今回は、阪和線貨物列車について触れたく思います。
11/29の記事でも書きましたが、かつて阪和線には和歌山市駅と杉本町間で貨物営業がなされておりました。2003年4月1日をもって廃止されましたが、私が訪問した1976年は竜華機関区があり、そこに配備されたED60,ED61, EF15, EF58らの機関車によって阪和線を貨物列車が走る風景が見られました。そして現在はレールも無くなってしまった様ですが、杉本町から関西本線の久宝寺駅そばの竜華操車場まで阪和貨物線が通じており、貨物列車のみならず、かつては短期間ですが特急「あすか」なども走っていました。同貨物線に関しては、「とらねこの鉄道写真館」さまのサイトに懐かしいお写真がたくさん掲載されています。
数回に渡って、貨物列車の写真をアップしますが、今回はED60について記述します。
ED60形機関車は1958年に大型機の入線できないローカル線や買収線区向けに国鉄が製造した直流機関車で、交流電気機関車のED70形の経験を基に、国鉄制式としてはED16形以来実に四半世紀ぶりの中型直流電気機関車として設計されたものです。
ED60の顔というかスタイルはひとつのグループを形成しており、交流機ではED70、ED71,直流機ではED60、ED61、ED62そして交直両用機ではEF30が仲間ですね。
新規設計の直流直巻整流子電動機であるMT49を台車に2台搭載し、当時流行のモータや線路に与える衝撃の少ないクイル式駆動(歯数比は82:15=5.466)で製造されました。後年、異常振動などの問題からのちに再び吊り掛け式が主流となり、本形式についても1977・1978年に特修工事としてリンク式へ駆動装置を改造されています。総括制御に対応し、直列11段、並列9段、弱め界磁4段よりなり、兄弟機のED61形とは異なり、電力回生ブレーキ機構は省略されています。
1958年に最初の3両が大糸線で関西電力黒部川第四発電所の建設資材輸送を行う目的で製造され、1号機が三菱電機・新三菱重工業で、2号機が川崎電機製造・川崎車輛で、3号機が東洋電機製造・汽車製造で製造されました。1959年から1960年にかけて、東洋・汽車および川崎で4 - 8号機までが製造された。しかし軸重が旧形の中型機に比べて重く、また消費電力が大きいため、特に支線区では変電所容量が不足するなどの問題点もあり、それ以降の追加製造は見送られました。
1 - 3号機は大糸線(配置:北松本電車区、のち松本運転所北松本支所)で、4・5号機は仙山線(作並機関区)で、6 - 8号機は阪和線(鳳電車区、のち竜華機関区)でそれぞれ運用されました。
大糸線で使われていた1 - 3号機については、1号機はダム工事完了後も貨物列車を中心に使用され、終始北松本を拠点に運用された。これに対し、2・3号機についてはダム工事終了後の1962年に甲府機関区へ戻され、1965年4月に一旦八王子機関区へ転属後、同年夏にED60形の追加投入を求める声が大きかった鳳電車区へ送り込まれました。これらは1972年まで阪和線で運用された後、老朽化が著しくなりつつあったED21形等を置き換えるべく再度北松本支所へ転属となって1号機と合流し、最終的に3両体制に戻って1985年12月から1986年1月にかけて順次除籍されました。(以上、Wikipediaの国鉄ED60形電気機関車の記事を参考に記述しています)。
大糸線貨物列車を牽引するED60 2号機 松本 1980/5/3
仙山線に配置された4・5号機は、試作交流電気機関車との比較試験を実施することを主目的として配置されたが、単機で定格出力が1,560kWに達する本形式は仙山線の変電所容量に適合せず、運用すると電圧降下が甚だしかったことから、試験終了後、1960年8月付でED60形の追加投入が強く求められた鳳電車区へ転属しました。
ED60 4号機 重連前補機としてコンテナ列車を牽引 1985/4/21
ED60 4号機 後部補機としてEF15牽引貨物列車を助ける 熊取 1976/3
ED60 5号機 単独で小貨物列車を牽引
阪和線に投入された6 - 8号機は、車体長の短さが待避線の厳しい有効長制限をクリアし、大きな軸重も大消費電力もともに全く問題とならない、という同線の特殊事情に良く適合し歓迎されたようです。
また、阪和線運用機は4t分の死重を機械室の空きスペースに積載し、運転整備重量をED61形と同じ60.00tにアップすることで粘着性能のさらなる向上を図っていたようです。
ED60 6号機 5373レを牽引して杉本町から貨物線へ 1976/3
ED60 8号機 鳳駅側線へ 待避 1976/3
私は見たことありませんが、紀勢本線の旅客列車が客車列車だった頃、天王寺駅の行き止まりホームの線路の有効長の関係から車長の短いED60は歓迎された様です.特に冬場の暖房車を繋げた編成などにおいても。
30年弱の長きに渡って活躍したED60ですが、1986年3月のダイヤ改正でEF60に替わる形で全機廃車となりました。EF60が竜華に配属になったことはEF60の記事 を書いた際にWikipdiaの記事で読んでいましたが、そのEF60も1986年11月の改正でお役ご免となり、JRには継承されなかったのですね。
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