2024年11月28日 (木)

青梅線開通130周年、青梅駅駅舎築100年

今週は西武秩父線、秩父鉄道、E233系P編成と3日連続で埼玉・東京西部の話題になりましたが、4日目の今日の記事も東京西部の話題でゆきます。

241113

2024/11/13 青梅駅

今年は青梅線(立川~青梅間)開通から130周年、青梅駅二代目駅舎落成から100年で青梅線沿線の各自治体では関連イベントが多く快哉れています。私も11月13日の午後、青梅市郷土博物館の特別展に行ってきました。

241113-2 青梅市郷土博物館は青梅駅の南の多摩川が大きく蛇行する川沿いの釜ヶ淵公園にあります。

青梅線の立川~御嶽間は青梅鉄道が軽便鉄道の規格で開業した路線で1894年11月19日に立川~青梅間が開業、軌間は762mmで拝島、福生、羽村、小作、青梅駅が開業しました。青梅線開業の本来の目的は日向和田の石灰石採掘とその輸送のためで1895年12月28日には日向和田まで延伸、日向和田は貨物駅として開業しました。1898年3月10日には青梅~日向和田間の旅客営業も開始されました。762mmの軽便鉄道規格では輸送量も限られ、甲武鐡道との接続駅、立川での積み替えも必要となるため、1908年2月18日に全線の軌間を762mmから1067mmに改軌、このときにドイツ・クラウス社製の蒸気機関車4両(二代目1~4号機関車)が導入されました。1920年1月1日には二俣尾まで延伸、1923年4月25日には立川~二俣尾間が直流1200Vで電化されました(その後、1930年に1500Vに昇圧されました)。電化当初には1921年に梅鉢鉄工所で製造された木造客車を改造したデハ1形電車が投入されました。1929年9月1日には御嶽まで延伸しました。開業以来の兼業であった石灰石採掘事業は1920年に浅野セメントに採掘権が譲渡され、採掘量の増加で青梅鉄道にも莫大な運賃収入をもたらしましたが、その後のセメント不況では経営不振に陥り、その打開策として沿線観光開発や旅客誘致に力が注がれることになりました。
 大正期には日帰り行楽旅行ブームが起こり、1921年には西多摩地区唯一の遊園地「楽々園」を現・石神駅前に開設、1925年には奥多摩川の風景を積極的に売り込み、1927年の「日本新八景」選定投票で「奥多摩渓谷」を「日本百景」に当選させました。

241113_202411270951012024/11/13 青梅駅舎 建造されてから100年経過しているとは思えません。

 青梅駅初代駅舎は木造平屋建て、建坪45坪で、駅構内には機関庫、客車庫、工場が併設されていました。1924年11月30日、青梅鉄道開業30周年記念で建て替えられたのが現在の二代目駅舎で地上3階、地下1階で、鉄道省出身の建築家久野節の設計によるものです。

1929年5月3日には社名を青梅電気鉄道に変更、自動車部を設置し、1930年には奥多摩自動車を買収し、乗合自動車偉業を始めました。1934年には団体貸切自動車事業も開始しました。この頃は青梅自動車を買収した武蔵野鉄道(現・西武鉄道)との間で東京~青梅間、青梅市域において激しい競争が展開されました。

青梅鉄道、青梅電気鉄道時代に開業した駅は、創立時の5駅の他
1895年12月28日 日向和田駅(貨物)1898年3月10日 旅客化
1908年5月16日 中神駅
1914年4月1日 宮ノ平駅(貨物)1923年4月1日 旅客化
1920年9月23日 上古新田駅(貨物)1935年6月14日 立川~上古新田間廃止
1927年2月20日 河辺駅
1928年10月13日 楽々園駅 → 石神前駅
1929年9月1日 軍畑停留場、沢井駅、御嶽駅
1930年11月15日 西立川停留場 → 1931年11月15日 西立川貨物駅 → 1935年6月1日 停留場と貨物駅を統合
1932年10月1日 東青梅停留場
1938年1月25日 昭和前仮停留場(現・昭島駅)
1942年7月1日 東中神停留場
1943年3月1日 牛浜仮停留場 が開業しました。

1944年、御嶽駅で接続する氷川に向けた奥多摩電気鉄道の開業に向けた工事も進む中、政策的な要請により鉄道の国有化が進められ、青梅電気・南武・奥多摩電気鉄道は「関東鉄道」として自主的に合併する方針も空しく、国有化されることとなり、4月1日には立川~御嶽間、7月1日には御嶽~氷川間が国鉄に編入となり、青梅線となりました。一方、自動車事業の方は1945年に関連事業を含めた一切を奥多摩振興(現・西東京バス)に譲渡しました。青梅電気鉄道は国有化後、解散を決議したものの、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開、清算会社として存続した後、1995年に解散しました。奥多摩電気鉄道は奥多摩工業と社名を変更、石灰石の採掘・運送会社として現存しています。南武鉄道も太平洋不動産として現存しています。

40-edit 昭和50年代の青梅駅で休むクモハ40

青梅線には今では想像もできない旧型国電が走っていました。

241113_20241127095701 241113_20241127095801 博物館の特別展で撮影が可能だった展示物から

Photo_20241127095901

展示物に関する説明が纏められた冊子 ¥100で入手可能でした。

E2330-t40-10r-241112-2 2024/11/12 東小金井

E2330-t40-10r-130hm-241107-2 2024/11/7 三鷹

E233系T40編成にも青梅線開業130周年記念のHMが掲げられています。

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2023年9月19日 (火)

広島~下関間の山陽本線直流区間で活躍した近郊形電車 その1 80系の時代

山陽本線は1964年7月25日に横川駅~小郡駅間が電化され、全線電化が完成しました。

それ以前の1960年6月1日に西宇部(1964年10月1日に宇部駅に改称)駅 - 厚狭駅間、1961年6月1日に小郡駅 - 西宇部間、厚狭駅 - 幡生駅間の電化が開業しており、1942年7月1日の関門トンネル開業時の幡生駅~門司駅間の電化と合わせて、小郡駅~幡生駅間と同じ日に電化開業した門司港駅~久留米駅間の交流電化開業で、小郡駅~久留米駅間には山陽本線広島駅~下関駅間よりも早く421系交直流電車が投入されました。

1964年の山陽本線全線電化開業で岡山運転区、広島運転所に80系電車が配置され、1972年には下関運転所にも80系が配置されました。

80
1975年3月31日時点での80系電車配置データ 岡山運転区、広島運転所、下関運転所

モハ80001~032は1950年1~3月製造の1次車でクハ86001~020、サロ85001~005、サハ87001~016がが同じ時期に製造されました。1950年度増備車(I)はモハ80033~036、クハ86021.022、サロ85006、サハ87017~019が製造され、クハ86は1次車と同様の半流線形状であり、かつ正面2枚窓のスタイルになりました。
1950年度増備車(II)はモハ80037~086、クハ86023~056、サロ85007~014、サハ87020~040が該当し、クハ86は前面中央部に60mmの角を付けたスタイルとなりました。
1951年度増備車はモハ80087~090、クハ86057~060、サロ85015~027、サハ87041~043
1952年度増備車はモハ80091~098、クハ86061~066、サロ85028・029、サハ87044~047
1954年度増備車はモハ800~101、クハ86067・068
1955年度増備車はモハ80102~117、クハ86069~080・082・084

1956年11月19日の東海道線全線電化完成、高崎線、上越線の客車列車の電車化用にシートピッチ拡大、側窓枠の軽合金化で新番台となり、モハ80は200番台、クハ86・サハ87は100番台となり、
1956年度 モハ80200~244、クハ86100~134(偶数)、101~131(奇数)、サロ85030~033、サハ87100~114
1957年度増備車 モハ80245~256、クハ86133~141(奇数)、136~142(偶数)、サロ85034・035、サハ87115~119

72系920番台の全金属不燃構造を80系にも適用し製造されたのが300番台で
1957年度 モハ80300~317、クハ86300~315、サハ87300~306
1957年度第2次増備車 モハ80318~393、409~425、クハ86316~351・353・364~373・375、サハ87307~327
1958年度債務車 モハ80394~408、クハ86352・354~359・361・363 サハ87328~331

80系の地方転出の際にサロ85の2等車へ格下げ改造が行われ、
サロ85001~005・007~010・013・014・021・025~029・031~033が1965年9月から1968年10月に改造されました。
さらに編成の短編成化で不足する先頭車をサハ85、サロ85を種車に改造し、1967年度から1970年度
クハ85005・007~009・013・015~019・022・023・028・032~035が誕生しました。
1968年7~9月にはサロ85300・302・308・310・311、サハ85301・303~307・309を改造してクハ85300~311が誕生しました。
1973年5~6月にはサハ87100・101・103・107を改造し、クハ85100~103、1973年7月1975年1~12月にはサハ87303・323・304・302・316・317・306・307を改造して、クハ85104~111が誕生しました。

80-86000-750305 1975/3/5 下関に到着するクハ86 1次車を先頭にした80系 

80-86300-750305-2 1975/3/5 クハ86 300番台先頭の80系


80-85-750305-2 1975/3/5 下関 クハ85  側窓の数からサロ85由来のクハ85

80-85300-750305-2 1975/3/5 下関 421系と並んだクハ85 先頭の80系

クハ86001とモハ80001は1977年11月、1985年9月にそれぞれ下関を最後廃車となった後、可能な限り、登場時の姿に復元され交通科学館に保存され、京都鉄道博物館開設に伴い同館に移動、保存されました。

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2022年4月15日 (金)

通勤電車シリーズ 205系 48 川越・八高線からの撤退

八高線八王子~高麗川間は、1996年3月16日に電化開業し、103系3000番台、3500番台、201系、209系3000番台が投入されました。埼京線開業時の1985年9月30日に電化された川越線高麗川~川越間とともに八王子~高麗川~川越間が一体で運用されるようになり、八高線は高麗川を境に南北に系統分離されました(2023/5/7文章修正)。

1033000-03500_20220419141001

1033500-56-020102

1033500-56-020102-2

2002/1/2 拝島 103系3500番台 ハエ56編成

103系3000番台は何度も登場していますが、72系のアコモデーション改造車、3500番台は編成不足を補うために103系0番台からの改造車でした。3000番台の側扉は半自動の場合、手動開閉式だったのに対し、3500番台では押し釦開閉式でした。

2093000

2093000-61-101231 2010/12/31 高麗川 209系3000番台 ハエ61編成

209系3000番台は八高・川越線向け単線仕様車となっており、列車交換時の長時間停車を考慮し、客用扉が通年で半自動扱い可能とされ、ドアスイッチが装備されました。

205系の改造車、3000番台は2003年より投入されました。

当初はTcMM'T'c4両編成7本が投入される予定でしたが2004年10月16日のダイヤ改正で埼京線の東京臨海高速鉄道りんかい線相互直通運転用に車両が急遽必要となった関係で改造は5編成となりました。2本分は東京臨海高速鉄道70-000形全車10両編成化に伴う編成組み替えの際に余剰となった70-000形の先頭車4両と中間車2両の計6両をJR東日本が購入し、2005年3月、中間車2両を新規に製造し、4両編成2本を組成、209系3100番台(ハエ71,72)編成としました。これら7編成の投入により、103系3000、3500番台は廃車となりました。

2053000

それから13年、山手線にE235系が投入され、E231系500番台が中央総武緩行線に転属、E231系0番台が八高・川越線に改造の上、転属することとなり、2018年7月に205系3000番台が運用離脱・廃車、一部は富士急行に譲渡されました。また209系3000番台4本も2019年2月で運用を終えました。
さらに2022年3月のダイヤ改正ではワンマン運転が開始され、それに先立って209系3100番台も2012年12月25日に運用離脱、2022年1月9日の特別運行を以って運行を終了しました。

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2022年2月15日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 16 E231系の登場と中央・総武緩行線からの撤退 part2 南武支線101系の置き換え

南武支線、尻手~浜川崎間4.1kmは1930年3月25日、南武鉄道の浜川崎支線として開業しました。当時の駅は八丁畷、川崎新町、新浜川崎でした。旅客営業が開始されたのは同年4月10日でした。1944年4月1日、1941年に公布された改正陸運統制令により、南武鉄道は買収され国有化されます。同じタイミングで青梅電気鉄道も国有化されました。1954年3月21日、尻手駅付近の高架化、1976年3月1日の東海道貨物線浜川崎~鶴見間開業で風景が変化しました。2016年3月26日、川崎新町~浜川崎間に新駅として小田栄駅が開業しました。一方、1971年には浜川崎と川崎を結んでいた貨物線が廃止されており、市域の開発、人口増加の著しい川崎市はこの廃止された線路を川崎アプローチ線として復活させ、臨海部の活性化につなげたいとの構想を打ち出しているようです。

160072 撮影年代不詳(1978年頃) 尻手 クハ16007

11edit クモハ11(番号不詳) 
1977年の配置データによると 西ナハにクモハ11は222、244、248、270、クハ16は003、007、211、215がいました。

これら南武支線の旧形国電は1980年101系2連に置き換えられており、

101-830219-2
101-830219-edit1983/2/19 尻手 当初は南武線と同じカナリア・イエローの2連でした。

101-011231 2001/12/31 独自色の101系2連 

2002年4月1日時点で南武支線用101系は
ワ1 クモハ101-130+クモハ100-172
ワ2 クモハ101-180+クモハ100-145
ワ3 クモハ101-188+クモハ100-186 の3編成が配置されていました。

205系1000番台投入後も101系2連は活躍していましたが、2003年11月28日を以って定期運用を終了、2005年8月1日にクモハ100-172、クモハ101-130が廃車されたことで形式消滅となりました。

三鷹区に配置されていた205系、ミツ15、ミツ16編成の8連化で抜かれたモハユニット、モハ205/204-279、-282は運転台を設置、クモハ205/204-1001、-1002の2連(ワ1、ワ2)となり、南武支線に2003年4月に投入されました。改造工事は2002年3月29日、鎌倉総合車両所で竣工しました。

2051000-1-hm-100919-6 2010/9/19 八丁畷 南武支線開業80周年HM ワ1編成

2051000-2-140622-2 2014/6/22 小田踏切 ワ2編成

205系モハユニットからクハ205/204-1000番台への改造では、種車の妻構体を撤去し、強化フレームを溶接、そこにフェノール発泡体を織り込んで強化したFRP製の前面ユニットを取り付ける先頭車化工事の他、車外スピーカー、車外ブザーの取り付け、クモハ204にSIV(SC72、160kVA)の設置、助手席側へのワイパー設置、ワンマン運転対応のため、運転台にドア開閉SW、クモハ204の助手側に自動放送装置、ルームミラー、自動放送装置と連動したワンマン誤開扉防止装置の設置等が行われました。

2051000-1-181224 2018/12/24 ワ1編成 クモハ205-1001の運転台

乗務員設備の配置等は209系E231系のスタイルを基本とし、運転台、前部上部、仕切り等がそれぞれユニット化されています。主幹制御器、ブレーキ設定器は左手操作型ワンハンドル・マスコンとなっています。順番は前後しますが、こういったクモハ205/204-1000番台の運転台取り付け改造は同じ2002年3月29日に鎌倉総合車両所で竣工した鶴見線用クハ205-1101(サハ205-161を種車とする)先行改造車での実施例を踏襲して施工されました。鶴見線用205系3連の本格的改造は2004年から郡山、秋田各車両センターで施工されました。相方となるクモハ+モハユニットの改造工事が終了するまでの2年半弱、クハ205-1101は鎌倉総合車両所で保留車状態でした。

8s_20220215072801  
表 1999年 サハ204 6扉車のハエ8編成への連結

クハ205-1101先行改造の種車となったサハ205-161はどこから来たかというと、1999年8月6日から川越区のハエ8編成に、1996年3月の改正に向けて山手電車区からはヤテ42編成が転出した際に休車となった試作車サハ204-902が組み込まれ営業運転が開始されました。このときにハエ8編成から抜かれたのがサハ205-161でした。

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2022年1月27日 (木)

通勤電車シリーズ 205系 4 阪和線への投入、横浜線への進出

1988年春は発足から1年が過ぎようとするJR各社にとっては独自の方向性を打ち出し始めた時期であり、青函トンネル開業や瀬戸大橋の開通と日本列島が鉄道でひとつに結ばれる、当時のキャッチフレーズ「1本列島」の時期でした。

まだ早春の2月22日、JR西日本は近畿車輛が製造した205系1000番台、4両編成5本を阪和線に投入しました。国鉄時代に東海道・山陽緩行線に投入された0番台とは違いJR西日本独自で開発した車両でこの番台ならではのユニークな点がいくつかありました。この件に関しては2019年3月13日記事で触れいていますので、今回は触れません。

73-edited 1978年頃 八王子 発車を待つ東神奈川行

103-54-790923 1979/9/23 八王子 京浜東北線から転属してきたクハ103-500番台先頭の磯子行

103-54-810426 1981/4/26 橋本 ウグイス色の高運転台クハ103 54編成

東日本では山手線の205系化完了後、続いて投入されたのは横浜線でした。北関東で生産された生糸を横浜港に運搬するために建設された路線で1941年4月に全線電化されていましたが、1979年まで72系電車が走っており、京浜東北線や山手線から転属した103系が活躍する路線でした。

1988年9月29日から蒲田電車区に配置された7両編成7本が営業運転に就きました。
今回投入された車両の特徴は
(1) 前面に路線・種別表示幕の設置
(2) 側扉窓の上下寸法の拡大
(3) 保安装置はATC6(根岸線)、ATS-B(横浜線)を搭載
(4) 列車無線のアンテナが防護無線タイプに

205_-6185
表 横浜線に新製投入された205系 1988年9月~1989年3月

これまでは1編成は単独メーカーの製造でしたが、車種により、あるいは2組のモハユニットが別々のメーカーによるケースも出てきました。
またMM'-230とT-145は国鉄時代からの伝統を持つ大船工場による製造です。205系ではこれら3両の他、500番台のモハユニット(2組:512、513、クハ(Tc/T'c513)の製造も担当しました。東急車輛製造から構体ブロックを購入し、工場内で艤装・内装組み立てを行うノックダウン生産方式でした。

さらに1989年2月までに18編成が投入されました。第8(H8)編成以降では側窓外側への取っ手が追加され、車外から窓の開閉が可能なように窓枠が変更されました。前面行き先表示幕に路線表示を追加した2段幕も登場しました。

205-h1-120512-2
2012/5/12 長津田 H1編成

205-h8-110925
2011/9/25 東神奈川 H8編成

1988年9月から1989年2月の僅か半年の間に205系25編成が投入され、捻出された103系は京葉線、武蔵野線へ転用され、1989年2月26日に「さよなら」運転が行われました。

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2021年3月10日 (水)

クハ79形のいろいろな顔 その6 72系として新製されたグループ 全金属車920番台量産化に向けて

クハ79形の形態変化、最後は国鉄新性能電車モハ90形に繋がるクハ79形920番台です。

当時、国鉄では1947年63系の試作車として登場したジュラルミン電車6両 (63900 - 902, 78200 - 202) の車体腐食に伴う更新工事が進行していました。全金属車輛の登場にむけ、これら6両を仕様の比較検討用として、車内の掴み棒の形状、位置、蛍光灯の配置、色彩などが1両ごとに変えられ、

63900→72900
63901→73901
63902→72901
78200→79900
78201→79902
78202→78900  と車種の変更も行われました。(リンク先でクハ79900,902の姿を見ることができます。)

これらの試作結果をみて、量産先行試作車としてクハ79920~923が製造されました。

さらに1956年から1957年にかけ、事故休車だった車両を活用し、全金属車体の追加試作が実施され、

73174→73900(1957年3月に改番)
73400→73902
78144→79904  となりました。(リンク先でクハ79904の姿を見ることができます。)私は鉄道ピクトリアル誌のブドウ色塗装の姿しか見ていませんでしたが、中央西線のスカ色塗装の姿、カッコいいですね。

これらの結果を考慮し、量産車クハ79924~949、951、953、955が製造されました。
車体は10系客車の設計思想が取り入れられた軽量構造の全金属車体で、従来窓上下にあった補強帯を外板の内側に隠し、雨樋を高い位置に設置し幕板に埋め込みました。窓は3段窓からアルミサッシ2段窓とし、量産車では室内灯は蛍光灯が採用されました。

79920-edit 撮影年代不詳 尻手

79920-811125-edit 1981/11/25 富山

79920-7603-edit 1976/3 放出

79920-750102-edit 1975/1/2 名古屋 クハ79953

1975年4月1日時点でのクハ79900番台、920番台の配置データです。
陸前原ノ町 900 902 926 943
津田沼 932 945 949
東神奈川 941 944 946 951
豊田 942
中原 930 933 935 936 938 940 947
沼津 937 939
神領 904 924 953
城川原 928 934
高槻 931
明石 920 922
淀川 923 925 927 929 948 955 このグループで初めて淀川電車区に新製配置されました。

製造は920,921が日本車輛支店、他は近畿車輛でした。
1975年3月末以前の廃車は
クハ79921 1972.10.2 仙台 1972.8.18事故 仙石線踏切でのダンプカーとの衝突事故 でした。

1974年7月7日の七夕豪雨が横浜市久里浜周辺を襲い、小河川が氾濫し、横浜線から捻出され転用のため久里浜駅構内に疎開留置されていた東京南鉄道管理局東神奈川電車区(南ヒナ)所属のクモハ6両、モハ13両、サハ1両、クハ12両の計32両が冠水事故で廃車となりました。この事故でクハ79941、944、946の3両が犠牲になりました。除籍の日付は1975年7月25日でした(情報はこちら)。

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2021年3月 9日 (火)

クハ79形のいろいろな顔 その5 72系として新製されたグループ 1956年度製造

72系として新製されたクハ79のうち、1956年度は二次に渡り車両が製造されました。第一次の422~436偶数、389~419奇数車は前照灯が幕板上部に埋め込まれました。そして第二次の438~488偶数、421~467奇数車では、屋根が鋼板張りになり、曲率が若干下がりました。

79300iv-edit 撮影年代不詳 高尾 クハ79457

1975年4月1日時点での配置データでは
津田沼 393 397 399 401 407 413 422 424 429 436 450 461 480
東神奈川 405 426 428 432 447 470 472 488
三鷹 419 430 444 446 452 457 466 478
豊田 421 465 467
中原 391 403 409 411 417 427 431 437 441 448 449 455 459 476 486
沼津 389 425 
神領 433 434 442 443 445 468 484 
高槻 415 453 463
明石 395 458 460 464 
淀川 438 440 454 462 474

79300iv-3edit 撮影年代不詳 矢向

79300iv-edit_20210308135401 撮影年代不詳 川崎 このグループではモハ72形に狭小建築限界トンネル対応用として屋根の高さを3,514mm(通常は3,650mm)にしたモハ72形850番台が15両製造されており、中原電車区にはそのうちの1両モハ72861が配置されていました。上の写真の2両目はまさにその861と思われます。

1975年3月末以前にこのグループで廃車・改番となっていたのは

クハ79423 東京西 1974.8.22 クハ66301改造
クハ79435 天王寺 1975.1.17 クハ79601改造
クハ79439 東京西 1974.12.12 クハ66303改造
クハ79451 大阪 1973.3.13 クハ79605改造
クハ79456 天王寺 1975.2.27 クハ79604改造
クハ79482 広島 1972.3.15 クハ79501改造  と老朽廃車は0の状態でした。

79300iv-7603-edit1976/3 京橋

クハ79600番台は前回の3月5日の記事で紹介したアコモ改造車で、クハ79501は呉線・山陽本線広島地区転用に際してサハ78形4両、クハ79形6両にトイレを新設した際、これまでクハ55形などでは400番台に改番されていましたが、この10両に関して原番号のままでした。ところがクハ79482を幡生工場でトイレを設置した際にはアコモ改造も行われ、改番され501となりました。  

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2021年3月 5日 (金)

クハ79形のいろいろな顔 その4 72系として新製されたグループ 1954・1955年度製造

クハ79形の形態変化、今回は前面窓が傾斜した1954.1955年度製車輛の話題です。

1953年度製造の79350、79352から前面窓に傾斜(傾斜角5度)が取り入れられ、窓上部の段差に設けた通風孔は好成績を収めたことがきっかけとなり、1954年度製造車からは傾斜角度が10度となりました。

79300iii-7603-edit 1976/3 鳳 阪和線区間快速 配置データによれば364か382

この前面窓の傾斜デザインは電車に限らず、同年に登場した直流電気機関車EH10形の車体デザインにも取り入れられました。EH10の車体デザインは民間工業デザイナー萩原政男氏によるものだそうです。電車と電気機関車のデザインの共通性という点では80系の二次車(1950年)からの湘南スタイル2枚窓とEF5835号機以降(1952年)(1-31号機の新車体)の2枚窓スタイルにも同じことが言えるかもしれません。

79300iii-edit 撮影年代不詳 拝島 

バスの世界でも同様の前面傾斜窓スタイルが当時流行していました。
私が小学生時代、民生コンドル号という我が国、最初のリアエンジンバスでよく見たデザインでした。ネットで調べてみると、民生コンドル号のデザインは戦後、進駐軍が我が国に持ち込んだGeneral Motors社のバスのデザインを模倣したものであることが分かりました。あの当時の我が国の自動車のデザインはアメリカ車のデザインを取り込んで、日本サイズにコンパクトにしたものが多く、バスの車体のデザインもその流れだったんだなと感じました。

79300iii-2edit 撮影年代不詳 川崎 

車両番号では
1954年度製では クハ79354-390(偶数)、さらに奇数向きも製造されクハ79301-335(奇数)
1955年度製   クハ79392-420(偶数)、クハ79337-387(奇数)となりました。
1954年度製と1955年度製の相違点は1955年度製では車内に扇風機が設置されたことでした。

小学生当時、クハ79の前面構造と車両番号の関係は全く気にしていませんでしたが、もしも番号を気にしていたら300~352、388~420では奇数車と偶数者で全く顔が異なることは製造の経緯を理解していないと大きな疑問だったと思います。

1975年4月1日時点での同グループの配置状況です。
陸前原ノ町 369
津田沼 354 360 362 368 371 376 383 387 388 390 392 402 406 416 418 420
東神奈川 315 317 331 355 384 386 
弁天橋 356 358
豊田 357 366 372 394 398 404 
中原 303 345 353 359 367 375 377 380 381 385 408 
沼津 301 309 
神領 311 313 335 363 365 379 414 
高槻 361 400 
淀川 307 410 412 
鳳 364 382
広島 370 

同グループで1975年3月末までに廃車されていた車両は
79349 1975.2.27 天王寺 クハ79603改造
79374 1975.3.13 東京南 クハ79606改造
79378 1975.1.17 大阪 クハ79602改造
79396 1962.9.8 東京北 1962.5.3 事故  でした。これは三河島事故ですね。

クハ79600番台は1975年から1976年にかけて行われたアコモ改造で103系同等の車体を載せ替えた改造でした。
クハ79601 ← クハ79435
クハ79602 ← クハ79378
クハ79603 ← クハ79349
クハ79604 ← クハ79456
クハ79605 ← クハ79451
クハ79606 ← クハ79374
クハ79607 ← クハ79305
クハ79608 ← クハ79342
クハ79609 ← クハ79949
クハ79610 ← クハ79368

仙石線に投入されましたが、1984年には川越線電化で工場予備品の見直しで発生した103系の電装部品・台車を使用して、クハ103-3000番台に再改造されました。

クモハ102-3001 ← クハ79604
クモハ102-3002 ← クハ79606
クモハ102-3003 ← クハ79610
クモハ102-3004 ← クハ79608
クモハ102-3005 ← クハ79602

クハ103-3001 ← クハ79609
クハ103-3002 ← クハ79603
クハ103-3003 ← クハ79605
クハ103-3004 ← クハ79607
クハ103-3005 ← クハ79601

1033000-5155-030505 2003/5/5 八王子

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2021年3月 4日 (木)

クハ79形のいろいろな顔 その3 72系として新製されたグループ 1952・1953年度製造

クハ79形の進化、今回からは72系として新製されたグループ300番台です。

1951年4月24日、当時の京浜線桜木町駅構内で発生した列車火災事故(桜木町事故)は死者106人、負傷者92人を出す大惨事となりました。この事故は戦時中の資材不足で各部の設計を極度に簡略化した63系が原因の一端となった事故でもありました。事故の教訓と1949年に登場した80系電車の設計思想、100kmを超える長距離輸送を担える電車であること、先頭車をモータなしの制御車とし、電動車は運転台のない中間電動車とすることを取り込み、再設計された通勤型電車が72系新製車でした。このグループでは中間電動車のモハ72形(500番台以降)、制御車のクハ79形(300番台以降)のみが製造され、モハ73形やサハ78形は製造されませんでした。

1952年度にクハ79300-314偶数、1953年度にクハ79316-352偶数が製造されました。奇数車が製造されなかったのは投入される線区の奇数向きにはモハ73形(モハ63形から改造)が連結されるためでした。

1952年製と1953年製の違いは1952年製が前面窓が木枠なのに対して1953年製はHゴム支持となっていることでした。1953年度、日本車輛支店製の350,352の2両は前部窓が5度傾斜したスタイルとなりました。

例によってこれらの1975年4月1日時点での配置を見てみると

新前橋 340
津田沼 300 302 304 314 316 322 324 334 336 342 348
中原 310 332 344 346 
神領 318 320 338 
淀川 330
鳳 306
広島 308 312 326 328 

昨日同様に1975年3月末以前に廃車されていたのは
クハ79334 1971.8.7 千葉
クハ79350 1963.10.21 千葉 事故
クハ79352 1969.6.19 千葉 事故    の3両のみでした。

このグループの中での試作的車両が2両とも事故で廃車になっていたのは驚きでした。

350は1963年9月9日、午後2時5分頃、総武線千葉発中野行き電車が本八幡-市川間(本八幡駅から200メートル)の警報機のある踏切で日本通運の大型トラックと衝突し、横向きになって民家に突っ込んだそうです(詳細はこちらに)。352は1969年3月27日に房総西線楢葉(現、袖ヶ浦)~長浦間でダンプカーと衝突、脱線、廃車されたそうです(情報は同じサイトから)。

このグループに関してはは私は写真を撮っていません。形態的には昨日の100~と似た形態のようだったそうです。前面窓5度傾斜の350,352の写真もネットで探しましたが、両者とも事故で夭折しているため見つかりませんでした。352に関しては鉄道ピクトリアル誌に写真が載っていました。

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2021年3月 3日 (水)

クハ79形のいろいろな顔 その2 63系からの制御車編入車

昨日に続き、クハ79形の進化シリーズ、今回はクハ79100以降、250までのモハ63形の制御車代用車(クモハ)、あるいは付随車代用車(サモハ)を整備の上、正式に制御車として改番編入したシリーズです。100番から246番まで偶数番が該当します。
さらに248,250は1953年6月1日の形式称号規程改正により、制御車代用車を改番したものでした。

79300ii-7603-edit 1976/3 片町線 放出駅 クハ79242か

79-edit
撮影年代不詳 青梅 

1975年4月1日時点の配置データによると
仙石線
陸前原ノ町 100 124 152 154 192 196 204 208 228 230 232 234 248 
両毛線
新前橋   172
横浜線
東神奈川  114 116 
鶴見線
弁天橋   130 134 156 162 164 178 190 202 224 246
青梅・五日市線
豊田    120 122 140 148 158 166 174 176 180 184 198 
南武線
中原    112 146 150 160 194 200 212 250
富山港線
城川原   220 240 244
東海道緩行線
高槻    110 136 216 222
片町線
淀川    242
阪和線
鳳     142 188 
広島
可部線・呉線 108 214 218

驚くのはその残存率の高さで75年3月末以前に廃車になっていたのは以下の車両たちです。

79102 1973.2.24 天王寺
79104 1974.10.1 天王寺
79106 1973. 1.23 大阪
79118 1973.2.24 天王寺
79126   1972.2.29   東京南
79132 1972.4.28 天王寺
79138 1975.3.22 東京南
79144 1973.4.24 天王寺
79168 1966.2.12 東京南
79170 1974.8.1 天王寺
79182 1973.2.17 東京西
79186 1974.12.12 東京西 クハ66001に改造
79206 1973.12.25 東京西
79210 1975.2.1 天王寺
79226 1973.2.17 東京西
79236 1974.8.22 東京南 クハ66000に改造
79238 1975.3.22 東京南

クハ79形は晩年、アコモ改善工事が施工されましたが、首都圏近郊路線配置の100番台、200番台車は72系として新製された300番台とは異なり、B工事(側面窓は3段窓のまま、内装は透明ラッカーによる仕上げ)でした。施工は大井工場、若しくは大船工場でした。またC工事と称して内装材の塗装換えや模様付きフィルムの貼り付けでとどまった車両もありました。

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