2017年12月29日 (金)

2017年10月の福岡旅行 1 筑肥線 非電化の時代

2017年10月の福岡旅行では福岡空港でのスポッティング、福岡市交通局地下鉄空港線~筑肥線、七隈線、西鉄大牟田線、福北ゆたか線のでんちゃ、福岡駅でのクルーズ・トレイン「ななつ星」、直方の石炭記念館、平成筑豊鉄道、博多南線、JR西日本博多総合車両所公開など数々の話題があります。これらをひとつずつ記事にして行こうと思います。

最初は筑肥線です。この線は私鉄の北九州鉄道が博多~伊万里間に敷設した路線を起源とし、1983年までは非電化のローカル線でした。

23 撮影年月日は不明ですが、博多駅で出発を待つ筑肥線気動車
キハ23、キハ35などから構成されています。

1923年12月5日北九州鉄道が福吉~浜崎間を開業し、福吉・鹿家・浜崎の各駅を新設したのが始まりでした。1925年には東は姪浜、西は東唐津(現在の駅とは異なり、松浦橋の近くに設置)まで延伸しました。1926年10月15日には博多駅へ、1929年4月1日には東唐津でスイッチバックする方式で山本まで延伸し、唐津線に接続しました。1935年3月1日、伊万里まで延伸しました。

100825_2 2010/8/25 東唐津

唐津方面、松浦川を越えて唐津へ
筑肥線に乗っていて、虹ノ松原から先、沿線の雰囲気が近代的になるのは1983年にこの区間路線の変更が行われたため

1937年10月1日、北九州鉄道は買収、国有化され、筑肥線(博多~伊万里間:86.1km)となりました。なお、1963年12月1日の博多駅移転で距離数は0.7km短縮されました。

1962年8月1日、博多~佐世保間に筑肥線、松浦線(平戸口)経由の準急列車「九十九島」が新設されました。同列車は1963年6月1日、大村線経由で長崎まで延長され、1966年3月5日には急行列車に昇格しています。また、同年3月25日には筑肥線・松浦線(有田)・佐世保線経由で佐世保まで運行される急行「からつ」が運行開始され、博多~伊万里間は九十九島と併結運転されました。しかし、1967年10月1日には「からつ」が廃止、1968年10月1日、「九十九島」は「平戸」に改称となりました。

1974年12月の時刻表から急行「平戸」の時刻をみてみると

1501D 
博多817姪浜833筑前前原849東唐津917/922山本931伊万里1001/1004浦ノ崎1017松浦1031/1032平戸口1052/1052江迎1104肥前吉井1118佐々1133佐世保1158/1204早岐1214/1216川棚1231大村1255諫早1306/1312浦上1334長崎1337

1502D
長崎1443諫早1507/1508大村1520川棚1544早岐1558/1600佐世保1611/1613佐々1643肥前吉井1652江迎1707平戸口1719/1723松浦1744/1745浦ノ崎1759伊万里1813/1821山本1850東唐津1858/1903筑前前原1932姪浜1946博多2000

上り下りとも5時間以上かけて走る急行だったことがわかります。

35_791218 1979/12/18 博多
こちらは首都圏色になった編成でキハ30、キハ47などで構成されています。

1983年3月22日、博多~姪浜間11.7kmは福岡市地下鉄との乗り入れで廃止になり、虹ノ松原~山本間も廃止され、新たに唐津~虹の松原間が新設され、唐津~姪浜間はDC1500Vで電化されました。

100825 2010/8/25 非電化の時代は筑肥線は通っていなかった唐津駅

起点は伊万里に変更され、伊万里~山本=唐津~姪浜になり、山本~唐津間は唐津線と二重戸籍区間となりました。

1987年の民営化の際にこの二重戸籍は線名表示を姪浜~唐津、山本~伊万里と表示することで解消しました。

このとき急行「平戸」は唐津~長崎間の運転に短縮され、1988年4月1日に廃止となりました。

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2015年9月17日 (木)

通勤電車シリーズ 103系 31 筑肥線 1500番台 part1

通勤電車103系シリーズ、今回は筑肥線電化にあたって投入された1500番台について触れようと思います。

1923年(大正12年)12月5日、北九州鉄道が福吉~浜崎間を新規開業し、福吉、鹿家、浜崎の3駅が開業したのが筑肥線の始まりだそうです。その後、東西に延伸し、1925年6月15日には(初代)東唐津まで開業、1926年10月15日には博多まで繋がり、1935年3月1日には東唐津でスイッチバックして伊万里まで開業しました。1937年10月1日、国が買収、国有化され筑肥線(86.1km)となりました。
1962年8月1日からは博多から筑肥線、松浦線平戸口駅を経由して運行される準急列車「九十九島」が新設され、1963年6月1日には大村線経由で長崎まで延長されました。さらに1966年3月5日には、急行に昇格、同月25日からは博多~佐世保間を筑肥線・松浦線有田駅・佐世保線経由で運行する急行「からつ」も運行開始となりました。1968年10月1日には「平戸」に改名されました。

23
電化前の筑肥線 1976年頃 博多駅 
この頃の筑肥線は博多駅から発着しており、キハ23+キハ35などが活躍していました。

1983年3月22日、博多~姪浜間(11.7km)は福岡市営地下鉄1号線として地下化され、姪浜~西唐津間はルートを一部変更して電化開業されることになりました。このときのルート変更で東唐津駅も新駅(二代目)となりました。

1031500_850419_3
103系1500番台 E04編成 1985/4/19 姪浜

姪浜で福岡市営地下鉄との相互直通運転が始まり、福岡空港まで乗り入れることになり、103系1500番台6両編成が9本が投入されました。所属は新設の唐津電車区で、当時九州唯一の直流電車で、103系の編成単位の新製も最後となりました。

E01/E02 日立              昭和56年度第1次債務
E03~E07  川重 E08/E09 日立   昭和56年度第3次債務 

4M2T 6連で車体構造、アコモデーションは201系に準じ。前面は105系、側面は203系に準じるというおよそ103系らしくない車両になりました。

1031500_850419_2  E03編成 1985/4/19 姪浜

地下鉄乗り入れ用AA基準に準拠しており、先頭車には非常用貫通扉が設置されました。車体腐食防止対策として、戸袋底にポリウレタン塗屋根材を塗布、台枠、外板を連続突当溶接し、シール材を塗布、側梁にステンレス水切りを設置、戸袋下レールを廃止、床板の厚みを5mmにするなどの変更が施されました。屋根は塗り屋根となりました。

1031500_850419 E05編成 1985/4/19 姪浜

工場入場が機関車牽引となるため、後部標識掛けフックが装備されたのもこの車両の特徴です。

その後、短編成化、塗装の変更が行われました、その様子はpart2で。

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2012年11月16日 (金)

1974/3 能代、函館へ

私が大学を受験したのは1974年3月のことで、当時はまだ一期校、二期校の時代でした。

確か3月3日が一次試験、その発表が6日にあり、二次試験が8,9日だったと記憶しています。

一次試験の当日は、パリでトルコ航空機墜落事故がありました。そして発表は20日でした。正直、一次試験は時間が勝負のような試験で、終わった後、不安感がありました。二次試験は苦手だった古典の問題が授業で習った内容であったのと、化学で点数を稼げたのが幸いだったように思います。

<トルコ航空DC-10パリ墜落事故>パリのオルリー空港を離陸したトルコ航空981便ダグラスDC-10型機(TC-JAV (cn 46704/29))が貨物室ドアの鍵の不良で高度12000ft(3600m)に達した時に貨物室ドアが吹き飛び、乗客が機外に吸い出され、さらに与圧の関係で客室の床が抜け、尾翼をコントロールするケーブルが破断し、コントロール不能となってエルメノンビルの森に墜落した事故。
1985年の日航ジャンボ機事故以前の単独航空機事故としては最大数の犠牲者(364名)を出す事故。なお、TC-JAVという機体はダグラス社が全日空向けに製造した機体だったそうで、ロッキード事件で全日空はロッキードL-1011(トライスター)を購入することになったため、トルコ航空に破格の条件で販売されたものであったそうです(Wikipediaより)。

この事故の2年前1972年6月12日にデトロイト空港を離陸したアメリカン航空96便(DC-10-10 N103AA (cn 46503/5))がカナダ・オンタリオ州ウインザー上空で貨物室ドアが破損し、緊急着陸した事故"Windsor incident"の教訓:貨物ドアの欠陥にメーカーおよび行政が適切に対処しなかったことが原因とされています。

発表後、入学手続き等を済ませ、3月31日に開かれる健康診断までの間に、秋田県能代市に住む祖父のもとに行って「大学合格を報告してこい」ということになり、1972年夏の萩旅行同様に弟とふたりで行くことにしました。折角、能代まで行くのだから、連絡船で函館まで行ったらというプランも追加され、能代からの帰りに青森まで行き、連絡船で函館往復、夜青森から寝台電車特急「ゆうづる」で東京に戻るという旅程がくまれました。ただ、往路の特急「つばさ1号」は既に満席で、臨時の「つばさ51号」しか確保できず、復路の「ゆうづる5号」のB寝台券は完売されており、グリーン指定席しか残っていないとのことでした。

3月27日朝、定期の181系特急「つばさ1号」が上野駅地平17番線ホームから8:04に出発するのに対して、我々が乗車する臨時「つばさ51号」は同じホームから1時間後の9:04に出発します。

車輌はキハ181系ではなく、1972年~1974年にかけて製造された14系座席車です。牽引する機関車は宇都宮機関区のEF65 1049号機でした。


Ef65_1049_51_2


Ef65_1049_51_7403_2
EF65 1049(宇)が先頭に付き出発準備する臨時「つばさ51号」8001レ 秋田行き

カメラはハーフサイズのオリンパスPenで、当時よくやったミスがカメラのストラップを写し込んでしまうことでした。

臨時「つばさ51号」の停車駅と時刻を定期のつばさ1号と比較しながら当時の時刻表をもとに示します。

7403
定期と臨時では上野出発の際の時間差は1時間ですが、客車での運行のため、機関車交換(黒磯、福島、山形)での時間的ロスもあり、秋田到着時点では2時間23分の差に拡がっています。

鉄道ファンとしてはこの機関車交換が大きなイベントでした。


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宇都宮機関区で休むEF57, EF15, EF65PF

これまでにも東北本線の旅は数回経験していましたが、列車が宇都宮駅にさしかかったところで見える機関区の風景は「東北本線のヌシたちのたまり場」といった感じでワクワクしたものでした。つばさ51号の場合、宇都宮には停車せずに黒磯を目指しました。14_740327_3
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黒磯での機関車交換

黒磯での最初の機関車交換でEF65が切り離され、ED75 125号機が連結されました。

14_740327_4
福島での機関車交換

続いて福島では板谷峠用にEF71 7が連結されました。
Ef71_7_740327
山形で切り離されるEF71 7


山形から先は非電化区間であったためにDD51牽引となりました。

14系客車の印象ですが、1972.7にデビューした183系電車と同じように簡易リクライニングシートが装備された客室でした。ただ、この簡易リクライニングシートは倒した状態でロックされず常に体重をかけていないといけないシステムでしたので、かなり疲れたのが正直な感想でした。


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かつての東能代機関区の様子とED75 702号機

東能代駅のヤードはかつての東能代機関区を偲ばせる広大なもので、その当時の様子は
http://d51791.com/index.html のサイトに写真付きで詳述されています。


Ed75_702_740328_1
逆方向からみた当時の東能代駅


ED75の横のDCは五能線の列車、対向式ホーム部分が奥羽本線

1971年高校1年の夏に能代を訪問した際にはまだ電化されておらず、C61やD51,8620などが活躍する姿を見ていたのですが、写真には収めていませんでした。


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当時の奥羽本線の旅客列車 

まだ50系客車は投入されておらずED75 700番台の牽引する客車列車がメインでした。

能代では東能代まで五能線で出て、東能代から二ツ井まで奥羽本線の列車で行き、先祖代々の墓参りをしましたが、なにせ前回来たときの記憶がないのと、同じ姓の墓石ばっかりで後で聞いたら別の家の墓にお参りしていたとのことでした。


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藤琴川と奥羽本線橋梁 きみまち坂から

写真は1980.8に撮影したものですが、奥羽本線が単線の時代は左側の道路の橋梁が鉄道の橋で、電化・複線化の際に線路を移設して、橋を掛け替え、トンネルも新しく掘ったそうです。菩提寺はちょうど線路が左に曲がって行くカーブの内側にありましたが、1990年代の国道7号バイパス工事で、あらたな橋がこのふたつの橋の間に架かり、寺は正面右手の山の麓に移転しました。
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青森を出航して津軽海峡に出たあたりで甲板から写した津軽海峡の様子

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乗船した「大雪丸」の船内案内図

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当時の函館駅の駅舎

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函館駅の特徴的なカーブしたホーム

ホームに入っていた気動車は江差線のキハ24でしょうか。

<キハ24形について>
酷寒地向け1機関搭載の両運転台車で、1967年(昭和42年)4月に10両のみが日本車輌製造で製造された。新製当初は1 - 4、9、10が函館機関区(函ハコ)、5 - 8が郡山機関区(仙コリ)に配置され、会津若松機関区で使われたが、全車が2年以内に北海道へ移動し、5、6が旭川機関区(旭アサ)、7、8が釧路機関区(釧クシ)に転属した。函館では「松前」、「せたな」、「えさし」、釧路では「ノサップ」などの急行列車にも、キハ22形に伍して使用された。全車がJR北海道に承継され、1 - 4、9、10は函館を一度も離れず、10が1992年 (平成4年)、その他は1995年(平成7年)に、5 - 8は民営化後に苫小牧運転所(札トマ)へ転属となり、1994年に廃車となった。(Wikipediaより)
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函館市電の函館駅前停留所

人生で初めての渡道であり、しかも滞在時間僅か数時間でしたが、函館の観光名所を大急ぎで回った憶えがあります。

北海道とは大学入学後1年と2年の夏休みに教養学部化学部の実験旅行で2週間ほど滞在する機会があり、さらに同じ年の秋休みにも高校時代の友人と男3人の旅をしており、1974,1975年の2年間はなんと4回も渡道することになりました。

その頃は、函館本線山線のC62 2ニセコ号は終わっていましたが、室蘭本線でC57貴婦人の牽く旅客列車が最後の活躍をしている頃で、夏休みの実験旅行の後で登別や追分でC57,D51,9600などを撮る機会に恵まれました。また、道内発の特急電車としてデビューした485系1500番台「いしかり」の姿も捉えることができました。

能代との関係は1978年に祖母が他界し、開業医だった祖父が能代で医院を続けていたため、両親が1978年以降、正月、春休み、夏休みと最低年3回は能代に行くことになり、私も1978年には運転免許を取得した関係で往復のドライバーとして能代に行くことになりました。奥羽北線は寝台特急、昼行特急のルートでもあり、1978年から祖父が他界する1989年まで、この辺での列車撮影の機会に恵まれました。

因みに今回の函館渡道の後は、往きに較べてかなり荒れた津軽海峡を渡り、青森から583系のサロ581の旅を経験することになりました。当然のことながら、車輌断面が大きいため天井が高く感じ、走行していてもゆったりした感がありました。しかし、無理をするものではないもので、帰京した翌日、大学入学のための健康診断において、検査値に異常が出て、体育の授業が半年間、病人扱いになってしまいました(笑)。

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