター会津若松派出に転出しました。

Gve4002-2408192024/8/19 越後石山 GV-E400-2

Gve4002-240819-22024/8/19 新潟 GV-E400-2

Gve4007-2408192024/8/19 新潟 GV-E400-7

両運転台のGV-E400形は2両編成のGV-E401,E402形と併結し、3連、4連といった編成で活躍しています。

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2025年10月 1日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その18 新潟支社内で活躍するローカル列車 電車編 E129系 part2 4連B編成

E129系には昨日の記事にある2連と4連が設定されており、両編成を併結し、6連とすることで混雑時の需要に対応しています。中間車はモハE129形とモハE128形でそれぞれがクモハE128形、クモハE129形とMM'ユニットを組んでいます。モハE129形には制御装置、集電装置、モはE128形にはCPが搭載されています。両車ともそれぞれのユニットの内側の台車が電動台車となる半電動車方式となっています。

E129-4b
E129系 4連B編成 編成表

2022年8月3日から4日未明の豪雨で坂町駅構内が冠水、B18編成、キハ111-202,キハ112-202の一部が水没する事故となりました。

E129100-b1-2408182024/8/18 新潟 B1編成

E129100-b3-2408182024/8/18 新潟 B3編成 線路モニタリング装置(軌道変位・軌道材料モニタリング装置)搭載編成

E129100-b5-2408182024/8/18 新津 B5編成

E129100-b22-240818-42024/8/18 新潟 B22編成

水没事故にあったB18編成のその後が気になるところですが、新幹線の車両基地が冠水してみたり、最近は思わぬ水害で新製まもない車両が廃車に追い込まれるケースが多発しています。今年も四日市駅そばの地下駐車場で駐車中だった大量のクルマが水没するという事故がありました。激甚化するこういった水害に対して有効な対策が無いのが大きな問題に感じます。

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