2022年7月 1日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part7 相生橋

隅田川は永代橋の下流で、佃大橋、勝鬨橋、築地大橋と流れる本流と相生橋方向に流れる隅田川派川に分岐します。隅田川派川の0.9kmが隅田川の一部と考えられているため相生橋は隅田川に架かる27の橋のひとつに数えられています。

Dsc07139 2021/11/17 相生橋西詰の都道463号分岐点 まっすぐ進めば門前仲町から隅田川に沿って北上し駒形橋へ、左に進めば中央大橋を渡り、八丁堀、宝町から東京駅へ 背後は勝どき駅方面

Dsc07140 片持ち梁のカンチレバー橋、ゲルバー橋

Dsc07141

相生橋というと広島市の中心部、T字型という特徴的な形態から原子爆弾投下の際に目標とされた本川と元安川の分岐点に架かる橋を思い出しますが、こちらは東京都道463号線上野月島線(清澄通り)を通す橋で、西岸は中央区佃2丁目と3丁目の境界、東岸は江東区越中島1丁目と2丁目の境界となっています。

名前の由来ははじめこの橋は川途中にあった中之島を介して「相生大橋:147m」と「相生小橋:52.7m」の長短二橋で構成されており、相生の松に由来して採用されたとのことです。

Dsc07142 大川端側

Dsc07144 越中島公園 水上バスのりば

最初の橋(木橋)は月島に水道を通すために1892年に着工され、1903年に開通しました。1919年には市電を通すために拡幅され、1923年7月に市電が開通しました(門前仲町~月島通八丁目4系統、昭和初期に36系統となり、さらに柳島~森下町~月島八丁目27系統、戦後の23系統となりました)。しかし2か月後の9月1日には関東大震災で上流から流れ着いた炎上した船舶により延焼、焼失してしまいました。1926年に震災復興事業、最初の橋として鉄鋼ゲルバー橋が架橋されました。派川に架かる橋で大型船の通航が無いため、桁橋が採用され、塩害で損傷しても修理が簡単なように大橋が7径間、小橋が5径間と橋脚を多くし、上水道管も通した橋となりました。都電23系統は1972年11月12日に廃止となりました。1980年には小橋下が埋め立てられ、中之島が地続きとなり、交通量の増大に伴い、老朽化が深刻となり1998年12月に現在の橋に架け替えられました。

Dsc07146 越中島といえば明治9年、明治天皇の東北地方巡幸で使われた明治丸が相生橋のすぐそばに展示されています。

Dsc07147 また越中島公園の入り口には錨も展示されています。

Dsc07152 越中島公園側からみた相生橋 

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2022年6月24日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part6 佃大橋

以前にも話題になりましたが、佃大橋は隅田川の渡しとして320余年続いた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、永代橋や勝鬨橋の交通量の増加に対応し、1964年の東京オリンピック開催に備え、関連道路の一部として戦後初めて隅田川に架けられた橋でした。この橋ができる前は佃島と月島は佃川で分かれていましたが、佃大橋取り付け道路建設のため埋め立てられ、地続きとなり、佃川に架かっていた佃橋は廃止されました。

佃の渡しは江戸時代は不定期に渡船が運行されていましたが、明治になると佃島や石川島に造船所ができたためその従業員のための交通機関として発展、明治9年(1876年)の記録では運賃は5厘/人でした。1883年には定期船の運行が始まり、1926年に運営が東京市に移管となり、1927年には無料の曳舟渡船となり、1日に70往復という体制になりました。

Dsc07031 2021/11/17 下流側から見た佃大橋

Dsc07021 なぜか地下鉄有楽町線は佃大橋の真下を通らず、若干川下側を通過しています。

着工は1961年12月、竣工は1964年8月27日でした。3径間連続鋼床鈑箱桁橋で長さ40m、重量150トンのブロック別に当時日本最大の海上クレーン船にて一括で組み上げる、大ブロック工法が採用されました。橋長:476.3m、幅員 : 25.2mで橋桁は 石川島播磨重工業(現IHI)佃島工場で製造されました。東京都道473号新富晴海線が通っており、右岸は中央区湊3丁目と明石町、左岸は佃1丁目と月島1丁目となっています。道路は隅田川手前100mほどの位置から高架となり、佃・月島全域で高架のまま、朝潮運河に架かる朝潮大橋に繋がっています。橋の若干下流側の地下に地下鉄有楽町線が走っています。

Dsc07093_20220623114901 佃の渡しがあった隅田川の佃島側の岸

Dsc07090 佃の渡しに関する説明文

古典落語の「佃祭り」にはこの佃の渡しが登場します。昔、隅田川で身投げをしようとしていた若い女性を思いとどまらさせた商家の旦那が佃住吉神社の祭りに出かけ、終い船で帰ろうとした際に偶然、過去に身投げを助けた女性に呼び止められ、家によって帰ることにすると、なんと終い船が定員オーバーで沈没してしまい、乗客の多くが犠牲に、留守の商家では主人が終い船で遭難したのと早合点し、葬式の手配を・・・そこに翌日、帰ってきて大騒ぎに、古今亭志ん生、古今亭志ん朝などでよく聴きましたが、江戸情緒にあふれる非常に印象的な噺でした。

Dsc07091_20220623120101 佃の渡し跡のそばには劇作家の北条秀司の「雪降れば佃は古き江戸の島」の句碑もあります。句碑の下の説明にもありますが、北条秀司は1957年にこの渡しを舞台に芝居「佃の渡し」を新派俳優、花柳章太郎のために書き下ろし、初演以来高い評価を得、1964年には花柳十種のひとつに選ばれました。

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2022年6月10日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part5 中央大橋

大川端・佃島周辺、散策シリーズ、今回は永代橋の下流、隅田川がふたてに分かれ本流の方に架かる中央大橋です。

Dsc07103_20220609152401
Dsc07121 2021/11/17 中央大橋 上 下流側から 下 上流側から

Dsc07107 中央大橋のプレートには東京都のイチョウのマークとパリの紋章「揺蕩えども沈まず」が添えてあります。

竣工は1993年8月26日でレインボーブリッジと同じ日であり、開通したのは1994年1月で東京都道463号上野月島線中央大橋支線(八重洲通り)が通っています。西岸は中央区新川二丁目、東岸は中央区佃一丁目です。二径間連続鋼斜張橋で橋長210.7m、幅員25.0mで橋桁は石川島播磨重工業横浜工場で製作されました。

Dsc07108 斜張橋の主塔は兜をイメージしたことが良く分かります。

隅田川はパリのセーヌ河と1989年に友好河川提携が結ばれており、この橋を架ける際にはフランスのデザイン会社に設計を依頼したため、斜張橋の主塔と欄干部分に日本の兜を意識した意匠が施されており、

Dsc07115

 

Dsc07114

上流側の中央橋脚部分には当時のパリ市長だったジャック・シラク氏から東京都に贈られた彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と命名された像が鎮座しています。お礼に日本からはパリに屋形船が贈られたとのことです。

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2022年6月 3日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part4 永代橋

大川端・佃島付近、散策シリーズ、今回からは石川島、佃島、月島がつながった埋め立て地周辺に架かる橋について見て行こうと思います。
最初は永代橋です。

Dsc07119 2021/11/17 中央大橋から見た永代橋

東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)が隅田川を越えるときに架かっている橋で、最初に架けられたのは元禄11(1698)年8月1日のことでした。徳川家康の江戸入府から江戸時代にかけ、隅田川に架けられた5つの橋のうち4番目に架けられたもので、徳川5代将軍綱吉の50歳を祝う記念事業として関東郡代伊奈忠順の指導により工事が進められました。上野寛永寺根本中堂造営の際の余材を使用、もともと深川の渡しがあった現在の橋が架かる場所より100mほど上流に架けられたそうですが、当時の隅田川の最河口に位置し、江戸湊の外港に位置したため、多数の船が通過するため、当時の技術でも最大規模の橋として架橋され、橋脚は満潮時でも水面から3m以上あったそうです。長さ200m、幅6mで橋上からは西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総が見渡せる見晴らしの良い場所となったそうです。永代橋の名前の由来は架橋された江戸対岸にあった中洲の永代島にちなむそうです。

架橋から20年ほど経ち、幕府は財政が窮乏し、享保4(1719)年、橋の維持管理を諦め、廃橋を決定しますが、町民衆の嘆願で橋の維持管理に伴う経費は町方が負担するということで存続が決定し、町方は通行料を徴収、橋詰では市が開かれ収益が上がり、費用が工面され維持管理がなされました。しかし文化4(1807)年8月19日、深川富岡八幡宮での祭礼で江戸市中から多くの群衆が橋を渡り、深川に押し寄せた際に、詰めかけた群衆の重みに橋が耐え切れず、中央部より東側の部分が数間崩落、あとからあとから押し寄せる群衆が橋と共に隅田川へ転落し、死傷者、行方不明者合わせ1400名を超える大惨事となりました。古典落語の「永代橋」という噺はこの事故を扱っています。よく演じられる古典落語の「佃祭り」も佃の渡しの転覆にまつわる噺ではありますが。

Dsc07167

明治30(1897)年、老朽化した橋を架け替えるため道路橋としてわが国初の鋼鉄製トラス橋が日本橋川を挟んだ下流側に架橋され、1904年には東京市街鉄道による路面電車も敷設されました。東京都電は1972年11月まで走り続けました。大正時代まで隅田川には5つの橋が架けられていましたが、橋底の基部や橋板に木材を使用していたため1923年9月1日の関東大震災では永代橋、厩橋、吾妻橋が炎上、多くの避難民が焼死、あるいは溺死する惨事となりました。1926年、震災復興事業として隅田川9橋の再架橋が決まり、現在の永代橋が架橋されました。アーチの形はドイツライン川に架かるルーデンドルフ橋(レマゲン橋)をモデルにしており、現存最古のタイドアーチ橋で日本で最初に径間長100mを越えた橋で「帝都東京の門」と言われました。

Dsc07177ちなみに永代橋のアーチにカーブを逆さまにすると清洲橋の吊り橋のカーブと一致するという話をNHK-BSの新日本風土記で聴きました。また鋼鉄製のアーチ部分には第二次世界大戦の空襲の際に焼夷弾が当たり凹んだ跡が残されています。

現在の橋は関東大震災からの復興の際にワシントン軍縮条約で廃艦となった建造中の軍艦用の高級鋼材を使用しているため、頑丈さは折り紙付きで東日本大震災の揺れでも影響はありませんでした。

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2022年5月27日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part3 石川島から大川端リバーシティ21へ

西武9000系4連の9102FのLED化は5月26日木曜日、午前の時点では確認できていないので、大川端・佃島シリーズと参ります。

Dsc07104 2021/11/17 石川島と佃島 今は両方の島が埋め立てにより、一体化していますが江戸時代はそれぞれ別々の島でした

現代において「石川島」と聞くと石川島播磨工業を思い出しますが、江戸時代の初期には隅田川河口の三角州の小さな島(鎧島、三国島とか森島と呼ばれていました)で、江戸幕府幕臣で船手頭・御船奉行(幕府用船の保管・運行を任務とする)だった石川八左衛門重次(はちざえもんじゅうじ)が寛永年間(1624~44年)時の将軍徳川家光から拝領したため石川島と名が付いたそうです。この頃は、石川島と佃島は別々の島でした。

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1790年には火付盗賊改の長谷川平蔵の提案により、江戸府内の無宿、無頼、乞食などを収容する人足寄場が設けられました。石川家は屋敷地を幕府に返却し、麹町永田町に移転し、島全体が人足寄場となりました。人足寄場は軽犯罪者や無宿人に仕事を教え、出所後に自律させる更正施設のようなものでした。

1817年の伊能忠敬の江戸実測図では埋め立てが進み、石川島と佃島が一体化しています。

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Dsc070993代目歌川広重の東京名勝図会「つくだじま」(1869年)に描かれている石川島灯台(江戸湾から日本橋方面に入る舟に位置を知らせるため、設置された)の跡に当時の姿を模した建造物が建っています。

明治になってからは1873年に懲役場、1877年に警視庁監獄署となり、1895年に巣鴨に監獄が設置され、機能が移転となりました。一方、1853年には水戸藩が造船所を設け、石川島造船所となりましたが、こちらも1939年に深川区豊洲に移転となりました。太平洋戦争後、造船所は石川島重工業、石川島播磨重工業、IHIとなり、造船以外の部門の佃工場が残っていましたが順次縮小され、1979年に閉鎖され、跡地はウオーターフロント開発の対象となり、1986年に着工された「大川端リバーシティ21」として生まれ変わりました。

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2021/11/17 勝鬨橋側から見た大川端

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永代橋から見た大川端

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2022年5月 6日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part2 佃島 住吉神社

このシリーズはこれから毎回、金曜日に掲載しようと思います。

Photo_20220505193501
今もしっかりと形が残っている佃島の位置 (Yahoo!地図を利用いたしました)
築き立てされた頃の佃島は大きな四角形と細長い四角形を橋でつないだ形をしていたそうです。2つの島の間は舟入堀となっていました。漁民が造ったことがよくわかる形態です。

佃島と石川島はかつては隅田川河口の中州でした。その名前の由来は、

1582年の本能寺の変の際に堺にいた徳川家康が本拠地である岡崎に戻ろうとしましたが大阪北部から兵庫県に流れる淀川水系の神崎川まで来たところで川を渡る舟がなく立ち往生となりました。近くの佃村の庄屋・森孫右衛門と彼が率いる漁民たちが家康一行に漁船を提供したことで一行は岡崎に何とか戻ることができました。家康はこの恩を忘れず、江戸を城下として開いた際に森孫右衛門一族7名と佃村・大和田村の漁民33名を江戸に呼び寄せました。漁民たちは幕府御用掛けとして江戸湾近辺で自由漁業が可能となり、幕府への御菜魚納入のほか、将軍御成先での漁の実演や鷹狩用の鷹に与える餌の小動物を飼育するための小エビや小ウナギの納入、出水の際に隅田川への船人足の派遣などが義務付けられました。

Dsc07066 2021/11/17 2つの島を結ぶ佃小橋 この橋は1984年に架け替えられた橋ですが、佃島の完成と共に架けられたもので水路は今でも舟入堀として利用されています。江戸の昔につながる橋とバックの大川端リバーシティ21の対比も面白いです。

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橋の下の水路底には住吉神社の本祭りで使われる大幟の柱が腐食防止のため埋められています。

Dsc07076_20220505195101 隅田川の水門側から見た舟入堀 左手は後に石川島から埋め立てられた側、右手が佃島の北端、奥が住吉神社、行き着く先で堀は右に曲がり、佃小橋へ

Dsc07072_20220505195501 堀が直角に曲がる地点から積田川方向

漁民たちは江戸に下った当初は武家地に仮住まいをしながら漁を行っていましたが、寛永年間(1624〜1644)に武家地内へ町人の居住が禁止されると、隅田川河口の島(石川島)の南続きの干潟およそ8550坪を拝領し、築き立てを行いました。正保元年(1644)2月に完成し、本国佃村の名にちなんで「佃島」と命名し、ここに移り住みました。慶安2年(1649)当時の佃島には戸数80軒、160余名漁民が居住していたそうです。ちなみに石川島は寛永3年(1626年)旗本石川八左衛門重次が徳川家光から拝領し、屋敷を構えたことから石川島と呼ばれました。

Dsc07087_20220505195901 住吉神社の鳥居と拝殿

正保3年6月29日(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建されました。
住吉神社は佃島を始め、月島、新佃島、晴海と豊海と埋立地が拡大するに従って氏子の数も増えて行きました。

Dsc07086_20220505200801 Dsc07085 境内にはひときわ目立つ鰹塚もあります。

佃住吉神社の例大祭は7月末から8月初旬に開催されます。

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2022年4月 5日 (火)

桜巡り その4 目黒川 池尻大橋から中目黒へ

3月30日水曜日、千鳥ヶ淵を後にして、九段下駅から東京メトロ半蔵門線に乗車、向かったのは池尻大橋駅でした。この駅を利用するのは数年ぶりですが、玉電が走っていた頃は大橋の電停をよく利用していたものでした。高校時代は入学後、しばらくは渋谷から目黒区下馬まで東急バスで通学しており、三宿までは国道246号線を走るため、この辺りをよく通過していました。

Dsc08174 2022/3/30 目黒川の水に関する案内板

Dsc08173 大橋から下流方向

三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流し、目黒川となり、天王洲アイル付近で東京湾に注ぎますが、合流地点から国道246号が架かる大橋付近までは暗渠となっています。玉電が走っていたころはまさに生活排水が流れており、大雨が降ると濁流となり、今にも氾濫しそうなときもありました。現在は1995年から始まった清流復活事業により、大方の水が新宿区の落合水再生センターで処理された水が流されています。

Dsc08176
左手の構造物は首都高速道路3号渋谷線と中央環状線を結ぶ大橋ジャンクションですが、1969年までは玉電の大橋車庫、その後は東急バス大橋営業所でした。

Dsc08177
Dsc08179 説明板にあるようにこの辺り、かつては多くの水路に沿って水車屋が存在したそうです。こういったミニチュアの水車屋もあります。

Dsc081843月30日の時点で桜の花の離層形成はだいぶ進んでおり、花吹雪状態でした。

Dsc08186

Dsc08191満開の桜を見て感じるのは異なる樹木(個体)間でこれだけ見事にタイミングを合わせるように開花する生物時計の同期性のすばらしさですね。
山手通りを超えるところがちょっと厄介ですが、

Dsc_0102 左手の赤い橋は歩行者専用の中の橋

Dsc08205 花見客用にこんな案内も用意されています。

Dsc08214

Dsc08215 東横線・メトロ日比谷線のガードを超えて下流方向にも桜並木は続いています。

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2022年4月 4日 (月)

桜巡り その3 千鳥ヶ淵

東京の桜名所といえば何といっても千鳥ヶ淵の桜ではないかと思います。

Dsc_0041 千鳥ヶ淵、北の丸公園一帯の案内図

徳川家康が入府した頃の江戸は入江に面した低湿地で井戸水は塩分を含むため飲料水としては適さなかったため、飲料水の確保が急務でした。そのため江戸城の周りの小河川をせき止め、飲料水確保のために造られたのが千鳥ヶ淵でした。局沢川を半蔵門と田安門の土橋でせき止めた内堀で元々は半蔵濠と繋がっていましたが、1900年の代官町通りの建設で埋め立てられ別々の堀となりました。

名前の由来はV字形の堀の形がチドリが羽を広げた形に似ているとか、冬に都鳥など多くの鳥が集まるからだとか諸説あるようです。

千鳥ヶ淵を取り囲んでソメイヨシノ、オオシマザクラなど約260本が植樹されており、1881年に英国大使館前に植樹された記録が残り、現存する最古木は1930年に植樹されたもの、多くは戦後の昭和30年代に復興で植樹されたものとなっています。

Dsc08086
2022/3/30 スタートは千鳥ヶ淵戦没者墓苑から

Dsc08088 千鳥ヶ淵さんぽみち といった名前が付けられています。

Dsc08094 江戸城のお堀の中では唯一ボートに乗ることができるのが千鳥ヶ淵です。

Dsc08095
Dsc08100

Dsc08106ボート乗り場あたりから

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Dsc08139靖国通りに出て、北の丸公園、田安門へ

Dsc08146 田安門の高麗門

Dsc08147 田安門の櫓門 一ノ門(高麗門)を通った後、枡形で番所の監視を受け、二ノ門(渡櫓門)を通り、場内に入る枡形門

Dsc08152

ボート乗り場の対岸付近から

Dsc08158 北の丸公園内部

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2022年4月 1日 (金)

桜巡り その2 小平の桜の名所 喜平橋から警察学校、小平学校・小平駐屯地

地元の桜、第二弾は五日市街道とアカシア通りの交差点の喜平橋周辺と、警察学校の北側、そして陸上自衛隊小平駐屯地の桜です。

喜平橋は石積み一連のアーチ橋で小平新田開発の一つ堀野中新田の組頭、喜兵衛氏家の横にあったので長らく喜兵衛橋 と呼ばれており、現在は喜平橋に改められたそうで、現在の橋は1971年10月に架けられ、1991年度の喜平橋修景整備 で橋上の両側に歩道と4車線が設けられ、東側の歩道部分には玉川上水とこの周辺地域の案内や石のベンチを配したポケットパークが設置されました。五日市街道はここで玉川上水の左岸から右岸側に移行し、小平駅前から国分寺・府中方面に至るアカシア通りと交わり,さらに喜平町桜通も交わるため交通の難所となっています。

1941年、喜平橋北側一帯の山家集落が強制買収され、陸軍経理学校が開設されました。戦後の1948年には陸軍経理学校 の跡地に 関東管区警察学校が建設され、さらに1965年には小平団地の入居が始まり、この周辺は激変したそうです。

Dsc_0018 2022/3/28 五日市街道 喜平橋交差点西側

Dsc_0020 2022/3/28 喜平橋交差点から北西方向に伸びる桜通り

Dsc_0026 2022/3/28 警察学校北側の桜並木 道の先は一橋学園駅南口前の踏切へ

Dsc_0032 東方向

Dsc_0034 Dsc_0038 陸上自衛隊小平学校・小平駐屯地の桜

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2022年3月31日 (木)

桜巡り その1 小平の桜の名所 小平中央公園の桜

Wether mapの情報に依れば、今シーズンの冬は12月前半までは暖かく、それ以降は寒くなったため、桜の開花にとって重要な休眠打破は北部ではやや鈍め、南部では平年並みとなり、春先の気温は2月までは低めであったものの、3月にに入り暖かくなったため、開花は例年より少し早めとなったそうです。東京の標本木(靖国神社境内)によると開花日は3月20日、満開日は3月27日でした。ちなみに昨年の開花日は3月14日、満開日は3月22日で、平年の開花日は3月24日、満開日は3月31日ですから、2年続けて、早めの開花、満開となりました。

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最初は家から歩いて2.5kmほどのところにある小平中央公園の桜です。西武国分寺線鷹の台駅の東側にある公園でサッカーグラウンドを取り巻くように桜が植わっており、3月27日、日曜日には写真のように満開となりました。私もほぼ毎日、玉川上水沿いの道を通り、この公園を一周して帰る散歩をしています。

Dsc08407 2019/1/20 冬枯れの風景

060505 2006/5/5 新緑の風景

13368
2021/9/15 曼殊沙華の咲くころ

玉川上水沿いの道、季節によってその様態が変化するのを見るのも楽しみの一つです。

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