通勤電車シリーズ 205系 20 E231系500番台(ヤテ514~516)の山手線への投入による動き
前回の記事では2002年度(平成14年度)の山手電車区へのE231系500番台投入による205系の転出を見てきましたが、2003年度に入ってもE231系500番台は順調に投入されてゆきました。まず、3編成投入による動きを見てみると、
表 2003年度 E231系500番台514~516編成投入に伴う205系編成の転出
順番通りにヤテ28編成が運用を離脱し、これまでと同様にサハ204-28は川越電車区に転出し、ハエ14編成に組み込まれました。Tc-28+MM'-82、MM'-84+T'c-28は鎌倉総合車両所へ送られ、ナハ44編成になりました。中間のT-55とT-56は大宮工場に入場、八高・川越線用、クハ205/204-3002に改造されました(2003/8/23竣工)。そしてMM'-83は土崎工場に入場、仙石線用モハ205/204-3111に改造されました(2003/8/6竣工)。大宮工場に入場した車両は毎年5月末の週末に開催されていたJR東日本大宮工場「鉄道ふれあいフェア」で先頭車化改造工事の様子が公開されました。
2014/11/8 東飯能 82編成
2017/3/4 拝島 西武線ホームから 側扉窓の小ささから山手線編成からの改造であることが分かる。
続いてヤテ29編成が運用離脱、サハ204-29はハエ14編成に組み込みこまれ、T-57,58,MM'-86は郡山工場に入場、仙石線用クハ205/204-3114(2003/11/6竣工)、モハ205/204-3112(2003/9/12竣工)に改造されました。残りの編成はナハ45編成として中原区に配置されました。原形クハ先頭の205系6連の南武線投入はこれが最後となりました。
後に埼京線とりんかい線の直通運転開始に伴い、10両編成が1本必要となり、ハエ32編成として元来、武蔵野線・八高線用に用意していた編成が転用されたため、武蔵野線に原形先頭車の編成を回すことにして、ナハ45編成が2005年3月17日に運用離脱、MM'-85,87ユニットは秋田車両センターでVVVF化改造を受け(-5029,-5030)、武蔵野線に転用となりM15編成となりました。
2012/1/7 西浦和 M15編成 サハを除く6両はヤテ29→ナハ45から武蔵野線へ、サハは元埼京線、そのため側扉の窓のサイズが異なっていました。
3編成目はヤテ30編成で、サハ204-30はなんと帯色が埼京線の緑ではなく、横浜線の黄緑となり、MM'-89以外は鎌倉総合車両所に転出、横浜線用H27編成となりました。横浜線の205系としては初の側扉小窓タイプで、かつ100番台以外の6扉車組込編成となりました。転入にあたり、ドア鴨居部にあった文字放送装置やベンチレータに取り付けられていたアンテナは撤去されました。MM'-89は土崎工場でMM'-3113に改造されました(2003/8/29竣工)。そしてサハ205-60は引き取り先がなく廃車となりました。
2012/7/8 東神奈川 H27編成 横浜線205系の中で唯一、サハ204-0番台組込の編成
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