2024年11月28日 (木)

青梅線開通130周年、青梅駅駅舎築100年

今週は西武秩父線、秩父鉄道、E233系P編成と3日連続で埼玉・東京西部の話題になりましたが、4日目の今日の記事も東京西部の話題でゆきます。

241113

2024/11/13 青梅駅

今年は青梅線(立川~青梅間)開通から130周年、青梅駅二代目駅舎落成から100年で青梅線沿線の各自治体では関連イベントが多く快哉れています。私も11月13日の午後、青梅市郷土博物館の特別展に行ってきました。

241113-2 青梅市郷土博物館は青梅駅の南の多摩川が大きく蛇行する川沿いの釜ヶ淵公園にあります。

青梅線の立川~御嶽間は青梅鉄道が軽便鉄道の規格で開業した路線で1894年11月19日に立川~青梅間が開業、軌間は762mmで拝島、福生、羽村、小作、青梅駅が開業しました。青梅線開業の本来の目的は日向和田の石灰石採掘とその輸送のためで1895年12月28日には日向和田まで延伸、日向和田は貨物駅として開業しました。1898年3月10日には青梅~日向和田間の旅客営業も開始されました。762mmの軽便鉄道規格では輸送量も限られ、甲武鐡道との接続駅、立川での積み替えも必要となるため、1908年2月18日に全線の軌間を762mmから1067mmに改軌、このときにドイツ・クラウス社製の蒸気機関車4両(二代目1~4号機関車)が導入されました。1920年1月1日には二俣尾まで延伸、1923年4月25日には立川~二俣尾間が直流1200Vで電化されました(その後、1930年に1500Vに昇圧されました)。電化当初には1921年に梅鉢鉄工所で製造された木造客車を改造したデハ1形電車が投入されました。1929年9月1日には御嶽まで延伸しました。開業以来の兼業であった石灰石採掘事業は1920年に浅野セメントに採掘権が譲渡され、採掘量の増加で青梅鉄道にも莫大な運賃収入をもたらしましたが、その後のセメント不況では経営不振に陥り、その打開策として沿線観光開発や旅客誘致に力が注がれることになりました。
 大正期には日帰り行楽旅行ブームが起こり、1921年には西多摩地区唯一の遊園地「楽々園」を現・石神駅前に開設、1925年には奥多摩川の風景を積極的に売り込み、1927年の「日本新八景」選定投票で「奥多摩渓谷」を「日本百景」に当選させました。

241113_202411270951012024/11/13 青梅駅舎 建造されてから100年経過しているとは思えません。

 青梅駅初代駅舎は木造平屋建て、建坪45坪で、駅構内には機関庫、客車庫、工場が併設されていました。1924年11月30日、青梅鉄道開業30周年記念で建て替えられたのが現在の二代目駅舎で地上3階、地下1階で、鉄道省出身の建築家久野節の設計によるものです。

1929年5月3日には社名を青梅電気鉄道に変更、自動車部を設置し、1930年には奥多摩自動車を買収し、乗合自動車偉業を始めました。1934年には団体貸切自動車事業も開始しました。この頃は青梅自動車を買収した武蔵野鉄道(現・西武鉄道)との間で東京~青梅間、青梅市域において激しい競争が展開されました。

青梅鉄道、青梅電気鉄道時代に開業した駅は、創立時の5駅の他
1895年12月28日 日向和田駅(貨物)1898年3月10日 旅客化
1908年5月16日 中神駅
1914年4月1日 宮ノ平駅(貨物)1923年4月1日 旅客化
1920年9月23日 上古新田駅(貨物)1935年6月14日 立川~上古新田間廃止
1927年2月20日 河辺駅
1928年10月13日 楽々園駅 → 石神前駅
1929年9月1日 軍畑停留場、沢井駅、御嶽駅
1930年11月15日 西立川停留場 → 1931年11月15日 西立川貨物駅 → 1935年6月1日 停留場と貨物駅を統合
1932年10月1日 東青梅停留場
1938年1月25日 昭和前仮停留場(現・昭島駅)
1942年7月1日 東中神停留場
1943年3月1日 牛浜仮停留場 が開業しました。

1944年、御嶽駅で接続する氷川に向けた奥多摩電気鉄道の開業に向けた工事も進む中、政策的な要請により鉄道の国有化が進められ、青梅電気・南武・奥多摩電気鉄道は「関東鉄道」として自主的に合併する方針も空しく、国有化されることとなり、4月1日には立川~御嶽間、7月1日には御嶽~氷川間が国鉄に編入となり、青梅線となりました。一方、自動車事業の方は1945年に関連事業を含めた一切を奥多摩振興(現・西東京バス)に譲渡しました。青梅電気鉄道は国有化後、解散を決議したものの、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開、清算会社として存続した後、1995年に解散しました。奥多摩電気鉄道は奥多摩工業と社名を変更、石灰石の採掘・運送会社として現存しています。南武鉄道も太平洋不動産として現存しています。

40-edit 昭和50年代の青梅駅で休むクモハ40

青梅線には今では想像もできない旧型国電が走っていました。

241113_20241127095701 241113_20241127095801 博物館の特別展で撮影が可能だった展示物から

Photo_20241127095901

展示物に関する説明が纏められた冊子 ¥100で入手可能でした。

E2330-t40-10r-241112-2 2024/11/12 東小金井

E2330-t40-10r-130hm-241107-2 2024/11/7 三鷹

E233系T40編成にも青梅線開業130周年記念のHMが掲げられています。

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2022年12月28日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史

名古屋本線で知立駅に到着後は当駅から南北に出ている三河線に乗車します。

三河線は現在、知立~猿投(さなげ)間の山線、知立~碧南間の海線に分かれています(接続の様子は常磐線柏駅における常磐線、東武野田線アーバンパークラインと似ています)。駅記号番号も山線がMY、海線はMUと別れており、直通で運転される列車もありませんが(碧南発知立行、そのまま猿投まで運行という運用はあります)、歴史的には大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道本線に接続し、知立を通る碧海軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)が1910年10月に申請され、1911年7月18日に免許が下付されました。同年8月5日に免許が下付された知立~挙母間の知挙軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)と合同することとなり、1912年5月30日には社名を三河鉄道とし、軌間も1067mmに変更となりました。

1913年1月 刈谷から大浜港まで工事着手
1914年2月5日 刈谷新~大浜間開業
1915年10月28日 刈谷新~知立間開業
事業不振で経営陣の総辞職などもあり、株主達の要請で三河国幡豆郡松木島村出身の実業家 神谷傳兵衛1916年4月に社長に就任、
1916年11月 北の終点を猿投に延長することを決定
1920年7月5日 知立~土橋間開業 8月31日~上挙母、11月1日~挙母
1922年1月17日 ~越戸まで開業
1924年10月31日 ~猿投まで開業
1926年2月5日 大浜港~猿投間電化 9月1日 大浜港~神谷間開業
1927年8月26日 猿投~枝下間開業、9月17日 ~三河広瀬まで開業
1928年1月22日 ~西中金まで開業 8月25日 神谷~三河吉田間開業
1936年11月10日 三河吉田~蒲郡間開業 三河線として全通
1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併 西中金~蒲郡間が三河線に
2004年4月1日 碧南~吉良吉田間、猿投~西中金間を廃止。


名古屋本線の知立駅と三河線の知立駅は今は一体化していますが、元は愛知電気鉄道と三河鉄道と別の鉄道会社であり、両線が立体交差する場所に知立(三河鉄道)、新知立(愛知電気鉄道)を設け、1941年6月の合併後、駅名は統一されました(二代目:知立駅)。1959年4月1日、三河線が名古屋本線に乗り入れられるよう、駅を現在の場所に移設、三代目:知立駅となりました。旧駅は初代三河線の知立駅は三河知立に、名古屋本線の新知立駅は東知立と改称されました。

知立駅付近は鉄道により市街地が分断され、慢性的な交通渋滞も発生していること、名古屋本線の知立駅には待避線がなく緩急接続ができないこと、三河線との乗り換えに階段を使用しなければならない問題点を解消するため、2000年から高架化、多層駅化事業が開始され、将来的には2階に2面4線の名古屋本線ホーム、3階に2面4線の三河線ホームといった構造になる予定だそうです。

Dsc06384 2020/2/4 牛句シャトー神谷傳兵衛記念館の展示から

Dsc06346 牛久シャトー 正門

Dsc06370 展示を見て、三河鉄道との関係を知りました。

200207-3 2020/2/7 浅草 神谷バー

ちなみに1916年4月、三河鉄道の社長に就任した神谷傳兵衛 氏(1856年3月17日-1922年4月24日)は浅草の洋酒バー(神谷バー)、茨城県牛久市のワイン醸造所、シャトーカミヤの創設者でもあり、三河国松木島村の名主の六男として生まれ、8歳で酒樽造りの弟子として奉公、酒類の販売から、我が国にける葡萄酒製造を目指し、1903年9月に牛久に醸造場シャトーカミヤを開き、1912年4月10日、浅草に神谷バーを開業した人物です。

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2022年12月 2日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 15 犬山城観光 その1

名古屋から須ヶ口、津島、弥富、一宮、笠松、羽島、岐阜を経由し、犬山でほぼお昼となったので、犬山では駅から歩いて15分程のところにある国宝犬山城を見学することにしました。

Dsc00745

2022/8/3 犬山駅西口

犬山駅西口を出て、駅から真直ぐ西に向かう通りを約600m進み、本町の交差点を右折し真北に約600m向かうと犬山城の天守閣の下に出ます。

Dsc00747 本町の交差点から天守閣の下までの道は城下町として両側に土産物屋などが並んでいます。

Dsc00749 日本中の観光地がコロナ禍で大変な目にあいましたが、この頃は感染者数も大分少なくなり、観光客や修学旅行生の姿も大分見えるようになりました。

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犬山城は木曽川を背にする尾張の国と美濃の国の境、高さ88m程のの丘に築かれた平山城で、李白の詩「早發白帝城」(長江流域の丘の上に建っています)にちなんで荻生徂徠が白帝城と名付けました。岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城で、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権時代に石川貞清が改修して現在の形になりました。小牧・長久手の戦いや関ケ原の合戦では西軍の重要拠点となりました。

Dsc00767 江戸時代、尾張藩の付家老、平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、9代に渡り明治まで城主として居城しました。建物として残っているのは天守閣だけですが、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつで国宝に指定(1935年旧国宝指定、1952年新国宝指定)された5城(姫路城、松本城、彦根城、松江城)のひとつでもあります。1959年9月27日の伊勢湾台風では大きな被害を受けましたが、1961年から解体修理され、1965年に完了しました。2004年までは成瀬家による個人所有でしたが、維持管理が大変であることから、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、法人所有となりました。

次回の記事では城内部の様子、天守閣からの眺めに関してレポートします。

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2022年8月12日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part10 かちどき橋の資料館 part2

かちどき橋の資料館では、毎週木曜日に橋脚内の見学ツアーを行い、橋の開閉の運転操作、開閉用の歯車などを見ることが出来たようです。同ツアーは2018年1月から2020年3月まで橋の改修工事で中断となり、引き続き新型コロナウイルス病蔓延で中断となっているようですが、概略についてはWEBサイトにて紹介されています。

2_20220811080701 1_20220811080701 同館のパンフレット 勝鬨橋建設の経緯、開閉に関して、見学ツアーに関して、展示物の紹介などが丁寧にまとめられています。

3_20220811081101
4_20220811081201
隅田川にかかる27の橋に関するパンフレット いずれ機会があれば上流からすべての橋を渡り、写真に記録したいと感じました。

Dsc09898 中でも、下流の清洲橋、永代橋、勝鬨橋は2007年6月18日、国の重要文化財(構造物)に指定されたそうです。

Dsc09896_20220811081601 Dsc09897 日本全国には現在、40近い可動橋があるそうですが、その紹介もありました。

Dsc09931今の東京の街は関東大震災からの復興、さらに1964年の東京オリンピックで大きく変わりました。前者では52本の幹線道路の整備、隅田川の9つの鉄橋の整備が行われました。

Dsc09932

隅田川に架かる橋の多くは関東大震災以前は木造の橋でしたが、震災からの復興で鋼製の橋に架け替えられました。

Dsc09939

Dsc09940
橋の可動部分、特に道路の継ぎ目にあたる部分の構造部材が展示されています。

Dsc09941 Dsc09942 私自身、勝鬨橋が開くところは実際に見た経験はありませんが、こうやって模型で開くシーンを見ることで当時の様子を想像することはできます。

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2022年7月22日 (金)

大川端・佃島周辺を散策する part10 かちどき橋の資料館 part1

勝鬨橋の築地側にかちどき橋の資料館があります。この建物はかつて勝鬨橋が可動していた頃、橋の可動に必要な直流電気を作り出すための変電施設でした。開館日は毎週火・木・金・土曜日のため、前回は閉館日だったので、再訪しました。

Dsc09883 2022/6/28 晴海側から見た勝鬨橋

Dsc09889 築地側の川岸にかちどき橋の資料館が建っています。

Dsc09892 変電所時代の表札も残されています。

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開館時間は9:30から16:30、12月29日から1月3日は休館、冬期(12月1日から2月28日)は9時から16時まで開館となっています。施設を運営するのは(公財)東京都道路整備保全公社です。

Dsc09908 一番、大きな展示物は2台の電動発電機です。


Dsc09925_20220721145001 3300Vの交流を受電して回転力を得る誘導電動機

Dsc09923 界磁に磁界を生じさせる直流励磁機

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直流発電機


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橋を可動させる電源は当時の技術では直流方式となっていたため、送電線から交流を建物内に導き、交流誘導電動機を回転させます。回転軸に直結した直流励磁機で磁界を作るための励磁電流を発電、その磁界の中で回転子を回して直流電気を得て、橋に供給する方式でした。
発電セットが2組あるのは万が一、一方が故障した際のバックアップ用と、強風時など橋の可動に大電力を要する際には2台で電気を供給するためでした。

Dsc09911 高圧配電盤は電力会社から受け取ったAC3300Vのモニター用

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変電所で発電した直流電気、橋の可動、信号、灯火用のモニター

その他の展示物に関しては次回の大川端シリーズにて。

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2021年10月11日 (月)

中央・総武緩行線 E231系500番台 A511編成、中野電車区100周年 HM も撮影

10月1日記事でレポートした中野電車区100周年のHMを装着したE231系500番台A511編成も撮影しました。

10月4日、新小平から武蔵野線に乗り、A511編成の走行をチェックすると65Bで三鷹に向かっていることが分かり、取り敢えず両国で待ち受けることにしました。実は同日、武蔵野線のE231系基本番台MU22編成の撮影場所も考えていたため、総武線内のどこかでと思ったからでした。

Dsc06308 2021/10/4 駅名標

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東京と千葉を結ぶ鉄道を開業していた総武鉄道が両国橋駅として1904年4月5日に開業しました。総武鉄道は市川駅を起点に1894年7月20日に市川駅~佐倉駅間を開業しており、同年12月9日には本所駅(現在の錦糸町駅)まで延伸しました。本所から両国橋までは既に市街地となっていたため煉瓦造りの橋脚に鉄桁を載せた高架線としての開業なりました。当時、列車のトイレは垂れ流し方式でしたから、本所以西ではトイレの使用は禁止されました。1904年3月29日には亀戸駅が開業、1904年4月5日 には東武亀戸線が開業し、亀戸から両国橋までの乗り入れも開始されました。1907年9月1日には総武鉄道が国有化、1910年3月27日には東武浅草駅(業平橋→とうきょうスカイツリー駅)の営業再開で東武鉄道の乗り入れは終了しました。

総武鉄道には隅田川を越えて西に線路を伸ばす財力は無かったため、両国橋駅が東京の東のターミナルとして機能をしました。

17世紀までは隅田川が武蔵の国と下総の国の境界で隅田川の両岸を両国と称していましたが、東岸を両国というようになり、駅名も1931年10月1日に両国駅と改称されました。当時、房総方面に存在した94駅中では両国駅は乗降客数、収入面でダントツ1位、東京の鉄道駅でも東京、上野、新宿、横浜、新橋に次ぐ第6位の取扱収入でした。しかし、1932年7月1日、御茶ノ水まで総武線が延伸すると両国駅の東京の東のターミナルとしての地位は凋落の一途を辿りました。

Dsc06313 錦糸町方面

その後、外房、内房線の気動車準急の時代には両国駅発着の列車が多く運行されたため、列車ホームの賑わいが復活しました。しかし、1972年7月15日の総武本線複々線化開業では総武快速線の線路は駅の下を通過するものの、ホームは設けられず、新設の183系特急や快速は通過するだけとなりました。1982年11月15日のダイヤ改正では房総方面の急行列車が全廃となり、特急「しおさい」「あやめ」「すいごう」が1日1往復だけ両国駅の列車ホームに発着するようになりましたが、1988年3月13日のダイヤ改正ではそれらも終了となりました。現在は臨時列車の発着のみが行われるホームとなっています。

Dsc06310 両国国技館

現在、国技館が建つ場所は国鉄バス東京自動車営業所があった場所でその前は両国貨物駅でした。1984年11月30日に落成、1985年の大相撲1月場所から使用されていますが、当時は千代の富士、北の湖の2横綱時代で、千代の富士は全勝優勝、北の湖は一勝も出来ず引退と世代交代が起こった場所でした。

Dsc06330 江戸東京博物館

江戸、東京の歴史・文化を紹介する都立の博物館で地上部分の高さは62mと消失した江戸城の天守閣とほぼ同じ高さだそうで、小金井公園ないにある江戸東京たてもの園は分館にあたります。

さて本題のA511編成ですが

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予定通りにやって来ました。

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2021年9月15日 (水)

小名木川に沿って歩く その2 江東区 中川船番所資料館

小名木川に沿って歩くシリーズ、2回目は小名木川の東端にある中川船番所資料館です。

Dsc05885 2021/8/31 旧中川に架かる橋から

Dsc05888
1590年、豊臣秀吉の天下統一により、徳川家康、当時49歳は関東移封となり、江戸城に入りました。兵糧としての塩を行徳塩田から江戸湊(日比谷入り江付近)に運ぶためには江戸湾の北部を経由するルートが一般的でしたが、当時の江戸湾北部には砂州や浅瀬が広がり、船がしばしば座礁する事故が起こっていました。それを避けるため沖合を経由すると強い風波を受け、転覆沈没することもしばしばありました。

Dsc05905 行徳の塩田で採れた塩を最短経路で日本橋へ運ぶルート

そこで江戸入城後、最初に行ったインフラ整備が小名木四郎兵衛に命じての小名木川(運河)の開削でした。これにより従来からのルートが大幅に短縮され、かつ安全性が向上しました。1596年には深川八郎右衛門が深川を開拓しました。小名木川は塩の輸送路のみならず、塩以外の物資の運搬路、成田山への参詣客なども運ぶようになり、江戸物流の重要河川となりました。

1654年には利根川東遷事業 の一環として利根川本流を銚子口に結ぶ工事が完了し、銚子から関宿、江戸川、新川(船堀川)、小名木川、隅田川、江戸日本橋への川船の航路が開かれました。

Dsc05890 館内に再現されている当時の輸送船の様子

Dsc05889 積荷等をチェックした番所の様子

物流の盛んな場所には江戸に危険な物資が運び込まれないか(よく言われた入り鉄砲、出女)をチェックする番所が置かれ、最初は1647年に小名木川西端の隅田川河口に深川番所が設置されました。当時、利根川東遷事業も行われており、小名木川、旧中川、新川の合流地点は江戸水運ネットワークの重要ポイントと認識され、1661年に隅田川河口に設置されていた深川番所が小名木川東端の旧中川と合流する場所に移転しました。これが中川船番所です。

1701年には木場が完成し、江戸中の材木の集積場が出来上がり、埋め立ての進行とともに土地が拡大、現在の江東区に相当する領域内に運河ネットワークが完成しました。

260年以上続いた江戸幕府も1867年の大政奉還とともに滅亡し、全国の関所の廃止され、1869年に中川番所も廃止されました。

20210831a

20210831b 資料館のパンフレットから

中川番所の位置は廃止後、歴史の中に埋もれており、「江戸名所図会」の江戸図から江東区大島9丁目1番地に相当する場所にあったのではと推定されていました。1995年、同地で土壌処理作業が行われた際に多数の瓦片が出土し、土地所有者の日本化学工業(株)が主体となり江東区中川船番所遺跡発掘調査団が組織され、番所の礎石の一部や柱材・硯・下駄等が発掘されました。

Dsc05887 資料館では常設展示のほか、訪れた日にはこういった企画展示も行われていました。

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2021年5月25日 (火)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 12 旧中込学校資料館

再び、小海線の旅に戻ります。

旧中込学校には資料館も併設されています。資料館には教育関係の資料の他、佐久鉄道に関する資料、小海線に関する資料を展示したコーナーも用意されています。

Dsc02901_20210524103801 2021/4/3 旧中込学校・資料館 佐久鉄道や小海線を走る列車の様子

Dsc02902 1920年代、国産や海外から輸入されたレールの展示

Dsc02906 中込駅信号制御盤

時間の関係でゆっくり見る暇はありませんでしたが、再訪の機会があればじっくり見てみたく思います。

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2021年5月14日 (金)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 11 旧中込学校、校舎内部の様子

旧中込学校、建築にかかった費用は当時の金額で6098円51線8厘でその殆どが村内有志募金等で賄われ、地方の小村としては画期的な試みで、教育に対する情熱の高さがうかがわれます。


Dsc02998 一階奥から玄関方向 玄関の欄間にはステンドグラスが嵌めこまれています。同様に2階中央廊下北面丸窓にもステンドグラスが。

Img002_20210513082701 旧中込学校校舎内部の平面図 佐久市教育委員会発行のパンフレットから

木造2階建てで1・2階ともに奥行き方向に廊下を設け、左右に部屋を配置した中廊下式平面で、1階は玄関の左右に小部屋(小使室、控所)を設け、その先は右手に2階への階段と宿直室があり、その奥は講堂と教室となっています。2階は廊下の左右に校長室、教員室、教室など計6室があります。間取りはアメリカの1870年頃の小学校のスタイルを参考にしたようです。

Dsc02996_20210513084101 1階講堂(音楽室)にはオルガンの展示

Dsc02997 廊下を挟んで反対側の第一教場

Dsc03006 2階の教場に 蚕の大型模型

Dsc03009_20210513084601
戦前の軍国主義教育と後世、批判された修身の教科書も展示されています。

Dsc03000_20210513085001 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、八角形の塔の天井に記された方位図、吊り下げられた太鼓の様子が案内されています。

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2021年5月13日 (木)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 10 滑津駅で下車、旧中込学校へ

小諸を出発して23分、小海線列車は滑津駅に到着します。

Dsc03015 2021/4/3 駅名標

この駅は佐久鉄道が1915年8月8日に小諸~中込間を開業した際には設置されず、1916年6月6日に開業しました。

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滑津駅から旧中込学校へ 地図は「高原鉄道小海線観光ガイド 沿線ぶらり旅」から

中込駅周辺はぴんころ地蔵や成田山薬師寺等の観光名所がありますが、今回は一つ手前の滑津駅から歩いて5分ほどの旧中込学校と隣接する成知公園に保存されている車両を見学する目的で滑津駅で下車しました。

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旧中込学校校舎全景

1872年8月2日、明治政府は日本最初の教育法令である学制(太政官令第214号)を発布し、大中小学区ノ事」「学校ノ事」「教員ノ事」「生徒及試業ノ事」「海外留学生規則ノ事」「学費ノ事」の6項目を規定し、全国を学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、身分・性別に区別なく国民皆学を目指しました。佐久郡では下中込村・今井村・三河田村の三村組合立の成知学校が開校し、当初は下中込村の小林寺を仮校舎としていましたが、1875年5月に村出身でアメリカ・カリフォルニア州・サクラメントに渡航経験のある大工・市川代治郎が設計・施工を請け負った擬洋風建築の校舎が完成しました。

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建築面積259.4平方メートル、木造2階建、正面に玄関ポーチとベランダを設け、屋上に平面八角の塔屋があります。外壁は柱を塗り込めて外部に見せない漆喰塗の大壁で窓回りのアーチ形や建物四隅の隅石形は黒漆喰で形成されています。正面の二層のベランダは横浜の外国人居留地に建てられたコロニアル様式、コーナーストーンを配した石張り風の漆喰壁は林忠恕の擬洋風官庁、礎石と柱頭飾りは江戸時代の寺院の礎石、といったように擬洋風らしく様々なデザインが取り入れられてます。八角塔には太鼓をつるしてあったことから「太鼓楼」と呼ばれ、窓にはすべてガラスがはめられたことを珍しがり「ギヤマン学校」などとも呼ばれたそうです。

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1966年1月27日、長野県宝に指定、1969年3月12日に「旧中込学校校舎(附 学校新築請負書・新築入費勘定帳・学校新築諸入費調帳)」として国の重要文化財に指定され、同年4月12日に「旧中込学校」として敷地を含めて国の史跡に指定されました。

明日の記事では建物内部の様子を紹介します。

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