世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その30 N211JL同様に米国籍で導入された-346の初号機 N212JL
747のアッパーデッキを後方に延長し、旅客増に対処するため客席を増やしたタイプが-300型で1980年6月、KLMオランダ航空がキックオフカスタマーとしてローンチされました。初号機は1982年10月5日に初飛行、1983年3月7日に型式証明を取得、同月28日から就航しました。
アッパーデッキの座席はエコノミー配置で69席となり、YS-11一機分とよく言われました。緊急時の脱出に関するFAAの要求を満たすため、緊急脱出扉は大型化され、階段は螺旋式からストレート方式に変更となりました。最大離陸重量は当時製造中だった-200B型と同様の83万3千ポンド(37万7850kg)で、上部デッキの延長で自重が9310ポンド(4220kg)増加し、本来なら飛行性能が低下すべきところですが空気抵抗の減少で長距離巡航速度はマッハ0.84から0.85に向上しました。さらにPW:JT9D-7R4G2,GE:CF6-50E2,RR:RB211-524D4といった-300用の新エンジンの燃費率改善効果で所要燃料は1%減少しました。座席数が増えて、航続距離も若干増えたのが-300型の特徴でしたが、-400型の発注開始で1990年5月には新規発注を停止したため、-300M:21機、-300SR:4機を含め、シリーズ全体で81機に留まりましたが、-400型への発展の礎となったタイプでした。またBoeing社は-200Bで納入した機体のアッパーデッキを-300タイプにする改造を受け付け、1983年秋にKLMの10機、1984年12月にUTAの2機が改造300型(200B/SUD)となりました。
JALの-346初号機はN211JLと同様にアメリカ国籍で導入されたN212JL(cn23067/ln588)でした。1983年10月10日、初飛行、同年11月29日納入、25年後の1998年6月18日、リース期間終了でJA812Jと登録、2009年10月17日、Orient Thai Airlinesに売却となり、HS-UTWとなりました。
1997/12/28 NRT
1998/2/11 NRT
ドーハの悲劇から4年、ジョホールバルの歓喜で1998年 FIFA WCフランス大会に日本が初めて参加することになり、JAL機にも応援メッセージが
1998/8/26 NRT
FIFA WC フランス大会、日本はGroupHで6/14 アルゼンチン戦(トゥールーズ)、6/20 クロアチア戦(ナント)、 6/26 ジャマイカ戦(リヨン)と戦い、アルゼンチン戦はバティストゥータ、クロアチア戦はシュケルのゴールでいずれも0-1、ジャマイカ戦では中山が日本のワールドカップ初ゴールを記録しつつも、ウィットモアに2ゴール決められ、いずれも1点差で3連敗でした。
この大会以降、7大会連続で出場権を獲得、決勝トーナメントでベスト8入りという課題は依然クリアできていませんが、カタール大会では予選リーグでドイツ、スペインを撃破するなど98年から見れば大黄な成長の跡が見られます。
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