2004年10月の九州鉄道記念館訪問の記録、今回はEF10 35号機です。
EF10 35号機 九州鉄道記念館 2004/10/17
EF10形は鉄道省が1934年から製造した貨物用直流電気機関車であり、それまでの輸入機から国産の大型貨物用機関車第一号として登場した機関車でした。設計は1932年に登場したEF53形を基本にしています。
全長:18380mm
全幅:2810mm
全高:3940mm
重量:97.52t
主電動機:MT28(225 kW)×6
1時間定格出力:1350 kW
1時間定格引張力:11700 kg
1時間定格速度:30.0 km/h
最高速度:75.0 km/h
動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
制御方式:抵抗制御、3段組み合わせ制御、弱め界磁制御
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
歯車比 20:83 = 1: 4.15
ブレーキ方式:EL-14A空気ブレーキ、手ブレーキ
1934年から1941年にかけて、日立製作所・汽車製造・三菱重工業・川崎重工業・日本車輌製造で41両が製造されました。貨物機ということで歯車比を牽引力重視の低速形とし、最高速度が低いことから先従台車を1軸式のLT112・113としました(二次車からLT113)。
1977年9月23日 富士駅で撮影した28号機のLT113台車周り
ブレーキシリンダーからテコを介して、基礎ブレーキ装置に伝達される様子が如何にもメカを感じさせてくれます。
長期にわたって製造されたことから製造年次による形態の変化もあり、
身延線で晩年活躍したEF10 13号機 1977/9/23
番号不明ですが、新鶴見機関区の転車台そばに1次形がいたのを撮影しました。
1~16号機 EF53形に準じ、リベット組立された角張った車体 1次形は1934年度製で1934年の丹那トンネル開通、沼津電化のために製造されました。
17~24号機 丸みの強い溶接構造の半流形車体 2次形は1937年、1938年度製造です。
EF10 28 1977/9/23 富士
25~41号機 簡素な角形車体 1940年度以降はこの形態となりました。言うなれば、1次形はEF53のスタイル、2、3次形はEF56のスタイルで、私も瀬野八で撮影したEF59の写真を見較べてEF10のスタイルを思い浮かべました。

旧形電機の場合、台車の上に車体が乗る構造となっており、その接点が軸梁と心皿
3軸のHT56台車の心皿上に茶色の車体が乗っています。
台車も製造時期で変化しており、おおくは棒台枠構造のHT56ですが、17,20~24号機はHT57, 30~33号機はHT58 いずれも住友金属工業製の一体鋳鋼台車を履いていました。これらの一体鋳鋼台車は剛性は高かったものの、台車搭載機器の整備性に難があったことと、製造メーカーが住友に限られていたこともあって、大量制式化には至りませんでした。
本州と九州を結ぶ関門海底トンネルが1942年に完成し、下関~門司間は直流電化されたため、EF10形が投入されることとなり、25号機以降は当初から重連運転用に総括制御装置装備で落成し、既存の22-24号機も門司機関区転属後に同装備が追加されました。ただ、使い勝手が悪かったためか、実際には使用されなかったようです。
海底トンネル特有の漏水、塩害に対応するためにまず空転防止措置として、5t程度の死重の搭載、そして防錆措置として1953年以降、外板をステンレスに張り替える改造を受けました。24・27・35・37・41号機の5両がその改造を受け、24号機以外は標準のぶどう色に塗装されましたが、24号機は銀色のまま無塗装となりました。
1961年6月1日鹿児島本線門司港~久留米間が交流60Hzで電化され、門司駅手前(旅客)、小倉方向(貨物)に交直セクションが設置されることになり、交直両用のEF30形が投入されることとなり、EF10形は撤退し、新鶴見・沼津・稲沢第二・吹田第二の各機関区に転属し、東海道本線などで使用されました。無塗装であった24号機も、新鶴見機関区へ転属した直後に塗装されました。
1965年までに全機関東地区に転属し、国府津機関区・新鶴見機関区・八王子機関区および東京機関区に配置されて、首都圏の各線で区間貨物列車を中心に使用されました。
わたしもこの頃から、山手貨物線などで活躍するEF10を撮影し始めました。
晩年は甲府、豊橋などに転属し、身延線や飯田線で貨物列車牽引に活躍しました。
関門トンネルにゆかりの35号機ですが、その経歴を沖田祐作氏の機関車表データを見てみると
EF1035 汽車大阪=2671/306200-2= 東芝鶴見工場 1941-12-10 E104.50t1CC1(1067)
車歴;1941-12-10 製造→ 納入;国鉄;EF1035→ 配属[鉄運乙1907];東京局→
1941-12-08 竣工→1941-12-11 発;府中駅→1941-12-11 到着;国府津→
1941-12-12 配置日[鉄運乙1907 所載の配置日]→1942-10-29 国府津発→
1942-10-31 着;門司→1953-10-00 門司区開設80 年記念展示→1961-09-03 稲沢二→
1964-08-06 長岡二→1965-08-28 東京発→1965-08-29 東京→1977-02-23 東京発→
1977-02-24 豊橋→1978-10-03 二休;保管;門司→1978-11-21 廃車;豊橋→
保管;門司区→ 保存;福岡県北九州市門司区「大里不老公園」;EF1035
1941年12月10日、ハワイ真珠湾攻撃の2日後に東芝鶴見工場で誕生しています。やく1年間、国府津機関区で働いた後、門司区に転属しています。1961年9月に門司を離れ、稲沢二区に異動、さらに長岡区、東京区と移り、1977年に豊橋区へ、1978年廃車後は、門司区に保管、大里不老公園に展示の後、九州鉄道記念館に移されました。
35号機 東京機関区時代 山手貨物線 巣鴨で一休みする光景 1976/8
ステップが白く塗られているのは東京機関区所属機の特徴
かつて南武線の西国立に立川機関区がありましたが、そこでEF10 39号機が休んでいる光景も目にしたことがありました。
区名札は大里機関区の「里」となっていますが、35号機が門司に転属した頃はすでに門司機関区でした。
貨物用F型直流電機はEF10に続いて勾配用に電力回生ブレーキを付加したEF11形が1935年から1937年にかけて4両製造されました。主電動機をMT39に変更し、出力アップしたEF12形が1941年から1944年にかけて17両製造され、太平洋戦争中の1944年から敗戦後の1947年にかけて、戦時形として工作を簡略化したEF13形が31両製造されました。
EF14形はEF52形の高速版として製造されたEF54形が貨物用に転用された際の形式名として使用され、旧形F型貨物機の最終版、標準版となったEF15形が登場したのは1947年のことで、同形式は1958年までに202両製造されました。

にほんブログ村

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。
最近のコメント