速報版 2026年初夏、岡山、広島方面の旅 広島平和記念資料館とG7広島サミット記念館
平和記念公園敷地内に広島原爆の惨状を後世に伝えるための施設として1955年に開館したのが「広島平和記念資料館」です。当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」という名称でした。私共の子供の世代は高校の修学旅行などで広島を訪問し、この資料館を見学していますが、我々の世代は高校の修学旅行は広島まで足を伸ばすことはなく京都・大阪だったので、私自身は1976年頃、大学生のときに広島を旅行し、初めて訪れました。今でもそのときの状況を憶えていますが、原爆の被害の大きさ、悲惨さを目の当たりにし、涙が止まらなかったのを思い出します。今回の旅行ではあの時以来、ほぼ50年ぶりに訪問しました。
2026/5/17 慰霊碑側から見た平和記念資料館
建物は東側の東館と西側の本館からなり、東館は原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景に関しての展示、西館は広島原爆の人的・物的被害に関する展示となっています。大学生のときに見た「被爆再現人形」は2016年の改修工事で撤去されたことと、オーバーツーリズムの影響で館内は外国人観光客で超満員の状況で展示を久しぶりにゆっくりと眺めることはできませんでした。
平和記念資料館を出た後、2023年に広島で開催された「G7広島サミット記念館」に立ち寄りました。
毎年5月から7月にかけ世界的な影響力を持つ主要先進国7か国と欧州連合の首脳が集まり、世界経済や国際情勢、地球規模の課題について話し合う国際会議が「G7サミット」で1970年代のオイルショックや世界的経済不況を機に1975年、フランスのジスカール・デスタン大統領の提案で11月15日から17日にかけフランス・ランブイエで開催されたのが始まりでした。当初はフランス、西ドイツ、イギリス、アメリカ、日本のG5でスタートする予定でしたが、イタリアのモロ首相(当時)が参加を強く主張し、イタリアもメンバーに加えられG6となりました。第二回のプエルトリコ・サンファン(アメリカ)会議ではアメリカ・フォード大統領の提案でカナダがメンバーに加わり、G7となりました。1989年の冷戦の終結後、ロシアも加わり、G8の時代もありましたが、2014年のウクライナに対する軍事介入、クリミア半島併合などでロシアは排除されG7に戻りました。議長国はフランス~アメリカ∼イギリス~西ドイツ~日本~イタリア~カナダの順で回り、日本ではこれまで東京(第5回1979年、第12回
1986年、第19回1993年)、名護市(第26回2000年)、洞爺湖町(第34回2008年)、志摩市(第42回2016年)、広島市(第49回2023年)が開催されています。
2022年のロシアのウクライナ侵攻に対して旧西側諸国がどう結束するか、ロシアの核兵器使用の威嚇に対して人類初の核兵器が使用され、壊滅的な被害を受けた広島の地を如何に世界にアピールするかが大きなテーマであったようですが、G7サミット自身が「政治ショー」化していること、このときはアメリカは民主党バイデン政権でしたが、第一次、そして第二次トランプ政権ではアメリカの行動に対する抑制も効かない状況が露呈しており、まさに国際会議の在り方が問われる状況となっているように感じます。またこのときのサミットに参加した各国首脳を顔ぶれをみても、アメリカ、カナダ、日本、ドイツ、イギリスの首脳は既に交代しており、政権トップ座にあり続けることの難しさも感じました。
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単なる戦争遺跡ではなく核兵器による破壊の悲惨さの象徴・人類全体への警鐘というメッセージ性のある遺産、犠牲者の墓標という性格をもっているのが原爆ドームです。保存が決まるまでは 「自分のアバタ面を世界に誇示して同情を引こうとする貧乏根性を広島市民はもはや精算しなければいけない」など℃書き立てた新聞もあったとのことですが、広島への原爆投下という歴史を決して風化させないためにも今後も修復を行いながら保存してゆくことが大切であると感じます。








昭和32年の開業ですので、今年で満69年、ゴンドラは開業以来3代目の「かもめ」と「さくら」が運行しています。大阪車輛工業が製造しました。ダークブラウンの車体に「さくら」は山をイメージした緑色のドア、「かもめ」は海をイメージした青色のドアが付いています。初代は1982年12月まで、二代目は2011年1月30日まで運行しました。2011年4月1日より、おのみちバスが運行を受託し、2014年1月27日から3月7日にかけ、2億2740万円かけて開業以来使用された原動機械装置を交換しました。
かつては昼行特急・急行、寝台特急・急行などが走っていた山陽本線ですが、今はローカル電車と貨物列車がメインの山陽本線です。この日は偶然にも観光列車etSETOraに遭遇しました。

渡船場の駐車場には大量のバイクが




駅前から千光寺山方面 千光寺山(大宝山)の標高は136mでそれほど高くはありませんが、いざ登ってみると急な坂道が長く続き結構きついことがよく分かりました。




















2026/5/15 今橋付近の川面に浮かぶ白鳥























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