2022年11月 1日 (火)

2022年夏 名古屋遠征 JR貨物 関西本線で長らく活躍したDD51 part6

国産の本線用ディーゼル機関車としてわが国で最初に開発されたのがDD50形でした。1952年に開発が開始され、電気式が選ばれ、エンジンに関しては国内メーカーでも難しかったため、スイスのSulzer社との技術提携で三菱重工業が製作した8LDA25形(直列8シリンダー、4サイクル、単動・加給式、連続定格出力900PS/800rpm、重量8.6t)の中速エンジンが1台搭載され、片運転台方式の車両を2両背中合わせに重連とする方式となりました。エンジンで580kW/800rpmの主発電機を回し、各軸に1台鵜ずつ取り付けた主電動機を駆動、連続定格出力130kW/730rpmとなり、DD50形2両でD52形,もしくはC62形、1両に匹敵、D51形に対しては1.3両に相当しました。1953年4月に1~3号機が落成、敦賀機関区に配置され、敦賀~今庄間の急勾配区間でも好成績を残しました。1955年には4~6号機も落成、前面窓回りがより洗練されたスタイルとなりました。使用成績は芳しかったのですが、重連使用のため、単位馬力当たりの新製費が高いこと、軸重か15tを超え、丙線に入線できないこと、列車暖房装置を搭載していないことなどから新製は6両に留まりました。

DD50形の問題点を解決する形で次に開発されたのがDF50形でした。
1)軸重を14t以下に抑えるため、B-B-Bの軸配置とする。
2)Sulzer社のエンジンの過給機圧を向上させ、定格出力を1060PSとし、1両で旅客列車牽引を可能とするほか、重連運転にも対処可能なように総括制御装置を搭載する。
3)列車暖房用にSG-3形を搭載する。
4)旅客の他、貨物列車にも適用するため連続定格速度を低くし、引張力を大きくする。 といった改良が加えられ、試作1号機が1957年3月に新三菱重工業で落成、土讃線に投入されました。ドイツのMAN社のエンジンに関しても川崎重工業や日立製作所が技術提携を進めており、DF40形DF90形といった試作機も国鉄借入試用しており、MAN社のエンジンを搭載したDF50形も計画され、1958年4月に日立笠戸、川崎車輌で落成、エンジンはV6V22/30形機関、連続定格1200PS/900rpm、1時間定格1400PS/1000rpmとSulzer製エンジンより、20%強力となりました。こちらは500番台と附番されました。DF50は北海道を除いてほぼ全国的に投入されました。1963年、より高性能で廉価、保守が容易な液体式ディーゼル機関車への関心が高まり、Sulzer製エンジンの0番台、64両、MAN製エンジンの500番台、73両の計137両で製造は打ち切られました。

DD51形が登場する前に明治以来、初期の輸入蒸気機関車が入換用機関車として働いていたのを一掃する目的で開発されたのがDD13形入換用ディーゼル機関車でした。DD13形に搭載されたDMF31S(B)形ディーゼルエンジンは1937年キハ43000系に搭載されたエンジンが原形となっており、当時一般的だった気動車用のDMH17系エンジンの130mmボアx160mmストロークを180mmx200mmに拡大し、定格出力370PS/1300rpmとしたもので、国鉄と新潟鐵工所、振興造機、ダイハツ工業の4者共同設計による機関車用立形6シリンダーエンジンでした。

DD13用エンジンを6シリンダーから12シリンダーにし、排気ガスによる過給機付きとしたのがDD51形に搭載されたDML61S形エンジンで、連続出力1000PS/1500rpmとなりました。一方、機関車用の大型トルクコンバーターは西ドイツが技術を独占している状態で2つの方式、充排油式(Voith)と爪クラッチによる歯車変換方式のMekydro式がありました。DD54形では後者が使用されましたが、DD51形では機械的摩耗が少なく取り扱い・保守が容易な前者が選ばれ、国鉄と日立、川重の共同開発でDML61系1000PS級のエンジンに合ったDW2形液体変速機が開発されました。

DD51形は1962年に試作1号機が誕生し、1963年に第2次車の4号機まで、1965年0番台53号機で終了、1966年第7次車からは500番台に、1968年にはSG未搭載の800番台と606~618号機、1972年には799号機の次は1000番台、1977年、1186~1193号機で1000番台が製造終了、1978年800番台の897~899に続き、1801~1805号機が製造され649両の製造が終了しました。
1~53
501~799
801~899
1001~1193
1801~1805   計649両

最後の897号機から1805号機までの8両は成田空港ジェット燃料輸送用として製造され、パイプライン完成後は他線区に転用され旅客運用に就くことも想定されたため、SG準備工事済みでの落成となりました。

Dd51-1802-090323

2009/3/23 四日市 DD51 1802号機

Dd51-1803-050705

2005/7/5 枇杷島 DD51 1803号機

Dd51-1803ef65-1073-090213 2009/2/13 西浦和 DD51 1802号機 EF65 1073号機とともに大宮検査入場

Dd51-1803-120913-3 2012/9/13 枇杷島 DD51 1802号機

Dd51-1804-050705 2005/7/5 清洲 DD51 1804号機

今回、愛知機関区時代のDD51の写真を載せるにあたり、いろいろと勉強することがありましたが、DD51、全649両の製造に関してはこちらのサイトのデータが大変参考になりました。近い将来、DD51に関して個々の車歴等をまとめた書籍が出版されることを期待します。

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2020年5月12日 (火)

2019年8月の岡山・広島・鳥取・兵庫旅行 10 津山まなびの鉄道館 展示車両 7 DF50 18号機

津山まなびの鉄道館の展示車両、今回はDF50 18号機です。

Dsc02313 2019/8/3 津山まなびの鉄道館

DF50は国鉄が1957年から1963年にかけ、初めて量産したディーゼル機関車です。拙Blogでもかつて日豊本線の記事、下関での撮影、四国伊予西条の四国鉄道文化館などでも遭遇している機関車です。特に下関の記事でその概要が記述されているので再掲します。

Dsc02397

製造:1957年に先行試作車が製造され、以後1963年まで増備された。
国鉄のディーゼル機関車の中では初めて本格的に量産ベースに乗った形式
発電用のディーゼルエンジンと駆動用のモーターを搭載した電気式

番台区分:
0番台>三菱重工業がスイスのズルツァー社のエンジンをライセンス生産した直列8気筒直噴式の8LDA25A(1,060馬力)を搭載したもの、65両
500番台>川崎重工業と日立製作所がドイツのMAN社のエンジンをライセンス生産したV型12気筒予燃焼室式のV6V22/30MA(1200馬力)を搭載したもの、73両

【問題点】
電気式のため、全車軸を駆動軸にできることから粘着力は高く、勾配では空転を起こさずに登坂できたが、反面、元々の出力が低すぎ、著しい速度低下をきたした。このため、急勾配区間での貨物列車牽引では重連仕業を強いられた。また、平坦区間でも出力の余裕に乏しく、走行性能面は、従来使用されてきた亜幹線用の蒸気機関車と同程度に留まった。
駆動方式が電気式で搭載機器が多い上、国外メーカーライセンスのエンジン搭載という制約もあって製造コストが高すぎ、無煙化のために大量増備するのに適した機関車とは言えなかった。

【経緯】
1962年には1,000馬力級エンジン2基を搭載した強力な液体式機関車のDD51形が登場する。出力の割には製造コストを抑えられるDD51形がほどなく量産ベースに乗るに従って、重量級列車や高速列車の牽引が多い主要幹線にはDD51形が導入され、DF50形は順次、比較的軽負荷な運用の多い亜幹線に転用された。昭和50年代に入ると電化の進展もあって多くが廃車となった。

この18号機は1984年から大阪の交通科学博物館に静態保存されており、同館が2014年に閉館となった際に津山に移設されました。他の保存機は1号機と4号機でいずれも先行試作機で前面窓の天地寸法および屋根肩部の丸みが深い等、量産機とは異なっており、18号機が唯一量産機のスタイルを今日に伝えています。

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2019年8月 4日 (日)

速報版 岡山、広島、鳥取、兵庫を巡る旅 二日目

2日目は、朝9時にオープンする「津山まなびの鉄道館」の見学と因美線・智頭経由で郡家(こおげ)まで行き、若桜鉄道を訪問することです。

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2019/8/3 津山駅前

前回、津山を訪問した2013年には無かった駅前のC1180号機を見学します。2017年8月までは津山市南小学校に保存されていたそうです。実に美しく整備されています。

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2019/8/3 転車台上にはDD13 638号機が乗っていました。ここに乗る車体は1ヶ月ごとに替わるそうです。

Dsc02428
キハ58 563は少し前に引っ張り出されており、車内も見学可能でした。手前の動輪はC5768号機のもの

Dsc02368
DD16304のラッセルヘッドは片側だけが付属しており、扇形庫の外側から見学することが出来ました。

駅には「津山まなびの鉄道館」までの道順が示されており、徒歩約10分とのこと、オープン前に到着しましたが、既に待っておられる方が数名いました。扇形庫は1936年製で梅小路に次ぐ日本で2番目の大きさの庫だそうです。2009年には転車台とともに経済産業省の「機械遺産」に登録され、2018年にはJR西日本の鉄道記念物とされました。2016年京都鉄道博物館がオープンした際、大阪弁天町の交通科学博物館に保存されていて京都鉄道博物館に収蔵されなかったD512号機、DF5018号機のほか、試作機1両のDE50、DD51, DD13, DD15, DD16などのDL, キハ181、キハ58、キハ52、キハ28、そして異色のオハ50形にエンジンを搭載したキハ33, 10t貨車移動機等13両が収蔵されています。

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2019/8/3 智頭 キハ120-343 因美線 津山~智頭間

駅に戻り、1135発の因美線智頭行きに乗車、1時間程で智頭に付きますが因美線はこの区間山越えでキハ120形25km速度制限区間をゆっくり進むのが印象的でした。

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2019/8/3 智頭 HOT3501 智頭~鳥取間 上郡~智頭間の智頭急行の車両が山陰線まで乗り入れています。

智頭からは智頭急行HOT3500形鳥取行きで郡家に向かいますが、郡家で降りて若桜鉄道を待つと1時間ほどあるので、そのまま鳥取まで乗車しました。

Dsc02513

Dsc02532
2019/8/3 鳥取 キハ126 何種類かのラッピングがあるようですが、15+1015は漫画家青山剛昌が北栄町出身とのことで名探偵コナンのラッピング(青と赤基調)となっています・

鳥取駅は高架駅ですが、自動改札は導入されておらず、女性の駅員さんが列車のアナウンス、改札をしておられました。
30分の滞在で駅弁を購入、列車の写真等を撮影後、郡家に戻ります。今度はJRキハ47形2連でした。郡家で若桜鉄道の切符を購入する際に往復を買おうとしたら、1日自由乗車券の方が100円安い(¥430x2に対して¥760)とのことでそちらを購入。10分ほどで若桜行きの列車が到着、この列車も鳥取方面からやって来ました。

Dsc025842019/8/3 若桜 隼駅がスズキ製大型バイクの聖地とされていることからWT3301はバイクのラッピングに

Dsc02596

Dsc02592
若桜鉄道に乗車するのは初めてですが、隼駅ではライダーの集会があり、安部駅は映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」(1991年12月21日公開)のロケ地、そして終点若桜駅には12形客車、DD16 7号機, C12167号機などが保存されていました。

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2014年10月19日 (日)

長浜鉄道スクエア訪問記 その2 ED70 1号機

2014年8月の旅行、長浜鉄道スクエア訪問記の2回目は展示されていた我が国初の量産型交流機関車ED70 1号機の話題です。

Ed70_1_140809_4 日章旗付きで展示されているED70 1号機  2014/8/9 長浜鉄道スクエア・北陸本線電化記念館

我が国の交流電化は1957年9月5日の仙山線の仙台~作並間での営業運転開始が最初ですが、そのための研究は1953年頃から開始されました。この結果、変電所を少なくすることができ、建設費を抑えられる商用周波数(通常の送電に用いられている50Hzあるいは60Hzの周波数)による交流電化方式が着目されました。在来線の交流電化の電圧20kVは一般的な送電の標準電圧だそうで、新幹線の25kVは国際的な標準電圧だそうです。

世界的にはフランスが単相交流方式の商用周波数における交流電化でリードしており、車両もフランスから交流機関車を輸入する計画だったそうですが、日本のメーカーがモーター開発に成功したことで自力開発方式になったそうです。

1955年から仙山線にて試験が開始され、交流整流子電動機を用いた直接方式のED44形 (後のED90形 日立製作所 1955年7月20日製造)と静止形整流器+直流直巻電動機方式のED45形 (後のED91形 三菱電機・新三菱重工製 1955年9月28日製造)が試験されました。

ED44形は1時間定格出力においてED45形を上回っていましたが、起動トルクが弱く、引き出し力とともに加速力が劣り、加速停止を頻繁に行う列車には不向きであることが分かりました。25‰勾配における引き出し能力でもED44形が360tであったのに対してED45形は600tと大きな差がでました。交流整流子方式の電動機は磁極数が多く、1運用ごとにブラシの接点を磨かなくてはならず、整備の手間がかかることもわかりました。

水銀整流器(イグナイトロン)方式は位相制御方式による連続的な電圧変換が可能なため、起動時に有利で、空転した場合にも端子電圧が上昇しにくいため、主電動機の回転数がすぐに復帰するため、空転が自然に収まるという特性を発揮しました。

以上の点から、整流器方式のED45形が採用となりました。続く2次試験では東芝製のED45 11 (1956年12月21日製造)と日立製作所のED45 21 (1957年2月製造)が加わりました。

それぞれの方式は以下の様でした。

ED45 1 送油風冷式変圧器 水冷式イグナイトロン水銀整流器 低圧タップ方式
ED45 11 乾式変圧器           風冷式整流器                           低圧無電弧タップ方式
ED45 21                             エキサイトロン水銀整流器           高圧タップ方式

11号機はイグナイトロンの交換、21号機は機器配置の変更等がありましたが、いずれも好成績であったため、

ED45 1の方式で ED70
ED45 11の方式で ED71 2, ED72 ED73
ED45 21の方式で ED71 1, ED71 4以降の量産機 が製造されることになりました。

なお、動力伝達方式はED44 1,ED4511が吊り掛け方式で、ED45 1, 21はクイル方式でした。

1961年の形式称号の変更でED44はED90にED45はED91になりました。試験終了後、仙山線の正式交流電化後も引き続き、運用されましたがED44は保守・整備の手間に難があったため、1961年以降休車となり、1966年に廃車となりました。残るED91形3機は1968年の仙山線全線交流電化後も引き続き使用されましたが、老朽化の進行、保守部品確保の問題、重連総括制御ができないこと、電気暖房装置がないことなどの問題で1970年ED78 10,11号機が製造され置き換えられ廃車となりました。

Ed70_1_140809_3 運転台にも入れるように階段が用意されています。

ED70形はED45 1号機のシステムを受け継いで、60Hz交流機として量産化されたものですが、車体デザインはDF50形ディーゼル機関車のデザインを踏襲しました。10‰勾配で1000t以上の引き出しが可能なように大出力化されています。

Df50_and_ed70 かつて下関で撮影したDF50の正面気味の写真があったのでED70と並べてみました。標識灯の位置は違いますが、窓の位置関係、サイズ、ラインの入れ方などよく似ています。

1957年6月から9月にかけて1~18号機が製造され、1959年に追加改良形として19号機が製造されました。全機、三菱電機・新三菱重工の製造でした。19号機のみ東北本線黒磯~白河電化試験に向け、50/60Hz共用で、製造されました。

Ed70_1_140809_2
Ed70_1_140809_4_2 運転台とメータ類も現役時代そのままに

整流器トラブルや三相補機の起動、クイル式駆動装置の異常振動、粘着力不足による空転などのトラブルが頻発したため、整流器のシリコン整流器への交換などがなされました。列車暖房も当初は搭載されていなかったので,1960年代初頭に主変圧器に暖房電源供給用4次巻線を新設し、電気暖房装置搭載改造が松任工場で施工されました。

Ed70_1_140809_2_2 建物の2階の通路から屋根上を見ることも可能です。

1974年の湖西線開業で北陸本線の電気機関車運用が交直流機中心にシフトし、EF81形が大量に投入され、1975年までに全車廃車となりました。

Ed70_140809 松任本所から記念館への移設の様子も写真で説明されていました。

といったわけでわたしはED70形の現役時代は見ることができませんでしたので今回の長浜鉄道スクエア・北陸本線電化記念館におけるED701号機との対面は初対面となりました。

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2012年12月27日 (木)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 19 補遺

今回の1977年3月の旅では、山陰の非電化区間でDD51牽引の貨物列車や急行「石見1号」と思われる列車、キハ20系ローカル気動車列車の写真を撮っております。さらに小倉駅ではDD51牽引の石灰石貨物列車や旅客列車の写真も撮っています。

それらの写真を最後にアップして、この旅のレポートを終わりたく思います。

まずは玉造温泉駅で撮影した写真から、

58_7703
1977年当時の時刻表を見ながら駅で撮影していた時間帯内でやってくる急行列車を割り出すとこのキハ58系の急行は米子を14:59に出発して、玉造温泉に15:49に停車する石見1号513Dではないかと思われます。同列車は益田着19:05です。

20_7703
こちらはキハ20形3連によるローカル列車です。

Dd51_564_770317_3
DD51664号機牽引の貨物列車もやってきました。

Dd51_664_750305
米子機関区時代のDD51664号機は山陰本線を広く活躍していたようで、1975/3/5にも門司駅で撮影していました。

DD51 664号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=111341-2        1969-08-06 D84.0tB2B(1067)
車歴;1969-08-06 製造→
納入;国鉄;DD51664→ 配属;名古屋局→
配置;稲沢一→1974-11-09 米子→1987-02-06
廃車;米子

続いて、小倉駅でのショットです。

Dd51_622_770318_2_2
電車王国となった北九州の今日からは想像しにくいショットですが、DD51622号機が牽引する客車列車です。恐らく筑豊本線の旅客列車あたりかと想像されます。

Dd51_622_770318
一方、こちらは同じDD51が牽く石灰石輸送の貨物列車でしょうか。

DD51 622号機の履歴です。

日立製作所水戸工場=110981-4        1968-10-25 D84.0tB2B(1067)
車歴;1968-10-25 製造→
納入;国鉄;DD51622→1968-09-25 竣工→
配属;門司局→配置;鳥栖→1978-10-10 亀山→1987-02-09
廃車;亀山

770319_2
今ならデジカメの時代ですのでフィルムの枚数を気にせずに、結構こういったショットを撮っていますが、あの頃はこういった写真は殆ど撮っていませんでした。

770319_4
最後は八本松から広島までの乗車券です。この切符が記念にアルバムに残してあったおかげで、今回の旅行の日程が分かった次第です。

といったわけで、広島から新幹線で帰京致しました。

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2012年11月12日 (月)

1975/3 関門・関西へ 9 下関ローカル

当時、下関や小倉で観ることができた特急として、「まつかぜ」や「にちりん」がありますが、これらは1975.3の改正後も存続し、1977.3の中国地方、九州北部旅行で写すことが出来たので、その時の記事で紹介することとして、今回は当時下関で写すことができたローカル車輌を何点か紹介致します。

まずは、宇部線、小野田線の旧型国電です。葡萄色の車体に黄色の警戒色のスタイル、3枚扉でドア間の窓の数が6であることからクモハ51かと思いました。半流型の車体で里山工房さんのサイトにあるクモハ51のお写真
http://satoyama.in/auto/sharyo/auto595.htmlと見比べるとクモハ51先頭でクモハ51+クハ55の2連を繋げた4連かと思われます。奥の方のホーム(8番線)に上り「あさかぜ1号」14レ16:05発が入線しているので、午後4時前後か思われます。
41_2
因みに1975.3.31時点での宇部・小野田線関係の配置表では
クモハ12 027
クモハ40 023, 067
クモハ41 019, 022, 024, 026, 031, 042, 046, 050, 051, 052, 082, 083, 084, 126
クモハ42 001, 005, 006
クモハ51 031, 036, 040, 041
クハ55    009, 022, 036, 046, 052, 053, 073, 081, 090, 094, 111, 113,320, 324, 328, 340 
の計41両が配置されていました。

小野田線のクモハ42は本山支線のホーム長の関係で2003年3月14日まで残され、最後の旧国として話題になりました。

続いて、山陽本線関係では80系が活躍しており、1949年末から製造された初期車(クハ86001 - 86020)のうちの一両を先頭とした編成も頑張っていました。

86000_750305_2
さらに300番台、全金製のクハもいました。
80_86300_750305_2
また、前面はあの頃デビューした103系の高運転台車にそっくりで側面は種車のサロそのもののクハ85もいました。
85300_750305クハ85形先頭の山陽本線普通電車と並んだ421系電車

東京や大阪の大都市圏輸送に活躍した車輌が、運転台取り付け改造を経て、第二の人生を歩む姿は今も同じです。

因みに1975.3時点で初期型3枚窓のクハ86001-020は全て健在で
名カキ(004, 019)
岡オカ(003, 007, 008, 009, 014, 018)
広ヒロ(002, 005, 010, 011, 013, 015, 017)
広セキ(001, 006, 012, 016, 020) に配置されていたのですね。

今から思えば、なんどもっと旧国をきちんと撮っておかなかったのかと思いますが・・・

代わって、九州から乗り入れてきていた421/415系です。421/415系は北九州地区の中距離電車として活躍が始まる前から151系の九州乗り入りれのエスコート役としてED73からの電源を供給するサヤ420としての活躍が全国的に知れ渡っておりました。なんと今日に至るまで関門トンネルを潜って本州側に顔を出す九州のローカル電車は421系~415系系列に限られています。果たしてJR九州は後継の交直流車輌を作るのでしょうか?

このときは高運転台車しか撮っていませんが、後年の九州旅行でオリジナルの低運転台車も撮りました。

後年、門司発の山陰線直通DC列車というのを見たことがありますが、このときはDF50やDD51牽引の客車列車が走っておりました。
Df50_528_750305DF50 528に牽引されて下関を出発する山陰本線普通列車
Dd51_665_750305DD51665号機に牽引されて下関に到着した山陰本線普通列車

ここでDF50に関する豆知識(Wikipediaによる)

製造:1957年に先行試作車が製造され、以後1963年まで増備された。
国鉄のディーゼル機関車の中では初めて本格的に量産ベースに乗った形式
発電用のディーゼルエンジンと駆動用のモーターを搭載した電気式

番台区分:
0番台>三菱重工業がスイスのズルツァー社のエンジンをライセンス生産した直列8気筒直噴式の8LDA25A(1,060馬力)を搭載したもの、65両
500番台>川崎重工業と日立製作所がドイツのMAN社のエンジンをライセンス生産したV型12気筒予燃焼室式のV6V22/30MA(1200馬力)を搭載したもの、73両

【問題点】
電気式のため、全車軸を駆動軸にできることから粘着力は高く、勾配では空転を起こさずに登坂できたが、反面、元々の出力が低すぎ、著しい速度低下をきたした。このため、急勾配区間での貨物列車牽引では重連仕業を強いられた。また、平坦区間でも出力の余裕に乏しく、走行性能面は、従来使用されてきた亜幹線用の蒸気機関車と同程度に留まった。
駆動方式が電気式で搭載機器が多い上、国外メーカーライセンスのエンジン搭載という制約もあって製造コストが高すぎ、無煙化のために大量増備するのに適した機関車とは言えなかった。

【経緯】
1962年には1,000馬力級エンジン2基を搭載した強力な液体式機関車のDD51形が登場する。出力の割には製造コストを抑えられるDD51形がほどなく量産ベースに乗るに従って、重量級列車や高速列車の牽引が多い主要幹線にはDD51形が導入され、DF50形は順次、比較的軽負荷な運用の多い亜幹線に転用された。昭和50年代に入ると電化の進展もあって多くが廃車となった。

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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 5 宮崎の蒸気機関車

宮崎では駅のホームから機関区を見ることが出来ました。そこには吉都線で活躍する(した)C55、日南線で活躍するC11の姿がありました。情報によると吉都線の無煙化は1974.4.25の南宮崎電化の時だったので、私が見た時点では既に役目を終えていたのかも知れません。

C55形蒸気機関車は、ボイラー圧力の高圧化と過ぎた軽量化が原因で空転を頻発するなど乗務員から不評が殺到し、わずか17両しか製造されなかったC54形機関車の後継として、棒台枠を採用するなど、より新しい技術を取り入れて1935年から1 - 62号機まで3次に分けて製造されました。以後も一部設計変更のうえで増備される計画でしたが設計変更箇所が多かったため、63号機以降はC57形になりました。(国鉄C55形蒸気機関車  Wikipediaより引用)

製 造 所  川崎重工業・汽車製造・日立製作所・三菱重工業
製 造 年  1935 年
軸   配  2C1T2-2
重   量  66.0t
使 用 圧  14.0㎏/㎠
火格子面積  2.53㎡
全伝熱面積  127.4㎡
汽   筒  510×660㎜
車 輪 径  860㎜+1750㎜+860㎜-T860㎜
水   槽  17.0t
炭   庫  12.0t
弁 装 置  ワルシャート

C55 57号機は41~62号機までの第3次形に属し、その履歴は

川崎重工兵庫工場=1765           
1937-02-00 S66.00t2C1T(1067)
車歴;1937-02-00 製造→ 納入;国鉄;C5557→ 配属[達163];広島局→1937-03-06
使用開始→配置;
広島局→1945-04-01 現在;
大分→1955-08-00 頃;
小倉工場にて切取式除煙板K-7 型装備→1955-08-01 現在;
大分→1960-10-00 若松→1964-04-01 現在;
若松→1971-03-16 全検→ 吉松→1974-04-29
鹿児島→1975-03-24 休車→1975-03-31
廃車[工車1609];鹿児島→長期間保管後解体

C55_57_197409
典型的な門鉄デフ姿の57号機
C55_57_741001_b_3
C55の特徴はスポーク動輪と水搔きですね。
C55_57_741001_e
奥には配置されたばかりの新鋭ED76、手前にはDF50

国鉄C11形蒸気機関車は、鉄道省が1932年に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車です。老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車です。

製 造 所  汽車製造大阪工場・川崎重工業兵庫工場・日立製作所笠戸工場・日本車輌名古屋工場
製 造 年  1932 年
軸   配  1C2t
重   量  66.1t
使 用 圧  14.0㎏/㎠ 1935-03-22 達[鉄運転第125 号]により使用圧力を15.0㎏/㎠に増圧
火格子面積  1.60㎡
全伝熱面積  73.2㎡
汽   筒  450×610㎜
車 輪 径  860㎜+1520㎜+860㎜
水   槽  6.80t
炭   庫  3.00t
弁 装 置  ワルシャート

C11 195号機は141~246号機までの3次形に属し、その履歴は

川崎重工兵庫工場=2376            1940-10-14 S66.1t1C2t(1067)
車歴;1940-10-14 製造→ 納入;国鉄;C11195→
配属;門司局→1940-10-14 竣工→
配置[門鉄達816];門司局→1955-08-01 現在;
早岐→1962-03-00 現在;
門司→1964-04-01 現在;
門司→行橋→1973-06-29 志布志→1969-11-28
全検→1975-01-01 休車→1975-02-17
廃車[工車1382];志布志→1975-03-09 貸与[工車1505-2]
保存;香川県白鳥町「福栄小学校」;C11195

C11_195_741001
C11_195_741001_a_2
日南線用に現役で活躍していたC11 195

以上のデータは沖田祐作氏の著作による機関車表からの引用

夏の北海道旅行で室蘭本線の蒸気機関車は見ていましたが、九州でも蒸機にお目にかかれるとは思っていなかったために感動でした。

宮崎から「しいば1号506D12:48発で日豊本線をひたすら北上しますが、地図で見ても長い日南海岸、実際に列車走ってみてその長さには驚かされました。

741001
途中、南延岡駅では車窓から機関区のランドハウスが見え、転車台とキハ11や廃車となった蒸気機関車の姿が見えました。

南延岡機関区のランドハウスですが、ちょうど1974年に発足した延岡市蒸気機関車保存会の皆さんが保存運動を展開されたようですが、2002年2月に老朽化を理由に解体されたとのことです。同年7月には保存会の皆さんが機関区跡を見学されたことなどを紹介した新聞記事があり、その内容がこちらのサイトに紹介されていました。

17:03定刻に別府に到着しました。

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1974年秋 九州一周 4 鹿児島から宮崎へ

10月1日 朝8時過ぎに、西鹿児島駅に行くと驚いたことに東京行きの寝台特急「富士」が既に入線して出発準備を整えていました。発車時刻を確認すると9:40とのことで、東京到着は翌日の10:10とのこと。まさに1974年でも日豊本線周りの特急は東京まで1日以上かかっていたのですね。

<<西鹿児島駅>>
Df50_534_741001

20_741001_2

西鹿児島駅で出発準備する寝台特急「富士」8レ東京行き 

日豊本線は1974年3月に南宮崎まで電化されましたが、南宮崎~鹿児島間は依然非電化であったためDF50が宮崎~西鹿児島間を担当していました。

<<宮崎駅>>

Df50_534_741001_1西鹿児島から寝台特急「富士」を牽引して宮崎に到着したDF50534号機

宮崎駅で別府に向かう列車の出発を待つ間に西鹿児島からの「富士」が到着し、機関車をDF50からED76にかえて出発して行きました。4月のダイヤ改正で南宮崎までは電化されていましたが、南宮崎から鹿児島間は非電化で同区間が電化されるのは1979.9.25のことです。

<寝台特急「富士」の歴史>

1963年6月1日:寝台特急「みずほ」に20系客車を充当。同時に大分駅発着編成を連結する。 このとき20系客車を使用するにあたり初めての二階建て列車として運用された。このときに初めて付属編成分割後の電源供給にマヤ20が登場しました。マヤ20はこの旅行の鳥栖~長崎間の特急「はやぶさ」乗車の際にお世話になりました。

1964年10月1日:特急「みずほ」の大分駅発着編成の乗り入れを終了。代わりに東京駅 - 大分駅間を運行する寝台特急列車として「富士」の運行を新たに開始。「富士」には20系客車を使用する。 このとき「富士」の一部客車は下関駅で増解結を行い、大分駅乗り入れ編成は従前の「みずほ」と同じく8両であった。

20
品川から牽引機EF65500にエスコートされて東京駅11番線を通過し,神田側に引き上げる20系客車
Ef65_530
神田側で機回しが行われ、13番線に進入してくるEF65530号機 この頃のHMは丸形
20_2
13番線に据え付けられ発車を待つ20系客車

1965年10月1日:特急「富士」、運行区間を日豊本線経由で西鹿児島駅まで延長。 東京駅 - 西鹿児島駅間1,574.2kmを実に24時間以上かけて運行することから同じ区間を走る「高千穂」とならび、日本最長運転の定期旅客列車となった。なお、この日本記録は「高千穂」が1975年3月10日に廃止され、「富士」が1980年10月1日に運行区間を短縮して以降破られていない。

Ef65_540_7808
一方、上り列車は東京到着後牽引機EF65540が11番を介して機回し

1968年10月1日
:「富士」は、下関駅発着の編成を大分駅発着に変更。

1975年3月10日:「富士」、使用車両を24系24形客車に変更。
24
24系24形客車が「富士」「はやぶさ」「出雲」を担当したのは僅か1年半で、客車は青森に転属し、これら3列車は25形化されました。

1976年10月1日
:「富士」の使用車両を24系24形客車から24系25形客車に置き換え。「はやぶさ」「出雲」とともに東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台車を投入。同時に新形の1人用個室A寝台、「オロネ25形車両」も連結される。
2425_810103
二段ハネの銀帯客車で東京を目指す特急「富士」 保土ヶ谷
カニ24は2次車の9 - 25で、妻面裾部のマイクロスカートが省略されている。

1978年2月1日
:「あさかぜ」1・4号(いわゆる博多「あさかぜ」)の24系25形化に伴い食堂車の運用を捻出するため、食堂車は大分回転の付属編成となる。同様の措置は共通運用だった「はやぶさ」「出雲」でも行われた。
この年、東京駅 - 下関駅間の牽引機関車をEF65形の500番台(P形)から1000番台7次車に変更。
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牽引機の交替 EF65 1112号機

1979年9月25日
:日豊本線全線電化により宮崎駅 - 西鹿児島駅間の牽引機であるDF50形ディーゼル機関車による牽引を廃止。ED76による牽引は終点の西鹿児島駅まで延長された。

1980年10月1日:このときのダイヤ改正で、利用者の減少により運行区間を宮崎駅までに短縮。これにより、日本最長距離特急の座を「はやぶさ」に譲る。

1984年2月1日:廃止されていた九州内のヘッドマーク取り付けが復活。

10月19日:西明石駅を通過中の上り「富士」が脱線してホームに激突、32名が負傷するいわゆる西明石駅列車脱線事故が発生。

1985年3月14日:東京駅 - 下関駅間の牽引機をEF66形に変更。また、これを機に「富士」のヘッドマークを円形から戦前の「富士」同様の山型のものに変更した。

Ef66_42_040530
EF66のブルトレ牽引はまさに鉄道ファンの夢でした。EF6642号機

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そして九州におけるHMの復活も極めて嬉しいニュースでした。ED7622

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大分における増結風景 1985/4 ED7616

1986年3月3日
:「富士」に4人用B個室寝台「カルテット」(オハネ24形700番台)を連結。
11月1日:「富士」の客車の受持ちを品川運転所から鹿児島運転所(基本編成)、熊本運転所(付属編成)へ変更。「はやぶさ」と共通編成となり、ロビーカーを連結開始。「カルテット」は「あさかぜ1・4号」へ変更。

1989年3月11日:「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。

1990年3月10日:「富士」の運転区間を南宮崎駅まで1駅延長。

1991年3月16日:東日本旅客鉄道(JR東日本)東京車掌区が「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため「富士」からの乗務を降り、JR九州大分車掌区(現在の大分鉄道事業部大分車掌センター)が全区間を担当することになる。

1993年3月18日:「富士」食堂車が営業を売店営業に差し替え。また、下り列車の東京 - 小倉間のダイヤが「はやぶさ」と差し替えられて「富士」の南宮崎駅到着が1時間9分繰り上がった。

1997年11月29日:「富士」運行区間を大分駅までに短縮。また、食堂車であったオシ24形の連結終了。 終点大分駅到着後編成を2分割にする作業を実施していた。これは、折返しの清掃等を行う大分運転所がフル編成で入区できないためであり、上りの東京行きでも大分駅でフル編成にする作業を実施していた。

1999年12月4日:寝台特急列車の系統整理により、東京駅よりJR九州管内を結ぶ寝台特急列車は「さくら」「はやぶさ」と「富士」の2往復のみとなった。また、「富士」の担当車掌区がJR西日本下関乗務員センターに変更。ただし、上りの広島 → 東京間のみ広島車掌区が担当した。

「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」「さくら」として併結運転を行った。
従来「はやぶさ」「富士」は共通運用であったため、「富士」編成は「はやぶさ」編成の24系25形客車9両と「さくら」編成の14系客車6両を併結した15両編成となった。
また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台(1人用B個室寝台車「ソロ」)を改造したオハネ15形2000番台が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
「富士」・「はやぶさ」の24系編成には引き続き個室A寝台車「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結されたが、「ソロ」については前述の通り改造の上で14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。

2005年3月1日:「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止、同時に「富士」は「はやぶさ」との併結列車となり使用車両は全車14系客車となった。これに伴い「ロビーカー」と荷物車の連結が無くなり、小荷物輸送の「ブルートレイン便」の取扱いも終了した。

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14系にオロネ15 3000をつないだ編成で日豊本線に入って行くED7666牽引「富士」 2005/12/9
25200_070224

15形が組み込まれた特急「はやぶさ・富士」編成 2007/2/24 川崎 
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EF66 46号機牽引の「はやぶさ・富士」が下関に到着 2007/12/17

2009年3月13日
:この日に始発駅を発車する列車をもって「富士」「はやぶさ」ともに廃止。これにより、関門トンネルを越えて運行する定期旅客優等列車自体が運行されなくなった。

071218
2007/12/18 門司駅での分離後の列車発車案内 編成両数の短さが時代を語っていました。

こちらは一足先に西鹿児島を出発する急行「青島」404D 8:33発で鹿児島を離れ、宮崎に向かいました。途中、青井岳などの峠越えがあり、また乗客数も結構多く、暑い車内だったのを記憶しています。宮崎には11:00着で、地図的には結構近いようで時間は2時間半もかかっていました。宮崎駅ではホームから機関区が見え、C5557号機やC11195号機が元気に煙を上げていました。

<寝台特急「富士」 西明石駅列車脱線事故>

1984年10月19日1時48分頃、西明石駅を通過中の宮崎発東京行寝台特急「富士」(EF65形機関車+24系25形客車14両)の先頭客車(13号車)が脱線してホームに激突し、車体側面下部が大きく削り取られて大破した。最後尾の電源車を除く他の12両の客車もすべて脱線した。負傷者32名。

当日は西明石駅構内で保守作業が計画されており、「富士」の通過ルートは通常の列車線(山側)ではなく電車線(海側)に変更されており、機関士及び機関助士にその旨点呼で伝達されていた。しかし、機関士はこの伝達事項を忘れており、機関助士も駅構内進入時に機関士に注意喚起することがなかった(当時、機関助士が機関士に注意を喚起すると「余計なことをするな」と恫喝されることがあり、この機関助士はそれを恐れて何もしなかったと証言している)。結果、構内姫路側にある電車線への分岐器の分岐側速度制限が60km/hであるところを通常の100km/hの速度のままで通過したため、遠心力により軽量の客車が大きく左傾して脱線し、そのままホームに激突した。事故が発生した時間帯は深夜で、ホームに衝突した部分はB寝台の通路側であったため就寝中の乗客への直撃は免れ、負傷者のみで済んだ。

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