2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史
名古屋本線で知立駅に到着後は当駅から南北に出ている三河線に乗車します。
三河線は現在、知立~猿投(さなげ)間の山線、知立~碧南間の海線に分かれています(接続の様子は常磐線柏駅における常磐線、東武野田線アーバンパークラインと似ています)。駅記号番号も山線がMY、海線はMUと別れており、直通で運転される列車もありませんが(碧南発知立行、そのまま猿投まで運行という運用はあります)、歴史的には大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道本線に接続し、知立を通る碧海軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)が1910年10月に申請され、1911年7月18日に免許が下付されました。同年8月5日に免許が下付された知立~挙母間の知挙軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)と合同することとなり、1912年5月30日には社名を三河鉄道とし、軌間も1067mmに変更となりました。
1913年1月 刈谷から大浜港まで工事着手
1914年2月5日 刈谷新~大浜間開業
1915年10月28日 刈谷新~知立間開業
事業不振で経営陣の総辞職などもあり、株主達の要請で三河国幡豆郡松木島村出身の実業家 神谷傳兵衛が1916年4月に社長に就任、
1916年11月 北の終点を猿投に延長することを決定
1920年7月5日 知立~土橋間開業 8月31日~上挙母、11月1日~挙母
1922年1月17日 ~越戸まで開業
1924年10月31日 ~猿投まで開業
1926年2月5日 大浜港~猿投間電化 9月1日 大浜港~神谷間開業
1927年8月26日 猿投~枝下間開業、9月17日 ~三河広瀬まで開業
1928年1月22日 ~西中金まで開業 8月25日 神谷~三河吉田間開業
1936年11月10日 三河吉田~蒲郡間開業 三河線として全通
1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併 西中金~蒲郡間が三河線に
2004年4月1日 碧南~吉良吉田間、猿投~西中金間を廃止。
名古屋本線の知立駅と三河線の知立駅は今は一体化していますが、元は愛知電気鉄道と三河鉄道と別の鉄道会社であり、両線が立体交差する場所に知立(三河鉄道)、新知立(愛知電気鉄道)を設け、1941年6月の合併後、駅名は統一されました(二代目:知立駅)。1959年4月1日、三河線が名古屋本線に乗り入れられるよう、駅を現在の場所に移設、三代目:知立駅となりました。旧駅は初代三河線の知立駅は三河知立に、名古屋本線の新知立駅は東知立と改称されました。
知立駅付近は鉄道により市街地が分断され、慢性的な交通渋滞も発生していること、名古屋本線の知立駅には待避線がなく緩急接続ができないこと、三河線との乗り換えに階段を使用しなければならない問題点を解消するため、2000年から高架化、多層駅化事業が開始され、将来的には2階に2面4線の名古屋本線ホーム、3階に2面4線の三河線ホームといった構造になる予定だそうです。
牛久シャトー 正門
展示を見て、三河鉄道との関係を知りました。
2020/2/7 浅草 神谷バー
ちなみに1916年4月、三河鉄道の社長に就任した神谷傳兵衛 氏(1856年3月17日-1922年4月24日)は浅草の洋酒バー(神谷バー)、茨城県牛久市のワイン醸造所、シャトーカミヤの創設者でもあり、三河国松木島村の名主の六男として生まれ、8歳で酒樽造りの弟子として奉公、酒類の販売から、我が国にける葡萄酒製造を目指し、1903年9月に牛久に醸造場シャトーカミヤを開き、1912年4月10日、浅草に神谷バーを開業した人物です。
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