2021年1月29日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 81  横須賀色の電車達 その6 千葉ローカルで活躍した113系

横須賀色の電車シリーズ、今回は房総西線(内房線)、房総東線(外房線)、総武本線、成田線、東金線、鹿島線等で活躍していた113系について触れます。

58-7403 1974/3 錦糸町 新宿や両国から銚子、館山、安房鴨川に運行されていた気動車急行

私が小学生の頃の1960年代半ばまでは房総各線は非電化で東京から岩井まで夏休みの家族旅行で出かけたときは新宿をキハ28の急行で出発、房総西線にはキハ35が走っていたのを記憶しています。通勤電車スタイルではありながら、外吊り式の側扉が印象的でした。

長らく、千葉県内の国鉄路線は非電化で蒸気機関車牽引列車が遅くまで残り、蒸気王国、さらにディーゼル王国と呼ばれました。各線は以下のように電化されました。鹿島線は1970年8月20日の開業時から電化されていました。

1968年3月28日 総武本線:千葉~佐倉間 成田線:佐倉~成田間
1968年7月13日 内房線;千葉~木更津
1969年7月11日 内房線:木更津~千倉
1971年7月1日  内房線:千倉~安房鴨川
1972年7月15日 外房線:蘇我~安房鴨川
1973年9月28日 成田~我孫子間電化、東金線全線電化
1974年10月26日 総武本線:佐倉~銚子 成田線:成田~松岸間

73_20210128183601 撮影年代不詳 千葉駅 安房鴨川行きの外房線電車

電化されてもいきなり新車が投入されるわけではなく、首都圏等から置き換えで回ってきた72系電車が走っていました。当時の千葉駅の様子は、「二邑亭駄菓子のよろず話」改め■■ 道楽者の部屋 ■■>蔵出し鉄道写真館>千葉駅  (1973年10月)で見ることが出来ます。

そして千葉鉄道管理局内で唯一の電車区は津田沼区でした。同じ千葉県でも常磐線の松戸電車区は東京北鉄道管理局管内でした。72系は1977年まで配置され、113系は1969年に千倉電化で42両(番号は上述のように1001,1301から7編成)が新製配置、1972年7月5日の幕張電車区の開設後も千葉ローカル用車両の配置が続き、1986年に全車、幕張に転出となりました。

1979_20210128192001
1979年 津田沼電車区 113系編成表 

111・113系の車歴データから1969年に同区に配置された車両を見ると、クハ111-1001~1007、モハユニット113/112-1001~1014、クハ111-1301~1307が新製配置されていることが分かりますが、同区に残っているのは薄青の車両のみで、他の4編成は幕張区の151~154編成となっていることが分かります。

113系1000番台は横須賀線~総武快速線直通運用を見越した長い地下線運転を考慮し、不燃化基準を徹底した車両で
1)車内各部に不燃若しくは、難燃材料を用いる。
2)主回路抵抗器周辺には配線を行わず、電線管若しくは密閉ダクト配線とする。等の設計変更がなされました。

113-000000-edit  
撮影年代不詳 千葉 外房線ローカル6連

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2020年12月16日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 58 湯田中駅あれこれ

東急8500系の話題で大分、横道にそれましたが、再び2018年晩夏の信州旅行の話題に戻ります。

Dsc05854 2018/9/1 湯田中駅ホームに繋がる改札口

Dsc05856 駅舎

信州中野駅から長野線の普通列車に乗車、終点の湯田中までやって来ました。当駅は1927年4月28日の開業ですが、これまでに何度か出てきましたが、信州中野から当駅までの区間は線名が何度も変わっており、開業当初は平穏線(平穏はこの地域の字の名前1927年8月27日からは山の内線(山の内は町名)、2002年9月18日からは長野線の駅となっています。

Dsc05857 周辺案内図 周辺に湯田中、安代(あんだい)、渋、沓野、上林、地獄谷、角間、星川、穂波、新湯田中と多くの温泉があり、志賀高原、北志賀高原が存在する山ノ内町

Dsc05863 駅の北側、湯田中温泉街の入口

駅名が示すように湯田中温泉の最寄り駅であり、志賀高原への玄関口の役割も持つ駅で、1990年代には志賀高原駅と言う駅名に改称する動きもありましたが、地元の温泉組合の猛反対で白紙撤回されました。
Dsc05858 旧1番線、右手に対して線路を付け替えて現在のホームが新設されました。

Dsc05861 旧駅舎を改装して湯田中駅前温泉 楓の湯に

かつて2006年8月末までは2面2線式の相対式ホームで、旧1番線に隣接した旧駅舎は「湯田中駅前温泉 楓の湯」という日帰り入浴施設となっています。湯田中駅は40‰の勾配を登りきった所にあるため、信州中野方面にホームを延長することが出来ず、2面2線式の頃は3両編成以上の列車が入線する際は駅の奥の延長線(200m)まで行き、そこでスイッチバックしてホームに入線していたそうです。

1000系(元小田急ロマンスカーHiSE)が営業運転を開始すると、同系の場合、運転席間の移動に時間がかかることから、湯田中駅でのスイッチバック方式の入線は廃止されることになりました。

平穏線は1.8km先の渋温泉付近の渋安代まで建設される計画でした(1920年7月26日の地方鉄道敷設免許申請)が未着工で1931年7月14日、免許失効、戦後の1949年5月10日、再び同区間(1.3km)の延伸免許が交付されますが1958年5月13日に失効しています。

かつては湯田中駅まで国鉄列車が乗り入れており、最初の乗り入れは1937年1月2日の長野駅経由でした。同年7月17日には屋代駅経由の列車も乗り入れました。国鉄からの乗り入れも1982年11月15日のダイヤ改正(東北新幹線本格稼働・上越新幹線開業)で上野発着の急行「志賀」の廃止で終了となりました。

因みに急行 志賀号は1962年3月1日からキハ57系で運転、1963年10月には碓氷峠の電化などで165系となり、1日2往復に、1968年10月には169系化され、愛称は「信州」に、1969年には再び「志賀」に戻され、1978年1往復が季節列車化、1982年11月の改正で廃止となりました。志賀号の貴重な写真はこちらのサイトに。

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2020年5月18日 (月)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 10 津山まなびの鉄道館 展示車両 11 キハ28 2329

津山まなびの鉄道館の展示車両、今回は前回のキハ58の1エンジン版、キハ28です。

Dsc02304 2019/8/3 津山まなびの鉄道館

Dsc02305
キハ58形が
1961年5月~1963年2月製造、0番台 1~312
1962年2月~1963年3月製造、修学旅行用800番台 801~819
1963年4月~1967年6月製造、長大編成対応400番台 401~799、1000~1052 (細かく見ると793までと794以降でマイナーチェンジ)
1968年2月~12月製造、モデルチェンジ版寒地向け1500番台 1501~1534
1968年5月~1969年1月製造、同暖地向け 1100番台 1101~1143

と番台区分されたのに対し、
キハ28形では
1961年5月~1963年2月製造、0番台 1~203
1962年2月~1963年3月製造、修学旅行用800番台 800番台 801~813
1963年9月~1967年5月製造、長大編成対応300番台 485までと486以降でマイナーチェンジ 301~494
1968年3月、モデルチェンジ版寒地向け500番台 501~504
1968年3月~4月製造、中央本線急行「アルプス」「ちくま」組み込みキロ58の冷房化のため 1505~1510
1968年5月~12月製造、同暖地向け 1001~1024

と量産両数の違いから400番台が300番台に、300番台は量産されても500を越えず、以降の枝番の数もキハ58に較べると少ないままでした。

28-021221 2002/12/21 岡山 キハ47形と併結されて津山線列車として活躍する姿

キハ28 2329は329として1964年2月10日に帝国車輌で落成、新製配置は広島局でした。1969年5月19日、幡生工場にて冷房改造されました。このときの冷房改造は屋根上にAU13冷房装置を7台搭載し、押し込み式通風機を屋根肩部に6基千鳥配置で取付、床下に4VK機関(90PS/3000rpm)と発電装置DM83(70kVA)を搭載、冷房用配電盤SB205を妻面に取付、車番は原番号に2000をプラスするものでした。
最終配置は岡山区で2010年12月15日に廃車となりました。

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2020年5月15日 (金)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 10 津山まなびの鉄道館 展示車両 10 キハ58 563

津山まなびの鉄道館の展示車両、気動車編、今回は急行形気動車として1961年に登場、1980年代まで日本全国、幹線、ローカル線に多層建て急行として活躍したキハ58系キハ58 563です。

Dsc02297

2019/8/3 津山まなびの鉄道館

Dsc02298
同車は車内への立ち入りも可能です。

Dsc02423 運転室上部

Dsc02302 運転席

Dsc02420 車内からデッキ

Dsc02300 車内

キハ58系という系列名は国鉄制式ではなく、しかも広義に、北海道用のキハ56系、碓氷峠通過仕様のキハ57系を含む場合と狭義に
キロ28形
キロ58形
キハ28形
キハ58形
キユ25形 の5形式を示す場合があります。
津山まなびの鉄道館にはキハ28形も保存されているので本記事ではキハ58形のみについて触れます。

58-7210-021221 2002/12/21 岡山 キハ58 7210他3連 丹後、砂丘用のアコモ改造車 種車は668

キハ58系登場前の準急列車用気動車は1956年から1960年にかけ486両が製造されたキハ55系(キハ55形(キハ44800形)・キハ26形・キロハ25形・キロ25形および派生形式のキユニ26形・キニ26形・キニ56形)でしたが、三等車には独立の洗面所が無いこと、二等車はリクライニングしない回転クロスシートである等、急行列車として接客設備面で従来からの客車に較べ見劣りする欠点がありました。

そこでキハ55系と同等の走行性能を持ち、急行列車として十分な設備を持った気動車としてキハ58系が開発されました。キハ56系、キハ57系、キハ58系の3系列の製造両数は1823両で我が国のディーゼルカーとしては最大で、一時は国鉄在籍気動車総数の3割を占めた時期もありました。

キハ58形は1961年から1963年にかけ基本番台(0番台)が312両製造されました。製造当初は非冷房でしたが、1970年度まで冷房改造工事がなされました。キハ58形は2エンジン装備で床下に冷房用電源を装備するスペースが無いため、隣に連結されたキロから給電する方式とされました。

58-800-760102 1976/1/2 郡山 修学旅行用 800番台

続いて登場した枝番は800番台、修学旅行用で155系、159系と同じように各ボックスに固定式長テーブル、休養席、大型の洗面台が装備されました。801~819の19両が製造されました。

気動車急行が拡大し、多層立て列車が多くなり、編成が長大化することでジャンパ連結器の電圧降下(24VDC電源)やブレーキ作動時間の遅れが問題となりはじめたため、最大15両編成(23機関)の列車を想定した長大編成対応車両が製造されることとなり、キハ58は400番台として
401~799、1000~1052が1963年4月から登場しました。保存車の563はこのグループの一員です。
401~793 1963年4月から1966年5月までに製造されたグループで車体は0番台に準じ、側出入り口扉下部に丸窓が設けられました.ジャンパ連結器KE67x1が新設されました。
794~799、1000~1052 1966年9月から1967年6月にかけて製造されたグループで便所の室内灯が蛍光灯化され、便所側窓が長方形になりました。

58-1504-030126-3 2003/1/26 盛岡 キハ58 1504

最後に登場した枝番が冷房準備対応で全面パノラミックウインドウ装備の寒地向け1500番台(1501~1534)が1968年2月から、暖地向け1100番台(1101~1143)が1968年5月から登場しました。前頭部のスタイルはキハ45系近郊形気動車に準じた視認性の向上から開発当初、予算の関係から見送られていた曲面ガラスが設置され、印象が大きく変化し、助手席乗務員室側窓が廃止され、前面スカート、雪かき器が取り付けられ、前面が強化され、運転台機器配置も見直されました。

563は1964年10月7日、新潟鐵工で落成、新製配置は宮原区でした。1970年、高砂工場で冷房改造施工、JR西日本に継承され、最終配置は岡山区、2010年12月15日付けで廃車となっています。

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2019年8月 4日 (日)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 二日目

2日目は、朝9時にオープンする「津山まなびの鉄道館」の見学と因美線・智頭経由で郡家(こおげ)まで行き、若桜鉄道を訪問することです。

Dsc02438
2019/8/3 津山駅前

前回、津山を訪問した2013年には無かった駅前のC1180号機を見学します。2017年8月までは津山市南小学校に保存されていたそうです。実に美しく整備されています。

Dsc02352

2019/8/3 転車台上にはDD13 638号機が乗っていました。ここに乗る車体は1ヶ月ごとに替わるそうです。

Dsc02428
キハ58 563は少し前に引っ張り出されており、車内も見学可能でした。手前の動輪はC5768号機のもの

Dsc02368
DD16304のラッセルヘッドは片側だけが付属しており、扇形庫の外側から見学することが出来ました。

駅には「津山まなびの鉄道館」までの道順が示されており、徒歩約10分とのこと、オープン前に到着しましたが、既に待っておられる方が数名いました。扇形庫は1936年製で梅小路に次ぐ日本で2番目の大きさの庫だそうです。2009年には転車台とともに経済産業省の「機械遺産」に登録され、2018年にはJR西日本の鉄道記念物とされました。2016年京都鉄道博物館がオープンした際、大阪弁天町の交通科学博物館に保存されていて京都鉄道博物館に収蔵されなかったD512号機、DF5018号機のほか、試作機1両のDE50、DD51, DD13, DD15, DD16などのDL, キハ181、キハ58、キハ52、キハ28、そして異色のオハ50形にエンジンを搭載したキハ33, 10t貨車移動機等13両が収蔵されています。

Dsc02481
2019/8/3 智頭 キハ120-343 因美線 津山~智頭間

駅に戻り、1135発の因美線智頭行きに乗車、1時間程で智頭に付きますが因美線はこの区間山越えでキハ120形25km速度制限区間をゆっくり進むのが印象的でした。

Dsc02492
2019/8/3 智頭 HOT3501 智頭~鳥取間 上郡~智頭間の智頭急行の車両が山陰線まで乗り入れています。

智頭からは智頭急行HOT3500形鳥取行きで郡家に向かいますが、郡家で降りて若桜鉄道を待つと1時間ほどあるので、そのまま鳥取まで乗車しました。

Dsc02513

Dsc02532
2019/8/3 鳥取 キハ126 何種類かのラッピングがあるようですが、15+1015は漫画家青山剛昌が北栄町出身とのことで名探偵コナンのラッピング(青と赤基調)となっています・

鳥取駅は高架駅ですが、自動改札は導入されておらず、女性の駅員さんが列車のアナウンス、改札をしておられました。
30分の滞在で駅弁を購入、列車の写真等を撮影後、郡家に戻ります。今度はJRキハ47形2連でした。郡家で若桜鉄道の切符を購入する際に往復を買おうとしたら、1日自由乗車券の方が100円安い(¥430x2に対して¥760)とのことでそちらを購入。10分ほどで若桜行きの列車が到着、この列車も鳥取方面からやって来ました。

Dsc025842019/8/3 若桜 隼駅がスズキ製大型バイクの聖地とされていることからWT3301はバイクのラッピングに

Dsc02596

Dsc02592
若桜鉄道に乗車するのは初めてですが、隼駅ではライダーの集会があり、安部駅は映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」(1991年12月21日公開)のロケ地、そして終点若桜駅には12形客車、DD16 7号機, C12167号機などが保存されていました。

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2017年8月31日 (木)

小湊鉄道キハ5800形公開イベント その1 五井まで

8月26日の東京総合車両センター公開に続き、8月27日日曜日は青春18切符、最後の1枚を使って、市原市五井まで足を伸ばし、小湊鉄道のイベント、「キハ5800形気動車公開」に行ってまいりました。

以前、木更津まで出かけた際に五井で小湊鉄道の気動車を撮影したことはありましたが、小湊鉄道のイベント参加や乗車のための五井訪問は初めてでした。

E257500_nb12_170827
170827 2017/8/27 錦糸町

行きの行程。錦糸町での乗り換えの際に「新宿さざなみ1号」といった特急も見かけました。愛称に「新宿」と着く房総特急は同3号の他、「新宿わかしお」もあるようですね。

かつて千葉方面各線へのDC急行は新宿や両国発だったなとふと思い出し、

58_7403 1974/3 錦糸町

183 撮影年月日不詳 錦糸町

かつて錦糸町駅で撮影した列車を思い出してしまいました。
錦糸町から内房線君津行き快速で48分で五井に到着。

Dsc08188 五井駅はJR改札の中に小湊鉄道の改札があり、3,4番線がホームとなっています。今日はこちらへは向かわず、

Dsc08186
JRの改札口を出て、山側に向かいます。

170827_2
跨線橋からは小湊鉄道五井機関区の全景を見ることができます。左から2両目の庫の中にいる車両が本日公開されるキハ5800です。

170827_3
五井駅東口、かなり時代を感じさせる佇まいです。

170827_4
この案内に従って進むと既にかなりの長い列が

170827_5
170827_6
列は2段構成になっており、最初に記帳の列にならび、名前、住所、人数、このイベントを如何にして知ったかに答えて、入場券購入の列に並びます。

Photo
入場券は2つの図柄の硬券があり、2枚とも購入し、入場しました。
続きは明日の記事にて。

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2013年11月15日 (金)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その2 1982年11月の改正から2001年3月の廃止まで

このシリーズ、前回に続き特急「白鳥」の歴史です。今回は1982年のダイヤ改正以降です。

1982年11月15日:ダイヤ改正により金沢 - 青森間の急行「しらゆき」を発展的解消させ福井 - 青森間で1往復を増発。「白鳥」は計2往復となりました。急行「しらゆき」は2013年7月19日の特急「いなほ」の記事でも触れましたが、1963年4月20日に運行を開始した金沢~秋田・青森(上り)間の急行でした。DC急行のメリットを生かした多層建て列車で金沢~糸魚川間は「白馬2号」を併結し、秋田~青森間は「きたかみ1号」を併結していました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

58_800503
急行「しらゆき」に併結されていた急行「白馬」 1980/5/3 松本

1984年11月1日:大阪発着の2・3号に連結されていた食堂車の営業が休止となりました。

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534938新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

1985年3月14日:ダイヤ改正で福井 - 青森間「白鳥」1・4号を「北越」・「いなほ」の2列車に系統分割。再び1往復となりました。

485_481100_850421_2
1985年3月の改正で再登場となったボンネットクハの「白鳥」 1985/4/21 大阪

485_481300_850503
300番台クハの特急「白鳥」も撮影していました。 1985/5/3 鶴形~東能代

残存した大阪 - 青森間列車の食堂車連結を中止。車両運用を向日町運転所に移管しました。このときの改正で大ムコに配置されていたクハ481-100が特急「白鳥」の先頭に立つことになりました。日本海循環線電化当時、盛アオにクハ481-100が僅かの期間配置され、特急「白鳥」の先頭に立ったこともあったようですが、今回はその再現となりました。

向日町

TcM'MTsTsoM'MM'MTc×9 所要6 Tso:500番台
雷鳥(7)、アルペン(臨時1)
 休
 向日町‥大阪7051058富山12551652大阪18352134金沢‥森本
 森本‥金沢8121117大阪14051758富山2310505大阪
 富山8251222大阪14351741金沢18422152大阪‥野洲
 野洲‥大阪13301641金沢17422047大阪‥向日町
 向日町‥大阪12051601富山17252122大阪‥宮原/大阪2337520富山
 宮原‥大阪8051104金沢12421552大阪‥向日町

TcM'MTsTM'MM'MTc×16 所要13(臨時+2)
雷鳥(11)(臨時+2.5)、白鳥(1)、北越(1)
 休
 向日町‥大阪11351845新潟
 新潟9051612大阪18052158富山
 富山9251322大阪15052209新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟8141522大阪17052058富山
 富山524922大阪11051411金沢16121922大阪‥向日町
 向日町‥大阪10302351青森
 青森4501812大阪‥向日町
 向日町‥大阪10051311金沢14421752大阪19052301富山
 富山10251422大阪16051959富山
 富山6491052大阪13051658富山18252222大阪‥宮原
 宮原‥大阪9051300富山14551852大阪‥向日町
 向日町‥大阪7351438新潟16102011金沢‥南福井
 南福井‥金沢7351142新潟13152022大阪‥向日町
 金沢6501031大阪16302032富山
 富山953-金沢10421352大阪15251848金沢19462305大阪

Ts×7 Td×14 T×2

Ed75_718_850804
東能代駅 朝6:30 日本海縦貫線昼の女王と夜の女王の行き違い 1985/8/4

それまでHMが無かったED75にもHMが復活してまさに千両役者のツーショットになりました。

1986年11月1日:ダイヤ改正で日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、車両配置を上沼垂運転区に移管。

←大阪、青森
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+2)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)(臨時+1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9041556大阪‥宮原
 宮原‥大阪10402340青森
 青森4501801大阪‥宮原
 宮原‥大阪7501437新潟17002045金沢
 金沢7441142新潟13152005大阪‥向日町
 向日町‥大阪11501844新潟‥上沼垂
 新潟11191402酒田15031742新潟
 上沼垂‥長岡8411128金沢16331742長岡‥上沼垂

485_481100_870504
編成は9両、G車も1両となりましたが、依然として昼の女王の風格は保っていた特急「白鳥」 1987/5/4 鶴形~東能代

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北海道運用には不的確の烙印を押されて盛アオに戻った485系1500番台でしたが、本州内の特急で活躍するする姿は今でも話題性十分ですね。 1987/2/24 大阪

民営化後に上沼垂所属車は指定席車のシート交換とピッチ拡大・自由席車を簡易リクライニングシートに統一などのグレードアップ改造と塗色変更などを施工。JR東日本の所属になった特急「白鳥」で、唯一沼垂色となったボンネット車はクハ481-102で、そのクハが特急「白鳥」の先頭に立つシーンも実現しました。

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沼垂色となったクハ481-102を先頭にした特急「白鳥」 1992/3/14

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今では過去帳に入ってしまった200番台クハを最後尾に繋げた特急「白鳥」 1992/3/14 大阪

1988年3月13日:青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で「白鳥」の対北海道接続が従来の青函連絡船から青森 - 札幌間の夜行急行「はまなす」に変更。

←大阪、青森、酒田
TcM'MTsM'MM'MTc×8 所要6(臨時+1)
白鳥(1)、雷鳥(2)、北越(1)、いなほ(臨時1)
 休
 上沼垂‥新潟9011538大阪‥宮原
 宮原‥大阪9552251青森
 青森5521844大阪‥宮原
 宮原‥大阪7551438新潟16562040金沢
 金沢7531143新潟15052149大阪‥向日町
 向日町‥大阪11251759新潟‥上沼垂
 新潟11581423酒田14501724新潟

1997年3月:車両配置を京都総合運転所に移管。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要6(臨時+3)
雷鳥(6)(臨時+3)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪11121358金沢15151808大阪20102339富山
 富山8361205大阪14421809富山19162247大阪‥宮原
 宮原‥大阪7421107富山12071536大阪18122106金沢
 金沢614906大阪13121558金沢16451938大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122247青森
 青森6111835大阪‥向日町
 大阪9181252富山14171741大阪
 大阪11551449金沢17452039大阪
 大阪14121659金沢19112209大阪

1999年:秋田 - 青森間の車内販売営業が廃止される。

←大阪
TcM'MTsM'MM'MTc×9 所要7(臨時+1)
雷鳥(6)(臨時+1.5)、白鳥(1)
 休
 向日町‥大阪9121159金沢14151706大阪20102300金沢
 金沢8141107大阪17122001金沢
 金沢642940大阪13121559金沢17142003大阪‥向日町
 金沢614905大阪11121358金沢15151806大阪‥向日町
 向日町‥大阪10122259青森
 青森6111906大阪‥向日町
 向日町‥大阪16571948金沢/大阪18482144金沢
 大阪9501316富山14181742大阪

M'M×1

2001年3月3日:ダイヤ改正で日本海縦貫線の昼行列車運転系統を新潟で分離することになり「白鳥」を廃止。以下の運転区間に分割。

大阪 - 金沢・富山間:「雷鳥」「サンダーバード」
金沢 - 新潟間:「北越」
新潟 - 青森間:「いなほ」

因みに1974年当時の特急「白鳥」と現在の同区間の特急のダイヤを比較してみるともちろんスピードアップの効果は出ていますが、スジは良く保存されていることが分かります。

   1974.12時刻表から     現在のダイヤ
     4001M                4013M
            サンダーバード13
大阪   1010            1012
京都      1041                 1040
敦賀      1201                 1134 1055M
福井      1236                 1209  北越5
金沢      1332                 1257  1337
富山      1416                       1416
直江津    1543                       1533  2009M
長岡      1637                       1627  いなほ9
新潟      1725                       1720 1729
酒田      1951                             1944
秋田      2117
東能代    2210
弘前      2320
青森      2350

           4002M

青森       450
弘前       520
東能代     631               2006M
秋田       716              いなほ6   1056M
酒田       852                854     北越6
新潟      1116               1101     1302
長岡      1203                        1356
直江津    1302                        1447  4032M
富山      1425                        1603  サンダーバード32
金沢      1513                        1641 1519
福井      1607                              1607
敦賀      1642                              1642
京都      1811                              1741
大阪      1845                              1809

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2013年11月 3日 (日)

日本海縦貫線の昼の女王 特急「白鳥」 その1 登場から1982年11月の改正まで

今回からは、1961年10月1日から、2001年3月2日まで、大阪~青森間1052.9kmを走り、日本海縦貫線の昼の女王といわれた特急「白鳥」について触れようと思います。

485_481300_751103

485_481200_751103
柏崎付近を行く 4002M 特急「白鳥」 1975/11/3

ついこの前のような感じがしますが、かれこれ38年前の写真になるのですね。青森・大阪寄りの先頭車が300番台クハ、新潟寄りの先頭車が200番台クハでした。
当時のダイヤでは柏崎は通過で、長岡12:03、直江津13:00でした。青森発4:50、大阪着18:45でしたから行程の半分を超えたあたりですね。

私自身の特急「白鳥」との最初の出会いは、このblogの2012年10月25日の記事で記述した北海道向けの485系1500番台がならし運転のために投入された1974年秋のことでした。1972年8月5日の日本海縦貫線の全線電化で、同年10月から485系特急化されて2年経過した頃のことですが、いつもの通り、その登場以前からの歴史を追ってみましょう。

日本海縦貫線が全通したのは、1924年7月31日に羽越本線の村上駅 - 鼠ヶ関駅間が開業した時です。開業と同時に、早速神戸駅 - 富山駅間の急行列車を延長して神戸駅 - 青森駅間を結ぶ急行列車が設定されました。全区間が急行列車化されたのは、1926年8月15日でした。

1929年9月15日、運転区間が大阪~青森に変更となりますが、戦局の悪化により、1943年2月1日には廃止されました。

1947年7月5日、大阪~青森間で急行列車の運転が再開され、同列車は1950年11月8日日本海」と命名されました。1961年2月9日には羽越本線を走行中に崩れた土砂に乗り上げ牽引機C571号機が大破する事故などもありましたが、同列車は1968年10月1日の改正で、急行「きたぐに」と20系寝台特急「日本海」に発展しました。

一方、1961年10月1日のダイヤ改正では、キハ82系気動車を利用した特急「白鳥」が大阪~青森、大阪~上野間にデビューしました。前者を青森白鳥、後者を信越白鳥と国鉄内部では区別していたようです。

青森白鳥 青森行き2001D/大阪行き2002D
信越白鳥 上野行き4002D/大阪行き4003D 信越本線経由

青森白鳥の受け持ちは大ムコ

←長崎、宮崎、松江、青森
DcDsDdDDDc×13 所要10
白鳥(1)、かもめ(1×2)、みどり(1)、へいわ(1)、まつかぜ(1)
 大阪18002240広島
 広島7301210大阪13402235博多
 博多7251620大阪
 京都8002005長崎
 長崎9502200京都
 京都8002200宮崎
 宮崎8002200京都
 大阪8052350青森
 青森5202112大阪
 京都7301405松江15002135京都

キハ82形 8, 9,18,19,20, 21,22,23,26,27,28,29,30,31,32, 33,34,35,36,37, 38,39,40,41,42, 43  以上26両
キハ80形 15,16,22,23,24, 27,32,33,36,37,38,39,40,41,42, 43,44,45,46,47
48,49,50,51,52, 53   以上26両
キロ80形 9,11,13,14,19, 20,21,22,23,24, 25,26,27 以上13両
キシ80形 6, 7, 8, 9,13, 14,15,16,17,18,19,20,21   以上13両

信越白鳥の受け持ちは北オク

DcDsDdDDDc×5 所要4
つばさ(1)、白鳥(1)
 上野12302100秋田
 秋田8101640上野
 上野8502112大阪
 大阪8052035上野

Dc×2 Dc×1 D×5 Ds×2 Td×1 Dd×1

キハ82形 1, 2, 3, 4, 5,10,11,14,15,24,25 以上11両
キハ80形 13,14,17,18,19,20,21,30, 31,34,35  以上11両
キロ80形 7, 8,10,12,16,18 以上 6両
キシ80形 2, 3, 4, 5,11,12 以上6両 
(特急「はつかり」用の車輌分は除く)

青森では青函連絡船深夜便(1/2便)を介して、北海道内の特急「おおぞら」(1D/2D)と接続するダイヤでした。

1963年6月1日の改正を前に尾久から
キハ82形 1, 2, 3, 4, 5
キハ80形  13, 14, 17, 18, 19
キロ80形 7, 8
キシ80形  2, 3

が大ムコに転属し、信越白鳥の担当も大ムコになりました。

この間に大ムコのキハ80系は1962年7月から9月にかけて一部、函ハコへの転出があったものの、続々と新製配置があり、1964年10月の時点ではキハ82形37両、キハ80形54両、キロ80形19両、キシ80形16両の体制となっていました。

←長崎、宮崎、青森
DcDsDdDDDDc×12 所要10
白鳥(1×2)、かもめ(1×2)、みどり(1)
 大阪8152020上野
 上野9052107大阪
 大阪8152347青森
 青森5202107大阪
 京都8002008長崎
 長崎9502200京都
 京都8002201宮崎
 宮崎8002200京都
 新大阪10302135熊本
 熊本8301935新大阪

DcDsDDDDc×2 所要2
みどり(付属1)
 新大阪10302110大分
 大分9101935新大阪

DcDsDdDDDc×3 所要2
まつかぜ(1)
 京都7302055博多
 博多8202140京都

DDDc×2 所要1
まつかぜ(付属1)
 京都7301333米子15342140京都

Dc×1 D×2 Ds×2 Dd×1

関西を中心に北は青森から南は熊本まで広域運用であったことが分かります。

1965年10月1日のダイヤ改正では信越白鳥は「はくたか」と名前を変え、独立しました。これ以降の「はくたか」の歴史は2013年1月26日の記事に記載しました。

←上野、金沢
DcDsDdDDDDc×2 所要2
はくたか(1)
 金沢13002100上野
 上野7401530金沢

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1965年6月から10月にかけて、キハ82-1, 2, 3, 4, 5, 8、キハ80-13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 22、キロ80-7, 8, 9、キシ80-2, 3, 6が金サワに転出しました。この時が金沢運転所初のキハ80系の配置となり、「はくたか」、臨時「雷鳥」(1967年1月から)、「ひだ」(1968年10月から)を受け持ちますが、1969年10月には「はくたか」が電車化され、1975年3月には「ひだ」は名古屋移管となり、同所のキハ80系配置の歴史は幕を閉じました。

一方、大ムコの運用は白鳥の基本編成は独立運用となり、付属編成は特急「まつかぜ」と共通運用となりました。

DcDsDsDdDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

DDDDc×6 所要5
まつかぜ(付属1)、白鳥(付属1×2)
 京都7301334米子15362150京都
 大阪8001640新潟
 新潟11452040大阪
 大阪8002335青森
 青森4402040大阪

1970年3月1日の大阪万国博覧会に対応した改正では、基本編成はこの改正から登場した特急「やくも」(新大阪~浜田)と共通運用化され、付属編成は独立と「やくも」と共通に分けられました。

DcDsDsDdDDDc×5 所要4
白鳥(1)、やくも(1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪

DDc×4 所要4
白鳥(付属1)、やくも(付属1)
 大阪8402340青森
 青森4552003大阪
 新大阪12002022浜田
 浜田8201633新大阪

山陽新幹線岡山開業の1972年3月15日の改正が気動車特急「白鳥」としての最後の改正となりましたが、

←長崎、宮崎、新潟
DcDsDdDDDDc×7 所要6(臨時+1)
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(臨時1)
 京都7301912長崎
 長崎10302225京都
 大阪7252109西鹿児島
 西鹿児島9052243大阪
 京都7202050博多
 博多8152150京都
 京都8261226鳥取15321934京都

DcDsDDDDc×7 所要7
かもめ(付属1)、日向(1)、まつかぜ(1,付属1)、はまかぜ(2)
 京都7301848佐世保
 佐世保10502225京都
 大阪7252042宮崎
 宮崎9302243大阪
 京都7201210鳥取12461704大阪18002217鳥取
 鳥取6301044大阪12101624鳥取16552150京都
 新大阪9251417倉吉14421940新大阪

DcDsDsDdDDDc×3 所要2
白鳥(1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

DcD×3 所要2
白鳥(付属1)
 大阪9102350青森
 青森4551930大阪

D×1 Ds×1 Dd×1

この時刻を1965年時点の時刻と比較すると、青森側の時刻は青函連絡船の接続等の関係でほぼ固定されているのに対して、大阪側の時刻はスピードアップの効果が出ているのが分かります。

485_481200_791223
大阪駅11番線に入線する200番台クハの4001M 特急「白鳥」 1979/12/23 
当時のダイヤでは白鳥は青函連絡が考慮されていたため、大阪発は10:20と比較的遅めの出発でした。1978年のダイヤ改正前後から愛称幕は絵入りに。

かくして、特急「白鳥」は1972年10月2日の改正で1961年以来の気動車特急から電車特急に生まれ変わる訳ですが、サンロクトウの改正で日本全国にデビューしたキハ82系特急のうち、この時点で電車化されていたのは1年弱で「つばめ」に置き換えられた「へいわ」(大阪~広島)、1967年10月の改正で581系電車化された「みどり」(大阪~博多)、1965年10月改正483系電車化された「ひばり」(上野~仙台)でした。

1972年10月2日の日本海縦貫線電化完成によるダイヤ改正で、特急「白鳥」は盛アオ所属の485系が担当することになりました。

←上野、新潟
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc×2 所要2
白鳥(1)
 青森4501848大阪‥向日町
 向日町‥大阪10102350青森

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

「白鳥」の編成はグリーン車2両組み込みの関係から他の東北特急とは区別された編成となっておりました。なお、「いなほ」の運用が東北特急編成の盛アオとの連絡運用であったことは、2013年7月19日の記事でご紹介した通りです。

1972年5月頃から、盛アオに485系が配置となり、10月の時点では

モハ485形 59,  60,  61,  68,  69,   70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89,   90,  91,  92,  93,  94, 95,  96,  97,  98,  99, 100, 101, 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109,
110, 111, 112, 113, 114, 115, 116

モハ484形 59,  60,  61,  68,  69, 70,  71,  75,  76,  77, 78,  79,  80,  81,  89, 90,  91,  92,  93,  94, 95,  96, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213,
214, 215, 216, 217, 218, 219, 220 (以上42ユニット)

クハ481形 113, 114, 115, 116, 117, 118, 123, 124, 125, 126, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 213, 214, 219, 220 (以上24両)

サロ481形 40,  43,  44,  45,  50, 51,  52,  53,  54,  55, 56,  57,  58 (以上13両)

サシ481形 32, 34, 35, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44 (以上10両)

といった配置となっていました。

485_481300_800805
鶴形~東能代間のカーブをゆく4002M特急「白鳥」 1980/8/5

この中でも興味深いのはボンネット型クハの100番台が配置されていたことですが、クハ481-200番台の新製配置とともに、大ムコに転出して行き、1973年4月の時点ではすべて-200番台になってしまいました。これは当時、東北特急に分割併合の構想があり、貫通型の-200番台を優先して投入したそうですが、結局、先日の485系「くろしおで使用されるまで-200番台の貫通扉は開かずの扉でした。今から思えば、あのままボンネット型クハが残存していたら東北特急のイメージも大きく変わっていたのではと思います。

485_481300
同じく鶴形~東能代間のカーブを行く4002M 特急「白鳥」

その後、1974年4月から6月にかけて、書類上は札幌運転区に配置された485系1500番台が慣らし運転のため、盛アオに貸し出され、「白鳥」編成に投入されました。1500番台はモハユニット(1501~1507)、クハ(1501~1508)のみの小世帯のため、在来の485系と混成の編成を組み、愛称幕もシールを貼っての対応となりました。約1年間のならし運転のあと、1975年3月には北海道に渡りました。

1975年3月10日の新幹線博多開業の改正では前年に開業した湖西線の本格使用が開始され特急「白鳥も山科~近江塩津間が湖西線経由となりました。

1978年10月2日の改正からは、盛アオに485系最後のモデルとなった1000番台が投入されました。と同時に、これまで「白鳥」編成と「はつかり」「いなほ」「やまびこ」「ひばり」編成はグリーン車の連結から区別されて来ましたが、その区別が無くなり、共通運用化されました。また、ヘッドマークがイラストマークに変更されました。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14332101盛岡
 盛岡6401313上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台18282243上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野9331601盛岡
 盛岡9161543上野16332259盛岡
 盛岡8161443上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野6331301盛岡14162043上野‥東大宮
 東大宮‥上野10001415仙台15582013上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森
 休
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台14581913上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1980年10月には1975年夏から北海道で活躍していた485系1500番台が、485系は北海道の冬には対応不可能と判断され、盛アオに転属となりました。

485_4811500_811010
鶴形~東能代間を行くクハ481-1500番台を組み込んだ4002M「白鳥」 1981/10/10

1982年6月23日の改正では東北新幹線の部分開業で、特急「やまびこ」が廃止され、それまで東北路を走っていた車輌が別の活躍の場を求めて、転出して行き、

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要14
白鳥(1)、いなほ(1)、ひばり(5)、はつかり(3)
 休
 青森4531343上野14301845仙台‥岩切
 岩切‥仙台7581219上野13001715仙台
 仙台10581513上野16002015仙台
 仙台8581316上野1530013青森
 青森12552142上野‥東大宮
 東大宮‥上野13332225青森
 青森11202009上野‥東大宮
 東大宮‥上野8001215仙台15582013上野‥尾久
 尾久‥上野8331725青森
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪10182350青森
 青森8071833上野‥尾久
 尾久‥上野9001315仙台17582213上野‥東大宮
 東大宮‥上野10502145青森

M'M×1 Tc×2 Ts×1

1982年11月15日の上越・東北新幹線開業による改正では、特急「白鳥」は急行「しらゆき」の格上げで2往復になりましたが。

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481300_801212
青森から14時間かけて大阪に到着した4002M特急「白鳥」 1980/12/12

ここまで、気動車特急時代の11年間と電車特急時代の10年間についてWikipediaの記事等を参考に纏めました。

今回、奥羽北線を走る特急「白鳥」の写真を何枚かご紹介致しましたが、同じ場所では青森方向に向かう下り寝台特急の「日本海」や昨日、今年度での廃止が発表された「あけぼの」の写真も1970年代後半から1980年代にかけて撮影しておりますので、後日、触れようと思っています。

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2013年7月19日 (金)

1975年 新潟の旅 20 485系特急「いなほ」 その1

振り返れば5月5日から、この新潟シリーズを続けて参りましたが、今回からは今JR東日本で最もHOTな話題と思われる、485系特急「いなほ」について触れようと思います。この秋に装いも新たにしたE653系に置き換えられる485系特急「いなほ」が登場したのは1972年10月2日のダイヤ改正でした。

以前、申しましたが私の上野駅デビューは1972年10月のことで、確か8日だったと思いますが、そのとき初めて鉄道車輌撮影目的でカメラを持って駅へ出かけました。高校2年でした。尤も、その年の夏休みには母の実家があった山口県萩に出かけており、その際に鉄道撮影を行っているので、厳密には10月が初めての鉄道撮影ではないのですが。

1972年10月2日のダイヤ改正といえば、日本海縦貫線、最後まで残った白新線・羽越本線全線の電化が完成し、全線が電化された改正でした。特急「白鳥」が登場以来のキハ82系から485系化され、ヨンサントウで特急「はつかり」を追われ、特急「つばさ」、「いなほ」、「ひたち」で活躍していたキハ81形一族が東北から、和歌山の地に活躍の場を移したのもこの改正でした。キハ81形DC特急「いなほ」には間に合いませんでしたが、485系電車特急「いなほ」の歴史は私の鉄道写真趣味歴とほぼ重なることになります。因みに同改正ではダイヤがパターン化した特急を「エル特急」と呼ぶようになり、東海道新幹線「ひかり」が初めて米原に停車するようになり、北海道では札幌を起点とする初めての特急「オホーツク 」が新設されました。

485_481200_2
上野駅地平ホームで僚友の特急「やまびこ」と並んだ特急「いなほ」

1972年当時485系の顔であるクハ481のスタイルは、ボンネットタイプの0番台、100番台、貫通タイプの200番台、非貫通タイプの300番台と続々と新しい顔が出てきており、それぞれの特急がどの顔で来るかが撮影の興味の的でもありました。

青森運転所(盛アオ)の運用だった特急「いなほ」や「やまびこ」の場合、1972年6月頃から、1973年1月頃までは100番台(ボンネットスタイル)が配置されたものの、短期間で大ムコに転出してしまったため、以降は300番台が新製配置される1975年5月頃までは200番台オンリーの時代が続きました。

485_481200_edit
自動解結装置装着のクハ481-200番台を先頭に大宮に進入する特急「いなほ」 

そういった単調な盛アオの200番台クハの中で異彩を放っていたのが、自動解結装置を装着したクハ481で、203、204,207、208の4両が在籍しました。1972年8月から9月にかけて盛アオに新製配置された車両です。

話はずれてしまいますが、この4両のその後を追ってみると、

1975年9月には特急「つばさ」の電車化で秋田運転所に転属し、
1976年4月485系1000番台が配置されると南福岡電車区(門ミフ)に転属となり、
1985年3月には日根野電車区(天ヒネ)に転属し、特急「くろしお」の運用に就いています。1986年秋には204が福知山運転所へ、それ以外は南福岡に戻っています。204クロハ481-214に改造後、クロハ183-801に再改造され、B41編成の先頭車として「北近畿」で活躍しました。踏切事故の名残で貫通扉は固定されました。
門ミフに戻った3両は2071988年2月に鹿児島に転属、203,2082000年3月に廃車になるまで門ミフで働き続けました。
2071994年7月に大分車両センターに転属、2000年3月に大分で廃車となっています。

私も「ひばり」「やまびこ」「はつかり」さらに九州に転じたあとの「にちりん」「かもめ」で撮影しております。

まずは、特急「いなほ」登場前後の羽越本線を中心とした列車の歴史を見て行こうと思います。

1962年3月10日:新潟駅 - 秋田駅間を運行する準急列車として、「羽越」が運行を開始しました。キハ58系気動車が使用され、蒸気機関車が牽引する急行列車よりも速かったそうです。 この列車が設定される前は、羽越本線を通過する優等列車としては、大阪駅 - 青森駅間を運行する特別急行列車「白鳥」、急行列車「日本海」と、上野駅発着の夜行急行列車「羽黒」がありましたが、羽越本線のみを運行する列車としては初めての設定でした。

1963年4月20日:金沢駅 - 秋田駅間を運行する急行列車「しらゆき」が運行開始。

58_8103
奥羽北線内の前山~二ツ井間を「きたかみ」と併結して南下するキハ58系上り急行「しらゆき」 1981/3 

当時よくあった多層建て急行で下り「しらゆき」の場合は、金沢~糸魚川間は急行「白馬2号」を併結、秋田~青森は急行「きたかみ1号」を併結していました。

1965年10月1日:「羽越」の運行区間を上野駅まで延長し、列車名を「鳥海」に変更しました。

1968年10月1日:「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、新潟駅 - 秋田駅間を運行する急行列車として「羽越」が再び設定されました。ただし、運行時間は新潟駅朝発・夕方着と当時のダイヤ上では空白となっていた時間帯に運行されました。従来「羽黒」と称された羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車の名称を「鳥海」に統合。従前昼行列車で運行していた「鳥海」は上り下りとも「鳥海1号」と称されました。

1969年10月1日:上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・信越本線・羽越本線(水原駅経由)経由で運行する特別急行列車として「いなほ」1往復が運転を開始。これと引き替えに従来同区間を運行していた気動車急行「鳥海1号」は季節列車となりました。 「いなほ」にはキハ80系気動車が使用されました。所要時間は上野駅 - 秋田駅間が8時間10分、秋田駅 - 上野駅間が8時間15分、酒田駅 - 上野駅間が6時間44分で、それまでの急行利用に比べ1時間半以上も短縮されました。上越線特急「とき」および奥羽本線特急「つばさ」の輸送補助の名目で設定されましたが、それまで羽越本線内を運行する特別急行列車は大阪方面のみの設定であり、沿線の新潟県下越地方や山形県庄内地方、秋田県南部と東京を直通する特別急行列車は初めてでした。

秋田運転所 キハ80系気動車 7両編成

←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
 秋田9251740上野18102112平
 平645945上野13502200秋田

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

485_481300_751103
長岡で逢った上野行き上り特急「いなほ2号」2044M 1975/11/3

この頃はすでに盛アオにクハ481形300番台が新製配置されており、特急「いなほ」にも新顔が見られる様になっていました。

1972年10月2日:羽越本線電化に伴うダイヤ改正により、「いなほ」に485系電車を導入。また、青森駅までの1往復が増発され、「いなほ」計2往復となりました。季節列車として運行していた気動車急行「鳥海1号」は「いなほ」に格上げされ消滅しました。夜行の「鳥海」は存続しました。急行「羽越」が1往復増発され2往復体制となりました。 「いなほ」の485系は青森運転所の12両編成を使用し、一部の「やまびこ」や一部の「ひばり」と共通運用されました。そのため、「はつかり」への485系投入までは青森駅発着の「いなほ」で青森運転所の入出庫を行っていました。

485_481200
青森発の上り「いなほ1号」と顔を揃えたED75牽引の東北本線寝台特急「ゆうづる」 1975年夏北海道から夜行便の青函連絡船で青森に着いたときに見た光景でした。この「いなほ」運用が1973年4月に「はつかり」に485系が投入されるまでは東北特急に盛アオの485系が入るための運用だったのですね。

青森運転所 485系電車12両編成

TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
 青森7301739上野‥東大宮
 東大宮‥上野9001257仙台14051804上野‥東京18552254仙台
 仙台8101204上野13001904盛岡
 盛岡9001504上野17002056仙台
 仙台9101309上野14302203秋田
 秋田6101339上野14001758仙台18502244上野‥東大宮
 東大宮‥上野10302035青森
 休

M'M×2 Tc×4 Ts×1

1978年の改正ではこれまで通過駅としていた余目駅を停車駅に加えました(2・5号の1往復)。

秋田運転所 485系電車12両編成

←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田

1979年7月1日:ダイヤ改正に伴い、「いなほ」秋田駅発着列車を1往復増発し、「いなほ」上野駅 - 秋田駅2往復・上野駅 - 青森駅1往復の3往復体制となりました。「羽越」の下り列車に坂町駅まで「あさひ」が連結され、多層建て列車として運行されました。上越新幹線の開業に先立ち、1982年7月以降いなほ3・4号食堂車営業休止に伴いサシ481形の連結がなくなり11両編成となりました。

485_4811500_820328
485系1500番台をラストに上野に向かう特急「いなほ」 1982/3/28 二ツ井~前山

北海道に渡り、特急「いしかり」に投入された485系1500番台も耐寒耐雪装備の点で問題ありとなり、1980年10月に青森に転属しました。特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」などの運用を担当するようになり、特急「いなほ」でもその姿を見ることができました。

秋田運転所

TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×14 所要11
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(2)
 休
 秋田13502139上野‥尾久
 尾久‥上野8031555秋田
 秋田6411433上野15192303秋田
 秋田11481940上野‥尾久
 尾久‥上野10331516山形17552240上野‥東大宮
 東大宮‥上野12031955秋田
 秋田8201610上野17032146山形
 山形9551439上野15332016山形
 山形7551240上野13302122秋田
 秋田13512133上野‥尾久
 尾久‥上野7191502秋田

Tc×2

1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、急行「羽越」が廃止。急行「しらゆき」が特急列車に昇格し、「白鳥」1号・4号となりました。「いなほ」が、気動車急行「羽越」2往復と大阪駅 - 青森駅間を運行していた急行「きたぐに」の新潟駅 - 青森駅間を吸収、新潟駅 - 秋田駅・青森駅間5往復体制となり、エル特急に指定されました。これにより、上越新幹線接続列車として1往復を除き新潟駅発着に変更されました。 車両は青森運転所の485系9両編成で、福井駅発着の「白鳥」1号・4号と一部の「はつかり」と共通運用がくまれました。上越新幹線の始発駅が大宮駅であることから、上野駅 - 青森駅間(水原駅経由)1往復のみ、特急「鳥海」として存続させることとなり、 車両は従前の「いなほ」3号・4号同様、青森運転所の485系12両編成で、大阪駅発着の「白鳥」2号・3号と共通運用が組まれました。

青森運転所 485系電車 12両編成

←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
 休
 青森4501825大阪‥向日町
 向日町‥大阪9552351青森
 青森7561834上野‥尾久
 尾久‥上野10302113青森

同 9両編成

TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
 休
 青森9552159福井‥南福井
 南福井‥福井5481803青森
 青森453715盛岡8301105青森13021940新潟‥上沼垂
 上沼垂‥新潟7201124秋田13461740新潟19052306秋田
 秋田8291230新潟15151920秋田
 秋田534939新潟12051613秋田17202122新潟
 新潟9051550青森
 青森7401015盛岡11301405青森14401715盛岡18302105青森

M'M×9 Td×16

485_481200_3
上越新幹線開業後も乗り換えの便などを考慮して、1往復存置された青森までの特急「いなほ」でしたが、愛称は「鳥海」と変更されました。

ということで、特急「いなほ」の上野~青森間の列車は「鳥海」として存続しましたが、上越新幹線の開業で特急「いなほ」は新幹線に連絡する羽越線特急に性格を変えました。

続きは明日の記事で。

尚、485系の編成、配置、運用データはいつものように「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。

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2013年7月17日 (水)

1975年 新潟の旅 18 修学旅行用 167系

かつては修学旅行専用の車両がありました。弊Blogにおいても155系159系について触れて参りましたが、165系の修学旅行電車バージョンとして登場した167系についてもこの機会に触れたく思います。

167_3
東京駅に到着した臨時列車 167系
167系が修学旅行専用列車「わこうど」と同じダイヤで走る臨時急行「長州」でも活躍していたのは知っていましたが、「長州」の東京発は20:19、着は5:45だったので、この列車ではないと思います。

167系165系をベースにした修学旅行型電車であり、155・159系同様に乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、大型の脱着可能な折り畳み式テーブルを備えました。また、155・159系の編成を前提にモハ167・166形ユニットの中間電動車とクハ167形制御車のみの構成としました。しかし季節列車等一般の列車にも投入することを想定して、室内設備については原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみでした。

167_3
品川にて

1965年度に関東地区(対京阪神)増発用、1966年度に山口・広島両県からの要請による山陽地域用として、MM'ユニット15組30両と制御車22両の計52両全車が汽車製造で製造されました。

モハ167形
モハ166形とユニットを組む2等電動車 (M) で主制御器を搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ165形と同様ですが側扉が700mmに変更されたため窓配置が異なります。

モハ166形
モハ167形とユニットを組む2等電動車 (M') でMG・CP・パンタグラフを搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ164形800番台と同様ですが窓配置が異なります。CPは1 - 4がMH80A-C1000形2基、5 - 15がMH113A-C2000M形1基搭載。10 - 15は冷房化時にトイレと物置を撤去して乗務員室を設置しました。国鉄ではパンタグラフ部低屋根構造車両を慣例として800番台に区分していましたが、本形式は全車が低屋根車に該当するため特に区分せず155・159系同様0番台としていました。

クハ167形
2等制御車 (Tc) で定員は76名。クハ155・159形同様客室には速度計と電池式時計が設置されましたが一般転用時に撤去されました。冷房化時に田町車は偶数車にのみ冷房電源用MGを搭載。宮原車は偶数向クハ165形MG搭載車に統一することで本形式は奇数向に統一されました。

167_1
品川にて

1974年に修学旅行用列車の新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用されました。定期急行列車での運用は、1981年10月から1985年3月までごてんば」2往復に田町区所属車が投入されたのが唯一でした。

当初の塗色はカナリアイエローとライトスカーレットの修学旅行色でしたが、1978年9月の車両塗装に関する規定の改定で修学旅行色が廃止されたため1979年以降は湘南色に変更されました。

一方で1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事が施工されました。このため1981年中頃までは修学旅行色の冷房車も存在しました。
冷房改造と同時に出入台部飲料水タンクと洗面台の撤去、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に改造する工事も施工しました。

1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で休車中だったクハ165-3を翌1983年に転属させて代車として編成に組み込みました。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継されました。

167_2
品川にて

配置

所属      クハ167     モハユニット
田町       1-8                  1-4       JR東日本へ  
下関=>田町  9-18        5-9              JR東日本へ
下関=>宮原  19-22                10-15            JR西日本へ

クハ167-2は1982年9月14日14時17分頃、伊豆急行線川奈駅構内にて下田発伊東行回送電車として走行中、川奈駅構内でポイント故障により脱線。事故車は1984年3月19日付けで廃車になるまで伊豆高原車庫に留置。代替えに神領車両区で廃車予定だったクハ165-3を転属(国鉄JR事故廃車一覧のサイトより)。

あの頃、EF58牽引の小荷物列車などの撮影目的で何気なく品川で撮影しているとどこからとなく現れるのが167系だったように思います。修学旅行用の塗装を纏い目立ったスタイルをしている割には、定期的な仕業ではないため、どこか影が薄くふだんは忘れられがちな存在だったように記憶しています。

神田万世橋に鉄道博物館があった頃、167系のモックアップが展示されており、大宮移転後も引き続き展示はあるようなので、今度行った際には見てみようと思います。

以前、155系の記事を纏めた際に、修学旅行用専用電車「ひので」の歴史を書きましたが、今回は日本における修学旅行用列車の歴史について纏めておこうと思います。

1950年:日本ツーリストが運行を開始していた修学旅行専用列車はほかの旅行社も協賛しての共同運行となり、次第に時刻・車両が固定されてゆき「修学旅行集約輸送臨時列車」の起源となりました。

1958年6月1 - 29日: 80系電車を使って、品川 - 京都に「集約臨」を運転。下りは品川8時40分発で京都15時40分着、上りは京都発19時50分で品川5時20分着と上りでも当時の夜行急行列車なみの速度、下りに至っては当時の特急列車「つばめ」・「はと」に匹敵する速度で走りました。なおこの実績が、のちの155系電車を生み出す契機ともなりました。

1959年4月20日: 新製された日本初の修学旅行専用電車である155系電車を使用して、品川 - 京都に関東地区用修学旅行列車として「ひので」が、品川 - 京都・大阪・神戸に関西地区用修学旅行列車とした「きぼう」が「集約臨」として運転を開始しました。また「ひので」は下り昼行・上り夜行、「きぼう」は下り夜行・上り昼行の時刻で運転されました。

1960年4月20日: 品川 - 大垣で中京地区用修学旅行列車「こまどり」が、153系急行形電車で運転開始。「こまどり」は、運行距離が短かったことから上下とも昼行列車となりました。「こまどり」の運転されない時期には、同列車のダイヤで臨時準急列車「ながら」が設定されました。
6月 「東京へ来たのであるから東京駅を見て帰るべきだ」という意見が出た事により、下り「きぼう」の始発駅を東京に変更。

1961年3月:こまどり」用の159系電車が落成し、153系に代わって投入されました。同系列は、のちに東海地方 - 関西地方・山陽地方間に設定された修学旅行列車「わかあゆ」にも投入されました。
1962年4月9日: 非電化地区からの修学旅行列車用に気動車のキハ58系800番台が登場。この日から東北地区 - 上野で「おもいで」が運転を開始。

58_800
キハ58 800番台の修学旅行用車輌を組み込んだ上野発の気動車急行 電車版のカナリアイエロー(黄5号)をキハ58の「クリーム4号」の代わりに塗装したもので、異彩を放っていました。因みにキハ58は19両、キハ28は13両製造されました。

キハ58の修学旅行用車両を目撃したのは2回あり、このときが最初でした。

1963年4月10日: キハ58系800番台を使用して北九州地区 - 京都の修学旅行列車「とびうめ」が運転を開始。また「きぼう」は兵庫県中部地域からの利便を図るため、明石発着となる。

1965年10月1日: 混雑する「ひので」・「きぼう」の混雑緩和を図るため関東地区用の「わかくさ」が品川 - 京都に、関西地区用の「わかば」が東京(下り)・品川(上り) - 明石に1往復ずつ設定されました。

1966年4月9日: 東京 - 下関に165系急行形電車を修学旅行用に設計変更した167系電車が「わかくさ」「わこうど」で運転開始。それまでの修学旅行列車が普通列車の扱いであったのに対し、「わこうど」は長距離で往復とも夜行となるため急行列車の扱いとなりました。「わこうど」は山陽地方からの高校生の東京への修学旅行用列車として設定されたが関西地方からほどの需要が見込めないため下関 - 京都で中学生用の列車「友情」、下関 - 広島で小学生用の列車「なかよし」としてもそれぞれ運用されました。さらに3列車ともが運転されない時期には、「わこうど」のダイヤで臨時急行列車「長州」として運転されていました。

1966年11月 :中部地区から広島・山口方面へ「わかあゆ」(豊橋 - 下関)を田町区の167系電車で運転開始。1967年秋期からは159系電車で運転。

1967年10月1日: 「ひので」・「きぼう」・「わかくさ」・「わかば」も、急行列車の扱いとなりました。

1970年3月16日: 東海道新幹線に修学旅行列車を初設定。
1971年 3月1日 新幹線に「集約臨」が設定される事となり前年から新幹線の特急料金に関しても「学生5割引・引率教職員2割引」の割り引きが適用される事となったため、以後新幹線を使用できる地域の修学旅行列車は1972年春ごろまでをめどに順次移行となりました。
10月16日 この日の大阪発をもって「きぼう」廃止。総計約180万人の利用があったとされます。
10月26日 この日の品川発をもって「ひので」廃止。総計約240万人の利用があったとされます。

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もう一回は郡山駅で1976/1/2に目撃しました。

1975年の配置表では郡山(キハ28:811-813, キハ58: 817-819)と山形(キハ28:805-810、キハ58:809-816)に配置があり、急行「いいで」「ざおう」などで上野に入線していたものと思われます。なお、キハ28(801-804)とキハ58(801-808)は直方配置でした。情報はきはゆに資料室のものを参考にさせて戴きました。

1973年4月おもいで」廃止。以後は、特急など定期列車を利用するか随時臨時列車を設定する方式に変更。東京まで879往復し、約53万5000人の利用があったとされます。
6月23日わかくさ」・「わかば」を臨時列車に格下げ。
10月1日こまどり」、臨時列車に格下げ。ここまでに総計約152万人を輸送したとされます。

1974年4月21日: この日の記念行事をもって、「とびうめ」廃止。関西へ約22万4000人、九州内相互間で約14万7000人、総約37万1000人の利用があったとされます。

1975年3月10日: 山陽新幹線の博多駅までの全線開業をもって、「わこうど」・「友情」・「なかよし」廃止。市販の時刻表に掲載されていた修学旅行列車は消滅。 「こまどり」は臨時列車ながら、1975年以降も使用車両は159系から153系や165系の使用へ変化しつつも存続しました。おもに新幹線駅の利用が不便な大垣 - 尾張一宮・大府 - 岡崎の中学生に利用されましたが、東海道新幹線三河安城開業で西三河地区の中学生の修学旅行が新幹線へ急速に転移したことから平成初期に消滅しました。また、この1970年代後半に行われた東海道新幹線の午前運休日には、上りのみ「こまどり」のダイヤ設定をそのまま使って臨時急行列車「東海」が運転されました。

以上、テキストはWikipediaの記事を参考に纏めました。

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