2023年11月 7日 (火)

2023年 北九州旅行 その64  門司から博多へ 鹿児島本線駅巡り その2 遠賀川駅

鹿児島本線の駅シリーズ、今回は遠賀川駅です。西小倉駅から西へスペースワールド、八幡、黒崎、折尾など、これまでに降りた駅は数駅あるのですが、今回の旅では降りてませんので、遠賀川に飛びます。

230601_20231106072201 2023/6/1 駅名標

遠賀はかつては「おか」と読んだそうで、日本書紀や万葉集にも記述がみられるそうです。1890年11月15日、九州鉄道が博多駅方面から延伸してきた路線の赤間駅~当駅間が開業した際に開設されました。開業時は遠賀郡島門村と浅木村の境目に駅が設けられたそうですが、1908年7月1日の遠賀川河川改修で現在地に移転しました。このときに鞍手郡鞍手町の室木駅までの11.2kmを結んだ室木線が開業しました。敷設の目的は沿線の炭鉱から算出する石炭の運炭でした。1978年7月25日には古月~室木間の貨物営業が廃止され、1981年9月18日には第1次特定地方交通線として廃止が承認され、1984年2月1日、遠賀川~古月間の貨物営業も廃止となり、1985年4月1日、全線廃止となり、西日本鉄道のバスによる輸送に転換となりました。

室木線は山陽新幹線の建設現場に近かったことから、以前石炭の積み込みに使われていた室木駅構内の空き地等が軌道工事区として利用されることとなり、室木駅から室木トンネルの工事現場まで専用線が敷設され、新日本製鉄八幡製鐵所で製造された25mレールが軌道工事区で溶接され100m-150mのレールとなり、枕木を取付け、専用線を使って現場に輸送され、さらに溶接し,1km以上のロングレールとなって敷設されてゆきました。

1915年4月13日にはやはり石炭輸送を目的に当駅から西芦屋駅までの6.0kmを結んだ芦屋鉄道が開業しました。同鉄道は軌間762mmの軽便鉄道でした。しかし経営が苦しく1932年4月25日には廃止となりました。第二次世界大戦終了後、芦屋町に建設されていた日本陸軍芦屋飛行場を進駐軍が接収し、米軍芦屋基地とし、資材・物資輸送のため、旧芦屋鉄道の路盤等を利用して建設されたのが芦屋線で当初は進駐軍専用側線として1947年3月2日に開業、1950年から大蔵省所有路線(建設費用が大蔵省の終戦処理費から捻出されたため)となり、同年2月10日から一般旅客営業も開始されました。しかし朝鮮戦争の勃発等もあり、芦屋基地が輸送基地となり、物資の輸送量が増加し、貨物主体の路線であり、正式な国鉄路線ともなかなか認知されず、全国版の時刻表にも掲載されなかったようです。1961年6月1日、米軍芦屋基地の返還と共に廃止されました。

100829-3

100829

2010/8/29 レールセンターのチキ5500形と牽引用機械

山陽新幹線建設工事の際の経験からか、遠賀川駅の5番のりばの南側にはJR九州の子会社である「九鉄工業」が運営する「遠賀川レール技術センター」がありました。同センターでは黒崎駅から送られてくるレールをロングレールに加工する工事などが行われていました。2010年頃、同センターは廃止となり、跡地にはJR九州と九鉄工業による合同の研修施設「遠賀川施設実習センター」が設置され、中堅社員やグループ企業の土木・施設関係職員の検査・作業技術の向上を目的に、各種の実習が行われ、施設関係の事故の展示なども行われています。

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2018/1/18 火事で焼失した駅舎に代わって設置された仮駅舎

2017年8月30日、午前8時ごろ、駅構内のたい焼き店付近から出火し、駅舎が全焼したのも記憶に新しいことでした。

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2023/6/1 885系 SM-2編成

883-ao18-100829 2010/8/29 883系 AO-18編成

787-bm10-171014 2017/10/14 787系 BM-10編成

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2023/6/1 ED76 83 1091レ

Ef81-301-1008292010/8/29 EF81 301

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2017/10/14 EH500-46

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2023年7月17日 (月)

2023年 北九州旅行 その20 鹿児島本線で頑張る国鉄型電機 ED76 

2023年3月のダイヤ改正後、門司機関区に引き続き配置されるED76形は基本番台が81,83の2両、1000番台が1015、1016、1017、1018、1019、1020、1021、1022の8両となっています。
前回の全般検査からの年数で全検切れが迫り、休車措置がとられなければ運用終了となりますが、一番早いのが83号機の2023年11月、最も先なのが1016号機の2029年3月となっています。ただ、1016号機は2019年8月19日に運用中に故障し、2020年6月には小倉工場に入場、廃車かと思われましたが、車籍は残されました。ただ現在も運用には入っておらずEF81の運用離脱車同様に留置線に留め置かれているようです。

2023年3月のダイヤ改正ではED76はA51~A58の8仕業を担当しており(それ以外に本来EF510-300が担当するはずのA31仕業もありますが)鹿児島本線下り、1091レ、5075レ、4083レ、1063レ、4099レなどが撮影可能時間帯に走行しています。

Ed76-83-1091-230601-2

2023/6/1 遠賀川 1091レ ED76 83号機

Ed76-1017-2088-230603 2023/6/3 小倉 2083レ ED76 1017号機単機

Ed76-1018-1091-230531 2023/5/31 小倉 1091レ ED76 1018号機

Ed76-1018-4083-230601-4 2023/6/1 博多 4083レ ED76 1018号機

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2023年7月12日 (水)

2023年 北九州旅行 その19 日豊本線貨物4075レを牽引する国鉄型電機 part2 ED76 1020号機

北九州旅行の最終日6月3日の朝、4075レの牽引機もしかしたらEF510-301号機6月1日に続いて隔日で来るかと期待しましたが、来たのはED76 1020号機でした。

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Ed76-1020-4075-230603-2

2023/6/3 小倉

門司機関区では2023年3月ダイヤ改正前までは日豊本線貨物列車2往復のうち、4075レ~4074レのA36仕業はEF81、4071レ~4076レのA55仕業はED76の担当でした。ダイヤ改正で4075レ~4074レはA31仕業となり、EF510-300番台担当となり、A55仕業はそのまま、ED76担当で残されました。3月改正前にもED76がA36仕業を代走することはしばしばあったようですが、ダイヤ改正以降、EF510-301号機のとrブル発生以降、かなりの頻度でED76がA31仕業を担当する日があるようです。

ED76 1020号機は日豊本線南宮崎〜鹿児島間の交流電化に備えて増備された昭和53年度第1次債務車で1979年8月に東芝で竣工しています。新製配置は鹿児島機関区でした。1000番台の第3ロットで主電動機の MT52A → MT52B 化、台車鋼板の変更、計器用変圧器の非PCB化、運転室側窓のアルミユニットサッシ化、ナンバープレートのステンレスエッチング文字化など一部の仕様が変更されています。

それではこれまで撮影した同機の写真を

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撮影時期不詳 門司 「あさかぜ」牽引機交代

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2008/12/8 八幡

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2010/3/17 八代

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2012/12/22 西小倉

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2018年1月24日 (水)

2017年10月の福岡旅行 5 鹿児島本線 香椎駅 その1

地元、西武鉄道の話題を3日間続けた後に再び、2017年10月の福岡旅行の話題に戻ります。

1710152017/10/15

今回は鹿児島本線と香椎線が交わる香椎駅です。この駅も中線、上り通過列車用の線路がある関係で編成全体を撮影しやすいことから、鹿児島本線のこの区間ではよく写真を撮影してきた駅であります。

 

051209 2005/12/5 門司港方面
左側の線路が鹿児島本線上り線、上り通過線、下り線、右側の線路が香椎線
香椎線はこの先の九産大前の先で鹿児島本線をオーバクロスし、海の中道の西戸崎方面に向かいます。奥正面の大きな建物は九州産業大学のビルで、学会等で行ったことがあります。

 

051209_22005/12/5 博多方面

この駅はJR九州の駅であると同時に、JR貨物が第一種事業者となっている鹿児島本線貨物支線(博多臨港線)の登記上の起点駅でもあります。

開業は九州鉄道により、博多~赤間間が開業した1890年9月28日1904年1月1日博多湾鉄道粕屋線西戸崎 - 須恵間が開業した際に同線の香椎駅も出来ました。同線は1905年6月1日に新原まで延伸、そして同年12月29日、宇美まで延伸し、全通となりました。

香椎線と言えば松本清張の小説「点と線」を思い出しますし、

051210

未だ、参詣はしてませんが、香椎宮の参拝下車駅でもあります。

100830駅ホーム上にはこういったことを周知するそれらしきものが多く見受けられます。

香椎駅で撮影した鹿児島本線の列車から、

885_sm2_1710152017/10/15 885系 SM2編成

885_sm2_051210 2005/12/10 885系 SM2編成
同じ編成ですが2005年当時は黄色でした。
もともと「白いかもめ」としてデビューした885系も「ソニック」として活躍するようになりました。

 

883_ao1_0512092005/12/9 883系 AO1編成

 

883_ao7_0512082005/12/8 883系 AO7編成

今は濃紺の883系も登場時はこんな塗色をしていました。

 

787_bm12_0512082005/12/8
「つばめ」でデビューし、現在はいろいろな特急に使用される787系BM12編成

783_cm25_0512102005/12/10
こちらもJR九州、特急車両元祖783系

Ef81_303_1003192010/3/19 
今は風前の灯状態かもしれませんが関門の主だったEF81300番台

Eh50070_1206052012/6/5
現在は福岡ターミナルまでですが、近い将来はさらに足を伸ばすかもしれない「関門の金太郎」こと門司機関区配属のEH500

Ed76_66_0512082005/12/8 
編成が短縮され往年の輝きを失いかけていた最晩年の「はやぶさ

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2018年1月20日 (土)

2017年10月の福岡旅行 5 鹿児島本線 赤間駅

2017年10月の旅行、これまではこの方面の出張や旅行では博多、貝塚や小倉に宿泊することが多かったのですが、今回は初めてその中間の赤間に宿泊しました。

171014 2017/10/14

門司港起点、46.5kmになり、2面4線の構造の駅です。

開業は1890年9月28日、九州鉄道が博多駅~当駅間を開通させたときに開業となりました。1909年11月5日、城山トンネル開通で遠賀川~当駅間の勾配緩和ルートが開通し、新線に切り替わりました。

171014_2 北口側の駅舎

現在の駅舎は1982年に完成した3代目で、橋上駅舎となりました。

171014_3 始発列車を待っていると北九州方面から福岡、その先に向かう貨物列車が頻繁に通過して行きます。

同駅は石炭の積み出し駅でもありました。1948年1月に操業を開始し、1956年から1959年にかけて月産約3000トンを出炭した宗像郡玄海町池田の大和炭鉱からの石炭を運搬用ケーブルで運び、当駅から貨物列車に積み込んでいました。しかし、1960年以降、月産約500トンに減少、やがて閉山となりました。

171014_4
きらめき」といえば米原~金沢間の北陸特急を思い出しますが、現在は小倉~博多間の特急に使用されています。

未成線で終わった鉄道もありました。

赤間鉄道   当駅~吉武村~鞍手郡西川村
津屋崎鉄道 津屋崎~当駅~鞍手郡宮田村~大隈町
鞍宗鉄道   当駅~鞍手郡西川村~植木町
宗像地方鉄道 当駅~東郷町~田島村~神湊町 

171014_5
元々宗像氏が領有した土地で、宿場町赤間として栄えた町ですが、駅がある場所はかつての赤間宿の中心とは離れており、駅開業で旧宿場は衰退することになりました。

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811_p106_171014 2017/10/14 811系 P106+P10編成

現行ダイヤでは深夜から早朝にかけて当駅で811系編成が留置されるようで、早朝に留置中の編成をじっくり観察することができました。811系に関しては813系同様、別記事にて詳しく触れる予定です。

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2017年6月 9日 (金)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 7 なは

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回は「なは」です。 

Hn_161015_2
この列車は昨日の記事にも出てきましたが、客車寝台特急として運行されたのは比較的後からであり、スタートは昼行DC特急でした。

列車名の由来は沖縄の本土復帰を願い、琉球新報が「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したもので、5211通の応募から「なは」「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の5つの候補から選出されました。

1961年10月1日のいわゆるサンロクトオのダイヤ改正で「おおぞら」「白鳥」「つばさ」「まつかぜ」「へいわ」などの特急がキハ82系でデビューしましたが、京都~博多間を客車で運行されていた「かもめ」もキハ82系とし、京都~長崎・宮崎の運行としました。

1965年10月1日のダイヤ改正で「かもめ」の宮崎編成を西鹿児島発着に変更し、食堂車は西鹿児島発着編成に連結し、宮崎発着は新設特急「いそかぜ」としました。そして、1968年10月1日のダイヤ改正にて、「かもめ」の西鹿児島発着編成を筑豊本線経由佐世保発着とし、長崎発着の編成にも食堂車が復活しました。西鹿児島発着の列車は「なは」として分離されました。「なは」は宮崎発着の「いそかぜ」を改称した「日向」を京都~小倉間併結し、運転を開始しました。

485_4810_1m_750306 1975/3/6 大阪 大ムコの485系 11連 「なは」

581_750306 1975/3/6 大阪 京都行き寝台特急「きりしま」

1970年10月1日、鹿児島本線全線電化完成で、「なは」は485系特急電車となり、「日向」との併結運転は取りやめられました。また、京都~西鹿児島間に581/3系による寝台特急「きりしま」が走り始めました。1974年4月25日には日豊本線の南宮崎まで電化が完成し、「日向」も電車化されました。

581
1975年3月10日のダイヤ改正で、昼行特急「かもめ」「なは」「日向」は廃止となります。寝台特急「きりしま」も廃止されますが、きりしまの運行区間の一部、新大阪~西鹿児島間に登場した寝台電車特急に「なは」の名前が与えられました。本来は「あかつき」のスジが「なは」になったのですが、1975年7月から沖縄で開催される海洋博を配慮して「なは」の名が存続されたようです。

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1978年10月2日のダイヤ改正では「明星」の京都発着列車が1往復廃止となり、「なは」の運転区間が京都~西鹿児島となりました。1980年10月1日のダイヤ改正では京都発着の「なは」が廃止され、「明星」の新大阪発着の列車が「なは」になりました。

Ed76_67_960329 1996/3/29 西鹿児島

1984年2月1日のダイヤ改正で「なは」は電車寝台から、客車寝台へ、24系25形での運行となりました。このときに九州内で初めて牽引機関車に「なは」のHMが装着されました。

Ef65_1093_000000__2 新大阪

1990年3月10日の改正では付属編成に普通座席車「レガートシート」を連結。

2425_24_301_920314 1992/3/14 新大阪

Ef65_1124_031211 2003/12/11 東淀川

Ef65_1126_050708 2005/7/8 新大阪

2004年3月13日、九州新幹線八代~鹿児島中央間が開通し、「なは」は熊本止まりに、2005年10月1日、利用客減少により、「あかつき」との併結運転に。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘

2008年3月14日、「なは」は廃止となりました。
こうやって見てみると、「なは」という愛称の列車は何度か廃止されているのですが、そのたびごとに同じ区間を走る別の列車の愛称に乗り移りながら「なは」という愛称が存続してきたのが分かります。

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2013年3月26日 (火)

1974,1975 北海道へ 5 ED76 500番台

1968年に北海道地区の電化開業用としてED76 500番台が開発されました。車軸配置と列車暖房方式が共通であることを理由としてED76形の一区分番台とされていますが、解説書などによるとこれは労働組合との約束上、形式が異なると研修等を行う必要が生じるので、上記の理由で枝番とされたと聞いております。

1968年から1969年にかけて22両(501 - 522号機)が製造されました。九州のED76基本番台がED75の60Hz版である300番台のSG搭載量産型とするならば、こちらはサイリスタ制御の試作機ED75501号機のSG搭載量産型といえるように思います。

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札幌駅で客車列車を牽いて出発待ちをするED76501号機 1975/10

外観上の特徴は大容量 SG 搭載に伴う水と灯油タンクの大型化・下枠交差型パンタグラフの装備・特別高圧機器のない屋根上・7列に配置された専用エアーフィルタールーバー・前面の貫通扉とタイフォン設置などです。これら北海道向け装備の搭載や大容量化により、車体長は基本番台より1m延長されてF級機並みの 18.4 m となりました。

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同じく札幌駅 1974/8/4

制御装置は無電弧低圧タップ切換を踏襲しましたが、位相制御は磁気増幅器に代わりED75形500番台(S形)で採用されたサイリスタとしました。S形では全サイリスタ制御方式が採用されていましたが、ED76500番台では誘導障害対策からタップ間電圧の位相制御に留まりました。電源周波数は50Hz専用です。重量貨物列車運用を考慮した重連総括制御が採用されており、スカート部には重連総括制御用のジャンパ連結器が設置されています。制動装置は重量貨物列車けん引時の制動距離短縮のため単機増圧機能を持っています。

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SGの煙を出しながら札幌駅に到着した512号機 1975/10

酷寒地での運用にあたって耐寒・耐雪対策が特に強化されており、冷却風の車内循環や自然通風による粉雪の侵入防止・特別高圧機器の室内配置・各部への凍結防止ヒーターの追加・鋳鉄制輪子を軽くあて続ける耐雪ブレーキの装備など重装備となっています。投入線区である函館本線小樽 - 旭川間は電化にあわせ軌道強化が済んでおり、全区間軸重16tでの運転が可能であったことと低規格線区への入線もないため、中間台車TR103F 形による軸重調整は重量列車起動時の抜重と冬季のSG運転に伴う水と灯油の消費に合わせた調整のみに用いられました。後に、50系51形客車連結の普通列車において出発合図を送るためのブザー回路も追加されています。
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白石駅に進入する旅客列車 1991/8/20

ED76500番台も北陸のEF70と同じように使用パンタは小樽方面固定でした。

客車列車の電車化が進展して運用が減少し、1994年までに551号機に改造された514号機を残して全車が廃車となりました。Ed76_519
小樽駅にて 519号機 1975/10

<配置・運用>

空知運転所(旧・岩見沢第二機関区)に配置され、函館本線の電化区間で急行「大雪」をはじめとする客車列車の牽引に使用されました。

旅客列車は721系電車の投入により電車化が推進されたことで運用範囲は漸次縮小しました。貨物列車などはDD51形DF200形等のディーゼル機関車を電化区間へも直通させる運用方針が既に採られており、貨物機への転用もなされませんでした。末期は5両が残存し小樽 - 岩見沢間1往復の運用に充てられていました。1994年に全車が廃車となり、同時に所属していた空知運転所も閉鎖されました。
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札幌駅にて 521号機 1975/10

1991年に改造された551号機は青函運転所(現・函館運輸所青函派出所)に転属し、津軽海峡線で快速「海峡」をはじめとする客車列車の牽引にあたりました。ED79形よりも車体長が長く、駅構内での停止位置が異なるなど運用上特段の注意を要したため「トワイライトエクスプレス」など特定の列車に集中して使用されたが、1両のみの存在ということもあって2001年に廃車となりました。

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ラストナンバー522号機 札幌駅

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2013年1月 6日 (日)

1981/11 北陸へ 1 EF70 後期タイプ その1

予算的にいうと昭和38年度第三次債務から昭和39年度第一次民有、第三次債務、第五次債務で製造されたのが、22号機から81号機までの後期タイプです。

名目は22号機から52号機が金沢~富山間電化開業であるのに対して、53号機以降は富山~糸魚川間電化開業となっており、新製配置も初期型全機と57号機までが敦賀第二機関区であるのに対して、58号機以降は58~67,72~75号機は富山第二機関区、68~71, 76~81号機が敦賀第二機関区配置となっています。

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EF70 35号機です。

EF70の第一次形がEF61と形態的に共通性が高いということは先日の記事で触れましたが第二次形はEF60の四次84号機以降、EF65、ED76(500番台を除く)、鼻筋が太い点は違いますがEF81などと良く似た顔をしています。

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まずEF60, EF65との比較ですが、車体長はEF70が16.75mに対してEF60,EF65は16.5mとEF70の方が若干長く、フィルターの面積も大きいようです。

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次にED76との比較ですが、こちらはED型でありながらSGを搭載し、その水タンクなどもある関係で車体長が17.4mと長くなっており、フィルターも6つに分かれています。

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EF80の51から63号機までの、所謂 2次形もまさに同じスタイルかと思います。ただこちらは車体長が17.5mあるため、フィルター数は7となっています。

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最後はEF81ですが、こちらは車体長18.6mでフィルターも7分割されています。

こうして形態を比較すると似た顔と思ってみていた電機もよくみれば結構違う点が多いことに気がつきます。

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37号機が貨物列車を牽引して金沢駅に入線してきました。

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50号機牽引の224列車が鳩原ループ線を行く姿です。やぶおさんの掲示板(寝台券は売り切れ満席!!)の皆さまのご協力で分かりました。ただ、このEF70ですがパンタの上げ方が北陸本線独自(北海道のED76 500もですが)の2エンド側使用になっておらず、最初下り列車と思い込み混乱してしまいました。

1981年11月、金沢で学会があり、その後、日をおかずに京都でシンポジウムが開かれたので金沢から京都に向かう行程でこの区間に立ち寄り、ループ線を行く列車の撮影を楽しみました。

Ef70_52_3
全般検査を明けて出場した直後なのでしょうか、屋根上も台車もピカピカの52号機でした。

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2012年11月13日 (火)

1975/3 関門・関西へ 10 北九州の交流機

山陽本線で関門トンネルを抜けると旅客列車の場合は門司駅到着寸前に交直のデッドセクションがあり、交流60Hz区間に入ります。貨物列車の場合は、門司駅を通り過ぎて、北九州ターミナルに向かって下り出す途中にデッドセクションがあります。

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門司駅の旅客線(手前)の交直デッドセクション(ビーム下が黄色の部分)

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貨物線のデッドセクション

現在、この地域で活躍する電気機関車は交流機ED76、交直両用機EF81,EH500の3種類になってしまいましたが、あの当時、交流機は水銀式整流器のED72、ED731000、北陸からやってきた初のシリコン整流方式のED74、赤ベコの60Hz バージョンED75300、そしてED76、交直両用機はEF30とEF81300と実に多くのタイプが活躍しておりました。前年秋の初の九州旅行でもこれらの機関車は写しましたが、今回も出来る限り、狙うことにしました。すでにEF30, EF81300に関してはその1で紹介してありますので、今回は交流機に限定します。

まずED72です。メカ的にはED71 の試作2号機で試用された乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器方式を採用し、2両の試作車が製造された後、20両量産されています。動輪4軸に加え、中間台車を持つ車体を持ち、1961年に製作された試作車はクイル式駆動を採用し、主電動機はMT103形を搭載して2,000kW級の出力規模となりましたが、1962年製造の量産車ではクイル式から吊り掛け式へ変更となり、前照灯や側面の形状が変わりました。

その試作2号機がなぜか門司駅のホームに停まっており、撮影することが出来ました。
Ed72_2_750305
Ed72_2_750305_3門司駅のホームで休む?試作2号機

水銀整流器は真空管(二極管)のようなもので保守運用の非効率と信頼性の低さという弱点があったため、1970年代にはシリコン整流器に置き換えられました。その結果、格子位相制御によるタップ間連続制御の喪失と、速度制御の高圧タップ切換依存とのこととなり、起動時の粘着性能低下や衝動の増加などの弊害を招きました。さらに列車暖房を必要とする客車列車の減少から、一部車両はSG・燃料タンク・水タンクを撤去する工事が施工されました。

Ed72_17ED72 17号機牽引の14系寝台特急「みずほ」 筑前新宮

次は姉妹機のED73です。貨物列車や寝台特急牽引用にED72からSGを外した機関車です。SG搭載の分、長かった胴体は短くなり、中間台車もなくなりました。試作車は製作されず、ED72の量産機のメカを取り入れた量産車が1962年に11両、1963年に11両製造されました。

1968年10月1日のダイヤ改正で20系客車により運転されていた寝台特急列車は、ASブレーキに中継弁 (Relay valve) ・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve) ・ブレーキ率速度制御機能を付与したAREB増圧装置付き電磁指令式自動空気ブレーキへの改造を施工し110km/hで、また10000系貨車による高速貨物列車は100km/hで運転されることになりました。九州地区では本形式が牽引に充当されることになり、対応する改造をまず1 - 12に施工し、翌年には全機1000番台化されました。ナンバーは黄色表示されていました。

Ed73_1022_750305ラストナンバー1022号機が牽引する貨物列車 小倉

Ed73_1020ED73 1020号機牽引のコンテナ貨物 筑前新宮

続いてはED74です。もともと北陸本線電化で最初に投入されたED70の増備として北陸トンネル以外の平坦区間用に1962年に投入された機関車でしたが、1961年に投入されたEF70で北陸本線は一本化されたため、6両の小グループ生産に留まりました。技術的にはD形機としては初のシリコン整流器方式の機関車となり、電圧制御は高圧タップ切り換え方式でした。1968.10のダイヤ改正で全機日豊本線に転属し、その際にED76と牽引定数を合わせるために死重搭載、元空気ダメ管の装備を行っています。

Ed74_2_750305小倉を通過する2号機牽引の日豊本線上り貨物列車

Ed74_4_750305_24号機牽引の日豊本線下り貨物列車が小倉で一時停止

軸重制限のため、走行線区は大分以北に限定され、寝台特急「富士」「彗星」牽引の輝かしい歴史も持っていますが、1978.10の改正で運用離脱・休車となり、1982年に全機廃車となったそうです。

続いてED75300番台です。60Hz用のED75 ということで、EF81300番台もあり、300番台は九州用バージョンの番台かというイメージがありましたが、金太郎(EH500)の300番台はありませんでした(笑)。ED73形の増備機として九州地区で使用するため、1965年に10両(301 - 310号機)1968年に1両(311号機)が製造されましたが、軸重の問題やSGなしで旅客列車の牽引が出来なかったことで運用効率は良くなく、増備はされずED76によって淘汰される形で1986年3月に全機が一斉廃車となりました。

Ed75_300_750305重連で鮮魚列車レサ編成を牽く
Ed75_301トップナンバーが牽くコンテナ貨物

Ed75_303_750305303号機が牽くコンテナ貨物

Ed75300_750305自動車輸送貨物(ク)を牽引

最後はED76です。現在も活躍する九州のヌシとなった機関車で、ED75にSGと中間台車を付けた仕様で1965年から製造され、0番台は94両、20系客車および10000系貨車の最高速度100km/h牽引に対応するため、電磁ブレーキ指令回路・元空気ダメ引き通し管・応速度編成増圧ブレーキ装置などを装備した1000番台が1970年から1979年にかけて23両が製造されました。
Ed76_17x_750305小倉で出発を待つED7617他重連の貨物

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2012年10月28日 (日)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その1 寝台特急「さくら」その2

昨日に引き続き、寝台特急「さくら」の1983年以降から、廃止までの歴史です。

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1981/1/3 保土ヶ谷

1983年:「さくら」に使用中のオハネ14形及びスハネフ14形のB寝台を3段式から2段式に改造するのに伴い、長期にわたりB寝台車の計画的な欠車を実施。一部の列車では、電源車であるスハネフ14形の代用に座席車であるスハフ14形を連結。

Ef66_42_850323
当時、鉄道雑誌にEF66にブルートレインを牽引されたらという妄想記事と合成写真が載り話題になりましたが、それが現実になったのが1985年3月のダイヤ改正でした。貨物列車縮減により運用に余裕が出たことに加え、「はやぶさ」の編成中にロビーカーを増結して牽引定数が増加し、EF65形では牽引力が不足するための措置でした。

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EF81 302号機から1列車牽引の大役を引き継ぎ、長崎・佐世保を目指すED76 32号機 1985/4 門司

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同改正においては九州内のブルトレ牽引機にもHMが復活しました。「さくら」は濃い緑の地にピンクの花で葉桜マークと言われました。 ED76 14 1985/4 鳥栖

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かつてブルートレイン全盛のころはこうして毎夕、さらに毎晩 東京、関西行きの寝台特急が発車待ちをしていました。 1985/4

1984年2月:1970年代半ばより合理化策の一環として廃止されていた九州島内のヘッドマークの取り付けが復活。 ちなみに、九州島内では「円盤型」と称される中華鍋に類似した半円形の形態のものが用いられた。

7月20日:長崎編成に4人用個室B寝台「カルテット」、「オハネ14形700番台」の連結を開始。また、この時期までにB寝台の2段化が完了。 従来、個室寝台は一等・二等寝台車の後身となるA寝台でのみあり、1984年時点では24系25形客車の1人用個室である「オロネ25形」が唯一の存在であった。しかし、グループ利用の促進等を目的として、初めてB個室寝台として改造された。

1985年3月:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形1000番台からEF66形に交代。これに合わせ、同区間のヘッドマークのデザインを「みどり地にピンクの桜」へ変更。

1986年11月1日:翌年の国鉄分割民営化に備え、品川運転所に集中配置されていた東京発九州行きの寝台特急客車の転配が行われ、以後、長崎編成は熊本運転所、佐世保編成は品川運転所が受け持つこととなった。 この際、熊本運転所には、向日町運転所から「明星」廃止により余剰となった14系15形(スハネフ15形4両、オハネ15形7両)も転入し、14系14形に混じって「さくら」及び「みずほ」での使用を開始した。

1988年3月13日:「さくら」編成の一部変更を行う。

1991年3月:「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため、国鉄時代から担当していたJR東日本東京車掌区が乗務を降り、JR九州門司車掌区に移管。

1992年4月8日:山陽本線須磨 - 塩屋間で下り「さくら」と山陽本線と並行して走る国道2号から転落したトレーラーとの衝突脱線事故発生。

<寝台特急さくらトレーラー衝突事故>
1992年(平成4年)4月8日、0時0分ごろ 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町の国道2号で、四輪駆動車が突然Uターンしようとしたため、後続の大型トレーラーがハンドルを切ったところ、牽引車と荷台車の連結部分が折れ曲がる「ジャックナイフ現象」が発生、制御不能に陥って四輪駆動車に衝突。さらに、道路脇の山陽本線(須磨 - 塩屋間)に転落。その直後に走行してきた下り東京発長崎・佐世保行き寝台特急「さくら」が衝突。牽引していたEF66 55と客車は全て脱線・転覆、荷台に積んでいた鋼材36トンが客車側壁に突き刺さった。さらにトレーラーと列車は炎上した上、隣線を走行してきた下り西明石行き普通電車(201系7両編成)が線路を塞いでいた客車を視認して緊急停車をしたが衝突、電車は全て脱線・転覆した。 これだけの大事故があったにもかかわらず負傷者は20名ですんだが、脱線・転覆・焼失した電気機関車・客車・電車の撤去や復旧工事のため、山陽本線のダイヤが復旧したのは20時間後であり、459本が運休し38万人の足に影響した。また、復旧作業には脱線・転覆・焼失した機関車・客車・列車を解体撤去するクレーン車が使用され、作業のために国道2号も全面通行止めになり、神戸市内の道路も渋滞することになった。なお、「さくら」の乗客は事故現場で脱線・転覆・焼失した客車で一夜を明かした後、バス代行で西明石駅まで向かい、そこから臨時新幹線で西行した。 また、事故を引き起こした運転手2名は過失往来危険罪などで逮捕・送検・起訴され、執行猶予付き禁固刑を言い渡されたほか、事故を引き起こした運転者が勤務していた運送会社は、JR各社から事故で脱線・転覆・焼失した電気機関車・客車・電車の購入金額や復旧費用など、多額の損害賠償を請求された。

1993年3月18日:「さくら」の食堂車が売店営業に差し代わる。

1994年12月3日:「あさかぜ」1・4号を臨時列車に格下げ、「みずほ」の廃止。「さくら」が小倉駅 - 博多駅間を朝のラッシュ時間帯に通過することを回避するため、「さくら」と「富士」のダイヤを入れ替え、下り「さくら」を東京発16時台から18時台へ変更。これにより、従来「さくら」が列車番号として使用していた1列車及び2列車が「富士」に変更。3・4列車となる。
また、佐世保編成を長崎編成と同一のJR九州車両の編成に変更。これにより、「あさかぜ1・4号」の廃止とともにJR東日本車両のJR九州への定期列車での乗り入れが消滅。なお、このため、従来熊本運転所所属の14系客車を長崎運転所へ転属。 これにより、長崎編成・佐世保編成双方にオロネ14形、オハネ14形700番台、オシ14形を連結。
なお、売店営業は長崎発着の編成のみで営業し、佐世保編成ではカーテンが閉められていた。
担当車掌区をJR西日本下関乗務員センターに変更。

1996年末:臨時寝台特急「みずほ」廃止。

1997年11月29日:「さくら」への「カルテット」(オハネ14形700番台)の連結を終了。また、同年12月以降「さくら」の編成中のオハネ14形が、オハネ25形100番台を改造したオハネ15形1100番台に順次置き換えられ、1997年(平成9年)度末をもってオハネ14形の置き換えを完了する。

1999年12月4日:「さくら」佐世保駅発着列車を廃止の上、熊本駅発着の寝台特急「はやぶさ」と併結運転開始。また、担当車掌区を併結される「はやぶさ」にあわせJR九州博多車掌区に変更。

「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」「さくら」として併結運転を行った。
従来「はやぶさ」「富士」は共通運用であったため、「富士」編成は「はやぶさ」編成の24系25形客車9両と「さくら」編成の14系客車6両を併結した15両編成となった。
また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台(1人用B個室寝台車「ソロ」)を改造したオハネ15形2000番台が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
「富士」・「はやぶさ」の24系編成には引き続き個室A寝台車「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結されたが、「ソロ」については前述の通り改造の上で14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。
2002年(平成14年)3月23日:「さくら」の開放式B寝台を1両、「はやぶさ」は2両減車。「さくら」は5両編成とし、「はやぶさ」は7両編成となる。 この編成で「さくら」は廃止時まで運行される。

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「さくら・はやぶさ」併結特急時代の九州内の様子 なぜかHMは装着されていませんでした。2002/3/15 小倉 機関車のすぐ後ろは「はやぶさ」編成で24系電源車付き。

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2002/3/15 小倉 そして最後尾の顔は14系と、昔ではあり得ない編成となりました。
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EF66 48号機牽引 「さくら・はやぶさ」 2004/5/30 大船
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EF66 49号機牽引 2004/9/5 海田市

2005年3月1日:「さくら」廃止。

今回もWikipediaの記事を参考に纏めました。

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