2017年8月31日 (木)

小湊鉄道キハ5800形公開イベント その1 五井まで

8月26日の東京総合車両センター公開に続き、8月27日日曜日は青春18切符、最後の1枚を使って、市原市五井まで足を伸ばし、小湊鉄道のイベント、「キハ5800形気動車公開」に行ってまいりました。

以前、木更津まで出かけた際に五井で小湊鉄道の気動車を撮影したことはありましたが、小湊鉄道のイベント参加や乗車のための五井訪問は初めてでした。

E257500_nb12_170827
170827 2017/8/27 錦糸町

行きの行程。錦糸町での乗り換えの際に「新宿さざなみ1号」といった特急も見かけました。愛称に「新宿」と着く房総特急は同3号の他、「新宿わかしお」もあるようですね。

かつて千葉方面各線へのDC急行は新宿や両国発だったなとふと思い出し、

58_7403 1974/3 錦糸町

183 撮影年月日不詳 錦糸町

かつて錦糸町駅で撮影した列車を思い出してしまいました。
錦糸町から内房線君津行き快速で48分で五井に到着。

Dsc08188 五井駅はJR改札の中に小湊鉄道の改札があり、3,4番線がホームとなっています。今日はこちらへは向かわず、

Dsc08186
JRの改札口を出て、山側に向かいます。

170827_2
跨線橋からは小湊鉄道五井機関区の全景を見ることができます。左から2両目の庫の中にいる車両が本日公開されるキハ5800です。

170827_3
五井駅東口、かなり時代を感じさせる佇まいです。

170827_4
この案内に従って進むと既にかなりの長い列が

170827_5
170827_6
列は2段構成になっており、最初に記帳の列にならび、名前、住所、人数、このイベントを如何にして知ったかに答えて、入場券購入の列に並びます。

Photo
入場券は2つの図柄の硬券があり、2枚とも購入し、入場しました。
続きは明日の記事にて。

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2013年11月15日 (金)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その2 1982年11月の改正から2001年3月の廃止まで

このシリーズ、前回に続き特急「白鳥」の歴史です。今回は1982年のダイヤ改正以降です。

1982年11月15日:ダイヤ改正により金沢 - 青森間の急行「しらゆき」を発展的解消させ福井 - 青森間で1往復を増発。「白鳥」は計2往復となりました。急行「しらゆき」は2013年7月19日の特急「いなほ」の記事でも触れましたが、1963年4月20日に運行を開始した金沢~秋田・青森(上り)間の急行でした。DC急行のメリットを生かした多層建て列車で金沢~糸魚川間は「白馬2号」を併結し、秋田~青森間は「きたかみ1号」を併結していました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

58_800503
急行「しらゆき」に併結されていた急行「白馬」 1980/5/3 松本

1984年11月1日:大阪発着の2・3号に連結されていた食堂車の営業が休止となりました。

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534938新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

1985年3月14日:ダイヤ改正で福井 - 青森間「白鳥」1・4号を「北越」・「いなほ」の2列車に系統分割。再び1往復となりました。

485_481100_850421_2
1985年3月の改正で再登場となったボンネットクハの「白鳥」 1985/4/21 大阪

485_481300_850503
300番台クハの特急「白鳥」も撮影していました。 1985/5/3 鶴形~東能代

残存した大阪 - 青森間列車の食堂車連結を中止。車両運用を向日町運転所に移管しました。このときの改正で大ムコに配置されていたクハ481-100が特急「白鳥」の先頭に立つことになりました。日本海循環線電化当時、盛アオにクハ481-100が僅かの期間配置され、特急「白鳥」の先頭に立ったこともあったようですが、今回はその再現となりました。

向日町

TcM'MTsTsoM'MM'MTc×9 所要6 Tso:500番台
雷鳥(7)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪7051058富山12551652大阪18352134金沢‥森本
 森本‥金沢8121117大阪14051758富山2310505大阪
 富山8251222大阪14351741金沢18422152大阪‥野洲
 野洲‥大阪13301641金沢17422047大阪‥向日町
 向日町‥大阪12051601富山17252122大阪‥宮原/大阪2337520富山
 宮原‥大阪8051104金沢12421552大阪‥向日町

TcM'MTsTM'MM'MTc×16 所要13(臨時+2)
雷鳥(11)(臨時+2.5)、白鳥(1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪11351845新潟
 新潟9051612大阪18052158富山
 富山9251322大阪15052209新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8141522大阪17052058富山
 富山524922大阪11051411金沢16121922大阪‥向日町
 向日町‥大阪10302351青森
 青森4501812大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051311金沢14421752大阪19052301富山
 富山10251422大阪16051959富山
 富山6491052大阪13051658富山18252222大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051300富山14551852大阪‥向日町
 向日町‥大阪7351438新潟16102011金沢‥南福井
 南福井‥金沢7351142新潟13152022大阪‥向日町
 金沢6501031大阪16302032富山
 富山953-金沢10421352大阪15251848金沢19462305大阪

Ts×7 Td×14 T×2

Ed75_718_850804
東能代駅 朝6:30 日本海縦貫線昼の女王と夜の女王の行き違い 1985/8/4

それまでHMが無かったED75にもHMが復活してまさに千両役者のツーショットになりました。

1986年11月1日:ダイヤ改正で日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、車両配置を上沼垂運転区に移管。

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)(臨時+1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9041556大阪‥宮原
 宮原‥大阪10402340青森
 青森4501801大阪‥宮原
 宮原‥大阪7501437新潟17002045金沢
 金沢7441142新潟13152005大阪‥向日町
 向日町‥大阪11501844新潟‥上沼垂
 新潟11191402酒田15031742新潟
 上沼垂‥長岡8411128金沢16331742長岡‥上沼垂

485_481100_870504
編成は9両、G車も1両となりましたが、依然として昼の女王の風格は保っていた特急「白鳥」 1987/5/4 鶴形~東能代

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北海道運用には不的確の烙印を押されて盛アオに戻った485系1500番台でしたが、本州内の特急で活躍するする姿は今でも話題性十分ですね。 1987/2/24 大阪

民営化後に上沼垂所属車は指定席車のシート交換とピッチ拡大・自由席車を簡易リクライニングシートに統一などのグレードアップ改造と塗色変更などを施工。JR東日本の所属になった特急「白鳥」で、唯一沼垂色となったボンネット車はクハ481-102で、そのクハが特急「白鳥」の先頭に立つシーンも実現しました。

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沼垂色となったクハ481-102を先頭にした特急「白鳥」 1992/3/14

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今では過去帳に入ってしまった200番台クハを最後尾に繋げた特急「白鳥」 1992/3/14 大阪

1988年3月13日:青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で「白鳥」の対北海道接続が従来の青函連絡船から青森 - 札幌間の夜行急行「はまなす」に変更。

←大阪、青森、酒田
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+1)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9011538大阪‥宮原
 宮原‥大阪9552251青森
 青森5521844大阪‥宮原
 宮原‥大阪7551438新潟16562040金沢
 金沢7531143新潟15052149大阪‥向日町
 向日町‥大阪11251759新潟‥上沼垂
 新潟11581423酒田14501724新潟

1997年3月:車両配置を京都総合運転所に移管。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要6(臨時+3)
雷鳥(6)(臨時+3)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪11121358金沢15151808大阪20102339富山
 富山8361205大阪14421809富山19162247大阪‥宮原
 宮原‥大阪7421107富山12071536大阪18122106金沢
 金沢614906大阪13121558金沢16451938大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122247青森
 青森6111835大阪‥向日町
 大阪9181252富山14171741大阪
 大阪11551449金沢17452039大阪
 大阪14121659金沢19112209大阪

1999年:秋田 - 青森間の車内販売営業が廃止される。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
雷鳥(6)(臨時+1.5)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪9121159金沢14151706大阪20102300金沢
 金沢8141107大阪17122001金沢
 金沢642940大阪13121559金沢17142003大阪‥向日町
 金沢614905大阪11121358金沢15151806大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122259青森
 青森6111906大阪‥向日町
 向日町‥大阪16571948金沢/大阪18482144金沢
 大阪9501316富山14181742大阪

M'M×1

2001年3月3日:ダイヤ改正で日本海縦貫線の昼行列車運転系統を新潟で分離することになり「白鳥」を廃止。以下の運転区間に分割。

大阪 - 金沢・富山間:「雷鳥」「サンダーバード」
金沢 - 新潟間:「北越」
新潟 - 青森間:「いなほ」

因みに1974年当時の特急「白鳥」と現在の同区間の特急のダイヤを比較してみるともちろんスピードアップの効果は出ていますが、スジは良く保存されていることが分かります。

   1974.12時刻表から     現在のダイヤ
     4001M                4013M
            サンダーバード13
大阪   1010            1012
京都      1041                 1040
敦賀      1201                 1134 1055M
福井      1236                 1209  北越5
金沢      1332                 1257  1337
富山      1416                       1416
直江津    1543                       1533  2009M
長岡      1637                       1627  いなほ9
新潟      1725                       1720 1729
酒田      1951                             1944
秋田      2117
東能代    2210
弘前      2320
青森      2350

           4002M

青森       450
弘前       520
東能代     631               2006M
秋田       716              いなほ6   1056M
酒田       852                854     北越6
新潟      1116               1101     1302
長岡      1203                        1356
直江津    1302                        1447  4032M
富山      1425                        1603  サンダーバード32
金沢      1513                        1641 1519
福井      1607                              1607
敦賀      1642                              1642
京都      1811                              1741
大阪      1845                              1809

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2013年11月 3日 (日)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その1 登場から1982年11月の改正まで

今回からは、1961年10月1日から、2001年3月2日まで、大阪~青森間1052.9kmを走り、日本海縦貫線の昼の女王といわれた特急「白鳥」について触れようと思います。

485_481300_751103

485_481200_751103
柏崎付近を行く 4002M 特急「白鳥」 1975/11/3

ついこの前のような感じがしますが、かれこれ38年前の写真になるのですね。青森・大阪寄りの先頭車が300番台クハ、新潟寄りの先頭車が200番台クハでした。
当時のダイヤでは柏崎は通過で、長岡12:03、直江津13:00でした。青森発4:50、大阪着18:45でしたから行程の半分を超えたあたりですね。

私自身の特急「白鳥」との最初の出会いは、このblogの2012年10月25日の記事で記述した北海道向けの485系1500番台がならし運転のために投入された1974年秋のことでした。1972年8月5日の日本海縦貫線の全線電化で、同年10月から485系特急化されて2年経過した頃のことですが、いつもの通り、その登場以前からの歴史を追ってみましょう。

日本海縦貫線が全通したのは、1924年7月31日に羽越本線の村上駅 - 鼠ヶ関駅間が開業した時です。開業と同時に、早速神戸駅 - 富山駅間の急行列車を延長して神戸駅 - 青森駅間を結ぶ急行列車が設定されました。全区間が急行列車化されたのは、1926年8月15日でした。

1929年9月15日、運転区間が大阪~青森に変更となりますが、戦局の悪化により、1943年2月1日には廃止されました。

1947年7月5日、大阪~青森間で急行列車の運転が再開され、同列車は1950年11月8日日本海」と命名されました。1961年2月9日には羽越本線を走行中に崩れた土砂に乗り上げ牽引機C571号機が大破する事故などもありましたが、同列車は1968年10月1日の改正で、急行「きたぐに」と20系寝台特急「日本海」に発展しました。

一方、1961年10月1日のダイヤ改正では、キハ82系気動車を利用した特急「白鳥」が大阪~青森、大阪~上野間にデビューしました。前者を青森白鳥、後者を信越白鳥と国鉄内部では区別していたようです。

青森白鳥 青森行き2001D/大阪行き2002D
信越白鳥 上野行き4002D/大阪行き4003D 信越本線経由

青森白鳥の受け持ちは大ムコ

←長崎、宮崎、松江、青森
DcDsDdDDDc×13 所要10
白鳥(1)、かもめ(1×2)、みどり(1)、へいわ(1)、まつかぜ(1)
 大阪18002240広島
 広島7301210大阪13402235博多
 博多7251620大阪
 京都8002005長崎
 長崎9502200京都
 京都8002200宮崎
 宮崎8002200京都
 大阪8052350青森
 青森5202112大阪
 京都7301405松江15002135京都

キハ82形 8, 9,18,19,20, 21,22,23,26,27,28,29,30,31,32, 33,34,35,36,37, 38,39,40,41,42, 43  以上26両
キハ80形 15,16,22,23,24, 27,32,33,36,37,38,39,40,41,42, 43,44,45,46,47
48,49,50,51,52, 53   以上26両
キロ80形 9,11,13,14,19, 20,21,22,23,24, 25,26,27 以上13両
キシ80形 6, 7, 8, 9,13, 14,15,16,17,18,19,20,21   以上13両

信越白鳥の受け持ちは北オク

DcDsDdDDDc×5 所要4
つばさ(1)、白鳥(1)
 上野12302100秋田
 秋田8101640上野
 上野8502112大阪
 大阪8052035上野

Dc×2 Dc×1 D×5 Ds×2 Td×1 Dd×1

キハ82形 1, 2, 3, 4, 5,10,11,14,15,24,25 以上11両
キハ80形 13,14,17,18,19,20,21,30, 31,34,35  以上11両
キロ80形 7, 8,10,12,16,18 以上 6両
キシ80形 2, 3, 4, 5,11,12 以上6両 
(特急「はつかり」用の車輌分は除く)

青森では青函連絡船深夜便(1/2便)を介して、北海道内の特急「おおぞら」(1D/2D)と接続するダイヤでした。

1963年6月1日の改正を前に尾久から
キハ82形 1, 2, 3, 4, 5
キハ80形  13, 14, 17, 18, 19
キロ80形 7, 8
キシ80形  2, 3

が大ムコに転属し、信越白鳥の担当も大ムコになりました。

この間に大ムコのキハ80系は1962年7月から9月にかけて一部、函ハコへの転出があったものの、続々と新製配置があり、1964年10月の時点ではキハ82形37両、キハ80形54両、キロ80形19両、キシ80形16両の体制となっていました。

←長崎、宮崎、青森
DcDsDdDDDDc×12 所要10
白鳥(1×2)、かもめ(1×2)、みどり(1)
 大阪8152020上野
 上野9052107大阪
 大阪8152347青森
 青森5202107大阪
 京都8002008長崎
 長崎9502200京都
 京都8002201宮崎
 宮崎8002200京都
 新大阪10302135熊本
 熊本8301935新大阪

DcDsDDDDc×2 所要2
みどり(付属1)
 新大阪10302110大分
 大分9101935新大阪

DcDsDdDDDc×3 所要2
まつかぜ(1)
 京都7302055博多
 博多8202140京都

DDDc×2 所要1
まつかぜ(付属1)
 京都7301333米子15342140京都

Dc×1 D×2 Ds×2 Dd×1

関西を中心に北は青森から南は熊本まで広域運用であったことが分かります。

1965年10月1日のダイヤ改正では信越白鳥は「はくたか」と名前を変え、独立しました。これ以降の「はくたか」の歴史は2013年1月26日の記事に記載しました。

←上野、金沢
DcDsDdDDDDc×2 所要2
はくたか(1)
 金沢13002100上野
 上野7401530金沢

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1965年6月から10月にかけて、キハ82-1, 2, 3, 4, 5, 8、キハ80-13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 22、キロ80-7, 8, 9、キシ80-2, 3, 6が金サワに転出しました。この時が金沢運転所初のキハ80系の配置となり、「はくたか」、臨時「雷鳥」(1967年1月から)、「ひだ」(1968年10月から)を受け持ちますが、1969年10月には「はくたか」が電車化され、1975年3月には「ひだ」は名古屋移管となり、同所のキハ80系配置の歴史は幕を閉じました。

一方、大ムコの運用は白鳥の基本編成は独立運用となり、付属編成は特急「まつかぜ」と共通運用となりました。

DcDsDsDdDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

DDDDc×6 所要5
まつかぜ(付属1)、白鳥(付属1×2)
 京都7301334米子15362150京都
 大阪8001640新潟
 新潟11452040大阪
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

1970年3月1日の大阪万国博覧会に対応した改正では、基本編成はこの改正から登場した特急「やくも」(新大阪~浜田)と共通運用化され、付属編成は独立と「やくも」と共通に分けられました。

DcDsDsDdDDDc×5 所要4
白鳥(1)、やくも(1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪

DDc×4 所要4
白鳥(付属1)、やくも(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

山陽新幹線岡山開業の1972年3月15日の改正が気動車特急「白鳥」としての最後の改正となりましたが、

←長崎、宮崎、新潟
DcDsDdDDDDc×7 所要6(臨時+1)
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(臨時1)
 京都7301912長崎
 長崎10302225京都
 大阪7252109西鹿児島
 西鹿児島9052243大阪
 京都7202050博多
 博多8152150京都
 京都8261226鳥取15321934京都

DcDsDDDDc×7 所要7
かもめ(付属1)、日向(1)、まつかぜ(1,付属1)、はまかぜ(2)
 京都7301848佐世保
 佐世保10502225京都
 大阪7252042宮崎
 宮崎9302243大阪
 京都7201210鳥取12461704大阪18002217鳥取
 鳥取6301044大阪12101624鳥取16552150京都
 新大阪9251417倉吉14421940新大阪

DcDsDsDdDDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DcD×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

D×1 Ds×1 Dd×1

この時刻を1965年時点の時刻と比較すると、青森側の時刻は青函連絡船の接続等の関係でほぼ固定されているのに対して、大阪側の時刻はスピードアップの効果が出ているのが分かります。

485_481200_791223
大阪駅11番線に入線する200番台クハの4001M 特急「白鳥」 1979/12/23 
当時のダイヤでは白鳥は青函連絡が考慮されていたため、大阪発は10:20と比較的遅めの出発でした。1978年のダイヤ改正前後から愛称幕は絵入りに。

かくして、特急「白鳥」は1972年10月2日の改正で1961年以来の気動車特急から電車特急に生まれ変わる訳ですが、サンロクトウの改正で日本全国にデビューしたキハ82系特急のうち、この時点で電車化されていたのは1年弱で「つばめ」に置き換えられた「へいわ」(大阪~広島)、1967年10月の改正で581系電車化された「みどり」(大阪~博多)、1965年10月改正483系電車化された「ひばり」(上野~仙台)でした。

1972年10月2日の日本海縦貫線電化完成によるダイヤ改正で、特急「白鳥」は盛アオ所属の485系が担当することになりました。

←上野、新潟
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc×2 所要2
白鳥(1)
 青森4501848大阪‥向日町
 向日町‥大阪10102350青森

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

「白鳥」の編成はグリーン車2両組み込みの関係から他の東北特急とは区別された編成となっておりました。なお、「いなほ」の運用が東北特急編成の盛アオとの連絡運用であったことは、2013年7月19日の記事でご紹介した通りです。

1972年5月頃から、盛アオに485系が配置となり、10月の時点では

モハ485形 59,  60,  61,  68,  69,   70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89,   90,  91,  92,  93,  94, 95,  96,  97,  98,  99, 100, 101, 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109,
110, 111, 112, 113, 114, 115, 116

モハ484形 59,  60,  61,  68,  69, 70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89, 90,  91,  92,  93,  94, 95,  96, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213,
214, 215, 216, 217, 218, 219, 220 (以上42ユニット)

クハ481形 113, 114, 115, 116, 117, 118, 123, 124, 125, 126, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 213, 214, 219, 220 (以上24両)

サロ481形 40,  43,  44,  45,  50, 51,  52,  53,  54,  55, 56,  57,  58 (以上13両)

サシ481形 32, 34, 35, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44 (以上10両)

といった配置となっていました。

485_481300_800805
鶴形~東能代間のカーブをゆく4002M特急「白鳥」 1980/8/5

この中でも興味深いのはボンネット型クハの100番台が配置されていたことですが、クハ481-200番台の新製配置とともに、大ムコに転出して行き、1973年4月の時点ではすべて-200番台になってしまいました。これは当時、東北特急に分割併合の構想があり、貫通型の-200番台を優先して投入したそうですが、結局、先日の485系「くろしおで使用されるまで-200番台の貫通扉は開かずの扉でした。今から思えば、あのままボンネット型クハが残存していたら東北特急のイメージも大きく変わっていたのではと思います。

485_481300
同じく鶴形~東能代間のカーブを行く4002M 特急「白鳥」

その後、1974年4月から6月にかけて、書類上は札幌運転区に配置された485系1500番台が慣らし運転のため、盛アオに貸し出され、「白鳥」編成に投入されました。1500番台はモハユニット(1501~1507)、クハ(1501~1508)のみの小世帯のため、在来の485系と混成の編成を組み、愛称幕もシールを貼っての対応となりました。約1年間のならし運転のあと、1975年3月には北海道に渡りました。

1975年3月10日の新幹線博多開業の改正では前年に開業した湖西線の本格使用が開始され特急「白鳥も山科~近江塩津間が湖西線経由となりました。

1978年10月2日の改正からは、盛アオに485系最後のモデルとなった1000番台が投入されました。と同時に、これまで「白鳥」編成と「はつかり」「いなほ」「やまびこ」「ひばり」編成はグリーン車の連結から区別されて来ましたが、その区別が無くなり、共通運用化されました。また、ヘッドマークがイラストマークに変更されました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14332101盛岡
 盛岡6401313上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台18282243上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野9331601盛岡
 盛岡9161543上野16332259盛岡
 盛岡8161443上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野6331301盛岡14162043上野‥東大宮
 東大宮‥上野10001415仙台15582013上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森
 休
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台14581913上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1980年10月には1975年夏から北海道で活躍していた485系1500番台が、485系は北海道の冬には対応不可能と判断され、盛アオに転属となりました。

485_4811500_811010
鶴形~東能代間を行くクハ481-1500番台を組み込んだ4002M「白鳥」 1981/10/10

1982年6月23日の改正では東北新幹線の部分開業で、特急「やまびこ」が廃止され、それまで東北路を走っていた車輌が別の活躍の場を求めて、転出して行き、

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要14
白鳥(1)、いなほ(1)、ひばり(5)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台
 仙台10581513上野16002015仙台
 仙台8581316上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001215仙台15582013上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台17582213上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1982年11月15日の上越・東北新幹線開業による改正では、特急「白鳥」は急行「しらゆき」の格上げで2往復になりましたが。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481300_801212
青森から14時間かけて大阪に到着した4002M特急「白鳥」 1980/12/12

ここまで、気動車特急時代の11年間と電車特急時代の10年間についてWikipediaの記事等を参考に纏めました。

今回、奥羽北線を走る特急「白鳥」の写真を何枚かご紹介致しましたが、同じ場所では青森方向に向かう下り寝台特急の「日本海」や昨日、今年度での廃止が発表された「あけぼの」の写真も1970年代後半から1980年代にかけて撮影しておりますので、後日、触れようと思っています。

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2013年7月19日 (金)

1975年 新潟の旅 20 485系特急「いなほ」 その1

振り返れば5月5日から、この新潟シリーズを続けて参りましたが、今回からは今JR東日本で最もHOTな話題と思われる、485系特急「いなほ」について触れようと思います。この秋に装いも新たにしたE653系に置き換えられる485系特急「いなほ」が登場したのは1972年10月2日のダイヤ改正でした。

以前、申しましたが私の上野駅デビューは1972年10月のことで、確か8日だったと思いますが、そのとき初めて鉄道車輌撮影目的でカメラを持って駅へ出かけました。高校2年でした。尤も、その年の夏休みには母の実家があった山口県萩に出かけており、その際に鉄道撮影を行っているので、厳密には10月が初めての鉄道撮影ではないのですが。

1972年10月2日のダイヤ改正といえば、日本海縦貫線、最後まで残った白新線・羽越本線全線の電化が完成し、全線が電化された改正でした。特急「白鳥」が登場以来のキハ82系から485系化され、ヨンサントウで特急「はつかり」を追われ、特急「つばさ」、「いなほ」、「ひたち」で活躍していたキハ81形一族が東北から、和歌山の地に活躍の場を移したのもこの改正でした。キハ81形DC特急「いなほ」には間に合いませんでしたが、485系電車特急「いなほ」の歴史は私の鉄道写真趣味歴とほぼ重なることになります。因みに同改正ではダイヤがパターン化した特急を「エル特急」と呼ぶようになり、東海道新幹線「ひかり」が初めて米原に停車するようになり、北海道では札幌を起点とする初めての特急「オホーツク 」が新設されました。

485_481200_2
上野駅地平ホームで僚友の特急「やまびこ」と並んだ特急「いなほ」

1972年当時485系の顔であるクハ481のスタイルは、ボンネットタイプの0番台、100番台、貫通タイプの200番台、非貫通タイプの300番台と続々と新しい顔が出てきており、それぞれの特急がどの顔で来るかが撮影の興味の的でもありました。

青森運転所(盛アオ)の運用だった特急「いなほ」や「やまびこ」の場合、1972年6月頃から、1973年1月頃までは100番台(ボンネットスタイル)が配置されたものの、短期間で大ムコに転出してしまったため、以降は300番台が新製配置される1975年5月頃までは200番台オンリーの時代が続きました。

485_481200_edit
自動解結装置装着のクハ481-200番台を先頭に大宮に進入する特急「いなほ」 

そういった単調な盛アオの200番台クハの中で異彩を放っていたのが、自動解結装置を装着したクハ481で、203、204,207、208の4両が在籍しました。1972年8月から9月にかけて盛アオに新製配置された車両です。

話はずれてしまいますが、この4両のその後を追ってみると、

1975年9月には特急「つばさ」の電車化で秋田運転所に転属し、
1976年4月485系1000番台が配置されると南福岡電車区(門ミフ)に転属となり、
1985年3月には日根野電車区(天ヒネ)に転属し、特急「くろしお」の運用に就いています。1986年秋には204が福知山運転所へ、それ以外は南福岡に戻っています。204クロハ481-214に改造後、クロハ183-801に再改造され、B41編成の先頭車として「北近畿」で活躍しました。踏切事故の名残で貫通扉は固定されました。
門ミフに戻った3両は2071988年2月に鹿児島に転属、203,2082000年3月に廃車になるまで門ミフで働き続けました。
2071994年7月に大分車両センターに転属、2000年3月に大分で廃車となっています。

私も「ひばり」「やまびこ」「はつかり」さらに九州に転じたあとの「にちりん」「かもめ」で撮影しております。

まずは、特急「いなほ」登場前後の羽越本線を中心とした列車の歴史を見て行こうと思います。

1962年3月10日:新潟駅 - 秋田駅間を運行する準急列車として、「羽越」が運行を開始しました。キハ58系気動車が使用され、蒸気機関車が牽引する急行列車よりも速かったそうです。 この列車が設定される前は、羽越本線を通過する優等列車としては、大阪駅 - 青森駅間を運行する特別急行列車「白鳥」、急行列車「日本海」と、上野駅発着の夜行急行列車「羽黒」がありましたが、羽越本線のみを運行する列車としては初めての設定でした。

1963年4月20日:金沢駅 - 秋田駅間を運行する急行列車「しらゆき」が運行開始。

58_8103
奥羽北線内の前山~二ツ井間を「きたかみ」と併結して南下するキハ58系上り急行「しらゆき」 1981/3 

当時よくあった多層建て急行で下り「しらゆき」の場合は、金沢~糸魚川間は急行「白馬2号」を併結、秋田~青森は急行「きたかみ1号」を併結していました。

1965年10月1日:「羽越」の運行区間を上野駅まで延長し、列車名を「鳥海」に変更しました。

1968年10月1日:「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、新潟駅 - 秋田駅間を運行する急行列車として「羽越」が再び設定されました。ただし、運行時間は新潟駅朝発・夕方着と当時のダイヤ上では空白となっていた時間帯に運行されました。従来「羽黒」と称された羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車の名称を「鳥海」に統合。従前昼行列車で運行していた「鳥海」は上り下りとも「鳥海1号」と称されました。

1969年10月1日:上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・信越本線・羽越本線(水原駅経由)経由で運行する特別急行列車として「いなほ」1往復が運転を開始。これと引き替えに従来同区間を運行していた気動車急行「鳥海1号」は季節列車となりました。 「いなほ」にはキハ80系気動車が使用されました。所要時間は上野駅 - 秋田駅間が8時間10分、秋田駅 - 上野駅間が8時間15分、酒田駅 - 上野駅間が6時間44分で、それまでの急行利用に比べ1時間半以上も短縮されました。上越線特急「とき」および奥羽本線特急「つばさ」の輸送補助の名目で設定されましたが、それまで羽越本線内を運行する特別急行列車は大阪方面のみの設定であり、沿線の新潟県下越地方や山形県庄内地方、秋田県南部と東京を直通する特別急行列車は初めてでした。

秋田運転所 キハ80系気動車 7両編成

←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
 秋田9251740上野18102112平
 平645945上野13502200秋田

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

485_481300_751103
長岡で逢った上野行き上り特急「いなほ2号」2044M 1975/11/3

この頃はすでに盛アオにクハ481形300番台が新製配置されており、特急「いなほ」にも新顔が見られる様になっていました。

1972年10月2日:羽越本線電化に伴うダイヤ改正により、「いなほ」に485系電車を導入。また、青森駅までの1往復が増発され、「いなほ」計2往復となりました。季節列車として運行していた気動車急行「鳥海1号」は「いなほ」に格上げされ消滅しました。夜行の「鳥海」は存続しました。急行「羽越」が1往復増発され2往復体制となりました。 「いなほ」の485系は青森運転所の12両編成を使用し、一部の「やまびこ」や一部の「ひばり」と共通運用されました。そのため、「はつかり」への485系投入までは青森駅発着の「いなほ」で青森運転所の入出庫を行っていました。

485_481200
青森発の上り「いなほ1号」と顔を揃えたED75牽引の東北本線寝台特急「ゆうづる」 1975年夏北海道から夜行便の青函連絡船で青森に着いたときに見た光景でした。この「いなほ」運用が1973年4月に「はつかり」に485系が投入されるまでは東北特急に盛アオの485系が入るための運用だったのですね。

青森運転所 485系電車12両編成

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

1978年の改正ではこれまで通過駅としていた余目駅を停車駅に加えました(2・5号の1往復)。

秋田運転所 485系電車12両編成

←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田

1979年7月1日:ダイヤ改正に伴い、「いなほ」秋田駅発着列車を1往復増発し、「いなほ」上野駅 - 秋田駅2往復・上野駅 - 青森駅1往復の3往復体制となりました。「羽越」の下り列車に坂町駅まで「あさひ」が連結され、多層建て列車として運行されました。上越新幹線の開業に先立ち、1982年7月以降いなほ3・4号食堂車営業休止に伴いサシ481形の連結がなくなり11両編成となりました。

485_4811500_820328
485系1500番台をラストに上野に向かう特急「いなほ」 1982/3/28 二ツ井~前山

北海道に渡り、特急「いしかり」に投入された485系1500番台も耐寒耐雪装備の点で問題ありとなり、1980年10月に青森に転属しました。特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」などの運用を担当するようになり、特急「いなほ」でもその姿を見ることができました。

秋田運転所

TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×14 所要11
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(2)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田
 秋田13512133上野‥尾久
 尾久‥上野7191502秋田

Tc×2

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、急行「羽越」が廃止。急行「しらゆき」が特急列車に昇格し、「白鳥」1号・4号となりました。「いなほ」が、気動車急行「羽越」2往復と大阪駅 - 青森駅間を運行していた急行「きたぐに」の新潟駅 - 青森駅間を吸収、新潟駅 - 秋田駅・青森駅間5往復体制となり、エル特急に指定されました。これにより、上越新幹線接続列車として1往復を除き新潟駅発着に変更されました。 車両は青森運転所の485系9両編成で、福井駅発着の「白鳥」1号・4号と一部の「はつかり」と共通運用がくまれました。上越新幹線の始発駅が大宮駅であることから、上野駅 - 青森駅間(水原駅経由)1往復のみ、特急「鳥海」として存続させることとなり、 車両は従前の「いなほ」3号・4号同様、青森運転所の485系12両編成で、大阪駅発着の「白鳥」2号・3号と共通運用が組まれました。

青森運転所 485系電車 12両編成

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

同 9両編成

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481200_3
上越新幹線開業後も乗り換えの便などを考慮して、1往復存置された青森までの特急「いなほ」でしたが、愛称は「鳥海」と変更されました。

ということで、特急「いなほ」の上野~青森間の列車は「鳥海」として存続しましたが、上越新幹線の開業で特急「いなほ」は新幹線に連絡する羽越線特急に性格を変えました。

続きは明日の記事で。

尚、485系の編成、配置、運用データはいつものように「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。

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2013年7月17日 (水)

1975年 新潟の旅 18 修学旅行用 167系

かつては修学旅行専用の車両がありました。弊Blogにおいても155系159系について触れて参りましたが、165系の修学旅行電車バージョンとして登場した167系についてもこの機会に触れたく思います。

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東京駅に到着した臨時列車 167系
167系が修学旅行専用列車「わこうど」と同じダイヤで走る臨時急行「長州」でも活躍していたのは知っていましたが、「長州」の東京発は20:19、着は5:45だったので、この列車ではないと思います。

167系165系をベースにした修学旅行型電車であり、155・159系同様に乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、大型の脱着可能な折り畳み式テーブルを備えました。また、155・159系の編成を前提にモハ167・166形ユニットの中間電動車とクハ167形制御車のみの構成としました。しかし季節列車等一般の列車にも投入することを想定して、室内設備については原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみでした。

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品川にて

1965年度に関東地区(対京阪神)増発用、1966年度に山口・広島両県からの要請による山陽地域用として、MM'ユニット15組30両と制御車22両の計52両全車が汽車製造で製造されました。

モハ167形
モハ166形とユニットを組む2等電動車 (M) で主制御器を搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ165形と同様ですが側扉が700mmに変更されたため窓配置が異なります。

モハ166形
モハ167形とユニットを組む2等電動車 (M') でMG・CP・パンタグラフを搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ164形800番台と同様ですが窓配置が異なります。CPは1 - 4がMH80A-C1000形2基、5 - 15がMH113A-C2000M形1基搭載。10 - 15は冷房化時にトイレと物置を撤去して乗務員室を設置しました。国鉄ではパンタグラフ部低屋根構造車両を慣例として800番台に区分していましたが、本形式は全車が低屋根車に該当するため特に区分せず155・159系同様0番台としていました。

クハ167形
2等制御車 (Tc) で定員は76名。クハ155・159形同様客室には速度計と電池式時計が設置されましたが一般転用時に撤去されました。冷房化時に田町車は偶数車にのみ冷房電源用MGを搭載。宮原車は偶数向クハ165形MG搭載車に統一することで本形式は奇数向に統一されました。

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品川にて

1974年に修学旅行用列車の新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用されました。定期急行列車での運用は、1981年10月から1985年3月までごてんば」2往復に田町区所属車が投入されたのが唯一でした。

当初の塗色はカナリアイエローとライトスカーレットの修学旅行色でしたが、1978年9月の車両塗装に関する規定の改定で修学旅行色が廃止されたため1979年以降は湘南色に変更されました。

一方で1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事が施工されました。このため1981年中頃までは修学旅行色の冷房車も存在しました。
冷房改造と同時に出入台部飲料水タンクと洗面台の撤去、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に改造する工事も施工しました。

1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で休車中だったクハ165-3を翌1983年に転属させて代車として編成に組み込みました。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継されました。

167_2
品川にて

配置

所属      クハ167     モハユニット
田町       1-8                  1-4       JR東日本へ  
下関=>田町  9-18        5-9              JR東日本へ
下関=>宮原  19-22                10-15            JR西日本へ

クハ167-2は1982年9月14日14時17分頃、伊豆急行線川奈駅構内にて下田発伊東行回送電車として走行中、川奈駅構内でポイント故障により脱線。事故車は1984年3月19日付けで廃車になるまで伊豆高原車庫に留置。代替えに神領車両区で廃車予定だったクハ165-3を転属(国鉄JR事故廃車一覧のサイトより)。

あの頃、EF58牽引の小荷物列車などの撮影目的で何気なく品川で撮影しているとどこからとなく現れるのが167系だったように思います。修学旅行用の塗装を纏い目立ったスタイルをしている割には、定期的な仕業ではないため、どこか影が薄くふだんは忘れられがちな存在だったように記憶しています。

神田万世橋に鉄道博物館があった頃、167系のモックアップが展示されており、大宮移転後も引き続き展示はあるようなので、今度行った際には見てみようと思います。

以前、155系の記事を纏めた際に、修学旅行用専用電車「ひので」の歴史を書きましたが、今回は日本における修学旅行用列車の歴史について纏めておこうと思います。

1950年:日本ツーリストが運行を開始していた修学旅行専用列車はほかの旅行社も協賛しての共同運行となり、次第に時刻・車両が固定されてゆき「修学旅行集約輸送臨時列車」の起源となりました。

1958年6月1 - 29日: 80系電車を使って、品川 - 京都に「集約臨」を運転。下りは品川8時40分発で京都15時40分着、上りは京都発19時50分で品川5時20分着と上りでも当時の夜行急行列車なみの速度、下りに至っては当時の特急列車「つばめ」・「はと」に匹敵する速度で走りました。なおこの実績が、のちの155系電車を生み出す契機ともなりました。

1959年4月20日: 新製された日本初の修学旅行専用電車である155系電車を使用して、品川 - 京都に関東地区用修学旅行列車として「ひので」が、品川 - 京都・大阪・神戸に関西地区用修学旅行列車とした「きぼう」が「集約臨」として運転を開始しました。また「ひので」は下り昼行・上り夜行、「きぼう」は下り夜行・上り昼行の時刻で運転されました。

1960年4月20日: 品川 - 大垣で中京地区用修学旅行列車「こまどり」が、153系急行形電車で運転開始。「こまどり」は、運行距離が短かったことから上下とも昼行列車となりました。「こまどり」の運転されない時期には、同列車のダイヤで臨時準急列車「ながら」が設定されました。
6月 「東京へ来たのであるから東京駅を見て帰るべきだ」という意見が出た事により、下り「きぼう」の始発駅を東京に変更。

1961年3月:こまどり」用の159系電車が落成し、153系に代わって投入されました。同系列は、のちに東海地方 - 関西地方・山陽地方間に設定された修学旅行列車「わかあゆ」にも投入されました。
1962年4月9日: 非電化地区からの修学旅行列車用に気動車のキハ58系800番台が登場。この日から東北地区 - 上野で「おもいで」が運転を開始。

58_800
キハ58 800番台の修学旅行用車輌を組み込んだ上野発の気動車急行 電車版のカナリアイエロー(黄5号)をキハ58の「クリーム4号」の代わりに塗装したもので、異彩を放っていました。因みにキハ58は19両、キハ28は13両製造されました。

キハ58の修学旅行用車両を目撃したのは2回あり、このときが最初でした。

1963年4月10日: キハ58系800番台を使用して北九州地区 - 京都の修学旅行列車「とびうめ」が運転を開始。また「きぼう」は兵庫県中部地域からの利便を図るため、明石発着となる。

1965年10月1日: 混雑する「ひので」・「きぼう」の混雑緩和を図るため関東地区用の「わかくさ」が品川 - 京都に、関西地区用の「わかば」が東京(下り)・品川(上り) - 明石に1往復ずつ設定されました。

1966年4月9日: 東京 - 下関に165系急行形電車を修学旅行用に設計変更した167系電車が「わかくさ」「わこうど」で運転開始。それまでの修学旅行列車が普通列車の扱いであったのに対し、「わこうど」は長距離で往復とも夜行となるため急行列車の扱いとなりました。「わこうど」は山陽地方からの高校生の東京への修学旅行用列車として設定されたが関西地方からほどの需要が見込めないため下関 - 京都で中学生用の列車「友情」、下関 - 広島で小学生用の列車「なかよし」としてもそれぞれ運用されました。さらに3列車ともが運転されない時期には、「わこうど」のダイヤで臨時急行列車「長州」として運転されていました。

1966年11月 :中部地区から広島・山口方面へ「わかあゆ」(豊橋 - 下関)を田町区の167系電車で運転開始。1967年秋期からは159系電車で運転。

1967年10月1日: 「ひので」・「きぼう」・「わかくさ」・「わかば」も、急行列車の扱いとなりました。

1970年3月16日: 東海道新幹線に修学旅行列車を初設定。
1971年 3月1日 新幹線に「集約臨」が設定される事となり前年から新幹線の特急料金に関しても「学生5割引・引率教職員2割引」の割り引きが適用される事となったため、以後新幹線を使用できる地域の修学旅行列車は1972年春ごろまでをめどに順次移行となりました。
10月16日 この日の大阪発をもって「きぼう」廃止。総計約180万人の利用があったとされます。
10月26日 この日の品川発をもって「ひので」廃止。総計約240万人の利用があったとされます。

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もう一回は郡山駅で1976/1/2に目撃しました。

1975年の配置表では郡山(キハ28:811-813, キハ58: 817-819)と山形(キハ28:805-810、キハ58:809-816)に配置があり、急行「いいで」「ざおう」などで上野に入線していたものと思われます。なお、キハ28(801-804)とキハ58(801-808)は直方配置でした。情報はきはゆに資料室のものを参考にさせて戴きました。

1973年4月おもいで」廃止。以後は、特急など定期列車を利用するか随時臨時列車を設定する方式に変更。東京まで879往復し、約53万5000人の利用があったとされます。
6月23日わかくさ」・「わかば」を臨時列車に格下げ。
10月1日こまどり」、臨時列車に格下げ。ここまでに総計約152万人を輸送したとされます。

1974年4月21日: この日の記念行事をもって、「とびうめ」廃止。関西へ約22万4000人、九州内相互間で約14万7000人、総約37万1000人の利用があったとされます。

1975年3月10日: 山陽新幹線の博多駅までの全線開業をもって、「わこうど」・「友情」・「なかよし」廃止。市販の時刻表に掲載されていた修学旅行列車は消滅。 「こまどり」は臨時列車ながら、1975年以降も使用車両は159系から153系や165系の使用へ変化しつつも存続しました。おもに新幹線駅の利用が不便な大垣 - 尾張一宮・大府 - 岡崎の中学生に利用されましたが、東海道新幹線三河安城開業で西三河地区の中学生の修学旅行が新幹線へ急速に転移したことから平成初期に消滅しました。また、この1970年代後半に行われた東海道新幹線の午前運休日には、上りのみ「こまどり」のダイヤ設定をそのまま使って臨時急行列車「東海」が運転されました。

以上、テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年7月14日 (日)

1975年 新潟の旅 16 中央東線方面の165系

今回は中央東線の165系です。

小学校は国立だった関係で昭和30年代後半から40年代前半にかけて中央線国立~荻窪間は毎日お世話になる路線でした。そんなわけで181系あずさ」、165系アルプス」、115系ヤマゲタ、その前のEF13牽引客車列車は毎日のように見る列車でした。

165
阿佐ヶ谷付近を通過する急行「アルプス」「こまがね」用12両編成の165系

新宿側から、(クモハ165+モハ164+サロ165+サロ165+サハシ165+(クモハ165+モハ164+クハ165)+クモハ165+モハ164+クハ165)+クハ165)の編成であることが分かります。

<中央東線対首都圏運用>

Wikipediaの記述によれば、中央東線における165系の運用は1963年4月28日から5月26日までの休日に新前橋電車区所属の波動用4両2編成で運転した新宿 - 甲府間下り臨時準急「かいじ」と上り臨時普通列車が、中央東線における最初の運用だったそうです。定期運用は1964年の上諏訪電化時に三鷹電車区にへ新製配置された11両により、新宿 - 上諏訪間の急行「たてしな」で開始されたそうです。

1965年の松本電化で「たてしな」は「アルプス」に吸収され発展的解消。さらに一部列車の愛称整理を実施。
松本運転所へ新製車53両と三鷹区から転属の11両、新潟所から転属の5両、153系からの改造車2両(サハシ165 50番台)の計71両が投入されました。
同年7月に3往復をキハ58系気動車から置換えました。
10月のダイヤ改正で計11往復を設定しました。
編成もビュフェを組み込んだ基本8両・付属4両の12両編成となり12月からビュフェの営業が開始されました。

1966年3月には売店車サハ164形の運用を開始。

1968年10月1日のダイヤ改正で、列車愛称の統一を実施。
松本発着ならびに大糸線直通:「アルプス
甲府発着:「かいじ
富士急行直通:「かわぐち
飯田線直通:「こまがね

「アルプス」11往復中9往復、「こまがね」3往復中2往復、「かいじ」5往復、「かわぐち」6往復中5往復に投入されました。

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国分寺を通過する急行「アルプス」用12両編成 松本寄りにクハが2両繋がっているのが分かります。

1972年10月改正からは新宿から身延への季節急行「みのぶ」が運転を開始しました。
「みのぶ」は甲府まで「アルプス」に併結運転でしたが、甲府駅の構内配線の関係から通常松本方に連結する付属編成を下り列車は新宿方の連結としました。

1973年10月1日から岡谷発着の季節列車「たてしな」1往復が設定され「みのぶ」併結列車も変更となりました。

1975年3月のダイヤ改正ではキハ58系で残存されていた「アルプス」2往復、「こまがね」「かわぐち」それぞれ1往復が165系化されました。これに伴い下関運転所・大垣電車区・新潟運転所などから増発用車両が転入しました。

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荻窪を通過するキハ65を最後尾に繋げた急行「アルプス」 当時富士急行が導入した両運転台のキハ58もアルプスの編成に繋がって新宿まで来ていたの見た憶えがあります。

転入車のうちモハ164形0番台・500番台は狭小トンネル対策としてパンタグラフのPS23形への交換と避雷器移設工事を施工。非冷房車は同時に冷房化改造工事を施工。
その一方前年にはサハ164形サハシ165形とのトレードという形で新潟運転所に転出していましたが、1978年の大垣電車区への転出を経て1979年と1980年に2両とも松本運転所に出戻り転入をしています。

1978年からは信越線急行の減便・廃止に伴い169系が長野運転所から狭小トンネル対策を施工した上で転入。

松本運転所基本編成の5号車は、サハシ165形(ビュフェ)サハ164形(売店)の2種類が存在しましたが、ビュフェ営業は1976年11月限りで休止となりました。しかし、1・2号車の冷房装置をはじめとするサービス電源の供給をサハシ165形もしくはサハ164形のMGから行っていたため編成から外すことができない問題を抱えていました。
対応策として1982年3月185系200番台の投入により新前橋区の165系に余剰車が発生したためにクハ165形11両を転入させ、サハシ165形9両とサハ164形2両と差し替えました。

しかし、編成変更から8ヵ月後の1982年11月15日のダイヤ改正では基本編成からサロ165形が1両減車となり基本編成7両+付属編成4両の11両編成となりました。さらに1985年3月のダイヤ改正で「かいじ」「かわぐち」の全列車を含む一部列車が季節列車への格下げと夜行「アルプス」へのクモニ83形連結の中止。1986年11月1日のダイヤ改正で中央東線昼行急行が全廃された。残存した定期夜行「アルプス」は183・189系に車種変更。松本所属の本系列は波動輸送ならびに松本地区ローカル列車に転用されたほか、McM'Tcx11編成33両が紀勢本線に残存する客車列車置換え用として日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に転出しました。

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こちらは冒頭の12両編成に対してクハが1両少ない11両編成の急行「かいじ」「かわぐち」用編成 阿佐ヶ谷

私自身、中学時代は杉並区の中学に通学し、高校で荻窪、もしくは西武線で高田馬場から東横線と通学するようになり、大学、大学院までは電車通学で中央線との接点がありましたが、1983年に就職してつくばに住むようになり、中央線165系の終焉期はそれに気付かず過ごしてしまった感があります。昔は当たり前のように走っていた車両がいつの間にか消えて行くのはしばしばあることとは言え、急行電車の消え方は異常にはやかったように感じます。

テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年6月19日 (水)

1975年 新潟の旅 12 183系基本番台 「しおさい」

183系基本番台が使用された特急のシリーズ、房総特急に遅れること3年、1975年3月の改正からは「しおさい」「あやめ」に投入され、1982年11月からは「すいごう」にも投入されました。今回は「しおさい」について触れようと思います。

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1974年以降製造のクハによる183系 特急「しおさい」 錦糸町

1972年7月183系電車9両編成11本が新設の幕張電車区に配属され、房総特急の運用が開始されました。それまでの特急車輌の運用開始は、東海道特急は田町区の20系8両編成3本でスタート北陸特急は向日町区の481系11連3本でスタート東北特急は仙台運転所の483系10両編成3本でスタート山陽・九州の昼夜兼行特急も南福岡運転所の581系12連3本でスタート気動車特急でも「はつかり」は尾久のキハ81系9両編成2本でスタートと新形式の特急車両の運用開始にしてはいきなり大規模のスタートでした。

いつものように総武本線の列車の歴史を見てみましょう。

1958年7月10日:両国駅 - 銚子駅間に初の優等列車として準急列車「犬吠」が運転開始。車両は普通列車に運用されているキハ25形を使用。

(わかしおの記事でも出てきましたが)
 11月10日:両国駅 - 千葉駅間で房総東線(現在の外房線)経由安房鴨川行と房総西線(現在の内房線)経由館山行を併結した3階建て列車となり、列車名を「房総」に改めました。ただし、誤乗を防ぐ観点から銚子駅方面の列車には「房総(犬吠)」のように列車名のあとに括弧書きが入っていました。

1959年7月1日:「房総」を「京葉」に改称(括弧付けは継続)。総武本線・房総東線・房総西線の臨時準急列車を2往復増発し、新たに「房総」とする。新設された「房総」は新宿駅 - 銚子駅・(房総東線・房総西線経由)新宿駅・(房総西線・房総東線経由)新宿駅間準急列車(3層建て列車かつ循環列車)の名称となりました。系統別の括弧書きも踏襲しました。

1960年4月25日:「房総」が定期列車に格上げ。
11月21日:「京葉」を1往復増発。しかし増発分に関しては併結運転を実施するにも関わらずすべての方面へ向かう列車が、下りは「京葉1号」、上りは「京葉2号」と名乗りました。

1961年10月1日:「房総」の千葉駅以西での併結運転を中止。総武本線方面へ向かう列車を分離し、新宿駅・両国駅 - 銚子駅間に準急「総武」が運転開始。あわせて佐倉駅で分割併合する佐原駅発着の臨時準急を運転。成田線初の優等列車でもありました。「京葉」の括弧付け名称を2往復ともに廃止し、発車順にすべての方面へ向かう列車が「京葉1号」「京葉2号」となりました(上下それぞれに「京葉1号」が存在)。

1962年10月1日:準急は房総東・西線系統と総武本線系統の千葉駅以西での併結運転を中止。列車名の整理を行い、佐倉駅以東総武本線経由の準急は「犬吠」とし、「犬吠」は4往復の体制となる。なお、同年4月16日に定期列車化した成田線方面の準急は「水郷」と命名されました。

1963年10月1日:「犬吠」の2往復にキロ28形を連結。

1966年3月5日:走行距離が100kmを越える準急列車をすべて急行に格上げしたことで「犬吠」は急行列車に昇格。

1970年10月1日:「犬吠」は7往復体制となり、車両もキハ58系に揃えられました。

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キハ58もしくはキハ28で構成された編成で錦糸町に入線する急行「犬吠」 1974/9

1975年3月10日:総武本線の全線電化によるダイヤ改正により、急行「犬吠」を特急列車化し、「しおさい」として東京駅 - 銚子駅間で運転開始。5往復設定された。 車両は183系電車であったが、速度は急行「犬吠」より大幅に向上した訳でないのに料金値上げになったため、当初評判はあまり良くありませんでした。「犬吠」2往復が153系・165系に置き換えられました。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×19 所要16
わかしお(9)、さざなみ(9)、しおさい(5)、あやめ(4)、あずさ(5)
 津田沼‥東京730928館山10101209東京12301438千倉14571709東京‥津田沼
 津田沼‥東京14301637館山16571909東京19302128館山
 館山710909東京9301132館山12101409東京15301732館山18102009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8301037千倉10571309東京13301532館山16101809東京‥津田沼
 津田沼‥東京700916安房鴨川10241239東京13001516安房鴨川16241839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川724939東京10001216安房鴨川13241539東京16301832館山19102109東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001017安房鴨川11241339東京14001616安房鴨川18242039東京‥津田沼
 津田沼‥東京9001116安房鴨川12241439東京16001816安房鴨川
 安房鴨川9241139東京12001416安房鴨川15241739東京‥津田沼
 津田沼‥東京715914銚子11281324東京13451541銚子16281824東京18452041銚子
 銚子758954東京10451244銚子13281524東京15451744銚子18282024東京‥津田沼
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451432鹿島神宮15351724東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451137鹿島神宮12351424東京16451832鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 休
 津田沼‥新宿8001146松本1251白馬1423松本15401920新宿20002154甲府
 甲府735926新宿10001346松本14401820新宿19002246松本
 松本8001130新宿13001646松本17152052新宿‥津田沼
183_820130
市川を通過する絵入りHMの183系特急「しおさい」 1982/1/30

1982年11月15日
急行「犬吠」を廃止し、「しおさい」を増発。千葉鉄道管理局管轄各線から急行列車消滅。「しおさい」の新宿駅終着列車を設定。

←東京、松本
TcTsM'MM'MM'MTc×24 所要20
わかしお(12)、さざなみ(12)、しおさい(7)、あやめ(5)、あずさ(3)
 休
 津田沼‥東京645835鹿島神宮10351224東京12451433鹿島神宮15341721両国19182104鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮800954東京19452145銚子
 銚子9251124東京11451346銚子14221624東京16451833鹿島神宮19352124東京‥津田沼
 津田沼‥東京9451136鹿島神宮12351438新宿‥津田沼
 津田沼‥東京700919安房鴨川10201239東京13001519安房鴨川16201839東京19002116安房鴨川
 安房鴨川720939東京10001219安房鴨川13201539東京16001819安房鴨川
 安房鴨川8201039東京11001319安房鴨川14201639東京‥津田沼
 津田沼‥東京12001419安房鴨川15201739東京18002019安房鴨川
 安房鴨川9201139東京12301433館山16051805両国‥津田沼
 津田沼‥東京630835館山9031109東京11301341千倉14541709東京17301935館山
 館山8031009東京10301235館山14031609東京‥津田沼
 津田沼‥東京715912銚子11241323東京13451545銚子16241824東京18452043銚子
 銚子8251024東京10451245銚子13251524東京15451743銚子18252038新宿‥津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11541408東京14301634館山18042009東京‥津田沼
 津田沼‥東京8001019安房鴨川11201339東京14001619安房鴨川17211939東京‥津田沼
 津田沼‥東京730934館山10041208東京13301542千倉16551909東京19302132館山
 館山705909東京9301131館山13031507東京15301733館山19072123新宿‥津田沼
 津田沼‥東京9001119安房鴨川12201439東京15001719安房鴨川18202100新宿‥津田沼
 津田沼‥新宿7001210南小谷13061825新宿19002243松本
 松本9471325新宿14001742松本18172145新宿‥津田沼

165_820211
この年11月のダイヤ改正で廃止された165系急行「犬吠」 1982/2/11  飯田橋

1985年3月14日:「しおさい」に両国駅発着を1往復設定。編成の見直しも行なわれ、通常期・多客期で編成の増減を行なうようになりました。183系登場後、13年にして初めて、貫通扉を使用した編成の解結が行われました。

←東京
TcTsM'MM'MM'MTc×9 所要7
わかしお(5)、さざなみ(8)、しおさい(3)
 休
 津田沼‥東京700912安房鴨川10211237東京13001512安房鴨川16231838東京19002112安房鴨川
 安房鴨川721938東京10001214安房鴨川13211539東京16001816安房鴨川
 安房鴨川9211136東京12301430館山16051807東京18452036銚子
 銚子8271023東京10451243銚子13271522東京15451739銚子18262038新宿21082148津田沼
 津田沼‥東京630830館山9051108東京11301341千倉14521708東京17301935館山
 館山705909東京9301130館山13061507東京15301730館山19052109東京21302159津田沼
 津田沼‥東京8301041千倉11501407東京14301634館山18102009東京‥津田沼

TcM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
わかしお(4)、しおさい(4)、あやめ(5)(臨時+1)、すいごう(2)
 津田沼831903東京9151131安房鴨川12231438東京15001712安房鴨川18212038東京21002131津田沼
 津田沼‥東京8001016安房鴨川11181336東京14001616安房鴨川17221936東京‥津田沼
 津田沼‥東京715910銚子11271323東京13451543銚子16241819両国19482140銚子
 銚子9261122東京11451345銚子14261622東京‥津田沼
 津田沼‥東京645816佐原840鹿島神宮1023佐原10511222東京12451414佐原1439鹿島神宮1527佐原15521719両国19182045佐原2114鹿島神宮‥北鹿島
 北鹿島‥鹿島神宮742佐原821952東京‥両国14461617佐原1711銚子1723佐原18151945両国20372207佐原2257銚子
 銚子649佐原749927東京9451117佐原1143鹿島神宮1226佐原12521437新宿‥東京16451815佐原1839鹿島神宮1922佐原19522123東京‥津田沼
 東京8511032佐原1101鹿島神宮1345佐原14151549東京

TcM'M/M'MTc×6 所要4
わかしお(付属4)、しおさい(付属4)
 津田沼831903東京9151131安房鴨川12231438東京15001712安房鴨川18212038東京21002131津田沼
 津田沼‥東京8001016安房鴨川11181336東京14001616安房鴨川17221936東京‥津田沼
 津田沼‥東京715910銚子11271323東京13451543銚子16241819両国19482140銚子
 銚子9261122東京11451345銚子14261622東京‥津田沼

Ts×11

1994年12月3日:「しおさい」のグリーン車連結を中止。6M2T

1998年12月8日:成東駅 - 銚子駅間を普通列車として運転する列車を設定。

2002年12月1日:通勤時間帯に「おはようしおさい」「ホームタウンしおさい」の運転を開始。エル特急の呼称を廃止。

2004年10月16日:「おはようしおさい」「ホームタウンしおさい」の愛称を「しおさい」に統一。

2005年12月10日:「しおさい」全列車を255系とE257系500番台での運転に変更(255系5往復、E257系3往復)。全車禁煙化。255系運転列車ではグリーン車の設定が復活。午前中の東京行2本を統合し、上り1本を廃止。日中は、ほぼ2時間おきになるようにダイヤが組みなおされました。

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2013年4月13日 (土)

1974,1975 北海道へ 8 急行型気動車 キハ56 キハ27

1974年、75年の大学化学部の北海道実験旅行は乗車券は北海道周遊券でしたから、急行列車乗り放題でした。したがって当時、北海道の各地を走り回っていたキハ56、キハ27形気動車には大変お世話になりました。

当時、あまりに当たり前すぎて写真をあまり撮っていないのが今となっては悔やまれるところですが、今回はその急行型をご紹介しようと思います。

56_202_7407_b
1975/10 札幌駅で出会ったキハ56形 急行「大雪」 先頭車は後述の200番台です。

この写真は2013年3月8日の1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 4 「北海」 の記事でご紹介した急行「大雪」の写真ですが、よく見ると左端にはキハ80系、右端には札沼線の気動車でしょうかキハ12形?が写っています。

まずキハ56系についてですが、私もこのblogで気動車の形式について○○系といった記述をしていますが、電車で言う系列を意味する○○系とは意味がちがって、あくまでも同一の設計思想により製造された気動車を便宜的に総称したものであり、具体的にはキロ26形・キハ27形・キハ56形の3形式およびこれらの改造車を指して言っています。

これらの形式が設計、製作された経緯は、1950年代初頭、北海道の主要幹線に運転される急行列車は、すべて蒸気機関車が牽引する客車列車で、一般に速度が低く、また北海道向けの車両は、特殊な耐寒耐雪設備を要することもあって潤沢には製造されない傾向がありました。したがって道内の車両数は常に不足しており、特に幹線の輸送力は逼迫していました。

そういった状況において北海道で最初の気動車優等列車は、1957年6月に釧網本線の釧路 - 川湯(現・川湯温泉)間に臨時列車として運転開始した準急「摩周」が最初で、普通列車用のキハ12形を用いたものでした。以後1960年頃までに、札幌地区を中心とした気動車準急網が整備されましたが、使用された車両はいずれも普通列車用のキハ12形キハ21形・キハ22形のみでした。

1956年から製造された準急形気動車キハ55系は、日本全国に準急列車のネットワークを構築する成果を上げ一部は急行列車にも充当されました。北海道でも本州からの借り入れの形で準急「アカシヤ」に充当されましたが、キハ55系は元々暖地向けの設計であるため耐寒耐雪対策が施されておらず、冬季を前にして本来の所属基地に返却する措置が取られました。

この実績に基づいて、再び本州から借り入れたキハ55系を投入し、1960年7月1日から北海道初の気動車急行列車「すずらん」が、函館 - 札幌間に運転を開始しました。全車指定席のこの列車は、函館 - 札幌間を室蘭本線・千歳線経由で函館本線小樽経由の客車急行列車に比べて30分のスピードアップとなる5時間で走破しました。もっとも55系の耐寒問題自体は解決しておらず、55系はこのシーズンの冬期には再び本州に返却され、代わって普通列車用のキハ22形で長編成を組んで「すずらん」に充当しています。「すずらん」の成功は、道内でも長距離列車における気動車の有効性を強く認知させました。

キハ55系を主体に運行が広まった準急気動車列車は、1950年代後半、快適な居住性と高速性が高く評価され、全国各地で成功を収めたことから、急行列車についても気動車化を促進する気運が高まりました。しかし、キハ55系は元々準急用であり急行用としては設備グレードがやや低いことから、1ランク上の設備を備えた急行形気動車が計画されました。これがのちのキハ58系です。

この計画の中には北海道用の耐寒耐雪形も含まれており、特に輸送事情の逼迫した北海道向けに、暖地向けのキハ58系を差し置いていち早く開発が進められることになりました。こうして1961年初頭に登場したのがキハ56系です。

広幅車体や高運転台構造、接客設備等、多くのスペックは後から登場したキハ58系と同じですが、北海道の酷寒地で運用される条件から、先行して北海道用に開発されたキハ22形気動車に倣い、さまざまな耐寒耐雪装備が施されています。

外観上の特徴として、小型の客室窓が挙げられます。本州並みに大型の窓を採用すると保温性に難があるため、2等車の窓はキハ58系より上下寸法が100mm小さくなっています。それまでの北海道用車両と同様、二重窓ですが、内窓には初めてFRP製の窓枠を採用しています。1等車のキロ26形も連続窓ではなく、独立した小窓を用いているのは同様の理由です。

保温には二重窓以外にも配慮がなされ、暖房はキハ22形に倣ったエンジン冷却水利用の温水暖房としました。キハ58系でも採用された方式ですが、キハ58系では床下のラジエーターと客室の放熱器が直列につながれているのに対し、キハ22形や本系列の場合はラジエーターと客室放熱器を並列配管とし、より強力な暖房能力を確保しています。ラジエーターにはシャッターを備え、過冷を防いでいます。床板の表面材にはリノリウムや鋼板などを使わず、木張りとしました。より保温性に優れるほか、当時の冬期の北海道では雪靴・雪下駄に滑り止めの金具を付けて列車に乗る乗客が多く、木張り以外では耐久性に難があったという事情もあります。また、ドアレールや汽笛など、随所にエンジン冷却水を引き回す温水管や電熱ヒーターを装備し、凍結を防止しています。冬季用のエンジン防雪カバーも用意されています。

1961年3月に製造されたキハ56 1 - 5・キハ27 1 - 12・キロ26 1 - 5については、その後の量産車とは主に以下のような差異が見られます。

車体断面形状が異なり裾絞りが直線的
先頭車の前照灯・前面通風口をやや内側に設置
乗務員室扉と前位出入口の間に取り付けられている握り棒が長い
キハ56・キハ27の連結面に窓がない

56_7508_2
1975/8/5 登別にて 線区から想像するところ急行「すずらん」「ちとせ」もしくは「いぶり」でしょうか

キハ56形

本系列の基本形式である2エンジン装備の2等車。1961年から1968年までに合計121両製造されました。キハ58系におけるキハ58形に相当します。

国鉄気動車を製造するメーカーは多数存在したにもかかわらず、210 - 214のみ富士重工業が製造した以外は、すべて新潟鐵工所が製造を担当しました。

0番台(1 - 47)

1961年から1962年にかけて製造された初期形。

100番台(101 - 151)

1963年から1967年にかけて製造されたグループ。長大編成対応の改良がされており、キハ58形400番台に相当します。

200番台(201 - 214)

1968年に製造された最終増備グループ。キハ58形1100・1500番台に相当する番台区分で車体断面の変更を含む改良が行われました。AU13形分散式冷房装置7基をボルトオンで簡単に搭載できる構造の冷房準備工事が施工されており、客室屋根上のベンチレーターがなく屋根部の形状も従来よりフラットで高さも抑えめに外観の印象は大きく変化しています。また前面窓はパノラミックウインドウとなり、運転台下部にも排障器(スカート)を採用しました。しかし夏が短く猛暑日も少ない気候事情も考慮し、道内気動車急行の普通車への冷房搭載は見送られたことから冷房搭載改造はありません。

1986年に201・209・212が「アルファコンチネンタルエクスプレス」へ改造されました。
この改造とは別に後に213が、外板塗色の変更・冷房電源・制御回路のジャンパ連結器追加改造を施工され、「アルファコンチネンタルエクスプレス」の増結車となりました。しかし車内がボックス式クロスシートで非冷房のためにサービス格差問題が露呈。実際に増結車として使用される機会は少なく、後に従来の急行色に戻され冷房関係引き通しも撤去されました。

56_7508
前面に212とありますが、もしこれがキハ56形ならば、アルファーコンチネンタルエクスプレスに改造される前のキハ56-212だったのですね。 1975/8/5 登別

キハ27形

キハ56形と同型の1エンジン装備の2等車。キハ58系におけるキハ28形に相当します。1961年から1968年にかけ、合計102両製造されました。

0番台(1 - 56)

1961年から1962年にかけて製造。キハ28形0番台に相当します。

100番台(101 - 129)

1963年から1967年にかけて製造。キハ56形100番台同様の長大編成対応車でキハ28形300番台に相当します。

日本車輌製造製の125 - 129は手違いから、窓周りの赤11号の帯幅がキハ58と同寸(天地方向に太い)で落成しており、その後も全検時の再塗装でも修正されていませんでした。

1973年に3両がお座敷車キロ29形に改造されました。

200番台(201 - 217)

1968年に製造。キハ56形200番台同様の前面パノラミックウインドウの冷房準備仕様車でキハ28形500(2500)・1000(3000)番台に相当します。

キロ26形

本系列唯一の新製1等車で、1961年から1968年にかけて28両が製造されました。キハ58系におけるキロ28形に相当します。

本州以南用の急行形電車・気動車の一等車とは違い、2連窓ではなく、座席1列ごとに独立した一段上昇窓が1枚ずつ並んでいます。車内はキロ28形と同様のリクライニングシートで、定員もキロ28形と同じく52人です。

0番台(1 - 18)

1961年から1962年にかけて製造。キロ28形0番台に相当します。当初は非冷房でしたが、1964年から1968年にかけてAU13形分散式冷房装置6基と自車給電用の4DQ-11P冷房用発電装置を搭載して冷房化されました。

1985年3月14日のダイヤ改正で北海道内の気動車急行列車のグリーン車が全廃されたことで用途がなくなり、国鉄時代の1986年までに廃車されました。

100番台(101 - 107)

1963年から1966年にかけて製造。キロ28形100番台に相当します。101 - 103は1 - と同仕様で非冷房、104 - 107は強制通風装置付で冷房準備仕様。いずれも1968年までに冷房化されています。

0番台同様、道内の気動車急行のグリーン車廃止により用途がなくなり、国鉄時代の1987年までに廃車されました。

200番台(201 - 203)

1968年に製造。当初から冷房付。キロ28形300・500番台と同時期の製造ですが、キロ28形のような車体断面形状の変更やトイレ・洗面所位置の変更はされていません。

道内気動車急行のグリーン車廃止により203は民営化前に廃車されましたが、残存した2両は「アルファコンチネンタルエクスプレス」用改造種車となりJR北海道に承継された。
201:キハ29 1に改造。
202:増結車として整備改造が施工されたが1988年に廃車。

1980年代以降、赤字ローカル路線の廃止や急行列車廃止による余剰老朽化で廃車が進行し、2002年までに全車が運用を離脱、形式消滅となりました。2013年4月8日のDD51の記事でちらっと触れましたが、五稜郭車両所にキハ56形3両が長らく保管されていましたがそれも一部を残して解体されてしまいました。

<アルファーコンチネンタルエクスプレスについて>

国鉄末期の1985年から1986年にかけ、国鉄苗穂工場(当時)で改造されました。

1987年の国鉄分割民営化後から1990年代にかけて、バブル景気に伴う旅客需要増加という背景とともに日本各地で改造・新造取り混ぜて多数登場した気動車をベースとしたジョイフルトレインの先駆けといえる存在で、その前頭形状はデザインのみならず強度面などの構造的な完成度も高く、その後は苗穂工場が金沢鉄道管理局(現・西日本旅客鉄道(JR西日本)金沢支社)によるキハ65形ベースの「ゆぅトピア」「ゴールデンエクスプレスアストル・新潟鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道(JR東日本)新潟支社)によるキハ58系改造車「サロンエクスプレスアルカディア」(現・「Kenji」)などの改造に協力している。

車両愛称の「アルファコンチネンタルエクスプレス」とは、改造に関わったホテルアルファトマム(アルファリゾート・トマム)と狩勝コンチネンタルホテル(サホロリゾート)の2つのホテル名から得たものです。

910820

1980年代、急行列車の衰退でキハ56系気動車は大量の余剰車を出しており、一方で石勝線沿線には当時のスキーブームを背景にトマム(勇払郡占冠村)・サホロ(上川郡新得町)に大型リゾートホテルが作られました。道路事情の不便さもあり、両リゾートへのアクセスは千歳空港からのスキー客輸送を石勝線に頼っていましたが、国鉄の運行する臨時列車は旧態化したキハ56系が主力で、「リゾート」の雰囲気とはほど遠くホテル・利用客の双方から不満がありました。

そこでホテル側が宿泊客向けに列車を借り切り、営業収入を保証するという、国鉄にとっては有利な条件を提示して、新たな特別車両の開発を申し入れました。これは国鉄にとっても前代未聞のケースで、従来の国鉄の体質では受け容れ難い企画提案でありましたが、民営化を前にした増収政策への方針転換もあり、国鉄とホテルの提携(タイアップ)によってリゾート列車用の特別車の開発が行われることになリました。

<改造に関して>

キハ59 1・2

運転台寄り1/4の車体を切断して、新たに本来の床面から最大600mm高められたハイデッカー構造の構体を新製し接合しました。運転台を低位置に配置し、前面展望を可能とした前頭部は大きく傾斜した前面窓を採用。前照灯は屋根上と窓下(尾灯と並列)に配置しました。また、この部分はハイデッカー部直後に置かれたAU76形集中式冷房装置で冷房化され、暖房も電気暖房としました。

落成時には非装着であった大型の連結器カバーは、「フラノエクスプレス」登場後に装着されました。

キハ29 1

元グリーン車のため冷房車であり、自車用冷房電源エンジンを搭載していましたが、「アルコン」では編成全体が冷房車であり隣接するキハ59形にも冷房電源を供給する必要が生じた。そのため、電源エンジンは自車専用の4DQ-11Pを取り外し3両に給電可能な4VK形冷房電源装置に換装しています。

キハ59 101

「アルコン」は運行開始後利用客が増えたため、緊急対策としてキロ26 202を塗装のみ「アルコン」塗装に変更して増結に用いました。しかし、車内は旧来の内装のままであり「リゾート列車」らしからぬ設備に乗客からは不評であり、同一サービスの提供という観点から正式な増備車が必要と判断されたため、1986年に苗穂工場でキハ56 212から改造されました。

旅客設備は従来の「アルコン」各車を踏襲し、運転台は撤去のうえ切妻に整形され完全な中間車となりました。また、編成出力確保の見地もあり2エンジン車のキハ56形からの改造となりましたが、以下の問題点が発生しました。
キハ29 1搭載の4VK電源装置は供給量が3両分で4両目となる当車までカバーできない。
2エンジン車は床下が走行用エンジンで埋まって冷房用電源装置を積むスペースが得られない。

このため苦肉の策として床上にエンジン室を設け、キロ26形廃車発生品の4DQ-11P冷房電源装置を搭載する自車給電方式を採用しました。また、既存の前後各車相互の冷暖房電源供給用に別途電源引き通し線を設置しています。

910820_2_2

アルファーコンチネンタルエクスプレスには1991/8/20に苗穂で偶然撮影していました。

「アルコン」が好評を持って受け入れられたことから、JR北海道では続けて特急形車両のキハ80系を改造、そしてのちにはキハ183系に属する完全新造車という形態で多数のリゾート気動車が製造されるに至りました。

人気列車であった「アルコン」ですが、後続の新型車が登場してくると以下の問題点が浮き彫りになってきました。
急行形気動車からの改造車であり、最高速度が95km/hに制限されたために高速化する特急主流のダイヤに適応しにくい。
種車の金属バネ台車を流用したため空気バネ台車が標準である特急形車両に比して乗り心地が劣る。
改造後は10年近く、新製からも30年近く経過していたために老朽化が進行した。

このため1995年に「引退イベント」を実施し廃車となりました。

しばしばお世話になっているこちらのサイトの情報では1974年夏のダイヤでは北海道全体で31種類の急行が走っていたようですが、それらも遠い昔の記憶になろうとしています。

今回もWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年3月 8日 (金)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 4 「北海」

北海道のキハ82系特急として、4番目に登場したのは「北海」でした。函館から旭川を結ぶ特急として登場しましたが、それまでの室蘭本線経由ではなく、函館本線山線経由の特急としてスタートを切りました。82_7510_5

2013/3/1のおおぞらの記事で1便接続で函館駅で待つ「おおぞら 1D」の写真を紹介しましたが、反対側のホームには山線回りの特急「北海 11D」の姿がありました。 1975/10

まずは「北海」が登場するまでの小樽経由の列車の歴史を見てみましょう。

1946年2月11日:連合軍専用列車 (Yankee Limited) が小樽駅経由に変更される。11月5日:同列車が東室蘭駅経由に戻される。

1947年6月29日:函館駅 - 旭川駅間で夜行急行列車7・8列車が設定される。11月1日:7・8列車に二等車が連結開始。

1948年7月1日:7・8列車の列車番号が1・2列車に変更される。

1951年4月:1・2列車に「大雪」、函館駅 - 釧路駅間の急行列車に「まりも」の列車愛称が与えられる。

56_202_7407_b
1975/10 札幌駅で出会ったキハ56形 急行「大雪

1964年10月1日:急行「宗谷」が小樽経由に変更。1等車連結開始。

1967年3月1日:函館駅 - 旭川駅間(小樽駅経由)で初めて特急「北海」が運転開始。「北海」はその後、夏季には網走駅まで延長運転されることもあった。

DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4101450釧路
 釧路1330005函館
 函館11152155釧路
 釧路8051855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館
 函館4151110旭川17002346函館

82_830824
小樽駅に到着した特急「北海」 1983/8/24

82_830823_2
札幌駅での特急「北海」 山線経由なので、札幌駅でのスイッチバックはなく、そのまま函館本線を北進。 1983/8/23

82_7507_2
旭川に到着した特急「北海」 本来はここが終着駅ですが、夏の期間は網走まで延長運転 1975/8

82_7507
延長運転の特急「北海」、駅名は忘れましたが、乗車中の急行列車が待避をするとのことで、特急の通過を撮影 1975/8

82_7508
夜の札幌駅で 上り特急「北海」 札幌19:25発、函館23:55 1975/8

1981年10月1日:「北海」の運転区間が函館駅 - 札幌駅間に短縮されるが、従来函館駅 - 稚内駅間の急行「宗谷」の系統分割により1往復増発され、「北海」は2往復になる。同時に1往復がキハ183系気動車に変更。

キハ183系 函ハコ

DcDDDDDsD'DDDc×5 所要4
おおぞら(2)、北海(1)
 函館9401915釧路
 釧路7201640函館
 函館11451627札幌17152214釧路
 釧路10251540札幌19202355函館

Dc×2 D'×1 Ds×1

1986年11月1日:特急「北海」廃止。急行「ニセコ」は夏季のみ運転の臨時列車に変更され、小樽駅を経由する定期の優等列車が消滅。なお、臨時「ニセコ」はキハ56系気動車で1993年夏まで運転。

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2013年2月 2日 (土)

1981/11 北陸へ 9 気動車

1981年11月の北陸旅行、最終回は気動車急行やローカルDCの写真をアップします。

最初は、七尾線関連のDC急行です。

1981年当時は能登半島北部の輪島駅までが七尾線で金沢駅から直通のDC急行が多数運行されていました。例えばRailArtのサイトに詳細なデータがあり、1980年の時刻表では金沢発の「能登路」が9往復+臨時1往復さらに「ゆのはな」が出ており、輪島行きと穴水で分離される蛸島行きが併結されて走っていました。

それらの列車は金沢駅のDC専用ホームから見附島(別名 軍艦島)絵入りのHMを装着して発車しておりました。
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同線は1991年に和倉温泉駅以南が電化され、非電化のままとなった和倉温泉駅 - 輪島駅間はのと鉄道に移管されました。また、七尾駅 - 和倉温泉駅間 (5.1km) は、のと鉄道を第二種鉄道事業者とし、特急列車はJR西日本が、普通列車はのと鉄道が運行しています。なお、和倉温泉駅以北ののと鉄道七尾線はJR西日本が第三種鉄道事業者、のと鉄道が第二種鉄道事業者である。また、七尾駅 - 七尾港駅間の貨物支線も存在したが、民営化前に廃止されています。

津幡駅で北陸本線と接続していますか、宝達駅付近で天井川をくぐるトンネルの絶縁の問題などを考慮し、交流電化の北陸本線とは異なる直流電化とされ、北陸本線との接続地点付近にデッドセクションが設けられました。よって全列車が交直流電車で運転されています。

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2008年9月に金沢駅で撮影した七尾線の車輌ですが、415系800番台を名乗っていますが、新製ではなく、もともと網干区、日根野区にいた113系に北近畿などに使用されていた485系を直流専用の183系に改造するにあたって捻出された交直両用機器を搭載して415系に改造したものですね。

2014年度の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間の開業により、並行在来線区間にあたる北陸本線金沢駅 - 直江津駅間は経営分離されることが確定していますが、並行在来線にあたらない七尾線は経営分離の対象とはならず、新幹線開業後も引き続きJR西日本が運営することになっているそうです。

一方、富山では高山線で活躍していたと思われるキハ25やキハ48といった気動車を撮影しておりました。

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富山駅で撮影したキハ120-350による高山本線の気動車 2011/5/29

現在の高山本線ではキハ120形がメインに活躍しております。

<キハ120形>について

JR西日本の地方交通線向け標準型気動車として、1991年に製造が開始され形式です。

ローカル線区で運用されていたキハ20系・キハ35系・キハ45系などの老朽化対策(置換え)や、線区の活性化を図るため地方交通線を中心に投入した気動車です。代替対象となったキハ58系などに対し、基本設計が新しいため省力化や投入線区のスピードアップなどに寄与した反面、キハ120形自体が従来車より小型車体である上に編成両数が削減されたため、着席率の低下や混雑率の上昇を招きました。

新潟鐵工所の地方鉄道向け車両「NDCシリーズ」を元にしており、200番台とほぼ同形式の松浦鉄道MR-100形をモデルに開発され、新潟鐵工所およびJR西日本の後藤車両所(現在の後藤総合車両所)で製造されました。ワンマン運転にも対応しています。

1次車として製造された200番台のみが車体幅 2,700 mm の普通鋼製車体で、のちに製造された0番台・300番台が車体幅 2,800 mm のステンレス製車体(車体前面は普通鋼製)です。全長 16.3 m の両運転台の車両で、出入り口は片側2か所にバス用の2枚折り戸が採用されています。このほか、冷房装置にはバス用の汎用品を使用しています。新潟鐵工所のほか、自社の後藤総合車両所でもライセンス生産されました。

エンジンはコマツ製SA6D125-H1形を搭載しているが、200番台は250PS/2,000rpm、0番台・300番台は330PS/2,000rpmとなっています。

変速機は直結2段式で、運転台の主幹制御器は横軸式とされたが、操作部自体は従来車両と同一品が採用されています。国鉄キハ32形気動車に類似しています。0番台の主幹制御器は221系電車に準じた前後操作式とされましたが、ブレーキハンドルは200番台と同一の着脱可能な構造です。

富山地域鉄道部富山運転センターに300番台14両が配置されています。

(以上、Wikipediaの記事を参考にしました)。

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