2025年4月22日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その17 大衆車の争い ダットサン・サニー vs トヨタ・カローラ

 1955年の通産省の国民車構想に答えて自動車メーカー各社がこれぞ国民車というクルマをデビューさせる中、日産は戦前からの流れを汲んだ「ダットサン110型」を、トヨタは「トヨペット・クラウン」を世に出し、それぞれ小型と中型の世界で販売を拡大させていました。それぞれが相手の得意分野に進出しようと日産は1960年に「セドリック」を発売、トヨタはクラウンのタクシー版だった「トヨペット・マスター」のパーツを流用し、「コロナ」を世に出しました。さらに日産はコロナに対抗し、ライセンス生産していた「オースチンA50」のエンジンをストローク・ダウンし、「ダットサン210型」をデビューさせました。その後、「ダットサン310型」はブルーバードの愛称が与えられ、国内販売、海外輸出両面でコロナを大きく引き離しました。日産は2代目ブルーバードとしてイタリアのピニンファリーナのデザインによる410型1963年にデビューさせますが、自信をもって出したこのクルマ、日本の市場では「尻下がり」と受け入れられず、一方、トヨタが1964年に3代目としてデビューさせたアローラインのコロナは大ヒットとなり、コロナが初めてブルーバードに勝利しました。

1966年、通産省の国民車構想から11年目のこの年は「大衆車元年」と後に言われる年となりました。トヨタはコロナの下のクラスとして1961年に空冷水平対向2気筒エンジン搭載の「パブリカ」を世に出しましたが、まだ経済成長が始まったばかりでヒットはしませんでした。日産はブルーバードの下のクラスとして「サニー」を開発、エンジンは水冷直列4気筒OHV、1000㏄でした。4月に「サニー」が発表されるとトヨタは「サニー」開発の情報を掴んだ時点でエンジンの排気量を1100㏄とし、「カローラ」として同年10月に発表しました。さらに「サニー」を意識して、「プラス100㏄の余裕」というキャッチコピーをつけての販売戦略を取りました。サニーが直線的で軽快な走りをするのに対し、カローラはパブリカの失敗から豊かさをイメージさせるボディを前面に押し出した感がありました。1969年にはカローラが同じトヨタの3代目コロナを販売実績でも上回り、年間最多販売車種の座に就きました。サニーも1971年の2代目では1200㏄エンジンを搭載、ボディサイズも拡大し、「隣のクルマが小さく見えます」というキャッチコピーで対抗しましたが、2代目カローラは1400,1600㏄エンジンで登場、セダン、クーペに続き、ハードトップも加わり、サニーを引き離してゆきました。

 

Dsc02946

ダットサンサニー 1000 B10型
全長 3820㎜ 全幅 1445㎜ 全高 1345㎜ 重量 645㎏ ホイールベース 2280㎜ 水冷直列4気筒OHV 988㏄
最高出力 41kW/56PS/6000rpm

Dsc02944 トヨタ カローラ KE10型
全長 3845㎜ 全幅 1485㎜ 全高 1380㎜ 重量 710㎏ ホイールベース 2285㎜ 水冷直列4気筒OHV 1077㏄
最高出力 44kW/60PS/6000rpm

1986年には1位がカローラ、2位がサニーでしたが、バブル期になるとマークIIやクラウンが間に入るようになり、バブル終了後の1993年には日産の稼ぎ頭は「マーチ」「キューブ」などになり、2004年とうとうブランド名も新型「ティーダ・ラティオ」に置き換わり、消滅となりました。
一方のカローラは1969年から2001年ホンダ・フィットに抜かれるまで車名別日本国内販売台数第1位を維持、現在もトヨタカローラ店が存在するように、11代51年とマツダ・ファミリアに続く長命ブランドになっています。

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2025年4月21日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その16 1955年代後半からの国民車構想で登場した軽自動車

第二次世界大戦の終結から10年が経過した1955年、通商産業省が国内の自動車需要を喚起するため「国民車育成要綱案:国民車構想」を打ち出しました。それにこたえる形で国内自動車メーカー各社が国民車の試案を検討しました。通商産業省の国民車構想の要件は

・最高速度100 km/h以上であること。
・乗車定員4名、または2名と100 kg以上の貨物が積めること。
・60 km/hで平坦な道路を走行中の燃費が、30 km/L以上であること。
・大がかりな修理をしなくても、10万 km以上走れること。
・月産2,000台の場合、最終販売価格は1台25万円以下であること。
・性能と価格から勘案されるエンジンの排気量は350 - 500 cc、車重は400 kg以下。  でした。

大学教授と自動車好きの若手官僚が立案したこの企画、当時の主要自動車メーカー側も検討はしましたが、当初は技術面、コスト面から実現は困難との回答が日本自動車工業会(自工会)の統一見解として出されました。

1909年、静岡で自動織機の製造を始め、1930年代に自動車産業に進出、イギリスのオースチン・セブンを手本に研究に着手、太平洋戦争の戦火拡大で中断に追い込まれるものの、1954年からは本格的小型オートバイを発売、バイクメーカーとして地歩を固め、4輪車開発も始めた鈴木自動車工業1955年に発売したのがスズキ・スズライトSLでした。ヨーロッパの小型車ロイトを参考に2ストロークエンジンとFF駆動方式を採用した我が国の軽自動車のパイオニアでした。

航空機メーカーだった中島飛行機は戦後、富士重工業としてこの構想にこたえる意味で開発したのが「スバル360」でした。モノコック構造のボディ、コイルスプリングではなくトーションバー(捩り棒バネ)を使用したサスペンション、空冷リアエンジンなどのユニークな機構により、軽自動車とは思えない広い室内空間と快適な乗り心地を実現しました。1958年から1970年までに約39万2000台が製造されました。ナチス・ドイツの国民車構想で誕生したフォルクスワーゲンタイプ1(KdF-Wagen)の愛称(ビートル)との対比から「てんとう虫」として親しまれました。

Dsc02931 スバル360 K111型
全長 2990㎜ 全幅 1300㎜ 全高 1380㎜ 重量 385㎏ ホイールベース 1800㎜ エンジン 空冷直列2気筒2サイクル356㏄
最高主力 12kW/16HP/4500rpm 

新三菱重工(現、三菱自動車工業)の国民車構想への解答は1959年秋のモーターショーで発表された三菱・500でした。新三菱重工業にとっては3番目に製作した乗用車で1番目はA型リムジン(フィアット・ゼロのコピー)、2番目はヘンリー(カイザー・フレイザーのノックダウン生産)でした。戦時中は零銭の製造など軍用機を製造していた名古屋製作所が戦後、GHQの指令により民需に転換し、自動車の生産を始め、ジープのノックダウン生産に続き、手がけたのが三菱・500でした。スバル360と同様に空冷リアエンジンでサスペンションは前後ともトレーリングアームとコイルバネの組み合わせでした。販売は芳しくなく、1962年コルト600にビッグマイナーチェンジしました。生産台数は1万3289台でした。

Dsc02932 三菱500 A11型
全長 3160㎜ 全幅 1390㎜ 全高 1380㎜ 重量 530㎏ ホイールベース 2065㎜ 空冷直列2気筒OHV 594㏄
最高出力 18kW/25PS/4800rpm

東洋工業(現、マツダ)が1960年に世に出したのがR360クーペでした。東洋工業初の4輪車で後にロータリー・エンジンの実用化に成功した山本健一がリーダーとして開発したクルマで日本車で初めてクーペと名乗ったクルマでもありました。軽量化のためアルミニウム合金、マグネシウム合金、プラスティックなどの軽量素材が多用されました。価格はスバル360の42.5万に対して30万に設定され発売当初は人気を得ましたが、後部座席が狭く実質2人乗りであったため、1962年に発表された4座席軽乗用車「キャロル」に主役の座を譲りました。当時まだマイナーだった2速AT車があったのも特徴的でした。

Dsc02950_20250420093701 マツダ キャロル KPDA型
全長 2990㎜ 全幅 1295㎜ 全高 1320㎜ 重量 540㎏ ホイールベース 1930㎜ 水冷直列4気筒OHV 358㏄
最高出力 15kW/20PS/7000rpm

スズキ、スバル、三菱、マツダなどが世に出した軽自動車に対してトヨタが出した国民車構想への最初の答えはトヨタ・パブリカUP1でした。パブリカはこれまでの軽自動車に比べると1ランク上の小型車ですが1961年6月に発売、価格は38.9万円でした。これは装備を極めて簡素に省略した結果でラジオ、ヒーター、燃料計、サイドミラーすらありませんでした。そのため販売は低迷しました。1963年にはデラックス仕様が登場、1966年には大規模なマイナーチェンジが行われ、スターレットに受け継がれる形で1988年3月に27年の歴史に幕を下ろしました。

Dsc02935_20250420093801 パブリカ UP10型
全長 3520㎜ 全幅 1415㎜ 全高 1380㎜ 重量 580㎏ ホイールベース 2130㎜ 空冷水平対向2気筒OHV 697㏄
最高主力 21kW/28PS/4300rpm

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2025年4月17日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その15 1960年代 小型車BC戦争で初めて勝利した3代目コロナRT40型

1960年代、日本の乗用車市場はトヨタ自動車1962年9月に初代からフルモデルチェンジした2代目クラウン(RS4#型)を発売、日産自動車オースチンA50ケンブリッジの後継車種として1960年4月に30型セドリックを世に出しました。両社のフラッグシップカーにはいずれも1500~1900㏄エンジンが搭載されていました。初代セドリックは縦に並んだ4灯のヘッドランプが特徴的でした。後に日産に吸収合併されるプリンス自動車工業1958年当時は富士精密工業)は1958年10月スカイライン1900を第5回全日本自動車ショウにて発表、1959年1月にその派生型として初代グロリアBLSIP-1型が発売され、戦後一般発売された日本車第1号の3ナンバー車となりました。日産とプリンスの合併により、セドリックとグロリアは姉妹車関係になりますが、クラウンを含めた3ブランドが1980年代頃まではわが国のフラッグシップカーの位置にありました。
その弟、妹分として各社の販売の中核に位置付けられたのがトヨタではコロナ、日産ではブルーバード、プリンスではスカイラインでした。
 ブルーバードは3月17日記事で紹介したダットサン11型フェートン1938年発売のダットサン17型セダン、戦後の1955年発売のダットサン110型、エンジンをSVからOHVにした改良型210型の流れを引き継ぎ、1959年310型としてデビューしました。初めて前輪独立懸架方式が採用され、乗り心地が改善されました。初代は1963年まで製造され、1963年、フルモデルチェンジでピニンファリーナによるデザイン、フル・モノコックボディの410型となりました。しかし、このアヒルのような尻下がりのボディラインが不評を買い、販売台数でライバルコロナの先行を許しました。1967年のフルモデルチェンジで直線的なスタイルの510型に生まれ変わり、再び人気が回復しました。

Dsc02942 ダットサンブルーバード P411型
全長 3995㎜ 全幅 1490㎜ 全高 1440㎜ 重量 915kg ホイールベース 2380㎜ 水冷直列4気筒OHV1299㏄
最高出力 46kW/62PS/5000rpm

 スカイラインは初代はグロリアの派生元であり、1962年4月にはイタリア、カロッツリアデザインのスカイラインスポーツ(4つの前照灯が吊り上がった目のように配置されたモデル)などを出すなど路線がはっきりしていない感がありましたが、1963年のフルモデルチェンジで高級車路線はグロリアに譲り、1500㏄クラスの量販車となったS5型で路線が定まった感があります。このモデルからスカイラインGTが登場、さらに1966年日産との合併がありましたが、ブランド名は3代目以降も引き継がれてゆきました。

 話はだいぶ横道にそれましたが、トヨペットコロナは昨日の記事にあるように1957年初代ST/PT10型をデビューさせました。これはRS型クラウンのタクシー版として製造されたトヨペット・マスター(関東自動車工業が1955年1月から1956年11月まで生産)のタクシー業界への反版不振(クラウンの前輪独立懸架の耐久性がタクシー仕様に耐えられることがわかり、従来のリーフリジットアクスルを採用したマスターの乗り心地の悪さと操縦安定性の低さによる)でマスターへの設備投資が無駄にならないようにと関東自動車工業の生産技術を維持するため、マスターのボディパネルやウインドウガラスを流用して製造されたものでした。基本的には2代目T20型が登場するまでのつなぎ的存在でしたが、関東自動車が以前から研究していたモノコックボディが初採用された量産乗用車となりました。
 2代目コロナT20/T30型はダットサンセダン、310型ブルーバードに対抗する車としてトヨタが総力を挙げたモデルでした。設計上の最大の特徴は1枚リーフとコイルバネによるカンチレバー式(レコードの針の機構)リアサスペンションでしたが、当時の日本はまだ未舗装道路が多くタクシーとして酷使されると強度不足が露呈しました。またピラーが細かった点もボディのスマートさよりも耐久性の面でタクシー業界からは不評を買いました。この時点ではブルバードの優位は揺るがず、トヨタは業界2位に甘んじていました。
 1964年9月、これまでの教訓を生かして海外市場でも通用する高性能、高品質の車として開発したのが3代目T40/T50型でした。エンジンは2R型1490㏄、70HPを搭載、中型車並みの乗り心地とするためボディサイズは全長、全幅で60㎜、室内幅で40㎜拡大し、フロントノーズはアローラインとしました。開通間もない名神高速道路で10万キロ連続高速走行公開テストが実施され、58日間で10万キロを完全走破、高速性能と耐久性がアピールされました、その効果もあり、人気が急上昇、ダットサン・ブルーバードの販売台数を1965年1月初めて抜き、国内販売台数1位を獲得しました。同年末には1位の座を盤石なものとし、1968年カローラに抜かれるまでコロナの首位は続きました。

Dsc02940_20250416093501 トヨペットコロナ RT40型
全長 4110㎜ 全幅 1550㎜ 全高 1420㎜ 重量 945㎏ ホイールベース 2420㎜ 水冷直列4気筒OHV1490㏄
最高出力 52kW/70PS/5000rpm

ボディタイプは4ドアセダン、2ドア、4ドアバン、日本初の2ドアハードトップ、5ドアセダン、ピックアップトラックが揃えられました。輸出も好調で、日本車単一車種輸出台数新記録を樹立したのもT40型でした。1968年9月にはコロナマークIIも登場しました。三代目の生産台数は57万8534台でした。

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2025年4月16日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その14 1950年代 純国産方式で誕生したトヨペットクラウンRS型

1950年代中期、太平洋戦争の終結から約10年が過ぎ、我が国においても本格的な乗用車の生産が開始されました。当時、日産はイギリスのオースチンA50ケンブリッジいすゞはイギリスのルーツ社ヒルマンミンクス日野はフランスのルノー4CVなど海外のメーカーとの技術提携を行い、海外モデルの国内生産を行っていましたが、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年に登場させたのがトヨペットクラウンRS型でした。

1953年、中村健也主査らによって開発が開始され、コンポーネント的には当時主流だったアメリカ車を手本にしながら純国産設計で開発、スタイリングは社内デザイン、車体は後部座席の乗りやすさを考慮し、観音開きドアとし、エンジンは1953年に登場したタクシー向けのトヨペット・スーパーに搭載された水冷直列4気筒OHVのR型、1453㏄、出力48PSを流用、シャシーは乗用車専用のものを開発(従来はトラックとの共通でしたが)、サスペンションは前輪はコイルスプリング、後輪は半楕円リーフスプリング方式、コラムシフト方式の3段変速(当時はリモート方式)は2,3速にシンクロナイザーが装備されました。車名は創業者の豊田喜一郎が「クラウン」に決めていましたが、喜一郎自身はこの車の製作に取り掛かった1952年3月27日に急逝しました。
尚、RS型と並行してタクシー向けに前輪をリジットリーフスプリング方式にしたトヨペット・マスター、ライトバン、ピックアップトラックのトヨペット・マスターラインも同時に生産されました。

Dsc02910_20250415091401 Dsc02909 Dsc02908_20250415091501トヨペットクラウンRS型
全長 4285㎜ 全幅 1680㎜ 全高 1525㎜ 重量 1210㎏ ホイールベース 2530㎜ 最高出力 36kW/48HP/4000rpm

1963年頃でしたか、父親が務めていた職場が当時、井荻にあった通商産業省工業技術院機械試験所で職員の慰労のために自動車クラブというのがあり、休日に所の車を借りることが出来ました。その時の車がこのクラウンRS型で車を借り出しては横浜にドライブ等に行った憶えがあります。

1958年にはマイナーチェンジをしてRS20型となり、1960年のマイナーチェンジでは小型車規格が変更となったこともあり、サイズの大型化、エンジン総排気量も1900㏄になりました。1957年にはクラウンの弟分として初代コロナST10型(1000㏄)がデビュー、1960年そのコロナがモデルチェンジして2代目PT20型となり、1500㏄モデルも追加されましたが、この1500㏄モデルはクラウンの1500㏄エンジンを引き継いだものでした。自家用車として初めて手にしたクルマがこのPT型のマイナーチェンジ版のRT20型でした。余談になりますが、このコロナの給油口は後部ナンバープレートの部分を開けると出てくる方式でした。

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2025年4月 3日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その13 1950年代初頭、 トヨタの小型車部門への進出 トヨペット・SA型

トヨタ自動車工業が初めて製作した市販乗用車は1936年AA型で直列6気筒エンジンはシボレーのコピー、シャーシ、ボディはクライスラーの「デソート・エアフロー」の模倣でした。3000㏄級のエンジンは当時の日本では大きすぎ、一方、ダットサンとして製作されていた750㏄クラスの小型車は小さすぎてゆとりがほとんどありませんでした。そこでトヨタはAA型よりもひと回り小さなクラスとして1939年に2.2リッター水冷直列4気筒OHVの「C型」エンジン搭載の中型試作車「AE型」(後の新日本号)を完成させましたが、時代は戦争に向かう時期で開発は頓挫してしまいました。

第二次世界大戦の終了後、進駐軍は日本の乗用車メーカーに乗用車の生産を許可しませんでしたが、トヨタでは1945年8月末に将来、乗用車の生産が解禁されることを見越して、開発計画がスタート、その頃、日本の街路を走っていたアメリカ車に比べれば小さいながら、欧州車風のハイメカニズムを導入し、当時の物資不足の中で生産が可能な試作車が1947年1月に完成しました。一方、乗用車生産に関しては自動車メーカーの運動の結果、1947年6月にはGHQが年間300台の生産許可が下りました。それを受けて、1947年8月、新開発のSA型乗用車、さらに同一のエンジンを用いた「SB型トラック」が同年10月、トヨタにとって初の小型自動車として発表されました。

Dsc02849_20250402095201 トヨペットSA型
全長3800㎜、全幅1590㎜、全高1530㎜、ホイールベース2400㎜、水冷直列4気筒SV 995㏄エンジン 最高出力20kW/27HP/4000rpm

鋼板バックボーンフレームを採用しました。この方式は1900年代初頭にフランスのアメデ-・ボレー・ペールが考案したもので、チェコスロバキアのタトラ、ドイツのメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲンなどヨーロッパのメーカーが採用していました。4輪独立懸架方式も日本製乗用車では初めてでした。前輪はコイルスプリングによるダブルウイッシュボーン、後輪はリーフスプリングで吊られたスイングアクスルでした。

戦後の混乱期であり、性能の良い工作機械や資材が不足していた時代であったため、SA型の品質を一定に保つことが難しく、故障が多く、破損も頻発したこと、1000㏄S型エンジンが非力であったことから、最高速度が87km/hに留まったこと、まだ当時の日本は道路が整備されておらず、都市部でも未舗装の悪路が多く、複雑な4輪独立懸架機構は故障や破損が多発したこと、タクシー向けではなくオーナードライバー向けであったため、まだ販路が確立されていなかったこと等により。1947年から1952年までに215台が生産されるに留まり、ビジネスとしては失敗に終わりました。しかし、SA型を世に出したことは先進技術の試行、スタイリングの研鑽など、トヨタの自動車開発にはおおきな示唆を与え、後の発展の礎になったクルマでした。

ちなみに「トヨペット」という愛称はSA型乗用車、SB型トラックを売り出す際に公募で決まった「トヨタの愛車」を意味する言葉で、1949年には商標登録もされています。その後、「ダットサン」と並んで日本車の代表的車名として長く親しまれることになりました。

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2025年4月 2日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その12 1950年代初頭、スウェーデン・サーブ社初の市販乗用車 サーブ・92

SAAB、サーブ社といえば我が国の航空会社でも導入実績のある航空機メーカーでサーブ340サーブ2000シリーズが有名でしたが、同社が得意とした民間旅客機部門もエンブラエル社やボンバルディア社などとの競争に敗れ、1999年に廃止されました。

元々はスウェーデン軍向けの航空機製造を目的に1937年に設立された航空機・軍需品メーカーです。社名はSvenska Aeroplan AB(スウェーデンの航空機会社)でそれを略してSAABとしています。創業以来、軍用機を生産していましたが、大戦後、自社製品の多様化から1946年に自動車製造に進出、サーブ・スカニアと名乗ったこともありました。最初に世に送り出したのがサーブ・92でした。ドイツのDKWに範を取った水冷2サイクル2気筒764ccのエンジンを横向きにレイアウトし、25馬力ながら、空力特性に優れた車体により、最高速度は105km/hに達しました。初期のサーブ・92はすべて濃いグリーンに塗られていましたが、その理由は第二次世界大戦向けに生産した戦闘機用の塗料が大量に余っていたためと言われています。1956年末ごろまでに20,128台が製造されました。


Dsc02851_20250401074501 サーブ・92
全長3950㎜、全幅1620㎜、全高1450㎜、ホイールベース2470㎜ 

SAABの自動車製造部門は1989年からGMの出資を受け、単独会社サーブ・オートモービルとなり、2000年には完全子会社になりました。2009年2月20日、経営悪化で会社更生手続きに入り、2010年、オランダのスパイカー・カーズに売却、その後も経営危機が続き、2016年、サーブブランドは消滅しました。

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2025年4月 1日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その11 1950年代初頭、世界屈指のベストセラーカー シトロエン2CV

フランスの自動車メーカーと言えば、世界最古のプジョー、シトロエン、ルノーなどが思い浮かびますが、シトロエンは第一次世界大戦が終結した1919年にダブルヘリカルギアと大砲用の砲弾製造で財を成したアンドレ・シトロエンAndré-Gustave Citroën :1878~1935)がヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、フランス版フォードとなるべく設立した企業です。
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シトロエン社の社章

アンドレが経営者としてスタートするきっかけとなったシェブロン・ギア(やまば歯車)を社章にしています。
フォードと同じく、流れ作業方式による小型車、中型車の生産で成功を収めますが、アンドレのワンマン経営による過剰投資がたたり、1934年に経営危機に陥りタイヤメーカーのミシュランの系列会社になりました。第二次大戦後の1948年、前輪駆動方式の2CV(deux chevaux)を発表、簡潔軽量な構造で高い操縦安定性、居住性、経済性を両立させた名車でフランスの「国民車」として普及、西ヨーロッパ諸国で大人気の車となりました。ただ、発表した直後はその奇妙なスタイルから嘲笑を浴び「醜いアヒルの子」と揶揄されました。しかし、合理的な設計で乗り心地も優れていること、市場ニーズに合致していたことなどから1948年から1990年まで大きなモデルチェンジなしに生産され世界屈指のベストセラーカー、ロングセラーカーとなりました、

Dsc02917_20250331145101 シトロエン 2CV

全長3780㎜、全幅1480㎜、全高1600㎜、重量498㎏、ホイールベース2370㎜、空冷水平対向2気筒OHV375㏄エンジン、最高出力7kW/9HP/3500rpm

2CVの発表後、イタリアのフィアットマセラッティなどと連携しますが、1970年代再び経営危機に陥り、1976年からプジョーに主導される形で企業グループPSA・プジョー・シトロエンの傘下となり、プラットホーム、エンジンはプジョー車と共通化するようになりました。

創業以来、先進技術の導入、製品生かすことに関しては積極的で「10年進んだ車を20年間作り続ける」と形容されました。1919年に発売されたタイプAはフォードに倣ったヨーロッパ最初の大量生産方式によるモデルで2年間に24,000台以上が生産されました。1922年に発売された2人乗りタイプC(5CV)は543㎏・856ccエンジンと3速MTの組み合わせで60km/hの最高速度と3900FFという低価格を実現し、イギリスのオースチン7と並び、量産小型車の嚆矢となりました。1925年に発表のB12はオール鋼製ボディに4輪ブレーキ装備車でした。1933年には前輪駆動、モノコックボディ、トーションバースプリングなどを採用した7CVが発売されました。

Dsc02936_20250331145201 シトロエン DS19
全長4788㎜、全幅1798㎜、全高1445㎜、重量1184㎏、ホイールベース3126㎜
水冷直列4気筒OHV1911㏄エンジン 最高出力 56kW/75HP/4500rpm

1955年、こちらもシトロエンのユニークなスタイルで有名なDS「Désirée Spéciale(特別な憧れ)が発表となり、先進的な空力デザイン、油圧動力による「ハイドロニューマチック・システム」で1975年までの20年間に145万5000台生産されました。

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2025年3月27日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その10 1950年代初頭、ジャガーの隆盛

ジャガー(Jaguar) といえば往年の英国の高級車メーカーでした。

ウィリアム・ライオンズとその友人、ウィリアム・ウォームズレイ1922年に創業したスワロー・サイドカー・カンパニーが嚆矢で、最初はバイクのサイドカーを製作していましたが、1926年には工場を移転、コーチワーク、コーチビルダーとして自動車のボディの製造を手掛けるようになりました。1927年、当時の大衆車オースチン・セブンのシャーシにアルミ製のボディを換装したオースチン・セブン・スワローを発表、さらにそのサルーン版にデュオ・トーンとしてツートンカラーにしたバージョンを発表、それがヒットし、1928年社名をスワロー・コーチビルディング・カンパニーに変更、コヴェントリーに移転しました。

1933年、専用設計のシャシーを持つSS1,SS2を発売、社名をSSカーズとし、ヒットさせますが元のエンジンが凡庸であったため、外見は高級車のベントレーを彷彿させるも性能が凡庸だと批判を受けました。その評価を打開するため1935年、ボディのみならず、エンジン、シャシーもすべて専用設計のSS・ジャガー2½、さらに大排気量エンジンを搭載したスポーツタイプのSS・ジャガー90SSジャガー100を発表しました。
これらのタイプは優れたスタイリングと豪奢な内装、強化されたエンジンと量産効果によるコストダウンで1500ポンドのベントレーに比肩する高級車が400ポンドで販売されたこともあり、大ヒットとなりました。ただ、ライオンズのこうした戦略に対してウォームズレイは事業拡大に反対し、離れてゆきました。

第二次世界大戦中、コヴェントリーはナチスドイツ空軍の激しい爆撃にさらされ、1940年1941年の爆撃で甚大な被害を受けました。戦後、SSカーズ、SSジャガーの、ナチス・ヒトラー親衛隊のSSと重なることから1945年に。社名はジャガー・カーズ、ブランド名はジャガーと変更されました。

Dsc02845_20250326132601 ジャガーXK120
1951年 SSジャガー100の後継モデルとして投入 1948年から1954年まで生産 殆どがアメリカに輸出され、英国にとって貴重な外貨獲得に貢献
全長4385㎜、全幅1580㎜、全高1300㎜、重量1289㎏、ホイールベース2585㎜ 水冷直列6気筒DOHC3422ccエンジン搭載 最高出力119kW/160HP/5000rpm 

1948年に発表されたスポーツカーXK120はエンジン形式XKと公称最高速度120MPHを意味しており、美しいボディスタイルと高性能、さらに低価格でセンセーションを巻き起こし、ジャガーの名を国際的に有名にした名車となりました。1950年代にはレーシングカーの開発に乗り出し、ルマン24時間耐久レースではイタリアのフェラーリ、マセラティ、ドイツのメルセデス・ベンツ、ポルシェを圧倒し、3連覇を果たし、名声を確固たるものにしました。

その後、1966年7月に、イギリス最大の民族資本系自動車会社グループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併を行い「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成しました。しかし、労働争議の頻発などから品質低下に陥り、販売台数の低下、さらにオイルショックの影響で1975年8月には国営化されました。1984年、サッチャー政権時の民営化政策で民営化、体質改善がなされ、再び活気を取り戻すこともありましたが、1989年にはフォード傘下に、そのフォードグループも2000年以降、経営不振に陥り、2014年にはインドのタタ・モータースに売却されてしまいました。

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2025年3月26日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その9 1950年代初頭、アメ車のニューモデル

第二次世界大戦が終了し、日本が連合軍によって占領されていた1945年8月から1951年4月までの間、アメリカでは続々とニューモデルと言われる車が登場しました。その先駆けとなったのが3月20日記事で紹介したキャデラックのフリートウッド60スペシャルでしたが、その特徴はテールフィンでした。


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1949年式のスチュードベーカーコマンダーはテールフィンこそありませんが、たばこのピースやラッキーストライクの箱のデザインを担当したレーモンド・ローウェイによるスタイリングで横から見るとどちらが前かわからないと言われつつも斬新なスタイルで人気を博しました。
全長5151㎜、全幅1787㎜、全高1605㎜ 重量1463㎏、ホイールベース3030㎜、水冷直列6気筒SV 2456ccエンジン


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ビックスリーのひとつであるフォードもカスタム4ドアセダンを1949年に登場させました。こちらもフラッシュサイドの流れるような斬新なデザインが話題となり、トヨペットクラウンRSなどのスタイルにも影響を及ぼしました。
全長5005㎜、全幅1860㎜、全高1620㎜、重量1448㎏、ホイールベース2885㎜、水冷V型8気筒3927㏄エンジン、最高出力75kW/100HP/3600rpm

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カイザー フレイザーヘンリーJ


第二次世界大戦後誕生した自動車メーカー カイザーフレイザー社が「デザインに優れ、乗り心地が良く、今まで新車を諦めていた生活者層でも購買可能な経済的な自動車を作りたい」という熱意の下に1951年に世に出した5人乗り2ドア小型セダン。

全長4455㎜、全幅1792㎜、全高1580㎜、重量1062㎏、ホイールベース2537㎜ エンジンはウィリス・オーバーランド社製水冷直列6気筒2651cc、最高出力59kW/80HP/3800rpm

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2025年3月25日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その8 かつては乗用車メーカー、今は路面電車のメーカーとして知られるチェコのタトラ

1850年、チェコ人の実業家、イグナーツ・シュスダラが馬車メーカーネッセルドルフ車両製造会社(Nesseldorf Wagenbau Fabriks Gesellschaft)として創業したのが今日もチェコの路面電車メーカーとして世界に名を馳せているタトラです。タトラという名称は旧チェコスロバキアの最高峰である現在、スロバキアに聳えるタトラ山脈に因んだもので、日本のメーカーが「富士」という名称を使うのと似ているのかと思います。

1881年に鉄道分野に進出し、客車を製造、1897年には自動車を製造し始め、ネッセルドルフ車両製造工業会社(Nesselsdorfer Wagenbau-Fabriks-Gesellschaft)と改称、チェコスロバキア国が成立した時にはチェコ語地名に合わせてコプジブニツェ輸送機器株式会社(Kopřivnica vozovka, a.s.)に改称しました。

タトラブランドで生産された自動車は1920年代から1930年代にかけ国際的に高い評価を受け成功をおさめました。1927年タトラ工業株式会社(Zavody Tatra, a.s.)に改称。のちチェコの財閥で、鉄道車両、エレベーターの製造工場やビール醸造所などを経営するリングホッフェル家の傘下に入り、1935年にプラハ・スミホーフに鉄道工場を持つリングホッフェル工業株式会社(a.s. Ringhofferovy závody)と合併してリングホッフェル・タトラ株式会社(Ringhoffer-Tatra, a.s.)となり、本社をプラハに移しました。この間に自動車のみならず、鉄道車両、航空機の製造を本格的に手がけました。

1939年、ナチスがチェコスロバキアに侵攻するとドイツの軍需工場体制に組み込まれ、終戦後は社長らリングホッフェル家はナチス協力者として追放され、1945年10月の主要重工業国営化でタトラ国営会社となり、社会主義計画経済化では乗用車の生産は中止され、トラック、バス、鉄道車両の製造に特化しましたが、1955年に乗用車生産を再開、当時チェコスロバキアでは大衆車メーカーAZNP社(現、シュコダ・オート社)が台頭していたため、高級車メーカーとして公用車向けの大型車を製造しました。この頃、路面電車のタトラカーが共産圏各国に広く輸出されていました。

1989年、ベルリンの壁崩壊に続く東西冷戦からの体制変革で、1992年には民営化されタトラ株式会社(Tatra a.s.)となりましたが西側の自動車メーカーとの競争にさらされ、主要な市場を失い急速に経営が悪化、乗用車の生産は打ち切り、軍用車の発注でなんとか食いつなぎ、2009年の世界金融危機でも経営危機に陥り、軍用車の生産で生き延びている状況のようです。

小さいころから世界の自動車などの絵本でチェコスロバキアのタトラ社の車は実にユニークなスタイルをしているなと思っていましたが、トヨタ博物館でタトラ87を間近で見て、その思いが蘇りました。

Dsc02875_20250324120401 Dsc02877_20250324120401 1948年式 タトラ87

1934年に登場したタトラ77に続くモデルで涙滴形流線型ボディを採用、空冷V型8気筒OHC2969㏄のリアエンジン、リア駆動
全長4740㎜、全幅1670㎜、全高1500㎜、重量1370㎏、ホイールベース2850㎜、最高出力63kW/85PS/3500rpm

6038-m4-090418-alexanderplatz 2009/4/18 Alexanderplatz Berlin
旧東ドイツ時代にタトラKT4DMとして導入された東西統一後もベルリントラムとして活躍、2021年に営業運転を終了

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