2018年8月17日 (金)

2018年3月の関西旅行 南海電鉄編 その27 和歌山港線

南海の支線シリーズ、今回は和歌山港線です。

180323_2
和歌山市 NK45   0.0km
和歌山港 NK45-1   2.8

180323 奥がなんば方向

和歌山市駅のホームですが、サザンなどの直通列車のホームと、区間折り返しのホームがあり、後者は6番線のホームと7番線のホームを線路を分断させて造っています。現時点での東村山駅の国分寺線、西武園線のホームとよく似ています。

180323

1956年、南海四国航路の開路に合わせて和歌山市~和歌山港(後の築港町)間が開業しました。1971年には県が計画した木材輸送のため水軒まで延伸されましたが、すでにその当時、木材輸送はトラックの時代となっており、一度も輸送が行われることなく、2002年に和歌山港~水軒間は廃止されました。廃止直前、和歌山港~水軒間の旅客輸送は1日、わずか2往復でした。

和歌山市~和歌山港間に現在は途中駅は存在しませんが、かつては久保町、築地橋、築港町が存在しました。これらの駅も2005年11月27日に廃止されました。

180323_3 2018/3/23 現在の和歌山港線の運行頻度、1時間に1本あるかないかです。

南海グループの南海フェリーが和歌山港と徳島港(小松島港)を結んでおり、1985年3月までは国鉄小松島線が徳島側のアクセス鉄道の役割を担っていました。今では明石海峡大橋の開通で利用客は激減しましたが、神戸淡路鳴門自動車道の通行料金の高さを考慮すると大型トラックや自家用車の利用客にとってこちらのルートは魅力的なようです。2007年2月までは南海淡路ライン(泉佐野港 - 津名港間)が存在しましたが、廃止後は南海グループ唯一の航路となりました。

180323_4 線路終端

180323_5 改札口

時刻表によると和歌山から徳島にフェリーは2便から9便まで運航されており、8:30発の4便以降は全てなんば発のサザンと接続しています。運賃は大人片道普通船席で2000円です。徳島から和歌山の場合は2便から8便までサザンが接続しています。

180323_6
明石~淡路島~鳴門経由のルートの開通で輸送人員的には押され気味ですが、四国から和歌山へ、あるいは大阪南部へのルートとして、あるいは災害時のバックアップルートとして現在も貴重な役割を果たしています。

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2018年1月 6日 (土)

2017年10月の福岡旅行 3 筑豊本線 若松駅

若松~折尾間は九州島に深く入り込んだ洞海湾の北側を鹿児島本線と並行に走っています。筑豊の炭田で採掘された石炭を若松の港から積み出すために1893年に飯塚から若松まで筑豊興業鉄道が線路を敷設しました。

最盛期の石炭取扱量は1000万トン/年で日量にして28000トン、13トンから17トンの石炭車に換算すると毎日1900両弱の石炭車がヤマとの間を往復していたことになります。

明治時代、石炭積み出し港としての役割を担った若松港でしたが、水深が3mと浅く、干潮時には1.5mほどの浅瀬となるため大型船が入港できず、外海に停泊する大型船まで積載量80トンの艀でピストン輸送する状態でした。

この問題を解決するために炭鉱主達は若松築港株式会社を立ち上げ、国から補助金を得て、港の整備のための資金を調達し、干潮時でも水深9mの港を完成させました。

121221 2012/12/21 若松駅 駅名標

121221_2 2012/12/21 操車場跡の碑

終端の若松駅には石炭車入換のための操車場が設けられ、その面積は35万平方メートルで機関区、客貨車区、鉄道工場、保線区も設置され、1500人の職員が働く職場となっていました。

この碑文の”42万平方キロメートルの鉄道用地に35万平方キロメートルの操車場”、日本の国土面積は37万8千平方キロメートルの筈ですが。

この碑の側の久岐の浜広場には9600形蒸機19633号が保存されています。 

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こちらの記述は35万平方メートルとなっています。

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駅前には完成時「東洋一の吊り橋」と言われた若戸大橋が見えます。
全長627m、最大支間長367m、1958年に着工し、1962年9月26日に開通しました。

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一方、洞海湾、直線距離400mを舟で渡る「若戸渡船」も残っています。

北九州市産業経済局渡船事業所によって運営されており、明治以前から運航されており、1889年に若松村により、1919年には若松氏と戸畑町の共同運航になりました。1930年4月2日には乗客179名のうち72名が死亡するという痛ましい沈没事故が起きています。

若戸大橋の開通時に貨物線は廃止され、旅客船も廃止の計画でしたが、市民の強い要望で存続となりました。運賃は大人100円、子ども50円です。

121221_6 2012/12/21 若松駅駅舎

121221_5 改札口

1000_121221_2
駅構内にはかつて石炭輸送に活躍したセム1000が保存されています。

40_8135_121221 2012/12/21 

この時は非電化の若松線にはキハ47などのキハ40系が活躍していましたが、2017年3月4日のダイヤ改正でBEC819系が投入され、全列車電車に置き換えられました。

ちなみに写真のキハ47 8000番台は車体の割にエンジン出力の低いキハ47の性能向上のため、1999年より、機関をコマツ製SA6D125H-1A,液体トルクコンバータを新潟コンバータ製TACN-22-1612Aに更新した番号区分です。

仕様
車両性能     最高速度: 95km/h
全長     21300mm
全幅     2903mm
全高     4055mm
台車     DT22D (動台車) TR51B (付随台車)
駆動機関     SA6D125H-1A (300PS)
液体変速機形式     TACN-22-1612A
冷房装置     AU600K
設計     JR九州

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2016年1月26日 (火)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸6

青森の青函連絡船八甲田丸の話題、今回は車両甲板の下の第二甲板の話題です。

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摩周丸の記事でも紹介しましたが、第二甲板(博物館的にはB1)は船首からバウスラスター室、普通船員居室、発電機室、総括制御室、主機室となっています。八甲田丸では主機室、発電機室、総括制御室が公開されていました。

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青函連絡船初のディーゼル船の檜山丸(初代)から十和田丸では毎分230~250回転の2サイクル低速ディーゼルエンジン(B重油使用)を主機関に採用していました。エンジンの高さが船底から車両甲板までほぼ一杯になり、主機械のピストン抜き作業は車両甲板に設けたボルト締めの水密ハッチの蓋を開けながら行う必要があり、車両搭載時には実施不可能でした。

1600ps_151225 シリンダーヘッドの数からV8タイプのエンジンと見られます。

津軽丸2代以降では背の低い毎分750回転の
単動4サイクルトランクピストン
排気ターボ過給機付ディーゼル機関 (軽油を使用)
川崎 MAN V8V 22/30mAL もしくは 三井 B&W 1226 MTBF-40V

を搭載したため、所要出力を確保しつつ、天井の低い車両渡船の機関室内で、主機械頂部と機関室天井の間に余裕を持たせ、ピストン抜き作業も機関室内で可能となりました。

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750rpmではプロペラ効率が悪く、減速機を介して主軸に繋ぐ必要があり、また片舷1軸あたり4台のエンジンが繋がるため、故障機や休止機を軸系から容易に切り離せるようにしておくことも必要で、各主機械と主軸の間にはクラッチも必要となりました。そこでフルカンギアを介して、油の出し入れで動力の伝達をON/OFFする機構が導入され、8台のエンジンの出力は、それぞれ流体継手と1段減速歯車を介して両舷の主軸に伝達され、主軸はプロペラ効率のよい毎分217.5回転で互いに外転しました。

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表示から推測するところ、フルカンギアの潤滑油の冷却装置でしょうか?

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メインエンジン上の物々しい配管

通常は主機械6台程度の稼働で定時運航可能なため、運航しながらの機関整備が可能となり、当時檜山丸型で行われていた20日間運航後3日間休航、という機関整備のための休航は不要となりました。

151225_4 2015/12/25 総括制御室

摩周丸ではディスプレイ越しでしたが、八甲田丸では同じ光景を直接見ることができました。計器盤は船尾方向向きに設置され、ここで各種機械類の状態が監視され、通常の運転操作はここから遠隔操作で行われました。

151225_5 発電機室

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1939年以来
の連絡船では電圧は225Vでしたが、十和田丸(初代)では3台の発電用ディーゼルエンジン(360制動馬力)が搭載され、三相交流60Hz 445V 300kVAの発電が行われていました。津軽丸2代以降は左舷から中央部にかけて、出力840制動馬力ディーゼルエンジン(大雪丸(2代)、摩周丸(2代)、羊蹄丸(2代)では800制動馬力)で駆動される三相交流60Hz 445V 700kVAの主発電機が3台設置され、右舷にはバウスラスター駆動電源で、かつ主発電機故障時には、主要推進補機のバックアップ電源となる、出力900kVAの主軸駆動発電機が設置されていました。

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1954年9月26日の洞爺丸をはじめとする5隻の青函連絡船沈没事故を教訓として、1957年に就航した十和田丸初代、さらに1964年から就航した津軽丸二代目以降、数々の安全対策が取り入れられたことがよく分かりました。

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2016年1月25日 (月)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸5

青森岸壁に係留されている青函連絡船八甲田丸の話題、今回は車両甲板に保存されている車両の紹介です。

151225
ちょっと見にくいかも知れませんが、車両甲板には
スユニ50 509, 510   キハ82 101
DD16 31 ヒ600 4両 ヨ6000形6798 が保存されています。

50_509_15122550_509_151225_2

50_510_151225 最初は我が国の鉄道郵便・荷物車の最終型となったスユニ50 509, 510です。

国鉄が最後に1977年から設計・製造した50系客車の一形式で、スユニ60形などの置き換え用に計画されました。車体、台枠は新製されましたが、台車はTR47形台車、自動連結器一式は廃車となったスハ43形スハネ16形から流用されたため、名義上は新製ではなく改造扱いとなりました。1978年から1981年にかけて国鉄工場で80両が改造施工されました。

0番台が本州以南用、500番台は北海道用に区分されました。0番台は電気暖房搭載で現番号に2000が付加されました。外部塗色は青15号です。

82_101_151225

82_101_151225_2
続いて本州側では「白鳥」、北海道側では「おおぞら」、「北斗」、「北海」「おおとり」などで青森、函館駅の常連だったキハ82形特急車両です。

キハ82 1011965年7月9日、富士重工で製造、1987年2月18日廃車になるまで終生、函ハコで活躍した車両です。

Dd16_31_151225
DD16 31

DD16形1971年登場した小型液体式ディーゼル機関車で、軸重が12tに制限されている簡易線向けに製造された形式です。1971年から1975年にかけて国鉄長野工場、日本車輌製造・川崎重工業で65両が製造されました。

Dd16_31_151225_2
前後非対称のセミセンターキャブ方式となっているのは長い方にエンジン(DML61S)を出力を1000psから800psに落としたものを搭載し、キャブ下に燃料タンクを配置し、短い方に機関予熱器、蓄電池箱などを納めて軸重不均衡を調整しているからです。

0番台 65両 
300番台 飯山線、大糸線用に2,5,4,13を単線用ラッセル式除雪ヘッドを取り付け可能に改造したタイプ

DD1631     川崎重工大阪工場=3826           1974-04-00 D48.0tBB(1067)
   車歴;1974-04-00 製造→ 納入;国鉄;DD1631→ 配属;青函局→1974-04-25 配置;長万部→
      1980-10-01 五稜郭→1986-03-31 廃車;五稜郭→
      保存;青森県青森市青森港「メモリアルシップ八甲田丸」;DD1631

沖田祐作氏の機関車表データによる31号機の履歴です。

600_151225 ヒ600形貨車

1954年から1977年までに構内入れ換え用、航走車両の積み下ろし作業用の控車として、トム16000形、ワ12000形、ワ22000形、ワム3500形、ワム20000形、ワム21000形、ワム23000形、ワム50000形、ワム90000形、スム1形、テム300形、テラ1形から総数253両が改造されました。走行装置は種車の違いにより、シュー式、一段リンク式、二段リンク式があり、最高速度は65km/hでした。

600_151225_2
1968年10月1日
のダイヤ改正で高速化不適車の指定を受け、識別のためヒの左肩にロが付け加えられました。

600_151225_3
6798_151225
最後は緩急車ヨ6000形6798です。

1950年代から60年代にかけてローカル線の緩急車はワフ(有蓋緩急車)が使用されていました。居住性が悪く不評だったため、その改善と慢性的な緩急車不足を解消させるため、1962年から1969年にかけて製造されたのがヨ6000形式でした。東急車輛製造・協三工業・汽車製造・鉄道車輌工業・日立製作所・若松車輌で905両(ヨ6000 - ヨ6870、ヨ6900 - ヨ6915、ヨ7900 - ヨ7917)が製造されました。

窓4枚の車掌車スタイルを基本としていますが、ヨ5000形に比べると車体が630mm、軸距が300mm短縮され、それに伴い窓数も3個となり、室内の執務用机や椅子、長椅子も3人分から2人分に減らされています。屋根も深いRのカンバス張り屋根を持ったヨ5000形に対し、ヨ6000形はゆるやかなRをもつ浅めの鋼板屋根となり、換気用ベンチレータも1個に減りました。

暖房用ストーブは当初石炭使用のダルマストーブでしたが後に石油ストーブに改装された車両も多数存在し、識別のため妻面左右に白線が標記されました。塗色は黒、常備駅が定められ日本全国で活躍しました。

走り装置はヨ5000形と同様の重ね板ばねを用いた二段リンク式軸箱支持となっており、軸距は短くなったものの、長く軟らかいばねを使用していることもあって、85km/hで走行可能でした。全長は7,200mm、全幅は2,640mm、全高は3,621mm、自重は8.8tで、換算両数は0.8でした。

6000番台 871両
6900番台 16両 北海道向け 二重窓、塩化ビニル床などの耐寒対策
7900番台 18両 耐寒構造で緩衝性能を向上させるため連結器緩衝装置が油圧式に

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2016年1月24日 (日)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸4

青函連絡船八甲田丸の船内紹介、今回は鉄道連絡船の車両甲板です。

151225 翔鳳丸模型

以前、摩周丸の記事でも記述しましたが、青函連絡船における最初の自航式航走船は1924年5月に就航した翔鳳丸でした。その模型が八甲田丸の展示にありました。3460総トン、旅客定員895名、搭載貨車25両、速力17ノットで青森~函館間を4時間30分で結んでいました。

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旅客船は翔鳳丸から津軽丸二代まで、貨物船は第1青函丸から渡島丸二代に至る車両甲板の変化

車両甲板の線路構成も規模が大きくなっているのが分かります。

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先頭の貨車は船体側の連結器で連結されると同時に緊縛装置で甲板床とも繋がれました。

151225_4 船体側自動連結器

151225_5 緊縛装置

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函館の摩周丸の展示でも緊縮装置の展示がありました。

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八甲田丸では車両甲板が公開されており、甲板後方扉のすぐそばまで行くことが出来ました。

次の記事で車両甲板に収納されている車両の写真を紹介致します。

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2016年1月23日 (土)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸3

青森の桟橋に係留されている博物館船八甲田丸の紹介、今回は函館の摩周丸では開放されていなかった高級船員の部屋です。

151225
津軽丸(二代)型の連絡船では遊歩甲板レベルの前部が高級船員室、それ以外の大部分が一等船室(グリーン船室)に、さらに後部は1967年6月以降、自動車航走用のスペースとなりました。
151225_2 船長室
実際の航海で船長がどれだけこの部屋に滞在されていたのかは不明ですが、賓客の接待などとしても使われたのでしょうか。

151225_3 事務長室

151225_4 サロン会議室

歴代の桟橋長の名前が記録されているボードがソファーの後に置いてありました。

次は船内の各種表示を集めたもので
151225_5 乗船名簿記入台

松本清張の点と線のアリバイ・トリックを思い出します。

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151225_2_2
こういった表示類、見ているだけで不思議とあの頃を思い出します。

151225_7 最後に80年間の運航回数の年別実績のグラフです。
1954年(昭和29年)の落ち込みは洞爺丸をはじめとする台風15号による遭難事故の影響で、1970年をピークに運航回数は終航まで減り続けていたことも分かります。
これは以前に記述したように旅客ではB747などの就航による航空機利用の増加、貨物ではフェリー開設によるトラック輸送の増加によるものです。
と言うことで、次回はいよいよ鉄道輸送、車両甲板の様子の紹介です。

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2016年1月22日 (金)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸2

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の内部の様子ですが、今回は”青森らしさ”という観点から紹介して行こうと思います。

151225 乗船口から入り、上階の展示室へ

先般の連絡船『摩周丸』が江戸時代末期に開港し、異国情緒あふれる函館の街を背景としているのに対して、『八甲田丸』の展示は本州最北端の県庁所在地青森の文化を示しています。

                         青森県章

青森県章 まさに特徴的な県の形を示しています。青森という名称の由来は海上からの目印となる青い森が現在の青森市本町付近にあったことに由来するそうです。江戸時代は弘前藩が治めており、1871年に県庁が弘前から青森に移されました。

30_151225

県外の人間が青森と聞いてイメージするのはなんと言ってもリンゴであり、全国有数の農業産出県で主要な出荷品目はリンゴの他、ナガイモ、ニンニクが全国一の生産量を誇り、漁業も盛んで八戸港の水揚げ高ではサバ、イカが国内一の水揚げ高となっています。

151225_2 祖父が秋田県能代に居た頃は毎年冬に青森のリンゴが贈られてきました。このタイプのリンゴ箱は小さい頃からよく目にしていました。

地形的には県の中央部を奥羽山脈が縦走するため、西側の津軽地方、東側の南部地方(三八、上北、下北地方)は歴史、気候、文化が異なります。

青森ねぶたまつり、弘前ねぷたまつり、五所川原立佞武多、八戸三社大祭などの夏祭りのほか、縄文時代の遺跡が数多く出土しており、三内丸山遺跡(青森市)や二ツ森貝塚、是川遺跡(八戸市)などで住居や土器および土偶が発見され、観光の目玉となっています。

一方で、八戸臨海工業地帯が国策で建設され、下北半島ではむつ小川原湖周辺に国家事業の原子力関連施設の建設が続いています。核燃料サイクル施設や国際原子力機関のITER関連施設、原子力発電所が立地し、県内主要企業の日本原燃があります。また国内で最大級の風力発電施設もあります。

151225_3 2015/12/25 補助汽船 ふくうら丸の模型
白と黄緑色の塗色から、「青船(あおぶね)」とも呼ばれました。

続いて青函連絡船80年の歴史の展示などがあり、さらに青森港で活躍した補助汽船(タグボート)の紹介がありました。

151225_4 (航路廃止時)ひうら丸・ふくうら丸・しらかみ丸・たっぴ丸・かつとし丸が活躍していました。船体の名前は青函航路の岬の名前が付けられました。

二代目津軽丸型連絡船にはバウスラスターが装備されていましたが、通常の着岸時には補助汽船(タグボート)が右舷船尾を押し、回頭着岸作業を行っていました。
推進装置はフォイト・シュナイダープロペラ、コルトノズル付きCPP、ダックペラなどがありました。

仕様 ひうら丸、ふくうら丸タイプ

総トン数 237.0t
全長     30.0m
全幅     8.4m
出力     2000馬力
最高速力 12.0ノット

着岸作業のほか、函館港内に停泊(錨泊)している連絡船の乗組員交代のランチや、岸壁付近の浮遊物(ゴミ)の回収など様々な業務に使用されました。

1988年3月13日、青函航路の廃止により運用を終え、両船とも売却されました。ひうら丸は石狩湾新港、小樽港のタグボートとして2007年まで運用されました。ふくうら丸は苫小牧港のタグボートとして2000年頃まで運用されました。

151225_5
青森港入港の仕方

空港に進入・着陸する航空機に決められたアプローチ・コースがあるように船舶の入港にもコースがあり、目標とするポイントとの位置関係を確認しながら所定のコースに従って入港が行われました。

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2016年1月21日 (木)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 青函連絡船八甲田丸1

青森駅に到着後、最初に訪れたのは桟橋に係留されている「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」でした。

151221 現役当時の黄色い船体のまま青森第2岸壁に係留されている八甲田丸

八甲田丸は1964年登場の津軽丸型の第2船として1964年7月31日に竣工し、更新工事などにより耐用年数を超える23年7ヶ月の長期間(歴代の連絡船では最長記録)運航され、1988年3月13日の青函連絡船終航まで運航されました。青函連絡船として最後の車両航走を行った船でもあります。

151225 青森駅と連絡船桟橋を結ぶ跨線橋も残されています。

151225_4
連絡船時代は青森駅に到着するとあの跨線橋を渡って乗船していました。

メモリアルシップ八甲田丸は終航時の青森第2岸壁に係留された状態で展示した博物館船で青森市の文化交流施設として管理運営はNPO法人“あおもりみなとクラブ”が担当しています。

151225_2
函館で摩周丸の展示を見ており、それとの比較で青森の八甲田丸の展示を見てみて感じたことは、八甲田丸の展示では車両甲板の公開、鉄道に関する情報が充実していること、さらに青森市の文化交流施設として青森の文化の紹介にも重点が置かれていることでした。

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八甲田丸 仕様 就航時

総トン数     8,313.75トン(5,382.65トン)
全長             132.00m
垂線間長     123.00m
型幅             17.90m
型深さ             7.20m
満載喫水     5.20m
主機     単動4サイクルトランクピストン排気ターボ過給機付ディーゼル機関・川崎MAN V8V 22/30mAL 8台
最大出力     12,475軸馬力
定格出力     1,600制動馬力×8
最大速力     20.93ノット
航海速力     18.20ノット
旅客定員     1,200名
乗員             53名
車両搭載数     ワム換算48両

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ファンネル(煙突)マークもJNR仕様で残されています。

連絡船終航後、今日まで

1988年7月9日から9月18日まで
青函トンネル開通記念博覧会の青森会場にパビリオンとして繋留・展示
同年9月
青森県・青森市・東日本フェリーなどの出資により青森ウォーターフロント開発設立

151225_5 館内には博物館船への改装工事の際の写真も展示されていました

1989年9月 - 1990年5月
三菱重工横浜製作所にて博物館船への改造工事
1990年7月
展示施設として一般公開開始
2003年4月1日
青森ウォーターフロント開発の自己破産に伴い、運営をみちのく北方漁船博物館に委託
2006年4月1日
運営が特定非営利活動法人あおもりみなとクラブに委託される
2011年7月24日
函館市青函連絡船記念館摩周丸や可動橋と共に機械遺産44番に認定
2012年7月31日
青函ワールドの展示が開始、このとき羊蹄丸(2代)から搬出されたグリーン自由椅子席2脚も展示開始

このような歴史を辿っています。

入館料は500円で摩周丸と同じでした。
これから数回の記事で展示内容について紹介しようと思います。

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2016年1月14日 (木)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 4日目 函館市内観光 その2 ベイエリア散策1

函館の旅、市内観光2日目、元町の坂の上の教会群を観て歩いた後は、八幡坂を下り、ベイエリアを散策することにしました。

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函館は海と山の挟まれた地形で道路も碁盤の目のようになっており、比較的わかりやすいですが、このような地図が至る所にあり、良く整備された観光地であると感じます。

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ちょっと見えにくいかと思いますが、八幡坂の麓辺りが、昔 会所町といったことを示している標識です。
1854年3月31日、日米和親条約締結で幕府は箱館と下田の開港を決定しました。1859年7月1日には、安政五カ国条約により、長崎、横浜とともに対外貿易港となりました。1869年、旧幕府軍が新政府軍に降伏し、箱館戦争が終結すると、蝦夷地は北海道と改称され、箱館も函館になりました。それまでの箱館府を廃止して、開拓使出張所が設置されました。1882年、開拓使を廃止して、北海道には札幌県、函館県、根室県と農商務省の北海道事業管理局の3県1局で北海道全体を管理する時代となりました。
函館県の県庁が八幡坂の2本北の御役所坂(基坂)に設置され、八幡坂、基坂周辺の一帯は官庁、金融街となりました(関連情報サイト)。今でもこの周辺には当時の名残の建物が数多く見られます。

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ちょっと離れた先には青函連絡船摩周丸の姿が見えます。

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沢山並んだライトからイカつり船でしょうか。

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緑の島の岸壁には多くのヨットが
カリフォルニア・サンディエゴの風景と似ています。

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2002年 彫刻家 峯田敏郎によって制作された 「記念撮影 未来への始まり-海原-」というタイトルが付けられている 新島襄のブロンズ像

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同志社大学の創業者である新島襄は諸術調所入学のため、来箱しました。五稜郭を設計した教授武田斐三郎に師事したかったのですが、武田は既に江戸に戻っていたため、塾頭の長岡藩士・菅沼精一郎の紹介でロシア領事官付司祭ニコライの日本語教師となりました。当時は鎖国の世の中で海外渡航は禁止されていましたが、禁を破ってでも海外を見たいという情熱から1864年6月14日夜、大町の波止場から小舟で沖に出て、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号に乗り移り、密出国しました。その時の様子を表した像です。

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日本最古のコンクリート電柱

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函館はしばしば大火に見舞われており、1871年10月15日の切店火事、1873年3月23日の家根屋火事、1879年12月6日の2326戸焼失の火事、1896年8月26日のテコ婆火事、1899年9月15日の2494戸焼失の火事、1907年8月25日の8977戸焼失の火事、1913年5月4日の1532戸焼失の火事、1916年8月2日の火事、1921年4月14日の火事、1934年3月21日の10176戸焼失、死者2054名の火事と焼失個数が1000戸を超える火事でも10件あります。
こういった火事に対して耐火性を持たせるためコンクリート製の電柱が早くから導入され、今日、日本最古の電柱として残るのがこの四角錐の電柱です。1923年製で下辺は47cm、上辺が19cm四方となっています。

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西波止場美術館

わたしはあまり興味はありませんが、各国のテディベアーアーティストの作品を展示している美術館とのことでした。

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「赤い靴の女の子」の像と歌詞碑

1922年野口雨情が詞を書き、本居長世が作曲した童謡 赤い靴ですが、この歌詞は哀愁を帯びた歌詞で小さい頃から憶えています。静岡県出身の女性が未婚の母として育てていた3歳の女の子を北海道の農場に入植するにあたり、開拓生活の厳しさから、養育を諦め、アメリカ人宣教師に託すものの、宣教師夫妻の帰国の際に結核に冒されていたため、東京麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられ、そこで結核で9歳で亡くなるという実話に由来するということですね。

歌詞では異国に連れられて行ったことになっていますが、実は東京の孤児院に預けられていました。

上記の定説とそれに対する異議とでいろいろ論争が起こっているようですね(関連記事)。 
横浜の山下公園や横浜駅にも像がありますが、サンディエゴの海辺にもあるそうで、ここ函館の像は2009年に建てられたそうです。

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2016年1月 7日 (木)

速報版 2015冬の旅行 青森・函館の旅 3日目 函館市内観光 その3 青函連絡船摩周丸5

函館、若松埠頭に係留される青函連絡船摩周丸の博物館の話題、今回は船として、車載連絡船としてのメカニズムに関する話題です。

151223 手前は洞爺丸事故の後、1957年建造された十和田丸初代 2015/12/23
奥は津軽丸型の八甲田丸

151223_2_3 カプセル型救命筏のコンテナ

十和田丸初代では端艇甲板上に10隻の救命筏が並んでいましたが、津軽丸タイプではカプセル型コンテナが航海甲板両舷に並ぶ程度になりました。

1964年5月10日に就航した津軽丸2代目以降、連絡船は大きく近代化されたと言われています。
具体的には、
① 車載客船・車両渡船特有の上下幅の短い機関室に中速ディーゼルエンジンを多数搭載するマルチプルエンジン方式を採用し、12800馬力の従来船の2倍以上の高出力化を実現し、航海速力を18.2ノットに上昇させました。
② 当時、日本最大の可変ピッチプロペラ (Controllable Pitch Propeller)を2基装備し、さらに船首水線したには出力850馬力のバウスラスター(Bow Thruster)を装備し、港内での操船能力を上げることで、従来4時間半有していた青森~函館澗を3時間50分に短縮することが出来ました。一日2往復から2.5往復が可能となり、稼働率が向上しました。
③ 画期的な自動化、遠隔操縦化で従来、車載客船で約120名、車両渡船で72名から78名要していた運航要員が53名になりました。
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サイドを切り開いて各層の構成が見えるようになっている羊蹄丸模型

船首(バウ)に設置されたサイドスラスター(バウスラスター)の位置もよく分かります。

コンパス甲板:操舵室屋上の最上層の甲板で、磁気コンパス本体がおかれ、その後方に前部マストが建っていました。マスト中段の前方への張出しには第1レーダーのスキャナーとハーモニック形のエアホーンのラッパが左右に2本、その直下の張出しにはモーターサイレンのラッパが1本、最下段の張出しには第2レーダーのスキャナーが設置されていました。さらに、操舵室屋上には、右舷に探照灯、左舷に灯火前面のスリットを開閉させてモールス信号を送る信号灯があり、また最前部中心線上には約3mの高さのポールが設置され、上端に碇泊灯、中段には赤色の危険物積載表示灯が設けられていました。

151223_4 無線通信室の左舷の電気機器室に置かれていたジャイロコンパス

航海甲板:操舵室床面高さの甲板で操舵室と無線通信室が設置され、津軽丸では両室とも前向きでしたが、第2船の八甲田丸からは無線通信室は連絡が取りやすいように後ろ向きとなりました。

遊歩甲板:両舷に甲板室全長に渡る遊歩廊が設けられ、甲板室前の部分が高級船員室になっていました(摩周丸では非公開でしたが青森の八甲田丸では公開されていました)。後部煙突件マストより後は1967年6月から、乗用車搭載スペースとなりました。

151223_2_2 操舵室から見た船首船楼甲板

船楼甲板
:船首の露天部分は揚錨機や係船ウインチが設置された船首係船作業場になっており、甲板室の前の部分には高級船員室が、それ以外の大部分は2等船室関連で、旅客食堂が右舷中央部に配置されていました。

中甲板
:車両甲板中2階にあたり、船内軌道各線の終端部から船首端までの隙間部分の狭い甲板でした。最前部に甲板長倉庫、左舷には船首係船作業場が狭くて設置できなかったスプリングウインチの本体および、揚錨機とスプリングウインチの動力となる油圧を造る動力機械が、右舷には主ウインチと補助ウインチの動力機械が設置されていました。両舷にそれぞれ船員浴室が配置されていました。

151223_3 摩周丸ではアスベストの問題等もあってか、車両甲板は非公開でしたが展示室のディスプレイでその様子を見ることができました。

車両甲板:従来の車両渡船同様、船尾端3線、船尾近くで中線が分岐して、車両甲板の大部分で4線となるよう敷設され、ワム換算48両積載できました。津軽丸型では、万一車両甲板上に海水が滞留しても、すぐには車両甲板下へ流れ込まない構造となるようにレール面からの高さ約92cm、幅1.4mのプラットホーム状の通路が設けられ、付近から車両甲板下へ降りる階段は、このプラットホーム上から約3cmの低い敷居越しに降りる構造とし、それ以外の場所から車両甲板下へ降りる階段は、在来船通り高さ61cmの敷居が設けられました。当時の国鉄は洞爺丸事故で中止となった寝台車航走を復活させようと、第5船以降の摩周丸2代、羊蹄丸2代、十和田丸2代に前部機関室囲壁の船尾側に短いプラットホームと船楼甲板の2等出入り口広間に繋がる階段を設置しましたが、運輸省は寝台車航走を認めず、実現は出来ませんでした。

151223_7 貨車の積み込み等による船体の傾きは2対のヒーリングタンク内の海水を調節するヒーリング装置でバランスを取っていました。

車両甲板より下の船体は、12 枚の水密隔壁により13区画に分けられ、隣接する2区画に浸水しても沈まない構造でした。更に船体中央部、第1補機室、発電機室、第1主機械、第2主機室、第2補機室の5区画では、船底だけでなく側面にも、2対のヒーリングタンクと、5対のボイドスペース(空タンク)またはバラストタンクが設けられ、二重構造とし、これらボイドスペースは、片側が損傷して浸水しても、この浸水を対側のボイドスペースへも導き、非対称性浸水による船体傾斜を軽減するクロスフラッディング設備も設けられていました。

151223_5 ディスプレイ越しに見えた総括制御室

第二甲板:車両甲板から最も船首側の階段を降りるとバウスラスター室に通じていました。2番目の階段を降りると普通船員居室のほか、左舷に高級船員食堂、右舷に普通船員食堂が通路を隔てて設置された第1船室と呼ばれる区画に通じました。さらに船尾側に進むと、発電機室(出力840制動馬力ディーゼルエンジンで駆動される三相交流60Hz 445V 700kVAの主発電機が3台、さらにバウスラスター駆動電源で、かつ主発電機故障時には、主要推進補機のバックアップ電源となる、出力900kVAの主軸駆動発電機が設置)がありました。さらに船尾には総括制御室があり、計器盤は船尾方向向きに設置され、ここで各種機械類の状態が監視され、通常の運転操作はここから遠隔操作で行われていました。そのさらに船尾側が防音扉を隔てて、主機室でした。8台の主機械は4台ずつ、第一と第二主機室に納められていました。

151223_6 主機室もディスプレイ越しに

更に船尾側へ進むと、第3補機室の中段で、機関部作業事務室や倉庫があり、船艙の両舷を走る主軸には可変ピッチプロペラ管制装置が仕組まれていました。

151223_8 プロペラのピッチを変化させることで、主軸の回転数や回転方向を変化させずに推進力を変化させるメカニズムでプロペラ機などにも用いられていますが、津軽丸2代はそれをいち早く取り入れた船でした。

151223_9 自動車のトルクコンバータの原型とも言えるフルカン(ドイツ語のVulcanの誤読らしい)継ぎ手により、主機と主軸を繋ぐクラッチの役割を担わせました。

151223_10 貨物線タイプ 檜山丸の主機関 模型

可変ピッチプロペラとフルカン継ぎ手により、通常は8台のエンジンをフル稼働させることなく6台程度の稼働で定時運航が可能となり、運航しながらの機械整備も可能となりました。

函館の摩周丸を見学し、記事に纏めることで青函連絡船のことが以前に増して良く理解できたように感じます。さらに青森の八甲田丸見学では函館の摩周丸では非公開だった車両甲板などの様子も見ることが出来、非常に有益でした。八甲田丸の記事は後日掲載致します。

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