函館、若松埠頭に係留される青函連絡船摩周丸の博物館の話題、今回は船として、車載連絡船としてのメカニズムに関する話題です。
手前は洞爺丸事故の後、1957年建造された十和田丸初代 2015/12/23
奥は津軽丸型の八甲田丸
カプセル型救命筏のコンテナ
十和田丸初代では端艇甲板上に10隻の救命筏が並んでいましたが、津軽丸タイプではカプセル型コンテナが航海甲板両舷に並ぶ程度になりました。
1964年5月10日に就航した津軽丸2代目以降、連絡船は大きく近代化されたと言われています。
具体的には、
① 車載客船・車両渡船特有の上下幅の短い機関室に中速ディーゼルエンジンを多数搭載するマルチプルエンジン方式を採用し、12800馬力の従来船の2倍以上の高出力化を実現し、航海速力を18.2ノットに上昇させました。
② 当時、日本最大の可変ピッチプロペラ (Controllable Pitch Propeller)を2基装備し、さらに船首水線したには出力850馬力のバウスラスター(Bow Thruster)を装備し、港内での操船能力を上げることで、従来4時間半有していた青森~函館澗を3時間50分に短縮することが出来ました。一日2往復から2.5往復が可能となり、稼働率が向上しました。
③ 画期的な自動化、遠隔操縦化で従来、車載客船で約120名、車両渡船で72名から78名要していた運航要員が53名になりました。
サイドを切り開いて各層の構成が見えるようになっている羊蹄丸模型
船首(バウ)に設置されたサイドスラスター(バウスラスター)の位置もよく分かります。
コンパス甲板:操舵室屋上の最上層の甲板で、磁気コンパス本体がおかれ、その後方に前部マストが建っていました。マスト中段の前方への張出しには第1レーダーのスキャナーとハーモニック形のエアホーンのラッパが左右に2本、その直下の張出しにはモーターサイレンのラッパが1本、最下段の張出しには第2レーダーのスキャナーが設置されていました。さらに、操舵室屋上には、右舷に探照灯、左舷に灯火前面のスリットを開閉させてモールス信号を送る信号灯があり、また最前部中心線上には約3mの高さのポールが設置され、上端に碇泊灯、中段には赤色の危険物積載表示灯が設けられていました。
無線通信室の左舷の電気機器室に置かれていたジャイロコンパス
航海甲板:操舵室床面高さの甲板で操舵室と無線通信室が設置され、津軽丸では両室とも前向きでしたが、第2船の八甲田丸からは無線通信室は連絡が取りやすいように後ろ向きとなりました。
遊歩甲板:両舷に甲板室全長に渡る遊歩廊が設けられ、甲板室前の部分が高級船員室になっていました(摩周丸では非公開でしたが青森の八甲田丸では公開されていました)。後部煙突件マストより後は1967年6月から、乗用車搭載スペースとなりました。
操舵室から見た船首船楼甲板
船楼甲板:船首の露天部分は揚錨機や係船ウインチが設置された船首係船作業場になっており、甲板室の前の部分には高級船員室が、それ以外の大部分は2等船室関連で、旅客食堂が右舷中央部に配置されていました。
中甲板:車両甲板中2階にあたり、船内軌道各線の終端部から船首端までの隙間部分の狭い甲板でした。最前部に甲板長倉庫、左舷には船首係船作業場が狭くて設置できなかったスプリングウインチの本体および、揚錨機とスプリングウインチの動力となる油圧を造る動力機械が、右舷には主ウインチと補助ウインチの動力機械が設置されていました。両舷にそれぞれ船員浴室が配置されていました。
摩周丸ではアスベストの問題等もあってか、車両甲板は非公開でしたが展示室のディスプレイでその様子を見ることができました。
車両甲板:従来の車両渡船同様、船尾端3線、船尾近くで中線が分岐して、車両甲板の大部分で4線となるよう敷設され、ワム換算48両積載できました。津軽丸型では、万一車両甲板上に海水が滞留しても、すぐには車両甲板下へ流れ込まない構造となるようにレール面からの高さ約92cm、幅1.4mのプラットホーム状の通路が設けられ、付近から車両甲板下へ降りる階段は、このプラットホーム上から約3cmの低い敷居越しに降りる構造とし、それ以外の場所から車両甲板下へ降りる階段は、在来船通り高さ61cmの敷居が設けられました。当時の国鉄は洞爺丸事故で中止となった寝台車航走を復活させようと、第5船以降の摩周丸2代、羊蹄丸2代、十和田丸2代に前部機関室囲壁の船尾側に短いプラットホームと船楼甲板の2等出入り口広間に繋がる階段を設置しましたが、運輸省は寝台車航走を認めず、実現は出来ませんでした。
貨車の積み込み等による船体の傾きは2対のヒーリングタンク内の海水を調節するヒーリング装置でバランスを取っていました。
車両甲板より下の船体は、12 枚の水密隔壁により13区画に分けられ、隣接する2区画に浸水しても沈まない構造でした。更に船体中央部、第1補機室、発電機室、第1主機械、第2主機室、第2補機室の5区画では、船底だけでなく側面にも、2対のヒーリングタンクと、5対のボイドスペース(空タンク)またはバラストタンクが設けられ、二重構造とし、これらボイドスペースは、片側が損傷して浸水しても、この浸水を対側のボイドスペースへも導き、非対称性浸水による船体傾斜を軽減するクロスフラッディング設備も設けられていました。
ディスプレイ越しに見えた総括制御室
第二甲板:車両甲板から最も船首側の階段を降りるとバウスラスター室に通じていました。2番目の階段を降りると普通船員居室のほか、左舷に高級船員食堂、右舷に普通船員食堂が通路を隔てて設置された第1船室と呼ばれる区画に通じました。さらに船尾側に進むと、発電機室(出力840制動馬力ディーゼルエンジンで駆動される三相交流60Hz 445V 700kVAの主発電機が3台、さらにバウスラスター駆動電源で、かつ主発電機故障時には、主要推進補機のバックアップ電源となる、出力900kVAの主軸駆動発電機が設置)がありました。さらに船尾には総括制御室があり、計器盤は船尾方向向きに設置され、ここで各種機械類の状態が監視され、通常の運転操作はここから遠隔操作で行われていました。そのさらに船尾側が防音扉を隔てて、主機室でした。8台の主機械は4台ずつ、第一と第二主機室に納められていました。
主機室もディスプレイ越しに
更に船尾側へ進むと、第3補機室の中段で、機関部作業事務室や倉庫があり、船艙の両舷を走る主軸には可変ピッチプロペラ管制装置が仕組まれていました。
プロペラのピッチを変化させることで、主軸の回転数や回転方向を変化させずに推進力を変化させるメカニズムでプロペラ機などにも用いられていますが、津軽丸2代はそれをいち早く取り入れた船でした。
自動車のトルクコンバータの原型とも言えるフルカン(ドイツ語のVulcanの誤読らしい)継ぎ手により、主機と主軸を繋ぐクラッチの役割を担わせました。
貨物線タイプ 檜山丸の主機関 模型
可変ピッチプロペラとフルカン継ぎ手により、通常は8台のエンジンをフル稼働させることなく6台程度の稼働で定時運航が可能となり、運航しながらの機械整備も可能となりました。
函館の摩周丸を見学し、記事に纏めることで青函連絡船のことが以前に増して良く理解できたように感じます。さらに青森の八甲田丸見学では函館の摩周丸では非公開だった車両甲板などの様子も見ることが出来、非常に有益でした。八甲田丸の記事は後日掲載致します。
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