公園保存車両 ED91 11号機 利府森郷児童公園
昨日の記事で紹介した利府駅から廃止された「山線」に沿って少し歩いた場所にある利府森郷児童公園には我が国の交流電化用に試作されたED91形11号機とC58形354号機が保存されています。今回の記事ではED91形11号機について紹介いたします。
2016/10/22 利府森郷児童公園 車体の形態は東武鉄道ED5000形の設計が応用されているそうです。
国鉄は将来交流電化による鉄道の運行を目指し、1953年「日本国有鉄道交流電化調査会」を立ち上げました。翌1954年には仙山線北仙台~作並間が交流電化の試験線に指定されました。指定された理由は、機関車の負荷試験に適した勾配があったこと交流電化で生じる通信線障害やトンネル改修の費用が少なかったことからでした。さらに作並~山寺間は直流電化されており、交直切換試験を作並駅で行えること、また列車ダイヤに余裕があり、電力供給が安定していることなどからでした。地上施設関係に4億4000万円、車両等に2億4000万円が投じられました。1954年10月、陸前落合~陸前白沢間で試験が開始され、1955年4月には北仙台~作並まで試験区間が広げられました。
台車、主電動機は高速試験用に設計されたEH1015号機を基礎としています。
当初、国鉄はフランスから試作機導入を目論みましたが、不調に終わり、交流で交流整流子電動機を駆動する直接式、交流を整流して、直流モーターを駆動する間接式の交流機関車(ED44形、ED45形)、さらに交流用電車クモヤ790形が国内で試作されました。
第1次試験では直接式のED441(1955年7月20日、日立製作所水戸工場製、低圧タップ切換、吊り掛け式)と間接式(整流器式)のED451(1955年9月28日、三菱電機・新三菱重工業製、送油風冷式変圧器、水冷式イグナイトロン整流器、低圧タップ切換)の性能が比較され、直接式は高速域では高出力を発揮するものの、起動トルクが弱く、加速力も間接式に劣ること、25‰勾配での列車引き出し能力もED44が420tに対してED45が600tであることと大きな差がありました。整流子電動機のブラシ接点から火花により、1運用ごとに接点を磨く必要が認識されました。水銀整流器では位相制御が可能でタップ制御と組み合わせることで連続的な電圧変換が可能、起動時に有利で、空転しても端子電圧が上昇しにくく、空転が自然に収まるというメリットも確認されました。以上から、直接式と間接式の比較では間接式に軍配が上がりました。ED451のイグナイトロン整流器も振動に弱く、点孤子:イグナイタが脱落する事故が頻発し、寿命が短く、交換頻度が高い、水冷式のため整備に手間がかかるとの問題点が指摘されました。
第2次試験では整流器方式の異なる交流機として、ED4511、1956年12月21日、東芝製、整流器は保守の楽な乾式、風冷式、ED4521、1957年2月、日立製作所製、エキサイトロン整流器を搭載、高圧タップ方式で制御電流量が増大、弱め界磁併用で出力は1640kWの大出力機となりました。駆動方式はクイル式。試験の結果、ED4511は試運転での成績不良でイグナイトロンを交換、ED4521は同じ理由から機器配置の変更がなされ、その後は好成績が残されました。
それぞれの方式は量産機に技術移転され
ED451 ED70形 ED71形3号機
ED4511 ED71形2号機 ED72・73形
ED4521 ED71形1号機 ED71形4号機以降 と続きました。
1961年の形式称号の変更では
ED441 → ED901
ED451・11・21 → ED91 1・11・21 となりました。
仙山線の試験が終了し、正式に交流電化された1957年9月以降、ED44は保守・整備に手間がかかるため1961年以降、休車状態となり、1966年に廃車となりました。ED45形3両は1968年の仙山線全線交流電化以降、長町機関区に転属し、運用が続きました。ただ、製造後10年が経過し、老朽化が始まり、保守部品の確保に難が生じていました。重連総括制御が出来ないことからED78形の運用が始まるとED45形単機で牽引可能な旅客列車の運用に限定され、冬季の運用ではEGもSGも未搭載であるがため、暖房車が必要でした。1970年、仙山線試作交流機の取り替え名目でED7810・11が製造されると全機廃車となりました。
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