2025年11月12日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その29 直江津駅に乗り入れる列車たち part2 妙高はねうまラインで活躍するET127系

直江津駅に乗り入れる列車、今回は信越本線から移管された妙高はねうまライン(妙高高原~直江津間、37.3km、資産上の境界は関川橋梁まで37.7km、駅数10、起終点駅を含む)で活躍するET127系です。長野県側はしなの鉄道北しなの線となっています。長野側との接続は北しなの線の車両が妙高高原駅に乗り入れ、同一ホームで10分以内の接続となっています。また日本海ひすいラインとはE122形気動車が日中に泊駅発新井駅行として片道1本運行されています。

E127-v3-0503232005/3/23 新津 E127系0番台 V3編成
同編成は2008年の越後線内の事故で廃車となり、えちごトキめき鉄道には譲渡されませんでした。

ET127系電車はJR東日本が新潟地区で1995年5月8日から運用していたE127系0番台で2両編成13本が製造され運用されていましたが、V3編成は2008年9月に発生した越後線内での踏切事故で列車火災を起こし、クモハE127-3が焼損し、クハE127-3もろとも2014年10月20日付で廃車となり、V12,V13編成はV1,V2編成として鎌倉車両センター中原支所に転属、南武支線浜川崎線で営業運転に就き、V1,V2, V4~V11編成がえちごトキめき鉄道に譲渡されました。


主要諸元


最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.0 km/h/s(応加重付)
減速度(常用) 3.6 km/h/s(応加重付)
編成定員 0番台2両:275名
編成重量 2両:62.0 t
全長 20,000 mm
車体長 0番台:19,570 mm
全幅 2,800 mm
全高 4,017 mm(空調機高さ)0番台:4,090 mm
車体高 0番台:3,620 mm
床面高さ 1,130 mm
車体 ステンレス
台車 軸梁式ボルスタレス台車 0番台:DT61A・TR246A
主電動機 かご形三相誘導電動機 MT71形
主電動機出力 120 kW × 4
駆動方式 TD平行カルダン駆動方式
歯車比 14:99(7.07)
編成出力 480 kW
制御方式 VVVFインバータ制御 逆導通GTOサイリスタ素子(製造時) IGBT素子(機器更新後)
制御装置 SC51形・SC51A形(1C2M2群制御)→SC102A形
制動装置 回生・発電併用電気指令式空気ブレーキ 抑速ブレーキ
保安装置 ATS-SN


Dsc09304_202511110922012024/8/20 直江津 ET127系 V-2編成 標準色
妙高山の山並みをイメージしたフレッシュグリーンを纏っています。

Dsc093772連を3併結した6連での運用もあるようで、中間には横須賀色のV8編成(田島ルーフィング広告)、反対側の端には田辺工業広告のV3編成が連結されているようです。

Dsc09380 Dsc09302_20251111092801こちらはミタカ広告のV4編成
他に懐かしの新潟色(田島ルーフィング広告)のV1編成や日本曹達広告のV5編成といったスペマーもいるようです。

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2025年10月 1日 (水)

2024年夏の新潟旅行 その18 新潟支社内で活躍するローカル列車 電車編 E129系 part2 4連B編成

E129系には昨日の記事にある2連と4連が設定されており、両編成を併結し、6連とすることで混雑時の需要に対応しています。中間車はモハE129形とモハE128形でそれぞれがクモハE128形、クモハE129形とMM'ユニットを組んでいます。モハE129形には制御装置、集電装置、モはE128形にはCPが搭載されています。両車ともそれぞれのユニットの内側の台車が電動台車となる半電動車方式となっています。

E129-4b
E129系 4連B編成 編成表

2022年8月3日から4日未明の豪雨で坂町駅構内が冠水、B18編成、キハ111-202,キハ112-202の一部が水没する事故となりました。

E129100-b1-2408182024/8/18 新潟 B1編成

E129100-b3-2408182024/8/18 新潟 B3編成 線路モニタリング装置(軌道変位・軌道材料モニタリング装置)搭載編成

E129100-b5-2408182024/8/18 新津 B5編成

E129100-b22-240818-42024/8/18 新潟 B22編成

水没事故にあったB18編成のその後が気になるところですが、新幹線の車両基地が冠水してみたり、最近は思わぬ水害で新製まもない車両が廃車に追い込まれるケースが多発しています。今年も四日市駅そばの地下駐車場で駐車中だった大量のクルマが水没するという事故がありました。激甚化するこういった水害に対して有効な対策が無いのが大きな問題に感じます。

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2025年5月 9日 (金)

国際線進出、アメリカ・メインランド路線用に導入されたANAのB747-281B 3 JA8181

cn23968/ln667 として製造、N6055Cのテストレジにて1986年12月13日に初飛行、12月22日ANAに引き渡された3機目の-281BがJA8181でした。

Ja8181-ana-b747281b-cn23968-ln667-941119

1994/11/19 NRT

JA8174, JA8175と同様にワシントンDC線、ロサンゼルス線に早速投入されました。しかしB747-400が長距離国際線の主力になる1990年秋以降は東南アジア路線などに回り、1999年5月26日、ANAからNCAに転籍となり、貨物機に改修され、-281BFとなりました。

Ja8181-nca-b747281bf-cn23968-ln667-99112

1999/11/21 NRT

2008年3月に保管状態となり、レジはN288RFに変更となりました。

2010年11月13日からアルメニアのVeteran Aviaのフリートメンバーになり、レジもEK74798となりますが、2013年12月4日21:19分頃Saudi Arabian Airlinesにリース中だった同機はSV6814便としてJeddah-Prince Abdullah Air Base (JED/OEJN)からAbuja-Nnamdi Azikiwe International Airport (ABV/DNAA)に着陸する際にオーバーラン事故を起こし、大破しました。この事故はAbuja空港の滑走路が当日、工事中で着陸滑走距離が1100mに短縮されていたにもかかわらず(NOTAMで公示はされていましたが)、出発空港でデスパッチャーがその件を搭乗員に伝えなかったため、さらにATISでも情報は流していなかったため、着陸後気づき、A3出口から滑走を離れようと右旋回を試みるも間に合わず、滑走路脇に駐機していた建設機械に衝突した事故でした。
事故機のトータルの飛行回数は15255回、飛行時間は94330時間でした。乗員6名は前輪後方の主電子機器整備用ドアからアビオニクス室に避難し、無傷でした。

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2025年3月28日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 13 JA8156

cn22709/ln541として製造、1981年9月21日N5573Bのテストレジにて初飛行、1981年12月17日にANAに引き渡されたのがJA8156でした。

同機は14機目のSR-81でした。就航当初は国内線専用機としてCF6-45A2エンジンにて飛んでいましたが、1991年頃から、国際線に就航可能なようにエンジンをCF6-50E2に換装、まずはJA8157の補佐役としてシドニー線スタンバイ機となり、1995年からは関西空港発着の香港線用機材、1996年からは名古屋空港発着のホノルル線専用機材としての活躍の場が与えられました。

1985年5月28日午前11時14分頃、乗客204名、乗員18名で東京羽田国際空港からのNH81便として那覇空港のRWY18にGCA方式で着陸しようとしたところ、主脚が接地し、リバース操作が行われた直後に左前方の誘導路から滑走路に進入直前の自衛隊機QM-22(航空自衛隊所属三菱式MU-2A型73-3222)を視認、直ちに右方向に回避操作を行い、同機は左側でQM-22と交差、その際に衝撃、あるいは衝撃音が無く、回避できたものと判断、客室乗務員からも客室内で異常がないことを確認、グランドコントロール(GND)と無線交信し、ターミナルビルに向かって地上滑走を続けました。
自衛隊機QM-22は救難訓練のため、機長、副操縦士、機上無線員、救難員の4名が乗り組み、11時08分06秒、那覇GNDの許可を得て駐機場から地上滑走を開始、気象情報によると視程が3kmで計器気象状態であったため、GNDに対し、特別有視界飛行方式での飛行許可を要求、このリクエストに対してGNDは誘導路E-2の停止線手前で停止の指示を出し、那覇タワー(TWR)へのコンタクトを指示しました。離陸準備の完了をTWRに告げ、特別有視界飛行方式での飛行許可を求めました。11時11分、管制の指示通り、E-2の停止線前で停止。TWRは沖縄アプローチ(APP)から特別有視界飛行方式の飛行の許可を受理、同許可を伝達するためQM-22を呼んだところ、応答はなく、24秒後に再度、呼びかけ、許可を発出。トランスポンダーコード番号の聞き取り等の不具合の確認等の後、離陸前点検が機長、副操縦士間で行われ、滑走路に向かって地上滑走が開始されました(停止が解除されていない、離陸許可だ出ていないにもかかわらず)
QM-22の副操縦士によれば、滑走路の中心線に向かって地上滑走中、突然、右主翼端から押されるような衝撃を受け、機体が左右に揺れ、同時に頭上を航空機が前方に通過していったとのこと。接触は11時14分頃のことでその旨をTWRに連絡しました。

機体の損傷
JA8156は小破、No1エンジンカウリングの下面損傷、ドレーンマストの一部欠損
MU-22は中破、右主翼端燃料タンク中央上部の破損、及び擦過傷痕、右主翼上部蓋板の破損

この事故の報告書はこちらから入手可能です(報告書(PDF)公表)

正にこの事故、2024年1月2日の羽田空港での海保機とJAL機の衝突事故とよく似た事故だったことがわかります。NH81便が自衛隊機を視認し、回避できたことで衝突による被害を小さくできたことがわかります。

1985年10月25日に公表された航空事故調査委員会(2008年10月からJTSB運輸安全委員会)の報告書では自衛隊機の機長、副操縦士が離陸許可を得たものと相互に錯誤し、滑走路に進入させたのが原因としています。

Ja8156-ana-b747sr81-cn22709-ln541 撮影時期不詳 HND

Ja8156-ana-b747sr81-cn22709-ln541-980102 1998/1/2 HND

Ja8156-ana-b747sr81-cn22709-ln5_20250327101701 1998/1/2 HND

2004年8月、ANAを退役後、N233BAにリレジされ、Boeing Aircraft Holding Companyが管理しますが、2005年2月には解体されています。

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2025年2月21日 (金)

国内線の航空需要を満たすため導入されたANAのB747SR-81 8 JA8146

cn22292/ln456として製造、1980年5月23日に初飛行、6月16日にANAに引き渡されたのがJA8146でした。

同機は1994年9月4日、羽田発NH141便として開港したての関西国際空港に国内線1番機として着陸した機体でもありました。

また1995年6月21日、羽田発NH857便として函館空港に向けて飛行中、11時45分頃、山形県上空でオウム真理教の信者と名乗る一人の中年男性に乗っ取られ、函館空港に着陸、乗客・乗員365名を人質に、麻原彰晃被告の釈放、燃料補給と羽田へ引き返すことを要求、翌日の午前3時39分、道警機動隊及び警視庁第六機動隊特科中隊SAPが機内に突入し、午前3時45分に犯人は逮捕されました。

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-961013 1996/10/13 HND 旧国際線ターミナル

Ja8146-ana-b747sr81-cn22292-ln456-010506 2001//5/6 HND 第一ターミナル

2003年7月30日に退役となり、Boeing社に売却、N292BAのレジが付与されました。既に解体済みです。

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2025年1月17日 (金)

海保機・JAL機 羽田空港衝突事故とJeju航空機事故に関して (続報)

2024年に起こった2つの大きな航空機事故に関して、前者は昨年12月27日の記事で、後者に関しては今年1月8日の記事で触れましたが、前者に関しては160頁弱(本文は135頁)の事故調査の経過報告書(令和6年12月25日運輸安全委員会)を読み返し、気づいた点を整理しました。後者に関しては事故機の残骸から回収されたフライトレコーダー(FDR)・ボイスレコーダーCVR)に関してアメリカで解析を行ったところ、衝突4分前に両レコーダーの記録が止まっており、最後の4分間のデータが記録されていなかったというニュースがありました。。

羽田空港衝突事故ですが、報告書では海保機をA機、JAL機をB機とし、他、衝突時刻、離陸、着陸準備にあった機をC,D機としています。この記事では引用文(” ”で囲まれた文章)内の記載もA機を海保機、B機をJAL機としました。

”スポットN957へのトーイング中に、機上整備員Aが補助動力装置(以下「APU」という。)を始動させ、APUジェネレータ(以下「APU GEN」という。)を海保機の電源系統と接続したところ、APUが停止した。”

海保機はエンジンの始動の際に電源を供給するAPU-GEN(APUジェネレーター)のコントロール・ユニットが不調で羽田出発の際に上記のようなトラブルが発生していました。新潟空港を経由して小松空港へ、さらに羽田空港に戻る際にそれぞれの空港でエンジンを始動する際に電源を如何にして確保するするか、新潟空港、小松空港で電源車を借用できるか否か、海上保安庁本庁対策本部及び第三管区海上保安本部の担当者の調整待ちで出発することになりました。

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海保機のタキシング経路 (経過報告書7頁の図1から)

海保機は17時32分頃、スポットN957を離れ、RWY34Rからの離陸に向けタキシングを開始しました。新潟空港までの飛行計画は
計器飛行方式、巡航速度:230kt、巡航高度:12,000ft、経路ROVER~AKGI~Y372(RNAV)~KALON~Y37(RNAV)~GOSEN 所要時間70分 燃料搭載量:6時間30分、搭乗者数6名 でした。

操縦室に機長(PF飛行を担当)左操縦席、副操縦員(PM通信、計器のモニターを担当)右操縦席、機上整備員が後方中央のオブザーバー席に、機上通信員、機上探索レーダー員、航空員が客室に

 タキシング中、まずタワー西とコンタクト、17時44分13秒、グランド東へ、誘導路HからCへ右折、ここからタワー東とコンタクト、この時点で誘導路C上には先行機が2~3機、後続機が1基おり、機長は先行機の離陸後に順番が回ってくると考えていました。17時45分14秒、タワー東から誘導C5の停止位置が指示され、離陸順番が1番目の趣旨で

”「No.1, taxi to holding point C5」” と伝達され、指示を復唱、誘導路C5に向けてタキシングを継続

機長の記憶では

”「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です。)」と言われたと ”

”機長Aは、離陸する他の航空機が誘導路C1に向かっている流れの中で、自機に誘導路C5の指示が来たことについて、運航情報官に飛行計画書を提出したときに自機の飛行目的が震災支援物資輸送であると伝えてあったため、それが航空管制官に伝わっており、離陸の順位を優先してくれたのだと思った。機長Aは、誘導路C5から滑走路34Rに進入した場合に離陸に使用できる滑走路の残距離が海保機の必要離陸距離に十分であることを、副操縦員Aと共に確認した。”   

一方、羽田基地を出発する前の懸案事項だった、新潟、小松空港での電源車の確保に関して、小松空港での電源車の借用は不可能であることがわかり、基地から機長にその旨が伝えられました。代替手段として着陸後、右エンジンを停止せずに回したままにしておくことで電源を確保する手段も連絡されました。機長は管制とのコンタクトと基地とのコンタクトを傍受しており、さらにこの通信中に

”、機長Aの口述によれば、この無線のやりとりに一部重なるタイミングで、海保機に対してタワー東から「Runway 34R, cleared for take-off (滑走路34R、離陸支障ありません)」の許可があったと記憶しているとのことである。 ”

離陸許可が出たと判断した機長は

副操縦員に離陸前点検(Before Takeoff Checklist)を指示、副操縦員はBefore Takeoff Checklistを実施し、タキシング中は赤の点滅だったストロボライトを衝突防止灯(白色点滅)にかえています。これは空港監視カメラの映像にも記録されていました。

”17時46分46秒、海保機は、滑走路34Rの中心線上で離陸方向(北西向き)に正対して停止し(C滑走路南東端から560m付近)、17時47分27秒、滑走路34Rに着陸してきたJAL機と衝突した。”

不幸な偶然として、海保機がタワー東とコンタクトする前にJAL機の着陸許可が出されていたために、機長、副操縦員は着陸進入中のJAL機を認識していなかったことも挙げられます。さらに滑走路進入の際に注意を喚起する停止線灯が事故当時、老朽化のための更新工事で運用を停止していたのも「不幸な偶然」でした。

後から思えば、Intersection Depatureで先行機を追い越して離陸が許可される、能登半島地震の支援物資輸送という任務が優先されているという思い込みと、通信の輻輳という事態が重なり、大きなミスがこの時点で生じたのかと思われます。

衝突後、機長はエンジンが爆発したのかと思い、数秒間伏せた後、オブザーバー席の機上整備員、さらに副操縦員を探したが、姿は見えず、機内が燃えていたので、操縦席上部の非常脱出口から脱出、改めて5名の乗組員を探したが発見できませんでした。滑走路脇の草地から羽田基地に携帯電話でコンタクト、羽田基地から羽田特殊救難基地に連絡が入り、熱傷対応旧機材をの装備したSRT隊員などが現場に向かい、さらに空港事務所からも消防車、救急車が出動、機長は病院に搬送されました。

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羽田空港管制塔の管制卓配置図 (経過報告書12頁の図3から)

海保機とコンタクトしていたタワー東は17時42分ごろ、A滑走路を横断する海保機を認識、

”タワー東は、海保機は海上保安庁所属の航空機であるものの、捜索救難機のように優先的な取扱いの必要がない、物資輸送のための飛行であることを、事前に飛行計画を確認し把握していた。”

ここに海保機の機長の思い込みと管制官の認識の違いを見て取ることができます。

”17時45分10秒、グラウンド東から誘導路C上で通信移管された海保機が、タワー東を呼び込んだ。タワー東は、海保機に対し、離陸順位が1番であることを通報するとともに、海保機の前方に4機の出発機が並んでいたことから、海保機を予定どおりJAL機の着陸後、D機の着陸前に離陸させるため、海保機の位置から最も近い誘導路C5からのインターセクション・デパーチャーをさせることとして、海保機に対し誘導路C5の滑走路停止位置までの地上走行を指示した。海保機は、タワー東に対し、誘導路C5の滑走路停止位置へ走行すること、1番であることを復唱した。タワー東は、海保機の復唱に間違いがないことを確認し、海保機が誘導路C5へ走行していることを目視した。”

タワーが離陸機の順番をこのように割り振ったのは、東京ターミナル管制所羽田出域調整席の管制官(DF)から海保機の離陸のタイミングを相談され、国際線出発機であるC機の離陸の後にD機を着陸させると後方乱気流の影響を受けるので、JAL機の後に海保機を離陸させ、D機を下ろし、次いでC機を離陸させればその影響が少なくなると判断したからでした。そのために海保機をC5からRWY34に入れ、インターセクション・デハーチュアとしたのでした。

このJAL機とD機の着陸の合間に海保機を離陸させるために、D機に対しては着陸進入速度を下げるように指示、JAL機が着陸し、C5前を通過したらすぐに海保機を滑走路に入れ、待機するように指示するため、JAL機の動きを注視していました。このとき、海保機がC5停止位置で待ての指示に反して滑走路に進入していたのを見逃していました。

まさに衝突の15秒前にDFが空港面画面上で滑走路占有重複状態となっているのを2008年3月から導入された滑走路占有監視支援機能が示しているのを東京ターミナル管制所のDFが気付き、タワー東担当の管制官に”JAL機はどうなっているか(滑走路上に海保機がいるがJAL機の復行指示は出したかという意味で)”と問い合わせたものの、タワー東管制官はその意味が分からず対応しないうちに衝突に至りました。ただ、このシステムはこれまで「狼少年的に」滑走路の占有に重複がない状態でも注意喚起が出されるケースがしばしばあり、管制官側ではあまり信用されていなかったようでもあります。

JAL機から炎が上がるのを見た、タワー東管制官は空港事務所空港し、、保安防災課、運航情報官及び東京ターミナル管制所へ通報、着陸体制に入っていたD機に対しては復行を指示、全ての地上の航空機に対しては現在位置で停止を指示、JAL機から脱出した乗客の安全を確保するとともに事故対応車両及び人員の支障にならないように、駐機場所までの移動を指示、さらに東京ターミナル管制所は復行した航空機、および管制下にあった航空機に対し、成田国際、中部国際、関西国際空港等への目的地変更を行いました。

JL516便は16時27分に新千歳空港を離陸、機長のほか運航乗務員2名、客室乗務員9名及び乗客367名の計370名が搭乗していました。右操縦席にA350型式移行訓練中の副操縦士が着座、PFとして操縦を担当していました。機長は左席でPM業務を担当、訓練乗務員の指導を行っていました。さらにA350型副操縦士資格者(セイフティ・パイロット)1名がオブザーバー席に着座していました。

JAL機は新千歳空港から順調にフライトし、タワー東とコンタクトする前からRWY34Rは視認出来ていました。17時44分56秒にRWY34Rへの着陸許可が下りました。PF担当の訓練乗員は高度1140ftで自動操縦から手動操縦に切り替え、高度1000ftを通過した後、風向きが地上でも変わらないことを確認、進入を継続、セイフティ・パイロットは外部監視、管制交信のモニター、飛行諸元のモニターを行っていました。17時47分26秒ごろ、主脚が滑走路に接地、逆噴射のための操作を行い、着陸灯を点灯したとたん、小型の機体が正面に現れ、大きな衝撃が発生しました。最終進入中、3名の運航乗務員はRWY34R上を監視していましたが、滑走路上に小型機が止まっていることにはまったく気づきませんでした。

なぜ、JAL機は滑走路上に停止していた海保機に気づかなかったか、この点に関しては海保機の機体尾部の衝突防止灯、下部尾灯位置灯、垂直尾翼上部の上部位置灯がいずれも白色であり、Intersection Deoartureのため海保機が停止していた場所の周囲には滑走路に埋設された中心線灯、接地帯灯があり、これらも白色等であったことが原因として考えられます。


衝突時の対地速度は120kt(222km/h)、ピッチ角3.5度(上向き)、機種方位337度で前脚は接地していませんでした。

衝突後、操縦を機長が担当、ブレーキ操作を行ったが、減速は感じることがなく、機の進路が徐々に右にずれていったためステアリング及び方向舵で修正を試みるも操縦に応じた機体の動きはありませんでした。滑走路南東端から2118m付近で滑走路を東側に逸脱、草地を走行し、RWY16L用の進入角指示灯に接触、、滑走路34R南東端から2,298m、滑走路中心から東側に56m(滑走路長辺端から26m)の付近、機首方位はおおむね345°(磁方位)で、17時48分14秒ごろ、機体が停止しました。

機内では主脚が接地した直後、異常音が発生、何かに乗り上げる動きが感じられ、大きな減速を感じることはありませんでした。左右の主翼下面付近で火災が発生(乗客が視認)、前方から3番目の出口付近の客室内で異臭が発生し始めました。衝突後、客室乗務員は乗客に対し、「頭を下げて」と衝突防止姿勢を取るための指示を連呼、操縦室とインターホンで連絡を試みるもインターホンでの通話ができませんでした

機長は非常脱出を決定、そのための手順を開始、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の知らせを受け、脱出指示装置を試みるも作動せず機内放送システムも使用できなかったため、大声で脱出を指示しました。左右のエンジンを停止する手順、消火剤の放出操作を行った結果、左エンジンは停止しましたが、右エンジンは停止せず、エンジンの作動状況について操縦室内の計器上に何の変化も起こりませんでした

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非常脱出で使用された出口 (経過報告書20頁の図7から)

各出口に配置された客室乗務員はそれぞれの担当出口の外部の状況を見て、L1,R1,L4以外の出口は火災の状況から脱出に適していないと判断し、17時51分60秒頃、L1,R1のドアを開放、脱出用スライドを展開し、乗客の脱出を開始しました。客室内に煙が充満してきたこと、周囲の状況の切迫を受け、L4出口も脱出可能と判断し、17時55分頃、L4ドアも開放され、周囲の乗客の脱出を指示しました。L1,R1からの脱出が340~350名程度、L4からが20~30名程度で、脱出の際に1名が肋骨骨折の重傷、軽傷が4名、12名が体調不良を訴え、医療機関を受診しました。海保機側は機長は火傷で重傷、他5名の死因は現時点では不明とのことです。

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海保機とJAL機が衝突した際の位置関係 (経過報告書70頁の図39から)

両機が衝突した際の位置関係は空港監視カメラの映像、JAL機のFDRデータや残骸の衝突痕から、上図のようであったと推定されています。海保機は胴体上部が激しく損傷、主翼、尾部が胴体から分離、上部後方からの圧力で押しつぶされた形で衝突地点から約90m先の滑走路上に擱座していました。JAL機は機種部分が海保機の尾部に衝突、操縦室床下の電気室の前方部分に大きな損傷を受けたようです。
幸いにも主脚が倒壊しなかったため、機体が横転や回転することなく、大きな進路変更を伴わずに停止することが出来ました。JAL機のFDR(フライトレコーダ)は衝突後約1.9秒後に記録を停止していました。これは、衝突の0.8秒後にFDRに電力を供給する115V AC EMER BUS1の出力が失われたことによると記録されていました。CVR(ボイスレコーダ)は機体が滑走路外で停止した5秒後に停止していました。、滑走路からの逸脱、停止時の衝撃によりCVRに電力を供給する28V DC EMER BUS2の電源が失われたか、EPDC又は周辺配線が損傷したことによる可能性が推定されています。
前脚は支柱の途中で折損、機体から分離し、衝突地点から480m先の滑走路上に脱落していました。支柱が残っていたため機首部胴体下面が滑走中、地面と接触することは避けられました。

これらの損傷が機体滑走、停止、脱出時の操縦性を失わせ、機内でのインターホンでの連絡を妨げた原因になったことは容易に想像できます。

海保機の5名の乗員の方々は誠に残念ですが、JAL機の乗客に犠牲者が出なかったことは正に不幸中の幸いであることがこの中間報告書からもよくわかりました。
亡くなった5名の海保機の乗員の方々の死因に関しては現在調査中とのことですが、5名の遺体は機内、機体周辺で発見されたとのことですが、衝突時になぜ機長だけ助かることが出来たのか、この点に関してはこの報告書では触れられていません。

報告書の末尾に海保機、JAL機の機内での会話の様子が記録されていますが、JAL機が衝突後、停止するまでの状態は、韓国でのJeju航空機の記録されなかった4分、バードストライク~電源喪失~胴体着陸~コンクリート壁に激突までの過程と似ており、あのコンクリートの壁さえなければあのような大事故にはならなかったのではと思う次第です。

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2025年1月 8日 (水)

2024年年末、海外で起きた2件の航空機事故に関して 後編 Jeju航空2216便、務安空港胴体着陸・衝突事故

昨日の記事で触れたアゼルバイジャン航空機の事故から僅か数日後の2024年12月29日、タイ・バンコクのSuvarnabumi空港を現地時間午前2時11分(UTC+7hr)に出発し、2時28分に離陸、韓国全羅南道務安郡のMuan International Airportに向かっていたJeju Air 2216便(7C2216: Boeing737-8AS HL8088, 乗客175名、乗員4名搭乗)が韓国時間午前8時54分、同空港RWY01への着陸を許可され、8時57分には管制官からバードストライクの危険性を警告されました。その2分後、パイロットからメーデーが発せられ、着陸復航し、旋回して反対側のRWY19からの着陸を試みることになりました。なぜかこの後、同機はランディングギアを下ろさない状態で胴体着陸をし、滑走路をオーバーランしてILSアレイが設置された外壁に時速約200kmで衝突、機体は分解・炎上し、搭乗者のうち、後部にいた乗員2名だけが命をとりとめ、179名が死亡するという大惨事となりました。

Hl8087-boeing-7378as-35018-3078-170529-n 2017/5/29 NRT HL8087
Jeju AirのB737-8は成田空港でもよく撮影しており、事故機と1番違いのHL8087の写真がありました。

事故を起こしたHL8088はcn37541/ln3012として2009年8月19日に初飛行、EI-EFRとしてアイルランドのRyanair にリース契約で同年9月4日に引き渡され、7年強在籍した後、2016年11月24日に返却、2017年2月3日からJeju Airがリース導入していました。

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2216便のバンコクからムーアンまでの飛行高度と対地速度の変化を示したグラフ Flightradar24 から

同便はUTC時間の19:30離陸し、約20分で高度34000ftに到達、暫らく同高度でフライトした後、36000ftに上昇し、着陸態勢に入るまで同高度を維持しています。ムーアン付近は渡り鳥が寄港地となっており、バードストライクの危険性は指摘されており、現にこの事故でも管制官がパイロットに警告を発していました。さらにバードストライクを起こして、エンジンが二つとも停止し、電気系統のトラブルが起こったとしてもランディングギアは副操縦士の座席後ろのひもをを引くことで通常よりは時間がかかるものの、自重で降りる仕組みとなっており、胴体着陸をしなければならなかったのが謎とされています。
恐らく、バードストライクの結果、最初は片側のエンジンの故障だけだったようですが、2個のエンジンが停止する事態となり、高度もかなり低かったことからパイロットはランディングギアが降りるのは間に合わないと判断して胴体着陸に踏み切ったのではないかと思われます。
同機が胴体着陸をしてランウェイ上を滑走する様子は動画として記録、放映もされていますがその先にILSを設置したコンクリートの壁が設けられていたことはこの事故を大惨事とした最大の要因と考えられています。

昨年1月2日の羽田空港C滑走路上での海保機とJAL機の衝突事故もJAL機が海保機と衝突した際に前脚が破損したものの、RWYをはみ出し、無事停止することができたために乗客乗員に死者が出ずに緊急脱出することができましたが前脚の破損で機体が横転や回転していたらどうなっていたかわかりません。
事故機から回収されたフライトレコーダー、ボイスレコーダーの解析はアメリカで行われるようですが、なぜ胴体着陸に至ったのかその辺の機内での判断が明らかにされることを望みます。

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2025年1月 7日 (火)

2024年年末、海外で起きた2件の航空機事故に関して 前編 アゼルバイジャン航空8243便墜落事故

アゼルバイジャン時間の2024年12月25日午前7時55分(UTC+4hr:日本時間-5hr)、アゼルバイジャンの首都バクーのHeydar Aliyev International Airportを離陸し、ロシア連邦チェチェン共和国・グロズヌイKadyrov International Airportに向かっていたアゼルバイジャン航空8243便(J28243)(Embaraer 190AR: 4K-AZ65) はカスピ海上空を飛行中、突然、何らかの外的異常のため、緊急事態を宣言し、カザフスタンのAktau International Airportに緊急着陸を試みたものの空港手前で墜落し、乗客62名、乗員5名の搭乗者のうち、38名が死亡、29名が負傷する大事故となりました。

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J28243便の速度(オレンジ)と高度(青)の変化を示したグラフ Flightradar24 のデータから

同機は離陸後約26分で高度30000ftの巡航高度に到達し、約15分間フライトした時に何らかの外的異常に遭遇、急遽高度を10000ftに下げています。その後、1時間半程度、高度を徐々に下げながら最後の15分は複雑な高度、速度変化を示しながら墜落に至ったことがわかります。急激に高度を下げたのは高高度での緊急事態の発生で酸素濃度の低い高度から低空へ急降下し、乗客を救うための措置であり、パイロットはその手順に従ったものと思われます。パイロットはロシア側の周辺の空港に緊急着陸を要請したにも関わらず、いずれの空港もそれを拒否したようです。さらにGPSが電波妨害を受け、機体の位置情報の把握もままならない状況に陥ていたようです。何かロシア側が自らの過ちを隠ぺいするために機体をわざと墜落させ。証拠を消してしまおうという意図さえ感じます。

ロシア当局は同機がバードストライクに遭遇し、機体が損傷したことで緊急着陸を試みたという声明を出しましたが、高度3万ftでバードストライクはあり得ないとEmbaraer機の操縦経験を持つ元日本航空機機長で航空評論家の杉江弘氏は指摘しています。
むしろこの事故はアゼルバイジャンの政府当局者が指摘するようにウクライナのドローン攻撃を迎撃するためにロシア軍が発射した地対空ミサイルシステム・パンツィリ-Sの被弾によるものではないかと思われます。残骸のエンジン後部パネルの様子、機体に多くの被弾痕があることなどからもバードストライクではなく、なんらかの外的被弾による損傷が強く推察されます。

回収されたフライトレコーダー、ボイスレコーダーの解析はEmbaraer機の製造国であるブラジルで行われているようです。この事件・事故は2014年7月17日、アムステルダムからクアラルンプールに向かっていたマレーシア航空17便(Boeing777-200ER:9M-MRD)の撃墜事件を彷彿させます。あの事件はトレスの南東320平方キロの領域内で発射された9N314M弾頭を装備したロシア製ブーク9K38シリーズ地対空ミサイルがマレーシア機のコックピット外側左上で爆発したことによるコックピットの破壊、機体の構造的破損による空中分解でかなりの広範囲に機体が分散して墜落したことが明らかになりました。事故調査最終報告書では誰がミサイルを発射したかは特定していませんが、発射が推定された地域は当時、分離主義者によって支配されていました。戦争状態にある地域の空域は避けて飛ぶことが推奨されていましたが拘束力がないため、1983年大韓航空機撃墜事件以来、似たような事件が繰り返し起こっているように感じます。

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2024年12月27日 (金)

2024年1月2日、羽田空港 海保機・日航機衝突事故の中間報告書が公表されました。

運輸安全委員会は(JTSB: Japan Transport Safety Board)は2024年12月25日1月2日に羽田空港C滑走路で発生した海上保安庁所属ボンバルディア式DHC-8-315型JA722Aと日本航空株式会社所属エアバス式A350-941型JA13XJの衝突事故調査の中間報告を公表しました(報告書のファイル)。同報告書は158頁に及ぶ長大なもので、まだ全文は読んでいませんが、NHKの夕刻のニュースなどでも中間報告書の公表について報じられていました。

残骸から回収されたボイスレコーダ(CVR)の解析から推察される事故の原因に関しては、

1)海保機の機長、副機長が管制官からの「C5誘導路の停止位置で待て、あなた方がナンバーワンだ」という指示を滑走路の停止位置で待つのと誤認し、滑走路に進入してしまったこと。
前日に発生した能登半島地震の救援物資の輸送などが飛行の目的であったため、離陸内の機内の会話、羽田基地とのやり取りもその点がメインとなっており、急いで現地に向かわなければという気持ちが誤進入につながったとも推察される。

2)担当管制官は海保機が滑走路に進入した際にたまたまモニター画面から目を離しており、警告が点灯していたのを見落とし、別の管制官が気付いて注意したにも関わらず、それがきちんと伝達実行されなかったこと。

3)着陸してきた日航機も海保機の衝突防止灯の灯火が白色であったため、他の照明などと紛れ、滑走路上の期待を視認できず着陸復航で回避できなかったこと。

の3者、それぞれのミスが重なって大事故に至ったのではないかとしています。

これらのことは事故直後から想像されたことであり、「マッハの恐怖」などで柳田邦男氏が書いておられますが、これまでの航空機事故の調査でも再三、指摘されてきたように大きな事故はミスが(不幸な偶然が)二重三重に重なった際に起こるものですが、今回の事故もまさにそういった感じがしました。

起きてしまった事故と失われた命は取り返しがつきません。二度とこのような事故を起こさないために、人間が犯しやすいミスを如何に機械(あるいはAIなどが)バックアップするか、どうすればフェイルセーフ機構を確実にできるか、失われた尊い生命を無駄にしないために、人類が知恵を絞っていかなければならない課題だと感じます。

2024年は元日の能登半島地震、2日の羽田衝突事故と大きな災害、事故からスタートした年となり、あと1週間弱で新しい年を迎えようとしています。拙Blogも今回の記事で今年の分は最後となりますが、1年間。お付き合いいただいてありがとうございました。2025年は1月6日からスタートする予定です。それでは、よいお歳を。

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2024年11月14日 (木)

2023年晩夏の関西旅行 JR貨物編 その3 彦根駅を通過する東海道線貨物列車

東海道・山陽本線、東は新鶴見信号場、あるいは東京貨物ターミナルから、西は幡生操車場、あるいは下関貨物駅までの1100kmを越える長距離を現在は新鶴見機関区、吹田機関区、岡山機関区のEF210形が最大1300トンのコンテナ貨物を牽引して、日夜運用に就いています。
そんな日常において今年7月24日12時32分頃、山陽本線新山口駅構内において福岡ターミナルから東京ターミナルに向かう2054レの牽引機、EF210-341号機が同駅で停車し、発車した直後、脱線する事故が起きました。同機は23両のコンテナ貨車を牽引していましたが、脱線したのは機関車の車輪のみでした。
 事故について調べると大阪寄りの第一動輪車軸が折損していることが判明しました。341号機は2022年製造のグループでJR貨物では最新鋭のタイプです。脱線した車軸と同時期に組み立てられた輪軸を装備するEF210形式や他形式の機関車の車軸の点検、コンテナ貨車の車軸の点検が急遽、実施されました。その結果、9月頃には日本中の鉄道会社において輪軸の圧入過程において圧入力値が高いにもかかわらず、あたかも正常値で圧入したように記録簿が改ざんされていたことが発覚し、社会問題となりました。
 確かに圧入値を偽って記録していたことは問題ですが、そもそもEF210-341号機はなぜ脱線したのか、規定値よりも高い圧力で圧入された輪軸の破損が脱線の原因なのかは現時点ではまだ不明なようです。8月13日に新山口から9874レとしてEF210-122号機に牽引され、広島貨物ターミナルに到着、広島車両所に入場、現在も臨時検査入場中のようです。

Ef210341-4095-231005-2 2023/10/5 4095レを牽引して西国分寺を通過する新鶴見機関区配置時代のEF210-341号機
同機は落成後、新鶴見機関区配置となりましたが、2024年3月のダイヤ改正を前に吹田機関区に転属していました。

本題に戻りますが、東海道・山陽線系の貨物列車の撮影しやすさ、昼間の時間帯の本数などを考えた場合、首都圏よりは、名古屋周辺、あるいは関西圏の方がはるかに魅力的と私は感じています。そこで今回は彦根駅で撮影した貨物列車を紹介したく思います。

Ef210146-62-230831

Ef210146-5060-230831-2

5060-230831

2023/8/31 吹田機関区EF210-146号機牽引 5060レ 東福山4:14発、東京タ20:19着で西濃運輸カンガルーライナーTF60 1200トン貨物です。途中、姫路貨物でのみ着発線荷役作業があり、6:37着8:49発となります、他は運転停車です。日・月曜日運休です。

Ef210334-1073-230831 Ef210334-1073-230831-2 2023/8/31 吹田機関区EF210-354号機牽引 59レ 盛岡タ19:52発、安治川口15:21着 こちらも福山レールエクスプレス ブロックトレインです。仙台タ、郡山タでコンテナ荷扱いがあります。土。日曜運休です。

Ef210334-1054-230831 1062-230831 2023/8/31 吹田機関区EF210-334号機牽引 1062レ 本来、岡山区のA5運用ですが、吹田区が代走しています。鹿児島タ16:14発、名古屋タ15:30着

Ef210348-2059-230831 2059-230831-2 2023/8/31 新鶴見機関区EF210-348号機牽引 2059レ 陸前山王(仙台港)23:12発、吹田タ15:14着 西濃運輸カンガルーライナーSS60 仙台タ、郡山タでコンテナ荷扱いがあります。日曜日運休です。

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1054-230831

2023/8/31 吹田機関区EF210-108号機牽引 1054レ 鍋島21:27発、東京タ21:04着 休日運休
EF210-108号機は2024年3月改正を前に新鶴見機関区に転属しています。

最初の5060レが通過したのが11:57、その後、彦根城を見学、約50分して駅に戻り、最後の1054レが13:53と実質1時間の間に5本の列車を撮影することが出来、しかも中線があり、直線区間が長いため、編成全体を写し込める点が魅力的でした。

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