2020年5月20日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 10 津山まなびの鉄道館 展示車両 13 キハ33 1001

津山まなびの鉄道館の展示車両、最後はキハ33形気動車です。

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2019/8/3 津山まなびの鉄道館

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キハ33形と聞いてすぐその出自が分かる方はかなりの気動車通、客車通、若しくは山陰本線沿線在住者ではないかと思います。

地方都市圏の旅客輸送用として使用されてきた車両は1920年代から1960年代製造の鋼製客車で客用扉の幅は狭く乗降に時間がかかり、かつ自動扉ではないため走行中に乗客や荷物が転落する危険性もありました。動力近代化の方針からは客車の新製は極力抑制し、電車化、気動車化すべきでしたが、貨物輸送量の減少で機関車の余剰が発生していたこともあり、これらを有効活用するために普通列車用として新製されたのが50系客車(オハ50、オハフ50、オハ51、オハフ51、マニ50、スユニ50)でした。
1977年から開発がスタートし、1978年3月、筑豊本線・芸備線で運用が開始されました。1982年までに953両が製造され、1983年時点では34区所に配置されました。
しかし、その後は急行列車の削減等で余剰となった急行電車、急行気動車車両がローカル列車に転用され、車齢5年ほどの車両が余剰になるケースが発生しだしました。

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1993/8/7 富根~二ツ井

最初に50系客車を気動車に改造したのがJR西日本のキハ33形でした。改造は1988年で後藤車両所が手がけ、オハ50 5とオハ50 6を種車にキハ33 1001,1002の2両が竣工しました。エンジンは新潟鐵工所製のDMF13HS(250ps)、台車は廃車発生品のDT22、TR51を履き、変速機も廃車発生品のTC2A・DF115Aを搭載しました。
JR西日本では改造内容が多く、コストがかさむこと等で改造は2両に留まりました。
米子運転所に配置され境線の普通列車、伯備線・山陰本線(生山~伯耆大山~米子間)の普通列車として運用されましたが、2003年10月のダイヤ改正で定期運用から外れ予備車となりました。
2004年8月頃、西鳥取車両支部に転配され、キハ47とペアで山陰本線浜坂~鳥取間普通列車として運用される日々を送りました。2010年3月13日のダイヤ改正で定期運用から退き、同年3月30日付で廃車となりました。

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2002/8/25 札幌 キハ141-2他

JR北海道では余剰となった50系客車オハフ51にDMF13HSエンジン(250ps/2000rpm)を搭載したキハ141形キハ142形さらに出力増強タイプのN-DMF13HZDエンジン(450ps/2000rpm)を搭載したキハ143形が誕生しました。尤も、北海道では1960年代初頭に気動車不足を補うために鋼体化客車オハ62形にDMH17エンジンを搭載したキハ40形、キハ45形(いずれも初代)後にキハ08、キハ09に改められた車両がいました。

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2017年7月11日 (火)

秋田旅行 車両個別編 高頻度輸送のための701系 基本番台

秋田駅で撮影した車両シリーズ、今回は奥羽本線、羽越本線の旅客輸送を担う701系電車基本番台の話題です。

Ed75_786_7903 1979/3 鶴形~東能代

国鉄時代、奥羽本線や羽越本線のローカル列車には1920年代から1960年代にかけて製造された「雑客」と言われた旧形客車が使用されていました。これらの旧形客車は製造されて20年、40年が経過し、老朽化、陳腐化が進み、乗客の不評は顕在化し、さらに自動扉を持たないことから乗客や荷物の転落する危険性があり、保安上問題となっていました。

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動力近代化計画には矛盾するものの、機関車の余剰問題や、労働組合の反対(組合は余剰人員が発生するので電車化/気動車化には反対していました)などや、動力装置の不要から客車は低コストで製造可能なことで、1977年からは新系列客車として50系客車が製造され、従来の旧形客車を置き換えました。

しかし、客車列車は両端駅で機関車の付け替えを要すること運転上効率が悪く、またレ坊装置を搭載していないことも旅客サービス上の問題となっていました。

701_n1_151221_4 2015/12/21 千刈踏切 

701_n2_170702 2017/7/2
N1とN2編成はN-1,N-2とハイフン入りの編成標記となっています。

こういった客車列車の置き換えを目的として、2,3,4両編成を単位とし、JR東日本の交流区間の標準車両して1993年から2001年まで製造されたのが701系です。

701_n11 2015/12/22 蟹田 N11編成 川崎重工の特徴的な妻面 

<車体>
209系で採用された川崎重工業の2シート工法によるプレスを多用した軽量ステンレス構体を採用し、先頭部は貫通路付き切妻構造でFRP製の覆いが設けられています。客用扉は1300mm幅の扉を片側3か所に設置し、ステップを設けています。

701_n28_170702_7 2017/7/2 N28編成

側面窓は4連窓、中央2窓は2段上段下降式のユニットサッシ、窓寸法を極力大きくし、熱線吸収ガラスを使用してカーテンは省略しました。車端部は通常の1枚窓を設置しています。

701_n11_151222 2015/12/22 青森 N11編成車内の様子 トイレはクハに設置されています。

冷房装置は集中式AU710A形(冷凍能力38,000 kcal)を採用し、屋根上に1基搭載しました。

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<電源・制御方式>
架線からの単相交流20 kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で直流に整流、その後三相交流に変換して主電動機を制御するVVVFインバータ制御方式です。
主電動機は新開発のかご形三相誘導電動機MT65形 (125 kW) を搭載、209系のものを基本としましたが、小型軽量化され、耐雪構造となりました。主変換装置はパワートランジスタ (PTr) 素子 VVVF インバータを搭載し、GTO素子の209系と同様の制御方式です。補助電源装置には、0番台では電動発電機となっています。

運転室内には、各動力台車のON/OFFを個別に制御するためにNFBが設置されており、片方の電動動力台車に問題が起き、通常の運転が困難になった場合、問題のある方のスイッチを切り、1M方式を一時的に0.5M(片方の電動台車でのみ駆動)に切り替えることが可能となり、冗長性が向上しました。また、主変換装置も同じく個別制御できるように、NFBの設置が行われています。

パンタグラフは下枠交差式のPS104形、菱形式のPS105形、シングルアーム式のPS106形を搭載しています。

<ブレーキ装置>
電気指令式空気ブレーキを全車に標準装備しており、0番台の車両は抑速および発電ブレーキを装備し、屋根上に電力消費用の抵抗器を持っていました。秋田地区の一部車両は更新工事により、発電ブレーキで使用していた抵抗器が撤去され、1500・5500番台と同じ回生ブレーキ併用空気ブレーキ装置へ変更されました。

701_n14_101023_2 2010/10/23 弘前 N14編成

<台車>
209系で採用された軸梁式軽量ボルスタレス台車を基本に、床面高さを下げる(ステップとの段差を抑える)ため台車枠中心を下げた構造としたDT61A(電動車)と TR246A(付随車)を装備しています。

秋田地区には1993年3月から10月にかけて川崎重工業、およびJR東日本土崎工場で製造された

クモハ701+サハ701+クハ701の3両編成(N1~N13)13本 39両

クモハ701+クハ701の2両編成(N14~N38)24本 48両

が在籍しており、全車ロングシート仕様で製造されましたが、特急列車が消滅した奥羽本線新庄~大曲間のサービス向上のためN36~N38編成は千鳥配置のクロスシートに改造されました。

701_n38_170630_2 2017/6/30 N38編成

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2013年4月24日 (水)

1974,1975 北海道へ 9 50系客車

50系客車は国鉄が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で、1977年より設計・製作した一般形客車の系列です。その塗装から「レッドトレイン」とも称されていました。

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ED75 700に牽引される奥羽本線普通列車 1993/8/7 富根~二ツ井

本州以南用の50形と、北海道用の51形がありますが、基本的な構造、仕様は同一です。

1970年代前半まで、地方都市圏の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製作された鋼製客車が多く使用されていました。これらの車両は優等列車の電車化や気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので、製造後20年から40年以上を経て老朽化、陳腐化が進行していました。自動扉をもたないことから走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていました。

地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の客車普通列車の置き換え用として、1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安かったため、余剰の電気機関車やディーゼル機関車を有効活用し、輸送力増強やサービス改善を低コストで行うために客車の新形式を開発する方針が採られました。
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レッドトレイン 1993/8/7 鶴形~富根

最初の車両は1977年-1978年に製造され、筑豊本線・芸備線・東北本線(仙台地区)などの線区で、特に朝夕のラッシュアワーに使用されました。製造は1982年まで続き、同様の条件の他の交流電化区間や非電化区間にも投入されました。1979年には鉄道友の会よりローレル賞を授与され、オハフ50 1の車内に記念プレートが取付けられました。

<運用の変遷>

国鉄時代は事故廃車もなく、座席車として製造されたすべての車両がJRに承継されました。50形原形車はJR東日本・JR西日本・JR四国・JR九州に承継され、電気暖房付き車両は九州以外の3社に承継されました。51形はすべてがJR北海道に承継されています。

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DE10重連に牽引されて青森駅に入線する快速「海峡」編成 1991/11/12

国鉄末期以降、各地で「短編成・高頻度」型のフリークエント・ダイヤへの転換が相次ぐと、折り返し駅で機関車を付け替える必要がない電車・気動車への転換が進み、客車列車の本数は著しく減少しました。また、急行列車の大幅な縮小によって余剰となった急行型車両が普通列車に転用されたため、1986年11月のダイヤ改正では早々と余剰車が発生しました。それらは開通目前の津軽海峡線向けに転用されることになり、国鉄時代末期に転用改造が行われて函館運転所に転属しました。
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青森を発車してゆく快速「海峡」 1991/11/12

JR移行直後、四国配置車に早くも大量の余剰車が発生する状況になり、他社においても徐々に余剰化が進行しました。一部の車両がキハ141系・キハ33形への改造に充てられた以外は転用されず、1989年以降淘汰が進みました。1992年4月1日には高徳線の普通列車が全列車気動車化され、JR四国管内での本系列の定期運用は消滅し、東日本地区でも1993年6月23日に羽越本線(酒田駅 - 秋田駅間)の普通列車がすべて電車化され、同年12月1日には、奥羽本線(新庄駅 - 秋田駅間・追分駅 - 青森駅間)、八戸線の本系列および12系客車を使用した普通列車はすべて701系電車と気動車に置き換えられました。1997年3月22日のダイヤ改正で山陰本線から12系客車の普通列車運用を終了したことにより、JRグループでの客車による普通列車は津軽海峡線の快速「海峡」とJR九州管内の一部のみとなりました。2001年10月6日に筑豊本線の折尾駅 - 桂川駅間(福北ゆたか線)が交流電化されたことによって50形客車の運行を終了することとなり、直方車両センター配置の14両は12系客車12両とともにすべて廃車となり、一般仕様車はこれを最後にすべて廃車となっています。

快速「海峡」が最後の定期列車でしたが、2002年11月30日で廃止になり、定期列車の運用は消滅しました。現在、JRグループの路線で営業運転に使用される車両はJR北海道の「ノロッコ号」、JR九州の「SL人吉」号など、観光を主目的とした不定期の列車に限られています。

<車体構造の特徴>

客用扉は、幅を1,000mmに拡大した片引戸で半自動操作も可能な自動扉としました。ドアエンジンを動作させる圧縮空気は、空気圧を供給する空気圧縮機やその動力源も搭載されていないため、機関車から元空気溜管(Main Reservoir Pipe:MRP)を介して供給する必要があります。このため牽引用機関車は、AREBブレーキに改造された20系客車やCLEブレーキと空気ばねを備える10000系高速貨車などと同様、MRPへの空気圧供給が可能なタイプに限定され、しかも旧形客車と混結する際には、旧形客車はブレーキ管(Brake Pipe:BP)と蒸気暖房用の蒸気管や電気暖房用の給電回路のみ引き通し、客用扉操作用回路や車内放送用回路とMRPの引き通しがないため、編成中で50系車両を機関車に続けて連結し、50系の車掌室・業務用室から自動扉を一括操作する必要がありました。扉の操作回路には、車軸からの速度検出による戸閉保安装置が追加されています。なお、車内のサービス用電源は従来通り各車に搭載された車軸発電機と蓄電池を用ています。

行先表示は、在来形客車のサボを掲示する方式を踏襲し、側面中央部窓下にサボ受を設けました。車体色は、交流電気機関車と同様の赤2号(やや小豆色に近い赤色)の一色塗りで、屋根はねずみ色1号です。同時期に設計・製作されたキハ40系気動車・115系1000番台などとは、アコモデーションや車体構造などで共通点が多々あります。

<形式別>

50形

本州以南向けの車両群で、東北・北陸地区などに投入された車両は電気暖房を併設し、車両番号を2000番台として区別しました。

オハ50形
編成の中間に組成する座席普通車で、1978年- 1982年に335両 (オハ50 1 - オハ50 335) が製作されました。

オハフ50形
前位側に業務用室、後位側に専務車掌室をもつ緩急車で、トイレも備えました。1978年-1982年に488両 (オハフ50 1 - オハフ50 488) が製作されました。 主に列車の最前部、最後部に連結されるほか、自動ドア等客扱いの利便性のため編成中間に連結されることもありました。

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50系客車4両編成 1991/11/12 青森

51形

北海道用の車両群で、客室窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア駆動に変更するなどの酷寒地対策がなされました。台車は、軸ばねと枕ばねにゴム被覆コイルばね(エリゴばね)を使用したTR230Aです。

1979年までに製作された初期車 (1 - 10) は、車体側面の戸袋窓が小型で、オハフ51形では床下水タンクの装架位置が異なりました。札幌圏で運用した車両には、機関車に出発合図を送るためのブザー回路が追加されました。

オハ51形(二代)
編成の中間に組成する座席普通車で、1978年-1982年に62両 (オハ51 1 - オハ51 62) が製作されました。

オハフ51形
車掌室をもつ緩急車で、1978年-1982年に68両 (オハフ51 1 - オハフ51 68) が製作されました。

郵便・荷物車

マニ50形
老朽化したマニ60形・マニ36形など旧形車の置き換え用として開発された荷物車で、1977年-1982年に236両 (マニ50 2001 - マニ50 2072・マニ50 2101 - マニ50 2264) が製作されました。乗務員室扉は車体前後に設けられ、各々に車掌室と業務用室を配しました。荷重は14tで、外部塗色は青15号です。全車が電気暖房装置を備え、番号は2000番台を付番しました。1979年製からはブレーキシリンダの配置など細部が変更され、番号を2101以降として区別しました。 1986年に鉄道荷物輸送が廃止されたことで本来の荷物車としての用途はなくなり、製造年が新しいにもかかわらず大量に廃車となりましたが、「MOTOトレイン」(乗客とバイクを同時に輸送する、いわゆるバイクトレイン)用や、救援車の代用としてJR旅客6社に63両が承継されました。しかし現在までにバイクトレインはすべて廃止され、営業運転に使用されることはほとんどありません。現在使用頻度の高い車両は、工場入出場時の控車として使用されるごく一部である。 特異なものとして、24系客車の電源車マニ24形500番台への改造車・「リゾートエクスプレスゆう」用電源車への改造車が存在します。

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「リゾートエクスプレスゆう」用電源車として現在も現役のマニ50 2186 1991/11/3 水戸

スユニ50形
スユニ60形などの旧形郵便・荷物合造車を置換えるため計画された郵便荷物合造車で、1978年-1981年に80両 (スユニ50 2001 - スユニ50 2063・スユニ50 501 - スユニ50 517) が製作されました。 台枠も含めて車体は完全に新製されましたが、台車のTR47および自動連結器一式は廃車となったスハ43形やスハネ16形などから流用したもので、名義上は新製ではなく、種車になった車両の改造扱いです。 本州以南用の0番台と北海道用の500番台があります。0番台は全車電気暖房を備えており、番号は2000番台となっています。外部塗色は青15号です。 技術力の維持と向上をはかるため、本形式はすべて国鉄工場で施工しています。当初は100両改造される計画でしたが、郵便・荷物輸送の低迷により80両に下方修正されました。1986年の郵便・荷物輸送の廃止とともに大部分が廃車されており、JRへの承継は北海道3両、東日本4両にとどまりました。現存している車両は北海道・東北で救援車代用として配置されています。

改造車

「日本海モトとレール」用マニ50形
1988年、大阪 - 函館間の寝台特急「日本海」でツーリング客向けに夏季期間中に限りオートバイの輸送を実施するため、宮原客車区(現・宮原総合運転所)マニ50形2両を改造したもの。 車内にオートバイの緊結装置を取付けたほか、特急列車に連結することからブレーキ装置を改良し110km/h走行対応化も実施されました。そのほか、電照式の愛称表示器が貫通路に設置されています。このバイク輸送列車は当初は「日本海モトトレイン」と称していたが、のちに「モトトレール」→「モトとレール」と改められています。 1998年シーズンを最後に「日本海モトとレール」が運転中止となり、翌1999年に廃車となりました。 マニ50 2230・マニ50 2256→マニ50 5001・マニ50 5002

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24系24形 寝台特急「日本海」の最後尾にぶら下がるモトトレイン用に改造された車輌 1993/8/7 鶴形~富根

快速「海峡」用改造車

50形5000番台

50形5000番台 青函トンネルを含む津軽海峡線の快速「海峡」(青森 - 函館)用として改造された車両です。改造工事は1987年のJR発足以前にすべて完了し、JR北海道が全車を承継しました。 側面窓は固定式の大型一枚複層窓に交換され、外部塗色は青色地に白帯の塗装に変更されました。車内には青函トンネル内での現在位置を表示する装置を取り付け、座席は全席とも新幹線0系電車の廃車発生品の転換クロスシートに取り替えられました。AU13AN分散式冷房装置を5基屋根上に搭載しました。電源はED79形電気機関車が備える電気暖房用電源を冷房用電源として兼用し、自車に冷房用電源装置は装備しません。このため改造種車はすべて電気暖房装置付き車両です。 津軽海峡線内での高速運転に備えてブレーキ装置の改良が実施され、最高速度110km/hでの走行に対応しています。

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上の写真の続きのショットですが、画面をよく見ると当時の青森駅に集まるメンバーがよく見えます

51形5000番台

快速「海峡」の増発対応として1990年に51形を改造した車両です。塗装や車内は50形5000番台とほぼ同等ですが、オハフ51形にはトイレ対向部にベビーベッドを設けて、乳児の世話に対応しました。 当初は冷房装置を搭載していませんでしたが、のちにAU51集約分散式冷房装置を2基屋根上に搭載しました。50形5000番台と同じく機関車から給電される電気暖房用電源を冷房用電源としても用いるため、暖房は電気暖房式に改造されました。 台車やブレーキ装置も当初は改造がなされず最高速度95km/hのままでしたが、1996年から1997年にかけて、オハ51形は、台車を14系客車の廃車によって生じたTR217CまたはTR217Dに置き換え、オハフ51形はTR230の改造とブレーキ装置の改良により、最高速度が110km/hに引上げられました。 オハ51形はカーペット車に改造された際に後位側客扉が閉鎖されました。

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