今回からは、1961年10月1日から、2001年3月2日まで、大阪~青森間1052.9kmを走り、日本海縦貫線の昼の女王といわれた特急「白鳥」について触れようと思います。
柏崎付近を行く 4002M 特急「白鳥」 1975/11/3
ついこの前のような感じがしますが、かれこれ38年前の写真になるのですね。青森・大阪寄りの先頭車が300番台クハ、新潟寄りの先頭車が200番台クハでした。
当時のダイヤでは柏崎は通過で、長岡12:03、直江津13:00でした。青森発4:50、大阪着18:45でしたから行程の半分を超えたあたりですね。
私自身の特急「白鳥」との最初の出会いは、このblogの2012年10月25日の記事で記述した北海道向けの485系1500番台がならし運転のために投入された1974年秋のことでした。1972年8月5日の日本海縦貫線の全線電化で、同年10月から485系特急化されて2年経過した頃のことですが、いつもの通り、その登場以前からの歴史を追ってみましょう。
日本海縦貫線が全通したのは、1924年7月31日に羽越本線の村上駅 - 鼠ヶ関駅間が開業した時です。開業と同時に、早速神戸駅 - 富山駅間の急行列車を延長して神戸駅 - 青森駅間を結ぶ急行列車が設定されました。全区間が急行列車化されたのは、1926年8月15日でした。
1929年9月15日、運転区間が大阪~青森に変更となりますが、戦局の悪化により、1943年2月1日には廃止されました。
1947年7月5日、大阪~青森間で急行列車の運転が再開され、同列車は1950年11月8日「日本海」と命名されました。1961年2月9日には羽越本線を走行中に崩れた土砂に乗り上げ牽引機C571号機が大破する事故などもありましたが、同列車は1968年10月1日の改正で、急行「きたぐに」と20系寝台特急「日本海」に発展しました。
一方、1961年10月1日のダイヤ改正では、キハ82系気動車を利用した特急「白鳥」が大阪~青森、大阪~上野間にデビューしました。前者を青森白鳥、後者を信越白鳥と国鉄内部では区別していたようです。
青森白鳥 青森行き2001D/大阪行き2002D
信越白鳥 上野行き4002D/大阪行き4003D 信越本線経由
青森白鳥の受け持ちは大ムコ
←長崎、宮崎、松江、青森
DcDsDdDDDc×13 所要10
白鳥(1)、かもめ(1×2)、みどり(1)、へいわ(1)、まつかぜ(1)
大阪1800-2240広島
広島730-1210大阪1340-2235博多
博多725-1620大阪
京都800-2005長崎
長崎950-2200京都
京都800-2200宮崎
宮崎800-2200京都
大阪805-2350青森
青森520-2112大阪
京都730-1405松江1500-2135京都
キハ82形 8, 9,18,19,20, 21,22,23,26,27,28,29,30,31,32, 33,34,35,36,37, 38,39,40,41,42, 43
以上26両
キハ80形 15,16,22,23,24, 27,32,33,36,37,38,39,40,41,42, 43,44,45,46,47
48,49,50,51,52, 53
以上26両
キロ80形 9,11,13,14,19, 20,21,22,23,24, 25,26,27
以上13両
キシ80形 6, 7, 8, 9,13, 14,15,16,17,18,19,20,21
以上13両
信越白鳥の受け持ちは北オク
DcDsDdDDDc×5 所要4
つばさ(1)、白鳥(1)
上野1230-2100秋田
秋田810-1640上野
上野850-2112大阪
大阪805-2035上野
Dc×2 Dc×1 D×5 Ds×2 Td×1 Dd×1
キハ82形 1, 2, 3, 4, 5,10,11,14,15,24,25
以上11両
キハ80形 13,14,17,18,19,20,21,30, 31,34,35
以上11両
キロ80形 7, 8,10,12,16,18
以上 6両
キシ80形 2, 3, 4, 5,11,12
以上6両
(特急「はつかり」用の車輌分は除く)
青森では青函連絡船深夜便(1/2便)を介して、北海道内の特急「おおぞら」(1D/2D)と接続するダイヤでした。
1963年6月1日の改正を前に尾久から
キハ82形 1, 2, 3, 4, 5
キハ80形 13, 14, 17, 18, 19
キロ80形 7, 8
キシ80形 2, 3
が大ムコに転属し、信越白鳥の担当も大ムコになりました。
この間に大ムコのキハ80系は1962年7月から9月にかけて一部、函ハコへの転出があったものの、続々と新製配置があり、1964年10月の時点ではキハ82形37両、キハ80形54両、キロ80形19両、キシ80形16両の体制となっていました。
←長崎、宮崎、青森
DcDsDdDDDDc×12 所要10
白鳥(1×2)、かもめ(1×2)、みどり(1)
大阪815-2020上野
上野905-2107大阪
大阪815-2347青森
青森520-2107大阪
京都800-2008長崎
長崎950-2200京都
京都800-2201宮崎
宮崎800-2200京都
新大阪1030-2135熊本
熊本830-1935新大阪
DcDsDDDDc×2 所要2
みどり(付属1)
新大阪1030-2110大分
大分910-1935新大阪
DcDsDdDDDc×3 所要2
まつかぜ(1)
京都730-2055博多
博多820-2140京都
DDDc×2 所要1
まつかぜ(付属1)
京都730-1333米子1534-2140京都
Dc×1 D×2 Ds×2 Dd×1
関西を中心に北は青森から南は熊本まで広域運用であったことが分かります。
1965年10月1日のダイヤ改正では信越白鳥は「はくたか」と名前を変え、独立しました。これ以降の「はくたか」の歴史は2013年1月26日の記事に記載しました。
←上野、金沢
DcDsDdDDDDc×2 所要2
はくたか(1)
金沢1300-2100上野
上野740-1530金沢
Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1
1965年6月から10月にかけて、キハ82-1, 2, 3, 4, 5, 8、キハ80-13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 22、キロ80-7, 8, 9、キシ80-2, 3, 6が金サワに転出しました。この時が金沢運転所初のキハ80系の配置となり、「はくたか」、臨時「雷鳥」(1967年1月から)、「ひだ」(1968年10月から)を受け持ちますが、1969年10月には「はくたか」が電車化され、1975年3月には「ひだ」は名古屋移管となり、同所のキハ80系配置の歴史は幕を閉じました。
一方、大ムコの運用は白鳥の基本編成は独立運用となり、付属編成は特急「まつかぜ」と共通運用となりました。
DcDsDsDdDDc×3 所要2
白鳥(1)
大阪800-2335青森
青森440-2040大阪
DDDDc×6 所要5
まつかぜ(付属1)、白鳥(付属1×2)
京都730-1334米子1536-2150京都
大阪800-1640新潟
新潟1145-2040大阪
大阪800-2335青森
青森440-2040大阪
1970年3月1日の大阪万国博覧会に対応した改正では、基本編成はこの改正から登場した特急「やくも」(新大阪~浜田)と共通運用化され、付属編成は独立と「やくも」と共通に分けられました。
DcDsDsDdDDDc×5 所要4
白鳥(1)、やくも(1)
大阪840-2340青森
青森455-2003大阪
新大阪1200-2022浜田
浜田820-1633新大阪
DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
大阪840-2340青森
青森455-2003大阪
DDc×4 所要4
白鳥(付属1)、やくも(付属1)
大阪840-2340青森
青森455-2003大阪
新大阪1200-2022浜田
浜田820-1633新大阪
山陽新幹線岡山開業の1972年3月15日の改正が気動車特急「白鳥」としての最後の改正となりましたが、
←長崎、宮崎、新潟
DcDsDdDDDDc×7 所要6(臨時+1)
かもめ(1)、なは(1)、まつかぜ(1)、あさしお(臨時1)
京都730-1912長崎
長崎1030-2225京都
大阪725-2109西鹿児島
西鹿児島905-2243大阪
京都720-2050博多
博多815-2150京都
京都826-1226鳥取1532-1934京都
DcDsDDDDc×7 所要7
かもめ(付属1)、日向(1)、まつかぜ(1,付属1)、はまかぜ(2)
京都730-1848佐世保
佐世保1050-2225京都
大阪725-2042宮崎
宮崎930-2243大阪
京都720-1210鳥取1246-1704大阪1800-2217鳥取
鳥取630-1044大阪1210-1624鳥取1655-2150京都
新大阪925-1417倉吉1442-1940新大阪
DcDsDsDdDDDc×3 所要2
白鳥(1)
大阪910-2350青森
青森455-1930大阪
DDDDc×3 所要2
白鳥(付属1)
大阪910-2350青森
青森455-1930大阪
DcD×3 所要2
白鳥(付属1)
大阪910-2350青森
青森455-1930大阪
D×1 Ds×1 Dd×1
この時刻を1965年時点の時刻と比較すると、青森側の時刻は青函連絡船の接続等の関係でほぼ固定されているのに対して、大阪側の時刻はスピードアップの効果が出ているのが分かります。
大阪駅11番線に入線する200番台クハの4001M 特急「白鳥」 1979/12/23
当時のダイヤでは白鳥は青函連絡が考慮されていたため、大阪発は10:20と比較的遅めの出発でした。1978年のダイヤ改正前後から愛称幕は絵入りに。
かくして、特急「白鳥」は1972年10月2日の改正で1961年以来の気動車特急から電車特急に生まれ変わる訳ですが、サンロクトウの改正で日本全国にデビューしたキハ82系特急のうち、この時点で電車化されていたのは1年弱で「つばめ」に置き換えられた「へいわ」(大阪~広島)、1967年10月の改正で581系電車化された「みどり」(大阪~博多)、1965年10月改正で483系電車化された「ひばり」(上野~仙台)でした。
1972年10月2日の日本海縦貫線電化完成によるダイヤ改正で、特急「白鳥」は盛アオ所属の485系が担当することになりました。
←上野、新潟
TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc×2 所要2
白鳥(1)
青森450-1848大阪‥向日町
向日町‥大阪1010-2350青森
TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
青森730-1739上野‥東大宮
東大宮‥上野900-1257仙台1405-1804上野‥東京1855-2254仙台
仙台810-1204上野1300-1904盛岡
盛岡900-1504上野1700-2056仙台
仙台910-1309上野1430-2203秋田
秋田610-1339上野1400-1758仙台1850-2244上野‥東大宮
東大宮‥上野1030-2035青森
休
M'M×2 Tc×4 Ts×1
「白鳥」の編成はグリーン車2両組み込みの関係から他の東北特急とは区別された編成となっておりました。なお、「いなほ」の運用が東北特急編成の盛アオとの連絡運用であったことは、2013年7月19日の記事でご紹介した通りです。
1972年5月頃から、盛アオに485系が配置となり、10月の時点では
モハ485形 59, 60, 61, 68, 69, 70, 71, 75, 76, 77, 78, 79, 80, 81, 89, 90, 91, 92, 93, 94, 95, 96, 97, 98, 99, 100, 101, 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109,
110, 111, 112, 113, 114, 115, 116
モハ484形 59, 60, 61, 68, 69, 70, 71, 75, 76, 77, 78, 79, 80, 81, 89, 90, 91, 92, 93, 94, 95, 96, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 211, 212, 213,
214, 215, 216, 217, 218, 219, 220
(以上42ユニット)
クハ481形 113, 114, 115, 116, 117, 118, 123, 124, 125, 126, 201, 202, 203, 204, 205, 206, 207, 208, 209, 210, 213, 214, 219, 220
(以上24両)
サロ481形 40, 43, 44, 45, 50, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57, 58
(以上13両)
サシ481形 32, 34, 35, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44 (以上10両)
といった配置となっていました。
鶴形~東能代間のカーブをゆく4002M特急「白鳥」 1980/8/5
この中でも興味深いのはボンネット型クハの100番台が配置されていたことですが、クハ481-200番台の新製配置とともに、大ムコに転出して行き、1973年4月の時点ではすべて-200番台になってしまいました。これは当時、東北特急に分割併合の構想があり、貫通型の-200番台を優先して投入したそうですが、結局、先日の485系「くろしお」で使用されるまで-200番台の貫通扉は開かずの扉でした。今から思えば、あのままボンネット型クハが残存していたら東北特急のイメージも大きく変わっていたのではと思います。
同じく鶴形~東能代間のカーブを行く4002M 特急「白鳥」
その後、1974年4月から6月にかけて、書類上は札幌運転区に配置された485系1500番台が慣らし運転のため、盛アオに貸し出され、「白鳥」編成に投入されました。1500番台はモハユニット(1501~1507)、クハ(1501~1508)のみの小世帯のため、在来の485系と混成の編成を組み、愛称幕もシールを貼っての対応となりました。約1年間のならし運転のあと、1975年3月には北海道に渡りました。
1975年3月10日の新幹線博多開業の改正では前年に開業した湖西線の本格使用が開始され特急「白鳥も山科~近江塩津間が湖西線経由となりました。
1978年10月2日の改正からは、盛アオに485系最後のモデルとなった1000番台が投入されました。と同時に、これまで「白鳥」編成と「はつかり」「いなほ」「やまびこ」「ひばり」編成はグリーン車の連結から区別されて来ましたが、その区別が無くなり、共通運用化されました。また、ヘッドマークがイラストマークに変更されました。
←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要17
白鳥(1)、いなほ(1)、やまびこ(4)、ひばり(4)、はつかり(3)
休
青森453-1343上野1433-2101盛岡
盛岡640-1313上野1430-1845仙台‥岩切
岩切‥仙台758-1219上野1300-1715仙台1828-2243上野‥東大宮
東大宮‥上野1333-2225青森
青森450-1825大阪‥向日町
向日町‥大阪1018-2350青森
青森1120-2009上野‥東大宮
東大宮‥上野933-1601盛岡
盛岡916-1543上野1633-2259盛岡
盛岡816-1443上野1530-013青森
青森1255-2142上野‥東大宮
東大宮‥上野633-1301盛岡1416-2043上野‥東大宮
東大宮‥上野1000-1415仙台1558-2013上野‥東大宮
東大宮‥上野1050-2145青森
休
青森807-1833上野‥尾久
尾久‥上野900-1315仙台1458-1913上野‥尾久
尾久‥上野833-1725青森
M'M×1 Tc×2 Ts×1
1980年10月には1975年夏から北海道で活躍していた485系1500番台が、485系は北海道の冬には対応不可能と判断され、盛アオに転属となりました。
鶴形~東能代間を行くクハ481-1500番台を組み込んだ4002M「白鳥」 1981/10/10
1982年6月23日の改正では東北新幹線の部分開業で、特急「やまびこ」が廃止され、それまで東北路を走っていた車輌が別の活躍の場を求めて、転出して行き、
←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×22 所要14
白鳥(1)、いなほ(1)、ひばり(5)、はつかり(3)
休
青森453-1343上野1430-1845仙台‥岩切
岩切‥仙台758-1219上野1300-1715仙台
仙台1058-1513上野1600-2015仙台
仙台858-1316上野1530-013青森
青森1255-2142上野‥東大宮
東大宮‥上野1333-2225青森
青森1120-2009上野‥東大宮
東大宮‥上野800-1215仙台1558-2013上野‥尾久
尾久‥上野833-1725青森
休
青森450-1825大阪‥向日町
向日町‥大阪1018-2350青森
青森807-1833上野‥尾久
尾久‥上野900-1315仙台1758-2213上野‥東大宮
東大宮‥上野1050-2145青森
M'M×1 Tc×2 Ts×1
1982年11月15日の上越・東北新幹線開業による改正では、特急「白鳥」は急行「しらゆき」の格上げで2往復になりましたが。
←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
休
青森450-1825大阪‥向日町
向日町‥大阪955-2351青森
青森756-1834上野‥尾久
尾久‥上野1030-2113青森
TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
休
青森955-2159福井‥南福井
南福井‥福井548-1803青森
青森453-715盛岡830-1105青森1302-1940新潟‥上沼垂
上沼垂‥新潟720-1124秋田1346-1740新潟1905-2306秋田
秋田829-1230新潟1515-1920秋田
秋田534-939新潟1205-1613秋田1720-2122新潟
新潟905-1550青森
青森740-1015盛岡1130-1405青森1440-1715盛岡1830-2105青森
M'M×9 Td×16
青森から14時間かけて大阪に到着した4002M特急「白鳥」 1980/12/12
ここまで、気動車特急時代の11年間と電車特急時代の10年間についてWikipediaの記事等を参考に纏めました。
今回、奥羽北線を走る特急「白鳥」の写真を何枚かご紹介致しましたが、同じ場所では青森方向に向かう下り寝台特急の「日本海」や昨日、今年度での廃止が発表された「あけぼの」の写真も1970年代後半から1980年代にかけて撮影しておりますので、後日、触れようと思っています。
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