2025年3月 6日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その3 北野桝塚の車両基地と沿線風景

今回の旅で愛知環状鉄道は八草~岡崎間を往復しただけで、八草~高蔵寺間は乗車していませんが、同線が国鉄岡多・瀬戸線として旧鉄建公団が建設しただけあり、ほぼ全線に渡って立体交差化された高架区間となっており、複線として路盤が整備されています。

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2024/3/16 八草 駅名標 この青い色が愛知環状鉄道のコーポレートカラー

2000-g31-240316 後方展望 篠原駅でのG31編成との交換
現在は単線として運用中ですが、路盤やトンネルは複線規格で整備されており、新たな用地買収をせずに複線化は可能なようです。


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2024/3/16 北野桝塚 駅名標


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北野桝塚駅の高蔵寺寄りにある車両基地
左の白い編成は2022年11月から2023年3月までの予定でG6編成に「瀬戸信用金庫80周年」ラッピングを施したもの(情報

以前の記事にも登場しましたが駅番号06の北野桝塚駅は1970年10月1日、国鉄岡多線の貨物駅として開業、1976年4月26日から旅客営業が開始されました。貨物輸送は自動車輸送が有名でしたが、1984年12月27日を以て廃止、1985年1月1日、貨物の取り扱いが廃止されました。2001年12月23日、愛知万博対応工事で北野桝塚~三河上郷間が複線化され、当駅も2面4線となりました。旅客化以来、駅員無配置でしたが2008年4月1日から有人駅となり、同年5月12日には「お忘れ物取扱所」が開設されました。2022年4月1日、「お忘れ物取扱所」は新豊田駅に移転しました。


240316_20250305134001 岡崎方面


自動車輸送が活発だった時代には近くのトヨタ自動車工場とを連絡する専用線が存在し、自動車輸送のための多数の側線と広大なモータープールがあり、1971年には10往復の専用列車が設定されていました。1日140両、1300台の自動車を扱う拠点駅で運営管理はトヨタ輸送が行っていました。三菱自動車も専用線を計画していましたが、建設はされませんでした。

240316_20250305135001 2024/3/16 六名(むつな)駅の岡崎よりにある信号場


岡崎駅 - 六名駅 構内配線略図

六名~岡崎間の構内配線図(六名駅のWikipediaから)

ここから岡崎駅までの区間は単線並列となっており、東海道線方面に進むとJR東海道線の線路に繋がっており、豊橋方面から検測車の愛環への入線、新造車の甲種輸送などに使われています。

240316_20250305135401 岡崎駅に接近

240316_20250305135801岡崎駅 改札口

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岡崎は言わずと知れた徳川家康の生誕地でゆかりの史跡が多数存在します。

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2025年3月 5日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その2 車両編 2000系

開業以来使用されてきた100系の置き換えため、2002年から2009年までに日本車輛製造で2両編成20本が製造されたのが2000系です。
 JR東海の313系2連3000番台R編成(R101~R116)をベースに製造することで製造コストを抑えています。ちなみにR101~108編成は日本車輛製造でR109~116編成は近畿車輛でいずれも1999年3月に竣工しています。2000系の運用は2003年3月14日のダイヤ改正から開始されました。

3133000-r112-111225_202503040815012011/12/25 笠寺 2000系の兄貴分といえるJR東海313系3000番台R112編成
同編成は1999年3月10日、近畿車輛にて竣工しています。

主要諸元

最高運転速度 110 km/h (愛知環状鉄道線内)120 km/h
起動加速度 2.6 km/h/s
減速度(常用) 4.3 km/h/s
編成定員 107(席)+179(立)=286名
編成重量 68.3 t
編成長 40.2 m
全長 20,100 mm
全幅 2,978 mm
全高 4,020 mm
主電動機 かご形三相誘導電動機 C-MT66A
主電動機出力 185kW
駆動方式 TD継手式(中実軸)平行カルダン
歯車比 1:6.53
編成出力 740 kW
制御方式 VVVFインバータ制御(IGBT素子 1C2M)
制動装置 電気指令式ブレーキ
回生ブレーキ・抑速ブレーキ
耐雪ブレーキ・直通予備ブレーキ
応荷重対応・T車遅れ込め制御
保安装置 ATS-ST、一部車両ATS-PT、EB、TE、防護無線

編成記号はGで、
第1次車G1,G2,G31,G33 2002/12/19
第2次車G3,G4,G5,G6,G7 2003/12/2
第3次車G8,G9,G10 2004/10/12
第4次車G11,G12,G32 2004/11/4
第5次車G13 2005/11/14
第6次車G14,G15 2007/12/17
第7次車G51,G52 2009/2/25   
と7次に分かれて甲種輸送(日本車輛豊川製作所~豊川駅~豊橋駅~岡崎駅~北野桝塚駅)されました。

G30番台はイベント用に着脱式のテーブル、カラオケ用のコンセントなどを備えた車両で過去には、BOSE社製スピーカーや空気清浄機なども備えられていましたが、現在は撤去されています。G50番台は座席がセミクロスシーとからロングシートになった編成です。

2000-g3-240316 2024/3/16 北野桝塚 G3編成

2000-g10-111225 2011/12/25 岡崎 G10編成

2000-g32-240316-2 2024/3/16 北野桝塚 G32編成

2000-g11-240316-3 2024/3/16 岡崎 G11編成 2022年10月15日より、「ジブリパーク」ラッピングとなっています。

2000-g33-240316 2024/3/16 G33編成 2133運転台

新製された際は一般公募による緑を基調としたデザインのカラーリングでしたが、2009年のG51,G52編成増備からコーポレートカラーである青色帯のデザインに変更され、多くの編成がそれに倣って変更の途上にあります。

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2025年2月27日 (木)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その2 車両編 100系(100形、200形、300形)

国鉄時代、岡多線には旅客用として70系電車(1976年4月の開業から1978年12月まで)、その後を継いだ113系電車(1978年12月から1985年3月まで)、さらに165系電車(1985年3月以降、1988年1月30日の転換前日まで)、神領電車区所属の車両が乗り入れ、貨物列車の牽引は浜松機関区配置のEF60形、EF61形、そしてDD51形が担当していました。

愛知環状鉄道が導入した車両は開業前年に日本車輛製造で製造された車体長19m、片開き3扉セミクロスシーとの100系でした。車体と台車は新製でしたが、電装品は当時、廃車が進んでいた国鉄101系の廃車発生品を流用しての製造でした。塗装はクリーム色の地にオレンジと青の帯をまいたスタイルでした。

←高蔵寺100形(Mc)+200形(Tc)岡崎→の2両編成が9本、と増結用、緊急時の救援用に301・302、1992年に追加で303~305の計5両が両運転台車として製造されました。

乗降扉が片開き3扉で混雑時に不都合な面があったこと、101系の廃車発生品の電装部品のため老朽化が進んだことなどで2002年2000系が投入されると置き換えられ、2005年11月13日のさよなら運転を以って運用を終了、全車廃車となりました。

23両全車がえちぜん鉄道に無償譲渡されましたが、2両編成の100形、200形は100形に200形の運転台部分を移植・接合することで両運転台化したため、14両がMC6001形(2003年8月25日)、MC6101形(2004年から2006年)となりました。

番号対照

MC6001形
6001 - 旧100形103
6002 - 旧100形108
MC6101形
6101 - 旧100形101
6102 - 旧100形102
6103 - 旧100形104
6104 - 旧300形302
6105 - 旧300形301
6106 - 旧300形303
6107 - 旧100形107
6108 - 旧100形109
6109 - 旧100形105
6110 - 旧100形106
6111 - 旧300形304
6112 - 旧300形305

改造工事は岡崎の名鉄住商工業舞木工場で施工され、同工場から福井口駅にトレーラーで陸送され、試運転の後、営業運転に投入されました。

ちなみに愛知環状鉄道は1500V電化ですがえちぜん鉄道は600Vであり、主回路は永久直列回路のため、モーターの端子電圧が低すぎる問題があり、力行時、モーター4個から3個使用に回路を変更したものの、MT46では出力が足りなかったので、JR東日本からMT54モーターを購入、2003年11月19日までに全車換装しました。出力は2割、上がりましたが、従来の京福時代の車両に比べると加速性能は劣勢は否めませんでした。

MC6101形の主要諸元

車長 - 19,000mm
車幅 - 2,850mm
車高 - 4,100mm
自重 - 40.6t(空車時)
定員 - 123名(うち、座席52名)
台車 - 日本車輌製造ND-708型軽量ボルスタレス式空気バネ台車
歯車比(ギア比) - 82:17 (4.82)
電動機 - MT54形直流直巻電動機、端子電圧200V時64kW(架線電圧1500V下では端子電圧375V時120kW)×4
制御方式 - 永久直列電動カム軸式抵抗制御、3・4ノッチ時弱め界磁制御付、空転検出器付
主制御器 - ES-791A(永久直列8段、弱め界磁4段、発電制動13段)
駆動方式 - 中空軸平行カルダン駆動方式
制動方式 - 発電制動併用電磁直通空気制動(応荷重制御器、保安ブレーキ、自動空気ブレーキ付)
冷房装置 - 交流式ユニットクーラー(屋根上に設置) 

Mc6106-171020

Mc6106-171020-4

2017/10/20 福井 MC6106 元300形303 元々、両運転台で製造されたタイプ

Mc6107-171020 2017/10/20 福井 MC6107 こちらは100形107の車体に200形の運転台部分を移植・接合したタイプ

Mc6112-171020-2 2017/10/20 福井 MC6112 こちらは元300形 305

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2025年2月26日 (水)

2024年春の名古屋周辺旅行 八草から愛知環状鉄道で岡崎へ その1 路線の歴史

2024年春の名古屋周辺の旅、八草までリニモの乗車した後は、愛知環状鉄道に乗車しました。

240316-2_20250225145501 2024/3/16 リニモ八草駅から見た愛知環状鉄道線 奥が岡崎方面、八草駅、手前が高蔵寺方面

240316_20250225150501 路線図、駅名、運賃

今から思えば開業当初は苦しい赤字経営路線でしたが、あのまま国鉄廃止申請せずJR東海が保持していれば、十分にJR東海の路線として存在しえたのにと思わせる今日の活況です。

愛知環状鉄道は岡崎駅から新豊田駅、瀬戸市駅を経て高蔵寺駅に至る45.3km、23駅の路線です。元々、旧日本鉄道建設公団(鉄建公団)が主要幹線鉄道(C線)として建設、日本国有鉄道による運行・経営が予定されていた路線で、岡崎~新豊田間は1976年に国鉄岡多線として開業、1987年の国鉄分割民営化でJR東海に継承されたものの、国鉄再建法で第3次特定地方交通線に指定されていたため、高蔵寺延伸とともに第三セクター鉄道に経営転換されました。この区間は特定地方交通線の中では唯一、三セク転換前に電化されていた路線でもあります。岡多線(新豊田~瀬戸市)と瀬戸線(瀬戸~高蔵寺)も鉄建公団がC線として建設したものの開業直前の1984年、国鉄が引き受けを拒否した区間でした。

岡多線はその名が示すように岡崎と多治見を結ぶべく計画された路線でしたが、瀬戸から稲沢を結ぶ瀬戸線は岡崎~瀬戸間とともに岡多・瀬戸線と呼ばれ、東海道本線のバイパス線としての役割が期待され、高規格な甲線(複線・電化)として建設されたのに対し、未成線で終わった瀬戸~多治見間は規格の低い丙線規格で計画されていました。

1930年、前年の世界恐慌で景気は落ち込んでいる中、岡崎~多治見を結ぶバス路線が鉄道省営バスにより開設されました。1957年に岡多線岡崎~多治見間が調査線に、1959年に工事線に指定されました。瀬戸線は岡多線と連絡し、東海道本線のバイパス路線を構成することから、1962年に「敷設予定線」に、1964年に工事線に指定、1966年に着工されました。

240316_20250225150901 1970年に貨物駅から始まった北野桝塚駅の駅名標

1970年10月1日にトヨタ自動車上郷工場からの自動車輸送を目的に貨物線として岡崎~北野桝塚間が開業、1971年10月からは岡崎~北岡崎間のユニチカ岡崎工場向け原料輸送が開始され、1976年4月26日、岡崎~新豊田間の旅客営業が開始されましたが、列車本数が少なく、最終列車も早いことなどから路線バスに対抗できず、利用は伸び悩みました。鉄建公団に支払う借損料などで営業係数は672と大赤字を記録し、国鉄は特定地方交通線第3次廃止対象線区として廃止承認を申請することになりました。さらに瀬戸線の一部として高蔵寺までが開業しても、国鉄路線として新規開業どころではないと判断され、岡崎~高蔵寺間全線が第三セクター化されることになりました。

1987年4月にJR東海に承継されたものの、1988年1月31日、愛知環状鉄道線として開業することになりました。このタイミングで新豊田~高蔵寺間が延伸開業となりました。

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北野桝塚駅の時刻表

2005年の愛・地球博では会場へのアクセス鉄道としての役割を担い、沿線に高校・大学・工場が増えたことで通勤・通学の利用客も増え、年間の輸送密度は11,408人/日と黒字経営の三セク鉄道となっています。

240316_20250225151201 岡崎駅の愛知環状鉄道線ホーム、終点    右は東海道本線熱海方面

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2025年2月11日 (火)

2024年春の名古屋周辺旅行 遠州鉄道編 その3 遠州鉄道の沿線風景

遠州鉄道鉄道線の路線総延長は17.8km、駅数は18で、駅間は数百mから2km弱と比較的短い路線です。全18駅中、16駅が交換可能となっているため全線単線ながら毎時上下各5本の高頻度運転が可能となっています。最小曲線半径は160m、勾配は25.0‰で運行速度はMax70km/hとなっています。
地形的には天竜川から流出した土砂によって浜松市天竜区二俣付近を扇頂とする扇状地性の遠州平野の中を走行しているため、全線に渡り平坦でトンネル等はありません。

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240315_20250210072901 2024/3/15 新浜松

起点の新浜松駅は1927年9月1日、旭町駅として国鉄浜松駅の北東に開業、この地名が旭町であったことから駅名もそれに倣いました。1929年10月13日、駅ビル(地上3階、地下1階)が落成、遠州電気鉄道の本社が2階に入り、遠電ビルと呼ばれました。太平洋戦争末期の1945年6月18日の浜松大空襲で本社ビルの内部が消失、建物は延焼を免れました。1953年8月1日、駅名を新浜松と改称、1985年12月1日、浜松付近の高架化で駅舎は浜松駅の北西に移転、旧駅舎の跡地は浜松名鉄ホテルなどに再開発されました。

240315_20250210073001 2024/3/15 上島~自動車学校前

新浜松駅からの高架線も上島駅で終わり、上島~自動車学校前間で地上レベルとなります。面白いことに高架区間にある駅はすべて相対式ホームの構造であるのに対し、地上区間の駅は終点の西鹿島駅を除いて島式ホーム構造の駅となっています。

1944年12月9日まではこの駅から浜松電気鉄道笠井線が分岐していました。普段、駅北東の側線には昨日の記事にあるように、ED28貨車が留置されバラストの積み込み等も行われていますが、この側線は廃車となった車両の解体線としての機能も持っており、解体作業時には機関車、貨車は西鹿島駅に疎開します。かつてはここに車両工場があったそうで1977年に工場は西鹿島駅に移転しました。

240315_20250210075101 2024/3/15 浜北駅

浜北駅は1909年12月6日、貴布禰駅(きぶね)として開業しました。1924年7月1日から1937年10月6日までは当駅から国鉄二俣線の宮口駅の南側にあった西遠鉄道の宮口駅まの4.8kmを西遠鉄道(前身は西遠軌道)が結んでいました。同鉄道は国鉄二俣線の建設が決まったことで経営困難が見越されたため廃止となりました。

240315_20250210080101 2024/3/15 遠州小林~遠州芝本間

国道152号線バイパスをオーバークロスするために同区間も2011年10月13日に高架化されました。

240315_20250210080701 2024/3/15 西鹿島

新浜松を出発して約33分で終点、西鹿島に到着します。

この駅は1909年12月6日、大日本軌道浜松支社鹿島線の鹿島駅として開業しました。駅名は磐田郡二俣町大字鹿島に設置されたことに由来し、1923年4月1日には遠州二俣駅と改称されました。国鉄二俣線の建設で約400m南に移転し、西鹿島駅と再改称されました。1958年11月1日から1966年10月1日までは遠鉄の気動車が国鉄二俣線に乗り入れていました。

240315_20250210082301 2024/3/15 西鹿島駅駅舎

この駅は遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道の共同使用駅となっており、遠州鉄道の直営駅、天竜浜名湖鉄道は無人駅です。

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駅横には検車区が併設されており、多くの車両が留置されています。一番奥の線路が天竜浜名湖線で奥が新所原方面。

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2024年12月19日 (木)

2023年晩夏の関西旅行 南海電鉄編   来年4月からは南海電鉄になる泉北高速鉄道の5000系

高度経済成長期の昭和30年代から40年代にかけ、大阪府においては北大阪の千里ニュータウンを始めとして国鉄阪和線、南海高野線に挟まれた地域に新しい街を創る構想から泉北ニュータウンが建設されました。泉北ニュータウンと大阪都心を結ぶ鉄道路線として大阪市営地下鉄1号線(現、大阪メトロ御堂筋線)の延伸案、国鉄阪和線、南海高野線、近鉄南大阪線からの分岐案が検討され、営業エリアとしての問題や輸送能力の余力から南海高野線からの分岐案が採用されました。ただ、南海直営とすると多額の投資が必要となることから、当時、トラックターミナルを運営していた大阪府の第三セクター大阪府都市開発1969年3月に中百舌鳥~光明寺池間の敷設免許を取得、1971年4月1日に中百舌鳥~泉ヶ丘間、1977年8月20日に光明寺池まで開業しました。その後、和泉ニュータウン構想が持ち上がり、トリヴェール和泉として結実、和泉市中南部の人口が増加したことで1995年4月1日には和泉中央駅まで延伸しました。

南海高野線からの分岐線が泉北ニュータウンの路線になると決定した際に南海が直接経営にタッチできなかったのは1960年代から1970年代にかけ、南海電気鉄道線において重大事故が頻発し、重い負債がのしかかっていたためでした。1971年の開業時、全業務は南海に委託され、2008年からは株式の売却が始まり、2014年7月1日に株式が南海電鉄に譲渡され、商号も泉北高速鉄道と変更され、南海電鉄の一員となりました。そして2024年11月1日には国土交通省が泉北高速鉄道の南海電鉄道の合併を認可し、2025年4月1日に吸収合併されることが決まりました。以降は南海電気鉄道泉北線となります。

今回紹介する5000系は1990年から導入している系列で、和泉中央への延伸での所要増に向けて8両編成5本が川崎重工業、東急車両製造で製造されました。これまで大阪府都市開発の車両は南海電鉄の車両をベースに設計されていましたが、本系列はそこから脱却した初の完全自社設計の車両でした。拙Blogでも2018年8月11日記事で紹介しています。

5505-230831 5506-230831 2023/8/31 新今宮 5505F かつては「ハッピーベアル」のラッピングを纏っていた車両です。

5510-230831 2023/8/31 新今宮 5509F 

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2024年8月26日 (月)

速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その2 直江津駅 part1

8月18日から21日にかけての新潟旅行、前回の2013年8月7日から10日の旅行で撮影した写真と見較べてみると、115系、E127系の姿は無く、特急「いなほ」の485系E653系に置き換わり、特急「北越」快速「くびき野」に代わって特急「しらゆき」が登場し、気動車もキハ40系かGV-E400系となり、JR貨物の牽引機もEF81の姿は無くなりました。10年ひと昔と言いますが、11年の年月が過ぎると車両もこうも変わるのかと驚かされた次第です。

そしてもっと驚かされたのが3日目に訪れた直江津駅の変貌ぶりです。直江津駅は2010年7月17日から19日にかけて訪れていますが、当時の写真を見ると

日本海縦貫線:急行「きたぐに」(大阪~新潟)581系、特急「北越」(金沢~新潟)485系、臨時特急「トワイライトエクスプレス」(大阪~札幌)24系 特急「はくたか」(金沢~越後湯沢)681系683系
信越本線:快速「くびき野」(新井~新潟)485系

北陸本線~信越本線:419系475系

信越本線:快速「妙高189系、115系(新ニイ、長ナノ)

ほくほく線:HK100形681系2000,683系8000

JR貨物:EF81、EF510    などが登場します。

Dsc09360 2024/8/20 直江津駅通路 

直江津駅を中心とした鉄道の発展の歴史を振り返ってみると、1886年8月15日官設鉄道により、 関山~直江津間が県内最初の鉄道として開業し、直江津駅はその終着駅として開設されました。その後、高崎方面には1888年5月1日に関山~長野、8月15日に長野~上田、12月1日に上田~軽井沢間が開通、1893年4月1日、軽井沢~横川間が開通し、1885年に開通していた高崎~横川間と繋がり、全通しました。
 一方、北越鉄道1897年5月13日、春日新田~鉢崎(現在の米山)を皮切りに、8月1日には柏崎、11月20日には柏崎~北条、沼垂~一ノ木戸(現在の東三条)、1898年6月16日には一ノ木戸~長岡、12月27日には北条~長岡を開業、1899年9月5日には直江津~春日新田間が開業し、1904年5月3日の沼垂~新潟(初代)間の開業で直江津~新潟間も全通しました。
 富山方面には1911年に7月1日に名立まで開業、1912年12月16日には名立~青海川間が延伸し、1913年4月1日、青海川~糸魚川間の開業で米原~直江津間が全通しました。このとき、糸魚川~直江津間を信越線から北陸本線に編入されました。

まさに新潟の鉄道は直江津から始まったと言っても過言ではありません。

Dsc09314 2024/8/20 直江津駅 駅名標

直江津駅は国鉄時代は在来線の拠点駅であり、民営化後はJR東日本とJR西日本の共同使用駅でしたが、2015年3月の北陸新幹線金沢延伸で駅舎や車両基地等の構内施設の大部分はえちごトキめき鉄道に移管され、路線名もJR東日本管理だった妙高高原~直江津間は妙高はねうまライン、JR西日本管理だった市振~直江津間は日本海ひすいラインとなりました。JR同士の共同使用駅が2社ともに撤退して第3セクターの管轄になった例としては初のケースとなりました。

Dsc09298 2024/8/20 直江津 ET122形 0番台 K4編成

この車両は直江津からあいの風とやま鉄道の泊駅までを結ぶ気動車でえちごトキめき鉄道がJR西日本の協力を得てキハ122形をベースに8両投入したもので、電化されているものの糸魚川~梶屋敷間のAC20kV60Hz/DC1500Vの交直切換えが存在し、交直両用車両を投入するよりも気動車を投入した方が車両製作費用が少ないことから、この方式となりました。沿線は頸城トンネル(11353m)等、6割がトンネル区間で「万が一火災が発生したら大変危険だ」という意見も出されましたが、JR西日本の最新の気動車系列をベースにした新造車両を投入するということで対処したようです。

Dsc09302
2024/8/20 直江津 ET127系 V4編成

この車両は元来、JR東日本が新潟地区用に投入したE127系0番台13編成(うちV3編成は2008年9月18日、越後線内で発生した踏切事故で廃車に)で信越線妙高高原~直江津間の第3セクター化「妙高はねうまライン」用に10編成を改修の上、譲渡したものです。残った2編成は弥彦線専用で活躍した後、南武支線の205系1000番台置き換えのため鎌倉車両センター中原支所に転属しました。
ET127系10編成のうち、V1編成は「懐かしの新潟色」、V8編成は「横須賀色」とインパクトのあるラッピングとなっています。

Dsc09334

2024/8/20 直江津 JR東日本 E129系A13編成 北越急行ほくほく線 HK100形 H-101 H102編成

2010年の訪問の際にも撮影していますが、北越急行のHK100形が直江津駅に乗り入れています。JR東日本のE129系の運用も直江津まで来る編成は終日、長岡との間を往復しているようです。

JR車の到着に合わせて、ひすい、はねうま、ほくほくから車両がやってきて、それぞれ散って行くのを繰り返しているようです。

JRの車両が乗り入れていますが、改札等、駅の業務はえちごトキめき鉄道の社員が担当しているためか、18切符で出場するときは「どこから来たか?」、入場するときは「何時の列車に乗車するのか?」といちいち尋ねられる点、多少ストレスを感じました。

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2024年8月21日 (水)

速報版 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その1 越後線の旅

新潟の旅、3日目は18切符を利用して新潟から越後線で吉田、さらに柏崎、そこから信越本線で直江津まで行きました。

Dsc09238 2024/8/20 新潟駅 朝4時34分 
1番線から越後線、4番線からは白新線、5番線からは信越線の初発列車がそれぞれ出発します。車両はすべてE129系、前夜、最終もしくは回送で到着した車両が滞泊したものです(こちらのサイトに詳しいです。)

Dsc09241 2024/8/20 越後線 吉田方面 120MはA30編成でした。

越後線の新潟~吉田間は以前に乗車したことがありますが、吉田~柏崎間は今回が初の乗車でした。新潟を出発すると直ぐに信濃川を渡ります。かつて越後鉄道が柏崎から越後線の前身である路線を敷設した際、資金不足で信濃川を越える橋梁の架橋が出来ず、やむを得ず白山をターミナルとしました。新潟を出発し、しばらくすると進行左手に密集した住宅地を見下ろす景色が展開し、内野西が丘まで続きますが、そこから先は穀倉地帯新潟平野を感じる美田が広がっています。

Dsc09248 2024/8/20 越後曽根~巻間
進行方向右手の車窓に角田山、弥彦山が見えて来ます。地図で見るとこれらの山々は海岸縁に聳えています。

Dsc09251 2024/8/20 吉田

Dsc09255 2024/8/20 吉田駅 駅名標 西燕、矢作は弥彦線

新潟を出発して49分、列車は弥彦線との連絡駅、吉田に到着します。車両の運用は吉田で分断されており、大半の列車は吉田で折り返しています。あるいは内野で折り返しています。一方、新潟側も信越線から越後線へ、あるいは白新線から越後線へ、あるいはその逆といった運用をよく見かけました。

引き続き柏崎方面は122Mでホームに入線している、左の編成で1分の接続です。

Dsc09253 2024/8/20 吉田 柏崎方面122M A14編成

Dsc09257 2024/8/20 分水~寺泊間 信濃川の2大分水路のひとつ大河津分水路の鉄橋を渡ります。ちなみにもう一つの分水路は関屋分水路で関屋~青山間で越えています。

Dsc09267 2024/8/20 刈羽 駅名標

妙法寺から西山にかけては丘陵地帯を通り、刈羽で平地にでますが、「刈羽」という地名から分かるようにこの駅の海岸側には東京電力柏崎刈羽原子力発電所があります。

Dsc09270 2024/8/20 吉田を出発して1時間14分、柏崎に7:08到着です。

Dsc09280 2024/8/20 柏崎 越後線0番ホーム

柏崎は1975年最初に来ましたが、ホームの構成は今も同じ、0番線が越後線、1番線と2,3番線の間に4本の線路があります。

Dsc09285 長岡駅でも見かけましたが、観光列車「越乃Shukura」の停車する駅にはこういった駅名標が設置されています。

ここからさらに信越線で直江津に向かいました。直江津は2010年頃に来て、駅のそばのホテルに数泊しましたが、あの頃と駅の構造は同じですが、2015年春の北陸新幹線金沢延伸で信越本線長野~妙高高原間はしなの鉄道北しなの線に、妙高高原~直江津間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに、さらに直江津~糸魚川間の北陸本線のうち、市振~直江津間はえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインとなり、旅客輸送はDC-AC60Hzのデッドセクション越えの問題から気動車対応となっています。さらに越後湯沢と直江津を結ぶ北越急行ほくほく線も乗り入れており、直江津駅はJR東日本、えちごトキめき鉄道、北越急行、そしてJR貨物の貨物列車も走る駅となっています。

さらに長岡経由で新潟に戻った後は、2日目の貨物線巡りの延長で焼島貨物駅まで歩き、14:52に同駅を出発する新潟貨物ターミナル行DD200牽引の7082レを撮影しました。

あまりに話題が多すぎて、今回の記事では書ききれないので、これらはは帰京後に廻します。

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2024年3月21日 (木)

速報版 3月15日から名古屋を訪問中 帰路は中央線経由で、途中 明知鉄道を訪問

2024年春の名古屋旅行、土日の暖かさはどこへ行ったのか18日、月曜日は名古屋も朝から強風が吹き、気温が冬に逆戻りです。さすがにお彼岸も近くなり、夜明けも大分早くなりました。

Dsc03487 2024/3/18 名古屋駅の東海道線上下1番列車は3番ホームに入線した313系4+4連の分割から始まります。

名古屋駅の東海道線の初発が313系の3番線の豊橋方面と大垣方面の切り離しで始まるのはダイヤ改正も続いており、5:29に100Fとして豊橋行がまず出発、続いて5:37に301Fとして大垣行が出発します。いずれの列車もこれまで乗車したことがあります。

Dsc03486

Dsc03491

今回は同じホームの4番線側から出発する315系8連の5:40発多治見行に乗車します。中央西線、名古屋~中津川間は2022年3月5日315系8連が投入されて以来、C1~C23編成まで増殖し、特急以外の車両は315系に統一されてしましました。

Dsc03485 2024/3/17 名古屋 315系C104編成 区間快速 武豊行

余談ですが315系4連に関してはC101~C112まで増殖し、2024年3月15日からは武豊線にも投入されました。

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多治見で乗り継ぎ、明知鉄道の起点駅、恵那には7:25に到着しました。この駅は1902年12月21日大井駅として官設鉄道が多治見駅~中津川駅間を開通させたときに開業しました。1906年12月5日、岐阜県最初の私鉄である岩村電気軌道が駅前に乗り入れ、1928年12月3日北恵那鉄道大井線が乗り入れました。1933年5月24日、国鉄明知線が阿木駅まで開通しますが、1934年9月15日には北恵那鉄道、1935年1月30日には岩村電気軌道が廃止となりました。以前、天竜浜名湖線の記事で触れましたが、国鉄明知線は静岡県掛川から二俣、愛知県大野、武節を経て岐阜県大井に至る遠美線の一部として開業したものでした。1963年11月1日、大井駅は現在の恵那駅に改称となりました。

Screenshot_20240319134759

明知鉄道の乗車にはRYDE PASSの「あけてつ全線フリー切符](¥1380)を購入しました。

明智線は1934年1月26日に阿木~岩村間、6月24日には岩村~明知(1985年11月16日、明知鉄道開業の際に駅名は町名に合わせて明智に改称)間が開業しました。岩村電気軌道が廃止になったのは国鉄明知線の開業で乗客が激減したためでした。

なお恵那から岩村までのルート、岩村電気軌道は恐らく国道257号に沿ってほぼ真南に下っていたのに対し、国鉄明知線は飯沼、阿木を通るルートを採ったため、峠越えとなっています。恵那駅を出発すると気動車はエンジン全開で山路に挑んでゆく感じです。途中、飯沼駅は1991年の開業から1996年まで普通鉄道としては33‰の最急勾配で有名な駅でした。ちなみに現在、普通鉄道における最急勾配駅は京阪京津線の大谷駅で1996年に移設された時からで、ホームは40‰の勾配となっています。

Dsc03536 唯一の列車交換は岩村駅で アケチ10号

唯一の交換可能駅である岩村駅の一つ手前の極楽駅も駅名(駅近くに存在した極楽寺に由来)にちなみプラットホームには地蔵菩薩像や、地元岩村藩出身の儒者・佐藤一斎の『言志四録』の一文を刻んだ碑文が置かれ、觔斗雲を上部にいただいたベンチ付き待合所、後光が差すように写真撮影できるスポットもあります。

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1934年6月24日の岩村~明知間開業時に遠山駅として開業し、1956年12月20日に現駅名に改称となった山岡駅で下車しました。目的は同駅に長らく留置され、2016年7月15日に森の列車カフェに改装されたアケチ1号に会うためでした。ただ、残念なことに月曜日は定休日で森の列車カフェも山岡駅かんてんかんもお休みでした。

Dsc03586_20240320105701
Dsc03585 Dsc03593 明智駅 駅舎

晴れてはいるものの冷たい風が吹くため、待合室で約70分待ち、次の明智行(5D)で明智に向かいました。明智駅には明知鉄道の本社や車両基地があり、日本大正村の玄関駅ともなっています。時間の関係で折り返しの10D、10:26発で恵那に戻りましたが、2回の峠越えのある路線で非常に魅力を感じました。次回、チャンスがあればじっくり時間をかけて楽しみたい路線でした。

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2024年3月19日 (火)

速報版 3月15日から名古屋を訪問中 16日は藤が丘~八草間のリニモ、愛知環状鉄道 八草~岡崎間に乗車、トヨタ博物館も訪問

2024年春の名古屋旅行、2日目は名古屋市営地下鉄東山線で東の終点藤が丘へ、そこから2005年の愛知万博(愛・地球博)に合わせて建設されたリニモ(愛知高速交通東部丘陵線)に初めて乗車、さらに名古屋圏の武蔵野線とも言うべき愛知環状線(八草~岡崎)間に乗車しました。さらに帰り道、リニモ沿線にあるトヨタ博物館も訪問しました。

240316 2024/3/16 藤が丘駅引き上げ線

地下鉄東山線は名古屋圏では最初に開業したした地下鉄で一社~上社間で地上に出て、東端の藤が丘駅は高架駅となっています。藤が丘に到着した編成は東の外れの引き上げ線に入り、ダブルクロスを渡って、西方(高畑方面)に向かう線路に転線します。上の写真の右方向にカーブする線路の先には藤が丘車庫、工場があります。

240316_20240317190301 一方、リニモの藤が丘駅は地下にあります。

240316_20240317190601 リニモの路線図(側扉上)
駅数は両端駅を含めて9駅で17分の行程、HSST(常電導吸引型)方式でATOによる無人自動運転が採用されています。

09-240316 杁ヶ池公園~長久手古戦場間

藤が丘を出発して2駅目のはなみずき通駅の先から地上に出て、高架となりなかなかの絶景が展開されます。途中、芸大通駅の手前でトヨタ博物館の前を通り、愛・地球博記念公園では観覧車やドームが印象的です。

240316-2 終点、八草では愛知環状鉄道線をオーバクロスします。

愛知環状鉄道は岡崎市、豊田市、瀬戸市、春日井市を結ぶ岡崎~高蔵寺間の路線で1976年に国鉄線として開業した岡崎~新豊田間と旧鉄道公団が建設した新豊田~瀬戸間(岡多線)、瀬戸~高蔵寺間(瀬戸線)の一部区間を合わせた路線です。路盤等は複線用に確保されていますが、中には複線の片側の高架基盤上にホームを設けた駅もあり、今後完全複線化する際には問題が起こりそうです。

2000-g15-240316

2024/3/16 北野桝塚 愛知環状鉄道2000系 G15+G13併結編成

車両はJR東海313系とよく似た2000系の2連が運用されており、通常は2連、列車によっては併結の4連のこともあります。

車両基地は北野桝塚にあります。

240316_20240317194901
最後にリニモ、芸大通駅から歩いて5分の場所にあるトヨタ博物館ですがトヨタ自動車が創立50周年記念事業の一環として1989年4月に開館したものでガソリン自動車誕生から約100年の歴史をテーマにトヨタ車だけではなく、19世紀末から20世紀にかけて製造された各国、各メーカの自動車が体系的に展示されています。クルマ館2階は歴史的な車両、3階は1950年代以降の車両で私個人としては2階の展示車両の迫力に圧倒されました。1台ごとに写真を撮り、説明書きも記録していたら結構、時間がかかりました。まさに必見の価値ありの展示でした。

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