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2026年2月13日 (金)

わが国ではJALが導入、国内線、国際線用に20機導入した三発ワイドボディ機 DC-10 その1 開発、派生型、トラブル

マクドネル・ダグラスDC-10はマクダネル社と合併する前のだダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company )が1966年にアメリカン航空の要望で開発を始め、3機のジェットエンジンを主翼下と垂直尾翼基部に配置した300席クラスのジェット旅客機でした。1967年にダグラス社はベトナム戦争による資材不足とキャッシュフローの問題解決のため、マクダネル社と合併、マクダネル・ダグラス社となり、さらに1997年にはボーイング社に吸収合併されたため、社名は消滅しました。

DC-10の開発が決定した1960年代後半のアメリカの航空業界は大陸横断の超長距離路線は超音速旅客機(SST)、国内線等の中距離路線を担当する機体として250席から300席クラスの双発機が求められていました。エンジンはGEがC-5A向けに開発したTF39型を民間機に転用する方針でしたが、まだまだ開発途上にあり、アメリカ国内に高地も多く存在することから、双発ではなく3発機が開発の中心に置かれました。1967年9月にロッキード社がライバル機となるL1011トライスターの開発決定を宣言、マクダネル・ダグラス社もかなりの無理をしてDC-10の開発計画を同年11月に発表しました。アメリカン航空からオプションを含め50機、ユナイテド航空からオプションを含め60機の受注を受けたことで正式にローンチが決まりました。

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主要諸元

乗員 : パイロット2名、航空機関士1名
旅客数 : 250 - 380 名
全長 : 55.5 m
全幅 : 50.4 m
全高 : 17.70 m
翼面積 : 367.7 m2
重量 : 121,198 kg
最大離陸重量 : 263,085 kg
エンジン : GE製 CF6-50A ターボファンエンジン 3基(1基の推力:218 kN)
     P&W製JT9D-59A型 ターボファンエンジン3基
巡航速度 : 982 km/h
航続距離 : 12,055 km
巡航高度 : 12,000 m (39,400 ft)

DC-10は新技術の導入を避け、既存の工法と制御システムのみで構築されているのが特徴でした。そのためローンチではトライスターに後れをとったものの。カリフォルニア・ロングビーチ工場での製造は順調に進み、1970年7月29日に初号機(タイプはDC10-10)が初飛行、1971年8月に営業運航が開始され、1988年までに446機が製造されました。

基本型のDC-10-10の他、長距離型DC-10-30、航続距離延伸型DC-10-30ER、貨物型DC-10-30F、GEではなくP&WエンジンJT9Dを装備したDC-10-40型、-40の短距離仕様型DC-10-40D、メキシコなどの高地向けにCF6-6より推力の大きいCF6-50を装備したDC-10-15型(スポート)、MD-11のコックピットシステムをDC-10に移植したMD-10、軍用空中給油機KC-10 エクステンダーなどが派生タイプをして製造されました。

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運航開始初期に発生した事故

なんといっても衝撃的で記憶に残る事故は1974年3月3日、パリオルリー空港を離陸したトルコ航空981便がブローニュの森に墜落し、乗客乗員346名が犠牲になった事故です。この日は私事で恐縮ですが、ちょうど大学受験1次試験の日であったこともあり、いまでも鮮明に記憶しています。事故原因は貨物室ドアが完全にロックされていない状態で離陸したことで与圧によりドアが空中で吹き飛び、急減圧で床が陥没、油圧配管が切断され、操縦不能に陥り、高速で地上に激突しました。同様の事故は1972年6月12日にデトロイト空港を離陸したアメリカン航空96便のDC-10で起きており、このときは機長のテクニックで緊急着陸に成功し、死者は出しませんでしたが、貨物室ドアのロック機構の問題が指摘されているにもかかわらず、ダグラス社は小手先の対応で対処したため、パリの大事故に繋がったと言われています。
もう一つはアメリカン航空が主翼からエンジンを取り外す際に本来はエンジンを外した後にパイロンを外すオーバ-ホール手順を簡略化し、パイロンにエンジンが付いた状態で機体からエンジンを取り外す手順としていたため、パイロンに亀裂が入り、1979年5月25日、シカゴ・オヘア空港発LA行191便の左翼のエンジンが脱落、油圧が抜け、翼前縁の高揚力装置が格納され、左翼が失速、高度600ftから墜落、死者273名の大事故となりました。この事故は当初、機体の欠陥が疑われ、耐空証明の取り消しにまで発展する事態となりました。
これらの他、エンジンブレードの亀裂を整備段階で見逃していたために1989年7月19日、ユナイテド航空232便が不時着事故を起こし、乗客乗員112名が亡くなる事故が起きていますが、運用期間が延び、総飛行時間が増大しても事故発生率は大きく改善され、「危険な機体」というイメージは払拭されてゆきました。

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日本の航空会社が導入したDC-10

JALはDC-8の後継機として中型ワイドボディ機の導入を1973年から検討し、DC-10と747SPが最終候補となりましたが、初飛行が済んでおり、機長育成の観点から判断し、同年12月、DC-10-40型の導入を決定しました。敢えてP&Wエンジン搭載の-40型にしたのはコンベア880を運用してGEのエンジンに悩まされた経験があったからと言われています。1974年に国内線用4機、国際線用2機の購入を契約、最終的に20機導入しました。

JASはTDA時代のホノルル線進出を見越し、2機のDC-10-30ERを導入しました。うち1機は子会社のハーレクィンエアが国際線チャーターにも使用しました。

電器部品メーカ-ミネベアの子会社ミネベア航空は主力資材、従業員輸送用機材としてサベナ・ベルギー航空の貨客混載型DC-10-30CFをNRTを拠点に運航していました。

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コメント

B767−281様 お早うございます。DC10懐かしい飛行機です。85年に初めてペルーに行った時に当時のCP AIRのDC10にバンクーバーからリマまで乗りました。(成田からバンクーバーは747−200)オレンジ色の大胆な塗装で良かったです。また後継のMD11は奇しくも2回目のペルー行き(99年)の時成田からアトランタ、アトランタからリマもでデルタ航空の機体に乗りました。MD11は無理な設計が祟って事故率が高く、JALの機体は早期に引退してしまって残念でした。今は双発機全盛になって写真を撮る意欲がすっかりなくなりました。我が家の頭上は横田基地への空路になっているのでよく747Fが飛んでいますが、騒音が迷惑で被写体にはなりません。ところで今回の衆議院選挙の結果には失望しています。雰囲気のみであんなに多数の議席を取るなど考えられないです。しかし必ず反作用は起こると思いますので絶望せずに行きたいと思っています。因みに憲法「改正」の決議が両院の3分の2での発議となるのであと2年が勝負かなとも思います。

細井忠邦 さま、おはようございます。

そうですか、今までペルーに2回もゆかれているのですね。わたしも南米はブラジルのサンパウロに1回、行ったことがありますが、ダラス・フォートワース経由で往復ともアメリカン航空の便でした。アメリカの空港で3時間くらいのトランジットの後、再びオーバーナイトでサンパウロに付きましたが、さすがに疲れたという感じでした。
 今回の選挙、小選挙区の自民党の得票率は49%、2位以下の落選者に投じられた死に票は48%と言いますから、極端な結果ですね。
Net、SNSの情報が選挙結果に大きな影響を及ぼしたことも言えますが、これからの選挙、勝つためには戦略を根本から改めなくてはいけませんね。それにしても総務大臣当時の評判やその後の政治家としての言動が批判されていた高市が首相になってあれだけ票を獲得するのは不思議でなりません。もちろん中道改革連合の突然の結成、政治的スタンスの問題もあるかとは思いますが。

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