世界で一番多い保有数を誇ったJALのBoeing747 その1 JA8101~JA8103
1967年に製造が開始され、1968年9月に初号機 (N7470)がロールアウト、1969年2月9日に初飛行、形式証明を取得後、1970年1月21日にパン・アメリカン航空ニューヨーク(JFK)~ロンドン(LHR)間に初就航したBoeing 747、通称「ジャンボジェット」の最終号機、1574号機が2023年1月31日、アメリカ・ワシントン州のエバレット工場でロールアウトし、アトラス航空に引き渡されました。登録記号はN863GT、タイプは-8F、cn 67150/ln 1574 です。
シリーズ累計の飛行時間は1億1800万時間、フライト回数は2300万回近くになるとのことです。
そこで今回から、週1回位のペースで、かつて成田や羽田他国内の主要空港、そして海外の空港で撮影したBoeing 747の写真を紹介してゆこうと思います。最初は世界最大の747カスタマー(トータルで113機の747を運航)だった日本航空(JAPAN AIR LINES: JAL)とその子会社、日本アジア航空(JAPAN ASIA AIRWAYS: JAA)のB747です。
JALの747として最初に登場したのはJA8101, JA8102, JA8103として登録された3機でした。型式は-146Aで所謂、タイプ-100です。
このタイプは747シリーズとして167機がオーダーされており、主なイニシャル・カスタマーと導入機数はパンナム:33機、ユナイテド:22機、TWA:15機、BA:18機、エールフランス:16機、ノースウエスト:10機でした。最大離陸重量は735,000lb:333,400kg、航続距離9130km、巡航速度905km/h、搭載エンジンはP&W JT9D-3A, 水メタノール噴射を搭載した-3W, コア側のコンプレッサーを改良し、推力と耐久性を改善した-7Aが標準装備でした。JALの3機はJT9D-7A(推力46,500lb: 20,930kg)を搭載していました。尤も、JT9D-7Aは-100の改良型である-200B用に開発されたエンジンでした。コンフィグはC16Y444で460名でした。
かつてジェット機第一世代のDC-8を導入した際に太平洋横断路線で競い合っていたパンナムがBoeing707を手早く購入し、JALはそれに後れを取り、DC-7Cで同路線の競争で痛い目にあった経験から、今回は早めに747の発注をかけたのですが、如何せん、エンジンの開発が当初、謳われた性能を発揮するまでに至っておらず、まずは3機で様子を見たという感じの発注だったのではないかと思います。
cn19725/ln31のJA8101は1970年4月22日に納入、1989年8月から1991年4月にかけ、台湾路線に就航する日本アジア航空(JAA)の機体となり、1991年4月にJALに戻りましたが、1992年6月9日に抹消となりました。
JALのBoeing747の初号機ではありますが、受領後はモーゼスレイクでの乗員の訓練に使用された関係で路線初就航は2号機であるJA8102に取られているようです。
ネットに残る同機の痕跡を調べてみると、1976年4月15日、JL464便として南回り欧州路線(パリ~ローマ~アテネ~テヘラン~デリー~バンコック~東京)を飛ぶ運航で、デリーからバンコックに向かう機内(12時20分、日本時間)高度35,000ftにおいて日本人旅客62歳の容体が急変、高度を25,000ftに下げ、酸素吸入等の手当てをするものの、12時29分、ビルマ、アキヤブ南方60哩の公海上空で搭乗していた医師により、死亡が確認される事故がありました。東京国際空港に到着後、東京都監察医務院監察医による検死で求心性心臓肥大症による病死と診断されました。
旅客機としての役割を終えた後は1992年8月4日、貨物機(B747-146SF)に改修され、キティホークインターナショナルN40467として活躍後、整備保存されています。
1987/7/12 NRT JAAからJALに戻った頃のJA8102
1991年頃 NRT JA8102
アッパーデッキの窓は3つなのが特徴です。
cn19726/ln51のJA8102は1970年5月28日に納入、1982年12月から1986年11月までと1990年1月から1992年6月までJAAの機体でした。
前述のようにJALのBoeing747として路線就航のおいしいところはJA8102がとっており、1970年6月1日、羽田に到着すると、7月1日からは東京~ホノルル線初就航、7月2日には東京~ホノルル~サンフランシスコの初便を担当しています。さらに国内線用のショートレンジのSR-46がデリバリーされる前に、返還直後の1972年6月14日、国内線初の定期便として沖縄線に就航したのもJA8102でした。このときにはファーストクラスを外し、モノクラス384席のコンフィグでのフライトでした。以降、1973年10月7日にSR-46が沖縄線に就航するまでは-146Aが同線に就航していました。
1992年6月3日に抹消され、ガボエアに売却、5N-BBBで登録されましたが、既に解体されています。
cn19727/ln54のJA8103は1970年6月26日に納入、1982年11月から1992年12月まではJAAの機体でした。1992年12月22日に抹消、貨物機B747-146SFに改修され、カリッタエアに売却、N40483として登録されました。既に解体されています。
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<日本アジア航空について>
1972年の日中共同声明で中華人民共和国との間に国交が築かれたのと同時に中華民国(台湾)との間は断交となりました。日中間の航空協定を締結する際にそれまでの台湾へのJALの乗り入れは中国政府の申し入れで出来なくなりました。そこでJALとは別会社の日本アジア航空JAAが1975年8月8日に設立され、東京国際空港と中華民国を結ぶ路線を受け持つこととなりました。
JAAはJALの全額出資で設立され、同年9月15日からJALからリースされたダグラスDC-8-53型機により、東京国際空港~台北松山・高雄の運航が開始され、新東京国際空港が1978年5月に開港すると本拠地を成田に移し、JALからのリース機材で貨物便の運航も開始しました。
両国間の輸送量の増大を受け、マクドネル・ダグラスDC-10-40、ボーイング747-200/300型が導入され、台湾以外にグアム、香港、デンパサール、ジャカルタなどにも就航、日本国内でも名古屋、関西空港発着便が登場しました。
2007年に日本側の対台湾の窓口である交流協会と台湾側の亜東関係協会が日本 - 台湾路線の直接運航を認めることを確認したことにより、2008年4月に日本航空インターナショナルと統合され、同年3月31日を以って運航は終了となりました。
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JALの型式-146Aの747には他にJA8112, JA8115, JA8116, JA8128が存在しました。これらについては後日、順番に紹介しますが、-246Bの登場後もこれら航続距離が短いタイプが導入されたのは東南アジア等の近距離国際線に向けた投入のためだった様です。また-100Aをベースとして、-200Bのランディングギアを組み合わせ、高頻度の離着陸に対応するため胴体各部を補強した747SRが1973年9月に型式証明を取得、同年10月に初就航しましたが、これらは当時の日本の国内線事情を反映したタイプ、世界でもJALとANAしか導入しなかったタイプとなりました。
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