2023年3月31日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その9 SR-46と並行して発注された国際線用747、JA8125

国際線用B747-246BのJA8125,cn21030/ln251は2機のSR-46、JA8124(1974年11月22日)とJA8126(1975年4月2日)の登録時期の間の1974年12月17日に登録されています。

JA9D-7AWエンジン装備の機体で、当初は欧米線に投入されました。
 1980年9月19日、JL78便として大阪国際空港からホノルル国際空港に運航中(乗員17名、乗客415名)、西経174度北緯30度付近、高度35,000ftを飛行中、近くに存在した台風16号の影響によるタービュランスに遭遇し、客室後部にいた乗客7名(全て日本国籍)が肋骨骨折、打撲などの負傷を負いました。重傷の旅客1名は左第12肋骨の骨折、腸管麻痺で9月25日から4日間入院加療を要しました。負傷者の多くはシートベルトを着用しないまま就寝中で座席から放り出され負傷したもの、あるいはシートベルトを着用していたが、たまたま手にバックルを添えており、手を挫創したと推定されました。タービュランスに関しては機上レーダに顕著なエコーが見られない程度のものでした。
 1990年には国内線にコンバートされ、528席仕様で活躍しました。1995年、再び国際線仕様に戻され、香港、マニラ等近距離路線を中心に活躍し、1997年12月17日、登録抹消となり、ジャンボジェットリーシング者を経由し、エアアトランタ・アイスランドにリース、レジはTF-ABYとなり、さらにイベリア航空にリースされた際には成田に飛来し、里帰りしたジャンボ機として話題になりました。イベリア航空からサウジアラビア航空にもリースされ、現在は既に解体済みとのことです。

Ja8125-jal-b747246b-cn-21030-ln-251-96111996/11/16 NRT JA8125 cn21030/ln251

Ja8125-jal-b747246b-cn-21030-ln-251-96051996/5/6 NRT

Tfaby-ibe-b747246b-cn-21030-ln-251-98082 1998/8/26 イベリア航空の便として成田に飛来したTF-ABY (元JA8125)

イベリア航空は1927年6月28日に設立され、同年12月4日からマドリード~バルセロナ間を運航した世界でも最古の航空会社ですが、日本への乗り入れは1986年、マドリード~バレンシア~ムンバイ~東京と比較的新しく、1987年にはアンカレジ、もしくはモスクワ経由、1990年にはモスクワ経由となりましたが、上の写真の約3か月後の1998年12月には東京線から撤退してしましました。2010年、ブリティッシュ・エアウエイズと経営統合し、2011年1月にはIAG(インターナショナル・エアラインズ・グループ)が発足し、2015年IAG主導で経営改善が進み、新機材A330-200,A350-900を発注し、2016年10月に成田便が週3便で再開となりました。その辺の様子はこちらの記事にあります。
2019年11月には機材もA350-900に置き換えると発表したものの、その後の新型コロナウイルスの世界的蔓延で2020年3月から成田便は運休となり、3年後の現在も成田~マドリード直行便は運休中のようです。

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2023年3月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その8 JAL最初の747-200F、JA8123

ボーイング社は朝鮮戦争さなかの1952年から超音速旅客機(SST)の設計に取り組み、1958年には常設の研究委員会が発足、1960年には開発規模が100万ドルに届くくらいになりました。この頃はモデル733と呼ばれており、可変翼で150席、大西洋横断が可能な機体を目指すものでした。

1962年前半にイギリスBAC:British Aircraft CorporationとフランスのSud-Aviation が進めていた超音速輸送機計画の統合が発表され、同年11月にはそれがコンコルドとして共同製造されると発表されるとアメリカでも当時のケネディ政権はコンコルドに勝る旅客機開発計画に対して資金を投入、ナショナル・スーパーソニック・トランスポート計画(国産超音速輸送機計画)がスタートしました。同じ頃、ソ連でも超音速旅客機Tu-144の計画が発表されており、将来、民間航空機のほとんどが超音速機になるだろうと思われていました。アメリカの超音速機計画では250人の乗客をマッハ2.7から3.0程度の速度で大西洋を越えて運ぶというもので、コンコルドの(100人、マッハ2.2)の上を目指したもので、そのためにはコンコルドのような耐熱アルミニウム合金ではなく、より高温に耐えられ、十分な強度を持つステンレス鋼、あるいはチタニウム合金とする必要がありました。

連邦航空局(FAA)から機体メーカ3社(ボーイング、ロッキード、ノースアメリカン)とエンジンメーカー3社(カーチス・ライト、GE,P&W)に要求仕様書が送られ、ボーイングはモデル733案を発展させ、「開発が直ちに承認されれば1967年に原型試作機の製作を開始し、1970年初頭に初飛行を達成できる」「1969年初頭から量産を開始し、1972年の後期には量産機の初飛行、1974年の半ばまでには型式証明を取得できる」との見込みを示していました。この頃にはボーイング707に代わる超音速旅客機であり、マッハ2.7にちなみモデル名はモデル2707-300となっていました。翼に関しては可変翼から固定翼に変更されていました。こういった計画案に対して、1969年10月時点でパンアメリカン航空から15機、日本航空、ルフトハンザ航空、ブラニフ航空、トランス・ワールド航空など世界26の航空会社から122機の発注がなされていました。一方、コンコルドは16社から74機でした。

しかし、環境問題、とくにオゾン層の破壊の懸念、騒音問題、ソニックブーム(衝撃波)の問題、さらに経済性の問題などから計画は1971年5月20日、中止となりました。一方、ボーイング社はアメリカ空軍の長距離戦略輸送機CX-HLS計画でロッキードに敗れた大型亜音速超大型機の案を民間機に転用し、2707-300が実用化された際にはすぐに貨物機転用可能な旅客機として747の開発を進め、1969年2月9日には747-100型の初飛行に漕ぎつけていました。

SST計画の頓挫で長距離輸送機は747の天下となり、1970年10月11日に初飛行した-200B型に続いて開発されたのが-200F型で1号機は1971年11月30日に初飛行しました。1972年4月19日、ルフトハンザ・ドイツ航空により運航が開始されました。最大の特徴は機首を持ち上げる大きな貨物扉が設置されたことで、後にはオプションで後部胴体左側面に高さ3.05m、幅3.40mの貨物扉(SCD)が設置できるようになりました。キャビン幅一杯に搭載する場合、前部の貨物扉からは搭載が不可能なため新設されたものでした。キャビンの床面にはモーターによって駆動されるタイヤが埋め込まれており、2名の作業員により荷役作業が行えるようになっています。2階キャビンへの昇降用階段は折り畳み式となっており、不使用時は2階キャビンの床の中に収納されています。-200F型は73機製造され、-200Bが-300、-400、-8と発展していったと同様に-400F,-400ERF,-8Fと発展して行き、最終製造機は-8Fでした。

Ja8123-cn21034-ln-243-950807-nrt 1995/8/7 NRT

Ja8123-cn21034-ln-243-960429-nrt 1996/4/29 NRT

Ja8123-cn21034-ln-243-961204-nrt 1996/12/4 NRT
JA塗装はJALとJAAの共通使用機であるためで、1996年頃からは後部胴体にSUPER LOGISTICSのロゴが入れられました。

cn21034/ln243JA8123はJALが最初に受領した貨物型-246F/SCDでした。エンジンは水噴射オプション付きのJT9D-7AWで1974年9月17日に登録されました。貨物機としては異例のアッパーデッキに窓がある機体でもありました。1974年10月1日には東京~サンフランシスコ~ニューヨークの貨物便に就航しました。1982年10月にはこのJA8123を初号機としてJALカーゴ会社が設立されました。ピーク時には世界26都市、週70便以上を運航していましたが、2007年からの世界同時不況を発端とする経営破綻により、2010年3月25日、貨物専用機による運航の終了を発表、同年11月1日のフライトを最後に運航に終止符が打たれました。

1987年から始まった通信衛星ETS-Vの通信実験では実験装置が搭載され、実験機材となりました。実験に関する解説文はこちら
1996年3月に住商リースに売却、JALへのリース機となり、2002年4月17日、登録抹消、N705CK カリッタエアー機となり、2008年12月からストア、既に解体されています。

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2023年3月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その7 SR-46と並行して発注された国際線用747、JA8122

前回の日本の特殊事情からJALがBoeingと共同開発したSR-46(7機のうちの後ろ3機)とほぼ同時期に発注されたのがJA8122,JA8123,JA8125,JA8127,JA8128の5機でした。これからの記事ではこれら5機について順番に触れようと思います。

Boeing社は航空機を受注した時点でcn: constructor's numberを割り当てます。しかし、発注が確定発注ではなく、オプショナルのものであり、経営方針の変更などで発注が取り消され、cnが振られた航空機が製造されないことがあります。一方、747の製造ラインでは建造中の747一機ごとに番号を振っており、こちらはln: line numerとなっています。この視点でJALの747のうち、JA8121からJA8128のcn/lnを見てみると

JA8121 SR-46 20923/234
JA8122 -246B  20924/235
JA8123  -246F  21034/243
JA8124  SR-46  21032/249
JA8125  -246B  21030/251
JA8126  SR-46  21033/254
JA8127  -246B  21031/255
JA8128  -146A  21029/259      

と発注順序的にも製造ラインの順番的にも、最初の貨物機(JA8123)を含めた、国際線用のJA8122,JA8125,JA8127,JA8128の5機は7機のSR-46の後ろ3機と同時期に発注契約がなされ、ほぼ同時期に製造されたことが分かります。

cn20924 ln235のJA81221974年3月29日に登録されました。JALの747がアンカレジ経由の欧州線に就航したのは1972年4月のことで3日には東京~アムステルダム~パリに、5日には東京~ハンブルグ~パリに就航しています。1973年3月31日には東京~フランクフルト線に、4月2日には東京~ロンドン線にも747が就航、そしてJA8122が本格的に営業運航に投入された1974年4月1日からはアンカレッジ経由の北回り欧州線は全便747による運航となりました。

1975年12月16日、JL422便として運航中、アンカレジ空港の誘導路を走行中、凍結と強風で誘導路を逸脱、平均傾斜度13度の積雪の土手を滑落し、停止する事故を起こしました。乗客乗員2名が重賞、9名が軽傷を負う事故となりました。空港管理者の凍結への対策の不十分、羽田空港の着陸制限時間を気にするあまり機長が不適切な判断をしたことが原因の事故でした。

1979年7月22日、サンフランシスコから東京に向かうJL001便が午前8時10分(JST)離陸後、9時25分頃、高度31000ftを飛行中の機内でインドネシア国籍の49歳の男性(ストレッチャ輸送旅客)が死亡する事故がありました。癌の手術のためサンフランシスコに行きましたが、滞在のみで手術は行わず、帰国の途上の死でした。機内における遺体保存措置の限界から、目的地をホノルル国際空港に変更、燃料50,000lbを放出し、13時12分に着陸、同空港で遺体と付添人3名は降機しました。

1987年4月26日午前7時27分(JST)バンクーバー国際空港をJL015便として離陸後、高度31000ftを新東京国際空港に向け飛行中、カナダ国籍のフィリピン人の女性72歳が肺癌のため死亡する事故がありました。付添人の希望により同機は飛行を継続し、17時22分、新東京国際空港に着陸しました。

Ja8122-jal-b747246b-cn-20924-ln-235-9305

1993/5/8 羽田京浜島 JA8122 cn20924/ln235 国際線から国内線用にコンバートされていた時代

Ja8122-jal-b747246b-cn-20924-ln-235-9508

1995/8/7 成田RWY16Rエンド 再び国際線に

1990年から1994年にかけては国内線用にコンバートされ、その後は近距離国際線に使用されました。1996年1月31日、UTファイナンスに売却、N550SWとなり、3月にはCLG747社を経てエアアトランタ・アイスランドにリース(TF-ABI)、サウジアラビア航空、イベリア航空にリースされ、現在は解体済みです。

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2023年3月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その6 SR-46 7機: 日本の特殊事情に合わせ開発されたB747 

利用客数が多いにもかかわらず、空港は狭く、滑走路の本数も少ないため、発着回数が増やせない日本の空港事情を考慮し、B747-100をベースに自重の0.9%に相当する3050lb(1384kg)の補強を主脚や主翼に施し、4万2千飛行時間、5万2千回の離着陸回数に耐える構造としたのがB747-SR (short range) でした。エンジンはJT9D-7Aでした。
長距離型の耐用限度が当時、6万2千飛行時間、2万4千600回の離発着回数でしたから、総飛行時間は短いものの、2倍以上の離発着に耐えられるよう設計されました。最大離陸重量(Maximum permissible takeoff weight:MTOW)は57万lbと-100の71万lbに較べて少ないのは短距離型のため、搭載燃料が少ないからです。そのためにMTOWを基本に計算される着陸料や駐機料も節約されました。

1973年9月4日にJAL向けの1号機(cn20781/ln 221: N1795B)が初飛行し、同月26日JA8117として引き渡されました。SRデモンストレイターの写真では747SUPER AIRBUSとチトーラインの上に描かれているのが印象的でした。JA8117は9月28日に羽田に到着、このときには垂直尾翼にSRとペイントされていました。10月7日には営業運航で東京~沖縄便に就航、座席数は490席でした。1974年4月1日からは東京~札幌、東京~福岡便にも就航しました。
1976年7月30日、JL903便で羽田から那覇に向けてフライト中に66歳男性が機内で容体急変死亡する事故がありました。サンパウロから沖縄への帰国途上、胃癌の診断を受けての帰国でしたが、機内で全身衰弱のため病死とのことでした。

Ja8118-jal-b747-sr46-cn20782-ln-229-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8118 cn20782/ln229

同年12月21日にはSRの2号機、cn20782/ln229JA8118を受領、沖縄線で運航開始、さらに翌年4月1日からは国内幹線や伊丹からのサイパン、グアム線にも就航しました。

1974年2月19日にはSRの3号機、cn20783/ln230JA8119を受領、同機は1978年6月2日、伊丹空港着陸時に胴体後部を地面に接触させる「尻もち事故」を起こし、圧力隔壁の下半分を修復しましたが、その際の修理に仕方が不十分で1985年8月12日夕刻、JL123便として大阪伊丹空港に向かうフライトで伊豆半島手前で圧力隔壁の金属疲労から破断が起こり、尾部が破壊、垂直尾翼を2/3失い、油圧系統も破断、ラダー等の制御が不能となり、約30分の迷走飛行の末、群馬県御巣鷹山の尾根に墜落、乗客乗員524名のうち、520名が犠牲となる事故を引き起こしました。1機の航空機が起こした事故としては史上最大の犠牲者数となった事故でした。ちなみにパンアメリカン航空のB747-121(N736PA)とKLMオランダ航空のB747-206B(PH-BUF)がスペイン領カナリア諸島テネリフェ空港で地上衝突する事故が1977年3月27日夕刻に起き、両機の乗員乗客644人のうち583人が犠牲となっており、これが史上最大の航空機事故となっています。
日航123便の事故に関しては圧力隔壁の修理ミス~頻繁な離着陸による金属疲労~破断による急減圧~機体後部の損傷による操縦不能が原因と事故調査委員会は結論付けていますが、ボイスレコーダの解析や生存者の証言から果たして尾部を破壊に至らしめるような急減圧があったのかどうかは疑問とされています。事務的にはA8119の抹消は事故の1週間後の1985年8月19日となっています。

1974年2月20日にはSRの4号機、cn20784/ln231JA8120を受領、1974年3月28日にはSRの5号機、cn20923/ln234JA8121を受領、

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-8707

1987/7/26 HND旧国内線ターミナル JA8124 cn21032/ln249

Ja8124-jal-b747-sr46-cn21032-ln-249-9208

1992/8/23 HND RWY 04 (B)に着陸するSR-46の中では唯一当時の新塗装になったJA8124 cn21032/ln249

1974年11月22日にはSRの6号機、cn21032/ln249JA8124を受領、7機のSP-46の中では最後まで活躍し、唯一白を基調とした当時の新塗装になった機体でした。1975年4月2日、SR-46としては最終のcn21030/ln254JA8126を受領しました。1号機から7号機まで1年半かかりました。ちなみにJA8124とJA8126はcn番号が逆転しています。

当時、国際線用747のエコノミー座席は登場当時の横8列から横9列になりつつありましたが、SRでは横10列とし、SR1番機では460席が2~3番機では478席、4番機は490席と増え、1974年7月22日には498席で統一され、世界最多となりました。

1973年10月からJALの国内幹線の主力として活躍してきたSR-46 7機ですがJA8119の事故、1981年8月22日に台湾で起きた遠東航空103便の空中分解事故(B737-222:B-2603)、1988年4月28日にハワイでおきたアロハ航空243便事故(B737-297:N73711)で金属疲労によるマルチサイトクラックの問題が指摘され、リタイアが早まり、

JA8117: 1988年4月15日、ボーイングエクイップメントホールデングス社からNASAへ、N911NA スペースシャトル運搬機に2012年2月まで活躍しました。

JA8118: 1988年4月1日、ボーイング社に売却され、機体疲労試験・構造試験機となりました。

JA8120: 1990年4月10日、エヴァグリーンインターナショナルに売却、貨物機に改修 N477EV 1994年4月、UPSにリース N688UP 1997年3月 サウジアラビア航空へリース 1997年5月、ファーストセキュリティバンクに売却

JA8121: 1990年5月19日、UPSに売却、貨物機に改修 N680UP 

JA8124: 1994年3月17日、ユナイテドテクノロジー社からアメリカンインターナショナル航空へ N705CK

JA8126: 1990年12月19日、日商岩井からエバーグリーンベンチャー社へ、1991年4月、貨物機に改修、エヴァグリーンインターナショナル航空へリース N478EV 1994年4月から1996年12月までUPSへサブリース

といった形でJALのフリートから離脱して行きました。

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2023年3月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その5 JA8113・JA8114

JALのクラッシック・ジャンボシリーズ、今回は8,9機目の-246BとなるJA8113JA8114です。両機ともエンジンはPW JT9D-7AW 水噴射オプション付きでした。

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-96111

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-98021JA8113 cn20529/ln192 NRT

Ja8113-jal-b747246b-cn20529-ln-192-96010 JA8113 cn20529/ln192 HND ドメス運用

cn20529/ln 192のJA8113は1972年6月30日に登録されました。

同機の事故記録として以下のようなものがネットに残っています。
1974年5月2日、ホノルル国際空港から羽田、東京国際空港に乗客を乗せないフェリーフライト(回送)が行われ、機長、副操縦士、航空機関士の3名のみが搭乗し、羽田に到着、駐機場に停止した際に地上職員(24歳男性)(AGS:Airport Ground Service)が機体の外側から左前方のドアハンドルを操作した際に、ドアが自動的に開くとともに緊急脱出用のシュートが膨張し、職員がドアに押される形で4.8m下の地上に転落、重傷を負ったという事故でした。
同機はフェリーフライトで乗客や客室乗務員が搭乗していないため、客室前方のL-1およびR-1ドアのみを自動モード(機内ハンドルの操作で自動的にドアが開き、シュートが膨張する)にセットされ、13時20分に着陸、駐機場S3に入り、エンジンを停止、25分頃、地上職員がパッセンジャーステップを機体に寄せ、外側からL-1ドアを開けるため、ハンドル操作を行いました。

本来、外部からドアを開ける際はこういったシュートの膨張を防ぐため、外部からのハンドル操作を機内のエマジェンシー機構に伝え、ドアモードを自動から手動に切り替えるリンク、ディスアーミング機構があるのですが、事故調が調べた結果、ケーブルが弛んでいたため、正しく情報が伝わらなかったために手動モードにならず脱出用シュートの膨張を招いたと結論付けられました。

1999年1月29日に退役し、N554SWのレジが与えられ、
1999年2月から2000年4月まで エアアトランタアイスランド TF-ABQ
2000年4月から2000年5月まで エール・アフリック 同
2000年5月から2001年6月まで エアアトランタアイスランド 同
2001年6月から2001年9月まで アルジェリア航空 同
2001年9月から2002年1月まで エアアトランタアイスランド 同
2002年1月から2002年3月まで サウジアラビア航空 同
2002年3月から2002年10月まで エアアトランタアイスランド 同
2002年10月から2002年11月まで クーダレイ・インベストメンツ N910BW
2002年11月から2016年1月まで オリエント・タイ航空 HS-UTB        といった履歴となっています。

Ja8114-jal-b747246b-cn20530-ln-196-98112
Ja8114-jal-b747246b-cn20530-ln-196-98-12 JA8114 cn20530/ln196 NRT リゾッチャ(紫)

cn20530/ln196のJA8114は1972年11月3日に登録されました。
1981年3月31日、JL413便としてアンカレッジからコペンハーゲンにフライト中(JST:5時57分に離陸)、高度37,000フィートで日本人男性59歳がJST:11時40分頃、洗面所から自席に戻る際に通路で突然、昏倒、うつ伏せ状態で失神し、同乗の医師3名らによる緊急処置が施されましたが12時05分頃、心停止となりました。コペンハーゲンに予定通り到着後、デンマーク医師による検死の結果、急性心不全による死亡と診断されました。

1990年代の白をベースとした塗装に最初に変更されたのがJA8114でした。1999年10月、JALからJALウエイズに所属変更となり、2001年11月2日に退役しました。
その後は 
2001年11月から2006年1月まで オリエント・タイ航空 HS-UTPとして活躍しました。

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2023年2月24日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その4 JA8112・JA8115・JA8116

日本航空がかつて運航したクラッシックジャンボジェットのシリーズ、今回は-146Aの5~7号機目にあたるJA8112/JA8115/JA8116、3機の話題です。

Ja8112-jal-b747146a-cn20528-ln-191-92061 1992/6/14 cn20528/ln191 JA8112  国内線運用に入り羽田B滑走路に着陸するJA8112 (京浜島から)

JA8112 cn20528 ln1911972年6月14日に登録され、1993年6月22日までJALで活躍しました。この機体は1980年代のチートラインの入った塗装でリタイアしており、ホワイトベースの塗装にはならなかったのかと思います。1991年頃はJAAに貸し出され、垂直尾翼の鶴丸塗装をJAAと斜め書きした塗装で飛んでいました。

1974年5月31日、同機がJL61便としてハワイ・ホノルル国際空港から東京国際空港に向けて運航中の現地時間13時43分頃、乗客1名が心筋梗塞で死亡する事故がありました。

抹消後はN704CKとなり、アメリカン・インターナショナル・エアウエイズを経て、同じレジのままサウジアラビア航空に1994年1月から3月までリース、一旦、アメリカン・インターナショナル・エアウエイズに戻り、再びサウジアラビア航空で1996年3月まで活躍、1999年2月まではアメリカン・インターナショナル・エアウエイズに戻り、1999年2月からキティ・ホーク・インターナショナルで同じレジで2003年8月まで活躍、その後はN40489のレジで保管されているようです。

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Ja8115-jal-b747146a-cn20531-ln-980429-19 JA8115 cn20531/ln197 NRT

JA8115 cn20531 ln1971972年10月4日に登録され、1999年4月27日までJALで活躍しました。

1988年10月22日、新東京国際空港からハワイ・ホノルル国際空港に向けてJL72便として運航中、北緯32度・東経178度付近の公海上(高度39,000ft)、日本時間午前3時15分頃、就寝中の乗客男性69歳が冠動脈硬化症で死亡する事故がありました。

抹消後は1999年9月までN557SW、2003年1月まではTF-ATEでエアアトランタアイスランド、2003年1月から3月まではナイジェリアのアルパルカ・エアーにリース、その後、エアアトランタアイスランドに戻され、保管中です。

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Ja8116-b747146a-cn-20532-ln-199-980429-n JA8116 cn20532/ln199 NRT

JA8116 cn20532 ln1991972年12月8日に登録され、2002年2月1日まで活躍しました。1992年7月から1993年5月までは日本アジア航空に籍を置き、1993年5月にJALに復帰、2002年2月に抹消となっています。リタイア後はHS-UTHのレジでオリエント・タイ航空の機体として活躍しました。

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2023年2月17日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その3 JA8107~JA8111

日本航空のクラッシック・ジャンボシリーズ、今回は1971年秋に登録されたJA8107から1972年3月に登録されたJA8111までです。

JA8107:cn20332/ln161のB747-146は1971年10月28日に登録で、登録当時は2階部分は3個窓の-146、旅客用でした。当時の塗装は赤と黒のチートライン(側面に並ぶ窓に沿って引かれる直線)、尾翼に鶴丸のJALの標準塗装でした。コンフィグはC16, Y444 計460でJA8101~JA8103と同様でした。

1976年7月17日、羽田空港離陸後に被雷し、キャノピー、主翼前縁部を損傷する事故に遭遇しました。
1977年11月23日に貨物機にコンバートされ、-146SFとなりました。B747の貨物機1番機は1974年9月17日に登録され、10月1日から太平洋線に投入されたJA8123(B747-246F,cn21034/ln243)でしたが、増加する貨物需要に対処するため、JA8107の旅客タイプからのコンバートが決定されました。貨物機としての塗装は日の丸の横にJALCARGO JAPAN AIR LINESと斜体、赤と黒のチートライン、機体後部、主翼の後ろ部分に小さめのサイドカーゴドア、尾翼に鶴丸の塗装でした(例えばFlyTeamサイトのこの写真)でした。1977年9月には塗装変更され、主翼前部分の胴体、キャノピーから6分5程度にグレーの太帯、帯と同じ一辺の赤の四角、その上にJAと大書、その後ろにCARGO、尾翼の鶴丸は消え、斜めにレジ(JA8107)が書かれた塗装になりました(写真はFlyTeamのこの写真)。1977年11月30日からニューヨーク線に就航しました。

私も何度がこの手の貨物機は見ましたが、写真がすぐ出てきません。出てきたら追記します。貨物機の時代はJAAとの共有機で、1992年8月に登録抹消、売却後はKaritta Air N702CKとして登録、2010年9月に抹消、解体されています。

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Ja8108-b747246b-cn20333-ln166-970920-nrt JA8108 cn 20333/ ln 166 NRT

Ja8108-b747246b-cn20333-ln166-98-941223- JA8108 cn 20333/ ln 166 HND ドメス運用

JA8108:cn20333/ln1661971年11月30日登録、1989年頃までは導入当時の標準塗装、1990年代初頭にホワイトボディにJAL,グレーの太帯、赤四角の塗装になりました。コンフィグはC57,Y342計399でした。1999年12月15日に登録抹消となり、Air Gulf Falcon(スワジランド)へ売却, 3D-GFB, ST-AQN, 3D-PAH等と登録され、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ ST-AQNに、現在も解体はされず保管されているようです。

JA8109:cn20503/ln180、 JA8110:cn20504/ln181、 JA8111:cn20505/ln182の3機はいずれも-246Bで1972年3月2日、13日、21日にそれぞれ登録されています。コンフィグは3機ともC57,Y342計399でした。JA8109はJAL Jumbo機として1年4か月たった1973年7月20日、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由羽田行のJL404便としてアムステルダムを離陸直後、日本赤軍とPFLP(パレスティナ解放人民戦線)により、ハイジャックされ、7月23日にリビア・ベンガジで爆破されました。乗客は解放され全員無事でしたが、機体はBoeing747としては2機目の全機損失機となりました。ちなみにBoeing747の最初の全機損失機はパンナムのN752PA(-121: cn19656/ln34)1970年9月6日、アムステルダム発ブリュッセル経由ニューヨーク行、PA93便として運航中にハイジャックされ、カイロで爆破されたものでした。3機とも導入当時は2階部分は3個窓、JA8110以降は導入以降に窓が6~10個に増設されています。

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Ja8110-jal-b747246b-cn20504-ln-181-98021 JA8110 cn 20504/ ln 181 NRT

JA8110は1995年11月からは、ジャパンエアーチャーター(JAZ)の機体となり、Super Resort Express(黄色)塗装になっています。退役は1999年12月で、エア・ガルフ・ファルコンに売却(P4-GFE,3C-GFE,5YGFEと登録)、2001年2月にはスピリット・オブ・アフリカに(ST-AQL),エア・ガルフ・ファルコン(3D-PAj,3D-PAF)となり、2003年1月からはスピリット・オブ・アフリカ(ST-AQL)となり、現在も保管中です。

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Ja8111-jaz-b747246b-cn-20505-ln-182-nrt JA8111 cn 20505 /ln 182 上 JAL塗装 下 JAL WAYS塗装 のReso'cha purple

JA8111は1999年10月からジャパンエアーチャーター(JAZ)の後継のJALウエイズの機体となり、Super Resort Express(紫色)塗装になりました。

1980年1月27日、JL404便としてアムステルダム・スキポール空港からアンカレッジ国際空港に向け飛行中の午前2時27分頃(高度35,000ft)、日本人男性旅客1名(49歳)が肝硬変による食道静脈瘤破裂により、死亡する事故がありました。

退役は2001年6月でボーイング エアクラフト ホールディング カンパニーに売却、N791BAと登録、現在も保管中のようです。

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2023年2月10日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その2 JA8104~JA8106

JALのBoeing747シリーズ今回はタイプ-200Bとして導入されたJA8104~JA8106の話題です。

その前に今週は日本の航空産業にとって極めて残念なニュースがありました。それは三菱重工業の子会社、三菱航空機がかつてはMRJ: Mitsubishi Regional Jet、2019年6月からはSupace Jetとして開発していたYS-11以来となる国産旅客機の開発から正式に撤退を表明したことです。

同プロジェクトはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の提案した環境適応型高性能小型航空機計画に対応し、三菱航空機が1940年に開発したMC-20(帝国陸軍一00式輸送機)の民間機版以来、75年ぶりとなる独自の旅客機開発でしたが、2014年10月18日にロールアウト、2015年11月11日に県営名古屋空港にて初飛行に成功したものの、胴体と主翼の設計変更、開発並びに製造作業の進捗の遅れ、機体を制御する電子機器の配置を見直しなどで納入の延期を繰り返し、2019年からは
コロナ禍などによる航空機需要の落ち込みなどもあり、開発は凍結され、今後、それぞれの国で型式証明を取得するためには膨大な経費が掛かり、到底採算見込みが立たないとのことで撤退に至りました。国からもトータルで500奥円に及ぶ開発費が投入されていましたが、誠に残念な結果に終わりました。

国が本気で日本の旅客機開発を後押しするのであれば、もっと先を行くアメリカのBoeing社などと共同開発を進めるとか、我が国における型式証明を取得するプロセスを積極的にサポートするとかやり方があるのではないかという意見もあるようですが、この開発で得られた数多くの知見、ノウハウ、技術が決して無駄にならず次に生かせるようしてもらいたいものです。

JA8101~JA8103が登録され国際線にデビューした翌年の1971年2月から5月にかけて、JA8104からJA8106の3機が登録されました。
747-200Bは開発当初、747B型と呼ばれ、初期型が747-100型となった時点で-200Bとなりました。この辺の呼称の流れは新幹線の0系と似てますね。-100との違いは機体の構造が強化されたこと、エンジンがP&W製一社からからP&W,RR,GEの3社から選択できるようになったことが最大の違いです。JALの3機はP&W JT-9D7AW 水噴射オプション 推力46,150lb を搭載していました。

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-971228-nr 1997/12/28 JA8104 NRT

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-980926-nr 1998/9/26 NRT

Ja8104-b747246b-cn19823-ln-116-950116-hn 1995/1/16 HND
思えば阪神淡路大震災の前日ですが、長崎に出張のため羽田で搭乗する前にデッキから写した写真です。本来、インター運用の機体がドメス運用に入っており撮影しました。

JA8104 cn19823 ln1161971年2月11日に登録、2000年8月31日にリタイア、カリッタエアN570SWに2002年6月に抹消
1990年代、インターネットの初期のパソコン通信の時代、NiftyServeの航空フォーラムなどでJA8104の話題が出ると、「ボロヨン」などと陰口を叩かれていたのを思い出します。

Ja8105-b747246b-cn19824-ln-122-941223-nr 1994/12/25 NRT 当時の通常塗装

Ja8105-b747246b-cn19824-ln-122-990320-nr 1999/3/20 NRT JA8105 スーパーリゾートエクスプレス黄色

JA8105 cn19824 ln 122 1971年3月1日に登録、1999年6月28日に抹消 N558SW、TF-ATB, N741LA ウェルズ・ファーゴ・バンク・ノースウエスト ロジステッィクエアーに売却 N741LA 保管中

Ja8106-b747246b-cn-19825-ln-137-961116-n

1996/11/16 JA8106 NRT スーパーリゾートエクスプレス紫色

Ja8106-b747246b-cn-19825-ln-137-970824-n 1997/8/24 NRT

JA8106 cn19825 ln 137 1971年5月14日に登録、1999年3月31日に抹消 N556SW、TF-ATF 2003/3-エアアトランタアイスランド 保管中

JALは1994年6月3日にリゾート路線のキャンペーンとしてリゾッチャ(Reso`cha)を発表し、「乗った時からリゾート気分」をコンセプトとしたスーパーリゾートエクスプレス特別塗装機(SRE)を用意しました。機体の塗装だけでなく機内装飾も施され、客室乗務員もアロハ調のブラウスを着用し、機内サービスにあたりました。翌6月4日からホノルル線にSREが就航しました。リゾッチャ塗装に関しても、JA8105やJA8106の塗装変更に関しては「老朽機材の化粧直し」「ボロッチャ」とも言われていました。

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2023年2月 3日 (金)

世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoing747 その1 JA8101~JA8103

1967年に製造が開始され、1968年9月に初号機 (N7470)がロールアウト、1969年2月9日に初飛行、形式証明を取得後、1970年1月21日にパン・アメリカン航空ニューヨーク(JFK)~ロンドン(LHR)間に初就航したBoeing 747、通称「ジャンボジェット」の最終号機、1574号機が2023年1月31日、アメリカ・ワシントン州のエバレット工場でロールアウトし、アトラス航空に引き渡されました。登録記号はN863GT、タイプは-8F、cn 67150/ln 1574 です。

シリーズ累計の飛行時間は1億1800万時間、フライト回数は2300万回近くになるとのことです。

そこで今回から、週1回位のペースで、かつて成田や羽田他国内の主要空港、そして海外の空港で撮影したBoeing 747の写真を紹介してゆこうと思います。最初は世界最大の747カスタマー(トータルで113機の747を運航)だった日本航空(JAPAN AIR LINES: JAL)とその子会社、日本アジア航空(JAPAN ASIA AIRWAYS: JAA)のB747です。

JALの747として最初に登場したのはJA8101, JA8102, JA8103として登録された3機でした。型式は-146Aで所謂、タイプ-100です。
このタイプは747シリーズとして167機がオーダーされており、主なイニシャル・カスタマーと導入機数はパンナム:33機、ユナイテド:22機、TWA:15機、BA:18機、エールフランス:16機、ノースウエスト:10機でした。最大離陸重量は735,000lb:333,400kg、航続距離9130km、巡航速度905km/h、搭載エンジンはP&W JT9D-3A, 水メタノール噴射を搭載した-3W, コア側のコンプレッサーを改良し、推力と耐久性を改善した-7Aが標準装備でした。JALの3機はJT9D-7A(推力46,500lb: 20,930kg)を搭載していました。尤も、JT9D-7Aは-100の改良型である-200B用に開発されたエンジンでした。コンフィグはC16Y444で460名でした。

かつてジェット機第一世代のDC-8を導入した際に太平洋横断路線で競い合っていたパンナムがBoeing707を手早く購入し、JALはそれに後れを取り、DC-7Cで同路線の競争で痛い目にあった経験から、今回は早めに747の発注をかけたのですが、如何せん、エンジンの開発が当初、謳われた性能を発揮するまでに至っておらず、まずは3機で様子を見たという感じの発注だったのではないかと思います。

cn19725/ln31のJA81011970年4月22日に納入、1989年8月から1991年4月にかけ、台湾路線に就航する日本アジア航空(JAA)の機体となり、1991年4月にJALに戻りましたが、1992年6月9日に抹消となりました。

JALのBoeing747の初号機ではありますが、受領後はモーゼスレイクでの乗員の訓練に使用された関係で路線初就航は2号機であるJA8102に取られているようです。

ネットに残る同機の痕跡を調べてみると、1976年4月15日、JL464便として南回り欧州路線(パリ~ローマ~アテネ~テヘラン~デリー~バンコック~東京)を飛ぶ運航で、デリーからバンコックに向かう機内(12時20分、日本時間)高度35,000ftにおいて日本人旅客62歳の容体が急変、高度を25,000ftに下げ、酸素吸入等の手当てをするものの、12時29分、ビルマ、アキヤブ南方60哩の公海上空で搭乗していた医師により、死亡が確認される事故がありました。東京国際空港に到着後、東京都監察医務院監察医による検死で求心性心臓肥大症による病死と診断されました。

旅客機としての役割を終えた後は1992年8月4日、貨物機(B747-146SF)に改修され、キティホークインターナショナルN40467として活躍後、整備保存されています。

Ja8102-jal-b747146a-cn-19726-ln-51-87071 1987/7/12 NRT JAAからJALに戻った頃のJA8102

Ja8102-jaa-b747146a-cn-19726-ln-51-nrted 1991年頃 NRT JA8102 
アッパーデッキの窓は3つなのが特徴です。

cn19726/ln51のJA81021970年5月28日に納入、1982年12月から1986年11月までと1990年1月から1992年6月までJAAの機体でした。

前述のようにJALのBoeing747として路線就航のおいしいところはJA8102がとっており、1970年6月1日、羽田に到着すると、7月1日からは東京~ホノルル線初就航、7月2日には東京~ホノルル~サンフランシスコの初便を担当しています。さらに国内線用のショートレンジのSR-46がデリバリーされる前に、返還直後の1972年6月14日、国内線初の定期便として沖縄線に就航したのもJA8102でした。このときにはファーストクラスを外し、モノクラス384席のコンフィグでのフライトでした。以降、1973年10月7日にSR-46が沖縄線に就航するまでは-146Aが同線に就航していました。

1992年6月3日に抹消され、ガボエアに売却、5N-BBBで登録されましたが、既に解体されています。

cn19727/ln54のJA81031970年6月26日に納入、1982年11月から1992年12月まではJAAの機体でした。1992年12月22日に抹消、貨物機B747-146SFに改修され、カリッタエアに売却、N40483として登録されました。既に解体されています。

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<日本アジア航空について>

1972年の日中共同声明で中華人民共和国との間に国交が築かれたのと同時に中華民国(台湾)との間は断交となりました。日中間の航空協定を締結する際にそれまでの台湾へのJALの乗り入れは中国政府の申し入れで出来なくなりました。そこでJALとは別会社の日本アジア航空JAAが1975年8月8日に設立され、東京国際空港と中華民国を結ぶ路線を受け持つこととなりました。
JAAはJALの全額出資で設立され、同年9月15日からJALからリースされたダグラスDC-8-53型機により、東京国際空港~台北松山・高雄の運航が開始され、新東京国際空港が1978年5月に開港すると本拠地を成田に移し、JALからのリース機材で貨物便の運航も開始しました。

両国間の輸送量の増大を受け、マクドネル・ダグラスDC-10-40、ボーイング747-200/300型が導入され、台湾以外にグアム、香港、デンパサール、ジャカルタなどにも就航、日本国内でも名古屋、関西空港発着便が登場しました。

2007年に日本側の対台湾の窓口である交流協会と台湾側の亜東関係協会が日本 - 台湾路線の直接運航を認めることを確認したことにより、2008年4月に日本航空インターナショナルと統合され、同年3月31日を以って運航は終了となりました。

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JALの型式-146Aの747には他にJA8112, JA8115, JA8116, JA8128が存在しました。これらについては後日、順番に紹介しますが、-246Bの登場後もこれら航続距離が短いタイプが導入されたのは東南アジア等の近距離国際線に向けた投入のためだった様です。また-100Aをベースとして、-200Bのランディングギアを組み合わせ、高頻度の離着陸に対応するため胴体各部を補強した747SRが1973年9月に型式証明を取得、同年10月に初就航しましたが、これらは当時の日本の国内線事情を反映したタイプ、世界でもJALとANAしか導入しなかったタイプとなりました。

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2019年9月26日 (木)

2019/8/31 久しぶりの成田空港 その9 殆ど見ることが無くなったBoeing747-400 旅客型 China Airlines

以前はJALが世界最大にBoeing 747オペレーターだったこともあり、成田空港ではBoeing 747をよく見ましたが、最近は747-8を運航しているルフトハンザ・ドイツ航空も羽田に移ってしまい、旅客型は殆ど見ることが無くなってしまいました。そんな中で台湾のChina AirlinesはまだBoeing 747-400型で成田に乗り入れているようです。

China Airlines

Fleet listによると同社は60機のBoeing 747 をこれまで運航しており、その内訳は
Boeing747-100            2機 退役済み
     -200B            1機 2002年5月、金属疲労による空中分解事故 B-18255
     -200B(SF)貨物機コンバート 11機 退役済み
     -SP             4機 退役済み
     -400            1機 1993年11月香港でオーバーラン事故
     -400F            5機 退役済み
                    18機 現役 
     -400             2機 解体済み
                    12機 退役済み
                     4機 現役

China-airlines-b747400_20190925191501  
今なお現役で活躍中の China Airlines Boeing 747-400 Fleet List  

B18212 B18212-2 B18212-3    

2019/8/31 B-18212 Boeing 747-409   

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