今回の北陸シリーズ、機関車のEF70から開始してEF81,さらに485系特急、583系特急と見てきました。交直流電車としては481系より早く北陸路に登場したのが、当時優等列車としては最も一般的であった471系急行用電車(60Hz)です。
初期の大形のHMを付けた急行「立山」
471系の登場は1962年のことで、2012年12月17日の記事で記述したように1960年には401系421系が開発され、1961年10月から常磐線/鹿児島本線に投入されていました。一方、電車急行としては2012年11月25日の記事で記述したように153系が1958年に登場していました。
同時に開発された50Hz用451系とともに471系のユニークな点は、地方線区や勾配線区での使用を考慮して、MM'ユニットとはせずにMcM'ユニットとしてMcM'M'Mcの間にT車を挟み込む車種構成としたことです。T車はTsサロ451、Tbサハシ451、Tサハ451の3形式が起こされましたがサハ451は3両の製造に留まりました。さらに401/421系では制御車も50Hz/60Hzで形式が分けられましたが451/471系では分けられずに、451形として共用で製造されました。
451/471系を引き継ぐ形で製造されたのが453/473系で、主電動機を100kWタイプのMT46Bから120kWタイプのMT54に変更したのが大きな相違点で、101系~103系、401/421系~403/423系、111系~113系などと同じ変化ですね。抑速発電ブレーキを装備した455/475系がすぐに登場したため、増備は少数に留まり、473系の場合は1ユニットの増備に終わりました。製造初年は453系(1963年)、473系(1965年)です。
1ユニットしか製造されなかった473系 1981/11/26 金沢
453/473系に続いて登場したのが455/475系でこれらは453/473系に抑速発電ブレーキを追加したものです。勾配線区での使用を前提とした装備で直流電車では1963年に登場した115系、165系などに装備されていました。455/475系においても引き通し線の追加などで制御車、付随車に新形式(クハ455、サロ455、サハシ455)が起こされましたが50Hz/60Hzに関しては分けられませんでした。サロに関しては新製時より冷房が搭載され、ハザについても一部1968年落成車が冷房準備車として登場しました。製造初年は1965年。
最後の新製となるのが457系で、455/475系を50Hz/60Hz共用にした3電源方式で、1968年に485系、583系が登場したのを受けての形となりました。制御車、付随車は455/475系と共通とされ、McM'ユニットのみ457系として製造されました。本系列からハザが新製時より冷房搭載車となり、製造初年は1969年、最終増備は1971年でした。
クモハ471形、モハ471形は13ユニット製造されましたが、当初は上記のようにTc車を製造する予定はありませんでしたが、昭和36年度第3次債務で発注の-13, -15はTc車を製造する計画があったので、奇数番号で製造され、-12, -14は欠番となりました。また、車体構造上の特徴として、使用線区のホームが低い関係でステップを設置することになりましたが、Mc車運転室よりの出入り台では引き戸と戸袋部分が枕梁部分と競合するため、初期の車輌では戸袋を廃して引き戸を外吊りとしたことでした。-15は通常の内引き戸式とした試験車として製造され、強度的に問題がないことが分かり、初期車も1966年から1969年にかけて内引き戸式に改造されたそうです。運転台形状は153系500番台で採用された高運転台を当初から採用していますが、153系と異なり、助士席後方を機器室としたために助士席と出入り台の間に窓が無く、通風口が設置されていました。
台車は153系や401/421系と異なりDT21系の流れを汲まないDT93などの実績をもとに揺れ枕を廃した空気バネ式のDT32/TR69が採用され、以後中長距離電車の標準台車となりました。制御器はノッチ戻し制御が可能なCS15が採用され、主幹制御器はMC32に中間弱め段を追加したMC33としました。主電動機はMT46Aに脈流対策を施したMT46B、パンタグラフはPS16B、主変圧器はTM3B、主整流器はRS7でした。空気圧縮機CPはMcTsTb車にMH80A-C1000がMGは20kVAのMH97-DM61がMc車に設置されました。
サロ451形はサロ152形に準じており、乗客専務室と業務用控室が設置され、回送用簡易運転台が後位に設置されました。基本番台は26両、CP付きの100番台は5両(101~105)新製され、基本番台にCPを付けた改造車は107番から付番されました。
サハシ451形はサハシ153形に準じた座席・ビュッフェ合造車でビュッフェ部分には当初から冷房AU12x4が設置されました。製造は16両でした。サハ451は0番台2両、CP付き100番台が1両のみの製造で以降中間付随車の役割はクハ451形が務めました。
クハ451形は当初は製造が計画されませんでしたが、車両需給の関係上、McM'Tcを一組とする方が良いとのことになり、昭和37年度本予算から製造が開始され、1963年に落成しています。引き戸の問題は既に解結していたのでさいしょから内引き戸で落成しました。偶数向きで限定使用するため片渡りで製造されました。クハ451形は40両が製造されました。
クモハ473形モハ472形は1ユニットの製造に留まりましたが、471形に対する変更は主電動機の出力アップ以外に、台車は高速性能を改善したDT32B,TR69Bに、主変圧器はTM10に主整流器は容量増大タイプのRS22とし、471形で存在した車体側面のルーバーは廃止されました。
クモハ475形モハ474形は53ユニット製造されました。主制御器は抑速発電ブレーキ機構を追加したCS15Bとし、主幹制御器も抑速ノッチを追加したMC44としました。主抵抗器も従来のMR61から特殊形状抵抗体の採用で容量増大を図ったMR52Aとした。CPは大容量タイプで耐雪構造のMH113A-C2000とし、M'車のみ装備となりました。抑速発電ブレーキ装備に伴い、引き通し線が1本追加され、ジャンパ線はKE58X2からX3となりました。
クモハ457形、モハ456形ユニットは19ユニット製造されました。主変圧器はMT14、主整流器はRS22A、冷房装置搭載に伴ってMcM'ユニットは片渡りとして奇数向き限定使用とし、Tc車には冷房電源用に110kVAのMG(MH128-DM65)を搭載し、自車を含め4両まで給電可能としました。
サロ455形は45両製造されました。冷房搭載で登場し、電源は自車に40kVAのMH101A-DM65を搭載していました。サハシ455形は26両製造されました。サハ455形は455系/475系登場時には製造されませんでしたが最終増備の昭和45年度第1次債務で初めて登場し8両製造されました。クハ455形は75両製造され、クモハ457形と同時に製造された65~は冷房装置を搭載して登場しました。
一方、北陸における交直両用電車による急行の歴史は、1963年4月20日の金沢電化を嚆矢とし、敦賀第二機関区に配置された42両の布陣で開始されました。最初に登場した急行は「ゆのくに」と「加賀」で前者が全車座席指定なのに対して後者は二等車オール自由席とされ、敦賀の出入りの関係で準急「越前」が設定されました。
この頃の編成は <=大阪 McM'TbTsTsTbM'Mc 金沢=> といったものだったようです。
1964年7月に、急行電車の配置は金沢運転所となり、10月1日の富山電化開業では大阪~富山間の急行列車の名前は「越山」とし、大阪~金沢間の急行を「ゆのくに」「加賀」「越前」とし、敦賀~金沢の準急を「くずりゅう」と改称したそうです。「越山」という名前は「越中」と「富山」を足して2で割った名前だったそうです。1965年10月の改正では「立山」の電車化を機に大阪~富山間の昼行が「立山」に、夜行が「つるぎ」、大阪~金沢間が「加賀」に統合され、1968年10月の改正で、再び「ゆのくに」が復活し、電車夜行「つるぎ」は寝台急行に変化しました。
急行「立山」の編成の構成がわかります。McM'TTsMcM'Tc といった編成のように見えます。
急行「くずりゅう」はMcM'Tcの3連を2編成繋げたモノクラス6連の編成ですね。
特徴的だった急行型電車のHMも当初の立山のような大形のものから、これらの写真の様に幌内に収まる小形のタイプに変化してゆきました。
本記事を書くにあたり、鉄道ピクトリアル誌2007年4月(no.788)の記載を参考にさせて戴きました。
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