« 速報版 2026年初夏、岡山、広島方面の旅 総延長35.8km、日本一の輸送人員を誇る広島電鉄 part 2 車両編 6 900形 913号 | トップページ | 西武鉄道 西武狭山線のワンマン化、7000系の投入 part4 車両編 7000系 7110編成 »

2026年8月14日 (金)

鳴り物入りのハイテク・ハイパフォーマンス機として導入されるも僅か10年の活躍期間で去っていたJALのMD-11 その1 JA8580

1976年から1983年にかけ20機のDC-10-40型を国際・国内線用に導入したJALは1980年代後半にDC-10の後継機の選定を始め、MD-11とエアバスA330/A340を候補に検討を行っていました。その結果、1990年3月30日にMD-11が選定され、確定10機、オプション10機の発注となりました。選定理由は操縦性、整備面でDC-10からの移行がスムーズにゆくこと、部品に共通性がある点が決め手となりました。1991年7月16日、エンジンはP&W4460に決定、1993年の初号機受け入れに備えることになりました。JALとしてはMD-11をDC-10の後継機としてだけではなく、747‐400並みの航続距離から250~300席クラスの国際線専用機材として位置づけ、東南アジア路線などを中心に運航する中距離仕様機と欧米線などの長距離国際線で747-400をサポートする長距離仕様機の2タイプを導入することとしました。

cn48571/ln552として製造、N91566のテストレジで初飛行(恐らく1993年9月1日前後)、11月5日にJALに引き渡された(12月17日というデータもあり)のが初号機JA8580でした。翌1994年1月3日に2号機JA8581と共に成田空港に到着、下地島訓練場でパイロット訓練、整備訓練、客室乗務員訓練に供され4月1日から、JA8581と共にライン投入されました。JA8580の初就航路線は羽田~函館線でした。初就航を直前に控えた3月25日、JALはMD-11 10機に「JーBird」という総称を与え、1機1機に保護活動を行えば生息し続けられる日本の「希鳥」の名前を与えると発表、JA8580は「エトピリカ: Tufted Puffin」と命名されました。ウイングレットとL2,R2ドア横に鳥のイラストがペイントされ、第2エンジンカウルにJ Birdの総称ロゴが描かれました。JA8580は中距離仕様機で国際線就航は1994年6月1日に成田~プサン線に投入されました。コンフィグはC45Y259でした。

Ja8580-961219-ngot1996/12/19 NGO-Terminal 

Ja8580-970211-nrtrwy-161997/2/11 NRTーRWY16

Ja8580-971228-nrtrwy-341997/12/28 NRT-RWY34

Ja8580-990530-nrtrwy-161999/5/30 NRT-RWY16

JA8580は1997年6月8日、香港啓徳空港発名古屋行JL706便として乗員11名、乗客169名が搭乗し、午後7時34分頃、名古屋空港に着陸のため志摩半島上空高度17000ftを通過中、対気速度が設定値を超えたため降下率を下げるため機首上げ操作を行ったものの減速しないためスピードブレーキを展開したところ、急激な機首上げが発生、自動操縦が解除され機体が上下に大きく揺れだし、シートベルトを着用していなかった乗員乗客などが天井などに叩き付けられて負傷し、客室乗務員1名と乗客3名が重傷を負い、乗員4名、乗客4名が軽傷を負いました。予定より15分遅れの午後8時15分に名古屋空港に着陸しました。重傷だった女性客室乗務員は脊髄損傷、脳挫傷を負い、重体から回復することなく1年8か月後の1999年2月16日に34歳で死亡しました。
この事故、乱高下の原因は降下中に機長が行った一連の操縦操作が自動操縦装置の許容量を超えたためと結論付けられていますが、MD-11は先週の記事でも触れたように巡航中に自動操縦装置が外れると操縦安定性が低く危険な状況を招きやすいとの指摘があり、1996年までに同様の事故が5回以上発生しており、マクドネル・ダグラス社から運航と整備に関する改善情報(SB:Service Bulletin)が出されていたにもかかわらずJALが本格的に対策をしていなかったという問題もありました。この事故以降、JALの名古屋~香港線は廃止となり、キャセイパシフィック航空とのコードシェア便のみが運航されています。

私も1997年9月、シンガポールに海外出張した際に往路で搭乗したのがこのJA8580でした。

1997年7月、マクダネル・ダグラス社はボーイング社に吸収合併されることとなり、12月にはMD-11の受注の停止、2002年2月に製造が終了となりました。2000年11月17日、JALは2002年度から2004年度にかけ10機のMD-11の売却を発表、経済性の高い双発機777‐200ERや767-300ERに置き換え、貨物機としての需要が高いMD-11を早いうちに手放そうという経営戦略でした。

JA8580は2002年9月に退役、貨物機に改修(MD-11F)され、2002年9月10日からN272UPとしてUPSの所属となり、2024年3月に保管機になるまで活躍、その後解体されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

 

« 速報版 2026年初夏、岡山、広島方面の旅 総延長35.8km、日本一の輸送人員を誇る広島電鉄 part 2 車両編 6 900形 913号 | トップページ | 西武鉄道 西武狭山線のワンマン化、7000系の投入 part4 車両編 7000系 7110編成 »

「旅客機 MD-11」カテゴリの記事

コメント

B767-281様お早うございます。残暑お見舞い申し上げます MD11大変懐かしい飛行機です。93年2回目のペルー訪問時にデルタの機体に乗りました。成田からアトランタ、アトランタからリマの両方ともMD11でした。アトランタに降りた後キャプテンとお話をする機会がありましたが「良い飛行機だよ」とおっしゃっていました。その後様々な問題が露見し、旅客タイプは早期に引退してしまったのは残念でした。JALの場合何かコンベア880と被る印象でした。コンベアはなかなか操縦が難しい機体だったそうですが、戦前、戦中の飛行機乗りからは操縦しがいがある、と人気ぐあったとも聞きます。さてどう言う訳かパソコンからのコメントは蹴られてしまうようです?

細井忠邦さま、おはようございます。今年はエルニーニョのせいなのか8月になってから関東地方は曇りがちの天気で、台風は東から西に進み、千葉では集中豪雨で10名もの死者が出るという大変な夏になっていますね。
私も1990年代、初頭、ニューメキシコ州ツーソンの学会に参加した際、成田~ロサンゼルス間往復で登場したのがデルタ航空のMD-11でした。N80*DEというレジのMD-11を成田でよく撮影したものでした。コンベア880ではGEエンジンと操縦性に悩まされたJALですがMD-11では時代の流れに押されて短命機になってしまいましたね。
細井さんのこれまでのコメントに使用されたIPアドレスをチェックしてみたのですが、いずれもコメント投稿アクセス禁止リストには入っていないようです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 速報版 2026年初夏、岡山、広島方面の旅 総延長35.8km、日本一の輸送人員を誇る広島電鉄 part 2 車両編 6 900形 913号 | トップページ | 西武鉄道 西武狭山線のワンマン化、7000系の投入 part4 車両編 7000系 7110編成 »

カテゴリー

2026年10月
日 月 火 水 木 金 土
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村