2018年晩夏 長野県内の保存蒸機を見て歩く旅 105 御代田駅そばの御代田交通記念館に保存されているD51 787号機
御代田駅で下車したのは駅から歩いて数分、しなの鉄道の列車からも見える御代田交通記念館に保存されているD51 787号機を見学するためでした。
2018/9/2 御代田交通記念館
動態保存機と言ってもおかしくないくらい黒光りした状態です。
この機関車は「御代田町D51-787号機保存整備協議会」の手により,動態保存機と同様に整備されていることで有名です(情報)。
履歴は沖田祐作氏の機関車表データによると
1943-9-29 汽車製造大阪工場 製番2327
配属 東京局
1943-10-7配属 水戸
1954-6-12借入 木曽福島
1954-7-10 木曽福島
1957-3-30 新缶に交換
1960-12-7 換気装置取付
1971-4-17 木曽福島 廃車
とのことです。
汽車製造は明治時代に我が国の鉄道行政で活躍した井上勝が1896年9月7日に設立した日本初の民間機関車メーカーで、井上が鉄道庁長官を辞した後、長州藩の先輩である井上馨や、黒田長成、前田利嗣、毛利五郎らの旧諸侯、岩崎久弥、住友吉左衛門、渋沢栄一、安田善次郎らの実業界の有力者らに出資を仰ぎ、1899年7月、大阪市西区川北大字島屋(現・此花区島屋)に開業した会社でした。1972年に川崎重工業と合併し終結しましたが、76年間に機関車約3,950両、客車・電車約8,370両、貨車約4万5,620両、計約5万7,940両の鉄道車両が製造されました。
D51型蒸機に関しては
1935年度(10両):D51 14 - 23(製造番号1371 - 1380)
1936年度(5両):D51 38 - 42(製造番号1451 - 1455)
1937年度(17両):D51 79 - 85・91 - 100(製造番号1532 - 1538・1560 - 1569)
1938年度(6両):D51 101 - 106(製造番号1570 - 1575)
1939年度(15両):D51 442 - 456(製造番号1861 - 1875)
1940年度(20両):D51 457 - 468・581 - 588(製造番号1786 - 1887・2024 - 2031)
1942年度(13両):D51 773 - 785(製造番号2256 - 2261・2282 - 2286・2303・2265)
1943年度(15両):D51 786 - 790・866 - 875(製造番号2326 - 2330・2355 - 2364)
1941年度と1944年度以外、全年度に渡り、製造を担当しており、101両製造しています。
一体形ドームは戦時形のような蒲鉾スタイルです。
逆転器リンクプレートの穴は小穴タイプ、砂管は3本とも並行に垂直に落ちています。
私がこれまで見てきた中では
14号機 流山総合運動公園
96号機 碓氷峠鉄道文化村
101号機 島田中央小公園
451号機 昭島市立昭和公園
452号機 青梅鉄道公園
453号機 柏西口第一公園
777号機 刈谷交通児童遊園
866号機 現役
砂管のパターンはどれも3本とも並行に垂直に落ちるタイプです。汽車会社に関してはこの法則性が守られていたようです。
説明板もしっかり準備されており、
公開日に関する情報もあります。
新型コロナウイルスの蔓延で最近の公開状況は不明ですが,今度は公開しているときに訪問したいものです。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
最近のコメント