2025年12月25日 (木)

八高線 高崎~高麗川間にHB-E220系 12/21時点で6編成が投入される

JR東日本は1993年3月にキハ110系気動車を八高線に投入、1996年3月にはキハ111・112形200番台を投入し、同線非電化区間の全列車をキハ110系で統一し、以来30年弱使用してきましたが、車両の老朽化が進み、環境負荷の低減、メンテナンス性の向上を目指し、ディーゼル発電機と蓄電池の組み合わせによるディーゼルハイブリッドシステムを搭載した新形式HB-E220形式を2025年12月1日から投入、従来のキハ110系を置き換えることにしました。同形式は高崎エリアに2両編成(HB-E221+HB-E222)8本、釜石線・東北本線用(花巻~釜石、花巻~盛岡)として盛岡エリアに2両編成6本、1両編成(HB-E220)4本の計32両が投入されるとのアナウンスされていました(情報)。

八高線(高崎~高麗川)間の列車運用はこちらのサイトにあるように運用201から207まであり、原則的に編成は201の翌日は202といった具合に回されているようです。運用207以外は日中、一旦入庫する機会があり、そこで編成が差し替えられることもあるようです。

202512-vs
目撃情報による運用サイトの情報を12月1日から23日まで各運用に照合させた結果
鉄道ニュースサイトの情報によればHB-E220-7編成は12月1日から、-8編成は12月11日から、-9編成は12月12日から、-10編成は12月15日から、-11編成は12月16日から、-12編成は12月21日から営業運転に投入されています。
私も12月23日に高麗川駅まで行き、9時20分発の233D(運用206)が-8編成であること、9時34分着の226D、折り返し10時35分発の2263D(運用202)が-12編成であることを確認しました。

Hbe2218-251223Hbe2228-251223-4 2025/12/23 高麗川 HB-E221-8+HB-E222-8 233D
高崎側がE221、高麗川側がE222 車体の形態は新潟・秋田地区に投入されたGV-E400系と酷似しています。同じ川崎車両が製造している西武鉄道の40000系とも似た雰囲気を感じます。

Hbe22212-2512232025/12/23 高麗川 HB-E222+221-12 226D
233Dはゆっくり撮影する時間もなく出発してゆきましたが、その14分後には226Dが到着したのでこちらで各部をじっくり観察することが出来ました。

主要諸元

最高運転速度 100 km/h
車両定員 103名(HB-E220形)117名(HB-E221形)126名(HB-E222形)
自重 42.2 t(HB-E220形)39.5 t(HB-E221形高崎車)39.6 t(HB-E221形盛岡車)
38.9 t(HB-E222形高崎車)39.1 t(HB-E222形盛岡車)
全長 20,600 mm
車体長 20,100 mm
車体幅 2,800 mm
車体高 3,640 mm
床面高さ 14,400 mm
車体 ステンレス
台車 軸梁式ボルスタレス台車 DT300(動力)/ TR275(付随)
機関 直噴式直列6気筒ディーゼルエンジン DMF15HZD-G形
機関出力 331 kW (450 PS)
発電機 かご形三相誘導発電機 DM115B形
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT85形
制御方式 VVVFインバータ制御
制御装置 主変換装置 CI31形
制動装置 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ(直通予備・抑速・耐雪ブレーキ付き)
保安装置 ATS-P / ATS-Ps(統合型車上装置)
防護無線・EB装置・TE装置



Hbe22212-251223_20251224084001特徴的な側面
窓が少なく、何かGV-E197系を彷彿させる側面のスタイル キハ110系と大きく異なる点は側扉が3か所となり、扉の幅も拡大したことです。

Hbe22112-251223パンタが無い屋根上はスッキリしています。空調装置は空気清浄機能付きの集中式(AU744形)で、車内外の温度や乗車率などにより最適化された制御が可能です。

Hbe22212-251223_20251224084401HB-E222形の床下には主変換装置と表示された箱が連なっています。蓄電池も内蔵されています。このために空気タンクやトイレのタンクが床上配置となり窓が少なくなりました。

Hbe22112-251223_20251224084601台車は動力台車DT300形、付随台車TR275形で軸梁式ボルスタレス方式で車輪などを分解せず軸受とグリースの交換ができる構造となっているのが特徴です。

今のペースで行くと年内に8編成すべてが営業運転を始めるかもしれません。盛岡地区での運行開始は2026年1月19日から予定されています。

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2025年11月19日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その33 磐越西線の旅 part2 咲花から喜多方まで

磐越西線の旅、咲花から先は阿賀野川が造り出した渓谷伝いに線路が敷かれており、ある時は右にそして橋梁を渡ると左に阿賀野川を観ながら列車は進みます。

Dsc09473阿賀野川がせき止められダム湖のようになっている場所もあります。

Dsc09479_20251118075601新津駅を出発して約1時間で津川駅に到着します。

津川は会津藩領の時代、会津盆地から新潟方面に輸送される荷物を陸送から船に積み替える河港として栄えた町で、船着き場付近には会津藩の米倉、塩倉が建ち並び、明治維新の後も東蒲原郡の郡役所が置かれ、地域の行政、経済の中心地でした。
また岩越線として最後に開業した津川∼野沢間、特に鹿瀬~津川間の赤崎山と阿賀野川に挟まれた区間は地盤が軟弱で地面が川に向かって移動してゆくような場所で線路の敷設工事は難航したそうです。いまでも常時速度制限が450mにわたりかけられています。

Dsc09480日出谷はもともと人里離れた寒村でしたが、会津若松と新津の中間地点でこのあたりでは唯一、若干の平地があったことから鉄道の拠点となり、機関車の駐泊所、転車台、給水施設、乗務員宿泊所などが設置され、新潟県内で折り返す列車の折り返し駅となり、鉄道の町として発展しました。
鉄道開通以前は津川まで3里、買い出しに行くにも一日がかりでしたが、鉄道開通で半日で買い出しを済ませられるようになりました。村の特産の木炭の出荷で賑わいました。

Dsc09488野沢駅、かつては毎年6月に行われる大山祇神社例大祭の団体輸送(大山臨、野沢臨)の受け入れで活況を呈しましたが、磐越自動車道が開通し、観光バスの利用が急増したため臨時列車の設定はほとんどなくなりました。

Dsc09497山都駅を出発すると阿賀野川に北側から合流する一ノ戸橋梁を渡ります。この橋梁は1908年に架橋された16支間445m、高さ24mの鉄橋で中間の1支間が上路式ボルチモアトラス橋、他の15支間がプレートがーター橋となっており、磐越西線の撮影地として有名です。

Dsc09503新津を出発して2時間13分で喜多方に到着します。
列車は当駅で18分間停車しました。

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2025年11月18日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その32 磐越西線の旅 part1 歴史 新津から咲花まで

2024年8月18日から21日までの3泊4日の旅、帰りは新津から磐越西線で郡山にさらに東北本線というルートにしました。

磐越西線は福島県の郡山駅から新潟県の新津駅までの営業キロ175.6km、駅数43(起終点駅、臨時駅を含めて)の路線で郡山駅から会津若松駅までの64.6kmが交流20kV,50Hzで電化されています。1967年6月15日に郡山から喜多方までの電化されましたが、2022年3月のダイヤ改正でJR東日本は経営コストの削減のため、会津若松において郡山方面は電車、新津方面は気動車と走行する車両を分離し、喜多方までの電車の乗り入れを廃止し、実質的に非電化状態となっています。

日本鉄道が現在の東北本線を開業したことで郡山駅と新潟駅を会津駅経由で結ぶ鉄道の建設機運が高まり、1896年には同路線の仮免許が交付、1897年には岩越鉄道株式会社が設立されました。1898年には中山宿まで、1899年には若松まで、1904年には喜多方まで開業しました。1906年には岩越鉄道は国有化され、喜多方以西は官設線として延長されました。新津側からも信越線の支線として順次延伸され、1914年野沢~津川駅間が開業し、全通となりました。郡山~新津間は岩越線となりましたが、1917年に平~郡山間が全通し、平郡線が磐越東線と改称されたのと同時に磐越西線となりました。清水トンネルの貫通、上越線の全通までは碓氷峠経由の高崎線・信越本線に次ぐ第2の東京から新潟へ向かうルートで同区間を夜行普通列車では11時間58分で走破していました(信越本線経由の夜行急行では11時間6分、普通列車では13時間56分)。

Dsc09432 Dsc09431_202511170834012024/8/21 新潟
新津までは新潟発5:14の長岡行420M 車両はE129系A32編成

Dsc09433_20251117083601 Dsc09446_202511170838012024/8/21 新津
新津からは6:00発224D、車両はGV-E401,402-12

Dsc09450磐越西線郡山方面時刻表
10時台、14時台、22時台は列車がありませんが、朝のラッシュ時間帯以外は1時間に1本程度の頻度です。

Dsc09453 Dsc09455 Dsc09456新津を出発してしばらくは新潟平野の穀倉地帯を突っ切って列車は進むという感じです。

Dsc09457五泉駅
磐越西線のこの区間は「森と水とロマンの鉄道」という愛称がつけられており、C57188号牽引のSLばんえつ物語の走行に合わせて駅名標もレトロチックとなっています。

Dsc09460阿賀野川に沿って線路は敷かれています。

Dsc09461咲花 駅名標はここもレトロチック

新津から五泉にかけては一旦南下し、五泉で進路を東に取り、日本列島の背骨にあたる山脈にアタックします。ここからは阿賀野川が造った渓谷に沿って走り、徳沢駅手前の阿賀野川徳沢橋梁が新潟県と福島県の県境となります。

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2025年10月29日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その25 越後線の旅 part2 吉田~柏崎間

新潟から乗車してきた120Mは吉田駅5番線に到着します。向かい側の4番線には当駅始発の122M柏崎行が出発待機をしています。

Dsc092522024/8/20 吉田 新潟から120Mとして到着したE129系A30編成

Dsc09253_202510280724012024/8/20 吉田 吉田から柏崎まで122Mとして走るE129系 A14編成

吉田駅は1912年8月25日、白山駅~当駅間が越後鉄道により開通した際に開設されました。同年12月28日には越後線が地蔵堂(仮駅)まで延伸し、中間駅となりました。1913年4月20日、越後線地蔵堂∼出雲崎間が開通すると、吉田駅は西吉田駅に改称されました。1916年10月16日には西吉田~弥彦間が開通、1922年4月20日には西吉田~燕間が開通しました。1927年10月1日、越後鉄道は国有化され、国有鉄道越後線となりました。
 1959年10月1日に駅名が吉田駅に戻り、1961年12月27日、駅舎改築工事を起工、1962年7月26日に竣工し、翌27日から使用が開始されました。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線の地上駅でこの図のように越後線と弥彦線が使い分けられています。

Dsc092562024/8/20 粟生津(あおうづ) 
吉田を出て6分ほどで粟生津に到着しますが、前方にORIOと大書された塔が見えます。一体何だろうか、あの塔は?と帰って調べてみたら、オリロー(株)新潟工場でオリローは避難ハッチ、緩降機等を製造する会社でこの塔は50m以上あり、避難器具の試験のためにつくられたそうです(関連記事)。

粟生津の次の駅、分水と寺泊の間で信濃川のもう一つの分水路、大河津分水路を渡ります。こちらは江戸時代に計画され、1907年に着工、1922年に通水が始まり、1922年の補修で安定稼働となった全長9.1km川幅720m(分岐点付近)、180m(河口付近)の分水路です。

Dsc09257_20251028083501 Dsc092582024/8/20 大河津分水路

寺泊は「魚のアメ横」と言われるくらい賑わいと活気あふれる魚市場や寺泊漁港で有名ですが、越後線の駅はかなり内陸部にあり、あまりそういった雰囲気は感じませんでした。

Dsc09267_202510280838012024/8/20 刈羽 駅名標

1007172010/7/17 柏崎の海岸から見た柏崎刈羽原発

出雲崎を過ぎ、吉田を出発して1時間くらい過ぎると刈羽駅に到着します。刈羽と荒浜間の線路の西側の海岸沿いにあるのが、東電ホールディングスの柏崎刈羽原子力発電所です。1969年に柏崎市、刈羽村の発電所誘致決議がなされ、1974年に当時の田中角栄政権が電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法)を制定、角栄曰く「東京に造れないものを造る。造ってどんどん電気を送る。そして、どんどん東京から金を送らせる」で1978年に1号機原子炉着工、1997年に7号機原子炉が運転を開始し、総出力821.2万kwでカナダのブルース原子力発電所を抜いて世界最大の出力の原発となりました。しかし、作業員の被ばくトラブルの隠蔽、予備品倉庫の火災、燃料棒の接触、社員のIDカード紛失、他人のカードで中央制御監視室に出入、テロリズム対策侵入検知装置の機能喪失の見逃し等の相次ぐトラブル、安全対策工事の未完了などが見つかり、さらに2011年3月の東日本大震災による東電福島第一原発事故発生後の新規制基準適合性審査中を理由に全機が停止状態となっています。最近のニュースでは古くなった1,2号機を廃炉とし、3号機他の再稼働を東電は考えていると報道されています。

Dsc09270_202510280844012024/8/20 東柏崎~柏崎間
信越本線と合流する越後線

Dsc09273_20251028084601吉田を出発して約70分、新潟からは2時間5分で終点柏崎に到着します。

Dsc092742024/8/20 柏崎

この駅に降り立つのは1975年11月、2010年7月と3度目ですが、線路の廃線、ホームの配置などは1975年当時と変わりありません。ここからは信越本線で直江津に向かいました。

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2025年10月28日 (火)

2024年夏の新潟旅行 その24 越後線の旅 part1 新潟~吉田間

信越本線の高崎~直江津間は官設鉄道によって開業しました。特に高崎~軽井沢間は東京~大阪を結ぶ中山道幹線の一部として建設され、軽井沢|直江津間はその資材運搬のために建設されました。一方、直江津~新潟(旧駅)間は私鉄の北越鉄道により開業しました。この区間の開業の仕方は結構複雑で
1897年 5月13日:春日新田~鉢崎(現、米山)8月1日:八崎~柏崎 11月20日:柏崎~北条、沼垂~一ノ木戸(現、東三条)
1898年 6月16日:一ノ木戸~長岡 12月27日:北条~長岡
1899年 9月5日 直江津~春日新田 が開業しました。
1907年8月1日、北越鉄道は国有化されました。同年10月12日には国有鉄道線路名称制定で高崎~新潟間を信越線と命名しました。

信越線は柏崎から内陸部に入り、長岡、三条を経由するため、柏崎から日本海沿岸を経由し、新潟に至る鉄道が計画され、1911年3月に設立された越後鉄道によって、新潟駅の手前、白山駅まで開業しました。その開業の歴史は
1912年 8月25日:白山~吉田 11月11日:柏崎~石地 12月28日:吉田~地蔵堂(仮駅、後に廃止) 石地∼出雲崎
1913年 4月20日:出雲崎~地蔵堂 

1927年1月、水戸鉄道(後の水郡線)、陸奥鉄道(後の五能線)、苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(後の日高本線)とともに越後鉄道の国有化案が浮上、同年10月に国有化され越後線となりました。1943年に旧新潟駅~関屋駅間の貨物線が敷設、漸く信濃川を渡って接続され、1951年6月に旅客営業が開始、1958年の新潟駅移転で現在の形になりました。柏崎~新潟間、営業キロ83.8kmの路線です。

新潟大学が1970年代以降に五十嵐地区に移転し、沿線の宅地化も進み1984年4月、弥彦線とともに全線が電化されました。
ちなみに越後線は柏崎から新潟方面が下り、新潟から柏崎方面が上りとなっています。

Dsc09238_202510270957012024/8/20 新潟 信越線、白新線、越後線の1番列車の出発案内

8月20日、新潟駅発5:04発の120Mで吉田まで、吉田から122Mで柏崎へ、さらに直江津方面に向かいました。

Dsc092462024/8/20 新潟 1番ホームに入線している120MはE129系2連 A30編成

Dsc09243

側扉の窓ガラスの角が丸い点などは異なりますが、E233形をベースにしている点は感じます。

Dsc09244ワンマン運転対応になっています。

Dsc09245

シートは115系時代とは異なり、ドア間でクロスとロングが分けられています。

越後線の運用を見ていると越後線から新潟駅で折り返す運用と信越線や白新線から越後線の内野まで走り折り返す運用がほぼ同数あるように見えます。

新潟駅を出ると上越新幹線と併走し、別れたところに上所駅があります。私が訪れた2024年8月にはまだ工事中でしたが、2025年3月15日のダイヤ改正で開業しました。新潟南高の通学、あるいは新潟県の社会福祉施設「新潟ユニゾンプラザ」の利用者からの要望で設置された駅です。右にカーブして信濃川を渡り、再び左にカーブすると白山駅で前述のように越後鉄道が開業した当初の駅は2ブロック位、北にありました。次の関屋と小針の間で信濃川の関屋分水路を渡ります。関屋分水路は1972年8月10日に通水が開始され、洪水から新潟市を守り、新潟西港への土砂の堆積を防止する役割を果たしています。信濃川の上流側には似た機能の分水路として大河津分水路もあります。寺尾の先に新潟大学前という駅がありますが、沿線の地図をみると内野にかけて多くの大学、短期大学が集まっています。また線路の北側が砂丘、南側が少し低くなっており、海岸段丘の斜面に線路が敷設されていることが分かります。

Dsc09247 Dsc09248_20251027111001Dsc09249海岸線沿いに聳える角田山から弥彦山

内野を過ぎると海岸線から少し離れた内陸部を線路は走り、越後曽根、巻あたりでは海縁に聳える角田山、松ケ岳、多宝山、弥彦山などが見え、手前には穀倉地帯が広がります。弥彦山の標高は634m、東京スカイツリーの高さと同じなんですね。

Dsc09251_20251027111301 Dsc09255_20251027111301新潟駅を出発して約50分で弥彦線と交差する吉田駅に5:53に到着します。

向かいのホームに停車中の吉田発5:54の122Mへ乗り換えです。

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2025年10月22日 (水)

埼京線 40周年記念の復刻ラッピング編成 ハエ117編成を撮影 

東北・上越新幹線の赤羽~大宮間の建設工事は当初、埼玉県内に関しては地下化を計画していましたが、地盤の問題から困難と判断され高架線で進められることになりました。1973年当時、東海道新幹線や山陽新幹線沿線では騒音問題が生じており、東北・上越新幹線でも大宮以南の延伸で通過予定地となる戸田、浦和、与野3市と東京北区では強力な反対運動が起きていました。さらに国鉄は東京周辺の人口増加に対して輸送力が追いつかずラッシュ時の混雑緩和が急務となっていました。

新幹線高架化の見返り案として埼玉県側が提案したのが新幹線高架に併設される通勤新線でした。当初は赤羽~武蔵浦和~大宮~宮原まで通勤新線を建設、車両基地は武蔵浦和駅付近のロッテ浦和工場の敷地を利用する予定でしたが用地買収が難航し、南古谷駅付近に車両基地が設けられることになり、当時、未電化だった川越線も電化されることになりました。

1978年12月に工事が開始され、開業を控えた1985年7月11日に「埼京線」と命名、9月30日開業を迎えました。このとき、川越線大宮~高麗川間の電化も開業となりました。開業時の運転区間は池袋∼川越間で通勤快速で最短44分となりました。それまでは赤羽、大宮乗り換えで69分かかっていたのが大幅な時間短縮となり、京浜東北線の交雑も大幅に緩和されました。

1986年3月3日のダイヤ改正では山手貨物線を利用して新宿まで運転区間を延伸、1996年3月16日のダイヤ改正で恵比寿まで、2002年12月1日には大崎まで延伸、同時に天王洲アイルまで開業した東京臨海高速鉄道りんかい線(新木場~東京テレポート間は1996年3月30日、東京テレポート~天王洲アイル間は2001年3月31日に開業)と相互直通運転を開始しました。さらに2019年11月30日には相鉄・JR直通線の開業で羽沢横浜国大を経由して相鉄線海老名までの運転も始まりました。

車両は開業から1990年12月1日まで山手線と同じ103系(黄緑6号)が使用されていました。当初は独自色が検討されましたが塗装の試験結果が芳しくなく、山手線の205系での統一も決定しており、経費削減の観点から黄緑6号でゆくことにしたそうです。この時期、鉄道から興味が遠ざかっていたせいか、埼京線の103系を記録していませんでした。1989年7月1日から緑15号の帯の205系が導入、2016年10月27日まで使用され、その後は現行のE233系7000番台となっています。相互直通運転で東京臨海高速鉄道の70‐000形、71-000形(未撮影)、さらに相鉄の12000系が乗り入れています。

E2337000-117-103-251014-2 E2337000-117-103-251014-3edit2025/10/14 原宿 103系復刻ラッピング ハエ117編成

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2025年10月20日 (月)

山手線環状運転100周年記念の復刻ラッピング編成を撮影 part1 トウ39編成

現在、山手線は一周約35㎞、全30駅で1周するのに約1時間を要する路線となっていますが、始まりは日本初の民営鉄道会社だった日本鉄道が1885年3月1日に品川~赤羽間の品川線として開業した路線でした。開業の目的は下町を避け、関東地方内陸部と横浜港との間の貨物輸送でした。1903年4月1日、常磐炭田からの石炭を運ぶ土浦線(1901年に海岸線、現在の常磐線)と品川線を結ぶ池袋∼田端間の豊島線が開通しますが、品川線が開通したときに現在の池袋駅はなく、目白駅で豊島線と合流する予定でした。しかし、目白駅は谷間・掘割の駅で拡張が困難であり、周辺住民も駅の拡張には反対でした。目白と池袋の中間に雑司ヶ谷駅を設け、そこで合流する案がでましたが、実地測量すると1895年に巣鴨に移転し、1897年に巣鴨監獄となった旧石川島監獄署にあたることが分かり、もう少し北の池袋に新駅を作り、合流させることにしました。豊島線には王子道と交差する地点に大塚駅、中山道と交差する地点に巣鴨駅が設けられました。このために現在の山手線の線路は目白駅と巣鴨駅を結ぶ直線から池袋方面に北へ迂回するようになっています。1909年10月12日、各鉄道路線に路線名が付与されることとなり、品川線と豊島線が統合され山手線となりました。尤も、品川~赤羽間が山手本線、旧豊島線は山手支線と呼ばれました。同年12月16日、烏森駅(現、新橋駅)が開業し、烏森~新宿~上野駅間の「C」の字運転が始まりました。品川~烏森間は京浜東北線の線路に山手線が乗り入れる形でした。
1919年1月、中央線と山手線を結び吉祥寺~東京~品川~新宿~上野という「の」の字運転が開始されますが、1925年11月1日、東京~秋葉原間の高架線が開業、東京~上野間が複線化され、「の」の字運転は終了、山手線の環状運転が開始されました。

今年、11月1日で環状運転開始から100周年ということでJR東日本は「つながる山手線フェス 環状運転100周年」を開催、10月4日から11月3日まで山手線に103系と205系の復刻ラッピング編成が登場しました。

山手線の電車、幼稚園時代に高田馬場駅でブドウ色の72系を見た記憶はあります。その後、1961年9月から1969年4月にかけてカナリア色の101系が走っていたのはしっかり記憶しています。線名の表示は「山手」でした。1963年12月に103系が登場したときは鮮やかな鶯色に驚き、103系の走行音、スカーという空気が抜ける音にも驚いたものでした。

高校時代頃から鉄道写真を撮り始め、103系の写真撮りましたが、まともな写真はあまりありません。それでも1編成しかなかった試作冷房車、そしてわずか1年の活躍だった低運転台量産型冷房車はしっかり撮っていました。


103-15撮影年月日不詳 鶯谷 15編成

103-1-2撮影年月日不詳 新宿 臨1編成 試作冷房車編成

103-2-7303-11973/3 新宿 低運転台タイプの量産冷房車 イケ2編成

103-15-3b-2_20251019091301撮影年月日不詳 御徒町 高運転台ATC準備工事車 15編成

103系の活躍は1988年6月26日までで、この頃、私は西ベルリンに留学していました。

E2350-39-103-251014-edit
2025/10/14 原宿 トウ39編成

E2350-39-100-251018-52025/10/18 西日暮里 トウ39編成

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2025年10月 9日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その23 新潟駅周辺の散策 part3 新潟駅からか焼島駅

昨日の記事でかつての沼垂に至る信越本線、白新線の廃線跡を辿りましたが、今回は8月20日に同じ道をさらに進み焼島貨物駅付近を散策した際の記録です。

Dsc094042024/8/20 日産のディーラーの奥に見えるのが 北越コーポレーション 新潟工場

Dsc09405_20251008072401私は今回も新潟駅付近から歩きましたが、新潟駅前から新発田営業所方面に向かうバスが走っており、東新潟中学前が最寄りの停留所となります。

Dsc09407_20251008072801バス停からさらに線路を超える手前で焼島駅方面の分岐路があります。

焼島駅はかつての北越紀州製紙(2018年から北越コーポレーションに社名変更)新潟工場(東区榎木町)の原材料、製品を鉄道貨物で輸送するための貨物駅です。製品は印刷用塗工紙であるコート紙、白板紙、ガラス繊維をシート化したエアフィルタなどで製紙会社としては我が国に第5位に位置付けられている会社です。

新潟貨物ターミナルとの間に2往復の貨物列車が設定されており、2024年3月改正のダイヤでは
新潟タ 発843 7251レ 焼島 859
    1134 7253レ    1150 
焼島  1452 7082レ 新潟タ 1510
    1058 7252レ     1116       でした。

7082レは新潟貨物ターミナル発1603の6082レとなり、信越本線、上越線、高崎線、東北本線を経由して隅田川貨物駅まで運行されています。

Dsc0940814:39頃、到着すると既にDD200-22号機に牽引されたコンテナ列車が新潟貨物ターミナルに向けて出発の準備をしていました。2010年3月改正ダイヤまではこの貨物列車は紙列車としてワム80000形で運行されていました。

Dsc09412_20251008073301かつてはこのように同一平面から貨物列車を撮れる場所が多くあったように思いますが、今はそういった機会も減り、なかなか貴重な風景に感じました。

Dsc09414_20251008073501DD200はDE10やDE11の置き換えを目途に2017年に登場したディーゼル・エレクトリック方式の機関車でFDML30Z(V型12気筒30.48lコマツ製SAA12V140E-3型)エンジンでFDM303、出力1,112 kVAの発電機を回し、2レベルPWMコンバーターでDC化、さらにVVVFインバータでかご型三相誘導電動機を駆動する方式となっています。DF200やEF210と搭載機材を共通化しているのも特徴です。

Dsc09416

 列車は14:52定刻に出発してゆきました。

Dsc09428_20251008074901新幹線の高架の先が上沼垂信号所でここで一旦、白新線、信越本線と合流し、東新潟駅の北側の新潟貨物ターミナルに到着します。

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2025年10月 8日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その22 新潟駅周辺の散策 part2 新潟駅からか旧沼垂駅、そして上沼垂信号所付近へ

昨日の記事では東新潟駅からデルタ線の付近を越後石山駅まで歩きましたが、今回は下の地図にあるように現在の新潟駅から東へ旧沼垂駅に続く廃線跡へ、さらにそこから焼島貨物線に沿う形で南下し、上沼垂信号所付近まで歩いてみました。

Photo_20240827095701
新潟駅に北口、万代広場を出発し、萬代橋方面に向かう大通りを行くと国道7号線との交差点に出ます。この交差点を右折し、7号線を東に進むとやがて栗の木橋交差点に出ます。栗の木橋交差点から東が沼垂東エリアになります。

240819_202509140803012024/8/19 新潟駅万代広場

Dsc093962024/8/19 栗の木橋交差点

Dsc09397_20251006133901

さらに道なりに進むと道路は何かをオーバークロスするためか段々と勾配を上って行きます。

Dsc09398_20251006134001側道を進むと線路らしきものが見えてきます。この線路こそが、かつての沼垂駅に続く信越線、白新線の跡のようです。

Dsc09399_20251006134201北方向

Dsc09400南方向

まだ線路用地、枕木、線路がしっかりと残っています。このまま、西方向に進むとさらに焼島貨物線ともオーバークロスしますが、それは後日の記事として、今回はここから南方向に線路跡を辿ってみました。

Dsc09222_20251006134701しばらく進むと新栗木川を渡る鉄橋の跡が見えてきます。鉄橋自身は撤去されていますが、橋台はまだ残されています。

Dsc09223_20251006135501さらに南へ行くとやがて新潟新幹線車両センターに続く、新幹線の高架線と信越本線、白新線の複々線が見えてきます。
さらに左手に単線非電化の線路が見えていますが、それが焼島貨物線のようです。

Dsc09233この場所でしばらく、列車の動きを観察していると新潟車両センターに入庫する特急「いなほ」編成を見ることが出来ました。

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2025年9月11日 (木)

2024年夏の新潟旅行 その7 東三条駅 弥彦線の歴史

長岡からは12:40発の445Mで新潟を目指しました。13:06に東三条に到着、この駅からは弥彦線が分岐しています。

130808-edit2013/8/8 東三条駅 駅名標

弥彦線は私鉄の越後鉄道株式会社により建設された路線で、越後一の宮である弥彦神社の参詣鉄道として1916年、弥彦駅~西吉田駅(現在の吉田駅)間が開業、1922年から1925年にかけ、越後線(これも当時は越後鉄道)と信越本線を連絡する目的で西吉田駅~一ノ木戸駅(現在の東三条駅)間が延伸、さらに1927年には越後長沢駅までが開業しました。いずれは福島県の只見町まで延伸する計画の下、建設が進められましたが、1927年秋に国有化され計画は消滅しました。

通称「弥彦東線(やひことうせん)」と呼ばれていた東三条駅 - 越後長沢駅間は、沿線の人口密度が低かった上、終点の越後長沢駅も当時の長沢村の中心地から若干離れていたこともあり、太平洋戦争以前の段階から利用者数は低迷。長沢以東の区間は越後鉄道が森町村大字八木前まで免許を取得していたが、国有化された1927年に失効し、また太平洋戦争中の1944年10月には不要不急線として営業休止に追い込まれ、金属類回収令により軌道は撤去の上で供出されました。東三条駅 - 越後長沢駅間は戦後に営業を再開したが通学客以外は乗客も少なく、不採算が慢性化していました。1968年にはいわゆる赤字83線に指定され、弥彦~東三条間は1984年春に電化されましたが、東三条~越後長沢間は1985年に廃止となりました。

開通時はキハ41000系、キハ41600形といった気動車が投入され、1962年からはキハ35系が運用されました。1984年の電化時には115系が投入され、E127系も後に加わりました。現在はE129系が最大6連で運用されています。

115-y3-130808
115-y3130808-22013/8/8 東三条 1984年の電化時から活躍していた115系2連Y編成(Y3) 弥彦線ホームは0番線

E129100-b14-2408182024/8/18 東三条 E129系 B14編成

240818-edit_202509100902012024/8/18 車両送り込みの関係から、一日一本、信越線下り、待避線ホームから発車する列車があります。

2006年から2012年にかけてJR貨物が旅客駅の東側にオフレールステーション(ORS)を設置し、コンテナの集配を行い、新潟タとの間で6便が設定されていました。

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