2019年5月11日 (土)

横浜市電保存館を訪問 その9 吉村コレクション part1 蒸機編

2015年4月1日横浜市電保存館訪問、昨日までの記事で紹介した7両以外に57歳という若さで亡くなられた横浜市港北区仲手原に在住された鉄道模型コレクター吉村栄氏が40年かけて製作、収集された鉄道模型(Oゲージ)のコレクション、「吉村コレクション」があります。

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1983年に横浜市に寄贈され市電保存館で保存されているのは国鉄の機関車、電車、全国各地の私鉄車両で全て紙製手作りのOゲージとのことです。
今回の記事からは蒸機、電機、ディーゼル機関車の写真をいくつか紹介したく思います。

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2014/5/24 9856 鉄道博物館

9750形
日本で初めて本格的に導入された大型マレー式機関車です。

東海道本線国府津~沼津間(山廻り、現在の御殿場線区間)や東北本線の黒磯~白河間の幹線勾配区間の輸送力不足を打開するため、1911年にアメリカのアメリカン・ロコモティブ社製9020形(当初は4600形)が6両導入されました(機関車本体のみで炭水車は国内工場で製造)。
試運転に供されましたが前部台車の蛇行動が激しく、走行安定性に欠け、動輪の摩耗が大きいことが判明し、当時既に旧式だった飽和式の9020形に代わって加熱式で大量導入されたのが9750、9800、9850形3形式で、アメリカン・ロコモティブ社製が24両(9750-9773)、アメリカ、ボールドウィン社製が18両(9800-9817)、ドイツ、ヘンシェル・ウント・ゾーン社製が12両(9850-9861)です。これら54両は山北~沼津間、大津~京都間、黒磯~白河間、長野~直江津間、亀山~加茂間での貨物列車の牽引と急行列車の補機として使用され、1933年までに全廃となりました。9856が万世橋の交通博物館に保存され、2007年からは大宮 の鉄道博物館に展示されています。その後は勾配線区用にD50形が投入されることになり、我が国のマレー式蒸気機関車は4形式のみとなりました。

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C55形流線形(20-40)
C55形は1935年から1937年にかけて62両が製造されましたが、1936年に製造された2次形20-40の21両(20汽車製造、21-33川崎車輌、34-40日立製作所)はC53 43で試験された流線形デザインが本格導入され、新造されました。C53 43では大型の除煙板はありませんでしたが、C55流線形では小型除煙板に加え、写真のようにサイドスカートから連続する大型の除煙板が設置されました。21両の流線形機は四国を除く全国各地に分散配置され急行列車牽引に活躍し、特に名古屋機関区配置の24-26は臨時特急「」を牽引しました。しかし、流線形機は殆ど効果がないことが判明し、さらにケーシングがあることが現場からも嫌われ、戦後の1950年から1951年にかけて1次車と同様の外観になるよう再整備されました。

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D62形
20両のD52形1950年から1951年にかけて浜松工場で2軸従台車に改造し、線路等級の低い線区への入線を可能にした形式です。

単に従台車を交換したに留まらず、D52形は戦時設計で代用品が使用されていたものが多かったため、それを改善する目的でボイラーの整備、炭水車や除煙板の代用設計品の制式品への交換、給水温め器の移設、自動給炭機の設置などが行われました。なお、1D2バークシャーの軸配置としては日本初でした。
当初、稲沢機関区、米原機関区に10両ずつ配置され、東海道・山陽本線での貨物列車牽引に使用されました。逢坂山トンネル通過対策として集煙装置も装備されました。1958年の姫路電化で一旦全車休車となり、転用先が検討され、東北本線長町~盛岡間と決まってから、軸重軽減改造がなされ、総重量を減らさずに動輪と先・従輪を結ぶ釣合梁の支点の位置を変更し、最大軸重を16.22tから15.00tに軽減しました。改造工事終了後、1959年末に一関機関区に全機集結、ボイラー未交換車似状態不良が発生し、休車になる車両が出たものの盛岡電化まで使用され、1966年10月19日に全車廃車となりました。

廃車後、全機解体されており、保存機は全く無く、吉村コレクションのD62はそういった意味でも貴重な模型となっています。

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2015年7月30日 (木)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 16 D52 468号機

2014年8月10日の京都梅小路蒸気機関車館訪問、今回はD52 468号機です。

D52_468_140810 D52 468号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

D52形蒸気機関車は1943年から1946年の太平洋戦争中から終戦にかけて製造され、492番まで番号が割り当てられましたが、実際は285両が製造されました(関連記事)。その中でこの468号機は、三菱重工業に割り当てらレ、落成した最終ナンバーであり、D52形式の最終ナンバーとなりました。

D52_468_140810_6 ボイラーが大きく石炭、水の消費量も多いためテンダーもかなり大きく感じます。

沖田祐作氏の機関車表からその履歴を見てみると、

D52468     三菱重工業三原工場=502           1946-02-19 S84.30t1D1T(1067)
車歴;1946-02-19 製造→ 納入;国鉄;D52468→1946-05-02 配属[達178];名古屋局→
      1946-05-02 配置;沼津→1946-05-02 使用開始→1946-00-00 現在;沼津→
      装備改善(浜松工場)→1954-09-25(9/19?)吹田→1954-00-00 集煙装置取付→
      1956-11-06 姫路一→1960-01-00 旋回窓取付(左側)= 苗穂工場→
      1960-09-30 発10-08(10/1 着)五稜郭→
      1960-12-10(12/6?)耐寒工事施工/ 集煙装置撤去(苗穂工場)→
      1967-03-04 函館線落部ー野田生間にて453 列車運転中崩落土砂に乗上げ脱線転覆→
      1969-03-00 旋回窓取付(右側)→1972-09-26 発(10/1 着= 書類上は9/27)梅小路→
      1979-03-28 廃車;梅小路→ 保存;京都府JR 西日本「梅小路機関車館」;D52468
      (最終走行距離=2,459,731㎞)

誕生は終戦から半年後の1946年2月19日でした。新製後、3ヶ月して沼津に配置され、御殿場線で活躍、1954年からは吹田、姫路と山陽線に活躍の場を移し、同線の電化で1960年から北海道、函館本線に活躍の場を移し、1972年に梅小路に来ています。

D52_468_140810_9 キャブサイドには昭和27年改造 浜松工場の銘板が
機関車表のデータにも出てくる”装備改善”かとおもわれます。

D52_468_140810_34
焚き口から火室の中を見ることもできます。4本のアーチ管やそこに積まれた耐火煉瓦を見ることもできます。

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ストーカーも設置されています。

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押しつぶされたようなドームもD52の特徴です。

D52_468_740929_2 40年前のD52 468号機 1974/9/29

現在、保存されて残っているD52でまだ実機を見ていないのはJR貨物広島車両所の1号機ですので、機会があれば是非見てみたく思います。

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2014年1月 8日 (水)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その14 相模原市鹿沼公園のD52 235(138)号機

D52 5両を観て歩く旅、いよいよ最後のD52 235(138)号機です。

横浜線の淵野辺駅から歩いて数分の相模原市鹿沼公園に保存されています。
地図情報も添付します Yahoo地図

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D52 235(138)号機  2013/12/21 相模原市 鹿沼公園

この機関車は1960年に北海道に渡ったグループで耐寒装備がなされています。廃車後、五稜郭機関区の片隅に放置されていたのが後年、保存に至ったとのことです。以前、記述したようにこの機関車に関しては帳簿上は235号機、刻印も235号機や138号機を示す部品から構成されており、保存されているD52 7両のなかではミステリアスな機関車として有名です。その辺りを刻印の写真ともに紹介されているサイトもあります。

これまでの4両と形態を比較してみると

1) デフレクターは点検窓のないタイプ
2) 砂管は3本が下に向かって開くタイプ
2) モーションプレートは穴の小さいタイプ
3) 清缶剤投入装置は取り付けられていません。

その他、

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逆転棒はカバーに包まれています。

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キャブ前方の旋回窓はかなり突出したタイプが取り付けられております。そのためかキャブ前方ドアの開閉方式が通常とは異なり蝶番が外側に付いています。

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         風格漂う正面

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公式サイド側はプラットホーム構造となっております。また先輪がスポークタイプのなのが分かります。

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ちょうど訪問した時は補修作業の途中だったのかも知れませんが、公式側はオレンジ色のペンキが目立ちました。

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後部の様子 炭水車のライトの位置、沼津の136号機や山北の70号機とも違う位置に取り付けられています。標識灯は2つ装着されています。

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キャブ内の様子 ストーカの管が存在感を示しています。

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炭水車の台車 LT204と思いますが車輪は4軸とも同型のプレートタイプでした。

最後に沖田祐作氏の機関車表から履歴データを

138号機のもの

D52138     汽車製造大阪工場=2438           1944-09-16 S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-09-16 製造→ 納入;国鉄;D52138→ 配属;大阪局→ 配置;姫路→
      1945-05-07(1946-05-10 大鉄局報)鷹取→1946-12-31 現在;鷹取→
      1951-09-06 姫路一→1953-03-10 吹田→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
      1956-03-00 新缶に交換→1956-11-16
姫路一→1960-01-00 旋回窓取付(左側)→
      1960-10-07 五稜郭→1960-11-00 耐寒工事施工/ 集煙装置取外(苗穂工場)→
      1967-09-00 旋回窓取付(右側)→1972-12-09 廃車;五稜郭→
      保存
;神奈川県相模原市「鹿沼公園」;D52235(番号をD52235 に変更して保存?)

235号機のもの

D52235     川崎重工兵庫工場=3108            1946-01-31 S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1946-01-31 製造→ 納入;国鉄;D52235→ 配属;東京局→ 配置;新鶴見→
      1946-01-31 竣工[達122];東京局→1947-10-00 現在;新鶴見→ 装備改善(浜松工場)→
      国府津→1952-09-00 頃稲沢→1953-11-09 吹田→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
      1956-11-20 姫路一→1958-03-00 新缶に交換(浜松工場製= 鷹取工場施工)→
      1960-01-00 旋回窓取付= 左側(苗穂工場)→
1960-10-07 五稜郭
      1960-11-30 耐寒工事施工→1961-09-00 運転室密閉化→1964-04-01 現在;五稜郭→
      1967-09-00 旋回窓取付(右側)→1973-05-23 廃車;五稜郭→
      保存
;神奈川県相模原市「鹿沼公園」;D52235(実際にはD52138 がD52235 を名乗っている)

138号機、235号機 履歴的に観ると1953年の吹田以降重なっていますので、全検時などに部品が交換、一部流用されたのでしょうか。

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2014年1月 5日 (日)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その11 D52 403号機 平塚文化センター

静岡県、神奈川県に静態保存されているD52を観て回る旅、今回は平塚文化センターに保存されている403号機です。

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D52 403号機 2013/12/21 平塚文化センター 既に正月用の飾り付けがなされておりました。地図はこちらですYahoo地図 。

この写真からも分かりますが、この機関車の形態的特徴は
1) デフレクターは点検窓のないタイプ
2) 砂管は御殿場線で活躍した機に共通の斜め後ろに3本平行タイプ
3) モーションプレートは穴の大きいタイプ
4) 清缶剤投入装置は搭載していない

ことがわかります。

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この写真からD52の場合、煙突の中心線がシリンダー中央からかなり前方に張り出しているのがよく分かります。また先輪はテンダーと同じタイプの鋳鉄製のものが取り付けられています。

また展示場内には平塚の駅名標も用意されています。

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見学は申し込み制で平塚博物館に連絡が必要とのことでした。

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キャブサイドの窓はガラス破損防止のためか網がかけられています。

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この角度から見るとD52のボイラーの太さをまじまじと感じます。

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炭水車の車輪、3個はプレート式ですが、2番目の車輪はスポークです。

D52_403_131221_10
炭水車のライト、標識灯はありません。

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威圧感のあるボイラーはD52,D62ならではのものでしょう。

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403号機がこの地に至った経緯等が書かれています。

沖田祐作氏の機関車表からの履歴データです。

D52403     日立製作所笠戸工場=1970           1945-03-18 S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1945-03-18 製造→ 納入;国鉄;D52403→1945-03-18 配属;名古屋局→
      1945-03-00 配置;静岡→1946-03-15 より1949-05-16 迄一休(新製より一休明迄未使用)→
      1949-05-12(5/16?)浜松→1951-05-12 浜松→1951-09-15 米原→
      1952-05-10 装備改善/ 炭水車D52378 のものに交換(浜松工場)→1954-11-07 借入;吹田→
      1955-01-07 返却→1955-11-12 岡山→1956-06-24 沼津→
      1958-09-01 新缶に交換(浜松工場)→1960-02-10 国府津→
      1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→ 保存;神奈川県平塚市「文化センタ-」;D52403

後日、別の記事で平塚文化センターをはじめとするこの地域の歴史について触れようと思いますが、D52 403号機がこの地に運ばれた際にはかつてこの地にあった横浜ゴムの専用線を用いたそうです。

以上です。

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2013年12月31日 (火)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その7 山北駅裏手 交通公園のD52 70号機

D52を観て歩く旅、今回は山北駅裏手の交通公園に静態保存されているD52 70号機です。

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山北駅裏手の交通公園に保存されているD52 70号機 2013/12/21

御殿場線に乗車して御殿場方面から山北駅に到着する際に、進行方向右側の車窓を眺めていると屋根付きの保管状態の機関車の姿が駅到着直前に目に入って来ます。山北駅の玄関は東口だけですが、観光案内所脇に自由通路となっている跨線橋があるので、そこを渡ると線路の反対側に行くことが出来ます。地図はこちらですYahoo地図 。

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現役時代はシールドビーム灯を装備し、太いボイラーに対してアンバランスな感がありましたが、現在はオリジナルタイプのライトになっています。

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先輪はプレートタイプであり、煙室が前方に位置している関係もあって前台枠の形状や先輪担いバネの取り付けに特徴があります。

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動輪やクロスヘッドは塗装されず、今にも動き出しそうに油で磨き出されているのがこの機関車の最大の特徴です。第一動輪の上側にはフランジ途油装置が見えます。車輪と接している回転部が回ると遠心力で油が車輪に噴き出し、フランジに油が塗られます。

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モーションプレートは穴の大きいタイプです。

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従台車は密閉タイプのLT157Bで、速度計の伝達ロッドが付いています。キャブ下の空気分配弁にはカバーはありません。

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動輪軸には塗装が施されていないためしっかりとL-4 D52 70の刻印を見て取ることが出来ます。

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山北機関区の区名札や運用行路票も刺さっています。

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キャブ内部に立ち入ることも出来、焚口は開いていました。

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後部の様子、ナンバープレートやライト、標識灯も装備されています。

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私もこの箱がボイラーの清罐剤送入装置と知ったのは最近のことなのですが、こういう風に後付けされているところが如何にも蒸気機関車らしく感じます。

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非公式サイドからキャブへの入口には山北駅の表示があります。

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デフレクターは点検窓のないタイプ、砂管は御殿場線配属機特有の3本が並行に後方に流れるタイプです。

この機関車の履歴を、沖田祐作氏の機関車表から、

D5270      川崎重工兵庫工場=2974      1944-04-29(4/30?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-04-29(4/30?)製造→ 納入;国鉄;D5270→ 配属;広島局→1944-05-12 配属;下関→
      1944-05-15 使用開始;広島局→1945-11-21 小郡→1946-01-00 新鶴見→
      1946-00-00 特休;新鶴見→1951-02-24 国府津→
      1953-05-07 装備改善/ 炭水車D52453 のものに交換(浜松工場)→
      1959-02-27 新缶に振替(浜松工場)→1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→
      保存;神奈川県山北町「鉄道公園」;D5270(老人いこいの家児童公園説?)

元々は乙缶、あるいは丙缶機としての製造だったのかも知れませんが、御殿場線で活躍するようになってから、装備が改善された様ですね。

今の季節は花はありませんが、おそらく桜が満開の時期は素晴らしい風景になると思われます。是非その際にもう一度来てみたく思います。

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2013年12月29日 (日)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その5 D52 72号機 御殿場駅前

D52を観て歩く旅、今回は御殿場駅前のD52 72号機です。

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御殿場駅前の汽車ポッポ広場に保存されているD52 72号機 2013/12/21

この機関車は以前、駅から2km程の湯沢平公園に保存されていましたが、2010年9月28日から29日にかけて現在の場所に移されました。371系の写真を撮りに御殿場線を訪問した際に、湯沢平公園の訪問も考えたのですが、時間の関係で断念しておりました。

こちらも大変美しい姿をしていますが、形態的に沼津の136号機と何カ所か違いがあるのがわかります。

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デフレクターは点検窓のあるタイプです。

3本の砂撒き管は第二動輪前と第三動輪前後に出ているため、3本が斜め並行になっています。これは御殿場線で運用された際の後進運転に備えての形態的特徴とのことです。

モーションプレートは丸穴ではなく長い穴のタイプです。
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ボイラーは昭和34年2月に浜松工場で交換されたようです。

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御殿場線で活躍していた頃の写真ではシールビームタイプの前照灯を装着していましたが、今はオリジナルのLP403タイプを装着しています。

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現役時代の写真も展示されています。

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炭水車側のライトは136号機のように奥まって付いているのではなく、縁に装着されていましたが、ガラスがありません。また後部のナンバープレートもありません。

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ランボード上の四角い箱は清缶剤投入装置です。垂直のパイプは汽笛吹鳴のために圧縮空気を送り込むための展示用の仕組みですね。

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キャブに立ち入ることは可能で、炭庫の底にはストーカ(自動給炭装置)の穴がありますが、蓋がかぶせてありました。

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キャブ内、蒸気分配箱のバルブ類、水位計、メータ類もきちんと整備されています。

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136号機と違って耐寒仕様ではないため、空気分配弁にはカバーがありません。

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展示されている場所は線路のすぐ脇で、汽車ポッポ広場と命名されております。

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Wikipediaの御殿場線の記事によると、御殿場線分離後も御殿場駅には軍隊用ホームが設置され、多くの兵士が出征しました。沿線の小学校で教師をしていた富原薫氏はこの光景を見て、童謡『兵隊さんの汽車』を作詞したとされています。この童謡は戦後『汽車ポッポ』と歌詞が改められています。 その碑が機関車の横に展示されています。

最後にこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表から

D5272      川崎重工兵庫工場=2976        1944-05-26(5/9?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-05-26(5/9?)製造→ 納入;国鉄;D5272→ 配属;広島局→1944-06-03 配置;下関→
      1944-06-08 使用開始→1946-01-03 新鶴見→1946-00-00 特休;沼津→
      1954-12-16 国府津→1955-12-05 装備改善(浜松工場)→
      1958-12-26 新缶に交換(浜松工場製= 浜松工場施工)→
      1968-08-08 廃車[関東支社達56];国府津→
      1978-07-00 静岡県御殿場市「湯沢平公園」;D5272

この機関車は新製後、新鶴見配属を経て、終生、御殿場線で活躍し、廃車後も国府津機関区のランドハウス内で保存されていました。

その姿を1975年3月4日、下関まで乗車した急行「高千穂・桜島」の車内から撮影していました。

600px

再掲ですが、その写真を。 1975/3/4

ごてんばせんネットの情報によるとこの扇形庫はサンゴニッチというフランス人 技師の設計によるもので、中世ヨーロッパの古城や教会を連想させる優美な姿でした。確かにそう言われるとそう感じます。

以上です。

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2013年12月27日 (金)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その3 D52136号機 高沢公園

今回は、旅行記のなかに公園保存蒸気機関車の話題を入れて、進行して行こうと思います。

まずは、沼津市の高沢公園に保存されているD52 136号機の話題から行きます。

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D52 136号機 沼津市高沢公園 2013/12/21 地図はこちらYahoo地図

今回、見学したD52はどれも非常に美しく整備されていました。NECO BOOKSから出版されている鉄道車両ガイド vol4はD52とD62の特集ですが、この機関車に関する記事があります。

136号機は東海道、山陽線で使用後、1960年に北海道に渡ったグループの一台で、渡道後密閉キャブ等の耐寒装備が施されたとのことです。なおこのように密閉キャブに改造されたのは、56,136,201,235号機の4両だけだったそうです。デフレクターは標準タイプですが、点検窓は無いタイプです。

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前照灯はオリジナルのLP42タイプ、スノープラウが装備されていますが、ナンバープレートは字体からレプリカが装着されています。なんといっても正面から見ても分かる、ボイラーの太さ、迫り来る感じがD52の最大の特徴です。

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第二動輪の上に位置する逆転機を構成するモーションプレートですが、このタイプは大小の丸穴が2個のタイプです。またスノープラウもしっかりした支持棒で装着されているのが分かります。

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炭水車のライトはかなり奥まった位置に取り付けられています。後部のナンバープレート、標識灯はありませんが、ボディをよく見ると

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D52101もしくは107と見えます。

因みにこの機関車の経歴を調べると(データは沖田祐作氏の機関車表から)

D52136     汽車製造大阪工場=2436      1944-08-31(3/30?) S84.30t1D1T(1067)
   車歴;1944-08-31(3/30?)製造→ 納入;国鉄;D52136→ 配属;名古屋局→ 配置;稲沢→
      装備改善→1953-11-28 吹田→1954-11-05 借入;米原→ 返却→ 集煙装置取付(鷹取工場)→
      1956-11-07 姫路一→1957-08-28 新缶に交換(鷹取工場?)→1960-01-00 旋回窓取付(左側)→
      1960-10-06 五稜郭→1960-10-24 耐寒工事施工/ 集煙装置撤去(苗穂工場)→
      1962-03-00 運転室を密閉式に改造→1965-03-00 旋回窓取付(右側)→
      1973-05-23 廃車;五稜郭→ 保存;静岡県沼津市「高沢公園」;D52136

101号機は製造後、長く広島におり、136号機との接点はありませんが、107号機は1949年3月に廃車になるまで吹田におりましたから、炭水車は107号機のものを引き継いだのでしょうか。

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案内板には沼津市が要請して設置に至った経緯なども書かれています。

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密閉キャブのため、炭水車の前縁はカーブでの衝突を防ぐため後退角がが付けられています。キャブ下の空気分配弁にも耐寒カバーが付けられています。

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キャブに入ることは不可能ですが、ドアの下の隙間にレンズを差し込んで写真は撮ることが可能でした。下から立ち上がっている太い管が自動給炭装置ストーカーです。

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炭水車の台車はLT204で車輪は3軸がプレートタイプです。これまで観てきた蒸気機関車のスポーク車輪とは違って重厚な雰囲気があります。

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2013年12月25日 (水)

5両の保存D52を観に18切符で日帰り旅行 その1

12月21日は御殿場線方面へ、23日は常磐線を北へ福島県の湯本まで、保存蒸気機関車に会いに行く日帰り旅行を致しました。

21日は静岡、神奈川両県に静態保存されているD52 5両を観るために、沼津、御殿場、山北、平塚、淵野辺と回りました。

私が初めてD52の存在を知ったのは、朝日新聞社の年鑑「世界の鉄道」で1973年版の蒸気機関車の特集がD52とD62でした。

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この本にはD51と似た形をしていながら、太いボイラー、前方にせり出した短い煙突など力強い蒸気を印象づけたD52,D62の勇姿が満載されていました。活躍のシーンは瀬野~八本松間での補機、特に特急「かもめ」のヘッドマークを炭水車に掲げての姿は誇らしげであり、電化前の御殿場線を行く姿、あるいは雪の函館本線の走行シーンも印象的でした。我が国の蒸気機関車の中では最大の出力を発揮し、動輪周囲の最大定格出力は1660馬力でした。D51は1400馬力です。

<D52形蒸気機関車>

太平洋戦争中、国内の貨物輸送は貨物船の供出や機雷封鎖により、船舶による輸送力が不足し、鉄道貨物需要が逼迫しました。そういった状況に対処するために1200トン貨物を牽引することができ東海道、山陽、函館、室蘭本線で運用するためにD51を改良して誕生した形式がD52でした。

戦時中のため物資が極端に不足していたため、戦争完遂までの数年間活躍できれば良いという戦時設計でした。特に銅系の材料を節約し、木材などで代用したため造りとしては非常に質の悪いものとなりました。当然、本来の出力を出せない車両が多く製造されました。

ボイラーは用材の幅広鋼材が不足したため、缶胴の長さを変えることで、用材の寸法取りを合理化しました。その結果、3種類の長さのボイラーができあがり、原設計のものが甲缶に対して、短いものは乙缶、丙缶とされました。煙間長5000mmは決まっていたので煙室長で調節したそうです。基本的には鋲接で組み上げ、将来の増圧(18kg/cm2)に備えて2鋲式が原則でしたが、乙缶、丙缶では1列鋲で長手継手を溶接で製造するといった簡略化も図られました。

製造は民間メーカ-5社(日本車輌製造、川崎車輌、日立製作所、汽車製造、三菱重工業)、2カ所の国鉄工場工機部(浜松、鷹取)で行われました。当初は492両の製造予定でしたが、終戦で285両で打切りとなりました。

表1に番号と製造所ごとの割り当ての関係を表示します。

Table_1_d52表1 D52 の番号と製造割り当て

セルの色は製造年度を意味しており、黄色が1943年度、緑が1944年度、青が1945年度で、無色は番号が割り当てられたものの終戦で未製造となったものです。151、152号機は三菱重工業で製造予定でしたが、川崎車両に振り替えられました。

続いて、製造された285両が全機登場した時点、1946年3月末の配置表を表2に示します。

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表2 1946年3月末時点での配置表 285両

こうやってみても、D51の場合とは違って、軸重の関係もあり、入線できる線が最初から限定されていることが分かります。

戦争中の酷使と、工作不良でボイラー爆発などの事故が3件も発生したため、一旦全車の使用がが停止となり、ボイラー検査が実施されました。その結果、事故車と状態不良車、55両が1950年までに廃車となりました。また、下記の改造用の70両を除いた160両のうち、D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417, 419, 456, 460の12両を除いた148両が1951年以降、浜松工場、鷹取工場ならびに広島工場において、代用材を標準材に取り替え、ボイラーを順次新製された甲缶に交換するとともに、自動給炭機(メカニカルストーカー)設置などの装備改造を行うことによって、ようやく当初の設計どおりの性能を発揮できるようになりました。一方、装備改造から漏れた12両は、除煙板や歩み板、石炭庫側板等の木製部を鋼板製に取り換えた程度で、自動給炭機も装備されず、戦時型の面影を強く残していました。

軍事輸送の終了で貨物機に余剰が出始め、一方、旅行制限の撤廃と旅客需要の急増に対処するために1948年から1949年にかけて49両(D52の種車は50両)のC62形式がD52のボイラーと、C59の足回りに従台車を2軸西他方式で登場しました。また1950年から1951年にかけて、従台車を2軸化して軸重を軽くしたD62形式に20両が改造されました。表3にそれらの番号対応を載せます。

Table_3
D52の1950年までの早期廃車(55両)、C62への改造、D62への改造

C62 24号機はD52 106号機と233号機 乙缶と丙缶のボイラーを組み合わせて1両分の良品を捻出したそうです。

戦後しばらくして、函館・室蘭本線からはいったん撤退し、東海道・山陽本線をはじめ御殿場線、岩徳線、鹿児島本線(門司 - 鳥栖間)で運用されました。また一部は瀬野八の後部補機として使用されていましたが、そこの配置車には自動給炭機が装備されていないものもありました。

最終的には一部が再度北海道に渡り、函館・室蘭本線で1972年まで使われました。最終使用は1972年12月で、稼動状態で最後まで残ったのはD52 202号機1両でした。

そういった生涯において、御殿場線沿線、そして神奈川県に5両、トップナンバーがJR貨物広島車輌所、ラストナンバーの468号機が梅小路蒸気機関車館に保存されており、468号機は梅小路で見学しておりましたが、今回の旅行では

D52 70 - 神奈川県足柄上郡山北町「山北町鉄道公園」(山北駅前)

D52 72 - 静岡県御殿場市御殿場駅前ポッポ広場

D52 136 - 静岡県沼津市「高沢公園」

D52 235(138) - 神奈川県相模原市「鹿沼公園」 現車は138号機ではないか、との説がありましたが、2009年8月、「相模原D52保存会」の手により整備された際、現車のロッドに235号機の刻印があるのが発見されました。

D52 403 - 神奈川県平塚市「文化センター」

を見ることができました。

今回の記事はD52に関する予備知識ということで、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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