2022年7月15日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part9 晴海埠頭から東京国際見本市会場跡へ

晴海埠頭。客船ターミナルに着いたものの、肝心の客船ターミナルは2022年2月20日を以って閉鎖されており、ひと気はありません。さらに来た方向へ戻ろうにも歩道は工事中で所々、ブロックされている有様です。最初は再び、バスに乗って適当なところまで戻ろうかと思いましたが、聞いてみると歩道はブロックされていても歩いてほかの場所に行くのは可能とのことで、まずは歩いて周辺を散策することにしました。


Dsc09861


2022/6/28 晴海客船ターミナル 案内表示 既に閉鎖となって4か月以上が経過していますが、まだこういった案内表示は残っていました。

Dsc09860 特徴的な建築物もそのまま残されています。

Dsc09865 この船は何だろうと煙突をみるとどこかで見たマークが、船体表示板にはHAKUHOUMARUと書かれており、東京大学海洋研究所の学術研究船白鳳丸であることがわかりました。1989年に竣工、大型の学術研究船で近海・遠洋を問わず、世界の海で海洋生物、地球物理、化学、地震などの調査、研究に使用されてきましたが、2021年、発電機および主機のリニューアルに伴い、すべての関連機器のシステム換装工事が行われたそうです。

Dsc09868 オリンピック、パラリンピックの選手村が設けられたこの地区は現在。再開発事業の真っただ中でこの写真の右上がかつて客船ターミナルがあった場所、その上辺の岸壁に白鳳丸が停泊していました。

Dsc09869 そしてこの埋め立て地のなかで一番高い建造物が、上の写真左下の中央清掃工場の円筒です。

Dsc09870


看板をよく見なければ清掃工場とはわかりません。


Dsc09872_20220714112301 こういう車が頻繁に出てくるので清掃工場であることはわかります。
ちなみにこの場所には1996年まで東京国際見本市などの会場となったドーム型の建物などが建っていました。私も昔、父親に連れられて東京モーターショーに来たことがありました。東京ビックサイトが完成したため取り壊されたそうです。そもそもは1940年開催予定だった紀元2600年記念万国博覧会の会場予定地として、1959年に開場し、A~C館、東・西・南・新館と7施設があり、東京都が出資していた社団法人東京国際見本市協会と株式会社東京国際貿易センターの二法人によってそれぞれ管理運営しており、非効率であり、各館をつなく通路もなかったことから、雨天時に問題があり、施設の老朽化もあり、閉館となりました。

Dsc09873_20220714113401 都営地下鉄大江戸線勝どき駅周辺は高層ビルが林立しています。

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2022年7月 8日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part8 都03ルートで四ツ谷駅から晴海埠頭へ

これまでのこのシリーズは2021年11月17日、水曜日に現地を訪問した時の写真をもとにした記事でした。今回からは2022年6月28日、火曜日そう関東地方では観測史上異例となった9日間連続の猛暑日となった頃に現地を再訪した際の記録に基づくものです。

Dsc09854 都営バスの四谷駅前停留場と都03ルート案内、時刻表 四谷から晴海埠頭と東京駅丸の内北口を結んでいるのが現在の都03ルートのようです。

Dsc09855 2022/6/28 四谷駅前から新宿通りを新宿方向 当日は前日、異常に早い梅雨明けが発表となり、朝から35℃を超える猛暑日でした。

前回は地下鉄有楽町線の月島駅を出発点にしましたが、今回は四ツ谷駅から都営バス都03ルートで晴海埠頭を目指しました。なぜこのルートにしたかと言えば、1964年12月から1973年12月頃まで、父親の仕事の関係で杉並区清水3丁目の公務員住宅に暮らしていました。この地に引っ越した当初は沓掛(くつかけ)町という町名で環状八号線に面して都営バスの沓掛町操車場、後の清水操車場があり、ここから晴海埠頭、東京駅南口、新宿西口行のバスが出ていました。家から数分のところにバスの始発停留場がありましたので、休日、新宿、銀座、築地、さらに晴海埠頭で開かれていた自動車ショーなどここからバスでいったものでした。清水操車場に関するバス路線の変遷に関してはこちらに詳しく書かれています。あの頃の都営バス304系統(20.603km:1970年3月27日を以って廃止)が短縮され現在、四谷駅前から晴海埠頭に至る都03ルートとして残っていることを知り、乗ることにした次第です。

Dsc09857 写真でははっきり行き先が写っていませんが9:39発、晴海埠頭行です。

Dsc09858 10:15 晴海埠頭に到着

四ツ谷駅を出ると麹町を通り、半蔵門へ、内堀通りを右折し、三宅坂、国会前、桜田門、日比谷、銀座、築地、勝どき橋を通り、晴海3丁目で右折、晴海埠頭、客船ターミナルまでの8.083kmの路線です。道路の混雑状況により所要時間は変化すると思いますが、私が乗車した9:39発のバスは10:15に晴海埠頭に到着しました。

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晴海埠頭のバス停の先には晴海客船ターミナルがありますが、かつては東京港のシンボルとして毎年5月には「東京みなと祭」なども開催されていたようですが1993年にレインボーブリッジが開業、橋桁の高さ(52m)の関係でパナマックスサイズの大型クルーズ客船が通過できなくなり、2020年東京オリンピック・パラリンピックに合わせ江東区青海に東京国際クルーズターミナルが建設されることになり、当ターミナルは廃止されることになりました。すでにターミナルビルは2022年2月20日を以って閉館しており、バスだけが発着する状態となっています。

ここは都03の他、東京駅丸の内南口とを結ぶ都05-1、錦糸町駅とを結ぶ錦13甲のターミナルとなっており、大量の都営バスが駐車していました。ここから勝鬨橋のかちどき橋資料館、浜離宮恩賜庭園、旧新橋停車場を訪ねての今回の散策がスタートしました。

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2021年9月24日 (金)

小名木川に沿って歩く その9 地図からも分かる扇橋閘門

小名木川に沿って歩くシリーズ、小松橋のすぐ西側に川幅が1/3程度に狭まる箇所が地図上でも分かりますが、これが扇橋閘門です。


Dsc06006


2021/8/31 小松橋の下の先から川幅が1/3程度に狭くなりその先に鉄の扉が見えます


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閘門の東側の水位は西側の水位に較べ最大で3m程度下げられているため、船舶の通航のために1976年に設置された施設です。


Dsc06007_20210923104901


鋼製単葉ローラーゲートで径間は11m、門扉の高さは前扉5.9m、後扉7.3mです。このため通航できる船舶の大きさは長さ90m、幅員8m、高さA.P.+4.5m以下となっています。

Dsc06016_20210923104901 閘門西側からの風景

Dsc06018 閘門の更新工事は終了し、通航が可能になりましたが、取付護岸の耐震工事が始まりました。

荒川ロックゲート同様にこちらを通過するクルーズ船もあるようです。詳細はこちら

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2021年9月17日 (金)

小名木川に沿って歩く その4 荒川ロックゲート

小名木川に沿って歩くシリーズ、今回は1995年に設置された荒川ロックゲートの話題です。

Dsc05938_20210916115801 2021/8/31

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1930年の荒川放水路の完成で荒川と旧中川・小名木川の水位差が生じたため、当時盛んだった水上交通ルートを確保するために小松川閘門、小名木川閘門が設置され、対岸の新川にも船堀閘門が設置されました。

Dsc05937_20210916115901 荒川側の水門 奥が下流、東京湾方向

Dsc05945 水門から荒川を見る 右手が下流

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巨大な水門の扉

Dsc05952_20210916120301 東京湾の干満の差で最大水位差は3.1mにもなるそうです。A.P.はArakawa Peil 荒川工事基準面


Dsc05943_20210916120401 奥が旧中川川、この閘門の水位がエレベーターのように変化し、違う水位の川の間を移動可能にしている。
この閘室に入るサイズの船しか通行はできません。
厳密には 長さ 55m以下、幅員 12m以下、高さ 前扉において A.P. ( Arakawa Peil 荒川工事基準面 ) +6.6m以下 後扉において A.P.+4.0m 以下、船底高 前扉において A.P. -2.5m 以上 後扉において A.P.-3.5m 以上

Dsc05956_20210916120601 旧中川川の水門

明治期以降、小名木川沿いの城東地区は工業地帯として発展しましたが、地下水の過剰な吸い上げにより、地盤が最大で4.5mも沈下し、東京湾の平均海面よりも低い江東ゼロメートル地帯となりました。そのために小名木川をはじめ関係する河川の堤防は嵩上げされましたが、大地震等で堤防が破壊されると大水害に見舞われる危険性がありました。

Dsc05933 旧中川側の閘門入り口に掲示されている通行制限と標識

水害対策の一環として小名木川に扇橋閘門、旧中川に荒川ロックゲートを設け、小名木川、旧中川、横十間川、北十間川(北十間川樋門以東)の水位が約1m下げられました。と同時に荒川ロックゲートにより、船の通行が可能となり、震災との災害時の救援物資の輸送路の確保にも貢献しました。

次の機会には船でこの閘門を通過できればと思います。
東京水辺ライン 江戸・東京 ぶらり旅(土曜日の特定日運航)

両国 - 越中島 - 明石町・聖路加ガーデン前 - 浜離宮 - お台場海浜公園 - (有明西運河経由) - 東京ビッグサイト - 葛西臨海公園 - (荒川ロックゲート経由) - 平井 - (隅田水門通過) - 千住 - 桜橋 - 両国  が通過しているようです。

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2021年9月16日 (木)

小名木川に沿って歩く その3 旧中川と大島小松川公園

昨日の記事で紹介した中川船番所資料館は旧中川の西岸、小名木川の北岸に建っています。

Photo_20210915102701  旧中川、小名木川、荒川ロックゲートの位置関係 Yahooの地図を利用させていただき作成しました

旧中川は現在は江戸川区平井7丁目で荒川から分岐し、江戸川区と墨田区、そして江戸川区と江東区の境界を蛇行しつつ南下し、江戸川区小松川1丁目で荒川に合流しています。地図で見てもかなり惰行・屈曲の多い川であることが分かります。

江戸時代以前の中川は埼玉県羽生市を上流とし、大落古利根川、元荒川、大場川を集め、水元・新宿・奥戸・平井を通り、江戸川に注いでいました。8代将軍吉宗の時代、水害から流域を守るため、1725年から14年間かけ、散在していた池や沼を利用し、ひとつの流れにしました。当時、屈曲が激しいことで「九十九曲り」と呼ばれ、やがて隅田川と江戸川の間を流れることから中川と呼ばれるようになったそうです。流路延長84km、流域面積100㎢の一級河川でした。

Dsc05935 2021/8/31 荒川放水路 西岸からの眺め 橋梁は都営地下鉄新宿線のもの 荒川放水路と中川放水路の間の堤防に首都高速中央環状線が建設されています。

1907年に発生した大水害では下谷、浅草、本所、深川の4区で約6万戸に浸水被害を出し、1911年に荒川放水路の改修工事と、中川の開削工事が開始されました。1930年に荒川放水路、1931年中川放水路(現中川)が完成し、川は分断され、1966年、分断された下流部が旧中川に改称となりました。

Dsc05927_20210915110901 番所橋からみた小名木川と旧中川の合流点 この先に小松川閘門があり、荒川との水位の調整を行っていました。

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Dsc05879 江戸川区の大島小松川公園の風の広場には旧小松川閘門の遺構が残されています。

荒川放水路、中川放水路の完成で荒川と旧中川の水位差は最大3.1mになること、当時は水運ネットワークが盛んで船の通過のために小松川閘門、小名木川閘門(両門は1925年設置)、そして東岸に接続する新川のための船堀閘門(1930年設置)がありました。やがてこれらの水上交通は陸上交通にとって代わられ、閘門も廃止されました(小松川、小名木川は1976年、船堀は1979年)。

上の写真の案内図にあるように都立の防災公園である大島小松川公園の風の広場には旧小松川閘門のゲートの片方が残されています(情報はこちら)。3つの閘門の位置関係もサイトの地図で分かります。

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Dsc05939_20210915113201
閘門の廃止後、船の通行は不可でしたが、1995年の荒川ロックゲートの完成で再び可能となりました。
明日の記事では荒川ロックゲートについて触れます。

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2021年9月15日 (水)

小名木川に沿って歩く その2 江東区 中川船番所資料館

小名木川に沿って歩くシリーズ、2回目は小名木川の東端にある中川船番所資料館です。

Dsc05885 2021/8/31 旧中川に架かる橋から

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1590年、豊臣秀吉の天下統一により、徳川家康、当時49歳は関東移封となり、江戸城に入りました。兵糧としての塩を行徳塩田から江戸湊(日比谷入り江付近)に運ぶためには江戸湾の北部を経由するルートが一般的でしたが、当時の江戸湾北部には砂州や浅瀬が広がり、船がしばしば座礁する事故が起こっていました。それを避けるため沖合を経由すると強い風波を受け、転覆沈没することもしばしばありました。

Dsc05905 行徳の塩田で採れた塩を最短経路で日本橋へ運ぶルート

そこで江戸入城後、最初に行ったインフラ整備が小名木四郎兵衛に命じての小名木川(運河)の開削でした。これにより従来からのルートが大幅に短縮され、かつ安全性が向上しました。1596年には深川八郎右衛門が深川を開拓しました。小名木川は塩の輸送路のみならず、塩以外の物資の運搬路、成田山への参詣客なども運ぶようになり、江戸物流の重要河川となりました。

1654年には利根川東遷事業 の一環として利根川本流を銚子口に結ぶ工事が完了し、銚子から関宿、江戸川、新川(船堀川)、小名木川、隅田川、江戸日本橋への川船の航路が開かれました。

Dsc05890 館内に再現されている当時の輸送船の様子

Dsc05889 積荷等をチェックした番所の様子

物流の盛んな場所には江戸に危険な物資が運び込まれないか(よく言われた入り鉄砲、出女)をチェックする番所が置かれ、最初は1647年に小名木川西端の隅田川河口に深川番所が設置されました。当時、利根川東遷事業も行われており、小名木川、旧中川、新川の合流地点は江戸水運ネットワークの重要ポイントと認識され、1661年に隅田川河口に設置されていた深川番所が小名木川東端の旧中川と合流する場所に移転しました。これが中川船番所です。

1701年には木場が完成し、江戸中の材木の集積場が出来上がり、埋め立ての進行とともに土地が拡大、現在の江東区に相当する領域内に運河ネットワークが完成しました。

260年以上続いた江戸幕府も1867年の大政奉還とともに滅亡し、全国の関所の廃止され、1869年に中川番所も廃止されました。

20210831a

20210831b 資料館のパンフレットから

中川番所の位置は廃止後、歴史の中に埋もれており、「江戸名所図会」の江戸図から江東区大島9丁目1番地に相当する場所にあったのではと推定されていました。1995年、同地で土壌処理作業が行われた際に多数の瓦片が出土し、土地所有者の日本化学工業(株)が主体となり江東区中川船番所遺跡発掘調査団が組織され、番所の礎石の一部や柱材・硯・下駄等が発掘されました。

Dsc05887 資料館では常設展示のほか、訪れた日にはこういった企画展示も行われていました。

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2021年9月13日 (月)

小名木川に沿って歩く 概要編

ヨーロッパでは地域間の移動にライン川やドナウ川、そしてそれらを結ぶ数多くの運河を経由した水上交通網が発達しています。かつてNHK-BSプレミアムの番組でアムステルダムから黒海までの大型クルーズ船の旅の様子をレポートした紀行番組がありました(番組リスト)。その中でも興味深かったのは水位の違う水面間を移動する際のロックといわれるゲートの存在でした。アムステルダムからブタペスト、そして黒海までのライン川、マイン川、マイン・ドナウ運河、ドナウ川を経由するクルーズ船の旅でも65か所のロックを通過しなければならないと言っていました。

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そんな中、8月29日の東京新聞12版の24面で東京にもロックが存在することを知りました。この記事ではコロナ禍で海外旅行はできないけれど、首都圏にも世界の名所になぞらえられるスポットがあるということで、パナマ運河に似た小名木川の閘門とドーバー海峡に似た銚子の屏風ヶ浦を紹介しています。

以前から徳川家康が行徳からの塩の輸送のために小名木四郎兵衛に命じて開削させた小名木川(江東区北部を東西に結ぶ運河)については是非、見ておきたいと思っており、この機会に訪問しようと思った次第です。8月31日、水曜日に都営地下鉄新宿線の東大島駅から、旧中川沿いにある江東区の「中川番所資料館」を訪問、旧中川に沿って下り、荒川放水路との間に設けられた「荒川ロックゲート」を見学、小名木川の東側の端から、川に沿って旧城東区を歩き、総武本線越中島支線の橋梁の下を潜り、横十間川と川同士(正確には運河同士)が交差する場所にかかるX字の小名木川クローバー橋を渡り、旧深川区に入り、扇橋閘門を通過、もう一か所川が交差する大横川の交差点を過ぎ、相撲部屋の立ち並ぶ清澄界隈を歩き、小名木水門を越え、隅田川へ、最後は江東区芭蕉記念館を訪問し、東京メトロ半蔵門線清澄白河駅から帰途につきました。

小名木川の開削による、周辺の発展、工業化による地盤沈下で江東ゼロメートル地帯に、川の水位を下げることでの克服等いろいろな歴史を学ぶ小旅行となりました。

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2021年9月 6日 (月)

秩父鉄道の駅 その9 上長瀞駅と荒川貨物支線

秩父鉄道の駅シリーズ、今回は上長瀞駅です。

210731_20210905093801 2021/7/31 駅名標

9月3日の記事で触れましたが、上武鉄道は1911年9月14日、波久礼駅から、宝登山(現、長瀞)駅を経て、秩父駅(初代秩父駅、後に初代国神駅、最終的に荒川駅)までを開業しました。

このときの路線は宝登山(現、長瀞)駅から荒川の流れに沿って、右へカーブし、現在の秩父本線を潜り、親鼻橋の北側で国道140号とクロスし、現在、ウオーターパーク長瀞がある付近に至るものでした。その先は尾坂を越え、赤平川、尾田蒔、秩父の中心部を目指す計画でしたが、尾坂の地盤は蛇紋岩からなる軟弱地盤地帯となり、路線変更することになりました。

路線変更後は宝登山(現、長瀞)駅を出発後、右手に進路を取り、荒川を渡り、荒川の南側を親鼻、皆野から大宮(現、秩父)駅に至るルートで1914年10月27日に開業しました。これに伴い、従来の秩父駅は国神駅に改称、宝登山駅~国神駅間の旅客営業は廃止されました。現在の上長瀞駅が国神駅(2代)として開業したのは1915年12月29日のことで旅客営業廃止となった従来の路線は貨物支線となり、初代国神駅は荒川駅に再度、改称されました。貨物支線は秩父めいせんの輸送なっどに使用され、荒川駅では船から貨車への貨物の積み替えが行われたようです。しかしその貨物路線も1926年6月19日に廃止となりました。2代目国神駅が上長瀞駅に改称されたのは1928年5月15日のことでした。

7500-7506-210731 2021/7/31 上長瀞駅に停車中の7506F

210731_20210905094301 2021/7/31 ホームは大きくカーブしています

210731_20210905094001 2021/7/31 上長瀞駅を出発すると現在の本線はすぐに荒川を渡ります。

Dsc01624 2016/8/5 荒川橋梁 ライン下りの船から

Dsc01638_20210905094201
新線は延長167mのプレートガーター橋で荒川を渡ります。高さは川面から20mあり、橋脚は下部3段が煉瓦積み、最上段はコンクリート製となっています。建設当初は4段とも煉瓦積みだったようです。

5000-5203-210731-2 2021/7/31 荒川の対岸から 5003F

100-210731-2 ヲキフ100形をラストに秩父本線を上る貨物列車

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2021年7月20日 (火)

2021年春、外房線~内房線を巡る旅 その20 浜金谷港から久里浜港へ part2

東京湾フェリー、しらはま丸、平日の便であるためか、客室に乗客の数は数えられるほどしか居ませんでした。

Dsc03299 2021/4/7 乗船後、船室から前方の眺め 対岸の三浦半島も見えます。

Dsc03302 客席はガラガラでした。

13:40、定刻に出航しました。

Dsc03307
竹芝桟橋から四国、九州方面を結ぶ客船でしょうか。

Dsc03309 コンテナ船

Dsc03310
Dsc03318 東京湾は交通量が多いとは聞いていましたが、結構大型の貨物船とのすれ違いも何度がありました。
 
Dsc03316 そうかと思うとこういった釣り船ともすれ違います。

Dsc03320 久里浜港に近づいた頃、僚船と思われるフェリーが近づいて来ました。よく見ると正面に「しらはま丸」と書かれています。一瞬、どうなっているのと思いましたが、どうやら出札口の係員が船名を間違えて掲示したようでした。

Dsc03326 程なくして、定刻に久里浜港に接岸。浜金谷港に較べるとこちらはシンプルな造りです。

Dsc03332 京急久里浜行きのバスから眺めると確かに乗船した船は「かなや丸」でした。

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2021年7月19日 (月)

2021年春、外房線~内房線を巡る旅 その19 浜金谷港から久里浜港へ part1

浜金谷の港脇のレストランで昼食を摂った後、港周辺を散策、13:40発の便に乗船することにしました。


Dsc03286 2021/4/7 鋸山方向


Dsc03290 対岸の三浦半島

Dsc03279_20210718141501 浜金谷港 東京湾フェリー乗船場

Dsc03278_20210718141701 建物の右手にフェリーが接岸しています。


Dsc03295

Dsc03280_20210718141801 建物に入ってすぐに乗船券の購入ができる窓口があります。
久里浜まで片道、¥800で13:40発の船はしらはま丸です。乗船券の購入にクレジットカードやPASMO,SUICAなどのICカードが使えるようになったのは日本ではこの路線が最初だそうです、

Dsc03281
しらはま丸(2代) 
1989年6月竣工、同年12月就航、2000年改造。3,351総トン、全長79.1m、幅18.0m、出力4,400ps、航海速力13.5ノット(約24km/h)、最高速力15.0ノット。
旅客定員580名。車両積載数:トラック36台・乗用車110台・バス16台。住友重機械工業(浦賀)建造。

Dsc03282 かなや丸
1991年8月竣工、1992年4月就航。3,580総トン、全長79.0m、幅16.7m、出力4,400ps、航海速力13.5ノット(約24km/h)、最高速力15.0ノット。
旅客定員580名。車両積載数:トラック36台・乗用車110台・バス16台。新浜造船所(玉野)建造。


Dsc03283 よく見る風景ですがなんとなく青函連絡船を思い出します。

Dsc03284
Dsc03297 改札口を通過するとすぐにタラップを渡り、船内に入ります。

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