振り返れば5月5日から、この新潟シリーズを続けて参りましたが、今回からは今JR東日本で最もHOTな話題と思われる、485系特急「いなほ」について触れようと思います。この秋に装いも新たにしたE653系に置き換えられる485系特急「いなほ」が登場したのは1972年10月2日のダイヤ改正でした。
以前、申しましたが私の上野駅デビューは1972年10月のことで、確か8日だったと思いますが、そのとき初めて鉄道車輌撮影目的でカメラを持って駅へ出かけました。高校2年でした。尤も、その年の夏休みには母の実家があった山口県萩に出かけており、その際に鉄道撮影を行っているので、厳密には10月が初めての鉄道撮影ではないのですが。
1972年10月2日のダイヤ改正といえば、日本海縦貫線、最後まで残った白新線・羽越本線全線の電化が完成し、全線が電化された改正でした。特急「白鳥」が登場以来のキハ82系から485系化され、ヨンサントウで特急「はつかり」を追われ、特急「つばさ」、「いなほ」、「ひたち」で活躍していたキハ81形一族が東北から、和歌山の地に活躍の場を移したのもこの改正でした。キハ81形DC特急「いなほ」には間に合いませんでしたが、485系電車特急「いなほ」の歴史は私の鉄道写真趣味歴とほぼ重なることになります。因みに同改正ではダイヤがパターン化した特急を「エル特急」と呼ぶようになり、東海道新幹線「ひかり」が初めて米原に停車するようになり、北海道では札幌を起点とする初めての特急「オホーツク 」が新設されました。
上野駅地平ホームで僚友の特急「やまびこ」と並んだ特急「いなほ」
1972年当時485系の顔であるクハ481のスタイルは、ボンネットタイプの0番台、100番台、貫通タイプの200番台、非貫通タイプの300番台と続々と新しい顔が出てきており、それぞれの特急がどの顔で来るかが撮影の興味の的でもありました。
青森運転所(盛アオ)の運用だった特急「いなほ」や「やまびこ」の場合、1972年6月頃から、1973年1月頃までは100番台(ボンネットスタイル)が配置されたものの、短期間で大ムコに転出してしまったため、以降は300番台が新製配置される1975年5月頃までは200番台オンリーの時代が続きました。
自動解結装置装着のクハ481-200番台を先頭に大宮に進入する特急「いなほ」
そういった単調な盛アオの200番台クハの中で異彩を放っていたのが、自動解結装置を装着したクハ481で、203、204,207、208の4両が在籍しました。1972年8月から9月にかけて盛アオに新製配置された車両です。
話はずれてしまいますが、この4両のその後を追ってみると、
1975年9月には特急「つばさ」の電車化で秋田運転所に転属し、
1976年4月に485系1000番台が配置されると南福岡電車区(門ミフ)に転属となり、
1985年3月には日根野電車区(天ヒネ)に転属し、特急「くろしお」の運用に就いています。1986年秋には204が福知山運転所へ、それ以外は南福岡に戻っています。204はクロハ481-214に改造後、クロハ183-801に再改造され、B41編成の先頭車として「北近畿」で活躍しました。踏切事故の名残で貫通扉は固定されました。
門ミフに戻った3両は207が1988年2月に鹿児島に転属、203,208は2000年3月に廃車になるまで門ミフで働き続けました。
207は1994年7月に大分車両センターに転属、2000年3月に大分で廃車となっています。
私も「ひばり」「やまびこ」「はつかり」さらに九州に転じたあとの「にちりん」「かもめ」で撮影しております。
まずは、特急「いなほ」登場前後の羽越本線を中心とした列車の歴史を見て行こうと思います。
1962年3月10日:新潟駅 - 秋田駅間を運行する準急列車として、「羽越」が運行を開始しました。キハ58系気動車が使用され、蒸気機関車が牽引する急行列車よりも速かったそうです。 この列車が設定される前は、羽越本線を通過する優等列車としては、大阪駅 - 青森駅間を運行する特別急行列車「白鳥」、急行列車「日本海」と、上野駅発着の夜行急行列車「羽黒」がありましたが、羽越本線のみを運行する列車としては初めての設定でした。
1963年4月20日:金沢駅 - 秋田駅間を運行する急行列車「しらゆき」が運行開始。
奥羽北線内の前山~二ツ井間を「きたかみ」と併結して南下するキハ58系上り急行「しらゆき」 1981/3
当時よくあった多層建て急行で下り「しらゆき」の場合は、金沢~糸魚川間は急行「白馬2号」を併結、秋田~青森は急行「きたかみ1号」を併結していました。
1965年10月1日:「羽越」の運行区間を上野駅まで延長し、列車名を「鳥海」に変更しました。
1968年10月1日:「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、新潟駅 - 秋田駅間を運行する急行列車として「羽越」が再び設定されました。ただし、運行時間は新潟駅朝発・夕方着と当時のダイヤ上では空白となっていた時間帯に運行されました。従来「羽黒」と称された羽越本線経由上野駅 - 秋田駅間運行の夜行列車の名称を「鳥海」に統合。従前昼行列車で運行していた「鳥海」は上り下りとも「鳥海1号」と称されました。
1969年10月1日:上野駅 - 秋田駅間を高崎線・上越線・信越本線・羽越本線(水原駅経由)経由で運行する特別急行列車として「いなほ」1往復が運転を開始。これと引き替えに従来同区間を運行していた気動車急行「鳥海1号」は季節列車となりました。 「いなほ」にはキハ80系気動車が使用されました。所要時間は上野駅 - 秋田駅間が8時間10分、秋田駅 - 上野駅間が8時間15分、酒田駅 - 上野駅間が6時間44分で、それまでの急行利用に比べ1時間半以上も短縮されました。上越線特急「とき」および奥羽本線特急「つばさ」の輸送補助の名目で設定されましたが、それまで羽越本線内を運行する特別急行列車は大阪方面のみの設定であり、沿線の新潟県下越地方や山形県庄内地方、秋田県南部と東京を直通する特別急行列車は初めてでした。
秋田運転所 キハ80系気動車 7両編成
←上野
DcDsDdDDDDc×2 所要2
いなほ(1)、ひたち(1)
秋田925-1740上野1810-2112平
平645-945上野1350-2200秋田
Dc×2 D×2 Ds×1 Dd×1
長岡で逢った上野行き上り特急「いなほ2号」2044M 1975/11/3
この頃はすでに盛アオにクハ481形300番台が新製配置されており、特急「いなほ」にも新顔が見られる様になっていました。
1972年10月2日:羽越本線電化に伴うダイヤ改正により、「いなほ」に485系電車を導入。また、青森駅までの1往復が増発され、「いなほ」計2往復となりました。季節列車として運行していた気動車急行「鳥海1号」は「いなほ」に格上げされ消滅しました。夜行の「鳥海」は存続しました。急行「羽越」が1往復増発され2往復体制となりました。 「いなほ」の485系は青森運転所の12両編成を使用し、一部の「やまびこ」や一部の「ひばり」と共通運用されました。そのため、「はつかり」への485系投入までは青森駅発着の「いなほ」で青森運転所の入出庫を行っていました。
青森発の上り「いなほ1号」と顔を揃えたED75牽引の東北本線寝台特急「ゆうづる」 1975年夏北海道から夜行便の青函連絡船で青森に着いたときに見た光景でした。この「いなほ」運用が1973年4月に「はつかり」に485系が投入されるまでは東北特急に盛アオの485系が入るための運用だったのですね。
青森運転所 485系電車12両編成
TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc×8 所要7
いなほ(2)、やまびこ(1)、ひばり(4)
青森730-1739上野‥東大宮
東大宮‥上野900-1257仙台1405-1804上野‥東京1855-2254仙台
仙台810-1204上野1300-1904盛岡
盛岡900-1504上野1700-2056仙台
仙台910-1309上野1430-2203秋田
秋田610-1339上野1400-1758仙台1850-2244上野‥東大宮
東大宮‥上野1030-2035青森
休
M'M×2 Tc×4 Ts×1
1978年の改正ではこれまで通過駅としていた余目駅を停車駅に加えました(2・5号の1往復)。
秋田運転所 485系電車12両編成
←上野
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×12 所要9
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(1)
休
秋田1350-2139上野‥尾久
尾久‥上野803-1555秋田
秋田641-1433上野1519-2303秋田
秋田1148-1940上野‥尾久
尾久‥上野1033-1516山形1755-2240上野‥東大宮
東大宮‥上野1203-1955秋田
秋田820-1610上野1703-2146山形
山形955-1439上野1533-2016山形
山形755-1240上野1330-2122秋田
1979年7月1日:ダイヤ改正に伴い、「いなほ」秋田駅発着列車を1往復増発し、「いなほ」上野駅 - 秋田駅2往復・上野駅 - 青森駅1往復の3往復体制となりました。「羽越」の下り列車に坂町駅まで「あさひ」が連結され、多層建て列車として運行されました。上越新幹線の開業に先立ち、1982年7月以降いなほ3・4号の食堂車営業休止に伴いサシ481形の連結がなくなり11両編成となりました。
485系1500番台をラストに上野に向かう特急「いなほ」 1982/3/28 二ツ井~前山
北海道に渡り、特急「いしかり」に投入された485系1500番台も耐寒耐雪装備の点で問題ありとなり、1980年10月に青森に転属しました。特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」などの運用を担当するようになり、特急「いなほ」でもその姿を見ることができました。
秋田運転所
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×14 所要11
つばさ(3)、やまばと(3)、いなほ(2)
休
秋田1350-2139上野‥尾久
尾久‥上野803-1555秋田
秋田641-1433上野1519-2303秋田
秋田1148-1940上野‥尾久
尾久‥上野1033-1516山形1755-2240上野‥東大宮
東大宮‥上野1203-1955秋田
秋田820-1610上野1703-2146山形
山形955-1439上野1533-2016山形
山形755-1240上野1330-2122秋田
秋田1351-2133上野‥尾久
尾久‥上野719-1502秋田
Tc×2
1982年11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、急行「羽越」が廃止。急行「しらゆき」が特急列車に昇格し、「白鳥」1号・4号となりました。「いなほ」が、気動車急行「羽越」2往復と大阪駅 - 青森駅間を運行していた急行「きたぐに」の新潟駅 - 青森駅間を吸収、新潟駅 - 秋田駅・青森駅間5往復体制となり、エル特急に指定されました。これにより、上越新幹線接続列車として1往復を除き新潟駅発着に変更されました。 車両は青森運転所の485系9両編成で、福井駅発着の「白鳥」1号・4号と一部の「はつかり」と共通運用がくまれました。上越新幹線の始発駅が大宮駅であることから、上野駅 - 青森駅間(水原駅経由)1往復のみ、特急「鳥海」として存続させることとなり、 車両は従前の「いなほ」3号・4号同様、青森運転所の485系12両編成で、大阪駅発着の「白鳥」2号・3号と共通運用が組まれました。
青森運転所 485系電車 12両編成
←上野、新潟
TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc×6 所要4
白鳥(1)、鳥海(1)
休
青森450-1825大阪‥向日町
向日町‥大阪955-2351青森
青森756-1834上野‥尾久
尾久‥上野1030-2113青森
同 9両編成
TcM'MM'MTsM'MTc×11 所要8
白鳥(1)、いなほ(5)、はつかり(3)
休
青森955-2159福井‥南福井
南福井‥福井548-1803青森
青森453-715盛岡830-1105青森1302-1940新潟‥上沼垂
上沼垂‥新潟720-1124秋田1346-1740新潟1905-2306秋田
秋田829-1230新潟1515-1920秋田
秋田534-939新潟1205-1613秋田1720-2122新潟
新潟905-1550青森
青森740-1015盛岡1130-1405青森1440-1715盛岡1830-2105青森
M'M×9 Td×16
上越新幹線開業後も乗り換えの便などを考慮して、1往復存置された青森までの特急「いなほ」でしたが、愛称は「鳥海」と変更されました。
ということで、特急「いなほ」の上野~青森間の列車は「鳥海」として存続しましたが、上越新幹線の開業で特急「いなほ」は新幹線に連絡する羽越線特急に性格を変えました。
続きは明日の記事で。
尚、485系の編成、配置、運用データはいつものように「485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧」のサイトの情報を参考にさせて戴きました。またテキストはWikipediaの文章を参考にまとめました。
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