速報版(補遺) 2024猛暑の夏 新潟の旅 3日目 その3 焼島貨物
一ノ木戸(現、東三条)方面から延伸してきた北越鉄道の路線は1897年11月20日 、信濃川の川幅が1km近くあったことから架橋が出来ず、新潟市東部の沼垂に駅を設け、終着駅としました。新潟市民の反対は強く、開業前には沼垂駅で機関車と貨物庫、新栗ノ木川の鉄橋が爆破される騒動まで起きました。
その後も鉄道誘致活動が続き、1904年5月3日、市の中心部に近い弁天公園付近に新潟駅が開設されました。これが初代の新潟駅ですが、1937年に日中戦争が勃発し、太平洋戦争を経て、戦後になると新潟駅は大陸からの引揚者などで常に人が溢れる状態が続き、さらに沼垂を出発した列車が大きく迂回をして新潟駅に入る時間的ロスや越後線の連絡も考慮し、信越線、白新線、越後線の3線の統合される現在の場所に移転となりました。新駅駅舎の完成は1958年4月29日でした。
沼垂駅、旧新潟駅、現在の新潟駅と焼島貨物駅の位置関係を示した地図
Yahooの鉄道路線マップをベースに作成しました。
今回の旅行の2日目に東新潟、越後石山付近を歩いた後、新潟貨物ターミナルから焼島貨物駅に至る信越貨物支線を探して歩きました。新潟駅前から1ブロック北の東西に走る明石通りを東に歩くと栗の木バイパスとの交差点(栗の木橋)があり、さらにそれを越えて東進すると道路は立体交差となり、線路跡を越えます。
2024/8/19 廃線跡 北側
2024/8/19 廃線跡 南側
この廃線跡がかつて沼垂駅に通じていた信越線の線路跡で、南側の写真の奥に見えている新幹線の引き上げ線の高架付近で現在の信越線・白新線から分岐しています。
2024/8/19 沼垂駅に続く信越線が水路を渡っていた跡、橋梁は撤去されていますが、橋台は残っています。
これをさらに南下し、信越線、白新線の下を潜り、線路に沿って進むと2日目の記事で紹介した都市計画道路出来島上木戸線の信越本線・白新線オーバクロスポイントに出ます。
3日目は明石通りをさらに東進し、現在もActiveな焼島貨物駅に通じる信越貨物支線を目指しました。
2024/8/20
榎町の歩道橋、日産自動車のディーラーの前を過ぎ、東消防署を右手に見て進むと、道路は線路を越えるため上り坂となり、その手前に左に分岐する道があります。
2024/8/20 焼島貨物駅で出発準備をするDD200-22号機牽引 7082レ
焼島貨物は北越コーポレーション新潟工場で生産された紙製品を隅田川駅のエフ・プラザ隅田川へ送る業務を担当しており、新潟貨物ターミナル駅と焼島貨物駅間のコンテナ貨物の牽引を愛知機関区配置のDD200形が担当しています。
新潟タ 843ー7251レー859 焼島
焼島 1058ー7252レー1116 新潟タ
新潟タ 1134-7253レー1150 焼島
焼島 1452-7082レー1510 新潟タ と2往復設定されています。
かつては日本鋼管新潟製造所や旭カーボン本社工場などへ続く専用線もあり、旭カーボン線からは西武鉄道小川駅(ブリヂストン東京工場)向けのカーボンブラックの発送もされていたとのことです。2010年10月までは紙製品はワム80000形有蓋車で輸送されていました。
2024/8/20 焼島貨物駅から上沼垂信号所へ
新潟タまで5.2kmと短い貨物線ですが、「乗れない鉄道」として産業に貢献していることが分かりました。
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