2025年2月24日 (月)

2024年春の名古屋周辺旅行 藤が丘からリニモで八草へ その1 路線と駅

2005年3月25日から9月25日まで2005年日本国際博覧会(通称:愛・地球博、愛知万博)が長久手会場、瀬戸会場で開催された際に万博の未来感と会場アクセスの目的を兼ねて建設されたのが愛知高速交通東部丘陵線、リニモです。

日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線で、万博終了後は地下鉄東山線藤が丘駅と愛知環状鉄道線八草駅を結び、鉄道空白地帯だった長久手市(開業時は愛知郡長久手町)に初めての鉄道をもたらしました。

240316_20250223075901 2024/3/16 藤が丘 リニモ路線図

開業は2005年3月6日、営業キロは8.9km、全線複線、DC1500V電化で起終点駅を含め9駅があり、藤が丘駅~はなみずき通駅のホーム半ばまでが地下線、はなみずき通駅で地表に出て、以東、八草駅までは高架線となっています。ATOによる無人自動運転が行われており、他の新交通システムとは異なり、営業最高速度100km/hの高速運転が行われています。

車輪を使わないため、レールと車輪の接触による騒音・振動がなく、推進力は車輪とレールの接触による粘着力にも依存しないリニアモーターによるため、加・減速や登坂性能に優れ、ゴムタイヤ式よりも静かで乗り心地が良く、最高速度も上回りますが、電力消費量はかなり大きい点がデメリットです。

240316_20250223080201 リニモ 藤が丘駅 入口

藤が丘駅は地下鉄東山線が高架ホームから発着、リニモは地下ホームから発着し、ミニ渋谷駅といった感じです。

240316_20250223080501 リニモ 藤が丘駅改札口

自動改札機も整備されています。

240316_20250223080801 長久手古戦場~芸大通 前面展望

はなみずき通より、東は高架区間となり、こういった風景が続きます。前方の芸大通駅の横に見える巨大な建物はTOYOTA AUTOMOBILE MUSIUMです。朝早くの八草行きに乗車しているため、常に正面に太陽を見る感じになります。

240316-2_20250223081301
240316_20250223081301 愛・地球博記念公園 

240316_20250223082001 陶磁資料館南~八草

藤が丘を出発して約17分で、終点八草に到着します。

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2024年11月28日 (木)

青梅線開通130周年、青梅駅駅舎築100年

今週は西武秩父線、秩父鉄道、E233系P編成と3日連続で埼玉・東京西部の話題になりましたが、4日目の今日の記事も東京西部の話題でゆきます。

241113

2024/11/13 青梅駅

今年は青梅線(立川~青梅間)開通から130周年、青梅駅二代目駅舎落成から100年で青梅線沿線の各自治体では関連イベントが多く快哉れています。私も11月13日の午後、青梅市郷土博物館の特別展に行ってきました。

241113-2 青梅市郷土博物館は青梅駅の南の多摩川が大きく蛇行する川沿いの釜ヶ淵公園にあります。

青梅線の立川~御嶽間は青梅鉄道が軽便鉄道の規格で開業した路線で1894年11月19日に立川~青梅間が開業、軌間は762mmで拝島、福生、羽村、小作、青梅駅が開業しました。青梅線開業の本来の目的は日向和田の石灰石採掘とその輸送のためで1895年12月28日には日向和田まで延伸、日向和田は貨物駅として開業しました。1898年3月10日には青梅~日向和田間の旅客営業も開始されました。762mmの軽便鉄道規格では輸送量も限られ、甲武鐡道との接続駅、立川での積み替えも必要となるため、1908年2月18日に全線の軌間を762mmから1067mmに改軌、このときにドイツ・クラウス社製の蒸気機関車4両(二代目1~4号機関車)が導入されました。1920年1月1日には二俣尾まで延伸、1923年4月25日には立川~二俣尾間が直流1200Vで電化されました(その後、1930年に1500Vに昇圧されました)。電化当初には1921年に梅鉢鉄工所で製造された木造客車を改造したデハ1形電車が投入されました。1929年9月1日には御嶽まで延伸しました。開業以来の兼業であった石灰石採掘事業は1920年に浅野セメントに採掘権が譲渡され、採掘量の増加で青梅鉄道にも莫大な運賃収入をもたらしましたが、その後のセメント不況では経営不振に陥り、その打開策として沿線観光開発や旅客誘致に力が注がれることになりました。
 大正期には日帰り行楽旅行ブームが起こり、1921年には西多摩地区唯一の遊園地「楽々園」を現・石神駅前に開設、1925年には奥多摩川の風景を積極的に売り込み、1927年の「日本新八景」選定投票で「奥多摩渓谷」を「日本百景」に当選させました。

241113_202411270951012024/11/13 青梅駅舎 建造されてから100年経過しているとは思えません。

 青梅駅初代駅舎は木造平屋建て、建坪45坪で、駅構内には機関庫、客車庫、工場が併設されていました。1924年11月30日、青梅鉄道開業30周年記念で建て替えられたのが現在の二代目駅舎で地上3階、地下1階で、鉄道省出身の建築家久野節の設計によるものです。

1929年5月3日には社名を青梅電気鉄道に変更、自動車部を設置し、1930年には奥多摩自動車を買収し、乗合自動車偉業を始めました。1934年には団体貸切自動車事業も開始しました。この頃は青梅自動車を買収した武蔵野鉄道(現・西武鉄道)との間で東京~青梅間、青梅市域において激しい競争が展開されました。

青梅鉄道、青梅電気鉄道時代に開業した駅は、創立時の5駅の他
1895年12月28日 日向和田駅(貨物)1898年3月10日 旅客化
1908年5月16日 中神駅
1914年4月1日 宮ノ平駅(貨物)1923年4月1日 旅客化
1920年9月23日 上古新田駅(貨物)1935年6月14日 立川~上古新田間廃止
1927年2月20日 河辺駅
1928年10月13日 楽々園駅 → 石神前駅
1929年9月1日 軍畑停留場、沢井駅、御嶽駅
1930年11月15日 西立川停留場 → 1931年11月15日 西立川貨物駅 → 1935年6月1日 停留場と貨物駅を統合
1932年10月1日 東青梅停留場
1938年1月25日 昭和前仮停留場(現・昭島駅)
1942年7月1日 東中神停留場
1943年3月1日 牛浜仮停留場 が開業しました。

1944年、御嶽駅で接続する氷川に向けた奥多摩電気鉄道の開業に向けた工事も進む中、政策的な要請により鉄道の国有化が進められ、青梅電気・南武・奥多摩電気鉄道は「関東鉄道」として自主的に合併する方針も空しく、国有化されることとなり、4月1日には立川~御嶽間、7月1日には御嶽~氷川間が国鉄に編入となり、青梅線となりました。一方、自動車事業の方は1945年に関連事業を含めた一切を奥多摩振興(現・西東京バス)に譲渡しました。青梅電気鉄道は国有化後、解散を決議したものの、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開、清算会社として存続した後、1995年に解散しました。奥多摩電気鉄道は奥多摩工業と社名を変更、石灰石の採掘・運送会社として現存しています。南武鉄道も太平洋不動産として現存しています。

40-edit 昭和50年代の青梅駅で休むクモハ40

青梅線には今では想像もできない旧型国電が走っていました。

241113_20241127095701 241113_20241127095801 博物館の特別展で撮影が可能だった展示物から

Photo_20241127095901

展示物に関する説明が纏められた冊子 ¥100で入手可能でした。

E2330-t40-10r-241112-2 2024/11/12 東小金井

E2330-t40-10r-130hm-241107-2 2024/11/7 三鷹

E233系T40編成にも青梅線開業130周年記念のHMが掲げられています。

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2022年2月21日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 20 E231系500番台(ヤテ514~516)の山手線への投入による動き

前回の記事では2002年度(平成14年度)の山手電車区へのE231系500番台投入による205系の転出を見てきましたが、2003年度に入ってもE231系500番台は順調に投入されてゆきました。まず、3編成投入による動きを見てみると、

205_2830s

表 2003年度 E231系500番台514~516編成投入に伴う205系編成の転出

順番通りにヤテ28編成が運用を離脱し、これまでと同様にサハ204-28は川越電車区に転出し、ハエ14編成に組み込まれました。Tc-28+MM'-82、MM'-84+T'c-28は鎌倉総合車両所へ送られ、ナハ44編成になりました。中間のT-55とT-56は大宮工場に入場、八高・川越線用、クハ205/204-3002に改造されました(2003/8/23竣工)。そしてMM'-83は土崎工場に入場、仙石線用モハ205/204-3111に改造されました(2003/8/6竣工)。大宮工場に入場した車両は毎年5月末の週末に開催されていたJR東日本大宮工場「鉄道ふれあいフェア」で先頭車化改造工事の様子が公開されました。

2053000-82-141108-2 2014/11/8 東飯能 82編成

2053000-tc2053002-170304 2017/3/4 拝島 西武線ホームから 側扉窓の小ささから山手線編成からの改造であることが分かる。

続いてヤテ29編成が運用離脱、サハ204-29はハエ14編成に組み込みこまれ、T-57,58,MM'-86は郡山工場に入場、仙石線用クハ205/204-3114(2003/11/6竣工)、モハ205/204-3112(2003/9/12竣工)に改造されました。残りの編成はナハ45編成として中原区に配置されました。原形クハ先頭の205系6連の南武線投入はこれが最後となりました。

後に埼京線とりんかい線の直通運転開始に伴い、10両編成が1本必要となり、ハエ32編成として元来、武蔵野線・八高線用に用意していた編成が転用されたため、武蔵野線に原形先頭車の編成を回すことにして、ナハ45編成が2005年3月17日に運用離脱、MM'-85,87ユニットは秋田車両センターでVVVF化改造を受け(-5029,-5030)、武蔵野線に転用となりM15編成となりました。

205-m15-120107 2012/1/7 西浦和 M15編成 サハを除く6両はヤテ29→ナハ45から武蔵野線へ、サハは元埼京線、そのため側扉の窓のサイズが異なっていました。

3編成目はヤテ30編成で、サハ204-30はなんと帯色が埼京線の緑ではなく、横浜線の黄緑となり、MM'-89以外は鎌倉総合車両所に転出、横浜線用H27編成となりました。横浜線の205系としては初の側扉小窓タイプで、かつ100番台以外の6扉車組込編成となりました。転入にあたり、ドア鴨居部にあった文字放送装置やベンチレータに取り付けられていたアンテナは撤去されました。MM'-89は土崎工場でMM'-3113に改造されました(2003/8/29竣工)。そしてサハ205-60は引き取り先がなく廃車となりました。

205-h27-120708-4 2012/7/8 東神奈川 H27編成 横浜線205系の中で唯一、サハ204-0番台組込の編成

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2021年8月31日 (火)

秩父鉄道の駅 その5 ひろせ野鳥の森駅と広瀬川原駅(貨物駅)

秩父鉄道の駅シリーズ、今回はひろせ野鳥の森駅です。

100425_202108301412012010/5/15 駅入口

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Woodyな感じの駅舎

この駅は2003年3月27日に開業した秩父鉄道の駅の中では新しい駅で、2017年4月1日に持田駅と熊谷駅間にソシオ流通センター駅2018年10月20日に永田駅と小前田駅の間にふかや花園駅が開業するまでは最も新しい駅でした。

単式ホーム1面1線の地上駅、管理は熊谷駅が行っています。ユニークな駅名は熊谷市に住むか、務める人々への公募で174名の応募の中から決まったそうです。

100425_20210830141301 駅の西側に車両基地が見えます。

Img_2228
Img_2063
秩父鉄道で活躍する全車両が当基地の所属となっています。

Img_2144 廃車となったデキ100形101号も保存されています。

秩父鉄道の車両基地である広瀬川原車両基地の最寄り駅で、2010年5月15日に同基地で開催された「秩父鉄道わくわく鉄道フェスタ」に参加した際は同駅を利用しました。

秩父鉄道の車両基地、整備工場はかつては熊谷駅の南側に設置されていましたが、手狭となったため、1969年3月に熊谷工場が、同年6月には熊谷検車区が同所に移転しました。

Img_2139 イベントの際にはこういった駅名標も準備されました。

秩父鉄道は石灰石輸送の他に荒川で採掘される砂利の輸送も行っていたことがあり、その積み出しのための貨物駅が広瀬川原駅です。1922年5月13日に開業し、1934年4月20日にいったん廃止され、1943年9月2日に再開業しました、しかし1945年5月28日に再び廃止、同年10月13日に再々開業、1968年11月12日に熊谷からの車両基地の移転で移設となりました。

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2021年6月21日 (月)

2021年春、外房線~内房線を巡る旅 その6 蘇我駅で撮影した蒸気機関車牽引列車

2021年春、外房線から内房線への旅、まだその入り口の蘇我駅の記事が続きますが、今回は蘇我駅で撮影したイベント列車です。

いずれもJR東日本の動態保存蒸気機関車が牽引する列車で、

De10-1704-dl-090215-2

C57-180-090215-83

2009/2/15 木更津 DE10+12系7両にC57180号機が連結

C57-180-090215 DE10+12系+C57で千葉みなとまで

最初は2009年2月13日から15日の3日間、「おいでよ房総春さきどり」キャンペーンの一環として京葉線千葉みなと駅~木更津間を往路:木更津~千葉みなとをDE10牽引で、復路はC57180号機牽引で走行したものです。当初はD51498号機が牽引予定でしたが、2008年12月に陸羽東線での運行に向けた試運転の際に小牛田機関区にてボイラーの空焚き事故がおこり、火室を破損し、修理のため急遽C57180号機の代走となったものでした。

De10-1752-120211
C61-20-sl100-120211
32-sl100-120211-4 2012/2/11 こちらはDE101752 号機と旧型客車7両にC6120号機という組み合わせでした。

2012年2月10日から12日にかけては、2011年1月に動態復元されたC6120号機による「SL内房100周年記念号」が同区間で運転されました。

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2020年9月18日 (金)

2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 4 諏訪市湖畔公園に保存されているD51 824号機

中央東線、茅野から先、岡谷までの単線区間には上諏訪駅、下諏訪駅があり、それぞれの駅の近くに蒸機は保存されています。しかも茅野C12,上諏訪D51,下諏訪C12,岡谷D51という順に並んでいます。

Dsc07123 2018/8/31 諏訪湖湖畔の風景 

諏訪湖は新生代第三紀の終盤からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれることで誕生した構造湖(断層湖)と考えられています。面積は12.81㎢、周囲15.9km、最大水深7.2m、平均水深4.7mの淡水湖で上空から眺めるとプロペラ機の垂直尾翼のような形に見えますが、東側が諏訪市、北側が諏訪郡下諏訪町、西側が岡谷市に属しています。流入河川は31河川ありますが、流出河川は岡谷市の釜口水門から流れ出す天竜川のみです。

Dsc07132

Dsc07164 7月から9月にかけて諏訪湖では週末、花火大会が行われているため、湖畔公園の蒸機にもネットが掛けられていました。

D51824号機は上諏訪駅から歩いて5分ほどの諏訪市湖畔公園に保存されています。
沖田祐作氏の機関車表のデータでは
1943-3-16 国鉄浜松工場 製番74
配属 名古屋局
1943-3-18 浜松
1945-9-30 静岡
1949-6-26 上諏訪
1957-12-24 重油併燃装置取付 長野工場
1959頃 長野工場で切取式除煙板N-2装備 上諏訪
1960-2-6 換気装置取付
1964-3-14 松本
1964-4-3 長野
1970-7-25 二休指定
1970-8-6 長野 廃車  といった履歴となっています。

形態的特徴は長野工場で装備された長工式N-2デフレクターの装備です。長工式デフレクターはC57,D50,D51の3形式に装備され小倉工場の門デフ、鹿児島工場の鹿工デフ、後藤工場の後工デフとの違いは除煙版の下辺が水平でないことです。D51形でN-2型デフレクターが装備された記録があるのは他に197号機708号機などがあります。

Dsc07126 集煙装置は機関車本体から外されて置かれていました。

Dsc07134 潤滑油バルブはランボード上に線路と平行に並んでいます。

Dsc07136 逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプです。

Dsc07138 浜松工場製造のD51は
1937年度 浜松工場(5両):86 - 90(製造番号19 - 23)                  89号機 豊橋動植物公園
1938年度 浜松工場(8両):D51 199 - 206(製造番号24 - 31)              200号機 梅小路蒸気機関車館
1939年度 浜松工場(15両):D51 207 - 210・245 - 250・473 - 477(製造番号32 - 46) 245号機 坂城町(今後公開予定)
1940年度 浜松工場(13両):D51 518 - 530(製造番号47 - 59)
1941年度 浜松工場(5両):D51 531 - 534・685(製造番号60 - 64)
1942年度 浜松工機部(12両):D51 686 - 689・819 - 826(製造番号65 - 76)      688号機 岡崎南公園
1943年度 浜松工機部(12両):D51 827 - 830・848 - 852・861 - 863(製造番号77 - 88)

と私がこれまで見てきたD51では4両が浜松工場製ですが、砂管のパターンでは200号機、245号機、688号機がよく似たパターンを示しています。89号機は標準形の試作的意味合いの強い個体ですので、浜松工場パターンが決まる前のスタイルだったのかもしれません。
また、潅水清浄装置は助手席側キャブから少し離れた位置に設置されています。

Dsc07151
炭水車は8-20Bタイプで軸ばねに重ね板ばねを用い、側枠を鋲接板台枠構造としたタイプです。

Dsc07143 キャブ内も見学可能でメーター類のガラスも残されていました。

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2020年8月26日 (水)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その3 小湊鉄道B10形4号

小湊鉄道五井機関区の保存機関車、最後はB10 4号です。

Dsc08135  2017/8/27 五井機関区

この機関車はC型タンク機の1号、2号とは異なり、B型、四輪連結十輪タンク機関車です。製造元や小湊鉄道に入線する履歴に関しても1,2号機とは異なります。

Dsc08130

元は英国のベイヤー・ピーコック社1894年に製造したテンダ機Pbt2/4形で製造番号は3641です。1895年日本鉄道が輸入し、94号機となりました。宇都宮機関区、上野営業事務所などで活躍し、1910年、形式称号改正で5500形5507号となりました。

Dsc07987

5500形は官設鉄道や日本鉄道により、1893年から1898年にかけて数次にわたって輸入されています。最初は1893年製の6両AF(226-231、組立完了時には142-147に)(製造番号3597-3602)で、東海道線の増強用でした。1898年に二―ルソン社製の5630形とともにD6形に改められました。

1894年には3640-3651の12両、1897年には3889-3924の36両、1898年には4014-4025の12両が日本鉄道により、輸入されました。東武鉄道でも1898年製4026-4035の10両を輸入し、B1形(3-12)としています。これらのうち、6両(7-12)は後年、総武鉄道に譲渡され、16-21に改番されました。1906年の鉄道国有化法で日本鉄道、総武鉄道は国有化され、1909年制定の鉄道院の車両形式称号規程により、官設鉄道のD6、旧日本鉄道のPbt2/4、旧総武鉄道の16-21は5500形となり、それぞれ5500-5505、5506-5565、5566-5571に改番されました。

Dsc08164
1枚目の写真と4枚目の写真を較べるとわかりますが、タンク機に改造された際に装着された側水槽の形が左右で異なるのもB10の特徴です。右側が前方上面を斜めに切り落とした五角形、左側が右側よりやや長さの短い四角形でこれは当時、真空ブレーキから空気ブレーキに変化する過程で空気ブレーキ用のコンプレッサーや空気タンクを取り付けるスペースを確保するための措置でした。この改造で運転整備重量は34.07tから48.43tに増加、軸重も11.62tから13.24t(第一動輪上)に増加しました。

Dsc07988

ローカル線の開業でタンク機の需要が大きくなったため、1929年から1930年にかけ、5500形に側水槽を新設、運転台後方に従輪を追加し、炭庫を設ける工事が国鉄大宮工場にて実施され、2Bテンダ機から2B1タンク機に改造されB10形となりました。このとき、10両 (5506, 5507, 5510, 5512, 5515, 5527, 5534, 5557, 5558, 5565)が改造されました。なお、こういったテンダ機からタンク機への改造は大正時代後期から行われており、5300形を改造した960形、6350形を改造した1000形(2代)、6200形および6270形を改造した1070形などがあり、

新旧番号の対象は5506, 5558, 5512, 5507, 5527, 5557, 5565, 5510, 5515, 5534 → B10 1 - 10 となっています。

改造後は千葉、八王子で活躍、1936年には陸軍千葉兵器支廠に譲渡されました。終戦後の1946年11月、小湊鉄道に貸渡され、1949年正式に譲渡され、1951年2月まで活躍しました。1938年からB10形の私鉄への譲渡が始まり、B109とB1010がラサ工業に、1943年にはB106が東洋埠頭に譲渡されました。一方、国鉄に残ったB10は1950年までに全廃となりました。

主要諸元
全長:11,378mm 全幅:2,061mm 全高:3,672mm
運転整備重量 48.43t 空車重量 36.3t
最大出力 550馬力
実用最高気圧 12.0kg/cm²
汽筒および衝程 406mm×559mm
制動機の種類 手用および空気制動機
連結器の種類 シャロン自動連結機
火床面積 1,330m²
焔管(径×長さ) 45.0mm×3.229m×152本
伝熱面積 73.0m²
水槽容量 6.530m³
燃料櫃容積 2.2m³

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2020年8月25日 (火)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その2 小湊鉄道2号機

今回は昨日の1号機と同時に導入された2号機です。
主要諸元のデータは1号機と同じです。

Dsc07983 2017/8/27 公開中の小港鉄道2号機 連結器は自連に交換されています。

Dsc07974
ボールドウィン機関車会社Baldwin Locomotive WorksBLW は1825年に 宝石や銀細工職人のマサイアス・ウィリアム・ボールドウィンがペンシルバニアで創業した鉄道車両会社で当初は製本機や平織り綿布(キャラコ)の捺染用のシリンダーを製造しましたが、自分用に小型の定置機械を製作するようになり、動力源として蒸気機関に関心を持つようになり、1831年にはフィラデルフィア博物館の要請で展示用小型機関車を製作しました。それがきっかけとなり、フィラデルフィア郊外の支線で使用する小型の機関車の製造を受注しました。

イギリスでリチャード・トレビシックにより、世界初の蒸気機関車が発明されたのは1802年、ジョージ・スティーブンソンのロコモーション号は1825年ですので、既にアメリカのカムデン・アンド・アンボイ鉄道(C&A)にはジョージ・スティーブンソンの息子のロバート・スチーブンソン製の蒸気機関車が輸入されニュージャージー州ボーデンタウンに保管されていました。尤も、マサイアス・ウィリアム・ボールドウィンが訪問した際はまだ組み立てられておらず、部品の寸法を測定したそうです。

当時、蒸気機関車を製作するための工具すら存在せず、大変な苦労のもとに部品の製造から始め、最初の機関車「オールド・アイアンサイド」「剛の者」が完成し、1832年11月23日、フィラデルフィア・ジャーマンタウン・アンド・ノリスタウン鉄道において試運転されたのちに営業に就き、20年の長きにわたり使用されました。

日本向けに蒸気機関車を輸出し始めたのは1887年で、日本の鉄道開通の15年後でした。


Dsc07984
その後、1928年には世界最大の機関車製造会社にまで成長しました。
ボールドウィンの経営は多角的で、機関車製造の傍ら、銃の製造も行い、蒸気機関車のみならず、電気機関車、ディーゼル機関車と手を広げましたが、それが市場占有率の低下を招き、1956年には機関車製造から撤退することになりました。以降は建設機械の製造に特化するボールドウィン・ライマ・ハミルトン社となりましたが、1965年にアーマー社の完全子会社となり、1970年にはグレイハウンド社がアーマー社を買収、1972年にはグレイハウンド社によってボールドウィン・ライマ・ハミルトン社は閉鎖となりました。

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2020年8月24日 (月)

小湊鉄道 五井機関区の保存機 その1 小湊鉄道1号機

2017年8月27日、小湊鉄道のキハ5800形の公開イベントが行われ、五井機関区に保存されている同鉄道会社の創業期に活躍し、保存されている蒸気機関車を見学する機会に恵まれました。

170827170827_20200823150301
2017/8/27 五井

機関区には現在の小湊鉄道の主力気動車であるキハ200形気動車14両、JR東日本より譲渡されたキハ40形気動車2両、DB4形ディーゼル機関車1両、ハフ101、デハ101・102、クハ101号客車が所属し、さらに今回からの記事で紹介予定の開業時から1962年まで使用されていた蒸気機関車3両(1号、2号、B104号)、そして1997年まで活躍したキハ5800形が保存されています。

2016年11月18日、機関庫および鍛冶小屋が国の有形文化財に登録答申され、2017年5月2日に正式に登録されました。

Dsc08076 3両の保存蒸機機関車 右から1号、2号、B104号

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最初は1号機関車です。1924年(大正13年)にアメリカのボールドウィーン社が製造した57776号を輸入したものです。

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形式は六輪連結十輪タンク機関車で最大寸法は全長:9,867mm、全幅:2,717mm、全高:3,352mm、運転整備重量37.93t(空車重量、30.1トン)、最大出力は712馬力、実用最高気圧11.5kg/㎠、汽筒および衝程は381mm×508mm、制動機は手用および蒸気制動機、連結器はマルコ式自動連結機、火床面積は1,480m²、焔管(径×長さ)は44.5mm×2.744m×152本、伝熱面積は65.40m²、水槽容量は3.785m³、燃料櫃容積は2.785m³(これらのデータは同社のWEBサイトから)

Dsc07993 キャブ内も見学できました。

Dsc08127 ナンバーに関しては1号機は炭水車に、2号機は先頭部に表示されていました。

1956年まで活躍しました。

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2020年6月16日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その3 保存車両 キハ702

柵原ふれあい鉱山公園の保存車両、気動車編、最後はキハ702です。

Dsc02910 2019/8/4 

この車両は元国鉄キハ07 5で片上鉄道にはキハ07 4,5,8の3両が譲渡されキハ701、702、703となりました。

キハ07形はもともとキハ42000形として昭和初期に鉄道省が開発した形式で、ガソリンカーキハ41000形を基本に大都市近郊輸送向けに車体寸法を拡大し、機関出力を強化したものでした。1935年から62両(42000~42061)が量産され、1937年にはディーゼル機関を搭載した派生形式キハ42500形(初代)も3両(42500~42502)試作されました。製造は川崎車輛、日本車輛製造、新潟鐵工所のほか鉄道省大宮工場も担当しました。これら65両のうち、戦後まで残存した車両について機関をディーゼル機関に換装し、再生改造されたグループと戦後に追加製造されたグループが二代目キハ42500形となりました。戦後は東急車両製造の参加しました。

Dsc02821

前頭部は半円柱の2次曲面で、まだガラスは通常の板ガラスによる6枚窓構成となっています。

Dsc02908 シンプルな台車

製造当時は機械式動力伝達方式のため重連総括制御は不可能で、併結運転では各車両に運転手が乗務し、ブザーの合図で連絡する協調運転方式でした。1940年1月の大阪西成線での脱線火災事故でガソリンカーの危険性が問題となり、戦争による燃料統制もあり、1937年に試作され放置されていたディーゼルエンジンの制式化でDMH17エンジン搭載の黄は42500形(二代目)改造が大宮工場、新小岩工場、長野工場、名古屋工場、多度津工場で43両に対して行われました。1957年、気動車の称号改正でキハ07形に改正されました。

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