2019年4月22日 (月)

武蔵野線40周年記念HM付き編成

武蔵野線は山手貨物線の代替路線として、東京外環貨物線として計画され、1927年に鉄道敷設法に採り入れられ、1952年5月27日に所沢~浦和~流山~安孫子間の路線として埼玉県より申請され、1957年4月3日玉葉線として鉄道建設審議会で建設が決定されました。1964年4月には大都市交通線D線として日本鉄道建設公団により着工され、建設当時、新松戸~西船橋間は小金線と呼ばれました。

1973年4月1日、府中本町~新松戸間、新小平~国立、西浦和~与野、南流山~馬橋間などが開業、旅客・貨物線として営業が開始され、1976年3月1日には鶴見~新鶴見操車場~府中本町間が開業、貨物営業が開始されました。

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1976/2/1 西国分寺

新松戸まで開業した時点で私も乗車しましたが、一度降りると次の列車が来るまで40分近く待たされ、「降りるのが怖い路線」と感じたものでした。1978年10月2日、新松戸~西船橋間が延伸され、全線開業となりました。

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2019/3/9 府中本町

2018年10月、全線開業40周年ということで、2018年11月23日から2019年3月末まで開業40周年を記念するHM掲出列車が運行されました。私も偶然、3月9日に府中本町駅で遭遇しました。編成はE231系MU2編成でした。

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2019年4月20日 (土)

中央線開業130年 記念ラッピング E233系 T24編成

今年は1889年4月11日に甲武鉄道により新宿~立川間、8月11日に立川~八王子間が開業し、130年とのことでJR東日本八王子支社は「中央線開業130周年キャンペーン」を実施しています。

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2019/4/19 中野駅 ポスター

こういったキャンペーンで最近、必ず登場するのがラッピング編成で、中央快速線のE233系T24編成201系を彷彿させるオレンジ・バーミリオンのラッピングで4月8日、月曜日から8月31日、土曜日までの間運行されることとなりました。両先頭車にはHMも装着されています。

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2019/4/15 市ヶ谷

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2019/4/19 神田

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2019/4/19 神田

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側扉横のHMと同じ図柄のマーク

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2019/4/19 中野

ちなみに路線開業と同時に開業した中野駅なども開業130周年を迎え、ポスターが掲示されていました。

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2019年4月 9日 (火)

公園保存車両 川崎市電の保存車702号

拙Blogでは以前、定期的に公園などに保存されている鉄道車輛のレポートをしていました。

過去ログを調べると2015年2月7日に世田谷区立世田谷公園に保存されているD51272号機の訪問(2018/6/19の記事)で途切れています。その後、王寺駅そばのD51895号機のレポートをしましたが、今回から訪問順に再開しようと思います。

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最初は川崎市の桜川公園(所在地:川崎区桜本1-14-3)に保存されている川崎市電702号車です。訪問したのは2015年3月1日でした。

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川崎に市電が走っているのを私は見たことはありません。開業したのは太平洋戦争の末期の1944年10月14日で、川崎の軍需工場に通う人々の通勤手段として市電川崎~渡田五丁目間の2.76kmが突貫工事で開業したそうです。労働者の通勤手段としてバス・トラックを最初は考えたそうですが、戦争末期の燃料不足の問題もあり、交通問題懇談会の要請による開業でした。開業はしたものの、すでに米軍機による本土空襲は開始されており、空襲により甚大な被害を被りました。

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戦後、多くの電車が被災した中、2両から復興し、東京都などからの応援車両をもらい受け、路線延長、複線化、新車の投入などの整備が進み、川崎市民や工場通勤客の足として順調に業績を伸ばしました。しかし、東京都電などと同じくモータリゼーションの波に押され、路線が未完成であったことも災いし、川崎鶴見臨港バス川崎市バスとの路線競争に敗れ、経営合理化のため1969年4月1日に全線廃止となりました。

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路線 総延長 市電川崎~塩浜間 6.7km
軌間 1435mm
電化 DC600V 架空電車線方式

路線延長の歴史
1994/10/14 市電川崎~渡田五丁目 2.76km 開業
1945/4/11 渡田五丁目~浜町三丁目 0.66km 延伸
1945/12/6 浜町三丁目~桜本三丁目 1.02km 延伸 桜本三丁目で東急大師線(大東急の時代)と連絡
1946/8/16 市電川崎~省線川崎駅前 0.326km 延伸
1951/3/16 京急大師線桜本~塩浜間乗り入れ
1952/1/1 京急大師線桜本~塩浜間を買収

車両
100形(初代) 新潟交通が購入した1933年日本車輛製造東京支店製の半鋼製車1944年購入
200形    東京都電木造ボギー車1500形 201~205号空襲で被災
130形    箱根登山鉄道小田原市内線木造単車 元は東京市街鉄道1903年から1906年製造1形電車
300形    王子電気軌道~東京都電の半鋼製ボギー車
100形(2代) 東京都電木造単車400形
500形    川崎市電初の新造車1949年日本鉄道自動車製
600形    川崎市電独自設計の車両、200形の台車、主電動機流用車両
700形    600形の改良型、200形の車体更新車

この700形のうち702号がこうして保存されており、4年前に訪問した際は修復直後だったのか外観も非常に綺麗でした。

路線的には川崎駅付近から塩浜までを往復する単純なものでしたが、当時の日本鋼管前以東の区間は三線軌条化され夜間に国鉄の貨物列車が運行されるというユニークな路線(1949年7月16日もしくは8月1日から)で、1954年4月10日からは上下線三線軌条化、入江崎の交換設備の設置等の設備改良で昼間も国鉄貨物が運行されるようになりました(ちょっとここだけ読むとサンディエゴのトローリを思い出しますが)。1964年3月25日に国鉄塩浜操車場が開業すると池上新田~塩浜操車場間の東海道貨物線に路線の一部が転用となり、三線軌条は取りやめ、浜町三丁目~桜橋間に新駅として浜町四丁目が開設されました。さらに1967年8月1日には池上新田~塩浜間2.12kmが全線廃止に先立って廃止となりました。
因みに塩浜操車場の開業で京急大師線の小島新田~塩浜間も休止となり、バス代行となり、1970年には正式廃止となっています。

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2019年3月26日 (火)

2018年10月の関西旅行 近鉄大阪線青山峠越え

2018年10月の関西旅行、伊賀神戸からは近鉄大阪線に乗り換え、「近鉄の峠」と言われる青山峠を越えました。


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2018/10/7 東青山駅駅名標と案内板 ここでは特急列車の2本通過待ちのため長時間停車となりました。


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2018/10/7 東青山 駅のホームからトンネルの山の方を見上げると風力発電の風車が見えました。


かつて大阪の人間が伊勢詣りする際は初瀬街道を通り、最大の難所は布引山系を超える青山峠でした。
伊賀鉄道の歴史でも登場しましたが、大阪電気軌道は伊勢への進出を図り、1927年9月28日、参宮急行電鉄を創立し、桜井~宇治山田間97.5kmの建設を進めました。この工事においても最大の難所は全長3432mの青山トンネルの掘削で1930年8月6日に完成しました。これにより、同年12月20日から大阪上本町~山田(現、伊勢市)間で大軌~参急直通の急行運転が開始されました。1931年3月17日には、宇治山田まで延伸、1932年1月1日には大阪上本町~宇治山田間を2時間で走破する特急の運転も開始されました。


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上下とも各停が特急の通過待ちを行い、阪名、阪伊などの特急が駆け抜けてゆきます。


桜井~宇治山田間の約6割は複線で開通しましたが、青山峠を越える山岳地帯の名張~伊勢中川間41.7kmは単線でした。将来の複線化に向け、複線仕様で建設された構造物も存在し、1959年から開始した輸送力増強のための複線化では大いに役立ちました。しかし、最後まで残されたのが青山峠を含む8か所の単線区間でした。そういった矢先の1971年10月25日、総谷トンネル内で上下特急列車が衝突する事故「通称:青山トンネル事故」が発生しました。


事故の概要:青山トンネル東口手前200mの地点で上本町発名古屋行き特急電車114列車(12200系12202F・12000系12001Fの4両編成)がATS故障のために誤停止しました。同日、青山トンネルを通過した上り5本、下り1本の列車が同様の緊急停止事故に遭っており、原因究明のため信号保守要員が現場に派遣され、地上子関連の検査を行ったものの原因が掴めず、当該要員や東青山駅助役が中川信号区に計測機器等を現場に持ってくるように連絡していました。114列車運転士はATS解除操作をおこなったもののブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰勾配のため、車輪に手歯止めを挟み、各車両の供給コックをカット、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置を行いました。


列車停止を聞いて東青山駅から駆け付けた助役が運転士とのやり取りの後、手歯止めを抜いてしまい、運転士は供給コックのカット解除を怠り、運転室に戻り、ブレーキを解除したため、114列車は走り出し、エアの再充填が出来ないまま、ブレーキの効かない状態で33‰の下り坂を暴走、15:58頃、東青山~榊原温泉口間にあった垣内東信号所の安全側線を120km/h以上で突破、脱線転覆、本線への切通しへと転落しました。3両目以降は総谷トンネル入り口付近の壁に激突して停止しましたが、先頭2両は横転した状態でトンネル内に突入しました。運悪く、対向してきた賢島発京都・近鉄難波行き特急1400N・1400K列車(12200系12226F・10100系C編成10118F・18200系18205Fの7両編成)が前方の異変に気付き非常制動をかけたものの、間に合わず正面衝突しました。これにより、乗客20名、両列車の運転士2名、車掌2名と東青山駅助役の5名の25名が死亡、重軽傷者227名を出す大惨事となりました。


その後の事故調査から事故の発端となったATSの故障はATS電源装置のヒューズ端子締め付けナットの緩みからくる接触不良と判明しました。


山間のトンネル内での事故のため復旧に時間がかかり、10月29日午前1時に復旧し、同日始発より運転が再開されました。この事故で12200系12202Fおよび12000系12001Fの4両が廃車となりました。この4両は製造から2-4年の車両でした。


この事故が引き金となり、複線化は加速され1975年11月23日、西青山~垣内東信号所間8.2kmの複線化完成で大阪線の全線複線化が実現しました。


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2019年3月21日 (木)

2018年10月の関西旅行 伊賀鉄道の旅 1 路線について

2018年10月、最終日10月7日、日曜日は近江八幡から草津へ、草津線で柘植へ、関西本線で伊賀上野へ、伊賀上野から伊賀神戸まで、伊賀鉄道伊賀線(現在は忍者線)に乗車しました。


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伊賀鉄道の社章

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車内に掲示されていた路線図
伊賀上野を起点に伊賀神戸までの16.6kmの路線で軌間は1067mmの狭軌、電化方式はDC1500Vの全線単線です。駅数は両端駅を含めて14、閉塞方式は自動閉塞式です。営業中の区間は全て三重県伊賀市内となっています。

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伊賀上野駅の伊賀鉄道の発着するホームは関西本線の加茂方面ホームの反対側にあります。
伊賀鉄道に乗り継ぐ場合、近江八幡からSuica等のICカードで乗車している場合、まず伊賀上野駅の改札で清算し、

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このような乗車証明書をJR改札口で発行してもらいます。下車する際に伊賀鉄道の運賃を支払います。私は伊賀神戸まで乗車したので、伊賀神戸到着前に車内清算で支払いました。


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伊賀鉄道の200系の横を通過する関西本線のキハ120形列車
JR西日本の列車は画面の奥の方に停車します。

この線は現在は近畿日本鉄道の子会社の伊賀鉄道となっていますが、2007年3月までは近鉄の路線の一部でした。同線の開業以来の歴史を振り返ってみると

1916年8月8日  上野駅連絡所~上野町間が伊賀軌道として開業
1917年12月20日 社名を伊賀鉄道に変更
1919年10月1日 軌道法から地方鉄道法による鉄道に変更
1920年3月   上野駅連絡所を廃止、鉄道院伊賀上野駅に統合
1922年7月18日 上野町~名張(後の西名張)間が開業 全通
1926年5月25日 全線電化
1926年12月19日 伊賀電気鉄道に社名変更
1929年3月31日 近鉄の前身、大阪電気軌道に吸収合併 伊賀線となる
1929年4月1日 大阪電気軌道が伊勢進出のために設立した参宮急行電鉄が大阪電気軌道から貸借して営業
1930年10月10日 参宮急行電鉄が榛原~伊賀神戸間開業 名張駅は西名張に
1931年9月30日 大阪電気軌道が参宮急行電鉄に伊賀線を譲渡
1941年3月15日 参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併、関西急行電鉄に
1941年9月10日 上野町を上野市に改称
1944年6月1日 関西急行電鉄が近畿日本鉄道に社名変更
1945年6月1日 伊賀上野~西名張間営業休止1946年3月15日 同区間営業再開
1964年10月1日 同区間廃止 西名張の車庫は上野市に移転
2007年3月6日 近鉄が第一週鉄道事業廃止届を提出、伊賀鉄道が1926年以来復活 
2007年10月1日 伊賀鉄道に経営移行
2017年4月1日 近鉄が鉄道施設を、伊賀鉄道が車両を伊賀市に譲渡し、公有民営方式に移行

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2007年までは近鉄の1路線でしたが、今は別会社となっているので近鉄ホームに入るためには改札を通らなければなりません。


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2019年3月 7日 (木)

2018年10月の関西旅行 JR奈良線 その1

2018年10月の関西旅行では、京都から奈良まではJR奈良線を利用し、奈良から王寺まで行き、近鉄田原本線の車両を撮影しました。そこで今回からの記事では国鉄、JR奈良線について触れてみようと思います。以前、103系シリーズで一度奈良線で活躍中の103系に触れており、そのときの内容と重複します。

奈良線、桜井線などを建設、運営した奈良鉄道の紋章

120913_2 2018/10/6 奈良線ホームの駅名標
奈良線のラインから―である茶色となっています。

奈良線は木津を起点に京都までの路線距離34.7km、部分的に複線の単線電化路線(幹線)です。駅数は両端駅を含めて19で、京都から木津方面が下りとなっており、運用は関西本線奈良駅まで乗り入れています。また、木津駅も京都府であることから奈良線とは言え、全線京都府内の路線です。

181006 2018/10/6 京都駅は8~10番線が奈良線ホームとなっています。

1879年8月18日、官営鉄道(東海道本線の一部区間)として京都~稲荷~大谷間(13.09km)が開業しました。後にこの区間は奈良線に

1895年9月5日、奈良鉄道が京都~伏見間を開業、同年11月3日、桃山まで延伸 (後にこの区間は近鉄京都線に)
1896年1月25日、玉水まで、同年3月13日木津まで、同年4月18日、奈良まで開業し全通
1897年4月1日 京都駅を七条駅に改称
1905年2月7日、路線を関西鉄道に譲渡
1907年10月1日 関西鉄道が国有化
1908年8月1日 七条駅を京都駅に統合
1909年10月12日 線路名制定で京都~木津間が奈良線、木津~奈良間は関西本線に

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181006_jr_2 京都からJR藤森までは複線ですが、ここから先は単線となります。

1921年8月1日 京都~伏見間が廃止され、伏見~桃山間の旅客営業が廃止となり、東海道本線の京都~稲荷間が奈良線になりました。さらに稲荷~桃山間に新線が開業しました。

1928年11月15日 伏見経由の旧線の廃線跡を利用して奈良電気鉄道が京都~桃山御陵前間を開業 同年11月3日には桃山御陵前~西大寺まで開業しており、大阪電気軌道の西大寺~奈良間に乗り入れして京都~奈良間が全通しました。

奈良電気鉄道が京都~奈良間に電車を走らせてからというもの、非電化の奈良線は、運行頻度や所要時間の上で勝負にはならず、直通需要が大きく奪われました。

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105_841207 1984/12/1 京都駅 電化直後の奈良線電車 105系
105系オリジナル顔と常磐緩行線103系1000番台から改造されたクハ105が活躍していました。
1994年9月4日、関西空港の開港日ですが、この日で奈良線から105系は退き、桜井線、和歌山線運用のみとなりました。

113_840325 関西本線色の113系
和歌山線の運用ですが、これと同じタイプの車両が奈良線でも活躍していました。

1955年2月15日に全列車が気動車に、1975年12月19日、自動信号化、1982年3月CTC導入、1984年10月1日に漸く京都~木津間が電化されました。

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2019年1月 1日 (火)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その1 概要

明けましておめでとうございます。

本年もどうか宜しくお願い致します。

2018年12月15日青春18切符を利用して、国分寺~高尾~甲府~富士~熱海~東京~国分寺の循環ルートで身延線全線の旅を楽しみました。

身延線に関しては1977年9月23日に同じルートで身延線を全線乗車したのが最初で、その後、富士側から123系の撮影公園保存蒸気の撮影で富士宮あたりまで乗車したことはありましたが、全線乗車は1977年9月以来となりました。

1977年9月23日の旅程

吉祥寺531~高尾614/615~甲府746 機関区など撮影
甲府757~東花輪820 笛吹川橋梁へ EF10貨物665レ 
東花輪927~身延1022 身延駅構内散策  EF15
身延1256~源道寺1251 駅で撮影  身延線電車
源道寺1401~富士1418 駅で撮影 EF10貨物673レ、身延線電車 東海道線貨物列車

19750310 1975/3/10 改正の身延線列車ダイヤ 交友社「電気機関車快走」から

2018年12月14日の旅程

国分寺841~八王子900/902~高尾909/920~甲府1052
甲府1054~(3630G)~富士1352/1430~熱海1509/1512~東京1647/1654~国分寺1730

1977年9月の旅では貨物列車等の撮影も考慮し、途中下車して沿線での撮影もしましたが、今回は3630Gから下車すると後続の電車の間隔が空くこともあり、甲府から富士まで連続乗車しました。

1977年は身延線において大きな変化があった年でした。同線の貨物列車牽引を担当してきた電機がEF10からEF15に置き換えられ始めた時期でした。さらに電車の方でも1974年からモハ72系のアコモ改良版として113系もどきの車体を載せたモハ62、クハ66が投入されていました。こういった車両を記録すべく、身延線撮影旅行に出かけました。

身延線は私鉄の富士身延鉄道が開通させた路線で、江戸時代から明治時代中期まで富士川舟運による物流が盛んだった時代に東海道の岩淵宿(富士川の河口付近、現在の富士市岩淵)から富士川に沿って北上し、市川大門を経由し、甲府に至るルートが中央本線のルートとして構想されました。しかし中央本線のルートは八王子経由となり、1901年に開通しました。それでも駿甲鉄道敷設計画は存続し、1911年に甲州財閥系資本家による富士身延鉄道と身延参詣客の輸送を目的とした身延軽便鉄道計画が持ち上がり、1913年、前者の計画に従って富士~大宮町(現在の富士宮)間が蒸気鉄道として開業しました。1920年5月18日には身延まで延伸しました。1927年6月27日、富士~身延間が電化されました。

富士身延鉄道の経営状態は良くなかったため、運賃も高く沿線住民は国営化を望んだそうで、身延以北は政府が建設することに決まりましたが、1923年に関東大震災が発生し、政府が建設することは不可能となり、国有鉄道の規格で富士身延鉄道が建設し、1928年に甲府まで全通しました。ちなみに甲府まで開業した時点で全線電化されました。

1938年、路線は鉄道省が借り上げ、1941年には国有化されました。1960年頃から日蓮正宗の総本山大石寺参詣への臨時列車が増えた関係で輸送力増強と国道一号踏切対策で富士駅東側での分岐を西側に改め、高架化、富士~富士宮間複線化工事が開始され1974年9月27日に完成しました。

このシリーズでは

1)1977年と2018年の甲府駅
2)身延線の貨物列車
3)身延線の旧国
4)東海道線富士駅で撮影した貨物列車 といったテーマを考えています。

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2018年8月26日 (日)

2018年3月の関西旅行 阪堺電気軌道編 その1 概要

大阪と堺を結ぶ阪堺電気軌道は現在、恵美須町から浜寺駅前までの14.1kmの阪堺線と天王寺駅前から住吉までの4.4kmの上町線の2路線を運行しており、経営的には南海電気鉄道の完全子会社となっています。

ロゴマーク
南海電鉄と同じ形態の阪堺電軌のロゴ 
漢字で書くと全く別ですが、アルファベットではNankaiとHankai

2つの路線はこれまで異なった歴史を歩んで来ており、

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2010/12/6に訪問した際の天王寺駅

180324 2018/3/24 軌道変更等で姿が変わった同駅周辺

上町線1897年5月26日に設立された大阪馬車鉄道株式会社が前身であり、1900年9月20日に天王寺南詰~阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.7kmを、さらに同年11月29日には天下茶屋~上住吉間が、1902年12月27日には上住吉~下住吉間が延伸開業されました。

1906年頃から馬車鉄道から路面電車への動きがあり、内務大臣に申請が出され始め、1907年3月29日には社名を大阪電車鉄道株式会社に変更、さらに同年10月29日には浪速電車軌道株式会社に変更されました。

1909年12月南海鉄道株式会社と合併、大阪市電との連絡から上町連絡線と呼ばれ、1910年10月1日、天王寺~住吉神社前間の電化工事が完成、1913年7月2日には住吉神社前~住吉公園間が延伸開業し、住吉公園駅は南海線住吉公園駅に併設され、連絡駅となりました。

101206_5 2010/12/6 住吉大社

上町線も「住吉さん」への参詣鉄道としてつくられたものです。

1921年12月24日、天王寺~天王寺西門前間を大阪市へ譲渡し、現在の形になりました。上町線に関しては2016年1月31日、住吉~住吉公園間が廃止され、同年12月3日、天王寺駅前~阿倍野間の軌道が新線に変更されました。

101206_3 2010/12/6 終点、恵美須町に接近する車内から

101206_4 2010/12/6 近くには大阪名物「通天閣」もあります。この通天閣は二代目で1956年に建設されました。初代は1912年7月3日、パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を載せたような形態でつくられました。1943年、足下の映画館の火災で損傷し、戦争による鉄材の供出で解体されました。

この付近は新世界と呼ばれる繁華街で1903年の第5回内国勧業博覧会がきっかけで整備されたとのことです。コテコテの大阪の中心ですね。

一方、阪堺線1910年3月8日阪堺電気軌道株式会社が設立され、1911年12月1日、恵美須町~市之町(現在の大小路)間が開業しました。1912年3月5日、市之町~少林寺橋(現在の御陵前)、4月1日、少林寺橋~浜寺(現在の浜寺駅前)間が延伸開業しました。大浜支線、宿院~大浜水族館間が開業しました。1912年8月26日に、大浜支線 大浜水族館前~大浜海岸間、同年11月30日には浜寺~浜寺終点間が延伸開業しました。1914年4月26日には阪南電気鉄道株式会社の目指していた今池~平野間5.9kmが開業しました。

南海鉄道1915年6月21日、阪堺電気軌道株式会社の路線と電灯事業、電力事業を継承する形で同社を合併しました。平野支線は独立路線に昇格、大浜支線は従来通り、阪堺線の支線となりました。1917年3月15日、前年末から休止状態だった浜寺~浜寺終点間が廃止となり、阪堺線の路線が形成されました。

101206_6 2010/12/6 浜寺駅前終点にアプローチ

101206_7 2010/12/6 浜寺終点 昭和の風景が残る終点でした。

1944年6月、南海鉄道株式会社は戦時中の企業統合政策で関西急行鉄道株式会社と合併させられ近畿日本鉄道株式会社となり、上町線、阪堺線も同社の天王寺営業局所属となりました。1947年6月1日、近畿日本鉄道株式会社から旧南海鉄道株式会社に属していた鉄道・軌道ならびに付帯事業一切が高野山電気鉄道株式会社が名前を改めた南海電気鉄道株式会社に譲渡され、上町線、阪堺線、平野線、大浜支線は同社の軌道線となりました。

軌道線は1955年頃までは全盛時代でしたが、モータリゼーションの進展と道路交通の激化で利用者の減少、人件費の高騰、諸経費の高騰で損失が計上され、1980年7月7日には2代目阪堺電気鉄道株式会社が成立、11月28日には大阪市営地下鉄谷町線の延伸開業で平野線が廃止、さらに1949年から休止状態だった大浜支線も廃止となり、上町線、阪堺線の営業権が南海電気鉄道株式会社から阪堺電気軌道株式会社に譲渡され、分社独立なりました。

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2018年8月19日 (日)

2018年3月の関西旅行 南海電鉄編 その29 天王寺支線

南海天王寺支線は天下茶屋から天王寺までの2.4kmを結んでいた路線で、

天下茶屋~曳舟~今池町~大門通~飛田本通~天王寺 の6駅からなる路線でした。

Img_7673 2018/3/23 天下茶屋駅のホームから見たアベノハルカス

1900年10月26日に南海鉄道が大阪鉄道(初代)との相互乗り入れを目的に開通させた路線でした。大阪鉄道は関西本線の湊町(現、JR難波)~奈良間、大阪環状線の天王寺~玉造~大阪間、和歌山線の王寺~髙田間、桜井線の髙田~桜井間を建設・運営していた会社ですが同年関西鉄道に合併され、1907年には国有化されました。

天王寺支線開業後は住吉駅(粉浜と住吉大社間にあった駅で1917年に廃止されました)から大阪駅間直通の旅客、貨物列車が運行されました。

1520_741006

再掲ですが、1974/10/6 天下茶屋

120317 2012/3/17 JR西日本 新今宮駅名標

180323 2018/3/23 南海 新今宮駅名標

戦後も国鉄との重要な接続路線で、複線電化されていましたが、1961年4月25日には大阪環状線が開業し、1964年3月22日には南海本線との交差部分に新今宮駅が設置、開業となり、1966年12月1日には南海の駅も開業しました。このために天王寺支線の利用者は激減し、貨物列車の中継線としての役割も1977年の貨物営業廃止で終了しました。尤も、深夜に通過する貨物列車の騒音は沿線住民を悩ませていたそうです。

030329 2003/3/29 新今宮から天王寺方向
関西本線線路(右の複線)の右側に天王寺支線の線路が残されており、南海天王寺駅のホームは現在、天王寺MiOとなっています。

1984年に大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋駅延伸のための用地の確保、同駅の高架化の影響で天下茶屋~今池町間は廃止となり、さらに部分廃止により単線化され、新駅に飛田本通駅が設置されました。1993年に地下鉄工事の進展で全線廃止となりました。

廃線後も地図上では天王寺支線の跡は堺筋以東は道路で、堺筋以西は地下鉄堺筋線の路線で追うことが出来ます。

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2018年8月16日 (木)

2018年3月の関西旅行 南海電鉄編 その26 加太線 part3

加太線の終点、加太駅から海岸までは直線で1km弱の距離です。

Dsc04598 2018/3/23 加太・友ヶ島観光ガイド
加太を先端部とする半島には北から観音崎、住吉崎、城ケ崎、田倉崎といった岬があり、観音崎は大阪府です。

加太は現在、和歌山市の一部ですが、

1889年4月1日  町村制施行で、海部(あま)郡加太浦、深山村、大川浦が合併して加太村が誕生
1896年3月26日 海部郡と名草郡が統合され、海草郡となる
1899年4月1日 町制施行で加太町に
1958年7月1日 市町村合併で和歌山市に編入 
といった歴史を辿っています。

紀伊半島の最西端は田倉崎で沖合には友ヶ島(地ノ島、神島、沖ノ島、虎島)が浮かびます。これらの島々が紀伊半島と淡路島東岸で囲まれる楕円形の大阪湾を囲み、紀淡海峡を3つ、東側から加太ノ瀬戸、中ノ瀬戸、由良瀬戸に分けています。

Dsc04595 加太港に係留される漁船群

加太は紀淡海峡に面した漁業の盛んな場所で、湾の南半分が漁港、北半分が海水浴場となっています。この辺りは神話の時代からの言い伝えがあり、神武天皇東征の際に紀国造氏の祖である天道根命が神鏡と日矛を奉じて加太浦に上陸、頓宮を造営したのが加太春日神社の始まりとされています。1596(慶長元)年建立の本殿は国指定、重要文化財です。

Dsc04599 淡嶋神社の大鳥居

一方、加太淡嶋神社は日本国内に1000社以上あるとされる淡嶋神社の総本社で、日本を創造した少彦名命と大己貴命の祠が加太の沖合の神島(淡島)に祀られていたのが始まりで、三韓出兵の帰途、海難に遭遇した神功皇后が船中で祈りを捧げ、無事友ヶ島に上陸でき、三韓渡来の宝物を奉納したそうです。

数年後に孫の仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際にそのことを知り,島では何かと不自由であろうということで対岸の加太に社を移したのが加太淡島神社のいわれとされています。現在は人形供養や針供養でも有名だそうです。

Dsc04602 紀淡海峡と友ヶ島

Img_7644 友ヶ島の向こうには淡路島が見えます。

大阪湾の防衛という意味でも重要な場所で大日本帝国陸軍が由良要塞を設置しました。由良要塞は、淡路島の由良に司令部がおかれ生石山砲台、成山砲台、高崎砲台、赤松山堡塁、伊張山堡塁、生石山堡塁からなりました。友ヶ島には沖ノ島と虎島に友ヶ島第一~第五砲台と虎島保塁が置かれました。そして加太・深山地区には深山第一、第二砲台、男良谷(深山第三)砲台、城ヶ崎探照灯台、大川山堡塁、高森山保塁が置かれ、南部の鉢巻山には加太砲台、田倉崎砲台、東部の佐瀬川保塁、西ノ庄保塁が置かれました。1903年5月には鳴門地区に置かれた鳴門要塞が編入されました。

大阪難波から和歌山市で電車を乗り継いで2時間弱で到着できる場所ですが、関東在住の人間としては人生初めての訪問地でありました。

ちょうど昼食の時間帯でしたので、ここでなければというものを食べようと思い

Dsc04606
ちょうど営業中だったゑびす屋さんで、すでにシラス定食は売り切れでしたので

Dsc04605
ハマチとイカの刺身定食を食べました。

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