2023年8月21日 (月)

2023年 北九州旅行 その35 関門連絡に活躍する415系1500番台

JR九州所属の415系2022年9月のダイヤ改正で鹿児島本線久留米駅以南、日豊本線大分駅以南、筑豊本線、豊肥本線、長崎本線佐賀駅以西での運用は終了となり、現時点で営業運転に入っているのは大分車両センター所属の1500番台4両編成、14本のみとなりました。

4151500
大分車両センターに配置される415系1500番台の編成表

これら以外に鋼製のFo105,106,108,110~112, 117~120, 122~124, 126, 520編成に関してはまだ籍は残されているようですが、稼働はしていません。

415系1500番台の担当する運用は関門トンネルを通過する下関∼小倉間のシャトル運用を含む日豊本線系の8運用と2023年6月1日から開始された平日の鹿児島本線の臨時快速運用となっています。

4151500-fo1510-2305312023/5/31 門司 Fo1510編成

4151500-fo1511-230602 2023/6/2 小倉 Fo1511編成 8連運用

4151500-fo1512-230603 2023/6/3 下関 Fo1512編成

4151500-fo1513-230601 2023/6/1 西小倉 Fo1513編成 8連運用

4151500-fo1514-230531-5152 2023/5/31 門司 Fo1514編成

4151500-fo1515-2306012023/6/1 西小倉 Fo1515編成 8連運用


4151500-fo1518-230603 2023/6/3 小倉 Fo1518編成

4151500-fo1519-230601 2023/6/1 千早 Fo1519編成 8連運用

4151500-fo1520-230602-31 2023/6/2 小倉 Fo1520編成

415系1500番台の車齢は36年になり、引退の時はそう遠くは無いと思われます。果たして、後継はどういった車両が担う予定なのか?
関門トンネルという交直流接続区間を通して運転できる車両を現時点でJR九州は開発していない点が悩ましい点であります。

1)独自に交直流車両を開発する。開発費用がかかる割に量産数は少なく、時間もかかる。

2)同じ60Hz交流~直流に対応したJR西日本の521系のような車両を導入する。JR西日本との間でうまく交渉がまとまるか?

3)筑豊本線(若松線から全線)、香椎線に導入されたBEC819系を導入し、小倉の電留線で充電、小倉~下関間を走行する。
  蓄電池を搭載した車両が海底トンネルを通過する際の安全対策をクリアする必要がありますが、JR九州が開発してきた技術の拡大展開になる。

同じ区間を走るJR貨物の電気機関車が九州島内専用の機関車としてED76形の後継、交流専用機を開発せずに既存の交直両用機EF510形の300番台で対応しようとしていることを考えるとJR九州も独自に交直流車両を開発はせずに2)3)あたりで対応するのではないかと思われ、関門区間の短さを考慮すれば3)の方式がリーズナブルのように感じます。

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2023年6月 6日 (火)

2023年 北九州旅行 その1 関門鉄道トンネル(山陽本線)

本州西端の山口県下関市と九州北端の福岡県北九州市の間には日本海・響灘と瀬戸内海・周防灘を結ぶ関門海峡があり、海峡の幅は最狭部の早鞆の瀬戸で約600mとなっています。

Dsc045262016/10/15 早鞆の瀬戸に架かる関門橋(九州側から)

Dsc04524 2016/10/15 早鞆の瀬戸に設置されている門司埼灯台の説明板

 本州と九州を結ぶルートとして国道2号の関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネル、関門自動車道の関門橋はこの早鞆の瀬戸付近で海峡を越えているのに対し、山陽本線の関門トンネルだけが、彦島と大里間の大瀬戸にあります。その理由は大瀬戸の方が水深が浅く、高架の下関駅からアプローチする際の勾配を緩く設計することが可能だったこと、また既存の鉄道路線(山陽鉄道が敷設・開業した馬関(→下関)駅、初代九州鉄道が敷設した大里駅)との接続の関係を考慮したためです。

041017

2004/10/17 門司港側の船着き場
今でも下関の唐戸と北九州の門司港を結ぶ航路は関門汽船によって営業されており、航行時間は5分、料金は大人片道400円です。

 トンネルが掘られる前は旅客は航路、貨物は埠頭に引きこんだ貨物線に貨車を入れ、貨物を引き出して艀に載せ替え、対岸で逆の作業をする方式から始まり、1911年3月1日から貨車ごと船に乗せる貨車航送が始まりました。旅客は門司(今の門司港付近に接岸する関門航路に対して貨物は小森江付近に発着するため関森航路と呼ばれていました。
 旅客にとっても貨物にとっても船に乗り換えるのは不便であるため、海峡に橋を架ける案、トンネルを掘る案が検討され、それぞれ調査が行われました。予算的にはトンネルの方が少額であったこと、そして他国から攻撃を受けにくいことでトンネルを掘る方向で行くことになりましたが、1919年当時は第一次世界大戦後の物価高騰で予算が膨れ上がったこと、1923年には関東大震災が発生し、その復興で予算が削減されたことで計画は延び延びになりました。当時の鉄道省は1925年に検討を再開しましたが、1929年には昭和大恐慌が起こり、再び予算が削減されました。1931年には関門間の貨車航送は激増し、1935年になって漸く着工予算が承認されました。

工事の施工は両端の取り付けトンネルに関しては開削工法が採られ、下関側が間組、門司側が大林組に請負され、海底部分は鉄道省直轄で担当となりました。複線トンネルにした場合、断面積が大きくなり海底のより深い場所を通ることから、トンネル総延長が長くなり、既存路線への取り付けに影響が出ること、施工自体、単線トンネルの方が容易であること、万が一列車脱線事故が発生した場合、上下線ともに通過不可能になる事態が予測されること、当面の輸送力は単線トンネルで十分であることなどから、まず下り線トンネルの工事が1936年9月19日に着工されました。地質調査の結果、下関側からは普通工法、門司側はシールド工法、圧気工法、潜函工法が採用され、1942年3月27日に下り線トンネルが貫通しました。同年7月1日には貨物列車の運転開始でトンネル開業、11月15日には旅客列車の運転も開始となりました。

ミッドウエイ海戦の惨敗など戦局の悪化(といっても国民には知らされてなかった)などから軍部は九州の石炭を早く本州に輸送すべきと主張し、上り線の工事着工、開通が急がれ、1944年8月8日には上り線も開業となりました。

230531 230531-2 2023/5/31 門司駅 5,6番線ホームに設置されている関門トンネルに関する説明板

本州と九州を関門トンネルを通過する旅客列車が415系1500番台だけとなってしまった現在、関門トンネルの重要性が忘れられるのを憂慮してのことなのか、門司駅の5,6番線ホームには素晴らしい関門トンネルに関する説明板が設置されていました。あまりの詳しさに時間を忘れて読みふけってしまい、列車に乗り損ねることがないか心配です(笑)。

関門トンネルは上り下り単線トンネル2本から構成されており、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルとなっています。開通は下り線が1942年7月1日、上り線が1944年8月8日で最深部は-36.39 m(下り線)、-38.4 m(上り線)、勾配は当時の機関車の牽引能力から20‰(下り線)、25‰(上り線)とされました。

Eh50067-2075-230531 2023/5/31 関門トンネル門司側抗口から顔を出したEH500牽引貨物列車(67号機牽引、2075レ)
小森江方向の側線に停まっているのはこの3月のダイヤ改正で運用を外れた415系鋼製車

Eh5006665-762-230531-19 2023/5/31 単機重連762レ 単線運用のため、下り線を通り、下関・幡生操車場に向かうEH500-66/65機重連

811-p2014-230531

230531-2_20230605073401

2023/5/31 門司駅上り線出発信号機

関門トンネルの単線運用は日常的に行われている関係で、門司駅構内の出発信号機をよく見ると、鹿上:鹿児島本線上り(門司港方面)の他、山上、山下は関門トンネルの上り線、下り線通過を意味していることが分かります。

415-fo1514-230531-41 2023/5/31 門司

旅客線の交直切換えのためのデッドセクションはトンネルを抜けて、ホームとの間にあり、その間に415系の前照灯が片目になるのが特徴的です。

Eh50073-1091-230531-42023/5/31 EH500-73号機牽引 1091レ

Ds-0410182004/10/18 門司駅 小倉方

貨物線のデッドセクションは ホームを過ぎて北九州貨物ターミナルに向かって下る途中にあります。これは万が一、デッドセクションでトラブルが発生した際に長大編成の貨物列車がトンネル内に逆走するのを防ぐためと思われます。

230531_20230605075101門司駅構内のキロポスト

山陽本線の神戸からの公式距離は534.4km、鹿児島本線門司港起点から5.5kmですから、山陽本線の距離表示がちょっと違いますが?

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2022年1月19日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その11 415系1500番台の増備

415系1500番台の登場で常磐線からは1960年から1965年にかけて投入された401系の廃車が急速に進みました。この時期、編成替えに伴い不足する先頭車としてクハ115-612(サハ115の先頭車化改造車)のクハ401への改造が行われ、1986年11月にクハ401-901として登場しましたが、1987年1月にはクハ401-101に改番されました。この車両も1991年6月5日付けで廃車となりました。

415-1500-2
表 JR東日本による415系1500番台の製造と車体番号

4151500-k532-060312 2006/3/12 小山 K532編成 411-1622+M'M-1522+411-1522

4151500-k534-050903 2005/9/3 いわき K534編成 411-1524+MM'-1524+411-1624    50Hz専用

4151500-k538-131120-2 2013/11/20 稲田 K538編成 411-1628+M'M-1528+411-1528  50Hz専用

民営化後、JR東日本は415系1500番台の増備を上の表のように4次に渡り続けられました。
昭和63年度予算による2編成は401系取り替え用で、荷物棚が従来のアルミ製網式からパイプ式に変更されました。平成元年度増備車では客室内の主電動機点検蓋が廃止され、静粛性の向上が図られました。さらに主変圧器に同時期に誕生した651系特急電車に装備された50Hz専用のTM24に変更しました。TM24はTM20と同じシリコン油を使用する送油風冷式ですが、3次巻線から補助電源を取る方式となっており、補助変圧器が廃止され、20%以上の軽量化か実現しました。本来なら415という系列名になじまない50Hz専用の系列に変更すべきですが、もはや国鉄ではなく九州への転属も考慮しなくて良いというJR東日本の経営方針からか、従来の番号の追番が付与されました。

4151500-4151901-030304 2003/3/4 土浦 K880編成 415-1901+MM'-1535+T-1601+411-1534+MM'-1534+411-1634

4151500-4151901-k880-030211
4151500-4151901-030211
4151500-4151901-030211-2 2003/2/11 土浦 

平成2年度下期予算では東海道線で使用されている2階建てグリーン車の普通車版の試作車が製造されました。形式は新形式のクハ415形1900番台とし、比較的混雑の少ない水戸より先頭車を2階建て方式にしたもので
(1) 211系2階建てグリーン車と同様のバスタブ構造の構体による2階建てとし、2階部は3+2人掛け、1階部は2+2人掛け、バケットタイプの固定クロスシートとし、出入り口は1300mmの両開き扉を2か所に配置。
(2) 空調装置は平屋の両車端部屋根上に設置、定員増を考慮し、サロ213に対して容量増大を図る。
編成は
クハ415-1901+MM'+サハ411-1601 を1500番台もしくは鋼鉄製415系4連に連結した8連とする。

1991年3月のダイヤ改正で運転を開始、ラッシュ直後の上野行や夕刻の通勤快速で運用を開始しました。

415-k880-0412232004/12/23  荒川沖 オールステンレスだったK880編成がMM'-1535ユニットの不調でMM'-523ユニットと交換される事態に

私の記憶ではK880編成にMM'-1535ユニットが復活することなくK880編成は終焉を迎えたと思います。

やがて2005年7月9日からはE531系が常磐線にデビューし、1995年から常磐線に登場したE501系と共に運用される予定でした。しかし、2007年3月のダイヤ改正では上野口中距離電車にグリーン車連結との方針変更があり、E501系が上野口から撤退することで415系1500番台は2017年11月16日までに全車廃車となってしまいました。ちなみに415系鋼製車500番台4連2本(507,520)1500番台(1501)がJ2009年にJR九州に譲渡されました。

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2022年1月18日 (火)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その10 415系1500番台の登場

1986年3月のダイヤ改正での常磐線中電の輸送力増強として415系が増備されることになりました。1985年1月には軽量ステンレス車体・ボルスタレス台車・界磁添加励磁式改正ブレーキ・電気指令式空気ブレーキの205系・211系が誕生しており、415系増備車でもこれらの新系列で採用された新技術が取り入れられました。
制御方式は相変わらずの抵抗制御方式でしたが
(1) 継承ステンレス車体を採用し、軽量化・保守費の低減と寿命延伸を図る。
(2) アコモデーションを改善し、客室のスペースを可能な限り拡大する。
(3) ボルスタアンカー(揺れ枕)を省略した空気ばね台車(DT50C,TR235C)を履き、乗り心地の向上とばね下重量の軽量化を図る。
(4) 補助電源装置のブラシレスMG化、CPの三相駆動化で信頼性の向上、省力化を図る。  を基本的な考え方とし、従来車との併結可能を優先したため、空気ブレーキ方式は従来車のままとされました。ロングシート車を1500番台、セミクロスシート車を1700番台としました。

構体は軽量ステンレス、前頭部はFRP製化粧キセとし、車体幅は2950mm、床面高さは211系と同じ1180mmとし、飾り帯は青23号としました。CPは従来車では1000lタイプをTc・T車に搭載していましたが1500番台では2000lタイプとT'c・T'に搭載しました。車体の軽量ステンレス化で7t車重が軽量化したため、限流値を下げて対応しています。

415-1500-1
415系1500番台 国鉄時代の製造予算と車体番号

国鉄時代には415系1500番台は1986年3月改正に向け常磐線中電増強用に8編成(1500番台のみで組成されたK525~K532編成)とK802編成7連化用にサハ411-1701が、九州地区には勝田電車区から南福岡区に転属となった500番台5編成(K513~K517)と1509~1527の13編成が投入されました。思えばこれ以降、九州地区には交直流電車の新製投入はありません。

4151500_k525_041223
2004/12/23 北小金 K525編成  411-1601+M'M-1501+411-1501

4151500-k820-0106032001/6/3 牛久~佐貫(現、龍ケ崎市)K820編成 411-1603+M'M-1503+T-1701+M'M-723+411-1503
1500番台だけで構成された7連というのは終生、見なかったように思います。

4151500-1509-121222 2012/12/22 西小倉 1509編成

民営化を控えた1986年、九州総局では415系等の塗色を一新する機運が高まり、外部色は1986年3月に勝田区から転入した500番台と同じクリーム10号とし、帯色の検討が行われました。小倉工場で現車に塗装し、鋼製車は青23号に、ステンレス車は青26号に決まったとのことです。

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2022年1月17日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その9 415系700番台の登場

1982年11月のダイヤ改正といえば、上野口では東北新幹線の本格開業・上越新幹線の開業により、在来線特急がほぼ消滅した改正でした。一方で昨日の記事にあるように常磐線では最後まで残っていた機関車牽引の客車列車が消滅した改正でもありました。
同じ改正において広島地区では列車を短編成化し、発着頻度を増やす試みがなされ、10%以上の利用客誘発に成功していました。1984年2月にダイヤ改正ではこの流れが全国の中核都市に広げられ、鹿児島本線なども15分ヘッド化された「マイタウン電車」が走るようになりました。
 常磐線の中電の混雑率は沿線の宅地開発の進捗により、1982年度には259%に達しており、1985年には筑波万博の開催も控え、編成を15両化することによる輸送力の増強、取手~土浦間のホーム延伸、土浦電留線の新設などが急ピッチで行われました。

常磐線利用者にアンケートを取ったところ、東京北局と水戸局ではロングシート、クロスシートに対する志向に大きな違いがあり、前者はロング志向が59%、セミクロス志向が33%なのに対し、後者ではロング志向47%、セミクロス志向45%でした。この結果を考慮し、基本編成7両はセミクロスシート、付属編成4両にはロングシートとする方針が決まり、100番台車と今回の記事で紹介する700番台車が7連の基本編成に組み込まれることになりました。

415-700
表 415系700番台の製造予算と車体番号

700番台の特徴は昭和58年度本予算で発注された100番台増備車を基本とするものの、基本編成の定員を増加させるため車端部をロングシートに変更しました。床面の高さは500番台の最終増備車と同様に1200mmとし、天井は平天井としました。500番台では蓄電池をモハ415に移設しましたが、700番台では100番台同様にモハ414に搭載しました。T1車(サハ411-700)にはMG・CPを搭載しました。1984年12月から1985年2月にかけ、日本車両、日立製作所、東急車両にてモハ23ユニット、サハ16両が落成し、すべて勝田電車区に配置されました。

いろいろな時期の編成表を見ると700番台は、7連に組み込まれるだけではなく、K500番台のように100番台のクハと4連を組んだり、403系編成のクハとして誕生した51~90のクハ401と編成を組んだり、方向転換されたクハ401-51とサハ411-707改造のクハ411-701と4連を組んだりしました。

415-k903-020817 2002/8/17 北小金 K903編成 7連奥から クハ411-73+MM'-701+T-701+MM'(403)-12+411-74

415-k502-050618 2005/6/18 南柏 K502編成 4連 411-102+MM'-704+411-202

415-k518-070218 2007/2/18 荒川沖~ひたち野うしく間 K518編成 手前から 411-53+MM'-718+411-54
403系編成のクハはAU712、モハユニットはAU75E

415-k522-050409 2005/4/9 松戸 K522編成 411-701+MM'-707+411-51
最後尾のクハ411-701は1989年に郡山工場でサハ411-707を改造したもので、415系では唯一の先頭車化改造車でした。奇数向きクハのためMGは撤去されましたが、風道跡は残されていました。反対側のクハは403系トップナンバー編成のクハ401-51で1979年3月の踏切事故で相棒の-52を失い、自身、方向転換され偶数向きとなり、MG搭載、冷房改造され、4両の中で唯一AU712を積み、常磐線から415系鋼製車が撤退するときまで活躍し続けました。

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2022年1月14日 (金)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その8 415系500番台の登場

1961年5月から続々と落成した401系第1次量産車も1970年代後半に入ると陳腐化・老朽化が激しくなり、主変圧器にPCBが使用されていることもあり、早期の置き換えが必要になってきました。この頃、常磐線中電のラッシュ時の混雑は乗車率が250%に達しており、国鉄内部では経営効率の面からも401系の置き換え車両はロングシート化し、少しでも乗車定員を増やすべきだという考えが大勢を占めてきました。

415系500番台はこういった背景の下、
(1) 従来車の車体構造を踏襲し、運転室、側出入り口、側窓などの割り付けは100番台と同一にし、経年劣化対策として屋根はポリウレタン系樹脂を塗装する、外板腰下部約400mmをステンレス化、側出入り口部の連続溶接化等、113系や115系で実施された改良を施しました。
(2) ロングシートの形状を奥行きを深くし、座面高さを下げ掛け心地の改善を図りました。室内の配色もクリーム色を基調に腰掛モケットはロームブラウンを基調とし、イメージチェンジを図りました。
(3) 押し込み式通風器もFRP製とし、省力化、腐食防止を図りました。
(4) 台車はロングシート化に伴う荷重増加を考慮し、まくらばね・軸ばねのばね定数を変更、重量軽減策としてブレーキユニットの箱を廃止しました。クハ411-500の定員136名/座席55名、クハ411-600の定員130名/座席53名、600番台の3位車端部にトイレ、4位車端部の座席は2人掛けクロスシートに。ちなみにクハ411-100番台の定員114名/座席65名、クハ411-200番台の定員112名/座席62名でした。
(5) 電動車の重量バランスをとるためにモハ414の蓄電池・付属装置をモハ415に移設しました。これにより約1tの重量が軽減されました。

塗屋根化はこの頃に登場した旅客車両ではよく目にしました。従来、直流・交直流電車の屋根には絶縁屋根布が使用されていましたが、はく離した部分から雨水が侵入し、腐食するといった欠点がありました。塗屋根方式はポリウレタン樹脂を重ね塗りした後、珪砂を付着させたもので、価格面・重量面ではやや不利なものの、腐食防止には優れた効果を発揮したため、185系で試験的に採用、後の新形式車、増備車、特別保全工事車に採用され広まってゆきました。 

415-k801-060108

2006/1/8 荒川沖 K801編成 手前から411-601+M'M501+T-705+M'M-705+411-501

415500

表 415系500番台 製造予算と車体番号

500番台は上記の表のように5次に分けて24編成、96両が製造されましたが、1次の9編成は401系1次量産車の置き換え用でした。
2次の3編成は1982年11月のダイヤ改正で上野口に残っていたローカル客車列車の置き換え用でした。このグループから冷房装置がAU75Gとなりました。

221レ 上野  555   仙台 1402
223レ 上野 1236 仙台 2132
425レ 上野 1513 平   1952

422レ  浪江  600   上野 1136
424レ    平  1110  上野 1600
426レ  平  1655  上野 2145        1981年10月の時刻表データから
             今では信じられませんが、この時代、北千住と柏は大半の普通客車列車が通過していました。

Ef80-2-000000 撮影時期不明 日暮里 EF80 2による推進回送

Ef80-11-000000 撮影時期不明 EF80 11による推進回送

Ef80-13-223 撮影時期不明 上野 EF80 13 223レ発車待ち 

当時の常磐線上野口にはEF80牽引の普通客車列車が上記のように3往復残っており、私も土曜日半ドンの午後などはよく上野駅に寄り道して撮影したものでした。

415-k806-060208

2006/2/8 水戸 K806編成 411-506+MM'-1522+T-706+MM'-506+411-606

第3次の4編成は常磐線中電輸送力増強用で、このグループからクリーム色10号に青20号の帯入りの外部塗色での出場となりました。第4次は1984年2月ダイヤ改正と401系置き換え用で、この予算で昨日の100番台最終グループが発注されています。
最後の第5次は主変圧器が自然冷却方式に、整流器が自走風冷式のRS40になり、プラットホームとの段差を小さくするため床厚を70㎜から45㎜に変更することで床面高さを1200mmとしました。天井も平天井となりました。循環式汚物処理装置が新製時から取り付けられたのもこのグループからでした。

415-k620-050905 2005/9/5   馬橋  K620編成 411-520+MM'-520+411-620

415-k817-050618

2005/6/18 K817編成 411-622+M'M-522+T-2+M'M-127+411-522

編成記号の推移と廃車

1986年       K501~K524 K513~K517は南福岡へ転属となり、50Hz/60Hz共用の効果が発揮されました。

415-fm513-041017 415-fm513-041017-2 2004/10/17 門司 勝田に新製配置後、2年で南福岡に転属となったFm513編成 現在はFK513~FK517とFK520編成として鹿児島車両センターに配置

1993年   7連グループ
                 K801~K812  700番台MM'Tを挟んで
        K816,  K817    100番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
        K818,  K819    700番台MM',0番台Tを奇数側に挟んで 
                 4連グループ      K618(518), K620(520)  
1997年、2002年変化なし

2004年   519が K614 4連に K814は709MM'Tに

2007年   7連グループ
       K801,K802,K804-K809 MM'Tメンバーが一部変化
         510は K810 とK910に
        K811,K812, K813(518), K814(519), K816(521), K817(522), K818(523),K819(524)
                4連グループ K603(503), K620(520)

2008年   12/24 -507, -520 JR九州へ転籍
     
E531系の導入で勝田の415系500番台は2008年6月末までに全廃されています。

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2022年1月13日 (木)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その7 415系100番台の登場

1977年115系1000番台で導入されたシートピッチ拡大は好評を持って受け入れられ、401系や421系量産先行車の取り替え時期も迫ってきていたことから、1978年10月のダイヤ改正では415系にもシートピッチを急行電車と同じ1490mmに拡大する設計変更が行われました。さらにこれまでは奇数・偶数向きクハにトイレが設置されていましたが、0’番台からクハの向きが固定されたのに合わせて、奇数向きをクハ411-100番台、偶数向きをクハ411-200番台とし、MG,CPそしてトイレは偶数向きクハに装備としました。トイレはFRPユニット式になり、窓も113系同様の横長タイプとなりました。

415100_20220112081001

415系100番台の製造予算と車体番号

シートピッチ拡大版の100番台車は1978年9月から1980年9月までの間に日立製作所、東急車両で26編成、計104両が落成しました。勝田電車区には101,102、113~116、121までの編成が配置され、九州では今回初めて大分電車区にも配置されました(103、117~120)。尚、121編成は1979年3月の常磐線事故で廃車となった403系の補充用です。

415-k513-030308 2003/3/8 滑川 K513編成 411-113+MM'-113+411-213

415-k514-050503 2005/5/3 荒川沖 K514編成 411-114+MM'-114+411-214

約4年のブランクを置いて、1983年、昭和58年度本予算により、モハ2ユニット(127・128)、サハ411が4両発注されました。この頃はすでに明日以降の記事で登場する500番台車の製造に移行していましたが、この8両は常磐線中電15両化に向けたセミクロスシート車で、500番台同様の設計変更がなされ、室内かクリーム色、腰掛モケットはロームブラウン基調、屋根は塗屋根、通風機はFRP製となりました。サハは将来15両化時に7両編成への組み込みを前提に製造され、MG/CP装備でしたが、製造時点(1984/3)では4両ユニットからなる8両に組み込まれ、MGが過剰となるので411-1と3の奇数番号車は取り付け準備工事車として落成しました。

415-t4111-050903-2 2005/9/3 いわき サハ411-1
ベンチレーターの形態が403系最終編成~415系0・0’番台と維持されてきた形態から変化しています。

編成記号の推移と廃車

1979年 K1 101 K2 102 4連 それまで量産先行2編成が付けていた編成番号
     K56~K59 113~116 4連
1986年 7連グループ
   K801   401-69+MM'-128+T-4+MM'403-10+401-70
        K804   401-73+MM'-127+T-2+MM'403-15+401-74
        K805   401-81+MM'-717+T-1+MM'403-16+401-82
        K812   411-307+MM'-719+T-3+MM'-4+411-308
        K819  411-101+MM'-703+T-703+MM'-101+411-201
        K820   411-102+MM'-704+T-704+MM'-102+411-202
        K823   411-115+MM'-714+T-714+MM'-115+411-215
        K824   411-116+MM'-715+T-715+MM'-116+411-216
        K821   411-113+MM'-113+411-213+MM'-720+401-58
        K822   411-114+MM'-114+411-214+MM'-722+401-76
        K825   411-121+MM'-121+411-221+MM'-721+401-66

1993年 7連グループ 
        K816 411-521+MM'-128+T-4+MM'-521+411-621
        K817  411-522+MM'-127+T-2+MM'-522+411-622
        K818  411-523+MM'-717+T-1+MM'-523+411-623
        K819  411-524+MM'-719+T-3+MM'-524+411-624
        K919  411-303+MM'-2+T-704+MM'-102+411-304
        4連グループ 
        K511 101 K513 113 K514 114 K515 115 K516 116 K517 121

1997,2002,2004 変化なし   

2005年   -101 2005/8/25 廃車
2006年 -102  2006/6/23 廃車

2007年 K816  7連 411-521+MM'-128+T-4+MM'-113+411-621
            K817 7連  411-522+MM'-127+T-2+MM'-522+411-622
            K818 7連   411-523+MM'403-16+T-1+MM'-523+411-623
            K819 7連  411-524+MM'-719+T-3+MM'-524+411-624
           4連グループ K514 114 K515 115 K516 116 K517 121
           
           -127、T-2  2007/12/17 廃車
           -114,-121  2007/12/24 廃車
2008    -113, -128  T-4 2008/1/7 廃車
     T-3 2008/2/4 廃車   
          -116、T-1  2008/3/10 廃車
          -115  2008/4/28 廃車

E531系の導入・置き換えの時期に勝田の100番台車は廃車されました。

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2022年1月12日 (水)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その6 415系の登場

403系のときもそうでしたが、415系は常磐線の401・403系や九州に導入された421・423系にとってやむに已まれぬ必要性からの導入ではなく、1968年当時、それまで周波数別に対応していた主変圧器が50Hz/60Hz共用となり、まず特急電車において485系、583系が登場、1969年には急行用457系が登場、近郊形もこの流れで行こうというものでした。1971年4月の常磐線綾瀬~我孫子間複々線化によるダイヤ改正で常磐線中電が増発されることになり、415系はこのタイミングで登場しました。

4150
表 415系0番台の製造予算と車体番号

主変圧器は50Hz/60Hz共用のTM14となりましたが、主回路システムはCS12・MT54の主制御器・主電動機が踏襲され、定格速度・最高速度などの性能は同じでした。クハは411形となり、300番台が与えられました。これはクハ401-1~90、クハ421-1~106をそれぞれ将来、クハ411-0番台(411-1~90)、クハ411-100番台(411-101-206)に改番するつもりだったとのことです。しかし、現実にはこの改番は実行されず、後年登場する増備車に使用されることになりました。

415-401301-850418-2

415-850418-2
1985/4/18 上野 K809編成 411-301+MM'-713+T-713+MM'-1+411-302 トップナンバーを含む編成 
415系0、0'番台が7連に組み込まれていた時代 すでに冷房改造はされていますが、まだ前照灯はデカ目でした。 

415系0番台は表のように6次に分かれて製造されていますが、1次~3次が常磐線の増発用(上記の1971年4月の常磐線綾瀬~我孫子間複々線化によるダイヤ改正と1975年3月のダイヤ改正に向けた増発用)、4次~6次が九州地区の輸送力増強用で、前者は勝田電車区、後者は南福岡電車区に新製配置されました。1次車は403系最終増備編成同様に白熱灯(デカ目)、非冷房、押し込み式通風機でしたが、3年ぶりに増備された2次車は冷房装置付き、側窓のユニット窓化、防火対策済み(1972年11月の北陸トンネルの事故の教訓から)、運転室のスペース拡大・仕切り窓の小型化、前照灯のシールドビーム化、MGはM車からT'c車に移動し、20kVAから160kVAに、当時カネミ油症事件でPCBが社会問題化しており、PCBを使用した主変圧器TM14に代わりPCBを使用しないTM20としました。数多くの設計変更があったため、モハユニット-4以降、クハ-307以降の編成を0’番台とする文献もあります。わたしもこの点はこれに倣いたく思います。

415-801115 1980/11/15 鶯谷 ローズピンク時代の415系0'番台

 さらに1974年5月4日15次23分頃、鹿児島本線古賀~筑前新宮(現、福工大前)間の無番額踏切で発生した踏切事故:大型トラックがエンストによる立ち往生したところに南福岡発門司港行き特別快速電車が衝突、先頭車が脱線大破、したためクハ421-43同年6月8日付で廃車となり、その代替としてクハ411-335が製造されました。-43が組み込まれていたA22編成は当時、非冷房編成であったため、-335も0’番台では唯一、冷房工事準備車として落成し、A22編成に組み込まれました。

1975年3月新幹線博多開業のダイヤ改正では常磐線中電増発用と異常時特発用という名目で415系0'番台が増備されていますが、異常時特発用とは1973年3月13日朝のラッシュ時間帯に発生した「上尾事件」の教訓から列車遅延時に特発用可能な編成を確保したもので、尾久に1編成が留置されるようになりました。

非冷房で落成した415系0番台3編成の冷房改造は1977年3月から8月にかけ郡山工場で施工されました。また九州のクハ411-335に関しては1983年3月、他のA22編成メンバーとともに小倉工場で施工されました。

415-k919-020427-2 2002/4/27 北小金 919編成 411-304+M'M-102+T-704+M'M-2+411-303

415-k505-030308 2003/3/8 日立 K505編成 411-309+MM'-5+411-310

415系0番台、0’番台の編成番号の推移をみると
1979年 K46~K55 10編成とも4連グループ
1986年 K809~K818 10編成とも700番台 サハ411との7連グループ
1993年 MM'-2のみ K919 100番台 サハ704 との7連、他はK501、K503~K510 4連グループ

415-k510-020429 2002/4/29 土浦 常磐線電化40周年記念で旧塗色になったK510編成 411-320+M'M-10+411-319

この後、2005年から廃車が始まり、
-2 2005/7/11 
-3 2005/10/15 
-10 2006/7/20 
-7 2007/2/3 
-5 2007/10/15 と403系の一部より先に廃車され

2007年 K918 Tc-309+MM'-723+T-1701+MM'-5+T'c-310
            K910 Tc-313+MM'-7+T'c-314+MM'-510+T'c-610
            K601(Tc-301+MM'-1+T'c-320の4連) K504, K506, K508, K509 4連グループ
           (2007年の編成表データには一部重複があります)

-4 2007/10/15
-8 2007/11/26
-1 2008/3/17
-9 2008/2/18
-6 2008/4/28  と残った編成も廃車となりました。

この時点では403系由来の編成も大多数廃車されましたが、なんと1979年3月の事故で相棒を失い、自身方向転換されたクハ401-51はまだ生き残っており、同車が廃車になったのは2008年7月14日のことでした。

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2022年1月11日 (火)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その5 403系を含む編成の組み換えと冷房化

常磐線における401系、403系の増備の過程をみていると401系が1960年8月から1966年2月までに落成、403系は1966年7月から1968年12月までに落成していますが、1987年3月末の国鉄民営化という大きな区切りで見た場合、前者は最後の2ユニット残して(MM'-26/7も含め)、冷房改造されることなく廃車されたのに対し、後者は国鉄時代から冷房改造が開始され、国鉄時代にTc85/86+MM'18のK43編成から始まり、電動車ユニット11組、クハ31両が冷房改造されています。

電動車ユニットを個別にみると
-1は前述のように1979年3月の事故でモハ402が廃車、モハ403-1は1980年4月26日付でモハ401-26に改造、改番され、モハ400-7とユニットを組みました。
-2は1990年8月24日に、-3は1991年7月8日に、-4は1992年2月1日、-5は1991年2月25日に、-6は1992年4月2日に、-8は1992年5月1日、-13は1990年10月1日、-14は1992年7月1日にそれぞれ廃車となっており、これらは冷房改造されることなく廃車になりました。これらは1986年11月の時点で4連を組んでいたグループでこれらの中から-7だけが残されました。

415-860816-2 1986/8/16 荒川沖 ベンチレーターの形態から7連に組み込まれた403系編成で、上野より先頭車運転席後部窓は機器の設置で塞がれています。また先頭の大型箱型通風機はグローブタイプに変更されています。

415-870331-2 1987/3/31 荒川沖 国鉄最後の日の写真ですが、上野よりクハが非冷房でペアとなるクハが抜かれた3連が別の4連と併結された7連は当時、K808, K821, K822, K825 編成の4本でした。

国鉄時代の冷房改造工事は非冷房で落成した415系0番台から開始され、屋根上にAU75系列集中式冷房装置が取り付けられ、冷房電源と制御・補助電源兼用の160kVAMGと付属装置が偶数向きTc車に取り付けられ、M車の20kVAMGを廃止し、補助変圧器が新設されました。冷房電源用三相引き通し線が追設され、Tc車は片ワタリとなり、偶数向きTc車運転士席後部の客室に冷房配電盤などの機器箱が張り出して設置されました。運転室後部側窓も埋め込まれました。
この工事と並行して急行用電車と振替工事が行われていた主整流器がRS22Aにも振り返られました。
冷房の容量は42000kcal/h1台で扇風機の設置はありませんでした。

415-40154-050903 2005/9/3 いわき K518編成 クハ401-54 国鉄時代はK808編成で非冷房のクハでしたが、JR東日本により冷房化されました。箱型押し込み通風機は残されています。

415-40176-k521-030308-2 2003/3/8 滑川 K521編成 クハ401-76でJR東日本により冷房化されました。

民営化後、JR東日本は1987年度サハ103で試行したAU712分散式冷房装置による冷房化を1988年下期からの改造に適用しました。冷房電源は従来通り偶数向きTc車に160kVAMGが搭載されました。AU712で冷房改造されたクハは51, 53, 54, 55, 57, 58, 66, 67, 68, 76, 77でした。51は方向転換もされています。

415-k562-0302112003/2/11 荒川沖 K562編成 クハ401-67+モハ403-9ともにAU712の編成 モハ403-9は唯一、AU712により冷房化されたモハ403形となりました。

これらによって1992年夏期には常磐線中電の冷房化率100%が達成されました。

403系を含む編成の変遷を見ると1979年の編成表ではK26からK45まで403系として落成した通り、4連でした。1979年3月の事故で-1ユニットが壊れ、1986年11月の編成表では-10,-12, -15,-16, -17, -18が7連の偶数よりに、-11,-19が7連の奇数よりに組み込まれました。7連の両端クハは403ユニットを含む編成はすべてクハ401でした。残りは4連でした。ただ、クハとモハの番号の組み合わせは製造当時の関係とは大きく崩れていました。1993年の編成表では冒頭で既述したようにすでにいくつかのユニットが廃車され-12ユニットのみがK903の7連に残り、あとは4連になっています。このときの4連におけるクハとモハの番号関係は製造時の関係に戻っていました。
常磐線15連化にむけて7連に組み替えた際にクハが1両不足するため、クハ115-612(旧サハ115-2)を交直両用化改造しクハ401形に編入しました。1986年に大宮工場で改造、当初は401-901でしたが、1987年1月-101に改番されました。常磐線ではTc401-47MM'-24の上野方に連結されK568編成となっていました。冷房改造されることなく1991年に廃車となりました。

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2022年1月10日 (月)

国鉄近郊型スタイルの祖となった401,403,421,423,415系 その4 出力増強タイプ403系の登場

国鉄の電化の進展に伴い、中距離電車も25‰の連続勾配線区へ進出するようになりました。そうなると均衡速度を維持するために電動車比率を上げなくてはゆかなくなり、電動車比率をあくまで半々に抑えたうえでこういった線区を運転するために開発されたモーターがMT46に替わるMT54でした。このモーターを搭載し、ノッチ戻しと抑速発電ブレーキを付加した系列として115系1962年度に登場、さらに111系の出力増強版として1963年度に登場したのが113系でした。
交直両用車においても標準化の見地から出力増強版が登場する流れとなりましたが、1964年11月の関門連絡線の廃止に伴う関門ローカル増発の機会に1965年1月423系が先に登場しました(昭和39年度早期債務で1編成)。

403
403系を含む編成 予算と車体番号の関係
415-m40317-821-050903 2005/9/3 荒川沖 このユニットは昭和41年度本予算で発注され、東急車両で落成、1967/2/20落成、編成組み換え後は7連K806編成に入っており、両端クハは廃車までデカ目だったクハ401-83,84でした。2か月弱後の11/1付けで廃車となっています。

 403系編成は423系に遅れること1年半の1966年7月に4編成(昭和40年度第2次債務)が登場しました。クハは401の続き番号(51から58)でしたが、前より通風機が箱型に変更され、運転室の通風効果改善を狙ったこと、台車がディスクブレーキ方式のTR62になったことが変化でした。モハは主電動機の出力増大に伴い、主制御器・主抵抗器などの主回路機器の容量がアップされ、主変圧器・主整流器などの交流機器も当時の交直流電車用標準形式のTM10、RS22が使用されました。台枠機器配置も他系列(455系、475系)と共通化され、直流避雷器も移設されました。
 423系に較べると403系の増備機会は少なく、昭和41年度本予算にて15編成が発注され、上野口の客車列車置き換え用に投入、1967年1月から2月にかけ落成しました。これらは同年3月の水戸線電化開業関係でした。403系最後の1編成は昭和43年度本予算で発注され、1968年12月に落成しました。このときの編成は415系編成への過渡期の特徴が見られ、ベンチレーターはグローブタイプから押し込み式となり、車内ではボックスシートの掴み手の形態が半丸状から角形状に変更され、出入り扉の車内側がステンレス製になりました。車体側面のサボ差しの位置も421系、423系と同じ中央扉脇とし、号車札差しと急行札差しが追加されました。

415-k561-030211-2 2003/2/11 小山 403系ユニットラストナンバーを含むクハ401-89/90編成 ベンチレーターがすべて押し込みタイプに 冷房改造は国鉄時代に行われました。

403系編成で忘れてはいけないのが、1979年3月29日15時05分頃、鹿島街道踏切で警報機を無視して進入したダンプカーに平発上野行き普通482M(403系K26編成など12両)が衝突、ダンプカーが大破、電車は1両目が前部を大破し,70m暴走した後、脱線、進行方向左側約2m下に転覆、2両目以下も約200m暴走し、2両目が脱線。ダンプカーの運転手が死亡、乗客57人と電車運転手が負傷しました。

 この事故で架線が切断されたため、取手~友部間が翌日10時30分ごろまで運休となりました。K26編成の上野方先頭車クハ401-52と2両目モハ402-1が廃車となりました。K26編成は1966年7月2日、東急車両で落成した編成で車齢は13年弱でした。廃車補充用として昭和54年度本予算で1編成4両が発注されましたが、損傷が軽微だったモハ403-1とクハ401-51はK7編成のクハ401-13とモハ401-7を老朽廃車として残ったモハ400-7、クハ401-14と編成を組むことにしました。その際にモハ403-1は主電動機をMT46Bに交換する改造が行われ、モハ401形の追番でモハ401-26となりました。

401系を電動車とする編成とは異なり、403系を電動車とする編成は冷房改造の対象となり、415系0番台編成に続き、昭和54年度から冷房改造工事が始まりました。国鉄時代の冷房改造工事は403系編成に関しては九州の423系編成とは異なり、AU75集中式のみが搭載されました。これらの詳細に関しては、明日以降の記事で触れます。

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