2021年2月 1日 (月)

西武国分寺線 鷹の台駅での列車交換

物心ついてから1964年12月に杉並区清水3丁目、当時は沓掛町の公務員住宅に引っ越すまで私は北多摩郡東村山町回田(後の富士見町2丁目)の公務員住宅に住んでいました。小学校は南台小学校、2年の2学期から国立学園に転入となり、小川駅まで徒歩、西武国分寺線、中央線(国分寺~国立間)、国立駅から徒歩の通学でした。今から56~57年前の話ですが、地名は変わり,西武拝島線の開業、国鉄武蔵野線の開業とおおきな変化がありましたが、街はあの当時と変わらない風情を保っています。

当時、西武国分寺線には1927年川崎造船所製のモハ151形・クハ1151形が活躍していました。西武鉄道の前身の旧西武鉄道が1927年、村山線(高田馬場~東村山間)に合わせて増備した車両で導入時はモハ550形・クハ600形と名付けられました。17m全鋼製で屋根は深く、前面と側扉上にアーチ型水切り、屋根上にはお椀型のベンチレータと子供心にも一度見たら心に焼き付くスタイルの車両でした。国分寺を出発し,恋ヶ窪に至る区間や恋ヶ窪から鷹の台へのカーブなど蛇行で進むときのカランコロンといった走行音が今も耳に残っています。

1962年9月1日にそれまでブリジストンの工場引き込み線だった線路が萩山まで延伸、1950年5月15日に上水線として小川~玉川上水間が開通していた線路と繋がり、後に拝島まで伸びる西武拝島線の西武新宿線との連絡が完成しました。小平で本川越方面と分かれて多摩湖方面に進む電車は玉川上水・多摩湖という行き先になり、小学校1年だった私はしばしば萩山駅での多摩湖線、玉川上水線の分割・併合作業を見ていました。

小川駅の橋上駅化は1964年7月19日、まだ恋ヶ窪駅には交換設備がなく、終日、国分寺線の列車交換は鷹の台駅で行われていたのを記憶しています。

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2019/5/1 駅名標

Dsc01076_20210130084301 2020/1/29 国分寺行きが2番線に入線する際に掲示される案内板

その鷹の台駅での交換風景、現行のダイヤでは日中は小川・恋ヶ窪での交換だけとなり、見ることができませんが平日の朝、7~8分ヘッドの時間帯(上り:6614レ、658~6646レ、901,下り:6611レ、657~6643レ、901)には見ることができます。

Dsc01079_20210130084501 2021/1/29 2049Fと2033Fの交換風景

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2021/1/31  平日日中、休日、1番ホームしか使われていないときのホーム案内板、

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2021年1月 6日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 67 坂城駅そばの169系トップナンバー保存車

再び、2018年晩夏、信州の旅に戻ります。2018年9月2日、この旅の最終日は長野から篠ノ井へ、しなの鉄道線に乗車し、最初に降り立ったのは坂城駅でした。

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駅は埴科(埴科)郡坂城(さかき)町にあり、1888年8月15日、官設鉄道が長野~上田間を延伸開業した際に篠ノ井駅・屋代駅・上田駅と一緒に開業しました。

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駅の南側にはENEOS北信油層所に続く荷役設備があり、しなの鉄道線とJR貨物の駅となっており、根岸駅との間に高速貨物列車と専用貨物列車各1往復が設定されています。旅客駅は島式ホーム1面2線で業務は坂城町に委託された簡易委託駅となっています。

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風情のある木造駅舎の駅です。

北陸新幹線開業前は特急「あさま」が一部停車していましたが、現在はしなの鉄道の快速が一部停車、観光列車のろくもんが停車する駅となっています。

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2018/9/2 坂城 169系保存車輛

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駅の北東側に保存されている169系3両編成はクモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27からなる3両編成で、しなの鉄道開業以来、S51編成として活躍してきた編成ですが2013年3月29日に同所に保存されることとなりました。

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各車両の・は横軽通過対応車で勾配を上下するため連結器にかかる負荷が大きいため連結器やそれを支える台枠構造を改造強化した車両を区別するための標記でした。モハ168の◆印は狭小トンネル対応の折り畳み高さの低いパンタ(PS23等)を搭載している車両の標記でした。

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2021年1月 5日 (火)

2020年の御用納め、18切符で再び長野へ その2 姨捨から長野へ

 2020年12月28日の長野日帰りの旅、松本駅周辺を歩いた後は篠ノ井線の列車で長野へ。

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松本を出て45分で姨捨駅に到着。ここからの車窓風景は肥薩線の矢岳越え、根室本線の狩勝越えと並び日本三大車窓と言われています。眼下に善光寺平が広がります。

長野には1時間13分で到着です。今回、事前に長野駅発着のしなの鉄道線、北しなの線の時刻と車両の運用を調べて来たので、

Dsc00565edit_20210104212501 電留線に停車しているお目当てのS9編成が14:36発の軽井沢行きであることはすぐに分かりました。

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北しなの線からは湘南色のS3編成、

Dsc00585 スカ色のS16編成もやってきました。生憎、ろくもん編成は検査で入場中でしたが、何よりも未遭遇だった台鉄カラーに会えたのは収穫でした。

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SR1も予定通りやって来ました。

14:36発の軽井沢行きのホーム横付けの姿を撮影した後、長野電鉄の地下ホームへ移動。善光寺下まで乗車、徒歩10分程度で長野電鉄が地上に出るポイントへ。

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ここで2020年から長野電鉄で活躍を開始した元東京メトロ03系の3000系を撮影することもできました。

Dsc00673 帰りは本郷駅まで歩き、長野駅まで乗車。

長野から16:06発の甲府行き、甲府着19:16、甲府発19:45大月行き、大月着20:33、大月20:50発の中央線特別快速、国分寺着21:56.国分寺22:00、一橋学園22:03で無事帰宅しました。
往路は5:17~12:22、復路は16:06~22:03で往路は松本での接続待ちが90分ありましたが、長野での滞在時間的には有意義な日帰りの旅となりました。

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2021年1月 4日 (月)

2020年の御用納め、18切符で再び長野へ その1 松本まで

2020年は1月末のクルーズ船から始まり、新型コロナウイルスの蔓延に世界が翻弄された年となりました。3月下旬から5月上旬の第一波、6月には一旦終息の気配を見せるものの、7月から9月にかけての第二波、そして11月初旬、冬の気配が近づくとこれまでの感染者数を遙かに超える新規感染者、そして重症者の増加でまさに医療逼迫の年越しとなってしまいました。安倍政権時代の2020年4月7日に緊急事態宣言が出され、5月25日に解除されましたが、第三波における全国新規感染者数は第二波のピーク時全国1500人に対して4500人、重症数は280人に対して700人弱とこれまでの人数を遙かに上回るものとなっています。この事態に対して首都圏の知事達は政府に緊急事態宣言のさい発令を要請したというニュースも流れている年明けとなりました。

そんな中、政府が進めて来たGoToトラベルキャンペーンは遅まきながら12月28日から一時停止となりましたが、私は2018年晩夏の信州旅行シリーズの今後の記事の材料として、長野電鉄には東京メトロから3500・3600系を置き換えるために,2020年から同じ日比谷線の後継車の03系が譲渡され,3000系として活躍を開始しており、しなの鉄道ではJRから譲渡され活躍を続ける115系に各種の特別塗装(ラッピング・イベント塗装)車が登場し,中でも2018年に重要部検査を受けた後、台湾鉄道EMU100型電車風の塗装を纏い、「台湾自強号色」として運行されるS9編成、そしてJR東日本E129系と同型のsustinaS23によるSR1系を是非,記録しておこうと思い、小平から18切符で長野まで往復してきました。

Dsc00448 2020/12/28 一橋学園 世間的には御用納めの月曜の朝でしたが、同駅の一番列車でまず国分寺へ

Dsc00449 国分寺5:33発の高尾行きに乗車

Dsc00451 5:58 高尾駅3番線に到着、4番線には同じE233系の大月行き1451Mが待っており、3分の接続で発車

Dsc00460 このE233系6連は大月で富士急行線からやってくる4連のパートナー編成を併結して東京方面に戻ります。2018年8月31日に同駅で目撃した光景と同じでした。

Dsc00458 大月では富士急行で活躍する元国鉄・JR東日本の205系(6000系6003編成),田の字窓の初期編成とも遭遇

Dsc00454 大月からは6:54発の高尾からやってくる427Mで松本へ
早朝の便で乗客が少ないこと、コロナウイルス蔓延に伴う措置として各駅でドアが全開されることなどもあり、211系6連の車内の温度はかなり低温となっていました。沿線の様子を見ていると、小淵沢までは雪などありませんでしたが、小淵沢から先、信濃境、富士見あたりではかなりの積雪があり、茅野に抜ける頃には雨に変わっており、そこから先は晴天、松本到着時も晴天でした。

Dsc00468 9:35松本に定刻に到着。篠ノ井方面の普通列車は11:09までないので、駅周辺を散策。

Dsc00498 松本駅西口(アルプス口)が抜け、南下、アルピコ交通(松本電鉄)上高地線の西松本駅、

Dsc00502 JR東日本の松本運輸区、車両センターの前を通り、

Dsc00523 東口(お城口)から再び駅構内へ

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アルピコ交通上高地線にはかつて活躍したモハ10系の塗装を模した3003-3004編成が入線中


Dsc00550 松本からは長野~松本間のシャトル運用に投入されているE127系100番台2両編成で長野へ

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2020年12月16日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 58 湯田中駅あれこれ

東急8500系の話題で大分、横道にそれましたが、再び2018年晩夏の信州旅行の話題に戻ります。

Dsc05854 2018/9/1 湯田中駅ホームに繋がる改札口

Dsc05856 駅舎

信州中野駅から長野線の普通列車に乗車、終点の湯田中までやって来ました。当駅は1927年4月28日の開業ですが、これまでに何度か出てきましたが、信州中野から当駅までの区間は線名が何度も変わっており、開業当初は平穏線(平穏はこの地域の字の名前1927年8月27日からは山の内線(山の内は町名)、2002年9月18日からは長野線の駅となっています。

Dsc05857 周辺案内図 周辺に湯田中、安代(あんだい)、渋、沓野、上林、地獄谷、角間、星川、穂波、新湯田中と多くの温泉があり、志賀高原、北志賀高原が存在する山ノ内町

Dsc05863 駅の北側、湯田中温泉街の入口

駅名が示すように湯田中温泉の最寄り駅であり、志賀高原への玄関口の役割も持つ駅で、1990年代には志賀高原駅と言う駅名に改称する動きもありましたが、地元の温泉組合の猛反対で白紙撤回されました。
Dsc05858 旧1番線、右手に対して線路を付け替えて現在のホームが新設されました。

Dsc05861 旧駅舎を改装して湯田中駅前温泉 楓の湯に

かつて2006年8月末までは2面2線式の相対式ホームで、旧1番線に隣接した旧駅舎は「湯田中駅前温泉 楓の湯」という日帰り入浴施設となっています。湯田中駅は40‰の勾配を登りきった所にあるため、信州中野方面にホームを延長することが出来ず、2面2線式の頃は3両編成以上の列車が入線する際は駅の奥の延長線(200m)まで行き、そこでスイッチバックしてホームに入線していたそうです。

1000系(元小田急ロマンスカーHiSE)が営業運転を開始すると、同系の場合、運転席間の移動に時間がかかることから、湯田中駅でのスイッチバック方式の入線は廃止されることになりました。

平穏線は1.8km先の渋温泉付近の渋安代まで建設される計画でした(1920年7月26日の地方鉄道敷設免許申請)が未着工で1931年7月14日、免許失効、戦後の1949年5月10日、再び同区間(1.3km)の延伸免許が交付されますが1958年5月13日に失効しています。

かつては湯田中駅まで国鉄列車が乗り入れており、最初の乗り入れは1937年1月2日の長野駅経由でした。同年7月17日には屋代駅経由の列車も乗り入れました。国鉄からの乗り入れも1982年11月15日のダイヤ改正(東北新幹線本格稼働・上越新幹線開業)で上野発着の急行「志賀」の廃止で終了となりました。

因みに急行 志賀号は1962年3月1日からキハ57系で運転、1963年10月には碓氷峠の電化などで165系となり、1日2往復に、1968年10月には169系化され、愛称は「信州」に、1969年には再び「志賀」に戻され、1978年1往復が季節列車化、1982年11月の改正で廃止となりました。志賀号の貴重な写真はこちらのサイトに。

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2020年12月 9日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 53 信州中野駅あれこれ

2018年晩夏、信州の旅、小布施駅から長野線電車に乗車、次に下車したのは信州中野駅でした。

Dsc05834 2018/9/1 駅名標

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開業は1923年3月26日で長野電鉄の前身の河東鉄道が須坂駅と当駅間を開業した時でした。その後、1925年7月25日には当駅~木島駅間が開業、1922年6月10日に開業していた屋代駅~須坂駅間と合わせ、河東線が全通しました。1927年4月28日には当駅から湯田中駅までの平穏線が開通し、分岐駅になりました。同年8月27日は平穏線は山の内線に名称変更されました。

当駅から木島駅までは通称、木島線と呼ばれていましたが、2002年4月1日に廃止され、2012年4月1日の屋代線廃止で現在の路線になりました。

東京(中央本線)、群馬(わたらせ渓谷鉄道)、長野(上田電鉄)の中野駅と区別するため、長野県の旧国名信州をつけていますが、戦前は飯山鉄道(現、飯山線)にも信州をつけた駅名がありましたが、国有化に際して国鉄が「〇州」を忌避したことからすべて信濃に改称されてしまい、当駅だけが信州をつけているそうです。

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駅は相対式2面2線、島式1面2線の計3面4線のホームを持つ地上駅で駅舎は橋上駅舎となっています。
1番線 2002年まで河東線が使用、現在は不使用
2番線 長野線上り
3番線 長野線上り下り
4番線 長野線下り  通常の付番法則とは違い駅舎に最も近いホームが4番線となっています。

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駅前ロータリー

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中野市の観光におけるキャッチコピーは「土人形の街」だそうで、写真のように市の紹介展示では土人形が飾られています。毎年3月下旬に開催される「中野ひな市」では土人形の展示即売会も開催されるそうです。

童謡・流行歌・新民謡などの作曲家として有名な中山晋平(1887-1952)は中野市(生誕当時は下高井郡新野村)の出身で中野市には生誕百年を記念して開設された記念館があります。熱海にも別荘を改修した記念館があります。
国文学者高野辰之(1876-1947)が学び、教鞭をとった小学校を活用した高野辰之記念館も中野市にあります。

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2020年12月 4日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 50 小布施駅あれこれ

長野電鉄、長野線小布施駅といえば先日の記事で紹介した「ながでん電車の広場」の他、下の写真のように栗と北斎と花の町として北信濃地域有数の観光地として、長野県内では最も面積の狭い自治体ながらその名は日本中から世界に広まっている小布施町のメインステーションでもあります。

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2018/9/1 駅名標

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両親が健在の頃、ここにもクルマで来たことが何度かあり、その度に「栗かのこ」、「栗おこわ」といった名物を購入して帰った思い出があります。

鉄道で来て、下車したのは今回が初めてでした。
Dsc05789 ホームは島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線で、上の写真の左手が下り信州中野・湯田中方面の1番線、2番線が上り須坂・長野方面、3番線は予備ホームで通常は通路として使用されています。写真を撮っている場所が2つのホームを連絡する構内踏切です。

Dsc05790
島式ホームの屋根と柱は昭和の駅という感じがします。

1923年3月26日に開業し、1972年3月1日、貨物営業廃止、1983年8月14日、手小荷物営業が廃止、1985年駅舎改築、1990年、ながでん電車の広場が開設されました。

Dsc05776 ホーム上には1926年に運転を開始した樽川第二発電所(現・中部電力藤平第二発電所)で使用されていた発電用水車(ペルトン水車)と水圧鉄管が保存・展示されています。

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ホームから北北東の方角に見える北信五岳の説明も用意されています。飯山市は斑尾山の右手、斑尾山の左手に野尻湖といった位置関係になります。

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1985年に建替えられた駅舎でレンタサイクルなども用意されています。
江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎は宝暦10年9月23日?(1760年10月31日?)武蔵野国葛飾郡本所割下水(現・墨田区の一角)で生を受け、1778年 浮世絵師・勝川春章の門下となりました。狩野派や唐絵、西洋画などあらゆる画法を学び、名所絵(浮世絵風景画)、役者絵を多く手がけ、黄表紙の挿絵なども描きました。小布施との関係は1842年 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねたことからであり、この時、鴻山は、自宅に碧漪軒を建てて、北斎を厚遇しました。その後も小布施が気に入り、旅し、1848年まで滞在しました。嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没しました。享年90歳、楽聖ベートーヴェンより、10歳年上で今年は生誕260年ですが、ベートーヴェンが1827年に亡くなているのと比べると、当時の人間としては長寿ですね。

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2020年12月 2日 (水)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 49 長野電鉄、懐かしの車両 2000系 その3 小布施駅に保存された りんご電車

2018年晩夏、信州の旅で長野電鉄を訪問した大きな目的の一つは、先日の記事で紹介したトレインギャラリーに保存されている2500系(元東急5000系)の見学とこの小布施駅「ながでん電車の広場」に保存された2000系D編成との再会でした。

Dsc05791 2018/9/1 小布施駅の側線に屋根をつけた「ながでん電車の広場」

2000系D編成がここに保存されたのは昨日の記事にあるように2012年7月7日ですが、それ以前、ここには電機ED502、廃車当時はED5002,デハニ201、廃車当時はモハニ131、モハ604、モハ1003の4両が保存されていたそうです。これらの車両は2000系の展示で屋代線信濃川田駅に移動、さらにデハニ201とモハ604は安曇野ちひろ美術館に移設され、ED5002は、JR長野工場の解体を請け負っている、長野市大豆島の直富商事に引き取られて、クモハ252-1、DD16 303とともに保存されているとのことです(情報はこちらから)。

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Dsc05781 長野よりの3号車はドアが開放されており、車内立ち入りも可能なようでした。


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2020年11月26日 (木)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 45 須坂駅、廃止になった屋代線の思い出

臥竜公園、須坂市動物園を見学した後は徒歩で須坂駅に向かいました。

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2018/9/1 須坂駅 駅前ロータリー 連絡橋の左奥が駅舎

091231_20201125185901 2009/12/31

須坂駅(駅番号N13)は現在は長野線の駅ですが、2012年3月までは、屋代線が分岐しており、駅番号もNY13でした。以前、記述しましたが1922年6月10日河東鉄道が屋代~須坂間を開通させたときに開業しました。1922年3月26日には信州中野まで開通、同年6月28日には長野電気鉄道が権堂~須坂間を開通させ、同年9月30日、長野電気鉄道と河東鉄道の合併で長野電鉄の駅となりました。

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2009年当時の1.2番線ホーム 屋代線は4番線発着でしたが、2番線にも屋代線方面の出発信号機リレー灯が見えます。

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信州中野・湯田中方面の4番線と5番線の間にはホームの無い線路(8番線)があり、写真のように編成が留置されています。
 
単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線で5番線までありますが、長野線が使用しているのは1~4番線で5番線は臨時ホーム、イベント時などに使用されます。
ホームは 1番線2番線 上り 権堂・長野方面
     3番線4番線 下り 信州中野・湯田中方面
     5番線 臨時ホーム  で屋代線は4番線が専用ホームでした。


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車両基地も近接して設置されており、3500系や元JR東日本253系2100系の姿が見えます。

3500-3532-091231 2009年の須坂駅で屋代線表示の車両が写っていないか調べたところ、唯一この写真に写っている奥の3500系編成の方向幕に屋の字が見えました。

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2020年11月23日 (月)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 42 地方私鉄に譲渡された東急5000系初代

東急5000系初代1954年10月16日東横線で運用開始後、1970年田園都市線から急行用に7000系が転属し、入れ替わりに一部が田園都市線に転属するまで105両全車が東横線で活躍しました。私が高校通学で東横線を利用していた頃は急行運用に7000系が入っていましたので既にこの頃は東横線における5000系初代運用の終盤期に入っていたことになります。1979年8月、田園都市線・新玉川線大井町線の運転系統分離で前者は8500系に統一、5000系は大井町線に配置となりました。1980年3月29日のダイヤ改正で5000系の東横線での活躍は終わりました。

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2015/2/14 東急 電車バスの博物館の車両の歴史紹介の展示から

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大井町線の主力時代も東横線線に8000系や8090系が増備されたことで初代7000系が大井町線で転属し、1985年3月中で終了しました。目蒲線では1980年4月から運用が開始されましたが、1986年6月18日7200系の転属で営業運転が終了しました。先輩の3000系よりも先で東急線から姿を消しました。池上線は車長の関係で入線ができませんでした。

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1977年、最初の地方私鉄譲渡として長野電鉄への譲渡が始まり、1980年には福島交通への譲渡も始まりました。福島交通には1980年と1982年に2両編成2本が譲渡されましたが、1991年飯坂線の昇圧で7000系に置き換えられました。

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岳南鉄道には1981年、2両編成4本が譲渡され、1997年7000形に置き換えられ、2006年には予備車として残っていた編成も廃車になりました。

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熊本電気鉄道には前回の記事のように1981年から譲渡が開始され、1983年には上田交通サハ5350形2両を制御車改造したクハ290形が譲渡され、1986年には別所線の昇圧でデハ5001を含む2両編成4本が譲渡されました。1993年には7200系に置き換えられ廃車となりました。デハ5001は廃車後、静態保存のため東急に返却され、緑塗装に戻され、長津田検車区に保存、さらに東急車輌製造構内に保存され、2006年10月26日からは渋谷ハチ公口前に保存されました。長らくハチ公口のシンボルとなっていましたが、2020年8月、秋田犬の里へ移転しました。

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5001-130113-42013/1/13 渋谷駅 ハチ公口


松本電気鉄道には1986年2両編成4本が譲渡され、2両は両運転台化されましたが、2000年京王井の頭線3000系の導入で全廃されました。

TS301台車も譲渡されており、1982年には伊豆急行に譲渡されサハ173と174の台車が振り替えられました。1986年には西鉄に譲渡され宮地岳線の120形のカルダン駆動化に使用されました。

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