冷戦下の西ドイツ、フランクフルト空港でのSpotting、今回は望遠を持ち合わせていなかったため、小さすぎる写真しかないのですがパキスタン国際航空のBoeing 707です。
1989/5/6 FRA
レジはAP-AXGで、Boeing 707-340C cn 20488 ln 849です。貨物機です。
Pakistan International Airlines (Urdu: پاکستان انٹرنیشنل ایئر لائنز) はパキスタンのフラッグキャリアーで、国内23地点、海外30地点(27か国)の路線を有しています。路線はアジア、ヨーロッパ、北アメリカに伸び、メインハブはカラチでラホール、イスラマバード/ラワルピンジーは第二ハブです。
PIAは航空史においてはアジアで2番目にジェット機を運航した航空会社、あるいはアジアで2番目にBoeing 737を運航した航空会社として有名です。また、今ではBoeing 777-200LRのローンチカスタマーとしても有名です。約19000名の従業員を抱えており、現在、国営航空から民営航空へ移行の最中であるそうです。
1947年までパキスタンは英領インド帝国(British Raj)統治下にあり、同年8月15日英領インド帝国が独立したときにパキスタンもインドから分離して、後にバングラデシュとなる東パキスタンとともに東西パキスタンとして独立しました。
まだ独立する前の1946年10月23日、新興エアラインのオリエント・エアウエイズがカルカッタで登録されました。1947年2月、アメリカ・テキサスの会社からDouglas DC-3を3機調達し、5月には飛行免許も取得しました。6月には営業を開始し、コルカタ~シットウェ、ヤンゴン(ラングーン)(国はミャンマー)間の路線を飛び始めました。この航空会社はムスリム(イスラム教徒)のみによって運営される英領インド帝国初めての航空会社で、1955年まで運航されました。
1954年6月6日、オリエント・エアウエイズは東西パキスタンを結ぶダッカ~カラチ間の航路を開設しさらに国内ルートとしてカラチ~ラホール~ペシャワール、カラチ~クゥエッタ~ラホール便も設定しました。赤字も蓄積したため政府は同航空を国営会社にすることにし、1955年3月11日、合併が行われPakistan International Airlines Corporationとなりました。
新たにLockheed L-1049C Super Constellationを入手し、カラチ~カイロ~ローマ経由 ロンドンヒースロー線を開設しました。1956年5月にはL-1049H Super Lockheed Constellation と Vickers Viscount 815 を5機購入しました。
1960年3月、Boeing 707をPan AMからウエットリースしました。これがAir Indiaに次ぐアジアで2番目のジェット機運航です。この機材を用いて、最初の大西洋横断路線、カラチ~ロンドン~ニューヨーク(Idlewild)を1961年に開設しました。1962年、Boeing 720, Fokker F27, Sikorsky ヘリコプターを導入し、商用旅客機の運航でのスピード記録 938.78km/h (Boeing720) は今日でも破られていない記録となっています。
1964年には北京路線も開設し、非共産主義国としては最初の乗り入れ会社となりました。1965年の印パ戦争開始時にはPIAの機材等はパキスタン空軍の輸送目的に利用されました。1966年にはViscountsがリタイアし、4機のHawker Siddeley Tridentが導入されました。
1970年代は東パキスタンのバングラデシュとしての分離などがあり、PIAが再び軍事目的に利用されることもありました。リビアとの国交樹立でトリポリが目的地に加わり、ユーゴスラビアのJATとも協定も結ばれました。1973年にはMcDonnell Douglas DC-10を導入し、Boeing 707-300がリタイアしました。1974年、PIAは貨物航空会社も立ち上げました。1975年以降、それまでリースだったBoeing 747を購入し、アジアで最良の航空会社と認識されました。
1980年代、カラチに貨物取扱センターが開設され、全機材に対するCD安全性チェックも実施される様になりました。この頃、最初のAirbus A300B4-203が導入されました。1985年にはBoeing737-300が5機導入されています。
1991年6月、A310-300が6機導入され、この時期、よく成田でも撮影しました。1999年にはBoeing747-300を5機、キャセイパシフィック航空からリースし、それまで活躍したBoeing 747-200Mを置き換えました。
2002年10月、ほぼ10年ぶりにBoeing社に新造機発注があり、8機のBoeing 777シリーズがオーダーされました。これらは3機の777-200ER, 2機の-200LRと3機の-300ERから構成されていました。-200LRはそれまでEVA Airから3機のオーダーで止まっていましたが、PIAのオーダーで復活したそうです。
3機の777-200ERを受領した時に新しいカラースキームが導入され、フリート全体が新しいスキームに代わって行きました。2005年11月3日、FokkerF27を置き換えるためにATR42-500が7機導入されました。最初の777-200LRは2006年2月25日に導入され、エバレットからマンチェスター経由でイスラマバードまで飛行しました。早速、3月3日からトロント~カラチ、イスラマバード線に投入されました。
2007年3月5日、EU委員会はPIAの42機のフリートのうち、9機が老朽化で安全性に問題ありとして、EU域内乗り入れ禁止措置を発表しました。該当する機体は747-300とA310-300であり、11月にこの禁止措置は解除されました。
2010年、再び塗装の変更が行われ、2012年2月、5機のBoeing 777-300ERが発注されました。4機のBoeing 737-800もリースされ、2015年には16年間使用されたBoeing 747-300が退役しました。
現時点でのフリート構成は
Airbus A310-300 5機
Airbus A320-200 11機 2機発注中
ATR 42-500 6機
ATR 72-500 5機
Boeing 777-200ER 6機 1機発注中
Boeing 777-200LR 2機
Boeing 777-300ER 3機 5機発注中
AP-AXG は1970年12月11日に初飛行し、AP-AWAとしてPIAが登録しました。1970年12月23日納入されますが、1972年3月28日には登録が解除され、G-AZROとして4月8日、
British Caledonian航空にリース登録、納入されまし。1973年10月31日、PIAに戻り、11月1日、AP-AXGとして再登録されました。1999年1月3日にSales noticeが公開され、2002年にカラチ空港で解体となりました。
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