2016年11月10日 (木)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 27 Delta MD-90-30

昨日のアメリカ大統領選挙、6月23日のイギリスのBREXITになった国民投票結果にも増して、世界を驚かした結果ではなかったでしょうか。

民主党と共和党の2人の候補、ビル・クリントン大統領のファーストレディであり、弁護士、NY州選出上院議員、さらに国務長官まで務め、これまでのアメリカ大統領と較べても遜色のない経験をもったヒラリー・クリントンが突然登場した知性も品格もない不動産王に政治の世界での勝負で敗れるというのも、常識的に考えれば、信じがたい事実かと思います。

トランプ氏の選挙戦での主張、さらにこれまでの政治に関する経験のなさから考えて、果たしてこれからの世界情勢がどうなってゆくのか、総理大臣が代わっても官僚体制があって行政の流れがリジッドな(良くも悪くもですが)我が国とは違い、政権が代わればホワイトハウスのSTAFFをはじめ、行政を担当するメンバーが総入れ替えとなるアメリカはこれからどうなるのか、非常に心配であります。

第一次世界大戦後のドイツにおいて、賠償金負担によるインフレなどで人々の不満が鬱積し、ナチスドイツの台頭を許した時代の再現でないことを祈るばかりです。

日本は1949年の夏、あの下山事件が起こった頃から、占領国アメリカの言いなりの状態でこれまでやってきましたが、これを契機に政治的に素人のホワイトハウスと主張すべきことは主張する姿勢で向き合ってゆく、あらたな日米関係を構築する良いチャンスではないかと思います。沖縄の基地の問題にしても思いやり予算や、米軍の駐留の問題などこれまでどう考えてもおかしな政策を一挙に解決できるチャンスではないでしょうか。

さてSan Diego Lindbergh空港でのSpotting、今回はDelta AirlinesMD-90-30です。

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N962DN McDonnell Douglas MD-90-30 cn53532 ln2253 2015/1/15 SAN

マクドネル・ダグラスMD-90はダグラスDC-9から発展したMD-80をさらに近代化したナローボディ機で、1989年11月に開発がローンチされ、1993年2月に初飛行、1995年4月にDelta航空で初就航しています。

2000年10月、納入分までの116機が製造されました。キャパシティは2クラス仕様で153席、モノクラス仕様で172席でした。エンジンはV2500シリーズのV2525-D5が搭載されています。

わが国でもJASが1996年から導入し、黒沢明監督の7種類の黒沢レインボー塗装で有名になりました。当時は私も羽田や地方の空港で積極的に旅客機の写真を撮っていましたので、16機全機を撮影しました。余談ですがあの頃はJA8000番台のレジから現行方式のレジに代わるころで、忌み嫌われて空き番になっていた4で終わる8000番台がJASのMD-90にアサインされたのを憶えています。そのJASのMD-90もJALとの経営統合で引き継がれましたが、2013年3月末で全機退役したそうです。

マクドネル・ダグラス社はMD-90に続き、100席クラス(2クラス106席、モノクラス117席)の短胴バージョンとしてMD-95が1995年10月にローンチされましたが、途中でボーイングに吸収合併されたことで、こちらはBoeing 717としてデビューしました。

Delta航空は16機の新造機を手に入れ運航していましたが、ノースウエスト航空との経営統合で同社が運航していたDC-9の後継機材として、世界中の航空会社から中古のMD-90を入手し、現在世界で運行されているMD-90 75機のうち、9割に相当する65機を保有運航しています。こうすることで新造機を購入するより、コストが10億ドル以上節約になっているそうです。かつてJASが購入した16機もすべてDelta航空が購入したそうです。

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2016年5月27日 (金)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 21 American MD-82

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回はAmerican 航空MD-82です。

アメリカン航空は1930年1月25日に「アメリカン・エアウェイズ・コーポレーション」と社名登録しましたが、それ以前は82社からなる「アメリカン・エアウェイズ」のブランド名で纏まった航空集合体でした。

N216aa_mcdonnell_douglas_md82_dc9_2 N216AA McDonnell Douglas MD-82 cn 49167 ln 1099 2003/1/13 SAN

ニューヨークを本拠地としてボストン、ニューヨーク、シカゴとダラスへの路線を運航し、ダラスからはロサンゼルスへ繋ぐことにより、早くから長距離路線によるコネクション方を編み出しました。設立当初の運行機材は主にフォッカー トライモーターフォード トライモータを利用していました。

N271aa_mcdonnell_douglas_md82_dc9_2 N271AA cn 49293 ln 1212 2005/1/21 SAN

1934年、数々の運搬会社を保有するコード・ホールディングス社がアメリカン・エアウェイズを買収し、現名のアメリカン航空に社名変更しました。当時はダグラス社と積極的に飛行機設計の提携を結び、1936年には共同によりダグラス DC-3の開発と運航に成功。長距離用のDC-3を導入後、運行機を「フラッグシップ」(旗艦)、空港ラウンジを「アドミラルズ・クラブ」(提督クラブ)などと航海用語を自社ブランドへ使い始めました。また当時のブランドイメージとして機長席の窓から四星の「提督ペナント」旗が掲げられていました。

N461aa_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N461AA cn 49566 ln 1497 2002/1/17 SAN

第二次世界大戦後、欧州路線への拡張としてアメリカン・オーバーシーズ航空を子会社として設立しました。しかし1950年にアメリカン・オーバーシーズ航空は当時のライバル・パンアメリカン航空へ売却されました。同時期にアメリカン航空はメキシコ主要都市へ路線を拡大してゆきました。

1959年1月25日Boeing707で初のジェット機による大陸横断便を運航。1960年代にはアメリカ本土の西と東海岸をノンストップ便で結ぶジェット旅客機が積極的に導入され、当時の宇宙開拓ブームにより「アストロジェット」として親しまれました。

1962年にはIBM社との協力で世界初の電子航空予約システムSABREを導入。これにより今まで紙と鉛筆で行っていた予約システムがコンピューター管理で可能になり予約の効率性を高めることに成功しました。

この時代、アメリカン航空はユナイテッド航空、デルタ航空、イースタン航空と共に「Big4」と呼ばれる大手国内線航空会社へと成長してゆきました。

N477aa_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N477AA cn 49652 ln 1529 2005/1/21 SAN

1979年に本拠地をダラスに移し、ダラスがアメリカ本土の中心地点であるという地理的条件を利用し、路線図をスポーク&ハブ・システムに組み替えました。1981年からダラス・フォートワース国際空港とシカゴ・オヘア国際空港を主要ハブとし、欧州や日本への路線を拡大してゆきました。

1990年、経営難のトランス・ワールド航空からロンドン・ヒースロー空港への路線権利を4億4500万ドルで獲得し、同年、経営難のイースタン航空からマイアミ空港のハブと中南米路線の権利を購入し、1990年代以降、アメリカン航空はマイアミのハブを最大限に利用し、カリブ海や中南米への路線開拓へ力を注いでゆきました。

1998年に、ブリティッシュ・エアウェイズカナディアン航空、キャセイパシフィック航空、およびカンタス航空と共に航空連合「ワンワールド」の結成を発表しました。

2001年4月、長い間経営難に悩まされていたトランス・ワールド航空とセントルイスのハブ権利を買収。大手ライバルを吸収することによってアメリカン航空の成長に期待感が生まれました。

N575am_mcdonnell_douglas_md82_dc982 N575AM cn 531521 ln 875 2008/1/18 SAN

同年の9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件では、国内線の11便と77便がハイジャックされてテロに使われ、そのため利用客が激減して経営が悪化し、一時期は破産寸前まで追い込まれました。ユナイテッド航空・デルタ航空・ノースウエスト航空といった大手の同業他社が連邦倒産法第11章の適用を申請して破産宣告する中、アメリカンも破産宣告をする案が社内で議論されたましが、「機内サービスを減らし、コストダウンを図れるところは何でもし、何とか持ち直す」方法で破産を回避しました。

徹底的なコストダウン、機体重量の軽量化、ポリッシュドスキンボディの維持などを行い、2007年には業績利益を達成するまでに至りましたが。2008年頃からの燃料費の上昇で、2011年11月29日、ニューヨーク州裁判所に連邦倒産法チャプター11の適用を申請し、破綻に至りました。

以降の歴史は次回の記事で。

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2016年5月 8日 (日)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 20 TWA MD-83

San Diego Lindberg空港で撮影した旅客機、今回は今は亡きTWA航空MD-83です。

N9401w_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N9401W McDonnell Douglas MD-83 cn53137 ln 1872 2002/1/17 SAN

撮影時期からして、TWAがアメリカン航空に吸収合併された後、まだ同社の塗装のまま飛んでいた機体を撮影したものです。

TWA航空 (Trans World Airlines)の設立は1925年で、当時の名前はウエスタン・エアー・エキスプレスでした。1930年1928年創立のトランスコンチネンタル・エアー・トランスポートと合併し、トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアーと改名しました。その後、ハワード・ヒューズによる経営などで、世界を席巻する航空会社として君臨する黄金時代を迎え、ロッキードコンステレーションシリーズの導入、パンアメリカン航空と張り合っての国際線進出などの時代がありましたが、2001年12月アメリカン航空に吸収される形でその名前が歴史の彼方に消えて行きました。

TWAのその後の歴史は、以前、西ベルリン・テーゲル空港での記事で触れましたので今回は省略します。

N9401w_mcdonnell_douglas_md83_dc9_2 N9401W

この機体、初飛行は1992年6月19日で、1993年7月19日にTWAに納入されました。2001年12月2日、吸収合併により、アメリカン航空に転籍となり、現在も同社で現役で活躍中です。

TWAのフリートリスト
によると、MD-80タイプは104機所有しており、うち39機がMD-82、残り65機がMD-83でした。
65機のうち、1機 HL7271としてKorean Air Linesに納入されたcn49785 ln 1628はTWA時代もEI-CIWのレジで飛んでいましたが、その後Meridianaに移り、現在Kam Air (YA-KMD)として活躍中、これ以外の64機はアメリカン航空で活躍中です。

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2015年11月19日 (木)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 13 Aeromexico MD-82

San Diego Lindbergh 空港で見かけた旅客機の話題、今回は以前、Boeing 737-700の話題で一度登場したAeromexico 航空MD-82です。

Xatlh_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ XA-TLH MD-82 (DC-9-82) cn 53119 ln 1956 2005/1/21 SAN

航空会社としての歴史はBoeing 737-700の記事に書いた通りで、MD-82はAeromexicoがローンチカスタマーとなった機体でもあります。

Md82_aeromexico
表1 Aeromexico MD-82 Fleet list    データはPlanespotters.netから

表1にMD-82のフリートを纏めましたが、53機が登録されています。いずれも今日ではリタイアしておりますが、XAのメキシコ国籍で登録された機体は18機と1/3程度で、圧倒的にアメリカレジの機体が多いことがわかります。

MD-82は1979年4月16日MD-81よりも強力なエンジンを搭載したMD-80シリーズのバリアントとして発表されました。いわゆる高地、高温地路線向け、あるいは従来のスタンダード路線における高ペイロード、レンジ向け需要に応える機体でした。初飛行は1981年1月8日同年7月29日、FAAから耐空証明を取得、初号機は1981年8月1日Republic Airlinesに納入されました。最終のデリバリーは1997年11月17日、台湾のU-Land Airlinesにされました。

世界的にはアメリカン航空が最大のオペレーターで300機以上を運用していたこともありました。20,000 Ibf (89kN)の推進力を持つJT-8D-217Aエンジンを装備し、29℃以上、もしくは5000ft以上の高地での離陸を保証しました。最大離陸重量は当初67,000kgで、後に67,800kgまで増やされました。燃料タンクは22,100リットルで、155名の乗客を乗せ、3800kmの航続距離でした。

中国において1986年11月からShanghai Aviation Industrial Corporation (SAIC) がアメリカから提供されるキットを用いて組み立てを上海で開始し、Y-13という貨物機バージョンの設計も行いましたが、ライセンスアセンブリーの終了でその計画はキャンセルとなりました。2012年Aeronautical Engineers Inc.がMD-82の貨物機コンバートを開始しました。

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2015年5月 8日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その31 オーストリア航空 MD-81

東西統一前の西ドイツDüsseldorf Airportで撮影した旅客機の話題、今回はオーストリア航空です。

Oeldp_cn_48015_924_mcdonnell_dougla OE-LDP cn 48015 ln 924 McDonnell Douglas MD-81 1989/5/4 DUS

オーストリア航空はオーストリアのフラッグキャリアで、経営的にはルフトハンザグループの一員です。

1923年5月3日、Walter Barda-Bardenauがオーストリア政府から航空会社設立の認可を貰い、Austrian Airlinesの設立に参加します。といっても資本金的には50%が the Austrian railway transportation institution、49%がthe Junkers-Werke、彼の出資比率は1%でした。フリートはJunkers F13で占められ、1923年5月14日にウィーン~ミュンヒェン間をHans Bauerの操縦で初飛行しました。

この時期のオーストリアは第一次世界大戦の敗戦後、オーストリア=ハンガリー二重帝国の崩壊後で工業生産力の強いチェコが独立し、オーストリア共和国としては経済的に自立して国際社会で生き残るためにはドイツとの合併以外に道はないと考えられていました。

Austrian AirlinesJunkers Trans European Unionの一部として運航した関係でその目的地にはMunich, Budapest, Nuremberg, Graz, Klagenfurt、St. Wolfgangなどが含まれていました。1926年Unionは解体し、1927年から政府のサポートで新たな機材を購入し、Deutsche Lufthansaとのパートナーシップのもと、ウィーンからベルリン、ミラノ、ブダペストなどの路線を開拓しました。世界恐慌の後にはJU52などもフリートに加わりました。1938年3月、ヒトラー率いるナチスドイツがオーストリアを併合(Anschluß)するとそれまで同航空会社が計画していたローマ、パリ、ロンドン線の計画は破棄され,完全にルフトハンザの支配下になり、商業的運航権も剥奪されました。

第二次世界大戦後、ナチスドイツの消滅により,オーストリアの併合は解消され、ドイツから分離しますが、国営航空はありませんでした。そこで、Österreichische Luftverkehrs AGとしてAir AustriaとAusrian Airwaysが1957年9月30日に合併して創業したのが今に続くオーストリア航空です。1958年3月31日Vickes Viscount 779により、ウィーンからチューリヒ、ロンドンへ初飛行を行いました。国内線は1963年5月1日に、大西洋横断便は1969年4月1日にウィーンからブリュッセル経由でSabena Airlinesと共同で運航を開始しました。

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OE-LDP

ジェットageになると最初に導入した機材はSud Aviation Caravelle1963年2月18日から1973年まで使用しました。1971年からはDouglas DC-9-32, 1975年からはDC-9-51、さらに1977年からSwissairとともにDouglas DC-9-80の最初のユーザーとなり、1980年代にはMD-81, MD-87, MD-83と繋がってゆきます。
1990年代にはSwissairが提唱したQualiflyerグループの一員となり、長距離路線の拡充に務め、中国や南アフリカへ進出しました。
2000年にはStar Allianceのメンバーとなり、Lauda Airも傘下に収めます。さらにTylolean Airwaysも傘下に収めました。2006年には財政事情の悪化から緊縮財政に務め、長距離路線用の機材のAirbus A340A330を売却し、Boeing 777 Boeing767に機材統一を図ります。

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OE-LDY cn 49115 ln 1135

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最後にオーストリア航空が導入したDouglas DC-9 SeriesのFleet Listを載せます。情報はいつものようにPlanespotters.netから得た情報をもとに表にしています。

日本でもかつてはA310,その後A340,そして現在はB777で乗り入れており,後進ではありますが、なじみ深い航空会社です。私も2010年1月のウィーン出張で往復利用しました。

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2015年4月24日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その30 SAS DC-9

冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf 空港で撮影した写真の紹介シリーズも30回目となりました。今回は我が国でもなじみの深い、スカンジナビア航空 Scandinavian Airlines System, SASDouglas DC-9です。

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LN-RLC cn 47179 ln 335 McDonnell Douglas DC-9-41 1989/5/4 DUS
こちらはノルウェーのレジのDC-9

スウェーデン4、デンマーク3、ノルウェー3の割合で出資して、それぞれの国の政府が50%の株式を保有するという3カ国によるナショナルフラッグキャリアーです。ストックホルムのアーランダ国際空港がアメリカ、カナダなどの大西洋路線の拠点に、コペンハーゲンのコペンハーゲン国際空港が中国、日本などアジア諸国への便の拠点となっています。

その歴史は1918年、2月ノルウェーにDNL(Det Norske Luftfarsrederi)、10月デンマークにDDL(Det Danske Luftfarselskab)、そして1924年スウェーデンにABA(AB Aerotransport)が設立されたことに始まります。1940年6月にこの3社の合併の合意がなされたものの、ナチスドイツのノルウェー侵攻で白紙となりました。第二次世界大戦終結後の1946年8月1日、漸く設立にこぎ着けます。1946年9月17日、最初の運航が開始されました。

1951年4月、南回りバンコク線を延長する形で日本への乗り入れを開始した我が国にとって古参の国際線キャリアーです。またポーラールートの開拓に積極的で、1954年にはDouglas DC-6Bを使い、コペンハーゲンとロサンゼルスを、グリーンランドのSøndre Strømfjord、カナダのWinnipeg経由で結び、さらに1957年にはDC-7Cによるアンカレジ経由コペンハーゲン~東京便も就航させています。当時、ソ連はシベリア上空通過を承認していなく、中国も解放されていなかったため、アンカレジ経由のルートは北極経由の世界一周サービスとして広めました。その後、続々とヨーロッパのキャリアーがこのルートに参入しました。
因みに余談になりますが、地球温暖化で北極の氷が減り、ヨーロッパから、アイスランド、北極海経由でアラスカに抜ける海路が開けるというニュースも数年前に聞いたことがありました。

1959年Sud Aviation SE210 Caravelle の運航が開始され、ジェット時代に入り、1971年にはBoeing 747 の運航も始まりました。またこの時期にタイ政府との合弁でタイ国際航空を設立しています。
その後、ノルウェーのBraathens、 Widerøe、スウェーデンのLinjeflyg、Skyways Express、デンマークのCimber Airなどの国内航空を傘下に入れ、さらにコンチネンタル航空の親会社のTexas Air Corporationの株式の18.4%と取得し、British Midlandの20%やスペイン第二の航空会社Spanairの95%を手に入れ、グローバルな経営展開を進めました。

1997年5月にはエアカナダ、ルフトハンザ、タイ、ユナイテドとともにスターアライアンスを設立しています。尤もこの4年前にKLM、オーストリア航空、SwissairとAlcazarと呼ばれる企画で航空連合を作ろうとしましたが、失敗していました。2001年、出資に関して変化があり、それぞれの国の比率が半分に抑えられ、残りの50%が公開株式となりました。
その後、アメリカの9.11による航空不況やLCCの台頭によるコストの削減など経営を取り巻く環境は悪化していますが、2013年には久しぶりに営業利益がある決算となり、なんとか持ち直してきているようです。2014年は再び、赤字に転落しましたが。

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OY-KGH cn 47493 ln 562 DC-9-41 1989/5/7 DUS
こちらがデンマーク国籍 OY-KGHといえば、Starallianceの初期に登場したSASの胴体輪切り塗装のBoeing767-383/ER OY-KDH を思い出します。

現在のフリートは

Airbus   A319-100      4
           A320-200     13
           A320neo                  30 ordered 11 opt
           A321-200      8
           A330-300      4          4
           A340-300      8
           A350-900                 8              6
Boeing  717-200        5
           737-600      27
           737-700      30
           737-800      29
Bombardier CRJ900 12    となっています。

スカンジナビア航空の塗装、現在は灰色をベースに、紺と赤をあしらったものに変わっていますが、個人的にはこちらの塗装の方が好きでした。

Dc9_fleet

DC-9は全部で66機運航されており、そのリストをいつものようにPlanespotterslist.netのデータを参考に作成しました。

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2015年4月13日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part1

San Diego Linbergh空港での撮影記録、今回からはハワイ州と並んでアメリカ50州のなかでは他州と隣接しない州であるアラスカ州の航空会社であるAlaska Airlinesの機体に触れようと思います。
N933as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N933AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 49234 ln 1204 2002/1/17

わたしも人生最初に海外で上陸したのはアラスカ州でした。といっても入国したのではなく1986年に新婚旅行で初めの海外、ヨーロッパに飛んだ際にアンカレジに給油のため立ち寄ったためでした。今ではヨーロッパに飛行機で行くといっても直行便が当たり前になって、その昔は南回り、アンカレジ経由、モスクワ経由便があったこと自身が忘れられようとしていますが。
860614_anc Stop Over Alaska の表示や「うどんや」ののれんもアンカレジ空港の懐かしい思い出に 1986/6/14

アラスカはもともとロシア帝国の領土でしたが、1867年3月30日、アメリカ合衆国が買収し、いくつかの管理形態を経て1912年5月11日にアラスカ準州となり、1959年1月3日にアラスカ州となりました。50州の中で面積は最大ですが、人口密度は最小の州です。

N947as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N947AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 53020 ln1789 2005/1/21

アラスカ航空の歴史やフリートに関しては次回の記事で詳しく触れる予定ですが、創業は1932年にアンカレジ~ブリストル・ベイ間の地域航空会社、マクジー航空として創業す、冷戦時代地理的な関係からソ連への定期便も運航していたそうです。1980年代のDeregulationで急成長を遂げました。本拠地はワシントン州のシアトルです。

N948as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N948AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn53021 ln1801 2008/1/18

この航空会社のフリートの特徴は1990年代までは圧倒的にMD80シリーズ一辺倒であったのが、近年はBoeing 737NG一辺倒であることです。そこで今回はSan Diego Lindbergh空港で撮影したMD-83の写真を紹介し、次回はBoeing 737の写真を紹介することに致します。

アラスカ航空が起こした事故として記憶に新しい事故が2000年1月31日、メキシコのプエルト・ヴァリャルタ国際空港発、サンフランシスコ経由、シアトル行きの261便が水平安定板の角度を調整するスクリューに対する不適切なメンテナンスの結果、潤滑油が欠乏し、固着してしまい操縦不能に陥り、ロサンジェルス北西の太平洋に墜落し、乗員5名乗客83年が犠牲になった事故です。会社が他社との競争のためメンテナンスの頻度と質を落としたために起こるべくして起こった事故として厳しく責任を問われた事故でした。

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2015年3月27日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その28 Swissair MD-81

このシリーズでは統一前の西ドイツ時代の1989年の初夏に留学先の西ベルリンから週末休暇を利用して、西ドイツ本土ルール地方の主要都市であるDüsseldorfを訪問し、その際に空港で撮影した旅客機を航空会社や機種ごとに紹介して来ました。

3月24日午前10時41分頃(現地時間)に南フランス(17 km (10.6 mls) SW of Barcelonnette)で発生したGermanwings 4U9525便(バルセロナ発デュッセルドルフ行)乗客乗員150名搭乗のA320-211(D-AIPX)の墜落事故はドイツ在住の邦人2名が乗客名簿にあるということもあり、日本でも連日、大きく報道されています。
まず、この事故で犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

この事故に関して、現時点で明らかになっていることは、

10:00 バルセロナ空港を離陸
10:27   フライトレベル380 (38000フィート)に到達
10:30  IRMARのポイントに直行するという無線交信を最後に交信が途絶える。

管制側のレーダー記録では
10:31 マルセイユ東方で海岸線を横切る。
10:40:47 6175フィートで機影が消失

この間、乗務員から緊急事態を告げる連絡は一切無く、38,000フィートから6,800フィートまで3710フィート/分の急降下をしているということです。ブラックボックスのうち、ボイスレコーダーは回収されており、音声を聞いてみると、どうやら2名のコックピット乗務員のうち、一名がコックピットから閉め出されたような形跡があること。IFR(フライトレコーダー)は容器は見つかっているが、本体は未発見とのこと。

以上、Aviation Safety Networkの記事と新聞等の情報を参考にしました。

今回は今は亡き、スイス航空のMD-81について触れようと思います。

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HB-ISX cn49844 ln 1579 1989/5/5 DUS

スイス航空(Swissair, S.A/AG: IATA: SR, ICAO: SWR)はかつて「空飛ぶ銀行」とも言われた堅実な経営で有名な航空会社で、1931年に創業し、1990年代後半にはクロスエア、バルエアを傘下に治め、SAirグループを形成し、サベナ・ベルギー航空と資本提携し、クオリフライアー航空連合の盟主まで務めた航空会社でしたが、傘下に収めたサベナ航空やフランスの航空会社の業績悪化、さらに1998年にカナダ・ハリファックス沖で起きたMD-11による111便事故、そしてアメリカ同時多発テロによる航空需要の落ち込みで2002年に倒産に至りました。

Hbisx_cn_49844_1579_mcdonnell_dou_2 HB-ISX

国営航空が存在しないわけには行かないので、子会社だったクロスエアが政府の援助を受けて資産を受け継いで経営しているのが現在のスイスインターナショナルエアラインズとスイスヨーロピアンエアラインズです。

今回は会社の歴史の概要に留め、機材の変化や路線拡張の様子は次回の記事で触れます。

Hbisx

写真のHB-ISXは1989年3月にデリバリーされたばかりの機体でした。そのためか、現在も現役でイランのKish航空フリートのメンバーです。またこの機体はMD-81として製造されていますが、搭載燃料量を増やし、最大離陸重量が増えて、MD-83にコンバートされた機体です。データはPlanespotters.netのものを参考に致しました。

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2015年3月 6日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その27 アドリア航空のDC-9 (MD-82)

1989年初夏のDüsseldorf空港シリーズ、今回はAdria AirwaysDC-9 (MD-82)です。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ YU-ANC McDonnell Douglas MD-82 (DC-9-82) (cn 48087 ln 1035)  1989/5/7 DUS

現在は白いボディにADRIAと大書されたマーキングで有名なスロベニアのフラッグ・キャリアですが、当時はユーゴスラビア連邦の航空会社でした。

設立は1961年3月と比較的新しく、同年8月KLMから2機のDC-6Bを購入し、Zagrebを拠点にオランダ人クルーにより、商業運航を開始しました。同時期、アドリアのクルーと技術スタッフがJAT Yugoslav Airlinesと空軍にて技術を習得しました。1961年12月には自前のスタッフにより、最初の運航が行われました。

チャーター便運航事業により、西ドイツ、英国、オランダ、スカンジナビアの空港からアドリア海沿岸都市へと利用する乗客が徐々に増加し、1964年にはアメリカやカナダからのチャーター便も飛ばすようになり、国際連合のための便も運航するようになりました。同年にはリュブリアナに新たな空港が開港し、拠点を移しました。やがてDC-6Bによる運航では競争力がなくなり、1967年には経営危機に陥り、1968年にセルビアのベオグラードを拠点にしたInterExportと合併し、社名もInex-Adria Airwaysと改め、フリートの刷新が開始されました。

1969年、最初のジェット旅客機のDC-9-30 (115席仕様)を入手し、チャーター業界でシェアが拡大し始め、1969年9月、リュブリアナ~ベオグラード間の定期便運航を始めました。その頃にはSud Aviation Caravelle, Douglas DC-8, BAC One-Elevenなどもフリートに加わりました。1972年には大西洋横断便もDC-8-55*に刷新しましたが、翌年には撤退しました。1970年代後半、Adria Airlinesは最も定時率の高いチャーター航空会社として表彰されました。当時のこうしたビジネス上での成功はGrimex社との建設的な連携が大きく貢献しており、また西ドイツとの人の流れも大きく貢献していました。国際的なビジネスのみならず、ユーゴスラビア国内路線もこの頃充実が図られました。

*このDC-8-55 (cn 45883 ln 308)は1965年10月20日Seaboard World Airlinesに貨物機として納入された機体で、N806SWという登録記号が最初に与えられていますが、1970年2月1日から1972年3月31日まで同じレジでJALにもリースされていました。その後、YU-AGBとユーゴのレジが登録されましたが、使われずN806SWでInex-Adria Airwaysに1972年4月20日から、10月8日までリースされました。

この時期、1972年3月から1981年12月にかけて、アドリア航空に関係した事故が5件、起きており、かなりの数の犠牲者が出たことが教訓となり、アドリア航空は訓練や技術レベルを高める研修の充実化が図られるようになったとのことです。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc98_2 YU-ANC

1981年には3機のMD-80を購入しますが、12月にそのうちの1機 (YU-ANA cn 48407 ln 998) がコルシカ島のサンピエトロ山に激突し、搭乗者全員が犠牲となる事故に遭遇します。1984年には西ドイツやスイスで働く出稼ぎ労働者のためにリュブリアナ~ベオグラード~ラルナカの初の定期国際便を運航開始しました。同年、新たにAirbus A320 5機の購入を決定し、2機のDash7もサラエボ冬季オリンピックに備えて購入しました。1985年には4機のDC-9-30, 2機のDC-9-50, 1機のMD-81,3機のMD-82、2機のDash7とさらにもう一機のMD-82とフリートが増加してゆきました。

1986年、特定の企業が膨張するのを制限する法律により、Inexグループを離れ、再度名前をAdria Airwaysとしました。さらにIATAに加盟しました。1989年、最初のAirbus A320が納入され、IAEエンジンを搭載した最初の機体となりました。

ユーゴスラビア連邦の崩壊、スロベニアの独立宣言(1991年6月25日)の3日後、ユーゴスラビア連邦軍がアドリア航空のハンガーを爆撃し、納入されて1年未満のA320やDC-9-30, Dash7などが大きく損傷し、さらに機材の登録や保険などでも大きなハンディを背負うことになりました。

1992年、Adria Airwaysは新興独立国スロベニアのフラッグキャリアになり、これまでのチャーター便をメインとした事業体系から大きく転換を余儀なくされました。

ここから先はまたの機会に。

Duesseldorf空港で撮影したMD-82 YU-ANCですが、Plane Loggerのサイトで履歴を調べてみると

Yuanc
1982年にYU-ANCとして登録されInex Adria Airwaysのフリートに加わっており、写真の頃は丸7年が経過した頃でした。スロベニア独立後もS5-ABBのレジでアドリア航空のフリートでしたが、最後はアメリカに渡り、バリュージェットレノエアーで活躍した後、最後はSpirit Airlinesのフリートだったようです。

Inex-Adria Airwaysで検索すると1989年当時の同航空会社のfleet listが出てきますが、MD-82はYU-ANC 1機で、あと2機のYU-AJZ(cn 48046 ln 977)YU-ANB (cn 48048 ln 1005)はいずれもMD-81でした。因みに1981年の導入の年にコルシカ島サンピエトロ山に激突して失われたYU-ANAはまだ当時はDC-9-81と呼ばれていました。

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2015年2月20日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その26 イベリア航空のDC-9

1989年初夏、当時西ドイツDuesseldorf空港で撮影した旅客機の話題、今回はイベリア航空のDC-9の話題です。

Ecbiu_cn_47314_279_mcdonnell_dougla
EC-BIU cn 47314 ln 279 McDonnell Douglas DC-9-32 1989/5/4 DUS

イベリア航空といえばかつて成田にも就航していた航空会社でスペインのフラッグキャリアーでもあります。首都マドリードを本拠地とし、設立はIberia, Compañía Aérea de Transportes として1927年6月27日に世界でもかなり初期に誕生した航空会社です。最初の飛行は同年12月14日でした。操業開始から1年以内にスペイン政府が出資し、マドリード~バルセロナ間の郵便飛行も手がけています。その後、スペイン内戦(Civil war)の時期,航空会社はMiguel Primo de Rivera独裁政権の支配下に置かれますが、1944年9月30日国営化され,内戦で荒廃したスペインの産業を復興させる産業機構(INI:Instituto Nacional de Industria)の一部になりました。
1946年にはDouglas DC-4を使っていち早くヨーロッパと南米、マドリード~ブエノスアイレス間に就航させます。1953年のアメリカとの協定(Pact of Madrid)ではスペインの外交的孤立が解け、 アメリカ国民がビザなしでスペインに入国できるようになり、1954年のモントリオールにおける国際航空博覧会での条文修正によって多くの人々の行き来がチャーターフライトなどによって活性化されました。

1980年代後半から1990年代にかけてスペイン内の他の航空会社、Aviaco, Viva Air, Binter Canarias and Binter Mediterraneoや南米のAerolíneas Argentinas, Viasa や Ladecoと提携することで利益を上げ、1987年にはLufthansa, Air France, SASと協力してAmadeusという発券システムも立ち上げました。1998年11月30日、それまで唯一南回り、ヨーロッパ線を運航していましたが、この日を以て日本路線から撤退しました。

1999年にはBA, Americanなどが主導する航空連合Oneworldのメンバーにもなりました。

2001年4月3日に民営化され、2006年にはMadrid Barajas空港の新ターミナル4がイベリア航空のターミナルとなりました。
2008年7月、BAとの合併計画が発表され,2010年4月に合併し、10月6日からBA, AA, Iberiaによる共同運航の大西洋横断便が就航しました。2011年1月21日、この合併は新たな航空会社連合 International Airlines Group (IAG)へと進みました。

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EC-BQU cn 47447 ln 563 DC-9-32 1989/5/7 DUS

今回は2機のDC-9-32が登場しました。Iberia航空が保有したDC-9のFleetを調べてみると

Iberia_airlines_dc9_fleet
表1 Iberia航空 DC-9 Fleet List Planespotters.netから

上記の表のように最初、-10タイプをオーダーした様ですが、発注を切り替え-30タイプにして、47機使用しています。

Ecbiu
EC-BIUの登録記号を付けたcn 47314の機体はIberia航空から以前,紹介したViva Airに移り、その後は貨物機としてAirbone Expressで活躍し続けました。

Ecbqu
一方、EC-BQUの登録記号を付けたcn 47447の機体はアルゼンチンの航空会社AUSTRALのFleetに加わりましたが、2000年にリタイアしています。
どちらもイベリア航空在籍当時はCiudad(City)の名前が愛称として付けられていました。

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