2024年1月 8日 (月)

羽田空港C滑走路衝突事故 続報

1月2日夕刻に羽田空港で起きたJAL機と海保機の衝突事故の続報ですが、

国土交通省は事故時の羽田空港の管制官と着陸機、離陸機の交信記録(ATC Communications)を公開しました。

Tower-atc-freq-hnd
羽田空港のTower交信周波数 AからD4本の滑走路で異なる周波数となっています。下の交信記録は124.35Mhzのものです。

20240102-atc
2024/1/2
衝突事故直前のRWY34への着陸機JL516、JL166、離陸機JA722A、DL276、JL179と管制塔(Tokyo Tower卓)とのATC交信記録

・海保機は1月2日に4回ほどフライトを行っており、災害救援という任務からこの回の離陸の際も混雑する状況の中で最優先で離陸を許可されると思い込んでしまい"1st"という言葉を聞いて、C5停止位置で停まるべきところを間違ってRWYに入ってしまったのか?そして40秒も滑走路上に留まってしまいJAL機の衝突に至ったのか?
・管制官は海保機が停止の指示に反して、滑走路に進入したのをなぜ見逃したのか?管制官卓上のディスプレイにはこういった誤進入に際して警告する装置があり、今回もそれは正常に作動していたのになぜ見逃したのが?
・着陸態勢に入っていたJAL機の機長、副操縦士はRWY上の海保機をなぜ見逃したのか?(追記:この点に関してはAirbusA350XWBに装備されているコックピットのガラスに計器盤の内容を表示するヘッドアップディスプレイの表示が夜間の滑走路上の機体の視認を妨げた可能性も指摘されています)。

事故というのはあり得ないミスがいくつか重なって起こること、特に航空機事故の場合は過去にもそういった例が知られていますが、なぜ今回それを防ぐフェイルセーフ機構が機能しなかったのか? が正に問題です。

事故直後、消火活動などのため、羽田空港の全ての滑走路の運用が停止となり、羽田空港に向かっていた航空機は成田、茨城、セントレア空港にダイバートされました。消防車100台以上で消火活動が行われ、東京消防庁からは総勢115隊が出動し、3日午前0時10分頃、JAL機の火は消し止められました。2日21時30頃にはA、B、Dの3本の滑走路は運用が再開されましたが、日本一Trafficの多い羽田空港は3本の滑走路では発着を捌ききれず、その後、JAL,ANA,その他の会社の国内線、国際線の便が連日200便以上が欠航となりました。

海保機、JAL機の残骸の撤去が終わり、1月8日午前0時からC滑走路の運用が再開となりますが、JAL機が事故の際にRWY16Lの進入角表示灯を損傷したため、復旧まで約1か月の間は南風運用時の都心上空通過ルートが運用不可能となり、千葉県上空通過の頻度が上昇する可能性が考えられます。

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2024年1月 4日 (木)

謹賀新年 2024年は初っ端からとんでもないことが連発する年となってしまいました。

皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。

タイトルにもあるように、元日の午後4時10分、石川県鳳珠郡穴水町の北東42㎞、深さ16㎞を震央とするM7.6の地震(令和6年能登半島地震)が発生し、石川県羽咋郡志賀町で震度7が観測され、建物の倒壊などで1月3日午後2時半の時点で石川県内だけで62名の死者、28名の重傷者、203名の軽傷者が出ています。また住宅家屋の被害は新潟、富山、石川、福井、岐阜、大阪、兵庫で149棟の全壊、21棟の半壊、6棟の床上浸水、5棟の床下浸水、90棟の一部破損となっています。津波は当初は大津波の襲来が予想されましたが、輪島港で1.2m以上、金沢市で90㎝でした。被災地全体で3万人を超える人々が避難生活を余儀なくされている状況ですが、高速道路、一般道路も陥没や土砂崩れなどで寸断され物資の供給が絶たれています。

そして1月2日午後5時47分頃、新千歳空港発、羽田空港行き、日本航空516便(JL516)A350XWB-941JA13XJ)が羽田空港RWY34R(C滑走路、木更津側から)に着陸直後、能登半島地震の救援のため、新潟空港に物資を輸送中だった海上保安庁デ・ハビランド・カナダDHC-8-Q300(MA722、羽田航空基地所属)みずなぎ1号(JA722A)と滑走路上で接触、炎上する事故が起きました。JL518便には乗員12名、乗客367名が搭乗していましたが、衝突後約1000m滑走し、前脚が擱座するように停止後、脱出用シューターを展開し、搭乗者全員が無事緊急脱出に成功し、打撲等で14名の負傷者は出ましたが犠牲者は出ませんでした。この間、約18分とのことでした。一方、海保機の方は6名の搭乗員のうち、機長は脱出し、助かりましたが、副機長以下5名は死亡しました。

20240102_jl516_flightdata
2024年1月2日 JL516便のFlight Data (Fkightradar24から)
同機は新千歳空港のGate12を16:15にアウトし、16:27にRWY19Rから離陸、16:50に巡航高度40000ftに達し、17:12分頃、降下を開始し、17:47にRWY34Rに着陸しました。

Ja13xj-230512-hnd6 2023/5/12 HND JA13XJ cn538 2021年11月デリバリー
JA13XJはAirbus A350XWBとして最初の全損事故機となってしまいました。

Ja722a-bombardier-dhc8315-dash-8-170909- 2017/9/9 HND JA722A cn656
同機は2011年3月11日の東日本大震災による津波で仙台空港にて被災しましたが、2012年3月29日に修復され復帰していました。仙台空港で被災した航空機としては唯一復帰した機体でした。

私もこの事故に関しては前日の能登半島地震のNHKニュースを見ている途中で、羽田空港で火災が発生しているとの画面に切り替わり、消火活動が行われ、その後、日航機が着陸直後に火を噴き、炎上としたことを知り、さらに海保機との衝突によるものだと知り、何でこんなことになったのがと驚いた次第です。

RWY上での衝突事故であり、日航機は管制官の着陸承認を得て、着陸態勢に入っており、事故直前の視程が30㎞あったとしてもRWY上に海保機を見つけても着陸復航(ゴーアラウンド)する時間的余裕が無かったこと、一方で海保機は管制官の承認なしに滑走路に進入してしまったらしいことを考えると、非は海保機側にあるように思えます。また衝突の瞬間の映像は定点カメラなどで捉えられていますが、衝突直後の日航機の破損状況などが緊急脱出を行える状況程度の破損状況であったことも。日航機側の乗員乗客には幸いしたと思えます。

1月3日夕刻時点での報道では海保機の機長は管制官の承認を得て、滑走路に進入したと証言しているようです(管制官は誘導路の停止位置で停止を指示したと証言しています)。今後の事故調査で衝突時の両機の体制、管制官の証言と海保機も証言、どちらが本当なのか、海保機から回収されたBlackBoxの録音データ、管制塔の交信記録データの解析から明らかにされることを期待します。

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2023年8月31日 (木)

速報版 関西の旅 2日目 新大阪駅の285系、千里丘での貨物撮影、289系ラッビング編成、大阪駅うめきた口、安治川口、おおさか東線他

関西の旅、2日目はJR編です。ホテルは新大阪駅そばなので、京都方面の初発(5:04)に合わせて入場するとなんと285系「サンライズ出雲・瀬戸」編成が「特急新大阪」の表示を出して停まっています。上り「サンライズ出雲・瀬戸」は通常なら静岡を過ぎ、富士辺りを走っている時間ですが、乗客はそのまま乗っています。後で調べてみると、この列車、新大阪で打ち切りになったようで、乗客は新幹線が動き出すまでは乗車状態だったようです。後に6:16頃、千里丘を猛スピードで回送され東海道を上って行きました。

Dsc06243 Dsc06241 2023/8/30 新大阪駅 4番線に停車中(運転打ち切りのため)の285系 サンライズ出雲・瀬戸

8月末の大阪地方の日の出時刻は5時28分ですので、新大阪発5:04の京都行きが千里丘に着く5:13はまだ夜が明けていません。それでも夜通しかけて東海道を下ってきた貨物列車は続々到着する時間帯で、5:15通過の5051レ(EF210-6)に始まり、7:28の81レ(EF66 122)まで24本の貨物列車がほぼダイヤ通りに通過、あるいは吹貨東で機関車を逆方向に着け、大阪貨物ターミナルに向かって行きました。

7:28の81レの後は9時台まで貨物は無いので引き上げようとすると、下り外側線を金色にラッピングされた683系改造の289系が通過して行きました。下り電車で追うと、新大阪駅発の福知山線経由城崎温泉行の特急「こうのとり1号」として1番線に入線していました。調べてみると2020年8月にデビューした「明智光秀の足跡を辿って」というラッピング車両で、289系FG401編成(吹田総合車両所福知山支所)でした。この編成、夕方の「こうのとり17号」にも入っていました。

Dsc06323_20230830201701 Dsc06325 Dsc06327_20230830201801 2023/8/30 新大阪 「こうのとり1号」同駅発8:09に入ったFG401編成

Dsc06539 2023/8/30 夕刻の「こうのとり17号」にも同編成が

今年3月のダイヤ改正で大阪駅のうめきた口がオープンし、それまで地上を走っていた梅田貨物線が地下化され、一部の貨物列車にはEF210-300番台が瀬野八同様に補機として後押しするということで話題になりましたが、それを見に、新大阪から大阪(地下)までの区間をおおさか東線の延長路線として乗車しました。もちろん先頭車から前面展望を楽しみました。うめきた口に新たに設けられた顔認証改札口(通称、顔パスゲート)なるものも見てみました。従来の大阪駅のホームとは最も西側(塚口・福島寄り)の連絡通路で結ばれていました。

Dsc06364 2023/8/30 大阪駅うめきた地下口に設置された「顔パスゲート」

大阪駅からは環状線内回りで西九条へ、さらに安治川口へ向かいました。この電車、東京でいえば京葉線の舞浜辺りと同様にUSJへ向かう乗客で大混雑でした。安治川口駅ではEF210-17,EF210-335、さらに入れ換え用のHD300-19号機が居ました。

Dsc06382 2023/8/30 安治川口貨物駅で入れ換え中のHD300-19号機

「貨物チャンネル」を見ると、未撮のEF210-321号機が56レで名古屋に向かっていることが分かりました。東海道を新快速で追えばどこかで追い越せるかも知れないと思い、安治川口から西九条、大阪へと向かいました。一方でEF210基本番台新塗装で唯一未撮の-4号機が1071レで東海道を下ってきていることも分かりました。京都へ向かう車内で、-321号機に追いつき、かつ-4号機を撮影できるポイントを考えましたが、56レは途中、長時間停車せずに名古屋ターミナルに向かうため、新快速で追っても追いつけないことが分かり、山科で-4号機を迎え撃つことにしました。-4号機はその後、新大阪でも撮影できました。

Dsc06417 2023/8/30 山科 湖西線運用に入っている223系2500番台(クハ223-2517) 221系との併結運用

Dsc06428_20230830202801 2023/8/30 京都 京都到着後は221系と分離し、単独で近江舞子まで行くようです。

山科では待っている間に湖西線の車両を何本か見ましたが、関空快速、紀州路快速等でかつて活躍していたE233系2500番台が塗装もそのままに湖西線で活躍しているのに遭遇しました。

新大阪からおおさか東線で久宝寺、さらに百済貨物駅に近い平野駅に向かいました。関西本線では今では懐かしいという言葉も通じるウグイス色の201系6連が活躍していました。また221系の転落防止幌の無い編成も数多く活躍していました(奈良支所の6連、8連は設置なし)。平野駅は天王寺方面の通過列車用の線路があるため、上り下りのホーム間隔が広く、かつ北側には百済貨物駅と正覚寺信号所(おおさか東線と分岐・合流)を結ぶ片町線貨物支線(城東貨物南連絡線)が単線で通っており、なかなか興味深い駅です。13:30頃から15:20頃までEF510牽引の5087レ、EF65牽引の配1792レを撮影しようと待機しましたが、現れませんでした。

Dsc06494 2023/8/30 平野 関西線(大和路線)では多くのウグイス色201系編成が活躍していました。

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2023年8月17日 (木)

2023年 北九州旅行 その34 「かもめ」は新幹線に譲り、「リレーかもめ」、「みどり」、「かささぎ」、そして「ソニック」で活躍する885系 その2

885系のSM3編成は2003年7月18日金曜日21時45分頃、「かもめ46号」(2046M)として肥前島田~小江駅間を約120㎞/hで力行走行中、線路上に40cm大の岩塊(質量約130㎏)が落ちているのが見つかり、運転士は非常ブレーキをかけましたが、列車は岩塊と衝突、先頭車と2両目は脱線し、線路脇の盛土下に転落、3両目は台車が脱線した状態で停止しました。列車には乗務員2名、乗客76名が乗車しており、乗客36名と運転士が負傷しました。車体は1両、2両目が大破、3両目は前台車が脱線、損傷し、台枠に歪みが生じました。4両目は脱線はしませんでしたが、3両目との接触で妻面に陥没が生じました。

長崎本線鳥栖起点、94.153kmの線路右側切取のり面(斜面長6.4m)から線路上に寸法は約34×37×44㎝、質量130㎏の安山岩の岩塊が転がり落ち、それに1両目前台車の右側の軸箱及び側梁の下部がぶつかり、先頭車は右側に脱線、しばらく軌道と平行に走行し、正久寺第一踏切道を過ぎた付近より徐々に右に偏り始め、線路の右側に設置されている71号柱、70号柱及び69号柱を倒壊しながら進行、さらに線路の右側を斜めに降りるように進行し、先頭部が沿線の擁壁に衝突、この時点で速度は60~70km/hまで減速していました。衝突により、先頭部を支点として時計方向に回転するとともに、右を上にして横転しました。1両目が回転する過程で、1両目後部が左に振られたため、それにつなが
る2両目は左前方に進行し、連結部が分離して左側の水田に突入、その際、後部が3両目に押されたため、反時計方向に回転し、後部が持ち上げられた状態で停止した。それにつながる3両目は、前部が右方向へ持ち上げられ、前台車が脱線しました。

岩塊の転落はのり面のくぼみの状態を調べた結果、岩塊に密着し、支えていた周囲の土壌が長年に渡り、少しずつ浸食され、安定性が失われ、当日の降雨 (小長井駅に設置されている雨量計の記録)
19時 時雨量 3mm 連続雨量14mm
20時 時雨量 17mm 連続雨量 21 m
21時 時雨量 1mm 連続雨量 22mm  により、土壌が流出、最終的な落下に繋がったものと判断されました。

ちなみに当該区間は単線区間で21時31分頃、下り特急「かもめ43号」(2043M)が通過しており、その際には線路上に異常は認められておらず、落石はその後、発生したものと推定されました。  以上、国土交通省鉄道事故調査委員会「鉄道事故調査報告書」平成16年8月27日を参考にしました。
この事故でSM3編成は運用を離脱、大破した博多より3両は同年9月1日付で廃車となりました。

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2003/5/22 諫早 再掲ですが、諫早に到着するSM3編成

2004年3月23日、廃車となった3両に代わり、元番号に400を加えた3両が落成、損傷が少なかった3両と連結し、SM3編成とし、運用復帰しました。

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2007/12/16 西小倉 「ソニック36号」として西小倉を通過する”新”SM3編成の黄色帯時代
下り方先頭は1次車の3連パンタ、上り方先頭は2次車スタイルの2連パンタ

2011年1月、SM5編成が青帯に変更されたのを嚆矢に、2012年6月までに1次車(SM1~SM7)全編成が青帯に変更となりました。

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2023/5/31 小倉 ソニック41号で佐伯に向かうSM3編成 青いSM3編成は初撮影

885-sm3-34-230601 885-sm3-34-230601-2 2023/6/1 遠賀川 降りしきる雨の中、博多駅に向けて「ソニック34号」で驀進するSM3編成

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2022年4月27日 (水)

E531系 クハE531-17の廃車

鉄路を走行する鉄道車両、例えどんなに新しくても自然災害に巻き込まれたり、踏切事故等で大きく損傷したりして、廃車になることはしばしばあります。常磐線、水戸線、東北本線、上野東京ラインを活躍の場とするE531系においても2005年の登場以来、何度か踏切事故等による被災を経験してきました。

2021年3月26日,午前0時8分頃、パトカーの追跡を受け、逃走中だった自動車が道路脇の塀に衝突後、勢い余って線路際のフェンスを突き破り、常磐線土浦~神立間の下り線路に侵入、線路内で立ち往生したところに品川発勝田行最終1269M、E531系(K417編成)10両編成が衝突、先頭車両が脱線、自動車の燃料に引火したためか自動車と先頭車両が炎上する大事故となりました。

電車の乗務員と乗客にケガはありませんでしたが、事故により電車は立ち往生、乗客は徒歩での移動を強いられ、その時間帯、付近を走行中の旅客車両は上下線ともバスでの代行輸送となり、夜明け以降も半日ほど土浦~羽鳥間で運転が見合わせられました。

衝突事故直前に運転者が車を乗り捨てて逃走していること、自動車のナンバープレートは当該車の登録ではなかったこと、さらに前年6月で車検切れだったことも判明し、茨城県警は道路交通法違反、道路運送車両法違反で運転していたベトナム国籍の26歳工員を逮捕、さらに電汽車往来危険転覆などの疑いで再逮捕しました。

現場の自動車は現地解体、E531系編成は自走回送され、26日、午後5:50頃、常磐線は全線で運転を再開する事態となりました。まさにJR東日本としてみれば、たまたま線路付近で行われた大捕り物の末、線路内に侵入した自動車に運悪く通過しようとした最終電車が衝突するというとんでもないもらい事故となりました(以上、情報はこちらから)。

E531-k417-131223-2 2013/12/23 友部 K417編成 手前がクハE531-17

E531-k417-171016 2017/10/16 藤代 事故の現場写真ではちょうどこの客用扉前の部分が大きく焼損しています。

この事故でK417編成の下り方先頭車クハE531-17は運転室から第一乗客用扉までの前頭部が大きく焼けました(現場の写真はこちらに)。

K417編成は2006年8月17日、新津車両製作所で1,2,3,7,8,10号車に相当する6両クハE530+モハE530/531x2+クハE531が竣工、10連化までは営業運転に入らず、2007年1月29日に4,5車にグリーン車サロE530/531、6,9号車にサハE530-2015,サハE531-2006を組み込み、10連化されました。

事故後、K417編成は2021年4月8日から、K409編成のクハE531-9を下り方(仙台方先頭車)として組み込み、K409編成は同年8月5日まで9連で営業運転離脱状態となっていましたが、K461編成のクハE531-1011を連結して、10連となり営業運転に復帰しました。しかし、2022年3月30日にクハE531-1011は編成から外され、9連状態に戻され、営業運転から離脱しました(情報はこちらから)。

事故で被災したクハE531-17は2022年2月9日付で除籍となり、2月中旬には解体となったそうです。E531系に関しては最近も新造されていますのでかつてE233系0番台青661編成の3両が踏切事故で廃車され、同番号の車両が製造されたように数年後にクハE531-17の2代目が製造されるかもしれません。E233系1000番台177編成のように先頭2両の損傷で1編成10両が実働4年で廃車となったケースもありますが、交直両用車両であるE531系の場合は製造コスト等も考慮すれば、営業運転から離脱している9両のことも考慮すれば代替新造があるようにも思えます。

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2022年3月 9日 (水)

通勤電車シリーズ 205系 32 ハエ24編成の踏切事故、モハユニット差し替え

2007年1月21日、川越線内で埼京線205系10連ハエ24編成が踏切事故に遭遇しました。幸い犠牲者は出ませんでしたがモハ205-386の外板が大きく損傷、乗用車の炎上でモハ204-388の外板も大きく損傷しました。


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そのため、モハ205-386とモハ204-388は修復不能車となり、それぞれのモハユニットの相手方、モハ205-388とモハ204-386とで新ユニットを組み、京葉車両センターのケヨ21編成からモハ205/204-277ユニットを抜き、新ハエ24編成を組成することにしました。ケヨ21は元ミツ21で、さらに元を辿るとTcMM'----MM'T'cはナハ7、---TMM'T---はウラ5の205系初のハイブリッド編成でした(記事)。


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ケヨ21編成の抜けた分の補填として豊田電車区から201系T30編成を京葉車両センターに転属させ、ケヨ74編成としました。T30編成は2007年2月21日に東京総合車両センターに入場し、3月21日に出場しています。


201-t30-061217 2006/12/17 国分寺 T30編成

201-74-070329 2007/3/29 舞浜 ケヨ74編成

205系ケヨ21編成は2007年3月28日に川越車両センターに転属、3月29日にはモハユニット-277を抜かれた8連で東大宮に疎開となりました。なんと1年半の期間、保留車として留置されたのち、2008年9月18日、京葉車両センターに戻り、9月22日、長野総合車両センターに入場しました。ここで残る2組のモハユニットはVVVF化改造を受け、MM'-276 が-5071、MM'-368が-5072と改番され、武蔵野線用M36編成として2008年12月27日、出場しました。

205-21-050528 2005/5/28 舞浜 ケヨ21編成 生まれついた運命なのか、ナハ+ウラからミツ、ケヨさらにハエとMと流転の人生を送った編成に


205-24-111001 2011/10/1 与野本町 ハエ24編成


205-m36-130608-1 2013/6/8 越谷レイクタウン M36編成

新たに組成されたハエ24編成は2007年5月30日に運用復帰し、復帰困難車のモハ205-386・モハ204-388は昨日の記事で触れた余剰車、サハ205-107・108・220・221と共に2008年6月18日に郡山総合車両センターへ配給回送となりました。この6両が205系としては初の廃車となりました。

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2022年2月 1日 (火)

通勤電車シリーズ 205系 7 中央・総武緩行線・京浜東北線へも投入

昨日の記事でも少し触れましたが、1988年12月5日、午前9時30分頃発生した東中野駅(下り線、大久保駅方面からのカーブ)での列車追突事故で乗客1名、追突した側の運転士1名が亡くなり、103系201系各10両編成の衝突側から最も離れた両先頭車両(ラシ336編成のクハ103-278、ミツ6編成のクハ201-3)以外の18両が衝突のショックによるテレスコーピック現象で台枠が損傷し、廃車となりました。

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表1 三鷹区への暫定新製配置

これらの車両の補充用に当時、埼京線用に製造中だった205系2編成が三鷹電車区に予定を変更し暫定配置となり、ミツ6・ミツ23編成となりました。ミツ23編成は1990年5月に三鷹区から、当初の予定通り、川越区に転属しました。

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表2 浦和区への新製配置

1989年10月には京浜東北線用にも205系が投入されることとなり、クハ205/204-104~107先頭の10両編成4本が浦和電車区に新製配置されました(ウラ1~4編成)。保安装置はATC対応でした。103系時代の塗色は東海道・山陽緩行線と同じでしたが、205系の帯色は青25号となりました。ジャンパ栓受けは車体に取り付けられました。ATC装置は転出した103系から流用され、205系用に改造され搭載されました。
1990年にさらに2編成、老朽車取り換えの名目で新製配置されました(ウラ5・6編成)。尾灯は電球からLEDに変更となり、モータの点検蓋が廃止され、ATCは新品が搭載されました。
1991年、山手線の6扉車組み込み11両編成化に伴う編成不足に対処するためウラ4編成が帯色をウグイス色に替え、ヤテ35編成として山手電車区に貸し出され、同年4月から11月までの7か月間運用されました。

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表3 浦和区からの転属、編成の解体、サハの新製

1993年2月、205系を脅かす209系の登場、京浜東北線等への新製配置でウラ1・2編成ミツ22・23編成として三鷹電車区へ転属、ウラ5編成のTMM'Tと南武線中原区のナハ7編成を合体させた編成がミツ21編成となる変化がありました。一方、ウラ5編成のTcMM'とMM'T'cは中間に最後の新製サハ205-232を挟み、カマ26編成となり、活躍の場を横浜線に移しました。ウラ5編成の先頭車を含む6両が横浜線に行ったのはATCの関係からでした。

205-21-940801-edit_202201311439011994/8/1 西荻窪 205系 21編成

301-820130
1982/1/30 中野 301系

1031200-820130
1982/1/30 西船橋 103系1200番台

カナリア・イエロー帯の205系の登場で同じ線を走っていた地下鉄東西線直通車両の301系103系1200番台は誤乗トラブルが相次いだため、帯色を青色に変更する事態となりました。

205-910526 1991/5/25 田町 ビデオからのキャプチャー


205-27-120107 2012/1/7 武蔵浦和 ハエ27編成←元ウラ3(80)編成 埼京線新製配置車には無いジャンパ栓受けがあるのが特徴でした。

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2022年1月31日 (月)

通勤電車シリーズ 205系 6 埼京線・川越線への進出

205系量産車が山手線に投入されたのはタイミング的には1985年9月30日の埼京線の開業に伴って必要となる103系の捻出のためでした。103系の運用が始まると沿線住民からはその走行音の大きさに苦情が多く寄せられたそうです。

個人的な話ですが1988年の10月から1年間、当時の西ベルリンに留学しており、日本のニュースまして埼京線に関しては全く知らなかったのですが、参考書(池口英二氏著、205系物語)によると1989年7月1日に10両編成1本が川越電車区に配置され運用が開始され、その後翌1990年にかけて23本が新製投入され同年11月末103系の運用が終了となったそうです。

205_-89144

表 埼京線の205系化のために投入された編成、新製配置と山手電車区、三鷹電車区からの転入編成(1993年3月ダイヤ改正時点)

一方で表の新製配置データを照らし合わせてみると1989年6月から7月にかけ5本、8月から9月にかけ5本の計10本が新製され、後半の5本のうち1本(クハ205/204-97)先頭の編成は1988年12月5日の東中野事故補充のため、この表には出ていないクハ205/204-95先頭の編成と共に一時、三鷹電車区に配置されました。これらのグループは運転台に戸閉モニター装置が取り付けられました。さらに騒音対策として主電動機の冷却気取り入れ口が改良されました。続いて投入されたクハ205/204-120~128の編成は後日、記事にする予定の京葉線投入の108~119の後に再び、前面デザインがオリジナルスタイルに戻った編成で電動機点検蓋は京葉線投入編成同様に廃止されました。そして140~144の編成が1990年11月以降に製造され、投入されています。以上、3次に分けて新製配置された分と1990年5月に山手線から転入した1編成、三鷹電車区から転入した1編成で埼京線の205系化は完了しました。

205-1-080802

2008/8/2 赤羽 1編成

205-29-130310 2013/3/10 武蔵浦和 29編成(1993年当時の7編成←ヤテ41編成)JR東日本として最初に製造された205系編成

205-9-120921-2 2012/9/21 浮間船渡 9編成 ←ミツ23編成

開業以来、埼京線で活躍していた103系は南武線の101系置き換え用、京浜東北線、京葉線、中央・総武緩行線、青梅線、武蔵野線、南武線、常磐快速線、仙石線の103系老朽車置き換え用に充当されました。埼京線での運転終了は1990年12月10日でした。ちなみに川越線内区間運転の3000番台は引き続き継続されました。

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2021年7月27日 (火)

秩父鉄道の車両たち その4 5000系

秩父鉄道の車両シリーズ、6000系の次は、東京都交通局6000形を譲受した5000系です。

1968年から1976年にかけ、都営地下鉄三田線用に、日本車輛製造、川崎車輛、日立製作所、アルナ工機で168両製造され、1968年12月27日に運用開始、1999年に引退した車両です。外版はステンレス鋼、骨組は普通鋼という、いわゆるセミステンレス車両、超多段制御方式の抵抗制御、直流直巻の出力100kW主電動機で、WN並行カルダン駆動方式と営団の5000系とも共通性の高い車両です。都営地下鉄6号線の志村~巣鴨間開業とともに運用が開始され、当初は4両編成でした。1969年には鉄道友の会ローレル賞を授与されています。

5000

秩父鉄道に譲渡された車両は1972年、アルナ工機製の車両です。
5001号編成:第19編成2次車 日比谷延伸開業用
5002号編成:第24編成3次車 三田延伸開業用 
5003号編成:第25編成3次車 三田延伸開業用
5004号編成:第26編成3次車 三田延伸開業用

3両編成化のため、M2cの制御車化改造、無線装置の交換、ATS装置の交換、ブレーキシューをレジン製から鋳鉄製に交換、
ワンマン運転対応化、ドアチャイムの設置、扉の半自動化・2ドア/4ドア切り替え機能設置、中間車(デハ5100形)パンタグラフを新設、側面に社紋を設置等の改造が施されました。

5001-100425 2010/4/25 大麻生~ひろせ野鳥の森 5001編成

5201-100425 2010/4/25 三峰口 5001編成

5000-5203-181203-2 2018/12/3 桜沢~寄居 5003編成

Dsc04428 2021/5/15 お花畑 5003編成

5004-100425 2010/4/25 熊谷 5004編成

5204-100515 2010/5/15 熊谷 5004編成

5004号編成は2011年11月1日に樋口 - 野上駅間の踏切でダンプカーと衝突する事故に遭遇し、運転士と乗客4名が負傷しました。5004は大破し、編成の3両全て運用を離脱しました。

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2021年4月19日 (月)

2021年4月16日、中野駅で発生した人身事故で中央快速線電車が大久保駅を過ぎた辺りから逆走し新宿駅に

2021年4月16日、たまたま昼間、会食の予定があり、家内と丸の内に出かけました。

1時間程度の会食が終わり、このまま帰るのも勿体ないということで丸の内北口のOAZOの丸善に立ち寄りました。結局、何も購入することなく、東京駅発13:25の快速高尾行に乗車しました。

新宿には定刻の13:39に到着、そのまま定時に出発し、大久保を通過し、中央卸売市場淀橋市場が進行方向右手に見えて来るあたりで、緊急停車。何事かと思っていると、一本前の13:20発の中央線特別快速高尾行が、「13:40頃、中野駅で人身事故が発生した」との車内アナウンス。
復旧は14:30頃の見込み、とのアナウンスも。

こういった事態で、乗客への振り替え輸送等を考慮して、駅間で停車した編成を最寄りの駅に移動させ、急ぐ乗客に別の列車に乗り換える機会を与えることを最近は考慮しているようで、なんと緊急停車後、20分くらいしてから運転士がまず先頭部から後方へ移動。続いて約5分後、今度は車掌が最後部から前方へ移動、それぞれ持ち場を交換しました。乗車していた編成はT05の10両貫通編成で、乗務員たちは車外に出ることなく、最前部と最後部の行き来が出来ました。

緊急停車から30分後の14:10頃、「この電車は取り敢えず、新宿駅まで戻る」とのアナウンス。「準備が出来次第、動きます。」とのこと。

私も幼少の頃から中央線に数限りなく乗車していますが、快速電車がこういう事態で逆走するのは初めてのことでした。14:20、下り線を逆走開始、新宿駅の11番線に入線。12番線には東京発13:29の中央線特別快速大月行が入線していました。

11番線に戻った我々の編成と12番線の大月行編成、どちらが先に出発するかはその時点では未定でしたが、順番通り、我々の編成が先に出発することに、ただ通常ダイヤでは我々の編成は三鷹で跡から来る大月行に道を譲ることになっていましたが、大月行も新宿からは快速として運転されることに変更され、三鷹での追い越しはなくなりました。

ファイルサイズの制約等から緊急停車した地点を発車、新宿駅11番線に入線するまでの逆走動画をアップすることはできませんが、手持ちのスマホで記録はしました。

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