2024年春の名古屋周辺旅行 トヨタ博物館を見学 その8 かつては乗用車メーカー、今は路面電車のメーカーとして知られるチェコのタトラ
1850年、チェコ人の実業家、イグナーツ・シュスダラが馬車メーカーネッセルドルフ車両製造会社(Nesseldorf Wagenbau Fabriks Gesellschaft)として創業したのが今日もチェコの路面電車メーカーとして世界に名を馳せているタトラです。タトラという名称は旧チェコスロバキアの最高峰である現在、スロバキアに聳えるタトラ山脈に因んだもので、日本のメーカーが「富士」という名称を使うのと似ているのかと思います。
1881年に鉄道分野に進出し、客車を製造、1897年には自動車を製造し始め、ネッセルドルフ車両製造工業会社(Nesselsdorfer Wagenbau-Fabriks-Gesellschaft)と改称、チェコスロバキア国が成立した時にはチェコ語地名に合わせてコプジブニツェ輸送機器株式会社(Kopřivnica vozovka, a.s.)に改称しました。
タトラブランドで生産された自動車は1920年代から1930年代にかけ国際的に高い評価を受け成功をおさめました。1927年にタトラ工業株式会社(Zavody Tatra, a.s.)に改称。のちチェコの財閥で、鉄道車両、エレベーターの製造工場やビール醸造所などを経営するリングホッフェル家の傘下に入り、1935年にプラハ・スミホーフに鉄道工場を持つリングホッフェル工業株式会社(a.s. Ringhofferovy závody)と合併してリングホッフェル・タトラ株式会社(Ringhoffer-Tatra, a.s.)となり、本社をプラハに移しました。この間に自動車のみならず、鉄道車両、航空機の製造を本格的に手がけました。
1939年、ナチスがチェコスロバキアに侵攻するとドイツの軍需工場体制に組み込まれ、終戦後は社長らリングホッフェル家はナチス協力者として追放され、1945年10月の主要重工業国営化でタトラ国営会社となり、社会主義計画経済化では乗用車の生産は中止され、トラック、バス、鉄道車両の製造に特化しましたが、1955年に乗用車生産を再開、当時チェコスロバキアでは大衆車メーカーAZNP社(現、シュコダ・オート社)が台頭していたため、高級車メーカーとして公用車向けの大型車を製造しました。この頃、路面電車のタトラカーが共産圏各国に広く輸出されていました。
1989年、ベルリンの壁崩壊に続く東西冷戦からの体制変革で、1992年には民営化されタトラ株式会社(Tatra a.s.)となりましたが西側の自動車メーカーとの競争にさらされ、主要な市場を失い急速に経営が悪化、乗用車の生産は打ち切り、軍用車の発注でなんとか食いつなぎ、2009年の世界金融危機でも経営危機に陥り、軍用車の生産で生き延びている状況のようです。
小さいころから世界の自動車などの絵本でチェコスロバキアのタトラ社の車は実にユニークなスタイルをしているなと思っていましたが、トヨタ博物館でタトラ87を間近で見て、その思いが蘇りました。
1948年式 タトラ87
1934年に登場したタトラ77に続くモデルで涙滴形流線型ボディを採用、空冷V型8気筒OHC2969㏄のリアエンジン、リア駆動
全長4740㎜、全幅1670㎜、全高1500㎜、重量1370㎏、ホイールベース2850㎜、最高出力63kW/85PS/3500rpm
2009/4/18 Alexanderplatz Berlin
旧東ドイツ時代にタトラKT4DMとして導入された東西統一後もベルリントラムとして活躍、2021年に営業運転を終了
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