2023年6月 6日 (火)

2023年 北九州旅行 その1 関門鉄道トンネル(山陽本線)

本州西端の山口県下関市と九州北端の福岡県北九州市の間には日本海・響灘と瀬戸内海・周防灘を結ぶ関門海峡があり、海峡の幅は最狭部の早鞆の瀬戸で約600mとなっています。

Dsc045262016/10/15 早鞆の瀬戸に架かる関門橋(九州側から)

Dsc04524 2016/10/15 早鞆の瀬戸に設置されている門司埼灯台の説明板

 本州と九州を結ぶルートとして国道2号の関門トンネル、山陽新幹線の新関門トンネル、関門自動車道の関門橋はこの早鞆の瀬戸付近で海峡を越えているのに対し、山陽本線の関門トンネルだけが、彦島と大里間の大瀬戸にあります。その理由は大瀬戸の方が水深が浅く、高架の下関駅からアプローチする際の勾配を緩く設計することが可能だったこと、また既存の鉄道路線(山陽鉄道が敷設・開業した馬関(→下関)駅、初代九州鉄道が敷設した大里駅)との接続の関係を考慮したためです。

041017

2004/10/17 門司港側の船着き場
今でも下関の唐戸と北九州の門司港を結ぶ航路は関門汽船によって営業されており、航行時間は5分、料金は大人片道400円です。

 トンネルが掘られる前は旅客は航路、貨物は埠頭に引きこんだ貨物線に貨車を入れ、貨物を引き出して艀に載せ替え、対岸で逆の作業をする方式から始まり、1911年3月1日から貨車ごと船に乗せる貨車航送が始まりました。旅客は門司(今の門司港付近に接岸する関門航路に対して貨物は小森江付近に発着するため関森航路と呼ばれていました。
 旅客にとっても貨物にとっても船に乗り換えるのは不便であるため、海峡に橋を架ける案、トンネルを掘る案が検討され、それぞれ調査が行われました。予算的にはトンネルの方が少額であったこと、そして他国から攻撃を受けにくいことでトンネルを掘る方向で行くことになりましたが、1919年当時は第一次世界大戦後の物価高騰で予算が膨れ上がったこと、1923年には関東大震災が発生し、その復興で予算が削減されたことで計画は延び延びになりました。当時の鉄道省は1925年に検討を再開しましたが、1929年には昭和大恐慌が起こり、再び予算が削減されました。1931年には関門間の貨車航送は激増し、1935年になって漸く着工予算が承認されました。

工事の施工は両端の取り付けトンネルに関しては開削工法が採られ、下関側が間組、門司側が大林組に請負され、海底部分は鉄道省直轄で担当となりました。複線トンネルにした場合、断面積が大きくなり海底のより深い場所を通ることから、トンネル総延長が長くなり、既存路線への取り付けに影響が出ること、施工自体、単線トンネルの方が容易であること、万が一列車脱線事故が発生した場合、上下線ともに通過不可能になる事態が予測されること、当面の輸送力は単線トンネルで十分であることなどから、まず下り線トンネルの工事が1936年9月19日に着工されました。地質調査の結果、下関側からは普通工法、門司側はシールド工法、圧気工法、潜函工法が採用され、1942年3月27日に下り線トンネルが貫通しました。同年7月1日には貨物列車の運転開始でトンネル開業、11月15日には旅客列車の運転も開始となりました。

ミッドウエイ海戦の惨敗など戦局の悪化(といっても国民には知らされてなかった)などから軍部は九州の石炭を早く本州に輸送すべきと主張し、上り線の工事着工、開通が急がれ、1944年8月8日には上り線も開業となりました。

230531 230531-2 2023/5/31 門司駅 5,6番線ホームに設置されている関門トンネルに関する説明板

本州と九州を関門トンネルを通過する旅客列車が415系1500番台だけとなってしまった現在、関門トンネルの重要性が忘れられるのを憂慮してのことなのか、門司駅の5,6番線ホームには素晴らしい関門トンネルに関する説明板が設置されていました。あまりの詳しさに時間を忘れて読みふけってしまい、列車に乗り損ねることがないか心配です(笑)。

関門トンネルは上り下り単線トンネル2本から構成されており、下り線トンネルは全長3,614.04メートル、上り線トンネルは全長3,604.63メートルとなっています。開通は下り線が1942年7月1日、上り線が1944年8月8日で最深部は-36.39 m(下り線)、-38.4 m(上り線)、勾配は当時の機関車の牽引能力から20‰(下り線)、25‰(上り線)とされました。

Eh50067-2075-230531 2023/5/31 関門トンネル門司側抗口から顔を出したEH500牽引貨物列車(67号機牽引、2075レ)
小森江方向の側線に停まっているのはこの3月のダイヤ改正で運用を外れた415系鋼製車

Eh5006665-762-230531-19 2023/5/31 単機重連762レ 単線運用のため、下り線を通り、下関・幡生操車場に向かうEH500-66/65機重連

811-p2014-230531

230531-2_20230605073401

2023/5/31 門司駅上り線出発信号機

関門トンネルの単線運用は日常的に行われている関係で、門司駅構内の出発信号機をよく見ると、鹿上:鹿児島本線上り(門司港方面)の他、山上、山下は関門トンネルの上り線、下り線通過を意味していることが分かります。

415-fo1514-230531-41 2023/5/31 門司

旅客線の交直切換えのためのデッドセクションはトンネルを抜けて、ホームとの間にあり、その間に415系の前照灯が片目になるのが特徴的です。

Eh50073-1091-230531-42023/5/31 EH500-73号機牽引 1091レ

Ds-0410182004/10/18 門司駅 小倉方

貨物線のデッドセクションは ホームを過ぎて北九州貨物ターミナルに向かって下る途中にあります。これは万が一、デッドセクションでトラブルが発生した際に長大編成の貨物列車がトンネル内に逆走するのを防ぐためと思われます。

230531_20230605075101門司駅構内のキロポスト

山陽本線の神戸からの公式距離は534.4km、鹿児島本線門司港起点から5.5kmですから、山陽本線の距離表示がちょっと違いますが?

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2023年1月13日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 41 名鉄の20路線ネットワークはどのようにして作られていったか

今回の記事では今日の名鉄20路線のネットワークがどのようにして形作られたかを年代を追いながら見て行こうと思います。

S_20230112101201

名古屋鉄道は現時点で鉄道企業20、バス企業1、不動産企業2の合計23企業を合併、多数の交通運輸事業を譲り受け、郊外電気鉄道網を形成し、営業範囲は愛知県から岐阜県の大半に及び、営業路線網は近畿日本鉄道、東武鉄道に次ぎ民鉄第3位に鉄道会社に成長しています。

そもそもの始まりは1894年6月25日に免許が下付された愛知馬車鉄道で、最初は資金調達が難航しましたが1895年京都電気鉄道の建設に尽力した実業家大澤善助が経営に参加し、馬車鉄道から電気鉄道に変更したことで電気鉄道敷設の免許を得ることが出来、1896年6月19日、社名を名古屋電気鉄道と改めました。1898年5月6日、我が国で2番目となる電気鉄道が笹島~柳橋~御園町~七間町~県庁前間に開業となりました。

1897年 1896年に設立した豊川鉄道が吉田(現、豊橋)~豊川間を開通、1900年9月23日、大海まで全通、
     鳳来寺鉄道伊那電気鉄道三信鉄道と合わせて1937年8月20日、辰野まで全通(後の飯田線に)。

1900年 1896年に設立された尾西鉄道弥富~新一宮間全通

1901年 押切線 柳橋~押切町開通 

1903年 千種線 久屋町~千種間開通

1905年 1902年設立の瀬戸自動鉄道瀬戸~矢田間開通 

1911年 1909年設立の美濃電気軌道が岐阜駅前~本町、神田町~上有知間開通、御黒門線・江川線・覚王山線開通 

1912年 1910年設立の愛知電気鉄道が伝馬町~大野町間開通、最初の郡部線枇杷島~西印田間、岩倉~犬山間開通

1913年 一宮線 西印田~東一宮間開通、一宮線全通

1914年 津島線 枇杷島橋~新津島間開通、1912年設立の三河鉄道刈谷新~大浜港間開通 
     1910年設立の西尾鉄道(設立時が西三軌道西尾~港前間開通

1921年 名古屋鉄道設立、名古屋電気鉄道の地方鉄道部の事業譲受

1922年 愛知電気鉄道が東海道電気鉄道合併、名古屋市に市内線を譲渡

1923年 蘇東電気軌道合併、愛知電気鉄道 神宮前~東岡崎間全通

1924年 谷汲鉄道各務原鉄道設立 

1925年 尾西鉄道の鉄道事業譲受、碧海電気鉄道設立 

1926年 愛知電気鉄道が西尾鉄道合併、尾北鉄道設立、東美鉄道設立 

1927年 愛知電気鉄道、神宮前~吉田(現、豊橋)間開通、知多鉄道設立、城北電気鉄道設立 

1928年 押切町~新一宮間全通

1929年 城北電気鉄道と尾北鉄道の事業継承 

1930年 美濃電気軌道と合併し、社名を名岐鉄道と改称 

1931年 知多鉄道 太田川~成岩間開通 

1935年 各務原鉄道合併、押切町~新岐阜間開通、名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併し、社名を名古屋鉄道と改称 

1936年 谷汲鉄道の経営を受託

1937年 勝川線、味鋺 - 新勝川間を廃止(1931年2月11日、名岐鉄道が城北線の一部として開業)

1939年 瀬戸電気鉄道合併 

1940年 渥美電鉄及び豊橋自動車合併

1941年 新名古屋駅開業、新名古屋~枇杷島橋間開通、三河鉄道合併 

1943年 知多鉄道、東美鉄道、竹鼻鉄道合併

1944年 東西連絡線完成(新名古屋~神宮前間開通)、豊川鉄道、鳳来寺鉄道、碧海電気鉄道、谷汲鉄道合併

1946年 三河線の貨物支線(碧南~玉津浦間)大浜口支線廃止

1948年 清洲線 丸の内~清洲間線路供出による廃止

1954年 渥美線新豊橋~三河田原間を豊橋鉄道へ譲渡 、起(おこし)線 新一宮~起間廃止、渥美線 碧南駅 - 玉津浦駅間廃止、
     小坂井支線 伊奈~小坂井間廃止

1955年 新川口支線 新川町~新川港館貨物支線廃止

1959年 旧西尾線 福岡町~西尾間廃止、尾西線 玉ノ井~木曽川港間廃止 両線とも戦時中の休止から復活することなく廃止

1960年 平坂支線 西尾~港前間 閑散路線として廃止、高富線 長良北町~高畠間廃止

1961年 安城支線 南安城~安城間廃止

1962年 モノレール線犬山遊園~動物園間開通(日本初の跨座式モノレール) 、岡崎市内線、福岡線 岡崎駅前~岡崎井田間廃止
     挙母線 岡崎井田~大樹寺間廃止

1964年 岩倉支線 岩倉~小牧間廃止、鏡島線 千手堂~西鏡島間廃止

1965年 一宮線 岩倉~東一宮間廃止

1973年 挙母線 大樹寺~上挙母間廃止

1976年 瀬戸線 堀川~東大手間廃止

1978年 瀬戸線栄町乗入れ開業 

1979年 豊田線開業、地下鉄鶴舞線と相互直通運転開始 

1980年 知多新線全線開通

1982年 羽島線開業 

1984年 知立連絡線 廃止

1988年 岐阜市内線 徹明町 - 長良北町間廃止

1990年 神宮前~金山駅間複々線が完成

1993年 犬山線と地下鉄鶴舞線との相互直結運転開始

1999年 美濃町線 関 - 美濃(実態は新関 - 美濃)間廃止

2001年 八百津線 明智~八百津間廃止 竹鼻線 江吉良 - 大須間廃止 谷汲線 黒野~谷汲間廃止 揖斐線 黒野 - 本揖斐間廃止

2003年 上飯田連絡線開業、小牧線と地下鉄上飯田線との相互直通運転開始  

2004年 三河線 西中金 - 猿投間、碧南 - 吉良吉田間廃止

2005年 空港線開業 岐阜市内線 岐阜駅前 - 忠節間廃止 美濃町線 徹明町 - 関間廃止 揖斐線 黒野 - 本揖斐間廃止
     田神線 競輪場前~田神間 廃止 
2008年 モンキーパークモノレール線 犬山遊園~動物園間廃止

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2023年1月11日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 39 尾張瀬戸から栄町へ

尾張瀬戸駅は貨物取扱廃止までは構内に貨物側線が残っていましたが、1978年2月15日の貨物取扱廃止以降、旧貨物側線は電留線として整備されました。これは栄町乗り入れにより、運用車輌が増加するのに対する措置でした。さらに駅舎に関しても大正時代以来の2代目駅舎が長らく使用されて来ましたが、2000年に国土交通省の鉄道駅総合改善事業として事業主体となる尾張瀬戸駅整備株式会社(第三セクター)を設立し、2002年には電留線の配線変更、2005年には駅前公共施設パルティせとの開設、駅前バスターミナルの整備などの再開発が行われました。

Dsc01322 2022/8/4 この写真では分かりませんが、現在の3代目駅舎は陶都瀬戸をイメージした登り窯の形をしています。
1面2線のホーム、頭端式構造です。

Dsc01325 瀬戸線は他の名鉄路線とは接続の無い孤立路線のため、瀬戸線内各駅と名鉄他線の間を地下鉄等で移動し乗り継ぐ際、瀬戸線内の距離数と名鉄名古屋、金山から先の名鉄線の距離数を通算する特例運賃が設けられていましたが2006年に廃止されました。


Dsc01319 昨日の記事にある電留線は2002年の配線変更で2本になりました。運用車輌の半数が滞泊し、日中は1編成が留置されています。

瀬戸線では普通以外に急行・準急が運行され
急行は途中、東大手、大曾根、小幡、喜多山、大森・金城学院前、三郷、新瀬戸に停車
準急は途中、東大手、大曾根、小幡、喜多山以降各駅に停車  という停車駅設定になっていますが、途中での追い抜きが無いため(喜多山駅にしか退避設備がない)、追い抜きはなく先発列車が先着するダイヤとなっています。

車両の検査は尾張旭駅に隣接した尾張旭検車支区で行われ、かつては大曾根駅での中央本線との貨物連絡線を使用しての車両の搬入、搬出が行われていたこともありましたが、現在は重要部検査や全般検査の際は台車・主要機器を車体から取り外し、トレーラーで道路上を名古屋本線の名電山中~藤川間にある舞木検査場まで陸送する方式となっています。

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2023年1月10日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 38 瀬戸線の歴史と1986年12月の瀬戸線

瀬戸焼の産地である瀬戸と名古屋を結ぶ鉄道、特に貨物輸送の開設機運は明治20年代に高まり、当時、国は中央本線の整備を進めていましたが、その誘致には失敗してしまいました。瀬戸から鉄道を敷設すれば中央本線に大曾根駅を開設するという意向を取付けた地元は加藤杢左エ門らの出資で1905年4月2日瀬戸自動鉄道として瀬戸から矢田川を渡る手前の瀬戸~矢田川間14.6kmの開業に漕ぎつけました。矢田川の架橋工事は困難を極めましたが、1906年には大曾根駅まで開業しました。中央本線に大曾根駅が開業したのは1911年でした。

開業当初は非電化で我が国では唯一となったフランスの技師レオン・セルポーレが1887年に開発したコークスを燃料に、半月形断面の水管を使用したセルポレー式蒸気動車3両が導入されたましたが、燃料切れなどの問題が多発し、1906年には瀬戸自動鉄道は瀬戸電気鉄道に改称、1907年には同線は直流600Vで電化されました。ただ、当時の電気の供給は不安定で1910年頃までは蒸気自動車も併用され、停電日、時間帯が解消された1911年までは活躍していました。

中央本線の大曾根駅は一向に開業にいたらなかっらため、名古屋都心部への路線が計画され、名古屋城の外堀を経由する「外濠線」や車道沿いに新堀川に至り、瀬戸物を堀川を運航する貨物船に積み替えるため、外濠線が建設されることとなりました。用地買収的には問題はありませんでしたが、名古屋城の外堀を経由するため、ガントレット(狭窄線・搾線 :単線分より広めの用地に複線の線路を重なるようにはめ込んだもので複線区間ではあるがすれ違いはできない)やサンチャインカーブ(曲線半径60mの急カーブで1チェーンが20mのため)といった特殊な線形が使用されました。

輸送力増強で1929年には全線複線化され、好況により貨物収入による増収の時期もありましたが、日中戦争の長期化による鉄道輸送統制強化などで1939年には名古屋鉄道と合併、同社の瀬戸線となりました。

戦後、空襲の被害はそれほど大きくなかったので運行の再開は早かったのですが1948年1月5日には大森駅(現、大森・金城学院前駅)東側で多数の初詣客を乗せた車両が横転する事故が起こり、多数の死傷者を出す瀬戸線史上最悪の惨事が起きてしまいます。

この事故を受け、線路改良、路線強化などの近代化が進められ、輸送上のネックとなっていたお濠区間の整備と名古屋都心への乗り入れを如何に実現するかが大きな問題となり、市営地下鉄との相互乗り入れも検討されましたが全て頓挫し、名古屋市との間で栄~大曾根間の競合を避けるため八事~赤池間の免許の譲渡と栄乗り入れの協定が結ばれ、1978年8月20日、名鉄長年の悲願であった栄乗り入れが実現となりました。これに先立ち、1978年2月15日には貨物営業の廃止、同年3月19日には架線電圧の1500V昇圧も行われました。このときに瀬戸線に投入されたのが6600系、3730系、3770系、3780系といった車両達でした。最高速度はそれまでの70km/hから80km/hに上げられました。

6600-861206

1986/12/6 尾張瀬戸駅 逆光のため潰れていますが、瀬戸線専用車両として1500V昇圧後、導入された6600系 
6000系の瀬戸線バージョンとして昇圧後、2両編成(ク6600形+モ6700形)が6本投入されました。現在活躍中の4000系の投入により、2013年3月5日に全車両廃車となり、形式消滅しました。

3780-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3780系 3785F

名鉄の車両では吊り掛け駆動車のうち、間接主導診断制御器を搭載したHL車「Hand-operated Load control」(非自動加速〔手動負荷〕制御)に属し、HL制御車3700系、3730系、3770系の流れを汲んだ車両で1966年11月から12月にかけ、制御電動車モ3780形、制御車ク2780形の2連10本が日本車輛製造本店で製造されました。3780系はこれらの中で冷房を初めて搭載した車体更新系列です。当初は本線に投入され三河線直通特急「かえで号」などで運用されましたが、1978年の瀬戸線架線電圧昇圧後は車体カラーをクリーム地に赤帯(導入当初はライトパープル一色塗)から写真のようなスカーレット一色に変更、地下線対策として車体の不燃構造化改造が施されました。1995年に6000系2連に置き換えられ形式消滅、HL車も全廃となりました。

3770-2776-861206 1986/12/6 尾張瀬戸 3770系 ク2776

1950年代当時に多数在籍した木造車体の車体更新を目的に1957年から登場したのが3700系で1964年には高運転台、1400mm両開き扉とした3730系が登場、1966年には転換クロスシート装備となったのが3770系でした。瀬戸線昇圧の際に2両が転属、その後全車転属しました。1990年に瀬戸線から引退しました。

861206 尾張瀬戸駅のそばに掲示されていた瀬戸市内案内図

ちなみに開業時の瀬戸駅が尾張瀬戸駅に改称されたのは1921年2月19日のことでした。

今回、1986年12月の名古屋出張の際に寄り道した瀬戸線訪問のことを思い出し、スライドをスキャンしましたが、訪れたときにはこんな写真役立つだろうかと思いつつ撮影した写真でしたが、時間の経過は意外なところで面白い結果を生むと感じだ次第です。

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2023年1月 6日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 36 猿投から梅坪、豊田線で赤池へ

12月28日の記事にあるように三河(山)線は1924年10月31日、猿投まで開業、その後、1928年1月22日には西中金まで延伸しましたが、2004年4月1日、猿投~西中金間は廃止となりました。Dsc01279 2022/8/4 駅名標

Dsc01280_20230105110301 猿投検車支区で休む6000系4連

駅の横には猿投検車支区があり、三河線の主力である6000系編成が入換、洗車などをしているのを見ることができます。三河線の車庫はかつて刈谷に検査場がありましたが、1979年6月10日にこちらに移設されたそうです。配置されているのは豊田線用の100系、200系と三河線の6000系です。

Dsc01283_20230105111001 こうやってみていると6000系には側面窓のみならず側扉の窓にもバリエーションがあるのが分かります。

Dsc01286_20230105111201 梅坪

Dsc01288 駅名標

名鉄の駅ナンバリングの特徴は2線以上が使用する駅のナンバーは(恐らく)先に開業した線のナンバーのみをつけ、後から開業した線のナンバーは隣駅から順に振っていることです。豊田線の路線記号はTTで梅坪駅にTTナンバーは無く、隣の上豊田駅がTT01となっています。

Dsc00873_20230105113001 2022/8/3 犬山線から広見線、小牧線が分岐する犬山駅も駅ナンバーはIY15で広見線のHM01は富岡前、小牧線のKM01は羽黒に振られています。

160605 2016/6/5 東村山駅 駅名標
西武線の東村山駅のように国分寺線のSK05と新宿線のSS21の両方が振られている方式とは異なります。

Dsc01291 梅坪からは6000系を押し潰したような100系で赤池へ

愛知県の中枢中核都市、豊田市と県庁所在地名古屋市を結ぶ鉄道ルートはかつては三河線~知立~名古屋本線の大廻ルートしかありませんでしたが、1979年7月29日に名古屋市地下鉄鶴舞線との相互直通運転路線として開業したのが豊田線でした。

豊田市、かつては挙母(ころも)藩→村から名古屋中心部へルートは1926年に挙母~八事間・天白~大曾根間の鉄道敷設免許が西三鉄道に下付され、1927年には三河鉄道も参画、社名を新三河鉄道とし、1929年には尾張電気軌道の千早~東八事・大久手~今池間の軌道事業を譲り受けましたが、事業は頓挫し、1937年には会社は解散となりました。1941年に三河鉄道は名古屋鉄道に合併となり、鉄道敷設事業は名古屋鉄道が引継ぎ、1978年10月1日に赤池まで開通していた鶴舞線に接続する形で豊田市までの鉄道路線の開業にいたりました。

Dsc01294 梅坪を15:43に出発し、上豊田、浄水、三好ケ丘、黒笹、米野木、日進と停車し、16:01に赤池に到着

Dsc01295 ここからは名古屋市営地下鉄鶴舞線に乗り入れ、車両は犬山線の上小田井まで行きますが、私は切符を買うために一旦下車。
この後は鶴舞線で上前津、名城線で栄に向かい、瀬戸線に乗車となりました。

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2023年1月 5日 (木)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 35 碧南~知立~猿投 三河線 海線から山線へ

三河線、海線で碧南に到着後は折り返します。

Dsc01252

2022/8/4 駅名標

碧南市は東側は矢作川の河口、西側は細く深く内陸部まで入った衣浦湾に挟まれており、同湾には衣浦トンネル(全長1.7km)が横切っており、県道265号線で半田市と結ばれています。このトンネルは海底に溝を掘り、トンネルエレメント(沈埋函)を沈める沈埋式工法で開通した国内では3例目(1例目は1944年開通の大阪市の安治川トンネル、2例目は1964年開通の首都高速1号線の羽田トンネル)で前2例がいずれも河底に設置されたのに対し、衣浦トンネルは初の海底トンネルとなりました。1973年8月1日に開通しましたが、交通量の増大で北側に新衣浦トンネルが設置され2003年3月19日に開通しました。
午前中に河和線知多半田駅を通りましたが、碧南駅は意外とそのそばであったことが後で分かりました。

Dsc01261

Dsc01264知立駅を出発する碧南行 6000系4連

碧南駅にも1編成4連の6000系がいましたが、三河線では2連以外に4連の6000系も活躍しています。

Dsc01263知立駅に戻った6000系は海線碧南方面へは行かず、山線猿投行となる運用でした。

Dsc01265_20230104092501
山線には知立~猿投間は両端駅を含め12駅あり、平戸橋以外の駅で列車交換が可能で土橋駅と豊田駅以外は島式ホーム1面2線方式となっています。三河知立駅は現在の知立駅が誕生する前の知立駅で愛知電気鉄道との接続駅でもありました。ここには電留線があり、土橋駅と終点猿投駅にも電留線があり、猿投駅には検車支区が併設されています。

Dsc01269_20230104094801
三河知立駅を出ると複線区間となりますが、

Dsc01270_20230104095401連続立体交差化の高架線は複線で用意されていますが軌道は単線になります。知立駅付近の連続立体化と合わせ、三河知立駅は移転する予定だそうです。

前述の通り、海線と山線では路線記号も別々になっており、前者がMUなのに対し、後者はMYとなっています。若林駅や竹村駅で列車交換する場合は島式ホームを挟んで右側通行方式で列車は入線します。これは構内踏切の位置関係やかつてのタブレット閉塞方式時代の名残と言われています。
豊田市~梅坪間は豊田線の列車も走行する関係から複線となっており、

Dsc01272 雨模様になってきましたが、梅坪で三河線は右に分岐します。

Dsc01275_20230104100401 14:50に知立を出発して34分後の15:24に終点、猿投に到着します。

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2023年1月 4日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 34 知立~碧南 三河線 海線の旅

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。2012年10月に開始した拙Blogですが、早いもので10年が過ぎ、11年目に突入しました。これからも鉄道を中心とした話題にいろいろ味付けをしながらやってゆきたいと思います。

昨年8月の名古屋遠征で乗車した名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、今回は三河線海線です。

Dsc01233 2022/8/4 知立駅に進入する豊橋行 1000系 特急 

Dsc01235

岐阜方の4両は1200系で写真の編成はモ1414を最後尾にしたA4編成

Dsc01236

知立駅は周辺の交通渋滞解消、線路による市街地分断の解消のため高架化工事が進行中

Dsc01237

知立駅に到着する三河線の車両 ここでは6000系が主力として活躍中

Dsc01239 知立駅を出発するとすぐに左方向に猿投方面の山線、右方向に碧南方面の海線の分岐になります。

Dsc01240_20230103093101 海線は知立を出発し、次の重原の先まで複線区間が続きます。

Dsc01241_20230103093301

重原を出発するとすぐに単線になります。

Dsc01242_20230103093901 重原の次の駅がJRとの接続駅でもある刈谷駅です。

Dsc01244 南線には両端駅を含め12駅あり、吉浜と高浜港、碧南中央以外は交換可能駅ですが、これまで相対式ホームが圧倒的に多かった名鉄の中では三河線海線、山線のみが島式ホームが大多数を占めています。南線では重原と新川町のみが相対式ホームとなっています。

Dsc01245 三河高浜 何度か列車交換がありましたが、すべて6000系でした。

6000系も1976年から1985年まで10次に渡り製造され、1980年製造の5次車からは側窓が開閉式になる変化が見られます。後日、車両編でその辺りはじっくり見て行きたく思います。

Dsc01246_20230103100001 フォーカスが合ってませんが三河線では数少ない、相対式ホームの新川町駅

Dsc01248

13:31に知立を出発後、36分後の14:07に終点、碧南に到着です。

Dsc01249

現在は終点となっていますが、かつては記述の通りここから吉良吉田、さらには蒲郡まで線路が繋がっていました。

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2022年12月28日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史

名古屋本線で知立駅に到着後は当駅から南北に出ている三河線に乗車します。

三河線は現在、知立~猿投(さなげ)間の山線、知立~碧南間の海線に分かれています(接続の様子は常磐線柏駅における常磐線、東武野田線アーバンパークラインと似ています)。駅記号番号も山線がMY、海線はMUと別れており、直通で運転される列車もありませんが(碧南発知立行、そのまま猿投まで運行という運用はあります)、歴史的には大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道本線に接続し、知立を通る碧海軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)が1910年10月に申請され、1911年7月18日に免許が下付されました。同年8月5日に免許が下付された知立~挙母間の知挙軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)と合同することとなり、1912年5月30日には社名を三河鉄道とし、軌間も1067mmに変更となりました。

1913年1月 刈谷から大浜港まで工事着手
1914年2月5日 刈谷新~大浜間開業
1915年10月28日 刈谷新~知立間開業
事業不振で経営陣の総辞職などもあり、株主達の要請で三河国幡豆郡松木島村出身の実業家 神谷傳兵衛1916年4月に社長に就任、
1916年11月 北の終点を猿投に延長することを決定
1920年7月5日 知立~土橋間開業 8月31日~上挙母、11月1日~挙母
1922年1月17日 ~越戸まで開業
1924年10月31日 ~猿投まで開業
1926年2月5日 大浜港~猿投間電化 9月1日 大浜港~神谷間開業
1927年8月26日 猿投~枝下間開業、9月17日 ~三河広瀬まで開業
1928年1月22日 ~西中金まで開業 8月25日 神谷~三河吉田間開業
1936年11月10日 三河吉田~蒲郡間開業 三河線として全通
1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併 西中金~蒲郡間が三河線に
2004年4月1日 碧南~吉良吉田間、猿投~西中金間を廃止。


名古屋本線の知立駅と三河線の知立駅は今は一体化していますが、元は愛知電気鉄道と三河鉄道と別の鉄道会社であり、両線が立体交差する場所に知立(三河鉄道)、新知立(愛知電気鉄道)を設け、1941年6月の合併後、駅名は統一されました(二代目:知立駅)。1959年4月1日、三河線が名古屋本線に乗り入れられるよう、駅を現在の場所に移設、三代目:知立駅となりました。旧駅は初代三河線の知立駅は三河知立に、名古屋本線の新知立駅は東知立と改称されました。

知立駅付近は鉄道により市街地が分断され、慢性的な交通渋滞も発生していること、名古屋本線の知立駅には待避線がなく緩急接続ができないこと、三河線との乗り換えに階段を使用しなければならない問題点を解消するため、2000年から高架化、多層駅化事業が開始され、将来的には2階に2面4線の名古屋本線ホーム、3階に2面4線の三河線ホームといった構造になる予定だそうです。

Dsc06384 2020/2/4 牛句シャトー神谷傳兵衛記念館の展示から

Dsc06346 牛久シャトー 正門

Dsc06370 展示を見て、三河鉄道との関係を知りました。

200207-3 2020/2/7 浅草 神谷バー

ちなみに1916年4月、三河鉄道の社長に就任した神谷傳兵衛 氏(1856年3月17日-1922年4月24日)は浅草の洋酒バー(神谷バー)、茨城県牛久市のワイン醸造所、シャトーカミヤの創設者でもあり、三河国松木島村の名主の六男として生まれ、8歳で酒樽造りの弟子として奉公、酒類の販売から、我が国にける葡萄酒製造を目指し、1903年9月に牛久に醸造場シャトーカミヤを開き、1912年4月10日、浅草に神谷バーを開業した人物です。

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2022年12月27日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 32 蒲郡から知立へ

名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅、蒲郡駅に到着した後は来た道を新安城まで戻り、三河線の接続する知立駅に向かいました。

Dsc01210 2022/8/4 蒲郡駅南口の中心に設置されているアメリカズカップに参戦した「ニッポン・チャレンジ」のヨット(JPN-3) 同チームのキャンプ地が蒲郡にあった関係で設置されています。同市が観光交流立市宣言したことへの象徴的モニュメントにもなっています。

Dsc01211_20221226131401 南口広場

Dsc01213 駅開業は昨日の記事にあるように1936年7月24日、三河鹿島~当駅間の三河線延伸時ですが、当初は国鉄との共同使用駅で、1990年代に連続立体交差化工事が始まり、2005年12月5日、新駅舎使用開始で改札口が分離されました。

Dsc01201 駅名標

Dsc01215
Dsc01214_20221226133301
蒲郡線内では形原、西浦、東幡豆、西幡豆、三河鳥羽での列車交換が可能で、交換した列車は全て6000系ワンマンタイプでした。

Dsc01217_20221226133501 吉良吉田では西尾線の列車が待っていました。吉良吉田12:45発の急行弥富行です。

Dsc01224 西尾線 上横須賀で3100系他と交換

Dsc01225_20221226134201 西尾 6800系 折り返し河和行が到着

Dsc01226
南桜井 吉良吉田行 6000系との交換

Dsc01227
南安城 西尾行 6800系と交換

西尾線内では高頻度に列車交換がありました。

Dsc01229 乗車した列車は津島線・尾西線 弥富行のため新安城では3番線に入線となります。

Dsc01231 新安城を出発し、牛田は通過し、知立に13:23に到着しました。

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2022年12月26日 (月)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 31 蒲郡線、吉良吉田から蒲郡へ

西尾線の急行で吉良吉田に到着後は蒲郡線で蒲郡に向かいます。

Dsc01219 駅名標 西尾線

Dsc01185 吉良吉田駅 西尾線ホームから蒲郡線を見る。左が蒲郡方向、右に蒲郡線ホーム
かつて西尾線から蒲郡線へ直通する列車が使っていた連絡線、現在も車両交換の際に用いられている。

Dsc01186 蒲郡選ホームへの案内標識

Dsc01218 中間改札 蒲郡線ホームから西尾線ホームを見る。

Dsc01188 駅名標 蒲郡線

吉良吉田駅で蒲郡線に乗り換える際には広見線の新可児駅同様、中間改札があります。蒲郡線沿線には形原温泉、西浦温泉、吉良温泉などの温泉地や愛知こどもの国などのレジャー施設があり、さらに春は潮干狩り、夏の海水浴にと三河湾の魅力的なスポットが多くあり、かつては多数の本線直通特急が運行されていたようですが、レジャーの多様化、意識の変化で三河湾観光が衰退し、今日は通勤路線に変貌、西尾線との直通列車も2008年6月29日のダイヤ改正で消滅してしまったようです。

Dsc01190 2004年に廃止となった三河線碧南方向

Dsc01194 蒲郡線は単線、左手前が西尾線方向

元来は三河線の蒲郡方面延伸路線として三河鉄道1920年12月2日、三河吉田駅(現、吉良吉田駅)~蒲郡駅間の免許を取得しました。1929年8月11日、三河吉田~三河鳥羽間が開業、1936年7月24日には三河鹿島まで延伸、同年11月10日、蒲郡まで延伸し、全通しました。ただ、三河鳥羽以東は非電化での開業で同駅での乗り換えが必要でした。1941年6月1日、三河鉄道は名古屋鉄道に吸収合併されてしまいます。この時は三河線と名乗りました、三河鉄道時代の電化は1500Vでしたが、西尾線との直通運転のため、1943年2月1日、600Vに降圧しました。戦後の1946年10月31日、三河鳥羽~東幡豆間、1947年4月23日、東幡豆~蒲郡間が600Vで電化されました。1948年5月16日、三河吉田~蒲郡間を蒲郡線と改称、1959年7月12日、架線電圧を1500Vとし、三河線との直通運転に。1960年3月27日のダイヤ改正で西尾線も1500Vに昇圧され、同線との直通運転も開始されました。同年11月1日には三河吉田駅が吉良吉田駅に改称されました。

Dsc01191

蒲郡線にも広見線新可児~御嵩間同様、ワンマン化改造された6000系2連が使用されています。写真は6010F

1958年、三河湾が国定公園に指定されたこともあいまって三河湾沿岸の開港開発が進み、蒲郡線は三河湾観光路線と位置付けられ、1965年9月15日のダイヤ改正から本線直通の特急が設定されるようになりました。一時は複線化も考え、認可も受けましたが、国内にテーマパークが多く造られ、三河湾の観光開発の衰退が目に見えだし、さらに国鉄民営化でJR東海が東海道線の特別快速、新快速などで蒲郡方面のアクセスの優位性を見せつけると蒲郡線の衰退が始まりました。

三河線の碧南~吉良吉田間は同線の猿投~西中金間同様に閑散区間であったため、1985年に猿投~西中金間、1990年に碧南~吉良吉田間が合理化のため電気運転から小型ディーゼルカー(レールバス)による運転に切換えられました。それでも両区間の乗客減少に歯止めがかからず、1998年11月24日、鉄道事業合理化策として赤字路線6線区(三河線の両端区間と揖斐線黒野駅 - 本揖斐駅間、谷汲線黒野駅 - 谷汲駅間、八百津線明智駅 - 八百津駅間、竹鼻線江吉良駅 - 大須駅間)の廃止の方針が決定、2004年4月1日、三河線の両端区間は廃止となりました。

西尾線の西尾~吉良吉田間、蒲郡線の吉良吉田~蒲郡間は駅の無人化やワンマン化などの合理化が進められていますが乗客の減少は続いている状態で赤字補填のため、沿線自治体からも支援金が出されている状態であるそうです。

Dsc01203 終着 蒲郡駅に到着
吉良吉田駅から約30分で蒲郡駅に到着です。隣にJR東海の蒲郡駅がみえますが、JRの快速で名古屋駅から40分、名鉄では100分と運賃も300円高く、勝負にならないようです。

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