2017年12月26日 (火)

黒磯~白河へ 東北本線の輸送体系の変化 その3

JR東日本の2017年10月14日のダイヤ改正で、これまで黒磯まで乗り入れていた東北地区配置の交直両用車両、交流専用車両は新白河までの乗り入れとなりました。

そこで、今回の記事では黒磯でかつて見ることが出来た北からの車両達の写真を集めてみました。

455_s33_030419_3 2003/4/19 黒磯 455系 S-33編成

455_s40_030215 2003/2/15 黒磯 455系 S-40編成

かつて急行電車として活躍した車両がローカル車両として活躍中の姿

417_k5_030211_3 2003/2/15 黒磯 417系 K-5編成

1978年、国鉄が設計・製造した交直流近郊形電車。晩年は阿武隈急行に譲渡され、A417系として活躍中でしたが、2016年5月に引退。

701100_f2103_081220 2008/12/20 黒磯
701系は現在も活躍中ですが、100番台、1000番台、1500番台などが顔を見せていました。

719_h9_030419_2 2003/4/19 黒磯 719系 H-9編成
こちらも廃車が進行中の719系

E721_p01_070520_2 2007/5/20 黒磯
在りし日のE721系 P-1編成 

E721_p19_070520_0 2007/5/20 黒磯
在りし日のE721系 P-19編成 

これらの編成は2011年3月11日、常磐線新地駅に停車中(P-1とP-19編成の4連にて運用)、東日本大震災の大津波で流され、大破し廃車となりました。同年4月14日から数日間に渡り、解体されたとのことです。

黒磯~高久間の交直接続のためのデッドセクション設置は現在進行中とのことですが、これらの車両は一足先に黒磯駅からは姿を消してしまいました。そして、未来永劫見ることはなくなりました。

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2015年11月26日 (木)

東京総合車両センター公開 その3 首都圏直流電車の主電動機 part3 MT54

東京総合車両センター公開での主電動機の展示に沿って、歴代の電車のモータを見ていますが、今回は国鉄抵抗制御新性能電車のスタンダード・モータだったMT54形です。

Mt54_150822
MT46、MT46A101系から始まる新性能電車の主電動機として東洋電機製造が設計したのに対して、MT54は日立製作所が1962年に設計・開発したモータで

端子電圧 375V
定格出力 120kW
定格回転数 1630 rpm 全界磁
定格電流 360A
最高回転数 4320 rpm

となり、MT46Aに対して20%出力が向上し、MT比1:1の車両構成でも25‰程度の勾配が登坂可能となり、経済性と輸送力を両立させました。

165108_140812 クモハ165-108 2014/8/12 リニア・鉄道館

MT54が最初に搭載された系列は165系1963年3月、主制御器CS15と組み合わせて登場しました。勾配線区や寒冷地での運用を考慮し、153系に対して出力増強、耐寒性能が向上した急行形系列となりました。

急行形では交直両用系列の50Hz版451系、60Hz版471系においてもMT46AをMT54に置き換えて453系や、473系、さらに453系や473系に抑速ブレーキ機能を付加した455系、475系、(制御器はCS15B)、そして周波数を50/60Hz対応可能とした457系へと発展して行きました。また165系においては修学旅行用バージョン167系、さらに碓氷峠の協調運転用として169系が製造されました。

4731_811126_edit クモハ473-1+モハ472-1の1ユニットのみの製造で終わった473系 1981/11/26 金沢
ちょうど34年前に撮影した写真です。

特急形では151系、161系がモータを換装し、181系に、交直両用昼行特急車輛の481系、483系、485系、碓氷峠協調運転用489系、寝台特急電車581系、583系(モータは耐寒耐雪形のMT54B、主制御器もCS15E)、交流専用特急車両781系では417系で採用された強制通風冷却方式のMT54Eが採用されました。183系でもMT54が採用されました。

近郊形でも401/421系の出力増強タイプとして、403系、423系、さらに50/60Hz共用として415系、その直流版として111系の出力増強タイプ113系、勾配区間対応でノッチ戻し、抑速ブレーキ装備の115系(制御器はCS15A)に採用されました。

117系ではMT54Dが採用され、185系も同形式が採用されています。Dはネジがウイットネジ(インチネジ)から新JISネジ(メートルネジ)にかわり、互換性が無くなったことで新たに形式を起こしたそうです。

711902_910820 711系 試作902編成を組み込んだ編成 1991/8/20 苗穂

711系ではサイリスタ位相制御が採用され、MT54A電動機を永久並列接続し、端子電圧は375Vから500Vに引き上げ、定格電流を330Aに下げたことで、定格出力は150kWに上昇し、弱め界磁制御も廃して単純化されました。

国鉄以外では、

西武の601系からのカルダン車系列、701、801系は日立HS-836-Frb型 (端子電圧375V、定格出力120kW)ですが、国鉄のMT54と同一設計のモータでした。なんと国鉄の165系(1963年就役)よりも早い1962年に登場しています。さらに西武ではこのモータを国鉄101系と同じ84:15 (=5.60)の歯車比で駆動しており、加速力、牽引力重視の設定でした。国鉄では電力消費量の問題でこの歯車比の通勤車両は新造されず、581系583系を近郊型に改造した419系、715系で初めて101系の駆動装置を転用した際に登場しました。

北陸鉄道の7000系は廃車となった西武の701系のモータを再利用しており、えちぜん鉄道のMC6001形も愛知環状鉄道の100形などを譲受した際にJR東日本からMT54を購入し、搭載しました。伊豆箱根鉄道の3000系でも西武601系などと同仕様の日立製HS-836-Krb型が使用され、歯車比は86:15=1:5.73 となっています。

419_d15080905_2 419系 D15編成 2008/9/5 越前花堂

165系の走行機器を再用した1M方式の107系ではMT54BもしくはMT54D 4基を永久直列接続とし、歯車比を165系の4:21から5:60に変更して使用しています。

107_n1_111103_2 107系 N1編成 他 20011/11/3 日光

こうやって挙げて行くと、103系MT55381系MT58以外殆ど全てのMT46A以降の抵抗制御方式の国鉄新性能電車に使用された汎用モータであることが分かります。

CS15はCS12の発展型主制御器で電動カム軸式抵抗制御器
直列全界磁 13段 並列全界磁11段 並列弱め界磁 4段 
発電ブレーキ ノッチ戻し制御 抑速発電ブレーキ付き となっています。

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2014年10月22日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その3 1966年から1969年頃

1964年10月から、今日に至る新幹線50年の歴史、今回は「ひかり」東京~新大阪 3時間10分運転が実現した1965年11月1日改正以降、大阪万国博開催前までの話題です。

0801213 0系 K40編成 1980/12/13 新大阪

まず最初の話題は編成の変化です。

車両的には1965年10月のダイヤ改正における増発にむけて第3次車として、

3_3

上記の車両が増備され、40編成体制になっていました。

196410_4 「ひかり」「こだま」開業時の編成は車両形式的には同じで、自由席と指定席の構成が違いました。

開業後、運行を続けて行くにつれ、自由席の多い「こだま」の方が混雑度が高く、1等車2両は過剰と判断されたため、7号車を2等車自由席とする「こだま」専用編成を組成することになりました。

196610_3

1966年10月1日の改正から「こだま」は1等車1両(半室自由席)とし、新造された2等車(25形200番台)を従来の1等車と組み換えましたが、半数は7号車が2等車、8号車が1等車の正規編成、残り半数は6号車の次に8号車(15形)1等車、その次に7号車(26形400番台)2等車の変則編成となりました。

45 この編成組換えは第4次、第5次として増備された車両と第3次車として増備された編成に対して行われ、第1次、第2次車はそのまま「ひかり」専用編成となりました。この編成替えで「ひかり」30本「こだま」20本編成体制となり、2-2ダイヤ化が完了しました。

わたしが初めて新幹線に乗ったのは、1966年の夏休みの萩家族旅行で、自由席のあった「こだま」でした。当時は毎夏萩か能代に帰省していましたが、指定券の確保は至難の業で、前の晩から徹夜で並んでも特急はおろか急行の指定席も取れないということを記憶しています。、

0_140812_2 リニア・鉄道館にて撮影した0系 普通車車内 2014/8/12

この夏のリニア・鉄道館訪問の際に0系車内を見学しましたが、1966年夏に初めて新幹線に乗った際のことを思い出しました。当時、小学校5年生で早速、車内探検をしましたが、

0_140812_3 いまでもしっかり憶えているのが、この冷水器です。夏の暑い時期、車内は冷房は効いていましたが、何度この冷水を飲みにデッキに通ったことか。さらに紙封筒のようなコップも数枚記念に持ち帰りましたね。あとは速度計の表示でした。

あの時の萩行きは最近、当時の時刻表を見ていて気付いたのですが、東京~新大阪間の新幹線開通の効果というのは東京~萩間の従来の東京発昼行・夜行急行の旅に較べてあまり時間的メリットがないのですね。従来の急行、例えばその1の記事で紹介した1964年夏の「雲仙・西海」の旅に較べて、朝東京駅を出発する新幹線に乗っても、大阪から先の当時の在来線ではその日のうちに萩に到着するのは不可能だったのですね。

そこで、恐らく旅好きで時刻表好きだった母(旅行のプランや切符の確保は、父よりも母が主導的だったはず)が考えたアイディアは新幹線で新大阪へ、大阪港から瀬戸内海航路で別府へ、別府で一泊した後、九州から萩へという行程でした。ところが、台風の接近で瀬戸内海航路は欠航となり、大阪から先の行程は陸路への変更を余儀なくされました。

そこで乗車したのが
新大阪~広島 急行「はやとも」 205M 時刻 模型での再現
広島~下関 急行「第2関門」 303M 時刻
下関~東萩 急行「しまね」 801レ 編成

でした。結局、夜中の2時前に萩に着くという往路でした。

当時の写真はありませんが、「はやとも」で初めて見た60Hz用の475系交直両用急行型電車、車体の裾にクリームのラインが入った姿が目に焼き付きました。また夕刻の153系急行「関門」ではビュッフェでハムサンドのような軽食を食べたのが記憶にあります。広島で「はやとも」から「第2関門」にわざわざ乗り換えたのは、台風や夏休みで「はやとも」はかなり混雑しており、満足に座席が無かったためと思われます。あの時、広島に到着する前に山陽本線の瀬野~八本松という難所があることを初めて知りました。

0_2 撮影年代不明 東京駅で鼻先を揃えた0系

6_3 6次車としてこだま正規編成が7本増備されましたが、このときから東急車輌が製造に加わりました。

1966年度からは乗車率増加の傾向となり、増発の必要性から東京駅の新幹線ホームが1967年3月10日に増設され、16,17番線発が「こだま」、18,19番線発が「ひかり」と分離されるようになりました。1967年10月1日改正からダイヤもピーク時、3-3ダイヤとなり、ひかり10本、こだま15本が増発されました。

79 この間の車両増備の様子です。圧倒的にこだま用編成増備の時代でした。

1968年10月1日の改正では「ひかり」「こだま」各10本の増発が行われ、3-3ダイヤが終日に拡大されました。1969年4月25日には初の新駅として三島駅が開業しました。地元の工事費全額負担による駅誘致が実現したものでした。三島駅には追い越し設備が設置され、「ひかり」の追い抜きが3回となったため「こだま」の所要時間は4時間から4時間10分になりました。
1969年5月10日、国鉄の運賃法が改正され、明治以来の客車の等級制が廃止されました。1等車がグリーン車となり、2等車は普通車となり、従来の一等運賃の5~6割程度でグリーン車を利用できるようになったため、グリーン車の利用が増えたそうです。

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2013年1月29日 (火)

1981/11 北陸へ 5 471/473/475/457系 急行用電車

今回の北陸シリーズ、機関車のEF70から開始してEF81,さらに485系特急、583系特急と見てきました。交直流電車としては481系より早く北陸路に登場したのが、当時優等列車としては最も一般的であった471系急行用電車(60Hz)です。

475
初期の大形のHMを付けた急行「立山」

471系の登場は1962年のことで、2012年12月17日の記事で記述したように1960年には401系421系が開発され、1961年10月から常磐線/鹿児島本線に投入されていました。一方、電車急行としては2012年11月25日の記事で記述したように153系が1958年に登場していました。

同時に開発された50Hz用451系とともに471系のユニークな点は、地方線区や勾配線区での使用を考慮して、MM'ユニットとはせずにMcM'ユニットとしてMcM'M'Mcの間にT車を挟み込む車種構成としたことです。T車はTsサロ451、Tbサハシ451、Tサハ451の3形式が起こされましたがサハ451は3両の製造に留まりました。さらに401/421系では制御車も50Hz/60Hzで形式が分けられましたが451/471系では分けられずに、451形として共用で製造されました。

451/471系を引き継ぐ形で製造されたのが453/473系で、主電動機を100kWタイプのMT46Bから120kWタイプのMT54に変更したのが大きな相違点で、101系~103系、401/421系~403/423系、111系~113系などと同じ変化ですね。抑速発電ブレーキを装備した455/475系がすぐに登場したため、増備は少数に留まり、473系の場合は1ユニットの増備に終わりました。製造初年は453系(1963年)、473系(1965年)です。

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4731_811126_2
1ユニットしか製造されなかった473系 1981/11/26 金沢

453/473系に続いて登場したのが455/475系でこれらは453/473系に抑速発電ブレーキを追加したものです。勾配線区での使用を前提とした装備で直流電車では1963年に登場した115系、165系などに装備されていました。455/475系においても引き通し線の追加などで制御車、付随車に新形式(クハ455、サロ455、サハシ455)が起こされましたが50Hz/60Hzに関しては分けられませんでした。サロに関しては新製時より冷房が搭載され、ハザについても一部1968年落成車が冷房準備車として登場しました。製造初年は1965年。

最後の新製となるのが457系で、455/475系を50Hz/60Hz共用にした3電源方式で、1968年に485系、583系が登場したのを受けての形となりました。制御車、付随車は455/475系と共通とされ、McM'ユニットのみ457系として製造されました。本系列からハザが新製時より冷房搭載車となり、製造初年は1969年、最終増備は1971年でした。

クモハ471形、モハ471形は13ユニット製造されましたが、当初は上記のようにTc車を製造する予定はありませんでしたが、昭和36年度第3次債務で発注の-13, -15はTc車を製造する計画があったので、奇数番号で製造され、-12, -14は欠番となりました。また、車体構造上の特徴として、使用線区のホームが低い関係でステップを設置することになりましたが、Mc車運転室よりの出入り台では引き戸と戸袋部分が枕梁部分と競合するため、初期の車輌では戸袋を廃して引き戸を外吊りとしたことでした。-15は通常の内引き戸式とした試験車として製造され、強度的に問題がないことが分かり、初期車も1966年から1969年にかけて内引き戸式に改造されたそうです。運転台形状は153系500番台で採用された高運転台を当初から採用していますが、153系と異なり、助士席後方を機器室としたために助士席と出入り台の間に窓が無く、通風口が設置されていました。

台車は153系や401/421系と異なりDT21系の流れを汲まないDT93などの実績をもとに揺れ枕を廃した空気バネ式のDT32/TR69が採用され、以後中長距離電車の標準台車となりました。制御器はノッチ戻し制御が可能なCS15が採用され、主幹制御器はMC32に中間弱め段を追加したMC33としました。主電動機はMT46Aに脈流対策を施したMT46B、パンタグラフはPS16B、主変圧器はTM3B、主整流器はRS7でした。空気圧縮機CPはMcTsTb車にMH80A-C1000がMGは20kVAのMH97-DM61がMc車に設置されました。

サロ451形はサロ152形に準じており、乗客専務室と業務用控室が設置され、回送用簡易運転台が後位に設置されました。基本番台は26両、CP付きの100番台は5両(101~105)新製され、基本番台にCPを付けた改造車は107番から付番されました。

サハシ451形はサハシ153形に準じた座席・ビュッフェ合造車でビュッフェ部分には当初から冷房AU12x4が設置されました。製造は16両でした。サハ451は0番台2両、CP付き100番台が1両のみの製造で以降中間付随車の役割はクハ451形が務めました。

クハ451形は当初は製造が計画されませんでしたが、車両需給の関係上、McM'Tcを一組とする方が良いとのことになり、昭和37年度本予算から製造が開始され、1963年に落成しています。引き戸の問題は既に解結していたのでさいしょから内引き戸で落成しました。偶数向きで限定使用するため片渡りで製造されました。クハ451形は40両が製造されました。

クモハ473形モハ472形は1ユニットの製造に留まりましたが、471形に対する変更は主電動機の出力アップ以外に、台車は高速性能を改善したDT32B,TR69Bに、主変圧器はTM10に主整流器は容量増大タイプのRS22とし、471形で存在した車体側面のルーバーは廃止されました。

クモハ475形モハ474形は53ユニット製造されました。主制御器は抑速発電ブレーキ機構を追加したCS15Bとし、主幹制御器も抑速ノッチを追加したMC44としました。主抵抗器も従来のMR61から特殊形状抵抗体の採用で容量増大を図ったMR52Aとした。CPは大容量タイプで耐雪構造のMH113A-C2000とし、M'車のみ装備となりました。抑速発電ブレーキ装備に伴い、引き通し線が1本追加され、ジャンパ線はKE58X2からX3となりました。

クモハ457形、モハ456形ユニットは19ユニット製造されました。主変圧器はMT14、主整流器はRS22A、冷房装置搭載に伴ってMcM'ユニットは片渡りとして奇数向き限定使用とし、Tc車には冷房電源用に110kVAのMG(MH128-DM65)を搭載し、自車を含め4両まで給電可能としました。

サロ455形は45両製造されました。冷房搭載で登場し、電源は自車に40kVAのMH101A-DM65を搭載していました。サハシ455形は26両製造されました。サハ455形は455系/475系登場時には製造されませんでしたが最終増備の昭和45年度第1次債務で初めて登場し8両製造されました。クハ455形は75両製造され、クモハ457形と同時に製造された65~は冷房装置を搭載して登場しました。

一方、北陸における交直両用電車による急行の歴史は、1963年4月20日の金沢電化を嚆矢とし、敦賀第二機関区に配置された42両の布陣で開始されました。最初に登場した急行は「ゆのくに」と「加賀」で前者が全車座席指定なのに対して後者は二等車オール自由席とされ、敦賀の出入りの関係で準急「越前」が設定されました。

この頃の編成は <=大阪 McM'TbTsTsTbM'Mc 金沢=> といったものだったようです。

1964年7月に、急行電車の配置は金沢運転所となり、10月1日の富山電化開業では大阪~富山間の急行列車の名前は「越山」とし、大阪~金沢間の急行を「ゆのくに」「加賀」「越前」とし、敦賀~金沢の準急を「くずりゅう」と改称したそうです。「越山」という名前は「越中」と「富山」を足して2で割った名前だったそうです。1965年10月の改正では「立山」の電車化を機に大阪~富山間の昼行が「立山」に、夜行が「つるぎ」、大阪~金沢間が「加賀」に統合され、1968年10月の改正で、再び「ゆのくに」が復活し、電車夜行「つるぎ」は寝台急行に変化しました。

475_811126
475_811126_4

475_80120_2

475_811126_3

急行「立山」の編成の構成がわかります。McM'TTsMcM'Tc といった編成のように見えます。

475_80120_2_3

急行「くずりゅう」はMcM'Tcの3連を2編成繋げたモノクラス6連の編成ですね。
471_8111_2

特徴的だった急行型電車のHMも当初の立山のような大形のものから、これらの写真の様に幌内に収まる小形のタイプに変化してゆきました。

本記事を書くにあたり、鉄道ピクトリアル誌2007年4月(no.788)の記載を参考にさせて戴きました。

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2012年11月27日 (火)

1976/3 米原へ DD50 その他

磐田でEF18を撮影した後、浜松までは各停の旅を続けましたが、このまま旅をしているといつ関西に到着出来るのかと思い、「飛び道具を使ってしまえ」ということで浜松から米原までは新幹線を使うこととしました。

米原で降りたのは、以前から新幹線で同駅を通過するたびに車窓から見えたDD50が気になっていたことと、東海道本線と北陸本線の分岐点で、自治体的には確か「坂田郡米原町」で新幹線の停まる駅では唯一の”町”だったと思いますが、鉄道の要衝として名を馳せた同駅で是非写真を撮っておきたかったからです。

まずはDD50について、

1953年から製造された我が国初の幹線用電気式ディーゼル機関車です。

エンジンはスイスのズルツァー社との技術提携により製造された、縦形(直立シリンダー)直列8気筒、直噴式で1,050ps(1時間定格)の8LDA25です。DF50形でも、三菱重工業が製造を担当した0番台に採用されています。

運転台が片側にしかなく、常に2両を背中合わせに連結して重連運転することを前提として製造されました。ちなみに、重連で使用した際の性能は、D52形・C62形蒸気機関車並みとされています。

1953年に1次車3両が新三菱重工業三原製作所で製造されました。電気部分は三菱電機が製造しました。性能上は問題ないことが確認され、1954年に2次車3両が同じく新三菱三原で製造された。1次車と2次車では車体形状が若干異なっており、2次車では前面排障器が車体と別部品になっています。

量産を見据えた設計ではありましたが、2両重連使用のため製造費が高くなり、軸重が重く、蒸気暖房装置を搭載していないために冬期の旅客列車の牽引には別に暖房車が必要となるなどの問題点があり、これ以後の製造はなされませんでした。

6両とも当初は敦賀機関区(現・敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室)に配置され、北陸本線米原駅 - 敦賀駅間で使用されました。製造当初は「日本海」「北陸」などの急行列車にも用いられましたが、1957年にDF50形が製造されてからは主に貨物列車に使用されるようになりました。また、北陸トンネルが完成する前の杉津越えでは、DF50形ともども補機としても重用されました。その後、北陸本線の電化により富山機関区を経て米原機関区(現・米原列車区)に転属し、米原駅 - 田村駅間で直流電気機関車と交流電気機関車の中継に使用されましたが、1975年3月10日のダイヤ改正のころより休車が発生し、1977年12月26日付で全車廃車となりました。

なお、4号機は1957年ごろDF40形が改造工事を受けている間、四国に渡り、土讃本線(当時)で運用されていたことがあるそうです(以上、DD50に関するWikipediaの記事を参考にしました)。
Dd50_14休車状態で、米原駅構内に留置されていたDD50 1+4

Dd50_1DD50 1号機のアップ

Dd50_2

DD50 2号機他

米原機関区時代は日本初の交直接続区間である米原~田村間の中継に使用されていますが、この区間の歴史もかえりみると興味深いものがあります。

数週間前(11月初旬)にやぶおさまの掲示板(リンク http://www.geocities.jp/yabuubu/ から)で話題になっており、その時に私も中継の歴史を整理しておりますので、その時の記事をベースに書きます。

1957年 田村~敦賀 交流電化 
    ED70登場                            1975年までに全車廃車
    E10 米原機関区に転属                   1962年廃車 
    D51も活躍
1961年
    EF70 登場                  1987年のJR化前に全機除籍・廃車
1962年 
    ED74 登場                  1968年よんさんとう改正で 日豊本線に
    ED30  試作(EF55 3の主電動機と輪軸を使用)      1976年 廃車
    (ED30は殆ど使われなかった模様で1966年には国立の鉄道技術研究所に)
    E10に代わってD50が交直接続に 
    D51も引き続き担当
1962年 米原~田村 交流電化
1968年 
    D50からD51へ 「よんさんとう」が蒸機の終わり
    DD50も交直接続役に                     1977年全車廃車
    DE10も交直接続役に
1991年 坂田~田村交直セクション => 長浜~虎姫
2002年              => 敦賀~南今庄へ

といった具合に同所における登場車輌は変化していったようです。

さらに米原駅では、米原機関区の所属のEF58 78号機が小荷物列車の牽引に備えてかウオームアップを行っていたり、

 

Ef58_78_7603

ワイパーの根元の形態が特徴的だった78号機

当駅でスィッチバックする名古屋~北陸を結ぶ特急「しらさぎ」や1975.3の改正で大阪発の雷鳥などが湖西線経由になったため)新たに設定された米原~北陸間の特急「加越」(の姿を記録しました。

 

485_481300

米原駅でスィッチバックするクハ481-300番台先頭の特急「しらさぎ」

特急「しらさぎ」、同列車は当時6往復で、5往復が金サワの485系12連 5組 4本使用
TcM'MTsTsTdM'MTM'MTc で1往復が大ムコの581/3系12連 21組 17本使用
TncM'nMnTnTsTdM'nMnTnM'nMnTnc でした。

485_481300_7603
特急「加越」 同じくクハ481-300番台先頭

一方、特急「加越」は金サワ485系7連のミニ編成 TcM'MTsM'MTc 5組 3本使用で運用されていました。食堂車はさすがにありませんが、グリーン車はちゃんと付いた編成でした。

1975年3月のダイヤ改正以降、金サワには489系と485系の交直両用特急電車が配置されていましたが485系のクハはすべて300番台で、一度撮影したらokの金太郎飴状態でした。一方、「白山」「あさま」「雷鳥」に使用される489系はTcM'MTsTsTdM'MTM'MTcの12連が13本配置され10本使用の状態でしたが、クハは製造年代によってボンネット、貫通タイプ、非貫通タイプと形態が変化し、さらに上野方はEF63協調用にボンネットでは連結器が丸だし状態、600番台、700番台ではジャンパ栓が片渡りと非常にバラエティに富んだ構成でした。

471_7603

急行「くずりゅう3号」206M 米原に到着

くずりゅう」は加越の急行版のような列車で、TcM'Mcの3連を2編成連結したモノクラス6連でした。

運転開始は1966年12月のことで、新幹線との接続もよく、米原駅始発であることから着席が保障されるため利用客からの人気が高く、1968年10月には5往復(2往復は不定期列車)に倍増されました。1969年には米原駅 - 福井駅間の列車も設定されて6往復になり、1978年には全列車が定期列車になりました。1982年11月に「加越」の増発により1往復にまで減少し、1985年に廃止されました。(以上、Wikipediaの記事を参考に記述)。

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2012年11月15日 (木)

1975/3 関門・関西へ 13 関西編3

関西編、最後に急行列車を纏めておきたく思います。

まずは、名古屋と大阪を結んだ急行「比叡」です。

Wikipediaの記事を参考に急行「比叡」の歴史を纏めると以下のようになります。

1956.11 準急列車として 405・406 名古屋駅 - 大阪駅間 設定
1957.10 名古屋駅 - 大阪駅間運転の準急列車も3往復に増発されて80系電車使用列車となり、翌月には「比叡」と命名されました。
1958.10 「比叡」は2往復増発されて5往復になりました。「東海」・「比叡」はこの時から153系電車に使用車両を順次変更することになりました。
1961.10 8往復に増発
1965.10 4往復に削減
1966.3 運行距離100kmを越す準急列車は全て急行列車へ格上げすることになり、「東海」・「するが」・「日本平」・「比叡」は急行列車となりました。
1972.3 ビュッフェ車サハシ153は営業休止となり、2往復に削減されました。
1980.10 1往復に減便
1984.2 廃止

153_750306
153_750306_4

大垣区の153系ですが、比叡以外の列車にも使用される関係で、いろいろなHMに替えられるシステムだったようです。
153_500_750306_3上り方は高運転台の500番台です。

歴史にも書かれているように「比叡」の列車そのものは改正後も存続しましたが、HMの掲出はこの改正で終わったようです。

続いて急行「立山」です。

その歴史は

1956年11月 上野駅 - 長岡駅 - 大阪駅間で運転されていた急行「北陸」が上野駅 - 福井駅間に短縮される。その代替として運転開始。
1965年 電車化される。
1975年3月 「雷鳥」とともに湖西線経由となる。
1982年11月 「雷鳥」に編入される形で定期運行がなくなり、583系電車による夜行の臨時列車1往復のみとなる。
1985年3月 廃止

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471_750306_2
11番線から出発を待つ急行「立山1号」 501M

以上、大阪駅で最後に581/3系寝台特急「きりしま」を撮影して、新幹線で東京に戻りました。

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2012年11月10日 (土)

1975/3 関門・関西へ 8 山陽 玄海

まずは山陽本線 岡山~下関の直流区間を結んでいた急行「山陽」から。

Wikipediaの山陽本線優等列車沿革から「山陽」という愛称のついた列車をピックアップすると
1960年5月 岡山駅 - 博多駅間にキハ55系による気動車急行「山陽」新設
1961年6月 「山陽」(岡山駅 - 博多駅)キハ58系
1965年3月 「有明」 岡山駅 - 熊本駅…「山陽」を区間延長し475系電車化。
「山陽」 広島駅 - 博多駅…準急「長門」を格上げして区間延長し475系電車化。
1968年10月 「山陽」(3往復) 岡山駅 - 広島駅・下関駅 153,165系電車 (「みずしま」・「とも(旧)」を統合) 新設「はやとも」 広島駅 - 博多駅 475系電車 (「山陽」を改称)
1970年10月 「吉備」1往復が山陽本線経由となり「山陽」に編入、「山陽」4往復となる。
1972年3月 「山陽」 岡山駅 - 広島駅、南岩国駅、下関駅間8往復に増発。また、下関駅 - 広島駅間に上りのみ1本運転。「ながと」岡山駅打ち切りとなり、「山陽」に編入。「やしろ」「山陽」に統合。
1974年4月 山陽」(下り7本、上り9本)岡山駅 - 広島駅、下関駅 広島駅 - 下関駅、さらに季節列車・臨時列車で(3往復) 岡山駅 - 広島駅、下関駅
1975年3月 全廃

山陽本線ではかつて急行「鷲羽」が1972年の改正までは定期・季節合わせて11本の設定があったのが、改正で一気に定期1本・季節1本の2往復にまで数を減らしたことがありましたが、今回はそれに勝るとも劣らない大きな変化でした。

それでは「山陽」の写真を

153_750305_2
153_750305_3クハ153の初期(低運転台)車を先頭とした急行「山陽」

153_750305上り特急「まつかぜ」2012Dと並んで発車待ちする急行「山陽6号」、当時の時刻表では同列車は小郡まで快速列車として運行。

つづいて、九州直通の急行の中から「玄海」を、

同じくWikipediaの山陽本線優等列車沿革から「げんかい」もしくは「玄海」の愛称を追ってみると、

1951年4月 大阪駅 - 博多駅間に、臨時急行3033・3034列車を運転開始。関西から九州へ向かう夜行急行列車が誕生した。
1952年9月 臨時急行3033・3034列車は定期急行に格上げられ、「げんかい」と命名された。
1955年7月 「げんかい」は、漢字書きの「玄海」となる。また同月、一等寝台車が利用率の悪かったことから廃止され、それまでの一等寝台は二等寝台A・B室、それまでの二等寝台は二等寝台C室となる。
1956年11月「玄海」は「あさかぜ」に輸送を譲り、京都駅 - 長崎駅間(大村線経由)に運行区間を変更。
1957年7月「玄海」は京都駅 - 鹿児島駅間運転となり「桜島」に改称。
1958年4月「桜島」は博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。
1961年6月 不定期で大阪駅 - 長崎駅間に「第2玄海」が新設。「玄海」は長崎駅発着に変更。
1968年10月「玄海」 名古屋駅 - 博多駅 475系電車 (「はやとも」を改称)「雲仙」 京都駅 - 長崎駅 客車寝台 (「玄海」を改称)
1972年3月 「玄海」 岡山駅 - 博多駅、熊本駅間に運行区間が短縮された代わりに、3往復となる。「つくし」 季節の昼行1往復を岡山駅打ち切りとし、「玄海」に編入。「しらぬい」「玄海」に統合。
1975年3月 全廃

 

急行「玄海」のHM付きの貴重なお写真はこちらこちらのサイトで見ることができます。なお、「玄海」という愛称の急行はなんと1991年から1995年にかけてJR西日本による20系臨時急行として品川~博多間で運行された様ですね。私はその頃は旅客機の時代で全く気付かずでした。

471_750305門司を発車する上り急行「玄海」208M

急行「玄海」の歴史を見ていて、思い出しましたが、東海道新幹線開通後(確か1966年の夏休み?)、初めて家族で新幹線に乗って萩に帰省したとき、本来は大阪から瀬戸内航路を使って、別府に行き、そこから萩に行く行程を計画していましたが、台風の襲来で船が欠航となり、急遽、山陽路を陸路でということになりました。その時、新大阪から乗車したのが「玄海」の前身の「はやとも」で当時は、新製間もないといった感じの471系電車で、60Hzを意味するボディ下の線も入っていました。広島まで乗車しましたが、広島直前で雨でしたが瀬野八を通過し、カーブと急坂の連続に驚いた憶えがあります。広島から153系急行「鷲羽」で下関へ。153系にはビュッフェが付いていて、ハムサラダを食べた憶えがあります。下関で山陰線の米子行きだったと記憶していますが、DF50の牽引する急行「島根」に乗り換え、萩に着いたのは午前2時過ぎだったのを憶えています。

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2012年11月 2日 (金)

1975/1 名古屋へ 2 北陸、九州へ向かう電車達

さらに名古屋で見たのは、特急「しらさぎ」、寝台特急「金星」さらに急行「兼六」などでした。

485_4810_750102_2


485_4811_750102_3

「しらさぎ1号」21M  8:15発 この日の編成はMM'481-1を組み込んだ編成

「しらさぎ」は「雷鳥」と並んで481系が投入された最初の特急です。後から思えば、「しらさぎ」編成に481系や0番台のクハ481の写真を撮ったのはこれが唯一の機会でした。1975.3の大改正で「しらさぎ」は存続しましたが、大ムコの481系や初期タイプの485系は鹿カコに転属になってしまったからです。

581_7501_10
「しらさぎ2号」23M 10:15発

581/3系を使用した「しらさぎ」も運行されていました。こちらは山陽路・九州長距離特急の間合い運用でしたが、雪の厳しい北陸地方を走るため耐寒耐雪装備のされた編成の限定運用だったようです。

581_7501
寝台特急電車「金星」 6:10着 幕の文字が写しにくいのが難点

さらに、名古屋~熊本を結ぶ寝台電車特急「金星」も運行されていました。

急行電車では、「しらさぎ」の補間版として、名古屋~金沢を結んでいた「兼六」も撮影しました。

471_750102_3

471_750102_2_4金沢から「兼六」1702M で名古屋に到着した471系

1966年10月にデビューし、当初はサロ、サハシも含まれる編成でした。「くずりゅう」と併結された列車も加わり、2往復の時代もありましたが、「しらさぎ」に格上げされて1968.10からは再び1往復に、1975.3の改正で廃止されてしまいました。

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