2018年1月24日 (水)

2017年10月の福岡旅行 5 鹿児島本線 香椎駅 その1

地元、西武鉄道の話題を3日間続けた後に再び、2017年10月の福岡旅行の話題に戻ります。
171015 2017/10/15

今回は鹿児島本線と香椎線が交わる香椎駅です。この駅も中線、上り通過列車用の線路がある関係で編成全体を撮影しやすいことから、鹿児島本線のこの区間ではよく写真を撮影してきた駅であります。

051209 2005/12/5 門司港方面
左側の線路が鹿児島本線上り線、上り通過線、下り線、右側の線路が香椎線
香椎線はこの先の九産大前の先で鹿児島本線をオーバクロスし、海の中道の西戸崎方面に向かいます。奥正面の大きな建物は九州産業大学のビルで、学会等で行ったことがあります。

051209_2 2005/12/5 博多方面

この駅はJR九州の駅であると同時に、JR貨物が第一種事業者となっている鹿児島本線貨物支線(博多臨港線)の登記上の起点駅でもあります。

開業は九州鉄道により、博多~赤間間が開業した1890年9月28日1904年1月1日博多湾鉄道粕屋線西戸崎 - 須恵間が開業した際に同線の香椎駅も出来ました。同線は1905年6月1日に新原まで延伸、そして同年12月29日、宇美まで延伸し、全通となりました。

香椎線と言えば松本清張の小説「点と線」を思い出しますし、

051210
未だ、参詣はしてませんが、香椎宮の参拝下車駅でもあります。

100830
駅ホーム上にはこういったことを周知するそれらしきものが多く見受けられます。

香椎駅で撮影した鹿児島本線の列車から、

885_sm2_171015 2017/10/15 885系 SM2編成

885_sm2_051210 2005/12/10 885系 SM2編成
同じ編成ですが2005年当時は黄色でした。
もともと「白いかもめ」としてデビューした885系も「ソニック」として活躍するようになりました。

883_ao1_051209 2005/12/9 883系 AO1編成

883_ao7_051208 2005/12/8 883系 AO7編成

今は濃紺の883系も登場時はこんな塗色をしていました。

787_bm12_051208 2005/12/8
「つばめ」でデビューし、現在はいろいろな特急に使用される787系BM12編成

783_cm25_051210 2005/12/10
こちらもJR九州、特急車両元祖783系

Ef81_303_100319 2010/3/19 
今は風前の灯状態かもしれませんが関門の主だったEF81300番台

Eh50070_120605 2012/6/5
現在は福岡ターミナルまでですが、近い将来はさらに足を伸ばすかもしれない「関門の金太郎」こと門司機関区配属のEH500

Ed76_66_051208 2005/12/8 
編成が短縮され往年の輝きを失いかけていた最晩年の「はやぶさ

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2018年1月20日 (土)

2017年10月の福岡旅行 5 鹿児島本線 赤間駅

2017年10月の旅行、これまではこの方面の出張や旅行では博多、貝塚や小倉に宿泊することが多かったのですが、今回は初めてその中間の赤間に宿泊しました。

171014 2017/10/14

門司港起点、46.5kmになり、2面4線の構造の駅です。

開業は1890年9月28日、九州鉄道が博多駅~当駅間を開通させたときに開業となりました。1909年11月5日、城山トンネル開通で遠賀川~当駅間の勾配緩和ルートが開通し、新線に切り替わりました。

171014_2 北口側の駅舎

現在の駅舎は1982年に完成した3代目で、橋上駅舎となりました。

171014_3 始発列車を待っていると北九州方面から福岡、その先に向かう貨物列車が頻繁に通過して行きます。

同駅は石炭の積み出し駅でもありました。1948年1月に操業を開始し、1956年から1959年にかけて月産約3000トンを出炭した宗像郡玄海町池田の大和炭鉱からの石炭を運搬用ケーブルで運び、当駅から貨物列車に積み込んでいました。しかし、1960年以降、月産約500トンに減少、やがて閉山となりました。

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きらめき」といえば米原~金沢間の北陸特急を思い出しますが、現在は小倉~博多間の特急に使用されています。

未成線で終わった鉄道もありました。

赤間鉄道   当駅~吉武村~鞍手郡西川村
津屋崎鉄道 津屋崎~当駅~鞍手郡宮田村~大隈町
鞍宗鉄道   当駅~鞍手郡西川村~植木町
宗像地方鉄道 当駅~東郷町~田島村~神湊町 

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元々宗像氏が領有した土地で、宿場町赤間として栄えた町ですが、駅がある場所はかつての赤間宿の中心とは離れており、駅開業で旧宿場は衰退することになりました。

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811_p106_171014 2017/10/14 811系 P106+P10編成

現行ダイヤでは深夜から早朝にかけて当駅で811系編成が留置されるようで、早朝に留置中の編成をじっくり観察することができました。811系に関しては813系同様、別記事にて詳しく触れる予定です。

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2017年6月 9日 (金)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 7 なは

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回は「なは」です。 

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この列車は昨日の記事にも出てきましたが、客車寝台特急として運行されたのは比較的後からであり、スタートは昼行DC特急でした。

列車名の由来は沖縄の本土復帰を願い、琉球新報が「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したもので、5211通の応募から「なは」「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の5つの候補から選出されました。

1961年10月1日のいわゆるサンロクトオのダイヤ改正で「おおぞら」「白鳥」「つばさ」「まつかぜ」「へいわ」などの特急がキハ82系でデビューしましたが、京都~博多間を客車で運行されていた「かもめ」もキハ82系とし、京都~長崎・宮崎の運行としました。

1965年10月1日のダイヤ改正で「かもめ」の宮崎編成を西鹿児島発着に変更し、食堂車は西鹿児島発着編成に連結し、宮崎発着は新設特急「いそかぜ」としました。そして、1968年10月1日のダイヤ改正にて、「かもめ」の西鹿児島発着編成を筑豊本線経由佐世保発着とし、長崎発着の編成にも食堂車が復活しました。西鹿児島発着の列車は「なは」として分離されました。「なは」は宮崎発着の「いそかぜ」を改称した「日向」を京都~小倉間併結し、運転を開始しました。

485_4810_1m_750306 1975/3/6 大阪 大ムコの485系 11連 「なは」

581_750306 1975/3/6 大阪 京都行き寝台特急「きりしま」

1970年10月1日、鹿児島本線全線電化完成で、「なは」は485系特急電車となり、「日向」との併結運転は取りやめられました。また、京都~西鹿児島間に581/3系による寝台特急「きりしま」が走り始めました。1974年4月25日には日豊本線の南宮崎まで電化が完成し、「日向」も電車化されました。

581
1975年3月10日のダイヤ改正で、昼行特急「かもめ」「なは」「日向」は廃止となります。寝台特急「きりしま」も廃止されますが、きりしまの運行区間の一部、新大阪~西鹿児島間に登場した寝台電車特急に「なは」の名前が与えられました。本来は「あかつき」のスジが「なは」になったのですが、1975年7月から沖縄で開催される海洋博を配慮して「なは」の名が存続されたようです。

581_801212
1978年10月2日のダイヤ改正では「明星」の京都発着列車が1往復廃止となり、「なは」の運転区間が京都~西鹿児島となりました。1980年10月1日のダイヤ改正では京都発着の「なは」が廃止され、「明星」の新大阪発着の列車が「なは」になりました。

Ed76_67_960329 1996/3/29 西鹿児島

1984年2月1日のダイヤ改正で「なは」は電車寝台から、客車寝台へ、24系25形での運行となりました。このときに九州内で初めて牽引機関車に「なは」のHMが装着されました。

Ef65_1093_000000__2 新大阪

1990年3月10日の改正では付属編成に普通座席車「レガートシート」を連結。

2425_24_301_920314 1992/3/14 新大阪

Ef65_1124_031211 2003/12/11 東淀川

Ef65_1126_050708 2005/7/8 新大阪

2004年3月13日、九州新幹線八代~鹿児島中央間が開通し、「なは」は熊本止まりに、2005年10月1日、利用客減少により、「あかつき」との併結運転に。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘

2008年3月14日、「なは」は廃止となりました。
こうやって見てみると、「なは」という愛称の列車は何度か廃止されているのですが、そのたびごとに同じ区間を走る別の列車の愛称に乗り移りながら「なは」という愛称が存続してきたのが分かります。

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2013年3月26日 (火)

1974,1975 北海道へ 5 ED76 500番台

1968年に北海道地区の電化開業用としてED76 500番台が開発されました。車軸配置と列車暖房方式が共通であることを理由としてED76形の一区分番台とされていますが、解説書などによるとこれは労働組合との約束上、形式が異なると研修等を行う必要が生じるので、上記の理由で枝番とされたと聞いております。

1968年から1969年にかけて22両(501 - 522号機)が製造されました。九州のED76基本番台がED75の60Hz版である300番台のSG搭載量産型とするならば、こちらはサイリスタ制御の試作機ED75501号機のSG搭載量産型といえるように思います。

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札幌駅で客車列車を牽いて出発待ちをするED76501号機 1975/10

外観上の特徴は大容量 SG 搭載に伴う水と灯油タンクの大型化・下枠交差型パンタグラフの装備・特別高圧機器のない屋根上・7列に配置された専用エアーフィルタールーバー・前面の貫通扉とタイフォン設置などです。これら北海道向け装備の搭載や大容量化により、車体長は基本番台より1m延長されてF級機並みの 18.4 m となりました。

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同じく札幌駅 1974/8/4

制御装置は無電弧低圧タップ切換を踏襲しましたが、位相制御は磁気増幅器に代わりED75形500番台(S形)で採用されたサイリスタとしました。S形では全サイリスタ制御方式が採用されていましたが、ED76500番台では誘導障害対策からタップ間電圧の位相制御に留まりました。電源周波数は50Hz専用です。重量貨物列車運用を考慮した重連総括制御が採用されており、スカート部には重連総括制御用のジャンパ連結器が設置されています。制動装置は重量貨物列車けん引時の制動距離短縮のため単機増圧機能を持っています。

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SGの煙を出しながら札幌駅に到着した512号機 1975/10

酷寒地での運用にあたって耐寒・耐雪対策が特に強化されており、冷却風の車内循環や自然通風による粉雪の侵入防止・特別高圧機器の室内配置・各部への凍結防止ヒーターの追加・鋳鉄制輪子を軽くあて続ける耐雪ブレーキの装備など重装備となっています。投入線区である函館本線小樽 - 旭川間は電化にあわせ軌道強化が済んでおり、全区間軸重16tでの運転が可能であったことと低規格線区への入線もないため、中間台車TR103F 形による軸重調整は重量列車起動時の抜重と冬季のSG運転に伴う水と灯油の消費に合わせた調整のみに用いられました。後に、50系51形客車連結の普通列車において出発合図を送るためのブザー回路も追加されています。
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白石駅に進入する旅客列車 1991/8/20

ED76500番台も北陸のEF70と同じように使用パンタは小樽方面固定でした。

客車列車の電車化が進展して運用が減少し、1994年までに551号機に改造された514号機を残して全車が廃車となりました。Ed76_519
小樽駅にて 519号機 1975/10

<配置・運用>

空知運転所(旧・岩見沢第二機関区)に配置され、函館本線の電化区間で急行「大雪」をはじめとする客車列車の牽引に使用されました。

旅客列車は721系電車の投入により電車化が推進されたことで運用範囲は漸次縮小しました。貨物列車などはDD51形DF200形等のディーゼル機関車を電化区間へも直通させる運用方針が既に採られており、貨物機への転用もなされませんでした。末期は5両が残存し小樽 - 岩見沢間1往復の運用に充てられていました。1994年に全車が廃車となり、同時に所属していた空知運転所も閉鎖されました。
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札幌駅にて 521号機 1975/10

1991年に改造された551号機は青函運転所(現・函館運輸所青函派出所)に転属し、津軽海峡線で快速「海峡」をはじめとする客車列車の牽引にあたりました。ED79形よりも車体長が長く、駅構内での停止位置が異なるなど運用上特段の注意を要したため「トワイライトエクスプレス」など特定の列車に集中して使用されたが、1両のみの存在ということもあって2001年に廃車となりました。

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ラストナンバー522号機 札幌駅

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2013年1月 6日 (日)

1981/11 北陸へ 1 EF70 後期タイプ その1

予算的にいうと昭和38年度第三次債務から昭和39年度第一次民有、第三次債務、第五次債務で製造されたのが、22号機から81号機までの後期タイプです。

名目は22号機から52号機が金沢~富山間電化開業であるのに対して、53号機以降は富山~糸魚川間電化開業となっており、新製配置も初期型全機と57号機までが敦賀第二機関区であるのに対して、58号機以降は58~67,72~75号機は富山第二機関区、68~71, 76~81号機が敦賀第二機関区配置となっています。

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EF70 35号機です。

EF70の第一次形がEF61と形態的に共通性が高いということは先日の記事で触れましたが第二次形はEF60の四次84号機以降、EF65、ED76(500番台を除く)、鼻筋が太い点は違いますがEF81などと良く似た顔をしています。

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まずEF60, EF65との比較ですが、車体長はEF70が16.75mに対してEF60,EF65は16.5mとEF70の方が若干長く、フィルターの面積も大きいようです。

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次にED76との比較ですが、こちらはED型でありながらSGを搭載し、その水タンクなどもある関係で車体長が17.4mと長くなっており、フィルターも6つに分かれています。

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EF80の51から63号機までの、所謂 2次形もまさに同じスタイルかと思います。ただこちらは車体長が17.5mあるため、フィルター数は7となっています。

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最後はEF81ですが、こちらは車体長18.6mでフィルターも7分割されています。

こうして形態を比較すると似た顔と思ってみていた電機もよくみれば結構違う点が多いことに気がつきます。

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37号機が貨物列車を牽引して金沢駅に入線してきました。

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50号機牽引の224列車が鳩原ループ線を行く姿です。やぶおさんの掲示板(寝台券は売り切れ満席!!)の皆さまのご協力で分かりました。ただ、このEF70ですがパンタの上げ方が北陸本線独自(北海道のED76 500もですが)の2エンド側使用になっておらず、最初下り列車と思い込み混乱してしまいました。

1981年11月、金沢で学会があり、その後、日をおかずに京都でシンポジウムが開かれたので金沢から京都に向かう行程でこの区間に立ち寄り、ループ線を行く列車の撮影を楽しみました。

Ef70_52_3
全般検査を明けて出場した直後なのでしょうか、屋根上も台車もピカピカの52号機でした。

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2012年11月13日 (火)

1975/3 関門・関西へ 10 北九州の交流機

山陽本線で関門トンネルを抜けると旅客列車の場合は門司駅到着寸前に交直のデッドセクションがあり、交流60Hz区間に入ります。貨物列車の場合は、門司駅を通り過ぎて、北九州ターミナルに向かって下り出す途中にデッドセクションがあります。

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門司駅の旅客線(手前)の交直デッドセクション(ビーム下が黄色の部分)

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貨物線のデッドセクション

現在、この地域で活躍する電気機関車は交流機ED76、交直両用機EF81,EH500の3種類になってしまいましたが、あの当時、交流機は水銀式整流器のED72、ED731000、北陸からやってきた初のシリコン整流方式のED74、赤ベコの60Hz バージョンED75300、そしてED76、交直両用機はEF30とEF81300と実に多くのタイプが活躍しておりました。前年秋の初の九州旅行でもこれらの機関車は写しましたが、今回も出来る限り、狙うことにしました。すでにEF30, EF81300に関してはその1で紹介してありますので、今回は交流機に限定します。

まずED72です。メカ的にはED71 の試作2号機で試用された乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器方式を採用し、2両の試作車が製造された後、20両量産されています。動輪4軸に加え、中間台車を持つ車体を持ち、1961年に製作された試作車はクイル式駆動を採用し、主電動機はMT103形を搭載して2,000kW級の出力規模となりましたが、1962年製造の量産車ではクイル式から吊り掛け式へ変更となり、前照灯や側面の形状が変わりました。

その試作2号機がなぜか門司駅のホームに停まっており、撮影することが出来ました。
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Ed72_2_750305_3門司駅のホームで休む?試作2号機

水銀整流器は真空管(二極管)のようなもので保守運用の非効率と信頼性の低さという弱点があったため、1970年代にはシリコン整流器に置き換えられました。その結果、格子位相制御によるタップ間連続制御の喪失と、速度制御の高圧タップ切換依存とのこととなり、起動時の粘着性能低下や衝動の増加などの弊害を招きました。さらに列車暖房を必要とする客車列車の減少から、一部車両はSG・燃料タンク・水タンクを撤去する工事が施工されました。

Ed72_17ED72 17号機牽引の14系寝台特急「みずほ」 筑前新宮

次は姉妹機のED73です。貨物列車や寝台特急牽引用にED72からSGを外した機関車です。SG搭載の分、長かった胴体は短くなり、中間台車もなくなりました。試作車は製作されず、ED72の量産機のメカを取り入れた量産車が1962年に11両、1963年に11両製造されました。

1968年10月1日のダイヤ改正で20系客車により運転されていた寝台特急列車は、ASブレーキに中継弁 (Relay valve) ・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve) ・ブレーキ率速度制御機能を付与したAREB増圧装置付き電磁指令式自動空気ブレーキへの改造を施工し110km/hで、また10000系貨車による高速貨物列車は100km/hで運転されることになりました。九州地区では本形式が牽引に充当されることになり、対応する改造をまず1 - 12に施工し、翌年には全機1000番台化されました。ナンバーは黄色表示されていました。

Ed73_1022_750305ラストナンバー1022号機が牽引する貨物列車 小倉

Ed73_1020ED73 1020号機牽引のコンテナ貨物 筑前新宮

続いてはED74です。もともと北陸本線電化で最初に投入されたED70の増備として北陸トンネル以外の平坦区間用に1962年に投入された機関車でしたが、1961年に投入されたEF70で北陸本線は一本化されたため、6両の小グループ生産に留まりました。技術的にはD形機としては初のシリコン整流器方式の機関車となり、電圧制御は高圧タップ切り換え方式でした。1968.10のダイヤ改正で全機日豊本線に転属し、その際にED76と牽引定数を合わせるために死重搭載、元空気ダメ管の装備を行っています。

Ed74_2_750305小倉を通過する2号機牽引の日豊本線上り貨物列車

Ed74_4_750305_24号機牽引の日豊本線下り貨物列車が小倉で一時停止

軸重制限のため、走行線区は大分以北に限定され、寝台特急「富士」「彗星」牽引の輝かしい歴史も持っていますが、1978.10の改正で運用離脱・休車となり、1982年に全機廃車となったそうです。

続いてED75300番台です。60Hz用のED75 ということで、EF81300番台もあり、300番台は九州用バージョンの番台かというイメージがありましたが、金太郎(EH500)の300番台はありませんでした(笑)。ED73形の増備機として九州地区で使用するため、1965年に10両(301 - 310号機)1968年に1両(311号機)が製造されましたが、軸重の問題やSGなしで旅客列車の牽引が出来なかったことで運用効率は良くなく、増備はされずED76によって淘汰される形で1986年3月に全機が一斉廃車となりました。

Ed75_300_750305重連で鮮魚列車レサ編成を牽く
Ed75_301トップナンバーが牽くコンテナ貨物

Ed75_303_750305303号機が牽くコンテナ貨物

Ed75300_750305自動車輸送貨物(ク)を牽引

最後はED76です。現在も活躍する九州のヌシとなった機関車で、ED75にSGと中間台車を付けた仕様で1965年から製造され、0番台は94両、20系客車および10000系貨車の最高速度100km/h牽引に対応するため、電磁ブレーキ指令回路・元空気ダメ引き通し管・応速度編成増圧ブレーキ装置などを装備した1000番台が1970年から1979年にかけて23両が製造されました。
Ed76_17x_750305小倉で出発を待つED7617他重連の貨物

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2012年10月28日 (日)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その1 寝台特急「さくら」その2

昨日に引き続き、寝台特急「さくら」の1983年以降から、廃止までの歴史です。

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1981/1/3 保土ヶ谷

1983年:「さくら」に使用中のオハネ14形及びスハネフ14形のB寝台を3段式から2段式に改造するのに伴い、長期にわたりB寝台車の計画的な欠車を実施。一部の列車では、電源車であるスハネフ14形の代用に座席車であるスハフ14形を連結。

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当時、鉄道雑誌にEF66にブルートレインを牽引されたらという妄想記事と合成写真が載り話題になりましたが、それが現実になったのが1985年3月のダイヤ改正でした。貨物列車縮減により運用に余裕が出たことに加え、「はやぶさ」の編成中にロビーカーを増結して牽引定数が増加し、EF65形では牽引力が不足するための措置でした。

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EF81 302号機から1列車牽引の大役を引き継ぎ、長崎・佐世保を目指すED76 32号機 1985/4 門司

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同改正においては九州内のブルトレ牽引機にもHMが復活しました。「さくら」は濃い緑の地にピンクの花で葉桜マークと言われました。 ED76 14 1985/4 鳥栖

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かつてブルートレイン全盛のころはこうして毎夕、さらに毎晩 東京、関西行きの寝台特急が発車待ちをしていました。 1985/4

1984年2月:1970年代半ばより合理化策の一環として廃止されていた九州島内のヘッドマークの取り付けが復活。 ちなみに、九州島内では「円盤型」と称される中華鍋に類似した半円形の形態のものが用いられた。

7月20日:長崎編成に4人用個室B寝台「カルテット」、「オハネ14形700番台」の連結を開始。また、この時期までにB寝台の2段化が完了。 従来、個室寝台は一等・二等寝台車の後身となるA寝台でのみあり、1984年時点では24系25形客車の1人用個室である「オロネ25形」が唯一の存在であった。しかし、グループ利用の促進等を目的として、初めてB個室寝台として改造された。

1985年3月:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形1000番台からEF66形に交代。これに合わせ、同区間のヘッドマークのデザインを「みどり地にピンクの桜」へ変更。

1986年11月1日:翌年の国鉄分割民営化に備え、品川運転所に集中配置されていた東京発九州行きの寝台特急客車の転配が行われ、以後、長崎編成は熊本運転所、佐世保編成は品川運転所が受け持つこととなった。 この際、熊本運転所には、向日町運転所から「明星」廃止により余剰となった14系15形(スハネフ15形4両、オハネ15形7両)も転入し、14系14形に混じって「さくら」及び「みずほ」での使用を開始した。

1988年3月13日:「さくら」編成の一部変更を行う。

1991年3月:「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため、国鉄時代から担当していたJR東日本東京車掌区が乗務を降り、JR九州門司車掌区に移管。

1992年4月8日:山陽本線須磨 - 塩屋間で下り「さくら」と山陽本線と並行して走る国道2号から転落したトレーラーとの衝突脱線事故発生。

<寝台特急さくらトレーラー衝突事故>
1992年(平成4年)4月8日、0時0分ごろ 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町の国道2号で、四輪駆動車が突然Uターンしようとしたため、後続の大型トレーラーがハンドルを切ったところ、牽引車と荷台車の連結部分が折れ曲がる「ジャックナイフ現象」が発生、制御不能に陥って四輪駆動車に衝突。さらに、道路脇の山陽本線(須磨 - 塩屋間)に転落。その直後に走行してきた下り東京発長崎・佐世保行き寝台特急「さくら」が衝突。牽引していたEF66 55と客車は全て脱線・転覆、荷台に積んでいた鋼材36トンが客車側壁に突き刺さった。さらにトレーラーと列車は炎上した上、隣線を走行してきた下り西明石行き普通電車(201系7両編成)が線路を塞いでいた客車を視認して緊急停車をしたが衝突、電車は全て脱線・転覆した。 これだけの大事故があったにもかかわらず負傷者は20名ですんだが、脱線・転覆・焼失した電気機関車・客車・電車の撤去や復旧工事のため、山陽本線のダイヤが復旧したのは20時間後であり、459本が運休し38万人の足に影響した。また、復旧作業には脱線・転覆・焼失した機関車・客車・列車を解体撤去するクレーン車が使用され、作業のために国道2号も全面通行止めになり、神戸市内の道路も渋滞することになった。なお、「さくら」の乗客は事故現場で脱線・転覆・焼失した客車で一夜を明かした後、バス代行で西明石駅まで向かい、そこから臨時新幹線で西行した。 また、事故を引き起こした運転手2名は過失往来危険罪などで逮捕・送検・起訴され、執行猶予付き禁固刑を言い渡されたほか、事故を引き起こした運転者が勤務していた運送会社は、JR各社から事故で脱線・転覆・焼失した電気機関車・客車・電車の購入金額や復旧費用など、多額の損害賠償を請求された。

1993年3月18日:「さくら」の食堂車が売店営業に差し代わる。

1994年12月3日:「あさかぜ」1・4号を臨時列車に格下げ、「みずほ」の廃止。「さくら」が小倉駅 - 博多駅間を朝のラッシュ時間帯に通過することを回避するため、「さくら」と「富士」のダイヤを入れ替え、下り「さくら」を東京発16時台から18時台へ変更。これにより、従来「さくら」が列車番号として使用していた1列車及び2列車が「富士」に変更。3・4列車となる。
また、佐世保編成を長崎編成と同一のJR九州車両の編成に変更。これにより、「あさかぜ1・4号」の廃止とともにJR東日本車両のJR九州への定期列車での乗り入れが消滅。なお、このため、従来熊本運転所所属の14系客車を長崎運転所へ転属。 これにより、長崎編成・佐世保編成双方にオロネ14形、オハネ14形700番台、オシ14形を連結。
なお、売店営業は長崎発着の編成のみで営業し、佐世保編成ではカーテンが閉められていた。
担当車掌区をJR西日本下関乗務員センターに変更。

1996年末:臨時寝台特急「みずほ」廃止。

1997年11月29日:「さくら」への「カルテット」(オハネ14形700番台)の連結を終了。また、同年12月以降「さくら」の編成中のオハネ14形が、オハネ25形100番台を改造したオハネ15形1100番台に順次置き換えられ、1997年(平成9年)度末をもってオハネ14形の置き換えを完了する。

1999年12月4日:「さくら」佐世保駅発着列車を廃止の上、熊本駅発着の寝台特急「はやぶさ」と併結運転開始。また、担当車掌区を併結される「はやぶさ」にあわせJR九州博多車掌区に変更。

「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」「さくら」として併結運転を行った。
従来「はやぶさ」「富士」は共通運用であったため、「富士」編成は「はやぶさ」編成の24系25形客車9両と「さくら」編成の14系客車6両を併結した15両編成となった。
また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台(1人用B個室寝台車「ソロ」)を改造したオハネ15形2000番台が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
「富士」・「はやぶさ」の24系編成には引き続き個室A寝台車「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結されたが、「ソロ」については前述の通り改造の上で14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。
2002年(平成14年)3月23日:「さくら」の開放式B寝台を1両、「はやぶさ」は2両減車。「さくら」は5両編成とし、「はやぶさ」は7両編成となる。 この編成で「さくら」は廃止時まで運行される。

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「さくら・はやぶさ」併結特急時代の九州内の様子 なぜかHMは装着されていませんでした。2002/3/15 小倉 機関車のすぐ後ろは「はやぶさ」編成で24系電源車付き。

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2002/3/15 小倉 そして最後尾の顔は14系と、昔ではあり得ない編成となりました。
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EF66 48号機牽引 「さくら・はやぶさ」 2004/5/30 大船
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EF66 49号機牽引 2004/9/5 海田市

2005年3月1日:「さくら」廃止。

今回もWikipediaの記事を参考に纏めました。

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2012年10月27日 (土)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その1 寝台特急「さくら」その1

大学1年の冬休み、今から思えば人生においてもっとも時間があった時期ですが、それこそ急な思いつきで、東海道線夜行列車大垣行きに乗り、名古屋に撮影旅行することにしました。金のない大学生でしたから、返りも運賃節約で東名高速バスで帰れば良いと思っての出発でした。

それでも出発前にいろいろと調べてなにが撮影出来そうか考えました。まずは1972.10のダイヤ改正で尾久から和歌山に移動して「くろしお」運用に就いているキハ81、中央西線電化後も2往復残った特急「しなの」に充当中のキハ181系、名古屋と熊本を結ぶ急行「阿蘇」、これは関東ではお目にかかれないEF61の牽引、北陸特急「しらさぎ」、名古屋と博多を結ぶ寝台電車特急「金星」といったところがまず撮影候補にあがりました。

ということで、年明けの元日の晩、東京駅から大垣行き夜行列車に乗車し、翌朝名古屋に到着しました。

まずは客車列車を紹介致します。その1は東京行き寝台特急「さくら」です。

Ef65_509_750102

東京行き寝台特急 2レ「さくら」 EF65 509 6:31到着 6:36発車

名古屋に早朝に着いて、まだこれから5時間も走る夜行列車に出会うのも不思議でしたが「さくら」の東京着11:30を考えれば納得です。

特急「さくら」の歴史を振り返って見ましょう。歴史を振り返りながらその列車についてこれまで撮影したいろいろな時代の写真を添えてゆきたく思います。

「さくら」もしくは「櫻」と命名された特急はこれまで以下の4種類があるそうです。

1.第二次世界大戦前の1923年から1943年まで、鉄道省が東京駅 - 下関駅間で運行していた第3・第4特別急行「櫻」
2.1951年より1958年まで、国鉄が東京駅 - 大阪駅間で運行していた臨時・不定期特別急行「さくら」
3.1959年から2005年まで、国鉄およびJRが東京駅 - 長崎駅間(1965年 - 1999年は佐世保駅発着の編成を併結)で運行していた寝台特急「さくら」
4.2011年から、西日本旅客鉄道および九州旅客鉄道が、山陽新幹線・九州新幹線で運行している新幹線「さくら」

今回話題にするのは3.の東京~長崎、佐世保間の寝台特急です。

1957年7月:東京駅 - 博多駅間を運行する寝台特急列車として「さちかぜ」運転開始。 「さちかぜ」の設定当初は、毎日運行の臨時列車扱いとした。また、「あさかぜ」についで2本目の寝台特急列車となり、「あさかぜ」と続行する形で運転された。
10月:「さちかぜ」運転区間を長崎駅まで延長し定期列車化。 付属編成は広島駅発着の車両を連結していた。

1958年10月:「あさかぜ」と続行する形で運転され、その上名前が似ていたことから誤乗が続出したため、対策として「さちかぜ」の名称を「平和」に改称。 また、「平和」は「あさかぜ」より東京駅を2時間近く早く出発する事となり、下り列車は翌11月に登場した151系電車使用の特急「第二こだま」と続行運転する形となった。その事で京阪神方面からの利用が辛うじて可能となった。この時「はやぶさ」も運行を開始し、「平和」と共通運用を組んだ。

1959年7月:「平和」を「さくら」に名称変更。同時に20系客車による運行を開始。

1960年7月:「はやぶさ」に20系客車が導入された。これに伴い、ディーゼル発電機と電動発電機の双方を搭載した電源車である「カニ22形」が使用されるようになる。 この車両はパンタグラフを装備しており、直流電化区間では電動発電機により編成の電力をまかなった。

1961年10月1日:本ダイヤ改正から列車番号の符番を変更。前年のダイヤ改正よりそれまで客車列車で運行されていた「つばめ」・「はと」が電車化されて以来、形式上空いていた1列車から始まる列車番号を九州特急と称された寝台特急列車群に与える。これにより、九州特急の下り始発列車であった「さくら」に1列車、その上り列車として2列車が与えられ、JR化以降となる1994年12月3日までの33年あまり使用され続けた。
 12月29日:20系客車による下り「さくら」に、山陽本線上で2時間57分遅れで運転されていた気動車準急「あきよし」が追突する事故が起こった。事故復旧に際して20系客車が使用できなくなり、急遽10系客車や在来型客車を代わりに用いたことから、マスコミから「うばざくら」と揶揄された。

1963年12月:「さくら」に二等寝台車1両を増結。この増結した車両は博多駅回転となった付属編成に連結。

1964年6月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ20形」を緩急二等寝台車「ナハネフ22形」に変更。

1965年3月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ21形」を緩急二等寝台車「ナハネフ21形」に変更。これにより、二等座席車の連結を終了。10月:「さくら」の運行区間を東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間に変更。 この改正では従来長崎駅に乗り入れていた基本編成が佐世保駅発着となり、長崎駅には博多駅で増解結していた付属編成が乗り入れることとなった。両編成の分割・併合は肥前山口駅で行なった。

「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF60形500番台からEF65形500番台(P型)に変更され、東海道本線、山陽本線での最高速度が110km/hとなった。なお、関門間はEF30形、鹿児島本線はED72形及びED73形、長崎本線・佐世保線内はDD51形が牽引した。
また、佐世保編成はスイッチバックを行う早岐駅から終着の佐世保駅まではC11形蒸気機関車がバックで牽引し話題となった。

1966年10月:「さくら」の基本編成を長崎駅発着、付属編成を佐世保駅発着に変更。

1968年6月20日:「さくら」長崎編成中に連結していたナロ20形ナハネ20形に変更。座席車の連結を終了。

1972年3月15日:「さくら」と「みずほ」「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号の使用車両を、当時「新型ブルートレイン」と称された14系客車(14系14形)に変更。

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東京駅12番線で発車を待つEF65 541号機牽引の寝台特急「さくら」 1974.8

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品川を通過する540号機牽引の特急「さくら」 1975.7 これら3枚はピンクの地に白い花のタイプのHMEf65_535_2
品川客車区より14系客車を牽引して東京駅12番線に入線するEF65 535号機 
Ef65_535_780300

11番線を通過して機回しを行う535号機 これら2枚は先のHMとは色のパターンが逆のHM

1978年7月
:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形500番台(P型)からEF65形1000番台(PF型)に交代。

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EF65 1095号機に牽引されて東京を目指す 特急「さくら」 保土ヶ谷

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こちらは逆パターンのHMをつけた1097号機 保土ヶ谷 1979/1/2
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品川客車区で昼寝中の14系寝台客車 1979/9/23

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雨の朝 筑前新宮を通過するED76 76号機牽引 特急「さくら」 1979/12/18
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同列車の後ろ姿
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長崎で昼寝中の「さくら」長崎編成 手前奥には14系15形寝台車「あかつき」の姿も見えます。 1979/12/21

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。
(1980年代以降の歴史と写真は明日の記事にて)

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2012年10月25日 (木)

1974年秋 九州一周 8 熊本から大分へ

10月5日 市内で市電を、熊本駅で125列車のED72からED76への機関車付け替えシーンなどを見た後、豊肥本線列車でまず水前寺公園へ、さらに阿蘇駅まで乗車し、九州を横断し、大分駅に到着しました。

<熊本市電>

この旅行で写したのは1201形の写真1枚でした。

1201_741005_2
1201形: 1958年、1959年に200形として東洋工機にて200 - 209の10両が製作されました。1966年のワンマン化改造とともに1200形に改められ、原番号に千位の1を加えた現在の車番に変更されていますが、200は1210に改番されました。

1978年に1202・1208が冷房化改造を受け、路面電車としては日本初の冷房車となった。他の8両も1980年までに冷房化されました。

その後、熊本も仕事で訪れる機会があり、1998年11月には通町筋で、2010年3月には熊本駅前で撮影しています。1093_100318_2
1093号 
1097_100318_2
1097号 いずれも2010年3月に熊本駅前で写したものです。

1090形 元は1955年に東洋工機にて製作された188形188・189と、1957年に同じく東洋工機で製作された190形191 - 195です。1968年にワンマン化改造する際に1090形に統合され、番号は元190形が原番号の百位と十位の間に0を入れた1091 - 1095、元188形は番号順に1096・1097に変更されています。
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通町筋の電停で電車の背後には熊本城の天守閣も見ることが出来る好撮影地です。現在は軌道緑化が進んでいるそうですね。

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1352号: 1960年、熊本国体に備えて輸送力増強を図るため、東洋工機にて350形351 - 356の6両が製作されました。形式は製造年の昭和35年にちなんでいます。200形(現、1200形)とほぼ同形態です。

1960年代に入り、モータリゼーションの進行や人件費の高騰などにより経営が悪化したことから、本形式以降、熊本市電では車両新製を打ち切り、以後は1963年 - 1965年にかけて大阪市交通局(大阪市電)から901形を譲受することになりました(熊本市電が車両の新造を再開したのは1982年の8200形以降です)。

200形に続いて1967年にワンマン化改造がされ、200形(→1200形)同様に原番号に1000を加えた1350形1351 - 1356に改番されています。その後、全車1979年に冷房化改造がされています。8201_981105
8201号:1982年に8201・8202の2両が日本車輌製造にて製作されました。8201は「しらかわ」、8202は「火の国」の愛称名が付けられています。熊本市電では1960年に新製した350形(現・1350形)以降、自局発注の新車がなく、本形式が22年ぶりの新車となりました。
1983年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。
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9201号

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9204号; 9200形 1992年に9201・9202、1993年に9203・9204、1994年に9205の計5両がアルナ工機にて製作されました。9201は熊本市の提携している姉妹都市にちなみ「ハイデルベルク」の愛称名が付けられています。車内にはハイデルベルクを紹介するパネルが掲示されており、かつてはドイツ語での車内放送が行われていました。

<<熊本駅>>

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当時の時刻表によると、写真の列車は鳥栖発西鹿児島行きの長距離鈍行の125レで、鳥栖から熊本まではED73が牽引、熊本では21分の停車時間があり、その間に牽引機がED76に交換されていました。

<<別府駅>>
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別府で偶然、見かけた大阪発大分行き「みどり」(17:41)は貫通タイプのクハでした。

大分からは14系寝台特急「彗星2号」 2034レで大阪を目指しました。途中門司での列車併結シーンは撮影は出来ませんでしたがしっかり、脳裏に刻み込みました。

<寝台特急「彗星」の歴史>

1968年10月1日:新大阪駅 - 宮崎駅間で寝台特急列車「彗星」の運転を20系客車で開始。

1970年10月1日:「彗星」を都城発着とする。

1972年3月15日:「彗星」、新大阪駅 - 大分駅間の列車を増発し、2往復体制となる。

1973年5月9日:日豊本線上り列車において車両運用の都合上、C57形蒸気機関車による重連運転で運行され、これは国鉄線内で蒸気機関車が定期特急列車を牽引した最後の事例とされる。
10月1日:「彗星」は新大阪駅 - 大分駅間の列車を2往復増発し、4往復の運行となる(都城発着は下り1号・上り3号)。また、上下2号は佐世保発着の「あかつき」と門司駅で増解結した。この増発分には14系客車が充てられたほか、新製の24系客車も1往復に充当された。「彗星」の増発に伴い「べっぷ」を廃止。

1974年4月25日:「彗星」が新大阪駅 - 大分駅(下り3・5号、上り1・2号。下り3号、上り2号は従来通りに「あかつき」と併結)、宮崎駅(下り1・4号、上り4・5号)、都城駅(下り2号、上り3号)の計5往復の運行となる。この改正で、「あかつき」とともに新製の24系25形客車が一部に投入され、2段B寝台初の列車となる。

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登場間もない頃のオハネフ25 基本番台 1975/3 下関

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荷物の積載の関係か電源車はこのようにカヤ24が使われるケースと

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当時、最新鋭のカニ24100番台が使われるケースがありました。

1975年3月10日:「彗星」は大分(下り3号、上り1号)・宮崎(下り1号、上り3号)・都城(上下2号)発着各1往復の計3往復に統合。また、上下の1・3号を583系電車での運行とする。

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581/3系 彗星 登場時は字幕でした。

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1978年10月1日:「彗星」の大分発着列車を24系25形客車による運行とする。

1980年10月1日:大分発着の「彗星」および「くにさき」を廃止。「彗星」は2往復に減少する。

1984年2月1日:宮崎発着の「彗星」を廃止。これにより「彗星」は24系25形客車による、新大阪駅 - 都城駅間運行の1往復のみとなる。

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ED7624 HMが復活 大分にて

1986年11月1日:「彗星」の車両を14系15形に変更する。
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新大阪にて

1994年12月3日
:「彗星」の車両を24系25形に変更する。

1995年1月17日:阪神・淡路大震災により東海道・山陽本線(JR神戸線)が不通となったため、「彗星」は当分の間運休となる。 「あかつき」や「なは」は被災区間を迂回する臨時列車が1月30日から設定されたのに対して、「彗星」は設定されなかった。
4月1日:「彗星」運転再開。
4月20日:南宮崎発着となる。

1997年11月29日:東京発着の「富士」が運転区間を大分駅までに短縮。これにより「彗星」は南宮崎駅に乗り入れる唯一の寝台特急になる。

2000年3月11日:「彗星」が長崎発着の「あかつき」と併結運転になり、「あかつき」に合わせて京都発着となる。同時に神戸駅の停車駅を取り消し、三ノ宮駅停車に変更する。車両も14系15形に変更する。1人用B個室寝台「ソロ」を連結。以後、廃止までこの体制で運行されることになる。

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新大阪に到着した「彗星・あかつき」 EF6645号機牽引 2003/3/27

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          廃止直前の行き先表示 2005/8/21 京都

2005年10月1日:「彗星」が廃止。

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1974年秋 九州一周 7 博多から長崎へ

10月3日 博多から長崎を目指す旅で、当時長崎本線内の特急はなく、いろいろ思案したあげく東京からの寝台特急「はやぶさ」3レに立ち席特急券で乗車することにしました。

<<博多駅>>
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ED761008号機に牽引され博多に進入する寝台特急「はやぶさ」3レ 新幹線はまだ開業していませんでしたが、博多駅の工事はかなり進んでいるようでした。

理由は20系特急であることと、鳥栖からの付属編成はマヤ20形の簡易電源車にお世話になるからでした。すでに九州内の寝台特急牽引機はHMを省略して運行していましたが、特急「はやぶさ」もご多分に漏れずの状態でした。「はやぶさ」は定刻9:14に博多を出発し、12:10に長崎に到着しました。この編成が特急「あかつき7号」で大阪に戻り、再び特急「あかつき1号」で九州に、そして特急「はやぶさ」で再び東京へに向かう運用になっていました。

<<長崎駅>>

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南シナの20系編成として「はやぶさ」「あかつき1/7」を担当していた20系付属編成 

寝台特急「はやぶさ」は基本編成が東京~西鹿児島、付属編成が東京~長崎の運用であり、あかつき1/7号は大阪発でした。鳥栖で基本編成と付属編成に分割され、付属編成の長崎までのサービス電源の供給はマヤ20が行いました。
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集中式電源方式の20系の付属編成運用の際の電源供給のために設定された簡易電源車 マヤ20

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<<マヤ20について>>

1~3

付属編成が門司 - 大分間で分割運用となったことから、電源確保のため旧形客車オハシ30形から小倉工場(現・小倉総合車両センター)で改造され1・2が門司客貨車区(現・門司機関区)に配置された。短区間用なので荷物室は省略され形式は職用車の「ヤ」とした。

1964年10月に「みずほ」付属編成が「富士」として独立した際には、定期運用から外れ1を休車とし2は予備電源車として待機体制が取られた。 1965年10月ダイヤ改正により「さくら」・「あかつき」で長崎本線・佐世保線編成分割運用が再開することになり早岐客貨車区に転属。また運用増による予備車確保の名目でスハ32形丸屋根車から3が追加改造された。

改造内容

塗色変更。
車体種車であるオハシ30形の状態を残す一方で屋根にはラジエーターファンを搭載。
旧食堂・調理室側は全て撤去の上電源室と技術員室とした。
DMH17C-G形機関・PAG7形発電機・床下燃料タンク2基設置。
本系列と連結される2エンド側連結器を密着自動式に交換。
台車は種車の平軸受TR23形が流用されたが、バネ定数を荷物車用に変更しブレーキシリンダーを2基に増加。
1エンド側にナハフ21形と同型の左右分割式愛称表示器を設置。

番号の関係

スハ33044→スハ32 381→スシ31 2→オハシ30 4→マヤ20 1
スハ32907→スハ32 244→スシ31 5→オハシ30 5→オハシ30 2005→マヤ20 2
スハ32941→スハ32 278→マヤ20 3

10~12

1968年の増発によりスハ32形丸屋根車を種車として3両が改造されたが、以下の設計変更が行われた結果10 - 12の番台区分とされた。
•車体安定のために電源室(発電装置)を車体中央部に移設し重量配分の適正化を実施。
•1エンド側に荷物室を設置したため扉が2カ所とも残存したほか、前述の電源室移設も関係し技術員室の配置・窓位置も変更。
•機関を過給機付きDMH17S-G形・発電機をPAG7A形へ変更し、出力を125kVAから165kVAに増強。

番号の関係

◦スハ33275→スハ32 612→マヤ20 10
◦スハ33450→スハ32 787→マヤ20 11
◦スハ32860→スハ32 197→マヤ20 12

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長崎到着後、客車区に引き上げたナハネフ22以下、特急「はやぶさ」の付属編成

<寝台特急「はやぶさ」の歴史>

1958年10月1日:「はやぶさ」が東京駅 - 鹿児島駅間で現行の運行経路で運転開始。 従前、同区間を運行していた夜行急行列車「さつま」を格上げする形で運転が開始される。これにより、「はやぶさ」は鳥栖駅以南の鹿児島本線を運行する初めての特別急行列車となった。運行開始時の博多駅以南の停車駅は、久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅 - 八代駅 - 出水駅 - 鹿児島駅であった。車両は(「さちかぜ」→)「平和」と同編成で組成された一般形車両を使用した。

1960年7月20日:「はやぶさ」に20系客車を投入し、同時に運行区間を東京駅 - 西鹿児島駅間に変更。 基本的には従来の編成・運用を踏襲する形となり、編成内容も「さくら」と荷物車を除き同等の物となった。
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神田側で機回し終了後、東京駅13番線に入線するEF65 505号機牽引20系寝台特急「はやぶさ」

1963年12月
:「みずほ」「はやぶさ」「さくら」に二等寝台車を1両増結。「さくら」「はやぶさ」は博多駅発着の付属編成に、「みずほ」は基本編成に連結をした。

1968年10月1日:「はやぶさ」:博多駅にて増解結を行っていた編成を長崎駅まで延長、西鹿児島発着編成とは鳥栖駅で分割併合を行う。また、長崎駅発着編成は「あかつき(下り1号・上り2号)」と共用する。

1972年3月15日:「みずほ」の使用車両を「さくら」・「あさかぜ」(博多発着の1往復)とともに14系客車に変更。「はやぶさ」列車番号が「下り3列車・上り4列車」に変更し、「みずほ」を「下り5列車・上り6列車」に変更。
この際「さくら」より浮いた1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を「はやぶさ」西鹿児島駅編成に連結。「はやぶさ」は新大阪駅 - 西鹿児島駅・長崎駅間の「あかつき(下り)1号・(上り)3号」と共用化する。

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東京機関区のEF65500が台車検車を受ける際には下関のPFが特急「はやぶさ」を牽引して東京までやってくることもありました。 1974/12/15 EF65 1017

7月20日:品川客車区での20系客車運用を変更に伴い、「はやぶさ」と「あかつき」下り1号・下り3号に連結の1人用個室付きA寝台車「ナロネ22形」を開放式A寝台のみの「ナロネ21形」に変更。

1975年3月10日:「はやぶさ」の使用車両を20系客車から24系24形客車に置き換え。また、「あかつき」との共用を解消。東京発着の「富士」「出雲」との共用する。
長崎発着だった「はやぶさ」付属編成を熊本駅まで併結に変更。代わって「みずほ」が鳥栖駅で分割併合を行い、東京駅 - 熊本駅・長崎駅発着となる。
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HMがないのが残念ですが、編成の長さは全盛期のブルートレインそのもの 1978/12 筑前新宮 ED76 1007

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1975/3/10から僅か1年半の間でしたが、24系24形3段ハネの時代がありました。

1976年10月1日:「はやぶさ」の使用車両を24系24形客車から24系25形客車に置き換え。「富士」「出雲」とともに、東京駅発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台「オロネ25形車両」も同時に連結。このA寝台1人用個室には当初愛称がなかったが、1986年3月3日「シングルデラックス」と命名される。2424_810103
銀帯も誇らしく2段ハネ化された特急「はやぶさ」が保土ヶ谷を通過 1981/1/3 このカニ24は一次車

1978年2月1日:博多「あさかぜ」の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため食堂車は熊本回転の付属編成となる。この変更は共通運用だった「富士」・「出雲」にも同様に実施。 食堂車は増備しない方針であったため、既に末端区間の食堂利用率が低下気味でかつ運行時間が丸1日となる「富士」・「はやぶさ」の食堂車を、途中駅折り返しとすることで東京に戻る日を1日早め、「あさかぜ」への充当が可能になった。

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この頃は牽引機もEF65PFに交替 1981/1/3 EF65 1110

1980年10月1日:「富士」の運行区間を東京駅 - 宮崎駅間に短縮。「はやぶさ」15年ぶりに日本最長距離特急へ返り咲く。

1984年2月1日:廃止されていた九州でのブルートレインへのヘッドマーク取り付けが復活。

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門司における機関車交換のシーン 1985/4/18

1985年3月14日:「はやぶさ」にオハ24形700番台「ロビーカー」を連結。これに伴い、「はやぶさ」を含めた東京駅 - 下関駅間を運転する寝台特急列車の牽引機をEF65形からEF66形へ変更。

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EF66 45 田町

1986年11月1日:車両の受け持ちを以下のように変更。 「はやぶさ」は「富士」と共用運用とし、従来車両の管轄を行っていた品川運転所から基本編成を鹿児島運転所が、付属編成を熊本客車区へ移管。1989年3月11日:「はやぶさ」「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。

1990年3月11日:「はやぶさ」水俣駅で昼行電車特急である「有明」11号に追い越されるダイヤを組んだ。

1993年3月18日: 「はやぶさ」の食堂車の営業を売店営業に差し替え。
下り列車の東京 - 小倉間のダイヤが「富士」と差し替えられて「はやぶさ」のダイヤが1時間15分繰り下げ。 これにより、西鹿児島到着が15時10分とその当時での定期列車では一番遅い到着時間となり、また、途中で追い抜かれる昼行特急列車「つばめ」に乗り換える乗客が目立ってしまい、熊本以南の利用者が減少傾向となる。

1997年11月29日:利用者の減少により運行区間を東京 - 熊本間に短縮。1980年10月1日に「富士」が区間短縮された時以来維持してきた、定期列車の日本一の長距離定期列車の座を「さくら」に譲る。また、売店営業を行っていたオシ24形の連結終了。同時に日本食堂による東京 - 熊本間通しでの車内販売営業も終了した。24系25形のみで単独運行された。

1999年12月4日:「はやぶさ」の利用者減に伴う運行系統整理により、鳥栖駅まで寝台特急「さくら」を併結して運転する2階建て列車とした。この「さくら・はやぶさ」の運行形態は1968年から1975年までの「はやぶさ」、1975年から1994年の「みずほ」の運行形態と同様となった。 「さくら」は長崎鉄道事業部長崎運輸センター所属の14系客車の6両編成、「はやぶさ」は熊本鉄道事業部熊本運輸センター所属の24系客車9両となり、東京駅 - 鳥栖駅間で「はやぶさ」「さくら」として併結運転を行った。また、編成単位での14系客車と24系客車の併結運転は史上初であり、サービス用電源はそれぞれ各編成の連結する電源車(カニ24形及びスハネフ14・15形)から供給された。なお、14系客車には非常時等に備え、併結運転対応工事が施された。
6両編成となった「さくら」には、従前「はやぶさ」及び「富士」に連結されていたオハネ25形1000番台(1人用B個室寝台車「ソロ」)を改造したオハネ15形2000番台が連結されたが、開放型A寝台車(オロネ14形)と食堂車(オシ14形)の連結は終了した。オロネ14形、オシ14形の運用離脱により、残る14系14形はスハネフ14形のみとなり、これ以降、24系25形からの編入改造車を含む14系15形が主体の編成となった。
「富士」・「はやぶさ」の24系編成には引き続き個室A寝台車「シングルデラックス」・「ロビーカー」が連結されたが、「ソロ」については前述の通り改造の上で14系編成に移された。また、オハネ25形2両をオハネ15形1100番台に追加改造し、14系編成に組み込んだ。

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大井町を通過する 寝台特急「さくら・はやぶさ」 2004/5/1 EF66 49

2002年3月23日:「はやぶさ」の開放式B寝台車を2両減車し7両編成となる。併結相手の「さくら」もB寝台車(開放式)が1両減車され5両編成になる。

2005年3月1日:「はやぶさ」は併結相手の「さくら」廃止に伴い、新たに東京 - 門司間で「富士」と併結する2階建て列車とした。これにあわせて、使用車両を24系25形客車から14系客車に変更。また「ロビーカー」とブルトレ便も同時に廃止した。 この関係で個室A寝台「シングルデラックス」のオロネ25形はオロネ15形3000番台に改造する必要があるため、下りは1月14日 - 2月28日、上りは1月11日 - 2月28日の間連結を中止。
このダイヤ改正で「さくら」が廃止され、1,315kmの運行距離を有する「はやぶさ」が定期列車の日本一の長距離列車の座に2度目の返り咲きを果たした。また「あさかぜ」廃止に伴い国鉄→JRの現役特急愛称継続年数の最長1位(当時47年継続)にもなっていた。
しかし、「はやぶさ・富士」の運行形態は1963年から1964年の「みずほ」に近い運行形態とされ、東京駅 - 京都駅間では「(東京対)九州特急」「九州ブルートレイン」は1往復のみの運行となった。
また国鉄時代から全区間を担当していた博多車掌区・熊本車掌区(現在の熊本車掌センター)の乗務区間が九州内に短縮され、本州内の乗務を下関地域鉄道部下関乗務員センターが担当した。

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EF6651号機牽引 特急「はやぶさ・富士」 2009/1/2 大船

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下関駅での列車案内 2007/12/17

2009年3月13日:同日始発駅を発車した列車をもって「富士」とともに廃止。これにより東京発着の客車寝台特急および九州発着の寝台特急は全廃。

長崎到着後は市内観光し、その晩は諫早に泊まりました。

<長崎電気軌道>

1914年8月2日に設立され、1915年11月16日、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し、現在、5路線4系統を営業する九州では2000年の西鉄北九州線廃止以降、純然たる軌道事業者としては九州唯一の私企業となっているそうです。

このときの旅行でも数ショット撮りましたが、その後仕事で長崎を数回訪問した際にも路面電車を撮影しました。

<<長崎駅前>>

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当時もこういった広告電車(ラッピング電車)が走っていました。

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以下の写真は全て2002/4/4に撮影したものです。
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209号:1950年に製造された長崎電気軌道の路面電車車両で、201-210の10両が存在します。奇数車両は日立製作所製で、「ヒ」に通じることから201形、偶数号車は日本車両製で、「ニ」に通じることから202形とも呼ばれています。長崎電気軌道の主力車両だそうです。

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301号:1953年に301 - 310の10両が製造され、全車とも日立製作所製です。本形式では製造当初から方向幕を前面上部中央に、前照灯を前面窓下に設置し、西鉄500形により近い前面形状となりました。200形・211形と同時期にワンマン化改造を受け、1984年に冷房化および方向幕の大型化・自動化が実施され、1990年代終盤以降は側面方向幕も設置されました。200形と同じく長崎電気軌道の主力車両です。

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364号1961年、1962年に導入された長崎電気軌道の路面電車で、360形は1961年に日本車輌製造にて7両が製造、370形は1962年に同じく日本車輌製造にて7両が製造されました。番号の36は昭和36年(=1961年)、37は昭和37年(=1962年)から取られています。本来は1963年にも380形を7両導入する予定でしたが、財政難から導入は370形までで打ち切られました。両形式とも基本的な仕様は共通です。

長崎電気軌道初の全金属車両で、西鉄1000形電車や広島電鉄2000形電車の影響を受けて、前面は3枚窓で中央が大きくなっています。長崎電気軌道初の前中戸車になりました。車体は軽量構造となり、従来の200形や300形などに比べ約1t軽量化されています。台車は360形がナニワ工機製のNK-25を、370形が日本車輌製造製のNS-17をそれぞれ装着しています。

360形の納車後ほどない1962年7月8日、363号が蛍茶屋車庫を出庫する際に無人で暴走し、先行していた365号に追突する事故が発生しました。2両とも復旧されていますが、この事故をきっかけに補助ブレーキが開発、装備されました。

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504号:老朽化が著しかった木造車を置き換えるべく、初のワンマンカーとして1966年にナニワ工機(現・アルナ車両)で製造されたのが、500形です。
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1303号:1980年代に入り、150形が老朽化してきたため、1982年に新車を導入することになりました。しかし、軽快電車の開発が思うように進まなかったため、軽快電車に準じた車体を新造して台車等は廃車となった電車の発生品や予備部品・中古品を使用し、在来方式で導入したのが1200形で、1800形までの間、新車は車体のみ新造して台車・機器は廃車車両や予備部品から流用する手法を採用しました。1300形は西鉄北九州線の300形の台車を使い作られました。パンタグラフや側面の車両番号の記載位置などが変更、運転台横の小窓が開く様になりました。また車内に手すりが追加され、客席の上下引き違い窓の上部窓も開閉する様になりました。
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1506号1993年から1997年にかけ製造された車輌で、西鉄北九州線の600形の機器を流用して、アルナ工機(現・アルナ車両)で製造されました。

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1701号1999年に製造され1701と1702の2両が存在し、廃車となった700形702・706の主要機器を流用して、アルナ工機(現アルナ車両)で製造されました。基本構造は1500形に近いですが、主要機器を700形より流用した都合上、主電動機はSS-50(一時間定格出力38kW)となり、1200形1201号・1300形と同一性能を備えます。

10月4日 諫早から島原鉄道で口之津へ、口之津からフェリーで鬼池へ、鬼池から本渡へ、天草観光をして、夕刻熊本に到着し、熊本では熊本城そばの五峰閣に泊まりました。
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島原鉄道の車輌たち、どこの駅だったか記憶が定かではありませんが、当時の車輌基地のようでした。

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