2024年11月28日 (木)

青梅線開通130周年、青梅駅駅舎築100年

今週は西武秩父線、秩父鉄道、E233系P編成と3日連続で埼玉・東京西部の話題になりましたが、4日目の今日の記事も東京西部の話題でゆきます。

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2024/11/13 青梅駅

今年は青梅線(立川~青梅間)開通から130周年、青梅駅二代目駅舎落成から100年で青梅線沿線の各自治体では関連イベントが多く快哉れています。私も11月13日の午後、青梅市郷土博物館の特別展に行ってきました。

241113-2 青梅市郷土博物館は青梅駅の南の多摩川が大きく蛇行する川沿いの釜ヶ淵公園にあります。

青梅線の立川~御嶽間は青梅鉄道が軽便鉄道の規格で開業した路線で1894年11月19日に立川~青梅間が開業、軌間は762mmで拝島、福生、羽村、小作、青梅駅が開業しました。青梅線開業の本来の目的は日向和田の石灰石採掘とその輸送のためで1895年12月28日には日向和田まで延伸、日向和田は貨物駅として開業しました。1898年3月10日には青梅~日向和田間の旅客営業も開始されました。762mmの軽便鉄道規格では輸送量も限られ、甲武鐡道との接続駅、立川での積み替えも必要となるため、1908年2月18日に全線の軌間を762mmから1067mmに改軌、このときにドイツ・クラウス社製の蒸気機関車4両(二代目1~4号機関車)が導入されました。1920年1月1日には二俣尾まで延伸、1923年4月25日には立川~二俣尾間が直流1200Vで電化されました(その後、1930年に1500Vに昇圧されました)。電化当初には1921年に梅鉢鉄工所で製造された木造客車を改造したデハ1形電車が投入されました。1929年9月1日には御嶽まで延伸しました。開業以来の兼業であった石灰石採掘事業は1920年に浅野セメントに採掘権が譲渡され、採掘量の増加で青梅鉄道にも莫大な運賃収入をもたらしましたが、その後のセメント不況では経営不振に陥り、その打開策として沿線観光開発や旅客誘致に力が注がれることになりました。
 大正期には日帰り行楽旅行ブームが起こり、1921年には西多摩地区唯一の遊園地「楽々園」を現・石神駅前に開設、1925年には奥多摩川の風景を積極的に売り込み、1927年の「日本新八景」選定投票で「奥多摩渓谷」を「日本百景」に当選させました。

241113_202411270951012024/11/13 青梅駅舎 建造されてから100年経過しているとは思えません。

 青梅駅初代駅舎は木造平屋建て、建坪45坪で、駅構内には機関庫、客車庫、工場が併設されていました。1924年11月30日、青梅鉄道開業30周年記念で建て替えられたのが現在の二代目駅舎で地上3階、地下1階で、鉄道省出身の建築家久野節の設計によるものです。

1929年5月3日には社名を青梅電気鉄道に変更、自動車部を設置し、1930年には奥多摩自動車を買収し、乗合自動車偉業を始めました。1934年には団体貸切自動車事業も開始しました。この頃は青梅自動車を買収した武蔵野鉄道(現・西武鉄道)との間で東京~青梅間、青梅市域において激しい競争が展開されました。

青梅鉄道、青梅電気鉄道時代に開業した駅は、創立時の5駅の他
1895年12月28日 日向和田駅(貨物)1898年3月10日 旅客化
1908年5月16日 中神駅
1914年4月1日 宮ノ平駅(貨物)1923年4月1日 旅客化
1920年9月23日 上古新田駅(貨物)1935年6月14日 立川~上古新田間廃止
1927年2月20日 河辺駅
1928年10月13日 楽々園駅 → 石神前駅
1929年9月1日 軍畑停留場、沢井駅、御嶽駅
1930年11月15日 西立川停留場 → 1931年11月15日 西立川貨物駅 → 1935年6月1日 停留場と貨物駅を統合
1932年10月1日 東青梅停留場
1938年1月25日 昭和前仮停留場(現・昭島駅)
1942年7月1日 東中神停留場
1943年3月1日 牛浜仮停留場 が開業しました。

1944年、御嶽駅で接続する氷川に向けた奥多摩電気鉄道の開業に向けた工事も進む中、政策的な要請により鉄道の国有化が進められ、青梅電気・南武・奥多摩電気鉄道は「関東鉄道」として自主的に合併する方針も空しく、国有化されることとなり、4月1日には立川~御嶽間、7月1日には御嶽~氷川間が国鉄に編入となり、青梅線となりました。一方、自動車事業の方は1945年に関連事業を含めた一切を奥多摩振興(現・西東京バス)に譲渡しました。青梅電気鉄道は国有化後、解散を決議したものの、買収路線復帰運動の際に受け皿会社として活動を再開、清算会社として存続した後、1995年に解散しました。奥多摩電気鉄道は奥多摩工業と社名を変更、石灰石の採掘・運送会社として現存しています。南武鉄道も太平洋不動産として現存しています。

40-edit 昭和50年代の青梅駅で休むクモハ40

青梅線には今では想像もできない旧型国電が走っていました。

241113_20241127095701 241113_20241127095801 博物館の特別展で撮影が可能だった展示物から

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展示物に関する説明が纏められた冊子 ¥100で入手可能でした。

E2330-t40-10r-241112-2 2024/11/12 東小金井

E2330-t40-10r-130hm-241107-2 2024/11/7 三鷹

E233系T40編成にも青梅線開業130周年記念のHMが掲げられています。

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2022年12月28日 (水)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 33 三河線の歴史

名古屋本線で知立駅に到着後は当駅から南北に出ている三河線に乗車します。

三河線は現在、知立~猿投(さなげ)間の山線、知立~碧南間の海線に分かれています(接続の様子は常磐線柏駅における常磐線、東武野田線アーバンパークラインと似ています)。駅記号番号も山線がMY、海線はMUと別れており、直通で運転される列車もありませんが(碧南発知立行、そのまま猿投まで運行という運用はあります)、歴史的には大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道本線に接続し、知立を通る碧海軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)が1910年10月に申請され、1911年7月18日に免許が下付されました。同年8月5日に免許が下付された知立~挙母間の知挙軽便鉄道(軌間762mm、蒸気運転)と合同することとなり、1912年5月30日には社名を三河鉄道とし、軌間も1067mmに変更となりました。

1913年1月 刈谷から大浜港まで工事着手
1914年2月5日 刈谷新~大浜間開業
1915年10月28日 刈谷新~知立間開業
事業不振で経営陣の総辞職などもあり、株主達の要請で三河国幡豆郡松木島村出身の実業家 神谷傳兵衛1916年4月に社長に就任、
1916年11月 北の終点を猿投に延長することを決定
1920年7月5日 知立~土橋間開業 8月31日~上挙母、11月1日~挙母
1922年1月17日 ~越戸まで開業
1924年10月31日 ~猿投まで開業
1926年2月5日 大浜港~猿投間電化 9月1日 大浜港~神谷間開業
1927年8月26日 猿投~枝下間開業、9月17日 ~三河広瀬まで開業
1928年1月22日 ~西中金まで開業 8月25日 神谷~三河吉田間開業
1936年11月10日 三河吉田~蒲郡間開業 三河線として全通
1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併 西中金~蒲郡間が三河線に
2004年4月1日 碧南~吉良吉田間、猿投~西中金間を廃止。


名古屋本線の知立駅と三河線の知立駅は今は一体化していますが、元は愛知電気鉄道と三河鉄道と別の鉄道会社であり、両線が立体交差する場所に知立(三河鉄道)、新知立(愛知電気鉄道)を設け、1941年6月の合併後、駅名は統一されました(二代目:知立駅)。1959年4月1日、三河線が名古屋本線に乗り入れられるよう、駅を現在の場所に移設、三代目:知立駅となりました。旧駅は初代三河線の知立駅は三河知立に、名古屋本線の新知立駅は東知立と改称されました。

知立駅付近は鉄道により市街地が分断され、慢性的な交通渋滞も発生していること、名古屋本線の知立駅には待避線がなく緩急接続ができないこと、三河線との乗り換えに階段を使用しなければならない問題点を解消するため、2000年から高架化、多層駅化事業が開始され、将来的には2階に2面4線の名古屋本線ホーム、3階に2面4線の三河線ホームといった構造になる予定だそうです。

Dsc06384 2020/2/4 牛句シャトー神谷傳兵衛記念館の展示から

Dsc06346 牛久シャトー 正門

Dsc06370 展示を見て、三河鉄道との関係を知りました。

200207-3 2020/2/7 浅草 神谷バー

ちなみに1916年4月、三河鉄道の社長に就任した神谷傳兵衛 氏(1856年3月17日-1922年4月24日)は浅草の洋酒バー(神谷バー)、茨城県牛久市のワイン醸造所、シャトーカミヤの創設者でもあり、三河国松木島村の名主の六男として生まれ、8歳で酒樽造りの弟子として奉公、酒類の販売から、我が国にける葡萄酒製造を目指し、1903年9月に牛久に醸造場シャトーカミヤを開き、1912年4月10日、浅草に神谷バーを開業した人物です。

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2022年12月23日 (金)

2022年夏 名古屋遠征 名鉄ほぼ全線乗りつくしの旅 30 西尾線、新安城から吉良吉田へ

名鉄の路線の中でも西尾線、蒲郡線は以前、豊橋から刈谷周辺の公園保存車輌を見て回った際に地図を見ながら計画を立て、実際に歩いているので他の路線に較べると馴染があります。

西尾線の成り立ちは複雑で、1911年10月30日西尾鉄道の前身の西三軌道が西尾~岡崎新間を開業しました。この路線は西尾口から北東に進み東海道本線の岡崎駅付近に至る路線でした。1912年1月25日には西尾鉄道と改称し、1915年8月5日には西尾から吉良吉田まで延伸しました。これで西尾鉄道による吉良吉田から名古屋に至るルートが完成しましたが、1926年7月1日愛知電気鉄道の子会社、碧海電気鉄道が今村(現、新安城)~米津間を開業させたことで西尾鉄道の旅客は碧海電気鉄道線に流れ、1926年12月1日、西尾鉄道は愛知電気鉄道に吸収合併され、米津~西尾間が繋がり、1928年10月1日、今日の今村(新安城)~吉良吉田間の路線となりました。

西尾鉄道は岡崎新~西尾、さらに西尾から吉田港までを軌間762mmの軽便鉄道規格で敷設しましたが、1926年の合併後、碧海電気鉄道(こちらは1067mm軌間)との直通を考慮して、西尾線は1067mmに改軌、さらに600Vで電化されました。1935年に愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し、名古屋鉄道が誕生し、1944年名古屋鉄道が碧海電気鉄道を吸収合併すると同区間は碧西線と改称、さらに1948年に西尾線と再改称されました。西尾~岡崎新野区間は1943年に戦時不急不要路線に指定され、休止となり、1951年、岡崎駅前~福岡町間は復活しましたが、1962年に廃止となりました。

Dsc01169 2022/8/4 新安城駅 西尾・吉良吉田・蒲郡方面 列車案内

Dsc01170 新安城駅は3面6線で1,2番線が西尾線、3~6番線が名古屋本線となっています。写真は豊橋、吉良吉田方から名古屋、岐阜、新鵜沼方向を見ています。

Dsc01171 こちらは豊橋、吉良吉田方向 西尾線は単線で分岐しています。

Dsc01173 吉良吉田行急行が入線してきました。
須ヶ口を10:08に発車した9500系9512F、西尾線内も急行で南安城、桜井、南桜井、米津、桜町南、西尾、福地、上横須賀と停車し、吉良吉田に11:25に到着予定です。

Dsc01177 南安城 

Dsc01178

線内は殆ど単線ですが、堀内公園~桜井~南桜井~米津にかけては複線区間が存在します。

Dsc01181 線内の中心駅、西尾駅に接近 ここは折り返し列車があります。

また南安城、米津、西尾、福地、上横須賀では列車交換が可能です。交換駅のポイントはスプリングポイントです。

Dsc01183 新安城を出てから32分、11:25に終着、吉良吉田に到着です。
ここで蒲郡線に接続しています。

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2021年5月27日 (木)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 14 成知公園に保存されている佐久鉄道ガソリンカー キホハニ56

昨日に続き、旧中込学校に隣接する成知公園に保存されている佐久鉄道で活躍したガソリンカー キホハニ56です。

Dsc02916
Dsc02924_20210526205801 2021/4/3 C56101号機と並んで展示されているキホハニ56

Dsc02949 ハの三等席部分

Dsc02950 ニの荷物室部分

Dsc02958 エンジンは1951年にディーゼル化されました。

Dsc02959 エンジンと台車を結ぶプロペラシャフトはありません。

Dsc02947 運転席の様子も見ごとに復元されています。

Dsc02943


Dsc02940

以前にも記述しましたが、佐久鉄道は1915年8月8日に小諸~中込間が開業、同年12月28日には羽黒下まで延伸、1919年3月11日には小海まで延伸しました。長らく、蒸機牽引でしたが、1930年11月12日、ガソリン動力併用認可を受け、同年12月20日から、日本車輛製造本店で製造されたガソリンカーが投入され始めました。案内板にあるように1930年製がキオハニ50形(51~56)、1931年製がキホハニ57形(57/58)でした。
当初は電化の計画もあったそうですが、ガソリンカーによる経費節減効果が大きかったため、電化の計画は破棄されたそうです。

キホハニ56は8両製造、投入されたガソリンカーのうちの1両で、キ(気動車)、ホ(コ、ホ、ナ、オ、マ、ス、カと表記される車体重量で22.5t以上、27.5t未満を意味し)、当時の三等車のハ、荷物車のニを意味しています。いわゆる合造車ですね。

佐久鉄道が国有化された後はキハニ40605となり、改番を経て、キハニ40706に、1942年に廃車・除籍され、1943年三岐鉄道に譲渡され、キハニ6からキハ6となり、1954年には別府鉄道に譲渡され、キハ3となり、1984年の廃線まで在籍しました。その後、1984年に当地に戻り、復元されたとのことです。

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2021年4月23日 (金)

2021年春、再び信州へ しなの鉄道と小海線の旅 2 高崎線 倉賀野駅 part1

2021年春、信州の旅、最初は高崎線の倉賀野駅です。

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Dsc027642021/4/3 駅名標

この駅は高崎線と八高線が合流する駅ですが、列車運行上は全ての列車が高崎駅まで運行されており、水郡線の安積永盛駅と同じような関係にあります。八高線の施設上の分岐点は北藤岡駅構内にあります。そして、JR東日本とJR貨物の駅が併設されています。番地的にはJR東日本の駅が倉賀野町1797番地であるのに対してJR貨物の駅は東側にあり、町名も東中里町65番地となっています。

1894年5月1日日本鉄道の駅として開業しました。高崎線の開業の歴史的には1883年7月28日に上野~熊谷、10月21日に熊谷~本庄、12月27日に本庄~新町、1884年5月1日、新町~高崎間が延伸開業していますので、倉賀野駅は同区間の開業後10年後に新設されたことになります。1906年11月1日には日本鉄道が官設鉄道に、1917年4月28日、同駅から上州岩鼻を結ぶ陸軍の火薬製造所の貨物輸送のための岩鼻軽便鉄道が開業しました。軽便鉄道という社名ですが軌間は1067mmだったそうです。

大日本帝国陸軍は1882年11月に「東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」と称した黒色火薬の製造所を設置し、1923年4月に「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」へ、1940年4月に「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」へとそれぞれ改称し、1945年の終戦を迎えるまで、黒色火薬やダイナマイト、軍用火薬、民間用の産業火薬の生産・供給を行なっていました。1945年の8月の太平洋戦争終戦、陸軍の解体で同年8月30日、全線が廃止されました。火薬製造所跡地は北から順に量子科学技術研究開発機構(旧法人名:日本原子力研究開発機構)高崎量子応用研究所、群馬県立公園群馬の森、日本化薬高崎工場として利用されています。

1960年9月15日、亜細亜石油(現ENEOS)は倉賀野駅からの専用線を開設しましたが、同線は岩鼻軽便鉄道の線路敷の一部を再利用したものでした。国鉄は倉賀野駅を貨物ターミナルとして整備することとし、石油基地、自動車基地、コンテナ基地、飼料基地、セメント基地を次々に設置し、これらの施設に向かう線路もかつての岩鼻軽便鉄道 の線路敷きの一部を使用したものでした。その後、 専用線や自動車基地、飼料基地は廃止されましたが、石油基地とコンテナ基地は現在も稼働しています。

Dsc02766 2021/4/3 高崎行 225D

現在の八高線は1931年7月1日、同駅から児玉駅までが開業しました。1933年1月25日、寄居駅まで延伸、1934年10月6日、小川町~寄居間が開業し、八王子まで全通しました。

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2020年7月 8日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 17 加古川線の旅 西脇市まで往復 その1

播但線を姫路~和田山間往復し、再び姫路に戻った後は山陽本線を東進し、加古川に向かい、加古川線に乗車しました。

Dsc03086 2019/8/5

Dsc03072
この線も加古川が作った平地に沿って山陽本線と福知山線谷川駅を結ぶ陰陽連絡線で播州鉄道1913年4月1日、加古川町駅~国包(現在の厄神駅)間7.56kmを開業させたのが始まりです。同年8月10日には野村駅(現在の西脇市)まで延伸しました。1915年5月14日、加古川町駅は国有鉄道加古川駅に統合されました。1923年12月21日、播州鉄道は路線を播丹鉄道に譲渡しました。1924年12月27日、野村~谷川間が延伸開業し、現在の加古川線が全通しました。

路線データ

管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):48.5km
軌間:1067mm
駅数:21(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
運転指令所:大阪総合指令所加古川支所
最高速度:85km/h


1943年6月1日、播丹鉄道が国有化さ、加古川線となり、1958年6月10日には全列車が気動車化、1972年3月15日、蒸機の全廃、1986年11月1日には貨物駅業が廃止されました。1990年4月1日、野村駅と鍛冶屋駅を結んでいた鍛冶屋線(延長13.2km)がこの日を以て廃止され、野村駅は西脇市駅と改称されました。加古川線にはこれ以外に厄神駅から三木駅までの三木線(後の三木鉄道2008年4月1日に廃止)、粟生駅から北条町駅までの北条線(後の北条鉄道)、加古川駅から高砂駅までの高砂線(1984年12月1日に廃止)がありました。これらは国鉄に買収される前はいずれも播丹鉄道の路線でした。

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鍛冶屋線の野村~西脇間は地勢的に西脇市の中心を通る路線で利用者が多く、加古川~野村~西脇~鍛冶屋や西脇~野村~谷川と直通運転される列車が設定され、実質的に「本線」と言われていました。
1995年1月の阪神淡路大震災では播但線同様に寸断された山陽本線の迂回路線としての役割が期待されましたが、単線非電化がネックとなりました。このため電化の必要性が叫ばれ、2004年12月9日全線が電化されました。総事業費60億円のうち、45億円はJR西日本と沿線自治体が負担し、残る15億円は沿線地域での募金で民間負担となりました。

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2020年5月1日現在、加古川~谷川間全線通しで運転される列車は1往復のみで、厄神、西脇市で運転系統は分かれています。全列車が全線でワンマン運転されています。加古川発で見ると、厄神行きと西脇市行きが交互に運転され、西脇市から先は交換設備がないため、1編成が走る運転となっており、1日9往復、土曜休日は8往復で、3時間ほど列車が無い時間帯もあります。

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2020年6月10日 (水)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 13 棚原ふれあい鉱山公園訪問 その2 同和鉱業片上鉄道について

昨日の記事にあるように吉井川の水運、高瀬舟による鉱石の運搬を代替するために棚原から片上まで敷設されたのが片上鉄道でした。

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2019/8/4 棚原ふれあい鉱山公園に展示されている高瀬舟 鉱石を載せて川を下り、復路は塩、魚、ミカンなどを載せて帰って行きました。最盛期は会社所有の船と個人所有の舟で100艘以上が活躍していました。ただ、初夏から秋にかけての農繁期には吉井川の水が農業用水として利用されるため水位がさがり、和気の上流6km付近の天瀬付近から下流は航行不能となるトラブルや棚原から児島湾の九蟠港までの往復に平均5日を要する問題がありました。

会社は、間762mmの軽便鉄道として1919年3月24日に鉄道大臣に出願されました。同年11月27日に片上鉄道が成立しました。やがて1922年4月17日に免許は軌間1067mmに変更され、線路の敷設が開始されます。
1931年2月1日、井ノ口~棚原間が開業し、全通しました。

路線データ
営業キロ 33.8km 建設キロ 33.997km
設計図より実測が長い場所(ダブルチェイン)が3か所、逆に短い場所(ブレイクチェイン)が1か所存在します。
駅数 17駅
全線非電化、全線単線
閉塞方式 単線自動閉塞式 ARC
踏切 108か所
橋梁 98か所
最小勾配 0.9‰ 最大勾配 28.6‰
最小曲線 半径240m 最大曲線 300m
隧道 3か所 

Dsc02903

駅名     営業キロ
片上      0.0      赤穂線(西片上駅と徒歩5分)
清水      4.1
中山      5.7
和気      8.6      山陽本線
本和気     10.1
益原      11.6
天瀬      14.5
河本      16.3
備前矢田    18.3
(貨)井ノ口  19.4     1931年2月1日廃止
苦木      22.2
杖谷      24.2
備前塩田    25.5
肥前福田    27.2
周匝      28.5
美作飯岡    29.6
吉ヶ原     32.5
柵原      33.8

経営は1950年6月20日藤田興業が片上鉄道を合併し、1957年8月1日には同和鉱業が藤田興業を合併しました。棚原鉱山からの鉱石輸送のみならず、沿線住民の足として旅客輸送も行われました。尾小屋鉄道、三岐鉄道とともに陸運統制令の枠外とし他社への事業統合を免れ、青梅鉄道や群馬鉄山専用線(後の吾妻線)とは異なり、国鉄買収の対象にもなりませんでした。鉱石輸送が主体であったため、交換駅での線路有効長は長く、PC枕木等を使用し、線路規格も高規格でした。車両、施設もよく整備されており、国鉄キハ41000形、42000形が現在も動態保存されています。

硫黄の新しい精製技術の確立やオイルショックなどで棚原鉱山の生産量の激減、貨物の取扱量の減少、旅客輸送も乗用車の普及で減少し、1987年には鉱石輸送はトラック輸送に切り替えられ、地元住民は存続希望を出しましたが、経営困難により、1991年6月30日をもって廃止となりました。

Dsc02900
廃線跡を利用して「片鉄ロマン街道」(県道703号備前柵原自転車道線)が設置され、

Dsc02901
吉ヶ原駅周辺には柵原ふれあい鉱山公園が設置されました。

Dsc02868

さらに吉ヶ原駅から旧柵原駅に向かって約100m展示運転線が延長され、2014年11月2日には黄福柵原駅が開業しました。
次回の記事から、柵原ふれあい鉱山公園に保管されている車両について紹介して行きます。

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2020年2月16日 (日)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井笠鉄道の路線と歴史

岡山県西部と広島県東部を結ぶ井原鉄道、2月13日の記事でちょっと触れましたが、かつて山陽本線笠岡駅から井原駅間19.4km(本線)、途中の北川駅から東方の矢掛駅まで矢掛線(5.8km)、井原駅でスイッチバックして、西方の神辺駅まで神辺線11.8km(神辺線)、いずれも軌間762mmの軽便鉄道、井笠鉄道が通っていました。路線図はこちらのサイトに。

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井笠鉄道1911年7月1日井原笠岡軽便鉄道として設立され、1913年11月17日本線笠岡~北川~井原間が開業しました。1921年10月25日矢掛線矢掛~北川間が開業、1925年2月7日高屋線井原~高屋間が開業しました。本線は通勤・通学の手段として、あるいは沿線で開催される縁日の参拝客、桃や柿などの特産品の輸送手段として地域の観光や産業の発展に貢献しました。一方、高屋線は紡績業の盛んだった井原町と西国街道の宿場が置かれ機業地だった高屋町を結ぶ紡績ネットワークの基幹路線として貢献しました。
一方、広島県側では1911年12月12日に設立された両備軽便鉄道が広島県東端の城下町福山と神辺、府中、高屋を結ぶ路線を企画し、まず1914年7月21日、福山~府中町間が開業、神辺~高屋7.8kmは1922年4月9日に開業しました。3年後に、井笠鉄道高屋線が開業し、両社は連結器の規格を揃えて、直通運転を開始しました。1933年9月1日、鉄道省が両備鉄道を買収することになりますが、買収の対象となったのは後の福塩線となった福山~府中町間で、高屋線は対象から外れました。そこで設立されたのが神高(じんこう)鉄道株式会社で神辺~高屋間と高屋から井原方面への乗り入れを経営する会社となりました。

もともと沿線人口が少なく、支線として建設された路線の営業では単独での存続は難しいと考えた経営陣は自社線と関連資産を井笠鉄道に売却しようとしますが、神高鉄道の窮状を熟知している井笠鉄道は、提示された価格の半額での買い取りを主張、両者の意見が合わず、神高鉄道は1937年12月9日、会社の解散と路線の廃止を鉄道省に申請しました。この事態は沿線自治体、県にとっても衝撃の事態となり、2年にわたって事態が紛糾した結果、鉄道省監督局が仲介に乗り出し、交渉が成立し、1940年1月1日に神高鉄道線は井笠鉄道に譲渡され、井原~神辺間11.8kmが神辺線となりました。

神辺線では軌道自動車といわれる単端式気動車が単行、もしくは1,2両の客貨車を牽引し、両ターミナル駅で機回しを行う運行方式が四半世紀続きましたが、モータリゼーションの進展による乗客数の減少、鉄建公団による国鉄吉備線の延長線の高規格鉄道路線の建設計画も明らかとなり、路線を譲る形で1967年4月1日、矢掛~北川、井原~神辺間が廃止されました。一方、井原~笠岡間の本線は戦前は蒸機牽引、戦後、気動車が導入され、客車と貨車の混合列車が高頻度で運転されていましたが、1971年4月1日に廃止となりました。廃止時には気動車8両、客車10両、貨車10両が在籍していました。笠岡市山口1457-8にある井笠鉄道記念館に当時の車両や貴重な資料が保存展示されているようです(サイト)。
路線図を紹介した津島軽便堂写真館さまのサイトに日本にかつて存在した多くの軽便鉄道の貴重な写真が収録されています。

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2020年2月13日 (木)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 2 井原鉄道井原線 

2019年8月の旅行、水島臨海鉄道に乗車した後は倉敷から伯備線列車に乗り、7.3km先の清音駅に向かいました。

Photo_20200212205801

Yahooの地図から 井原鉄道の路線付近の地図

Dsc01998 車内に掲示されている路線図

倉敷駅から高梁川に沿って北上する伯備線に対して、清音駅の南側で小田川に沿って西へ向かうのが井原鉄道井原線です。接続駅は清音駅ですが、総社~清音間はJR西日本と井原鉄道の重複路線となっています。この区間3.4kmは、JR西日本が第一種鉄道事業者、井原鉄道が第二種鉄道事業者です。

Dsc01980
2019/8/2 伯備線 清音駅 駅名標

Dsc01981 井原鉄道清音駅入口

Dsc01982井原鉄道の清音駅は伯備線清音駅の2番線の一部となっています。

Dsc01986_20200212210301

清音を出発し、神辺方面に向かう列車の後方展望 伯備線上下線の間から西方に曲がり、下り線をオーバクロスし、

Dsc01995

長大な鉄橋で高梁川を渡ります。鉄建公団が手掛けた工事のため、国鉄の雰囲気が漂う規格となっています。

Dsc02000 運賃表 清音から神辺までは1010円でした。

清音から分岐し、神辺に向かう38.3kmの路線は国鉄が吉備線の延長路線として計画していたもので、井原から先、神辺までは井笠鉄道の路線(軽便鉄道)神辺線でした。1966年5月14日に国鉄井原線として起工式が行われ、工事に着手しました。1967年には井笠鉄道神辺線・矢掛線、1971年には本線が廃止となり、井笠鉄道の線路跡は鉄建公団が買収し、井原線として活用されることになりました。しかし、1980年国鉄再建法施行で国鉄井原線は建設中止となりました。

Dsc02042 福塩線 神辺駅 駅名標

Dsc02045
福塩線対向式ホームの東側に井原鉄道のホームがあります。

1986年、地元の岡山・広島県と周辺自治体が「井原鉄道」を設立し、既に完成していた高架橋や路盤を利用し、1987年から工事が再開され、1998年6月30日にレールが締結され、1999年1月11日に総社~清音~神辺間が開業となりました。

2018年7月6日平成30年7月豪雨の影響で沿線は高梁川や小田川、同支流の決壊で甚大な被害が出たのは記憶に新しい災害でした。

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2017年11月19日 (日)

三重県のJRの駅と近鉄、その他の鉄道の駅が併設されている駅 1 桑名駅

三重県ではJRと近鉄がほぼ並行して走っているため桑名、津、伊勢市、鳥羽などの駅はJRと近鉄の駅が併設されており、改札口も共有のケースが多く見られました。そういった駅を紹介しようと思います。

1708062017/8/6 駅跨線橋 東口はありますが、反対側の西口はありません。
1408122014/8/12 「その手は桑名の焼き蛤」でも有名な桑名
名古屋から関西本線に乗り、木曽川を渡ると三重県に入ります。三重県最初の駅は長島駅、続いて桑名駅です。
170806_2桑名駅前 鋳物の街とは知りませんでした。
この駅はJR関西本線、近鉄名古屋線、養老鉄道が乗り入れており、JRは全列車が停車、近鉄が名伊甲特急・しまかぜ以外の全旅客列車が停車する駅で、養老鉄道は当駅が起点になっています。三岐鉄道北勢線の駅は西桑名で、桑名駅から少し離れています。
170804JR桑名駅の東口改札口 近鉄、養老鉄道も同じ改札を通り乗車、但し養老鉄道の場合は養老鉄道ホーム入場の際にもう一つ改札があります。
140812_22014/8/12 JR1,2番線 2番線の基礎の部分には煉瓦造りの痕跡が残っています。
170804_22017/8/4 養老鉄道改札口
橋上駅舎を持つ地上駅でJR東海は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線、近鉄・養老鉄道は島式ホーム2面4線で、ホーム番号はJR側から連番で振られていますが、5番線はありません。これは1959年の改軌まで4番線は伊勢中川方面、6番線は名古屋方面の列車が使用し、名古屋寄りに切り欠き乃5番線があった名残だそうです。その当時は養老線は7番線を利用していたぞうです。
上の写真の左手奥がJR桑名駅で、養老鉄道との間ではかつて貨車の入れ換え作業が行われていた関係で現在も側線が残っています。
1116_1708042017/8/4 
近鉄のホームは上り名古屋方面は追い越し、待避が可能ですが、下りは不可能なため、待避は益生駅で行われています。
170804_3
2017/8/4 近鉄ホームから三岐鉄道北勢線方向
この先に北勢線軌間762mm、JR関西本線軌間1067mm、近鉄名古屋線軌間1435mmの3つの異なる軌間を渡る踏切があります。
さらに桑名駅前からは1927年から1944年まで路面電車桑名電軌が発着していたそうです。

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