1976/3 関西へ 2 阪和線1 旧形国電編
片町線の次は阪和線ですが、車種も豊富ですので、数回に分けて書きます。
今回は阪和線の歴史と旧形国電で行きます。
1929年7月18日:阪和電気鉄道により阪和天王寺駅 - 和泉府中駅間(20.92km)、支線 鳳駅 - 阪和浜寺駅間(1.61km)が開業。当初から全線複線電化。
1940年12月1日:阪和電気鉄道が南海鉄道に吸収合併され、同社の山手線となる。
1944年5月1日:国有化され阪和線になる。
1950年6月1日:南紀の海の幸を輸送する急行貨物列車「銀鱗号」が天王寺駅 - 串本駅間で運転開始 10月1日:流電ことモハ52形電車によって特急料金不要の特急電車が復活する(2往復、天王寺駅 - 東和歌山駅間の所要時間55分)。
1955年12月1日:70系が運用開始。
1965年3月1日:阪和線初の有料特急列車として、特急「くろしお」、特急「あすか」が運転開始。
1967年10月1日:特急「あすか」が廃止。
1972年3月15日:阪和線で新快速が運転開始。途中停車駅は鳳駅のみで、阪和間の所要時間が戦前の超特急と同じレベルの45分になる。
1977年3月27日:羽衣線の運用車両を旧型車両から103系に置き換え。4月14日:この日限りで旧形電車の運行を終了。最後まで残ったのは70系4両とモハ72の2両であった。
1978年10月2日:新快速が廃止され、天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間を直通する快速列車になる。紀勢本線(和歌山駅 - 新宮駅間)の電化に伴い特急「くろしお」が電車化(381系)。なお、鳳駅以南の架線を振り子対応とするが、この改正では所要時間短縮を余裕時分に向けたので、阪和間の所要時間は、戦前の超特急と同じである。
1985年3月13日:急行「きのくに」が廃止。
1987年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が杉本町駅 - 和歌山駅間の第二種鉄道事業者となる。
1989年7月22日:天王寺駅構内の阪和線から大和路線への渡り線が開通し、特急「くろしお」が環状線を介して新大阪駅・京都駅まで直通運転を開始。特急「スーパーくろしお」が運転開始。
1994年4月1日:223系電車が運転開始。9月4日:関西国際空港開港に伴い、特急「はるか」(281系)、関空快速が運転開始。
1996年3月16日:鳳駅以南の最高速度が120km/hに緩和され、最速列車は戦前に運転されていた超特急の所要時間を更新する39分で阪和間を走破する(表定速度94.3km/h)。7月31日:283系電車が特急「スーパーくろしお オーシャンアロー」として運転開始。
2003年4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(杉本町駅 - 和歌山駅間)が廃止。
2011年12月11日:113系4両編成が阪和線の運用を終了(2両編成1往復は引き続き運転)。
2012年3月17日:ダイヤ改正により次のように変更。 紀勢本線の特急「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」「くろしお」がすべて「くろしお」に列車名統一。特急「くろしお」に287系電車が投入され運転開始。朝ラッシュ時の一部の区間快速をのぞき、すべての快速が223系・225系に統一。
例によってWikipediaの記事から抜粋しておりますが、昨日の片町線に較べると路線の成り立ちは極めてシンプルですが、優等列車の種類は豊富です。中でも2年7ヶ月で廃止された「あすか」の運転が印象的です。
クモハ60 157
モハ41形の電動機を交換しクモハ60151~に編入したグループで、関西仕様の特徴である運転台の球形通風器の位置から157と推察されます。(旧形国電の記録さまのサイト
http://www.geocities.jp/h6feet/top.html の写真から)
クモハ60 和歌山 半流スタイル
当時の鳳区(天オト)のクモハ60の配置は
001 004 006 009 023 045 048 049 051 053 057 059 061 072 077 081 083 087 088 106 119 151 153 157 でした。
クハ55 800番台 東岸和田
800番台と推定した根拠は3と4に分かれて配置されているベンチレーターです。旧形国電の記録さまのサイトの情報から。
クハ55 和歌山
クハ55の配置は
001 007 031 034 047 055 060 062 071 072 303 305 309 311 312 313 332 336 338 800 802 804 806 でした。
クモハ73 東岸和田?
写真はぶれていますが、よく見ると正面布抑えのない異端車のようです。旧形国電の記録さまのサイトの情報から、619 621 623 のどれかではないかと思われます。
クモハ73の配置は 181 301 605 611 613 619 621 623 でした。
クハ79 300番台 364もしくは382
形態からすると旧形国電さまのサイトの情報から
「昭和29年製以降からは正式に前面窓傾斜タイプとなり窓上下の帯も廃止されました。354~420の偶数番号に加えて301~387の奇数番号車が登場しています。」に該当します。
クハ79の配置は 142 306 364 382でした。
これらの写真から、当時のオレンジ色旧国は天王寺<クモハ+クハ>和歌山といった向きで運用されていたようですね。
クハ76 区間快速 和歌山
クハ76 区間快速 和歌山
運行窓の形態から全て300番台と推察されます。
クハ76の配置は 070 079 083 090 094 307 308 309 310 311 312 313 314 315 でした。
最後に1950年10月から走り出したモハ52の現在、保存されている姿を。
クモハ52001 2010/12/5 吹田工場玄関前で写す
最近のコメント