2019年1月 4日 (金)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その4 身延線貨物とEF15

身延線貨物機の話題、今回はEF15です。
Ef15_4_770923 1977/9/23 身延 EF15 4
所謂、「福米型」として1951年から1952年にかけて奥羽本線福島-米沢間直流電化用に改造された1~12号機の中の1両で正面扉上のツララ切りが特徴 甲府機関区配置の最若番機

EF15はEF10から始まったEF級貨物機の集大成として1947年から1958年まで202両が大量製造されました。旅客用のEF58とは台車、電気機器など主要部品が共通化され、旧形電気の標準型という位置づけになりました。

Ef15_49_770923 1977/9/23 身延 EF15 49

甲府機関区には1977年から配置され1984年3月末まで活躍しました。その間の配置データです。

1978/3/31 4,5,7,8,21,41,42,43,44,49
1979/3/31  5,21,41,42,43,44,49,71,72,105
1980/4/1    21,44,72,73,105,116,117,118,136,137,197,198
1981/4/1    72,105,117,118,136,137,168,192,193,197,198
1982/3/31  72,118,136,137,149,168,192,193,196,197,198
1983/3/31  118,137,149,183,192,193,194,195,196,197
1984/3/31  183,192,193,194,195,196

時間の経過とともにメンバーが変化し、若番機が陶太されているのが分かります。

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2019年1月 1日 (火)

41年ぶりの身延線甲府~富士間の旅 その1 概要

明けましておめでとうございます。

本年もどうか宜しくお願い致します。

2018年12月15日青春18切符を利用して、国分寺~高尾~甲府~富士~熱海~東京~国分寺の循環ルートで身延線全線の旅を楽しみました。

身延線に関しては1977年9月23日に同じルートで身延線を全線乗車したのが最初で、その後、富士側から123系の撮影公園保存蒸気の撮影で富士宮あたりまで乗車したことはありましたが、全線乗車は1977年9月以来となりました。

1977年9月23日の旅程

吉祥寺531~高尾614/615~甲府746 機関区など撮影
甲府757~東花輪820 笛吹川橋梁へ EF10貨物665レ 
東花輪927~身延1022 身延駅構内散策  EF15
身延1256~源道寺1251 駅で撮影  身延線電車
源道寺1401~富士1418 駅で撮影 EF10貨物673レ、身延線電車 東海道線貨物列車

19750310 1975/3/10 改正の身延線列車ダイヤ 交友社「電気機関車快走」から

2018年12月14日の旅程

国分寺841~八王子900/902~高尾909/920~甲府1052
甲府1054~(3630G)~富士1352/1430~熱海1509/1512~東京1647/1654~国分寺1730

1977年9月の旅では貨物列車等の撮影も考慮し、途中下車して沿線での撮影もしましたが、今回は3630Gから下車すると後続の電車の間隔が空くこともあり、甲府から富士まで連続乗車しました。

1977年は身延線において大きな変化があった年でした。同線の貨物列車牽引を担当してきた電機がEF10からEF15に置き換えられ始めた時期でした。さらに電車の方でも1974年からモハ72系のアコモ改良版として113系もどきの車体を載せたモハ62、クハ66が投入されていました。こういった車両を記録すべく、身延線撮影旅行に出かけました。

身延線は私鉄の富士身延鉄道が開通させた路線で、江戸時代から明治時代中期まで富士川舟運による物流が盛んだった時代に東海道の岩淵宿(富士川の河口付近、現在の富士市岩淵)から富士川に沿って北上し、市川大門を経由し、甲府に至るルートが中央本線のルートとして構想されました。しかし中央本線のルートは八王子経由となり、1901年に開通しました。それでも駿甲鉄道敷設計画は存続し、1911年に甲州財閥系資本家による富士身延鉄道と身延参詣客の輸送を目的とした身延軽便鉄道計画が持ち上がり、1913年、前者の計画に従って富士~大宮町(現在の富士宮)間が蒸気鉄道として開業しました。1920年5月18日には身延まで延伸しました。1927年6月27日、富士~身延間が電化されました。

富士身延鉄道の経営状態は良くなかったため、運賃も高く沿線住民は国営化を望んだそうで、身延以北は政府が建設することに決まりましたが、1923年に関東大震災が発生し、政府が建設することは不可能となり、国有鉄道の規格で富士身延鉄道が建設し、1928年に甲府まで全通しました。ちなみに甲府まで開業した時点で全線電化されました。

1938年、路線は鉄道省が借り上げ、1941年には国有化されました。1960年頃から日蓮正宗の総本山大石寺参詣への臨時列車が増えた関係で輸送力増強と国道一号踏切対策で富士駅東側での分岐を西側に改め、高架化、富士~富士宮間複線化工事が開始され1974年9月27日に完成しました。

このシリーズでは

1)1977年と2018年の甲府駅
2)身延線の貨物列車
3)身延線の旧国
4)東海道線富士駅で撮影した貨物列車 といったテーマを考えています。

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2014年4月 7日 (月)

公園保存機関車+貨車  EF15 198 韮崎中央公園

前回の記事ではC12 5号機を紹介しましたが今回は同じ韮崎中央公園に保存されているEF15 198号機です。

Ef15_198_131231_3

EF15 198号機とトラ3両+ヨの編成 2013/12/31 韮崎中央公園

EF15は拙blogにおいても何度か紹介して来ましたが、198号機は202号機まで製造されたEF15の中でも最終グループ(168~202)として1958年から1959年に製造された35両の中の1両でした。

韮崎中央公園にはEF15のみならず貨車も数両保存されており、あたかも昔の貨物列車の編成の形態で保存されています。

Ef15_198_131231_5

機関車自身の保存状態は良いと思うのですが、パンタから車体まですべてこの妙な色に塗ってしまっているところが?です。

74778_131231

かつてはよく見た無蓋車も今は安中貨物くらいでしか見かけませんし、単軸貨車もワム8の廃車ですっかり見なくなりました。

Ef15_198_131231_8

EF15 198 + トラ 75013 + トラ 74778 + トラ 72379 + ヨ14041 の編成

Ef15_198_131231_14

足回りなどは今にも動き出しそうに整備されているように見えるEF15ですが・・・

この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表から

EF15198    汽車製造大阪工場=2808/= 東洋電機     1958-10-01 E102t1CC1(1067)

   車歴;1958-10-01 製造→ 納入;国鉄;EF15198→ 配属[達606];中部支社→

      1958-10-01 竣工→1958-10-02 配置;稲沢二→1963-10-06 米原→1964-09-28 岡山→

      1965-06-10 借入;糸崎→1965-07-11 返却→1969-08-09 借入;浜松→

      1969-10-15 返却→1969-10-17(10/16?)宇都宮→1976-04-15 借入;東新潟→

      1976-06-02 返却→1978-10-30 八王子→1979-07-12(7/11?)甲府→

      1983-03-20(3/19?)立川→1983-00-00 甲府→1985-03-14 八王子→

      1986-02-10 廃車;八王子→ 保存;山梨県韮崎市「中央公園」;EF15198

製造後、稲沢第二機関区に配置され、約10年東海道筋で働いた後、次の10年は宇都宮、東新潟で活躍、1986年に廃車されるまでの最後の10年は中央線筋で活躍しています。

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2013年5月13日 (月)

1975年 新潟の旅 5 長岡区・東新潟区のEF15

1975年10月の真鶴~湯河原間の撮影旅行では東海道本線で活躍するEF15を撮影し、首都圏でのEF15形式の活躍を特集しました。また、1976年3月の関西旅行では阪和線で活躍するEF15の姿も記録しました。今回は日本海縦貫線直流電化区間(信越本線)で活躍した長岡区、東新潟区のEF15です。

 

ネットでEF15をサーチすると「デンチュウの鉄道ページ」に大変素晴らしいEF15の特集ページがあります。

 

上越線、信越本線の電化と電気機関車の歴史を見てみると旧形電気の最終タイプである貨物型のEF15や旅客型のEF58が登場する前には東海道線の全線電化で上越路に活躍の場を移した旅客用EF57や貨物用EF12、EF13が活躍していました。

 

1956年頃の高崎・上越線関連の機関車の配置はデンチュウさまのページのデータによりますと

 

EF12
   高崎 1-7、10-17
   長岡 8
 
EF13
   長岡 1、2、3
   水上 4、6、11、12、14、24
 
EF15
   長岡 16-19、25-29、31-33、53、54、100、123、128
   
        高崎 30、47-52、68
 
EF16
   水上 20、21、22 (増備途中)
 
EF53
   高崎 1-15
 
EF55
   高崎 1、2
 
EF57
   高崎 1
 
EF58
   高崎 35-41、97
   長岡 42-47

 

だったようです。

 

今回はEF12形について簡単に触れようと思います。

 

<EF12形電気機関車について>

1941年から日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した貨物用直流電気機関車でEF10形の改良増備車として、主電動機を従来標準のMT28から新開発のMT39へ変更して出力アップを図った形式です。設計時期が近く、同様にEF56形の主電動機をMT28から新設計のMT38へ変更したEF57形の貨物機版とも言えます。1941年から1944年にかけて17両が日立製作所・日本車輌製造・汽車製造・三菱重工業で製造されました。
 1941年中に完成した1-8号機は性能はもとより出来栄えも優れ、省形電気機関車中最優秀と称えられましたが、1942年後半以降完成の9-17号機は一部機器や銅材の省略、木材等代用材の使用増加、動輪上重量維持のためコンクリートの死重搭載、車体外板の薄板化に表面ひずみ修整の省略などが実施されており、竣工時期が後になるほど出来栄え、信頼性は落ちてゆきました。 それでも戦後間もない時期は、追って投入された戦時設計として更に構造や工作が簡略化されたEF13形や、新設計の主電動機を搭載する新形式であるEF15形の初期車に比べると高い稼働率を誇り、運転・保守双方からの評判も高かったようです。

 

車体は同時期製造のEF10 34以降とほぼ同一の全溶接構造箱形デッキ付きで、外観上の相違点はナンバープレート以外にはほぼ皆無だったそうです。

 

新製当初は東海道本線の軍事列車に使用されていましたが、戦時色が強くなるにつれて貨物輸送の軸を太平洋側から日本海側に移すことになったことと、上越線水上・石打間で使用されていたEF10形の主電動機故障続発や交換設備の増強もあって、EF10形と入れ替わりで同線に転じました。しかし後期製造機は資材不足から故障や不具合も少なからず発生し、必ずしも定格出力が出せない車両も存在しました。

東海道時代は国府津機関区・沼津機関区に所属し、1942年からは1150t列車を牽引、翌1943年からは1200t列車を牽引。1944 - 1947年に大部分が水上機関区に転属。さらに1947年の上越線全線電化に伴って全機が高崎第二機関区に集結。上越線では1952年から使用機関車の客貨分離後に伴い上り列車が1250t列車化されました。その後、1958年の東北本線宇都宮電化に伴って全機宇都宮機関区と新鶴見機関区などに転じましたが、宇都宮所属機は1960年代後半、両毛線・吾妻線の電化により高崎第二機関区に戻りました。

最晩年は山手貨物線・上越線・両毛線・吾妻線等で使用され、特に吾妻線では軌道条件の制約からEF15形が入線不能であったため、長らく専用されました。

 

Ef12_1_800405
最晩年、吾妻線の貨物列車を牽引して羽根尾駅に到着したEF12 1号機
Ef12_1_4
羽根尾駅で入れ換えに従事するEF12 1号機

吾妻線の軌道強化が完了し、EF15形の同線への入線が可能となった後は老朽化もあって淘汰が進み、1982年に1・5号機が廃車されたのを最後に形式消滅となりました。

 

再び、デンチュウさまのページのEF15の1975年当時の運用データによると

 

 東新潟  信越本線(直江津-上沼垂)、白新線、越後石山-新潟操、羽越本線(新津-坂町)、上沼垂-沼垂、上越線、高崎線(大宮操まで)
  

長岡   信越本線(直江津-上沼垂)、羽越本線(新津-坂町)、越後石山-新潟操
              新潟操-上沼垂-沼垂、上越線、高崎操-大宮操、大宮操-田端操、大宮操-越ヶ谷
  

高崎第二 高崎操-新潟操、渋川-金島、高崎操-大宮操、大宮操-田端操、大宮操-越ヶ谷、赤羽線、
       田端操-大崎-新鶴見操、新鶴見操-尻手-塩浜、浜川崎-扇町、新鶴見操-高島-根岸
  

 

現在、日本海縦貫線の一部となっている上沼垂~直江津間に運用されていたEF15は東新潟区の所属機と長岡区の所属機でした。

 

1975年当時の両区の所属機のリストは

 

東新潟  37、39、49、55、57、108、113、114、115、119、       
      121、127、128、134、135、141-143、145、146、        
       155、159、163、164   
長岡   1-3、6、15、20、53、63、67、75-77、85-87、90、       
        98、100、101、110、118、129-133、137、140、        
       149-152、156、175、191

そして柏崎で写した写真ですが、

 

Ef15_751103

 

EF81 0番台最終ロットの増備で淘汰された新潟のEF15 柏崎付近 1975/11/3

 

かつてEF81の記事で使ったこの一枚と、

 

Ef15_159_751103
EF15 159号機牽引の貨物列車 1975/11/3 柏崎付近

 

の2枚です。

 

上の写真は3線区間ですが、一番手前の線路は越後線の線路かも知れません。下の写真はEF62貨物列車の写真でもご紹介した場所ですが、駅東方の跨線橋から撮ったものと思われますが、38年の月日の経過で当時、どうやって現場まで行ったか記憶が全くありません。

 

これらの日本海縦貫線で活躍していたEF15もEF81の記事で書きましたが、1979年4月から9月にかけてかけて落成したEF81の最終ロットによって淘汰されました。あれから30余年、今度はそのEF81が後継機によって徐々にその数を減らしています。

 

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2013年5月 9日 (木)

1975年 新潟の旅 3 EF16 国境の峠越えの補機

水上駅では予想外の出会いもありましたが、本命のEF16にも逢うことができました。

Ef16_31_751102
EF15本務機貨物の前に前補機として活躍するEF16 31号機 1975/11/2 水上

以前、真鶴~湯河原間の記事でEF15について触れたとき、EF15からEF16の改造について書きました。

EF16形は板谷峠の補機としてEF15形に回生ブレーキを追設し、従来の踏面ブレーキの使用頻度を大幅に下げることとした形式です。

最初はEF15形として活躍していましたが、改造でEF16と名乗るようになりました。番号の対応は以前の記事で示したように、EF15の1~8・20~23号機がEF16 1~12号機となりました。

Ef16_11ef65_1030_751102
Ef16_11_751102_4
Ef16_11ef65_1030_751102_2_4

Ef16_11ef65_1030_751102_2

Ef16_11_751102_2

Ef16_11_751102

EF65 1030号機を本務機とする貨物列車の補機を務める元福米タイプのEF16 11号機 1975/11/2 水上  装備は上越仕様になっていたようですが、厳めしいつらら切り付きのスタイルは福米スタイルを踏襲していました。

一方、1955年から1957年にかけて、上越線水上 - 石打間の急勾配区間(20‰の勾配)として新たなグループ(EF15形16~19・24~28・31~33の12両)が改造されました。こちらは回生ブレーキの性能が33‰対応である奥羽本線用のものと異なっていることや、将来の福米形増備を考慮したことから番号を20から付して区別しました。

配置は水上機関区が中心で、少数が長岡第二機関区(のち長岡運転所)にも配置され、ともに補機運用として使用されました。また奥羽本線用であった11・12も、装備を上越仕様に変更して長岡第二機関区に配置され、14両体制となりました。

1980年以降、EF64形の新区分番台であるEF64形1000番台に置き換えられ、1982年までに全車廃車になりました。

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2013年1月11日 (金)

1981/11 北陸へ 2 EF81 その3 94号機から152号機誕生まで

今回は94号機から再開です。

94~100号機昭和48年度第3次民有で、常磐線上野~青森間の寝台特急増発用および日本海縦貫線用として1974年3月末に落成しました。このロットは運転室の暖房が強弱二段切り換えになり、扇風機が最新式のものにモデルチェンジされ居住性の改善が図られています。94号機が田端、95~97号機が富山第二、98~100号機が酒田に配置されました。

Ef81_95_7507今は田端のスーパースター95号機のローズピンク時代の姿 1975/8 秋田

101~105号機昭和48年度第1次債務で、1974年に開業する湖西線山科~近江塩津間で使用する分の先行手配車として製造され、全機が敦賀第二に配置されました。敦賀へのEF81の配置は初めてでここからEF70の持ち場への侵食が始まるのですね。同予算では新大阪~宮崎間の寝台特急増発用として303号機も製造され、門司機関区に配置されました。

Ef81_103
大阪駅に寝台特急「日本海」を牽引して到着したローズピンク時代の103号機 今はトワイライト塗装

106~118号機昭和48年度第2次債務で湖西線開業用に1974年に登場しました。このロットから直流避雷器がLA15Dに変更されました。配置先は全機、敦賀第二です。

Ef81_109_930807
109号機が牽引して二ツ井付近を行く、寝台特急「鳥海」 1993/8/7 鳥海に関しては後述。

Ef81_112_811128
新疋田~敦賀間の下り線を行く112号機 オーバークロスする線は上りループ線 112号機は晩年は赤2号の塗色を纏い、2009年3月31日付けで廃車になりました。

119~126号機昭和49年度第1次民有で湖西線開業用に1974年11月に落成し、全機敦賀第二に配置されました。

Ef81_120
120号機に牽引されて終着大阪に到着する寝台特急「つるぎ」 JRFで最後は活躍し、2010年3月16日付けで廃車に

Ef81_121121号機が牽引して大阪に到着した「日本海」 反対側のホームにはキハ181系「まつかぜ」

Ef81_122_930807_1東能代で休息する122号機牽引、コンテナ貨物列車 奥羽本線の701系も初々しい

127号機と304号機はそれぞれ1両ずつ昭和49年度第2次民有で製造されています。名目は前者が羽越本線貨物列車増強用で酒田に配置、後者が関門間の貨物列車増強用で門司に配置されました。内部の難燃化対策強化が実施されたほか、スカートを強化するため4.5mm厚鋼板に変更されました。

128、129号機は1975年3月のダイヤ改正で「日本海」の増発に伴って酒田、敦賀第二の予備機不足を解消するために昭和49年度第1次債務で製造され、内部の雪害対策の強化が図られています。128号機が酒田、129号機が敦賀第二に配置されました。

128号機は1985年に長岡区に移動、さらに1986年に門司区へ移動し、405号機に改造されました。

Ef81_129_100717_3JRFの写真ですが青海川を通過する129号機 2010/7/17

同じ時期に製造された2機ですが、片や早々と関門用に改造され九州で頑張り、一方は長いこと日本海縦貫線で活躍しているのですね。

130~134号機昭和50年度第1次債務で新潟地区の旧型直流機の形式改善の名目で製造されました。実際はEF81を全機酒田に配置させ、新潟のEF15を首都圏に移動させ、首都圏のEF10を淘汰したそうです。130号機~132号機は1985年長岡に移動、1986年に門司区に移動し、403, 404, 406号機に改造されています。

Ef81_133_110206
EF510-500登場後も田端区で頑張る133号機 同区唯一の庇付きスタイルで人気の機関車 2011/2/6 栗橋~古河間

Ef81_134_100617現在は長岡車輌センターに配置され配給列車などで首都圏に顔をみせる134号機 2010/6/17 栗橋~古河間

このロットも5両のうち3両は関門用に改造、2両のうちの1両は長岡に、もう一両は田端で寝台特急「北斗星」牽引に頑張ったのですね。

135、136号機は碓氷峠の転落事故で廃車になったEF62 12, 35号機の補充用に昭和50年度第3次債務で製造され、酒田に配置されました。DT138,139台車のブレーキテコが変更されたほか金具、リード線などに変更が加えられたそうです。

Ef81_135_050326_4059
137号機から最終の152号機昭和53年度第1次債務で、新潟地区に残ったEF15を一掃するために製造されました。1979年4月から9月にかけて落成しました。最終ロットになりましたが、設計変更が多くなされています。主電動機をMT52Bに変更、直流避雷器をLA16に変更、電気式速度計SRD-60の採用、抵抗バーニア制御器をCS36Dに、転換・界磁制御器は無給油タイプに、シリコン整流器はRS36Cに変更、その他各部にメンテナンスフリー化を目的とした改良が実施されました。台車の材質も一般圧延鋼板から溶接構造圧延鋼板に変更されました。全機が東新潟区に配置されました。

Ef15_751103

EF81 0番台最終ロットの増備で淘汰された新潟のEF15 柏崎付近 1975/11/3
Ef81_143_911112EF15の置き換え用に増備された143号機牽引で青森に到着した寝台特急「鳥海」1991/11/12

この頃143号機は長岡所属で、「鳥海」は1990年9月奥羽本線改軌工事のため。「あけぼの」の1往復が上越線・羽越本線経由となり改称したもの。1997年3月に東北本線・陸羽東線経由で運転されていた「あけぼの」は運転終了となり、「鳥海」が「あけぼの」に改称され、寝台特急としての列車名は6年半の短命に終わりました。

<追記>
122号機の写真のように、それまではED75700番台の天下であった、奥羽本線秋田~青森間にもEF81が進出するようになったのは1986年のダイヤ改正のことで、これによって捻出されたED75700番台はED79の種車となっています。その辺の変化についてはED75700の特集で扱いたく思います。

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2012年12月 6日 (木)

1976/3 関西へ 9 阪和線貨物 EF15 EF58 その他

阪和線貨物もいよいよ最終回ですが、今回はEF15、EF58、ED38、ED16 について触れたく思います。

1976年3月に阪和線を訪問した際に、それぞれワンショットですがEF15の牽く貨物列車とEF58が牽く貨物列車を撮影する機会がありました。
Ef15_120_7603_2EF15 120号機が前補機として貨物列車を牽引 熊取 1976/3

1978年10月の紀勢本線電化まではEF15の竜華区配置は58, 99, 120の3両でしたが、電化開業で最盛期は18両まで増えたようですね。

EF15 1981.4.1の配置
58,99, 120, 123, 125, 147, 158, 169, 172, 173, 174, 181, 184, 185, 186, 189, 190, 202
Ef58_66_760300EF58 66号機が前補機として貨物列車を牽引 鳳 1976/3

原型大窓機の66号機は人気が高く、退役後も保存運動が起こったそうですが、残念ながら解体されたようですね。こういった貨物牽引の様子は紀勢本線電化前は見られたようですが、電化後は客車牽引運用に専念したようです。

EF58の竜華機関区の配置は電化前は1977.3.31時点での7両(21,22, 24, 28, 39, 40, 66)が最大で、電化後は製造第一号機、21号機の廃車(全国的に見て最初の廃車であったそうですが)もあって、メンバーは 24, 39, 42, 66, 99, 139, 147, 149, 170などが配置されていました。

かつて紀勢本線には夜行の普通列車「南紀」が運行されており、電化に伴う改正で「はやたま」と改称され、天王寺~新宮間はEF58が牽引しました。1984年2月の改正で寝台車が廃止になり、「はやたま」の名称もなくなり、紀勢本線新宮~和歌山間の普通客車列車とともに12系化されたのですが、自動ドアの開閉や連続するカーブでの台車空気バネの伸縮で空気を消費する関係で牽引するEF58 9台に元空気ダメ引き通し管が設置されたそうです。

(データはイカロス出版機関車ハンドブック、EF15XEF58 昭和50年代の記録を参考にしました)。

阪和線の貨物を語る上で忘れてはいけない機関車が、阪和電気鉄道ロコ1000形で4両製造されて活躍し、国有化後はED38の形式名を与えられました。

50t級・B-B軸配置で13m級箱型車体の、昭和初期の私鉄機関車としては大型な車両で
1930年の阪和天王寺 - 東和歌山間全通に備え、まず2両(ロコ1001・1002)、翌1931年に1両(ロコ1003)が東洋電機製造・日本車輌製造で製造されました。その後南海鉄道との合併後の1942年に合計3両(ロコ1004 - 1006)の追加新造が計画・申請されましたが認可は1両分しか下りず、その後再度3両(ロコ1005 - 1007)の追加新造が申請されましたが、こちらも認可されなかった。このため、戦時中の増備車は資材難もあって国鉄買収後の1944年6月に1両(ロコ1004)が完成したに留まりました。

ED38として阪和電気鉄道、南海電鉄、国有化後も重宝され、上越線からED16が阪和線にやってきても高速性で優位に立っていたようです。

Ed38_1_100425
Ed38_1_100425_2


国有化後はED38という形式を与えられた阪和鉄道のロコ1000形

同機ら3機は後年秩父鉄道に移り、石灰岩輸送に活躍し、そのトップナンバーは今でも三峰口の展示場に展示されています。国鉄がEH10を開発する際に先輪無しのED38の台車は良きモデルとしてボギー台車設計の手本となったそうです。(以上、WikipediaのED38の記事を参考に記述しました)。

独特の腰高のスタイルが印象的な機関車です。

Ed16_1_7603
かつて阪和線で働いたことがあるED16 立川機関区にて 1976/3

一方、ED60が配備される前に阪和線で活躍していたのがED16で1950年から1970年まで在籍していました。晩年は立川機関区に配属となり、青梅線の石灰石輸送に活躍しました。

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2012年11月17日 (土)

1975/10 真鶴~湯河原へ 1 EF15について

1975.3の新幹線博多開業で山陽本線の昼行特急・急行の全廃や夜行列車の削減で、下関や広島のEF58に大量の余剰車輌が発生し、それらが東北本線直流区間を支えてきた宇都宮機関区に転属してきたため、EF56は全廃となり、EF57も状態の悪いものに廃車が出始めました。折しも、交友社から「電気機関車快走」といった機関車列車情報写真誌も発行され私も、東海道線の真鶴~湯河原のカーブで朝の上り寝台特急を始め、東海道貨物列車を撮ってみたいと感じました。

その夢を実現させたのが1975.10.9の撮影旅行でした。

朝一番の東海道線で真鶴まで行き、そこから山越えで大カーブにアプローチしました。後から思えば、湯河原から歩けばもっと楽だったことが分かったのですが。
12_751009
湯河原方面から真鶴方面を見た大カーブの様子

今回は貨物機関車についてまず形式別に記述し、続いて旅客機、ブルートレイン、電車といった順番にしようと思います。

第一回はEF65にその記録を破られるまで、電気機関車としての製造両数でトップを誇ったEF15についてその歴史を振り返りつつ記述し、湯河原で撮った写真や他の場所で写した写真を載せようと思います。

EF15は1947年から1958年にかけて製造された貨物用の直流電気機関車であり、EF58と電気部品、台車等の共通部分が多く、旧形直流電機の標準機といわれています。

1-202までの通し番号で製造されましたが、奥羽本線の板谷峠電化直後に12両 (福米型) がEF16に改造され、上越線(水上 - 石打)用としてさらに12両が改造されました。後年EF16 1-10(EF15 1-8, 20,21)はEF64の投入でEF15へ復帰、1976.3時点の配置表ではEF16として活躍中の16-19、22-28、31-33が欠となっており、全機188両が健在でありました。
Ef15ef16
EF15改造とEF16誕生、EF15復帰に伴う番号の関係

1947.7に一次形と呼ばれるグループ1-8、16-33が誕生しました。当時はまだ戦後の混乱の影響が残っており、当初はパンタグラフは電車用のPS13、屋根上モニターは省略、側面機械室部分の窓は4枚、つらら切りは未装着の状態での登場だったそうです。

Ef15_4_770923
身延線で働くようになった4号機 身延 1977.9.23
Ef15_6
山手貨物線、新大久保付近を行く6号機
Ef15_8

新鶴見機関区で入れ換えする8号機

Ef15_8_ef65_508
8号機、EF65508号機を伴って品川に到着

二次形は1951年から9-15, 34-45が製造され、パンタグラフはPS14 、つらら切りは装着、側面窓は7枚となりました。後半ロットの12-15、37-39、43-45では標識灯が引掛け式から埋込式に改められました。後年、それまでの引掛け式標識灯はすべて埋込式に改造されたようです。
Ef15_13
国分寺駅中線で待避する13号機
Ef15_40
駒込のカーブを行く40号機
Ef15_41_751009
湯河原カーブにさしかかるEF15 41牽引の伊東線の貨物列車
Ef15_41_751014
折り返しの列車 熱海駅

1952年途中から第三次形に移行、46-129
Ef15_49_770923
身延線で働く49号機
Ef15_54
新宿で一休みする54号機
Ef15_67_790505
今はすっかり変わってしまった赤羽付近を行く67号機
Ef15_72
番号の識別は難しいですが72号機 拝島
Ef15_106
駒込のトンネルカーブをゆく106号機牽引の専用貨物列車

1957年から1958年に製造された130-161は四次形と呼ばれ、製造途中からナンバーが切り抜き文字に。
Ef15_153_810228_2
Ef15_153_810228
品川に停車中の153号機

1958-1959年に最終グループの162-202が製造され、特徴は前面窓Hゴムで落成となりました。

Ef15_195_800830
田端機関区の195号機

(データはイカロス出版機関車ハンドブック、EF15XEF58 昭和50年代の記録を参考にしました)。

EF15の運転する側からの感想が「鉄路100万キロ走行記 宇田賢吉著」(グランプリ出版)に書かれています。それによるとEF53に始まった国産機の改良・発展の頂点に達した機関車であった。運転室と機械室の構造・配置とも堅実で無理がなく、これという欠点がない。1200tを牽いて10%勾配を登るのが限度であった。上り10%勾配での引き出しは、機関車の停止位置、直線であるか、カーブ区間かによっても大きく変わり、動輪粘着力に不利にならないように停止位置を選択することと、停止直前に砂撒きを行って砂を噛ませることが必須。連続10%上り勾配で速度が45km/hくらいでバランスすると、電流計が定格の470Aを上回り、空転への余裕ゼロの状態で登って行く.線路の滑りやすい区間を予め察知して断続砂撒きを行う等の予防対処が必要。

前デッキの存在は運転室への昇降にとって楽であり、安全。隙間風対策はED71,ED62以降、ドアを外開きにすることで解決。運転室は狭いが座席が前窓に近いため有効視界が広く、速度感を得るのに優れていたが、見習乗務の時に教導教官のいる場所がない。計器盤が右上にあって使い勝手が悪い。前方注視中に視線を走らせる計器が右上部というのは人間の心理を無視しており、まして全力運転時に目が離せない電流計が最上段にあるのも解せない.運転中に最も負担が少なく注視出来る場所の正面窓下には何も計器がなかった。速度計は蒸機と同じ機械式でEF58は電気式に取り替えられたのにEF15は放置されていた。

前面窓のひさしの効果は大きかった。ガラス面に雨滴が流れ込むのを防いでくれた。モーター冷却用の送風機が空気を吸い込むため運転室は負圧となり、その分の空気を外気から取り込むため運転室は寒かった。惰行中はできるだけ送風機をオフにした。この問題はEF641000で機械室を3区分して運転室の負圧をなくすまで持ち越された。

全機188機が健在で、その多くが東京近郊で活躍していたEF15、当時は追っかけるということは絶対にしなかった機関車ですが、もし今の時代のような情報と機材(デジカメ)があれば恐らく全機制覇チャレンジしていたと思いますが(笑)。

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