2013年8月18日 (日)

2013 夏 新潟の旅 4 新津区の気動車 引退したキハ52

これまで、今回の新潟旅行で撮影した新津区の現役の気動車達を紹介してきました。

今回、ご紹介するのはこの旅行で撮影したものではなく、2005年3月の出張で撮影したものです。本来なら、前回の1975年のシリーズで紹介すべきでしたが、あのシリーズの時点では記事にするネタが少なすぎて記事に出来ませんでした。

今回、新津運輸区の話題は気動車から、機関車へ続きますが、気動車編の最後に今は引退してしまったキハ52の話題を付け加えておこうと思います。

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恐らく磐越西線の列車だと思いますが、キハ52 102を先頭にした4両編成で新潟に向かう気動車列車 2005/3/25 越後石山

新津運輸区のキハ52について、Wikipediaの新津運輸区の記事によると、

キハ52形気動車

2011年8月3日に当時配置されていた7両すべてが廃車となり配置がなくなった。3両は旧国鉄色(2006年12月より、それ以前は新潟色)、4両は新潟色であった。当区のキハ52形の廃車によりキハ52形は形式消滅し、JRのキハ20グループそのものが消滅となった。なお、同日中に甲種輸送にて当区を離れ、全車フィリピン国鉄に譲渡されて日本から去った。

とのことです。

因みに最後まで残った7両の番号は
102, 120, 121, 122, 123, 127, 137 です。

これらの車は解体されることなくフィリピン国鉄に譲渡されたそうですので、是非あちらで頑張って欲しいものです。

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同列車の後追いショットです。 キハ47 507が最後尾でした。 2005/3/25

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キハ52についてはもう一枚、キハ40との2連の列車の写真を撮っていました。 2005/3/23 新津 但し、こちらば番号不明です。

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2013年4月14日 (日)

1974,1975 北海道へ 8 一般形気動車 キハ22 

昨日に続き、北海道の気動車シリーズですが、今回は急行型が登場する以前から各停・準急などの運用に活躍していた一般形気動車です。

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バス窓スタイルなのでキハ12形かと思いましたが、番号が59と書かれているのでキハ22形の初期タイプかと思います。 1975/10 池北線のどこかの駅

<キハ10系に関して>

国鉄キハ10系気動車は、国鉄が液体式試作気動車として開発されたキハ44500形の実績を基に1953年に開発した気動車のグループで、1957年までに728両が製造され、日本全国で使用されました。

国鉄の量産形気動車としては初めて液体式変速機を実用化し、複数車両の総括制御を容易としたことで、日本におけるその後の気動車普及の途を開いた極めて重要な系列として位置づけられています。

車体は鋼板および鋼板プレス材により構成された軽量構造であり、車体重量を可能な限り軽量化するために車体断面を小さく設計されており、当時の電車や客車に比べても車体幅が小さく2,600mmとなっています。設計全般には、当時の車両火災などへの考慮から、難燃・不燃材料などが多く取り入れられています。

外観の最大の特徴は、正面貫通式運転台を採用したことです。運用にフレキシビリティを持たせるためで、以後の国鉄気動車は特急形も含めほとんどがこれを踏襲し、結果1両単位での自由な増解結が可能となり、車両運用上多大な利便性を有することになりました。

側面形状は車体両端にステップ付の客用ドアを配置し、客室側窓は1953年製のキハ44000形2次車と同様、上段をHゴム支持固定、下段を上昇式とした、いわゆる「バス窓」です。窓下には補強帯(ウインドウ・シル)を備えた古い形態を残します。車体中央部壁の面に排気管を立ち上げる屋上排気方式を標準としました。

機関・変速機・逆転機はDMH17B形ディーゼル機関(160PS/1,500rpm)にTC2液体変速機とDT19形台車を組み合わせています。変速機は後にDF115も用いられました。

エンジンと変速機は車体床下に吊り下げられた機関台枠に搭載されており、ここから取り出された動力は、プロペラシャフト(ユニバーサルジョイント)、ギアボックスと一体化の上で台車のトランサム(横梁)に2本の平行リンクで結合して支持される、ベベルギアと平ギアによる逆転機、およびこれと一体化された平ギアによる最終減速機を経て、台車の車体中央寄り1軸を駆動する構造でした。

キハ17形(キハ45000形)

キハ17形は、便所付き片運転台車で、1953年から1957年にかけて402両が製造された本系列の基幹形式であり、日本初の本格的量産型液体式気動車でした。

初期車は全座席がボックス式クロスシートでしたが、1954年製の206以降は、乗客の乗降の円滑化を図るため、客用扉付近のクロスシートがロングシートに変更されるとともに、シートの背ずりが高く改良されました。また、1956年製の321 - については、車体強度の向上が図られた関係で、トイレの窓がHゴムによる固定式となり、トイレおよび水タンク室の補強帯(シル・ヘッダー)が省略され、客室幅が12mm広げられました。客室の拡幅に関する設計変更は、同時期に製造されていた他形式でも行われています。

形式間改造については、11両がキユニ17形に、5両がキニ17形に改造されました。老朽廃車については1973年から始まり、1981年までに全車が除籍されました。

キハ16形(キハ45500形)

キハ16形は、便所なし片運転台車で、1954年から翌年にかけて99両が製造されました。日本各地に配置・運用されました。車内は全車がキハ17 206 - と同様の、客用扉付近にロングシートを配した背ずりの高いタイプとなっています。定員は106名(座席82人、立席24人)です。

形式間改造については、8両がキハユニ18形に改造され、そのうち6両がキユニ18形に再改造されています。廃車は1974年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。

キハ12形(キハ48200形)

キハ12形は、酷寒地向けの便所付き両運転台車で、1956年に22両が製造され、全車が北海道内で使用されました。キハ11形100番台との相違は、側窓が二重構造となったことです。当初は、デッキ部の仕切り壁は設置されませんでしたが、後年の改造により設置されました。定員は、基本的な車体構造が同じキハ11形と同一です。

老朽廃車は1976年から始まり、1980年までに全車が除籍されました。形式間改造車および譲渡車は存在しません。

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キハ22-136 1974/7 深川にて

<キハ20系について>

キハ10系気動車は当時の一般的な20m級客車と比較して車体断面が小さいために居住性が犠牲となっており、乗り心地の点でも問題がありました。

それは当時のDMH17形エンジンでは車体サイズを小さくしたり、乗り心地を犠牲にした軽量化に務めても出力が足りなかったからです。

1955年ナハ10形軽量客車の完成で状況は一変し、スイス国鉄流の準モノコック構造車体と、プレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したまま、従来比3/4程度の大幅な軽量化が可能となり、これにより、非力な既存エンジンのままでも大型車体を備える気動車の製造に目処が立ちました。

こうして、10系客車の設計ノウハウを有効活用する形で、翌1956年に大断面車体を備える20m級気動車の第1陣として、準急形気動車であるキハ55形(当時はキハ44800形)が製造され、ここに初めて電車・客車と同等の車体(車内設備)を備える気動車が実現しました。

その後、キハ55形の成功を受ける形で、普通列車に用いる一般形気動車についても大型車体へ移行することが決定され、同形式に準じた設計で新たに開発されたのがキハ20系です。

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キハ22-19 留萌にて 1974/7 羽幌線の列車として留萌で出発待ちをしている様子

キハ22形

酷寒地向けの耐寒仕様車として1958年から製造開始され、北海道および東北地方に配置されました。製造会社はキハ21形の帝車と新潟に加え、富士重工業と日本車輌製造が加わっています。

乗降口を車体両端へ配置して、客室との仕切り扉を備えたデッキ付きとし、側窓を小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めています。暖房装置はエンジン冷却水利用の温水暖房として強化し、かつ放熱フィンを大型化して効率を良くしました。床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや、雪靴・雪下駄の滑り止め金具(スパイクなど)への対策から木張りとされ、さらに断熱材の厚さを増したため、暖地向けの標準車に比べ、レール面基準で50mm高くなりました。そのため、客室窓、乗務員用扉、運転台窓、貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)、尾灯の位置もキハユニ25 7を除くキハ20系他車よりも高くなりました。また、警笛は前照灯脇から、温水管の取り回しが楽な乗務員室床上(助手席足元)に変更されました。

室内色も暖色系の薄茶色4号とされ、車端部がロングシートであること、窓側に肘掛けがないことを除けば、準急形のキハ55系に遜色ない水準であり、急行列車にも用いられました。

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この車輌はいまだに正体不明なんですが、羽幌線内ですれ違った対向列車でキハ55だったのかも知れません 1974/7

床下機器のカバーリングや冷却水による保温をはじめ、補器類に至るまで徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分な能力が確保されました。

1960年代から1970年代に北海道のローカル列車の多くは本形式が投入されていました。また、循環急行「いぶり」、函館本線の「らいでん」、「せたな」や羽幌線の「はぼろ」など道内のローカル急行にも数多く使用され、これらは「遜色急行」として鉄道ファンに注目されたそうです。

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防寒の徹底した二重窓が特徴的だったキハ22 1975/10 札幌

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白石駅で撮影した首都圏色のキハ22形2連 1991/8/20

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年2月28日 (木)

1974, 1975 北海道へ 1 プロローグ

大学のクラブ活動で私は化学部に所属し、1,2年生の夏休みに北海道の中学校に理科実験の指導に行くという伝統行事に参加致しました。毎年4月頃から北海道東京事務所を通じて、訪問先の学校を紹介して貰い、東京から実験器具、試薬、指導のためのテキスト、そして宿泊のための食料、寝袋等を持参し、現地の中学校に赴き、そこで宿泊させて貰いながら、「気体発生の実験」、「電気分解の実験」などを行い、現地の中学生,教職員の方々と交流を深めるという内容でした。1年の夏(1974年)は道北の羽幌と天塩有明(初山別村)の中学校を、2年の夏(1975年)は道東の中標津羅臼の中学校を訪問致しました。

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羽幌線自身が1987年3月30日に廃線となってしまい、今はもう見ることが出来ない天塩有明の駅名標。当時も無人駅でした。 1974/8

北海道までどうやって行ったかですが、1年目は伝統に従って、上野から急行「八甲田」~青函連絡船~急行「宗谷」と乗り継ぎ、札幌で一旦下車し、定山渓に宿泊後、翌日、急行「天北」で深川から留萌線、留萌から今は廃線となってしまった羽幌線で羽幌に向かいました。2年目は、”時間もかかることだから特急を使ってみようか”と言うことで(今なら疑問の余地無く飛行機ですが)、上野から特急「はつかり5号 」1M~青函連絡船1便~特急「おおぞら1号」1Dのオール1の接続で釧路まで行き(まだ、石勝線は開通しておらず、滝川回りのルートでした)、厚岸のユースホステルに宿泊後、根室本線で厚床、厚床から廃止された標津線厚床支線で中標津といったルートでした。いずれも乗車券は北海道周遊券でした。

当時の時刻表から列車と時刻を割り出してみると、

1974年夏の往路

上野19:09-(急行「八甲田」101レ)-青森6:15/7:30-(連絡船5便)-函館11:20/11:50-(急行「宗谷」305D)-<函館本線山線経由>-札幌16:30

札幌10:35-(急行「天北」303D)-深川12:03/13:05-735D-14:26留萌15:54-1825D-17:23-  羽幌

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留萌での接続待ちの間のスナップ 1974/7
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こんな悪ふざけも 留萌駅にて 1974/7
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                        当時の留萌本線と羽幌線 (1974年のJTB時刻表から)

1975年夏の往路

上野16:00-(はつかり5号 1M)-青森0:15/0:30-青函連絡船1便-函館4:25/4:45-(おおぞら1号1D)-釧路14:52/15:38-(急行ノサップ2号 415D)-16:30厚岸

厚岸8:01-441レ-9:04厚床10:00-353D-11:10中標津
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厚岸からDD51 639号機牽引の441レに乗り込む化学部の一行 1975/7
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                            当時の道東の路線図 (1974年のJTB時刻表から)

2つの中学校での実験指導終了後は現地解散となり、その日のうちに札幌まで戻り、札幌の親戚の家に一泊後、まだ当時は室蘭本線でC57の旅客列車やD51の貨物列車が走っていたので、登別でSL撮影を楽しみました。帰りも連絡船と陸路で帰ったと記憶しています。

さらに1975年の秋休みには高校時代からの友人、男3人の旅で再度、北海道旅行を企画し、札幌、支笏湖、大雪山、池田、帯広、襟裳岬、洞爺湖を回る旅をしました。

1975年秋の往路
上野14:48-(みちのく 11M)-青森23:48/0:30-1便-函館4:25/4:50-(北海 11D)-札幌9:20

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当時から観光客で賑わった広尾線 幸福駅 1975/10
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駅名標にも多くの書き込みが

先日、BS朝日の「鉄道絶景の旅 大自然を満喫!厳寒の北海道横断の旅(後編)」で今の幸福駅跡の様子が紹介されていました。

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同じ広尾線には忠類なんて名前の駅もありました。 1975/10
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                                  広尾線路線図 1974のJTB時刻表から

このときはわざと、夏の1列車ルートとほぼ同じ時間帯の「みちのく」「北海」で札幌に向かいました。以前の記事で1974年3月の函館訪問を記述しましたが、1974年、1975年は2回ずつ北海道旅行を行っていました。以後、出張等で1983年、1991年、1993年、2002年、2003年、2008年、2010年と北海道には行ってますがいずれも飛行機の往復で、ドーバー海峡トンネルは2007年6月にユーロスターで通過しましたが(笑)、1988年に開通した青函トンネルもまだ通過していない状態です。

今回はこれらの北海道旅行で撮影した写真から、キハ82系特急、それに続くDC特急、初めて投入された485系特急「いしかり」、ED76500番台、交流専用電車711系、C57, D51, 9600等のSLたちの登別、岩見沢や追分で活躍の様子、そしてローカルDCの写真等をアップしながら当時の思い出について触れたく思います。

今でも当時の北海道で食べたものとして憶えているのは、羽幌でご馳走になった「甘い赤飯」と中標津の「ジンギスカン鍋」です。関東地方では赤飯の豆は小豆が普通ですが、東北地方の北部から北海道にかけては豆として甘納豆を入れて甘い味にして、紅ショウガなどで着色した赤飯を食べるのが習慣だそうで初めてご馳走になったときはびっくりしましたが、おいしく戴きました。ジンギスカン鍋は今では有名ですが、あの当時、まだ大学1,2年の未成年でしたが、焼酎が一緒に出されて焼酎の強さを知らないで飲んだためにその晩は皆、七転八倒の大騒ぎというか泥酔状態になったのは今でもしっかり記憶しております。秋の友達との旅行で池田の町営ワイン工場の宿に泊まった晩もステーキにはワインが合うとか言って、ワインをかなり飲んで翌日、二日酔いで苦しんだのを憶えています。

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2013年2月 2日 (土)

1981/11 北陸へ 9 気動車

1981年11月の北陸旅行、最終回は気動車急行やローカルDCの写真をアップします。

最初は、七尾線関連のDC急行です。

1981年当時は能登半島北部の輪島駅までが七尾線で金沢駅から直通のDC急行が多数運行されていました。例えばRailArtのサイトに詳細なデータがあり、1980年の時刻表では金沢発の「能登路」が9往復+臨時1往復さらに「ゆのはな」が出ており、輪島行きと穴水で分離される蛸島行きが併結されて走っていました。

それらの列車は金沢駅のDC専用ホームから見附島(別名 軍艦島)絵入りのHMを装着して発車しておりました。
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同線は1991年に和倉温泉駅以南が電化され、非電化のままとなった和倉温泉駅 - 輪島駅間はのと鉄道に移管されました。また、七尾駅 - 和倉温泉駅間 (5.1km) は、のと鉄道を第二種鉄道事業者とし、特急列車はJR西日本が、普通列車はのと鉄道が運行しています。なお、和倉温泉駅以北ののと鉄道七尾線はJR西日本が第三種鉄道事業者、のと鉄道が第二種鉄道事業者である。また、七尾駅 - 七尾港駅間の貨物支線も存在したが、民営化前に廃止されています。

津幡駅で北陸本線と接続していますか、宝達駅付近で天井川をくぐるトンネルの絶縁の問題などを考慮し、交流電化の北陸本線とは異なる直流電化とされ、北陸本線との接続地点付近にデッドセクションが設けられました。よって全列車が交直流電車で運転されています。

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2008年9月に金沢駅で撮影した七尾線の車輌ですが、415系800番台を名乗っていますが、新製ではなく、もともと網干区、日根野区にいた113系に北近畿などに使用されていた485系を直流専用の183系に改造するにあたって捻出された交直両用機器を搭載して415系に改造したものですね。

2014年度の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間の開業により、並行在来線区間にあたる北陸本線金沢駅 - 直江津駅間は経営分離されることが確定していますが、並行在来線にあたらない七尾線は経営分離の対象とはならず、新幹線開業後も引き続きJR西日本が運営することになっているそうです。

一方、富山では高山線で活躍していたと思われるキハ25やキハ48といった気動車を撮影しておりました。

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富山駅で撮影したキハ120-350による高山本線の気動車 2011/5/29

現在の高山本線ではキハ120形がメインに活躍しております。

<キハ120形>について

JR西日本の地方交通線向け標準型気動車として、1991年に製造が開始され形式です。

ローカル線区で運用されていたキハ20系・キハ35系・キハ45系などの老朽化対策(置換え)や、線区の活性化を図るため地方交通線を中心に投入した気動車です。代替対象となったキハ58系などに対し、基本設計が新しいため省力化や投入線区のスピードアップなどに寄与した反面、キハ120形自体が従来車より小型車体である上に編成両数が削減されたため、着席率の低下や混雑率の上昇を招きました。

新潟鐵工所の地方鉄道向け車両「NDCシリーズ」を元にしており、200番台とほぼ同形式の松浦鉄道MR-100形をモデルに開発され、新潟鐵工所およびJR西日本の後藤車両所(現在の後藤総合車両所)で製造されました。ワンマン運転にも対応しています。

1次車として製造された200番台のみが車体幅 2,700 mm の普通鋼製車体で、のちに製造された0番台・300番台が車体幅 2,800 mm のステンレス製車体(車体前面は普通鋼製)です。全長 16.3 m の両運転台の車両で、出入り口は片側2か所にバス用の2枚折り戸が採用されています。このほか、冷房装置にはバス用の汎用品を使用しています。新潟鐵工所のほか、自社の後藤総合車両所でもライセンス生産されました。

エンジンはコマツ製SA6D125-H1形を搭載しているが、200番台は250PS/2,000rpm、0番台・300番台は330PS/2,000rpmとなっています。

変速機は直結2段式で、運転台の主幹制御器は横軸式とされたが、操作部自体は従来車両と同一品が採用されています。国鉄キハ32形気動車に類似しています。0番台の主幹制御器は221系電車に準じた前後操作式とされましたが、ブレーキハンドルは200番台と同一の着脱可能な構造です。

富山地域鉄道部富山運転センターに300番台14両が配置されています。

(以上、Wikipediaの記事を参考にしました)。

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2012年12月27日 (木)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 19 補遺

今回の1977年3月の旅では、山陰の非電化区間でDD51牽引の貨物列車や急行「石見1号」と思われる列車、キハ20系ローカル気動車列車の写真を撮っております。さらに小倉駅ではDD51牽引の石灰石貨物列車や旅客列車の写真も撮っています。

それらの写真を最後にアップして、この旅のレポートを終わりたく思います。

まずは玉造温泉駅で撮影した写真から、

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1977年当時の時刻表を見ながら駅で撮影していた時間帯内でやってくる急行列車を割り出すとこのキハ58系の急行は米子を14:59に出発して、玉造温泉に15:49に停車する石見1号513Dではないかと思われます。同列車は益田着19:05です。

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こちらはキハ20形3連によるローカル列車です。

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DD51664号機牽引の貨物列車もやってきました。

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米子機関区時代のDD51664号機は山陰本線を広く活躍していたようで、1975/3/5にも門司駅で撮影していました。

DD51 664号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=111341-2        1969-08-06 D84.0tB2B(1067)
車歴;1969-08-06 製造→
納入;国鉄;DD51664→ 配属;名古屋局→
配置;稲沢一→1974-11-09 米子→1987-02-06
廃車;米子

続いて、小倉駅でのショットです。

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電車王国となった北九州の今日からは想像しにくいショットですが、DD51622号機が牽引する客車列車です。恐らく筑豊本線の旅客列車あたりかと想像されます。

Dd51_622_770318
一方、こちらは同じDD51が牽く石灰石輸送の貨物列車でしょうか。

DD51 622号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=110981-4        1968-10-25 D84.0tB2B(1067)
車歴;1968-10-25 製造→
納入;国鉄;DD51622→1968-09-25 竣工→
配属;門司局→配置;鳥栖→1978-10-10 亀山→1987-02-09
廃車;亀山

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今ならデジカメの時代ですのでフィルムの枚数を気にせずに、結構こういったショットを撮っていますが、あの頃はこういった写真は殆ど撮っていませんでした。

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最後は八本松から広島までの乗車券です。この切符が記念にアルバムに残してあったおかげで、今回の旅行の日程が分かった次第です。

といったわけで、広島から新幹線で帰京致しました。

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