2022年9月21日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 特急「しらさぎ」 その誕生から485/9系使用終焉まで

1964年10月1日、東海道新幹線の開業に合わせ、名古屋~富山間を米原経由で結ぶ特急として運行開始が計画されたのが特急「しらさぎ」でした。しかし、交直両用特急車両としての481系の落成が遅れ、運転開始は同年12月25日となりました。編成は向日町運転所の481系11両編成で

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登場時は食堂車を挟んで1号車寄りが1,2等指定席車4両(5号車は1等車の自由席車)、11号車寄り5両が2等自由席車といった構成でした。新幹線官業に合わせたダイヤといえども1964年10月開業時の新幹線ダイヤでは東京発1番の「ひかり1号」6:00発1Aが名古屋に到着するのは8:29、名古屋で「こだま207号」に乗り換えて米原が9:29ですから、首都圏からの接続は考えておらず、米原最終の上り「こだま124号」が19:28で上りしらさぎに関しても首都圏との接続は考慮されていませんでした。ちなみに1964年10月時点での新幹線旅行にかかる経費は
東京~名古屋 超特急1等 2200円 特急1等 1760円 超特急2等 1000円 特急1等 800円
運賃は 東京~名古屋 1等 1690円 2等 920円 でした。 

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1968年10月1日のダイヤ改正で「しらさぎ」は2往復になります。そして1971年4月26日のダイヤ改正では3往復になりました。ちなみに金津(かなづ)駅1972年3月15日のダイヤ改正の際に芦原温泉駅と改称されました。当時の時刻表では動橋(いぶりばし)駅に停車となっていますが、この時代、動橋駅と大聖寺駅の間で片山津温泉、山代温泉、山中温泉の各地元を巻き込んだ特急停車駅争奪戦が起こり、これを鎮静化するため、作見信号所だった場所に1970年10月1日加賀温泉駅が開業、特急停車駅として集約化されたそうです。


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1975/1/2 名古屋 北陸特急「しらさぎ」 1975年3月改正を前にモハ481・480電動車ユニットが向日町配置以来の活躍をしていました。1975年3月の新幹線博多開業のダイヤ改正で彼女らは鹿カコに転属となり、本州に戻ることはありませんでした。
581-7501-10edit 1972年3月15日、新幹線岡山開業に伴うダイヤ改正では名古屋~福岡間の寝台電車特急「金星」の間合い運用として南福岡電車区配置の581/3系1往復が「しらさぎ」に投入され、4往復体制となりました。

485-481300-7603001976/3 米原 東海道~北陸 スイッチバッツののため5分停車するクハ481-300番台を先頭にした特急「しらさぎ」 同タイプは1974年以降に登場

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1976年8月の時刻表データから 上が金サワ485系編成、下が大ムコ581/3系編成

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1976/8 交通公社の時刻表から 

1975年3月10日、新幹線博多開業に伴うダイヤ改正では「しらさき」は6往復に増発されるとともに、車両は金沢運転所の485/9系、および向日町運転所の581/3系となりました。前年7月20日には湖西線山科~近江塩津間74.1kmが開業し、この改正から「白鳥」「雷鳥」は湖西線経由となったため、米原での新幹線接続を考慮して、米原~金沢・富山間に特急「加越」6往復が誕生しました。

485-481300-811100-21981/11 金沢 485系7連で登場した「加越」

581/3系による運転は1978年10月2日のダイヤ改正にて終了となりました。同改正からHMはイラスト入りとなりました。

 

485-481300-811125 1981/11/25 富山

1984年12月12日には「しらさぎ」の食堂車営業が中止となり、1985年3月14日のダイヤ改正で食堂車の連結が無くなりました。

489-4891-860216 1986/2/16 名古屋 クハ489-1を先頭にした「しらさぎ」

碓氷峠協調運転用に開発された489系1972年3月15日のダイヤ改正から本格的に運用が開始され、当初は向日町に配置されていましたが、1973年3月1日に金沢運転所に転属したのを皮切りに金沢への新製配置もあり、集結しました。「しらさぎ」への投入は1975年3月10日のダイヤ改正からで当初は12連、1985年3月14日の改正から9連、1986年11月1日の改正から一部7連、1989年3月11日の改正から7連、1991年3月16日の改正からラウンジ/コンビニ連結で9連と7連、1991年9月1日から7連で2003年まで使用されました(情報はこちら)。最晩年には「スーパー雷鳥」仕様車を再改造・編成組換えした専用カラー車も登場しましたが、残念ながら記録し損ねました。

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2020年12月21日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 61 日光戦争から東武直通へ

2018年晩夏の信州の旅、またまた大きく脱線して話は栃木県日光への旅の話題となりますことをお許し下さい。

2010年9月
253系0番台はE259系に道を譲るように成田エクスプレスからは去って行きました。そんな中で2002年に製造された5次車はまだ車歴が浅いことから、JR東日本での第二の車生を歩むことになりました。それが2006年3月18日のダイヤ改正から開始された栗橋の連絡線を介したJR東日本の宇都宮線~東武日光線直通運転です。

日光への鉄道ルートは1890年8月に日本初の私鉄である日本鉄道が日光線を開通され、1906年の国有化で国有鉄道の路線の一部となってからは大正時代までは最速で唯一の交通路でした。しかし、1929年10月に東武日光線が全線電化で開通すると大きな脅威となり、国鉄~JRと東武の間で日光戦争と呼ばれた東京都内から日光への乗客の争奪戦が展開される事態となりました。

国有鉄道から見ると、1930年に上野~宇都宮~日光を結ぶ準急列車が設定され、当時、普通列車で3時間40分で結んでいた同区間が2時間30分で結ばれました。太平洋戦争の戦局悪化で1943年2月には直通列車、準急列車ともに消滅しますが、1950年臨時快速「にっこう」が復活します。客車列車で運行され所要時間は2時間40分程度でした。1955年キハ45000形(のちのキハ17形)が登場しますが、性能の関係で速度は客車時代よりも低下しました。1956年10月10日、浅草~東武日光間を2時間弱で運行していた東武に対抗し、当時最新鋭のキハ44800形(のちのキハ55系)が投入され準急「日光」として運行が開始されました。停車駅は宇都宮だけとし、上野~日光間を2時間で結びました。1958年4月、日光線は電化され、1959年9月22日、151系並の内装・設備を有する157系「日光形」が登場、準急「日光」が電車化されました。157系は1969年4月25日のダイヤ改正で日光関係からは撤退し、165系115系が後を継ぐことになりました。準急列車から急行に格上げされた急行「日光」の時代が長く続きましたが、1982年11月15日の東北新幹線本格開業で急行「日光」は廃止され、日光線を走る定期列車の優等列車は消滅しました。

国鉄民営化後は1988年12月の池袋~日光間の臨時快速「日光」、1989年新宿からの「ホリデー快速日光」のちに「日光」1992年には185系特急「日光」251系による「ビュー日光」も運転されました。2000年代に入ると183系、189系による「やすらぎ日光」が新宿、千葉、平塚などから運転されました。

2004年10月4日2006年春から新宿~東武日光・鬼怒川温泉間で直通特急の運転開始がアナウンスされ、2006年3月18日を迎えました。

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2008/12/30 大宮 253系1000番台が登場するまでの間、東武直通特急として活躍した485系G55+G58編成
1975年から1979年にかけ東北特急用に新製され盛アオに配属された車両で、JR以降後はA7編成として「はつかり」に充当されました。2002年には仙センに転属、「あいづ」等に充当、2005年12月15日、小山車両センターに配置換えとなり、2006年3月から同特急仕様車として運行されました。

189-z45-051106-2 2005/11/6 大宮 189系 彩野 Z45編成時代の塗装 

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189-om201-090517-3 2009/5/17 大宮 189系OM201編成「彩野」
「あずさ・かいじ」のE257系化で余剰となった189系6両を2003年に大宮工場で改造し、埼玉県「彩の国さいたま」栃木県の旧国名「下野国」から「彩野」と命名され、小山車両センターに配属、Z45編成となりました。快速「やすらぎ日光号」などで活躍しましたが、2006年3月18日付けで大宮車両センターに転出、東武直通特急の予備車的役割を担うことになりました。塗装は変わり、「彩野 AYANO」の文字は消されましたが、引き続き愛称は彩野でした。

両編成とも東武形ATS・列車無線が搭載されました。

これら2編成は2001年4月16日に253系1000番台に置き換えられ、廃車の予定でしたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故による計画停電等で置き換えは延期となり、2011年6月3日まで運行されました。

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2017年6月10日 (土)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 8 いそかぜ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開のHM展示、同時期の列車としては「明星」や名古屋~熊本の「金星」などもあるのですが、HMの展示はなかったのでそれらは別の機会にするとして、今回は、キハ181系特急だった「いそかぜ」にいたします。

Hn_161015
いそかぜ」という愛称は、昨日の「なは」の記事にも登場した1965年10月1日から大阪~宮崎(一部、大分)間に運行されたキハ82系特急、列車番号1D、2Dで最初に使用されようです。

485_481_0_750305 1975/3/5 門司 

1961年10月1日の改正では「かもめ」の補完として、同じくキハ82系により、大阪~博多間に山陽本線経由で「みどり」が運転開始されました。実際の運行開始は初期故障などを考慮して12月15日からだったそうです。1964年10月1日の改正では新大阪~熊本・大分に変更されました。さらに、1965年10月1日の改正では、熊本発着編成が筑豊本線経由で佐世保発着になりました。

1967年10月1日の改正で大分発着の「みどり」は「月光」とペアを組む形で581系寝台特急電車になりました。ただ、581系による「みどり」はサロ581形がなかったため、1968年10月1日のダイヤ改正で485系に差し替えられました。

485_481200_750306 1975/3/5 小倉

一方、「みどり」の佐世保編成の方は「いそかぜ」の大分で増解結されていた付属編成を筑豊本線経由佐世保編成とすることで置き換え、列車番号は佐世保編成が1D、2D,宮崎編成が2001D、2002Dとなりました。1968年10月1日の改正で「いそかぜ」の佐世保編成は「かもめ」に編入、宮崎発着列車は「日向」と改称し、「いそかぜ」の名称は消滅しました。

個人的には1976年の長崎・佐世保線電化で485系特急「かもめ」「みどり」が走り出した際に、佐世保線の「みどり」はそれまでの大分特急のイメージから命名の理由がわからなかったのですが、この記録から理解できました。

181 尼崎

一方、今回の「いそかぜ」は「まつかぜ」の流れを引き継いだ山陰~九州特急でした。
「まつかぜ」は1961年10月1日のダイヤ改正で京都~大阪~松江間(東海道・福知山・山陰)にキハ82系で運行開始され、1964年3月20日には京都~博多間に延長されました。この列車が1985年3月14日の改正で京都~米子、米子~博多間に分割され、後者が「いそかぜ」となりました。車両はキハ181系でした。

18132_041017_2 2004/10/17 幡生

1993年3月18日の改正では、運転区間を米子~小倉に短縮、小倉~博多間は「にちりん」の増発に充てられました。2001年7月7日からは米子~益田間は「スーパーくにびき」とし、「いそかぜ」は益田~小倉間になりました。2005年3月1日の改正で廃止となりました。

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2017年6月 9日 (金)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 7 なは

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回は「なは」です。 

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この列車は昨日の記事にも出てきましたが、客車寝台特急として運行されたのは比較的後からであり、スタートは昼行DC特急でした。

列車名の由来は沖縄の本土復帰を願い、琉球新報が「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したもので、5211通の応募から「なは」「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の5つの候補から選出されました。

1961年10月1日のいわゆるサンロクトオのダイヤ改正で「おおぞら」「白鳥」「つばさ」「まつかぜ」「へいわ」などの特急がキハ82系でデビューしましたが、京都~博多間を客車で運行されていた「かもめ」もキハ82系とし、京都~長崎・宮崎の運行としました。

1965年10月1日のダイヤ改正で「かもめ」の宮崎編成を西鹿児島発着に変更し、食堂車は西鹿児島発着編成に連結し、宮崎発着は新設特急「いそかぜ」としました。そして、1968年10月1日のダイヤ改正にて、「かもめ」の西鹿児島発着編成を筑豊本線経由佐世保発着とし、長崎発着の編成にも食堂車が復活しました。西鹿児島発着の列車は「なは」として分離されました。「なは」は宮崎発着の「いそかぜ」を改称した「日向」を京都~小倉間併結し、運転を開始しました。

485_4810_1m_750306 1975/3/6 大阪 大ムコの485系 11連 「なは」

581_750306 1975/3/6 大阪 京都行き寝台特急「きりしま」

1970年10月1日、鹿児島本線全線電化完成で、「なは」は485系特急電車となり、「日向」との併結運転は取りやめられました。また、京都~西鹿児島間に581/3系による寝台特急「きりしま」が走り始めました。1974年4月25日には日豊本線の南宮崎まで電化が完成し、「日向」も電車化されました。

581
1975年3月10日のダイヤ改正で、昼行特急「かもめ」「なは」「日向」は廃止となります。寝台特急「きりしま」も廃止されますが、きりしまの運行区間の一部、新大阪~西鹿児島間に登場した寝台電車特急に「なは」の名前が与えられました。本来は「あかつき」のスジが「なは」になったのですが、1975年7月から沖縄で開催される海洋博を配慮して「なは」の名が存続されたようです。

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1978年10月2日のダイヤ改正では「明星」の京都発着列車が1往復廃止となり、「なは」の運転区間が京都~西鹿児島となりました。1980年10月1日のダイヤ改正では京都発着の「なは」が廃止され、「明星」の新大阪発着の列車が「なは」になりました。

Ed76_67_960329 1996/3/29 西鹿児島

1984年2月1日のダイヤ改正で「なは」は電車寝台から、客車寝台へ、24系25形での運行となりました。このときに九州内で初めて牽引機関車に「なは」のHMが装着されました。

Ef65_1093_000000__2 新大阪

1990年3月10日の改正では付属編成に普通座席車「レガートシート」を連結。

2425_24_301_920314 1992/3/14 新大阪

Ef65_1124_031211 2003/12/11 東淀川

Ef65_1126_050708 2005/7/8 新大阪

2004年3月13日、九州新幹線八代~鹿児島中央間が開通し、「なは」は熊本止まりに、2005年10月1日、利用客減少により、「あかつき」との併結運転に。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘

2008年3月14日、「なは」は廃止となりました。
こうやって見てみると、「なは」という愛称の列車は何度か廃止されているのですが、そのたびごとに同じ区間を走る別の列車の愛称に乗り移りながら「なは」という愛称が存続してきたのが分かります。

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2015年12月25日 (金)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 2日目 津軽海峡線 1 青森から蟹田へ

青森・函館の旅、2日目はいよいよ人生初の青函トンネル通過です。

2012年11月16日の記事1974年3月、祖父母の住む秋田県能代市を訪問した帰りに、青森まで行き、青函連絡船で函館に渡り、そのままとんぼ返りで青森に戻り、583系ゆうづる」で東京に戻った旅がありました。その時が人生初の渡道で、大学教養課程の1,2年では夏・秋・夏・秋休みの4回北海道を旅しました。大学院時代、社会人になってからは札幌等に出張する場合は飛行機利用となり、2003年の函館旅行も函館空港を利用しました。

1988年3月の青函トンネル開業後、竜飛(青森県東津軽郡外が浜町)の青函トンネル記念館は一度訪問しましたが、青函トンネルは一度もくぐること無くこれまで来てしまいました。来年3月26日には北海道新幹線が開業し、在来線旅客列車の運行が無くなるとのことで、一度は通過しておくべきと考えて今回の旅を思いつきました。

青春18切符は特急列車のみが走る線区や新幹線の開業で並行在来線が第3セクター化され飛び地線区になったケース対応で特急列車や3セク線に乗車可能な特例が設けられています。青函トンネルも現在は特急「白鳥」「スーパー白鳥」「カシオペア」急行「はまなす」のみが通過するため、蟹田~木古内間に限り、「白鳥」「スーパー白鳥」の自由席乗車が認められています。新幹線開業後、この特例制度がどうなるか、この年末に発表されるそうです。

海峡線を走るEH500の姿も是非記録しておこうと考え、さらに函館貨物(五稜郭)から青森にやってくるED79重連の運用を既に担当しているEH800牽引の貨物列車4094レと3096レは蟹田での接続待ちの間に撮影できるので、青森から蟹田までは津軽線初発の325Mに乗車、蟹田から特急「白鳥93号」に乗車して青函トンネルをくぐることとしました。

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津軽線の1番列車325Mは青森駅6番線から6時20分に発車します。青森発車直前の6時19分には札幌からの長旅の急行「はまなす」が一番線に到着する光景が見えました。

701_n11_151222 車両は秋田車両センターの701系N11編成 3連です。今の季節、未だ夜が明けていません。

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36分で蟹田に到着、蟹田では2番線に入線し、三厩からの気動車もほぼ同時刻に到着します。

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こちらはキハ40 558+555の2連です。

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キハ40は到着後、入れ換えを行って3番線へ、7時7分に三厩に向けて出発します。一方、乗車してきた701系も7時8分,328Mとして青森に戻ります。
2本の列車が出発した後はホームには人影無く、次の9時前の列車到着まで静寂がおそいます。

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蟹田は北緯41度に位置し、ニューヨーク、ローマと同じ緯度だそうです。

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裏側は「蟹田ってのは、風の町だね。」という太宰治の小説「津軽」に出てくる言葉が刻まれています。

列車が接近・通過する際には下りは女性の声、上りは男性の声でアナウンスがあるので待合室にいても列車の接近が分かります。

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EH500-16 3059列車 2015/12/22 蟹田

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EH500-63 3050列車 2015/12/22 蟹田

まずはEH500-16牽引の3059列車が7時36分3番線に入線・停車、7時41分上り線をEH500-63号機牽引の3050列車が通過。この区間は単線なので蟹田駅で行き違いを行います。

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EH800-4 4094列車

続いて8時9分、EH800-4牽引の4094列車が通過、

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EH800-12 3096列車

8時29分、今度はEH800-12号機牽引の3096列車が通過。

いずれも数ヶ月前まではED79 50番台重連が牽引していた日本海縦貫線経由の貨物列車です。

その後、まもなく8時33分には三厩から戻ってきた330D キハ40が到着、さらに青森からの329M 701系N11編成も到着、今度は続々とホームに人が降りてきます。おそらく青春18切符で北海道に渡る人々が次に到着する「白鳥93号」に乗り換えるためかと思います。

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白鳥93号 485系3000番台

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485系3000番台 白鳥 車内

上り列車の遅れで出発は7分ほど遅延しましたが、自由席車両に座席も無事確保出来ました。

前回、485系に乗車したのはいつだったかと思いだしてもすぐ出てこないくらい久しぶりの乗車ですが、おそらくこれが最後の485系乗車となるとは思います。人生初の青函トンネル通過を楽しみました。

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2015年12月23日 (水)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 1日目 その1 千刈踏切

12月21日朝、青森に到着後まず向かったのは、前回青森に来た2010年10月にも訪れた千刈踏切でした。その前に12月の青森なので雪が積もっていることを予想して完全冬装備で来たのですが、雪が全く積もっていなかったのには驚きました。今年はかなりの暖冬のようです。

Photo
場所は上の地図のように青森駅を出発した奥羽本線が、青森信号所と奥羽本線を結ぶ線路と合流する三角線の左隅になります。

151221_4 千刈踏切 表示
奥羽本線の全長(福島~青森)は484.5kmです。

ここは青森駅に出入りする奥羽本線の列車、津軽線、海峡線の列車、そして青森信号所と津軽海峡線や奥羽本線・日本海縦貫線の貨物列車を撮影できるポイントです。

詳細編で通る列車については触れて行こうと思いますが、2010年12月の東北新幹線新青森開業で、津軽海峡線の特急「白鳥」が新青森始発なった関係もあって、在来線特急がよく通る場所でもあります。

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2015/12/21 789系 HE205編成 白鳥 千刈踏切

新青森から奥羽本線の線路を来て青森駅に入り、スイッチバックして、手前の海峡線線路を行く789系「白鳥」 北海道新幹線新函館北斗開業時には廃止となります。

4853000_151221 JR東日本 485系3000番台 白鳥 2015/12/21 千刈踏切

こちらは津軽海峡線からやって来た特急「白鳥」 北海道新幹線開業で引退、車両も勤めを終えるのでしょう。

4853000_151221_2 JR東日本 485系3000番台 つがる 2015/12/21 千刈踏切

こちらは同じタイプの車両による特急「つがる」 
2002年12月 東北新幹線盛岡-八戸延伸で八戸-青森・弘前間で運転を開始し、2010年の新青森延伸では秋田-青森間の運行となった特急です。

751_a102_151221 751系 A102編成 つがる

さらに特急「つがる」は4連化された751系も使用されています。

701_n1_151221 701系 N1編成 

奥羽本線の快速や普通列車、津軽線蟹田までの列車には秋田センタ-配置のピンク帯の701系基本番台が投入されています。3連と2連があり、併結編成も見かけました。

Eh50011_151221 EH500-11

海峡線から青森信号所に向かうEH500牽引の貨物列車も来年3月の改正で見られなくなります。

Ef5107_151221 EF510-7

以前は富山区のEF81も見られましたが、ここ数年は日本海縦貫線の貨物はEF510のみのようです。

Ef510508_151221 EF510-508

かつては上野から寝台特急「北斗星」「カシオペア」を牽引して青森に通っていた★のEF510 500番台も現在はこのような姿で同所を通過しています。

Eh8007_151221 EH800-7

かつてはED79重連が担っていた運用、主に日本海縦貫線貨物の継走でしたが、今はEH800がすでに引き継いでいるようです。1日3本往復運用がありますが、22日に蟹田で2本撮影しましたがいずれもEH800でした。

Eh50081_151221 EH500-81 奥羽本線から

2015年春のダイヤ改正ではA137でEH500の大館往復運用があり、先日の隅田川のイベントで聞いた話では秋田まで進出との予定もあるとかで海峡線から撤退後もこういった風景は見ることが出来るようです。

151221 踏切横にはローソンが

2010年にはなかったのですが、この5年の間に踏み切り横にコンビニエンスストアが開店しており、食料の調達等でも重宝致しました。

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踏切線路上から新青森方向の眺め

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右手は青森信号所本面の単線、左手は青森駅方向の3複線

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最初の地図で千刈踏切を渡る道路が曲がって交わる道路が連絡線を渡る場所がこの第一大野踏切です。距離的には千刈踏切の手前のポイントが連絡線の0キロなので533mとなります。

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一方、同じ道路が旧東北本線の線路(現在の青い森鉄道)と交わる踏切が古川踏切です。距離表示は東北本線時代のままだと思います。

青森駅南の国道4号、7号線がJR線、青い森鉄道を越える跨線橋上から眺めると、

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奥羽本線、津軽線、津軽海峡線が右へ

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大湊線から乗り入れてきたキハ100

青い森鉄道線が左へ分かれて行くのがよく分かります。

21日はこの後、奥羽本線を大鰐温泉まで行き、弘南鉄道大鰐線に乗車しました。

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2015年6月24日 (水)

九州鉄道記念館訪問 その6 クハ481-603

2004年10月の九州鉄道記念館訪問、今回はクハ481-603です。

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「にちりん」のヘッドマークを付けて静態保存されるクハ481-603 2004/10/17 九州鉄道記念館

この車両は元々クロ481-5として1969年6月27日、日本車輌で製造され仙センに配置され、東北特急、「ひばり」「ひたち」「やまばと」「あいづ」「やまびこ」などで活躍しました。

元来、東北特急にクロが製造されたのは、食堂車と一等車を同時に連結し、板谷峠を越える特急「やまばと」のMT比2:1を保ち、特急「あいづ」の磐越西線におけるホーム有効長の関係から9連以内、という難題解決のための窮余の策でした。

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クロ481-5を先頭にした特急「あいづ」編成 尾久

番号判断の根拠は後述のライトケース下の外気取り入れ口ルーバーのスリットの形態です。

1968年10月のヨンサントウ改正用に1968年6月クロ481-1~4が新製され、9月末にかけて、サロ481-19~25に運転台を取り付けたクロ481-51~57が誕生し、1969年6月に増備で-5だけが新製されています。1969年6月というのはクハ481-30以降が製造された時期(*)と一致します。その後、1971年6月クロ481-1011972年2月までに102~104が増備され、東北特急のクロは16両体制で活躍しました(関連記事)。

(*) クハ481-29   1968/6/3,     -30  1969/6/27
因みにクハ481-1~8 が1次 (1964/10)  9~28 が2次 (1965/6-8) 29 が3次 (1968/6) 30~36が4次 (1969/6-9) 37,38 が5次 (1970/3) 39,40 が6次 (1971/3)

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現役時代のクハ481-603  1985/4/19 博多 

その体制が崩れたのが1975年夏の長崎・佐世保線電化開業による特急「かもめ」「みどり」の誕生でした。このとき登場した「みどり」は国鉄史上最短の4両編成の特急で、グリーン車を連結させるため、小倉・博多より先頭がクロとなりました。そのために、1975年5月から6月にかけて仙センからクロ481-1,2,51~57が門ミフに転属し、1982年9月から12月には101~104が転属し、3~51983年10月に格下改造を施されクハ481-601~603となって鹿カコに転属し、仙センからクロ481は一掃されました(関連記事)(関連記事2)。

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番号表記や妻面の表記

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車内の様子 昔、特急電車の指定席に乗り込むワクワク感があります。

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このタイプのエアコンの吹き出し口は181系「はと」や「とき」に乗った時も同じだったような

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この車輌のライトケース下、ボンネットに外気を取り込むルーバーの形はクハ481-30以降の4次車と同様の縦スリットになっています。0番台のクロでは5のみが製造時期からこの形態であったと思われます。

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「ひたち」に連結されたクロ481 ルーバーのスリット形状が横型
クロ481 基本番台、50番台のうち、5以外はこのタイプだったと思われます。

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2015年4月15日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その6 北斗星編成用食堂車

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回は前回に続いて北斗星編成の食堂車スシ24 500番台について触れようと思います。

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スシ24-506 2014/11/15 尾久車両センター

24系客車には本来、基本形式として1973年に製造されたオシ24形 (1-5) と1975年オシ14形から改造されたオシ24形100番台(101-105)がありました。

新型ブルートレインとして14系、24系24形までは食堂車が製造されましたが、二段ハネになった24系25形からは食堂車の製造はされず、1975年3月のダイヤ改正で24系24形一族が大ムコから南シナに転属し、「はやぶさ」「富士」「出雲」に使用されるにあたり、不足する食堂車を補ったのがオシ14からの改造でした。難燃化処理と電気系統の引き通し線が変更されました。

オシ14 5・6・10・11・14→オシ24 101 - 105
101 1975/1/31 高砂
102 1975/1/24 高砂
103 1975/3/19 高砂
104 1975/1/24 高砂
105 1975/2/26 高砂

この3列車は1年半後の1977年10月24系25形に置き換えられますが、さらに1978年2月の「あさかぜ1・2号」の24系25形化ではさらなる改造は行わず、4列車の食堂車の連結位置を基本編成から付属編成に付け替えることで、所要数を減らす対応でまかなわれました。

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尾久に単体で留置されていたオシ24 701 2003/5/3
2014/11/15にもこの車両はスロフ14-700、オロハネ24-501などとともに尾久駅ホームの手前に移動していました。オシ24と14系から改造のオシ24 100番台は車端部の掴み棒の取り付け位置と長さが違いました。

オシ24 1-5は「あさかぜ1・4号」のグレードアップで国鉄時代の1986年11月に1・4・2が星空をイメージした青系統の内装、車端部にラウンジ風のソファーを設けた食堂車701-703に改造され、

オシ24 1・4・2 →オシ24 701-703  定員は38名に
701 1986/12/20 大宮
702  1986/12/22 鷹取
703  1986/12/20 鷹取

5・3はその後、オリエント急行をイメージした赤、白、木目の内装の食堂車704, 705に改造され、

オシ24 5・3 → オシ24 704・705  定員は40名で同じ
704   1987/3  日車
705   1987/4  大宮

「あさかぜ1・4号」「出雲1・4号」に使用され、食堂車廃止後も車販の基地やロビーカー代用として使用されました。

一方、オシ24 101-105はJR九州が継承し、1998年に「はやぶさ」「富士」から食堂車が外された時点で廃車となりました。

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かつて「白鳥」などの長距離電車特急には編成のほぼ中間にサシが組み込まれていました。 鶴形~東能代

青函トンネルが開通し、「北斗星」の運行が開始されるのにあたり、オシ24では所要数に満たないので、当時電車特急の食堂車全廃で余剰となっていた485系、489系の食堂車のサシ481形、サシ489形を改造して充当することにしたのが、スシ24 500番台です。

サシ481 67・75・76・64・68・サシ489 83・7・サシ481 50→スシ24 501 - 508

スシ24 501 1987/3/12 松任  札サウ
スシ24 502 1987/3/19 吹田  札サウ
スシ24 503 1987/3/17 新津  札サウ
スシ24 504 1987/2/24 新津  東オク
スシ24 505 1987/3/10 新津  東オク
スシ24 506 1987/2/23 新津  東オク
スシ24 507 1987/3/30 大宮  東オク
スシ24 508 1987/6/28 苗穂  札サウ

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4本帯やエンブレムからJR北海道所属のスシ24-508 2002/8/27

JR北海道所属の501-503, 508は2008年3月15日の改正で「北斗星」が減便されたのに伴い廃車され、ミャンマー国鉄に譲渡されました。

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上野に到着後、尾久まで推進回送される北斗星編成 2010/12/29 日暮里

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郡山に停車中の北斗星編成 2012/7/22

改造工事では24系化工事として引き通し回路変更、ブレーキ装置のCL化が施工され、簡易運転台の撤去、防火対策、耐寒耐雪改造がなされました。また内装はグレードアップされ、「グランシャリオ」の愛称が与えられました。

JR北海道の車両はオリエント急行風、JR東日本の車両はモダン風となりました。501-503は当初、食堂の後位方半分にソファタイプボックス席が設けられていましたが、後に撤去されました。冷房装置は全車AU13E,台車はTR69Eを履いています。

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2015年3月11日 (水)

ダイヤ改正を前に 上野駅高架ホーム その1

2015年3月14日のダイヤ改正まで、あと僅かとなりました。

今回のダイヤ改正では、北陸新幹線の長野~金沢間延伸上野・東京ライン開業といった新線の開通があり、それに伴う車両の新規増備、車両の転用、JR線から第三セクターへの転換、さらには青函トンネル開通以来、首都圏と北海道を結んで活躍してきた寝台特急「北斗星」の定期運行終了、関西と北海道を結んでいた豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」の廃止などの大きな変化があります。

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上野東京ライン開業を告知するポスター 2015/3/8 上野

普段は出張と週末くらいにしかJRを利用しませんが、3月8日の日曜日は別記事にする予定の「カシオペア」のEF81代走の撮影のついでに、上野東京ライン開業を間近に控えた、上野駅高架ホームをいろいろと見て回り、14日のからの新ダイヤに向けた準備風景をいくつか写真に収めてきました。

まず最初に気付いたのは駅名標です。

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高架ホーム5番線側の駅名標 2015/3/8 上野  

既に上野東京ライン開通後の表示に切り替えられており、後はマスクを剥がす状態ですが、このホームは上野東京ライン開通後も宇都宮線、高崎線専用のホームということなのでしょうか。北方向の隣駅は尾久のみとなっています。

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一方、反対側の6番線は常磐線列車も使うため、北側の隣駅は尾久と日暮里?となっています。

150308
5,6番線ホームから鶯谷方向を

だからといって5番線側から常磐線方向に行けないのではなく、線路的には6番線同様に常磐線と繋がっています。常磐線方面列車は、6番線から南行き線を横断して、常磐線に入線することになります。

5_150308
5番線側にも出発信号表示器も東北、常磐両方用意されています。

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6番線側

6_150308_3
東京方面 6番線から

9_150308_3
東京方面 9番線から

140716 2014/7/16 の同じ場所

秋葉原の電留線まで線路は通じていたので7,8,9番線からの線路は開通していましたが、昨年7月の時点では6番線から南下する線路は塞がれていました。すでに試運転も再三行われており、あとは開業を待つと言った状態かと思います。

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上野東京ライン開通直前の上野駅高架ホームの時刻表

改正後の高架ホームの使用パターンを時刻表から見てみると

5番線:上野東京ライン北行き、上野発(早朝)、宇都宮、高崎線専用
6番線:上野東京ライン北行き、上野発(早朝、深夜)、宇都宮、高崎線、
     上野東京ライン北行き、常磐線快速
7番線:上野東京ライン南行き、宇都宮、高崎線専用、上野発宇都宮行き最終
8番線:上野東京ライン南行き、宇都宮、高崎線、常磐線、上野着宇都宮、高崎線、常磐線
     上野東京ライン北行き、常磐線特急、一部臨時列車
9番線:上野東京ライン南行き、常磐線特急、快速、上野折り返し(早朝、深夜)常磐線快速     

さらにこれまでは取手までの快速専用となっていた11,12番線にE531系が発着します。

このことから品川方面から北上してきた常磐線方面の車輌のうち、E657系特急は上野駅手前で南行き線を渡り、8番線に入線、E531系はまず6番線に入線し、上野駅を出発してから、南行き線を渡ることが分かります。

何度か書いていますが、1972年10月2日が私の上野駅写真撮影デビューでした。当時、高校2年で、東北特急全盛時代で、高架ホームには東京駅発着の485系ひばり」「やまびこ」などが発着していました。

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1972年10月、上野駅で撮影した485系 「ひばり」

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品川と尾久を結ぶこういった配給列車も見かけました。 鶯谷

新幹線建設で1983年1月以降、線路が途切れてから、32年。今回の開通では常磐線に関しては品川までですが、宇都宮・高崎線系統は東海道線と相互に乗り入れて、かなりの長距離運用が実現します。

時刻表によると、上野東京ラインを通って東京駅を通る列車の列車番号の末尾はEが付き、大宮方面が偶数、横浜方面は奇数となります。常磐線はHが付き、上野・品川方面が偶数、松戸、取手、成田方面が奇数となります。

今回の新ダイヤでは宇都宮線の快速ラピッド、高崎線の快速アーバンが東海道に乗り入れても東海道線内は普通列車となり、逆に東海道線快速アクティが宇都宮線に乗り入れる場合も普通となります。

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2014年10月24日 (金)

郡山車両基地まつり 2014  その5 485系A1A2編成

2014年9月6日の郡山車両基地公開の話題、今回は仙台車両センター所属の485系A1A2編成についてです。

4811016_140906 「あいづ」のHMを掲出中のA1A2編成 クハ481-1016 2014/9/6 郡山車両基地

構成は

←仙台・会津若松 6号車               1号車 郡山・上野→

クハ481-1015+モハ485/484-1032+モハ485/484-1077+クハ481-1016

この編成は以前、東北特急について触れた記事で紹介しています。

それぞれの車両の履歴は、クハ481-1015/1016は1978/9/7に東急車輌で落成し、盛アオに配置されています。モハ485/484-1032は1979/3/23は東急車輌で落成し、盛アオに配属されています。モハ485/484-1077は1978/9/7に日立製作所で落成し、秋アキに配置されています。

まず、手元にある車両編成表から、今日こうやって生き延びた485系各形式がそれぞれがどういった編成に組み込まれ、活躍していたか見てみようと思います。

1979年の編成表によると、当時は編成番号の表記はなく、
クハ481-1015は「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「いなほ」「白鳥」用12両編成19本のうちの1本の青森より12号車、-1016は別の編成の1号車に組み込まれていました。-1032ユニットは同編成群のさらに別の編成の9・8号車に組み込まれていました。-1077ユニットは秋アキの「つばさ」「いなほ」「やまばと」用12両編成9本のうちの1本の5・4号車に組み込まれていました。

クハ481-1015, -1016は1982/9/11に盛アオから秋アキに転属しています。そして-1015は1986/7/23に再び盛アオに戻っています。

1986年の車両編成表によると、
クハ481-1015  は盛アオ「いなほ」「はつかり」用6両編成の6号車、青森よりクハで隣のモハユニットが-1032でした。一方、クハ481-1016は秋アキ「つばさ」「いなほ」用6両編成の1号車、福島・新潟よりクハで、モハユニット-1077は「つばさ」「あいづ」用9両編成の8・7号車でした。

485_a1a2_080730 クロハ化改造された際に青函ATC搭載、CP床下移設でルーバーがなくなったクハ481-1015 2008/7/30 郡山

クハ481-1016は1987/7/1、秋アキから盛アオに転属しています。クハ481-1015は1988/1/28に「はつかり」短編成化でクロハ481-1013に改造されました。グリーン室定員16名、普通室定員36名の奇数向き片渡り構造となりました。このときに青函トンネル通過用ATC-Lが装備され、CPが床下に移設されたため、非公式側のルーバーがなくなりました。1988/3/13、モハユニット-1077が秋アキから盛アオに転属しています。

1993年の車両編成表によると、
今日の原型となるA3編成としてクロハ481-1013+モハ485/484-1032+モハ485/484-1077+クハ481-1016となりました。アコモ改造や高速用パンタグラフ交換(PS26B)取替も行っています。

485_a1a2_090726_2 上野に回送中の赤べぇ編成 2009/7/26 鶯谷

2006年、会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装となり、クロハ481形をクハ481形に復元し、座席交換とシートピッチの拡大が行われ、保安装置にATS-P/Ps形が追加されました。

4811016_140906_2
2011年6月
に国鉄特急色に塗り直されて現在に至っています。なお、ユニークなA1A2という編成名ですが、2011年の編成表などでは1号車側からA1、6号車側からA2と表記されており、同じく仙台の583系も1号車側からN1,8号車側からN2と表記されています。
485系各形式の転属データは485系の動き 配置および編成の移り変わり 青森のデータをを参考に致しました。

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