2023年11月22日 (水)

イタリアのフラッグ・キャリア いつのまにかアリタリア航空からITAエアウェイズになっていた その1 アリタリア航空編

イタリアの航空会社といえば長らくアリタリア航空(Alitalia-Societa Aerea Italiana S.p.A.)でした。

日本線には古くはダグラスDC-8, DC-10, MD-11, B747 そしてA330-200, B767-300ER, B777-200などが就航していました。



同社は1947年9月16日イタリア産業復興公社Istituto per la Ricostruzione Industriale; 1933年イタリア政府の出資で設立、世界恐慌で破産しそうになった銀行、自動車製造会社を傘下に収め救済、第二次世界大戦後は鉄鋼・自動車・航空・放送などに長期出資し、国内の経済成長を支え、産業の民営化をはかり、2000年に解散)と 英国欧州航空(British European Airways)の共同出資で設立、長距離路線はダグラスDC-6B、ヨーロッパ域内路線はヴィッカースバイカウントで運航を開始し、1957年にはイタリアのLAI航空と合併、1960年代以降はシュッド・カラベル、ダグラスDC-8などを導入し、日本へも就航しました。
2001年には航空連合「スカイチーム」のメンバーとなりましたが、同時多発テロ以降は経営が著しく悪化、政府が株式の49%を保有し、事実上国有化されました。その後も経営状態は芳しくなく、エールフランス‐KLM連合による買収、ルフトハンザドイツ航空との提携案が出されるものの労働組合の反対などで実現に至らず、2008年から2009年にかけ、分割民営化による経営再建の道が採られました(会社名はイタリア航空からアリタリア-イタリア航空会社)。

しかし経営悪化はさらに進み、2014年2月にはアブダビのエティハド航空傘下になりました。それでも経営悪化は収まらず、そうこうしているうちに2019年末から新型コロナウイルス感染症の世界的大流行で航空需要は大幅に落ち込み、2020年4月23日、完全国有化が発表となりました。



 

 

2020年10月、アリタリア-イタリア航空の後継として国営フラッグキャリアとして設立したのがITA(Italia Transporto Aero S.p.A.)でした。正式には2020年11月11日に設立、2021年10月15日、ローマ・フィウミチーノ空港をハブに68機の保有機材で運航を開始しました。IATAコードはアリタリア時代と同じAZで2022年5月13日エアバスA350XWB-900を初受領、11月5日、羽田~ローマ便を週3便で開設しました。

Idemg-az-b747243b-cn22510-ln553-981114-n1998/11/14 NRT I-DEMG B747-243B cn22510/ln553
1981年7月1日に初飛行、8月5日にアリタリア航空に引き渡された機体でエンジンはCF6-50E2を装備、コンフィグはC36Y368、2000年4月に退役、2003年に解体されています。
アリタリアのB747スペシャルカラーとして有名なBaci c/s(I-DEMF), BVLGARI c/s(I-DEMS)に関しては明日の記事で紹介します。同社は22機のB747シリーズを運航しており、2機が-100型、19機が-200B型、1機が-400型(-400F)でした。

Idupo-md11-cn48630-ln567-020922-kix
2002/9/22 KIX I-DUPD MD-11 cn48630/ln567
この機体は1994年6月から2004年6月までアリタリアに在籍、その後、2005年1月までN630LTとしてウェルズ・ファーゴ・バンク・ノースウェスト社(リース会社)に在籍、2005年1月から12月までD-ALCSとしてルフトハンザ・カーゴに、そして2015年12月以降はN630SNとしてウエスタン・グローバル・エアラインズ
Eidip-airbus-a330202-339-190519-nrt6 2019/5/19 NRT EI-DIP A330-202 cn339
同機は2000年5月から2002年4月まではC-GGWDとしてカナダ3000に、2002年4月から2004年10月まではI-VLEFとしてヴォラーレ航空2005年5月から2008年3月まではA6-EYWとしてエティハド航空に、2008年3月から2009年1月まではEI-DIPエア・ワンに、その後2009年1月から2022年3月まではアリタリア航空に所属し、現在はITAエアウエイズ機として運用されています。

Ideic-boeing-76733aer-27377-561-020519-n 2002/5/19 NRT I-DEIC B767-33AER C25Y189 cn27377/ln561
アリタリアは14機のB767-300ERを運航しており、その多くは2002年8月に引き渡され、2012年10月までに全機退役しています。

Idiso-boeing-777243er-32857-424-030607-n 2003/6/7 NRT I-DISO B777-243ER cn32857/ln424
アリタリアは12機のB777シリーズを運用しており、-200ERが11機、-300ERが1機でした。-200ERは2003年10月から引き渡され、現時点で5機がストア状態、6機が他社に売却されています。

Ibusl-az-a300b4203-cn173-890606-frt

1989/6/6 FRA I-BUSL A300B4-203 cn173
アリタリアはA300B2を2機、B4を12機運用しており、この機体は1982年2月から1998年3月まで在籍していました。
恐らくローマ、ミラノ~フランクフルト、ロンドン、パリなどのヨーロッパ域内メジャー路線に投入されていたのではないかと思います。

Ibixe-az-a321112-cn488-980921-lhr 1998/9/21 LHR I-BDXE A321-112 cn488
アリタリアではA321-100を23機運用しており、A300が活躍していた路線を引き継いでいたのではと思います。

Iribc-az-dc932-cn47233-ln429-890617-cgn 1989/6/17 CGN DC-9-32 cn47233/ln429
アリタリアはDC-6Bからの伝統でボーイング機よりもダグラス機をチョイスしていて、B737が2機に対してDC-9を46機運用していました。

Idatb-az-md82-cn53221-ln2079-990321-frt

1998/3/21 FRA MD-82 cn5322/ln2079

さらにMD-80は90機運用していました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2016年11月10日 (木)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 27 Delta MD-90-30

昨日のアメリカ大統領選挙、6月23日のイギリスのBREXITになった国民投票結果にも増して、世界を驚かした結果ではなかったでしょうか。

民主党と共和党の2人の候補、ビル・クリントン大統領のファーストレディであり、弁護士、NY州選出上院議員、さらに国務長官まで務め、これまでのアメリカ大統領と較べても遜色のない経験をもったヒラリー・クリントンが突然登場した知性も品格もない不動産王に政治の世界での勝負で敗れるというのも、常識的に考えれば、信じがたい事実かと思います。

トランプ氏の選挙戦での主張、さらにこれまでの政治に関する経験のなさから考えて、果たしてこれからの世界情勢がどうなってゆくのか、総理大臣が代わっても官僚体制があって行政の流れがリジッドな(良くも悪くもですが)我が国とは違い、政権が代わればホワイトハウスのSTAFFをはじめ、行政を担当するメンバーが総入れ替えとなるアメリカはこれからどうなるのか、非常に心配であります。

第一次世界大戦後のドイツにおいて、賠償金負担によるインフレなどで人々の不満が鬱積し、ナチスドイツの台頭を許した時代の再現でないことを祈るばかりです。

日本は1949年の夏、あの下山事件が起こった頃から、占領国アメリカの言いなりの状態でこれまでやってきましたが、これを契機に政治的に素人のホワイトハウスと主張すべきことは主張する姿勢で向き合ってゆく、あらたな日米関係を構築する良いチャンスではないかと思います。沖縄の基地の問題にしても思いやり予算や、米軍の駐留の問題などこれまでどう考えてもおかしな政策を一挙に解決できるチャンスではないでしょうか。

さてSan Diego Lindbergh空港でのSpotting、今回はDelta AirlinesMD-90-30です。

N962dn_mcdonnell_douglas_md9030_c_2
N962DN McDonnell Douglas MD-90-30 cn53532 ln2253 2015/1/15 SAN

マクドネル・ダグラスMD-90はダグラスDC-9から発展したMD-80をさらに近代化したナローボディ機で、1989年11月に開発がローンチされ、1993年2月に初飛行、1995年4月にDelta航空で初就航しています。

2000年10月、納入分までの116機が製造されました。キャパシティは2クラス仕様で153席、モノクラス仕様で172席でした。エンジンはV2500シリーズのV2525-D5が搭載されています。

わが国でもJASが1996年から導入し、黒沢明監督の7種類の黒沢レインボー塗装で有名になりました。当時は私も羽田や地方の空港で積極的に旅客機の写真を撮っていましたので、16機全機を撮影しました。余談ですがあの頃はJA8000番台のレジから現行方式のレジに代わるころで、忌み嫌われて空き番になっていた4で終わる8000番台がJASのMD-90にアサインされたのを憶えています。そのJASのMD-90もJALとの経営統合で引き継がれましたが、2013年3月末で全機退役したそうです。

マクドネル・ダグラス社はMD-90に続き、100席クラス(2クラス106席、モノクラス117席)の短胴バージョンとしてMD-95が1995年10月にローンチされましたが、途中でボーイングに吸収合併されたことで、こちらはBoeing 717としてデビューしました。

Delta航空は16機の新造機を手に入れ運航していましたが、ノースウエスト航空との経営統合で同社が運航していたDC-9の後継機材として、世界中の航空会社から中古のMD-90を入手し、現在世界で運行されているMD-90 75機のうち、9割に相当する65機を保有運航しています。こうすることで新造機を購入するより、コストが10億ドル以上節約になっているそうです。かつてJASが購入した16機もすべてDelta航空が購入したそうです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2016年5月27日 (金)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 21 American MD-82

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回はAmerican 航空MD-82です。

アメリカン航空は1930年1月25日に「アメリカン・エアウェイズ・コーポレーション」と社名登録しましたが、それ以前は82社からなる「アメリカン・エアウェイズ」のブランド名で纏まった航空集合体でした。

N216aa_mcdonnell_douglas_md82_dc9_2 N216AA McDonnell Douglas MD-82 cn 49167 ln 1099 2003/1/13 SAN

ニューヨークを本拠地としてボストン、ニューヨーク、シカゴとダラスへの路線を運航し、ダラスからはロサンゼルスへ繋ぐことにより、早くから長距離路線によるコネクション方を編み出しました。設立当初の運行機材は主にフォッカー トライモーターフォード トライモータを利用していました。

N271aa_mcdonnell_douglas_md82_dc9_2 N271AA cn 49293 ln 1212 2005/1/21 SAN

1934年、数々の運搬会社を保有するコード・ホールディングス社がアメリカン・エアウェイズを買収し、現名のアメリカン航空に社名変更しました。当時はダグラス社と積極的に飛行機設計の提携を結び、1936年には共同によりダグラス DC-3の開発と運航に成功。長距離用のDC-3を導入後、運行機を「フラッグシップ」(旗艦)、空港ラウンジを「アドミラルズ・クラブ」(提督クラブ)などと航海用語を自社ブランドへ使い始めました。また当時のブランドイメージとして機長席の窓から四星の「提督ペナント」旗が掲げられていました。

N461aa_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N461AA cn 49566 ln 1497 2002/1/17 SAN

第二次世界大戦後、欧州路線への拡張としてアメリカン・オーバーシーズ航空を子会社として設立しました。しかし1950年にアメリカン・オーバーシーズ航空は当時のライバル・パンアメリカン航空へ売却されました。同時期にアメリカン航空はメキシコ主要都市へ路線を拡大してゆきました。

1959年1月25日Boeing707で初のジェット機による大陸横断便を運航。1960年代にはアメリカ本土の西と東海岸をノンストップ便で結ぶジェット旅客機が積極的に導入され、当時の宇宙開拓ブームにより「アストロジェット」として親しまれました。

1962年にはIBM社との協力で世界初の電子航空予約システムSABREを導入。これにより今まで紙と鉛筆で行っていた予約システムがコンピューター管理で可能になり予約の効率性を高めることに成功しました。

この時代、アメリカン航空はユナイテッド航空、デルタ航空、イースタン航空と共に「Big4」と呼ばれる大手国内線航空会社へと成長してゆきました。

N477aa_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N477AA cn 49652 ln 1529 2005/1/21 SAN

1979年に本拠地をダラスに移し、ダラスがアメリカ本土の中心地点であるという地理的条件を利用し、路線図をスポーク&ハブ・システムに組み替えました。1981年からダラス・フォートワース国際空港とシカゴ・オヘア国際空港を主要ハブとし、欧州や日本への路線を拡大してゆきました。

1990年、経営難のトランス・ワールド航空からロンドン・ヒースロー空港への路線権利を4億4500万ドルで獲得し、同年、経営難のイースタン航空からマイアミ空港のハブと中南米路線の権利を購入し、1990年代以降、アメリカン航空はマイアミのハブを最大限に利用し、カリブ海や中南米への路線開拓へ力を注いでゆきました。

1998年に、ブリティッシュ・エアウェイズカナディアン航空、キャセイパシフィック航空、およびカンタス航空と共に航空連合「ワンワールド」の結成を発表しました。

2001年4月、長い間経営難に悩まされていたトランス・ワールド航空とセントルイスのハブ権利を買収。大手ライバルを吸収することによってアメリカン航空の成長に期待感が生まれました。

N575am_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N575AM cn 531521 ln 875 2008/1/18 SAN

同年の9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件では、国内線の11便と77便がハイジャックされてテロに使われ、そのため利用客が激減して経営が悪化し、一時期は破産寸前まで追い込まれました。ユナイテッド航空・デルタ航空・ノースウエスト航空といった大手の同業他社が連邦倒産法第11章の適用を申請して破産宣告する中、アメリカンも破産宣告をする案が社内で議論されたましが、「機内サービスを減らし、コストダウンを図れるところは何でもし、何とか持ち直す」方法で破産を回避しました。

徹底的なコストダウン、機体重量の軽量化、ポリッシュドスキンボディの維持などを行い、2007年には業績利益を達成するまでに至りましたが。2008年頃からの燃料費の上昇で、2011年11月29日、ニューヨーク州裁判所に連邦倒産法チャプター11の適用を申請し、破綻に至りました。

以降の歴史は次回の記事で。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2016年5月 8日 (日)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 20 TWA MD-83

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回は今は亡きTWA航空MD-83です。

N9401w_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N9401W McDonnell Douglas MD-83 cn53137 ln 1872 2002/1/17 SAN

撮影時期からして、TWAがアメリカン航空に吸収合併された後、まだ同社の塗装のまま飛んでいた機体を撮影したものです。

TWA航空 (Trans World Airlines)の設立は1925年で、当時の名前はウエスタン・エアー・エキスプレスでした。1930年1928年創立のトランスコンチネンタル・エアー・トランスポートと合併し、トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアーと改名しました。その後、ハワード・ヒューズによる経営などで、世界を席巻する航空会社として君臨する黄金時代を迎え、ロッキードコンステレーションシリーズの導入、パンアメリカン航空と張り合っての国際線進出などの時代がありましたが、2001年12月アメリカン航空に吸収される形でその名前が歴史の彼方に消えて行きました。

TWAのその後の歴史は、以前、西ベルリン・テーゲル空港での記事で触れましたので今回は省略します。

N9401w_mcdonnell_douglas_md83_dc9_2 N9401W

この機体、初飛行は1992年6月19日で、1993年7月19日にTWAに納入されました。2001年12月2日、吸収合併により、アメリカン航空に転籍となり、現在も同社で現役で活躍中です。

TWAのフリートリスト
によると、MD-80タイプは104機所有しており、うち39機がMD-82、残り65機がMD-83でした。
65機のうち、1機 HL7271としてKorean Air Linesに納入されたcn49785 ln 1628はTWA時代もEI-CIWのレジで飛んでいましたが、その後Meridianaに移り、現在Kam Air (YA-KMD)として活躍中、これ以外の64機はアメリカン航空で活躍中です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年11月19日 (木)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 13 Aeromexico MD-82

San Diego Lindbergh 空港で見かけた旅客機の話題、今回は以前、Boeing 737-700の話題で一度登場したAeromexico 航空MD-82です。

Xatlh_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ XA-TLH MD-82 (DC-9-82) cn 53119 ln 1956 2005/1/21 SAN

航空会社としての歴史はBoeing 737-700の記事に書いた通りで、MD-82はAeromexicoがローンチカスタマーとなった機体でもあります。

Md82_aeromexico
表1 Aeromexico MD-82 Fleet list    データはPlanespotters.netから

表1にMD-82のフリートを纏めましたが、53機が登録されています。いずれも今日ではリタイアしておりますが、XAのメキシコ国籍で登録された機体は18機と1/3程度で、圧倒的にアメリカレジの機体が多いことがわかります。

MD-82は1979年4月16日MD-81よりも強力なエンジンを搭載したMD-80シリーズのバリアントとして発表されました。いわゆる高地、高温地路線向け、あるいは従来のスタンダード路線における高ペイロード、レンジ向け需要に応える機体でした。初飛行は1981年1月8日同年7月29日、FAAから耐空証明を取得、初号機は1981年8月1日Republic Airlinesに納入されました。最終のデリバリーは1997年11月17日、台湾のU-Land Airlinesにされました。

世界的にはアメリカン航空が最大のオペレーターで300機以上を運用していたこともありました。20,000 Ibf (89kN)の推進力を持つJT-8D-217Aエンジンを装備し、29℃以上、もしくは5000ft以上の高地での離陸を保証しました。最大離陸重量は当初67,000kgで、後に67,800kgまで増やされました。燃料タンクは22,100リットルで、155名の乗客を乗せ、3800kmの航続距離でした。

中国において1986年11月からShanghai Aviation Industrial Corporation (SAIC) がアメリカから提供されるキットを用いて組み立てを上海で開始し、Y-13という貨物機バージョンの設計も行いましたが、ライセンスアセンブリーの終了でその計画はキャンセルとなりました。2012年Aeronautical Engineers Inc.がMD-82の貨物機コンバートを開始しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年5月 8日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その31 オーストリア航空 MD-81

東西統一前の西ドイツDüsseldorf Airportで撮影した旅客機の話題、今回はオーストリア航空です。

 

Oeldp_cn_48015_924_mcdonnell_dougla

 

 

OE-LDP cn 48015 ln 924 McDonnell Douglas MD-81 1989/5/4 DUS

 

オーストリア航空はオーストリアのフラッグキャリアで、経営的にはルフトハンザグループの一員です。

 

1923年5月3日、Walter Barda-Bardenauがオーストリア政府から航空会社設立の認可を貰い、Austrian Airlinesの設立に参加します。といっても資本金的には50%が the Austrian railway transportation institution、49%がthe Junkers-Werke、彼の出資比率は1%でした。フリートはJunkers F13で占められ、1923年5月14日にウィーン~ミュンヒェン間をHans Bauerの操縦で初飛行しました。

 

この時期のオーストリアは第一次世界大戦の敗戦後、オーストリア=ハンガリー二重帝国の崩壊後で工業生産力の強いチェコが独立し、オーストリア共和国としては経済的に自立して国際社会で生き残るためにはドイツとの合併以外に道はないと考えられていました。

 

Austrian AirlinesJunkers Trans European Unionの一部として運航した関係でその目的地にはMunich, Budapest, Nuremberg, Graz, Klagenfurt、St. Wolfgangなどが含まれていました。1926年Unionは解体し、1927年から政府のサポートで新たな機材を購入し、Deutsche Lufthansaとのパートナーシップのもと、ウィーンからベルリン、ミラノ、ブダペストなどの路線を開拓しました。世界恐慌の後にはJU52などもフリートに加わりました。1938年3月、ヒトラー率いるナチスドイツがオーストリアを併合(Anschluß)するとそれまで同航空会社が計画していたローマ、パリ、ロンドン線の計画は破棄され,完全にルフトハンザの支配下になり、商業的運航権も剥奪されました。

第二次世界大戦後、ナチスドイツの消滅により,オーストリアの併合は解消され、ドイツから分離しますが、国営航空はありませんでした。そこで、Österreichische Luftverkehrs AGとしてAir AustriaAusrian Airways1957年9月30日に合併して創業したのが今に続くオーストリア航空です。1958年3月31日Vickes Viscount 779により、ウィーンからチューリヒ、ロンドンへ初飛行を行いました。国内線は1963年5月1日に、大西洋横断便は1969年4月1日にウィーンからブリュッセル経由でSabena Airlinesと共同で運航を開始しました。

 

Oeldp_cn_48015_924_mcdonnell_doug_2
OE-LDP

 

ジェットageになると最初に導入した機材はSud Aviation Caravelle1963年2月18日から1973年まで使用しました。1971年からはDouglas DC-9-32, 1975年からはDC-9-51、さらに1977年からSwissairとともにDouglas DC-9-80の最初のユーザーとなり、1980年代にはMD-81, MD-87, MD-83と繋がってゆきます。
1990年代にはSwissairが提唱したQualiflyerグループの一員となり、長距離路線の拡充に務め、中国や南アフリカへ進出しました。
2000年にはStar Allianceのメンバーとなり、Lauda Airも傘下に収めます。さらにTylolean Airwaysも傘下に収めました。2006年には財政事情の悪化から緊縮財政に務め、長距離路線用の機材のAirbus A340A330を売却し、Boeing 777 Boeing767に機材統一を図ります。

 

Oeldy_cn_49115_1135_mcdonnell_dougl

 

 


OE-LDY cn 49115 ln 1135

 

Md80series_aua

 

 


最後にオーストリア航空が導入したDouglas DC-9 SeriesのFleet Listを載せます。情報はいつものようにPlanespotters.netから得た情報をもとに表にしています。

 

日本でもかつてはA310,その後A340,そして現在はB777で乗り入れており,後進ではありますが、なじみ深い航空会社です。私も2010年1月のウィーン出張で往復利用しました。

 

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 
鉄道コム

 

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年4月24日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その30 SAS DC-9

冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf 空港で撮影した写真の紹介シリーズも30回目となりました。今回は我が国でもなじみの深い、スカンジナビア航空 Scandinavian Airlines System, SASDouglas DC-9です。

Lnrlc_cn_47179_335_mcdonnell_dougla
LN-RLC cn 47179 ln 335 McDonnell Douglas DC-9-41 1989/5/4 DUS
こちらはノルウェーのレジのDC-9

スウェーデン4、デンマーク3、ノルウェー3の割合で出資して、それぞれの国の政府が50%の株式を保有するという3カ国によるナショナルフラッグキャリアーです。ストックホルムのアーランダ国際空港がアメリカ、カナダなどの大西洋路線の拠点に、コペンハーゲンのコペンハーゲン国際空港が中国、日本などアジア諸国への便の拠点となっています。

その歴史は1918年、2月ノルウェーにDNL(Det Norske Luftfarsrederi)、10月デンマークにDDL(Det Danske Luftfarselskab)、そして1924年スウェーデンにABA(AB Aerotransport)が設立されたことに始まります。1940年6月にこの3社の合併の合意がなされたものの、ナチスドイツのノルウェー侵攻で白紙となりました。第二次世界大戦終結後の1946年8月1日、漸く設立にこぎ着けます。1946年9月17日、最初の運航が開始されました。

1951年4月、南回りバンコク線を延長する形で日本への乗り入れを開始した我が国にとって古参の国際線キャリアーです。またポーラールートの開拓に積極的で、1954年にはDouglas DC-6Bを使い、コペンハーゲンとロサンゼルスを、グリーンランドのSøndre Strømfjord、カナダのWinnipeg経由で結び、さらに1957年にはDC-7Cによるアンカレジ経由コペンハーゲン~東京便も就航させています。当時、ソ連はシベリア上空通過を承認していなく、中国も解放されていなかったため、アンカレジ経由のルートは北極経由の世界一周サービスとして広めました。その後、続々とヨーロッパのキャリアーがこのルートに参入しました。
因みに余談になりますが、地球温暖化で北極の氷が減り、ヨーロッパから、アイスランド、北極海経由でアラスカに抜ける海路が開けるというニュースも数年前に聞いたことがありました。

1959年Sud Aviation SE210 Caravelle の運航が開始され、ジェット時代に入り、1971年にはBoeing 747 の運航も始まりました。またこの時期にタイ政府との合弁でタイ国際航空を設立しています。
その後、ノルウェーのBraathens、 Widerøe、スウェーデンのLinjeflyg、Skyways Express、デンマークのCimber Airなどの国内航空を傘下に入れ、さらにコンチネンタル航空の親会社のTexas Air Corporationの株式の18.4%と取得し、British Midlandの20%やスペイン第二の航空会社Spanairの95%を手に入れ、グローバルな経営展開を進めました。

1997年5月にはエアカナダ、ルフトハンザ、タイ、ユナイテドとともにスターアライアンスを設立しています。尤もこの4年前にKLM、オーストリア航空、SwissairとAlcazarと呼ばれる企画で航空連合を作ろうとしましたが、失敗していました。2001年、出資に関して変化があり、それぞれの国の比率が半分に抑えられ、残りの50%が公開株式となりました。
その後、アメリカの9.11による航空不況やLCCの台頭によるコストの削減など経営を取り巻く環境は悪化していますが、2013年には久しぶりに営業利益がある決算となり、なんとか持ち直してきているようです。2014年は再び、赤字に転落しましたが。

Oykgh_cn_47493_562_dc941_890507_dus
OY-KGH cn 47493 ln 562 DC-9-41 1989/5/7 DUS
こちらがデンマーク国籍 OY-KGHといえば、Starallianceの初期に登場したSASの胴体輪切り塗装のBoeing767-383/ER OY-KDH を思い出します。

現在のフリートは

Airbus   A319-100      4
           A320-200     13
           A320neo                  30 ordered 11 opt
           A321-200      8
           A330-300      4          4
           A340-300      8
           A350-900                 8              6
Boeing  717-200        5
           737-600      27
           737-700      30
           737-800      29
Bombardier CRJ900 12    となっています。

スカンジナビア航空の塗装、現在は灰色をベースに、紺と赤をあしらったものに変わっていますが、個人的にはこちらの塗装の方が好きでした。

Dc9_fleet

DC-9は全部で66機運航されており、そのリストをいつものようにPlanespotterslist.netのデータを参考に作成しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年4月13日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part1

San Diego Linbergh空港での撮影記録、今回からはハワイ州と並んでアメリカ50州のなかでは他州と隣接しない州であるアラスカ州の航空会社であるAlaska Airlinesの機体に触れようと思います。
N933as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N933AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 49234 ln 1204 2002/1/17

わたしも人生最初に海外で上陸したのはアラスカ州でした。といっても入国したのではなく1986年に新婚旅行で初めの海外、ヨーロッパに飛んだ際にアンカレジに給油のため立ち寄ったためでした。今ではヨーロッパに飛行機で行くといっても直行便が当たり前になって、その昔は南回り、アンカレジ経由、モスクワ経由便があったこと自身が忘れられようとしていますが。
860614_anc Stop Over Alaska の表示や「うどんや」ののれんもアンカレジ空港の懐かしい思い出に 1986/6/14

アラスカはもともとロシア帝国の領土でしたが、1867年3月30日、アメリカ合衆国が買収し、いくつかの管理形態を経て1912年5月11日にアラスカ準州となり、1959年1月3日にアラスカ州となりました。50州の中で面積は最大ですが、人口密度は最小の州です。

N947as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N947AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 53020 ln1789 2005/1/21

アラスカ航空の歴史やフリートに関しては次回の記事で詳しく触れる予定ですが、創業は1932年にアンカレジ~ブリストル・ベイ間の地域航空会社、マクジー航空として創業す、冷戦時代地理的な関係からソ連への定期便も運航していたそうです。1980年代のDeregulationで急成長を遂げました。本拠地はワシントン州のシアトルです。

N948as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N948AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn53021 ln1801 2008/1/18

この航空会社のフリートの特徴は1990年代までは圧倒的にMD80シリーズ一辺倒であったのが、近年はBoeing 737NG一辺倒であることです。そこで今回はSan Diego Lindbergh空港で撮影したMD-83の写真を紹介し、次回はBoeing 737の写真を紹介することに致します。

アラスカ航空が起こした事故として記憶に新しい事故が2000年1月31日、メキシコのプエルト・ヴァリャルタ国際空港発、サンフランシスコ経由、シアトル行きの261便が水平安定板の角度を調整するスクリューに対する不適切なメンテナンスの結果、潤滑油が欠乏し、固着してしまい操縦不能に陥り、ロサンジェルス北西の太平洋に墜落し、乗員5名乗客83年が犠牲になった事故です。会社が他社との競争のためメンテナンスの頻度と質を落としたために起こるべくして起こった事故として厳しく責任を問われた事故でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年3月27日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その28 Swissair MD-81

このシリーズでは統一前の西ドイツ時代の1989年の初夏に留学先の西ベルリンから週末休暇を利用して、西ドイツ本土ルール地方の主要都市であるDüsseldorfを訪問し、その際に空港で撮影した旅客機を航空会社や機種ごとに紹介して来ました。

3月24日午前10時41分頃(現地時間)に南フランス(17 km (10.6 mls) SW of Barcelonnette)で発生したGermanwings 4U9525便(バルセロナ発デュッセルドルフ行)乗客乗員150名搭乗のA320-211(D-AIPX)の墜落事故はドイツ在住の邦人2名が乗客名簿にあるということもあり、日本でも連日、大きく報道されています。
まず、この事故で犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

この事故に関して、現時点で明らかになっていることは、

10:00 バルセロナ空港を離陸
10:27   フライトレベル380 (38000フィート)に到達
10:30  IRMARのポイントに直行するという無線交信を最後に交信が途絶える。

管制側のレーダー記録では
10:31 マルセイユ東方で海岸線を横切る。
10:40:47 6175フィートで機影が消失

この間、乗務員から緊急事態を告げる連絡は一切無く、38,000フィートから6,800フィートまで3710フィート/分の急降下をしているということです。ブラックボックスのうち、ボイスレコーダーは回収されており、音声を聞いてみると、どうやら2名のコックピット乗務員のうち、一名がコックピットから閉め出されたような形跡があること。IFR(フライトレコーダー)は容器は見つかっているが、本体は未発見とのこと。

以上、Aviation Safety Networkの記事と新聞等の情報を参考にしました。

今回は今は亡き、スイス航空のMD-81について触れようと思います。

Hbisx_cn_49844_1579_mcdonnell_dougl
HB-ISX cn49844 ln 1579 1989/5/5 DUS

スイス航空(Swissair, S.A/AG: IATA: SR, ICAO: SWR)はかつて「空飛ぶ銀行」とも言われた堅実な経営で有名な航空会社で、1931年に創業し、1990年代後半にはクロスエア、バルエアを傘下に治め、SAirグループを形成し、サベナ・ベルギー航空と資本提携し、クオリフライアー航空連合の盟主まで務めた航空会社でしたが、傘下に収めたサベナ航空やフランスの航空会社の業績悪化、さらに1998年にカナダ・ハリファックス沖で起きたMD-11による111便事故、そしてアメリカ同時多発テロによる航空需要の落ち込みで2002年に倒産に至りました。

Hbisx_cn_49844_1579_mcdonnell_dou_2 HB-ISX

国営航空が存在しないわけには行かないので、子会社だったクロスエアが政府の援助を受けて資産を受け継いで経営しているのが現在のスイスインターナショナルエアラインズとスイスヨーロピアンエアラインズです。

今回は会社の歴史の概要に留め、機材の変化や路線拡張の様子は次回の記事で触れます。

Hbisx

写真のHB-ISXは1989年3月にデリバリーされたばかりの機体でした。そのためか、現在も現役でイランのKish航空フリートのメンバーです。またこの機体はMD-81として製造されていますが、搭載燃料量を増やし、最大離陸重量が増えて、MD-83にコンバートされた機体です。データはPlanespotters.netのものを参考に致しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2015年3月 6日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その27 アドリア航空のDC-9 (MD-82)

1989年初夏のDüsseldorf空港シリーズ、今回はAdria AirwaysDC-9 (MD-82)です。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ YU-ANC McDonnell Douglas MD-82 (DC-9-82) (cn 48087 ln 1035)  1989/5/7 DUS

現在は白いボディにADRIAと大書されたマーキングで有名なスロベニアのフラッグ・キャリアですが、当時はユーゴスラビア連邦の航空会社でした。

設立は1961年3月と比較的新しく、同年8月KLMから2機のDC-6Bを購入し、Zagrebを拠点にオランダ人クルーにより、商業運航を開始しました。同時期、アドリアのクルーと技術スタッフがJAT Yugoslav Airlinesと空軍にて技術を習得しました。1961年12月には自前のスタッフにより、最初の運航が行われました。

チャーター便運航事業により、西ドイツ、英国、オランダ、スカンジナビアの空港からアドリア海沿岸都市へと利用する乗客が徐々に増加し、1964年にはアメリカやカナダからのチャーター便も飛ばすようになり、国際連合のための便も運航するようになりました。同年にはリュブリアナに新たな空港が開港し、拠点を移しました。やがてDC-6Bによる運航では競争力がなくなり、1967年には経営危機に陥り、1968年にセルビアのベオグラードを拠点にしたInterExportと合併し、社名もInex-Adria Airwaysと改め、フリートの刷新が開始されました。

1969年、最初のジェット旅客機のDC-9-30 (115席仕様)を入手し、チャーター業界でシェアが拡大し始め、1969年9月、リュブリアナ~ベオグラード間の定期便運航を始めました。その頃にはSud Aviation Caravelle, Douglas DC-8, BAC One-Elevenなどもフリートに加わりました。1972年には大西洋横断便もDC-8-55*に刷新しましたが、翌年には撤退しました。1970年代後半、Adria Airlinesは最も定時率の高いチャーター航空会社として表彰されました。当時のこうしたビジネス上での成功はGrimex社との建設的な連携が大きく貢献しており、また西ドイツとの人の流れも大きく貢献していました。国際的なビジネスのみならず、ユーゴスラビア国内路線もこの頃充実が図られました。

*このDC-8-55 (cn 45883 ln 308)は1965年10月20日Seaboard World Airlinesに貨物機として納入された機体で、N806SWという登録記号が最初に与えられていますが、1970年2月1日から1972年3月31日まで同じレジでJALにもリースされていました。その後、YU-AGBとユーゴのレジが登録されましたが、使われずN806SWでInex-Adria Airwaysに1972年4月20日から、10月8日までリースされました。

この時期、1972年3月から1981年12月にかけて、アドリア航空に関係した事故が5件、起きており、かなりの数の犠牲者が出たことが教訓となり、アドリア航空は訓練や技術レベルを高める研修の充実化が図られるようになったとのことです。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc98_2 YU-ANC

1981年には3機のMD-80を購入しますが、12月にそのうちの1機 (YU-ANA cn 48407 ln 998) がコルシカ島のサンピエトロ山に激突し、搭乗者全員が犠牲となる事故に遭遇します。1984年には西ドイツやスイスで働く出稼ぎ労働者のためにリュブリアナ~ベオグラード~ラルナカの初の定期国際便を運航開始しました。同年、新たにAirbus A320 5機の購入を決定し、2機のDash7もサラエボ冬季オリンピックに備えて購入しました。1985年には4機のDC-9-30, 2機のDC-9-50, 1機のMD-81,3機のMD-82、2機のDash7とさらにもう一機のMD-82とフリートが増加してゆきました。

1986年、特定の企業が膨張するのを制限する法律により、Inexグループを離れ、再度名前をAdria Airwaysとしました。さらにIATAに加盟しました。1989年、最初のAirbus A320が納入され、IAEエンジンを搭載した最初の機体となりました。

ユーゴスラビア連邦の崩壊、スロベニアの独立宣言(1991年6月25日)の3日後、ユーゴスラビア連邦軍がアドリア航空のハンガーを爆撃し、納入されて1年未満のA320やDC-9-30, Dash7などが大きく損傷し、さらに機材の登録や保険などでも大きなハンディを背負うことになりました。

1992年、Adria Airwaysは新興独立国スロベニアのフラッグキャリアになり、これまでのチャーター便をメインとした事業体系から大きく転換を余儀なくされました。

ここから先はまたの機会に。

Duesseldorf空港で撮影したMD-82 YU-ANCですが、Plane Loggerのサイトで履歴を調べてみると

Yuanc
1982年にYU-ANCとして登録されInex Adria Airwaysのフリートに加わっており、写真の頃は丸7年が経過した頃でした。スロベニア独立後もS5-ABBのレジでアドリア航空のフリートでしたが、最後はアメリカに渡り、バリュージェットレノエアーで活躍した後、最後はSpirit Airlinesのフリートだったようです。

Inex-Adria Airwaysで検索すると1989年当時の同航空会社のfleet listが出てきますが、MD-82はYU-ANC 1機で、あと2機のYU-AJZ(cn 48046 ln 977)YU-ANB (cn 48048 ln 1005)はいずれもMD-81でした。因みに1981年の導入の年にコルシカ島サンピエトロ山に激突して失われたYU-ANAはまだ当時はDC-9-81と呼ばれていました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

その他のカテゴリー

クルーズトレイン スポーツ ディーゼル機関車 ディーゼル機関車DD13/DD15 ディーゼル機関車DD16 ディーゼル機関車DD200 ディーゼル機関車DD50 ディーゼル機関車DD51 ディーゼル機関車DD54 ディーゼル機関車DE10/DE11/DE15 ディーゼル機関車DF200 ディーゼル機関車DF50 ニュース ハイブリッド機関車 ハイブリッド気動車 バス モノレール 三セク鉄道 事件・事故 事業用車 催事 地下鉄車両 城巡り 大相撲 客車 客車12系 客車14系 客車20系 客車24系 客車50系 客車E26系 新交通システム 新幹線0系 新幹線電車 旅客機 旅客機 Airbus A220 旅客機 Airbus A300 旅客機 Airbus A310 旅客機 Airbus A318/A319/A320/A321 旅客機 Airbus A330 旅客機 Airbus A340 旅客機 Airbus A350 旅客機 Airbus A380 旅客機 Boeing 707 旅客機 Boeing 727 旅客機 Boeing 737 旅客機 Boeing 747 旅客機 Boeing 757 旅客機 Boeing 767 旅客機 Boeing 777 旅客機 Boeing 787 旅客機 Douglas DC-10/MD-10 旅客機 Douglas DC-8 旅客機 Douglas DC-9/MD-80 series/MD-90/Boeing 717 旅客機 Lockeed L-1011 Tristar 旅客機 MD-11 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書籍 東京メトロ 東京都営地下鉄 民鉄:京成グループ 民鉄:京浜急行電鉄 民鉄:京王電鉄 民鉄:京阪電気鉄道 民鉄:南海電鉄 民鉄:名古屋鉄道 民鉄:大井川鐵道 民鉄:富士急行 民鉄:小田急電鉄 民鉄:山陽電気鉄道 民鉄:東急電鉄 民鉄:東武鉄道 民鉄:江ノ電 民鉄:相模鉄道 民鉄:西日本鉄道 民鉄:西武鉄道グループ 民鉄:近畿日本鉄道 民鉄:阪急電鉄 民鉄:阪神電気鉄道 気動車 気動車1000形 気動車2000系 気動車キハ100系 気動車キハ110系 気動車キハ11形 気動車キハ120形 気動車キハ126系 気動車キハ141形 気動車キハ150形 気動車キハ181系 気動車キハ183系 気動車キハ185系 気動車キハ187系 気動車キハ189系 気動車キハ201系 気動車キハ20系 気動車キハ25形 気動車キハ261系 気動車キハ281系 気動車キハ283系 気動車キハ32形 気動車キハ35系 気動車キハ40系 気動車キハ45系 気動車キハ56/57/58系 気動車キハ75形 気動車キハ81形 気動車キハ82形 気動車キハ85系 気動車キハE120系 気動車キハE130系 気動車キハE200系 海外の鉄道 特急電車 私鉄 蒸機8620 蒸機9600 蒸機C10 蒸機C11 蒸機C12 蒸機C50 蒸機C51 蒸機C53 蒸機C55 蒸機C56 蒸機C57 蒸機C58 蒸機C59 蒸機C60 蒸機C61 蒸機C62 蒸機D50 蒸機D51 蒸機D52 蒸機D60 蒸機D62 蒸気機関車 貨車・貨物列車 路線について 路面電車 軽便鉄道 近郊形電車 通勤電車 連絡船 鉄道以外の博物館・展示施設 鉄道博物館 鉄道施設 電機ED16 電機ED60/ED61/ED62 電機ED70 電機ED71 電機ED72 電機ED73 電機ED74 電機ED75 電機ED76 電機ED77 電機ED78 電機ED79 電機ED91 電機EF10 電機EF12 電機EF13 電機EF15/EF16 電機EF18 電機EF200 電機EF210 電機EF30 電機EF510 電機EF53/EF56/EF59 電機EF55 電機EF57 電機EF58 電機EF59 電機EF60 電機EF61 電機EF62 電機EF63 電機EF64 電機EF65 電機EF66 電機EF67 電機EF70 電機EF71 電機EF80 電機EF81 電機EH10 電機EH200 電機EH500 電機EH800 電気機関車 電車101系 電車103系 電車105系 電車107系 電車113系 電車115系 電車117系 電車119系 電車121系 電車123系 電車125系 電車143系 電車151/161/181系 電車153系 電車155/159/167系 電車157系 電車165/169系 電車183/189系 電車185系 電車201系 電車203系 電車205系 電車207系 電車209系 電車211系 電車213系 電車215系 電車221系 電車223系 電車225系 電車227系 電車251系 電車253系 電車255系 電車271系 電車281系 電車285系 電車287系 電車289系 電車301系 電車303系 電車305系 電車311系 電車313系 電車315系 電車323系 電車371系 電車373系 電車381系 電車383系 電車401/403/421/423/415系 電車417系 電車419系 電車451/453/455/471/473/475/457系 電車481/483/485/489系 電車5000系 電車581/583系 電車651系 電車681系 電車683系 電車70/72系 電車7000系 電車701系 電車711系 電車713系 電車715系 電車719系 電車721系 電車731系 電車781系 電車783系 電車785系 電車787系 電車789系 電車8000系 電車80系 電車811系 電車813系 電車817系 電車821系 電車8600系 電車883系 電車885系 電車_旧形国電 電車BEC819系 電車E127系 電車E129系 電車E131系 電車E217系 電車E231系 電車E233系 電車E235系 電車E257系 電車E259系 電車E261系 電車E351系 電車E353系 電車E501系 電車E531系 電車E653系 電車E655系 電車E657系 電車E721系 電車E751系 電車EV-E301系 電車EV-E801系 電車クモハ42 電車クモハ52

カテゴリー

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村