2024年夏の新潟旅行 その5 長岡駅 1975年、新潟色の旧国全盛時代
越後湯沢駅で15分間停車した1731Mは1時間18分走り、11時48分に終点、長岡駅に到着します。上越線と信越本線の分岐駅は長岡駅のひとつ手前の宮内駅ですが、かつて上越線家経由で上野~金沢方面を結んでいた特急「はくたか」、寝台特急「北陸」、急行「能登」は宮内駅を通過後、長岡駅でスイッチバックし、再度、宮内駅を通過していました。
私が初めて長岡駅に降り立ったのは1975年11月で谷川寮に一泊した翌日、自由行動で水上から長岡、柏崎まで行った時でした。あの頃は新潟ローカルに関西緩行線、横須賀線、中央西線から転属してきた旧形国電が健在でした。
クハ68021 クロハ59形を3扉化した車両
クハ68050 運転席側の窓下に大鉄型ベンチレーターが見える半流スタイルのクハ68
クハ68210 横須賀線時代にクハ47形を3扉化改造した車両
既に新幹線の駅を考慮した駅舎の改築工事が始まっていました。
クハ76049 前面窓ガラス枠が木製なのが特徴
こちらはHゴム化されたクハ76
1975/11/3 長岡 5枚とも
これらは「新潟色」と言われた塗色で1962年に横須賀線に111系が配置されると同年4月の新潟~長岡電化に合わせての移動、あるいは京阪神緩行線から長岡第二機関区に配置されたのが始まりでした。その後、中央西線、阪和線、静岡からの転属車も終結、1974年には106両の大所帯となり、信越本線は妙高高原から、羽越本線の村上まで、上越線は高崎まで、白新線も含め新潟県内の直流電化区間で運用されました。1976年秋には首都圏地区の冷房化促進のために投入された115系300番台により捻出された0番台車が長岡所に転入し、廃車が出始め、1977年以降、長岡所に115系1000番台が新製投入され、1978年8月23日の「さよなら運転」で旧国の運用は終わりました。
2024/8/18 長岡
旧国の後、新潟ローカルは115系、E127系の時代となり、現在は新潟色を彷彿させるE129系が主力として活躍しています。
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