海保機・JAL機 羽田空港衝突事故とJeju航空機事故に関して (続報)
2024年に起こった2つの大きな航空機事故に関して、前者は昨年12月27日の記事で、後者に関しては今年1月8日の記事で触れましたが、前者に関しては160頁弱(本文は135頁)の事故調査の経過報告書(令和6年12月25日運輸安全委員会)を読み返し、気づいた点を整理しました。後者に関しては事故機の残骸から回収されたフライトレコーダー(FDR)・ボイスレコーダーCVR)に関してアメリカで解析を行ったところ、衝突4分前に両レコーダーの記録が止まっており、最後の4分間のデータが記録されていなかったというニュースがありました。。
羽田空港衝突事故ですが、報告書では海保機をA機、JAL機をB機とし、他、衝突時刻、離陸、着陸準備にあった機をC,D機としています。この記事では引用文(” ”で囲まれた文章)内の記載もA機を海保機、B機をJAL機としました。
”スポットN957へのトーイング中に、機上整備員Aが補助動力装置(以下「APU」という。)を始動させ、APUジェネレータ(以下「APU GEN」という。)を海保機の電源系統と接続したところ、APUが停止した。”
海保機はエンジンの始動の際に電源を供給するAPU-GEN(APUジェネレーター)のコントロール・ユニットが不調で羽田出発の際に上記のようなトラブルが発生していました。新潟空港を経由して小松空港へ、さらに羽田空港に戻る際にそれぞれの空港でエンジンを始動する際に電源を如何にして確保するするか、新潟空港、小松空港で電源車を借用できるか否か、海上保安庁本庁対策本部及び第三管区海上保安本部の担当者の調整待ちで出発することになりました。
海保機のタキシング経路 (経過報告書7頁の図1から)
海保機は17時32分頃、スポットN957を離れ、RWY34Rからの離陸に向けタキシングを開始しました。新潟空港までの飛行計画は
計器飛行方式、巡航速度:230kt、巡航高度:12,000ft、経路ROVER~AKGI~Y372(RNAV)~KALON~Y37(RNAV)~GOSEN 所要時間70分 燃料搭載量:6時間30分、搭乗者数6名 でした。
操縦室に機長(PF飛行を担当)左操縦席、副操縦員(PM通信、計器のモニターを担当)右操縦席、機上整備員が後方中央のオブザーバー席に、機上通信員、機上探索レーダー員、航空員が客室に
タキシング中、まずタワー西とコンタクト、17時44分13秒、グランド東へ、誘導路HからCへ右折、ここからタワー東とコンタクト、この時点で誘導路C上には先行機が2~3機、後続機が1基おり、機長は先行機の離陸後に順番が回ってくると考えていました。17時45分14秒、タワー東から誘導C5の停止位置が指示され、離陸順番が1番目の趣旨で
”「No.1, taxi to holding point C5」” と伝達され、指示を復唱、誘導路C5に向けてタキシングを継続
機長の記憶では
”「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です。)」と言われたと ”
”機長Aは、離陸する他の航空機が誘導路C1に向かっている流れの中で、自機に誘導路C5の指示が来たことについて、運航情報官に飛行計画書を提出したときに自機の飛行目的が震災支援物資輸送であると伝えてあったため、それが航空管制官に伝わっており、離陸の順位を優先してくれたのだと思った。機長Aは、誘導路C5から滑走路34Rに進入した場合に離陸に使用できる滑走路の残距離が海保機の必要離陸距離に十分であることを、副操縦員Aと共に確認した。”
一方、羽田基地を出発する前の懸案事項だった、新潟、小松空港での電源車の確保に関して、小松空港での電源車の借用は不可能であることがわかり、基地から機長にその旨が伝えられました。代替手段として着陸後、右エンジンを停止せずに回したままにしておくことで電源を確保する手段も連絡されました。機長は管制とのコンタクトと基地とのコンタクトを傍受しており、さらにこの通信中に
”、機長Aの口述によれば、この無線のやりとりに一部重なるタイミングで、海保機に対してタワー東から「Runway 34R, cleared for take-off (滑走路34R、離陸支障ありません)」の許可があったと記憶しているとのことである。 ”
離陸許可が出たと判断した機長は
副操縦員に離陸前点検(Before Takeoff Checklist)を指示、副操縦員はBefore Takeoff Checklistを実施し、タキシング中は赤の点滅だったストロボライトを衝突防止灯(白色点滅)にかえています。これは空港監視カメラの映像にも記録されていました。
”17時46分46秒、海保機は、滑走路34Rの中心線上で離陸方向(北西向き)に正対して停止し(C滑走路南東端から560m付近)、17時47分27秒、滑走路34Rに着陸してきたJAL機と衝突した。”
不幸な偶然として、海保機がタワー東とコンタクトする前にJAL機の着陸許可が出されていたために、機長、副操縦員は着陸進入中のJAL機を認識していなかったことも挙げられます。さらに滑走路進入の際に注意を喚起する停止線灯が事故当時、老朽化のための更新工事で運用を停止していたのも「不幸な偶然」でした。
後から思えば、Intersection Depatureで先行機を追い越して離陸が許可される、能登半島地震の支援物資輸送という任務が優先されているという思い込みと、通信の輻輳という事態が重なり、大きなミスがこの時点で生じたのかと思われます。
衝突後、機長はエンジンが爆発したのかと思い、数秒間伏せた後、オブザーバー席の機上整備員、さらに副操縦員を探したが、姿は見えず、機内が燃えていたので、操縦席上部の非常脱出口から脱出、改めて5名の乗組員を探したが発見できませんでした。滑走路脇の草地から羽田基地に携帯電話でコンタクト、羽田基地から羽田特殊救難基地に連絡が入り、熱傷対応旧機材をの装備したSRT隊員などが現場に向かい、さらに空港事務所からも消防車、救急車が出動、機長は病院に搬送されました。
羽田空港管制塔の管制卓配置図 (経過報告書12頁の図3から)
海保機とコンタクトしていたタワー東は17時42分ごろ、A滑走路を横断する海保機を認識、
”タワー東は、海保機は海上保安庁所属の航空機であるものの、捜索救難機のように優先的な取扱いの必要がない、物資輸送のための飛行であることを、事前に飛行計画を確認し把握していた。”
ここに海保機の機長の思い込みと管制官の認識の違いを見て取ることができます。
”17時45分10秒、グラウンド東から誘導路C上で通信移管された海保機が、タワー東を呼び込んだ。タワー東は、海保機に対し、離陸順位が1番であることを通報するとともに、海保機の前方に4機の出発機が並んでいたことから、海保機を予定どおりJAL機の着陸後、D機の着陸前に離陸させるため、海保機の位置から最も近い誘導路C5からのインターセクション・デパーチャーをさせることとして、海保機に対し誘導路C5の滑走路停止位置までの地上走行を指示した。海保機は、タワー東に対し、誘導路C5の滑走路停止位置へ走行すること、1番であることを復唱した。タワー東は、海保機の復唱に間違いがないことを確認し、海保機が誘導路C5へ走行していることを目視した。”
タワーが離陸機の順番をこのように割り振ったのは、東京ターミナル管制所羽田出域調整席の管制官(DF)から海保機の離陸のタイミングを相談され、国際線出発機であるC機の離陸の後にD機を着陸させると後方乱気流の影響を受けるので、JAL機の後に海保機を離陸させ、D機を下ろし、次いでC機を離陸させればその影響が少なくなると判断したからでした。そのために海保機をC5からRWY34に入れ、インターセクション・デハーチュアとしたのでした。
このJAL機とD機の着陸の合間に海保機を離陸させるために、D機に対しては着陸進入速度を下げるように指示、JAL機が着陸し、C5前を通過したらすぐに海保機を滑走路に入れ、待機するように指示するため、JAL機の動きを注視していました。このとき、海保機がC5停止位置で待ての指示に反して滑走路に進入していたのを見逃していました。
まさに衝突の15秒前にDFが空港面画面上で滑走路占有重複状態となっているのを2008年3月から導入された滑走路占有監視支援機能が示しているのを東京ターミナル管制所のDFが気付き、タワー東担当の管制官に”JAL機はどうなっているか(滑走路上に海保機がいるがJAL機の復行指示は出したかという意味で)”と問い合わせたものの、タワー東管制官はその意味が分からず対応しないうちに衝突に至りました。ただ、このシステムはこれまで「狼少年的に」滑走路の占有に重複がない状態でも注意喚起が出されるケースがしばしばあり、管制官側ではあまり信用されていなかったようでもあります。
JAL機から炎が上がるのを見た、タワー東管制官は空港事務所空港し、、保安防災課、運航情報官及び東京ターミナル管制所へ通報、着陸体制に入っていたD機に対しては復行を指示、全ての地上の航空機に対しては現在位置で停止を指示、JAL機から脱出した乗客の安全を確保するとともに事故対応車両及び人員の支障にならないように、駐機場所までの移動を指示、さらに東京ターミナル管制所は復行した航空機、および管制下にあった航空機に対し、成田国際、中部国際、関西国際空港等への目的地変更を行いました。
JL516便は16時27分に新千歳空港を離陸、機長のほか運航乗務員2名、客室乗務員9名及び乗客367名の計370名が搭乗していました。右操縦席にA350型式移行訓練中の副操縦士が着座、PFとして操縦を担当していました。機長は左席でPM業務を担当、訓練乗務員の指導を行っていました。さらにA350型副操縦士資格者(セイフティ・パイロット)1名がオブザーバー席に着座していました。
JAL機は新千歳空港から順調にフライトし、タワー東とコンタクトする前からRWY34Rは視認出来ていました。17時44分56秒にRWY34Rへの着陸許可が下りました。PF担当の訓練乗員は高度1140ftで自動操縦から手動操縦に切り替え、高度1000ftを通過した後、風向きが地上でも変わらないことを確認、進入を継続、セイフティ・パイロットは外部監視、管制交信のモニター、飛行諸元のモニターを行っていました。17時47分26秒ごろ、主脚が滑走路に接地、逆噴射のための操作を行い、着陸灯を点灯したとたん、小型の機体が正面に現れ、大きな衝撃が発生しました。最終進入中、3名の運航乗務員はRWY34R上を監視していましたが、滑走路上に小型機が止まっていることにはまったく気づきませんでした。
なぜ、JAL機は滑走路上に停止していた海保機に気づかなかったか、この点に関しては海保機の機体尾部の衝突防止灯、下部尾灯位置灯、垂直尾翼上部の上部位置灯がいずれも白色であり、Intersection Deoartureのため海保機が停止していた場所の周囲には滑走路に埋設された中心線灯、接地帯灯があり、これらも白色等であったことが原因として考えられます。
衝突時の対地速度は120kt(222km/h)、ピッチ角3.5度(上向き)、機種方位337度で前脚は接地していませんでした。
衝突後、操縦を機長が担当、ブレーキ操作を行ったが、減速は感じることがなく、機の進路が徐々に右にずれていったためステアリング及び方向舵で修正を試みるも操縦に応じた機体の動きはありませんでした。滑走路南東端から2118m付近で滑走路を東側に逸脱、草地を走行し、RWY16L用の進入角指示灯に接触、、滑走路34R南東端から2,298m、滑走路中心から東側に56m(滑走路長辺端から26m)の付近、機首方位はおおむね345°(磁方位)で、17時48分14秒ごろ、機体が停止しました。
機内では主脚が接地した直後、異常音が発生、何かに乗り上げる動きが感じられ、大きな減速を感じることはありませんでした。左右の主翼下面付近で火災が発生(乗客が視認)、前方から3番目の出口付近の客室内で異臭が発生し始めました。衝突後、客室乗務員は乗客に対し、「頭を下げて」と衝突防止姿勢を取るための指示を連呼、操縦室とインターホンで連絡を試みるもインターホンでの通話ができませんでした。
機長は非常脱出を決定、そのための手順を開始、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の知らせを受け、脱出指示装置を試みるも作動せず、機内放送システムも使用できなかったため、大声で脱出を指示しました。左右のエンジンを停止する手順、消火剤の放出操作を行った結果、左エンジンは停止しましたが、右エンジンは停止せず、エンジンの作動状況について操縦室内の計器上に何の変化も起こりませんでした。
各出口に配置された客室乗務員はそれぞれの担当出口の外部の状況を見て、L1,R1,L4以外の出口は火災の状況から脱出に適していないと判断し、17時51分60秒頃、L1,R1のドアを開放、脱出用スライドを展開し、乗客の脱出を開始しました。客室内に煙が充満してきたこと、周囲の状況の切迫を受け、L4出口も脱出可能と判断し、17時55分頃、L4ドアも開放され、周囲の乗客の脱出を指示しました。L1,R1からの脱出が340~350名程度、L4からが20~30名程度で、脱出の際に1名が肋骨骨折の重傷、軽傷が4名、12名が体調不良を訴え、医療機関を受診しました。海保機側は機長は火傷で重傷、他5名の死因は現時点では不明とのことです。
海保機とJAL機が衝突した際の位置関係 (経過報告書70頁の図39から)
両機が衝突した際の位置関係は空港監視カメラの映像、JAL機のFDRデータや残骸の衝突痕から、上図のようであったと推定されています。海保機は胴体上部が激しく損傷、主翼、尾部が胴体から分離、上部後方からの圧力で押しつぶされた形で衝突地点から約90m先の滑走路上に擱座していました。JAL機は機種部分が海保機の尾部に衝突、操縦室床下の電気室の前方部分に大きな損傷を受けたようです。
幸いにも主脚が倒壊しなかったため、機体が横転や回転することなく、大きな進路変更を伴わずに停止することが出来ました。JAL機のFDR(フライトレコーダ)は衝突後約1.9秒後に記録を停止していました。これは、衝突の0.8秒後にFDRに電力を供給する115V AC EMER BUS1の出力が失われたことによると記録されていました。CVR(ボイスレコーダ)は機体が滑走路外で停止した5秒後に停止していました。、滑走路からの逸脱、停止時の衝撃によりCVRに電力を供給する28V DC EMER BUS2の電源が失われたか、EPDC又は周辺配線が損傷したことによる可能性が推定されています。
前脚は支柱の途中で折損、機体から分離し、衝突地点から480m先の滑走路上に脱落していました。支柱が残っていたため機首部胴体下面が滑走中、地面と接触することは避けられました。
これらの損傷が機体滑走、停止、脱出時の操縦性を失わせ、機内でのインターホンでの連絡を妨げた原因になったことは容易に想像できます。
海保機の5名の乗員の方々は誠に残念ですが、JAL機の乗客に犠牲者が出なかったことは正に不幸中の幸いであることがこの中間報告書からもよくわかりました。
亡くなった5名の海保機の乗員の方々の死因に関しては現在調査中とのことですが、5名の遺体は機内、機体周辺で発見されたとのことですが、衝突時になぜ機長だけ助かることが出来たのか、この点に関してはこの報告書では触れられていません。
報告書の末尾に海保機、JAL機の機内での会話の様子が記録されていますが、JAL機が衝突後、停止するまでの状態は、韓国でのJeju航空機の記録されなかった4分、バードストライク~電源喪失~胴体着陸~コンクリート壁に激突までの過程と似ており、あのコンクリートの壁さえなければあのような大事故にはならなかったのではと思う次第です。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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