2022年5月 6日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part2 佃島 住吉神社

このシリーズはこれから毎回、金曜日に掲載しようと思います。

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今もしっかりと形が残っている佃島の位置 (Yahoo!地図を利用いたしました)
築き立てされた頃の佃島は大きな四角形と細長い四角形を橋でつないだ形をしていたそうです。2つの島の間は舟入堀となっていました。漁民が造ったことがよくわかる形態です。

佃島と石川島はかつては隅田川河口の中州でした。その名前の由来は、

1582年の本能寺の変の際に堺にいた徳川家康が本拠地である岡崎に戻ろうとしましたが大阪北部から兵庫県に流れる淀川水系の神崎川まで来たところで川を渡る舟がなく立ち往生となりました。近くの佃村の庄屋・森孫右衛門と彼が率いる漁民たちが家康一行に漁船を提供したことで一行は岡崎に何とか戻ることができました。家康はこの恩を忘れず、江戸を城下として開いた際に森孫右衛門一族7名と佃村・大和田村の漁民33名を江戸に呼び寄せました。漁民たちは幕府御用掛けとして江戸湾近辺で自由漁業が可能となり、幕府への御菜魚納入のほか、将軍御成先での漁の実演や鷹狩用の鷹に与える餌の小動物を飼育するための小エビや小ウナギの納入、出水の際に隅田川への船人足の派遣などが義務付けられました。

Dsc07066 2021/11/17 2つの島を結ぶ佃小橋 この橋は1984年に架け替えられた橋ですが、佃島の完成と共に架けられたもので水路は今でも舟入堀として利用されています。江戸の昔につながる橋とバックの大川端リバーシティ21の対比も面白いです。

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橋の下の水路底には住吉神社の本祭りで使われる大幟の柱が腐食防止のため埋められています。

Dsc07076_20220505195101 隅田川の水門側から見た舟入堀 左手は後に石川島から埋め立てられた側、右手が佃島の北端、奥が住吉神社、行き着く先で堀は右に曲がり、佃小橋へ

Dsc07072_20220505195501 堀が直角に曲がる地点から積田川方向

漁民たちは江戸に下った当初は武家地に仮住まいをしながら漁を行っていましたが、寛永年間(1624〜1644)に武家地内へ町人の居住が禁止されると、隅田川河口の島(石川島)の南続きの干潟およそ8550坪を拝領し、築き立てを行いました。正保元年(1644)2月に完成し、本国佃村の名にちなんで「佃島」と命名し、ここに移り住みました。慶安2年(1649)当時の佃島には戸数80軒、160余名漁民が居住していたそうです。ちなみに石川島は寛永3年(1626年)旗本石川八左衛門重次が徳川家光から拝領し、屋敷を構えたことから石川島と呼ばれました。

Dsc07087_20220505195901 住吉神社の鳥居と拝殿

正保3年6月29日(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建されました。
住吉神社は佃島を始め、月島、新佃島、晴海と豊海と埋立地が拡大するに従って氏子の数も増えて行きました。

Dsc07086_20220505200801 Dsc07085 境内にはひときわ目立つ鰹塚もあります。

佃住吉神社の例大祭は7月末から8月初旬に開催されます。

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2022年4月29日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part1 勝鬨橋

拙blogでは以前、「日本橋川に沿って歩く」や「小名木川に沿って歩く」といった記事がありましたが、その一環として今回は隅田川河口付近の大川端、佃島付近散策の模様を記事にしようと思います。

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2021/11/17 隅田川上流から見た勝鬨橋

最初は晴海通り(東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)が隅田川を超える際に架かっている勝鬨橋です。

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1905年1月18日、日露戦争旅順陥落祝勝記念として築地と月島を結ぶ交通手段として「勝鬨の渡し」が設置され、月島の埋め立て完了とともに石川島造船所などが完成し、交通量が増えました。

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1923年9月1日の関東大震災後の東京港修築計画(1929年)で架橋が実現、当時の隅田川には大型船舶が多く通航しており、3000トン級の船舶の通航を妨げないように、また高架橋にするには建設費が掛かりすぎるため、跳開橋として設計されました。1933年6月に着工、1940年6月14日に完成、同年は「皇紀2600年」であり、月島地区で日本万国博覧会の開催が予定され、日本の技術力を世界に誇示する機会として、イギリスやドイツの技術者を導入せずにすべて日本人の手で設計施工がなされました。しかし、日中戦争の激化で、万国博覧会は中止となりましたが、勝鬨橋は無事完成、「東洋一の可動橋」と呼ばれるような評判になりました。可動部は51.6m、固定部は86.0mで固定部は 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋となっています。開く開度は70度で約70秒で全開になるそうです。

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この橋が可動橋であることを知らない世代が圧倒的多数になったときに、このレリーフは「かつてこの橋が開くことがあったのだ」とメッセージを出しているように見えました。

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歩道上部に4つの小屋があり、運転室、見張り室、宿直室となっており、運転室で開閉に関する操作が行われ、橋が開く際は警報サイレンが吹鳴し、灯火信号機が赤となりました。

可動橋としてはシカゴに同様の橋が存在し、シカゴ型跳開橋と呼ばれたそうです。架橋当初は日に5回、20分間開橋していたそうですが、その後は9時、12時、午後3時に3回に、そのうちに月20回程度になり、1967年に通航のための最後の跳開が行われ、その後は試験的な跳開が行われ、1970年11月29日を最後に開閉は停止され、1980年に電力供給もストップとなりました。

Dsc07042 橋の中央部 電動式ロックピン機構により、車両が通過しても振動によるズレは生じないようになっています。ただ、強度的には特殊車両の通行は40tまでに限定されています。

当時は隅田川の最下流部架けられた橋で川幅は上流の千住大橋の二倍を超す246mあり、東京都電も通る予定でレールも敷かれていましたが戦争の激化で運転開始は見送られ、1947年12月24日に漸く開通しました。11番、新宿~月島系統が走り、1967年12月10日からは渋谷駅~築地~月島~新佃島の9系統も加わりましたが、11系統は1968年2月25日、9系統は1968年9月29日に廃止となりました。

Dsc07046 かちどき橋資料館

1998年からは夜間ライトアップが行われており、東京の夜景を彩っています。橋のたもとの築地側にはかつての変電所(橋の開閉には当時の大電力清流方式から3300Vの交流で直流発電機を回転させ、任意の電圧の直流に変換するワード・レオナード方式(電車のMGの方式)が採用されていました)を改装した「かちどき橋資料館」が2005年4月に開館し、勝鬨橋に関する展示が行われています(火曜日・木曜日・金曜日が開館日で私が訪れた日は閉まっていました)。

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2006年4月24日、東京都の依託で調査を行っていた土木学会の調査小委員会が勝鬨橋の開閉に技術的問題点はないとの報告を出しました。ただ、いざ跳開させようとした場合、機械部品の復旧には約10億円の費用が見込まれ、現在の晴海通りの交通量などを勘案しても跳開は現実的ではないと考えられています。

Dsc07050 現在、隅田川の最下流部に架かるのは築地大橋で2018年11月4日に開通しました。勝鬨橋と築地大橋の間には都営大江戸線が隅田川の下を渡っています。

2007年6月18日、都道府県の道路橋としては初めて清洲橋、永代橋と共に国の重要文化遺産に指定されました。さらに跳開部の機械設備は、2017年度、日本機械学会から機械遺産に認定されました。

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2022年4月20日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 51 富士急行への譲渡 part4 6702編成 

富士山麓電気鉄道、6000系(6700系)の6702Fは元ハエ81編成のクハ205-3001を除く3両です。昨日の6701F同様、モハ205-3001のクハ205連結側の妻面をカットし、クハ205-3001の運転台部分を接合し、3連化しています。


現在はNARUTO×BORUTO 富士 木ノ葉隠れの里号となっており、赤、青、茶、ピンクの派手なラッピングとなっています。



Dsc08651 2022/4/16 三つ峠での交換

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2022/4/16 大月に到着する6702F

Dsc08718 大月到着後

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2022年4月19日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 50 富士急行への譲渡 part3 6701編成 

八高線・川越線用に使用されていた205系3000番台のうち、ハエ85編成とハエ81編成が3連化され、2019年に富士急行(現、富士山麓電気鉄道)に譲渡され、6000系6700番台(6700系)になりました。


6700

今回は2019年6月22日に営業運転を開始した元ハエ85編成の一部である、6701Fについて触れます。

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Dsc08667 2022/4/16 大月 6701F 富士山側からクモハ6701+モハ6801+クハ6751です。


Dsc08645 運転台は205系中間車に運転台取り付け改造をしたときのスタイルが維持されており、これまでの同社の6000系、6500系とは異なり、ワンハンドル・マスコン・ブレーキシステムとなっています。

Dsc08673 3連化に際して、モハ205-3005のクハ205-3005との連結妻面をカットし、クハ205-3005の運転台部分を接合したはずですが、車体を眺めてもそのような工事痕は見つけられません。唯一それらしき跡が見えるのは屋根の樋から出て、側面上に入っているケーブルくらいでしょうか。
富士急行株式会社の鉄道部門がこの4月から富士山麓電気鉄道株式会社として分社化されたのをアナウンスするHMが両先頭車に掲示されており、デザインも異なっています。そしてこの編成は「富士急行線開業90周年記念車両」とされており、車内では

Dsc08646 昔懐かしい写真が展示され、

Dsc08655 「思い出ギャラリートレイン」となっています。

Dsc08643 最近、新幹線などで殺傷事件が発生していることなどからSOSボタンの設置を知らせるステッカーはよく眼にしますが、抗ウイルスコーティング施工済みのステッカーは初めて眼にしました。

Dsc08677 富士山麓電気鉄道には205系の量産先行車、量産車、そして運転台改造車が揃っているのですから、もしもまだ205系を導入する余地があるのでしたら、京葉線~東北・日光線と活躍したメルヒェン顔の先頭車も揃えたら宜しいのではと思いますが。

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2022年4月18日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 49 富士急行への譲渡 part2 6502編成 トーマスランド20周年記念号

205系の富士急行(言、富士山麓電気鉄道)への譲渡に関し、4月16日土曜日に久しぶりに現地を訪れ、活躍中の編成を見てきました。富士急行線訪問は2016年11月以来となります。

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2022/4/16 富士山 211系3000番台 N304編成、富士山駅でスイッチバックし、河口湖方面に向かいます。

新小平発6:48、西国分寺乗り換えで高尾まで行くと高尾発7:24の1455Mに2分の接続で乗車出来ます。211系の3連+3連の運行で後ろ3両は大月止まり、前の3両が河口湖まで行きます。富士山には9:07に到着しました。

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富士山駅では河口湖方面から大月に向かう6500系6502編成と交換になりました。
この編成は4月14日の記事で紹介した元ハエ28の一部で、2018年3月21日から運行開始し、トーマスランド20周年記念のラッピングを纏っています。

Dsc08601 10:45 大月からの河口湖行きで富士山駅に到着する6502F

Dsc08604 折しも、河口湖駅で長めの休憩を取った211系N304編成 高尾行きとの交換になりました。

VVVF制御方式の時代に1980年代、民営化される前の国鉄技術陣が開発した界磁添加励磁制御方式を採用した系列同士がこうやって交換する風景があと何年見ることができるのかとも感じました。

Dsc08684 大月駅に到着する6502F

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Dsc08705 大月駅を出発

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2022年4月14日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 47 富士急行への譲渡 part1 2017年度までに譲渡された編成

JR東日本で使用されていた通勤型車両が地方私鉄に譲渡されるのは民営化初期に101系が秩父鉄道に1000系として売却されて以来、2例目とのことです。富士急行(2022年4月からは富士山麓電気鉄道)には2011年度中に2編成、2012年度に2編成、2017年度に1編成、2019年度に2編成の計7編成(いずれもMcM'Tcの3両編成)が譲渡されました。系列名は5000系に次ぐ6000系とされ(205系は登場した昭和60年にちなんだという説もあります)、205系0番台、量産先行車由来の編成を6000系、量産車由来の編成を6500系、そして川越・八高線で活躍していた3000番台由来の編成を6700系としました。part1では2017年度までに譲渡された5編成について触れます。

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2017年度までに富士急行(当時)に譲渡された205系編成

なおクモハ化における運転台取り付け改造は余剰となったクハからの移植とし、パンタグラフはシングルアーム式FPS33E形に換装、2基としました。富士急行線の勾配対策としてCPは2基搭載し、冗長性を確保し、さらに気象条件を考量してスノウプラウと耐雪ブレーキを新設、床下機器の耐寒耐雪装備を追設しました。

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2016/11/12 富士山車両基地 6001F ダブルパンタのため、前パンスタイルに

6000-6002f-161112-2 2016/11/12 下吉田 6002F

6000-6003f-161112 2016/11/12 富士山 6003F

6000-6103-201228-3 2020/12/28 大月 6003F リサとガスパールトレイン

6000-6501f-130518 2013/5/18 大月 6003F 側窓が田の字ではない6500系

6000-36601-201228-21 2020/12/28 大月 6501F 3代目マッターホルントレイン

 

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2022年2月17日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 18 E231系500番台(ヤテ501~503)の山手線への投入による動き part2 仙石線向け3100番台への改造

山手線にE231系500番台が投入されることによる205系の転配、いわゆる「大転配」、11両編成52本+1両の大所帯がどのように改造されながら他線区に移っていったか、纏め的書籍では書かれていないリアルタイムの時系列的な記録はないかと探してみたら、鉄道ファン誌の2002年8月号(通巻496号)から開始された連載記事「こちら首都圏205系情報局」がまさに求めていた情報源であることが分かり、本棚から引っ張り出して読んでいるところです。2002年から2005年頃の雑誌を見返しながら、20年前にはこんな車両がデビューし、またこんな列車が走っていたんだったと思い返しています。

205系の動きを年度で区切ってみてみると、

2001年(平成13年)度:6月にサハ204-902が川越区に転出、ハエ8編成に組み込み、捻出されたサハ205-161が鎌倉でクハ205-1101に改造、三鷹区のミツ14編成が京葉区へ(ケヨ21)、ミツ15,16編成は5,6号車が南武支線用クモハ205/204-1001,1002(ワ1、ワ2)に改造、残る8両は豊田区へ転出(E39,E40)、モハ・ユニットはVVVF化改造、5000番台に、山手区にE231系500番台3編成投入

2002年度(平成14年)度:205系3編成(ヤテ11、ヤテ15、ヤテ17)が運用離脱、6扉車は川越区へ、ヤテ11、ヤテ15の残り10両ずつは京葉区へ(ケヨ22、ケヨ23)、ヤテ17のサハを除いた8両は川越区へ(将来のハエ31)、サハ205-33,34は郡山工場、土崎工場へ、クハ205-3102、クハ204-3101化改造といった流れでした。 
 以上が昨日までの記事の復習になりますが、今回は仙石線に投入された3100番台4連の話題です。

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表 仙石線 205系 3100番台 
M1~M19まで緑で示した車両以外は、元山手電車区所属、山手線用に投入された側扉窓の小さい車両からの改造

仙石線の3100番台4連は2004年3月までに秋田(土崎)工場と郡山工場で改造されたM1~M18までの18本と南武線用に改造された6連(元クハ205/204-1203先頭のナハ48編成)を2009年10月に郡山工場で再改造したM19編成が活躍していましたが、東日本大震災でM-7,M-9編成が被災し、17編成体制となっています。

拙Blogの2019年8月20日から8月26日までの記事2016年に仙石線を訪問した際の様子を纏めており、今回はそれらの記事では触れられていない点をピックアップしようと思います。

形式別にみると、
クハ205-3100番台:石巻方の先頭車で元はサハ205の先頭車化改造車で、先日のクハ205-1100、クモハ205-1000番台同様に妻面に強化フレーム、FRPを取り付け、前面ガラスは曲面ガラスを取り付けました。乗務員設備は209系E231系同様の左手操作のワンハンドルマスコン方式となり、降雪地帯走行のため耐雪ブレーキが装備されました。車内には車いすスペース、E231系近郊型などに準じたトイレが設置され、手すり、非常警報、壁付式暖房装置が新設されました。
モハ205-3100番台:もともと中間電動車であるため、改造点は少なく、3112,3114,3116,3118に霜取り用パンタグラフが設置された点が大きく、2005年にはシングルアーム式のPS33Cに交換されました。
モハ204-3100:種車には補助電源がありませんでしたが、改造の際に103系から流用したSIVが床下に設置されました。CPの除湿装置にはヒータが付設されました。
クハ204-3100:トイレはありません。2008年から2009年にかけ、ATACSAdvanced Train Administration and Communications System)が搭載されました。
 ATACSはJR東日本が開発した列車保安装置で従来、列車位置の検知は軌道回路を用いてきましたが、コンピュータネットワークの発展で無線通信を利用した列車位置の検知システムで、運転士の信号機の視認による運転操作から車両が無線信号を受信し、自らの位置を確認、制御するシステムの構築を目指したものです。軌道回路の維持、信号機のメンテナンスといった維持費がかかる部分が減り、業務にかかるコストを減らすことができます。余談ですが、先日、「自動運転の導入」や「駅の時計がこれからだんだん無くなってゆく」というニュースを目にしましたが、鉄道会社もコロナ時代に以下にコストダウンを進めるか考えているようです。仙石線では2011年10月10日から、あおば通~東塩釜間、埼京線では2017年11月4日から池袋~大宮間で導入されています。2036年までに首都圏全域での導入が目標とされています。

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2019/10/22 小鶴新田 M1編成

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2016/10/22 小鶴新田 M5編成 2wayシート編成

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2016/10/22 西塩釜 M2編成 マンガッタンライナー2

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2021年10月15日 (金)

小名木川に沿って歩く その14 江東区芭蕉記念館を訪問

小名木川に沿って歩くシリーズ、最後は萬年橋の数ブロック北側にある芭蕉記念館です。

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2021/8/31 江東区芭蕉記念館

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松尾芭蕉(幼名金作、成長後は宋房)は寛永21年(1644年)伊賀の国の農民の家に生まれ、寛文2年(1662年)伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕え、厨房役か料理人を務めました。2歳年上の良忠とともに京都にいた北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。延宝2年(1674年)に江戸に出て、日本橋に居住、上水道工事などに携わり、延宝6年(1678年)に宗匠、プロの俳諧師桃青としてデビューしています。延宝8年(1680年)、深川に転居し、草庵での暮らし、隠逸を始めます。この草庵には門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったことから「芭蕉庵」と呼ばれました。元禄2年3月27日(1689年5月16日)、弟子の河合曾良を伴い、江戸を発ち、東北から北陸を経て、美濃の国大垣まで約5カ月、600里(2400km)の旅を敢行し、有名な紀行文「奥の細道」を完成させました。
深川の芭蕉庵は芭蕉没後、武家屋敷に取り込まれ保存されましたが、幕末の混乱で消失、1917年9月の台風の高潮の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。江東区は1981年に芭蕉の業績を顕彰するために1981年4月19日に芭蕉記念館を、1995年4月6日に芭蕉記念館分館を開館しました。Dsc06059
深川芭蕉庵における有名な「古池や 蛙飛び込む 水の音」の成立事情の解説
「蛙飛び込む」に対してそれまでの和歌の伝統からは「山吹や」が良いのではという高弟の宝井其角の提案に対し、芭蕉はそれまでの伝統を打ち破り、「古池や」を持ってきたと言う話題

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2021年10月13日 (水)

置換えまであと僅か、相模線205系500番台R1編成に「相模線100周年HM」

相模川の砂利輸送を目的として相模鉄道が茅ケ崎駅から川寒川駅間を1921年9月28日に開業してから今年で100年になります。当初は軽便鉄道でしたが、1924年に会社定款が変更され地方鉄道になりました。1926年4月1日は寒川駅~倉見駅間が延伸開業、7月15日には倉見駅~厚木駅、1931年4月29日、厚木駅~橋本駅間が開業し、全通しました。
太平洋戦争が勃発し、都心が攻撃された場合の東海道~中央~高崎線を結ぶ迂回ルートの確保として相模線は1944年6月1日、国有化され運輸通信省鉄道総局管轄の相模線となりました。
茅ケ崎~橋本間33.3kmの他、かつては寒川駅から川寒川駅までの川寒川支線(0.9km、1931年11月1日に廃止)と寒川駅~西寒川駅までの寒川支線(1.5km、1984年3月31日廃止)が存在しました。

沿線は1980年代以降、ベッドタウン化されますが、それまでは相模原市が人口20万人、厚木市が8.9万人と少なく、相模川の砂利採掘が禁止された1960年以降は貨物輸送量も少なく、1971年度の営業収支は関東地方の国鉄線では鹿島線の634、木原線の459に次ぐ第3位の赤字線でした。それでも第三セクター化されずに来れたのは厚木市の日産自動車工場製の自動車輸送をまかなうためでした。

首都圏路線として国鉄時代は非電化のまま残され、民営化され1991年3月16日JR東日本のもとで全線電化されました。

Dsc06424 2021/10/11 海老名 9月28日からR1編成に掲出された相模線100周年HM

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2021/10/11 橋本到着後は八王子方に引き上げ、駅横のの電留線に入線して昼過ぎまで休憩

電化で投入されたのが205系500番台で、R1~R13の4両編成13本が投入され、今年で投入から30年が経ちますが、11月18日からはE131系500番台に置き換えられる予定であることがアナウンスされています。

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Dsc06428相模線100周年を記念し、9月28日まではぬりえアート展が開催され、9月28日からはR1編成にHMの掲出、さらに車内には沿線の小学生による205系500系のぬりえアートが掲出されています。

武蔵野線で長く活躍した205系も全編成撤退し、残すところは相模線、東北本線・日光線などでの活躍となった205系ですがそれらもE131系への置き換えがアナウンスされています。

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2021年9月29日 (水)

小名木川に沿って歩く その12 高橋から隅田川接続部へ

小名木川に沿って歩くシリーズ、橋の袂にシーラカンスの像のある西深川橋の次は高橋です。

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何か人の名前のような橋ですが、こちらはたかばしというそうで、最初の橋の架橋は約300年前だそうで、永代橋や新大橋よりも古い橋となります。1862年に出版された尾張屋板江戸切絵図-本所深川絵図にも記載されています。江戸から昭和にかけ4回架け替えられており、現在の橋は1973年に架けられた1径間鋼製桁の橋です。

小名木川北岸に高橋という地名がありますが、名前はこの橋に由来し、1934年の町名整理で深川区東森下町の一部、東元町・富川町・西町の全部をもって深川高橋一丁目-五丁目という町名になり、1971年の町名改正で深川高橋一丁目を高橋、深川高橋二丁目-五丁目を森下三丁目-五丁目としました。東京では珍しい、丁番の付かない町名となりました。

都道463号線、通称清澄通りが通っており、この道の地下には都営大江戸線が走っています。古くは月島~柳島福神橋間23番の都電が走っていました。隅田川の東側を川に沿って走る線でした。

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高橋を過ぎて隅田川の手前に現れる大きな構造物は新小名木川水門です。

流域を高潮や津波から守るため1961年に設置された径間11mⅹ3連の防潮水門です。2010年2月28日、南米チリで発生した大地震で日本列島にに津波警報が発令された際にこの水門も閉鎖されたそうです。現在、耐震補強工事を施工中で完成すると水門は2連式になります。

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この橋は1680年の江戸地図に既に登場し、「元番所のはし」と記載されています。その理由は中川番所の記事で触れたように江戸時代初期に小名木川を航行する船荷をチェックする「川船番所」がすぐ北側に設置されていましたが、明暦大火後、江戸の市街地が整備拡大されたため、番所も1661年に番所が中川接続部に移されたため、付近が元番所と言われるようになったためです。

萬年橋と呼ばれるようになった時期は不明ですが、葛飾北斎は富嶽三十六景の中で「深川萬年橋下」として、歌川広重は名所江戸百景の中で「深川萬年橋」として取り上げています。関東大震災までは木製の橋が架かっており、震災後の復興で1930年11月19日に現在の1径間下路ブレースドリブタイドアーチ橋、鉄筋コンクリート床鈑の橋となりました。


Dsc06049 小名木川と隅田川の接続部

隅田川の下流方向には清州橋がちらっと見えます。因みにもう少し右手の萬年橋の北詰めから清州橋を見た眺めは同橋を最も美しく見ることが出来るそうでケルンのライン川の吊り橋を彷彿させ「ケルンの眺め」と呼ばれているそうです。

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