2019年5月12日 (日)

横浜市電保存館を訪問 その10 吉村コレクション part2 電機編

昨日に続き、横浜市電保存館の「吉村コレクション」今回は電気機関車の模型から

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EF50(旧8000)形

1925年12月、東海道本線東京~国府津間電化開業用に向けて英国から8両輸入された機関車で、1924年に製造され電気関係はイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric & Co., Ltd.)、機械関係はノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社(North British Locomotive Co.)が製造に関わりました。ED50形、ED51形などともにいわゆる「デッカー」と言われる一族です。製造当初は8000形(8000-8007)と称されましたが、1928年10月の車両形式称号規定改正でEF50形に改められました。

当時、我が国は電化の進展で欧米各国から試験的に数両の電気機関車を輸入していました。英国製の電気機関車は本国においても開発途上で信頼度的には決して高くなかったにも拘わらず8両という多数が輸入されたのは、1921年から1922年にかけて各国の艦船保有量を制限する軍縮会議が英米の主導で開催され、会議における交渉で英国側の譲歩を引き出させる戦術として外務省の主導で電気機関車を大量に輸入することにしたと言われています。デッカータイプの大量輸入は鉄道省の意図したものではなく政治的圧力によるものだったそうです。いつの時代も似たようなことが行われているものだと感じる次第です。

形態上の特徴は2軸の先輪を有し、箱形車体の前後にデッキがあり、車体下部には中央部で幅が広がった魚腹型の側梁が露出し、そこに9個の丸穴が開けられていること、車体側面にも主抵抗器冷却のための鎧状の通風口が並んでいることです。制御装置はカム軸式で、6個のモーターを制御するのに、通常は直列~直並列~並列となるべきところをカム軸の長大化を忌避してか直列段からいきなり並列段に移行する方式で、進段時の衝撃が大きく、勾配での加速に問題があり、初期故障が多く発生したそうです。

運転開始以来、東京機関区に配置され東海道本線で旅客列車牽引を任されましたが、初期には故障が多く蒸気機関車を後部穂機として連結し、運転しました。デッカー系機関車のトラブル解消のため、補機類の多くは後年、鉄道省制式部品に交換されて行きました。

戦後の1952年4月の高崎線電化でEF53形などとともに高崎第二機関区に5両が転属しました。勾配線での運転に向かなかったため、当時の電化区間では高崎線以外に転用先が見つからなかったのが真相のようです。最後の本線仕業は7号機による1956年11月18日の上り急行「十和田」牽引でした。1954年から廃車が始まり、1958年までに全車が廃車され、解体処分となりました。

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EF13形(凸型スタイル戦時タイプ)

国鉄の貨物用大型電機は1934年EF10形(41両)から始まり、1941年には出力増強版のEF12形が開発されましたが、軍需輸送に対応する輸送力増強に対応し、かつ戦時下の資材不足に対応しながら製造するために、EF12の機能を簡略化したのがEF13形でした。その設計は戦時中さえしのげれば良いというもので、鋼材を節約するため車体はデッキ部までの全長車体から中央部の短い車体と機器を被うボンネットスタイル(凸型)となりました。さらに工作簡略簡略化のためスタイリングや仕上げ工作は全て省略されました。冬場には隙間風が吹き込み、暖房も設置されていなかったため、乗務は苦痛が伴ったとのことです。一方で戦闘機による機銃掃射を避けるため乗務員室には防弾装備がが施され、乗務員室側面の内側に厚さ13mmの鋼板が張られ、外板との間には砂が入れられました。

機器的には電装系の焼損事故の保護に重要な役割が期待される高速度遮断器が省略され、ヒューズで代用されました。台車枠の車軸支持も緩衝部材を入れずリンクを台車枠に直づけしました。こうした徹底的な部材省略の結果、総重量が軽くなり過ぎ、軸重不足に陥り、死重として16.4tのコンクリートブロックを積むことになりました。弱め界磁も63系電車同様、「主電動機の寿命が縮む」との理由から「使用不可」とされました。出力はEF12形と同等を目指しましたが簡易設計、代用部材多用の影響で計画性能の達成には至らず、EF10形並との評価でした。戦時輸送対応のために簡素な設計が採り入れられたにも拘わらず戦争中の完成は7両に留まり、戦後の1947年までに31両が製造されたところで、新形式のEF15形が増備されることとなり、製造は終了しました。

1948年からの第1次改装工事で高速度遮断器が新設され、パンタグラフもPS14に交換されました。さらに弱め界磁段も使用可能とされました。1953年から1957年にかけての第2次改装工事ではEF58形31両の車体載せ換えで発生した旧車体をEF13に載せ、旧凸型車体を廃し、箱形車体とする工事が施工されました。旧車体のEF58形が31両製造されていたこと、両形式の車体サイズが一致していたことで車体流用交換が進められましたが、台車間サイズが僅かに異なったため、その部分は改造で対応となりました。EF58形とEF13形の検査時期の一致するタイミングで両車が入場し車体譲渡が行われ、両形式の運転室仕切り壁には「EF58〇〇号より車体譲受」、「EF13〇〇号へ車体譲渡」の銘板が取り付けられました。

Ef58ef13
表 EF58旧車体のEF13への振替

Ef13-22-2
撮影時期不明 駒込~田端間をEF15 を従えて通過するEF13 22号機

私自身、小学校時代中央線国分寺~国立間を利用していたこともあり、中央本線の旅客列車を牽引するEF13をよく目にしました。独特のウーというモーターの牽引音、冬は暖房車を従え、通過した後に残る石炭の煙の臭いも昨日のことのように思い出します。旅客列車はEF64形に置き換えられ、晩年は貨物列車を牽き、それもEF60形などに置き換えられ、1979年11月に3号機が廃車され全機廃車となりました。全機解体され保存機はありません。

EF50形やEF13(凸型スタイル)形も吉村氏の鉄道マニアとしての目の付け所の素晴らしさを感じます。

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2018年8月27日 (月)

東京総合車両センター公開「夏休みフェア2018」

8月25日(土)は例年この時期に催される東京総合車両センター公開「夏休みフェア2018」に行ってきました。

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大井町駅に到着したのは開門時間後の10時20分でしたが、まだ門から連なる長蛇の列です。列の最後尾はどこなのかと歩いてみると、線路の反対側でした。列に並んで入場するまで30分かかりました。毎年、この行列が嫌で、来る時間を若干遅めにしているのですが、まだまだ甘かったようで。

Dsc06917 2018/8/25 東京総合車両センター

工場内の展示は毎年見ているので、TwitternなどでもスクープされていたEF58 61の展示がある、車両展示コーなを目指しましたが、こちらも写真撮影は人数ごとに制限入場されており、長蛇の列、それでも入場せずに写真を後から撮れるスペースもあるので、そちらから撮影することに。

展示された車両は 
EF81 81, EF58 61, EF64 1052, 209系500番台 C508編成 でした。
EF64 1052は最近、EF64 1001と入れ替わりにこの塗装になっており、今回初めて目にしました。

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この機関車がなぜ今回展示されたのか、今後、本線に復帰することはあるのか、あるいは博物館に入るのか、解体されることはないと思いますが、今後が気になります。

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2017年8月16日 (水)

名古屋~南紀を結んだ特急列車 その1 寝台特急「紀伊」

今回の愛知・三重旅行では久しぶりにキハ85系特急「南紀」にも逢うことが出来ました。名古屋に出入りする特急として、キハ81形先頭時代の「くろしお」(名古屋側天王寺側)やキハ82形先頭時代の「ひだ」には過去の記事で触れていますが、寝台特急「紀伊」や昼行特急「南紀」については触れていないので、この機会に振り返ってみようと思います。

紀勢本線、亀山~和歌山市間の全通は幹線の中ではかなり遅い1959年でした。

170805 2017/8/5 亀山駅の紀勢本線ゼロキロポスト

亀山側から、多気(開業時は相可(おうか))、宮川までは関西鉄道・参宮鉄道1893年12月31日までに開通させています。1907年はこれらの会社は国有化され、1909年に山田(現在の伊勢市)まで延伸しています。そして亀山から山田までの線名は参宮線になりました。

170805_2 2017/8/5 多気駅
直進するのが伊勢市、鳥羽へ向かう参宮線、右が紀勢本線

相可駅が相可口に改称され、紀伊半島を回る紀勢東線として、延伸を始めたのは1923年3月20日の栃原までの開業で、その後、川添、三瀬谷、滝原、伊勢柏崎、大内山、紀伊長島、三野瀬、尾鷲、九鬼、三木里まで延伸したのが1958年4月23日でした。

一方、勝浦からは新宮鉄道1912年12月4日に勝浦~三輪崎間を開業、1913年3月1日には新宮まで延伸し、新宮~紀伊勝浦間が紀勢中線になりました。1935年7月18日、紀伊勝浦~下里、1936年12月11日には下里~串本間が開業します。1940年8月6日には、新宮~紀伊木本(現在の熊野市)まで延伸します。

紀勢西線は現在の紀和駅である初代和歌山駅から東和歌山~簑島間が開業したのが1924年2月28日、紀伊宮原、藤並、紀伊湯浅、紀伊由良、御坊、印南、南部、紀伊田辺、紀伊冨田、紀伊椿、周参見、江住、串本と1940年8月8日までに延伸し、紀勢中線を編入しました。1956年4月1日、紀伊木本~新鹿間が延伸されます。

170805_2_2 現在、多気駅の隣の駅が相可駅を名乗っています。

そして。1959年7月15日、三木里~新鹿間が開業し、全通となりました。このときに、相可口は多気に、紀伊木本は熊野市に改称され、亀山~(初代)和歌山間が紀勢本線となりました。

Ef58_5_751009 1975/10 湯河原の大カーブを行く遅れの「いなば・紀伊」
絶好のロケーション、しかも牽引機は浜松の鋳鋼先台車付き5号機なのにタイミングをミスりました。

特急列車の登場は1965年3月1日、天王寺~名古屋間でキハ82形先頭の「くろしお」の運転が開始されます。1972年10月2日、日本海縦貫線電化完成で特急「いなほ」が電車化され、キハ81形が東北の地を離れ、天ワカに転属となり、名古屋1D,2D「くろしお」もキハ81形先頭になります。1973年9月1日、伊勢線開業で「くろしお」は伊勢線経由となります。

14_7603 1976/3 紀伊勝浦

14_7603_2 1976/3 東京

奈良、和歌山家族旅行の帰り、紀伊勝浦から東京まで寝台特急「紀伊」に乗車しました。

Ef58_155_750328
名古屋からの牽引機は155号機でした。

75年3月5日急行「高千穂・桜島」で下関まで行った際にもお世話になった機関車でした。

1975年3月10日、「紀伊」が出雲市までの「いなば」と併結で14系寝台特急(東京~紀伊勝浦)として登場します。

急行「紀伊」は1968年10月1日の改正で東京~紀伊勝浦、鳥羽・王寺(奈良~王寺間は普通列車)として登場した急行(それまでの「大和」、「伊勢」、「那智」を統合)で、東京~名古屋間は「出雲2,3号」と併結でした。1972年3月15日の改正で、亀山~王寺、多気~鳥羽間が廃止され、東京~名古屋間は「銀河1号」と併結運転になりました。

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1978年10月2日の改正で「くろしお」が新宮で系統分離され、名古屋~新宮間は廃止されます。その代わりに登場したのが「南紀」で名古屋~紀伊勝浦間、伊勢線経由で3往復運転されました。1984年2月1日のダイヤ改正で「紀伊」が廃止されます。

「紀伊」は84年2月に廃止されたため、寝台客車のテールマークは絵入りになったものの、機関車のHMは付けられないまま終焉を迎えた列車です。ただ、非電化区間の牽引機DD51には紀伊の引退を惜しんでこのマークから作製されたHMが掲出されたそうです。

紀伊の場合、営業キロが621kmと短く、夜行列車で行くよりも新幹線と「南紀」や近鉄特急で伊勢志摩への方が需要が大きかったのかと思われます。

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2017年6月12日 (月)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 10 サロンカーなにわ

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開のHM展示、最後は「サロンカーなにわ」です。
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1970年代後半、各鉄道管理局ではお座敷列車といわれる客車を保有し、団体専用列車やイベント列車として走らせていました。車種はスロ62形スロフ62形を改造したスロ81形、スロフ81形でした。重要は結構多く、一方観光バスの方はまだまだ競争にはならない状況でした。

Ef62_40 軽井沢 EF62 40号機に牽引されて碓氷峠を登ってきた「サロンエクスプレス東京」による「サロンエクスプレスそよかぜ」

060709_2 2006/7/9 大宮
晩年は「ゆとり」に改造されたサロンエクスプレス東京

こういった需要と多様な嗜好に対応すべく、東京南鉄道管理局では「サロンエクスプレス東京」が製造され、大阪鉄道管理局に登場したのが「サロンカーなにわ」でした。

号車  形式       旧形式    設備           定員
1   スロフ14 703 スハフ14 31  展望室・ラウンジ   定員外20人
2   オロ14  706 オハ14  177                39人
3   オロ14  707 オハ14  178                39人
4   オロ14  708 オハ14  179                39人
5   オロ14  709 オハ14  170                39人
6   オロ14  710 オハ14  180                39人
7   スロフ14 704 スハフ14 52  展望室   定員外12人・客室定員24人

改造は高砂工場(1985年に鷹取工場に統合)で行われ、1983年9月に出場しました。全車両グリーン車で番号はサロンエクスプレス東京の続番となっています。

Ef58_12_830924 1983/9/24 東京
まさにデビュー直後、EF58 12に牽引されて東京までやって来た際の写真
客車はあまりはっきり見えませんが、EF58 12号機、1975年3月6日の写真では大窓でしたが、この時はHゴム小窓に改造されています。

配置は網干総合車両所宮原支所で団体臨時列車や多客時の臨時列車に使用されています。お召し列車として運用されたこともあります。

160904 2016/9/4 千里丘

昨年、大阪旅行で偶然千里丘で見かけました。
この列車は「サロンカーなにわで行くおわら風の盆と五箇山」で牽引機はEF81113号機でした。

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2017年6月 8日 (木)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 6 彗星

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開、HM展示の6回目は「彗星」です。

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昨日の記事にあるように「彗星」の登場は1968年10月1日のダイヤ改正、いわゆるヨンサントウの改正で、運行区間は新大阪~宮崎間でした。

東海道・山陽本線では110km/h運転が始まり、高速化時代が到来しました。このときにも昭和42年度第2次、第3次債務負担で20系は計88両増備されました。

ナロネ21  126~138
ナハネ20  216~249、301~314
ナハネフ22 14~20
ナシ20    17~23
カニ21    16~21

耐腐食性の向上や防火性対策が盛り込まれました。1970年10月1日の改正では都城まで延長されました。

Ef58_12_750306_2 1975/3/6 大阪 彗星5号 42レ 客車は24系
1972年3月15日のダイヤ改正で新大阪~大分間に「彗星下り2/上り1号」が20系で増発されました。

1973年10月1日の改正では急行「べっぷ」の格上げにより、新大阪~大分間に「彗星下り3/上り4号」が24系で増発され、もう1往復(上下2号)は14系客車で門司まで、佐世保発着の「あかつき」と併結運転となりました。

Ef65_522_750306 1975/3/6 大阪
24系で運行された「彗星3号」44レ機関車はEF65 522F

2425_25_750305 1975/3/5 下関を出発する彗星5号 
登場して1年経たない頃のオハネフ25

1974年4月25日、日豊本線南宮崎電化のダイヤ改正で24系25形による新大阪~大分間の列車が1往復加わり、5往復となりました。

581_2 新大阪に到着した581/3系の「彗星」

1975年3月10日のダイヤ改正で、大分、宮崎、都城各1往復になりました。さらに、上下の1,3号は583系電車による運行となりました。

581_811204 1981/12/4 大阪

1978年10月2日のダイヤ改正からは列車番号が新幹線方式の下り奇数、上り偶数になり、関西~九州間の寝台特急は14系15形の投入もあり、すべて二段ハネに統一されました。「彗星5/2号」が24系25形になりました。また電車特急のHMが絵入りになったのもこのときで、20系を除く寝台客車は1979年7月1日から絵入りとなりました。

1980年10月1日のダイヤ改正は国鉄初の減量ダイヤ改正で20系が定期の特急運用から外れ、関西~九州間の寝台特急も大幅な見直しとなり、「彗星5/2号」は廃止となり、2往復となりました。

1984年2月1日のダイヤ改正では583系で運転されてきた「なは」「彗星」が廃止となり、寝台電車としての運転が消滅しました。「なは」は新大阪~西鹿児島間の「明星」21/22レを改称し、存続させましたが、「彗星」は新大阪~都城間の1往復3001/3002レとなりました。

1986年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正ではそれまで「明星」「あかつき」に使用されていた大ムコの14系15形客車がこれらの列車の廃止により、「彗星」に転用されました。

1994年12月3日の改正では大阪~新潟間の寝台特急「つるぎ」の廃止により、24系25形寝台車が「彗星」に転用されました。14系15形は急行「ちくま」「だいせん」に転用となりました。

1995年4月20日のダイヤ改正で「彗星」は南宮崎までの運転となりました。そして2000年3月11日のダイヤ改正で「あかつき」「彗星」は統合され、14系15形を利用した併結列車になりました。2005年10月1日の改正で「彗星」は廃止となりました。

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2017年6月 7日 (水)

下関総合車両所一般公開 鉄道ふれあいフェスタ 2016 その6 HM展示 5 あかつき

2016年10月15日土曜日の下関総合車両所公開におけるHM展示、今回からは関西と九州を結んだ列車で行きます。

Ef58_77_750306_edit 1975/3/6 新大阪 未だ夜も明けきらぬ大阪駅に到着するEF58 77牽引
「あかつき1号」

関西から九州への寝台特急といえばなんといっても「あかつき」が挙げられます。今回の展示では「彗星」「なは」の単独HMと晩年に登場した「あかつき」との併結列車のマークはありましたが、「あかつき」の単独HMの展示はありませんでした。

「あかつき」の寝台特急としての登場は1965年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・長崎間に設定されました。このときにも20系は増備されています。

ナロネ21  120~125
ナハネ20  201~215
ナハネフ22 13
ナシ20    13~16
カニ21    15

これまでの20系客車はAS弁式空気ブレーキを使用しており、最高速度は95km/hに制限されていました。ヨンサントウのダイヤ改正でのスピードアップを目指して、このときに増備された車両からAREB空気ブレーキ(増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ)が装備され、110km/hで運転した際に非常制動距離を600m以下に抑えることが可能となりました。従来車についても入場の際に同様の装備が付加されました。
一方でこの装備のため、高速で20系を牽引できる機関車はいわゆるP型(EF65500番台、ED731000番台、EF701000番台、ED75300番台、ED761000番台、EF801~20などの元空気ダメ引き通し管とブレーキ指令回路KE72ジャンパ連結器を持つ)に限定となりました。

1968年10月1日のダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・佐世保間に「あかつき」が1往復増発されました。従来の西鹿児島・長崎間の「あかつき」の長崎発着の編成が「はやぶさ」と共通運用になりました。

20_21_7410930 1974/9/30 西鹿児島に到着した「あかつき1号」 1974年秋の九州一周旅行が私の最初の20系乗車でした。

1972年3月15日のダイヤ改正で、新大阪~熊本・長崎間に「あかつき下り3/上り1号」が増発され、3往復体制に。あかつき下り1号、上り3号の車両は向日町運転所から品川客車区受け持ちとなり、「はやぶさ」と完全に共通運用化。このときは「さくら」「みずほ」の14系化でねん出された20系が転用されました。

1972年10月2日のダイヤ改正で新たに向日町に配置された14系(94両)により、新大阪~熊本間に「あかつき下り2号/上り3号」が増発され、4往復体制になりました。また既設の2往復も14系化されました。しかし、ダイヤ改正から約1か月後の北陸トンネル列車火災事故(1972/11/6)により、分散電源方式の14系は製造が中止となりました。この改正から関西~九州の寝台特急牽引機は元空気ダメ引き通し改造をしたEF58形(P)となりました。また長崎本線の浦上線の開業で約10分のスピードアップが実現しました。

1973年8~9月にかけて集中電源方式の24系24形が118両増備され、季節急行「雲仙」「西海」各1往復が「あかつき」に統合となり、「あかつき」は6往復体制となりました。新大阪~長崎間の「あかつき下り3/上り1号」と新大阪~西鹿児島間の「あかつき下り4号/上り3号」が24系となりました。

1974年3月には二段ハネ24系25形がデビューし、4月25日のダイヤ改正で24系25形が91両向日町に配置され、新大阪~熊本間に「あかつき」が1往復増発され、7往復体制となりました。このときの陣容は

21/22列車 新大阪~西鹿児島・長崎 20系 1/7
23/24列車 新大阪~西鹿児島 14系 2/5
25/26列車 新大阪~長崎 24系25形 3/1
29/30列車 新大阪~西鹿児島(熊本切り落とし) 24系 4/4
31/32列車 新大阪~佐世保 14系 5/3 門司まで彗星5/3と併結
33/34列車 新大阪~熊本 24系25形 6/2
35/36列車 新大阪~長崎・佐世保 14系 7/6

このときが「あかつき」の最盛期で、1975年3月10日のダイヤ改正では、長崎・佐世保線系統が「あかつき」、鹿児島本線系統は「明星」と整理され、3往復になりました。20系の運用はなくなりました。明星との併結運転がなされたのはこの時期でした。

Ef58_38 EF5838号機に牽引されて大阪駅に進入する24系25形「あかつき」
1975年3月改正以降はHMが省略された時代が続きました。

Ef65_1094_000000 大阪駅に到着する「明星・あかつき」併結列車

Ef65_1095_000000 高槻で停車中の向日町回送列車

1415_791221 1979/12/21 長崎 14系15形寝台客車

1978年10月2日のダイヤ改正では2往復となり、再び分散式電源方式の二段ハネ14系15形が「あかつき」2往復に投入されました。1986年11月1日のダイヤ改正では1往復が20系による臨時列車になり、佐世保編成に普通座席車オハ14が連結されました。

14_14_303_020322 2002/3/22長崎

1990年3月10日のダイヤ改正では高速バス対抗として「レガートシート」の連結、

Ef66_48_050708 2005/7/8 山崎

2000年3月11日のダイヤ改正では佐世保編成を廃止して、「彗星」との併結、2005年10月1日には「彗星」の廃止、

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Ef66_53_060620 2005/6/20 千里丘

なは」との併結、2008年3月15日、廃止に至りました。

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2016年10月 7日 (金)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その3 特急「日本海」

千里丘や岸辺といった関西における鉄道撮影の聖地で撮った懐かしい列車シリーズ、今回は大阪と青森、一時期は函館を結んだ寝台特急「日本海」です。

Ef81_106_120317 2012/3/17 千里丘 定期列車としては上り最終となった列車

1924年7月31日、羽越本線の全通で日本海縦貫線が完成、神戸~青森間に急行列車(富山~青森間は普通列車)の運転が開始されました。1926年8月15日には全区間が急行列車に、1929年9月15日には運転区間が大阪~青森間となりましたが、戦局の悪化で1943年2月1日、廃止になりました。

Ef58_79_741006 1974/10/6 新大阪
米原経由の時代でEF58がHMを付けて牽引していました。

20_21 1975/3/6 大阪
20系の最後尾はナハネフ22と写真のようなナハネフ23のことがありました。

戦後、大阪と青森を結ぶ急行列車は1947年7月5日に運転を開始しました。1950年11月8日に「日本海」と命名、1968年10月1日のダイヤ改正で急行の名称は「きたぐに」となり、新たに青森運転所の20系客車を使用した寝台特急「日本海」が設定されました。

14 1976年ごろ 大阪
日本海の到着ホームの反対側には福知山線経由で出発待ちのキハ82系「まつかぜ」がおり、朝のゴールデンタイムでした。

1975年3月10日
の改正では湖西線経由に、さらに14系客車に変更、早岐区の14系を共通運用としたため、長崎・佐世保から青森まで超広域運用が有名となりました。さらに季節列車としてもう一往復の「日本海」が宮原区の14系座席車で設定されました。1976年3月15日、「つるぎ」とともに宮原区担当の日本海は24系25形客車となりました。

Ef81_123 1979/12/23 大阪駅
24系三段ハネ 日本海

1978年10月2日の改正では早岐の広域運用が解かれ、青森運転所の24系が担当になりました。1980年10月1日の改正では青森運転所担当の「あけぼの」2往復の24系化で日本海編成からオロネ24が抜き取られ、モノクラスになりました。1982年11月15日、上越新幹線開業のダイヤ改正では二往復とも宮原区受け持ちとなり、24系25形客車となりました。しかし、1984年2月1日の改正では一往復が青森の24系に戻りました。

Ed75_783 東能代~鶴形 24系25形二段ハネの日本海

2424_791223 1979/12/23 大阪駅
24系三段ハネ 日本海

1987年4月1日の分割民営化では青森運転所担当列車がJR東日本、宮原区担当列車がJR西日本に継承され、1988年3月13日の青函トンネル開業では1/4号が大阪~函館間運行となり、営業運転で青函トンネルを通過した最初の寝台特急となりました。夏季期間、1/4号にはマニ50荷物車が連結され、「日本海モトとレール」としてオートバイ輸送が実施されました。

Ed79_12_911112 1991/12/11 青森 函館行き日本海

2424_930807_1 1993/8/7 鶴形~富根 マニ50付日本海

Ed79_18_030928 2003/9/28 五稜郭

Ef81_106_080225 2008/2/25 山科
冬場の強風で湖西線周りから湖東線、米原経由で運転されたこともしばしばありました。

Ef81_104_101205 2010/12/5 千里丘
TLE牽引機がローズピンクのEF81に代わって牽引したこともありました。

1998年8月22日、「日本海モトとレール」の運行は終了、2006年3月18日、1/4号の運転区間は大阪~青森に短縮、2008年3月15日、2/3号が廃止となり、1往復体制となりました。
2012年3月17日のダイヤ改正で定期運行が終了、2012年4月、8月、2013年冬期の多客期には運行されたものの、3月以降は列車の設定がない状態となっています。

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2016年10月 6日 (木)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その2 関西~九州寝台特急「あかつき」

岸辺、千里丘界隈で撮影した列車達、今回は関西と九州を結んだ寝台特急「あかつき
です。

Ef66_42_080226 2008/2/26 千里丘 あと僅かの走行期間にとなった頃の「なは・あかつき」

「あかつき」という愛称は東京~大阪間の夜行急行として1958年10月から登場しました。不定期列車でしたが、混雑が慢性化していた状況もあり、毎日運転の座席列車でした。1959年9月に寝台列車化され、1961年10月のダイヤ改正では「銀河」「月光」「金星」の寝台列車化で一旦名前が消えました。しかし、ビジネスマンによる人気から1962年6月、不定期列車の「第2六甲」が寝台列車化されたとき復活し、1962年10月には定期列車化され、東海道新幹線開業の前まで(~1964年9月)運行されました。

次に特急「あかつき」としてデビューしたのは1965年10月で新大阪~西鹿児島・長崎間の寝台特急で、関西~九州間のみならず、東海道新幹線との連携で東京と九州を結ぶ特急としての役割も担いました。

Ef58_115_4_739_750306 1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF58牽引「あかつき」

Ef65_502_2_750306 1975/3/6 大阪駅に到着するHM付きEF65 502(下関)牽引「あかつき」

20_21_750306 1975/3/6 大阪
20系最後の頃の「あかつき」、客車は東京発の「はやぶさ」と共通運用でした。

この頃は米原区や下関運転所の機関車が関西BTを牽引しており、「あかつき」でもHMを装着する列車としない列車がありました。

Ef58_7 1975年3月のダイヤ改正後、EF58のHM装着は無くなりました。

わたしも大学1年の秋休み初の九州旅行は東京から新幹線、関西から西鹿児島まで20系寝台の「あかつき1号」に乗車しました。ちょうどこの頃が「あかつき」の最盛期で日豊本線方面の「彗星」との併結列車もありましたが、7往復の「あかつき」が走り、24系や二段ハネ24系25形の投入も東京発の寝台特急に先んじて行われました。

関西ブルートレインの場合、「彗星」「明星」「なは」などは581/3系寝台特急電車による運用もあったのに対して、「あかつき」は20系、14系、24系、24系25形、14系15形と客車であり、寝台電車が投入されることはありませんでした。

14_14_303_020322 2002/3/22 長崎

1990年3月からは普通車座席指定車輛として「レガートシート」車オハ14も連結されました。

Ef65_1095_000000 牽引機がEF65PFとなり、嬉しいことにHMが復活しました。 高槻

Ef65_1094_000000 「明星・あかつき」の併結列車も登場し、併結用HMも準備されました。 大阪

1415_791221 1979/12/21 長崎

最後の新製ブルートレインとなった14系15形が最初に投入されたのも「あかつき」でした。

1975年3月、新幹線博多開業で鹿児島本線系統が「明星」に、長崎・佐世保線系統が「あかつき」になり、筑豊本線経由佐世保行きといった列車も設定されました。これにより、同じ、あかつきに乗っていて、佐賀で時間の余裕を利用する推理小説のトリックなども話題になりました。

Ef66_54_020621_2_2  2002/6/21 「彗星・あかつき」 新大阪

2003年3月、佐世保発着列車が廃止、「彗星」との併結運行になり、2005年10月には「彗星」の廃止で、「なは」との併結運行に、そして2008年3月15日、42年半の歴史に終止符が打たれました。

Ef66_46_080225_2 2008/2/25 「なは・あかつき」 岸辺

その後、関東~九州の寝台特急も廃止され、機関車牽引の定期旅客列車はわが国からは無くなってしまいました。

これから生まれてくる鉄道ファンはそういった列車の存在を知らずに鉄道写真を撮ることになるのですね。

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2016年10月 5日 (水)

千里丘、岸辺界隈での列車撮影 その1 急行「銀河」

月日の経つのはやいもので、写真をきちんと整理しないうちに9月の関西旅行から1か月が過ぎてしまいました。
先の関西旅行では2日とも、千里丘で貨物列車や機関車回送、東海道線の各種列車を撮ることから、朝の撮影をスタートしました。岸辺、千里丘は関西の鉄道ファンの方々にとって、聖地のような場所で、今回も結構多くの方々を見かけました。

これから数回にわたり、これまでの同所での撮影の記録を紹介して行きたく思います。
第1回は東海道線の寝台急行「銀河」です。

Ef65_1118_080225 2008/2/25 岸辺
廃止直前の大阪出張で偶然、今は亡きゲッパことEF651118号機牽引の「銀河」が撮影できました。HMがあればもっと良かったですが。

Ef65_1111_070310 2007/3/10 岸辺 EF651111号機牽引

「銀河」と命名された列車の登場は1949年9月で、それまで一等、二等車のみで組成された夜行急行15・16列車に名称が与えられ、最後尾に行燈式テールマークが取り付けられたのが始まりだそうです。1949年9月といえば、「下山」「三鷹」「松川」と国鉄に関係した怪事件が相次いで起こった頃で、まだ一般庶民に豪華列車を楽しむ生活の余裕はなく、豪華編成であるが故、利用は伸び悩み、わずか9日後に三等車が連結され、テールマークも外されることになったそうです。

Ef58_143_760300 1976/3 大阪
この頃は関西での撮影は殆ど、大阪駅か新大阪駅でした。

牽引機はEF58からEF65へ、客車も運行当初はマロネ40・41形客車、10系寝台客車、20系寝台客車、14系、24系寝台客車、座席者にはかつての特急用三等車スハ44、スハフ44が使用されたこともありました。

14_850418_3 1985/4/18 東京
14系寝台客車時代は1回しか撮影しませんでした。

20_000000 撮影時期不明 大阪駅10番ホームで出発待ち 
これは実際に乗車したときに撮影したものと思います。

急行から特急への格上げという話もあったそうですが、有効時間帯と所要時間の関係からスピードが上げられないこと、値上げとの批判を恐れたことなどから、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止されるまで急行で通しました。

2425_030325 2003/3/25 新大阪
オハネフ25 0番台をラストにした24系25形「銀河」

2425_050708 2005/7/8 山崎
下の銀線が妻まで回り込んでいないオハネフ25をラストにした「銀河」

050822_2 2005/8/22 山崎
下の銀線が貫通幌まで伸びているオハネフ25100をラストにした「銀河」

晩年の24系25形客車時代、大阪到着列車ではさまざまのオハネフ25の姿を見ることが出来ました。

以上、関西で撮った急行「銀河」を纏めてみました。

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2015年3月11日 (水)

ダイヤ改正を前に 上野駅高架ホーム その1

2015年3月14日のダイヤ改正まで、あと僅かとなりました。

今回のダイヤ改正では、北陸新幹線の長野~金沢間延伸上野・東京ライン開業といった新線の開通があり、それに伴う車両の新規増備、車両の転用、JR線から第三セクターへの転換、さらには青函トンネル開通以来、首都圏と北海道を結んで活躍してきた寝台特急「北斗星」の定期運行終了、関西と北海道を結んでいた豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」の廃止などの大きな変化があります。

150308_2
上野東京ライン開業を告知するポスター 2015/3/8 上野

普段は出張と週末くらいにしかJRを利用しませんが、3月8日の日曜日は別記事にする予定の「カシオペア」のEF81代走の撮影のついでに、上野東京ライン開業を間近に控えた、上野駅高架ホームをいろいろと見て回り、14日のからの新ダイヤに向けた準備風景をいくつか写真に収めてきました。

まず最初に気付いたのは駅名標です。

5_150308_2
高架ホーム5番線側の駅名標 2015/3/8 上野  

既に上野東京ライン開通後の表示に切り替えられており、後はマスクを剥がす状態ですが、このホームは上野東京ライン開通後も宇都宮線、高崎線専用のホームということなのでしょうか。北方向の隣駅は尾久のみとなっています。

6_150308
一方、反対側の6番線は常磐線列車も使うため、北側の隣駅は尾久と日暮里?となっています。

150308
5,6番線ホームから鶯谷方向を

だからといって5番線側から常磐線方向に行けないのではなく、線路的には6番線同様に常磐線と繋がっています。常磐線方面列車は、6番線から南行き線を横断して、常磐線に入線することになります。

5_150308
5番線側にも出発信号表示器も東北、常磐両方用意されています。

6_150308_2
6番線側

6_150308_3
東京方面 6番線から

9_150308_3
東京方面 9番線から

140716 2014/7/16 の同じ場所

秋葉原の電留線まで線路は通じていたので7,8,9番線からの線路は開通していましたが、昨年7月の時点では6番線から南下する線路は塞がれていました。すでに試運転も再三行われており、あとは開業を待つと言った状態かと思います。

56_150308
上野東京ライン開通直前の上野駅高架ホームの時刻表

改正後の高架ホームの使用パターンを時刻表から見てみると

5番線:上野東京ライン北行き、上野発(早朝)、宇都宮、高崎線専用
6番線:上野東京ライン北行き、上野発(早朝、深夜)、宇都宮、高崎線、
     上野東京ライン北行き、常磐線快速
7番線:上野東京ライン南行き、宇都宮、高崎線専用、上野発宇都宮行き最終
8番線:上野東京ライン南行き、宇都宮、高崎線、常磐線、上野着宇都宮、高崎線、常磐線
     上野東京ライン北行き、常磐線特急、一部臨時列車
9番線:上野東京ライン南行き、常磐線特急、快速、上野折り返し(早朝、深夜)常磐線快速     

さらにこれまでは取手までの快速専用となっていた11,12番線にE531系が発着します。

このことから品川方面から北上してきた常磐線方面の車輌のうち、E657系特急は上野駅手前で南行き線を渡り、8番線に入線、E531系はまず6番線に入線し、上野駅を出発してから、南行き線を渡ることが分かります。

何度か書いていますが、1972年10月2日が私の上野駅写真撮影デビューでした。当時、高校2年で、東北特急全盛時代で、高架ホームには東京駅発着の485系ひばり」「やまびこ」などが発着していました。

485_481_0_7210
485_481100_7210
1972年10月、上野駅で撮影した485系 「ひばり」

Ef58_124_740000
品川と尾久を結ぶこういった配給列車も見かけました。 鶯谷

新幹線建設で1983年1月以降、線路が途切れてから、32年。今回の開通では常磐線に関しては品川までですが、宇都宮・高崎線系統は東海道線と相互に乗り入れて、かなりの長距離運用が実現します。

時刻表によると、上野東京ラインを通って東京駅を通る列車の列車番号の末尾はEが付き、大宮方面が偶数、横浜方面は奇数となります。常磐線はHが付き、上野・品川方面が偶数、松戸、取手、成田方面が奇数となります。

今回の新ダイヤでは宇都宮線の快速ラピッド、高崎線の快速アーバンが東海道に乗り入れても東海道線内は普通列車となり、逆に東海道線快速アクティが宇都宮線に乗り入れる場合も普通となります。

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