1976/3 関西へ 9 阪和線貨物 EF15 EF58 その他
阪和線貨物もいよいよ最終回ですが、今回はEF15、EF58、ED38、ED16 について触れたく思います。
1976年3月に阪和線を訪問した際に、それぞれワンショットですがEF15の牽く貨物列車とEF58が牽く貨物列車を撮影する機会がありました。
EF15 120号機が前補機として貨物列車を牽引 熊取 1976/3
1978年10月の紀勢本線電化まではEF15の竜華区配置は58, 99, 120の3両でしたが、電化開業で最盛期は18両まで増えたようですね。
EF15 1981.4.1の配置
58,99, 120, 123, 125, 147, 158, 169, 172, 173, 174, 181, 184, 185, 186, 189, 190, 202
EF58 66号機が前補機として貨物列車を牽引 鳳 1976/3
原型大窓機の66号機は人気が高く、退役後も保存運動が起こったそうですが、残念ながら解体されたようですね。こういった貨物牽引の様子は紀勢本線電化前は見られたようですが、電化後は客車牽引運用に専念したようです。
EF58の竜華機関区の配置は電化前は1977.3.31時点での7両(21,22, 24, 28, 39, 40, 66)が最大で、電化後は製造第一号機、21号機の廃車(全国的に見て最初の廃車であったそうですが)もあって、メンバーは 24, 39, 42, 66, 99, 139, 147, 149, 170などが配置されていました。
かつて紀勢本線には夜行の普通列車「南紀」が運行されており、電化に伴う改正で「はやたま」と改称され、天王寺~新宮間はEF58が牽引しました。1984年2月の改正で寝台車が廃止になり、「はやたま」の名称もなくなり、紀勢本線新宮~和歌山間の普通客車列車とともに12系化されたのですが、自動ドアの開閉や連続するカーブでの台車空気バネの伸縮で空気を消費する関係で牽引するEF58 9台に元空気ダメ引き通し管が設置されたそうです。
(データはイカロス出版機関車ハンドブック、EF15XEF58 昭和50年代の記録を参考にしました)。
阪和線の貨物を語る上で忘れてはいけない機関車が、阪和電気鉄道ロコ1000形で4両製造されて活躍し、国有化後はED38の形式名を与えられました。
50t級・B-B軸配置で13m級箱型車体の、昭和初期の私鉄機関車としては大型な車両で
1930年の阪和天王寺 - 東和歌山間全通に備え、まず2両(ロコ1001・1002)、翌1931年に1両(ロコ1003)が東洋電機製造・日本車輌製造で製造されました。その後南海鉄道との合併後の1942年に合計3両(ロコ1004 - 1006)の追加新造が計画・申請されましたが認可は1両分しか下りず、その後再度3両(ロコ1005 - 1007)の追加新造が申請されましたが、こちらも認可されなかった。このため、戦時中の増備車は資材難もあって国鉄買収後の1944年6月に1両(ロコ1004)が完成したに留まりました。
ED38として阪和電気鉄道、南海電鉄、国有化後も重宝され、上越線からED16が阪和線にやってきても高速性で優位に立っていたようです。
国有化後はED38という形式を与えられた阪和鉄道のロコ1000形
同機ら3機は後年秩父鉄道に移り、石灰岩輸送に活躍し、そのトップナンバーは今でも三峰口の展示場に展示されています。国鉄がEH10を開発する際に先輪無しのED38の台車は良きモデルとしてボギー台車設計の手本となったそうです。(以上、WikipediaのED38の記事を参考に記述しました)。
独特の腰高のスタイルが印象的な機関車です。
かつて阪和線で働いたことがあるED16 立川機関区にて 1976/3
一方、ED60が配備される前に阪和線で活躍していたのがED16で1950年から1970年まで在籍していました。晩年は立川機関区に配属となり、青梅線の石灰石輸送に活躍しました。
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