2013年1月 5日 (土)

1981/11 北陸へ 1 EF70 初期タイプ その2

やぶおさんへのお返事でも書きましたが、1月3日から4日にかけてインフルエンザウイルスA型による流行性感冒で少し間が空きましたが、EF70の初期型について写真を挙げながら紹介して行こうと思います。因みに私はウイルスに感染しておりますが、パソコンには感染していないようでこのブログを読んでも皆さまのパソコンにはウイルスは感染しないと思いますのでご安心を。

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確か金沢で撮った写真だった思いますが、駅のそばに機関区がありましたでしょうか。

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EF70一次形の側面の写真ですがフィルターの数と幅の違い、乗務員室側窓と出入り口の水切りの位置、前面の通風口以外はEF61と非常に良く似ていることが分かります。

Ef61_12_2参考にEF61 12号機の写真を

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続いて14号機のコンテナ貨物列車です。

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15号機です。

電気機関車が牽引する小荷物列車、駅のテルハ全てが過去のものになってしまった感があります。

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81年当時一次形の前照灯のシールビーム改造は約半数から3/4に行われていたのでしょうか。

Ef70_2ちょうど一次形と二次形が並んだ写真です。前照灯以外にも乗務員室側窓、サイドのフィルター、明かり取りの窓、電気暖房表示灯の位置(一次形は2,3位、二次形は1,4位)などの違いが分かります。

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2012年12月19日 (水)

1977/3 山陰、九州、そして瀬野八へ 13 瀬野八を行くEF60,61,65牽引の貨物列車

今回は、EF60、EF61、EF65が牽引する貨物列車です。

1977年当時、旅客列車用に製造されたEF61も相次ぐ客車列車の廃止で貨物運用も担当していたことがこの写真から分かります。

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最初は川上西トンネル東側出口上の撮影ポイントで写したEF60 32号機牽引の下り貨物列車です。11月18日の記事の復習になりますが、32号機は量産二次グループですね。

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続いては同じポイントで写したEF61 8号機牽引の下り貨物列車です。EF61はかつてこの区間で寝台特急の補機を務めた経験があり、その時の名残の自動開放装置(空気圧でシリンダーを動かし、開放てこを操作)が装備されているのがこの写真から分かります。

EF60の前期タイプ(量産二次以降)とEF61、正面から見ると見分けがつきにくいですが、サイドが見えるとすぐ分かるのがこの二枚の写真ですね。

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こちらは瀬野西トンネル西側出口の上の撮影ポイントで写したEF65 17号機牽引の国鉄コンテナ貨物列車です。17号機は11月19日の記事の復習になりますが、一次車でEF60の量産最終グループと非常に共通点の多い機関車です。

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最後はEF65100号機牽引の貨物列車で、些か早押し気味の写真です(お恥ずかしいことに)。100号機は四次車ですね。

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2012年11月18日 (日)

1975/10 真鶴~湯河原へ 2 EF60について

今回はEF60です。

EF60は1960年に開発された平坦路線向け直流用電気機関車であり、1960年から1964年にかけて、貨物用の0番台129両と寝台特急列車(ブルートレイン)牽引用の500番台14両の計143両が製造されました。登場当時は車体塗装は0番台がぶどう色2号(茶色)の一色で、500番台が前面上部・下部および側面を青15号(濃青色)、前面窓周り・中央部と側面帯をクリーム1号とした塗装でしたが、塗装規定の変更により1965年から側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面中央部をクリーム1号とした配色に全機が変更されました。

<0番台、一般形>

1960年に2両の先行試作車が製造された後、1号機をベースにした量産機 3-141960年7月から9月にかけて姫路 - 岡山間電化開業用を名目として製造されました。駆動方式は試作車と同様のクイル駆動方式でしたが、異常振動等の問題があり、後年、リンク式駆動装置に改修されました、この駆動装置の問題により試作機を含めた14両は本形式他車と運用が分けられ、EF65形が投入された1970年代には8両がEF61形200番台に改造されました。
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EF60 9号機 このグループの唯一の写真です。

当時、このグループは岡山機関区に集中配置され、運用も糸崎、宇野、梅小路の範囲専用であったと思います。そのため、関東ではお目にかかることがなく、関西に旅行したときに列車の窓越しに撮った証拠写真のみに終わってしまいました。

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1985年4月の二度目の瀬野八訪問で、EF61 206に改造されたEF60 6の姿を写真に収めることができました。

二次グループは1962年5月から8月にかけて東海道・山陽本線増発用を名目として15 - 46号機が製造されました。駆動方式は吊り掛け駆動方式に設計変更され、主電動機は1時間定格出力425kWのMT52形に変更し、それに合わせて台車もDT115A形・DT116A形(軸距を2,800 mmまで延長)に変更されました。外観上の相違としては、前照灯まわりが一次グループの樽形ケーシングから台形のケーシングとなりました。

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EF60 18号機 大宮
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EF60 22号機

現在でもこのグループの一員の19号機が高崎車輌センターにて現役で活躍しているのは喜ばしい限りです。

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やすらぎ塗色で活躍していた頃
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最近は一般貨物機塗色になり、1エンド側ライトもオリジナルの単灯に改造済み

三次グループは1963年7月から1964年3月にかけて東海道・山陽本線増発用、岡山 - 広島間の貨物列車電化用を名目とし47-83号機が製造されました。

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EF60 47号機  保土ヶ谷
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47号機

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47号機カットモデル 大宮工場
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EF60 51号機 六甲道

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EF60 76号機

四次グループは1964年4月から7月にかけて山陽本線旅客電化用、甲府 - 上諏訪間電化開業用、上越・高崎・東北本線貨物列車増発を名目として84 - 99号機が製造されました。このロットから外観に大きな違いが現れました。前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配した構造となりました。その後に製造されたEF65形も同一形状です。側窓も白Hゴム支持となり、運転室機器類の一部変更され、避雷針をLA15に変更されました。このグループから88号機がEF67 3に改造されました。
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EF60 97号機 1977.3.19 瀬野~八本松間 瀬野西トンネル西出口

五次グループは1964年7月から10月にかけて上越・高崎・東北本線貨物列車増発用、山手線貨物列車増発用を名目として100 - 129号機が製造されました。後年、104号機がEF67 1に、129号機がEF67 2号機に改造されました。

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EF60 100号機

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沼津で休む125号機

四次グループ以降のEF65との相違点はモニター屋根の端が斜めになっているのがEF60垂直なのがEF65

<500番台、寝台特急牽引用>

1963年から1964年20系客車寝台特急牽引用EF58形の置換え用して製造されたグループで501 - 514が該当し、車体は501 - 511が3次量産車に、512 - 514が四次量産車に準ずる形態をしている。

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EF60 506 1979.5.19 西国分寺

 

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EF60 507 八王子
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EF60 509 飯田町
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EF60 510 市ヶ谷

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510号機は特急塗装を纏って大宮工場に保管されており、2011年9月頃にはお色直しが行われたようで、大宮駅のホームから見える場所に顔を出していました。
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EF60 511 沼津

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EF60 513 一般形の4次量産車以降のスタイル号機が製造されました。

 

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特急塗装に復元されて碓氷峠鉄道文化村に展示されている501号機

製造当初は、基本番台が東海道・山陽本線の高速貨物列車に、500番台が東京 - 九州間寝台特急列車に投入されましたが、本来はEF15形・EH10形の後継となる貨物機で定格速度は低く、定期の旅客列車とりわけ特急列車の牽引には不向きな形式でした。

後継で標準機となったEF65が登場すると一般貨物を担当するようになり、1970年代後半からは旧型貨物用電気機関車の置き換えで首都圏の中央本線・高崎線・両毛線などにも投入されました。

1980年代に入ると、老朽化や貨物列車の減少などにより徐々に淘汰が進行し、最後に残ったのは高崎第二機関区(現・高崎機関区)に配置され首都圏発着で高崎線・両毛線を通る貨物列車で運用されていた車両と1986年3月から竜華機関区にも配属され阪和線・紀勢本線で運用された数両で、これら残存車は分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正で定期運用がなくなり、大部分はJRグループに承継されず廃車となりました (Wikipedia 国鉄EF60形電気機関車の記述を参考に書いています)。

先日、EF15の際にご紹介した「鉄路100万キロ走行記 宇田賢吉著」(グランプリ出版)にEF60に関する宇田氏の感想も書かれています。EF60はEF15に較べると全てに余裕を持って申し分のない機関車として登場した。初期の1~14号機はMT49モーターを装備して発車などの重負荷時には悲鳴のようなモーターの唸りだけでEF60であることが判った。15号機以降はMT52モーターに替わって、出力増大と定格速度変更があり、性能上では別形式であった。EF15との比較では出力の増大を主に牽引力増大に当てて、バランスの取れた形式であった。ノッチ手動進段という旧来の方式のまま新機軸を採用したため、運転操作からはEF15の改良形であった。空転再粘着装置やノッチ細分化のバーニア装置は使用する機会がなく宝の持ち腐れであった。

晩年は貨物列車の速度が向上したため、定格速度の低いEF60は機関士に敬遠された。
運転室の環境は大幅に改善され、マスコンをはじめ、あらゆる機器が新系列になって今までの常識が一新された。細かい点ではスペース縮小のため運転室への出入りが窮屈になった。隙間風は機械室のドア改善で少なくなったが、機械室の負圧による吸い込みはそのまま残された。
ワイパーは窓の上装備になったが、清掃範囲が凹形になるのは不自然であり、使用しないときに重力で中央部に垂れ下がるのは目障りだった。ワイパーを窓下に移せば解決できたが、計器盤のの点検の邪魔になるので敬遠されたようだ。

とのことです。

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2012年11月14日 (水)

1975/3 関門・関西へ 11 関西編1

下関、北九州地区でひととおり、撮影をした後は、下関発19:25発、急行「音戸2号」302レで、大阪に向かいました。

人生二度目の10系客車スハネ16による寝台客車の旅でした。最初は小学校2年頃に父親と二人で秋田に行った際に上野から上越線周りの急行「鳥海」の寝台車に乗ったときで秋田に茶色のDF50がいたのを見た憶えがあります。いくら小学生とは言え、52cm幅の寝台に親子ふたりはきつく、殆ど寝られなかったの憶えています。

今回は、前夜ほぼ徹夜の「高千穂・桜島」乗車に続いて、一日中、雨の中下関、門司、小倉で写真を撮り、下関駅のホームで駅弁を買って乗車してからは積もった疲れもあって、翌朝目覚めたら、大阪到着寸前でした。

昔から大きな駅でスポッティングする際には時刻表を作って、いつどのホームにどんな列車が入ってくるか見ればすぐに分かるようにしておきましたが、今回もそれを思い出しながら、大阪駅の到着時刻表を作ってみました。

7503
今回は、山陽本線、日本海縦貫線からの到着した客車列車の写真を挙げて行きます。
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5:59 EF58 77号機に牽引されて「あかつき1号」26レが到着

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EF61 4牽引の荷38レが6:11に到着、6:35の発車まで長時間の停車

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6:14 EF58 22号機に牽引され「彗星1号」48レが到着

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6:43には名古屋まで行く急行「阿蘇」214レがEF6114号機に牽引されて到着

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6:59着「あかつき3号・彗星2号」32レは下関所属のEF65 502号機牽引

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7:28に到着した東京行き急行「高千穂・桜島」1102レが7:35に10番線を発車
殆どがスハ43系(スハ43形、スハフ42形)客車で組成されていたようだ

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「あかつき4号」30レを牽引して大阪に到着したEF58 115号機

11番線に7:48発急行「立山1号」501Mが入線しているところから推察して、この列車は本来は「高千穂・桜島」より前の7:25に到着するはずの列車であるが、この日は遅れた模様である。
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8:43着の「彗星4号」46レはなんとEF65 500F形 522号機の牽引

(2015/5/31 追記:EF65 522 Fタイプの「彗星」牽引、ずっと疑問に思っていたのですが、「国鉄時代 26」の記事で担当の経緯が分かりました。1975年3月改正直前で米原区のEF58が不足したために、同改正前に米原区に配置された522、523号機がピンチヒッターとして代行で運用されたようです。なお、F型のブルトレ牽引は1965年10月改正513~517号機が東京機関区に配置され,翌年に吹田二区に転出するまでP型と伍してブルトレ運用に就いたこと、1972年10月改正前に3月改正で増発された「あかつき」「彗星」と東京区のEF65 500Pから運用移管された「日本海」の運用に下関区のPFと一緒に運用されたことでした。10月改正ではEF58が関西ブルトレ牽引に復活しましたが、その準備が整うまでのピンチヒッターでした。) 成田冬紀氏の特急列車異聞の記事に書かれたエピソードのひとつです。

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10:25「彗星5号」42レを牽引して到着した大窓EF58 12号機

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ブルートレインのラストはこの改正で消える20系「あかつき7号」10:32着

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一方、日本海縦貫線系ブルートレインでは「つるぎ」「日本海」がありましたが、「つるぎ」は5:52で間に合わず、8:25到着の日本海を写しました。

それにしても西から到着する列車だけでこれだけ過密スケジュールであり、今では信じられない状況です。牽引機はEF58がメインでしたが、なかにはEF65 500PやさらにはEF65 500Fに牽引された列車もあり、そういった牽引風景が撮影出来たことはラッキーでした。

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2012年11月 5日 (月)

1975/3 関門・関西へ 2 夜行列車到着編

「高千穂・桜島」はまだ夜の明けきらない午前4:18に下関に到着しますが、あの当時のその時間帯は山陽路を下る夜行列車の帯のまっただ中の時間帯だったのですね。
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1974.12の時刻表による山陽本線(下り)夜行特急列車

下関に到着し列車を降りたものの、まだ夜は明けておらず、寒くて撮影どころではなかったように記憶しています。1時間くらい休憩して、5:25着の下り「月光2号」から写真を撮り始めました。
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何とか撮ってはいますが、イマイチ説得力に欠ける寝台特急下り「月光2号」の写真 
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夜も明け出す6:52、下関に到着した「明星3号」こちらも列車名の判別は難しい。
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広島区のP型EF58115号機に牽引されて下関に到着した「彗星5号」大分行き

関西発の寝台特急牽引機の多くがHMなしで到着してくる中、きちんとHMを装着したP形EF58の姿は凛々しくもありました。同機はこの晩、「あかつき」を牽引して大阪に翌朝到着。彗星5号は1974,4に登場した二段ハネ24系25形による列車で、下関から門司まではEF30 4号機にエスコートされ、九州入りしました。

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EF30 4
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二段ハネとして登場した24系25形 オハネフ25 0番台 折妻スタイル

24系25形が登場してからは特急寝台車のトレンドは25形となってゆきましたが、その顔、すなわち緩急車側の顔と、電源車の顔は登場のたびに違うものとなって行きました。
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24系24形、25形の編成両端の顔の変化

一方、急行ではEF61 14に牽引された「阿蘇」が7:59に到着、「阿蘇」のEF61による牽引も本改正で消滅します。

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EF81 301 ステンレス無塗装時代

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EF81 302 同じくステンレス無塗装時代

一方、下関から関門トンネルをエスコートする交直流機もEF30,EF81 300番台の301,302がまだ銀色に輝く車体として活躍していました。彼女らはその後の1978年10月の異動で内郷機関区転属となり、常磐線走行の際の視認性の向上のためとピンクの厚化粧を施されてしまい、二度とシルバーボディに戻れない体となってしまいました。

1975.3の改正で特急列車の機関車にHMが掲出されるのは東京機関区のEF65牽引ブルートレインのみとなり、所謂HM暗黒時代に突入しました。それが開けて、関門のシェルパにもHMが復活したのは1985年3月のダイヤ改正でした。

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2012年10月29日 (月)

1975/1 名古屋へ 1 客車列車 その2 EF61牽引 「阿蘇」

今回は、薄幸の旅客機と言われたEF61とEF61による急行仕業だった「阿蘇」に関する話題です。

1960年に開発されたEF60形は、国鉄の近代的な大型直流電気機関車の第一陣であり、一般貨物列車を牽引するためには十分な性能を備えてはいましたが、牽引力重視の設計ゆえ高速走行時の特性に難があり、旅客列車や高速貨物列車の牽引には不向きでした。また、客車暖房のための蒸気発生装置 (SG) ならびに電気暖房装置 (EG) が搭載されておらず、その点でも当時の一般旅客列車牽引には向きませんでした。そのため、1958年に製造が終了していた旅客列車用機関車EF58形の後継としてEF61形が設計され、1961年から18両が新製されました。

<車体構造>

EF60形の1次形をベースにして、冬期の一般客車牽引に対応するSG1B形暖房用蒸気発生装置・重油タンク・水タンクを追加搭載しました。 当時は直流電化区間の旅客列車の電車への移行が進行し、東海道新幹線の建設工事も始まっていた時期で、将来的にはSGを外し貨物用に改造することを視野に入れての設計でした。

SG搭載により重量が増加しますが、本形式は旅客列車用ということで、旅客列車の牽引に特に必要のないバーニア制御器や再粘着装置などの一部の機器を省略して最終的にはEF60形と同一の96.0tに車重を抑えました。
高速化のため主電動機の歯車比を15:82=1:5.47→16:82=1:5.13に変更。 EF60形1次形の電動機側小歯車の15枚に対して、本形式では1枚増やした16枚の歯車を取り付けるというメカ的に興味深い手法で変更が行われました。

車体はEF60形1次形に比してSG装置を搭載する必要があるため1.6m延長され、側面の換気ルーバーや小窓は横長に連続した形態としました。連続した小窓は車内への「明かり採り」の効果向上を狙ったもので、以後の国鉄電気機関車の多くにも採り入れられることとなりました。

製造当初の車体塗装は、EF60形基本番台と同一のぶどう色2号(茶色)の一色で、1965年からEF60形と同様に側面全体と前面上半部・下部を青15号、前面窓下部をクリーム1号とした塗装に全機とも変更されています。

予算と製造名目

昭和36年度本予算 山陽本線岡山 - 糸崎間電化 旅客列車牽引機の電気機関車化

1~10   川崎車輛 川崎電機製造
11~18  汽車製造 東洋電機製造 

新製配置 宮原機関区 

旅客用直流電気機関車の需要自体が電車化の進展で減少したこともあって、発注・製造はこの一度のみで製造両数も18両にとどまりました。

主電動機の駆動力伝達には、EF60形1次形と同様の日立製作所製QD2C形クイル式駆動装置を搭載しました。しかし、これが原因とされる走行中の異常振動現象による駆動系トラブルが多発したため、1974年から1977年にかけてリンク式に改造されました。

<運用>

1961年の製造当初は宮原機関区に配置されましたが、1962年の山陽本線広島電化により広島機関区に転属しました。東京 - 広島間で寝台特急列車(ブルートレイン)牽引のほか、間合い運用として瀬野 - 八本松間での旅客電車の補助機関車運用などにも投入されました。そのため、東京方の自動連結器解放テコに走行開放用空気シリンダーが取り付けられています。
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EF61 12号機牽引の急行荷物列車 荷38レ 大阪駅 EF61牽引のこの列車は九州から寝台特急で大阪に到着すると必ずといって良いほど目にした大阪駅の名物的光景でした。

1963年EF60形500番台登場後は寝台特急牽引運用から撤退し、急行列車や東海道・山陽本線の急行荷物列車の牽引に使用されましたが、1975年3月10日の山陽新幹線博多開業により、東海道・山陽本線の定期客車急行列車の牽引運用から外れた後は、荷物列車や臨時列車を中心に、ローカル貨物列車にも使用されるという地味な運用となりました。

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貨物運用を担当する8号機 広島

また後年には、SGによる車体の腐食が問題となりました。EF58形と比べて本形式は車体の外板が薄いため、蒸気の排出口を中心に屋根板の腐食と強度低下が早く進行し、一部の車両では錆びた屋根が抜け落ちる事故が発生しました。屋根の抜けた車両のうち、1号機は屋根の約半分を張り替えるなど大規模な修繕に数か月を要しました。

その後、老朽化により運用から外れる車両が発生し、1983年3月には、1979年以来休車が続いていた7号機が最初の廃車となりました。その後も状態不良車を中心に廃車が続き、最後まで残った9両についても、荷物列車の電気暖房化により1984年2月1日のダイヤ改正で全機が運用から外れ、1985年までに廃車されました。晩年には、広島機関区所属機の特徴でもある下枠交差型のPS22Bパンタグラフに交換された車両も多く見られました。

急行「阿蘇」は1950年10月の時刻改正で東京~博多間の急行を筑豊本線経由で熊本まで延長したときに誕生したもので同年11月に「阿蘇」と命名されました。

1961年の改正で名古屋発に短縮され博多経由になりました。

1975年3月の改正で新大阪~熊本にさらに短縮され、牽引機もEF58に、

1978年の改正で大分行きの「くにさき」と併結になり、

1980年の改正で廃止されています。

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急行「阿蘇」214レ9;34到着 1974年当時は全機広島機関区に配置され、東海道・山陽線の夜行急行や小荷物列車の運用に当たっていました。ただ、運用は浜松までであり、関東のファンにとってはなかなかお目にかかれない機関車でした。

1975年1月当時、EF61の急行仕業としては、この「阿蘇」名古屋~下関の他、寝台急行「音戸2号」(広島~下関)などがありました。こちらに関しては1975.3のダイヤ改正直前での関門訪問の記事で紹介します。

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