大阪と堺を結ぶ阪堺電気軌道は現在、恵美須町から浜寺駅前までの14.1kmの阪堺線と天王寺駅前から住吉までの4.4kmの上町線の2路線を運行しており、経営的には南海電気鉄道の完全子会社となっています。
南海電鉄と同じ形態の阪堺電軌のロゴ
漢字で書くと全く別ですが、アルファベットではNankaiとHankai
2つの路線はこれまで異なった歴史を歩んで来ており、
2010/12/6に訪問した際の天王寺駅
2018/3/24 軌道変更等で姿が変わった同駅周辺
上町線は1897年5月26日に設立された大阪馬車鉄道株式会社が前身であり、1900年9月20日に天王寺南詰~阿倍野(現在の東天下茶屋)間1.7kmを、さらに同年11月29日には天下茶屋~上住吉間が、1902年12月27日には上住吉~下住吉間が延伸開業されました。
1906年頃から馬車鉄道から路面電車への動きがあり、内務大臣に申請が出され始め、1907年3月29日には社名を大阪電車鉄道株式会社に変更、さらに同年10月29日には浪速電車軌道株式会社に変更されました。
1909年12月に南海鉄道株式会社と合併、大阪市電との連絡から上町連絡線と呼ばれ、1910年10月1日、天王寺~住吉神社前間の電化工事が完成、1913年7月2日には住吉神社前~住吉公園間が延伸開業し、住吉公園駅は南海線住吉公園駅に併設され、連絡駅となりました。
2010/12/6 住吉大社
上町線も「住吉さん」への参詣鉄道としてつくられたものです。
1921年12月24日、天王寺~天王寺西門前間を大阪市へ譲渡し、現在の形になりました。上町線に関しては2016年1月31日、住吉~住吉公園間が廃止され、同年12月3日、天王寺駅前~阿倍野間の軌道が新線に変更されました。
2010/12/6 終点、恵美須町に接近する車内から
2010/12/6 近くには大阪名物「通天閣」もあります。この通天閣は二代目で1956年に建設されました。初代は1912年7月3日、パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を載せたような形態でつくられました。1943年、足下の映画館の火災で損傷し、戦争による鉄材の供出で解体されました。
この付近は新世界と呼ばれる繁華街で1903年の第5回内国勧業博覧会がきっかけで整備されたとのことです。コテコテの大阪の中心ですね。
一方、阪堺線は1910年3月8日に阪堺電気軌道株式会社が設立され、1911年12月1日、恵美須町~市之町(現在の大小路)間が開業しました。1912年3月5日、市之町~少林寺橋(現在の御陵前)、4月1日、少林寺橋~浜寺(現在の浜寺駅前)間が延伸開業しました。大浜支線、宿院~大浜水族館間が開業しました。1912年8月26日に、大浜支線 大浜水族館前~大浜海岸間、同年11月30日には浜寺~浜寺終点間が延伸開業しました。1914年4月26日には阪南電気鉄道株式会社の目指していた今池~平野間5.9kmが開業しました。
南海鉄道が1915年6月21日、阪堺電気軌道株式会社の路線と電灯事業、電力事業を継承する形で同社を合併しました。平野支線は独立路線に昇格、大浜支線は従来通り、阪堺線の支線となりました。1917年3月15日、前年末から休止状態だった浜寺~浜寺終点間が廃止となり、阪堺線の路線が形成されました。
2010/12/6 浜寺駅前終点にアプローチ
2010/12/6 浜寺終点 昭和の風景が残る終点でした。
1944年6月、南海鉄道株式会社は戦時中の企業統合政策で関西急行鉄道株式会社と合併させられ近畿日本鉄道株式会社となり、上町線、阪堺線も同社の天王寺営業局所属となりました。1947年6月1日、近畿日本鉄道株式会社から旧南海鉄道株式会社に属していた鉄道・軌道ならびに付帯事業一切が高野山電気鉄道株式会社が名前を改めた南海電気鉄道株式会社に譲渡され、上町線、阪堺線、平野線、大浜支線は同社の軌道線となりました。
軌道線は1955年頃までは全盛時代でしたが、モータリゼーションの進展と道路交通の激化で利用者の減少、人件費の高騰、諸経費の高騰で損失が計上され、1980年7月7日には2代目阪堺電気鉄道株式会社が成立、11月28日には大阪市営地下鉄谷町線の延伸開業で平野線が廃止、さらに1949年から休止状態だった大浜支線も廃止となり、上町線、阪堺線の営業権が南海電気鉄道株式会社から阪堺電気軌道株式会社に譲渡され、分社独立なりました。
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