2023年10月 4日 (水)

2023年 北九州旅行 その55  1975年の新幹線開業以来、基本構造が変わっていない小倉駅

小倉駅は九州鉄道(初代)が黒崎~大蔵∼小倉~門司間を開業した1891年4月1日に開業しました。1895年4月1日には後に日豊本線と命名される路線が行事まで開業しました。尤も小倉駅~小倉総合車両センター付近までは1891年4月1日に設置されました。開業当初は現在の西小倉駅付近にありましたが、1915年4月4日に東側に新駅舎が落成し移転、1958年3月1日に700m東側に4階建て民衆駅として移転しました。

小倉駅は政令指定都市である北九州市最大の駅であり、利用者数はJR九州では博多駅に次いでNo2です。本州と九州の接点であり、九州の玄関口として山陽新幹線の全列車が停車します。

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2023/5/31 小倉駅 駅名標 JAは鹿児島本線系、JFは日豊本線、JIは日田彦山線に連なるナンバー

私が初めて小倉駅を訪れたのは1975年3月5日の山陽新幹線博多開業直前でしたが、雨の降る中、あと数日で消えて行く山陽路の昼行特急列車を撮影するためにホーム中を駆け回ったのが思い出されます。

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1975/3/5 小倉 特急「かもめ」
佐世保発10:50 筑豊本線経由 小倉着 13:54 4002D 1~6号車 と
長崎発 10:38 鹿児島本線経由 小倉着 13:51 2D 7~13号車(9号車にキシ)が小倉で合体し、13両編成となり、14:00発で京都に、京都着は22:24

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1975/3/5 小倉
わずか6両の小世帯のため、EF70の増備で北陸を追われ、日豊本線にやってきたED74

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1975/3/5 開業を間近に控えた新幹線高架の下を行くED72牽引 鹿児島本線貨物

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1979/12/18 小倉 HMが省略されているのが些か残念ですが、小倉駅を発車するED731000番台牽引、あさかぜ1号

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1975/3/5 小倉 SG不搭載のため、九州ではマイナーグループに終わったED75 300番台

それ以降の小倉駅の変化と言えば、1998年の小倉ターミナルビルの完成、北九州モノレールの乗り入れではないかと思います。

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2023/5/31 小倉駅 コンコース

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門司~西小倉間 線路配線概略図

230603-2 2023/6/3 小倉駅から東小倉駅方向
左手のオーバークロスが東小倉との間の複線貨物線、右手のオーバークロスは鹿児島本線下り方向

門司から北九州ターミナル、東小倉を経て、鹿児島本線方面に行く貨物列車と日豊本線方面に行く貨物列車が、小倉駅で鹿児島本線、日豊本線に分岐する旅客列車と干渉せずに、また小倉で鹿児島本線と日豊本線間でスィッチバックする「ソニック」のような列車がスムーズに転線できる仕組みが東小倉∼小倉~西小倉間の配線にあります。その辺も実に興味深いのが小倉駅周辺の配線です。

あと、九州の列車旅の大きな魅力は主要駅に駅そばがあることです。

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2023/5/31 小倉駅 連絡通路 玄海うどん

230603 2023/6/3 小倉駅名物 かしわうどn

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2022年8月23日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 JR東海 特急「ひだ」の歴史 キハ80系から、キハ85系、そしてHC85系へ

「ひだ」という愛称の列車が登場したのは1958年3月1日、名古屋~富山間に名古屋~岐阜間東海道本線、岐阜から高山本線経由で気動車準急が運転されたときからだそうです。この列車の前身として、1951年5月から名古屋~下呂間に客車による不定期準急「山鳩」が運転開始され、同年7月21日には不定期快速として名古屋~高山間に「乗鞍」も運行されました。1953年7月19日、「乗鞍」は準急に格上げされ、1953年9月19日、「山鳩」は高山まで延長となり、列車名も「飛騨」となりました。1955年5月11日には高山本線に初めて夜行普通列車が運行され、下りは名古屋~富山間、上りは富山~岐阜間でした。

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1975/1/2 東京から大垣行に乗車、初めての名古屋遠征で撮影したキハ80系特急「ひだ」

82_8012081980/12/8 名古屋 絵入りHM時代の特急「ひだ」

準急「ひだ」の運転区間は1958年9月には高岡まで延長され、1966年3月5日には急行に格上げされました。1968年10月1日ヨンサントウ・ダイヤ改正では特急に格上げされ、運転区間も金沢駅までとなりました。キハ80系は金沢運転所の配置でした。1975年3月10日のダイヤ改正でキハ80系は名古屋機関区に移管されました。同改正で一部残っていたキハ181系が381系特急電車に置き換えられようとしたとき、キハ181系を「ひだ」に転用する計画もあったそうですが、名古屋機関区ではそれまで特急「しなの」での故障やトラブルに悩まされており、検修員が難色を示したため、キハ181系は四国へ転属となったそうです。1976年10月1日のダイヤ改正で山陰本線・山口線の特急「おき」がキハ181系化されたため、キハ80系が名古屋に転属し、「ひた」名古屋~高山間2往復が増発されました。ちなみに山陰本線・山口線特急「おき」のキハ80系時代は1975年3月10日から1976年9月30日までの1年半でした。このときも特急「つばさ」の181系の転入に対して名古屋機関区では反対の動きがあったようです。1978年10月2日のダイヤ改正で「くろしお」の電車化で捻出されたキハ80系が名古屋に転入、「ひだ」名古屋~高山間1往復の増発、特急「南紀」も新設されました。

1989年2月18日、特急「ひだ」1往復(3号・6号)にキハ85系が投入され、同年3月11日のダイヤ改正で急行「のりくら」を1往復格上げし、特急「ひだ」は5往復に、ワイドビュー気動車キハ85系は「ひだ」3号・8号となりました。1990年3月10日のダイヤ改正にて特急「ひだ」は全列車キハ85系となり、エル特急化されました。

851-080904-3キロ85-1他 2008/9/4 名古屋

85100-090323 キハ85-100 2009/3/23 名古屋

85-060619 2006/6/19 千里丘 

85-090322 2009/3/22 美濃太田 高山本線内では名古屋発の編成と大阪発の編成が併結されて長大編成に

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2022/8/3 栄生 終着、名古屋に向けてラストスパートするキハ85系特急「ひだ」

キハ85系導入により、乗客数は増加し、「ワイドビュー効果」とも言われましたが、バブル景気の終了、東海北陸自動車道の全通、高山市街地近郊までの延伸、高速バス「ひだ高山号」等の競合などで利用者の増加はやがて頭打ちとなりました。2015年3月14日には北陸新幹線、長野~金沢間が開業し、名古屋、米原経由による東京~富山間の列車移動が北陸新幹線にシフト、特急「しらさぎ」の金沢~富山間の運行も廃止されるを見越した名古屋~富山間の東海北陸道経由の高速バスの増発で所要時間は「しらさき」「ひだ」とほぼ同じ、料金は半額程度ということで競争は激化、列車が劣勢を強いられる状況となりました。

その後、海外からの観光客増加、いわゆるインバウンド需要の増大で特急「ひだ」の乗客数もコロナウイルス病蔓延までは増加に転じたことからJR東海では特急「ひだ」に新型車としてHC85系の導入を決定、JR東海では初めてのハイブリッド気動車であり、2017年に「次期特急車両」としての導入がアナウンスされ、2018年に内外装デザインと安全設備について、2019年には形式名とロゴデザインが公表されました。HCはHybrid Carの略で、形式名はキハ85系の技術革新、発展形を意味しています。2019年に試験走行用4両編成1本(D1編成)が日本車輛製造で竣工、2022年から量産車の導入が開始されました。
2022年7月1日より2往復、同年8月1日より3往復での運行を開始しました。

Dsc00493 2022/8/3 名古屋駅に掲示されているHC85系の登場をアナウンスするポスター

HC85系の実車、名古屋機関区での写真、清洲や栄生での走行写真は明日の記事に。

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2020年7月 7日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 16 播但線の旅 優等列車の歴史

現在、大阪~香住、浜坂、鳥取間を結ぶ特急「はまかぜ」が播但線を走っていますが、播但線の優等列車の歴史は1952年に神戸と豊岡を結ぶ快速列車として「たじま」が運転されたのが始まりで、最初は蒸機牽引の客車編成でした。1960年の準急列車化で気動車化され、神戸~豊岡間を2時間台で結ぶようになりました。1953年3月15日には城崎温泉への観光客輸送列車として大阪~城崎間に快速列車「ゆあみ」が運転開始され、こちらは1958年に準急列車化されました。1961年10月1日に「たじま」は「但馬」となり、1965年10月1日、「ゆあみ」は「但馬」に統合されました。1966年3月5日、準急列車は制度変更で急行列車となりました。

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82-740929-3a-edit1975/3 大阪駅に発着するキハ82形特急「はまかぜ」

特急「はまかぜ」が登場したのは1972年3月15日、新幹線岡山開業のダイヤ改正で新大阪・大阪~鳥取・倉吉間に2往復設定されました。車両はキハ82形を先頭にした80系特急車両でした。播但線内は無停車だったため、同線内の需要は急行「但馬」が担いました。当初は
指定ーGー食堂ー指定ー指定ー指定ー指定 (ハロシハハハハ)と 指定ーGー指定ー指定ー自由ー自由 の2編成でした。
1975年3月10日の改正には特急「おき」との編成共通化で食堂車が無くなりました。

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大阪駅 
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新大阪駅 キハ181系化された「はまかぜ」

18145-060621 2006/6/21 元町

1982年7月1日、「やくも」の電車化で余剰化したキハ181系での運用が開始されました。
1986年11月1日の改正では「まつかぜ」の運転終了、但馬の特急格上げを兼ねて「はまかぜ」は3往復に、「但馬」は2往復に
1996年3月16日、「但馬」は廃止、阪神淡路大震災復興の間に2往復になっていた「はまかぜ」が3往復に
このときのダイヤ改正は急行列車を廃止し、大阪、京都から播但線、山陰本線、京都丹後鉄道で結ばれる城崎温泉、天橋立、東舞鶴方面をビックXネットワークとし、特急列車を充実させようというものでした。

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2019/8/5 香呂を通過する189系「はまかぜ」

2010年11月6日を以てキハ181系の運用が終了し、翌11月7日より、キハ189系による運転開始

登場した際には姫路、和田山以外の播但線内各駅には停車しなかった「はまかぜ」ですが、1998年3月14日に生野駅に停車するようになり、現在は福崎、寺前、生野、竹田(一部)駅に停車しています。

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2018年1月 5日 (金)

2017年10月の福岡旅行 3 筑豊本線 その歴史

2017年10月の福岡旅行、今回からは筑豊本線の話題です。

筑豊という名称は筑前国と豊前国の頭文字をとり、明治時代以降、石炭資源を背景に誕生した地域区分で、飯塚、直方、田川の3市はその中核都市なっていました。

筑豊と石炭に関する話題は後程、直方の石炭記念館の記事で触れる予定です。

筑豊本線は北九州の若松から筑紫野市の原田(はるだ)に至る路線ですが、鹿児島本線黒崎からの連絡線~折尾~桂川(けいせん)(篠栗線)博多間は電化され福北ゆたか線という愛称が与えられ、若松~折尾間は若松線、桂川~原田間は原田線といった愛称が与えられており、今は筑豊本線という呼び方をあまり聞かないのではと思います。

筑豊本線はいくつか日本一の特徴を持った路線でした。

・本線を名乗るJRの路線としてはその距離が66.1kmと最短の路線でした。しかし、2016年12月5日に留萌本線留萌~増毛間が廃止されたため、最短は留萌本線(50.1km)に譲りました。

・全線が大都市近郊区間(福岡近郊区間)に含まれる唯一の路線でしたが、2009年3月14日にJR東日本の総武本線成東~銚子間が東京近郊区間に含まれたため、総武本線も全線が大都市近郊区間に含まれる路線となりました。

開業は1891年8月30日、筑豊興業鉄道が若松~直方間を開業しました。1894年に社名が筑豊鉄道に変更され、九州鉄道を経て、1907年に国有化されました。原田まで開業したのは1929年12月7日のことで、それまでに飯塚から長尾線、漆生線、上山田線などの支線が開業、分化しています。

171014 2017/10/14 黒崎を発車した福北ゆたか線経由博多行きの電車の前面展望
ポイントで左に分岐すると短絡線に入ります。

171014_2 右側の複線は鹿児島本線で折尾駅高架ホームへ

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やがて鷹見口と呼ばれる折尾駅の短絡線ホームが見えてきます。

これらの光景も折尾駅の周辺連続立体交差工事が終わると見られなくなるはずです。

1893年6月30日には九州鉄道の黒崎駅と筑豊興業鉄道の中間駅を結ぶ短絡線が開通しました。

複線区間は若松~折尾、折尾~飯塚
折尾駅構内の若松方面との連絡線は一部単線
黒崎~東水巻間の短絡線は複線

2001年10月6日、折尾~桂川間は交流60Hzで電化されました。

筑豊本線で忘れてはいけないのが、本州~九州直通の昼行、夜行の特急や急行が短絡線を通り、折尾~原田間を走っていたことです。

急行「阿蘇」(1950-1961年)

急行「天草」(1961-1975年)
*209レ京都1956・-八幡709-直方732/743-新飯塚800-飯塚804/808-鳥栖851-・熊本1023
*210レ熊本1755・-鳥栖1932-飯塚2015/2020-新飯塚2030-直方2045/2049-八幡2114-・京都833

特急「みどり」(1965-1967年)
みどり」は「かもめ」の補完で1961年10月1日(実際は車両の落成の関係で同年12月15日)から大阪~博多間で走り出し、1964年10月1日から、新大阪~熊本・大分間に、1965年10月1日から、熊本発着編成が佐世保発着となり、筑豊本線経由となりました。1967年10月1日581系を使用した新大阪~大分間の電車特急となりました。

特急「いそかぜ」(1967-1968年)

いそかぜ」は1965年10月1日、大阪~宮崎間で運行開始され、1967年10月1日、「みどり」が電車特急に変更されたのに伴い、佐世保発着列車を引き継ぐ形となりました。しかし、1968年10月1日のヨンサントオ改正で「いそかぜ」の佐世保編成は「かもめ」に編入され、宮崎編成は「日向」となりました。

82_750305_4002d1975/3/5 小倉 再掲ですが、佐世保からの特急かもめ4002Dが小倉駅に到着

特急「かもめ」(1968-1975年)
*4001D 京都728・-小倉1548-直方1618/1620-飯塚1635/1636-鳥栖1714-・佐世保1850
*4002D 佐世保1050・-鳥栖1224-飯塚1303/1304-直方1321/1324-1354小倉-・京都2224

寝台特急「明星」(1975-1978年)
新幹線博多開業後、「あかつき」「きりしま」「月光」で運行されていた西鹿児島、熊本発着列車が「明星」に統合され、「かもめ」の廃止、急行「天草」の経路変更で筑豊本線経由の列車が無くなるので、下り6号、上り3号(14系)が筑豊本線経由とされました。

寝台特急「あかつき」(1978-1985年)
**4047レあかつき3号
新大阪2031・-黒崎541-直方603/607-飯塚625/629-鳥栖713/715-・佐世保912
**4046レあかつき2号
佐世保1832・-鳥栖2018/2020-飯塚2105/2106-直方2123/2125-黒崎2146-・大阪640

*1974年10月の時刻
**1981年10月の時刻

この「あかつき3号」は原田~肥前山口間で長崎編成に較べて30分遅れて通過することから、実際に誤乗する乗客がいたり、西村京太郎がサスペンスのトリックに用いたりとなかなか話題豊富な列車でした。

わたしが記憶している列車では関西~長崎・佐世保間の列車の佐世保編成が筑豊本線経由でした。

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2017年8月17日 (木)

名古屋~南紀を結んだ特急列車 その2 「南紀」

昨日の記事にあるように、天王寺~和歌山~名古屋間の特急「くろしお」が1978年10月2日の紀勢本線和歌山~新宮間電化完成に伴うダイヤ改正で系統分離され、天王寺~白浜(2往復)・新宮間(7往復、1往復は季節列車)はすべて381系電車で運転されるようになり、名古屋~紀伊勝浦間にはキハ82系による気動車特急「南紀」(3往復、伊勢線経由)が設定されました。

82_801208 1980/12/8 名古屋

1985年3月14日の改正で「南紀」が1往復増発され、紀伊勝浦~新宮間で1往復が普通列車として運転されるようになりました。1986年11月1日の改正でも「南紀」の1往復が普通列車化されました。 1989年3月13日のダイヤ改正ではさらに1往復、増発され5往復になりました。、しかし1990年3月20日の改正では1往復削減され、4往復になっています。このとき、名古屋~紀伊勝浦間で快速「みえ」の運行も開始されました。

82_861203 1986/12/3 名古屋

JR東海は「ひだ」「南紀」の80系気動車が老朽化したため、置き換えと新形式投入によるスピードアップを狙ってキハ85系1989年から製造、投入しました。JR東海として最初の新形式で”ワイドビュー”が付けられた最初の形式となりました。1989年2月から「ひだ」に、1992年から「南紀」にも投入されました。キハ85系投入で名古屋~紀伊勝浦間は42分短縮されました。1992年3月14日のダイヤ改正で、「南紀」は再び5往復体制となりました。「南紀」の列車名に”ワイドビュー”が冠されたのは1996年7月25日からでした。

85_090322_2 2009/3/22 名古屋

2001年3月3日の改正で「南紀」のグリーン車連結は通年から多客期に変更となり、全区間特急列車として運行されるようになりました。2009年3月14日の改正でグリーン車は再び、多客期から通年の連結になりました。2011年9月3日台風12号による大雨で那智川橋梁の流出などが起こり、紀勢本線は長期間不通となり、10月11日、熊野市~新宮間の復旧で新宮までは通常運転に、12月3日に紀伊勝浦まで復旧しました。2015年7月17日台風11号でも新宮~三輪崎駅間での路盤陥没などが起きました。

85_140812 20014/8/12 冨田
多客期で6両編成に増結されての運行

南紀用のキハ85系は登場当初、キロ85(全室G車)を含む4両編成(自由席1両、普通指定席2両、G車1両)でしたが、2001年、需要の低迷による見直しで、全室G車は「ひだ」に転用され、キハ84形中間車と交換、さらに中間車の捻出もあり、3両編成で運行されるようになり、多客期のみ、「ひだ」専用のキロハ84が連結されていましたが、2009年3月14日の改正からキロハ84が通年で連結されるようになり、4両編成となりました。

851111_170804_2 キハ85-1111

858_170804_2 キハ85-8

849_170804 G車は半室タイプ

2017/8/4 名古屋 

←名古屋 キハ85+キロハ84+キハ84+キハ85-1100 紀伊勝浦→

キハ85系の投入で加減速性能、曲線通過速度の向上、最高速度120km/h運転などでスピードがアップされ、キハ75系による快速「みえ」より長かった所要時間(名古屋~多気間)の逆転が解消されました。

85_170805_9 2017/8/5 多気

新宮駅がJR東海、JR西日本の境界駅となっていますが、運転士が同駅で交代するようになったのは2010年3月13日のダイヤ改正から、車掌が同駅で交代するようになったのは2013年3月16日のダイヤ改正からでした。

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2016年1月25日 (月)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸5

青森岸壁に係留されている青函連絡船八甲田丸の話題、今回は車両甲板に保存されている車両の紹介です。

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ちょっと見にくいかも知れませんが、車両甲板には
スユニ50 509, 510   キハ82 101
DD16 31 ヒ600 4両 ヨ6000形6798 が保存されています。

50_509_15122550_509_151225_2

50_510_151225 最初は我が国の鉄道郵便・荷物車の最終型となったスユニ50 509, 510です。

国鉄が最後に1977年から設計・製造した50系客車の一形式で、スユニ60形などの置き換え用に計画されました。車体、台枠は新製されましたが、台車はTR47形台車、自動連結器一式は廃車となったスハ43形スハネ16形から流用されたため、名義上は新製ではなく改造扱いとなりました。1978年から1981年にかけて国鉄工場で80両が改造施工されました。

0番台が本州以南用、500番台は北海道用に区分されました。0番台は電気暖房搭載で現番号に2000が付加されました。外部塗色は青15号です。

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続いて本州側では「白鳥」、北海道側では「おおぞら」、「北斗」、「北海」「おおとり」などで青森、函館駅の常連だったキハ82形特急車両です。

キハ82 1011965年7月9日、富士重工で製造、1987年2月18日廃車になるまで終生、函ハコで活躍した車両です。

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DD16 31

DD16形1971年登場した小型液体式ディーゼル機関車で、軸重が12tに制限されている簡易線向けに製造された形式です。1971年から1975年にかけて国鉄長野工場、日本車輌製造・川崎重工業で65両が製造されました。

Dd16_31_151225_2
前後非対称のセミセンターキャブ方式となっているのは長い方にエンジン(DML61S)を出力を1000psから800psに落としたものを搭載し、キャブ下に燃料タンクを配置し、短い方に機関予熱器、蓄電池箱などを納めて軸重不均衡を調整しているからです。

0番台 65両 
300番台 飯山線、大糸線用に2,5,4,13を単線用ラッセル式除雪ヘッドを取り付け可能に改造したタイプ

DD1631     川崎重工大阪工場=3826           1974-04-00 D48.0tBB(1067)
   車歴;1974-04-00 製造→ 納入;国鉄;DD1631→ 配属;青函局→1974-04-25 配置;長万部→
      1980-10-01 五稜郭→1986-03-31 廃車;五稜郭→
      保存;青森県青森市青森港「メモリアルシップ八甲田丸」;DD1631

沖田祐作氏の機関車表データによる31号機の履歴です。

600_151225 ヒ600形貨車

1954年から1977年までに構内入れ換え用、航走車両の積み下ろし作業用の控車として、トム16000形、ワ12000形、ワ22000形、ワム3500形、ワム20000形、ワム21000形、ワム23000形、ワム50000形、ワム90000形、スム1形、テム300形、テラ1形から総数253両が改造されました。走行装置は種車の違いにより、シュー式、一段リンク式、二段リンク式があり、最高速度は65km/hでした。

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1968年10月1日
のダイヤ改正で高速化不適車の指定を受け、識別のためヒの左肩にロが付け加えられました。

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6798_151225
最後は緩急車ヨ6000形6798です。

1950年代から60年代にかけてローカル線の緩急車はワフ(有蓋緩急車)が使用されていました。居住性が悪く不評だったため、その改善と慢性的な緩急車不足を解消させるため、1962年から1969年にかけて製造されたのがヨ6000形式でした。東急車輛製造・協三工業・汽車製造・鉄道車輌工業・日立製作所・若松車輌で905両(ヨ6000 - ヨ6870、ヨ6900 - ヨ6915、ヨ7900 - ヨ7917)が製造されました。

窓4枚の車掌車スタイルを基本としていますが、ヨ5000形に比べると車体が630mm、軸距が300mm短縮され、それに伴い窓数も3個となり、室内の執務用机や椅子、長椅子も3人分から2人分に減らされています。屋根も深いRのカンバス張り屋根を持ったヨ5000形に対し、ヨ6000形はゆるやかなRをもつ浅めの鋼板屋根となり、換気用ベンチレータも1個に減りました。

暖房用ストーブは当初石炭使用のダルマストーブでしたが後に石油ストーブに改装された車両も多数存在し、識別のため妻面左右に白線が標記されました。塗色は黒、常備駅が定められ日本全国で活躍しました。

走り装置はヨ5000形と同様の重ね板ばねを用いた二段リンク式軸箱支持となっており、軸距は短くなったものの、長く軟らかいばねを使用していることもあって、85km/hで走行可能でした。全長は7,200mm、全幅は2,640mm、全高は3,621mm、自重は8.8tで、換算両数は0.8でした。

6000番台 871両
6900番台 16両 北海道向け 二重窓、塩化ビニル床などの耐寒対策
7900番台 18両 耐寒構造で緩衝性能を向上させるため連結器緩衝装置が油圧式に

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2013年4月 1日 (月)

1974,1975 北海道へ 6 室蘭本線 D51牽引貨物列車 3 D51 953, D51 1119

北海道でみたギースルエジェクター装備の蒸気、今回はD51 953号機と1119号機です。

D51の形態分類は諸説あるそうですが、ここでは臼井茂信氏の分類に従って記述しようと思います。その分類によると、

1)標準型Aタイプ 所謂、ナメクジスタイルで1~21、24~85、91~100がこのグループに属します。
2)標準型Bタイプ 先日、スーパーナメクジと言った、汽車製造の22,23号機がこのグループです。
3)第1次量産試作形 86~90、101~106 ナメクジが続々と落成しているころ、ナメクジの欠点であった軸重バランスの関係を改良しようとして試作された釜で鉄道省浜松工場と汽車製造から登場した11両がこのグループに属します。
4)第2次量産試作形 107~133 従台車が一体鋳鋼式のLT154B形から鋼板組み立て式のLT157形に変わり、テンダー台車も組み立て式になった27両で、川崎車輌と日立製作所で製造されたものです。
5)第3次量産試作形 199~211 動力逆転機を手動のねじ式に変更したタイプで、かつテンダー台車が第1次量産形までの鋳鋼側枠に戻った13両で、浜松工場と鷹取工場で落成した釜です。
6)量産型 134~198、212~745、748~845、950~954 当然のことながら702両が属する最大のグループで、軍需用として最大量産体制で大量製造されたグループです。950~954の5両は準戦時形が出揃った後に胆振縦貫鉄道から買収したもので、準戦時形のラストナンバーの続番が与えられたそうです。
7)準戦時形 746、747、846~949 次第に悪化する材料事情により、各部に代用品が使用され、ボイラーのドームがカマボコ形になったり、デフレクタ、テンダーの上部、ナンバープレートが木製となったり、メインロッドの大端部のブッシュが角形から円形になったり、前面のボイラー端上部を切り取ったりという変更が行われました。
8)戦時形 1001~1161 ボイラー圧力が14kg/cm2から15kg・cm2にアップして従来のD51とは性能面でも異なったため1000番台に分けられたそうです。代用品の使用は、銅部品に代わる鉛代用、鉛部品に代わる鋼代用、鋼部品にかわる木材代用といったように実施され、ボイラーは肉厚、溶接ともにレベルの低い粗悪品に、メインロッドは小端部も角形ブッシュから円形に変わりました。砂撒き管が3本から2本に、車体大枠の前後にコンクリートの死重搭載、給水温メ器の省略された釜も登場したそうです。テンダーも最低の強度を維持するために炭水槽の底を船底形に折り曲げ、台枠を省略した10-20形とし、直接貨車用のTR41形台車を履かせたとのことです。(データは蒸気機関車 形式D51 伊藤久巳著より引用)(文章は蒸気機関車 形式D51 伊藤久巳著を参考に纏めました。)

それではD51 953号機の履歴です。
汽車製造大阪工場=2234     1941-02-19/1942-07-17 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1941-02-19/1942-07-17 製造→
納入;胆振縦貫鉄道;D5104→1942-02-19 竣工→1944-07-01 買収配置;国鉄;
D5104;伊達紋別→1947-02-22 改番;
D51953;伊達紋別支区→1949-03-29 名寄→1952-01-30 缶をD51359 のものに交換→1952-09-12 旭川→1974-12-29 岩見沢一→1976-03-01
廃車;岩見沢一→保存;北海道豊浦町船見町公園「中央公民館前広場」;D51953

D51_953_1294_75081975/8 登別で撮影していると中線で停車して特急列車などをやり過ごす1294レで953号機はやって来ました。

D51_953_1294_7508_2_3今だったらデジカメで撮り放題ですが、当時はフィルムの枚数を気にしながらですが、もう後は帰るだけの状態でしたから、いろいろな角度から写真を撮りました。

D51_953_1294_7508_3反対側からも撮影しました。

D51_953_1294_7508_4そして1294レを追い抜いていったキハ82系特急「おおぞら」とのツーショットも撮影しました。

当時、煙突の形態が変わっていることは気がつきましたが、この釜が胆振縦貫鉄道の買収機であったことは今回初めて知りました。ほぼ40年ぶりにBlogに纏めることで知り得た知見です。

続いてD51 1119号機の履歴です。

日本車両名古屋工場=1308           1944-08-26 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1944-08-26 製造→ 納入;国鉄;D511119→ 配属;
東京局→1944-10-20 配置;平→1948-03-20
給水温器取付→1949-08-12(8/13?)新鶴見→1953-12-27 借入;
国府津→1953-12-28 返却→1954-07-12 大宮→1955-02-13 借入;
甲府→1955-06-20 返却→1955-08-12 借入;
宇都宮→1955-08-20 返却→1958-04-17 稲沢一→1959-03-12 借入;
高山→1959-04-01 高山→1959-12-04 長野工場製製番3550 新缶に交換;
浜松工場→1962-01-30 特別塗装→1962-06-26 鷲別→1962-09-29 耐寒工事施工・旋回窓取付→1967-03-29 ギースルエジェクター取付→1967-04-01 発;
追分→1969-02-01 踏段改造→1976-03-01
廃車;追分→
保存;神奈川県厚木市「福祉会館」;D511119(若宮公園説?)

この履歴からも想像されるように戦時形として登場した際には給水温め器は省略されていたようですね。

D51_1119_5797_7510_2こちらは写真1枚だけですが、追分で石炭列車5797レを牽引して接近してくる姿を写していました。

(履歴データは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用しました。)

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2013年3月 9日 (土)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 5 「オホーツク」 他 その1

キハ82系特急として、最後に登場し、しかも函館ではなく札幌発の特急として登場したのが今回ご紹介する「オホーツク」です。

82_7510_2
1975/10 札幌駅で発車を待つキハ82系特急「オホーツク」 

1949年9月:函館駅 - 旭川駅間の夜行急行列車である1・2列車の運行区間を石北本線網走駅まで延長。旭川駅以東は普通列車とした。また、函館駅 - 網走駅間に夜行準急列車 503・504列車が運行開始。この503・504列車は当初夜行区間となる札幌駅 - 北見駅のみが準急列車として運行された。

1951年4月
:1・2列車に「大雪」の列車愛称が与えられる。

1955年6月:函館駅 - 網走駅間を函館本線・石北本線経由で運行する準急列車「はまなす」が運行開始。これに伴い、「大雪」は旭川駅 - 網走駅間を分離し、函館駅 - 旭川駅間の運行になる。

1956年11月
:「大雪」の運行区間を再び函館駅 - 網走駅間に変更。ただし、石北本線内は普通列車として運行。

1958年10月:503・504列車に「石北」(せきほく)の名称を与える。

1959年9月:旭川駅 - 網走駅間で準急「オホーツク」が運行開始。「大雪」の旭川駅以北乗り入れを廃止。

1960年7月:「オホーツク」が札幌駅発着になる。なお、札幌駅 - 旭川駅間は稚内駅発着の「宗谷」と併結していた。

1961年10月:.「オホーツク」が函館駅発着の急行列車に変更。根室本線に直通する釧路駅発着の「摩周」も連結し、3階建て列車になる。「はまなす」が旭川駅 - 網走駅間の急行列車に変更し、札幌駅発着の列車も増発された。なお、札幌駅 - 滝川駅間は根室本線経由で釧路駅着の「狩勝」、札幌駅 - 旭川駅間は天北線経由で稚内着の「天北」と併結運行していた。「石北」の下り列車の始発駅を札幌駅に変更。

1962年5月:「はまなす」の旭川駅発着列車を札幌駅発着に延長。2往復とも札幌駅発着の単独運行になる。

1963年6月:「はまなす」の1往復を小樽駅発着とし、札幌駅発着の1往復を「大雪」に変更。

1964年10月1日:函館駅 - 網走駅間で特急「おおとり」が運行開始。 「おおとり」は「おおぞら」の増発を兼ねており、編成の半数を滝川駅で分割し、根室本線釧路駅まで直通していた。また、食堂車は釧路駅発着編成に連結された。.急行「オホーツク」は札幌駅発着となり、札幌駅 - 深川駅間は「はぼろ」、札幌駅 - 旭川駅間は「紋別」を併結。旭川駅 - 網走駅間を運行する準急列車「あばしり」運行開始。

1965年:「石北」の下り列車始発を函館駅に変更。

1966年3月:準急列車制度廃止に伴い、「あばしり」「石北」が急行列車に変更。

1968年10月1日:石北本線経由の急行「大雪」「石北」「あばしり」「はまなす」「オホーツク」が「大雪」に統合。「オホーツク」は名寄本線経由(旭川駅 - 遠軽駅 - 興部駅 - 名寄駅間)の急行列車(興部駅 - 名寄駅間は普通列車)になる。

1970年10月1日:.「おおとり」の釧路駅発着編成を「おおぞら」に分離し、函館駅 - 網走駅間の運行になる。 2.急行「オホーツク」の名寄本線内は普通列車となる。

1972年10月2日:「オホーツク」が札幌駅 - 網走駅間の特急列車に変更。函館駅を発着としない初の特急列車になる。従来の名寄本線経由の急行列車は「大雪」に変更するが、遠軽駅 - 名寄駅間は普通列車として運行。

82_7510_3
1975/10 札幌駅 HMの表記はロシア語のアルファベット表記 OKHOTSK

82_7510_3_2
編成は札サウの7両編成

札サウ

DcDsDdDDDDc×3 所要3(臨時+1 函館車を組み込み)
北斗(2)、オホーツク(1)、北海(臨時1)
 札幌7351155函館14251836札幌
 札幌10201445函館16152038札幌
 札幌7001243網走16102154札幌
 札幌2320510函館2355515札幌

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

82_7508_2
82_7508_2_4
網走から札幌に向かう列車に乗車中に常紋信号所で交換があり、対向列車を撮影したら特急「オホーツク」でした。札幌側のHMは赤文字のものでした。当時の常紋信号所には腕木式信号機があったのですね。1975/8

1981年10月1日:札幌駅 - 釧路駅間(釧網本線経由)の「大雪」1往復が廃止され、特急「オホーツク」に昇格。網走駅 - 釧路駅間は「しれとこ」に変更。

DcDsDdDDDDc×4 所要2
オホーツク(2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

DcD×4 所要2
オホーツク(付属2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

Dc×3 D×5 Ds×5 Dd×1

1982.11.2 キハ183系気動車が使用開始。

DcDDDD'DsDDDc×3 所要2
オホーツク(2)
 札幌9281539網走17022304札幌
 札幌7001248網走13541953札幌

Dc×4 D×3 D'×2 Ds×1

1985年3月14日:「大雪」の1往復が「オホーツク」に変更。

キハ183系 札サウ 
DcDDDDsDDc×5 所要4
オホーツク(2)、おおぞら(3)
 札幌9301520網走16372219札幌
 札幌7001245網走13281915札幌
 札幌8001302釧路14111918札幌19432245帯広
 帯広7201024札幌10561612釧路17062206札幌

Dc×2 Ds×1

キハ82系 函ハコ
DcDdDsDDDDc×4 所要3
おおとり(1)、オホーツク(1)
 函館11382147網走
 網走6201216札幌17102307網走
 網走9051925函館

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2013年3月 8日 (金)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 4 「北海」

北海道のキハ82系特急として、4番目に登場したのは「北海」でした。函館から旭川を結ぶ特急として登場しましたが、それまでの室蘭本線経由ではなく、函館本線山線経由の特急としてスタートを切りました。82_7510_5

2013/3/1のおおぞらの記事で1便接続で函館駅で待つ「おおぞら 1D」の写真を紹介しましたが、反対側のホームには山線回りの特急「北海 11D」の姿がありました。 1975/10

まずは「北海」が登場するまでの小樽経由の列車の歴史を見てみましょう。

1946年2月11日:連合軍専用列車 (Yankee Limited) が小樽駅経由に変更される。11月5日:同列車が東室蘭駅経由に戻される。

1947年6月29日:函館駅 - 旭川駅間で夜行急行列車7・8列車が設定される。11月1日:7・8列車に二等車が連結開始。

1948年7月1日:7・8列車の列車番号が1・2列車に変更される。

1951年4月:1・2列車に「大雪」、函館駅 - 釧路駅間の急行列車に「まりも」の列車愛称が与えられる。

56_202_7407_b
1975/10 札幌駅で出会ったキハ56形 急行「大雪

1964年10月1日:急行「宗谷」が小樽経由に変更。1等車連結開始。

1967年3月1日:函館駅 - 旭川駅間(小樽駅経由)で初めて特急「北海」が運転開始。「北海」はその後、夏季には網走駅まで延長運転されることもあった。

DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4101450釧路
 釧路1330005函館
 函館11152155釧路
 釧路8051855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館
 函館4151110旭川17002346函館

82_830824
小樽駅に到着した特急「北海」 1983/8/24

82_830823_2
札幌駅での特急「北海」 山線経由なので、札幌駅でのスイッチバックはなく、そのまま函館本線を北進。 1983/8/23

82_7507_2
旭川に到着した特急「北海」 本来はここが終着駅ですが、夏の期間は網走まで延長運転 1975/8

82_7507
延長運転の特急「北海」、駅名は忘れましたが、乗車中の急行列車が待避をするとのことで、特急の通過を撮影 1975/8

82_7508
夜の札幌駅で 上り特急「北海」 札幌19:25発、函館23:55 1975/8

1981年10月1日:「北海」の運転区間が函館駅 - 札幌駅間に短縮されるが、従来函館駅 - 稚内駅間の急行「宗谷」の系統分割により1往復増発され、「北海」は2往復になる。同時に1往復がキハ183系気動車に変更。

キハ183系 函ハコ

DcDDDDDsD'DDDc×5 所要4
おおぞら(2)、北海(1)
 函館9401915釧路
 釧路7201640函館
 函館11451627札幌17152214釧路
 釧路10251540札幌19202355函館

Dc×2 D'×1 Ds×1

1986年11月1日:特急「北海」廃止。急行「ニセコ」は夏季のみ運転の臨時列車に変更され、小樽駅を経由する定期の優等列車が消滅。なお、臨時「ニセコ」はキハ56系気動車で1993年夏まで運転。

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2013年3月 5日 (火)

1974,1975 北海道へ 2 北の大地のDC特急 3 「北斗」 その1

北斗」の名称は元々1950年から1965年まで上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行する夜行急行列車に使用されていました。これは当時の列車愛称命名方法の基準であった「夜行列車名は天体名にちなむ」が元になっています。

1950年10月 日本人用列車で201・202列車が運行再開。11月には201・202列車が「みちのく」、203・204列車が「北斗」の東北本線・常磐線の日本人用列車では初の列車愛称を命名されるとともに、「みちのく」では1等寝台に限り函館 - 札幌間急行1・2列車からの青函連絡船客車航送連絡を開始。

1959年9月 「北斗」を寝台車中心にした寝台列車化の編成変更を行い、「十和田」は座席車主体の組成に変更。

1965年10月1日 青函連絡船就役船の津軽丸型置換えに伴い運航時間を4時間30分から3時間50分に短縮。「はくつる」は尾久客車区移管と12両編成に増強し、一ノ関が通過になる。共通運用として「北斗」を格上げする形で常磐線経由寝台特急「ゆうづる」(5・6列車)を運転開始。

東北・常磐線の夜行急行は20系寝台特急に格上げされ、「ゆうづる」となり、「北斗」の名称は北海道のキハ82系特急(名称としては3番目)になりました。

82_7508_2
登別を行くキハ82系特急「北斗」 1975/8

「北斗」の名称は北斗七星に由来し、北斗七星が北極星を指し示す星座とされることから、「北都 = 札幌行きの列車」とのイメージが重なり、青函連絡船からの旅客を受けて北へ向かう特急列車の愛称として採用されたといわれています。ただし、当初の運行区間は函館駅 - 札幌駅 - 旭川駅間であり、純粋な函館駅 - 札幌駅間の特急列車には、当初「エルム」と別名称が与えられました。

1965年10月1日:函館駅 - 旭川駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で運行する特急列車として「北斗」が1往復運転開始。

DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)
 函館4101455釧路
 釧路1320005函館
 函館11152203釧路
 釧路7551855函館
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

DcD×3 所要2
北斗(付属1)
 函館13452027旭川
 旭川9401620函館

1968年10月1日:急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、函館駅 - 札幌駅間を運行。旭川駅発着列車と合わせて2往復となる。

函ハコ

DcDsDdDDDDc×8 所要7
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)
 函館4401451釧路
 釧路1400010函館
 函館11352200釧路
 釧路9001925函館
 函館9301557旭川
 旭川10201640函館
 函館4451116旭川17102345函館

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館440855札幌12201640函館
 函館9301355札幌1950010函館

DcDDDsTdDDDDc×1 所要1
北斗(1)
 札幌7301155函館16252046札幌

ここで特筆すべきは、尾久から転属したキサシ80-1が耐寒工事のみを施工されて、キサシの状態で北斗専用編成に組み込まれて約1年間活躍したことですね。同車は、1969年12月27日に五稜郭工場(現・五稜郭車両所)で改造され、キシ80-903になり、1975年3月13日に廃車になっています。

82_7508
特急「北斗」の編成は函館よりに3両の付属編成が着いています。 1975/8 登別

1969年10月1日:特急「北斗」の札幌駅発着列車の名称を「エルム」に変更。急行「すずらん」の1往復を特急に格上げし、函館駅 - 旭川駅間の特急「北斗」を増発(「北斗」自体は2往復のまま)。 なお、「北斗」増発列車には奥羽本線特急「つばさ」をキハ181系特急用気動車に置き換えて、捻出したキハ82系気動車を使用する計画であったが、「つばさ」用キハ181系の落成が1970年2月にずれ込んでしまい本改正に間に合わず、増発した「北斗」には急行用気動車であるキハ56系気動車によって運行された。このため、特急料金の100円引きがなされた。この措置はキハ82系気動車が導入されたことで解消される。

DcDsDdDDDDc×9 所要8
おおぞら(1)、おおとり(1)、北斗(1)、北海(1)、エルム(1)
 函館4451455釧路
 釧路1405025函館
 函館11452205釧路
 釧路8551925函館
 函館9401600旭川
 旭川10201640函館
 函館4501110旭川17302400函館
 札幌7351200函館16252053札幌

DcDsD×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(付属1)
 函館445900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館

DcD×1 所要1
エルム(付属1)
 札幌7351200函館16252053札幌

1971年7月1日:特急「エルム」が「北斗」に吸収され廃止。「北斗」3往復となる。また「北斗」の1往復を函館駅 - 札幌駅間の運行に短縮。

DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1)
おおぞら(2)、北斗(3)、北海(1)、オリンピア(臨時1)
 函館4401456釧路
 釧路1405025函館
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館
 函館9401555旭川
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 旭川10251640函館
 函館4451110旭川17302400函館
 函館9251356札幌2110230函館

DcDD×7 所要6
おおぞら(付属2)、北斗(付属3)
 函館440900札幌12151640函館
 函館9401405札幌2000025函館
 札幌10301455函館16252053札幌
 札幌7351200函館14201850札幌
 函館11452215釧路
 釧路9001925函館

1972年3月15日:函館駅 - 旭川駅間(函館本線・室蘭本線・千歳線経由)の特急列車を「おおぞら」に移行。「北斗」は函館駅 - 札幌駅間のみ2往復となる。この改正で札幌運転区(札サウ)開設。

函ハコ担当分

DcDsDdDDDDc×10 所要9(臨時+1 札幌車と運用)
おおぞら(3)(臨時+1)、おおとり(1)、北海(1)(臨時+1)、北斗(臨時1)
 函館4451455釧路16352235札幌
 札幌7001253釧路1420020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館
 函館9351945釧路
 釧路6401640函館
 函館11452146網走
 網走9001905函館
 函館4501105旭川17252355函館
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌

DcDsDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351539旭川1940220函館
 函館155820旭川10301640函館

DcDD×5 所要4(臨時+1)
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)(臨時+1)、北海(臨時1)
 函館445855札幌10201445函館16152038札幌
 札幌2320510函館7001121札幌17002125函館2355515札幌
 札幌7351155函館14251836札幌2005020函館
 函館11402147釧路
 釧路9101930函館

札サウ担当分

DcDsDdDDDDc×2 所要2
北斗(2)
 札幌7351155函館14251836札幌
 札幌10201445函館16152038札幌

Dc×1 D×1 Ds×1

1972年10月に秋アキより、元「はつかり」用キロ80をキハ82に改造したキハ82-901, 902が転入 
キハ82-901は1968年10月改正で特急「はつかり」の運用終了後、12月に大宮工場でキハ82に改造し、大ムコに転属、1972.3に秋アキに転属、1972.10に札サウに転属

キハ82-902はキロ80-5のまま、1969.5秋アキに転属、1970.2にキハ82-902に改造され、鹿カコに配置、9月に天ワカに転出、1972.3に秋アキに、1972.10に札サウに転属
82_901_7508
82_902_7508

当時 札サウに配置された元特急「はつかり」用のキロ80 1、 5からの改造によるキハ82-900番台(901, 902)を組み込んだ特急「北斗」

1973年10月1日
:急行「すずらん」の1往復を特急「北斗」に格上げし、「北斗」が3往復に増発。

函ハコ担当分

DcDsDDDDc×3 所要2
おおぞら(付属1)、北斗(臨時1)
 函館9351535旭川2000220函館
 函館155820旭川10351640函館

DcDD×6 所要5
おおぞら(付属2)、北斗(付属2)、北海(付属1)
 函館445850札幌10251445函館16152028札幌
 札幌7371155函館14251832札幌2010020函館
 函館11402142釧路
 釧路9201930函館
 函館4501105旭川17352355函館

札サウ担当分

DcDsDdDDDDc×3 所要3
北斗(2)、オホーツク(1)
 札幌7371155函館14251832札幌
 札幌10251445函館16152028札幌
 札幌7001243網走16152200札幌

DcDsDDDDc×1 所要1
北斗(1)
 函館7401158札幌17002125函館

Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1

1981年10月の改正で札サウのキハ82系による担当は消滅

82_7507_2_2
札幌駅で出発待ちをする特急「北斗」 1975/8

1981年10月1日:特急「おおぞら」の1往復を札幌駅で系統分割し、札幌駅以南を「北斗」としたことにより、「北斗」が4往復となる。

函ハコ

DcDsDdDDDDc×7 所要6
おおぞら(1)、おおとり(1)、北海(1)、北斗(3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362200函館

DcD×7 所要6
おおぞら(付属1)、おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属3)
 函館445857札幌9421414函館19002325札幌
 札幌8051326釧路17152240札幌
 札幌7231153函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×8 D×18 Ds×3 Dd×2

1983年6月1日:「北斗」1往復にキハ183系を投入。食堂車の連結なし。

DcDsDdDDDDc×6 所要4
おおとり(1)、北海(1)、北斗(2)
 函館445857札幌9451414函館14551916札幌2000020函館
 函館11402157網走
 網走8581924函館
 函館450922札幌13551858函館

DcDsDdDDDc×2 所要1
北斗(1)
 函館7401159札幌17362201函館

DcD×6 所要4
おおとり(付属1)、北海(付属1)、北斗(付属2)
 函館445857札幌9451414函館14551916札幌2000020函館
 函館11402100北見
 北見9561924函館
 函館450922札幌13551858函館

Dc×2 D×6 Ds×3
82_830823_2
183系も進出する中、老体にむち打って活躍していたころのキハ82系 特急「北斗」 1983/8 札幌

1985年3月14日
:臨時急行「すずらん」を特急「北斗」に統合し、「北斗」が5往復に増発。 ただし、この1往復は1986年10月31日まではキハ82系を使用し、列車番号が6000番台の季節列車の扱いであった。

DcDsDDDc×1 所要1
北斗(1)
 札幌8451319函館16302047札幌

1986年11月1日:特急「北海」の廃止および「おおぞら」1往復の系統分割により、「北斗」が3往復増発され8往復となる。なお、このとき「北海」の代替の「北斗」1・16号は、青函連絡船深夜便との連絡の兼ね合いから他列車より停車駅を少なくして速達性を高め、全車座席指定席制とした。

今回はここまでです。キハ183系、キハ281、283系による「北斗」「スーパー北斗」は明日以降の記事で。

今回も、Wikipediaの東北線優等列車、特急北斗の記事、「キハ80系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」を参考に纏めました。

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