2026年3月 6日 (金)

わが国ではJALが導入、国内線、国際線用に20機導入した三発ワイドボディ機 DC-10 その4 JA8532

cn46660/ln220として製造、1975年12月31日にロールアウト、N8705Qのテストレジにて初飛行後、1976年4月16日にJALに引き渡されたのがJA8532でした。
JA8532は1980年12月、日本アジア航空(JAA)が成田・伊丹発着の台北線輸送力強化のためDC-8に代わってJALからリースの形で導入したJA8534, JA8535の2機のうち、JA8535と入れ替わる形で1986年10月16日にJAAに転籍しています。この際に製造時からのDomestic仕様からInter仕様にコンバートされ、胴体脚が追加されました。

1997年4月11日にはJALにリースバックされました。1989年、JAL、JAAは完全民営化にむけ塗装を「新鶴丸塗装」に改めましたが、JALのDC-10ではJA8535, JAAのDC-10ではJA8532が最初のデザイン変更機になりました。

JAAにリースされる前の1986年7月3日、JL306便として福岡空港から大阪国際空港に向けて飛行中の10:34頃、御坊VOR/DMEの西約50マイル、高度21000フィートで乱気流に遭遇、乗客133名、乗組員11名の計144が搭乗していましたが、乗客1名、客室乗務員6名が負傷する事故に遭遇しました(情報)。

Ja8532-jal-dc1040i-cn46660-ln220-940311-

1994/3/11 NRT

Ja8532-jal-dc1040i-cn46660-ln220-980211-1998/2/11 NRT

Ja8532-jal-dc1040i-cn46660-ln220-990725-1998/7/25 NRT

2005年3月、JALを退役、Wells Fargo Bank NorthwestにN660VVのレジで移籍しました。既に解体されています。

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2026年2月13日 (金)

わが国ではJALが導入、国内線、国際線用に20機導入した三発ワイドボディ機 DC-10 その1 開発、派生型、トラブル

マクドネル・ダグラスDC-10はマクダネル社と合併する前のだダグラス・エアクラフト社(Douglas Aircraft Company )が1966年にアメリカン航空の要望で開発を始め、3機のジェットエンジンを主翼下と垂直尾翼基部に配置した300席クラスのジェット旅客機でした。1967年にダグラス社はベトナム戦争による資材不足とキャッシュフローの問題解決のため、マクダネル社と合併、マクダネル・ダグラス社となり、さらに1997年にはボーイング社に吸収合併されたため、社名は消滅しました。

DC-10の開発が決定した1960年代後半のアメリカの航空業界は大陸横断の超長距離路線は超音速旅客機(SST)、国内線等の中距離路線を担当する機体として250席から300席クラスの双発機が求められていました。エンジンはGEがC-5A向けに開発したTF39型を民間機に転用する方針でしたが、まだまだ開発途上にあり、アメリカ国内に高地も多く存在することから、双発ではなく3発機が開発の中心に置かれました。1967年9月にロッキード社がライバル機となるL1011トライスターの開発決定を宣言、マクダネル・ダグラス社もかなりの無理をしてDC-10の開発計画を同年11月に発表しました。アメリカン航空からオプションを含め50機、ユナイテド航空からオプションを含め60機の受注を受けたことで正式にローンチが決まりました。

N164aa-american-dc10-cn46950-ln242-000622000/6/26 ORD American Airlines DC-10-30 cn46950/ln242

主要諸元

乗員 : パイロット2名、航空機関士1名
旅客数 : 250 - 380 名
全長 : 55.5 m
全幅 : 50.4 m
全高 : 17.70 m
翼面積 : 367.7 m2
重量 : 121,198 kg
最大離陸重量 : 263,085 kg
エンジン : GE製 CF6-50A ターボファンエンジン 3基(1基の推力:218 kN)
     P&W製JT9D-59A型 ターボファンエンジン3基
巡航速度 : 982 km/h
航続距離 : 12,055 km
巡航高度 : 12,000 m (39,400 ft)

DC-10は新技術の導入を避け、既存の工法と制御システムのみで構築されているのが特徴でした。そのためローンチではトライスターに後れをとったものの。カリフォルニア・ロングビーチ工場での製造は順調に進み、1970年7月29日に初号機(タイプはDC10-10)が初飛行、1971年8月に営業運航が開始され、1988年までに446機が製造されました。

基本型のDC-10-10の他、長距離型DC-10-30、航続距離延伸型DC-10-30ER、貨物型DC-10-30F、GEではなくP&WエンジンJT9Dを装備したDC-10-40型、-40の短距離仕様型DC-10-40D、メキシコなどの高地向けにCF6-6より推力の大きいCF6-50を装備したDC-10-15型(スポート)、MD-11のコックピットシステムをDC-10に移植したMD-10、軍用空中給油機KC-10 エクステンダーなどが派生タイプをして製造されました。

N161us-northwest-orient-airlines-dc1040-2001/1/12 SFO Northwest Orient Airlines DC-10-40 cn46770/ln175

運航開始初期に発生した事故

なんといっても衝撃的で記憶に残る事故は1974年3月3日、パリオルリー空港を離陸したトルコ航空981便がブローニュの森に墜落し、乗客乗員346名が犠牲になった事故です。この日は私事で恐縮ですが、ちょうど大学受験1次試験の日であったこともあり、いまでも鮮明に記憶しています。事故原因は貨物室ドアが完全にロックされていない状態で離陸したことで与圧によりドアが空中で吹き飛び、急減圧で床が陥没、油圧配管が切断され、操縦不能に陥り、高速で地上に激突しました。同様の事故は1972年6月12日にデトロイト空港を離陸したアメリカン航空96便のDC-10で起きており、このときは機長のテクニックで緊急着陸に成功し、死者は出しませんでしたが、貨物室ドアのロック機構の問題が指摘されているにもかかわらず、ダグラス社は小手先の対応で対処したため、パリの大事故に繋がったと言われています。
もう一つはアメリカン航空が主翼からエンジンを取り外す際に本来はエンジンを外した後にパイロンを外すオーバ-ホール手順を簡略化し、パイロンにエンジンが付いた状態で機体からエンジンを取り外す手順としていたため、パイロンに亀裂が入り、1979年5月25日、シカゴ・オヘア空港発LA行191便の左翼のエンジンが脱落、油圧が抜け、翼前縁の高揚力装置が格納され、左翼が失速、高度600ftから墜落、死者273名の大事故となりました。この事故は当初、機体の欠陥が疑われ、耐空証明の取り消しにまで発展する事態となりました。
これらの他、エンジンブレードの亀裂を整備段階で見逃していたために1989年7月19日、ユナイテド航空232便が不時着事故を起こし、乗客乗員112名が亡くなる事故が起きていますが、運用期間が延び、総飛行時間が増大しても事故発生率は大きく改善され、「危険な機体」というイメージは払拭されてゆきました。

N47816-emery-worldwide-airlines-dc1030-c2001/1/18 SAN Emery Worldwide Airlines DC-10-30 cn47816/ln316 

9mmaz-world-airways-dc1030-cn46933-ln-151999/3/27 FRA World Airways DC-10-30 cn46933/ln159

日本の航空会社が導入したDC-10

JALはDC-8の後継機として中型ワイドボディ機の導入を1973年から検討し、DC-10と747SPが最終候補となりましたが、初飛行が済んでおり、機長育成の観点から判断し、同年12月、DC-10-40型の導入を決定しました。敢えてP&Wエンジン搭載の-40型にしたのはコンベア880を運用してGEのエンジンに悩まされた経験があったからと言われています。1974年に国内線用4機、国際線用2機の購入を契約、最終的に20機導入しました。

JASはTDA時代のホノルル線進出を見越し、2機のDC-10-30ERを導入しました。うち1機は子会社のハーレクィンエアが国際線チャーターにも使用しました。

電器部品メーカ-ミネベアの子会社ミネベア航空は主力資材、従業員輸送用機材としてサベナ・ベルギー航空の貨客混載型DC-10-30CFをNRTを拠点に運航していました。

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2025年12月29日 (月)

2024年9月の京都、嵐電と阪急沿線の旅 その13 叡山電車の車両 part1 過去の形式 デナ21形 他

京都電燈が1925年、叡山電気鉄道平坦線(出町柳∼八瀬間)を開業した際に日本車両に発注して導入したのが12.3m車体、片開き2ドアの木造車デナ1形電車でした。デは電動車、ナは中型を意味しています。車体が短いのに台車は大型であったため床下の偽装が難しく抵抗器を屋根上に配置したのが特徴でした。1~6の6両が導入されました。導入時は連結器は無く、集電装置はダブルポール、塗装は緑一色でしたが、1929年に自動連結器が取り付けられ、1930年にはシングルポールとなり、戦後の1954年からは順次2両固定編成化されました。1964年、デナ500形の導入で全車廃車となりました。

 1926年には輸送力増強用として日本車輛で11~14の4両が製造され、全長は13.5m、片開き3ドアの木造車となり、形式はデナ11形となりました。1944年に福井支社・越前、鉄道部に移管され、電装品は取り外されホクハ31形31~34となり、台車も狭軌用に改造されました。1949年に再電装化されホデハ241形241~244となり、1957年には車体を更新して鋼体化されました。鋼体化後は車体長15.7m、両運転台片開き2ドア、片側が貫通、反対側が非貫通のスタイルで241,242が日本車輌性、243,244がナニワ工機製の車体でした。1989年から1991年に廃車となりました。

 1929年には京都電燈が全長15m弱、両運転台、非貫通形3枚窓、片開き3ドアのデナ21形を4両(21~24)、さらに傍系の鞍馬電気鉄道が山端(現、宝ヶ池)~市原開業時の1928年に121~124、1929年の鞍馬延長時に125・126を日本車輛に発注しました。121~126は勾配線の鞍馬線用に発電ブレーキが装備されていましたが,21~24は省略されました(1965年に発電ブレーキが装備されました)。集電装置は登場時はダブルポールでしたが、1930年にシングルポール化され、1978年にはパンタグラフ化されました。

1981年11月、私は大学院博士課程2年でしたが、金沢での学会の後、京都で国際シンポジウムが開かれるのに参加するため京都国際会館(宝ヶ池)に行きました。その際に昼休み、近くに鞍馬方面に向かう鉄道が走っていることが気になり、

21-23-811130 21-23-811130-21981/11/30 デナ21形 23+? 恐らく八幡前駅

彷徨いあるいて見つけた線路際から撮ったのがこれらの写真でした。

21-240903-22024/9/3 鞍馬 デナ21形21のカットモデル

121,123の2両は1964年1月5日、鞍馬寺の初寅大祭による上り臨時列車(デナ21形1両)と下り列車(デナ21形2両編成)が鞍馬線二ノ瀬~貴船口の単線区間で正面衝突し、架線を切断、短絡による火災で上り電車と下り電車の先頭車が焼失、69名が負傷する事故で廃車となりました。

1986年の叡山電鉄発足時にも主力として位置づけられ、1987年には23,24が車体を載せ替えデオ710形711,712へ改造されました。1993年、1994年には800系デオ810形の増備で122-126,125-124が廃車に、1995年には21-22が廃車となり、形式消滅となりました。

福井支部に転出したデナ11形4両の補充目的で1951年に近畿車輛で製造されたのがデオ201~204でした。全長15.9m、片開き3ドア、前面非貫通、両運転台車でした。1987年に203・204がデオ720形721・722へ、1988年に201・202がデオ723・724へ主要機器を供出し、廃車、廃形式となりました。

叡山線初のカルダン駆動車輛として1959年に日立製作所で製造されたのがデオ301・302でした。ころ軸受を使用した空気ばね台車や応荷重装置付きの多段式電動カム軸式制御装置、AMA電空併用ブレーキなど当時の最新技術を取り入れ、75 kW×4のモーターは当時の大手私鉄の電車に匹敵する出力で、設計上の最高速度は100 km/hでした。叡山電鉄では京阪線乗り入れを想定してとのことですが、大型化、新性能化が仇となり、扱いにくい車両としてデオ730形代替時に廃車され、主要機器も再利用はされませんでした。

1928年に10両が田中車輛で製造、1929年にも10両が川崎車輌で製造され、阪神831形として活躍してきましたが大型化で廃車となり、デナ1形淘汰を控えた叡山線に譲受されたのがデナ500形で10両が導入されました。収容能力の小ささ、運用制限(二軒茶屋より先はブレーキの関係で入線できず)で1979年から1980年にかけ、8両がデオ600形に改造となりました。

デオ500形を改造し、発電制動などを装備したデオ600形でしたが、冷房装置の搭載の問題で900系が新製されることとなりましたが900系も新製は2編成のみとなり、最後は603+604が非ワンマン化の貸し切り列車用として残り、2008年11月1日にラストランで引退となりました。

ということで現在は700系(デオ710形、デオ720形、デオ730形)、800系(デオ800形、デオ810形)、900系、そして2025年に9月登場の100系、事業用の電動貨車デト1000形が在籍しています。2024年9月の旅では生憎、730形を撮影することはできませんでしたが、これから系列別に紹介してゆこうと思います。また新系列100系やデオ730形に関しては次回、叡山鉄道を訪問したときに撮影できればと思っています。

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2025年11月12日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その29 直江津駅に乗り入れる列車たち part2 妙高はねうまラインで活躍するET127系

直江津駅に乗り入れる列車、今回は信越本線から移管された妙高はねうまライン(妙高高原~直江津間、37.3km、資産上の境界は関川橋梁まで37.7km、駅数10、起終点駅を含む)で活躍するET127系です。長野県側はしなの鉄道北しなの線となっています。長野側との接続は北しなの線の車両が妙高高原駅に乗り入れ、同一ホームで10分以内の接続となっています。また日本海ひすいラインとはE122形気動車が日中に泊駅発新井駅行として片道1本運行されています。

E127-v3-0503232005/3/23 新津 E127系0番台 V3編成
同編成は2008年の越後線内の事故で廃車となり、えちごトキめき鉄道には譲渡されませんでした。

ET127系電車はJR東日本が新潟地区で1995年5月8日から運用していたE127系0番台で2両編成13本が製造され運用されていましたが、V3編成は2008年9月に発生した越後線内での踏切事故で列車火災を起こし、クモハE127-3が焼損し、クハE127-3もろとも2014年10月20日付で廃車となり、V12,V13編成はV1,V2編成として鎌倉車両センター中原支所に転属、南武支線浜川崎線で営業運転に就き、V1,V2, V4~V11編成がえちごトキめき鉄道に譲渡されました。


主要諸元


最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s(応加重付)
減速度(常用) 3.6 km/h/s(応加重付)
編成定員 0番台2両:275名
編成重量 2両:62.0 t
全長 20,000 mm
車体長 0番台:19,570 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,017 mm(空調機高さ)0番台:4,090 mm
車体高 0番台:3,620 mm
床面高さ 1,130 mm
車体 ステンレス
台車 軸梁式ボルスタレス台車 0番台:DT61A・TR246A
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT71形
主電動機出力 120 kW × 4
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 14:99(7.07)
編成出力 480 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 逆導通GTOサイリスタ素子(製造時) IGBT素子(機器更新後)
制御装置 SC51形・SC51A形(1C2M2群制御)→SC102A形
制動装置 回生・発電併用電気指令式空気ブレーキ 抑速ブレーキ
保安装置 ATS-SN


Dsc09304_202511110922012024/8/20 直江津 ET127系 V-2編成 標準色
妙高山の山並みをイメージしたフレッシュグリーンを纏っています。

Dsc093772連を3併結した6連での運用もあるようで、中間には横須賀色のV8編成(田島ルーフィング広告)、反対側の端には田辺工業広告のV3編成が連結されているようです。

Dsc09380 Dsc09302_20251111092801こちらはミタカ広告のV4編成
他に懐かしの新潟色(田島ルーフィング広告)のV1編成や日本曹達広告のV5編成といったスペマーもいるようです。

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2025年10月 1日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その18 新潟支社内で活躍するローカル列車 電車編 E129系 part2 4連B編成

E129系には昨日の記事にある2連と4連が設定されており、両編成を併結し、6連とすることで混雑時の需要に対応しています。中間車はモハE129形とモハE128形でそれぞれがクモハE128形、クモハE129形とMM'ユニットを組んでいます。モハE129形には制御装置、集電装置、モはE128形にはCPが搭載されています。両車ともそれぞれのユニットの内側の台車が電動台車となる半電動車方式となっています。

E129-4b
E129系 4連B編成 編成表

2022年8月3日から4日未明の豪雨で坂町駅構内が冠水、B18編成、キハ111-202,キハ112-202の一部が水没する事故となりました。

E129100-b1-2408182024/8/18 新潟 B1編成

E129100-b3-2408182024/8/18 新潟 B3編成 線路モニタリング装置(軌道変位・軌道材料モニタリング装置)搭載編成

E129100-b5-2408182024/8/18 新津 B5編成

E129100-b22-240818-42024/8/18 新潟 B22編成

水没事故にあったB18編成のその後が気になるところですが、新幹線の車両基地が冠水してみたり、最近は思わぬ水害で新製まもない車両が廃車に追い込まれるケースが多発しています。今年も四日市駅そばの地下駐車場で駐車中だった大量のクルマが水没するという事故がありました。激甚化するこういった水害に対して有効な対策が無いのが大きな問題に感じます。

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2025年5月 9日 (金)

国際線進出、アメリカ・メインランド路線用に導入されたANAのB747-281B 3 JA8181

cn23968/ln667 として製造、N6055Cのテストレジにて1986年12月13日に初飛行、12月22日ANAに引き渡された3機目の-281BがJA8181でした。

Ja8181-ana-b747281b-cn23968-ln667-941119

1994/11/19 NRT

JA8174, JA8175と同様にワシントンDC線、ロサンゼルス線に早速投入されました。しかしB747-400が長距離国際線の主力になる1990年秋以降は東南アジア路線などに回り、1999年5月26日、ANAからNCAに転籍となり、貨物機に改修され、-281BFとなりました。

Ja8181-nca-b747281bf-cn23968-ln667-99112

1999/11/21 NRT

2008年3月に保管状態となり、レジはN288RFに変更となりました。

2010年11月13日からアルメニアのVeteran Aviaのフリートメンバーになり、レジもEK74798となりますが、2013年12月4日21:19分頃Saudi Arabian Airlinesにリース中だった同機はSV6814便としてJeddah-Prince Abdullah Air Base (JED/OEJN)からAbuja-Nnamdi Azikiwe International Airport (ABV/DNAA)に着陸する際にオーバーラン事故を起こし、大破しました。この事故はAbuja空港の滑走路が当日、工事中で着陸滑走距離が1100mに短縮されていたにもかかわらず(NOTAMで公示はされていましたが)、出発空港でデスパッチャーがその件を搭乗員に伝えなかったため、さらにATISでも情報は流していなかったため、着陸後気づき、A3出口から滑走を離れようと右旋回を試みるも間に合わず、滑走路脇に駐機していた建設機械に衝突した事故でした。
事故機のトータルの飛行回数は15255回、飛行時間は94330時間でした。乗員6名は前輪後方の主電子機器整備用ドアからアビオニクス室に避難し、無傷でした。

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2025年3月28日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 13 JA8156

cn22709/ln541として製造、1981年9月21日N5573Bのテストレジにて初飛行、1981年12月17日にANAに引き渡されたのがJA8156でした。

同機は14機目のSR-81でした。就航当初は国内線専用機としてCF6-45A2エンジンにて飛んでいましたが、1991年頃から、国際線に就航可能なようにエンジンをCF6-50E2に換装、まずはJA8157の補佐役としてシドニー線スタンバイ機となり、1995年からは関西空港発着の香港線用機材、1996年からは名古屋空港発着のホノルル線専用機材としての活躍の場が与えられました。

1985年5月28日午前11時14分頃、乗客204名、乗員18名で東京羽田国際空港からのNH81便として那覇空港のRWY18にGCA方式で着陸しようとしたところ、主脚が接地し、リバース操作が行われた直後に左前方の誘導路から滑走路に進入直前の自衛隊機QM-22(航空自衛隊所属三菱式MU-2A型73-3222)を視認、直ちに右方向に回避操作を行い、同機は左側でQM-22と交差、その際に衝撃、あるいは衝撃音が無く、回避できたものと判断、客室乗務員からも客室内で異常がないことを確認、グランドコントロール(GND)と無線交信し、ターミナルビルに向かって地上滑走を続けました。
自衛隊機QM-22は救難訓練のため、機長、副操縦士、機上無線員、救難員の4名が乗り組み、11時08分06秒、那覇GNDの許可を得て駐機場から地上滑走を開始、気象情報によると視程が3kmで計器気象状態であったため、GNDに対し、特別有視界飛行方式での飛行許可を要求、このリクエストに対してGNDは誘導路E-2の停止線手前で停止の指示を出し、那覇タワー(TWR)へのコンタクトを指示しました。離陸準備の完了をTWRに告げ、特別有視界飛行方式での飛行許可を求めました。11時11分、管制の指示通り、E-2の停止線前で停止。TWRは沖縄アプローチ(APP)から特別有視界飛行方式の飛行の許可を受理、同許可を伝達するためQM-22を呼んだところ、応答はなく、24秒後に再度、呼びかけ、許可を発出。トランスポンダーコード番号の聞き取り等の不具合の確認等の後、離陸前点検が機長、副操縦士間で行われ、滑走路に向かって地上滑走が開始されました(停止が解除されていない、離陸許可だ出ていないにもかかわらず)
QM-22の副操縦士によれば、滑走路の中心線に向かって地上滑走中、突然、右主翼端から押されるような衝撃を受け、機体が左右に揺れ、同時に頭上を航空機が前方に通過していったとのこと。接触は11時14分頃のことでその旨をTWRに連絡しました。

機体の損傷
JA8156は小破、No1エンジンカウリングの下面損傷、ドレーンマストの一部欠損
MU-22は中破、右主翼端燃料タンク中央上部の破損、及び擦過傷痕、右主翼上部蓋板の破損

この事故の報告書はこちらから入手可能です(報告書(PDF)公表)

正にこの事故、2024年1月2日の羽田空港での海保機とJAL機の衝突事故とよく似た事故だったことがわかります。NH81便が自衛隊機を視認し、回避できたことで衝突による被害を小さくできたことがわかります。

1985年10月25日に公表された航空事故調査委員会(2008年10月からJTSB運輸安全委員会)の報告書では自衛隊機の機長、副操縦士が離陸許可を得たものと相互に錯誤し、滑走路に進入させたのが原因としています。

Ja8156-ana-b747sr81-cn22709-ln541 撮影時期不詳 HND

Ja8156-ana-b747sr81-cn22709-ln541-980102 1998/1/2 HND

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2004年8月、ANAを退役後、N233BAにリレジされ、Boeing Aircraft Holding Companyが管理しますが、2005年2月には解体されています。

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2025年2月21日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 8 JA8146

cn22292/ln456として製造、1980年5月23日に初飛行、6月16日にANAに引き渡されたのがJA8146でした。

同機は1994年9月4日、羽田発NH141便として開港したての関西国際空港に国内線1番機として着陸した機体でもありました。

また1995年6月21日、羽田発NH857便として函館空港に向けて飛行中、11時45分頃、山形県上空でオウム真理教の信者と名乗る一人の中年男性に乗っ取られ、函館空港に着陸、乗客・乗員365名を人質に、麻原彰晃被告の釈放、燃料補給と羽田へ引き返すことを要求、翌日の午前3時39分、道警機動隊及び警視庁第六機動隊特科中隊SAPが機内に突入し、午前3時45分に犯人は逮捕されました。

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-961013 1996/10/13 HND 旧国際線ターミナル

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-010506 2001//5/6 HND 第一ターミナル

2003年7月30日に退役となり、Boeing社に売却、N292BAのレジが付与されました。既に解体済みです。

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2025年1月17日 (金)

海保機・JAL機 羽田空港衝突事故とJeju航空機事故に関して (続報)

2024年に起こった2つの大きな航空機事故に関して、前者は昨年12月27日の記事で、後者に関しては今年1月8日の記事で触れましたが、前者に関しては160頁弱(本文は135頁)の事故調査の経過報告書(令和6年12月25日運輸安全委員会)を読み返し、気づいた点を整理しました。後者に関しては事故機の残骸から回収されたフライトレコーダー(FDR)・ボイスレコーダーCVR)に関してアメリカで解析を行ったところ、衝突4分前に両レコーダーの記録が止まっており、最後の4分間のデータが記録されていなかったというニュースがありました。。

羽田空港衝突事故ですが、報告書では海保機をA機、JAL機をB機とし、他、衝突時刻、離陸、着陸準備にあった機をC,D機としています。この記事では引用文(” ”で囲まれた文章)内の記載もA機を海保機、B機をJAL機としました。

”スポットN957へのトーイング中に、機上整備員Aが補助動力装置(以下「APU」という。)を始動させ、APUジェネレータ(以下「APU GEN」という。)を海保機の電源系統と接続したところ、APUが停止した。”

海保機はエンジンの始動の際に電源を供給するAPU-GEN(APUジェネレーター)のコントロール・ユニットが不調で羽田出発の際に上記のようなトラブルが発生していました。新潟空港を経由して小松空港へ、さらに羽田空港に戻る際にそれぞれの空港でエンジンを始動する際に電源を如何にして確保するするか、新潟空港、小松空港で電源車を借用できるか否か、海上保安庁本庁対策本部及び第三管区海上保安本部の担当者の調整待ちで出発することになりました。

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海保機のタキシング経路 (経過報告書7頁の図1から)

海保機は17時32分頃、スポットN957を離れ、RWY34Rからの離陸に向けタキシングを開始しました。新潟空港までの飛行計画は
計器飛行方式、巡航速度:230kt、巡航高度:12,000ft、経路ROVER~AKGI~Y372(RNAV)~KALON~Y37(RNAV)~GOSEN 所要時間70分 燃料搭載量:6時間30分、搭乗者数6名 でした。

操縦室に機長(PF飛行を担当)左操縦席、副操縦員(PM通信、計器のモニターを担当)右操縦席、機上整備員が後方中央のオブザーバー席に、機上通信員、機上探索レーダー員、航空員が客室に

 タキシング中、まずタワー西とコンタクト、17時44分13秒、グランド東へ、誘導路HからCへ右折、ここからタワー東とコンタクト、この時点で誘導路C上には先行機が2~3機、後続機が1基おり、機長は先行機の離陸後に順番が回ってくると考えていました。17時45分14秒、タワー東から誘導C5の停止位置が指示され、離陸順番が1番目の趣旨で

”「No.1, taxi to holding point C5」” と伝達され、指示を復唱、誘導路C5に向けてタキシングを継続

機長の記憶では

”「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です。)」と言われたと ”

”機長Aは、離陸する他の航空機が誘導路C1に向かっている流れの中で、自機に誘導路C5の指示が来たことについて、運航情報官に飛行計画書を提出したときに自機の飛行目的が震災支援物資輸送であると伝えてあったため、それが航空管制官に伝わっており、離陸の順位を優先してくれたのだと思った。機長Aは、誘導路C5から滑走路34Rに進入した場合に離陸に使用できる滑走路の残距離が海保機の必要離陸距離に十分であることを、副操縦員Aと共に確認した。”   

一方、羽田基地を出発する前の懸案事項だった、新潟、小松空港での電源車の確保に関して、小松空港での電源車の借用は不可能であることがわかり、基地から機長にその旨が伝えられました。代替手段として着陸後、右エンジンを停止せずに回したままにしておくことで電源を確保する手段も連絡されました。機長は管制とのコンタクトと基地とのコンタクトを傍受しており、さらにこの通信中に

”、機長Aの口述によれば、この無線のやりとりに一部重なるタイミングで、海保機に対してタワー東から「Runway 34R, cleared for take-off (滑走路34R、離陸支障ありません)」の許可があったと記憶しているとのことである。 ”

離陸許可が出たと判断した機長は

副操縦員に離陸前点検(Before Takeoff Checklist)を指示、副操縦員はBefore Takeoff Checklistを実施し、タキシング中は赤の点滅だったストロボライトを衝突防止灯(白色点滅)にかえています。これは空港監視カメラの映像にも記録されていました。

”17時46分46秒、海保機は、滑走路34Rの中心線上で離陸方向(北西向き)に正対して停止し(C滑走路南東端から560m付近)、17時47分27秒、滑走路34Rに着陸してきたJAL機と衝突した。”

不幸な偶然として、海保機がタワー東とコンタクトする前にJAL機の着陸許可が出されていたために、機長、副操縦員は着陸進入中のJAL機を認識していなかったことも挙げられます。さらに滑走路進入の際に注意を喚起する停止線灯が事故当時、老朽化のための更新工事で運用を停止していたのも「不幸な偶然」でした。

後から思えば、Intersection Depatureで先行機を追い越して離陸が許可される、能登半島地震の支援物資輸送という任務が優先されているという思い込みと、通信の輻輳という事態が重なり、大きなミスがこの時点で生じたのかと思われます。

衝突後、機長はエンジンが爆発したのかと思い、数秒間伏せた後、オブザーバー席の機上整備員、さらに副操縦員を探したが、姿は見えず、機内が燃えていたので、操縦席上部の非常脱出口から脱出、改めて5名の乗組員を探したが発見できませんでした。滑走路脇の草地から羽田基地に携帯電話でコンタクト、羽田基地から羽田特殊救難基地に連絡が入り、熱傷対応旧機材をの装備したSRT隊員などが現場に向かい、さらに空港事務所からも消防車、救急車が出動、機長は病院に搬送されました。

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羽田空港管制塔の管制卓配置図 (経過報告書12頁の図3から)

海保機とコンタクトしていたタワー東は17時42分ごろ、A滑走路を横断する海保機を認識、

”タワー東は、海保機は海上保安庁所属の航空機であるものの、捜索救難機のように優先的な取扱いの必要がない、物資輸送のための飛行であることを、事前に飛行計画を確認し把握していた。”

ここに海保機の機長の思い込みと管制官の認識の違いを見て取ることができます。

”17時45分10秒、グラウンド東から誘導路C上で通信移管された海保機が、タワー東を呼び込んだ。タワー東は、海保機に対し、離陸順位が1番であることを通報するとともに、海保機の前方に4機の出発機が並んでいたことから、海保機を予定どおりJAL機の着陸後、D機の着陸前に離陸させるため、海保機の位置から最も近い誘導路C5からのインターセクション・デパーチャーをさせることとして、海保機に対し誘導路C5の滑走路停止位置までの地上走行を指示した。海保機は、タワー東に対し、誘導路C5の滑走路停止位置へ走行すること、1番であることを復唱した。タワー東は、海保機の復唱に間違いがないことを確認し、海保機が誘導路C5へ走行していることを目視した。”

タワーが離陸機の順番をこのように割り振ったのは、東京ターミナル管制所羽田出域調整席の管制官(DF)から海保機の離陸のタイミングを相談され、国際線出発機であるC機の離陸の後にD機を着陸させると後方乱気流の影響を受けるので、JAL機の後に海保機を離陸させ、D機を下ろし、次いでC機を離陸させればその影響が少なくなると判断したからでした。そのために海保機をC5からRWY34に入れ、インターセクション・デハーチュアとしたのでした。

このJAL機とD機の着陸の合間に海保機を離陸させるために、D機に対しては着陸進入速度を下げるように指示、JAL機が着陸し、C5前を通過したらすぐに海保機を滑走路に入れ、待機するように指示するため、JAL機の動きを注視していました。このとき、海保機がC5停止位置で待ての指示に反して滑走路に進入していたのを見逃していました。

まさに衝突の15秒前にDFが空港面画面上で滑走路占有重複状態となっているのを2008年3月から導入された滑走路占有監視支援機能が示しているのを東京ターミナル管制所のDFが気付き、タワー東担当の管制官に”JAL機はどうなっているか(滑走路上に海保機がいるがJAL機の復行指示は出したかという意味で)”と問い合わせたものの、タワー東管制官はその意味が分からず対応しないうちに衝突に至りました。ただ、このシステムはこれまで「狼少年的に」滑走路の占有に重複がない状態でも注意喚起が出されるケースがしばしばあり、管制官側ではあまり信用されていなかったようでもあります。

JAL機から炎が上がるのを見た、タワー東管制官は空港事務所空港し、、保安防災課、運航情報官及び東京ターミナル管制所へ通報、着陸体制に入っていたD機に対しては復行を指示、全ての地上の航空機に対しては現在位置で停止を指示、JAL機から脱出した乗客の安全を確保するとともに事故対応車両及び人員の支障にならないように、駐機場所までの移動を指示、さらに東京ターミナル管制所は復行した航空機、および管制下にあった航空機に対し、成田国際、中部国際、関西国際空港等への目的地変更を行いました。

JL516便は16時27分に新千歳空港を離陸、機長のほか運航乗務員2名、客室乗務員9名及び乗客367名の計370名が搭乗していました。右操縦席にA350型式移行訓練中の副操縦士が着座、PFとして操縦を担当していました。機長は左席でPM業務を担当、訓練乗務員の指導を行っていました。さらにA350型副操縦士資格者(セイフティ・パイロット)1名がオブザーバー席に着座していました。

JAL機は新千歳空港から順調にフライトし、タワー東とコンタクトする前からRWY34Rは視認出来ていました。17時44分56秒にRWY34Rへの着陸許可が下りました。PF担当の訓練乗員は高度1140ftで自動操縦から手動操縦に切り替え、高度1000ftを通過した後、風向きが地上でも変わらないことを確認、進入を継続、セイフティ・パイロットは外部監視、管制交信のモニター、飛行諸元のモニターを行っていました。17時47分26秒ごろ、主脚が滑走路に接地、逆噴射のための操作を行い、着陸灯を点灯したとたん、小型の機体が正面に現れ、大きな衝撃が発生しました。最終進入中、3名の運航乗務員はRWY34R上を監視していましたが、滑走路上に小型機が止まっていることにはまったく気づきませんでした。

なぜ、JAL機は滑走路上に停止していた海保機に気づかなかったか、この点に関しては海保機の機体尾部の衝突防止灯、下部尾灯位置灯、垂直尾翼上部の上部位置灯がいずれも白色であり、Intersection Deoartureのため海保機が停止していた場所の周囲には滑走路に埋設された中心線灯、接地帯灯があり、これらも白色等であったことが原因として考えられます。


衝突時の対地速度は120kt(222km/h)、ピッチ角3.5度(上向き)、機種方位337度で前脚は接地していませんでした。

衝突後、操縦を機長が担当、ブレーキ操作を行ったが、減速は感じることがなく、機の進路が徐々に右にずれていったためステアリング及び方向舵で修正を試みるも操縦に応じた機体の動きはありませんでした。滑走路南東端から2118m付近で滑走路を東側に逸脱、草地を走行し、RWY16L用の進入角指示灯に接触、、滑走路34R南東端から2,298m、滑走路中心から東側に56m(滑走路長辺端から26m)の付近、機首方位はおおむね345°(磁方位)で、17時48分14秒ごろ、機体が停止しました。

機内では主脚が接地した直後、異常音が発生、何かに乗り上げる動きが感じられ、大きな減速を感じることはありませんでした。左右の主翼下面付近で火災が発生(乗客が視認)、前方から3番目の出口付近の客室内で異臭が発生し始めました。衝突後、客室乗務員は乗客に対し、「頭を下げて」と衝突防止姿勢を取るための指示を連呼、操縦室とインターホンで連絡を試みるもインターホンでの通話ができませんでした

機長は非常脱出を決定、そのための手順を開始、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の知らせを受け、脱出指示装置を試みるも作動せず機内放送システムも使用できなかったため、大声で脱出を指示しました。左右のエンジンを停止する手順、消火剤の放出操作を行った結果、左エンジンは停止しましたが、右エンジンは停止せず、エンジンの作動状況について操縦室内の計器上に何の変化も起こりませんでした

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非常脱出で使用された出口 (経過報告書20頁の図7から)

各出口に配置された客室乗務員はそれぞれの担当出口の外部の状況を見て、L1,R1,L4以外の出口は火災の状況から脱出に適していないと判断し、17時51分60秒頃、L1,R1のドアを開放、脱出用スライドを展開し、乗客の脱出を開始しました。客室内に煙が充満してきたこと、周囲の状況の切迫を受け、L4出口も脱出可能と判断し、17時55分頃、L4ドアも開放され、周囲の乗客の脱出を指示しました。L1,R1からの脱出が340~350名程度、L4からが20~30名程度で、脱出の際に1名が肋骨骨折の重傷、軽傷が4名、12名が体調不良を訴え、医療機関を受診しました。海保機側は機長は火傷で重傷、他5名の死因は現時点では不明とのことです。

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海保機とJAL機が衝突した際の位置関係 (経過報告書70頁の図39から)

両機が衝突した際の位置関係は空港監視カメラの映像、JAL機のFDRデータや残骸の衝突痕から、上図のようであったと推定されています。海保機は胴体上部が激しく損傷、主翼、尾部が胴体から分離、上部後方からの圧力で押しつぶされた形で衝突地点から約90m先の滑走路上に擱座していました。JAL機は機種部分が海保機の尾部に衝突、操縦室床下の電気室の前方部分に大きな損傷を受けたようです。
幸いにも主脚が倒壊しなかったため、機体が横転や回転することなく、大きな進路変更を伴わずに停止することが出来ました。JAL機のFDR(フライトレコーダ)は衝突後約1.9秒後に記録を停止していました。これは、衝突の0.8秒後にFDRに電力を供給する115V AC EMER BUS1の出力が失われたことによると記録されていました。CVR(ボイスレコーダ)は機体が滑走路外で停止した5秒後に停止していました。、滑走路からの逸脱、停止時の衝撃によりCVRに電力を供給する28V DC EMER BUS2の電源が失われたか、EPDC又は周辺配線が損傷したことによる可能性が推定されています。
前脚は支柱の途中で折損、機体から分離し、衝突地点から480m先の滑走路上に脱落していました。支柱が残っていたため機首部胴体下面が滑走中、地面と接触することは避けられました。

これらの損傷が機体滑走、停止、脱出時の操縦性を失わせ、機内でのインターホンでの連絡を妨げた原因になったことは容易に想像できます。

海保機の5名の乗員の方々は誠に残念ですが、JAL機の乗客に犠牲者が出なかったことは正に不幸中の幸いであることがこの中間報告書からもよくわかりました。
亡くなった5名の海保機の乗員の方々の死因に関しては現在調査中とのことですが、5名の遺体は機内、機体周辺で発見されたとのことですが、衝突時になぜ機長だけ助かることが出来たのか、この点に関してはこの報告書では触れられていません。

報告書の末尾に海保機、JAL機の機内での会話の様子が記録されていますが、JAL機が衝突後、停止するまでの状態は、韓国でのJeju航空機の記録されなかった4分、バードストライク~電源喪失~胴体着陸~コンクリート壁に激突までの過程と似ており、あのコンクリートの壁さえなければあのような大事故にはならなかったのではと思う次第です。

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2025年1月 8日 (水)

2024年年末、海外で起きた2件の航空機事故に関して 後編 Jeju航空2216便、務安空港胴体着陸・衝突事故

昨日の記事で触れたアゼルバイジャン航空機の事故から僅か数日後の2024年12月29日、タイ・バンコクのSuvarnabumi空港を現地時間午前2時11分(UTC+7hr)に出発し、2時28分に離陸、韓国全羅南道務安郡のMuan International Airportに向かっていたJeju Air 2216便(7C2216: Boeing737-8AS HL8088, 乗客175名、乗員4名搭乗)が韓国時間午前8時54分、同空港RWY01への着陸を許可され、8時57分には管制官からバードストライクの危険性を警告されました。その2分後、パイロットからメーデーが発せられ、着陸復航し、旋回して反対側のRWY19からの着陸を試みることになりました。なぜかこの後、同機はランディングギアを下ろさない状態で胴体着陸をし、滑走路をオーバーランしてILSアレイが設置された外壁に時速約200kmで衝突、機体は分解・炎上し、搭乗者のうち、後部にいた乗員2名だけが命をとりとめ、179名が死亡するという大惨事となりました。

Hl8087-boeing-7378as-35018-3078-170529-n 2017/5/29 NRT HL8087
Jeju AirのB737-8は成田空港でもよく撮影しており、事故機と1番違いのHL8087の写真がありました。

事故を起こしたHL8088はcn37541/ln3012として2009年8月19日に初飛行、EI-EFRとしてアイルランドのRyanair にリース契約で同年9月4日に引き渡され、7年強在籍した後、2016年11月24日に返却、2017年2月3日からJeju Airがリース導入していました。

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2216便のバンコクからムーアンまでの飛行高度と対地速度の変化を示したグラフ Flightradar24 から

同便はUTC時間の19:30離陸し、約20分で高度34000ftに到達、暫らく同高度でフライトした後、36000ftに上昇し、着陸態勢に入るまで同高度を維持しています。ムーアン付近は渡り鳥が寄港地となっており、バードストライクの危険性は指摘されており、現にこの事故でも管制官がパイロットに警告を発していました。さらにバードストライクを起こして、エンジンが二つとも停止し、電気系統のトラブルが起こったとしてもランディングギアは副操縦士の座席後ろのひもをを引くことで通常よりは時間がかかるものの、自重で降りる仕組みとなっており、胴体着陸をしなければならなかったのが謎とされています。
恐らく、バードストライクの結果、最初は片側のエンジンの故障だけだったようですが、2個のエンジンが停止する事態となり、高度もかなり低かったことからパイロットはランディングギアが降りるのは間に合わないと判断して胴体着陸に踏み切ったのではないかと思われます。
同機が胴体着陸をしてランウェイ上を滑走する様子は動画として記録、放映もされていますがその先にILSを設置したコンクリートの壁が設けられていたことはこの事故を大惨事とした最大の要因と考えられています。

昨年1月2日の羽田空港C滑走路上での海保機とJAL機の衝突事故もJAL機が海保機と衝突した際に前脚が破損したものの、RWYをはみ出し、無事停止することができたために乗客乗員に死者が出ずに緊急脱出することができましたが前脚の破損で機体が横転や回転していたらどうなっていたかわかりません。
事故機から回収されたフライトレコーダー、ボイスレコーダーの解析はアメリカで行われるようですが、なぜ胴体着陸に至ったのかその辺の機内での判断が明らかにされることを望みます。

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